そ リ い ダ 者 し 人 れ は カ こ 要 の か だ に の た は れ そ ......と で...

7
西 ―日本人の先祖崇拝― 姿 西

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  • 〈特集「宗教と文化-

    東と西-

    」3〉

    仏教の祖先崇拝

    ―日本人の先祖崇拝―

    たとえば、イ

    ンドに行

    ってみ

    よう。一般

    にヒ

    ンドゥ

    ー教徒は、

    人の死

    後、その遺体を川の

    ほとりで焼き

    、あと

    に残

    された骨灰を

    に流して

    しまう。

    だから骨

    を集めて、それ

    を納め

    る墓

    はつく

    らな

    いので

    るが、

    しかし死

    者の魂はすでに天国

    に行

    って

    いると信じて

    いる。

    その死

    者の霊魂

    (先

    祖)

    の供養

    のため

    に、

    かれら

    は小

    な団子

    (ピン

    ダ)

    をつく

    って

    供える。

    するにイ

    ンド人は、先祖を崇

    拝す

    るけれども

    、墓

    はつくらな

    い。そこがわれわれ日本人

    の先祖供養と違うところで

    ある。

    これにたいして

    、たとえばア

    メリカで

    はどうであろ

    うか。ア

    リカはキリスト教世界に属する

    から、当然のこと、

    キリスト教信

    は、死後

    、天

    国に生まれ

    変わると

    信じて

    いる。し

    かしなが

    ら、

    それ

    はあくまでも

    建前のことであ

    って、実際の死者儀礼

    の場面で

    は、それとは違

    った考え方がみら

    れるようだ。と

    いうのもアメリ

    カでは、遺体に化粧をほどこして

    、あたかも生けるがごとく埋葬

    するエンバーミングの風習が知られているからで

    ある。

    死者

    の遺族にと

    って大事なこと

    は、死者の魂(先祖)の方で

    なくて

    、死

    者の遺体をいかに美しく荘厳するかと

    いう問題なので

    ある。霊

    (先

    祖)の問題ではなくて、肉体の問題が関心の的と

    っているので

    ある。したが

    って多

    くのア

    メリカ人は墓をつくるこ

    とには熱

    心で

    あるが、しかしそれ

    はけ

    っして遺骨を納める場所

    してで

    はない。それはむしろ死者

    の生前の姿を記念し追悼するた

    めの場所

    として

    なのである。そしてこのような事情は、ア

    メリカ

    のみ

    なら

    ず西

    欧社会一般にみ

    とめられる特徴で

    あるとい

    って

    いい

    あろ

    う。

    そう

    いうこと

    を念頭

    において日本人の場合を考えてみ

    ると、日

    乙n乙

    山 折 哲 雄

  • 本人

    の死者儀礼や祖先供養が

    いかに特異

    なものであるかというこ

    とがわかるので

    はないであろう

    か。なぜなら、日本人はインド人

    やア

    メリカ人とは異なって

    、遺骨

    や遺灰

    にたいする尊重の念がき

    わめて

    つよく、そのうえ墓

    をつ

    くること

    に熱心で、し

    かも死後の

    霊魂

    (先

    祖)の運

    命についてまで

    実に繊細な神経をはたらかせて

    いるからで

    ある。

    ところで

    、昭和四

    十八年に、ア

    メリ

    カの

    シカゴで、第九回人類

    学民族学国際会議が開かれた。そのとき掲げられた統一テーマが

    「祖先崇

    拝」で

    った。

    このとき

    の会議で討議

    の対象

    とされ

    た地域

    は、主として

    日本、

    沖縄、東南アジアにかぎられ、

    いわゆる「西

    欧」社会が含まれて

    いないのが印象的で

    あった。

    なかでも、産業構造において西

    欧型を示す日本が、そ

    の精神構

    造において先祖重視の伝統をのこしてき

    たこと

    の意

    味が、このと

    きの会議で

    は関心の的とな

    ったのであ

    る。

    そのとき

