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2018 年度森基⾦研究成果報告書 ストリートダンス経験が歩⾏⽣成能⼒に与える効果 Effect of Experience of Street Dance on Gait Generation Ability 慶應義塾⼤学⼤学院 政策・メディア研究科 修⼠課程2年 ⼭崎稜⼀郎 要旨 ストリートダンサーは、⽿で聞いている⾳のリズムと⾃らの運動のリズムを同期させる能 ⼒(感覚運動同期能⼒)に優れていると考えられている。本研究では、ストリートダンス 経験者(ダンサー群)と対照群に歩⾏課題と両⼿タップ課題をおこなわせ、⽣成された運 動のリズムの安定性を⽐較することでリズム⽣成能⼒の差異を検討した。結果、⾳と同期 して課題をおこなった際にダンサー群においてのみ歩⾏のステップ間隔の変動係数とタッ ピング間隔の変動係数が有意に正の相関を⽰した。歩⾏のような滑らかなリズム運動と タッピングのような断続的なリズム運動では異なるリズム⽣成の戦略が適⽤されていると いう先⾏研究の知⾒から、⼆つの課題における相関関係は、ストリートダンスの経験が感 覚運動同期における⽣来的な戦略を変調する可能性を⽰唆している。今後は、今回の結果 をもとにリズム⽣成能⼒とストリートダンス経験についてさらに詳細な研究を重ね、歩⾏ のリハビリの開発などを⽬指している。 キーワード:ストリートダンス、歩⾏、タッピング、感覚運動同期、リズム

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Page 1: 2018 年度森基⾦研究成果報告書2018 年度森基 研究成果報告書 ストリートダンス経験が歩 成能 に与える効果 Effect of Experience of Street Dance

2018 年度森基⾦研究成果報告書

ストリートダンス経験が歩⾏⽣成能⼒に与える効果 Effect of Experience of Street Dance

on Gait Generation Ability

慶應義塾⼤学⼤学院 政策・メディア研究科 修⼠課程2年 ⼭崎稜⼀郎

要旨

ストリートダンサーは、⽿で聞いている⾳のリズムと⾃らの運動のリズムを同期させる能⼒(感覚運動同期能⼒)に優れていると考えられている。本研究では、ストリートダンス経験者(ダンサー群)と対照群に歩⾏課題と両⼿タップ課題をおこなわせ、⽣成された運動のリズムの安定性を⽐較することでリズム⽣成能⼒の差異を検討した。結果、⾳と同期して課題をおこなった際にダンサー群においてのみ歩⾏のステップ間隔の変動係数とタッピング間隔の変動係数が有意に正の相関を⽰した。歩⾏のような滑らかなリズム運動とタッピングのような断続的なリズム運動では異なるリズム⽣成の戦略が適⽤されているという先⾏研究の知⾒から、⼆つの課題における相関関係は、ストリートダンスの経験が感覚運動同期における⽣来的な戦略を変調する可能性を⽰唆している。今後は、今回の結果をもとにリズム⽣成能⼒とストリートダンス経験についてさらに詳細な研究を重ね、歩⾏のリハビリの開発などを⽬指している。 キーワード:ストリートダンス、歩⾏、タッピング、感覚運動同期、リズム

