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マック

・ウ

エー

の宗

傳統的權威

の崩壞、主體性

の喪失、そして人間性の分裂、現代はこのような時代である。

いいかえれば現代はわれ

われ人間の内面に激突する多くの困難な問題をも

つている。その反面人々は生命のよりどころとなるべき何も

のかを

熱烈に求めているものだといえる。

これから述べようとする

マックス・ウエ--";i

(MaxW

eber)

はあくまで良心的知性的にこのような問題と格闘

した學者であるということができる。格調の高い學問的な彼

の業績も他面ではこのような人間的努力によつて強くい

うどられていると考えられる。若しわれわれが現代に生きる人間として知性的科學的にこの緊張

した時代に處して生

ていき度いと思うならばいいかえれば現代人としていきながらしかも内面の人間性の要求としがない此世の營みと

の矛盾をいいかげんにごまかさずに生きていき度いという要求、師ち、世間態と體裁以外に眞

の生き甲斐をもとめる

要求が充されるかも知れないと考えて敢えて

マックス

・ウ

エーバーをあらためて顧みようとするものである。

筒彼は後述するごとく、キリスト教を主として世界の諸宗教とくにアジヤの諸宗數に

ついて言及しているのでこの

小論ではこの問題に焦點をあてることによつて、現代の我が國の混亂した文化ことにわが國の文化の盲點になってい

マックス・ウエーバーの宗教理論

五七

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五八

る宗教の問題を解決する手がかりを得るかも知れないという意圖をも

つて筆をすすめていき度い。

一章

マックス

・ウ

エーバ

の生

と著

マックス

・ウ

t{--バ--(MawWeber)

一八六四年四月二十

一日ドイッ中部

エルベ支流河眸の都市

エルフルトに

生れ、

一九二〇年六月十四日に逝いた。父

マックス・fit{ーバ--

(MaxWeber1835-1Q。㊤刈)