    から二十年をへて、わが国

    の伝統仏

    教教団

    の内部

    にお

    いても、ようやく事態の深刻さが反省

    されるよ

    うになった。と

    うのも先年、曹洞宗宗務庁が

    『宗教集団

    の明

    日への課題』

    を、ま

    た浄土真宗本願寺派

    の伝道院が

    『伝道

    院紀要-

    習俗・俗信問題

    特集』をあ

    いつ

    いで刊行し、各宗門

    の実

    態が先

    祖供養によ

    って

    きく方向づけられて

    いることを率

    直に表

    明す

    るにいたったからで

    ある。これ

    は霊魂

    の存在を否

    認し

    、先祖

    供養

    を第二義的な民間習

    俗として退けてきたこれまで

    の仏教教団

    のおり方

    からすれば、ま

    に百

    八十度の転換を画する事件で

    あったといわなければなら

    い。そ

    して

    それのみで

    はない。あたかも仏教側のこ

    のような動きに

    応す

    るかのよ

    うに、日本

    カトリ

    ックの司教協議

    会までが、布教

    にあたって日本人

    の先祖供養と協調すべき旨を記

    す手引書を公

    たので

    ある。

    これまで

    、俗信や迷信と同列のものとしておとしめられていた

    祖供養

    の問題

    が、にわかに時代の脚光をあびるようになってき

    たといって

    いいだろ

    う。

    さて

    、この先

    祖供養の問題

    を考え

    るにあた

    って大事

    なことは、

    まず「霊

    タタル」と

    いう問題であ

    ると私

    は思

    う。こ

    の場

    合の

    「霊」

    の中身は、これから

    のべるよ

    うに歴史的

    に種

    々様々な形

    ってあらわれた。だが、その根

    本のと

    ころを要約すると、死

    だ人間の霊は時と場合によって

    いつで

    も、生きて

    いる人間に祟

    をなし、社会や自然

    にまで

    異変を生ぜしめると

    いうのがそれで

    る。こ

    うして先祖の霊もまたそのような祟り霊の一

    つとして怖れら

    れ、供養をうけ祀られるようにな

    った。

    ところで、古

    い時代、

    タタルと

    いうことばは、たんに神がこの

    にあら

    われて何ら

    かの痕跡をわれわれの前に示

    す、と

    いうこと

    を意味し

    た。すな

    わち木や石や鏡

    に一時的にあらわれると

    いうこ

    拝崇先祖の教仏23

  • とで

    った。ところがこ

    の神の出現として

    のタ

    タリが、やがて何

    かの危害を人

    々に加え

    ると

    いう意味

    に変化

    して

    いったことに注

    しなければなら

    ない。

    いわゆ

    る祟り現象

    が誕

    生することにな

    たので

    ある。「祟り」

    いうこ

    とですぐ

    も思

    だされ

    のは、

    『日本書

    紀』

    の欽明

    天皇

    の条にでて

    くる仏

    教初

    の記事

    ある。

    なわち当時の有力な氏族であ

    った蘇我氏

    は、仏教を積極的に採

    用し

    ようとしたの

    にた

    いして、同じ有力氏族

    の物

    部氏と中臣氏

    仏教

    の排斥を主張した。ところがこのとき、蘇我氏

    が自分

    の館を

    にして

    仏像を安置したとこ

    ろ、疫病が

    流行し

    死者

    が多くで

    た。

    これ

    を見

    た排仏派の物部氏や中臣氏は、そのよう

    な事態

    の発生

    日本

    の神

    々の祟

    りによるもの

    だと解釈し

    て、非

    難の声

    をあげ

    た。

    だが、蘇我氏

    の方

    も負けて

    はいなかった。かえ

    ってそれを逆手

    って、

    他国の神

    (=仏)の怒

    りと祟りによるのだと

    いって反論

    した

    ので

    ある。

    の両者

    の争

    いは、周知のように蘇我氏

    の勝利

    によ

    って決着を

    た。だ

    がそこ

