第 34 号 - 伊丹市文化財保存協会 · 城、王の不在を察知し...

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Page 1: 第 34 号 - 伊丹市文化財保存協会 · 城、王の不在を察知し を開けさせて、他の砦も攻撃、侍町にも火を放. 璃塚砦の武将を調略。十月十五日の深夜に城門た信長軍は、有岡城惣構えの西側の要である上

第 34 号

伊丹市文化財保存協会

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絲海 第34号(H21)

行基の遺産

「土塔」を

ご存知ですか

中畔

明日香

行基は小学6

年生が使う社会の教科書にも

載っている有名な僧侶です伊丹市民の方には

行基町という地名の由来にもなっていますし

日比陽池をつくった人として馴染み深い方だと思

います

行基は天智天皇

7(六六八)年に河内国大

鳥郡(現大阪府堺市)で生まれ日歳で出家

得度しました

その後飛鳥(現奈良県明日香

村)や山林で修行を行い訂歳の時生家を

「家原寺」と改め布教活動や民衆のために

骨骨

布施屋院の建設をはじめますその後院

道場につながる溜め池用水路をさらには道

路橋などの建設を行います

ここ伊丹(当時は摂津国川辺郡)にも「昆陽

施院

一や

「昆陽布施屋」がつくられました

のどちらかの後身が現在の昆陽寺だと言われ

ていますまた摂津田に5

箇所の池と2

つの

溝をつくったとされておりそのうち「昆陽上

池」が現在の見陽池にあたります

その頃民衆のための寺院建設は法律で禁止

されていました

行基のこのような民衆への活

動を政府は抑圧しましたが徐々に認め許

可しましたそして聖武天皇の東大寺大仏造

営の際行基をはじめその弟子たちは活動を

通じて民衆へ大仏造営への参加を呼びかけます

活動に感銘を受けた人々は行基の生前より

行基菩薩と呼びました

そして死後は信仰の

対象となります

行基は生前中必院建立したとされていま

そのひとつ堺市にある「大野寺一の仏塔

はとても不思議な形です今年国史跡「土

塔」(堺市中区土塔町昭和お年指定)として

整備が完了し住宅地の中にお目見えしました

a-

写真一国史跡「土塔」堺市文化財課提供】

この士塔は行基ω歳の神亀4(727)年

に起工され鎌倉時代の『行基菩薩行状絵伝」

(重要文化財)には「十三重土塔」と記された

塔が描かれています

堺市によって発掘調査が

行われブロック状の粘土を積み上げた内側に

土を盛った高さ

8m

以上一辺日m以上ある

塔であることがわかりました

その土壇の全面

に約6

万枚の瓦が葺かれていたと考えられてい

ます

大野寺は室町時代に火災で焼失しましたが

江戸時代に再興され現在まで真言宗土塔山大

野寺として継続しています

土塔について言葉で表現して伝えようとして

も正確なイメージをしていただき難いと思い

ます

皆さんがご存知のお寺の塔とはあまりに

も外観が異なりますので

是非

一度この士

塔を見に行かれてはいかがでしょうか行基の

残したこの塔を前に天平の世界を感じて下さい

布施屋都に税物を届けにいく民衆のための簡易

宿泊施設

交通の要衝に建設された

垣を巡らした建物との意味

民衆のため

の寺(道場)を指す

-

本来悟りを求めて修行をする人をいう

(伊丹市教育委員会事務局社会教育課主査)

菩薩目

-行基の遺産「土塔」をご存知ですか1

反骨の絵師

「岩佐又兵衛」ji--214

「緒方洪庵に関係する人の

伊丹における活躍」519

江戸後期の郷土史家

ー古野将盈と梶曲阜1

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叩11

博物館からのお知らせ夏季企画展日

事業の計画回顧編集後記ロlM

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反骨の絵師

「岩佐又兵衛」

有岡城と岩佐又兵衛

豊田

正義

戦国時代の天正五年

(1577)十

一月に有

岡城を訪れた宣教師ルイスフロイスは

「我等

は宵の口に伊丹と称し甚だ壮大なる見事なる

城に着きたる

彼は又新に築城せる壮麗な

る城を」の書簡を本国におくつているそ

の壮大な城も三年後の天正七年

(1579)の

秋に織田信長に攻められて落城している村

重以降は池田之助が入城天正十一年

(158

3)に岐阜に移ってからは幕府の直轄地を経

て惣構えの大半が摂関家の近衛家の領地とな

り城跡も時代とともに開発の手が入り変貌し

ていった

近年は昭和五十年代に国鉄伊丹駅前の再開

発が計画実施され城跡の発掘調査が行われ

て本丸の土塁跡石垣堀跡などの遺構が発

見されて

「城郭の中世から近世への移行期の貴

重な遺構」として昭和五十四年十二月に国史跡

の指定をつけている

現在その有岡城跡公園には荒木村重荒

木たしの文学碑がひっそりと建っている今秋

有岡城跡は丁度国の指定を受けて節目のゴ一十

周年を迎えようとしている

岩佐又兵衛は荒木村重と荒木たしの末子と

して天正六年

(1578)に生まれたといわれ

ているその年は摂津守荒木村重の絶頂期から

の転換期にあたり子供たちにとっては翌年に

かけて生き延びる者殺される者とに分かれる

苦難の時代を迎えることとなった

村重は天正六年の秋出陣中の三木城包囲網

の陣地から突然伊丹に帰り有岡城に龍城して織

田信長に謀反をおこした信長は村重の説得に

失敗早速十二月には数万の大軍が有岡城を

攻撃したが攻めきれずに持久戦になっていった

十ヵ月後も勝着状態が続くなか荒木村重は

状況打開のために九月二日に援軍を求めて嫡

男村次のいる尼崎城に移った

しかし頼みの

毛利軍は海上を信長軍に封鎖されるなど身動

きできない状況にあった

城王の不在を察知し

た信長軍は有岡城惣構えの西側の要である上

璃塚砦の武将を調略十月十五日の深夜に城門

を開けさせて他の砦も攻撃侍町にも火を放

たれて城内は大混乱を極めたといわれる

信長

軍は堀によって区切られた本丸を意図的に攻

ハダカジロ

め込まなかった

信長公記には

「裸城になされ

たり」と記されている

みどり子の岩佐又兵衛はその時に乳母にだ

き抱えながら有岡城本丸を脱出したといわれる

それから

一カ月後の十

一月十九日に有岡城本

丸は降伏した

有岡城跡公園の荒木村重たしの文学碑には

本丸落城時の

一一人の心境をあらわしているあ

らきたし

「霜かれに残りて我は八重むくら

にはのうらのそこのみくつに」荒木村重

「思い

きゃあまのかけ橋ふみならし

なにはの花も夢

ならむとは」

信長軍は本丸にたて龍もった数百名を人質

に尼崎城花隈城の開城をせまったが村重

は石山本願寺の最前線基地としての位置付け

播州三木城が龍城中などの理由から救命条件を

のまなかった

激怒した信長は数百名の者を尼崎城近くの

七松で処刑を断行した残りの村重の親族

三十

六名(村重の子供二人を含む)を京に連行し市

中引き回しのうえ十

二月十六日に六条河原で

処刑した

今楊貴妃といわれた荒木たしは二首

の辞世の歌を残している「消ゆる身は惜し

むべきにもなきものを母の思いぞ障りとは

なる」「残し置くそのみどりの子の心こそ

思ひやられて悲しかりけり」母親の子供の将来

を案じる心情がよ

くあらわれている

その子供が後に

浮世絵の元祖とも

いわれ江戸時代

を代表する絵師岩

佐又兵衛といわれ

ている又兵衛は

母親とは死別父

村重とは離散とい

う厳しい幼少期で

あった

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一時武士(秀吉配下の織田信雄の小姓説)

庁三の丸美術館)「上浄瑠璃物語絵巻」(MO

有岡城跡公園 荒木村重たし文学碑

その後の岩佐又兵衛

有岡城を乳母と脱出した岩佐又兵衛は京都

の本願寺系の子院に身を隠したとされる

本能

寺の変までの織田信長存命中は信長は自分に

楯突いた荒木の残党狩りをしきりにおこなって

いた

高野山が荒木の残党を匿ったとの理由で

各地で活動していた高野聖千数百名を処刑して

いる

そんな状況下で又兵衛は荒木など名乗れ

るわけがなく母方か乳母の姓を名乗ったもの

とおもわれる

又兵衛は幼少期から和漢を学び絵も村重家

臣の子であった狩野内膳に師事したといわれる

八歳の時には豊臣秀吉の京北野天満境内での北

野大茶会ものぞいたり摂関家の二条家にも出

入りの記録があり幅広い教養を身につけていた

ようだ

荒木村重存命中(天正十四年没又兵

衛七 1

八歳)に親子の対面があったのかは記録

がなく想像の域をでない

を目指したがあきらめて天性の絵の道にすすん

そこでは当時絵の主流であった狩野派土

A

美術館)などはその時代の作品といわれて

いる

佐派と交流を深めながら独自の画風を残したと

される

又兵衛は人生の大半を京で絵師として

過ごしたが京時代の代表作は「洛中洛外図扉

風」(舟木本東京国立博物館)「豊田祭礼図

扉風」(徳川美術館)があげられる

還歴の時再び転機がおとずれた

之庄(福井市)に招かれて同行する

同地の興

宗寺に寄寓し絵師として活躍する

福井藩は

徳川家康次男の結城秀康が初代藩主の六十八万

石の大藩で二代藩主松平忠直

三代松平忠昌

(忠直の弟)の庇護をつけて多くの絵巻物など

作品を残している

「忠直卿行状記(菊池寛作)」

で有名な藩主とは気脈が通じるものがあったよ

うである

赴任時の様子として

「今日大橋の上

にて威風なる男に逢い申し候緋縮緬の股引を

はき居ると申す

それは浮世又平なるべし

(MOA

平当国へ来る筈也と仰せけるが果たして又平

にてありれると也」(福井の文献「越翁夜話」)

が残されている

北之庄時代の又兵衛は円熟期

に入り絵師として

一定の評価をつけていた

大な絵巻物は

一人の技では困難とされ絵師を束

ねる工房を設けていたといわれる

その名声は

江戸にも伝わっていた

その絵巻物の大作「山

中常盤物語絵巻」

美術館)「堀江物語

絵巻」(香雪美術館)「小栗判官絵巻」

(宮内

(1637)二月に

三代将軍家光に招かれて

単身江戸に向かった

旅日記の廻国道之記によ

ると福井をたち京で十日程過ごして江戸に下っ

ている

格調高い内容である

しかし三島宿

以降が欠落している

江戸には幕府のお抱え絵師の狩野派が多数お

り江戸城本丸の建築中の時期でもあり絵師の

絶対数が不足していたこともあるが江戸城大

奥の表使荒木(

一般に荒木局と呼ばれている

又兵衛の姉)と春日局のル

トから将軍への

推挙も考えられる

表使荒木は幕府が編纂した

寛政重修諸家譜によれば村重息女二人が本願寺

人質となっている

本願寺の人質とは別にもう

一人の息女として「崇源院殿(将軍秀忠夫人)

及び大猷院殿(将軍家光)に仕へたてまつり

荒木と称す」と記されている

何処で育ったの

l

か不明しかし大奥の中枢部で長年仕えている

ので相当の教養を身につけていたとおもわれる

江戸では将軍家光の娘千代姫が尾張徳川家

に輿入れの調度品の製作に携わっている

十四年

(1637)川越東照宮が焼失

そこの

三十六仙絵の話があり製作に取り組んだりして

次々と大名などからの仕事が舞い込み大車輪の

活躍をする

寛永

晩年は持病の

一種)」に苦

「おこり(熱病の

四十歳の時本願寺の縁でひとつの転機が訪

れた

親交のあった本願寺務めの僧心願から北

寛永十四

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身像である

しめられている

この時期に自画像を福井の妻

に送っている

その絵はやせて少しヤツレタ感

じで椅子に掛けて右手に長い杖を持っている全

後方には薙万が置かれ武士の出と

しての誇りをもっていた福井を単身で離れて

十三年後の慶安

三年

(1650)に江戸で七十

三歳で没した

又兵衛の希望で骨は二つの骨壷に入れられ

福井に送られた

その

一つに墨書で荒木と書か

れていたという

岩佐又兵衛の絵

岩佐又兵衛は生存中から人気絵師で

福井市興宗寺 岩佐又兵衛の墓「浮世

又兵衛」と呼ばれたり後に近松門左衛門の浄

瑠璃「傾城反魂香」の吃又のモデルとしても有

名であった

画風は当時の主流である狩野派

土佐派に属さずそれぞれの画風を取り入れて独

自のものを確立したといわれる

特に又兵衛

の絵に登場する人物像は

男女ともにふっくらとした頬と下顎の長い顔

と足先のそりかえった動的な描写などが特徴と

される

岩佐又兵衛の真骨頂は御伽草子古浄瑠璃

を題材にした多数の絵巻物語にある

内容の大

半が劇的なものである

代表作として

「山中常

盤物語絵巻」があげられるそれは十二巻構成

の極色彩で全長百五十メートルの壮大なもので

ある

絵巻には古浄瑠璃の歌詞が添えられてい

出所は越前松平家を祖とする津山藩に伝わ

ったものである

物語は年若い牛若丸が奥州平泉の藤原氏に

迎えられていた京の常盤御前は息子の牛若丸

会いたさに侍従とともに平泉に向う途中中山

道の山中宿で盗賊に命を奪われる

牛若丸が山

中宿に行き母の仇である盗賊を討つ物語である

常盤御前が殺される描写にスペースをさき盗

賊を討つ修羅場の場面はすざましい

岩佐又兵衛は母親たしが織田信長によって

処刑された怨念が時は戦国時代から平和な江

戸時代に推移するなかで絵巻を通じて仇討ちの

思いを果たしたといえる

「堀江物語絵巻」も堀江家の親の仇討ちとお

家再興の物語である子供の太郎(月若)が幼

少の頃に国司に殺されそうとなったときに乳母

に救われて奥州に匿われる場面なども素晴らし

い内容の作品である

参考文献

荒木村重史料伊丹資料叢書四

『村重』第七号荒木村重研究会会報

岩佐派のゆくえ福井県立美術館

奇想の系譜ちくま学芸文庫辻惟雄

岩佐又兵衛文春新書辻惟雄

芸術新潮

102004

新潮社

週刊アーティストジャパン

岩佐又兵衛

40

デアゴスティ

絵巻山中常盤解説資料自由工房

謎と伝説の絵師岩佐又兵衛

日経新聞

1997

2

912

23

ハイビジョン特集天才画家の肖像

「伝説となった絵師岩佐又兵衛」

0NHK

OO OOOOOO

(伊丹市文化財保存協会

理事)

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川い劃MOA像画向

口岩佐又兵衛

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歴史上の人物と伊丹ldquoについて

「緒万洪庵に関係する人の

伊丹における活躍」

益尾

宏之

はじめに

i

これまでの歴史の舞台に登場した人物の内

伊丹にゆかりのある人として「締海」三二号で

は「伊能忠敬と伊丹」を二三一号では「天訴組

伴林光平の伊丹における足跡」についてとり

あげた今回は直接伊丹に来たことは確認さ

れていないがその関係者が活躍した人として

緒方洪庵(一八一 01

一八六三)をとりあげた

い「総海」三三号では西宮で生まれて伊丹で

1

活躍した原老柳(一七八三

一八五回)を「緒

について」日本医史学会関西支部

「医聾」復刊第

方洪庵の門弟」と書いたが門弟ではないので

「緒方洪庵に関係する人」に訂正したい「学

の緒方に技の老柳」言われており緒方洪庵と

原老柳は同格でありその活躍年代は少しずれ

ている

参考文献等古西義麿「原老柳死亡前後の動向

八十七号九十

九十七頁平成

二十年三月

緒方洪庵について

緒方洪庵が天保八年(一八三八)に大坂に出

て瓦町に蘭学塾適塾を開くまでの主な経過は

次の通りである

緒方洪庵は文化七年(一八一

O)備中国足

守(現岡山市足守)で足守藩士佐伯惟因とキ

ヨウの三男として生まれた十五歳で父と共に

大坂に出て十六歳の時に大坂の蘭学者中天

瀞の塾に学び緒方三平と名乗る

十八歳で蘭学修業のため江戸に向かう二

十一歳で江戸に入り蘭学者坪井信道の塾で

学び蘭医の宇田川榛斎にも学ぶ

二十五歳の

時に中天誹が死去しその塾で蘭学を学ぶため

大坂に赴く二十六歳のときに中天瀞の子耕

介を伴い長崎修行に出るこの時から緒方洪庵

と名乗る

一年後に長崎での勉学をおえ足守

に帰省する

三十六歳の時に適塾を過書町に移転する

緒方洪庵が最初に種痘に関わったのは適塾を

聞く少し前に兄の子に人痘種痘を行い成功

嘉永一瓦年(一八四八)に長崎のオランダ商館付

医師モ l

ニッケの元に牛痘がもたらされた

嘉永二年(一八四九)に牛痘苗を笠原白翁に

分けてもらい以後古手町の大坂除痘館で午

痘種痘法の普及に努める

緒方洪庵

参考文献等

適塾記念会編集発行「緒方洪庵と適塾」

平成五年六月五十八 1

六十

一頁

適塾種痘と伊丹との関わり

(二適塾

適塾に入門した門下生の「姓名録」には北海

道から九州まで全国の六三六名の名が残されて

いるその中には幕末から明治にかけて各方面

に目ざましい活躍をして日本の近代化に大きな

貢献を果たした人が多い例えば大村益次郎

福沢諭吉が含まれている

「姓名録」に基づく都道府県別の塾生名簿が

三人であ

ありその内兵庫県県の出身者は三十

その具体的な氏名を「都道府県別適々斎塾

生姓名録」で当たってみた摂州の出身者は

四人いるが伊丹の人は見当たらない

ただ今も続けられている適塾記念会による

「適塾門下生に関する調査報告」で伊丹の関係

者がみつかるかもしれない

緒方富雄編著

「緒方洪庵適々斎姓名録」(財)学校教育研究所

(昭和42年 1 月)

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参考文献等

適塾記念会

場毒物数 r員正 w

適塾記念会「緒方洪庵と適塾」五十六五十七頁

適塾記念会

larr都道府県別

適々斎塾姓名録」

芝哲夫「適塾門下牛に関する調査報告」(二十八)

の分与)した医師名簿百八十六名の中に嘉永五

年(一八五二)一月に「摂州昆陽村小松来青

が含まれている(ij 存乏 除

後藤松陰が山崎遷司に贈った額

(長さ四尺五寸幅二尺五寸)

〈宝塚医師会山崎利慣氏所蔵〉

cr川辺郡医師会史J 昭和62年289頁)

大坂除痘館については古西義麿除痘館資料

いる

一八六名の身分は現在のところ藩士が十名

藩医が十七名身分不明が四名町

村医

が九七名不明が五八名との結果となってい

小松来青は伊丹市史第二巻には万延一 1

明治

五年に読み書き算術の寺子屋が昆陽村で開業

されていた

その「習字師」に

小松元春(医)

の名前が載っている

小松元春は小松来青の嗣

かも知れないと言われている

小松来青は伊丹の昆陽村の分苗所だけでなく

周辺の地域の分苗所との交流のあったことが山

崎利恒著

「種痘と徐痘所」(稿本)でわかる

山崎利恒氏は分苗した嘉永三年

一月の医師名簿

に載っている

「摂州米谷の山崎健司

」の孫であ

山崎健司は摂津国川辺郡米谷(まいたに)

村で嘉永三年から十七年間に医業のかたわら分

苗所を聞いて種痘活動に尽力してきた

彼は適

塾には入門していないが洪庵とは様々の関係

で親しい間柄にあった

山崎健司は除措館から分苗を受けて種痘に携

わると共に近郊の医師は分苗に努め涙ぐま

しいような活動を続けていた

名塩の億川信哉から山崎健司への書簡では次

のよつになっている

「貴翰這仕候時下薄暑之節御座候得共先以高堂皆様

御揃益々御多祥被矯在御起居珍重不斜奉賀候然

らば明遡日昆陽池孫太郎茶屋店に集合致度候間早

朝より御出掛可被下尤も

「適塾」第四十

一号平成

一一十年十

二月適 塾

一種痘ワクチン

専門委員が平成十四年に

「緒方洪庵と大坂の除

癒館」(東方出版)で長年の研究成果をまとめ

(I)(2)

られた

そこでは嘉永二年から明治

三年の聞に

分苗を受けた分苗所の現地調査が一部に留まっ

ていたので残されていた現地調査を平成十五

年より実施され全調査をまとめためたものを

平成十七年と平成十八年に

「大坂の除癒館」分

首所調査報告

として「適塾」

コ一八三九(適塾記念会)で発表された

NO

それによると大坂の除措館百八十六名の内緒

方洪庵の門人知人が三十名原老柳の門人

知人十五名の四十五名で全体の二四を占めて

(二)大坂除痘館と伊丹との係り

①小松来青

緒方洪庵の功積の

一つに嘉永二年(一八四九)

種痘専門の施設「大坂除痘館」を大坂在住の医

師十数人と開設したことが挙げられる

大坂除痘館が関東中部地方から九州地方ま

でで嘉永

一一年(一八四九)十一月明治二年

(一八六九)二月までに分苗(

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小松(見陽)高橋(池田)名川(麻田 )山中(小

浜)吉田(西宮)緒方(尼)瀬田(高槻)十七ていた時期があった

八人種痘社中の集会に御座候間是非々々御出席被

下候尚々小生明日御尋申上候

先は右御案内迄

勿々

如此御座候謹言

卯月廿九

山崎老兄

玉机下

II

この書簡から伊丹の昆陽村には大坂除痘館の

分苗所の

一つがあり昆陽村の「太郎茶屋」で

分苗に関する集会が聞かれていたことが分かる

この「太郎茶屋」は「文化三年昆陽池付近絵図」

で昆陽大池の西側で有馬道と行基道の交差する

付近にある「大池茶屋」と思われる

そこは西

宮宝塚尼崎から集まって伊丹で分苗につい

ての会合には都合のょいところであった

伊丹の昆陽村以外で分苗所があったという記

録はないが明治九年の伊丹市野間文書「種痘人

員調書」によれば幕末の安政や文久年間に種痘

した記録がある

又同年コ一月の種痘通知券が

あり伊丹町内と北村で種痘を接種したことが

分かるがいずれも種痘医は不明である

伊丹市史第三一巻では明治維新の文明化に衛生

問題として明治初年以来種痘を奨励している

ことがたびたびあったと指摘している

明治

二年一月から八月まで現在の摂津市

豊中市に園田村を加えた地域を摂津県と呼称し

参考文献等

園田村には

一部現在の伊

前載「緒方洪庵と適塾

古西義麿「大坂の除痘館」

「適塾」第三十八号

平成十七年

伊丹市史第二巻五

一七一良内堀睦

寺子屋から小学校へふるさとの教育史

小西酒造(株)「伊丹歴史探訪」三八

山崎利恒

「種痘と除癒所」

同三頁

同三頁

三十八頁

丹市が含まれていた

八刀苗所調査報告書(1)

当時

一般に種痘は恐れられていたからので摂

一一一一頁

津県においても次の触書が村々に出された

種痘之儀ハ天下之良法ニ一候処患味之者共兎角狐疑抱キ自然痘ヲ以

テ夫死為致候者木少以之外事-一一候向後別紙申達候通御雇医師廻村

之瑚申出之上速二一種痘相請可申若此上相疑候モノ有

之ニオヰテハ芝

度可及沙汰者也

夫「榎の樹の下

明治三年の巡回種痘医四人には緒方洪庵の四

女八千代を妻とする緒方拙斎が含まれていた

四人の巡回種痘医師は村々に派遣された村々

では寺院や惣代の私宅を診療所にあて患者の

治療と種痘を行った

「文化三年昆陽池付近絵図」

「伊丹古絵図集成」

本編

伊丹資料叢書六

九六頁

古西義麿「大坂の除痘館」分苗所調査報告書 (2)

「適塾」第三十九号

一六一頁

伊丹市史第三巻二二九

一四

猪名の会「園田のあゆみ

」六二

六七頁

⑪前載伊丹市史第三一巻一四

川辺郡医師会編

「川辺郡医師会史」二八八頁

前載「大坂の除痘館」八刀面所調査報告書(1)

一頁

②原老柳

「学の緒方に技の老柳」と一言われた原老柳は

天明三年(一七八三)二月十三日西宮札場筋

で生まれる

伊丹で開業したのは文化十四年

(一八

一七)でその聞に江戸と長崎に遊学す

る伊

丹では多国街道と有馬道の分岐点に近い伊

丹郷町で「医処老柳」の看板を掛ける

O

O

Oj

(高原寺資料)

種痘通知書 痘人員取調簿

O

|頁

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絲海 第34号(H21)

文政八年(

一八二五)大坂道修町五丁目で

開業

天保三年(一八三二)医師番

付に登場天保

十一年(一八四 O)西大関に

緒方洪庵は東前

頭四枚目

天保十五年

二月「当時町請医師見立」では

O)

大坂に再移住したこの年から学塾「樹人洞」を

開く『原老柳門譜』に記載されている時代は

天保元年(一八二一

からで一三二人が名を

連ねている

出身地は大坂周辺が圧倒的であり

伊丹出身は上杉順太郎岡高一郎山脇建隆が

含まれている

嘉永二年(

一八四九)大坂除癒館の創設に緒

方洪庵日野葛民大和屋嘉兵衛が中心となっ

て創設された

この除痘館創設に十数名の同士

が賛同しているがその中に原老柳が含まれて

いる

老柳は医者だけでなく酒と文化を求めて来伊

した文人と幅広く交流した

その中で最も知ら

れているのが儒学者漢詩人歴史家の頼山陽

である

頼山陽は文政十二年(

一八二九)十月

二十三日母の梅田町篠崎小竹田能村竹田

高橋草坪らとともに来伊し箕面に紅葉狩りを

した

老柳は黒津翁の和歌の弟子であり篠崎小竹

とも親しくしていたので伊丹の酒「男山」を愛

酒した頼山陽と伊丹をつなげている

頼山陽は文政四年(

一八二二

八月九日山

陽の高弟で小竹の女婿である後藤松陰に次の

ように書いている

伊丹紙屋本家の菊という印の酒を送ってく

れるよう原老柳に頼んで欲しい

これ

は常飲の酒ではない

凡そ口腹のことで人を煩

わすのは慨憾の至りであるが呉々お返事待つ

(新選山陽書簡集)

