2008年の経済危機後の日系外国人および外国人集住地域 をめぐる研究...

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1 .はじめに 2008年に発生した経済危機(リーマン・ショック)によって、日本でも深刻 な景気の後退が生じた。完全失業率は経済危機前の20087 月には4.0%であっ たが、 1 年後の20097 月には5.9%にまで上昇し、労働市場に深刻な影響を 及ぼすことになったのである。経済危機による雇用情勢の悪化は、日本で就労 する外国人労働者にも波及することになり、多くの外国人労働者、とりわけ製 造業で就労している日系外国人が職を失い、帰国を余儀なくされることになっ た。また、2009年度以降、厚生労働省によって実施された「日系人離職者に対 する帰国支援事業」も日系外国人の帰国に拍車をかけることになった。 このように、経済危機(リーマン・ショック)を契機として日系外国人の帰 国が進んだ結果、日系外国人が地域社会において営む生活の問題、つまり地域 社会における居住のあり方や、日本人住民と外国人住民との共生の問題に対す る関心が急速に失われているように思われる。実際、日系外国人の大部分を占 める「ブラジル人」を扱った新聞記事の数は2010年以降大きく減少しており、「ブ ラジル人」に対する社会的な関心が低下傾向にあることを示している(図表 1 )。 また、「ブラジル人」を扱った論文数に関しても、2009年以降減少傾向にあり、 学術的にも「ブラジル人」に対する関心は徐々に弱まっていることがうかがえ 1 2008年の経済危機後の日系外国人および外国人集住地域 をめぐる研究の動向 濱 田 国 佑 Kunisuke Hamada Research Trend of Nikkei Immigrants and Areas of High-density of Foreign Population after Global Financial Crisis of 2008 151 駒澤社会学研究 48号 2016年

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1 .はじめに

2008年に発生した経済危機(リーマン・ショック)によって、日本でも深刻

な景気の後退が生じた。完全失業率は経済危機前の2008年 7月には4.0%であっ

たが、 1年後の2009年 7月には5.9%にまで上昇し、労働市場に深刻な影響を

及ぼすことになったのである。経済危機による雇用情勢の悪化は、日本で就労

する外国人労働者にも波及することになり、多くの外国人労働者、とりわけ製

造業で就労している日系外国人が職を失い、帰国を余儀なくされることになっ

た。また、2009年度以降、厚生労働省によって実施された「日系人離職者に対

する帰国支援事業」も日系外国人の帰国に拍車をかけることになった。

このように、経済危機(リーマン・ショック)を契機として日系外国人の帰

国が進んだ結果、日系外国人が地域社会において営む生活の問題、つまり地域

社会における居住のあり方や、日本人住民と外国人住民との共生の問題に対す

る関心が急速に失われているように思われる。実際、日系外国人の大部分を占

める「ブラジル人」を扱った新聞記事の数は2010年以降大きく減少しており、「ブ

ラジル人」に対する社会的な関心が低下傾向にあることを示している(図表 1)。

また、「ブラジル人」を扱った論文数に関しても、2009年以降減少傾向にあり、

学術的にも「ブラジル人」に対する関心は徐々に弱まっていることがうかがえ

る 1)。

2008年の経済危機後の日系外国人および外国人集住地域をめぐる研究の動向

濱 田 国 佑Kunisuke Hamada

Research Trend of Nikkei Immigrants and Areas of High-density of

Foreign Population after Global Financial Crisis of 2008

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ブラジル人をはじめとする日系外国人は、2009年以降その数を減らしている