    には、仏教の導入と重なるようにして発生した疫

    の流行

    、天

    候の不順

    、そして社

    会の不

    安が

    、神

    もし

    は仏の

    「祟り」

    による結果

    だとす

    る考え方

    が前面

    に大き

    くあら

    われてき

    たのであ

    る。

    わが国で

    は、こ

    のとき

    の事件

    を契機

    にして

    、祟

    りということが

    しき

    りに強

    調され

    るよう

    になった。神

    の出現

    を意

    味す

    「タ

    リ」が、危害を加え

    る「祟り」と

    いう意味

    に転じて

    いったように

    われる

    のであ

    る。も

    しもそうで

    あると

    るなら

    ば、「タ

    タリ」

    「祟り」

    へと変化して

    いった背後に、仏教の伝来という事実が

    たわって

    いたこ

    とにな

    るであろう。さらに言えば、わが国の文

    化風土

    に「祟り性」と

    いう要因

    を注入し

    た重大な契機

    の一つが、

    ょっとす

    ると仏教の影響ではなか

    ったかということである。

    それが奈良時代

    になると「亡魂」

    や「死

    魂」の祟り

    によって

    人が死んだり。社会不安が増大す

    ると

    いうことが

    いわれ

    だし

    た。

    たとえば聖武天皇によって重んぜられたのに玄昉という高僧がい

    た。かれは遣唐使

    にしたがって唐

    に渡り

    、法相

    の学問を修めた人

    物で

    ある。帰国後は僧正

    になり

    、政治

    にも参画するようになって

    天平文化

    の興

    隆に力を尽

    くした。その玄昉がやがて失脚し、流さ

    れて死

    んだ。す

    ると、かれの死は藤原広嗣の霊による仕業である

    と噂

    されたので

    ある。広嗣

    は藤原鎌足の孫にあたり、玄昉や

    かれ

    と組

    んだ吉

    備真備

    らに反発して、乱をおこした。しかし運

    にめぐ

    まれず

    、玄昉によ

    って死

    に追

    いやられた。その広嗣の怨霊

    によ

    て、玄

    昉は死

    んだのだ、と噂され

    たのである。

    のような亡魂

    による祟りと

    いう考え方は、平安時代

    になると、

    「御霊信仰」

    を生み出す

    ことにな

    った。

    御霊と

    いうのは、政治的

    に非業

    の死

    をとげ

    た人

    びとの怨霊のことをいう。その御霊信仰の

    発生

    に最初

    に手を

    かした人間が、平安京を築いた桓武天皇であ

    た。と

    いうのも、桓武天皇はその皇位につくために、ライバルであ

  • る二人の弟を死

    にいたらしめていたからである。一人が同母弟の

    早良親王で

    あり

    、もう一人が異母弟の他戸親王で

    った。

    のち

    って、桓武天

    皇とその一族の身辺

    に不幸がたび重なるよ

    うにな

    り、宮廷にも異変が発生した。それで

    いつし

    か、それは早良親王

    の怨霊による祟りではな

    いの

    か、と

    いう流言が社会

    にひろま

    った

    のである。こうして政治的な事

    件が

    おき

    るたび

    に、犠牲

    になった

    人間

    の怨霊が人びとのあ

    いだで取りざ

    たされ

    るよう

    にな

    った。

    がて、それらの怨霊

    を、社

    会的にも政治的

    にも鎮

    めなければ

    なら

    ないと

    いう声がおこ

    ってき

    た。怨霊

    を鎮

    めることが

    、社会の

    不安

    を取りのぞき、政治

    の信頼

    をとり

    もどす

    ために必要で

    あると

    考えられるよう

    にな

    ったのであ

    る。

    そのよ

    うな鎮魂

    のための一大

    ページェントが、貞

    観五

    年に京

    の神泉苑で

    おこな

    われた御霊

    会であ

    った。これは早良親

    王(のも

    崇道天皇の称号

    をおくられた)