老柳が古稀記念の祝返しとして配り物をした

記録「原老柳古稀配物」が残されている

(嘉

永五年(一八三二)そこには老柳が開業して

いた伊丹郷からは伊丹三十六人をはじめ西

裏東裏堺丁米屋丁

三本松昆陽口横

手本丁通関連者を一括して百二十六人にな

伊丹以外では西宮池田等を含めて

二百二

十三人に及んでおり伊丹の関係者が半分近く

を占めている

出席者の内訳は

「原老柳古

稀配物」の付属資料に載っている

参考文献等

O

松本順司

j

「原老柳の生涯l

幕末の名医」

伊丹市立博物館市制二一十五年記念第七回特別展

「頼山陽と伊丹

酒の町に招かれた文人たち」

昭和五十年十月

二十四日

柿衛文庫

開館二十五周年記念特別展

「酒都伊丹

につどう 1

詩人俳人商人たち」十

二頁

平成

一一十一年四月十八日

O

前載

「原老柳の生涯幕末の名医」七七頁

同七八頁

前載

「緒方洪庵と大坂の除癒館」一

五頁

五頁

一二三

一て五頁

③原鼎

文化六年(一八 O九)に原老柳の長男として

西宮で生まれる

文政八年(

一八二五)父の老柳が大坂の道修

町で開業して伊丹の診療所をその出張所とし

た後を継ぐ

「四十三歳大坂ニ移住シ伊丹ノ家ヲ出

張所トナシ」「介庵(原老柳長男名は鼎)

伊丹ノ家ヲ続キ業ヲ開ク」

(「原家系略譜」)

原老柳が大坂除措館で活躍しているのを受け

大坂除癒館の「諸国分苗所」の一つとして伊丹

の診療所は位置づけられている

嘉永二年(

一八二九)十

一月にが分苗された

のをはじめ併せて十五人になる

参考文献等

前載

同四四頁

九頁

O

「緒方洪庵と大坂の除癒館

八頁

一四

一除嬉館記念資料室

除措館記念資料室が平成十九年

一六八頁

三月

大阪市中央区今橋コ一丁目緒方ビルクリニックセ

ンター四階に開室した

(洪庵記念会旧緒方

産婦人科病院適塾の後ろで南側に当たる)こ

の記念資料室は先に述べた「大坂の徐宿館」の

顕彰施設として設置された

8~

二十九日

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

展示ケ

ンナ

ンナ l l

l

除痘館記念資料室(今橋3丁目緒方ビル4階)

展示室の面積は五十平方メートルで周囲に

スが配置されている

入口左側はジエ

の牛痘種痘法発見に至る関係資料やジエ

像を掲げているが全体の四分の三は緒

続く展示は洪庵の肖像画や洪庵の種痘を讃

それによると江

戸時代には南野村だけでな

える漢詩を掲げる

同じ展示ケ 1

スの下段には

徐痘館に関する主要文書があり種痘勧奨の引

き札や種痘後の心得等があり牛痘苗の分苗免

状も数店ある

丹の出身者及びその関係者は今のところ不明で

く伊丹郷町にも十数人の医者がいて地域のとも

交流していたことを指摘している

その中に原

老柳原鼎も含まれているものと思われる

在村医は庄屋さんとか惣年

寄とかだけでなく

村の寺子屋の師匠村のお坊さんや禅主とか

村の上層部の人たちと

一体の活動をしているこ

とを指摘している

今回は緒方洪庵に関係する人の伊丹の活躍を

概観した

昆陽村野間の具体的な医者につい

ては分からなかった

幕末から明治にかけての

伊丹を含めた川辺郡の医師の活動について

「川

辺郡医師会史」伊丹市史等を参考にした

の詳細については今後の関係資料の研究に待ち

たい

拙文については私なりに昨年来関係

参考文献等

古西義麿「除痘館記念資料室」オープン

「大阪春秋」

一二九号

十七頁「姓

名録」に直接伊

平成二十年

一月

おわりに

緒方洪庵の開いた適塾の

方洪庵らが設立した除痘館関係資料である

入口右側の最初は洪庵が万延元年に

した

「徐痘館記録」や徐痘館に残されていた古

文書を明治末年に翻刻した

「大阪市種痘歴史

などを展示している

書き残

ある

今年平成二十一年の四月

一一十九日から六

月十四日までの伊丹市立博物館の春季テ 1

マ展

「南野旧村シリーズ第五弾

1

領主村医者

むぎわら

音頭 j

の在村医

究書

「虎狼痢治準」

った

「笹山家文

松(現尼崎市 )

この

伊丹市立博物館

横田冬彦さんが

南野笹山

」が開催された

そこで南野村

笹山寿仙の史料の中に緒方洪庵の研

の写しと思われるものがあ

(二IF 1 腕館記意資料室 γ hellip J と 詐子守しJ い 場所ごゴご軒ヨ店S以S 緒方ピjレ(時捌) 4階与三三2記長諒日ζ訟 I 大阪市申央区今橋 3-2-17 5一一 ~--- r)r盟~ Lー」丘一-l l 電話 06-6231-3257

l krr 臨時間極 ぷ 畑石i [ 平日 午前 1 0時~午後4時二二堂どゴー曲目ムル$ ペ 土曜 午前 1 0時~午後 1 時忌型半需弁じ 巳躍祝祭日年末年始は休館つ示手 配一一一一---C J iltQ参観料無料

会宣下2食傷堂筋餓京販電車途』開駅下車 徒歩叶

幕末のコレラの流行に対して緒方洪庵が

集することから始めた

痘館資料室専門委員

に的確なアドバイスをいただいた

資料山崎利恒著

「種痘と徐癌所」

躍を知るのに役立った

館」分苗所調査報告

(I

その初期の段階から除

文学博士の古西義麿さん

独自に研究したものである

南野村の在村医が

緒方洪庵の研究内容に関心のあったことが分か

しは伊丹の見陽村小松来青の地域を越えた活

書」

又前載

)

)

「諸事控」では南野村の在

(2

村医は南野だけでなく野問昆陽村寺本富

大坂の除措館」を常に参考にさせていただいた

不十分ながらも何とかまとめることができたこ

とに御礼申し上げます

にも診察に行っ

た事が分かる

「笹山家文書」については平成十年

三月

「地域研究いたみ

「江戸時代の在村

」第二七号で

医|伊丹市

参考文献等

前栽

「地域研究

いたみ」第二七号六九七十頁

家の資料から

を研究発表されてい

1

(伊丹市文化財保存協会

資料を収

特に貴重な

(稿本)の写

「大坂の除癌

「緒方洪庵と

会員 )

- 9-Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

pエ

yen f麦玄土期及の

盈オ郎と土

君塁本家小

長谷

正治

手許に「糸海史談』の復刊第一号があるこ

れは昭和三十五年に伊丹史談会によって編集

刊行されたものだ

伊丹史談会は昭和

一一十五

年四月に小林杖吉(丹城)を会長尾上日経を

理事として発足以来郷土伊丹の歴史の顕彰を

目的とし講演会史跡めぐり伊丹史料展等

を開催してきたその発足十周年を記念して刊

行されたものが糸海史談である

当初会を主宰

した杖吉は伊丹町の宮前通りに私立伊丹図

館を設立したことでも有名で明治四十五年六

月私蔵図書五千冊をもって開館している

治末年阪神間では神戸市立図書館とこの伊丹

図書館のみであったというからその存在は遠

くまで知られていた

大正三年には巡回文庫を

始め蔵書も四万冊におよんだが経営的に振

るわなくなり昭和十一年から休館が続き同

十八年には廃止されたというしかし杖吉は

休館を決めた昭和十一年からタブロイド版

「郷土研究伊丹公論』の刊行を始めている

の第

一号

二月二十日刊)冒頭の

「創刊之辞」

の一部を引用すると「郷土研究の必要を痛感

して己まず三十有余年来史料の蒐集に務めた

る予は更に進んで我が郷

土の懐かしき昔の姿

我が郷土の正しき歴史乃至我が郷土に於ける慕

はしき先賢の事蹟を調査し之を研究して見た

いと思ひ乃ち同志と相謀りてここに本紙を刊

行することにした」とその強い決意のほどを

述べている

第三号からは「郷土研究伊丹』と

名称を改め同十

一年は毎月(十

一十一一月は

不明)翌十二年から十五年は年

二1

二一回発刊

している

さて

『郷土研究伊丹』の刊行を続けていた

同十三年杖吉は

『伊丹古野家系譜略』

(博物

館所蔵)という古野家の系図を作成している

古野家からは江戸後期の郷土史家古野将盈が

出ている

将盈は古い記録をもとに伊丹郷町

の歴史を編纂した

『有岡庄年代秘記」や伊丹郷

町の名所地図

『摂州伊丹独案内図』などを遺し

ており系図作成の動機としては郷土史家と

しての「先賢の事蹟」を顕彰しようとする杖吉

の強い思いがあったからと思う

系図の後書き

によると作成にあたり正覚

寺過去帳同回向

録のほか親族の小結家小林家の過去帳および

位牌まで参照したと記されており杖吉の並々

ならぬ熱意と執念を感じさせる

この系図によ

れば安倉村の喜兵衛の二男源兵衛が伊丹堺町

に分家したことに始まり屋号は椛

当主は

代々椛屋源兵衛を襲名している

将盈は三代源

兵衛の五男として明和九年(一七七二)二月

十三日に生まれたが母常が同日死亡したため

鴻池村の吉兵衛のもとで養育されることになっ

たところが椛犀の家督を継いだ長兄の四代

源兵衛が二才の子(邦好)を遺して亡くなった

ため将盈が五代目源兵衛を継ぐことになった

系図には「将盈博識多才最精於郷土史

而著有岡年代秘記有岡奮考酒造奮新録有

岡絵図同付録等」と彼の著作が詳しく紹介さ

れている

このうち最も代表的な著作は前述し

た『有岡庄年代秘記」(京都大学文学部蔵所蔵)

で伊丹郷町所在の寺院の開基年を記した「丹

丘寺院開基年考」南北朝時代の貞治年聞から

江戸前期の万治年間までの伊丹の出来

事を記し

た「伊丹往古年記」それに続いて寛文年聞か

ら江戸後期の文政

一一年までの伊丹郷町史を詳細

に記した「有岡年代秘記」のコ一篇が所収されて

いる

このうち有岡年代秘記には伊丹郷町で

おこった様々な出来事が年表形式で簡潔に記さ

れ現在でも江戸時代の伊丹郷町研究には欠か

せない一書となっている

「伊丹古野家系略譜」小林杖吉作成

10 -Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

将盈は多くの重要な著作を遺しながら生没

年を含め来歴も長らく不詳であったが杖古

による将盈顕彰の努力によって明らかになった

のである岡田利兵衛も「伊丹市史

」の中で

「彼は尚古のたしなみふかく

「有岡庄年代秘

記』以下多数を編著し伊丹懐古に貢献した」

と郷土史家としての将盈を高く評価している

将盈と同時代を生きた人に梶曲阜がいた曲

阜は将盈より

一一十六年後の寛政十一年(一七

九九)に伊丹で生まれた

梶家系図録(文化

財保存協会所蔵博物館寄託)によると梶家

はもと小畑六兵衛といって東桑津に住していた

が後に津田氏を名のり曲阜の曽祖父の代から

伊丹伊勢町に移り住んだ

祖父金兵衛の代に姓

を梶と改めたという

屋号は大和田屋で曲阜

も大和田屋金兵衛と称した曲阜は照顔斎と号

しているがこれは彼が敬慕する俳人鬼貫を赤

い顔と解して自らを「てる顔」と称したという

家業のかたわら俳句にも通じ安政

三一年には

二条殿から俳諸宗匠として官服御免許の待遇を

うけている

曲車は伊丹の俳人としての大先輩

である鬼貫を顕彰するため鬼貫の遺墨をもと

に伊丹や近郊に七基の句碑を建てたが俳諸に

とどまらず伊丹の歴史にも強い関心を示して

いる彼の編著による

『有岡古続語」(博物館

所蔵)は乾坤二冊の折本で『伊丹荒木軍記」

公圭画香披賛「照顔斎曲車肖像」

転載したほか曲阜自らの見聞による著作を収

載している

その内容は地名の由来野宮

伊丹城俳譜鬼貫のことから当時流行して

いた能狂言角力酒呑のことまで実に多岐に

わたっている

また

「伊丹酒家盛衰の事」は

幕末の伊丹の酒造業の状況を伝える史料として

価値が高く正に江戸時代の伊丹郷町史といえ

るものである

曲阜は将盈について

『有岡古続語

』のなか

で次のように述べている

「此将盈といへるハ

往年大庄屋勤められし椛屋源兵衛といへる人な

り曽て在岡旧考といへる

一巻の著述あり

よく此里のふるき事跡を探索して記し置けり

苗字を古野といへり堺町に椛屋何某といへる

ハその子孫なりこの三本松の記借りくれる人

将盈とハ何人なることをしらさりけれはいささ

か記しぬなり

」将盈は兄の子邦好が長じる

(一八六五)の二十八年も前に将盈はこの世を

貢献している

と家督を譲り出家して多国院村の西方寺十二

世の法灯を継ぎ天保八年(一八三七)に六五

歳で亡くなっている

曲阜が「有岡古統語」を編纂した元治二年

去っており「三本松之記」も子孫から借りた

というから親交があったとは思えないが将

盈と曲阜ほほ同時代を生きた伊丹の二人の郷

土史家彼らの遺してくれた著作は今も郷土

伊丹を知る上で大きく

(伊丹市立博物館長)

博物館からのお知らせ

夏季企画展

大阪国際空港開港七

周年記念

|空港と

O

O

とともに一つの箱に収められている

有岡古続

語には西谷午蔵の「有岡むかし語」「有岡

むかし語余禄」古野将盈の「

三本松之記」を

場 期

所 間

歩んだ七

7

月 4

日(土)18月叩日(日)

伊丹市立博物館

11-

年 l

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絲海 第34号(H21)

そのために伊丹郷町館の

監視案内業務に携わり伊丹

郷町の歴史文化の顕彰に参

画し訪れる市内外の人々に

伊丹の歴史を実感してもらい

伊丹市と「ともに」我がまち

「伊丹ブランド」の全国発信

の一翼を少しでも担ってまい

りたいあわせて文化財愛護

少年団を中心とする後継者の

育成に努力を傾けてまいると

ともに伊丹ロマン事業の取

組の中で各種関係団体との連

携を更に深め過去から受け

ついだ文化遺産を未来永遠に

継承し保護すべく努力する

具体的には

次の事業に重点

を置き推進する

(1) ①文「 講化万座財葉のにを開閑読講すむる」 事

講業座

「第 3

回文学碑をた

平成二十一年度の

事業計画の紹介

5

月ロ日

(金)に予定をし

ていました平成幻年度総会は

皆様もご存じのとおり新塑

インフルエンザの発生により

急逮中止を余儀なくされま

したそ

の後総会の取扱いにつ

いて様々な観点から慎重に

検討しましたが

一堂に会す

る総会の開催は諸般の事情で

中止することとしその代わ

りとして総会出席予定であ

った会員の方々に限定し総

会議案書を送付し各会計決

算報告等をご承認していただ

いた上で事業計画

(案)

各会計予算(案)

をご承認し

ていただきました

ご理解

ご協力をいただきありがとう

ございました

その主な事業計画の内容は

次のとおりです

本年度も文化財の保護

顕彰に努め市民が文化財に対

する知識と理解を深めるため

に啓発活動強化を図り協会

の充実発展に努める

平成二十年度

事業の回顧

万葉講座を開催ldquo

毎年ご好評をいただいて

います「万葉を読む」講座を

加年度も6

月 4

日から 8

月幻

日の期間に伊丹ホ

9月刊日には

「万葉を読

む」現地講座「奈良県明日香

村方面」を実施

講師の大森

亮尚先生を案内人として参加

者判名で藤原宮跡香具山

神社万葉の森

石舞台を通

しての万葉の旅でした

ずねて 1

現地講座 1

文化財講演会の実施

史跡めぐりパスツア

(6月から 9

月現地

講座を含め全 7

②「古代民俗講座」

(9月から叩月全

実施)

③伊丹ロマン事業

(文化財強調月間)

「第 3

回リレ

1

ω林海学 1

回実施)

5

回講座

5 4 3 2 (5) (4) (3) (2) (1) (4) (3) (2) (1) (5) (4) (3) (2)

各文 組 文

l

の実施(日月中旬)

文化財整備に協力

伊丹郷町館の委託業務

(旧岡田家旧石橋家

住宅の監視案内業務)

72 文化立化遺企遺産

城)」

「産の伊の保丹保護城護(顕有顕彰

「清酒発祥の地岡彰」

等にまつわる冊子の編集

文化財案内ボランテイ

アの充実強化

文化財パトロールの実

方面各文化財保存団体との

階大

ル3

1

会議室で全 6

回開催しました

講師は古代民俗研究所代表の

大森亮尚先

生で

「万葉秀歌

と歌人

マに参加者

」をテ l

ω

名で学びました

織 連携

強化

拡充等

の役員の担当制

伊丹市文化財保存協会

ホームベ l

ジの内容充実

機関誌「締海(比号こ

の発行

(6月下旬)

会員の増強

役員研修の実施

種化関財係愛団護体少と年の団連の携育

bull 12 -

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--E

報誌

のホ 1

「いたみテイ」を当協会

のもと参加者を四グループに

分けて巡った

りリレ

方式で

実施当該

講座を受講することによ

って

更に伊丹の歴史

文化の深さ

を受講者総数日別名もの多くの

市民に知

て頂いた

(1日目)

開催日時 日月幻日

(土 )

4

0

-)

1

「伊丹郷町遺跡出

O O

i

i

UU

0 場

士の人形

小西酒造「長寿蔵

二階ギャラリー

伊丹市文化財スケッチ集

原画展の開催ldquo

古代民俗講座を開催ldquo

旧岡田家住宅酒蔵において

ムペ

1

ジに追加いたし

開催日時日月9日

--ム

-

開催場所見陽池公園内

qd-nv

-qぺU11i)n0

AF1h~

[アドレス]

(日)

ハ AU

協会創立判周年記念事業と

古代民俗講座を9月

日から

M

UV

して会員の渋出純子氏に作成

頂いたスケッチ集の原画を旧

岡出家住宅

土間において

8

2

日から 8

日口日までの問展

一ボ期間中の観覧者数は一

コ一十八人を数えた

日月却日の間に全 5

回開催し

ました

「日本の怨霊再び」をテ

マに講師古代民俗学研究所代

表の大森亮尚先生の講義を受

講生刊名で楽しく学んだ

ホl

ムペ l

ジの追加lsquo

」れまで検討を続けていま

したわがまち伊丹のグラフ情

万円一ヨ

ZH

TUC

Z

-SNE-

参加者数 お名

②「リレ l

講座紙

海学 j

O伊丹の歴史文化の

主たる

をテ i

マとした三つの講座を

大手前大学教授の川口宏海先

生方を講師とし j

第二回

業が繰り広げられ

l

次の

と好評を博した

市内には

年から昭和

「歴史文化が醸し出す

伊丹ロマン事業」の実施

伊丹市伊丹市教育委員会

が提唱し文化財関係同団体

で構成する伊丹ロマン事業実

行委員会を中心として各種事

当協会も

二つの事業を展開し多

くの市民の皆様方の参加のも

①「文学碑を訪ねて

j

現地講座

」j

当協会が昭和町

ω年までの 4

年の

聞に設置した

がある

ω基もの文学碑

その中で見陽池公園

一帯に設置した昆陽池等に因

んだ文学碑日基を判り易い解

説書を配布し事前研修に取

り組んだ当協会理事の説明

3

日間に一日

O O

講師

」川口宏海氏

-13-

l

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日目

)

O O開催日時

A1i

講師

l

(2日日

)

開催日時日月お日

l

4

0

1

ょハ

U

マ①「伊丹郷町遺跡

大正昭和ロマン1

講師

小西酒造

長寿蔵」

二階ギャラリー

(

日月山日

A斗

ハυ

伊丹郷町ロマン

-

(日)

j

伊丹茂氏

(月)

h

-

υ

「摂津のへそ」

その一

村上敏展氏

小西酒造「長寿蔵」

二階ギャラリー

i

史跡めぐり

パスツアーldquoの実施

平成叩年度の史跡めぐりパ

スツア

日月日日

(金)

に和歌山県根来

高野山を

巡り楽しい一日を過ごしま

した

なお参加者羽名で実

施しました

第六回ひなかざり

伊丹郷町ldquo

平成加年度も

「白雪蔵ま

つり」

「わっ

しょい冬の

元気まつり

「一日だけの

バレンタインカフ

」等々の

イベントと連携を図り開催

期間を 2

7

日から 3

8

までのお日間とし

旧岡田家

住宅において明治から昭和ま

でのひな飾りやカルタすご

ろくの展示

「遺跡が語る伊

丹の酒造り」と

題した写

真パ

ネル展そして酒蔵大画面ビデ

オ放映

「伊丹の暦史

」の上映

南京桃の展示即売会を実施い

たしま

期間中次の出

来事がありました

立派な盆梅の展示

植木どころである東野の若

手グループより盆梅の展示が

ありました

文学碑の拓本と

写真パネルの展示

2

月 9

日に実施された田辺

聖子氏

「伊丹市名誉市民贈呈

式典」会場に協会出展として

ご本人揮官宅による文学碑の拓

本と写真パネルを展

示した

役員研修会を実施ldquo

3

月刊日に役員研修会を参

加者同名で実施しました

今回は岐阜県の関ヶ原と滋

賀県の安土城の視察研修を実

施しました

14

3

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において団員幻名参加のもと

(稲野小6

年)

平成二十年度伊丹市γ

和人

愛護少年団(かるた大会)

文化財愛護少年団入図式一笹の葉に願い事を書き込んだ

夏希(稲野小

年)

3

短冊や色紙で作った色とりど

優勝】「ブラックホ

1ル」

5

月白日旧岡田家住宅酒蔵

りの飾りを結びつけ旧岡田

【準優勝

教育長盾

渡辺

彩花(南小

年)

5

で入図式を行いました

家の玄関に設

行き交う

杉山

健太

(花里小 年)

4

沖野帆乃花(南小 5

年)

団員町名保護者指導者

人々の目を楽しませていた

麿瀬

大城(花里小

年)

4

山本

楓子(南小 6

年)

等別名の計115

名参加のも

初仕立口

穂高 (花里小 年)

4

と入国式が挙行された

第二位

「ガツツカポ1

ズ」

【第三位

疋田

彩花(南小

年)

6

文化財保存協会

会長盾】

大西久美子(南小 6

年)

愛美(花里小 6

年)

山田恵美釆(南小 6

年)

l

大前

綾香(花里小

年)

6

野口奈々美 (花里小6

年)

第三位「ミッキ

1

前田

みゆ

鈴原小2

年)

村上

璃帆(昆陽里小 6

年)

ω文化財愛護かるた

勝部

ザ利子(鈴原小2

年)

小田美都里(見陽里小 6

年)

大会を開催

中里かりん

(鈴原小2

年)

増井佐弥香(見陽里小

年)

6

新春恒例のかるた大会を1

月8

日には図書館 2

階で(出

組問人)1

月刊日にはいた

l

4

みホ

階和室で(団員羽

名指導員他ロ名)

同チ ムロ

人)実施した

Q

市内小学生文化財愛護少

ωサマ

キャンプの実施

年団員を対象とし参加者は l

8

月刊ω日 18

月印日の 泊

合わせて 135

人であった

伊丹市文化財愛護

2

日で団

日指導員他 8

結果は次のとおり

少年団の活動

名の参加のもと

「兵庫県立歴

FζnkHV

図書館大会(かるた大会)

りたなばたまつりの実施

史博物館」

「姫路市自然観

)11

7月 5

日国の重要文化財

察の森」そして

「赤穂海洋

【優勝

市長杯

である旧岡田家住宅

「酒蔵」

科学館」等の見学をした

松本

直之

(稲野小6

l

d

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

凶文化財愛護少年団

す叫「業旅行の実施

3

月幻日に愛護少年団の卒

業旅行を

ω字の参加のもと大

阪城大阪歴史博物館を見学

しました

既刊書あんない

伊丹の文化財

二千円

分布地図

五百円

伊丹の伝説

八百円

麦わら音頭

文学碑をたずねて

伊丹の年中行事

伊丹の酒造り道具

文化財を訪ねて

有馬道

巡礼と街道

伊丹の仕ごと唄

伊丹のわらべ唄⑦

新伊丹史話

聞き書き

六百円

一千円

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「伊丹のくらし」千二百円

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ロ号

第お号

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伊丹の文化財

「スケッチ集

「スケッチ集

発掘された伊丹の町

酒の町伊丹

ー」四百円

E

」四百円

百円

以上の書籍類は当協会事 四

百円

務所(旧岡田家住宅内)

ます

L

収博物館において販売してい

伊丹の文化財

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E

」四百円

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光物産協会

(JR伊丹駅コン

コース内)

において販売して

います

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E

」四百円

以上のスケッチ集は

アー

トホ

l

「蔵(くら)」(JR

伊丹駅前アリオ2

号館一階)

において販売しています

伊丹城跡発掘調査報告書

E四百円

五百円

各七百五十円

W-V

有岡城跡発掘調査報告書咽=

一千円

伊丹市埋蔵文化財調査報告書

I

(有岡城跡)

五百円

E

(御願塚古墳)