とはいえ、日本において引き続き居住を続ける日系外国人の数は決して少なく

ない。また、日系外国人の集住にともなって、これまで行政、地域住民あるい

は研究者から指摘されてきた「問題」が解決されたわけでもない。

本論文では、2008年の経済危機(リーマン・ショック)以降、ブラジル人を

はじめとする日系外国人に関する研究がどのような状況にあるのか、とりわけ

外国人集住地域における「問題」がどのように取り上げられているのか、とい

う点を明らかにしていくことにしたい。

2 .日系外国人増加の経緯

2008年の経済危機(リーマン・ショック)以後の日系外国人および外国人集

住地域に関する研究の動向について言及する前に、以下ではまず、1990年代以

図表 1 「ブラジル人」という語を含む新聞記事および論文数の推移

年 ブラジル人 ブラジル人新聞記事 論文

1990 57 01991 124 31992 196 41993 133 51994 169 211995 145 81996 162 141997 256 211998 319 301999 236 322000 238 322001 338 362002 351 522003 289 582004 295 442005 371 452006 430 842007 418 582008 605 712009 701 952010 386 702011 221 552012 217 462013 227 472014 264 30

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降の日系外国人増加の経緯について触れておくことにしよう。

1990年代以降、日本における在留外国人数は急激に増加することになった。

日本に在留する外国人は1990年時点において約108万人であったが、2014年末

には約212万人にまで増加している。

こうした日本における在留外国人数の増加に大きな影響を与えたのが、1990

年の入管法(出入国管理及び難民認定法)の改正である。この法改正により新

たに「定住者」が在留資格として設けられることになったのである 2)。これは「法

務大臣が特別な理由を考慮し一定の在留期間を指定して居住を認める者」に対

して付与される在留資格であり、「日本人の子として出生した者の実子」ある

いは「日本人の子として出生した者でかつて日本国民として本邦に本籍を有し

たことがあるものの実子の実子」がこの資格に該当すると法務大臣による告示

(平成 2年法務省告示第132号)によって定められている。つまり、この告示に

よって、外国籍を持つ日系三世(日本人もしくはかつて日本人であった人の孫)

が「定住者」資格の対象であると定められているのである。

その結果、日系人を数多く抱える国から、就労の機会を求めて来日する外国

人の数が急激に増加することになった。なかでも、世界最大の日系コミュニティ

を抱えるブラジルからは「定住者」資格を利用して多くの人々が来日した。日

本に在留するブラジル人の数は、1989年の段階では 1万4,000人程度に過ぎな

かったが、1991年に10万人、1996年には20万人を突破するなど、急激な増加傾

向を示した。その後、2000年代になって増加の傾向はやや鈍化したものの、最

盛期の2007年には日本に在留するブラジル人の数は約31万7,000人に達するこ

とになった。

「定住者」という在留資格は、日本における「活動」に基づく在留資格では

なく、「身分または地位」に基づく在留資格である。「活動」に基づく在留資格

の場合、日本における就労は、各在留資格に定められた範囲内のみに制限され

る。一方、「身分または地位」に基づく在留資格の場合、日本における活動に

制限がなく自由に就労することが可能であり、どのような職業にも就くことが

できる。日本政府は非熟練労働などのいわゆる「単純労働」を目的とした外国

人労働者の入国を認めてこなかったが、1990年の入管法改正により、日系外国

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人に限ってはいわゆる「単純労働」を目的とした来日・就労が可能となったの