    をはじめとする五

    人の御霊を祀

    鎮めるための法

    会で

    った。

    つぎに、平安

    時代にな

    ってからしばしば登場するよう

    にな

    った

    のに、「も

    ののけ」と

    いう怨霊

    ある。

    たとえ

    『源氏

    物語』

    や『栄花物語』を読めば、それがよくわかる。

    『源氏物語』の冒頭には、光源氏の正妻である葵の上の出産場

    面がでて

    くるが、葵の上は「もの

    のけ」

    に取りつ

    かれ、

    難産

    に苦

    んでいる。そこで、その「もの

    のけ」を退散させるた

    めに密教

    の加持祈祷僧が招かれて、護摩を

    たいたり

    、真言

    ・陀羅尼

    を唱え

    たりして

    いる。そ

    れが効

    いて無事夕霧

    が生まれ

    るのであるが、し

    かし葵

    の上

    はまも

    なく死

    んでしまう。かの女

    に取りつ

    いた「もの

    のけ」

    というのは、実をいえば、光源氏

    の以前

    の愛人であ

    った六

    条御息所

    の、嫉妬に狂った生霊であ

    った。光源氏

    はのちに、紫の

    上を正

    妻に迎え

    るので

    あるが、この紫の上も

    六条御息所

    の死霊

    りつかれて

    病気になり

    、ついに死んでしま

    う。

    『源氏物語

    』は

    フィク

    ションであるが、同じ

    ことは、藤原道長

    の栄華を描いた

    『栄花物語』の

    なかにも見出され

    る。すなわち、

    かれら

    I族のなかに病気になったり神経衰弱

    になったりす

    る者が

    でると、それは「もののけ」

    のせ

    いだと

    いう診断が下

    された。そ

    こで

    加持祈祷僧が呼ばれて

    、病原体としての「もののけ」

    を駆り

    だす儀式がひんぱんにおこなわれて

    いるので

    ある。

    この場合の加持祈祷と

    いうのは、不動明王

    を本尊として

    読経を

    し、その威力によ

    って「もののけ」を圧伏したり、その勢力を弱

    めたりす

    る儀礼

    のことを

    いう。つまり、本来、悟り

    にいたるため

    の仏力であ

    った

    はずの「加持」が、いつ

    のまに

    か病気治しの手段

    としての加持祈祷に変化してしまった。祟る霊――それは生霊の

    場合も死霊の場合もある――を鎮めるための「対抗儀礼」の一環

    に組みこまれる

    ようにな

    ったと

    いってよ

    いだろ

    う。

    ところで

    、わ

    が国の代表的

    な祟り神として

    知られて

    いるのは、

    原道真

    (天神)