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. 研究背景

 パーキンソン病患者の ︎歩⾏障害に ︎は、⾳刺激[ ]や歌唱[ ]などリズムに合わせた運動を取り⼊れた歩⾏訓練が⼤きな効果を⽰すことが知られている。パーキンソン病と ︎は、随意運動 ︎の制御に障害を引き起こす進⾏性 ︎の神経変性疾患である[ ]。神経変性疾患の ︎中では ︎、アルツハイマー病に次いで患者数が多いとされている[ ]。リズミカルな聴覚刺激を⽤いた理学療法によるパーキンソン病患者の ︎運動機能 ︎の改善効果は ︎多く ︎の先⾏研究によって検証がなされており、神経変性により低下していた運動指令の ︎出⼒が⾳楽的なリズムによって増 された結果と考えられている[ ]。  ストリートダンサーは ︎聴覚リズムに運動を同期させる課題において極めて⾼い安定性やタイミングの ︎正確性を発揮できることが報告されている[ , ]。彼らが聴覚リズムに対して運動を同期する能⼒の ︎⾼さが⾝体 ︎部位に依らないことから、ストリートダンスでの ︎⾳に合わせて動く練習が、運動器にかかわらず元来備わっているリズミカルな運動 ︎の制御を変化させている可能性が⽰唆されている[ ]。  以上のことから、ストリートダンスの ︎動作がリズミカルな運動を実⾏する能⼒を向上させうるならば ︎、パーキンソン病患者の ︎歩⾏訓練にストリートダンスの ︎要素を取り⼊れることで、既存の ︎歩⾏訓練よりも効果的かつ患者が楽しめる新しいリハビリテーション⽅法を開発できる ︎のでは ︎ないかと考えた。本研究では ︎、リハビリ⽅法開発の ︎第⼀段階として、ストリートダンスの経験が⼈間の歩⾏能⼒を向上させる効果があるかを検証する。ダンサーに関する先⾏研究には ︎ダンス ︎の技術に直接関わるものは ︎ ︎多いが、ダンスの ︎経験が⽇常⽣活 ︎

の動作に与える影響を対象とするも ︎ ︎のは僅少である。また、⾳楽療法 ︎の効果の ︎検証は ︎進んでいるが、ダンス ︎の医学的な有⽤性について ︎研究は ︎未だ進められていない。これら ︎の点が本研究︎の新規性である。

2. 研究⽬的

 ストリートダンサーとそうでない⼈(⾮ダンサー) ︎のリズム⽣成能⼒を歩⾏とタッピングにおいて⽐較し、ストリートダンスの経験が⼈間の歩⾏⽣成・制御能⼒にどのような影響を与えるのかを検証する。ダンサー群と⾮ダンサー群に対して、1)⼀定間隔で鳴り続けるドラム⾳に合わせて歩⾏またはタッピング、2)ドラム⾳が消失した後も同じペースでの歩⾏またはタッピングを維持する、という⼆つの ︎課題をおこなわせ、その ︎際の ︎歩⾏とおよびタッピングの安定性やリズムの正確性を評価する。ストリートダンスで培われるリズム感が歩⾏ ︎の安定性を向上させることを実証し、その ︎リズム感を養うため ︎最適な動作を特定したの︎ち、歩⾏リハビリの新たなメソッドを開発することを⽬的としている。

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3. 研究⼿法

 被験者には、⼆種類の課題を⼆つの異なる条件のもとでおこなわせた。課題は、歩⾏課題とタップ課題の⼆つ、条件は同期条件と維持条件の⼆つである。歩⾏課題では、被験者は円周状のコースにおいて歩⾏を続ける(図1左上)。タップ課題ではラップトップPCの指定されたキーを左右の⽰指で交互にタップする(図1右上)。どちらの課題においても、最初の試⾏に先⽴って被験者が当該の運動をおこなうための⾄適テンポを無⾳環境下において計測した。この⾄適テンポの90, 100, 110%の間隔で続くドラム⾳を同期条件で使⽤する(図1下)。同期条件では、前述のドラム⾳を聴覚刺激として被験者に提⽰し、被験者はその刺激に合わせて歩⾏またはタッピングを513回(歩)おこなう。刺激⾳の再⽣終了をもって維持条件が開始され、被験者は同期条件での運動のテンポを維持する。歩⾏またはタッピングが513回(歩)おこなわれた時点で終了が知らされる。  歩⾏の様⼦は光学式モーションキャプチャによって三次元的に計測され、その運動学的データから踵接地のタイミングを算出した。各タッピングのタイミングはタイムスタンプの形で記録された。連続する踵接地のタイミングの間隔をステップ間隔、タッピングの間隔をタップ間隔として定義し、それぞれの変動係数(Coefficient of Variation, CV, 標準偏差を平均値で除算した値)によって歩⾏の安定性を評価した。