である。その結果、入管法の改正後ほどなくして、来日に関する手続きや就労

あっせんを行う仲介業者を利用して、来日・就労するルートが確立されること

になった。「定住者」資格によって来日した外国人は、人材派遣を行う業者のあっ

せんにより、主に製造業の現場で就労することになったのである。

このように、ブラジル人をはじめとする日系外国人が製造業で就労する傾向を

強めた結果、居住の形態も、他の国籍の外国人は異なる独自性を持つことになった。

たとえば中国籍の外国人の場合、東京を中心とした首都圏に居住する傾向が強い。

図表 2を見ると、日本に在留する中国籍の 5人に 1人以上が東京都に居住してい

ることがわかる。一方、ブラジル国籍の外国人は愛知県、静岡県、群馬県など製

造業が盛んな地域に居住する傾向が顕著にみられる。日本の総人口で見た場合、

愛知県および静岡県に居住する人の割合は合わせて10%にも満たないのに対し、

ブラジル国籍の外国人は 4割以上が愛知県および静岡県に居住しているのである。

図表 2 国籍別の都道府県別人口構成比中国 ブラジル 総人口 中国 ブラジル 総人口

北海道 1.4% 0.1% 4.4% 滋賀 0.8% 4.5% 1.1%青森 0.3% 0.0% 1.1% 京都 1.8% 0.2% 2.1%岩手 0.5% 0.2% 1.1% 大阪 7.6% 1.4% 6.9%宮城 1.2% 0.1% 1.8% 兵庫 3.9% 1.1% 4.4%秋田 0.4% 0.0% 0.9% 奈良 0.5% 0.3% 1.1%山形 0.6% 0.1% 1.0% 和歌山 0.2% 0.0% 0.8%福島 0.9% 0.2% 1.6% 鳥取 0.4% 0.0% 0.5%茨城 2.3% 3.6% 2.3% 島根 0.4% 0.4% 0.6%栃木 1.3% 2.7% 1.6% 岡山 1.5% 0.6% 1.5%群馬 1.2% 5.4% 1.6% 広島 2.3% 1.4% 2.3%埼玉 6.5% 4.4% 5.5% 山口 0.6% 0.1% 1.2%千葉 6.1% 1.9% 4.7% 徳島 0.6% 0.0% 0.6%東京 21.9% 1.4% 9.8% 香川 0.8% 0.1% 0.8%神奈川 7.7% 4.5% 6.9% 愛媛 0.9% 0.1% 1.1%新潟 0.9% 0.3% 1.9% 高知 0.2% 0.0% 0.6%富山 1.0% 1.4% 0.9% 福岡 3.0% 0.1% 4.0%石川 0.8% 0.5% 0.9% 佐賀 0.3% 0.0% 0.7%福井 0.8% 1.0% 0.6% 長崎 0.7% 0.0% 1.2%山梨 0.6% 1.6% 0.7% 熊本 0.8% 0.0% 1.4%長野 1.7% 5.0% 1.7% 大分 0.6% 0.0% 0.9%岐阜 2.8% 6.6% 1.6% 宮崎 0.3% 0.0% 0.9%静岡 2.1% 16.4% 3.0% 鹿児島 0.4% 0.0% 1.4%愛知 6.9% 25.4% 5.7% 沖縄 0.3% 0.1% 1.1%三重 1.5% 6.9% 1.5% 合計 100.0% 100.0% 100.0%