    と平将門の霊であ

    った。いずれも生前

    に志をと

    げること

    ができ

    ずに、政

    治的に非業の死

    をと

    げた人物で

    あるが、

    拝崇先祖の教仏一b

    一・

  • その死後

    の霊

    は強力な毒素を発

    散す

    る怨霊として

    怖れら

    れた。

    れは、さき

    にのぺ

    た崇道天皇

    にはじ

    まる御霊信仰の、も

    っとも極

    端な形をと

    ったも

    のであ

    ると

    いっても

    よいだろ

    う。

    そこで、

    かれらの死後、その霊

    の強力

    な祟り性

    をやわら

    げるた

    めに、それらを祀

    るための神社がつくられ

    た。

    それによ

    って、道

    真や将門の怨霊を守護神

    に祀りあげよ

    うとし

    たのである。ちょう

    ど、崇道天皇などの御霊を慰撫する

    ために御霊会と

    いう鎮魂儀礼

    をおこな

    ったように、神社を建立することで

    かれらの霊を祀りあ

    げようとしたので

    ある。また菅原道真の場合

    には、死後の怨霊が

    荒れ狂

    って

    いると信じら

    れたと

    き、しばしば密教僧による加持祈

    祷も

    おこなわれ

    た。

    要す

    るに、平安時代の全期間

    を通じて

    、怨霊

    ・もののけ

    ・御霊

    いった祟り霊が発生した場合

    、一方で

    は仏教式の加持祈祷

    がお

    こな

    われ、

    他方神道では、神社

    による祭祀

    が鎮魂のための対抗儀

    式として

    おこなわれて

    いた

    のであ

    る。

    このよ

    うな

    「祟り」と「鎮魂」

    というメカニズムが、日本人

    宗教意識の根底をつらぬく特質で

    あった。その骨格

    はほぼ平安時

    代にお

    いて定ま

    ったということができ

    るが、それがやがて民間

    も深く浸透してい

    った。その結果として

    、われ

    われの先祖の霊も

    また祟るという観念がしだいに定着して

    いった。御霊やもののけ

    の範

    囲が拡大されて

    、氏

    や家の先祖の霊、および身元のわからな

    い三界

    の万

    霊まで

    が「祟

    り」

    の源泉と意識されるようにな

    ったの

    である。

    先祖の霊にたいする供養をおろ

    そかにするとき、そ

    の先祖の霊

    はかならずや何かの形で

    祟りを

    なすであろう。それが先祖供養を

    支える中心的な観念で

    った。

    のちに納骨や墓供養の問題がでて

    くるのも、そのよ

    うな観念がし

    だいに強力なものとな

    って

    いった

    からなので

    ある。

    また戦争中

    の「英霊」

    という考え方のうちにも

    、この祟りの観

    が反映して

    いること

    に注意しなければならな

    い。先年の事だが、

    『昭和万葉集』と

    いう現代の和

    歌ア

    ンソ

    ロジーが講談社

    から刊

    された。それは昭和という世界大戦を経験した時期に、さまざま

    な階層の人びとがうた

    った和歌を集めたも

    のである。そのなかで

    戦争で

    亡くなった方々の遺骨を迎え

    る気持ちを詠んだも

    のがたく

    さんでて

    くる。「遺骨」

    のことを「英霊」と呼

    んで

    、深

    い悲しみ

    のなかで

    それを手厚

    く葬る歌がでて

    くる。そうしなけ

    れば、戦場

    亡くなった人の霊

    が浮かばれず、この世

    に怨みを含

    んだ思

    いを

    のこすと信じられたのである。

    こうして先

    祖や死

    者のための墓

    を建て、一定の時期

    に祭祀と

    養を行

    うことが、子

    孫たるものや関

    係者たちのつとめと

    され

    るよ

    うになった。生き残

    った者たちの家内の安全と幸福を約束する道

    あると

    され

    るよう

    になったのであ

    る。家の永続と子孫

    の繁栄

    先祖の加護

    によ

    ってこ

    そはじ

    めて可能になるということがつよく

    信じられ

    るよう

    にな

    ったのである。

  • わが国の仏教教団

    は、右

    にのぺてきたような先祖供養

    の存在を

    ほとんど例外なく無視す

    ることができな

    いで今日までき

    た。それ

    を無視すれば、おそらく教団としての存

    立がむず

    かしくなったに

    ちがいな

    い。既存

    の仏教教団の大部分が

    、そ

    の教義

    的な主張とう

    らはら

    に、死者の

    ための追善供養や年回法要を

    重視

    して

    きたのも

    実をいえばそのた

    めだったので

    ある。

    ところが、この

    ような先

    祖供養

    をむしろ教義

    の中

    心にすえ、か

    つ布教活動

    にそれ

    を全面

    的に活用

    して

    いたのが、新宗教の諸団体

    であ

    った。これら

    の教団

    に属す

    る大多数

    の信者

    にと

    って、かれら

    の日常生活をつね

    に見守

    り、そ

    の行動