五百円

有岡城跡伊丹郷町

E

第1

2

分冊

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緑ケ丘遺跡

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一千五百円

緑ケ任遺跡第

三次調査報告書

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口酒井遺跡詑お次調査

報告書

二千円

埋蔵文化財保護の手引き

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以上の書籍類は伊丹市教

育委員会事務局生涯学習部杜

会教育課において販売してお

ります

会員が開設している

ホームペl

ジldquo

どしどしアクセスしてくだ

さい皆様の求める情報がギ

ツシリありますよ

1

【アドレス】

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「一一寸

編 [集

「巳

-言回

紙海M号をお届けします

今回は豊田正義さん益尾

宏之さん小長谷正治さん

中畔明日香さんから原稿を頂

きました

お忙しい中執筆

頂き有難うございました

さて事務局長として長年

当協会の発展にご尽

力して頂

いた古屋敷達夫氏が本年

3

末をもって退職されました

16

本当にお疲れ様でした

古屋敷氏の後任として

年三がその職に就くことにな

りました

全てが初めての体

験となります

」れから協会のため皆様と

ともに頑張っていきたいと考

えておりますので会員の皆様

のより一層のご支援ご協力を

頂きますようよろしくお願い

申し上げます

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絲海 第34号(H21)

終海第 34 号発行日 平成21年 6 月 25 日

編集伊丹市文化財保存協会

664-0895 伊丹市宮ノ前2丁目 5香28号市立伊丹郷町館(旧岡田家住宅内)電話 FAX 072-772-8830 (直通)ホームページ httpitami-bunkazaijp Eメール o伍ce itami-bunkazaijp

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

Page 2: 第 34 号 - 伊丹市文化財保存協会 · 城、王の不在を察知し を開けさせて、他の砦も攻撃、侍町にも火を放. 璃塚砦の武将を調略。十月十五日の深夜に城門た信長軍は、有岡城惣構えの西側の要である上

行基の遺産

「土塔」を

ご存知ですか

中畔

明日香

行基は小学6

年生が使う社会の教科書にも

載っている有名な僧侶です伊丹市民の方には

行基町という地名の由来にもなっていますし

日比陽池をつくった人として馴染み深い方だと思

います

行基は天智天皇

7(六六八)年に河内国大

鳥郡(現大阪府堺市)で生まれ日歳で出家

得度しました

その後飛鳥(現奈良県明日香

村)や山林で修行を行い訂歳の時生家を

「家原寺」と改め布教活動や民衆のために

骨骨

布施屋院の建設をはじめますその後院

道場につながる溜め池用水路をさらには道

路橋などの建設を行います

ここ伊丹(当時は摂津国川辺郡)にも「昆陽

施院

一や

「昆陽布施屋」がつくられました

のどちらかの後身が現在の昆陽寺だと言われ

ていますまた摂津田に5

箇所の池と2

つの

溝をつくったとされておりそのうち「昆陽上

池」が現在の見陽池にあたります

その頃民衆のための寺院建設は法律で禁止

されていました

行基のこのような民衆への活

動を政府は抑圧しましたが徐々に認め許

可しましたそして聖武天皇の東大寺大仏造

営の際行基をはじめその弟子たちは活動を

通じて民衆へ大仏造営への参加を呼びかけます

活動に感銘を受けた人々は行基の生前より

行基菩薩と呼びました

そして死後は信仰の

対象となります

行基は生前中必院建立したとされていま

そのひとつ堺市にある「大野寺一の仏塔

はとても不思議な形です今年国史跡「土

塔」(堺市中区土塔町昭和お年指定)として

整備が完了し住宅地の中にお目見えしました

a-

写真一国史跡「土塔」堺市文化財課提供】

この士塔は行基ω歳の神亀4(727)年

に起工され鎌倉時代の『行基菩薩行状絵伝」

(重要文化財)には「十三重土塔」と記された

塔が描かれています

堺市によって発掘調査が

行われブロック状の粘土を積み上げた内側に

土を盛った高さ

8m

以上一辺日m以上ある

塔であることがわかりました

その土壇の全面

に約6

万枚の瓦が葺かれていたと考えられてい

ます

大野寺は室町時代に火災で焼失しましたが

江戸時代に再興され現在まで真言宗土塔山大

野寺として継続しています

土塔について言葉で表現して伝えようとして

も正確なイメージをしていただき難いと思い

ます

皆さんがご存知のお寺の塔とはあまりに

も外観が異なりますので

是非

一度この士

塔を見に行かれてはいかがでしょうか行基の

残したこの塔を前に天平の世界を感じて下さい

布施屋都に税物を届けにいく民衆のための簡易

宿泊施設

交通の要衝に建設された

垣を巡らした建物との意味

民衆のため

の寺(道場)を指す

-

本来悟りを求めて修行をする人をいう

(伊丹市教育委員会事務局社会教育課主査)

菩薩目

-行基の遺産「土塔」をご存知ですか1

反骨の絵師

「岩佐又兵衛」ji--214

「緒方洪庵に関係する人の

伊丹における活躍」519

江戸後期の郷土史家

ー古野将盈と梶曲阜1

bullbullbullbullbullbullbullbullbullbull

叩11

博物館からのお知らせ夏季企画展日

事業の計画回顧編集後記ロlM

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絲海 第34号(H21)

反骨の絵師

「岩佐又兵衛」

有岡城と岩佐又兵衛

豊田

正義

戦国時代の天正五年

(1577)十

一月に有

岡城を訪れた宣教師ルイスフロイスは

「我等

は宵の口に伊丹と称し甚だ壮大なる見事なる

城に着きたる

彼は又新に築城せる壮麗な

る城を」の書簡を本国におくつているそ

の壮大な城も三年後の天正七年

(1579)の

秋に織田信長に攻められて落城している村

重以降は池田之助が入城天正十一年

(158

3)に岐阜に移ってからは幕府の直轄地を経

て惣構えの大半が摂関家の近衛家の領地とな

り城跡も時代とともに開発の手が入り変貌し

ていった

近年は昭和五十年代に国鉄伊丹駅前の再開

発が計画実施され城跡の発掘調査が行われ

て本丸の土塁跡石垣堀跡などの遺構が発

見されて

「城郭の中世から近世への移行期の貴

重な遺構」として昭和五十四年十二月に国史跡

の指定をつけている

現在その有岡城跡公園には荒木村重荒

木たしの文学碑がひっそりと建っている今秋

有岡城跡は丁度国の指定を受けて節目のゴ一十

周年を迎えようとしている

岩佐又兵衛は荒木村重と荒木たしの末子と

して天正六年

(1578)に生まれたといわれ

ているその年は摂津守荒木村重の絶頂期から

の転換期にあたり子供たちにとっては翌年に

かけて生き延びる者殺される者とに分かれる

苦難の時代を迎えることとなった

村重は天正六年の秋出陣中の三木城包囲網

の陣地から突然伊丹に帰り有岡城に龍城して織

田信長に謀反をおこした信長は村重の説得に

失敗早速十二月には数万の大軍が有岡城を

攻撃したが攻めきれずに持久戦になっていった

十ヵ月後も勝着状態が続くなか荒木村重は

状況打開のために九月二日に援軍を求めて嫡

男村次のいる尼崎城に移った

しかし頼みの

毛利軍は海上を信長軍に封鎖されるなど身動

きできない状況にあった

城王の不在を察知し

た信長軍は有岡城惣構えの西側の要である上

璃塚砦の武将を調略十月十五日の深夜に城門

を開けさせて他の砦も攻撃侍町にも火を放

たれて城内は大混乱を極めたといわれる

信長

軍は堀によって区切られた本丸を意図的に攻

ハダカジロ

め込まなかった

信長公記には

「裸城になされ

たり」と記されている

みどり子の岩佐又兵衛はその時に乳母にだ

き抱えながら有岡城本丸を脱出したといわれる

それから

一カ月後の十

一月十九日に有岡城本

丸は降伏した

有岡城跡公園の荒木村重たしの文学碑には

本丸落城時の

一一人の心境をあらわしているあ

らきたし

「霜かれに残りて我は八重むくら

にはのうらのそこのみくつに」荒木村重

「思い

きゃあまのかけ橋ふみならし

なにはの花も夢

ならむとは」

信長軍は本丸にたて龍もった数百名を人質

に尼崎城花隈城の開城をせまったが村重

は石山本願寺の最前線基地としての位置付け

播州三木城が龍城中などの理由から救命条件を

のまなかった

激怒した信長は数百名の者を尼崎城近くの

七松で処刑を断行した残りの村重の親族

三十

六名(村重の子供二人を含む)を京に連行し市

中引き回しのうえ十

二月十六日に六条河原で

処刑した

今楊貴妃といわれた荒木たしは二首

の辞世の歌を残している「消ゆる身は惜し

むべきにもなきものを母の思いぞ障りとは

なる」「残し置くそのみどりの子の心こそ

思ひやられて悲しかりけり」母親の子供の将来

を案じる心情がよ

くあらわれている

その子供が後に

浮世絵の元祖とも

いわれ江戸時代

を代表する絵師岩

佐又兵衛といわれ

ている又兵衛は

母親とは死別父

村重とは離散とい

う厳しい幼少期で

あった

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絲海 第34号(H21)

一時武士(秀吉配下の織田信雄の小姓説)

庁三の丸美術館)「上浄瑠璃物語絵巻」(MO

有岡城跡公園 荒木村重たし文学碑

その後の岩佐又兵衛

有岡城を乳母と脱出した岩佐又兵衛は京都

の本願寺系の子院に身を隠したとされる

本能

寺の変までの織田信長存命中は信長は自分に

楯突いた荒木の残党狩りをしきりにおこなって

いた

高野山が荒木の残党を匿ったとの理由で

各地で活動していた高野聖千数百名を処刑して

いる

そんな状況下で又兵衛は荒木など名乗れ

るわけがなく母方か乳母の姓を名乗ったもの

とおもわれる

又兵衛は幼少期から和漢を学び絵も村重家

臣の子であった狩野内膳に師事したといわれる

八歳の時には豊臣秀吉の京北野天満境内での北

野大茶会ものぞいたり摂関家の二条家にも出

入りの記録があり幅広い教養を身につけていた

ようだ

荒木村重存命中(天正十四年没又兵

衛七 1

八歳)に親子の対面があったのかは記録

がなく想像の域をでない

を目指したがあきらめて天性の絵の道にすすん

そこでは当時絵の主流であった狩野派土

A

美術館)などはその時代の作品といわれて

いる

佐派と交流を深めながら独自の画風を残したと

される

又兵衛は人生の大半を京で絵師として

過ごしたが京時代の代表作は「洛中洛外図扉

風」(舟木本東京国立博物館)「豊田祭礼図

扉風」(徳川美術館)があげられる

還歴の時再び転機がおとずれた

之庄(福井市)に招かれて同行する

同地の興

宗寺に寄寓し絵師として活躍する

福井藩は

徳川家康次男の結城秀康が初代藩主の六十八万

石の大藩で二代藩主松平忠直

三代松平忠昌

(忠直の弟)の庇護をつけて多くの絵巻物など

作品を残している

「忠直卿行状記(菊池寛作)」

で有名な藩主とは気脈が通じるものがあったよ

うである

赴任時の様子として

「今日大橋の上

にて威風なる男に逢い申し候緋縮緬の股引を

はき居ると申す

それは浮世又平なるべし

(MOA

平当国へ来る筈也と仰せけるが果たして又平

にてありれると也」(福井の文献「越翁夜話」)

が残されている

北之庄時代の又兵衛は円熟期

に入り絵師として

一定の評価をつけていた

大な絵巻物は

一人の技では困難とされ絵師を束

ねる工房を設けていたといわれる

その名声は

江戸にも伝わっていた

その絵巻物の大作「山

中常盤物語絵巻」

美術館)「堀江物語

絵巻」(香雪美術館)「小栗判官絵巻」

(宮内

(1637)二月に

三代将軍家光に招かれて

単身江戸に向かった

旅日記の廻国道之記によ

ると福井をたち京で十日程過ごして江戸に下っ

ている

格調高い内容である

しかし三島宿

以降が欠落している

江戸には幕府のお抱え絵師の狩野派が多数お

り江戸城本丸の建築中の時期でもあり絵師の

絶対数が不足していたこともあるが江戸城大

奥の表使荒木(

一般に荒木局と呼ばれている

又兵衛の姉)と春日局のル

トから将軍への

推挙も考えられる

表使荒木は幕府が編纂した

寛政重修諸家譜によれば村重息女二人が本願寺

人質となっている

本願寺の人質とは別にもう

一人の息女として「崇源院殿(将軍秀忠夫人)

及び大猷院殿(将軍家光)に仕へたてまつり

荒木と称す」と記されている

何処で育ったの

l

か不明しかし大奥の中枢部で長年仕えている

ので相当の教養を身につけていたとおもわれる

江戸では将軍家光の娘千代姫が尾張徳川家

に輿入れの調度品の製作に携わっている

十四年

(1637)川越東照宮が焼失

そこの

三十六仙絵の話があり製作に取り組んだりして

次々と大名などからの仕事が舞い込み大車輪の

活躍をする

寛永

晩年は持病の

一種)」に苦

「おこり(熱病の

四十歳の時本願寺の縁でひとつの転機が訪

れた

親交のあった本願寺務めの僧心願から北

寛永十四

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身像である

しめられている

この時期に自画像を福井の妻

に送っている

その絵はやせて少しヤツレタ感

じで椅子に掛けて右手に長い杖を持っている全

後方には薙万が置かれ武士の出と

しての誇りをもっていた福井を単身で離れて

十三年後の慶安

三年

(1650)に江戸で七十

三歳で没した

又兵衛の希望で骨は二つの骨壷に入れられ

福井に送られた

その

一つに墨書で荒木と書か

れていたという

岩佐又兵衛の絵

岩佐又兵衛は生存中から人気絵師で

福井市興宗寺 岩佐又兵衛の墓「浮世

又兵衛」と呼ばれたり後に近松門左衛門の浄

瑠璃「傾城反魂香」の吃又のモデルとしても有

名であった

画風は当時の主流である狩野派

土佐派に属さずそれぞれの画風を取り入れて独

自のものを確立したといわれる

特に又兵衛

の絵に登場する人物像は

男女ともにふっくらとした頬と下顎の長い顔

と足先のそりかえった動的な描写などが特徴と

される

岩佐又兵衛の真骨頂は御伽草子古浄瑠璃

を題材にした多数の絵巻物語にある

内容の大

半が劇的なものである

代表作として

「山中常

盤物語絵巻」があげられるそれは十二巻構成

の極色彩で全長百五十メートルの壮大なもので

ある

絵巻には古浄瑠璃の歌詞が添えられてい

出所は越前松平家を祖とする津山藩に伝わ

ったものである

物語は年若い牛若丸が奥州平泉の藤原氏に

迎えられていた京の常盤御前は息子の牛若丸

会いたさに侍従とともに平泉に向う途中中山

道の山中宿で盗賊に命を奪われる

牛若丸が山

中宿に行き母の仇である盗賊を討つ物語である

常盤御前が殺される描写にスペースをさき盗

賊を討つ修羅場の場面はすざましい

岩佐又兵衛は母親たしが織田信長によって

処刑された怨念が時は戦国時代から平和な江

戸時代に推移するなかで絵巻を通じて仇討ちの

思いを果たしたといえる

「堀江物語絵巻」も堀江家の親の仇討ちとお

家再興の物語である子供の太郎(月若)が幼

少の頃に国司に殺されそうとなったときに乳母

に救われて奥州に匿われる場面なども素晴らし

い内容の作品である

参考文献

荒木村重史料伊丹資料叢書四

『村重』第七号荒木村重研究会会報

岩佐派のゆくえ福井県立美術館

奇想の系譜ちくま学芸文庫辻惟雄

岩佐又兵衛文春新書辻惟雄

芸術新潮

102004

新潮社

週刊アーティストジャパン

岩佐又兵衛

40

デアゴスティ

絵巻山中常盤解説資料自由工房

謎と伝説の絵師岩佐又兵衛

日経新聞

1997

2

912

23

ハイビジョン特集天才画家の肖像

「伝説となった絵師岩佐又兵衛」

0NHK

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(伊丹市文化財保存協会

理事)

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川い劃MOA像画向

口岩佐又兵衛

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歴史上の人物と伊丹ldquoについて

「緒万洪庵に関係する人の

伊丹における活躍」

益尾

宏之

はじめに

i

これまでの歴史の舞台に登場した人物の内

伊丹にゆかりのある人として「締海」三二号で

は「伊能忠敬と伊丹」を二三一号では「天訴組

伴林光平の伊丹における足跡」についてとり

あげた今回は直接伊丹に来たことは確認さ

れていないがその関係者が活躍した人として

緒方洪庵(一八一 01

一八六三)をとりあげた

い「総海」三三号では西宮で生まれて伊丹で

1

活躍した原老柳(一七八三

一八五回)を「緒

について」日本医史学会関西支部

「医聾」復刊第

方洪庵の門弟」と書いたが門弟ではないので

「緒方洪庵に関係する人」に訂正したい「学

の緒方に技の老柳」言われており緒方洪庵と

原老柳は同格でありその活躍年代は少しずれ

ている

参考文献等古西義麿「原老柳死亡前後の動向

八十七号九十

九十七頁平成

二十年三月

緒方洪庵について

緒方洪庵が天保八年(一八三八)に大坂に出

て瓦町に蘭学塾適塾を開くまでの主な経過は

次の通りである

緒方洪庵は文化七年(一八一

O)備中国足

守(現岡山市足守)で足守藩士佐伯惟因とキ

ヨウの三男として生まれた十五歳で父と共に

大坂に出て十六歳の時に大坂の蘭学者中天

瀞の塾に学び緒方三平と名乗る

十八歳で蘭学修業のため江戸に向かう二

十一歳で江戸に入り蘭学者坪井信道の塾で

学び蘭医の宇田川榛斎にも学ぶ

二十五歳の

時に中天誹が死去しその塾で蘭学を学ぶため

大坂に赴く二十六歳のときに中天瀞の子耕

介を伴い長崎修行に出るこの時から緒方洪庵

と名乗る

一年後に長崎での勉学をおえ足守

に帰省する

三十六歳の時に適塾を過書町に移転する

緒方洪庵が最初に種痘に関わったのは適塾を

聞く少し前に兄の子に人痘種痘を行い成功

嘉永一瓦年(一八四八)に長崎のオランダ商館付

医師モ l

ニッケの元に牛痘がもたらされた

嘉永二年(一八四九)に牛痘苗を笠原白翁に

分けてもらい以後古手町の大坂除痘館で午

痘種痘法の普及に努める

緒方洪庵

参考文献等

適塾記念会編集発行「緒方洪庵と適塾」

平成五年六月五十八 1

六十

一頁

適塾種痘と伊丹との関わり

(二適塾

適塾に入門した門下生の「姓名録」には北海

道から九州まで全国の六三六名の名が残されて

いるその中には幕末から明治にかけて各方面

に目ざましい活躍をして日本の近代化に大きな

貢献を果たした人が多い例えば大村益次郎

福沢諭吉が含まれている

「姓名録」に基づく都道府県別の塾生名簿が

三人であ

ありその内兵庫県県の出身者は三十

その具体的な氏名を「都道府県別適々斎塾

生姓名録」で当たってみた摂州の出身者は

四人いるが伊丹の人は見当たらない

ただ今も続けられている適塾記念会による

「適塾門下生に関する調査報告」で伊丹の関係

者がみつかるかもしれない

緒方富雄編著

「緒方洪庵適々斎姓名録」(財)学校教育研究所

(昭和42年 1 月)

5 Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

参考文献等

適塾記念会

場毒物数 r員正 w

適塾記念会「緒方洪庵と適塾」五十六五十七頁

適塾記念会

larr都道府県別

適々斎塾姓名録」

芝哲夫「適塾門下牛に関する調査報告」(二十八)

の分与)した医師名簿百八十六名の中に嘉永五

年(一八五二)一月に「摂州昆陽村小松来青

が含まれている(ij 存乏 除

後藤松陰が山崎遷司に贈った額

(長さ四尺五寸幅二尺五寸)

〈宝塚医師会山崎利慣氏所蔵〉

cr川辺郡医師会史J 昭和62年289頁)

大坂除痘館については古西義麿除痘館資料

いる

一八六名の身分は現在のところ藩士が十名

藩医が十七名身分不明が四名町

村医

が九七名不明が五八名との結果となってい

小松来青は伊丹市史第二巻には万延一 1

明治

五年に読み書き算術の寺子屋が昆陽村で開業

されていた

その「習字師」に

小松元春(医)

の名前が載っている

小松元春は小松来青の嗣

かも知れないと言われている

小松来青は伊丹の昆陽村の分苗所だけでなく

周辺の地域の分苗所との交流のあったことが山

崎利恒著

「種痘と徐痘所」(稿本)でわかる

山崎利恒氏は分苗した嘉永三年

一月の医師名簿

に載っている

「摂州米谷の山崎健司

」の孫であ

山崎健司は摂津国川辺郡米谷(まいたに)

村で嘉永三年から十七年間に医業のかたわら分

苗所を聞いて種痘活動に尽力してきた

彼は適

塾には入門していないが洪庵とは様々の関係

で親しい間柄にあった

山崎健司は除措館から分苗を受けて種痘に携

わると共に近郊の医師は分苗に努め涙ぐま

しいような活動を続けていた

名塩の億川信哉から山崎健司への書簡では次

のよつになっている

「貴翰這仕候時下薄暑之節御座候得共先以高堂皆様

御揃益々御多祥被矯在御起居珍重不斜奉賀候然

らば明遡日昆陽池孫太郎茶屋店に集合致度候間早

朝より御出掛可被下尤も

「適塾」第四十

一号平成

一一十年十

二月適 塾

一種痘ワクチン

専門委員が平成十四年に

「緒方洪庵と大坂の除

癒館」(東方出版)で長年の研究成果をまとめ

(I)(2)

られた

そこでは嘉永二年から明治

三年の聞に

分苗を受けた分苗所の現地調査が一部に留まっ

ていたので残されていた現地調査を平成十五

年より実施され全調査をまとめためたものを

平成十七年と平成十八年に

「大坂の除癒館」分

首所調査報告

として「適塾」

コ一八三九(適塾記念会)で発表された

NO

それによると大坂の除措館百八十六名の内緒

方洪庵の門人知人が三十名原老柳の門人

知人十五名の四十五名で全体の二四を占めて

(二)大坂除痘館と伊丹との係り

①小松来青

緒方洪庵の功積の

一つに嘉永二年(一八四九)

種痘専門の施設「大坂除痘館」を大坂在住の医

師十数人と開設したことが挙げられる

大坂除痘館が関東中部地方から九州地方ま

でで嘉永

一一年(一八四九)十一月明治二年

(一八六九)二月までに分苗(

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絲海 第34号(H21)

小松(見陽)高橋(池田)名川(麻田 )山中(小

浜)吉田(西宮)緒方(尼)瀬田(高槻)十七ていた時期があった

八人種痘社中の集会に御座候間是非々々御出席被

下候尚々小生明日御尋申上候

先は右御案内迄

勿々

如此御座候謹言

卯月廿九

山崎老兄

玉机下

II

この書簡から伊丹の昆陽村には大坂除痘館の

分苗所の

一つがあり昆陽村の「太郎茶屋」で

分苗に関する集会が聞かれていたことが分かる

この「太郎茶屋」は「文化三年昆陽池付近絵図」

で昆陽大池の西側で有馬道と行基道の交差する

付近にある「大池茶屋」と思われる

そこは西

宮宝塚尼崎から集まって伊丹で分苗につい

ての会合には都合のょいところであった

伊丹の昆陽村以外で分苗所があったという記

録はないが明治九年の伊丹市野間文書「種痘人

員調書」によれば幕末の安政や文久年間に種痘

した記録がある

又同年コ一月の種痘通知券が

あり伊丹町内と北村で種痘を接種したことが

分かるがいずれも種痘医は不明である

伊丹市史第三一巻では明治維新の文明化に衛生

問題として明治初年以来種痘を奨励している

ことがたびたびあったと指摘している

明治

二年一月から八月まで現在の摂津市

豊中市に園田村を加えた地域を摂津県と呼称し

参考文献等

園田村には

一部現在の伊

前載「緒方洪庵と適塾

古西義麿「大坂の除痘館」

「適塾」第三十八号

平成十七年

伊丹市史第二巻五

一七一良内堀睦

寺子屋から小学校へふるさとの教育史

小西酒造(株)「伊丹歴史探訪」三八

山崎利恒

「種痘と除癒所」

同三頁

同三頁

三十八頁

丹市が含まれていた

八刀苗所調査報告書(1)

当時

一般に種痘は恐れられていたからので摂

一一一一頁

津県においても次の触書が村々に出された

種痘之儀ハ天下之良法ニ一候処患味之者共兎角狐疑抱キ自然痘ヲ以

テ夫死為致候者木少以之外事-一一候向後別紙申達候通御雇医師廻村

之瑚申出之上速二一種痘相請可申若此上相疑候モノ有

之ニオヰテハ芝

度可及沙汰者也

夫「榎の樹の下

明治三年の巡回種痘医四人には緒方洪庵の四

女八千代を妻とする緒方拙斎が含まれていた

四人の巡回種痘医師は村々に派遣された村々

では寺院や惣代の私宅を診療所にあて患者の

治療と種痘を行った

「文化三年昆陽池付近絵図」

「伊丹古絵図集成」

本編

伊丹資料叢書六

九六頁

古西義麿「大坂の除痘館」分苗所調査報告書 (2)

「適塾」第三十九号

一六一頁

伊丹市史第三巻二二九

一四

猪名の会「園田のあゆみ

」六二

六七頁

⑪前載伊丹市史第三一巻一四

川辺郡医師会編

「川辺郡医師会史」二八八頁

前載「大坂の除痘館」八刀面所調査報告書(1)

一頁

②原老柳

「学の緒方に技の老柳」と一言われた原老柳は

天明三年(一七八三)二月十三日西宮札場筋

で生まれる

伊丹で開業したのは文化十四年

(一八

一七)でその聞に江戸と長崎に遊学す

る伊

丹では多国街道と有馬道の分岐点に近い伊

丹郷町で「医処老柳」の看板を掛ける

O

O

Oj

(高原寺資料)

種痘通知書 痘人員取調簿

O

|頁

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絲海 第34号(H21)

文政八年(

一八二五)大坂道修町五丁目で

開業

天保三年(一八三二)医師番

付に登場天保

十一年(一八四 O)西大関に

緒方洪庵は東前

頭四枚目

天保十五年

二月「当時町請医師見立」では

O)