は、自由主義政黨であ

る國民自由黨代議士であり、母

ヘレーネ

(Helene1844-1919)は熱心なクリスチャソであ

つた。彼はこの二人の間に

七人兄弟姉妹の長男として生れ、家はかなり裕福であ

つた。

幼年時代の彼はどこか祚經質で蒲柳な體質をもつた少年であ

つたらしく、彼が生れたとき、頭が異常に大きく、し

かも母、

ヘレーネは産褥熱にかかつたので乳兒の彼は、瓧會民主黨の指物師の妻であ

つた他の母

の腕に人生最初の第

一歩をゆだねた。

彼は、驚くほどひとりでよく遊びその早熟は人

々をおどろかした。例えば、二歳牛で積木で停

車場や汽車をこしら

たといわれ、四歳のとき母につれられて、ベルギーに旅行し、汽車の轉覆事故をみて、人の世

の無常を感じたとい

うことである。ところが、おなじ四歳のときはからずも腦膜炎を患い

一年ほど痙攣と鬱血のくせが

つき、白痴になる

か、死ぬかという生命の危險が彼を脅かした。しかもこの病氣の間に自分

の體を四肢がささえかねる程頭が肥大しこ

は漸次回復して行

つたが、祚經質的な苦惱は彼の

一生涯の重荷となつた。

この間父

マックスは

エルフルトのついでベルリンの市參事會員として、保守的、自由主義の立場をとる政治家とし

て、母

ヘレーネは深い宗教的心情と強い意志をも

つ美しい聰明な婦人として、肚交的にその地位をみとめられていた

が、父の肚交的世俗的な性格と母の内省的宗數的な性格は露骨な鬪爭にまではいたらなか

つたが次第に家庭に微妙な

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空氣をかもしつつあ

つた。後年

マックス・ウエーバーが、

ハイデルベルグ大學に在職中、兩親の問

の感情的喰い違い

がもとで父と不和となつたのも、根本的には、父の祉交的外面的な性格と母の宗教的内面的な性格

の葛藤が原因であ

つたと考えられる。なおそれのみでなく、兩親のこの性格の喰いちがいは、

タ・クス

・ウ

バ占

の内面性

のう

にまで持ち込まれ後年

の精神における、

國民的權力國家の杜會倫理

とキリスト

教的人格倫理と

の間

の相剋の萌芽

は、ここに運命的に生れていたとも

いえる。

また彼が生れ死ぬるまでの期間は、租國ドイッも極めて、數奇な運命をたどつていた時代である。印.ち彼は有名な

スマルク時代に成人しヴイルヘルムニ世時代に祗會的に活躍したのであり、晩年はドイツ帝國滅

亡という悲運に邁

したのである。しかしいずれにしてもドイツ帝國は表面上は華やかな興隆を示していたが、そ

の裏面ではマックス

・ウエーバーが洞察し危懼したようにその畸形的な沚會

・政治構造のために歩

一歩と悲劇的經路を

たどつていた。師

ち、第

一次大戰の敗北と帝國の瓦解とが示すあの悲劇の終幕に向つて、その歩をいそいでいたのであ

つた。

さて、ウ

エーバーは少年時代はベルリソ郊外のシャルロッテソに廣い庭のある家を買つた父の許

ですごし、十八歳

でギムナジゥムを卒業したが教師にはその優れた頭脳を賞讃されたが性格的には不遜な、肉體的

には痩せた弱々しい

で肩のこの腺病質の青年は、燃えるような知識欲をいだいて、

ハイデルベルグ大學を訪れた。そののちベルリン、

ッティソゲ

ソの各大學に入り父の修めた法律學を中心に哲學、經濟學をも學んだそのうち

一年間は、ストラスブル

において兵役を果した。ことに

ハイデルベルグ時代にはこれまでの精祚的關心に代

つて、肉體的關心が前面にあら

われ荒

々しい野性的な要求が青年の肉體を搖り動かし、學生生活に沈溺し、酒を飮み、第三學期

には決鬪までして切

をうけたりなどしたが、しかしこのような生活のおかげで彼の肉體は見違えるほど強化され、

一年間の兵役の義務

も無事終えることができた。

一八八四年秋軍務を終えて、ただちにベルリソの父母のもとにかえり、ベルリソ大學に

マックス・ウエーバーの宗敏理論

五九

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六〇

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エーバーの宗教理論

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六二

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(Agrarverhaltnisse

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七卷

の論

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文集

一卷

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(Gesarrimelte

A.ufsatze

zur

issenscheftlehre

1922)

〃肚

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一卷

"

(Gesammelte

AufsatzezurSozial-und

W

irtschaftsgqeschichte

1924)

〃杜

一卷

"

(GesammeleAufsatze

zur

Soziologieand

Sozialpolitik

1924)

〃宗

丈集

111卷

;

(Gesammelte

Aufsatze

zurReliginssoziologQie1920-1922)

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一卷

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(Gesammelte

Politische

Schriften

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irtschaftand

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1921)

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universalen

Sozialand

W

irtschaftsgeschichte

1923)

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マック

・ウ

エーバーの宗教理論

六三

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六四

さあらゆる辛苦をも辭せざる底の知識欲としての熱情的研究、而して全ての取得に對する無關心、

技術的研究の外觀的な表面性に於ける不斷の動き、而して存在の本來的眞理性

への深ぎ根差し、

方法的知識の徹底性、而してあらゆる知られたる事

の相對化、

他人の倫理的態度に失望した際の具體的瞬間における冷酷なる嫌惡、而して、果しない善良さ蒙

つた不正に樹する

寛容反

樹者に鞨する凡ゆる限度を破るような鬪爭、而して勝利が彼に確實に見えた瞬間に於ける男らしき和解の覺悟

r來るべき不幸に樹して、廿年が間なし續けた彼の洞察の興奮、而して

一九

一八年の破局に於ける全き不安

幸幅なる現在を享受する能力、生存の高い明朗さ、而して測り知る可かゐざる破壞的いきどおり

日常

の法則としての倫理的要求を實行する際の無條件性、而して、暗いデーモンに封する。明瞭ある解放性、云々

とのべているが

マックス・ウエーバ…の内面的生涯は絶えざる、主題の變更と音階の變調の蓮續であり全體として

 

・兄がたい未完成のシンフォニイであ

つた。彼の傳記をみてもわかるように彼は絶えず政治に關

心をよせていたがド

ッの政治にこれという重大な影響をあたえることもなく、また數多くの學問的勞作を殘しているが、それらはすべ

て、斷片的であり未完成のままのこされた。政治的行動と學問的反省は彼の世間的生涯を形づく

る、二つの重要な主

であ

つたがそのいずれにおいてもその途中においてつまず

いている。このような、斷片的で未完成な人物が今日に

おいても高く評價され、時には、二十世紀最大の肚會科學者の

一人に數えられているのは

一體、

いかなる意味におい

てであろうか。このような問題を中心にして、彼の思想を追求していくであろう。

まず肚會科學者としてのマックス

・ウ

エーバーを顧みるとわれわれはその思想のあまりに多面的

でありかっ流動的

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であることに築

つくと同時に當惑する。彼の思惟羅

えず

;