PC

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4. 研究成果

 ダンサー群と⾮ダンサー群の同期条件と維持条件において、歩⾏課題のステップ間隔とタップ課題のタップ間隔それぞれのCVについて相関解析を実施した(図2)。その結果、ダンサー群の同期条件において、⼆つの課題のCVの間に有意な正の相関が認められた(r = . , p= . , 図2左上)。これは、⾳と合わせて動く場合、歩⾏のリズムが安定しているダンサーほどタップのリズムも安定していることを意味する。つまり、ダンサーは⾳と同期する場合には、歩⾏とタッピングでリズム⽣成戦略を共有していると考えられる。歩⾏のような滑らかに続くリズム運動とタッピングのような断続的なリズム運動では、運動のリズムを⽣成する神経表象が異なるとされている[ ]。このことと今回の結果を合わせて考えると、ストリートダンスの経験がリズム⽣成の⽣来的な戦略を変調することが⽰唆された。また、この結果は⾳楽家における先⾏研究[ ]と同様の結果であることから、⾳楽とストリートダンスにはリズム⽣成戦略を変調する共通の特性があると考えられる。  ⼀⽅で、⾮ダンサー群の同期条件では、⼆つの課題の間でCVが負の相関を⽰した(r =

. , p = . )。これは、⾳と合わせて動く場合に、歩⾏のリズムが安定している⼈ほど、タップのリズムが不安定であることを意味する。この結果の要因としては、滑らかなリズム運動と断続的なリズム運動のどちらか⼀⽅に熟達が偏っている可能性が考えられる。なお、その他の群と課題の組み合わせにおいて、同様の関係性は確認されなかった(ダンサー群維持条件、p = . ;⾮ダンサー群維持条件、p = . )。

CV �CV CV

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 また、CVに影響を与える因⼦を検討するために、⼀つの被験者間⽔準(群)と三つの被験者内⽔準(条件、テンポ、時間経過)(※時間経過は、試⾏の前半部分と後半部分を⽐較する⽔準。)による反復分散分析を歩⾏課題とタップ課題のそれぞれについて実施した。  歩⾏課題では、テンポと時間経過の間に交互作⽤の傾向が確認された(F( , )= . , p = . )。下位検定の結果、速いテンポの試⾏前半のCVよりも遅いテンポの試⾏前半の⽅が有意に⼤きな値を⽰した(p = . 、図3)。また、速いテンポの試⾏の後半部は前半部よりも有意に⼤きなCVを⽰した。(p = . )。これらの結果から、速いテンポでの歩⾏において、歩⾏リズム安定性の向上が⼀時的な効果であり、時間との経過ともにその安定性が失われる傾向がある可能性が考えられる。

CV �CV

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 ⼀⽅のタップ課題では、群と条件と時間経過の組み合わせで有意な交互作⽤が確認された(F( , )= . , p = . )。下位検定の結果、ダンサー群維持条件の試⾏前半部よりも後半部の⽅が有意に⼤きなCVを⽰した(p = . )。また、⾮ダンサー群同期条件においても試⾏前半部よりも後半部の⽅が⼤きなCVを⽰した(p = . )。これらの結果から、ストリートダンサーはリズム⾳が聞こえている間は⾼い安定性を保つことができるが、リズム⾳が消失すると⾮ダンサー同様に不安定になると考えられる。つまり、ストリートダンスの経験によって、リズム同期運動の安定性を⻑時間にわたって保つ能⼒が強化されることが⽰唆された。

 これらの結果から、ストリートダンスの経験が、1)歩⾏リズム⽣成における⽣来の戦略を変調する、2)タッピングのような断続的なリズム同期運動での⻑時間の安定性を向上させる、という影響を与えることが⽰唆された。このことは、ストリートダンスが⼈間のリズム運動⽣成の神経基盤に作⽤する可能性を⽰唆しており、⾳楽などと同様に、ストリートダンスについての研究は⼈間のリズム⽣成のメカニズムを解明するにあたり意義を持つと考えられる。

