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Meiji University Title 1920�30�-�- Author(s) �,Citation �, 45(2-3-4): 79-97 URL http://hdl.handle.net/10291/4611 Rights Issue Date 1998-03-31 Text version publisher Type Departmental Bulletin Paper DOI https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

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Meiji University

 

Title1920・30年代におけるレーヨン糸の開発と織物用途の

拡大-人絹糸メーカーの企業成長における製品要因-

Author(s) 内田,金生

Citation 経営論集, 45(2-3-4): 79-97

URL http://hdl.handle.net/10291/4611

Rights

Issue Date 1998-03-31

Text version publisher

Type Departmental Bulletin Paper

DOI

                           https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

Page 2: 1920・30年代におけるレーヨン糸の開発と織物用途の URL DOI...経 営 論 集 45巻2,3,4合 併号 1998年3H 1920・30年 代におけるレーヨン糸の開発と

経 営 論 集

45巻2,3,4合 併 号

1998年3H

1920・30年 代 に お け る レ ー ヨ ン糸 の 開 発 と

織物用途の拡大

人絹糸 メーカーの企業成長における製品要因

内 田 金 生

1.問 題の所 在

人絹 糸 生産,す なわ ち レー ヨン事業 の国 内 におけ る企業 化 は,1918年6月,帝 国 人造絹 糸株

式会社(資 本 金100万,米 沢Lil場)の 創立 に よって本格 的 に始 ま る。以 降,人 絹 糸 メー カー の

設備拡 大 と新規 参 入,そ して参 入企 業間 の競 争 的 関係 を通 じて,日 本 レーヨ ン工 業 は急速 な 発

展 を遂 げ,1937年 には,生 産量 で アメ リカを抜 き,世 界首位 を達 成 した。 こ れ に要 した期 間

はわ ず か20年 ほ どで あ る。 こ の問,人 絹 糸 メー カー各 社 に よ って供給 され た 国産 レー ヨ ン糸

は,輸 入糸 を国 内市場 か ら完 全 に駆逐 し,さ らに各地 の織 物産 地 で国産 糸 を原 料 に用 い て製織

された 人絹製 品 は,海 外市 場,次 いで 国内市 場 におい て需 要 を伸 ば した。

人絹糸 メー カー に とっての 製品市 場,す なわ ちレー ヨン糸の販 売市場 は,人 絹製 品 を生産 す

る国内織 物 産地 で の原 料 糸 需要 と密接 な関係 をもっ てい る ことは言 うまで もない。表1に よれ

ば,1929年 か ら1937年 までの 間 に,人 絹織 物 の輸 出 量 は絹織 物 のそ れ を完全 に凌駕 す る驚 く

べ き伸 び を示 し,そ れ と同 時 に,人 絹 織物 の 国内消 費量 も,絹 織物 のそれ をL回 る増 加 をみせ

て いるω。こ う した内外 向 けの 人絹 織 物生 産の発 展 は,各 産地 で の レー ヨン糸需 要 を増 加 させ ,

人絹糸 メ ー カーに とっての製 品販 売 市場 を拡大 させ る こ とになる。

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80 経 営 論 集 一

1929年 1937年

人絹糸輸出 154

人絹糸国内消費 27,628

人絹織物生産 22,465

人絹織物輸出 2,346

人絹織物国内消費 20,正20

人絹糸 ・人絹織物輸出 2,500

生糸輸出 76,845

生糸国内消費 32,156

絹織物生産 44β70

絹織物輸出 13,417

絹織物国内消費 30,954

生糸 ・絹織物輸出 90,262

表11930年 代 に お け る人 絹産 業 の 発 展(単 位:千 ポ ン ド)

82,444

509,590

i86,2e2

110,807

75,395

193,250

63,305

29,114

79,075

22,025

57,050

85,330

出 典 『日本 繊 維 産 業 史 』 総 論 篇,918~924,941頁,『 蚕 糸 業 要 覧 』 昭 和28年 版,112,202,

230,236~237,249頁,よ り作 成 。

注1929年 の 生 糸 国内 消 費量 は,拙 稿 「戦 前 期 日本 の 生 糸 国 内 市 場 」,表30 .推計 値 。 他 の 生

糸 ・人絹 糸 国 内 消 費量 は1生 産 量+輸 入 量 一輸 出量1で 算 出。

こ う した人絹 糸 メ ー カー に とっての 製 品販売 市場 が量 的 に拡 大 してい る こ とにつ いて は,従

来,専 ら メー カ ー各 社 の 設 備 能力 の向 ヒ

と生 産工程 の 合理 化 ・技 術革 新 に よって,

製 造 コ ス トが低 下 し,レ ー ヨ ン糸価 格 が

大1隔に引 き下 げ られ た こ と に起 因す る も

の と考 え られ て きた。 図1に 示 した レー

ヨ ン糸 の市 場価 格 は,1920年 代 半 ば以 降,

一 貫 して低 下 して お り,代 替 す る生 糸 の

価 格 の約2/5か ら1/10ま で下が り,さ

ら には よ り大 衆的 常 用 衣 料 の原 料 糸 で あ

る綿 糸 よ りも安 価 に なっ てい る。

この よ うな レー ヨ ン糸価 格 の短 期 間 に

お け る低 下 は,人 絹 製 品 の価 格 を引 き下

げ,内 外 の 需 要 を増 加 させ た 。特 に海 外

市 場 にお い て,1930年 代 か ら日本 製人 絹

織 物 に対 して 輸入 制 限 的 な 高 率 関税 が 課

さ れ た の は,為 替 相 場 の低 落 に加 え て,

図1レ ー ヨ ン糸 の平 均 市 価

1400

i200

1000

800

60D

400

200

0

19262S30323436272931333537

出典:川 崎 広 明 『H本 化繊 産 業発 達 史 論 』,319頁 。

レーヨン糸十生糸日

\ 一 日 一 ・

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毛 糸y

、 ・△.、、

ぱ 甘 ぺ 図・廿 日

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◇◇◇磯'工 舗

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1920・30年 代 にお ける レー ヨ ン糸 の 開発 と織 物用 途 の拡 大 81

原 料 レー ヨ ン糸の 量 産低 価格 化 に よって 日本 産の 人絹 製品 の競 争力 が上 昇 した こ とへ の対 抗措

置 で あ った と考 え られ る。

しか しなが ら,国 内の 人絹 糸 メー カー は,単 に安 価 な レー ヨ ン糸 を大 量 に生産 し,よ り画…

的 な原 料 糸 を国 内織 物 産地 に供給 してい た わけ で は ない。 それ と並 行 して,1930年 代 の メー

カー各 社 は,川 ドに あた る末端 の織 物 生産 と結 びつ い た多種 多様 な レー ヨン糸の 開発 を積極 的

に進め た ので あ って,そ う した製 品 開発活動 は,人 絹糸 メーカ ーの企 業成 長 と 「人 絹産 業」 の

発展 を もた ら し,レ ー ヨン糸の 国内 販 売市場 を質 的 に拡大 させ る原 動 力 と なった。したが って,

1930年 代 にみ られ た人 絹製 晶の 海外 市 場,国 内 市場 にお け る需 要増 加 を考 える上 で は ,原 料

糸 をめ ぐる価 格 ・数 量 的 な要因 に加 え,織 物 製 品の 開発 に関連 す る非価 格 ・品質的 な要 因 に も

注 目 しな けれ ばな らな いの であ る。

本 稿 の課 題 は,「 人絹 産 業」 が 著 しい発 展 を示 した1920年 代 半 ば以 降 の時 期の,人 絹糸 メー

カ ーの製 品政 策 の方 向性 と具 体 的内容 を,国 内 にお ける人 絹製 品の 生産 な らびに原料 糸需 要 の

動 向 と関連 させ て検 討す るこ とにあ る。 山崎広 明氏 のす ぐれ た化繊 産業 史 の分析 をは じめ とす

る多 くの先 行研 究 に よって,レ ー ヨ ン糸 の用途 は,組 紐 →肩 掛 ・洋傘 地→ 帯 地→ 交織 物→ 双 人

絹 織物 と拡 大 し,と くに輸 移 出向 け の絹織 物へ の応 用が レー ヨ ン糸需 要 の拡 大 を支 えた こ とが

言 及 され てい る{2)。本稿 で は,そ れ らの研 究 をふ ま えなが ら,さ らに進 んで,1920年 代 半 ば以

降の 人絹 糸 メー カー各 社 の製 品戦 略 ・製品 開発 の特徴 を明 らか に し,そ の上 で,国 内織 物 産地

にお ける レー ヨン糸需 要 の深化 につ い て考 察す る。

2.製 品 の フル ラ イン化 と標 準製 品 の量産(1926-1935年)