※2007年の在留外国人統計および2005年の国勢調査データより作成

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3 .外国人集住「問題」の発生

以上で見たように、1990年以降、主に「定住者」資格によって来日した日系

外国人が特定の地域に集住する傾向を強めた結果、集住が進んだ地方工業都市

では、さまざまな「問題」が地方自治体や地域住民によって発見されることに

なった。1980年代にも東京都豊島区などにおいてアジア系の外国人の集住が見

られたことはあったものの、これらはあくまでも、地域住民相互の関係が少な

く、匿名性が高い大都市部における集住であった。1990年代以降の日系外国人

の場合、地方工業都市において集住が進んだことがそれ以前と異なる大きな特

徴であった。その結果、地域における「問題」もより顕在化しやすい状況が生

み出されたと言える。また、地方都市であるがゆえに「問題」に対応するリソー

スも不足している状況にあった。

このような状況の中、外国人集住都市における「問題」は、地域社会が解決

すべき課題であるとの認識が徐々に共有されるようになっていった。2001年に

は外国人の集住が特に進んでいた13の地方自治体により「外国人集住都市会議」

が設立され、各都市における集住の状況に関する情報交換、および政策提言を

行うための会議が開かれるようになっている。また、その設立趣旨には「外国

人住民に係わる施策や活動状況に関する情報交換を行うなかで、地域で顕在化

しつつある様々な問題の解決に積極的に取り組んでいく」と記載されており、

外国人の集住に伴うさまざまな「問題」の解決が図られるべきという認識が共

有されていたと言えるだろう。

こうした日系外国人の急激な増加とそれに伴う外国人の集住という「問題」

は、学問的にも非常に重要なテーマだと考えられてきた。社会学では、1990年

代以降の日系外国人の急激な増加を扱う研究、あるいは外国人集住地域に関す

る研究が、これまでに数多く行われている。たとえば、「出稼ぎ外国人」の実

態を包括的に調査した渡辺(渡辺編 1995)による先駆的な研究や広田(広田

1997)による日系南米人のエスニック・コミュニティを対象にした研究のほか、

2000年代に入ると、鐘ヶ江(鐘ヶ江編 2001)、池上(池上編 2001)、小内・酒

井(小内・酒井編 2001)らによって、立て続けに日系外国人および外国人集

住地域を対象にした研究が発表されている。

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この時期の研究において大きなテーマとなっていたのが、1990年以降新たに

来日した日系外国人の「定住」と、それによって顕在化した地域社会やコミュ

ニティの「問題」であった。渡辺(渡辺編 1995)による研究では、日系外国

人を「出稼ぎ」として捉える傾向が見られるものの、同じ1995年には、駒井ら

によって外国人の「定住化」をタイトルにした著作が発表されている(駒井編

1995)。また、2001年に発表された 3件の研究では、いずれも日系外国人の滞

在の長期化と「定住化」が進んでいるとの見方が強く打ちだされている。

実際、1990年代に「定住者」資格によって来日した日系外国人は、2000年代

以降、「定住者」から「永住者」に在留資格を切り替える動きを見せ始めてい

た(図表 3)。「定住者」資格の場合、在留期間は最長 5年に制限されており、

滞在を続ける場合は在留資格の更新が必要になるのに対して、「永住者」資格

の場合、在留期限に関する定めはない。このような事情が存在するため、在留

資格を更新する必要があり、そのたびに煩雑な手続きが必要となる「定住者」

資格から「永住者」資格への切り替えを進める動きが生じたと考えられる。

2000年の段階では、日本に在留するブラジル人の半数以上が「定住者」資格で

滞在していたのに対し、「永住者」資格を取得して在留するブラジル人の割合

図表 3 在留ブラジル人に占める「定住者」および「永住者」の割合

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は 5 %に満たなかった。しかしながら、2000年代を通じて「永住者」資格を取