CV �CV

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4. 今後の展望

 本研究は、主にリズム運動の安定性に焦点を当てたものであったが、リズム運動には周期の安定性など今回は評価していない要素が存在する。しかしながら、今回の実験や解析を進めるなかで、そうした未評価の要素についても有意義な結果につながりうる⽣データの存在が確認された。今後は、さらに多⾯的な評価分析を実施して、⼈間のリズム⽣成の機序に迫り、リハビリテーションなどの応⽤につながる知⾒を得ることを⽬指す。具体的な展望として、1)滑らかなリズム運動と断続的なリズム運動の神経基盤の差異についての検証、2)ストリートダンス経験がリズム⽣成能⼒に与える影響についての縦断研究、3)実際の歩⾏障害患者に対してのリハビリ効果を検証する臨床研究、などを⾒据えている。  今回の研究の課題として、被験者数、被験者の男⼥⽐、⾳楽経験、運動経験などの項⽬の調整が不⼗分であったことが挙げられる。この点を解消するためには、引き続き実験を重ねていくことが重要である。

5. 今年度の研究業績

• ⼭崎稜⼀郎、藤井進也、⽜⼭潤⼀、『ストリートダンサーの歩⾏運動におけるリズム⽣成の安定性』、第13回 Motor Control 研究会(ショートプレゼンおよびポスター発表)、2019年8⽉23-25⽇、東京⼤学弥⽣講堂

• ⼭崎稜⼀郎、藤井進也、⽜⼭潤⼀、『ストリートダンサーの歩⾏運動におけるリズム⽣成の安定性』、⽇本体育学会第70回⼤会(ショートプレゼン)、2019年9⽉10-12⽇、慶應義塾⼤学⽇吉キャンパス

• ⼭崎稜⼀郎、『Comparison of Rhythmic Gait Generation Ability between Street Dancers and Non-dancers』、修⼠課程学位論⽂、2020年1⽉9⽇提出

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6. 参考⽂献

[1] Thaut, M. H., McIntosh, G. C., Rice, R. R., Miller, R. A., Rathbun, J. and Brault, J. M. Rhythmic auditory stimulation in gait training for Parkinson's disease patients. Mov Disord. 1996;11(2):193-200.[2] Satoh M, Kuzuhara S. Training in mental singing while walking improves gait disturbance in Parkinson's disease patients. Eur Neurol. 2008;60(5):237-43.[3] Blandini F, Nappi G, Tassorelli C, Martignoni E. Function al changes of the basal ganglia circuitry in Parkinson’s disease. Prog Neurobiol. 2000;62(1):63-88.[4] Hirtz D, Thurman DJ, Gwinn-Hardy K, Mohamed M, Chaudhuri AR, Zalutsky R. How common are the "common" neurologic disorders? Neurology. 2007 30;68(5):326-37.[5] Fujii S, Wan CY. The Role of Rhythm in Speech and Language Rehabilitation: The SEP Hypothesis. Front Hum Neurosci. 2014;8:777.[6] Miura A, Kudo K, Ohtsuki T, Kanehisa H. Coordination modes in sensorimotor synchronization of whole-body movement: a study of street dancers and non-dancers. Hum Mov Sci. 2011;30(6):1260-71.[7] Miura A, Fujii S, Okano M, Kudo K, Nakazawa K. Finger-to-Beat Coordination Skill of Non-dancers, Street Dancers, and the World Champion of a Street-Dance Competition. Front Psychol. 2016;7:542.[8] Spencer RMC, Ivry RB. Comparison of patients with Parkinson’s disease or cerebellar lesions in the production of periodic movements involving event-based or emergent timing. Brain Cogn. 2005;58(1):84-93.[9] Baer LH, Thibodeau JLN, Gralnick TM, Li KZH, Penhune VB. The role of musical training in emergent and event-based timing. Front Hum Neurosci. 2013;7(May):191.