の對象

ら他の對象へとうつりかわり暫

い素禁

次から次へと・認識の世界に持込まれる。例えば初期に讐

農業史や璽

ルベ地方の農業勞働者問題を取上げた

かとおもうと・中世華

史華

株式市場論が見い出され、瓧會科黌

認識の客觀性蠡

調する倫理的方法論的研

究が行われるかとおもうと、

ロシヤ革命論や政治に對する多數の論文が發表されさらに

"プ

ロテ

スタソテイズ

ムの倫

と資本主義の精祚"や中國、印度、

ユダ

ヤ教に關する宗教瓧會學的研究がすすめられるかと思うと工場勞働の心理

學的技術調査が行われ職業としての政治が語られるかと思うと、職業としての學問が取上げられて

いる。

このように主題はめまぐるしく變化しそれに件つて、多數多樣の知識と資料が驅使される。哲學、經濟學、法律學

などの概念や方法、及び西洋や東洋の幾千年聞の歴史的事實の把握、自然科學的方法への配慮、實

にこれらの種

々雜

の鑿

と資料と方蒙

マ・クス

・皇

瓧會科學的思惟をめぐ

つて、動いてい.Qのであ

る。前にみξ

。ク

ス・ウエーバーの全生涯と同樣彼の瓧會科學的思惟もまた矛盾にみちた、ときには非合理的斷絶をふくむ諸斷片の不

思議な總體であるということができる。

それでは

一體瓧會科學者としてのマックス・ウエーバーは究極において何を求めていたのであ

ろうか、この問題を

さらに深く追求していかなければならない。

マックス・ウエーバーの瓧會科學的思惟は最初彼の政治的實踐

の場とし

て、ドイッ國民國家を形成する理念の解明、印ち

Staatrason

を主體的實踐的に把握しようとして展開された。この

ことは彼の初期の論丈が明らかに示しているが、しかしこのような最初

の主題はその展開過程の途中において、更に

一つの新しい課題を導入するにいたつた。印ちドイッを

一つの國民國家にまで形成する理法を追求していくとき、彼

の祉會科學的思惟はやがて、ドイツの經濟的後進性の問題に直面せざるを得なかつた。なるほど彼

の當時のドイ

ツは

偉大な政治家ビスマルクによつて、先進資本主義國のイギリスやフラソスとの競合によつてこれを打倒し追

い越す強

マックス・ウエーバーの宗敢理論

六五

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よなハ

カな政治の渦中にあ

つたが、ここにみられた諸矛盾や近代資本主義生成の運命的な力は結局

マッ

クス・ウエーバーの

杜會科學者的精祚の關心をいたくひきつけた。有名な

"プ・テスタンテ・ズ

ムの倫理者

本主義

の精神

"からはじま

り中國、印度、さらに日本などのアジヤの世界宗教や古代

ユダヤ教の經濟生活に樹す

る聯關の探究

へとすすんだ彼

宗教肚豊

的研究の系列は、.」のような近袋

義の本質とその運命を瓧會科學的に、認磬

んとする努力のあと

を示すものである。

とくに彼の關心はその後次第に肚會科學

の分野に集中され、理念型的把握による價値到斷か

ら自由な、杜會科學的

の方法的蕃

づけとりわけ理経

の體系化が圖られた.他方その合理主誇

相對主義にもとつく・制度史的歴史

瓧會學的勞作において、A・理化という觀點から西歐近代肚會の構造原理の解明に專念したのである・そのために彼は

自由主義的個人、王義的なブ

ルジ

。ア馨

.學の最後の

一人といわれているが、彼

の學風は他

の人

々のように

をなさ

いかわりに世界的な規模における影響を肚會科學界

一般に及ぼした。

つぎにマ。クス

・皇

基く根本的立場を耋

てみると、結局彼は、普遍化的法則定立的自然科學

と個性化

的記述的丈化科學とを灣

する。リ・ケルr'

(H.Rickert)

を主とし乍

イッ西南學派の立場を繼承しそれ衾

展さ

せ、生の現實をその特性において價値關係的鐘

解し、その歴史的存在根據を問う現實科學としての肚會科學

の建設

に努力し奈

、その際因果歸屬の養

方法として、理念型

(剛量

の概念を用いこれによつて無限に豐かな歴史

的現實を測定し比較する方法をとつた。理念型とは、慧

型とも

いわれ、

マ・亥

・ウて

ハ乏

よると・

〃これは

のまたは若干の觀點の

的高昇によりそしてこの

的に高揚された觀點にA・するところの三

」には多

く・か

こには少く處にょつては、粂くないというように分散して存在する夥しい個

々の現象をそれ

自讐

おいて・壟

れた

;

の思想像によつて、獲得されるも

の邸ち矛盾のない蓮關によつてまとめあげた思惟的構成物であ

;

Page 11: 小 要 の き う し 熱 わ 論 筒 求 矛 て ど た こ 烈 れ …...1 8 3 5-1 Q。 刈) は 、 自 由 主 義 政 黨 で あ る 國 民 自 由 黨 代 議 士 で あ

ートピアにすぎないものではあるがしかし決して、存在すべきも

の或は模鬻

なるも

いう立息味を巡っもので瞬

く、ただ・お

れわれの篠

力にとつて・充分理由づけられてい耄

のとして、印ち籟

的に罷

とみ、兄

々の法唄

定立的知識に適確だとみえるよ長

の思惟的構成物以外の何ものでもないものである.われ湛

このような咽

准糶

成物をもつことにょつて・饕

の個

々の行攣

行爲鷭

がこの田憲

像の純粹性にどれだけ近

いカ、または遠し

確定すること麓

たそれらの士心向すゑ

漿

形で雷

し、更に.航

を他の行爲及び、行癰

關のそれ

と比較することによつて・その意味崩

確にすること奮

來る.曁

、.」れらの理念型贐

驗鵄

實の立局味を畜

灘識鰐欝

撫漁轍

"裴

"モチ↓

がはたらいているかを芒

かめることが可能でありこのようにして經驗的鬣

ハ、兄られ

るいろいろの經頸

象の意窒

的に理解すること奮

來るよ乏

なるのである.