得して在留するブラジル人の割合は増え続け、2009年にはその割合が逆転して

いる。

このように、実態として、日本に在留する日系外国人の滞在の長期化および

「定住化」が進展する一方で、彼ら自身の「出稼ぎ意識」の強さや帰国志向の

強さも指摘されてきた(小内編 2003)。また、日系外国人は滞在の長期化とと

もに、単純に日本への同化を強めているわけではなく、労働市場、国家および

移民ネットワークの相互関連の中で、日系外国人の編入過程を捉えるべきとの

主張も存在する。梶田ら(梶田ほか 2005)は、日系外国人の移住システムが「市

場媒介型」であり、帰国と来日を頻繁に繰り返す「出稼ぎリピーター」として

の移動パターンの存在を指摘している。

このように2000年代以降、日系外国人の滞在の長期化が進む中で、それが「定

住」とみなせるのか、という点が日系外国人の研究における大きなテーマとなっ

てきた。また、滞在の長期化にともなって地域社会やコミュニティにおいて顕

在化している諸「問題」、さらには日本人住民と外国人住民との共生に関わる「問

題」が取り上げられてきたと言える。これらの研究は主に地域社会学や都市社

会学の領域で行われてきたが、梶田ら(梶田ほか 2005)は「定住化」や「共生」

の問題を取り上げる言説が、むしろ日系外国人が労働市場において置かれてい

る状況や構造的な問題を覆い隠してしまうのではないかと批判した。また、大

久保(2005)も、労働市場における問題をもっと正面から取り扱うべきである

と指摘している。

1990年以降、日本に在留する日系外国人が増加する中で、社会学ではまず、

地域社会学や都市社会学において、日系外国人の「定住化」とそれに伴う地域

社会・コミュニティの「問題」が取り扱われてきた。こうした流れに対して、

日系外国人の編入過程を国家や市場、あるいは彼らが保持している移民ネット

ワークとの相互関連の中で捉えるという視点が新たに提示された。このように、

日系外国人に関する研究は地域社会学や都市社会学に先導されながらも、労働

や国家などの新しい視点に基づく研究の知見が追加されていくことで、2000年

代以降、その内容を豊富化させてきたと言える。

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4 .経済危機(リーマン・ショック)以後の日系外国人「問題」の変化

以上で述べたように、社会学では2000年代を通じて、日系外国人および外国

人集住地域に関する研究が数多く蓄積されてきたものの、2008年に発生した経

済危機(リーマン・ショック)により、状況は大きく変化することになる。

2008年の経済危機によって、日本国内の経済状況は大幅に悪化し、ブラジル人

をはじめとする日系外国人の在留は大幅に減少することになった。図表 4は日

本に在留する外国人数の推移を国籍別に示したものである。これを見ると、

2008年に発生した経済危機(リーマン・ショック)以降、日本に在留するブラ

ジル人の数は大きく減少していることがわかる。日本に在留するブラジル人の

数は2007年の31万7,000人という水準から大きく減少し、2014年末の時点では

約17万5,000人にまで落ち込んでいる。

ブラジル人国籍の在留外国人数のみが大きく減少した理由としては、先にも

述べたように、日系外国人の場合「定住者」や「永住者」資格による在留が多

く、そのほとんどが製造業において就労しているという事情が大きな要因に

なっていると考えられる。2008年の経済危機(リーマン・ショック)とそれに

伴う景気後退を受けて、製造業における各企業が生産量の調整を図ることに

図表 4 国籍別の在留外国人数の推移

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なった。その結果、業務請負契約の解除や「派遣切り」と呼ばれる労働者派遣