1926年4月 の輸入 関 税 の引 き上 げ に よ り,国 内 の織物 原 料糸市 場へ の輸 入 レー ヨ ン糸 の流 入

が基 本 的 には 阻止 され,そ れ が1つ の契機 とな って,レ ー ヨン糸 の輸 入代 替が進 展す る。す で

に1920年 代 半 ば に レー ヨン糸 の生 産 を開始 してい た帝 人,旭 絹 織株 式 会社(1922年5月 設立,

資本 金200万,膳 所 工場),三 重 人造 絹 糸株 式会 社(1924年8月 設 立,資 本 金50万,津 工 場),

東京 人造 絹 糸 製造 所(個 人経 営,1926年4月 に株式 会社,資 本 金1,000万,吉 原工 場)の 先発

メ ー カー に加 えて,東 洋 レー ヨン株 式会 社(1926年1月 設立,資 本金1 ,000万,滋 賀工 場),日

本 レー ヨ ン株 式 会社(1926年3月 設 立,資 本 金1,500万,宇 治工場),倉 敷絹織 株式 会社(1926

年6月,資 本 金1,000万,倉 敷工場),昭 和 レー ヨン株 式会 社(1928年3月 設立,資 本金500万,

堅 田工場)が,1920年 代 半 ば以 降,後 発 の 人絹 糸 メー カー と して レー ヨン事 業 に参 入 した 。

1930年 代 には,さ らに新 規参 入が 進 み,人 絹 糸 メ ーカ ー は1932年 の9社 か ら1936年 には21杜

に激増 した。参入 した メー カーは,先 行 す る メー カー に よって確立 され た既存 の レー ヨ ン事業,

と りわけ技 術 者 を含 め た確 定済 み の国 産技 術 を所 与 と しなが ら,自 社事 業 を形成 してい っ た。

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82 一 経 営 論 集 一

この間,特 に帝 人,旭,東 レ及 び倉 絹 の4杜 は ,レ ー ヨン工業 にお け る大企 業 と して成長 を

持続 す る と同時 に,製 品戦略 や製 品 開発 の面 で も リー ダ ー シ ップ を とって きた。 まず は,国 内

の 織物 原料 糸 市場 にお い て レー ヨ ン糸 が確 固 た る地位 を占 め る1920年 代半 ば以 降 の,主 要な

人絹 糸 メー カ ー各 社 の製 品政策 の 基調 を,細 糸 の 開発 ・生産 とい う・点 か ら検 討 して み よう。

1930年 以 前 につ い て は,先 発 メー カーで あ る帝 人 が,専 ら製 品 開発 を主 導 して お り,同 社

の動 向が 国産 レー"一ヨ ン糸 のあ り方 を典 型的 に示 して い る と考 え て よい。 続 く1930年 代 につ い

て は,上 位 メ ーカー各 社 で生産 された レー ヨン糸 の太 さを比較 す る と,表2の よ うにな る。

日本 にお いて 人絹 糸 生産 が企 業 化 す る1918年 以 前に,国 内織物 産 地 で使用 され てい たの は

専 ら輸 入 レー ヨン糸で あ り,品 質面 で 水 に弱 く,強 度 に問題 があ った ため に,そ の 用途 は生 糸

の代 用 品 と して リボ ン,房,羽 織 組 紐 等 に限 られて い た、、帝人 は,1918年 の設 立 当 初,こ う

した輸 入 糸が すで に開 拓 して いた装 飾 品の領 域 ,と りわ け組紐 用原 料糸 市場 に参 入 す る。 同社

はす で に1920年 代 か ら]二場 別 の 製品 政 策 を採用 して お り,.1922年 頃 に は米沢 工 場 で200デ ニ

ー ル(以 下,200D,他 も同様)以 上 の 太糸 の組 紐 用原 料 糸 を,広 島工 場(1919年 新 設)で は

150Dの レ・.一ヨ ン糸 中心 に製造 して い た と され る(3)。同年 の帝 人の レー ヨ ン糸 生 産量 は,米 沢

工 場 が8.2万 ポ ン ド,広 島工 場 が9.2万 ポ ン ドで あ り(4},150Dの レー ヨ ン糸 の生 産 を広 島工 場

で 開始 す る こ とに よ って,組 紐 用 の太 糸 のみ な らず,輸 入糸 が使 用 され る他 の製 品領域 に まで

販売 市場 を拡 大 し,原 料 糸需 要 に応 じよ うと試 み てい る。

た だ し,帝 人 の デニ ー ル別 の レー ヨン糸 生産 量 は,1925年 で も,'100D以 下 が全 体 の596 ,

120Dが5%,150Dが30%,200D以 上 の 太糸 が60%で あ り(5),こ の 頃 まで は'太糸 中 心 の生 産

体制 で あ った。 漸次 設備 規模 を拡 張 した広 島工 場 の生 産量 は,1925年 で帝 人全体 の8割 以上 を

占 めて お り"i},同 工場 は150Dば か りで な く,需 要 に応 じて200D以 上 の レー ヨ ン糸 を もk産 し

て いた と考 え られる。

こ う した太 糸 中心 の国 産 レー ヨ ン糸 の製 品構 成が大 き く変化 す るの は,人 絹 糸 の輸 入 関税 の

引 き上げ られ,後 発 メー カーが参 入 す る1920年 代 半 ば以 降であ る。

表2に よれ ば,先 発 メー カ ーで あ る帝 人 の製 品 構 成 は,1930年 に は,120D48.3% ,150D

26.6%,200D以 上23.0%と な り,す で に生 産 の中心 を120D,150Dへ と移行 させ て い る。 さ

らに1934年 には120Dの 比率 を693%に まで高め て お り,細 糸 の 生産 を強化 して いる。 同 社の

1934年 以 降 の デニ ール別 生産 比率 に大 きな変動 は み られな いの は,こ うした細 糸120Dの 量産

体 制 が確 立 した こ との 証左 で もあ る が。 注 目すべ きは,150D,200D以 上 の レー ヨ ン糸 の生 産

量 自体 も1934年 以 降増 加 して いる こ とであ る。帝 人 は,1930年 で も依然 と して200D以 上 の太

糸 を供給 す る 国内最 大 の メー カーで あ り,1930年 代 半 ば以 降 は,120Dの 細糸 を標 準 製 品 とし

なが ら も,太 糸 を含 め た各種 の レー ヨ ン糸 需要 に柔軟 に対 応 しよ うとす る製品戦 略 を採用 して

い たの であ る。

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1920・30年 代 にお ける レー ヨン糸 の 開発 と織物 用途 の拡 大 83

表2人 絹糸メーカーにおける細糸化 の進展

(単位 百ポ ンド)

帝人

東 レ

旭.

昭和/生 産量

『1930年9月

..一 ・ 一.

生産量 11,995%

100デ ニ ー ル以 ド 252〈2.1)

120 5,788(48.3)

150 3,192(26.6)

200以 上 2,761(23.0)

生産量 

6β03

100デ ニ ー ル 以 ド 320(4.7)

120 3,028で44.5>

150' 2,807(41、3)

200以 上 648(95)

生産量 3,504

100デ ニ ー ル以 下

120 2,478(70.7)

150 1ρ26(29.3)

200以 上

生産量 3,690

100デ ニ ー ル以 下

120 1,959(53.1)

150 1,731(46.9)

200以 上

生産量 3,114

100デ ニ ール 以 下 28(〔19) ,

120 868(27.9)

150 1,569(5甑4)

200以 ヒ 649(20.8)生産量 1,470

100デ ニ ール 以・ド

120

]50 1,470(100.0)

20D以 上一一

生産量 829

100デ ニ ール 以 下

120

1934t手6月

26,031%

951(3.7)①

18,048(693)①

4,165(16.0)③

2,867(11.0)②

24,616

72(0.3)③

13β29(54.1)

4,871(19.8)①

6,344(25.8)①

17,910

450(2.5)②

13,946(77.9)③

3,514(19.6)

15,372

10,948(71.2)

4,424(28.8)②

1937年6月

49,109%

3,023(6.2)①

33,471(68.2)①

7,480(15.2)②

5,135(105)②

33β02

316(0.9)

24,252(71.7)③

1,547(4.6)

7,687(22.7)①

22,219

656(3.0)③

21,563(97.0)

22,729

957(4.2)②

18,936(83.3)

2,836(12.5)

日 レ

倉絹

東京

三重

150

200以 上、 829(100.0)

12,847

9,696(75.5)

2、267(ユ7.6)

884(6.9)

19,842

51(O.3)

'17,475(8&1)②

2,317(11.7)

3,179

1,886(5≡ 元3)

1,293(40.7)③

25,135

405(1.6)

18,752(74.6)

1,982(7.9)

3,996(159)③

31,664

171(0も5)

24β23(76.8)②

3,609(11.4)③

3,561(11.2)

10,445

376(3.6)

6,470(61.9)

2ρ56(19.7)

1,543(14.8)

生 産 量

100デ ニ ー ル 以下

120

150

200以 上

712

712(100.0)

1,055

1,055(100.0)

1,975

1,385(70.1)

590(29.9)