このよう

にみてくると結局マ

ックス

ーバあ

型鐃

實の驀

及び行鑾

關をその季

から印ちその有立.心味糶

據から羅

するため

め概

であ

いう

ことが

でき

る。

したがつてこのよ乏

矛盾なく礬

的に構成された慧

用いられるなら竺

方で鐘

と現實とのずれは

偏倚として理蟹

れ・鬣

的可能鶉

斷と適合的因果矯

を介して饕

を田罹

的に莓

する.經驗鐘

が壥

となる

と同躄

・他方では個人的な信念や世界爨

どの價値齧

的要萎

瓧豊

酌認識から除去することができる

ここに

理念型的構成と價値到斷排墜

の不可分の關係がなりたつてくる。

マックス:

ウエーバふ

講裡

會主馨

剣して、世界觀問題籔

して講壇で繕

到斷を下すべきでなく

ック

・ウ

エー

の宗

理論

Page 12: 小 要 の き う し 熱 わ 論 筒 求 矛 て ど た こ 烈 れ …...1 8 3 5-1 Q。 刈) は 、 自 由 主 義 政 黨 で あ る 國 民 自 由 黨 代 議 士 で あ

ゐハス

的甓

が必要であるとし實踐のため籏

方籌

ことが經韓

學の任務で

ないと靄

したのは・上述のよう薐

研究態度から由來しているものと云える。

三章

マック

・ウ

エー・↑

の宗

數論

三早でみた三

く、

マ・クス・ウテ

・↑

八三年禁

ら翌年秋にかけ

て・軍除生活をおく

つたストラスブ

ルク嘆

は、彼の内面的成長の上にみのがすことのできない影響姦

した.それはとりもなおさず髣

の督

・イダ

を忠

とする、バゥムガをアン

との糖

的交遊であ

つた。雛

のごとく・

マ・クス

゜ウ

の母方

の家系に

は、極めて熱烈な宗教的内面的荏

傳わつてお

りとくに倫諤

嚴格主義といつてよい程の・フ。テスタント的心情

理が支配的であ

つた.その-ちで毒

の姉イダの心撞

であ

り屡

生活とい藉

砂漠

のま

つただ中にあつ

た當時のマ。クス

・ウ

にとつては、この叔母

イダを忠

とするパゥムガをアン

との交わりは墜

の心の

ァシスであ

つただけに、そ.」から受けた糲

的髫

は彼の心の奥底

の本寔

ふれるものがあ

つた・更緩

はイギ

の鮨

つて

。イ

ング

(W

illiam

Elle

ry

Channing

1780-1842)

t作

に親

だ・

・イ

ニング

+

の仙印牛にワメリカ東部の牧師であ

つた.鑿

に囚われない畠

仰をもち

〃畠

な魂の蓉

"をもつて肚皇

活の

斜麟

縫鰍鍍纏羅

駅難鰐鑼

つた

從つて、

マ。クス

・ウ

。↑

"私が惣

ついてから

とい急

の、宗教的なるも

のが私にとつて單な

る客

觀的興味呈

のものとな

つたのはこれが姶めてである

"とチ・イ

ニングの髫

を語

つている・

.あ

ようにスト}フス。フルグ時代のマ。クス

・ウて

はパウムガルテ三

家、こと循

母イダ

の宗教的感化を深

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くうけたのであるが、しかしこの

一家を彊く支配していた倫理的リゴリズム的雰圍氣に對して

一種

の反感を

いだいて

いたようであり、彼は父と同様

一切の人間行爲を倫理的規準にあてはめ絶樹者の至上命令でこれをはかることに大き

な疑問をも

つていた。喞ち彼は

〃私はバウムガルテソ

一家を支配していた或種の根本的な物の考え方に對して、意識

なしつかりした反對の態度をとつた。この態度は、私が全く別の人間にでもならない限り放棄することのできない

のである。バウムガルテソの家では人間はそのあるがままの姿においてではなく、如何にあるべきかという觀點か

ら取扱われると語

つている。

このような相反する内面的な二つの原理が

マックス・ウエーバーの心中で葛藤していたようであり、印ち

一方では

キリスト數的心情の倫理とこれのみでは割り切れない超個人的肚會的なるものへの現實感が目覺めていたのである。

にとつては、福音書的な個人人格

の完成と同様超個人的現世的な丈化の實現もまた或意味では倫理的至上命令であ

つた。そして國民的國家權力こそはこの超個人的現世的文化實現のための不可缺の奉仕者である

と考えている。

このようにして、キリスト教的信仰に根ざす個人人格

の内面的要求を歴史的理念的夊化の客觀的過程のなかにいか

に生かしていくかということが

マックス・ウエーバーの

一生涯の倫理的議題とさえなつた。

ことに父

マックス・ウ

エーバーからうけつがれた政治

への關心につよく彼をとらえ、それは情熱的にまでたかまり

ドイッ國民國家の發展に向けられていたが、ドイツに負わされた蓮命は、政治的沒落

への道であ

つた。

一時はビスマ

ルクの偉業によつて、

一時は國民的權力國家として世界史の榮光をあびるかにみえたがすでにこのとき

にマックス,.

