1971 昭和46年度 大学・学園 年譜 4月 4月 4月 4月 5月 8月 10月 11月 3月...

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1971 昭和46年度 大学・学園 年譜 4月 4月 4月 4月 5月 8月 10月 11月 3月 大学院文学研究科心理学専攻修士課程を 設置。大学院商学研究科商学専攻に博士課 程を増設 入学式。4学部1996名、院生10名 体育学部が豊田校地へ移転、「名古屋―豊 田」キャンパス間スクールバス運行開始 第2代父兄会会長に井上栄済氏就任 社会科学研究所の『中京社研』創刊 同窓生1万人を超え、同窓会東京支部、三重 支部が発足 大衆団交をめぐり左右両派の学生が衝突 第18回大学祭、テーマは「炎」 卒業式。4学部1778名、院生3名 〈文化会〉フォークソング同好会、日本文化 研究同好会発足 6月 7月 7月 8月 10月 12月 1月 2月 2月 8月 10月 12月 2月 沖縄返還協定調印(17日) 東亜国内航空機「ばんだい」号遭難、68人全員 死亡(3日) 岩手・雫石上空で全日空機と自衛隊機が衝 突、乗客ら162人全員死亡(30日) 1ドル=360円時代終わる。暫定的変動相場制 へ(28日) NHK総合テレビ、全カラー化(10日) 名古屋の地下鉄2号線全線開通(20日) グアム島で海部郡佐織村(現 愛西市)出身の横 井庄一元軍曹を救出(24日) 札幌五輪冬季大会(3~13日)、70㍍級スキー ジャンプで日の丸3本 連合赤軍、軽井沢「あさま山荘」で警官隊と銃 撃戦。犯人5人逮捕、人質救出(28日) ドル・ショック。ニクソン米大統領、金とドルの 交換一時停止を発表(15日)、東京株式大暴落 (16日) 国連総会、中国の国連復帰を決定、台湾追放 を可決(25日) インド・パキスタン全面戦争に突入(3日) ニクソン米大統領、中国訪問(21~27日) 体育学部が豊田移転 梅村清明学長が勇退 大学院の充実が進められ、商学研究科商学 専攻に博士課程を増設、文学研究科心理学専 攻に修士過程が設置された。以降、年を追って 文学、体育学、法学研究科に修士課程が設置 され、順次博士課程も増設された。 体育学部が豊田に移転したこの年、年度末 をもって、中京大学の開学以来、18年間にわ たって学長を務めた梅村清明が任期満了で退 任した。学長と学園理事長を兼ね、「建学の精 神」を鼓舞するとともに、強いリーダシップを発 揮して、商科だけの短期大学から出発した本 学を、4学部9学科、学生数6500名の総合大 学へと発展させた。梅村学長の声望は高く、再 任を期待する意見も多かったが、本人の固辞 による勇退となった。 1972 (昭和47) 年2月、学長選任規程による 最初の学長選挙が実施され、商学部の小山福 松 教 授 が 当 選した。梅 村 学 長は学長退任後も、引き続き 学園理事長として学園の経 営に携わった。 ■ 八事の市電停車場 市電の八事電停が、三差路の引き込み線から国道 153号線の通りに移された。現 サーウィンストンホテ ルの前である。 警察官立ち入り許可証 全国で大学紛争の嵐が吹き荒れ、中京大学も例外 ではなかった。警官隊がキャンパスに入る事態は免れ たが、不測の事態に備え、大学は「警察官立ち入り許 可証」を用意していた。 国内海外名古屋中京大学1 2 3 4 5 6 7 8 9 体育学部が移転し、初の入学式が行われた豊田キャンパス 正門(手前が3号館、奥が4号館) 完成した豊田第1体育館 豊田野球場グラウンドから、前年完成した「青雲寮」(クラブハ ウス)を望む 『文化会史』創刊。開学から1971年までを掲載 1968年の「3冠」に続き、卓球の全日本、学生、アジア、世界 選手権の「4冠」を達成した小和田敏子選手(体育・1970年 卒)。写真は、4月の世界選手権名古屋大会 作家・佐藤愛子さんを招いて開かれた第2回芸文・学術合同 文化講演会 大学祭の市中パレード 世界6大陸のトップアスリートに贈られた盾。ハンマー投げ・室 伏重信選手が授与された 豊田市民に成果を披露する第6回体育会公開演技 第40回日本学生陸上競技対校選手権・女子砲丸投げで、大 会新で優勝した林香代子選手(体育1)。卒業まで4連勝 軟式庭球部が男女アベック優勝 ①全日本大学軟式庭球 選手権で木口利充(商3)・横江忠志(商3)組が男子ダブル ス初優勝 ②全日本学生選抜インドア大会で仲野早苗(文・ 1971年卒)・萩原久美子(体育・1971年卒)組が女子ダブル ス優勝 体育学部有志のフォークグループが豊田市内の「名曲堂」で 店頭ライブ できごと あのころ 9 7 8 1 2 3 6 5 4 48 49