契約の打ち切りが広がることになったのである 3)。そのため、非正規雇用の形

態で製造業における労働に従事していた日系外国人労働者たちが職を失うこと

になり、ブラジルに帰国するという流れが広がったのだと考えられる。また、

先述したように、2009年度から厚生労働省によって実施された「日系人離職者

に対する帰国支援事業」も日系外国人の帰国を進める大きな要因となった。こ

れは「当分の間」同様の身分による再入国を認めないことを条件として、帰国

のための費用を「本人 1人当たり30万円、扶養家族については 1人当たり20万

円」支給するという制度である。梶田ら(梶田ほか 2005)によると、「定住者」

資格が設立された際、政府は就労を目的として多数の日系外国人が入国するこ

とを想定しておらず、いわば「意図せざる結果」として、日系外国人の急激な

増加が生じたとされる。帰国支援事業は、日系外国人の増加によってさまざま

な「問題」が生じる中、日系外国人の失業を契機として「意図せざる結果」の

リセットを図るような措置であったと言える。

このように2008年の経済危機の影響により日系外国人の失業が増加し、彼ら

の帰国が進んだ結果、日系外国人の存在や地域社会・コミュニティの「問題」

にあまり関心が向けられなくなっているように思われる。すでに述べたように

「ブラジル人」を扱った新聞記事や論文の数は経済危機前の水準と比べて大き

く落ち込んでいる。また、日系外国人の集住地域や地域社会における外国人を

テーマにした論文に関しても、やはり同様の傾向を示している 4)。図表 5を見

ると、「集住地域」や「集住都市」を扱った論文数は2000年代の後半(2006年

~ 2010年)には毎年10件から20件程度のペースで論文が発表されていたもの

の、2011年以降はその数を減らしていることがわかる。「外国人」と「地域社会」

というキーワードを同時に含む論文に関しても、2007年から2010年までの 4年

間は 1年に平均9.75本の論文が発表されていたのに対し、2011年から2014年の

4年間は年平均4.75本しか論文が発表されておらず、年平均の発表件数は 2分

の 1程度にまで減少している状況である。一方、「外国人労働者」や「移民」

といった語を含む論文に関しては、2008年と比較して多少の減少は見られるも

のの、ある程度の水準は維持している。このように、2008年の経済危機(リー

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マン・ショック)以降、日系外国人の帰国が進む中で、日系外国人に対する社

会的な関心が低下している状況にある。その結果、外国人の集住地域や地域社

会を扱った研究も少なくなっており、研究の蓄積がそれほど進んでいない状況

が存在するように思われる。

それでは、2008年の経済危機(リーマン・ショック)以後、日系外国人の集

住や集住が進んだ地域社会において何が「問題」とされており、どのような研

究が行われているのだろうか。また、研究によって、どのような知見が提示さ

れているのだろうか。

経済危機(リーマン・ショック)後の日系外国人の集住地域を扱った研究は、

主にエスニック・コミュニティの歴史的変化や日系外国人が置かれた状況につ

いて扱ったもの、日本人住民による外国人受け入れ意識を扱ったもの、行政に

図表 5 外国人関連の論文数の推移

年 外国人労働者 集住地域 外国人移民 集住都市 地域社会

1990 246 0 01991 153 0 01992 205 0 11993 191 1 21994 163 0 01995 109 0 11996 116 0 21997 158 0 11998 149 1 21999 155 2 32000 221 2 12001 244 2 12002 292 4 122003 306 9 22004 294 3 62005 349 8 52006 424 25 102007 411 8 82008 521 12 122009 504 26 102010 393 11 92011 374 8 12012 383 13 62013 341 7 42014 387 4 8

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よる外国人住民に対する施策あるいは多文化共生施策のあり方について扱った

ものに分類することができる。まず、エスニック・コミュニティや日系外国人

の状況を扱った研究としては以下のようなものが挙げられる。

たとえば松宮(2010b)は、愛知県の公営住宅において実施した調査をもとに、

経済危機(リーマン・ショック)以前と以後のブラジル人コミュニティの変化

について分析を行っている。その結果、「ブラジル食材店の撤退やブラジル人

住民主導の活動が縮小する」などコミュニティの弱体化は進んでいるものの、

行政による施策を推進するにあたって、ブラジル人コミュニティが一定の役割

を果たしたのではないかと述べ、その可能性について議論している。

また、池田ら(池田ほか 2014)は、茨城県常総市における調査結果をもとに、

2008年の経済危機によって、ブラジル人の居住のあり方が、人材派遣企業の借

り上げた社宅から一般の賃貸住宅へ変化したと述べている。また食料品などを

購入する際、エスニック・ビジネスに頼らない消費傾向が強まっており、「滞

在志向」と「帰国志向」の二極化が進んでいると指摘している。

能勢(2015)は、「準集住地域」に居住する若年日系ブラジル人に対する調

査をもとに、経済危機(リーマン・ショック)が「中途半端な定住を許さない」

状況を作りだし、高校進学率の一定の上昇をもたらしたと指摘している。ただ

し、その一方で、高校非進学層もかなりの割合で存在しており、こうした若者

たちはホスト社会から排除され、アイデンティティの承認にも問題を抱える状

況が存在すると述べている。

これらの研究を見ると、経済危機(リーマン・ショック)によって、日系外

国人の労働市場は大きな影響を受け、「帰国」を選択する層がかなりの数にの

ぼる一方、「定住」を選択する層も一定の割合で存在しており二極化が進んで

いること、また「定住」を選んだ人々にとって、行政と住民をつなぐエスニッ

ク・コミュニティの意義や役割はより大きいものになっていることが主に指摘

されていると言える。

次に、集住地域に居住する日本人住民の意識を扱った研究としては、以下の

ようなものがある。

丸山(2014)は、製造業が不振にあえぐ中、「ブラジルタウン」として観光

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地化を進めようする群馬県のブラジル人集住地域における取り組みについて分