大坂に再移住したこの年から学塾「樹人洞」を

開く『原老柳門譜』に記載されている時代は

天保元年(一八二一

からで一三二人が名を

連ねている

出身地は大坂周辺が圧倒的であり

伊丹出身は上杉順太郎岡高一郎山脇建隆が

含まれている

嘉永二年(

一八四九)大坂除癒館の創設に緒

方洪庵日野葛民大和屋嘉兵衛が中心となっ

て創設された

この除痘館創設に十数名の同士

が賛同しているがその中に原老柳が含まれて

いる

老柳は医者だけでなく酒と文化を求めて来伊

した文人と幅広く交流した

その中で最も知ら

れているのが儒学者漢詩人歴史家の頼山陽

である

頼山陽は文政十二年(

一八二九)十月

二十三日母の梅田町篠崎小竹田能村竹田

高橋草坪らとともに来伊し箕面に紅葉狩りを

した

老柳は黒津翁の和歌の弟子であり篠崎小竹

とも親しくしていたので伊丹の酒「男山」を愛

酒した頼山陽と伊丹をつなげている

頼山陽は文政四年(

一八二二

八月九日山

陽の高弟で小竹の女婿である後藤松陰に次の

ように書いている

伊丹紙屋本家の菊という印の酒を送ってく

れるよう原老柳に頼んで欲しい

これ

は常飲の酒ではない

凡そ口腹のことで人を煩

わすのは慨憾の至りであるが呉々お返事待つ

(新選山陽書簡集)

老柳が古稀記念の祝返しとして配り物をした

記録「原老柳古稀配物」が残されている

(嘉

永五年(一八三二)そこには老柳が開業して

いた伊丹郷からは伊丹三十六人をはじめ西

裏東裏堺丁米屋丁

三本松昆陽口横

手本丁通関連者を一括して百二十六人にな

伊丹以外では西宮池田等を含めて

二百二

十三人に及んでおり伊丹の関係者が半分近く

を占めている

出席者の内訳は

「原老柳古

稀配物」の付属資料に載っている

参考文献等

O

松本順司

j

「原老柳の生涯l

幕末の名医」

伊丹市立博物館市制二一十五年記念第七回特別展

「頼山陽と伊丹

酒の町に招かれた文人たち」

昭和五十年十月

二十四日

柿衛文庫

開館二十五周年記念特別展

「酒都伊丹

につどう 1

詩人俳人商人たち」十

二頁

平成

一一十一年四月十八日

O

前載

「原老柳の生涯幕末の名医」七七頁

同七八頁

前載

「緒方洪庵と大坂の除癒館」一

五頁

五頁

一二三

一て五頁

③原鼎

文化六年(一八 O九)に原老柳の長男として

西宮で生まれる

文政八年(

一八二五)父の老柳が大坂の道修

町で開業して伊丹の診療所をその出張所とし

た後を継ぐ

「四十三歳大坂ニ移住シ伊丹ノ家ヲ出

張所トナシ」「介庵(原老柳長男名は鼎)

伊丹ノ家ヲ続キ業ヲ開ク」

(「原家系略譜」)

原老柳が大坂除措館で活躍しているのを受け

大坂除癒館の「諸国分苗所」の一つとして伊丹

の診療所は位置づけられている

嘉永二年(

一八二九)十

一月にが分苗された

のをはじめ併せて十五人になる

参考文献等

前載

同四四頁

九頁

O

「緒方洪庵と大坂の除癒館

八頁

一四

一除嬉館記念資料室

除措館記念資料室が平成十九年

一六八頁

三月

大阪市中央区今橋コ一丁目緒方ビルクリニックセ

ンター四階に開室した

(洪庵記念会旧緒方

産婦人科病院適塾の後ろで南側に当たる)こ

の記念資料室は先に述べた「大坂の徐宿館」の

顕彰施設として設置された

8~

二十九日

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展示ケ

ンナ

ンナ l l

l

除痘館記念資料室(今橋3丁目緒方ビル4階)

展示室の面積は五十平方メートルで周囲に

スが配置されている

入口左側はジエ

の牛痘種痘法発見に至る関係資料やジエ

像を掲げているが全体の四分の三は緒

続く展示は洪庵の肖像画や洪庵の種痘を讃

それによると江

戸時代には南野村だけでな

える漢詩を掲げる

同じ展示ケ 1

スの下段には

徐痘館に関する主要文書があり種痘勧奨の引

き札や種痘後の心得等があり牛痘苗の分苗免

状も数店ある

丹の出身者及びその関係者は今のところ不明で

く伊丹郷町にも十数人の医者がいて地域のとも

交流していたことを指摘している

その中に原

老柳原鼎も含まれているものと思われる

在村医は庄屋さんとか惣年

寄とかだけでなく

村の寺子屋の師匠村のお坊さんや禅主とか

村の上層部の人たちと

一体の活動をしているこ

とを指摘している

今回は緒方洪庵に関係する人の伊丹の活躍を

概観した

昆陽村野間の具体的な医者につい

ては分からなかった

幕末から明治にかけての

伊丹を含めた川辺郡の医師の活動について

「川

辺郡医師会史」伊丹市史等を参考にした

の詳細については今後の関係資料の研究に待ち

たい

拙文については私なりに昨年来関係

参考文献等

古西義麿「除痘館記念資料室」オープン

「大阪春秋」

一二九号

十七頁「姓

名録」に直接伊

平成二十年

一月

おわりに

緒方洪庵の開いた適塾の

方洪庵らが設立した除痘館関係資料である

入口右側の最初は洪庵が万延元年に

した

「徐痘館記録」や徐痘館に残されていた古

文書を明治末年に翻刻した

「大阪市種痘歴史

などを展示している

書き残

ある

今年平成二十一年の四月

一一十九日から六

月十四日までの伊丹市立博物館の春季テ 1

マ展

「南野旧村シリーズ第五弾

1

領主村医者

むぎわら

音頭 j

の在村医

究書

「虎狼痢治準」

った

「笹山家文

松(現尼崎市 )

この

伊丹市立博物館

横田冬彦さんが

南野笹山

」が開催された

そこで南野村

笹山寿仙の史料の中に緒方洪庵の研

の写しと思われるものがあ

(二IF 1 腕館記意資料室 γ hellip J と 詐子守しJ い 場所ごゴご軒ヨ店S以S 緒方ピjレ(時捌) 4階与三三2記長諒日ζ訟 I 大阪市申央区今橋 3-2-17 5一一 ~--- r)r盟~ Lー」丘一-l l 電話 06-6231-3257

l krr 臨時間極 ぷ 畑石i [ 平日 午前 1 0時~午後4時二二堂どゴー曲目ムル$ ペ 土曜 午前 1 0時~午後 1 時忌型半需弁じ 巳躍祝祭日年末年始は休館つ示手 配一一一一---C J iltQ参観料無料

会宣下2食傷堂筋餓京販電車途』開駅下車 徒歩叶

幕末のコレラの流行に対して緒方洪庵が

集することから始めた

痘館資料室専門委員

に的確なアドバイスをいただいた

資料山崎利恒著

「種痘と徐癌所」

躍を知るのに役立った

館」分苗所調査報告

(I

その初期の段階から除

文学博士の古西義麿さん

独自に研究したものである

南野村の在村医が

緒方洪庵の研究内容に関心のあったことが分か

しは伊丹の見陽村小松来青の地域を越えた活

書」

又前載

)

)

「諸事控」では南野村の在

(2

村医は南野だけでなく野問昆陽村寺本富

大坂の除措館」を常に参考にさせていただいた

不十分ながらも何とかまとめることができたこ

とに御礼申し上げます

にも診察に行っ

た事が分かる

「笹山家文書」については平成十年

三月

「地域研究いたみ

「江戸時代の在村

」第二七号で

医|伊丹市

参考文献等

前栽

「地域研究

いたみ」第二七号六九七十頁

家の資料から

を研究発表されてい

1

(伊丹市文化財保存協会

資料を収

特に貴重な

(稿本)の写

「大坂の除癌

「緒方洪庵と

会員 )

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絲海 第34号(H21)

pエ

yen f麦玄土期及の

盈オ郎と土

君塁本家小

長谷

正治

手許に「糸海史談』の復刊第一号があるこ

れは昭和三十五年に伊丹史談会によって編集

刊行されたものだ

伊丹史談会は昭和

一一十五

年四月に小林杖吉(丹城)を会長尾上日経を

理事として発足以来郷土伊丹の歴史の顕彰を

目的とし講演会史跡めぐり伊丹史料展等

を開催してきたその発足十周年を記念して刊

行されたものが糸海史談である

当初会を主宰

した杖吉は伊丹町の宮前通りに私立伊丹図

館を設立したことでも有名で明治四十五年六

月私蔵図書五千冊をもって開館している

治末年阪神間では神戸市立図書館とこの伊丹

図書館のみであったというからその存在は遠

くまで知られていた

大正三年には巡回文庫を

始め蔵書も四万冊におよんだが経営的に振

るわなくなり昭和十一年から休館が続き同

十八年には廃止されたというしかし杖吉は

休館を決めた昭和十一年からタブロイド版

「郷土研究伊丹公論』の刊行を始めている

の第

一号

二月二十日刊)冒頭の

「創刊之辞」

の一部を引用すると「郷土研究の必要を痛感

して己まず三十有余年来史料の蒐集に務めた

る予は更に進んで我が郷

土の懐かしき昔の姿

我が郷土の正しき歴史乃至我が郷土に於ける慕

はしき先賢の事蹟を調査し之を研究して見た

いと思ひ乃ち同志と相謀りてここに本紙を刊

行することにした」とその強い決意のほどを

述べている

第三号からは「郷土研究伊丹』と

名称を改め同十

一年は毎月(十

一十一一月は

不明)翌十二年から十五年は年

二1

二一回発刊

している

さて

『郷土研究伊丹』の刊行を続けていた

同十三年杖吉は

『伊丹古野家系譜略』

(博物

館所蔵)という古野家の系図を作成している

古野家からは江戸後期の郷土史家古野将盈が

出ている

将盈は古い記録をもとに伊丹郷町

の歴史を編纂した

『有岡庄年代秘記」や伊丹郷

町の名所地図

『摂州伊丹独案内図』などを遺し

ており系図作成の動機としては郷土史家と

しての「先賢の事蹟」を顕彰しようとする杖吉

の強い思いがあったからと思う

系図の後書き

によると作成にあたり正覚

寺過去帳同回向

録のほか親族の小結家小林家の過去帳および

位牌まで参照したと記されており杖吉の並々

ならぬ熱意と執念を感じさせる

この系図によ

れば安倉村の喜兵衛の二男源兵衛が伊丹堺町

に分家したことに始まり屋号は椛

当主は

代々椛屋源兵衛を襲名している

将盈は三代源

兵衛の五男として明和九年(一七七二)二月

十三日に生まれたが母常が同日死亡したため

鴻池村の吉兵衛のもとで養育されることになっ

たところが椛犀の家督を継いだ長兄の四代

源兵衛が二才の子(邦好)を遺して亡くなった

ため将盈が五代目源兵衛を継ぐことになった

系図には「将盈博識多才最精於郷土史

而著有岡年代秘記有岡奮考酒造奮新録有

岡絵図同付録等」と彼の著作が詳しく紹介さ

れている

このうち最も代表的な著作は前述し

た『有岡庄年代秘記」(京都大学文学部蔵所蔵)

で伊丹郷町所在の寺院の開基年を記した「丹

丘寺院開基年考」南北朝時代の貞治年聞から

江戸前期の万治年間までの伊丹の出来

事を記し

た「伊丹往古年記」それに続いて寛文年聞か

ら江戸後期の文政

一一年までの伊丹郷町史を詳細

に記した「有岡年代秘記」のコ一篇が所収されて

いる

このうち有岡年代秘記には伊丹郷町で

おこった様々な出来事が年表形式で簡潔に記さ

れ現在でも江戸時代の伊丹郷町研究には欠か

せない一書となっている

「伊丹古野家系略譜」小林杖吉作成

10 -Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

将盈は多くの重要な著作を遺しながら生没

年を含め来歴も長らく不詳であったが杖古

による将盈顕彰の努力によって明らかになった

のである岡田利兵衛も「伊丹市史

」の中で

「彼は尚古のたしなみふかく

「有岡庄年代秘

記』以下多数を編著し伊丹懐古に貢献した」

と郷土史家としての将盈を高く評価している

将盈と同時代を生きた人に梶曲阜がいた曲

阜は将盈より

一一十六年後の寛政十一年(一七

九九)に伊丹で生まれた

梶家系図録(文化

財保存協会所蔵博物館寄託)によると梶家

はもと小畑六兵衛といって東桑津に住していた

が後に津田氏を名のり曲阜の曽祖父の代から

伊丹伊勢町に移り住んだ

祖父金兵衛の代に姓

を梶と改めたという

屋号は大和田屋で曲阜

も大和田屋金兵衛と称した曲阜は照顔斎と号

しているがこれは彼が敬慕する俳人鬼貫を赤

い顔と解して自らを「てる顔」と称したという

家業のかたわら俳句にも通じ安政

三一年には

二条殿から俳諸宗匠として官服御免許の待遇を

うけている

曲車は伊丹の俳人としての大先輩

である鬼貫を顕彰するため鬼貫の遺墨をもと

に伊丹や近郊に七基の句碑を建てたが俳諸に

とどまらず伊丹の歴史にも強い関心を示して

いる彼の編著による

『有岡古続語」(博物館

所蔵)は乾坤二冊の折本で『伊丹荒木軍記」

公圭画香披賛「照顔斎曲車肖像」

転載したほか曲阜自らの見聞による著作を収

載している

その内容は地名の由来野宮

伊丹城俳譜鬼貫のことから当時流行して

いた能狂言角力酒呑のことまで実に多岐に

わたっている

また

「伊丹酒家盛衰の事」は

幕末の伊丹の酒造業の状況を伝える史料として

価値が高く正に江戸時代の伊丹郷町史といえ

るものである

曲阜は将盈について

『有岡古続語

』のなか

で次のように述べている

「此将盈といへるハ

往年大庄屋勤められし椛屋源兵衛といへる人な

り曽て在岡旧考といへる

一巻の著述あり

よく此里のふるき事跡を探索して記し置けり

苗字を古野といへり堺町に椛屋何某といへる

ハその子孫なりこの三本松の記借りくれる人

将盈とハ何人なることをしらさりけれはいささ

か記しぬなり

」将盈は兄の子邦好が長じる

(一八六五)の二十八年も前に将盈はこの世を

貢献している

と家督を譲り出家して多国院村の西方寺十二

世の法灯を継ぎ天保八年(一八三七)に六五

歳で亡くなっている

曲阜が「有岡古統語」を編纂した元治二年

去っており「三本松之記」も子孫から借りた

というから親交があったとは思えないが将

盈と曲阜ほほ同時代を生きた伊丹の二人の郷

土史家彼らの遺してくれた著作は今も郷土

伊丹を知る上で大きく

(伊丹市立博物館長)

博物館からのお知らせ

夏季企画展

大阪国際空港開港七

周年記念

|空港と

O

O

とともに一つの箱に収められている

有岡古続

語には西谷午蔵の「有岡むかし語」「有岡

むかし語余禄」古野将盈の「

三本松之記」を

場 期

所 間

歩んだ七

7

月 4

日(土)18月叩日(日)

伊丹市立博物館

11-

年 l

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絲海 第34号(H21)

そのために伊丹郷町館の

監視案内業務に携わり伊丹

郷町の歴史文化の顕彰に参

画し訪れる市内外の人々に

伊丹の歴史を実感してもらい

伊丹市と「ともに」我がまち

「伊丹ブランド」の全国発信

の一翼を少しでも担ってまい

りたいあわせて文化財愛護

少年団を中心とする後継者の

育成に努力を傾けてまいると

ともに伊丹ロマン事業の取

組の中で各種関係団体との連

携を更に深め過去から受け

ついだ文化遺産を未来永遠に

継承し保護すべく努力する

具体的には

次の事業に重点

を置き推進する

(1) ①文「 講化万座財葉のにを開閑読講すむる」 事

講業座

「第 3

回文学碑をた

平成二十一年度の

事業計画の紹介

5

月ロ日

(金)に予定をし

ていました平成幻年度総会は

皆様もご存じのとおり新塑

インフルエンザの発生により

急逮中止を余儀なくされま

したそ

の後総会の取扱いにつ

いて様々な観点から慎重に

検討しましたが

一堂に会す

る総会の開催は諸般の事情で

中止することとしその代わ

りとして総会出席予定であ

った会員の方々に限定し総

会議案書を送付し各会計決

算報告等をご承認していただ

いた上で事業計画

(案)

各会計予算(案)

をご承認し

ていただきました

ご理解

ご協力をいただきありがとう

ございました

その主な事業計画の内容は

次のとおりです

本年度も文化財の保護

顕彰に努め市民が文化財に対

する知識と理解を深めるため

に啓発活動強化を図り協会

の充実発展に努める

平成二十年度

事業の回顧

万葉講座を開催ldquo

毎年ご好評をいただいて

います「万葉を読む」講座を

加年度も6

月 4

日から 8

月幻

日の期間に伊丹ホ

9月刊日には

「万葉を読

む」現地講座「奈良県明日香

村方面」を実施

講師の大森

亮尚先生を案内人として参加

者判名で藤原宮跡香具山

神社万葉の森

石舞台を通

しての万葉の旅でした

ずねて 1

現地講座 1

文化財講演会の実施

史跡めぐりパスツア

(6月から 9

月現地

講座を含め全 7

②「古代民俗講座」

(9月から叩月全

実施)

③伊丹ロマン事業

(文化財強調月間)

「第 3

回リレ

1

ω林海学 1

回実施)

5

回講座

5 4 3 2 (5) (4) (3) (2) (1) (4) (3) (2) (1) (5) (4) (3) (2)

各文 組 文

l

の実施(日月中旬)

文化財整備に協力

伊丹郷町館の委託業務

(旧岡田家旧石橋家

住宅の監視案内業務)

72 文化立化遺企遺産

城)」

「産の伊の保丹保護城護(顕有顕彰

「清酒発祥の地岡彰」

等にまつわる冊子の編集

文化財案内ボランテイ

アの充実強化

文化財パトロールの実

方面各文化財保存団体との

階大

ル3

1

会議室で全 6

回開催しました

講師は古代民俗研究所代表の

大森亮尚先

生で

「万葉秀歌

と歌人

マに参加者

」をテ l

ω

名で学びました

織 連携

強化

拡充等

の役員の担当制

伊丹市文化財保存協会

ホームベ l

ジの内容充実

機関誌「締海(比号こ

の発行

(6月下旬)

会員の増強

役員研修の実施

種化関財係愛団護体少と年の団連の携育

bull 12 -

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--E

報誌

のホ 1

「いたみテイ」を当協会

のもと参加者を四グループに

分けて巡った

りリレ

方式で

実施当該

講座を受講することによ

って

更に伊丹の歴史

文化の深さ

を受講者総数日別名もの多くの

市民に知

て頂いた

(1日目)

開催日時 日月幻日

(土 )

4

0

-)

1

「伊丹郷町遺跡出

O O

i

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UU

0 場

士の人形

小西酒造「長寿蔵

二階ギャラリー

伊丹市文化財スケッチ集

原画展の開催ldquo

古代民俗講座を開催ldquo

旧岡田家住宅酒蔵において

ムペ

1

ジに追加いたし

開催日時日月9日

--ム

-

開催場所見陽池公園内

qd-nv

-qぺU11i)n0

AF1h~

[アドレス]

(日)

ハ AU

協会創立判周年記念事業と

古代民俗講座を9月

日から

M

UV

して会員の渋出純子氏に作成

頂いたスケッチ集の原画を旧

岡出家住宅

土間において

8

2

日から 8

日口日までの問展

一ボ期間中の観覧者数は一

コ一十八人を数えた

日月却日の間に全 5

回開催し

ました

「日本の怨霊再び」をテ

マに講師古代民俗学研究所代

表の大森亮尚先生の講義を受

講生刊名で楽しく学んだ

ホl

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ジの追加lsquo

」れまで検討を続けていま

したわがまち伊丹のグラフ情

万円一ヨ

ZH

TUC

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参加者数 お名

②「リレ l

講座紙

海学 j

O伊丹の歴史文化の

主たる

をテ i

マとした三つの講座を

大手前大学教授の川口宏海先

生方を講師とし j

第二回

業が繰り広げられ

l

次の

と好評を博した

市内には

年から昭和

「歴史文化が醸し出す

伊丹ロマン事業」の実施

伊丹市伊丹市教育委員会

が提唱し文化財関係同団体

で構成する伊丹ロマン事業実

行委員会を中心として各種事

当協会も

二つの事業を展開し多

くの市民の皆様方の参加のも

①「文学碑を訪ねて

j

現地講座

」j

当協会が昭和町

ω年までの 4

年の

聞に設置した

がある

ω基もの文学碑

その中で見陽池公園

一帯に設置した昆陽池等に因

んだ文学碑日基を判り易い解

説書を配布し事前研修に取

り組んだ当協会理事の説明

3

日間に一日

O O

講師

」川口宏海氏

-13-

l

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

日目

)

O O開催日時

A1i

講師

l

(2日日

)

開催日時日月お日

l

4

0

1

ょハ

U

マ①「伊丹郷町遺跡

大正昭和ロマン1

講師

小西酒造

長寿蔵」

二階ギャラリー

(

日月山日

A斗

ハυ

伊丹郷町ロマン

-

(日)

j

伊丹茂氏

(月)

h

-

υ

「摂津のへそ」

その一

村上敏展氏

小西酒造「長寿蔵」

二階ギャラリー

i

史跡めぐり

パスツアーldquoの実施

平成叩年度の史跡めぐりパ

スツア

日月日日

(金)

に和歌山県根来

高野山を

巡り楽しい一日を過ごしま

した

なお参加者羽名で実

施しました

第六回ひなかざり

伊丹郷町ldquo

平成加年度も

「白雪蔵ま

つり」

「わっ

しょい冬の

元気まつり

「一日だけの

バレンタインカフ

」等々の

イベントと連携を図り開催

期間を 2

7

日から 3

8

までのお日間とし

旧岡田家

住宅において明治から昭和ま

でのひな飾りやカルタすご

ろくの展示

「遺跡が語る伊

丹の酒造り」と

題した写

真パ

ネル展そして酒蔵大画面ビデ

オ放映

「伊丹の暦史

」の上映

南京桃の展示即売会を実施い

たしま

期間中次の出

来事がありました

立派な盆梅の展示

植木どころである東野の若

手グループより盆梅の展示が

ありました

文学碑の拓本と

写真パネルの展示

2

月 9

日に実施された田辺

聖子氏

「伊丹市名誉市民贈呈

式典」会場に協会出展として

ご本人揮官宅による文学碑の拓

本と写真パネルを展

示した

役員研修会を実施ldquo

3

月刊日に役員研修会を参

加者同名で実施しました

今回は岐阜県の関ヶ原と滋

賀県の安土城の視察研修を実

施しました

14

3

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絲海 第34号(H21)

において団員幻名参加のもと

(稲野小6

年)

平成二十年度伊丹市γ

和人

愛護少年団(かるた大会)

文化財愛護少年団入図式一笹の葉に願い事を書き込んだ

夏希(稲野小

年)

3

短冊や色紙で作った色とりど

優勝】「ブラックホ

1ル」

5

月白日旧岡田家住宅酒蔵

りの飾りを結びつけ旧岡田

【準優勝

教育長盾

渡辺

彩花(南小

年)

5

で入図式を行いました

家の玄関に設

行き交う

杉山

健太

(花里小 年)

4

沖野帆乃花(南小 5

年)

団員町名保護者指導者

人々の目を楽しませていた

麿瀬

大城(花里小

年)

4

山本

楓子(南小 6

年)

等別名の計115

名参加のも

初仕立口

穂高 (花里小 年)

4

と入国式が挙行された

第二位

「ガツツカポ1

ズ」

【第三位

疋田

彩花(南小

年)

6

文化財保存協会

会長盾】

大西久美子(南小 6

年)

愛美(花里小 6

年)

山田恵美釆(南小 6

年)

l

大前

綾香(花里小

年)

6

野口奈々美 (花里小6

年)

第三位「ミッキ

1

前田

みゆ

鈴原小2

年)

村上

璃帆(昆陽里小 6

年)

ω文化財愛護かるた

勝部

ザ利子(鈴原小2

年)

小田美都里(見陽里小 6

年)

大会を開催

中里かりん

(鈴原小2

年)

増井佐弥香(見陽里小

年)

6

新春恒例のかるた大会を1

月8

日には図書館 2

階で(出

組問人)1

月刊日にはいた

l

4

みホ

階和室で(団員羽

名指導員他ロ名)

同チ ムロ

人)実施した

Q

市内小学生文化財愛護少

ωサマ

キャンプの実施

年団員を対象とし参加者は l

8

月刊ω日 18

月印日の 泊

合わせて 135

人であった

伊丹市文化財愛護

2

日で団

日指導員他 8

結果は次のとおり

少年団の活動

名の参加のもと

「兵庫県立歴

FζnkHV

図書館大会(かるた大会)

りたなばたまつりの実施

史博物館」

「姫路市自然観

)11

7月 5

日国の重要文化財

察の森」そして

「赤穂海洋

【優勝

市長杯

である旧岡田家住宅

「酒蔵」

科学館」等の見学をした

松本

直之

(稲野小6

l

d

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凶文化財愛護少年団

す叫「業旅行の実施

3

月幻日に愛護少年団の卒

業旅行を

ω字の参加のもと大

阪城大阪歴史博物館を見学

しました

既刊書あんない

伊丹の文化財

二千円

分布地図

五百円

伊丹の伝説

八百円

麦わら音頭

文学碑をたずねて

伊丹の年中行事

伊丹の酒造り道具

文化財を訪ねて

有馬道

巡礼と街道

伊丹の仕ごと唄

伊丹のわらべ唄⑦

新伊丹史話

聞き書き

六百円

一千円

六百円

五百円

五百円

四百円

四百円

六百円

六百円

千円

「伊丹のくらし」千二百円

地域研究いたみ第

ロ号

第お号

第日比号

千二百円

千二百円

一千円

絵はがき「鬼貫賛春ト画巻」百

伊丹の文化財

「スケッチ集

「スケッチ集

発掘された伊丹の町

酒の町伊丹

ー」四百円

E

」四百円

百円

以上の書籍類は当協会事 四

百円

務所(旧岡田家住宅内)