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1971昭和46年度

大学・学園 年譜

4 月

4 月4 月

4 月5 月8 月

10月11月3 月

大学院文学研究科心理学専攻修士課程を設置。大学院商学研究科商学専攻に博士課程を増設入学式。4学部1996名、院生10名体育学部が豊田校地へ移転、「名古屋―豊田」キャンパス間スクールバス運行開始第2代父兄会会長に井上栄済氏就任社会科学研究所の『中京社研』創刊同窓生1万人を超え、同窓会東京支部、三重支部が発足大衆団交をめぐり左右両派の学生が衝突第18回大学祭、テーマは「炎」卒業式。4学部1778名、院生3名〈文化会〉フォークソング同好会、日本文化研究同好会発足

6月7月

7月

8月

10月12月1月

2月

2月

8月

10月

12月2月

沖縄返還協定調印(17日)東亜国内航空機「ばんだい」号遭難、68人全員死亡(3日)岩手・雫石上空で全日空機と自衛隊機が衝突、乗客ら162人全員死亡(30日)1ドル=360円時代終わる。暫定的変動相場制へ(28日)NHK総合テレビ、全カラー化(10日)名古屋の地下鉄2号線全線開通(20日)グアム島で海部郡佐織村(現愛西市)出身の横井庄一元軍曹を救出(24日)札幌五輪冬季大会(3~13日)、70㍍級スキージャンプで日の丸3本連合赤軍、軽井沢「あさま山荘」で警官隊と銃撃戦。犯人5人逮捕、人質救出(28日)

ドル・ショック。ニクソン米大統領、金とドルの交換一時停止を発表(15日)、東京株式大暴落(16日)国連総会、中国の国連復帰を決定、台湾追放を可決(25日)インド・パキスタン全面戦争に突入(3日)ニクソン米大統領、中国訪問(21~27日)

体育学部が豊田移転梅村清明学長が勇退

 大学院の充実が進められ、商学研究科商学専攻に博士課程を増設、文学研究科心理学専攻に修士過程が設置された。以降、年を追って文学、体育学、法学研究科に修士課程が設置され、順次博士課程も増設された。 体育学部が豊田に移転したこの年、年度末をもって、中京大学の開学以来、18年間にわたって学長を務めた梅村清明が任期満了で退任した。学長と学園理事長を兼ね、「建学の精神」を鼓舞するとともに、強いリーダシップを発揮して、商科だけの短期大学から出発した本学を、4学部9学科、学生数6500名の総合大学へと発展させた。梅村学長の声望は高く、再任を期待する意見も多かったが、本人の固辞による勇退となった。 1972(昭和47)年2月、学長選任規程による最初の学長選挙が実施され、商学部の小山福松教授が当選した。梅村学長は学長退任後も、引き続き学園理事長として学園の経営に携わった。

■ 八事の市電停車場 市電の八事電停が、三差路の引き込み線から国道153号線の通りに移された。現サーウィンストンホテルの前である。

■ 警察官立ち入り許可証 全国で大学紛争の嵐が吹き荒れ、中京大学も例外ではなかった。警官隊がキャンパスに入る事態は免れたが、不測の事態に備え、大学は「警察官立ち入り許可証」を用意していた。

【国内】

【海外】

【名古屋】

【中京大学】

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体育学部が移転し、初の入学式が行われた豊田キャンパス 正門(手前が3号館、奥が4号館)完成した豊田第1体育館豊田野球場グラウンドから、前年完成した「青雲寮」(クラブハウス)を望む

『文化会史』創刊。開学から1971年までを掲載1968年の「3冠」に続き、卓球の全日本、学生、アジア、世界選手権の「4冠」を達成した小和田敏子選手(体育・1970年卒)。写真は、4月の世界選手権名古屋大会作家・佐藤愛子さんを招いて開かれた第2回芸文・学術合同文化講演会大学祭の市中パレード世界6大陸のトップアスリートに贈られた盾。ハンマー投げ・室伏重信選手が授与された豊田市民に成果を披露する第6回体育会公開演技第40回日本学生陸上競技対校選手権・女子砲丸投げで、大会新で優勝した林香代子選手(体育1)。卒業まで4連勝軟式庭球部が男女アベック優勝 ①全日本大学軟式庭球選手権で木口利充(商3)・横江忠志(商3)組が男子ダブルス初優勝 ②全日本学生選抜インドア大会で仲野早苗(文・1971年卒)・萩原久美子(体育・1971年卒)組が女子ダブルス優勝体育学部有志のフォークグループが豊田市内の「名曲堂」で店頭ライブ

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