出典:山 崎広 明 『P本 化 繊 産業 発 達 史 論 』,297,322頁 よ り作 成 。 一 ・.rv

注:()内 は各 社 生 産 量 巾 の 内 訳 を,① ~③ は 各 デ ニ ール 別 の 生 産 量 の 上 位3位 を,そ れ ぞ

れ 示 した もの で あ る。

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84 一 経 営 論 集

こ うした帝 人 と近似 した製 品構 成 を1934年 まで に示 してい たの は,後 発 メ ー カーで は東 レ

と日 レで あ り,1937年 に なる と,唐 絹 に も製 品 ラ イ ンの多様 化 とい う同様 の特徴 が認 め られ

る。

周 知 の よ うに,東 レは1927年 に レー ヨ ン糸の 市場 供給 を開始 した後発 メー カ ーで は あ るが,

三井 物産 の もと,設 立 当初 か ら資 本金1,000万 円 とい う卓抜 した大 規模 メー カー と して事 業 を

形成 した。 欧 米の既 存技 術(機 械設 備 ・技術 ノ ウハ ウ ・技 術 指導 者 を含 めて)を いわ ゆる 「タ

ー ンキー方 式」 に よっ て導 入 したが,同 社 の企業 成長 を促 進 した の は,応 用 技術 ・エ ン ジニ ア

リング等で の 自社独 自の技術 開発 で あ った とされる。

製 品戦 略 で は,東 レは事 業 を開 始 した1927年 の標 準製 品'「ブラ イ ト」 の 出荷 に際 して,す

で に60,75,・100,120,150,170,200Dの7種 類 の太 さの レー ヨ ン糸 を準 備 して お り{7),後 発

メー カー なが ら も,当 初 か ら技術 的 に は60Dの 極細 糸 の生 産が 可能 なほ どの 開発 能力 を有 して

い た。1930年 に は,標 準 製 品 を120D,150D,250Dに しぼ り,1932年 頃 に は,75D2%,

120D55%,150D35%,250D8%と,細 糸120Dを 主力製 品 と してい るc9)。また,同 社 「ブ ラ

イ ト」]20Dは,1933年 には東 京商 品取 引所 で 標準 品 に採 用 されて い る。 ただ し,糸 の太 さ と

い う点 では,帝 人 に先 ん じて,1930年 代 前 半か ら200D以 上 の太 糸の生 産 に も力 を注い でお り,

1937年 には200D以 上 の太糸 生 産で帝 人 を抜 い てい る。 こう した太 糸が 需要 される 各種 の織物

領域へ の原 料 糸供給 に対 して も,東 レは積 極 的 であ った と言 え よ う。

また,こ う した製品 政策 の 特徴 は,日 レや倉 絹 の場 合 に もほ ぼあ ては まる。1930年 の 日 レ

の標準 製 品はi50Dで あ り,含綿 の場 合 に は完 全 に150Dに 生 産 を集 中す る体 制が とられ てい た。

両社 は,こ の時期 です で に120Dを 中心 とす る帝 人や120Dと150Dが ほぼ均 衡 してい る東 レに,

細 糸化 とい う点で 遅れ をとっ てい た ものの,1934年 まで には120Dを 中心 とす る生 産体 制 への

移行 を完 了 した。 と りわ け,倉 絹 は,1934年 の120Dの 細 糸で,帝 人 に迫 る生 産拡 大 を示 して

い る。 さ らに両社 は,1937年 まで に太 糸生 産 を も拡 大 させ て お り,こ う した製 品構 成 の推 移

か ら,両 社 の製 品政 策 の 基 調 が,120Dの 量 産体 制 に移 行 しつ つ も,IOODJI下 の 細 糸 か ら

200D以 上 の 太糸 までの製 品 ラ イ ンを揃 え てい くとい う,帝 人 や東 レの製 品 戦略 に追 随 す る も

の であ った こ とが わか る。

一方,1930年 におい て,1201)の 人絹 糸の 生産 量:が150Dを 大 きく上 回 ってい た のは,帝 人 の

ほ かに は旭で あ り,こ れ らの先発 メー カー2社 は,他 社 に先 駆 けて細 糸化 を進め て いた。 特 に

旭 は,1925年1月 に 日本 で最 初 に90Dの 細 糸 を紡 出 し,さ らに翌年5月 には75Dの 極 細糸 の生

産 を大津 工 場 で開 始す るな ど〔9},細糸 の 開発 ・生 産 におい て は帝 人 に先 行 して い る。 旭 で は,

1930年 にす で に120Dの レー ヨ ン糸 の生 産量 が全 体 の70%を 越 え,そ れ以 降 も一貫 して細 糸

120Dの 量産 体 制 を堅持 して い る。後 発 メー カー では,1930年 に は120D,150Dの レー ヨ ン糸

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一1920・30年 代 にお け る レー ヨン糸の 開発 と織物 用 途の拡 大 85

生産 が ほ ほ均 衡 して い た昭和(1934年6月,東 洋 紡 に合併)が,細 糸120Dへ の生 産 集 中 とい

う点 で,旭 の 製 品戦略 に追随 してい る と言 え よう。

太 糸 生産 で は,1930年 に は東 京,三 重 の2社 が依 然 と して200D以 上 の太 糸 中心 の 生 産体制

であ った。両 社 の標 準 製品 は,帝 人以 下 の各 社の そ れが細 糸120Dに 移行 した1934年 で も,東

京が150Dと200D,二 重 が200Dで あ り,太 糸需 要 に応 じた製 品構 成 を とっ てい る。1937年 に

は,東 京 が帝 人 ・東 レに追 随 して 製 品 ライ ンの 多様 化 へ,三 重 が 旭 や 昭 和 に追 随 して細 糸

120Dへ の 生産 集 中へ,と そ れぞ れ製 品 戦略 を転換 してい くが,両 社 の 市場 にお け る競争 力 の

優劣 はす で に明 らか であ り,そ の地位 を ドげ る こ とにな った(le)。

以 上の よう に,1930年 代 に入 る と人絹 糸 メー カーの 製品 政策 の 基調 は,細 糸120Dの 量産体

制 の確立 に集 約 され る もの に な った こ とは 明 らか で あ る。1920年 代 の レー ヨ ン市 場 に おい て

国際 的 な標準 製 品 は150Dで あ リ,日 本 レー ヨン工業 も当時 の世 界市 場 に追 随 して国 際標 準糸

150Dの 国産化 か ら出発 した が,150D生 産が 中心 の時 期 は短期 間で あ り,す で に1930年 代 初頭

に は,細 糸120D生 産 へ と移 行 してい た。 製 品戦 略上,上 位 の人 絹 糸 メー カー が重 視 し,そ の

移 行 を主導 した細 糸の 開発 につい て は,世 界 的 に も往 日され る ところで ある。

しか しなが ら,製 品 構 成 か らみ れ ば,そ う した細 糸120Dを 主 力 製 品 とす る量 産 体 制 は,

100D以 下,200D以 上 の レー ヨ ン糸 を紡 出す る(し か も200D以 上 の 太糸 の 生産 量 も増 加 させ

る)と い う方 向性 を も同時 に含 んで いた ことが強 調 され るべ きであ ろ う。 多様 な製品 ライ ンを

特 徴 とす る,帝 人 ・東 レ ・日 レ ・倉絹 で は,単 に細 糸 だ けで な く,太 さの 面で もさ まざ まな原

料 糸需 要 に対応 しうる製 品 を市 場 に供給 す る,と い う弾 力 的 な製 品戦 略が 採用 され てい た。 ま

た,旭 ・昭和 の場 合 には,細 糸120Dの レー ヨン糸へ の生 産 集中 を特 徴 と して い るが,特 定 デ

ニ ー ルへ の集 中が,そ の ま ま単 一 製 品 の量 産 を意味 す る もの で は ない。 次 に見 る特 殊 糸 の開

発 ・生 産 を通 じて,多 様 な製 品の供 給 が可 能 とな るか らで あ る。

3.特 殊 糸の 開発 と製 品 の 多様化(1931-1937年)

当初 の レー ヨ ン糸 は,前 述 の よ うな品質 上 の問題 を抱 えてい たた め に 「擬絹 」 と称 され,織

物原 料 糸 と しての評価 は必 ず しも高 くな かっ た。 と くに 日本 の場 合,江 戸 時代 にはす で に衣料

消 費 のパ ターーーンが1つ の完 成 された 文化 と して定着 し,近 代 以 降 も伝 統 的 にそ れが 維持 されて

きた か らで あ る(11)。こ う した悪 評 を払 拭 し,レ ー ヨ ン糸 の 内外 市 場 を開拓 す る ため の人 絹 糸メ

ー カーの 努力 は,マ ルチ 糸 と艶 消 糸 か ら成 る特 殊 糸 の開発 に向 け られ,そ の成 果 は1930年 の

帝 人 にお ける特殊 糸 の商 品化 に よって,は じめ て結 実 した。

マ ルチ糸 とは,技 術改 良 を通 じて紡糸 の 強度 を増 加 させ る こ とで,同 じ太 さの 糸で あ って も

それ を構 成 す る単糸 をで きる だけ細 くした レー ヨン糸 の ことで ある。 糸 と しての しなやか さや

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86 一 一一 経 営 論 集 一 一

手触 りの 点 で,織 物 原 料糸 市場 で競 合す る生 糸 に近 い風味 を出 す こ とが で き,ま た,水 に も強

く,洗 濯 が 可能 とな るこ とで,各 種織 物 の領域 で の需 要 を拡 大 させ る原動 力 とな った。 もう 一・

方の 艶消 糸 とは,化 学 処理 上,不 可避 的 に発生 す る ガ ラス の よ うな繊 維 の光 沢 を,糸 自体 の透

明度 を下 げ る ことに よって極 力緩 和 した レー ヨン糸で あ る。これ をマル チ糸 に応用 す る こ とで ,

レー ヨン糸 の 需要,と りわ け国 内向 け織物 の原 料 糸 と して需 要 を さら に拡 大 させ た働。

こ う した レー ヨ ン糸 の特 殊 糸化 は,先 にみ た細 糸 化 と並 ん で,1930年 代 の人 絹糸 メー カ ー

に一貫 して見 られ だ製 品戦略 で あっ た。 こ こでは,人 絹 糸 メー カー各 社の 製 品政策 を,さ らに

進 ん で,こ う した特殊 糸 の 開発 ・生産 とい う側 面か ら検討 してい く、,

表31936年 度 〔1936年4月 ~37年6月)に おけるデ ニール別特殊糸生産量

(単位:百 ポ ン ド)

普通糸 特殊糸100デ ニ ール 以下

120

150

200以 上

1,081,199

424,000

332,462

合 計 弍 1,837,661

60,348

1,659,189

84,834

3,172

1,747,195

合計

60,348

2,740,388508,834

335,6343,584,856

特 殊 糸 比 率

100.0%

60.5%

16.7%

0.9%

48.7%

出典:『 日本紡織 年鑑』昭和12年 版,303頁 。

注:特 殊糸率は特殊糸/合 計で算出。

まず,表3に よっ て,レ ー ヨ ン工 業 全 体 と して の特 殊 糸 化 の 進展 状 況 を確 認 してお こ う。

1936年 度 には細 糸120Dの 生 産量 が他 の デ ニー ルの レー ヨン糸 を圧倒 して お り,こ こで も細 糸

生 産 の拡 大が み て とれ る。 た だ し,レ ー ヨ ン糸 生 産量 を 普通 糸 と特 殊 糸 とに分 け た場 合 には,

全体 の 生産 量 のす でに48.7%を 特殊 糸 が 占め てお り,細 糸化 と同時 に特 殊 糸 の開発 ・生 産 が著

し く進 展 した こ とが わか る。 生産 量 でみ れ ば,120D特 殊 糸 に次 いで,120D普 通 糸,150D普

通 糸 の 順 に 市場 に供 給 され て お り,し か も,特 殊 糸 比 率 で は,細 糸120Dの レー ヨ ン糸 の

60.5%が す で に特殊 糸 と して生産 されて い る。 よって,120D・150Dの 普通 糸生 産 が維持 され

なが ら,細 糸120Dを 中心 に さらに特 殊糸 の 開発 ・生 産が 進ん だ のであ る。

人絹 糸 メー カー 各社 にお けるマ ルチ 糸 の生産 量 につ いて は,1934年 下期 で,帝 人 が130万 ポ

ン ドに達 し,マ ルチ 糸 の 総 生 産 量 の46%を 占 め,以 下 ,旭(2196),倉 絹(16%),東 レ

(9%),東 洋紡(7%),日 レ(1%)の 順 と な ってい た。 また,各 社 で生 産 され た レー ヨン糸

に 占め るマ ルチ 糸の比 率 で は,帝 人50%,旭34%,倉 絹20%,東 洋紡16%,東 レ1096で あ

り,先 発 メー カーであ る帝 人 は,細 糸 化 の場 合 と同時,特 殊 糸 の開発 ・生産 にお い て先駆 的役

割 を果 た して い く⑬。

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一1920・30年 代 に おけ る レー ヨ ン糸 の開発 と織 物用 途 の拡大 一 87