 

 

 

 

エーバーはドイッ國民國家の基底を押し流そうとしていた資本主義の運命的な流れを注覗していた。このようにし

て彼の學問的關心の中心には近代的人間の生活を規定する最も蓮命的な力師ち資本主義

(Kapitalismus)

が定

つてい

のである。彼

の名を不朽ならしめた。

"プ

βテスタソティズ

ムの倫理と資本主義の精祚〃ならびにそれに續く

〃世

マックス・ウエーバーの宗敏理論

六九

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七〇

界宗數

の經濟倫理"はこの關心の具體的な克明である。

まず

マックス・ウエーバーが

〃プ

ロテスタソティズムの倫理と資本主義の精紳"のなかにおいて問題としたのは今

一つの巨大な秩序として各人がそのなかに入り込み、各人にとつて少くとも個人としては如何

ともなし難い外枠と

してあたえられている資本主義經濟組織

(KapitalishscheWirtstichaftordnung)は、そもそも、人間のいかなる生

活態度を構成要素として成立したか、ということであ

つた。彼はこの生活態度を倫理的に性格づけるものとして、特

異の職業觀念、印ち合法的利潤を職業

(Be.ruf)

として組織的合理的に追求する心情をあげその由來を十六

・七世紀

のプ

タテスタンティズム、就中カルヴィニズ

ムの禁欲的合理主義に求めたのである。

元來カルヴィン

(deanCalvin1509-1563)の禁欲的合理主義もそのもとつくところは、清敏主義

(puritanism)で

りこれが彼の宗教思想の根幹をなしている。彼は神の絶封の意味を重んじ人間の救濟も全く自由に祚の豫定の中に

あり人間は無力でただ紳の榮光を讃美すべきものであるとときいわゆる二重豫定説をとつている。

この場合神は被造物と對象的に考えられる。地上にあるもの、此世的なるもの

一切が神の創造

にそくする。印ち神

は世界の上に立

つ人格的創造祚

(OberweltlicherpersonlichSchopfergott)であるしたがつて、

神は被造物の

一切

の運命を絶樹的に完全に獨裁する。このようにして神と被造物としての人間との間には、絶對に越えるこ

の出

い深淵がある。それゆえ、また紳が獨裁者としてそれぞれの被造物に此世及び來世においていかなる運命を與える

か、ということも人知のおよぶところでない。この意味で神は隱れたる紳である。

しかもこの神は正義

の紳であり人々が、道徳的に正しい生活をおくるときに姶めて、祚は來世の救濟を與えると考

えられる。とくにイスラエルの預言者逹

(Propheten)は街

々にみちみちている不正に封する憤激

からこの正義の至上

命令にいよいよ激しさを加えて行つた。そして、この神觀が、キリスト教にうけ

つがれると救濟されるためには人々

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はその生活を徹底的に合理化しなければならないことを嚴命する。さらに慈愛の紳とともにこの正義の神は、その後