析を行っている。その結果、自らの地域が「ブラジルタウン」として扱われる

ことに拒否反応を示す日本人住民が多いことが明らかになった。また、ブラジ

ル人住民との間に「壁」があり、自分たちとは異なるグループに属していると

考える傾向が強いこと、ブラジル人住民だけが利益を得ることになり、日本人

住民に経済的な利益が生まれないことに対する不満が強いことなども指摘され

ている。

江成ら(江成ほか 2013)は、三重県四日市市の外国人集住地区において日

本人住民を対象にした調査を実施し、外国人住民とりわけ外国人の子どもを地

域社会がどのように受け入れているのかという点について分析を行っている。

その結果、外国人の子どもが増加することによって「地域の経済的価値が脅か

されるという危機感」を持っていること、また「教育問題」が「地域の変容へ

の抵抗感を具体的に投影する対象」になっていることが明らかにされている。

福本ら(福本ほか 2015)は、経済危機(リーマン・ショック)に伴う雇用

機会の減少によって、ブラジル人が「住居・社会保障・教育などの面で、行政

をはじめ地域社会との関わりをもって生活するほかない状況に置かれた」と指

摘した上で、主に居住環境に着目して、日本人住民による外国人受け入れ意識

の状況について分析を行っている。その結果、ブラジル人が集住するURや公

営住宅では、「日常生活上のトラブルが問題視」されやすいのに対して、一戸

建てに居住する人々は地域活動への協力や青少年による非行、さらには教育水

準の低下に対する懸念をより強く感じやすいとの傾向が指摘されている。

山本(2015)は外国人集住団地における聞き取り調査の結果をもとに、「共生」

概念が不明瞭なものであること、また安易に「共生」という語を多用すること

により、モデルに適合しない現実から目をそらすことになるのではないかと述

べている。

このように、量としてはそれほど多いとは言えないものの、経済危機(リー

マン・ショック)後も、日系外国人集住地域における日本人住民の受け入れ意

識を扱った研究はいくつか行われており、住居の形態などの居住環境に注目し

た福本らによる研究(福本ほか 2015)など、これまでの研究では見られなかっ

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た新しい視点も提示されている。しかしながら扱われている論点の多く、たと