ます

L

収博物館において販売してい

伊丹の文化財

「スケッチ集

ー」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

文学碑をたずねて

一千円

文化財を訪ねて

五百円

以上の書籍類は伊丹市観

光物産協会

(JR伊丹駅コン

コース内)

において販売して

います

伊丹の文化財

「スケッチ集

」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

以上のスケッチ集は

アー

トホ

l

「蔵(くら)」(JR

伊丹駅前アリオ2

号館一階)

において販売しています

伊丹城跡発掘調査報告書

E四百円

五百円

各七百五十円

W-V

有岡城跡発掘調査報告書咽=

一千円

伊丹市埋蔵文化財調査報告書

I

(有岡城跡)

五百円

E

(御願塚古墳)

五百円

有岡城跡伊丹郷町

E

第1

2

分冊

各四千円

緑ケ丘遺跡

五百円

北園遺跡

一千五百円

緑ケ任遺跡第

三次調査報告書

九百円

口酒井遺跡詑お次調査

報告書

二千円

埋蔵文化財保護の手引き

分布地図

五百円

以上の書籍類は伊丹市教

育委員会事務局生涯学習部杜

会教育課において販売してお

ります

会員が開設している

ホームペl

ジldquo

どしどしアクセスしてくだ

さい皆様の求める情報がギ

ツシリありますよ

1

【アドレス】

23万一〉ミ印

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ヨア」

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ωaω才一一Zヨ一

「一一寸

編 [集

「巳

-言回

紙海M号をお届けします

今回は豊田正義さん益尾

宏之さん小長谷正治さん

中畔明日香さんから原稿を頂

きました

お忙しい中執筆

頂き有難うございました

さて事務局長として長年

当協会の発展にご尽

力して頂

いた古屋敷達夫氏が本年

3

末をもって退職されました

16

本当にお疲れ様でした

古屋敷氏の後任として

年三がその職に就くことにな

りました

全てが初めての体

験となります

」れから協会のため皆様と

ともに頑張っていきたいと考

えておりますので会員の皆様

のより一層のご支援ご協力を

頂きますようよろしくお願い

申し上げます

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絲海 第34号(H21)

終海第 34 号発行日 平成21年 6 月 25 日

編集伊丹市文化財保存協会

664-0895 伊丹市宮ノ前2丁目 5香28号市立伊丹郷町館(旧岡田家住宅内)電話 FAX 072-772-8830 (直通)ホームページ httpitami-bunkazaijp Eメール o伍ce itami-bunkazaijp

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

Page 3: 第 34 号 - 伊丹市文化財保存協会 · 城、王の不在を察知し を開けさせて、他の砦も攻撃、侍町にも火を放. 璃塚砦の武将を調略。十月十五日の深夜に城門た信長軍は、有岡城惣構えの西側の要である上

反骨の絵師

「岩佐又兵衛」

有岡城と岩佐又兵衛

豊田

正義

戦国時代の天正五年

(1577)十

一月に有

岡城を訪れた宣教師ルイスフロイスは

「我等

は宵の口に伊丹と称し甚だ壮大なる見事なる

城に着きたる

彼は又新に築城せる壮麗な

る城を」の書簡を本国におくつているそ

の壮大な城も三年後の天正七年

(1579)の

秋に織田信長に攻められて落城している村

重以降は池田之助が入城天正十一年

(158

3)に岐阜に移ってからは幕府の直轄地を経

て惣構えの大半が摂関家の近衛家の領地とな

り城跡も時代とともに開発の手が入り変貌し

ていった

近年は昭和五十年代に国鉄伊丹駅前の再開

発が計画実施され城跡の発掘調査が行われ

て本丸の土塁跡石垣堀跡などの遺構が発

見されて

「城郭の中世から近世への移行期の貴

重な遺構」として昭和五十四年十二月に国史跡

の指定をつけている

現在その有岡城跡公園には荒木村重荒

木たしの文学碑がひっそりと建っている今秋

有岡城跡は丁度国の指定を受けて節目のゴ一十

周年を迎えようとしている

岩佐又兵衛は荒木村重と荒木たしの末子と

して天正六年

(1578)に生まれたといわれ

ているその年は摂津守荒木村重の絶頂期から

の転換期にあたり子供たちにとっては翌年に

かけて生き延びる者殺される者とに分かれる

苦難の時代を迎えることとなった

村重は天正六年の秋出陣中の三木城包囲網

の陣地から突然伊丹に帰り有岡城に龍城して織

田信長に謀反をおこした信長は村重の説得に

失敗早速十二月には数万の大軍が有岡城を

攻撃したが攻めきれずに持久戦になっていった

十ヵ月後も勝着状態が続くなか荒木村重は

状況打開のために九月二日に援軍を求めて嫡

男村次のいる尼崎城に移った

しかし頼みの

毛利軍は海上を信長軍に封鎖されるなど身動

きできない状況にあった

城王の不在を察知し

た信長軍は有岡城惣構えの西側の要である上

璃塚砦の武将を調略十月十五日の深夜に城門

を開けさせて他の砦も攻撃侍町にも火を放

たれて城内は大混乱を極めたといわれる

信長

軍は堀によって区切られた本丸を意図的に攻

ハダカジロ

め込まなかった

信長公記には

「裸城になされ

たり」と記されている

みどり子の岩佐又兵衛はその時に乳母にだ

き抱えながら有岡城本丸を脱出したといわれる

それから

一カ月後の十

一月十九日に有岡城本

丸は降伏した

有岡城跡公園の荒木村重たしの文学碑には

本丸落城時の

一一人の心境をあらわしているあ

らきたし

「霜かれに残りて我は八重むくら

にはのうらのそこのみくつに」荒木村重

「思い

きゃあまのかけ橋ふみならし

なにはの花も夢

ならむとは」

信長軍は本丸にたて龍もった数百名を人質

に尼崎城花隈城の開城をせまったが村重

は石山本願寺の最前線基地としての位置付け

播州三木城が龍城中などの理由から救命条件を

のまなかった

激怒した信長は数百名の者を尼崎城近くの

七松で処刑を断行した残りの村重の親族

三十

六名(村重の子供二人を含む)を京に連行し市

中引き回しのうえ十

二月十六日に六条河原で

処刑した

今楊貴妃といわれた荒木たしは二首

の辞世の歌を残している「消ゆる身は惜し

むべきにもなきものを母の思いぞ障りとは

なる」「残し置くそのみどりの子の心こそ

思ひやられて悲しかりけり」母親の子供の将来

を案じる心情がよ

くあらわれている

その子供が後に

浮世絵の元祖とも

いわれ江戸時代

を代表する絵師岩

佐又兵衛といわれ

ている又兵衛は

母親とは死別父

村重とは離散とい

う厳しい幼少期で

あった

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一時武士(秀吉配下の織田信雄の小姓説)

庁三の丸美術館)「上浄瑠璃物語絵巻」(MO

有岡城跡公園 荒木村重たし文学碑

その後の岩佐又兵衛

有岡城を乳母と脱出した岩佐又兵衛は京都

の本願寺系の子院に身を隠したとされる

本能

寺の変までの織田信長存命中は信長は自分に

楯突いた荒木の残党狩りをしきりにおこなって

いた

高野山が荒木の残党を匿ったとの理由で

各地で活動していた高野聖千数百名を処刑して

いる

そんな状況下で又兵衛は荒木など名乗れ

るわけがなく母方か乳母の姓を名乗ったもの

とおもわれる

又兵衛は幼少期から和漢を学び絵も村重家

臣の子であった狩野内膳に師事したといわれる

八歳の時には豊臣秀吉の京北野天満境内での北

野大茶会ものぞいたり摂関家の二条家にも出

入りの記録があり幅広い教養を身につけていた

ようだ

荒木村重存命中(天正十四年没又兵

衛七 1

八歳)に親子の対面があったのかは記録

がなく想像の域をでない

を目指したがあきらめて天性の絵の道にすすん

そこでは当時絵の主流であった狩野派土

A

美術館)などはその時代の作品といわれて

いる

佐派と交流を深めながら独自の画風を残したと

される

又兵衛は人生の大半を京で絵師として

過ごしたが京時代の代表作は「洛中洛外図扉

風」(舟木本東京国立博物館)「豊田祭礼図

扉風」(徳川美術館)があげられる

還歴の時再び転機がおとずれた

之庄(福井市)に招かれて同行する

同地の興

宗寺に寄寓し絵師として活躍する

福井藩は

徳川家康次男の結城秀康が初代藩主の六十八万

石の大藩で二代藩主松平忠直

三代松平忠昌

(忠直の弟)の庇護をつけて多くの絵巻物など

作品を残している

「忠直卿行状記(菊池寛作)」

で有名な藩主とは気脈が通じるものがあったよ

うである

赴任時の様子として

「今日大橋の上

にて威風なる男に逢い申し候緋縮緬の股引を

はき居ると申す

それは浮世又平なるべし

(MOA

平当国へ来る筈也と仰せけるが果たして又平

にてありれると也」(福井の文献「越翁夜話」)

が残されている

北之庄時代の又兵衛は円熟期

に入り絵師として

一定の評価をつけていた

大な絵巻物は

一人の技では困難とされ絵師を束

ねる工房を設けていたといわれる

その名声は

江戸にも伝わっていた

その絵巻物の大作「山

中常盤物語絵巻」

美術館)「堀江物語

絵巻」(香雪美術館)「小栗判官絵巻」

(宮内

(1637)二月に

三代将軍家光に招かれて

単身江戸に向かった

旅日記の廻国道之記によ

ると福井をたち京で十日程過ごして江戸に下っ

ている

格調高い内容である

しかし三島宿

以降が欠落している

江戸には幕府のお抱え絵師の狩野派が多数お

り江戸城本丸の建築中の時期でもあり絵師の

絶対数が不足していたこともあるが江戸城大

奥の表使荒木(

一般に荒木局と呼ばれている

又兵衛の姉)と春日局のル

トから将軍への

推挙も考えられる

表使荒木は幕府が編纂した

寛政重修諸家譜によれば村重息女二人が本願寺

人質となっている

本願寺の人質とは別にもう

一人の息女として「崇源院殿(将軍秀忠夫人)

及び大猷院殿(将軍家光)に仕へたてまつり

荒木と称す」と記されている

何処で育ったの

l

か不明しかし大奥の中枢部で長年仕えている

ので相当の教養を身につけていたとおもわれる

江戸では将軍家光の娘千代姫が尾張徳川家

に輿入れの調度品の製作に携わっている

十四年

(1637)川越東照宮が焼失

そこの

三十六仙絵の話があり製作に取り組んだりして

次々と大名などからの仕事が舞い込み大車輪の

活躍をする

寛永

晩年は持病の

一種)」に苦

「おこり(熱病の

四十歳の時本願寺の縁でひとつの転機が訪

れた

親交のあった本願寺務めの僧心願から北

寛永十四

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身像である

しめられている

この時期に自画像を福井の妻

に送っている

その絵はやせて少しヤツレタ感

じで椅子に掛けて右手に長い杖を持っている全

後方には薙万が置かれ武士の出と

しての誇りをもっていた福井を単身で離れて

十三年後の慶安

三年

(1650)に江戸で七十

三歳で没した

又兵衛の希望で骨は二つの骨壷に入れられ

福井に送られた

その

一つに墨書で荒木と書か

れていたという

岩佐又兵衛の絵

岩佐又兵衛は生存中から人気絵師で

福井市興宗寺 岩佐又兵衛の墓「浮世

又兵衛」と呼ばれたり後に近松門左衛門の浄

瑠璃「傾城反魂香」の吃又のモデルとしても有

名であった

画風は当時の主流である狩野派

土佐派に属さずそれぞれの画風を取り入れて独

自のものを確立したといわれる

特に又兵衛

の絵に登場する人物像は

男女ともにふっくらとした頬と下顎の長い顔

と足先のそりかえった動的な描写などが特徴と

される

岩佐又兵衛の真骨頂は御伽草子古浄瑠璃

を題材にした多数の絵巻物語にある

内容の大

半が劇的なものである

代表作として

「山中常

盤物語絵巻」があげられるそれは十二巻構成

の極色彩で全長百五十メートルの壮大なもので

ある

絵巻には古浄瑠璃の歌詞が添えられてい

出所は越前松平家を祖とする津山藩に伝わ

ったものである

物語は年若い牛若丸が奥州平泉の藤原氏に

迎えられていた京の常盤御前は息子の牛若丸

会いたさに侍従とともに平泉に向う途中中山

道の山中宿で盗賊に命を奪われる

牛若丸が山

中宿に行き母の仇である盗賊を討つ物語である

常盤御前が殺される描写にスペースをさき盗

賊を討つ修羅場の場面はすざましい

岩佐又兵衛は母親たしが織田信長によって

処刑された怨念が時は戦国時代から平和な江

戸時代に推移するなかで絵巻を通じて仇討ちの

思いを果たしたといえる

「堀江物語絵巻」も堀江家の親の仇討ちとお

家再興の物語である子供の太郎(月若)が幼

少の頃に国司に殺されそうとなったときに乳母

に救われて奥州に匿われる場面なども素晴らし

い内容の作品である

参考文献

荒木村重史料伊丹資料叢書四

『村重』第七号荒木村重研究会会報

岩佐派のゆくえ福井県立美術館

奇想の系譜ちくま学芸文庫辻惟雄

岩佐又兵衛文春新書辻惟雄

芸術新潮

102004

新潮社

週刊アーティストジャパン

岩佐又兵衛

40

デアゴスティ

絵巻山中常盤解説資料自由工房

謎と伝説の絵師岩佐又兵衛

日経新聞

1997

2

912

23

ハイビジョン特集天才画家の肖像

「伝説となった絵師岩佐又兵衛」

0NHK

OO OOOOOO

(伊丹市文化財保存協会

理事)

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間aJ

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館-庁リ

川い劃MOA像画向

口岩佐又兵衛

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歴史上の人物と伊丹ldquoについて

「緒万洪庵に関係する人の

伊丹における活躍」

益尾

宏之

はじめに

i

これまでの歴史の舞台に登場した人物の内

伊丹にゆかりのある人として「締海」三二号で

は「伊能忠敬と伊丹」を二三一号では「天訴組

伴林光平の伊丹における足跡」についてとり

あげた今回は直接伊丹に来たことは確認さ

れていないがその関係者が活躍した人として

緒方洪庵(一八一 01

一八六三)をとりあげた

い「総海」三三号では西宮で生まれて伊丹で

1

活躍した原老柳(一七八三

一八五回)を「緒

について」日本医史学会関西支部

「医聾」復刊第

方洪庵の門弟」と書いたが門弟ではないので

「緒方洪庵に関係する人」に訂正したい「学

の緒方に技の老柳」言われており緒方洪庵と

原老柳は同格でありその活躍年代は少しずれ

ている

参考文献等古西義麿「原老柳死亡前後の動向

八十七号九十

九十七頁平成

二十年三月

緒方洪庵について

緒方洪庵が天保八年(一八三八)に大坂に出

て瓦町に蘭学塾適塾を開くまでの主な経過は

次の通りである

緒方洪庵は文化七年(一八一

O)備中国足

守(現岡山市足守)で足守藩士佐伯惟因とキ

ヨウの三男として生まれた十五歳で父と共に

大坂に出て十六歳の時に大坂の蘭学者中天

瀞の塾に学び緒方三平と名乗る

十八歳で蘭学修業のため江戸に向かう二

十一歳で江戸に入り蘭学者坪井信道の塾で

学び蘭医の宇田川榛斎にも学ぶ

二十五歳の

時に中天誹が死去しその塾で蘭学を学ぶため

大坂に赴く二十六歳のときに中天瀞の子耕

介を伴い長崎修行に出るこの時から緒方洪庵

と名乗る

一年後に長崎での勉学をおえ足守

に帰省する

三十六歳の時に適塾を過書町に移転する

緒方洪庵が最初に種痘に関わったのは適塾を

聞く少し前に兄の子に人痘種痘を行い成功

嘉永一瓦年(一八四八)に長崎のオランダ商館付

医師モ l

ニッケの元に牛痘がもたらされた

嘉永二年(一八四九)に牛痘苗を笠原白翁に

分けてもらい以後古手町の大坂除痘館で午

痘種痘法の普及に努める

緒方洪庵

参考文献等

適塾記念会編集発行「緒方洪庵と適塾」

平成五年六月五十八 1

六十

一頁

適塾種痘と伊丹との関わり

(二適塾

適塾に入門した門下生の「姓名録」には北海

道から九州まで全国の六三六名の名が残されて

いるその中には幕末から明治にかけて各方面

に目ざましい活躍をして日本の近代化に大きな

貢献を果たした人が多い例えば大村益次郎

福沢諭吉が含まれている

「姓名録」に基づく都道府県別の塾生名簿が

三人であ

ありその内兵庫県県の出身者は三十

その具体的な氏名を「都道府県別適々斎塾

生姓名録」で当たってみた摂州の出身者は

四人いるが伊丹の人は見当たらない

ただ今も続けられている適塾記念会による

「適塾門下生に関する調査報告」で伊丹の関係

者がみつかるかもしれない

緒方富雄編著

「緒方洪庵適々斎姓名録」(財)学校教育研究所

(昭和42年 1 月)

5 Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

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参考文献等

適塾記念会

場毒物数 r員正 w

適塾記念会「緒方洪庵と適塾」五十六五十七頁

適塾記念会

larr都道府県別

適々斎塾姓名録」

芝哲夫「適塾門下牛に関する調査報告」(二十八)

の分与)した医師名簿百八十六名の中に嘉永五

年(一八五二)一月に「摂州昆陽村小松来青

が含まれている(ij 存乏 除

後藤松陰が山崎遷司に贈った額

(長さ四尺五寸幅二尺五寸)

〈宝塚医師会山崎利慣氏所蔵〉

cr川辺郡医師会史J 昭和62年289頁)

大坂除痘館については古西義麿除痘館資料

いる

一八六名の身分は現在のところ藩士が十名

藩医が十七名身分不明が四名町

村医

が九七名不明が五八名との結果となってい

小松来青は伊丹市史第二巻には万延一 1

明治

五年に読み書き算術の寺子屋が昆陽村で開業

されていた

その「習字師」に

小松元春(医)

の名前が載っている

小松元春は小松来青の嗣

かも知れないと言われている

小松来青は伊丹の昆陽村の分苗所だけでなく

周辺の地域の分苗所との交流のあったことが山

崎利恒著

「種痘と徐痘所」(稿本)でわかる

山崎利恒氏は分苗した嘉永三年

一月の医師名簿

に載っている

「摂州米谷の山崎健司

」の孫であ

山崎健司は摂津国川辺郡米谷(まいたに)

村で嘉永三年から十七年間に医業のかたわら分

苗所を聞いて種痘活動に尽力してきた

彼は適

塾には入門していないが洪庵とは様々の関係

で親しい間柄にあった

山崎健司は除措館から分苗を受けて種痘に携

わると共に近郊の医師は分苗に努め涙ぐま

しいような活動を続けていた

名塩の億川信哉から山崎健司への書簡では次

のよつになっている

「貴翰這仕候時下薄暑之節御座候得共先以高堂皆様

御揃益々御多祥被矯在御起居珍重不斜奉賀候然

らば明遡日昆陽池孫太郎茶屋店に集合致度候間早

朝より御出掛可被下尤も

「適塾」第四十

一号平成

一一十年十

二月適 塾

一種痘ワクチン

専門委員が平成十四年に

「緒方洪庵と大坂の除

癒館」(東方出版)で長年の研究成果をまとめ

(I)(2)

られた

そこでは嘉永二年から明治

三年の聞に

分苗を受けた分苗所の現地調査が一部に留まっ

ていたので残されていた現地調査を平成十五

年より実施され全調査をまとめためたものを

平成十七年と平成十八年に

「大坂の除癒館」分

首所調査報告

として「適塾」

コ一八三九(適塾記念会)で発表された

NO

それによると大坂の除措館百八十六名の内緒

方洪庵の門人知人が三十名原老柳の門人

知人十五名の四十五名で全体の二四を占めて

(二)大坂除痘館と伊丹との係り

①小松来青

緒方洪庵の功積の

一つに嘉永二年(一八四九)

種痘専門の施設「大坂除痘館」を大坂在住の医

師十数人と開設したことが挙げられる

大坂除痘館が関東中部地方から九州地方ま

でで嘉永

一一年(一八四九)十一月明治二年

(一八六九)二月までに分苗(

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絲海 第34号(H21)

小松(見陽)高橋(池田)名川(麻田 )山中(小

浜)吉田(西宮)緒方(尼)瀬田(高槻)十七ていた時期があった

八人種痘社中の集会に御座候間是非々々御出席被

下候尚々小生明日御尋申上候

先は右御案内迄

勿々

如此御座候謹言

卯月廿九

山崎老兄

玉机下

II

この書簡から伊丹の昆陽村には大坂除痘館の

分苗所の

一つがあり昆陽村の「太郎茶屋」で

分苗に関する集会が聞かれていたことが分かる

この「太郎茶屋」は「文化三年昆陽池付近絵図」

で昆陽大池の西側で有馬道と行基道の交差する

付近にある「大池茶屋」と思われる

そこは西

宮宝塚尼崎から集まって伊丹で分苗につい

ての会合には都合のょいところであった

伊丹の昆陽村以外で分苗所があったという記

録はないが明治九年の伊丹市野間文書「種痘人

員調書」によれば幕末の安政や文久年間に種痘

した記録がある

又同年コ一月の種痘通知券が

あり伊丹町内と北村で種痘を接種したことが

分かるがいずれも種痘医は不明である

伊丹市史第三一巻では明治維新の文明化に衛生

問題として明治初年以来種痘を奨励している

ことがたびたびあったと指摘している

明治

二年一月から八月まで現在の摂津市

豊中市に園田村を加えた地域を摂津県と呼称し

参考文献等

園田村には

一部現在の伊

前載「緒方洪庵と適塾

古西義麿「大坂の除痘館」

「適塾」第三十八号

平成十七年

伊丹市史第二巻五

一七一良内堀睦

寺子屋から小学校へふるさとの教育史

小西酒造(株)「伊丹歴史探訪」三八

山崎利恒

「種痘と除癒所」

同三頁

同三頁

三十八頁

丹市が含まれていた

八刀苗所調査報告書(1)

当時

一般に種痘は恐れられていたからので摂

一一一一頁

津県においても次の触書が村々に出された

種痘之儀ハ天下之良法ニ一候処患味之者共兎角狐疑抱キ自然痘ヲ以

テ夫死為致候者木少以之外事-一一候向後別紙申達候通御雇医師廻村

之瑚申出之上速二一種痘相請可申若此上相疑候モノ有

之ニオヰテハ芝

度可及沙汰者也

夫「榎の樹の下

明治三年の巡回種痘医四人には緒方洪庵の四

女八千代を妻とする緒方拙斎が含まれていた

四人の巡回種痘医師は村々に派遣された村々

では寺院や惣代の私宅を診療所にあて患者の

治療と種痘を行った

「文化三年昆陽池付近絵図」

「伊丹古絵図集成」

本編

伊丹資料叢書六

九六頁

古西義麿「大坂の除痘館」分苗所調査報告書 (2)

「適塾」第三十九号

一六一頁

伊丹市史第三巻二二九

一四

猪名の会「園田のあゆみ

」六二

六七頁

⑪前載伊丹市史第三一巻一四

川辺郡医師会編

「川辺郡医師会史」二八八頁

前載「大坂の除痘館」八刀面所調査報告書(1)

一頁

②原老柳

「学の緒方に技の老柳」と一言われた原老柳は

天明三年(一七八三)二月十三日西宮札場筋

で生まれる

伊丹で開業したのは文化十四年

(一八

一七)でその聞に江戸と長崎に遊学す

る伊

丹では多国街道と有馬道の分岐点に近い伊

丹郷町で「医処老柳」の看板を掛ける

O

O

Oj

(高原寺資料)

種痘通知書 痘人員取調簿

O

|頁

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絲海 第34号(H21)

文政八年(

一八二五)大坂道修町五丁目で

開業

天保三年(一八三二)医師番

付に登場天保

十一年(一八四 O)西大関に

緒方洪庵は東前

頭四枚目

天保十五年

二月「当時町請医師見立」では

O)

大坂に再移住したこの年から学塾「樹人洞」を

開く『原老柳門譜』に記載されている時代は

天保元年(一八二一

からで一三二人が名を

連ねている

出身地は大坂周辺が圧倒的であり

伊丹出身は上杉順太郎岡高一郎山脇建隆が

含まれている

嘉永二年(

一八四九)大坂除癒館の創設に緒

方洪庵日野葛民大和屋嘉兵衛が中心となっ

て創設された

この除痘館創設に十数名の同士

が賛同しているがその中に原老柳が含まれて

いる

老柳は医者だけでなく酒と文化を求めて来伊

した文人と幅広く交流した

その中で最も知ら

れているのが儒学者漢詩人歴史家の頼山陽

である

頼山陽は文政十二年(

一八二九)十月

二十三日母の梅田町篠崎小竹田能村竹田

高橋草坪らとともに来伊し箕面に紅葉狩りを

した

老柳は黒津翁の和歌の弟子であり篠崎小竹

とも親しくしていたので伊丹の酒「男山」を愛

酒した頼山陽と伊丹をつなげている

頼山陽は文政四年(

一八二二

八月九日山

陽の高弟で小竹の女婿である後藤松陰に次の

ように書いている

伊丹紙屋本家の菊という印の酒を送ってく

れるよう原老柳に頼んで欲しい

これ

は常飲の酒ではない

凡そ口腹のことで人を煩

わすのは慨憾の至りであるが呉々お返事待つ

(新選山陽書簡集)