い間キリスト敏の歴史を支配しつづけた。しかしカルヴィソの宗教思想においては、この舊約的

な正義の神が慈愛

の神よりも壓倒的に重要な役割を果している。

元來宗歡改革

(Reformation)は原罪意識の再強化によつて特色づけられていることは周知の事實である。

ここに

罪惡感とのはげしい鬪爭が生れる。もしこの鬪爭において人々が救濟と恩寵との喜びに到逹し得

たとしてもそれがは

しい罪惡意識にもとつくかぎりその勝利は自力にもとつくものとは考えられない。それは祚の寵物として、受取ら

れるであろう。ここに

〃救濟は神が天地創造の昔より豫定せるところである"との豫定読

(Pradestinationslehre)が

生れてくる。とくにカルヴィソはルターやルター派とくらべてこの豫定説を徹底的に追求した。

師ちカルヴィソの二

重豫定説といわれるものであり、またこの意味から紳が萬物や人間を造

つたのもまた人々を救濟

と滅亡とに選別しそ

の運命を司るのもすべて神の榮光をますためであり、したが

つて人間のために神があるのでなく、神のために人間が

るのである。結局、人間は神の榮光をますために神の力の道具として獻身しなければならないのである。

しかし兎に角人

々は罪惡になやみ救濟を渇望する。そして恩寵の獲得に狂奔する。しかるにカ

ルヴ

ィソ派の清教徒

に毳つては、神も聖典も教會も牧師も

一切が役に立たない。そこにはいささかの懈怠も許されな

い。懈怠はただちに

千仭の奈落

への途である。深刻な原罪意識が導

いたものは少しの油斷も許さない激しい緊張である。清數徒はこの感

から逃れるために選んだ途はルター派が謙遜自卑を敬虔な信徒のも

つとも重要な特性の

一つとしたのに鞨してまさ

しくこの緊張に直面してかえつて、これを絶え間ない組織的な人生の鬪いとして生きることであ

つた。

そして清教徒は、此世に處して、

一生懸命正しく動勉に生きようとした。そのことのみが榊の榮光ます唯

一の手段

であつた。彼等は修道院の外にありながらしかも終生修道僭として生きなければならない。彼等清教徒は人里はなれ

・ク

・ウ

エーバ

の宗敏

理論

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七二

た修道院においてでなく、忙がしく日常の義務にたずさわりながらしかも良心的にかつ規律正しく生きようとしたの

である。要するに彼等は禁欲的であつたがその禁欲は、出世間的な此世をのがれr@°

(ausserweltlich)

というので

なく、

此世の内にお;,1-'

(inner

weltlich)

においてであつた。

清教徒の全生活神經はこの内此世的禁欲

(ぎ口霞

weltlicheAskeseworldlyascetism)の

一點をめざして、終姶緊張しつづけたのである。即ちあく

までも此世をすて

ずそれから逃遯せずしかも彼が生き甲斐と信ずるもの、即ち神のために

一生懸命たたかつていつたのである。

そしてつぎにカルヴィンの二重豫定説からついで個人主義が生れてきた。印ち神とのも

つとも深

い交渉はただ孤獨

る魂の祕密のうちに見出されるという二重豫定説は、必然的に精神の孤立化を生みだしてくる。

ここでは個人の魂

一切の媒介なしに

一人の孤獨な神と樹決する。自分が個人としての自分が救濟されるかどうか

の宗教的貴族主義と

いうべき個人主義が生れてくる。そしてここでは、神と人間との間には親子のごときあたたか

い感情のはたら

く、

有情者的關係があるのでなく、祚は完全に沒主觀的な感情を交えざる極めて冷酷な關係があらわれてくる。そしてこ

の態度がまた肚會や隣人にも及ぼされ、そこにも合理的な沒主觀性が強く働いた。

とにかく清教徒は有情者的主觀主義的感情よりも客觀的沒主觀的感情を重んじ人

々のこの世における限られた人生

は、神の榮光をますためにあるのであると信じていたのである。

このような沒主觀的合理的心情はさらに、被造物崇拜を嫌惡し、人間關係においても有情者的感情的なるものを、

極小化しようとししたがつて、權威の神聖視カリスマに立脚し、有惰者的感情的人間關係の基礎にもとつく前近代的

なるものを排除するようになる。

以上のような宗教信仰にもとついて、清教徒は、職業勞働を奪重した。しかもそれは諸個人が傳統によつて、はめ

こまれた職業をそのまま素直にうけとりそれをそのまま踏襲して勉勵するというのでなく、職業は傳統と權威をはな

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の意志にかなうように邏

されなければならないと考えている。しかもそれは道徳的であり

一磐

福祉に貢獻

しさらに利盆のあるものでなければならない。

マックス

・ウ

ェーバ1をして、世界史上空前のものと叫ばしめた、このプ

ロテスタント諸派とくに清敏徒の實踐に

おけるきわめて眞摯な徹底的な態度、印ち此世的な禁欲とよい意味での個人主義と近代的A口理主義は、本來反營利的

であるべきにかかわらず反面において生産力の著しい擴張とその資本

の蓄積を呼びおこした。そしてその擔い手たち

を富裕にし思わざる結果として新しい形でより強力な營利心を芽生えさせ、成長させることとな

つた。そしてこの過

が進行すると、こんどは宗數的なヴ

ェールをかなぐりすてて新しい營利心と内面的に深く結び

つくようになつた。

これがいわゆる資本主義の精神に他ならないと

マックス・ウエーバーは考えている。ともかく。フ

ロテスタソティズ

の倫理の擔

い手であ

つた新教徒とくに清教徒は客觀的には、全く考えもしなかつた結果としての資本主義の精紳を生

みおとすこととなつたのである。

四章

マック

・ウ

エーバ

のアジ

ヤ宗

教觀

ここではマックス

゜ウエーバーはまず西洋と東洋との神祗觀

の相違についてのべている。西洋

の宗歡はいうまでも

なく、キリスト敏である。その榊はイスラエルの

一地方祚から出發しながら豫言者逹の努力によ

つて普遍的にな

つた

ヤーヴ

ェである。この祚はイスラエルの傳統をうけて、世界の創造者であり全知全能の力をも

つて、被造物を支配し

管理する正義の神であり、それ故に世界支配的人格的倫理的な創造紳である。

ところが、

一方アジヤの宗教のうちにも超感覺的でありしかも世界の秩序を保持する榊の存在も少くなかつたが、

しかし多くの場合には、例えば中國の

〃道"インドのヴ

ェーダの理法

(rata)や法

(き

霞ヨo)