帝 人 は,岩 国 丁場(1927年1月 操 業)で 紡 出 され た マル チ糸 く ダイヤ フ ィル 〉の販売 を1930

年2月 か ら開 始 し(L4),いち早 く特 殊 糸 の 実用 化 に成 功 す る。 開発 され た マル チ 糸 は150~50D

の製 品 ライ ンにお い て順 次生 産 に移 され ,国 内織物 産 地 に出荷 され る こ とにな った。

す で に帝 人 は1923年 に特 約 店制 度 を採用 して お り,さ ら に1920年 代 末 には,特 約 店網 の再

編成 を通 じて,独 白の販 売体 制 を編 成 して い た国。 こ う した販 売体 制 の整 備 を通 じて,自 社製

品 の宣伝,国 内織物 産地 へ の売 り込 みが強 化 され る と ともに,各 産 地の レー ヨ ン糸消 費の 動向

を把 握 す る こ とが可 能 にな り,,特 殊 糸 の ような国内 産 地の 需要 を開拓 しうる製品 の 開発が さ ら

に進 め られ る こ とにな った。

艶 消糸 で は,1930年7月 に流動 パ ラフ ィ ンを利 用 したく 艶消 ダイ ヤ〉,9Jjに は酸 化 チ タン

を利 用 した〈 艶 消 ダ イ ヤ 〉 が発 売 され ,さ らに1935年 に は超 高 級 艶 消糸 〈 白 ダイ ヤ 〉が 開

発 ・生産 され,好 評 を博 した 。 こ う した艶消 糸 の開発 の技術 過 程 につ い て は立 ち入 れ ない が,

国産の 自主 技術 に よる艶消 糸 は国際 的 に も画期 的な商 品 であ り,そ の開発 の意 義 は極 めて重 要

で ある。 しか も,こ う した艶 消糸 の開発 には西陣 の機 業家 の強 い要請 があ った とされ個,ま た特

殊 糸 を応用 した人絹織 物 の 開発 を支援 す る ため に ダイヤ糸織 物 競技 会 を主催 す る な ど,人 絹糸

メー カー と国内織 物産 地 の 問屋 ・織物 メー カー との間 の原料 糸 ・人絹 織物 の 開発 をめ ぐる相 互

協 力 的 な関係 を考 え る上 で,こ う した特 殊 糸の 開発 は注 目 に価 す る。

こ う して帝 人 で生産 され た レー ヨ ン糸 に 占め る特 殊 糸の比 率 は ,1930年 で は2%に 過 ぎなか

っ たが,1934年 にはす で に40%を 越 え る まで急 速 に拡 大 した(17}。表4は 帝 人の1935年 にお け

る特殊 糸 の製 品 ラ イ ンを示 した もの であ るが,同 社 は特 殊 糸 だ けで も9種 類 の 製 品 を生 産 し,

市場 に供給 してい た こ とが わか る。 これ に加 え,普 通糸 の 生産 も行 われ て お り,帝 人 は ,細 糸

の 量 産 と同時 に,製 品 の フ ル ラ イ ン化 を進 め,さ らにマ ルチ 糸 ・艶 消 糸 とい った特 殊 糸 の 開

発 ・生 産 に よって,製 品 の多 様化 を図 って いる。 帝人 は,こ う した製 品戦 略 を通 じて,高 級 織

物 を含 めた 各種 の織物 領域 におい て レー ヨ ン糸 の市場 を開拓 して いっ たの で ある。

表4帝 人の特殊糸 と製品ライン(1935年)

特殊糸種別 ブラン ド名 50D 75D ioOD 12⑪Dl50D

マルチ糸 ○Oo

艶消糸 ○ ○

超艶消 糸OO

出典:「 第四回ダイヤ糸織物競技会募集規定」(『帝人 タイムス』103号 ,1935年4月)

細 糸120Dへ の生産 集 中 に特徴 が み られ た旭 の場 合 に は,帝 人 に先 立 つ1927年2月 に,す で

に150Dの マ ルチ糸 〈青 栗 〉 を大 津 工場 で 生産 ・販売 した とされ るが{18),こ の と きに開発 され

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88 経 営 論 集 一丁一

たマ ルチ糸 は商 品 と して は実用 化 しな か った よ うで あ る⑲。 同社 の特 殊 糸の商 品 化 は,帝 人 と

同 じ く1930年7月 に発売 され たマ ル チ糸 〈旭 マ ル チ〉 に よっ て成功 をお さめ,細 糸120Dの マ

ルチ 糸 は,国 内の 高級 織 物用 の 原料 糸 と して量産 され る よ うにな る。 さ らに艶 消 糸 の生 産 は,

1935年6月 か ら単 糸2.4D・50フ ィラ メ ン トの 艶消 マ ル チ糸 く延 岡 ケ シマ ルチ 〉 に よっ て開始

され た⑳。

表5旭 ベンベルグ各種人絹糸生産高①1935年 (単 位:百 ポ ン ド)

・'級 :級 三級 四級 計.一普通糸 s 100デ ニ ール 19.00 24.00 43.00 86.00 (0.1%)

s 120デ ニ ーソレ 18,56?.15 304.00 267.00 717.00 19β55.15 (15.o%)普通'糸小計 18,567.15 323.00 291.00 760.00 19,941.15 (15.㈲

マルチ糸 S 100デ 二一)レ 226.00 3.00

・.

4.oo 6.00 239.00 (0,2%〉

-A一

S 120デ 二一 」レ 41,663.00 44.00 11U9.00 1,278.OO 44,104.00 (33.2%)

Z 120デ ニー ノレ 41,抽.00 0.00 1,295.00 1,678.00 44,113.00 (33.2%)120デ ニ ー ル計 82β03.00 44.00 2.41400 2,956.00 88217.00 (66.5%〕

Z 150デ ニ ー ル 5,089.00 0.00 166.0G 128.00 5β83.00 (4.1%)マルチ糸小計 88,118.00 47.00 2,584.00 3,090.00 93,839.00 (70.7%) .一

艶矛肖マルチ糸 S 120デ 二 一 ノレ 4,472.3む 71.00 79.oo 正05.00 4.72730 (3.6%)艶消普通糸 S 120デ ニ ー2レ 13,129.85 298.00 280.00 482.00 14,189.85 (10.7%)

合 計「. 124.28730

一一『

739.00 3234.00 4,437.00一

132,697.30 (100.0%)デニール別内訳 100デ ニ ール 226.00 22.00 28.00 49.00 325.00 (0.2%)

.・

120デ ニ ール 118.97230 717.00 3,040.00 4,260.00 126,989.30 (95.7%)150デ ニ ・.一ル 5,089.00 0.00 166.00 128.00 5,383.00 (4.1%〕一

普通糸 ・特殊糸別内訳.

普通糸 18,567.15 3田.oo 29Loo 76⑪.00 ]9β41.15 (15.0%)特殊糸 105,720.15 416.00 2,943.00 3,677.00 112,756二15 (85.欄

等級別比率 93.7% ⑪.6% 2.4% 33%

100.0%

一一

②1937.年サ (単位 : 白'ポン ド)

..  ・

・級 二級 三級 四級 言†

普通糸S 1⑪0デ ニ ー ノレ 6,903.90 179.00 68,〔〕0 229.00 7β79.90 (2.8%)S 120テ ∨ニ ー ル 34ρ42、70 1,01&00 415.00 2,192.00 37,667.70 (14.0%)

普通糸小言十 40,946.60 1,197.00 483.00 2,421.00 45,047.60 (16,8%)マルチ糸S 120デ ニ ー ノレ 34823.50 851.00 363.00 480.10

36,517.60 (13.6%)S 150デ 二 一ノレ 1,828.00 36.00 23.⑪0 51.00 1,938.oo (0.7%)

マルチ糸小計 36,651.50 887.00 386.00 531.10 38,455.60 (14.4%)艶消マルチ糸Z 110デ ニ ール 539.00 24.00 B.00 15.90 586.90 (0.2%)

Z 120デ ニ ・.⊃レ 170,959.50 6,175.00 2,375.00 4.150ユ0 183,659.60 (68.6%)一

合 計 249,096.60 8,283.00 3252.00 7,118.10 267,749.70 (100%)デニール別内訳 100デ ニ ール 6,903.90 179.00 68.00 229.00 7β79.90 (2.8%)

110デ ニ ール 539.00 24.00 8.00 15.90 586.90 (0.㈱

120デ ニー ル 239β25.70 8,044.00 3,153.00 6,822.20 257,844.90 (96.3%)

150デ ニー ノレ 1β28.oo 36.00 23.00 51.OO 1,938.00 (0.7%〉

普通糸 ・特殊糸別内訳テ

普通糸 40,946.60 1,197.00 483.00 2,42LOO 45,047.60 (16.8%)

一 特殊糸 208,150.00 7,086.00 2,769.00 41697.10 222,702.10 (83.2%)等級別比率『 93.0% 3.1% 1.2% 2.7% 100.0%

.一.・   一 一

出典:『 レー ヨ ン部 史 』,84頁 。 た だ し,1935年 は 不 明分500ポ ン ド(120D)を 除 い た 。

注:Sは ス プー ル 式,Zは セ ン トラル 式 の略 号 で あ る。

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-ig20・30年 代 にお ける レー ヨン糸の 開発 と織 物用 ・途の拡 大89