老柳が古稀記念の祝返しとして配り物をした

記録「原老柳古稀配物」が残されている

(嘉

永五年(一八三二)そこには老柳が開業して

いた伊丹郷からは伊丹三十六人をはじめ西

裏東裏堺丁米屋丁

三本松昆陽口横

手本丁通関連者を一括して百二十六人にな

伊丹以外では西宮池田等を含めて

二百二

十三人に及んでおり伊丹の関係者が半分近く

を占めている

出席者の内訳は

「原老柳古

稀配物」の付属資料に載っている

参考文献等

O

松本順司

j

「原老柳の生涯l

幕末の名医」

伊丹市立博物館市制二一十五年記念第七回特別展

「頼山陽と伊丹

酒の町に招かれた文人たち」

昭和五十年十月

二十四日

柿衛文庫

開館二十五周年記念特別展

「酒都伊丹

につどう 1

詩人俳人商人たち」十

二頁

平成

一一十一年四月十八日

O

前載

「原老柳の生涯幕末の名医」七七頁

同七八頁

前載

「緒方洪庵と大坂の除癒館」一

五頁

五頁

一二三

一て五頁

③原鼎

文化六年(一八 O九)に原老柳の長男として

西宮で生まれる

文政八年(

一八二五)父の老柳が大坂の道修

町で開業して伊丹の診療所をその出張所とし

た後を継ぐ

「四十三歳大坂ニ移住シ伊丹ノ家ヲ出

張所トナシ」「介庵(原老柳長男名は鼎)

伊丹ノ家ヲ続キ業ヲ開ク」

(「原家系略譜」)

原老柳が大坂除措館で活躍しているのを受け

大坂除癒館の「諸国分苗所」の一つとして伊丹

の診療所は位置づけられている

嘉永二年(

一八二九)十

一月にが分苗された

のをはじめ併せて十五人になる

参考文献等

前載

同四四頁

九頁

O

「緒方洪庵と大坂の除癒館

八頁

一四

一除嬉館記念資料室

除措館記念資料室が平成十九年

一六八頁

三月

大阪市中央区今橋コ一丁目緒方ビルクリニックセ

ンター四階に開室した

(洪庵記念会旧緒方

産婦人科病院適塾の後ろで南側に当たる)こ

の記念資料室は先に述べた「大坂の徐宿館」の

顕彰施設として設置された

8~

二十九日

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展示ケ

ンナ

ンナ l l

l

除痘館記念資料室(今橋3丁目緒方ビル4階)

展示室の面積は五十平方メートルで周囲に

スが配置されている

入口左側はジエ

の牛痘種痘法発見に至る関係資料やジエ

像を掲げているが全体の四分の三は緒

続く展示は洪庵の肖像画や洪庵の種痘を讃

それによると江

戸時代には南野村だけでな

える漢詩を掲げる

同じ展示ケ 1

スの下段には

徐痘館に関する主要文書があり種痘勧奨の引

き札や種痘後の心得等があり牛痘苗の分苗免

状も数店ある

丹の出身者及びその関係者は今のところ不明で

く伊丹郷町にも十数人の医者がいて地域のとも

交流していたことを指摘している

その中に原

老柳原鼎も含まれているものと思われる

在村医は庄屋さんとか惣年

寄とかだけでなく

村の寺子屋の師匠村のお坊さんや禅主とか

村の上層部の人たちと

一体の活動をしているこ

とを指摘している

今回は緒方洪庵に関係する人の伊丹の活躍を

概観した

昆陽村野間の具体的な医者につい

ては分からなかった

幕末から明治にかけての

伊丹を含めた川辺郡の医師の活動について

「川

辺郡医師会史」伊丹市史等を参考にした

の詳細については今後の関係資料の研究に待ち

たい

拙文については私なりに昨年来関係

参考文献等

古西義麿「除痘館記念資料室」オープン

「大阪春秋」

一二九号

十七頁「姓

名録」に直接伊

平成二十年

一月

おわりに

緒方洪庵の開いた適塾の

方洪庵らが設立した除痘館関係資料である

入口右側の最初は洪庵が万延元年に

した

「徐痘館記録」や徐痘館に残されていた古

文書を明治末年に翻刻した

「大阪市種痘歴史

などを展示している

書き残

ある

今年平成二十一年の四月

一一十九日から六

月十四日までの伊丹市立博物館の春季テ 1

マ展

「南野旧村シリーズ第五弾

1

領主村医者

むぎわら

音頭 j

の在村医

究書

「虎狼痢治準」

った

「笹山家文

松(現尼崎市 )

この

伊丹市立博物館

横田冬彦さんが

南野笹山

」が開催された

そこで南野村

笹山寿仙の史料の中に緒方洪庵の研

の写しと思われるものがあ

(二IF 1 腕館記意資料室 γ hellip J と 詐子守しJ い 場所ごゴご軒ヨ店S以S 緒方ピjレ(時捌) 4階与三三2記長諒日ζ訟 I 大阪市申央区今橋 3-2-17 5一一 ~--- r)r盟~ Lー」丘一-l l 電話 06-6231-3257

l krr 臨時間極 ぷ 畑石i [ 平日 午前 1 0時~午後4時二二堂どゴー曲目ムル$ ペ 土曜 午前 1 0時~午後 1 時忌型半需弁じ 巳躍祝祭日年末年始は休館つ示手 配一一一一---C J iltQ参観料無料

会宣下2食傷堂筋餓京販電車途』開駅下車 徒歩叶

幕末のコレラの流行に対して緒方洪庵が

集することから始めた

痘館資料室専門委員

に的確なアドバイスをいただいた

資料山崎利恒著

「種痘と徐癌所」

躍を知るのに役立った

館」分苗所調査報告

(I

その初期の段階から除

文学博士の古西義麿さん

独自に研究したものである

南野村の在村医が

緒方洪庵の研究内容に関心のあったことが分か

しは伊丹の見陽村小松来青の地域を越えた活

書」

又前載

)

)

「諸事控」では南野村の在

(2

村医は南野だけでなく野問昆陽村寺本富

大坂の除措館」を常に参考にさせていただいた

不十分ながらも何とかまとめることができたこ

とに御礼申し上げます

にも診察に行っ

た事が分かる

「笹山家文書」については平成十年

三月

「地域研究いたみ

「江戸時代の在村

」第二七号で

医|伊丹市

参考文献等

前栽

「地域研究

いたみ」第二七号六九七十頁

家の資料から

を研究発表されてい

1

(伊丹市文化財保存協会

資料を収

特に貴重な

(稿本)の写

「大坂の除癌

「緒方洪庵と

会員 )

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pエ

yen f麦玄土期及の

盈オ郎と土

君塁本家小

長谷

正治

手許に「糸海史談』の復刊第一号があるこ

れは昭和三十五年に伊丹史談会によって編集

刊行されたものだ

伊丹史談会は昭和

一一十五

年四月に小林杖吉(丹城)を会長尾上日経を

理事として発足以来郷土伊丹の歴史の顕彰を

目的とし講演会史跡めぐり伊丹史料展等

を開催してきたその発足十周年を記念して刊

行されたものが糸海史談である

当初会を主宰

した杖吉は伊丹町の宮前通りに私立伊丹図

館を設立したことでも有名で明治四十五年六

月私蔵図書五千冊をもって開館している

治末年阪神間では神戸市立図書館とこの伊丹

図書館のみであったというからその存在は遠

くまで知られていた

大正三年には巡回文庫を

始め蔵書も四万冊におよんだが経営的に振

るわなくなり昭和十一年から休館が続き同

十八年には廃止されたというしかし杖吉は

休館を決めた昭和十一年からタブロイド版

「郷土研究伊丹公論』の刊行を始めている

の第

一号

二月二十日刊)冒頭の

「創刊之辞」

の一部を引用すると「郷土研究の必要を痛感

して己まず三十有余年来史料の蒐集に務めた

る予は更に進んで我が郷

土の懐かしき昔の姿

我が郷土の正しき歴史乃至我が郷土に於ける慕

はしき先賢の事蹟を調査し之を研究して見た

いと思ひ乃ち同志と相謀りてここに本紙を刊

行することにした」とその強い決意のほどを

述べている

第三号からは「郷土研究伊丹』と

名称を改め同十

一年は毎月(十

一十一一月は

不明)翌十二年から十五年は年

二1

二一回発刊

している

さて

『郷土研究伊丹』の刊行を続けていた

同十三年杖吉は

『伊丹古野家系譜略』

(博物

館所蔵)という古野家の系図を作成している

古野家からは江戸後期の郷土史家古野将盈が

出ている

将盈は古い記録をもとに伊丹郷町

の歴史を編纂した

『有岡庄年代秘記」や伊丹郷

町の名所地図

『摂州伊丹独案内図』などを遺し

ており系図作成の動機としては郷土史家と

しての「先賢の事蹟」を顕彰しようとする杖吉

の強い思いがあったからと思う

系図の後書き

によると作成にあたり正覚

寺過去帳同回向

録のほか親族の小結家小林家の過去帳および

位牌まで参照したと記されており杖吉の並々

ならぬ熱意と執念を感じさせる

この系図によ

れば安倉村の喜兵衛の二男源兵衛が伊丹堺町

に分家したことに始まり屋号は椛

当主は

代々椛屋源兵衛を襲名している

将盈は三代源

兵衛の五男として明和九年(一七七二)二月

十三日に生まれたが母常が同日死亡したため

鴻池村の吉兵衛のもとで養育されることになっ

たところが椛犀の家督を継いだ長兄の四代

源兵衛が二才の子(邦好)を遺して亡くなった

ため将盈が五代目源兵衛を継ぐことになった

系図には「将盈博識多才最精於郷土史

而著有岡年代秘記有岡奮考酒造奮新録有

岡絵図同付録等」と彼の著作が詳しく紹介さ

れている

このうち最も代表的な著作は前述し

た『有岡庄年代秘記」(京都大学文学部蔵所蔵)

で伊丹郷町所在の寺院の開基年を記した「丹

丘寺院開基年考」南北朝時代の貞治年聞から

江戸前期の万治年間までの伊丹の出来

事を記し

た「伊丹往古年記」それに続いて寛文年聞か

ら江戸後期の文政

一一年までの伊丹郷町史を詳細

に記した「有岡年代秘記」のコ一篇が所収されて

いる

このうち有岡年代秘記には伊丹郷町で

おこった様々な出来事が年表形式で簡潔に記さ

れ現在でも江戸時代の伊丹郷町研究には欠か

せない一書となっている

「伊丹古野家系略譜」小林杖吉作成

10 -Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

将盈は多くの重要な著作を遺しながら生没

年を含め来歴も長らく不詳であったが杖古

による将盈顕彰の努力によって明らかになった

のである岡田利兵衛も「伊丹市史

」の中で

「彼は尚古のたしなみふかく

「有岡庄年代秘

記』以下多数を編著し伊丹懐古に貢献した」

と郷土史家としての将盈を高く評価している

将盈と同時代を生きた人に梶曲阜がいた曲

阜は将盈より

一一十六年後の寛政十一年(一七

九九)に伊丹で生まれた

梶家系図録(文化

財保存協会所蔵博物館寄託)によると梶家

はもと小畑六兵衛といって東桑津に住していた

が後に津田氏を名のり曲阜の曽祖父の代から

伊丹伊勢町に移り住んだ

祖父金兵衛の代に姓

を梶と改めたという

屋号は大和田屋で曲阜

も大和田屋金兵衛と称した曲阜は照顔斎と号

しているがこれは彼が敬慕する俳人鬼貫を赤

い顔と解して自らを「てる顔」と称したという

家業のかたわら俳句にも通じ安政

三一年には

二条殿から俳諸宗匠として官服御免許の待遇を

うけている

曲車は伊丹の俳人としての大先輩

である鬼貫を顕彰するため鬼貫の遺墨をもと

に伊丹や近郊に七基の句碑を建てたが俳諸に

とどまらず伊丹の歴史にも強い関心を示して

いる彼の編著による

『有岡古続語」(博物館

所蔵)は乾坤二冊の折本で『伊丹荒木軍記」

公圭画香披賛「照顔斎曲車肖像」

転載したほか曲阜自らの見聞による著作を収

載している

その内容は地名の由来野宮

伊丹城俳譜鬼貫のことから当時流行して

いた能狂言角力酒呑のことまで実に多岐に

わたっている

また

「伊丹酒家盛衰の事」は

幕末の伊丹の酒造業の状況を伝える史料として

価値が高く正に江戸時代の伊丹郷町史といえ

るものである

曲阜は将盈について

『有岡古続語

』のなか

で次のように述べている

「此将盈といへるハ

往年大庄屋勤められし椛屋源兵衛といへる人な

り曽て在岡旧考といへる

一巻の著述あり

よく此里のふるき事跡を探索して記し置けり

苗字を古野といへり堺町に椛屋何某といへる

ハその子孫なりこの三本松の記借りくれる人

将盈とハ何人なることをしらさりけれはいささ

か記しぬなり

」将盈は兄の子邦好が長じる

(一八六五)の二十八年も前に将盈はこの世を

貢献している

と家督を譲り出家して多国院村の西方寺十二

世の法灯を継ぎ天保八年(一八三七)に六五

歳で亡くなっている

曲阜が「有岡古統語」を編纂した元治二年

去っており「三本松之記」も子孫から借りた

というから親交があったとは思えないが将

盈と曲阜ほほ同時代を生きた伊丹の二人の郷

土史家彼らの遺してくれた著作は今も郷土

伊丹を知る上で大きく

(伊丹市立博物館長)

博物館からのお知らせ

夏季企画展

大阪国際空港開港七

周年記念

|空港と

O

O

とともに一つの箱に収められている

有岡古続

語には西谷午蔵の「有岡むかし語」「有岡

むかし語余禄」古野将盈の「

三本松之記」を

場 期

所 間

歩んだ七

7

月 4

日(土)18月叩日(日)

伊丹市立博物館

11-

年 l

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絲海 第34号(H21)

そのために伊丹郷町館の

監視案内業務に携わり伊丹

郷町の歴史文化の顕彰に参

画し訪れる市内外の人々に

伊丹の歴史を実感してもらい

伊丹市と「ともに」我がまち

「伊丹ブランド」の全国発信

の一翼を少しでも担ってまい

りたいあわせて文化財愛護

少年団を中心とする後継者の

育成に努力を傾けてまいると

ともに伊丹ロマン事業の取

組の中で各種関係団体との連

携を更に深め過去から受け

ついだ文化遺産を未来永遠に

継承し保護すべく努力する

具体的には

次の事業に重点

を置き推進する

(1) ①文「 講化万座財葉のにを開閑読講すむる」 事

講業座

「第 3

回文学碑をた

平成二十一年度の

事業計画の紹介

5

月ロ日

(金)に予定をし

ていました平成幻年度総会は

皆様もご存じのとおり新塑

インフルエンザの発生により

急逮中止を余儀なくされま

したそ

の後総会の取扱いにつ

いて様々な観点から慎重に

検討しましたが

一堂に会す

る総会の開催は諸般の事情で

中止することとしその代わ

りとして総会出席予定であ

った会員の方々に限定し総

会議案書を送付し各会計決

算報告等をご承認していただ

いた上で事業計画

(案)

各会計予算(案)

をご承認し

ていただきました

ご理解

ご協力をいただきありがとう

ございました

その主な事業計画の内容は

次のとおりです

本年度も文化財の保護

顕彰に努め市民が文化財に対

する知識と理解を深めるため

に啓発活動強化を図り協会

の充実発展に努める

平成二十年度

事業の回顧

万葉講座を開催ldquo

毎年ご好評をいただいて

います「万葉を読む」講座を

加年度も6

月 4

日から 8

月幻

日の期間に伊丹ホ

9月刊日には

「万葉を読

む」現地講座「奈良県明日香

村方面」を実施

講師の大森

亮尚先生を案内人として参加

者判名で藤原宮跡香具山

神社万葉の森

石舞台を通

しての万葉の旅でした

ずねて 1

現地講座 1

文化財講演会の実施

史跡めぐりパスツア

(6月から 9

月現地

講座を含め全 7

②「古代民俗講座」

(9月から叩月全

実施)

③伊丹ロマン事業

(文化財強調月間)

「第 3

回リレ

1

ω林海学 1

回実施)

5

回講座

5 4 3 2 (5) (4) (3) (2) (1) (4) (3) (2) (1) (5) (4) (3) (2)

各文 組 文

l

の実施(日月中旬)

文化財整備に協力

伊丹郷町館の委託業務

(旧岡田家旧石橋家

住宅の監視案内業務)

72 文化立化遺企遺産

城)」

「産の伊の保丹保護城護(顕有顕彰

「清酒発祥の地岡彰」

等にまつわる冊子の編集

文化財案内ボランテイ

アの充実強化

文化財パトロールの実

方面各文化財保存団体との

階大

ル3

1

会議室で全 6

回開催しました

講師は古代民俗研究所代表の

大森亮尚先

生で

「万葉秀歌

と歌人

マに参加者

」をテ l

ω

名で学びました

織 連携

強化

拡充等

の役員の担当制

伊丹市文化財保存協会

ホームベ l

ジの内容充実

機関誌「締海(比号こ

の発行

(6月下旬)

会員の増強

役員研修の実施

種化関財係愛団護体少と年の団連の携育

bull 12 -

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

--E

報誌

のホ 1

「いたみテイ」を当協会

のもと参加者を四グループに

分けて巡った

りリレ

方式で

実施当該

講座を受講することによ

って

更に伊丹の歴史

文化の深さ

を受講者総数日別名もの多くの

市民に知

て頂いた

(1日目)

開催日時 日月幻日

(土 )

4

0

-)

1

「伊丹郷町遺跡出

O O

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UU

0 場

士の人形

小西酒造「長寿蔵

二階ギャラリー

伊丹市文化財スケッチ集

原画展の開催ldquo

古代民俗講座を開催ldquo

旧岡田家住宅酒蔵において

ムペ

1

ジに追加いたし

開催日時日月9日

--ム

-

開催場所見陽池公園内

qd-nv

-qぺU11i)n0

AF1h~

[アドレス]

(日)

ハ AU

協会創立判周年記念事業と

古代民俗講座を9月

日から

M

UV

して会員の渋出純子氏に作成

頂いたスケッチ集の原画を旧

岡出家住宅

土間において

8

2

日から 8

日口日までの問展

一ボ期間中の観覧者数は一

コ一十八人を数えた

日月却日の間に全 5

回開催し

ました

「日本の怨霊再び」をテ

マに講師古代民俗学研究所代

表の大森亮尚先生の講義を受

講生刊名で楽しく学んだ

ホl

ムペ l

ジの追加lsquo

」れまで検討を続けていま

したわがまち伊丹のグラフ情

万円一ヨ

ZH

TUC

Z

-SNE-

参加者数 お名

②「リレ l

講座紙

海学 j

O伊丹の歴史文化の

主たる

をテ i

マとした三つの講座を

大手前大学教授の川口宏海先

生方を講師とし j

第二回

業が繰り広げられ

l

次の

と好評を博した

市内には

年から昭和

「歴史文化が醸し出す

伊丹ロマン事業」の実施

伊丹市伊丹市教育委員会

が提唱し文化財関係同団体

で構成する伊丹ロマン事業実

行委員会を中心として各種事

当協会も

二つの事業を展開し多

くの市民の皆様方の参加のも

①「文学碑を訪ねて

j

現地講座

」j

当協会が昭和町

ω年までの 4

年の

聞に設置した

がある

ω基もの文学碑

その中で見陽池公園

一帯に設置した昆陽池等に因

んだ文学碑日基を判り易い解

説書を配布し事前研修に取

り組んだ当協会理事の説明

3

日間に一日

O O

講師

」川口宏海氏

-13-

l

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

日目

)

O O開催日時

A1i

講師

l

(2日日

)

開催日時日月お日

l

4

0

1

ょハ

U

マ①「伊丹郷町遺跡

大正昭和ロマン1

講師

小西酒造

長寿蔵」

二階ギャラリー

(

日月山日

A斗

ハυ

伊丹郷町ロマン

-

(日)

j

伊丹茂氏

(月)

h

-

υ

「摂津のへそ」

その一

村上敏展氏

小西酒造「長寿蔵」

二階ギャラリー

i

史跡めぐり

パスツアーldquoの実施

平成叩年度の史跡めぐりパ

スツア

日月日日

(金)

に和歌山県根来

高野山を

巡り楽しい一日を過ごしま

した

なお参加者羽名で実

施しました

第六回ひなかざり

伊丹郷町ldquo

平成加年度も

「白雪蔵ま

つり」

「わっ

しょい冬の

元気まつり

「一日だけの

バレンタインカフ

」等々の

イベントと連携を図り開催

期間を 2

7

日から 3

8

までのお日間とし

旧岡田家

住宅において明治から昭和ま

でのひな飾りやカルタすご

ろくの展示

「遺跡が語る伊

丹の酒造り」と

題した写

真パ

ネル展そして酒蔵大画面ビデ

オ放映

「伊丹の暦史

」の上映

南京桃の展示即売会を実施い

たしま

期間中次の出

来事がありました

立派な盆梅の展示

植木どころである東野の若

手グループより盆梅の展示が

ありました

文学碑の拓本と

写真パネルの展示

2

月 9

日に実施された田辺

聖子氏

「伊丹市名誉市民贈呈

式典」会場に協会出展として

ご本人揮官宅による文学碑の拓

本と写真パネルを展

示した

役員研修会を実施ldquo

3

月刊日に役員研修会を参

加者同名で実施しました

今回は岐阜県の関ヶ原と滋

賀県の安土城の視察研修を実

施しました

14

3

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絲海 第34号(H21)

において団員幻名参加のもと

(稲野小6

年)

平成二十年度伊丹市γ

和人

愛護少年団(かるた大会)

文化財愛護少年団入図式一笹の葉に願い事を書き込んだ

夏希(稲野小

年)

3

短冊や色紙で作った色とりど

優勝】「ブラックホ

1ル」

5

月白日旧岡田家住宅酒蔵

りの飾りを結びつけ旧岡田

【準優勝

教育長盾

渡辺

彩花(南小

年)

5

で入図式を行いました

家の玄関に設

行き交う

杉山

健太

(花里小 年)

4

沖野帆乃花(南小 5

年)

団員町名保護者指導者

人々の目を楽しませていた

麿瀬

大城(花里小

年)

4

山本

楓子(南小 6

年)

等別名の計115

名参加のも

初仕立口

穂高 (花里小 年)

4

と入国式が挙行された

第二位

「ガツツカポ1

ズ」

【第三位

疋田

彩花(南小

年)

6

文化財保存協会

会長盾】

大西久美子(南小 6

年)

愛美(花里小 6

年)

山田恵美釆(南小 6

年)

l

大前

綾香(花里小

年)

6

野口奈々美 (花里小6

年)

第三位「ミッキ

1

前田

みゆ

鈴原小2

年)

村上

璃帆(昆陽里小 6

年)

ω文化財愛護かるた

勝部

ザ利子(鈴原小2

年)

小田美都里(見陽里小 6

年)

大会を開催

中里かりん

(鈴原小2

年)

増井佐弥香(見陽里小

年)

6

新春恒例のかるた大会を1

月8

日には図書館 2

階で(出

組問人)1

月刊日にはいた

l

4

みホ

階和室で(団員羽

名指導員他ロ名)

同チ ムロ

人)実施した

Q

市内小学生文化財愛護少

ωサマ

キャンプの実施

年団員を対象とし参加者は l

8

月刊ω日 18

月印日の 泊

合わせて 135

人であった

伊丹市文化財愛護

2

日で団

日指導員他 8

結果は次のとおり

少年団の活動

名の参加のもと

「兵庫県立歴

FζnkHV

図書館大会(かるた大会)

りたなばたまつりの実施

史博物館」

「姫路市自然観

)11

7月 5

日国の重要文化財

察の森」そして

「赤穂海洋

【優勝

市長杯

である旧岡田家住宅

「酒蔵」

科学館」等の見学をした

松本

直之

(稲野小6

l

d

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凶文化財愛護少年団

す叫「業旅行の実施

3

月幻日に愛護少年団の卒

業旅行を

ω字の参加のもと大

阪城大阪歴史博物館を見学

しました

既刊書あんない

伊丹の文化財

二千円

分布地図

五百円

伊丹の伝説

八百円

麦わら音頭

文学碑をたずねて

伊丹の年中行事

伊丹の酒造り道具

文化財を訪ねて

有馬道

巡礼と街道

伊丹の仕ごと唄

伊丹のわらべ唄⑦

新伊丹史話

聞き書き

六百円

一千円

六百円

五百円

五百円

四百円

四百円

六百円

六百円

千円

「伊丹のくらし」千二百円

地域研究いたみ第

ロ号

第お号

第日比号

千二百円

千二百円

一千円

絵はがき「鬼貫賛春ト画巻」百

伊丹の文化財

「スケッチ集

「スケッチ集

発掘された伊丹の町

酒の町伊丹

ー」四百円

E

」四百円

百円

以上の書籍類は当協会事 四

百円

務所(旧岡田家住宅内)

ます

L

収博物館において販売してい

伊丹の文化財

「スケッチ集

ー」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

文学碑をたずねて

一千円

文化財を訪ねて

五百円

以上の書籍類は伊丹市観

光物産協会

(JR伊丹駅コン

コース内)

において販売して

います

伊丹の文化財

「スケッチ集

」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

以上のスケッチ集は

アー

トホ

l

「蔵(くら)」(JR

伊丹駅前アリオ2

号館一階)

において販売しています

伊丹城跡発掘調査報告書

E四百円

五百円

各七百五十円

W-V

有岡城跡発掘調査報告書咽=

一千円

伊丹市埋蔵文化財調査報告書

I

(有岡城跡)

五百円

E

(御願塚古墳)

五百円

有岡城跡伊丹郷町

E

第1

2

分冊

各四千円

緑ケ丘遺跡

五百円

北園遺跡

一千五百円

緑ケ任遺跡第

三次調査報告書

九百円

口酒井遺跡詑お次調査

報告書

二千円

埋蔵文化財保護の手引き

分布地図

五百円

以上の書籍類は伊丹市教

育委員会事務局生涯学習部杜

会教育課において販売してお

ります

会員が開設している

ホームペl

ジldquo

どしどしアクセスしてくだ

さい皆様の求める情報がギ

ツシリありますよ

1

【アドレス】

23万一〉ミ印

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「一一寸

編 [集

「巳

-言回

紙海M号をお届けします

今回は豊田正義さん益尾

宏之さん小長谷正治さん

中畔明日香さんから原稿を頂

きました

お忙しい中執筆

頂き有難うございました

さて事務局長として長年

当協会の発展にご尽

力して頂

いた古屋敷達夫氏が本年

3

末をもって退職されました

16

本当にお疲れ様でした

古屋敷氏の後任として

年三がその職に就くことにな

りました

全てが初めての体

験となります

」れから協会のため皆様と

ともに頑張っていきたいと考

えておりますので会員の皆様

のより一層のご支援ご協力を

頂きますようよろしくお願い

申し上げます

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

終海第 34 号発行日 平成21年 6 月 25 日

編集伊丹市文化財保存協会

664-0895 伊丹市宮ノ前2丁目 5香28号市立伊丹郷町館(旧岡田家住宅内)電話 FAX 072-772-8830 (直通)ホームページ httpitami-bunkazaijp Eメール o伍ce itami-bunkazaijp