のように神の出現する

マックス・ウエーバーの宗數理論

七三

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七四

前にすでに宇宙や世界の永遠

の秩序が存在していた。しかもこの攝理は紳の存在の上に位し、西洋の紳のように世界

を創造しそれを管理するのでなくこの永劫不變の攝理にしたがつて、

世界を運營冖していくものであ

つた。

ため

に、歴史に働きかけ、積極的に世界に働きかける必要はなかつたのである。したが

つてここでは、世界の出來事を攝

理としてよりも運命として受取りやすい傾向があらわれてくる。

ζのような西洋と東洋との神觀の相違はつぎ

つぎに新しい結果を生み出してくる。例えば

マックス

・ウ

エーバーは

西洋においては早い時期に呪術を克服した

(Entzauberung)のに對して、東洋では長い間呪術の克服は不徹底におわ

り時には呪術

への屈服がおこなわれていたことを指摘している。同時にそれにともなつて祉會

の停滯があらわれてい

る。その理由として彼は、宗教信仰の支持者層の相違に焦點を向けている。

西洋の宗數とくにキリスト數の内部ではその信奉者や支持者が大體において庶民

・大衆であ

つたのに對して、東洋

ではつねに特權者に屬する貴族的知識人が宗教や紳の信奉者として前面にあらわれている。

このことは中國の場合とくに顯著である。中國での支配的な肚會倫理喞ち儒教によると、現世即ち此世はあらゆる

世界のうちで最高最善のものであり人間のその性は本來善なるものでありそれ故人間はすべて、

それ自身倫理的に自

己を完成する能力をもつていると考えられる。そしてこの自己完成のためには、古典や聖人君子

の言行を身につける

べきであり、

このような教養の缺如とその原因としての貧困は、不徳であり惡であ

つた。そして現世印ち此世を否定

することでなく、これを肯定しこれに順應しこれと均衡して生きて行くことが望まれ、これを破壞

し動搖させるよう

言動は極力阻止された。そこで倫理的行爲の報酬として人々が期待したものは宗教的救濟でなく、不老長壽、健康

富裕などの現世的のものであり祉會に期待したものは名聾であ

つた。したが

つてこのような樂天主義的人間觀のなか

一滴

の原罪意識も介在せず罪惡は傳統的權威に獨してあるだけで心のうちなる良心に樹してあるのでなく個々の

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行爲は

〃禮"の均齊ある體系にしたが

つて、此世現世癪

應芒

められたにすぎず内面的に倫理化しようとする努力

は殆んど試みられなかつた。

しかも中國での宗教信仰の支持者は、

マックス

・ウ

エーバーによると古典的教養をもち科擧の試驗に合格して、官

祿をはみ、役得によつて巨富をたくわえて丈人的生活を享受する。讀書人としてのいわゆる士大

夫であ

つた。

このように官僚としての特權暦に屬する知識人が指導的地位に立つと人間觀や瓧會倫理の上に大きな影響を及ぼし

てくる。まず特權暦として此世現世の幸福を享受する。官僚は來世を考えない。官僚的冷淡さをもつた彼等の合理主

は・外合理穗

宗鼕

し天帝の加護や永遠の秩序にし奈

つて、世界が蘿

に運營鳶

ることがその最大

の倫理的思想でありいわゆる修身齊家治國夲天下がその最大の關心事であ

つた。.」のような官僚型の功利主鼕

もつ

とも洗練した形において示す儒歡倫理を

マ・クス

・皇

-.フ享

スタソトとくにピ

ユリタリズムにみられる資本

の精

と對

の精

(Geistder

patrimonialen

Verwaltung)

と呼

いる。

て、

の大

日常

は自

の性

と傳

の拘

に放

れ、

かも

の傳

(traditi°nlism)