表5は,こ う した旭 にお いて特 殊 糸 が出 揃 う1935年 と1937年 に生産 され てい た レー ヨ ン糸

の製 品構成 を示 した もので あ る。 これ に よれ ば,同 社 は細 糸120Dに 生 産 ラ イ ンを集 中 させ る

と同 時 に,さ らに特殊 糸生 産 を進 め,1935年 には 同社全 体 の 生産 量 の85%が 特 殊 糸化 してい

る。 また,1935年 で は細 糸1201)の マ ルチ糸 が 全体 の生 産 量の66 .5%を 占め てい たが,1937年

には,細 糸120Dの 艶 消 マル チ糸 の比 率 が68 .69/。に なっ てお り,艶 消 技術 を応用 したマ ルチ 糸

が 同社 の主 力製 品 とな ってい る。 旭 で は,細 糸120Dへ 生 産 を集 中 させ つ つ,同 時 に特殊 糸 の

開発 を通 じて,100D普 通 糸,120D普 通 糸,100Dマ ルチ糸,120Dマ ルチ糸 ,120D艶 消 マル チ

糸 とい う複 数 の製 品を 市場 に供給 してい く,と い う製 品戦略 が採 用 され てい たの であ る。

加 えて,1933年 に旭 と合 併 した 日本ベ ンベ ル グで は,ド イツのベ ンベ ル グ社 の特 許 を得 て,

1931年 か ら国産 の ベ ンベ ル グ絹 糸 の販 売 を開始 して い た。ベ ンベ ル グ糸 は,木 材 パ ル プ を原

料 とす るそ れ まで の 国産 レー ヨン糸(ビ スコー ス糸)と 比べ て,単 糸 を よ り細 く続 出す るこ と

が可 能で あ り,外 観が よ り生糸 に近 い もので あ っ た。そ の点 で,ベ ンベ ル グ糸 は高級 織物 の 原

料 糸 に適 して い るが,コ ス トが割 高 な ため に,ビ ス コー ス糸 に遅 れ を とって きた。旭 は こ う し

たベ ンベ ル グ糸 の製 造 コス トを低 下 させ る こ とで ,特 殊糸 と同様 に,国 内の 販売 市場 を開拓 し

てい っ たので あ る㈲。 その意 味 では ,ベ ンベル グ糸 は,帝 人 ・東 レで生 産 され る ビス コー ス糸

と技 術 的 には異 な るが,製 品 開発 にお いて は共 通の志 向 性 を もって いた と言 え よう。

帝人,旭 に対 して後 発 メ ー カーで あ る東 レは,と く'に組織 的 な研 究 と製 品 開発 に力 を注 ぎ,

短期 間の うちに,両 社 と肩 を並 べ る人絹 糸 メー カー に成 長 した。 こ う した 東 レの急成 長 を可 能

と したの は,製 品面 で は,ま さ し く細 糸化 と特殊 糸 の 開発 であ った,、東 レの場 合 も,す で に

1927年9月 には,従 来の 標準 製 品の 約半 分 の デニ ー ルの単 糸 の試 作 に成功 して い たがe2J,開 発

され た マ ルチ 糸が 商 品化 す るの は,1934年4月 にな っ てか らで あ った。 標 準 品 「ブラ イ ト」,

輸 出 品 「バ タ フラ イ1と い った,そ れ まで の主 力製 品で あ る.単糸5D・24~30フ ィ ラメ ン トの

120D,150Dの レー ヨン糸 に加 え,単 糸2.4D・50フ ィラ メ ン トの レー ヨン糸 を開発 し,「東 洋

マ ルチ」 〈 卜ー ヨー 〉 とい うブ ラン ドで 販売 した。 また,高 級 織物 へ の用 途 を拡 大 させ る ため

に不 可欠 な艶 消糸 の 開発 も精 力的 に進 め られ,同 年4月 に く艶 消 トー ヨー 〉 となって 製品 化 さ

れ た。 さ らにこれ がマ ルチ 糸 に応 用 され,1935年4月 には超 艶消 マ ルチ 糸 くマ ッ トー ヨー 〉が

市場 に出 され てい る。

他 方,東 レは こう した特 殊 糸 のみ な らず,強 度 の 改 良 を進 め,比 重 が軽 い うえに毛 糸の よう

に保 温性 に も優 れた 中空 糸 を も開発 し,1936年1月 にくセ ル トー ヨー 〉 と して発 売 して い る。

毛糸 に代 替 し,戦 後 に注 目 を浴 びた 中空 糸 の開発 ・生 産 が,す で に戦 前 にお いて成功 してい た

こ とは,東 レの みな らず,繊 維 の開 発 史上 ,特 出す べ き事柄 で あ ろ う。 さ らに,1937年1月 に

は,1D・1フ ィラメ ン トの最 高級 マ ルチ糸 く マル コ〉が生 産 され る に至 った⑬。

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90 一 一 経 営 論 集

これ らの特 殊糸 の 開発 ・生 産 を通 じて,東 レは,毎 年 の よ うに新 製 品 を市 場 に供 給 し,細 糸

120Dを 主力 製 品 と しなが ら も,製 品 の フル ラ イ ン化 と多様 化 を推 進 して い く。東 レは,こ う

した製 品戦 略 に よっ て,太 糸 を含 む普 通糸 か ら細 糸 ・・特殊 糸 とい った高級 糸 まで 多品種 の レー

ヨ ン糸 を 市場 に供給 す る体 制 を構築 したの で あ る。

こ れ ら3社 の ほ か に ,倉 絹 も1933年6月 にマ ルチ 糸 〈 ク ラマ 〉,同 年12月 に はく艶 消 ク ラ

マ 〉を,ま た1934年 頃に は昭和(東 洋紡)⑳,日 レ もそ れぞ れマ ル チ糸 を開 発 して い た。

1930年 代 に おい て人絹 糸 メー カー 各 社 は,強 度 や 弾 力,保 温1生とい う高級 織 物 用 の原 料 糸

と しての 需 要 を制約 して いた技 術 上 の 問題 を解 決 し,糸 の太 さで は細 糸120Dを 主力 と しなが

ら も,さ らにマ ルチ糸 ・艶 消 糸 とい う革新 的 な特殊 糸 の 開発 に よっ て,レ ー ヨ ン糸 の高級 化 を

図 っ た。 しか も,そ の 過程 を通 じて,織 物 原料 糸市 場 に供 給す る製 品、を多 様化 させ てお り,人

絹糸 メー カーの 製品 政 策の 方向 性 は,〈 細 糸化 と特 殊 糸 の開発 によ る高級 糸 生産 〉 とく製 品 ラ

イ ンの 多様 化 〉 を並 行 させ る もの で あ っ た。 そ して,そ の成 果 は,1930年 代 の 日本 レー ヨン

工業 の 内外 にお け る競 争力 の 優 劣 とな って現 れ た。1920年 代 半 ば 以 降の 人 絹 糸 メ ー カー の企

業 成長 の 製品 要 因は,以 上 の よ うな製 品戦 略 ・製 品 開発 に 求め られ る ので あ り,国 内 の織物 原

料 糸市場 にお け る レー ヨン糸の 地位 は こう して確 固 たる もの となっ たの であ る。

4.レ ー ヨ ン糸の 高級 化 ・多様 化 の契機 と しての 人絹 織 物の 開発

こ こ までの検 討 を通 じて ,1930年 代 の 日本 レー ヨン工 業 にお い て・は,レ ー ヨ ン糸 の量 産低

価 格化 だ け でな く,多 種 多様 な製 品 の開発 が 進 め られ てい た こ とが 明 らか に され た。一 方,需

要 サ イ ドに視 点 を移せ ば,こ う した人 絹糸 メー カ…の 製 品開発 活 動 は,レ ー ヨ ン糸 を原料 とす

る人絹織 物 の 内容変 化 や人 絹製 品 自体 の開 発 に対応 す る もの と言 え よ う。 そ こで,人 絹糸 メー

カー の製 品政 策 の 基調 が 高級 糸 生産 と製 品 ラ イ ンの 多様 化 とな る1920年 代 半 ば以 降 の織物 原

料 糸 需要 の変 化 につ い て,こ こで は絹 織 物産 地 に限定 して検 討 を加 え てお こ う。

(D輸 出向 け絹 織物 産 地 にお け る レー ヨン糸需 要の 拡 大

輸 出 向け 絹織 物 で は,す で に1900年 代 末 か ら力織 機 を導 入 した福 井 ・金 沢 が ,他 の 国 内産

地 と製 品市 場 で競 合 しない輸 出羽 二重 の生 産 に特化 す るこ とで,国 内 有 数の絹 織 物産 地 と して

成 長 して いた こ とは周 知 の如 くで あ る。第 一次 大戦 中 の好 況期 には,英 米 へ の絹織 物 輸 出が激

増 し,さ らに はオ ース トラ リア ・カナ ダ等 に も販 路 を拡 大 したが,大 戦 後 の反 動恐 慌期 は,輸

出 の不振,と りわ け英米 で絹織 物 関税 引 き上 げ に よ り,両 産 地 は打 撃 を被 る こ とにな った。

こ う した1920年 代 の輸 出絹 織物 の不 況 へ の1つ の産 地 的対応 と して,製 品開発 に よる市場 の

開拓 が図 られ た。 新 た に国内 向 けの絹 織物 を開発 す れば ,従 来の 国 内向 け産 地 との新 た な競 争

は不可 避 であ り,い きお い開発 の 主力 は輸 出 向け となる。 両 産地 で は,羽 二重 以外 の輸 出織物

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一1920・30年 代 におけ る レー ヨン糸 の開発 と織 物用 途 の拡 大91