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

Page 4: 第 34 号 - 伊丹市文化財保存協会 · 城、王の不在を察知し を開けさせて、他の砦も攻撃、侍町にも火を放. 璃塚砦の武将を調略。十月十五日の深夜に城門た信長軍は、有岡城惣構えの西側の要である上

一時武士(秀吉配下の織田信雄の小姓説)

庁三の丸美術館)「上浄瑠璃物語絵巻」(MO

有岡城跡公園 荒木村重たし文学碑

その後の岩佐又兵衛

有岡城を乳母と脱出した岩佐又兵衛は京都

の本願寺系の子院に身を隠したとされる

本能

寺の変までの織田信長存命中は信長は自分に

楯突いた荒木の残党狩りをしきりにおこなって

いた

高野山が荒木の残党を匿ったとの理由で

各地で活動していた高野聖千数百名を処刑して

いる

そんな状況下で又兵衛は荒木など名乗れ

るわけがなく母方か乳母の姓を名乗ったもの

とおもわれる

又兵衛は幼少期から和漢を学び絵も村重家

臣の子であった狩野内膳に師事したといわれる

八歳の時には豊臣秀吉の京北野天満境内での北

野大茶会ものぞいたり摂関家の二条家にも出

入りの記録があり幅広い教養を身につけていた

ようだ

荒木村重存命中(天正十四年没又兵

衛七 1

八歳)に親子の対面があったのかは記録

がなく想像の域をでない

を目指したがあきらめて天性の絵の道にすすん

そこでは当時絵の主流であった狩野派土

A

美術館)などはその時代の作品といわれて

いる

佐派と交流を深めながら独自の画風を残したと

される

又兵衛は人生の大半を京で絵師として

過ごしたが京時代の代表作は「洛中洛外図扉

風」(舟木本東京国立博物館)「豊田祭礼図

扉風」(徳川美術館)があげられる

還歴の時再び転機がおとずれた

之庄(福井市)に招かれて同行する

同地の興

宗寺に寄寓し絵師として活躍する

福井藩は

徳川家康次男の結城秀康が初代藩主の六十八万

石の大藩で二代藩主松平忠直

三代松平忠昌

(忠直の弟)の庇護をつけて多くの絵巻物など

作品を残している

「忠直卿行状記(菊池寛作)」

で有名な藩主とは気脈が通じるものがあったよ

うである

赴任時の様子として

「今日大橋の上

にて威風なる男に逢い申し候緋縮緬の股引を

はき居ると申す

それは浮世又平なるべし

(MOA

平当国へ来る筈也と仰せけるが果たして又平

にてありれると也」(福井の文献「越翁夜話」)

が残されている

北之庄時代の又兵衛は円熟期

に入り絵師として

一定の評価をつけていた

大な絵巻物は

一人の技では困難とされ絵師を束

ねる工房を設けていたといわれる

その名声は

江戸にも伝わっていた

その絵巻物の大作「山

中常盤物語絵巻」

美術館)「堀江物語

絵巻」(香雪美術館)「小栗判官絵巻」

(宮内

(1637)二月に

三代将軍家光に招かれて

単身江戸に向かった

旅日記の廻国道之記によ

ると福井をたち京で十日程過ごして江戸に下っ

ている

格調高い内容である

しかし三島宿

以降が欠落している

江戸には幕府のお抱え絵師の狩野派が多数お

り江戸城本丸の建築中の時期でもあり絵師の

絶対数が不足していたこともあるが江戸城大

奥の表使荒木(

一般に荒木局と呼ばれている

又兵衛の姉)と春日局のル

トから将軍への

推挙も考えられる

表使荒木は幕府が編纂した

寛政重修諸家譜によれば村重息女二人が本願寺

人質となっている

本願寺の人質とは別にもう

一人の息女として「崇源院殿(将軍秀忠夫人)

及び大猷院殿(将軍家光)に仕へたてまつり

荒木と称す」と記されている

何処で育ったの

l

か不明しかし大奥の中枢部で長年仕えている

ので相当の教養を身につけていたとおもわれる

江戸では将軍家光の娘千代姫が尾張徳川家

に輿入れの調度品の製作に携わっている

十四年

(1637)川越東照宮が焼失

そこの

三十六仙絵の話があり製作に取り組んだりして

次々と大名などからの仕事が舞い込み大車輪の

活躍をする

寛永

晩年は持病の

一種)」に苦

「おこり(熱病の

四十歳の時本願寺の縁でひとつの転機が訪

れた

親交のあった本願寺務めの僧心願から北

寛永十四

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身像である

しめられている

この時期に自画像を福井の妻

に送っている

その絵はやせて少しヤツレタ感

じで椅子に掛けて右手に長い杖を持っている全

後方には薙万が置かれ武士の出と

しての誇りをもっていた福井を単身で離れて

十三年後の慶安

三年

(1650)に江戸で七十

三歳で没した

又兵衛の希望で骨は二つの骨壷に入れられ

福井に送られた

その

一つに墨書で荒木と書か

れていたという

岩佐又兵衛の絵

岩佐又兵衛は生存中から人気絵師で

福井市興宗寺 岩佐又兵衛の墓「浮世

又兵衛」と呼ばれたり後に近松門左衛門の浄

瑠璃「傾城反魂香」の吃又のモデルとしても有

名であった

画風は当時の主流である狩野派

土佐派に属さずそれぞれの画風を取り入れて独

自のものを確立したといわれる

特に又兵衛

の絵に登場する人物像は

男女ともにふっくらとした頬と下顎の長い顔

と足先のそりかえった動的な描写などが特徴と

される

岩佐又兵衛の真骨頂は御伽草子古浄瑠璃

を題材にした多数の絵巻物語にある

内容の大

半が劇的なものである

代表作として

「山中常

盤物語絵巻」があげられるそれは十二巻構成

の極色彩で全長百五十メートルの壮大なもので

ある

絵巻には古浄瑠璃の歌詞が添えられてい

出所は越前松平家を祖とする津山藩に伝わ

ったものである

物語は年若い牛若丸が奥州平泉の藤原氏に

迎えられていた京の常盤御前は息子の牛若丸

会いたさに侍従とともに平泉に向う途中中山

道の山中宿で盗賊に命を奪われる

牛若丸が山

中宿に行き母の仇である盗賊を討つ物語である

常盤御前が殺される描写にスペースをさき盗

賊を討つ修羅場の場面はすざましい

岩佐又兵衛は母親たしが織田信長によって

処刑された怨念が時は戦国時代から平和な江

戸時代に推移するなかで絵巻を通じて仇討ちの

思いを果たしたといえる

「堀江物語絵巻」も堀江家の親の仇討ちとお

家再興の物語である子供の太郎(月若)が幼

少の頃に国司に殺されそうとなったときに乳母

に救われて奥州に匿われる場面なども素晴らし

い内容の作品である

参考文献

荒木村重史料伊丹資料叢書四

『村重』第七号荒木村重研究会会報

岩佐派のゆくえ福井県立美術館

奇想の系譜ちくま学芸文庫辻惟雄

岩佐又兵衛文春新書辻惟雄

芸術新潮

102004

新潮社

週刊アーティストジャパン

岩佐又兵衛

40

デアゴスティ

絵巻山中常盤解説資料自由工房

謎と伝説の絵師岩佐又兵衛

日経新聞

1997

2

912

23

ハイビジョン特集天才画家の肖像

「伝説となった絵師岩佐又兵衛」

0NHK

OO OOOOOO

(伊丹市文化財保存協会

理事)

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間aJ

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館-庁リ

川い劃MOA像画向

口岩佐又兵衛

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歴史上の人物と伊丹ldquoについて

「緒万洪庵に関係する人の

伊丹における活躍」

益尾

宏之

はじめに

i

これまでの歴史の舞台に登場した人物の内

伊丹にゆかりのある人として「締海」三二号で

は「伊能忠敬と伊丹」を二三一号では「天訴組

伴林光平の伊丹における足跡」についてとり

あげた今回は直接伊丹に来たことは確認さ

れていないがその関係者が活躍した人として

緒方洪庵(一八一 01

一八六三)をとりあげた

い「総海」三三号では西宮で生まれて伊丹で

1

活躍した原老柳(一七八三

一八五回)を「緒

について」日本医史学会関西支部

「医聾」復刊第

方洪庵の門弟」と書いたが門弟ではないので

「緒方洪庵に関係する人」に訂正したい「学

の緒方に技の老柳」言われており緒方洪庵と

原老柳は同格でありその活躍年代は少しずれ

ている

参考文献等古西義麿「原老柳死亡前後の動向

八十七号九十

九十七頁平成

二十年三月

緒方洪庵について

緒方洪庵が天保八年(一八三八)に大坂に出

て瓦町に蘭学塾適塾を開くまでの主な経過は

次の通りである

緒方洪庵は文化七年(一八一

O)備中国足

守(現岡山市足守)で足守藩士佐伯惟因とキ

ヨウの三男として生まれた十五歳で父と共に

大坂に出て十六歳の時に大坂の蘭学者中天

瀞の塾に学び緒方三平と名乗る

十八歳で蘭学修業のため江戸に向かう二

十一歳で江戸に入り蘭学者坪井信道の塾で

学び蘭医の宇田川榛斎にも学ぶ

二十五歳の

時に中天誹が死去しその塾で蘭学を学ぶため

大坂に赴く二十六歳のときに中天瀞の子耕

介を伴い長崎修行に出るこの時から緒方洪庵

と名乗る

一年後に長崎での勉学をおえ足守

に帰省する

三十六歳の時に適塾を過書町に移転する

緒方洪庵が最初に種痘に関わったのは適塾を

聞く少し前に兄の子に人痘種痘を行い成功

嘉永一瓦年(一八四八)に長崎のオランダ商館付

医師モ l

ニッケの元に牛痘がもたらされた

嘉永二年(一八四九)に牛痘苗を笠原白翁に

分けてもらい以後古手町の大坂除痘館で午

痘種痘法の普及に努める

緒方洪庵

参考文献等

適塾記念会編集発行「緒方洪庵と適塾」

平成五年六月五十八 1

六十

一頁

適塾種痘と伊丹との関わり

(二適塾

適塾に入門した門下生の「姓名録」には北海

道から九州まで全国の六三六名の名が残されて

いるその中には幕末から明治にかけて各方面

に目ざましい活躍をして日本の近代化に大きな

貢献を果たした人が多い例えば大村益次郎

福沢諭吉が含まれている

「姓名録」に基づく都道府県別の塾生名簿が

三人であ

ありその内兵庫県県の出身者は三十

その具体的な氏名を「都道府県別適々斎塾

生姓名録」で当たってみた摂州の出身者は

四人いるが伊丹の人は見当たらない

ただ今も続けられている適塾記念会による

「適塾門下生に関する調査報告」で伊丹の関係

者がみつかるかもしれない

緒方富雄編著

「緒方洪庵適々斎姓名録」(財)学校教育研究所

(昭和42年 1 月)

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参考文献等

適塾記念会

場毒物数 r員正 w

適塾記念会「緒方洪庵と適塾」五十六五十七頁

適塾記念会

larr都道府県別

適々斎塾姓名録」

芝哲夫「適塾門下牛に関する調査報告」(二十八)

の分与)した医師名簿百八十六名の中に嘉永五

年(一八五二)一月に「摂州昆陽村小松来青

が含まれている(ij 存乏 除

後藤松陰が山崎遷司に贈った額

(長さ四尺五寸幅二尺五寸)

〈宝塚医師会山崎利慣氏所蔵〉

cr川辺郡医師会史J 昭和62年289頁)

大坂除痘館については古西義麿除痘館資料

いる

一八六名の身分は現在のところ藩士が十名

藩医が十七名身分不明が四名町

村医

が九七名不明が五八名との結果となってい

小松来青は伊丹市史第二巻には万延一 1

明治

五年に読み書き算術の寺子屋が昆陽村で開業

されていた

その「習字師」に

小松元春(医)

の名前が載っている

小松元春は小松来青の嗣

かも知れないと言われている

小松来青は伊丹の昆陽村の分苗所だけでなく

周辺の地域の分苗所との交流のあったことが山

崎利恒著

「種痘と徐痘所」(稿本)でわかる

山崎利恒氏は分苗した嘉永三年

一月の医師名簿

に載っている

「摂州米谷の山崎健司

」の孫であ

山崎健司は摂津国川辺郡米谷(まいたに)

村で嘉永三年から十七年間に医業のかたわら分

苗所を聞いて種痘活動に尽力してきた

彼は適

塾には入門していないが洪庵とは様々の関係

で親しい間柄にあった

山崎健司は除措館から分苗を受けて種痘に携

わると共に近郊の医師は分苗に努め涙ぐま

しいような活動を続けていた

名塩の億川信哉から山崎健司への書簡では次

のよつになっている

「貴翰這仕候時下薄暑之節御座候得共先以高堂皆様

御揃益々御多祥被矯在御起居珍重不斜奉賀候然

らば明遡日昆陽池孫太郎茶屋店に集合致度候間早

朝より御出掛可被下尤も

「適塾」第四十

一号平成

一一十年十

二月適 塾

一種痘ワクチン

専門委員が平成十四年に

「緒方洪庵と大坂の除

癒館」(東方出版)で長年の研究成果をまとめ

(I)(2)

られた

そこでは嘉永二年から明治

三年の聞に

分苗を受けた分苗所の現地調査が一部に留まっ

ていたので残されていた現地調査を平成十五

年より実施され全調査をまとめためたものを

平成十七年と平成十八年に

「大坂の除癒館」分

首所調査報告

として「適塾」

コ一八三九(適塾記念会)で発表された

NO

それによると大坂の除措館百八十六名の内緒

方洪庵の門人知人が三十名原老柳の門人

知人十五名の四十五名で全体の二四を占めて

(二)大坂除痘館と伊丹との係り

①小松来青

緒方洪庵の功積の

一つに嘉永二年(一八四九)

種痘専門の施設「大坂除痘館」を大坂在住の医

師十数人と開設したことが挙げられる

大坂除痘館が関東中部地方から九州地方ま

でで嘉永

一一年(一八四九)十一月明治二年

(一八六九)二月までに分苗(

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小松(見陽)高橋(池田)名川(麻田 )山中(小

浜)吉田(西宮)緒方(尼)瀬田(高槻)十七ていた時期があった

八人種痘社中の集会に御座候間是非々々御出席被

下候尚々小生明日御尋申上候

先は右御案内迄

勿々

如此御座候謹言

卯月廿九

山崎老兄

玉机下

II

この書簡から伊丹の昆陽村には大坂除痘館の

分苗所の

一つがあり昆陽村の「太郎茶屋」で

分苗に関する集会が聞かれていたことが分かる

この「太郎茶屋」は「文化三年昆陽池付近絵図」

で昆陽大池の西側で有馬道と行基道の交差する

付近にある「大池茶屋」と思われる

そこは西

宮宝塚尼崎から集まって伊丹で分苗につい

ての会合には都合のょいところであった

伊丹の昆陽村以外で分苗所があったという記

録はないが明治九年の伊丹市野間文書「種痘人

員調書」によれば幕末の安政や文久年間に種痘

した記録がある

又同年コ一月の種痘通知券が

あり伊丹町内と北村で種痘を接種したことが

分かるがいずれも種痘医は不明である

伊丹市史第三一巻では明治維新の文明化に衛生

問題として明治初年以来種痘を奨励している

ことがたびたびあったと指摘している

明治

二年一月から八月まで現在の摂津市

豊中市に園田村を加えた地域を摂津県と呼称し

参考文献等

園田村には

一部現在の伊

前載「緒方洪庵と適塾

古西義麿「大坂の除痘館」

「適塾」第三十八号

平成十七年

伊丹市史第二巻五

一七一良内堀睦

寺子屋から小学校へふるさとの教育史

小西酒造(株)「伊丹歴史探訪」三八

山崎利恒

「種痘と除癒所」

同三頁

同三頁

三十八頁

丹市が含まれていた

八刀苗所調査報告書(1)

当時

一般に種痘は恐れられていたからので摂

一一一一頁

津県においても次の触書が村々に出された

種痘之儀ハ天下之良法ニ一候処患味之者共兎角狐疑抱キ自然痘ヲ以

テ夫死為致候者木少以之外事-一一候向後別紙申達候通御雇医師廻村

之瑚申出之上速二一種痘相請可申若此上相疑候モノ有

之ニオヰテハ芝

度可及沙汰者也

夫「榎の樹の下

明治三年の巡回種痘医四人には緒方洪庵の四

女八千代を妻とする緒方拙斎が含まれていた

四人の巡回種痘医師は村々に派遣された村々

では寺院や惣代の私宅を診療所にあて患者の

治療と種痘を行った

「文化三年昆陽池付近絵図」

「伊丹古絵図集成」

本編

伊丹資料叢書六

九六頁

古西義麿「大坂の除痘館」分苗所調査報告書 (2)

「適塾」第三十九号

一六一頁

伊丹市史第三巻二二九

一四

猪名の会「園田のあゆみ

」六二

六七頁

⑪前載伊丹市史第三一巻一四

川辺郡医師会編

「川辺郡医師会史」二八八頁

前載「大坂の除痘館」八刀面所調査報告書(1)

一頁

②原老柳

「学の緒方に技の老柳」と一言われた原老柳は

天明三年(一七八三)二月十三日西宮札場筋

で生まれる

伊丹で開業したのは文化十四年

(一八

一七)でその聞に江戸と長崎に遊学す

る伊

丹では多国街道と有馬道の分岐点に近い伊

丹郷町で「医処老柳」の看板を掛ける

O

O

Oj

(高原寺資料)

種痘通知書 痘人員取調簿

O

|頁

7 Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

文政八年(

一八二五)大坂道修町五丁目で

開業

天保三年(一八三二)医師番

付に登場天保

十一年(一八四 O)西大関に

緒方洪庵は東前

頭四枚目

天保十五年

二月「当時町請医師見立」では

O)

大坂に再移住したこの年から学塾「樹人洞」を

開く『原老柳門譜』に記載されている時代は

天保元年(一八二一

からで一三二人が名を

連ねている

出身地は大坂周辺が圧倒的であり

伊丹出身は上杉順太郎岡高一郎山脇建隆が

含まれている

嘉永二年(

一八四九)大坂除癒館の創設に緒

方洪庵日野葛民大和屋嘉兵衛が中心となっ

て創設された

この除痘館創設に十数名の同士

が賛同しているがその中に原老柳が含まれて

いる

老柳は医者だけでなく酒と文化を求めて来伊

した文人と幅広く交流した

その中で最も知ら

れているのが儒学者漢詩人歴史家の頼山陽

である

頼山陽は文政十二年(

一八二九)十月

二十三日母の梅田町篠崎小竹田能村竹田

高橋草坪らとともに来伊し箕面に紅葉狩りを

した

老柳は黒津翁の和歌の弟子であり篠崎小竹

とも親しくしていたので伊丹の酒「男山」を愛

酒した頼山陽と伊丹をつなげている

頼山陽は文政四年(

一八二二

八月九日山

陽の高弟で小竹の女婿である後藤松陰に次の

ように書いている

伊丹紙屋本家の菊という印の酒を送ってく

れるよう原老柳に頼んで欲しい

これ

は常飲の酒ではない

凡そ口腹のことで人を煩

わすのは慨憾の至りであるが呉々お返事待つ

(新選山陽書簡集)

老柳が古稀記念の祝返しとして配り物をした

記録「原老柳古稀配物」が残されている

(嘉

永五年(一八三二)そこには老柳が開業して

いた伊丹郷からは伊丹三十六人をはじめ西

裏東裏堺丁米屋丁

三本松昆陽口横

手本丁通関連者を一括して百二十六人にな

伊丹以外では西宮池田等を含めて

二百二

十三人に及んでおり伊丹の関係者が半分近く

を占めている

出席者の内訳は

「原老柳古

稀配物」の付属資料に載っている

参考文献等

O

松本順司

j

「原老柳の生涯l

幕末の名医」

伊丹市立博物館市制二一十五年記念第七回特別展

「頼山陽と伊丹

酒の町に招かれた文人たち」

昭和五十年十月

二十四日

柿衛文庫

開館二十五周年記念特別展

「酒都伊丹

につどう 1

詩人俳人商人たち」十

二頁

平成

一一十一年四月十八日

O

前載

「原老柳の生涯幕末の名医」七七頁

同七八頁

前載

「緒方洪庵と大坂の除癒館」一

五頁

五頁

一二三

一て五頁

③原鼎

文化六年(一八 O九)に原老柳の長男として

西宮で生まれる

文政八年(

一八二五)父の老柳が大坂の道修

町で開業して伊丹の診療所をその出張所とし

た後を継ぐ

「四十三歳大坂ニ移住シ伊丹ノ家ヲ出

張所トナシ」「介庵(原老柳長男名は鼎)

伊丹ノ家ヲ続キ業ヲ開ク」

(「原家系略譜」)

原老柳が大坂除措館で活躍しているのを受け

大坂除癒館の「諸国分苗所」の一つとして伊丹

の診療所は位置づけられている

嘉永二年(

一八二九)十

一月にが分苗された

のをはじめ併せて十五人になる

参考文献等

前載

同四四頁

九頁

O

「緒方洪庵と大坂の除癒館

八頁

一四

一除嬉館記念資料室

除措館記念資料室が平成十九年

一六八頁

三月

大阪市中央区今橋コ一丁目緒方ビルクリニックセ

ンター四階に開室した

(洪庵記念会旧緒方

産婦人科病院適塾の後ろで南側に当たる)こ

の記念資料室は先に述べた「大坂の徐宿館」の

顕彰施設として設置された

8~

二十九日

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

展示ケ

ンナ

ンナ l l

l

除痘館記念資料室(今橋3丁目緒方ビル4階)

展示室の面積は五十平方メートルで周囲に

スが配置されている

入口左側はジエ

の牛痘種痘法発見に至る関係資料やジエ

像を掲げているが全体の四分の三は緒

続く展示は洪庵の肖像画や洪庵の種痘を讃

それによると江

戸時代には南野村だけでな

える漢詩を掲げる

同じ展示ケ 1

スの下段には

徐痘館に関する主要文書があり種痘勧奨の引

き札や種痘後の心得等があり牛痘苗の分苗免

状も数店ある

丹の出身者及びその関係者は今のところ不明で

く伊丹郷町にも十数人の医者がいて地域のとも

交流していたことを指摘している

その中に原

老柳原鼎も含まれているものと思われる

在村医は庄屋さんとか惣年

寄とかだけでなく

村の寺子屋の師匠村のお坊さんや禅主とか

村の上層部の人たちと

一体の活動をしているこ

とを指摘している

今回は緒方洪庵に関係する人の伊丹の活躍を

概観した

昆陽村野間の具体的な医者につい

ては分からなかった

幕末から明治にかけての

伊丹を含めた川辺郡の医師の活動について

「川

辺郡医師会史」伊丹市史等を参考にした

の詳細については今後の関係資料の研究に待ち

たい

拙文については私なりに昨年来関係

参考文献等

古西義麿「除痘館記念資料室」オープン

「大阪春秋」

一二九号

十七頁「姓

名録」に直接伊

平成二十年

一月

おわりに

緒方洪庵の開いた適塾の

方洪庵らが設立した除痘館関係資料である

入口右側の最初は洪庵が万延元年に

した

「徐痘館記録」や徐痘館に残されていた古

文書を明治末年に翻刻した

「大阪市種痘歴史

などを展示している

書き残

ある

今年平成二十一年の四月

一一十九日から六

月十四日までの伊丹市立博物館の春季テ 1

マ展

「南野旧村シリーズ第五弾

1

領主村医者

むぎわら

音頭 j

の在村医

究書

「虎狼痢治準」

った

「笹山家文

松(現尼崎市 )

この

伊丹市立博物館

横田冬彦さんが

南野笹山

」が開催された

そこで南野村

笹山寿仙の史料の中に緒方洪庵の研

の写しと思われるものがあ

(二IF 1 腕館記意資料室 γ hellip J と 詐子守しJ い 場所ごゴご軒ヨ店S以S 緒方ピjレ(時捌) 4階与三三2記長諒日ζ訟 I 大阪市申央区今橋 3-2-17 5一一 ~--- r)r盟~ Lー」丘一-l l 電話 06-6231-3257

l krr 臨時間極 ぷ 畑石i [ 平日 午前 1 0時~午後4時二二堂どゴー曲目ムル$ ペ 土曜 午前 1 0時~午後 1 時忌型半需弁じ 巳躍祝祭日年末年始は休館つ示手 配一一一一---C J iltQ参観料無料

会宣下2食傷堂筋餓京販電車途』開駅下車 徒歩叶

幕末のコレラの流行に対して緒方洪庵が

集することから始めた

痘館資料室専門委員

に的確なアドバイスをいただいた

資料山崎利恒著

「種痘と徐癌所」

躍を知るのに役立った

館」分苗所調査報告

(I

その初期の段階から除

文学博士の古西義麿さん

独自に研究したものである

南野村の在村医が

緒方洪庵の研究内容に関心のあったことが分か

しは伊丹の見陽村小松来青の地域を越えた活

書」

又前載

)

)

「諸事控」では南野村の在

(2

村医は南野だけでなく野問昆陽村寺本富

大坂の除措館」を常に参考にさせていただいた

不十分ながらも何とかまとめることができたこ

とに御礼申し上げます

にも診察に行っ

た事が分かる

「笹山家文書」については平成十年

三月

「地域研究いたみ

「江戸時代の在村

」第二七号で

医|伊丹市

参考文献等

前栽

「地域研究

いたみ」第二七号六九七十頁

家の資料から

を研究発表されてい

1

(伊丹市文化財保存協会

資料を収

特に貴重な

(稿本)の写

「大坂の除癌

「緒方洪庵と

会員 )