えば内集団と外集団の分断、マジョリティによって使用される「共生」概念が

持つ問題性、治安の悪化や教育水準の低下など地域の経済的価値が毀損される

ことへの懸念といった論点は、いずれも経済危機(リーマン・ショック)以前

から繰り返し議論されてきたテーマであり、それほど目新しいものではない。

最後に、行政による外国人住民に対する施策あるいは多文化共生施策を扱っ

た研究としては、以下のようなものがある。

李ら(李ほか 2015)は、外国人集住都市会議において「近年は検討してい

るテーマに変化が少なくなって」いることを指摘した上で、今後の自治体外国

人政策について「再考を試みてもよい時期」だと述べている。このような問題

意識のもと、愛知県豊橋市の外国人政策と欧州のインターカルチャー政策との

比較を行っている。その結果、豊橋市では母語や母国文化の保全、宗教への支

援、外国人集住地域や住宅環境の把握などの点に関する言及がなく、欧州の政

策との間に大きな差があると指摘している。

このように、経済危機以後に日系外国人集住地域を対象にして実施された研

究を概観してみると、日系外国人住民の生活や意識、あるいはエスニック・コ

ミュニティの置かれた状況に関しては、2008年の経済危機によって大きく変化

していることがわかる。一方で、日本人住民による受け入れ意識および行政に

よる外国人政策に関しては、その枠組みに大きな変化が見られず、経済危機

(リーマン・ショック)以前の言説が繰り返し再生産されている傾向があると

言えるだろう。

5 .まとめ

先述したように、梶田ら(梶田ほか 2005)は地域社会における「定住化」

や「共生」を取り扱う言説が、日系外国人が労働市場において置かれた状況、

あるいは構造的な問題を覆い隠すことになると指摘した。樋口(2010a)も、

日系外国人を労働者としてではなく、安易に地域「住民」として捉えることの

問題性について議論しており、従来の都市社会学による都市エスニシティ研究

には国家と市場の観点が欠落していたと批判する(樋口 2010b)。

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これは地域に焦点を当てて、日系外国人集住地域の調査・研究を積み重ねて

きた都市社会学および地域社会学に対する痛烈な批判であり、研究の枠組み自

体の問い直しを迫るものであったと言えるだろう。こうした批判に対して、松

宮(2010a)は、地域による「問題」の現われ方の差異に着目し、外国人集住

地域の類型化と地域間の比較研究を進めることが重要だと指摘している。また、

谷(2013)は「さまざまな都市のエスニック現象を政治・経済・文化・歴史の

多角的観点から比較し、説明するための都市類型論の構築が求められている」

と述べ、都市社会学は「エスニック・コミュニティの類型論的、継時的研究」

を推進すべきだと主張している。

本論文では、2008年の経済危機(リーマン・ショック)後の、日系外国人集

住地域を対象にした研究の状況について概観した。まず、日系外国人の生活や

意識は、経済危機(リーマン・ショック)によって変化していることがいくつ

かの研究によって指摘されている。また「帰国」と「定住」の二極化が進んで

おり、「定住」を選択した人々にとってエスニック・コミュニティの存在がよ

り重要になっていることが示唆されている。

一方で、日系外国人の受け入れ意識や地方自治体の外国人政策・多文化共生

政策については、それほど大きな論点の変化は見られず、経済危機(リーマン・

ショック)以前の言説が繰り返し用いられている状況である。李ら(李ほか

2015)が指摘するように、外国人集住都市会議では議論されるテーマの固定化

が進んでおり、経済危機を受けて自治体外国人政策の「再考を試みてもよい時

期」だと言える。しかしながら、日系外国人集住地域を対象にした研究は、経

済危機による日系外国人の大量帰国を受け、量的に減少する傾向にあり、こう

した課題に十分に応えられているとは言えない。

このような状況を見ると、やはり谷(2013)や松宮(2010a)が指摘するよ

うに、日系外国人集住地域の類型論的研究や継時的変化を扱う研究、とりわけ

日本人住民の外国人受け入れ意識や地方自治体の政策の変化を明らかにする研

究が、今後も進められるべきであると言えるだろう。また、その際は、日系外

国人集住地域における日本人住民の意識や、地方自治体による外国人政策・多

文化共生政策はなぜ「変わらないのか」という点が問われるべきであり、また

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重要な論点になると思われる。日本人住民や行政によって用いられ続けている

従来の言説を更新する、新たな知見を提供することが、今後社会学が果たすべ

き重要な役割になると言えるのではないだろうか。

[注]

1) 新聞記事数については、朝日新聞の記事データベース「聞蔵Ⅱビジュアル」において、

「ブラジル人」をキーワードにして検索した結果を示している。また、論文本数につ

いては「CiNii Articles」において同様に「ブラジル人」をキーワードにして検索した

結果を示している。

2) 1990年の入管法改正では「研修」という資格も新たに設けられ、研修および技能実習

制度の導入が図られた。「研修」資格が設けられたことによって、中国から来日する

外国人が増加することになった。

3) 経済危機(リーマンショック)後、日系外国人の失業率は40%程度にまで上昇したと

推測されている(独立行政法人労働政策研究・研修機構 2012)。

4) 「CiNii Articles」において「集住地域 OR 集住都市」および「外国人 & 地域社会」で

検索した結果を示している。

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