が 開発 され,縮 緬 ・壁織 ・絹紬 ,ジ ョーゼ ッ ト ・ポ プ リン等 の 各種 絹 織物,さ らに は原料 糸の

転換 を通 じて,綿 糸 や絹紡 糸 をもちいた 交織 物,富 士絹 な どが生産 され,新 た に輸 出 品 目に加

わ る こ とに なっ た㈱。 こ うした綿製 品 の多品種 化 は ,と りわけ大 戦 中 に拡 大 したオ ース トラ リ

ア ・カナ ダ,さ らには中国 ・朝鮮等 の市 場 を開拓 してい く上 で も必 要 であ り,レ ー ヨン糸 を使

用 した人 絹織 物の 開発 も,こ う した不況 ドにお ける輸 出市場 の 販路拡 張 の一環 と して積極 的 に

進 め られ たの であ る眺

加 え て,1924年 に朝鮮 で剰 多種 が 実施 され,そ れ まで は 中国 製品 に圧倒 され て いた朝 鮮 市

場 へ の販路 が 拡大 した こ とも,国 産 レー ヨ ン糸 を用 い た低廉 な移 出織物 の開発 を促進 させ た。

朝鮮 向 け を始 め とす る輸 移 出向 け人絹織 物 の開発 は他 の産 地 で も進 み,例 えば,人 絹 帯 地 の開

発 に よって 西陣 を も しの ぐ女帯地 の 産地 と して発展 した桐 生 にお いて も,朝 鮮 向け 人絹 製 品の

開発 が進 め られ た働。

人 絹糸 メー カ ーの新 規参 入 と既存 メー カー の設備 拡 張 が1920年 代 半 ば に集 中 す るの は,こ

う した輸 移 出 向 け織 物 の製 品 開発 に よ って原 料 糸 需 要 が増 大 す る こ とが 見 込 まれた か らで あ

る。

さ らに,1920年 代 半 ば 以降 は,レ ー ヨ ン糸価 格 の相対 的低 下 に よっ て,本 絹,交 織 か ら双

人絹 製 品へ の 転換 が 進 む。』そ して,1931年 か らの 為替 低 落 に よ って輸 出 が有 利 にな る と,輸

出向 け双 人絹織 物 の開発 ・生 産拡 大が加 速 し,レ ー ヨ ン糸需 要 を一層拡 大 させ た㈱。

この間,.輸 出向 け織 物 産地 であ る福 井では,絹 織物 の開発 パ ター ン と同様,人 絹 織物 にお い

て も,簡 単 な平 織物 か ら縞 ・綿子 ・紋 ・綾織 物等 の 変 わ り織物,さ らに縮緬 ・壁 織 ・ジ ョウゼ

ッ ト ・パ レス とい った高度 な強撚 織物 の開発 を進 め,製 品構 成 は よ り 層 多 品種 化 ・高度 化 す

るに 至っ た鰯。特 に特 殊糸 が 開発 され た ことに よ り,レ ー ヨン糸 の用途 は縮 緬 に代 表 される よ

うに強撚織 物,す な わ ち応用 範囲 の広 い 高度 な織 物 の原料 糸 に まで拡 大 した ので あ る。

人絹 糸 メ ー カーに とって は,高 級 糸生産 と多様 化 とい う製 品戦 略 を通 じて,こ う した産 地の

原 料糸 需 要の量 的 ・質的拡 大 に対 応 す るこ とが ,競争 力 の優劣 を決定 的な もの にす るで あ ろ う。

一 方,織 物 産地 に とって も,マ ルチ糸 や艶 消糸 を使 用 した双人絹 ・人絹 交織 織物 の応 用 開発 は

,

輸 出 市場 におけ る競争 力の 強化 につ なが る もので あ り,さ らに,国 内向 け織 物 への参 入機 会 を

広 げ るこ とに もな るで あろ う。

特 に前者 に関 して言 えば,120D特 殊 糸 を使用 した輸 出 向け 人絹 織物 は,東 南 洋 市場 にお い

て高 級加 工 綿布 の代用 品 と して も需 要 され る よ うにな っ た。1936年 頃 に は1濠 州,印 度 向 を

就 ・と して高鋤II:L新1布 の代用 た る,主 と して我 社 〈帝 人 一鞭 者注 〉ダ イヤ艶 消糸使 ひの ダ イ

ヤ塩 瀬,縞 塩 瀬 を始 め と して,交 織縮 緬,双 人縮 緬,壁 織,フ ラ ッ ト,サ テ ンパ ック,朱 子縮

緬,モ ウカ織 等の 人性殺 到 し㈹」 と され,特 殊 糸 を応 用 した高 級 人絹織 物 は,英 領 植 民地 は始

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92 一 経 営 論 集 一ー一

め とす る東南 洋市場 にお いて,イ ギ リス綿 業 と も競 合 す る こと にな った。差 別的 輸 入関税 の実

施 にみ られ る ような貿 易摩擦 は,こ れ に よ りさらに深 まったの であ る。

輸 出向 け絹織 物 産地 は,も はや以 前の ような羽 一:重の よ うな特 定 製 品へ の特化 で は な く,地

理 的 に拡大 した製 品 の販売市 場 とそ の動 向 に応 じて,多 種 多様 な織 物 を開発 す る こと によ って

新 た な発展 を示 した。 それ ゆ え,輸 出向 け織物 産 地の 多角 的 な製 品 開発 は,単 に原料 糸需 要の

数 量 的増大 だ けで は な く,太 糸 か ら細 糸 まで,普 通 糸 か ら特 殊 糸 まで と需要 自体 の多 様化 を伴

う もの で もあ っ た。 したが っ て,1920年 代 半 ば以 降 に お ける 人絹 糸 メー カーの 高級 糸 生 産 と

多品種 化 とい う製 品政 策の基 調 は,そ う した輸 出向 け織物 産地 にお け る レー ヨ ン糸需 要の 多様

化 とい う販 売市 場 の変化 に対 応す る もので あ った と言 え る。

〈2)国内向 け絹織 物産 地 の消 長 と レー ヨ ン糸 需要

国 内向 け織物 原料 糸 と して用 い られて きた生 糸 に代 替 して,レ ー ヨン糸が新 た に各種 織物 の

領域 で 用途 を拡 大す るため には,価 格 の低 下 を前提 と して,さ らに織 物 自体 の伝統 的 な消 費構

造 に よっ て規定 された原料 糸需 要 に,よ り適 合 的 な製 品の 開発が 必要 不可 欠で あ る。

そ れ まで生糸 を需 要 して きた 国内 の絹織物 産 地 を大 別す れば,① 伝 統 的 に,国 内向 けの特 定

製 品へ 生産 を集 中 させ て きた産 地,② その 時期 の産 地 問の競 争状 況や 織物 の 国内消 費 の動 向に

応 じて,適 宜主 力製 品の 転換 を図っ て きた産地,に 分 け られ よう。前 者 の代 表 的産 地 は,伝 統

的 な高級 絹織 物 や 美術 工 芸品 の生 産 に特 色 がみ られ る西 陣,他 の 製 品領域 へ の応用 範 囲が相 対

的 に は乏 しい服 裏地 ・甲斐 絹 ・洋傘 地 の生 産 に特 化 した南都留 郡,各 種縮緬 へ と生 産 を集 中 さ

せ た丹後,長 浜,岐 阜 な どで あ る。 後 者 を代 表 す るの は,よ り大 衆的 な需 要 に応 じて絹織 物 や

絹綿 交織 を生 産 した桐 生,八 モ子,新 潟県南 ・中蒲 原郡 や,絶 えず粗 製濫造 とい う問題 を抱 え

て いた米 沢,伊 勢 崎,足 利 な どが あげ られ よう、,

この よ うに国 内向 け絹織 物 は産地 自体 が それ ぞれ の特色 を もち,全 体 と して 多種多 様 な絹織

物が 生産 され ていた。 高級 品 か ら 日用 品 を含 む 国内 向 け絹 織物 の場 合 に は,羽 二重 に代表 され

る輸 出 向 け製品 とは異 な り,そ もそ も国内 の消費 構造 自体 も画 一的 な もの では な く,季 節 や嗜

好 に応 じて 多種 多様 な製 品が 開発 ・生 産 されて いた。 したが って,需 要 と され る原料 糸の種 類

や数 量 も,各 産地 ご とに,ま た季節 や流 行 に応 じて異 な り,国 内 向け織 物 の原料 糸市 場 にお い

て は,つ ね に多 品種 少量 の 生糸 が要 求 され て きた⑬])。こう した生 糸 に代 替 して レー ヨ ン糸 が国

内向 け製 品 の原料 糸 と しての用 途 を拡大 してい くに は,画 一的 な レー ヨン糸 の量 産 だけで は な

く,国 内の 各産地 の需 要特 性 に応 じた きめ細 か い原料 糸 の開発 が不 可 欠で あ り,レ ー ヨン糸 の

多様 化が 要請 され よ う。

産 地 ご とにみ れば,レ ー ヨ ン糸 を使 用 す る以 前 の,す なわ ち生 糸 を主 た る原料 糸 と して い た

国内絹 織 物産 地 の うちで,西 陣 の よ うな伝 統 的製 品や 南都留 郡 の よ うな特 定 の織 物領 域 に生産

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1920・30年 代 に おけ る レー ヨ ン糸 の開発 と織 物用途 の拡 大 93