とそ

の根

つて

いる

呪術

つてそ

の支

つよ

めて

つた。

は絢

尨大

を擁

し巨

な富

を蓄

に拘

に最

停滯

であ

つた。

一時的には知性の不安芒

ずめ行動

への勇氣をあたえる場合もある。しかし

では呪術は進歩

のための苦しい努力

から肚會を逃避させる働きをする。瓧會自體もまたこの怠惰な産物に中毒した。假りに進歩を欲

しても前進するため

には異常な困難をともなわずして不可能である。しかるに中國の特權階層はこの停滯性をその搾取機關に利用したの

であ

つた。

しかし印度ではこの中國

の不徹底な宗教生活にくらべて激しい執拗さをも

つて解脱のための苦行と瞑想が行われて

マックス、ウエーバーの宗敏理論

七五

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七六

いた。しかしこのような烈しい宗敏的欲求にかかわらず印度でもまた中國と同樣呪術

への屈服が生じた。その理由は

なぜであろうか。

印度の宗教においても指導的地位を求めたものは特權的知識人であつた。しかし印度では中國

とことなり太古より

四姓をはじめとするカースト制度が發展した。しかも祭司呪術者は最初から、王候貴族と獨立の勢力を形成して、宗

教を主導したところにその宗教思想が中國と全く異る道をすすんだ根本的原因の

一つがあ

つた。

とくにブラーフマンにょつて樹立された宗教思想がヴ

ェータからウパニシャッドにすすむにつれていわゆる輪廻と

業の教説が發展した。印ちわれわれの靈魂は前世から現世をへて來世に轉變するものであり因果應報として現世の運

命はすべて前世の行爲によつて完全に

決定されており

來世の邇命はすべて

現世の行爲によつて完全に決定されてい

る。このような原理をブラーフマンは

一切のものに貫徹したことである。

このような思想が印度

の支配的

であ

る。イソド教

の核心として、カースト制度と相俟

つて、長く印度の民衆の魂をその奥底から支配しつづけて來た。し

たが

って

一般の庶民は不滿にたえない現世の不合理も前世の業にもとつくものとして諦觀しうるとともに

一方では來

世のよき生活のために美しい生活を求めて、カースト規律によろこんで從

つたのであ

つた。

このようにして、印度の宗教も當然また救濟

の道を現世からの逃避と思索とに求めるようになゲいわゆる遁世的冥

想によつて輪廻の世界を解脱して°湟槃

(Nirvana)

に入ろうとしたのである。勿論このような悟りに逹する方法と

して苦行は言語に絶して徹底せられ、したが

つて禁欲は無比の發展をした。しかしこの禁欲は現世

への働きかけでな

く、

つねに現世からの逃避であ

つた。このような徹底的苦行と思索は人類最高の事業の

一つではあり、そこから、偉

大な宗教家が多數輩出したにかかわらずそれは

一部の特權的階層の仕事にとどまり

一般庶民は全く別の世界に生き

づけていたのである。

一部の紳祕的體驗は、宗教化して、さまざまの祕儀をつかさどる祭司を生みだすよ

うになる。

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して、祭司と大衆との問には、現世的世俗の利盆をめぐる取引の關係にかわりその祕儀が大衆

化するとともにそこ

に呪術

への迎合があらわれる。そしてここでは、大衆の行動は戒律によつて、個別的に拘束されるのみであり、その

行動の背後にあ

つて、それを統

一し主宰する倫理的人格の存在は求められず單なる儀禮

への背反

のみが罪惡意識をよ

おこすのみで内面的な原罪に樹する思想や良心は、極めて稀薄であ

つた。

このようにして、中國と印度を主とする東洋においては宗教は結局呪術を完全に克服することはできず呪術に鞨す

る敗北はあきらかであ

つた。結局西洋

のプ

ロテスタソティズ

ムとくにピーユリタリズ

(清教主義)がなしえたよう

な呪術の劃期的徹底的克服を途行することが出來なかつたのである。

マックス・ウエーバーは、自由主義的個人主義的なブ

ルジ

ョア瓧會科學者の最後の代表者

であ

といわ

れて

いる

が、彼の業績や所説は斷片的でありそれだけにその學風は

一派をなさないのに世界的な規模の影響を及ぼし肚會諸科

の發展に偉大な貢獻をした。戰前は勿論戰後においてはとくにマルクシズム理論に鞨決する唯

一の理論としてしば

しば取上げられて來たし、我が國においてもこの方面のマックス・ウエーバー研究ははなはだ多

い。

〃いまわれわれが足をふみ入れている世界、群衆集積と群衆支配の時代、すべてを利用化する時代、無氣力な苦惱

と罕俗な幸祚の時代においては各人が

一人

一人哲學的に自己の眞理を求めることが再び課題となる。如何なる客觀性

も個人的眞理を數えないであろう。ただマックス

・ウエーバーの如き

一個の人間に啓示された祕密に呼び

かけ

て、はじめて人々はその心を燃え上らせるであろう。そのときはじめて人

々は蹉跌と死を把握した彼に

一歩近づいた

ということが出來るー-と現代の偉大な哲學者

ヤスパースはのべているが、この言葉は、第二次大戰の嵐の後

の今日に

マックス・ウエーバーの宗教理論

七七

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七八

もそのままあてはまる。西洋は勿論、東洋、とくに我が國においては、文化的混亂ことにその重要

一翼をになう宗

教的混亂の問題を解決するために極めて有力な示唆を與えるであろうと確信して敢えて、彼の宗教論に焦點をあてな

がらこの小丈を草した次第である。またこのような斷片的小論ではその奧深い理論の全貌をとらえることは不可能で

ある。

いずれ他日を期して、その責を果たし度いと念願して筆をおく。

最後にこの小論は先人のマックス・ウエーバー研究の文獻を參照しつつ、主として彼

の宗教杜會學論集によつた次

である。省

マックス・ウエーバi研究參考書を知り度い人は、戸田武雄著

〃マックス

・ウ

エーバ

ーの生涯と學説"

斐閣昭和二五年の最後に彼の著作目録とともに内外のマックス

・ウ

ニーバーの研究參考丈獻を懇

切叮嚀に記してあ

ることを附記する。

以上