    の正邪

    を判断

    するだけで

    く、その運命をも予

    言す

    る存在

    が、ほかなら

    ぬ先祖

    の霊で

    あり、

    その先祖の隠され

    た意志

    なので

    ある。

    もしそうであ

    るとす

    るならば、そ

    の場合、「先

    祖」

    いう存在

    がも

    って

    いる権威

    と役割は、あたかも欧米社会

    における「神」の

    存在

    にき

    わめて

    類似して

    いるとはいえな

    いであろう

    か。そしてこ

    のような先祖感

    覚こそは、実をいえば、たんなる既存

    の仏教教団

    や新宗教教団

    メンバーのみならず、大なり小

    なり日本人一般の

    行動をそ

    の深層

    にお

    いて支えて

    いる特質

    ではな

    いかと思

    うのであ

    る。さ

    て、以上

    のべてきた先祖供養のこと

    に関連して、私

    が最近と

    に感銘

    をうけ

    たの

    は、死の看取りにつ

    いての専門医と

    してよく

    られ

    るキュ

    ーフ

    ー・

    ロス博士

    の近著

    『新

    ・死

    ぬ瞬間』(読売

    新聞社刊)を読んだときで

    ある。それと

    いうのも

    著者はその本の

    中で、死

    とは蝶が

    マユを離脱す

    るよ

    うな移行を意味し、肉体は人

    存在のたんなる脱け殼にすぎな

    い、と

    いう立場を表明

    して

    いた

    からで

    ある。

    博士

    はそこで、

    マユを離脱す

    る蝶

    のことを「魂」とか「霊」と

    かとは呼んで

    いない。しかしながら

    そこで

    は同時

    に、肉体以外

    何ものかが死後

    の世界

    に移行す

    るのだと

    いうこと

    を言

    っている。

    私はこのくだりを見つけたとき

    、つよ

    い衝撃を

    うけたことを告

    白しないわけ

    にはいかない。なぜなら、今

    から二十年ほど前に発

    表された同じ著者の

    『死の瞬間』

    において

    は、死とは現実との完

    全な離脱を意味す

    る、と

    いう見解

    が主張

    されて

    いたからである。

    キュ

    ーフ

    ラー・ロス博士は、その世界

    観を根本

    的に変更したの

    である。数多く

    の臨死

    の患者を間近かに観察してき

    た経験のつみ

    重ねが、

    そのよ

    うな逆転のドラ

    マを演出

    するこ

    とになったので

    う。

    思えば

    近年、死にかんす

    る論議が各方面で展

    開され、内外の貴

    な知見

    が紹介され話題

    を呼んで

    いる。時代の流れが変化の兆し

    を指し示

    して

    いることが予感されるが、な

    かで

    も死後の「生」

    かんす

    る問題がとりわけ西

    欧の心理学者や精神科医の側

    から提出

    されて

    いることに私は関心をもつ。

    さき

    キューフ

    ラー・ロス博

    の専門

    も心理学であった。その博士の

    いう「蝶」はむ

    ろん、

    拝崇先祖の教仏-7n

  • まだ先祖そのも

    のを意

    味して

    いるのではな

    いで

    あろう。し

    かし

    がらそれ

    は、先祖

    への羽化

    を象徴する鮮明なイ

    メージであ

    るよ

    に私には思われ

    るので

    ある。

    いま、先祖供養

    の問題

    は、新たな展望のもとに位置づけられ

    べき段階

    にきて

    いるので

    はないで

    あろうか。それ

    はもはや、

    たん

    なる死者供養や霊魂信

    仰にとどまるもので

    はない。先祖供養の課

    題は、それらの枠組み

    をとびこえ

    て、む

    しろわれわれの日常化し

    た現実生活を組み

    かえ

    る、もう一

    つの人間関係

    を暗示

    しているよ

    うにもみえるからであ

    る。

    生きて

    いる者同士

    の、しばしば硬直化

    しかねない人間関係

    にたいし

    、生者

    と死者

    との

    あいだに対

    話や運

    のパイプを通す、深みのあ

    る人間関係をそれ

    はひそ

    かに主張し

    いるようにもみえるのであ

    る。

    祖供養の問題は、今後

    はたして

    、あ

    いもか

    わらず日

    本人

    の宗

    意識を規定する固有の信念体系として受容されて

    いくので

    あろ

    うか。それとも、そのような枠組み

    を踏み破

    って

    、さら

    に広い普

    の場に歩みだして

    いくのであろ

    うか。

    いずれにして

    も、日本の仏教者

    は、そろそろこ

    の先祖

    供養

    の問

    を、正面

    から本気で考える

    べきとき

    にさし

    かかって

    いるよ

    うに

    には思

    われるのである。

    (やまおり・てつお、宗教学、国

    際日本文化研究

    センター教授)

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