が集 中 した産 地の場 合 に は,レ ー ヨン糸 を使 用 した応 用織 物 の 開発 には容 易 には進 まず,そ の

用 途 は限定 的 であ った。 例 え ば,西 陣 の場 合 に は,1920年 代半 ば に レー ヨン糸 の用 途 はす で

に組紐 や リボ ン等 の装 飾 品か ら,帯 地,さ らには御 召,着 尺 とい った織 物 へ と拡 大 してい たが

Bal,1930年 代 半ば にお い て も人絹 製品 の97%は 依 然 と して帯 地 で あ った倒。 また,南 都留 郡 で

も レー ヨ ン糸 の用 途 は,1936年 で も主 と して国 内 向 けの 甲斐 絹,服 裏 地,洋 傘 地 とい っ た,

光 沢が 商品価 値 を下 げ な い平織 物 での原料 糸 需 要 に限定 され てお り,人 絹織 物 の多 品種化 も進

んで いな いt")。人 絹糸 メー カー の製 品政策 の 基調 が高級 糸生 産 と多様 化 とな る1920年 代半 ば以

降は,輸 出向 け織物 の産 地 の よ うに,人 絹製 品 を含 む広範 な織物 を開発 した他 の国 内産 地 と比

較 して,こ れ らの産 地 の成 長力 は相 対的 に は低Fせ ざる を得 なか ったで あ ろ う。

一方,多 種 多様 な絹織 物 や絹 綿交織 製 品 の開発 によって,主 力 製 品 を適 宜 転換 して きた国 内

向 け織 物 の産 地 に とって も,内 外 の需 要 の停 滞す る1920年 代 は大 きな転換 点 であ っ た。 不況

期 の競争 を回避 し,あ るい は粗 製濫 造 に よって低 下 した産地 の信 用 を回復 す る こ とで,産 地 の

持続 的発 展 を図 る ため に,レ ー ヨン糸へ の原料 糸転 換 を行い,人 絹織 物 の開発 を積極 的 に推進

す る産地 が 出現 す る。産 地 の側 か ら 言えば,他 産地 との競合 が顕 著 な場合 には,よ り大衆 的 な

絹織 物需 要 を開拓 す る ため の新 た な織 物 の開発 が必 須 であ り,ひ い ては その対 応 いか んが 産地

の消 長 にか かわ る。特 に大衆 的 な需 要 を拡 大 させ る ため には,幅 広 い 製品 系列 で の織物 開 発が

必要 で あ り,需 要 され る原 料 糸 もや は り多 品種 少量 にな らざる を得 ない。

さか の ぼ って 国 内向 け絹 織 物 の 製品 開発 につ い てみ てみ る と,1880年 代 末 に各地 で生 産 が

開始 される銘仙 な どは,そ の典型 的 な事例 で あろ う。 大衆的 な需 要 に適合 した製 品 と して 開発

され た銘仙 は,さ らに1910年 代 には本 絹 のみ な らず,絹 綿 交 織 の新 銘 仙 や絹 紡 糸 を利用 した

絹紡 銘仙 等が各 種 開発 され,製 品系 列 も拡大 してい る閏。

1920年 代'1㌧ば以 降の 人 絹織 物 の 開発 も,基 本 的 に は これ と同 じで あ っ て,国 内市場 の新 た

な需 要 を喚 起 し,産 地 の発 展 の重 要 な契 機 とな った。 国 内の絹 織 物 の需 要 も伸 び悩 む1920年

代 初頭 か らの 戦後不 況 期 に は,国 内向 け絹織 物 の競争 も激 し くな り,原 料 糸や 販売市 場 の転換

とい う産 地的対 応 が要 請 され る。 その 点で言 えば,国 内絹織 物 産 地 におけ る新 た な織 物 の 開発

と製 品系 列の 多様化 は,そ れ に続 く レ・一一ヨ ン糸 を応用 した人絹 織物 の 開発 の前 史で あ った と言

え よ つ。

国 内向 け絹 ・絹綿 交織 織 物 の産地 で あ る足 利 の事例 を示せ ば,同 産 地は節 糸織,御 召等 の 多

様 な絹 製 品 を製 織す るな かで,1920年 代前 半に は抜染 大 島 を流行 させ,さ らに1920年 代 半 ば

以 降 は銘仙 の生 産 に よっ て注 目され た。 またそ れ と同時 に,太 糸 の レー ヨ ン糸 を使用 した平織

の綿経 洋傘 地,さ らに綿 人絹 の交織 縮緬,羽 織 裏,兵 児帯,九 寸 な ど多 角 的 な製品 開発が 行 わ

れて い る陶。 人絹 交織 で は平 織 か ら次 第に高 度 な織物 へ と開発 が 進み,1920年 代 半 ばに は,御

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94 経 営 論 集 一 一一

召,紋 御 召,人 絹 壁織 が国 内 向け に生 産 され る ように な った。 さ らに1930年 頃 まで には,錦

紗,シ ャツ地,人 絹着 尺,綿 人絹 交織 の広 幅 物 な どが 開発 され,織 物 が多 品種化 して い る。 ま

た,特 殊 糸 の開発 に よって,そ れ まで レー ヨ ン糸 で は技 術 的 に代 替で きない よ うな国 内向 けの

高級 織物 の原 料糸 と しての用 途 が拡大 した。足 利 にお い ては織物 の多 品種化 と同時 に,マ ルチ

糸 を応用 した双 人絹織物 の錦紗 が開発 され,国 内向 け人絹織 物の主力 と して生産 を急 増 させ だ⑰。

高度 な強撚 織 物 で ある 「足利 錦紗倒」 は,そ れ まで生糸 が使 用 されて きた高級 織物 に対 す る大

衆 的 需要 を も満 たす画 期的 な製 品開発 で あ った と言 え よう。 さらに,輸 出 向け で は,人 絹サ ロ

ン,コ ー ン,サ リー,縮 緬,ネ クタイ地,ニ ュー スパ ン,サ テ ンバ ック,服 地 な ど も開発 され

て お り,1936年 には 「新千 代 田御 召 」が 製織 され,従 来 か らの足利 銘 仙 に も レー ヨ ン糸 が使

用 され る ように な って い る。

こ う した大 衆的織 物 の産 地で あ る足 利 の製 品開発 の過 程 は,ま さ し く原料 糸需 要 の多様 化 と

高度 化 を も らたす もの で あ った。 したが って,高 級 糸生 産 と製 品の 多様 化 とい う人絹 糸 メ ーカ

ー の製 品戦略 は,こ う した国内 向 け織 物 の原 料 糸 需要 に適 合 す る もの で もあ った と言 え よう。

特 に特 殊 糸の 開発 に よって,国 内向 けの高級 織 物へ の レー ヨ ン糸 の 用途 が拡 大す る事例 は,他

に は米 沢 の 「みず ほ絹㈹」,伊 勢 崎 の 「千代 田御 召㈹」 の開発 など に も看取 され る。

また,縮 緬 とい う国 内向 けの特 定製 品 に生産 を集 中 させ た岐阜 の よ うな産 地 に とって も,特

殊 糸 の開発 は,在 来 の縮 緬系統 の 強撚織 物 の原料 と して新 たに レー ヨ ン糸 の需 要 を拡大 させ る。

特 に縮 緬の 場 合に は,撚 糸加 工技術 が 決定 的 な意 味 を もち,容 易 に その製 品領 域 に参 入で きな

い よ うな原 料 糸の需 要特 性が あ った。 その点 か ら考 えれ ば,強 度 の面 で の技術 進 歩 を前 提 とす

る細糸 と特 殊 糸の 開発 は,そ れ まで用途 を拡 大 で きなか った国内 向 けの強撚 織 物原 料 糸 の市場

を 開拓 す る には不 可 欠 でな もので あ り,ま た,そ う した高級 レー ヨン糸生 産 を通 じて糸質 が向

上 した こ とによ って,国 内向 けか ら輸 出向 け製品,大 衆 的織 物か ら高級 織物 に至 る まで,多 種

多 様 な製 品領域 で レー ヨン糸 が応用 され,生 糸 に代 替 しうる ように なっ たので あ る。

5.結 語

1920・30年 代 にお け る人絹 糸 メー カー の成 長,ひ い て は 日本 レー ヨ ン工 業 の発 展 は,織 維

産 業の発 展 史 か らみ て,国 内 ばか りで な く国 際的 に も注 目すべ き事柄 であ る。 この 間,人 絹 糸

メー カーが供 給 した レー ヨン糸は,国 内の織物 産 地 で多種 多様 な人絹製 品 に製 織 され,朝 鮮 ・

中国 とい った東 ア ジア は もと よ り,東 南 ア ジア,イ ン ド,オ ース トラ リア,ア フ リカ,ヨ ー ロ

ッパ,北 アメ リカ,南 アメ リカ とい う全 世界 に市場 を拡 大 した。

この過程 は,一 見,1930年 代 の為 替低 落 と原 料 糸 の量 産 に もとず く,国 産 人絹 製 品 の国 際

市場 にお ける価格 競争 力 向.ヒの過程 の よ うに見 える。 しか しなが ら,本 稿 の考 察か らは,単 純

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1920・30年 代 に おけ る レー ヨン糸の 開発 と織 物用 途 の拡大 一 一 95

な 〈 レー ヨン糸の 量産… コス トの低 下 ・糸価 の低 下 一→織 物原 半]コス トの低 下+人 絹 製品価 格 の

低 下 〉とい う価 格 要 因だ けで は説 明 し得 ない主体 的 要 因が,こ の 過程 を支 えてい た こ とは明 ら

かで あ る。人 絹糸 メー カーの,細 糸 化 ・特殊 糸 の 開発,製 品 ライ ンの多様 化 とい うダイナ ミッ

クな製品 戦略 とそ れ と不可 避 的 に結 び つい た非価 格 要 因,言 い換 え れば製 品 要因が,メ ー カー

の企業 成 長 とH本 レー ヨン工 業の発 展,さ らには川 下 を含め た 「人絹 産 業」 の発展 の鍵 を握 っ

てい たの であ る。

1920年 代 半 ば以 降 にお け る人 絹 糸 メー カ ーの 高級 糸(細 糸 ・特 殊 糸)生 産 と製品 ラ イ ンの

多様化 とい う製品 戦略 は,国 内織 物 産地 におけ る レー ヨ ン糸 需要 の 多様 化 と高度 な織 物領 域 で

の原料 糸 需要 の拡 大 とい う販 売 市場 の変 化 に対 応 す る もので あ った、,

特 に注 意すべ きは,在 来 の織物 産 地の そ れ までの製 品 開発 の延 長上 に人絹 織物 が 開発 され る,

とい う連続 性 の上 で,国 産 レー ヨン糸 の用途 が拡 大 した ことであ る。 国内 の織 物原料 糸市 場 に

おい て競合 す る生 糸 に代 替 し,レ ー ヨ ン糸が 新 た な市場 を開拓 してい く上 で は,人 絹 糸 メー カ

ーは,量 産 低価 格化 を前 提 と しなが ら も,地 理的 に拡 大 した輸 移 出 市場 や伝 統 的 な織 物消 費 の

パ ター ンに規定 された 国 内織 物 産地 の原料 糸 需要 によ り適合 的な レー ヨン糸 を開発 し,供 給 さ

れね ば な らな い。 加 え て,1920年 代 の不 況 期 に 国内 織物 産 地 は,市 場 の内外 を問 わず 製 品 の

多 品種 化 を図 ッて い た。 し'たが っ て,レ ー ヨン糸 の需 要 を伸 ばす ため に は,画 一・的 な レー ヨ ン

糸 の量 産 だけ では な く,レ ー ヨ ン糸 口体 の多 品種化 が必 要 となる。

さ らに国 内産 地 で は1930年 代 には それ まで 参 入 で き なか った 高度 な織 物 領域 で も レー ヨン

糸 を応 用 し,内 外 の需 要 も拡 大 させ よう と してい た。1930年 代 の 人絹 糸 メー カー の製 品 政策

に高度化 と多様 化 い う基 調が 認 め られ るの も,国 内産 地が よ り大衆 的 な人絹 製 品 と同時 に,内

外 向 け に レー ヨン糸 を使 用 した強撚織 物 ・縮緬 の 開発 を進 め た こ とに対 応す るため であ った と

考 えて よい。

したが っ て,人 絹 糸 メー カ … は,川 ドの織物 産 地 と結 び つい た量 産低 価 格化,製 品 多様 化,

製 品高級 化 の3つ を 同時 に達成 す る製 品政 策 を志 向 し,深 化 しつつ あ る原料 糸 需要 に応 じうる

よ うな,市 場 に対 す る弾 力 的 ・適 応 的 な製 品戦 略 を採 用 したの で あ る。1920年 代半 ば以 降 の

人絹 糸 メ ーカ ーの成 長 は,ま さ し くレー ヨン糸の 「高度 化」 とい う にふ さわ しい革新 的 な製品

戦 略 ・製 品 開発 に よる もの で あ った 。 「人絹 産業 」 の短 期 間 での 急速 な発展 と国 際競 争 力 は,

この 「高度化1に 集 約 され る よ うな人 絹 糸 メー カーの 主体 的 な製品 戦略 ・製 品 開発 と産地 にお

け る人絹 織物 の 開発 とが結 び つ いて は じめて実 現 した のであ る。

(1)表1に よれ ば,レ ー ヨン糸 自体 の輸 出も この 問激増 して いるが,む しろ 日本の レーーヨンユ:業の特徴 は,原

料 と しての レー ヨン糸 を国内識物 産地へ供 給 し,よ り付 加価値 の高 い人絹製 品の輸ll}.}を通 じて外 貨獲得 に貢

献す る点 にあ る。 その点 で,原 料 糸生産者(レ ー ヨン工 業,人 絹糸 メーカ ー)と 繊維 鮎 冒1生産 者(人 絹織 物

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96 一 一 経 営 論 集

業,織 物 メー カー ・人絹織物 産地)か ら成 り立つ 「人絹産業 」 と して発展 して い くのであ り,半 製 品の生 糸

を輸出 し外 貨 を獲得 してい く製糸業 との大 きな相 違 となってい る。

(2)レ ー ヨ ン糸 の用 途拡 大 と国内織 物 産地 の動 向 につい ては,『 日本繊 維 産業 史」 各論 編(繊 維 年鑑 刊行会,

1958年),揖 西光速編 『現代}i水 産業発達 史XI繊 維 ・U(交 誼社 出版局,1964年),『 日本化学 繊維 産業Q』

(H本 化学繊維 協会,1974年,〈 第1篇,山 崎広明氏 執筆 〉),山 崎広 明 『日本化 繊産 業発達史論 」(東 京大学

出版 会,1975年)を 参 照。

(3)前 掲 『日本繊 維産業 史▲ 各論 編,413頁 。

{4)前 掲 『H本 化学繊維 産業史』,31頁,第10表 に よる。

(5)IL[崎 前掲書,251頁,第81表 。

(6)前 掲 『日本 化学繊維 産業 史」,31頁,第10表 に よる。

〔7)『 東 レ70年 社史』(同 社,1997年),84頁 。

(8)同h,71~72頁,91頁o

(9)『レー ヨン部史』(旭 化成工 業株式 会社延 岡:L場 レー ヨン部,1951年).77頁 。

㈹1937年 の レー ヨン糸 生産 量は,右 の 付 表 人絹糸 メーカー各社 の生産量(1937年}

付 表の通 りで あ り,東 京 ・三 重 と上位(単 位:百 ポン ド)

6社 との量 的 な格差 は明 白であ る。

働 衣食 住 にか かわ る伝統 的消 費類 型 の

強 固 さにつ い ては,正 田健 ・一'郎r日 本

におけ る近代 社会 の成 立」 中 巻(三 嶺

書房,1992年),301~308頁 を参照 。

(L2)例 えば,r絹 新製 品原料 生産方 策座談

会 要紀 』(日 本 中央 蚕糸 会,1934年,

35頁)に よれば,「 人造 絹糸 が 申上 げ

る まで もな く,マ ル チ フィ ラメ ン トに

継 馬 灘 ㌫ 蕊 語 頭 ・・本欄 … 和・3・版・・◎2昆め又水 に対 して も段 々 に改良 に改良 を加へ て逐次水 に対 して も丈夫 になつ て来て居 る ような今nで あ りまし

て,此 人造 絹糸 を以 て織 られ る処の 内地の羽 二重 が次 か ら次へ と出来 て参っ て居 ります。 処が此厚 地の 重い

日付 けの人 な る処 の内地 向の羽 二重 は,今 日では ベ ンベ ルグ とか或は艶 消の 旭,丸 新 と云 った風 な もの で間

に合ふ よ うなことにな りつ ・あ るのであ り ます」 と報 告 され ている。

(13)以1の 数値 は.前 掲 『「|本化学繊 維産業 史』,102頁,第2表 に よる。

(14)『 帝 人のあ ゆみ』3,(同 社,1969年)44頁 。

個 帝 人の特 約店制 度に関 しては,山 崎前掲書,82~85,205~208頁 を参照。

⑯ 「西 陣の織 物業者 が広 島工場 に きて,糸 の艶 を弱 くで きない か と,依 頼 したこ と もあ った。機 業家は織 物

に してか ら,こ れを加.[し て艶 を消す こ とを二L夫した りもした1(『 道 をひ らく一 帝 人50年 の あゆみ』,同 社,

1968年,90頁)。

(17)1∫1山奇前掲 書,253頁,第83表o

(18)前 掲fレ 一一ヨ ン`1|1史』,78頁 。

(19)山 崎前掲 書,252頁 。

?O)前 掲rレ ー"ヨン部史』,41頁 。

②)ベ ンベル グ糸の用 途 につい て桐 生 の事例 を示せ ば,第 一次 世界 大戦 の戦後賠償 物資 として ドイツか ら大量

のベ ンベル グ糸が入 って きたが,当 時 は細 糸 のため に使 い道 が な く,桐 生で は輸出向 けの広幅 織物(ベ ンベ

ル グジ ョーゼ ッ ト)に 応用 して 人気 を博 した と され る。旭 に よる国産ベ ンベ ルグ糸 は段 ム ラがで きるな ど品

質 ヒの改善が必 要 とされ たが,強 撚 をかけ 白地の ジ ョーゼ ッ トを用 いて,そ の売 れ行 きは好調 だ った と言 わ

れてい る(安 田丈 一一・『きものの歴史」繊 研新聞 社,1972年,332~333頁)。

㈱ 前掲 『東 レ70年 史1,76頁 。 なお,こ う して試作 されたマ ルチ糸 は当時 は市販性 が な く,特 殊 糸 の研究 は

その後 しば らく中断 した とい う。

帝人 454,616 17.7%

東 レ 372,112 14.5%

日 レ 287,041 11.2%

倉絹 272,097 10.6%

旭 259,922 10.1%

東洋紡 222,499 8.7%

東京 116,636 4.6%

三重 20,757 0.8%

その他 555,676 2L7%

合計一 ■

2,561,356 100.0%

Page 20: 1920・30年代におけるレーヨン糸の開発と織物用途の URL DOI...経 営 論 集 45巻2,3,4合 併号 1998年3H 1920・30年 代におけるレーヨン糸の開発と

1920・30年 代 にお け る レー ヨ ン糸 の開発 と織 物 用 途 の拡 大 97

閻 以 上の東 レの製品開発 につい ては,『 東 レ50年 史』,17頁 に よる。

㈱ 東 洋紡の場 合 も,150D・120Dが 標準品 であ り,艶 消糸 く金鶏 〉の開発 が先行 し,マ ルチ糸 がそ れに続 き,

こ うした特殊糸 が半 ば を占める よ うにな った とされ る(『 百 年史i上,東 洋紡績株 式会社 ,1986年,321頁)。

⑳ 『織物 及莫大小 に関す る調査』(農 商務 省,1925年),250~251頁 。

㈲ 福 井 にお いては,1921年 にス ニア祉の レーヨ ン糸 を使用 した縞 人絹のhl枚 嬬 子の 開発 に成功 し,中 国 に輸

出 し,以 降,緯 糸に輸 入人絹糸 を用 いた交織 の綿人絹 ポ プ リン(1922年),ド ビー紋 織物(1922年),さ らに

強撚織物 にも人絹糸 を応 用 し,緯 人絹縮 緬(1923年),緯 人絹 ボ イル(正924年)が 開発 された(『 大n本 織物

二六 〇〇年史』,日 本織物 新聞社,1940年,302,303頁)。

助 「朝鮮 で人絹織物 が 市場 に散 見 し出 したの は大 正一卜四年 春頃 の事であ ろ う。 最初は桐 生か ら文明錦 と称 し,

経糸絹 緯糸 人絹の紋織 物 が移入 され続 いて秋 に至 り同 じ交織 物 で高配織 が這 入 り非 常 な勢い で流行 し,忽 に

してポプ リン等の高級 加 工綿 布 を圧倒 し,大 正1'四 年だけ で一ーー一:七吋一五 砺物 が約 二〇万 反,価 額 に して ト七

万円余移 入 した」(「朝 鮮 に於 け る人絹織物 」 『帝 人 タイム ス▲122号,1936年,4頁)。

⑳ 福井 では,輸 出向 け双 人絹織 物 の生産額 は,1927年 には1,930,543円(輸 出向 け人絹織物 生産 総額の51%,

以下 同様)で あ ったが,1930年25,190,820円(97%),1933年47,486,286Pj(9396),1936年71,887,437円

(89%),と な ってい る(『 人絹年鑑』UI3和12年 版,同 盟通 信社,1937年,178~179頁)。

⑲ 前掲r人 絹年鑑』 昭和12年 版,176頁 。

陶 「北陸便 り」(『帝 人 タイムス」115号,1936年),48頁 。

(31)国 内絹 織物 業の原料 糸市場 にお いて,レ ー ヨ ン糸 と競合 した生 糸の 国内市場 の規模 とその推 移,な らびに

その意義 については,拙 稿 「戦 前期 日本 の生糸 国内 市場」(『経営 史学』第29巻 第4号)で 論 じた。

B2)山 崎 前掲 書,70,72~73頁 。

㈹1936年 の人絹製品の 生産点数 は3,284,494点 であ り,そ の う ち各 種帯 地 は3,185,671点 を 占めてお り,そ の内

訳 は双 人絹1,606,171点,絹 人絹 交織1,102,658点,綿 人絹 交織476,842点 となって いる(前 掲 『人絹年鑑 」昭

和12年 版,213~216頁)。

倒)前 掲 「人絹年鑑1昭 和13年 版,150-・-151頁 。 なお,1936年 の全織 物生産 額12,979.568円 の うち,純 絹 製品

は8,571,132円(国 内向 けが7,609,751円),人 絹製 品は4,191,4721]](国 内向 けが3,295,785円)で あ った。

Bs)銘 仙産地 の動 向につ いて は,『 銘仙大観 』(昭 和織物 新聞社 出版部,1993年),36~37頁 を参照。

B6)「 足利人絹織 物の発展 と将来」(『帝人 タイムス」118号,1936年),12頁 。

㈱ 前掲 『大 日本織物二六 〇〇年 史』,221頁 。

㈱ 足 利錦紗 の原料糸 では,普 通糸使 用が組合 に よって禁止 されて お り,120Dマ ルチが用 い られた(前 掲 「足

利 人絹織物 の発 展 と将来」,13頁)。

B9)『 帝人の あゆみ」2,(同 社,1968年),50~51頁 。

㈹ 前掲 『人絹年 鑑」昭和i2年 版,204頁.