- 9-Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

pエ

yen f麦玄土期及の

盈オ郎と土

君塁本家小

長谷

正治

手許に「糸海史談』の復刊第一号があるこ

れは昭和三十五年に伊丹史談会によって編集

刊行されたものだ

伊丹史談会は昭和

一一十五

年四月に小林杖吉(丹城)を会長尾上日経を

理事として発足以来郷土伊丹の歴史の顕彰を

目的とし講演会史跡めぐり伊丹史料展等

を開催してきたその発足十周年を記念して刊

行されたものが糸海史談である

当初会を主宰

した杖吉は伊丹町の宮前通りに私立伊丹図

館を設立したことでも有名で明治四十五年六

月私蔵図書五千冊をもって開館している

治末年阪神間では神戸市立図書館とこの伊丹

図書館のみであったというからその存在は遠

くまで知られていた

大正三年には巡回文庫を

始め蔵書も四万冊におよんだが経営的に振

るわなくなり昭和十一年から休館が続き同

十八年には廃止されたというしかし杖吉は

休館を決めた昭和十一年からタブロイド版

「郷土研究伊丹公論』の刊行を始めている

の第

一号

二月二十日刊)冒頭の

「創刊之辞」

の一部を引用すると「郷土研究の必要を痛感

して己まず三十有余年来史料の蒐集に務めた

る予は更に進んで我が郷

土の懐かしき昔の姿

我が郷土の正しき歴史乃至我が郷土に於ける慕

はしき先賢の事蹟を調査し之を研究して見た

いと思ひ乃ち同志と相謀りてここに本紙を刊

行することにした」とその強い決意のほどを

述べている

第三号からは「郷土研究伊丹』と

名称を改め同十

一年は毎月(十

一十一一月は

不明)翌十二年から十五年は年

二1

二一回発刊

している

さて

『郷土研究伊丹』の刊行を続けていた

同十三年杖吉は

『伊丹古野家系譜略』

(博物

館所蔵)という古野家の系図を作成している

古野家からは江戸後期の郷土史家古野将盈が

出ている

将盈は古い記録をもとに伊丹郷町

の歴史を編纂した

『有岡庄年代秘記」や伊丹郷

町の名所地図

『摂州伊丹独案内図』などを遺し

ており系図作成の動機としては郷土史家と

しての「先賢の事蹟」を顕彰しようとする杖吉

の強い思いがあったからと思う

系図の後書き

によると作成にあたり正覚

寺過去帳同回向

録のほか親族の小結家小林家の過去帳および

位牌まで参照したと記されており杖吉の並々

ならぬ熱意と執念を感じさせる

この系図によ

れば安倉村の喜兵衛の二男源兵衛が伊丹堺町

に分家したことに始まり屋号は椛

当主は

代々椛屋源兵衛を襲名している

将盈は三代源

兵衛の五男として明和九年(一七七二)二月

十三日に生まれたが母常が同日死亡したため

鴻池村の吉兵衛のもとで養育されることになっ

たところが椛犀の家督を継いだ長兄の四代

源兵衛が二才の子(邦好)を遺して亡くなった

ため将盈が五代目源兵衛を継ぐことになった

系図には「将盈博識多才最精於郷土史

而著有岡年代秘記有岡奮考酒造奮新録有

岡絵図同付録等」と彼の著作が詳しく紹介さ

れている

このうち最も代表的な著作は前述し

た『有岡庄年代秘記」(京都大学文学部蔵所蔵)

で伊丹郷町所在の寺院の開基年を記した「丹

丘寺院開基年考」南北朝時代の貞治年聞から

江戸前期の万治年間までの伊丹の出来

事を記し

た「伊丹往古年記」それに続いて寛文年聞か

ら江戸後期の文政

一一年までの伊丹郷町史を詳細

に記した「有岡年代秘記」のコ一篇が所収されて

いる

このうち有岡年代秘記には伊丹郷町で

おこった様々な出来事が年表形式で簡潔に記さ

れ現在でも江戸時代の伊丹郷町研究には欠か

せない一書となっている

「伊丹古野家系略譜」小林杖吉作成

10 -Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

将盈は多くの重要な著作を遺しながら生没

年を含め来歴も長らく不詳であったが杖古

による将盈顕彰の努力によって明らかになった

のである岡田利兵衛も「伊丹市史

」の中で

「彼は尚古のたしなみふかく

「有岡庄年代秘

記』以下多数を編著し伊丹懐古に貢献した」

と郷土史家としての将盈を高く評価している

将盈と同時代を生きた人に梶曲阜がいた曲

阜は将盈より

一一十六年後の寛政十一年(一七

九九)に伊丹で生まれた

梶家系図録(文化

財保存協会所蔵博物館寄託)によると梶家

はもと小畑六兵衛といって東桑津に住していた

が後に津田氏を名のり曲阜の曽祖父の代から

伊丹伊勢町に移り住んだ

祖父金兵衛の代に姓

を梶と改めたという

屋号は大和田屋で曲阜

も大和田屋金兵衛と称した曲阜は照顔斎と号

しているがこれは彼が敬慕する俳人鬼貫を赤

い顔と解して自らを「てる顔」と称したという

家業のかたわら俳句にも通じ安政

三一年には

二条殿から俳諸宗匠として官服御免許の待遇を

うけている

曲車は伊丹の俳人としての大先輩

である鬼貫を顕彰するため鬼貫の遺墨をもと

に伊丹や近郊に七基の句碑を建てたが俳諸に

とどまらず伊丹の歴史にも強い関心を示して

いる彼の編著による

『有岡古続語」(博物館

所蔵)は乾坤二冊の折本で『伊丹荒木軍記」

公圭画香披賛「照顔斎曲車肖像」

転載したほか曲阜自らの見聞による著作を収

載している

その内容は地名の由来野宮

伊丹城俳譜鬼貫のことから当時流行して

いた能狂言角力酒呑のことまで実に多岐に

わたっている

また

「伊丹酒家盛衰の事」は

幕末の伊丹の酒造業の状況を伝える史料として

価値が高く正に江戸時代の伊丹郷町史といえ

るものである

曲阜は将盈について

『有岡古続語

』のなか

で次のように述べている

「此将盈といへるハ

往年大庄屋勤められし椛屋源兵衛といへる人な

り曽て在岡旧考といへる

一巻の著述あり

よく此里のふるき事跡を探索して記し置けり

苗字を古野といへり堺町に椛屋何某といへる

ハその子孫なりこの三本松の記借りくれる人

将盈とハ何人なることをしらさりけれはいささ

か記しぬなり

」将盈は兄の子邦好が長じる

(一八六五)の二十八年も前に将盈はこの世を

貢献している

と家督を譲り出家して多国院村の西方寺十二

世の法灯を継ぎ天保八年(一八三七)に六五

歳で亡くなっている

曲阜が「有岡古統語」を編纂した元治二年

去っており「三本松之記」も子孫から借りた

というから親交があったとは思えないが将

盈と曲阜ほほ同時代を生きた伊丹の二人の郷

土史家彼らの遺してくれた著作は今も郷土

伊丹を知る上で大きく

(伊丹市立博物館長)

博物館からのお知らせ

夏季企画展

大阪国際空港開港七

周年記念

|空港と

O

O

とともに一つの箱に収められている

有岡古続

語には西谷午蔵の「有岡むかし語」「有岡

むかし語余禄」古野将盈の「

三本松之記」を

場 期

所 間

歩んだ七

7

月 4

日(土)18月叩日(日)

伊丹市立博物館

11-

年 l

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

そのために伊丹郷町館の

監視案内業務に携わり伊丹

郷町の歴史文化の顕彰に参

画し訪れる市内外の人々に

伊丹の歴史を実感してもらい

伊丹市と「ともに」我がまち

「伊丹ブランド」の全国発信

の一翼を少しでも担ってまい

りたいあわせて文化財愛護

少年団を中心とする後継者の

育成に努力を傾けてまいると

ともに伊丹ロマン事業の取

組の中で各種関係団体との連

携を更に深め過去から受け

ついだ文化遺産を未来永遠に

継承し保護すべく努力する

具体的には

次の事業に重点

を置き推進する

(1) ①文「 講化万座財葉のにを開閑読講すむる」 事

講業座

「第 3

回文学碑をた

平成二十一年度の

事業計画の紹介

5

月ロ日

(金)に予定をし

ていました平成幻年度総会は

皆様もご存じのとおり新塑

インフルエンザの発生により

急逮中止を余儀なくされま

したそ

の後総会の取扱いにつ

いて様々な観点から慎重に

検討しましたが

一堂に会す

る総会の開催は諸般の事情で

中止することとしその代わ

りとして総会出席予定であ

った会員の方々に限定し総

会議案書を送付し各会計決

算報告等をご承認していただ

いた上で事業計画

(案)

各会計予算(案)

をご承認し

ていただきました

ご理解

ご協力をいただきありがとう

ございました

その主な事業計画の内容は

次のとおりです

本年度も文化財の保護

顕彰に努め市民が文化財に対

する知識と理解を深めるため

に啓発活動強化を図り協会

の充実発展に努める

平成二十年度

事業の回顧

万葉講座を開催ldquo

毎年ご好評をいただいて

います「万葉を読む」講座を

加年度も6

月 4

日から 8

月幻

日の期間に伊丹ホ

9月刊日には

「万葉を読

む」現地講座「奈良県明日香

村方面」を実施

講師の大森

亮尚先生を案内人として参加

者判名で藤原宮跡香具山

神社万葉の森

石舞台を通

しての万葉の旅でした

ずねて 1

現地講座 1

文化財講演会の実施

史跡めぐりパスツア

(6月から 9

月現地

講座を含め全 7

②「古代民俗講座」

(9月から叩月全

実施)

③伊丹ロマン事業

(文化財強調月間)

「第 3

回リレ

1

ω林海学 1

回実施)

5

回講座

5 4 3 2 (5) (4) (3) (2) (1) (4) (3) (2) (1) (5) (4) (3) (2)

各文 組 文

l

の実施(日月中旬)

文化財整備に協力

伊丹郷町館の委託業務

(旧岡田家旧石橋家

住宅の監視案内業務)

72 文化立化遺企遺産

城)」

「産の伊の保丹保護城護(顕有顕彰

「清酒発祥の地岡彰」

等にまつわる冊子の編集

文化財案内ボランテイ

アの充実強化

文化財パトロールの実

方面各文化財保存団体との

階大

ル3

1

会議室で全 6

回開催しました

講師は古代民俗研究所代表の

大森亮尚先

生で

「万葉秀歌

と歌人

マに参加者

」をテ l

ω

名で学びました

織 連携

強化

拡充等

の役員の担当制

伊丹市文化財保存協会

ホームベ l

ジの内容充実

機関誌「締海(比号こ

の発行

(6月下旬)

会員の増強

役員研修の実施

種化関財係愛団護体少と年の団連の携育

bull 12 -

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--E

報誌

のホ 1

「いたみテイ」を当協会

のもと参加者を四グループに

分けて巡った

りリレ

方式で

実施当該

講座を受講することによ

って

更に伊丹の歴史

文化の深さ

を受講者総数日別名もの多くの

市民に知

て頂いた

(1日目)

開催日時 日月幻日

(土 )

4

0

-)

1

「伊丹郷町遺跡出

O O

i

i

UU

0 場

士の人形

小西酒造「長寿蔵

二階ギャラリー

伊丹市文化財スケッチ集

原画展の開催ldquo

古代民俗講座を開催ldquo

旧岡田家住宅酒蔵において

ムペ

1

ジに追加いたし

開催日時日月9日

--ム

-

開催場所見陽池公園内

qd-nv

-qぺU11i)n0

AF1h~

[アドレス]

(日)

ハ AU

協会創立判周年記念事業と

古代民俗講座を9月

日から

M

UV

して会員の渋出純子氏に作成

頂いたスケッチ集の原画を旧

岡出家住宅

土間において

8

2

日から 8

日口日までの問展

一ボ期間中の観覧者数は一

コ一十八人を数えた

日月却日の間に全 5

回開催し

ました

「日本の怨霊再び」をテ

マに講師古代民俗学研究所代

表の大森亮尚先生の講義を受

講生刊名で楽しく学んだ

ホl

ムペ l

ジの追加lsquo

」れまで検討を続けていま

したわがまち伊丹のグラフ情

万円一ヨ

ZH

TUC

Z

-SNE-

参加者数 お名

②「リレ l

講座紙

海学 j

O伊丹の歴史文化の

主たる

をテ i

マとした三つの講座を

大手前大学教授の川口宏海先

生方を講師とし j

第二回

業が繰り広げられ

l

次の

と好評を博した

市内には

年から昭和

「歴史文化が醸し出す

伊丹ロマン事業」の実施

伊丹市伊丹市教育委員会

が提唱し文化財関係同団体

で構成する伊丹ロマン事業実

行委員会を中心として各種事

当協会も

二つの事業を展開し多

くの市民の皆様方の参加のも

①「文学碑を訪ねて

j

現地講座

」j

当協会が昭和町

ω年までの 4

年の

聞に設置した

がある

ω基もの文学碑

その中で見陽池公園

一帯に設置した昆陽池等に因

んだ文学碑日基を判り易い解

説書を配布し事前研修に取

り組んだ当協会理事の説明

3

日間に一日

O O

講師

」川口宏海氏

-13-

l

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日目

)

O O開催日時

A1i

講師

l

(2日日

)

開催日時日月お日

l

4

0

1

ょハ

U

マ①「伊丹郷町遺跡

大正昭和ロマン1

講師

小西酒造

長寿蔵」

二階ギャラリー

(

日月山日

A斗

ハυ

伊丹郷町ロマン

-

(日)

j

伊丹茂氏

(月)

h

-

υ

「摂津のへそ」

その一

村上敏展氏

小西酒造「長寿蔵」

二階ギャラリー

i

史跡めぐり

パスツアーldquoの実施

平成叩年度の史跡めぐりパ

スツア

日月日日

(金)

に和歌山県根来

高野山を

巡り楽しい一日を過ごしま

した

なお参加者羽名で実

施しました

第六回ひなかざり

伊丹郷町ldquo

平成加年度も

「白雪蔵ま

つり」

「わっ

しょい冬の

元気まつり

「一日だけの

バレンタインカフ

」等々の

イベントと連携を図り開催

期間を 2

7

日から 3

8

までのお日間とし

旧岡田家

住宅において明治から昭和ま

でのひな飾りやカルタすご

ろくの展示

「遺跡が語る伊

丹の酒造り」と

題した写

真パ

ネル展そして酒蔵大画面ビデ

オ放映

「伊丹の暦史

」の上映

南京桃の展示即売会を実施い

たしま

期間中次の出

来事がありました

立派な盆梅の展示

植木どころである東野の若

手グループより盆梅の展示が

ありました

文学碑の拓本と

写真パネルの展示

2

月 9

日に実施された田辺

聖子氏

「伊丹市名誉市民贈呈

式典」会場に協会出展として

ご本人揮官宅による文学碑の拓

本と写真パネルを展

示した

役員研修会を実施ldquo

3

月刊日に役員研修会を参

加者同名で実施しました

今回は岐阜県の関ヶ原と滋

賀県の安土城の視察研修を実

施しました

14

3

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

において団員幻名参加のもと

(稲野小6

年)

平成二十年度伊丹市γ

和人

愛護少年団(かるた大会)

文化財愛護少年団入図式一笹の葉に願い事を書き込んだ

夏希(稲野小

年)

3

短冊や色紙で作った色とりど

優勝】「ブラックホ

1ル」

5

月白日旧岡田家住宅酒蔵

りの飾りを結びつけ旧岡田

【準優勝

教育長盾

渡辺

彩花(南小

年)

5

で入図式を行いました

家の玄関に設

行き交う

杉山

健太

(花里小 年)

4

沖野帆乃花(南小 5

年)

団員町名保護者指導者

人々の目を楽しませていた

麿瀬

大城(花里小

年)

4

山本

楓子(南小 6

年)

等別名の計115

名参加のも

初仕立口

穂高 (花里小 年)

4

と入国式が挙行された

第二位

「ガツツカポ1

ズ」

【第三位

疋田

彩花(南小

年)

6

文化財保存協会

会長盾】

大西久美子(南小 6

年)

愛美(花里小 6

年)

山田恵美釆(南小 6

年)

l

大前

綾香(花里小

年)

6

野口奈々美 (花里小6

年)

第三位「ミッキ

1

前田

みゆ

鈴原小2

年)

村上

璃帆(昆陽里小 6

年)

ω文化財愛護かるた

勝部

ザ利子(鈴原小2

年)

小田美都里(見陽里小 6

年)

大会を開催

中里かりん

(鈴原小2

年)

増井佐弥香(見陽里小

年)

6

新春恒例のかるた大会を1

月8

日には図書館 2

階で(出

組問人)1

月刊日にはいた

l

4

みホ

階和室で(団員羽

名指導員他ロ名)

同チ ムロ

人)実施した

Q

市内小学生文化財愛護少

ωサマ

キャンプの実施

年団員を対象とし参加者は l

8

月刊ω日 18

月印日の 泊

合わせて 135

人であった

伊丹市文化財愛護

2

日で団

日指導員他 8

結果は次のとおり

少年団の活動

名の参加のもと

「兵庫県立歴

FζnkHV

図書館大会(かるた大会)

りたなばたまつりの実施

史博物館」

「姫路市自然観

)11

7月 5

日国の重要文化財

察の森」そして

「赤穂海洋

【優勝

市長杯

である旧岡田家住宅

「酒蔵」

科学館」等の見学をした

松本

直之

(稲野小6

l

d

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絲海 第34号(H21)

凶文化財愛護少年団

す叫「業旅行の実施

3

月幻日に愛護少年団の卒

業旅行を

ω字の参加のもと大

阪城大阪歴史博物館を見学

しました

既刊書あんない

伊丹の文化財

二千円

分布地図

五百円

伊丹の伝説

八百円

麦わら音頭

文学碑をたずねて

伊丹の年中行事

伊丹の酒造り道具

文化財を訪ねて

有馬道

巡礼と街道

伊丹の仕ごと唄

伊丹のわらべ唄⑦

新伊丹史話

聞き書き

六百円

一千円

六百円

五百円

五百円

四百円

四百円

六百円

六百円

千円

「伊丹のくらし」千二百円

地域研究いたみ第

ロ号

第お号

第日比号

千二百円

千二百円

一千円

絵はがき「鬼貫賛春ト画巻」百

伊丹の文化財

「スケッチ集

「スケッチ集

発掘された伊丹の町

酒の町伊丹

ー」四百円

E

」四百円

百円

以上の書籍類は当協会事 四

百円

務所(旧岡田家住宅内)

ます

L

収博物館において販売してい

伊丹の文化財

「スケッチ集

ー」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

文学碑をたずねて

一千円

文化財を訪ねて

五百円

以上の書籍類は伊丹市観

光物産協会

(JR伊丹駅コン

コース内)

において販売して

います

伊丹の文化財

「スケッチ集

」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

以上のスケッチ集は

アー

トホ

l

「蔵(くら)」(JR

伊丹駅前アリオ2

号館一階)

において販売しています

伊丹城跡発掘調査報告書

E四百円

五百円

各七百五十円

W-V

有岡城跡発掘調査報告書咽=

一千円

伊丹市埋蔵文化財調査報告書

I

(有岡城跡)

五百円

E

(御願塚古墳)

五百円

有岡城跡伊丹郷町

E

第1

2

分冊

各四千円

緑ケ丘遺跡

五百円

北園遺跡

一千五百円

緑ケ任遺跡第

三次調査報告書

九百円

口酒井遺跡詑お次調査

報告書

二千円

埋蔵文化財保護の手引き

分布地図

五百円

以上の書籍類は伊丹市教

育委員会事務局生涯学習部杜

会教育課において販売してお

ります

会員が開設している

ホームペl

ジldquo

どしどしアクセスしてくだ

さい皆様の求める情報がギ

ツシリありますよ

1

【アドレス】

23万一〉ミ印

ωヨ

ω027一E

ヨア」

ZH万一ミをささコ巴コ

0

ωaω才一一Zヨ一

「一一寸

編 [集

「巳

-言回

紙海M号をお届けします

今回は豊田正義さん益尾

宏之さん小長谷正治さん

中畔明日香さんから原稿を頂

きました

お忙しい中執筆

頂き有難うございました

さて事務局長として長年

当協会の発展にご尽

力して頂

いた古屋敷達夫氏が本年

3

末をもって退職されました

16

本当にお疲れ様でした

古屋敷氏の後任として

年三がその職に就くことにな

りました

全てが初めての体

験となります

」れから協会のため皆様と

ともに頑張っていきたいと考

えておりますので会員の皆様

のより一層のご支援ご協力を

頂きますようよろしくお願い

申し上げます

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

終海第 34 号発行日 平成21年 6 月 25 日

編集伊丹市文化財保存協会

664-0895 伊丹市宮ノ前2丁目 5香28号市立伊丹郷町館(旧岡田家住宅内)電話 FAX 072-772-8830 (直通)ホームページ httpitami-bunkazaijp Eメール o伍ce itami-bunkazaijp

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

Page 5: 第 34 号 - 伊丹市文化財保存協会 · 城、王の不在を察知し を開けさせて、他の砦も攻撃、侍町にも火を放. 璃塚砦の武将を調略。十月十五日の深夜に城門た信長軍は、有岡城惣構えの西側の要である上

身像である

しめられている

この時期に自画像を福井の妻

に送っている

その絵はやせて少しヤツレタ感

じで椅子に掛けて右手に長い杖を持っている全

後方には薙万が置かれ武士の出と

しての誇りをもっていた福井を単身で離れて

十三年後の慶安

三年

(1650)に江戸で七十

三歳で没した

又兵衛の希望で骨は二つの骨壷に入れられ

福井に送られた

その

一つに墨書で荒木と書か

れていたという

岩佐又兵衛の絵

岩佐又兵衛は生存中から人気絵師で

福井市興宗寺 岩佐又兵衛の墓「浮世

又兵衛」と呼ばれたり後に近松門左衛門の浄

瑠璃「傾城反魂香」の吃又のモデルとしても有

名であった

画風は当時の主流である狩野派

土佐派に属さずそれぞれの画風を取り入れて独

自のものを確立したといわれる

特に又兵衛

の絵に登場する人物像は

男女ともにふっくらとした頬と下顎の長い顔

と足先のそりかえった動的な描写などが特徴と

される

岩佐又兵衛の真骨頂は御伽草子古浄瑠璃

を題材にした多数の絵巻物語にある

内容の大

半が劇的なものである

代表作として

「山中常

盤物語絵巻」があげられるそれは十二巻構成

の極色彩で全長百五十メートルの壮大なもので

ある

絵巻には古浄瑠璃の歌詞が添えられてい

出所は越前松平家を祖とする津山藩に伝わ

ったものである

物語は年若い牛若丸が奥州平泉の藤原氏に

迎えられていた京の常盤御前は息子の牛若丸

会いたさに侍従とともに平泉に向う途中中山

道の山中宿で盗賊に命を奪われる

牛若丸が山

中宿に行き母の仇である盗賊を討つ物語である

常盤御前が殺される描写にスペースをさき盗

賊を討つ修羅場の場面はすざましい

岩佐又兵衛は母親たしが織田信長によって

処刑された怨念が時は戦国時代から平和な江

戸時代に推移するなかで絵巻を通じて仇討ちの

思いを果たしたといえる

「堀江物語絵巻」も堀江家の親の仇討ちとお

家再興の物語である子供の太郎(月若)が幼

少の頃に国司に殺されそうとなったときに乳母

に救われて奥州に匿われる場面なども素晴らし

い内容の作品である

参考文献

荒木村重史料伊丹資料叢書四

『村重』第七号荒木村重研究会会報

岩佐派のゆくえ福井県立美術館

奇想の系譜ちくま学芸文庫辻惟雄

岩佐又兵衛文春新書辻惟雄

芸術新潮

102004

新潮社

週刊アーティストジャパン

岩佐又兵衛

40

デアゴスティ

絵巻山中常盤解説資料自由工房

謎と伝説の絵師岩佐又兵衛

日経新聞

1997

2

912

23

ハイビジョン特集天才画家の肖像

「伝説となった絵師岩佐又兵衛」

0NHK

OO OOOOOO

(伊丹市文化財保存協会

理事)

l

間aJ

t

館-庁リ

川い劃MOA像画向

口岩佐又兵衛

4 Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

歴史上の人物と伊丹ldquoについて

「緒万洪庵に関係する人の

伊丹における活躍」

益尾

宏之

はじめに

i

これまでの歴史の舞台に登場した人物の内

伊丹にゆかりのある人として「締海」三二号で

は「伊能忠敬と伊丹」を二三一号では「天訴組

伴林光平の伊丹における足跡」についてとり

あげた今回は直接伊丹に来たことは確認さ

れていないがその関係者が活躍した人として

緒方洪庵(一八一 01

一八六三)をとりあげた

い「総海」三三号では西宮で生まれて伊丹で

1

活躍した原老柳(一七八三

一八五回)を「緒

について」日本医史学会関西支部

「医聾」復刊第

方洪庵の門弟」と書いたが門弟ではないので

「緒方洪庵に関係する人」に訂正したい「学

の緒方に技の老柳」言われており緒方洪庵と

原老柳は同格でありその活躍年代は少しずれ

ている

参考文献等古西義麿「原老柳死亡前後の動向

八十七号九十

九十七頁平成

二十年三月

緒方洪庵について

緒方洪庵が天保八年(一八三八)に大坂に出

て瓦町に蘭学塾適塾を開くまでの主な経過は

次の通りである

緒方洪庵は文化七年(一八一

O)備中国足

守(現岡山市足守)で足守藩士佐伯惟因とキ

ヨウの三男として生まれた十五歳で父と共に

大坂に出て十六歳の時に大坂の蘭学者中天

瀞の塾に学び緒方三平と名乗る

十八歳で蘭学修業のため江戸に向かう二

十一歳で江戸に入り蘭学者坪井信道の塾で

学び蘭医の宇田川榛斎にも学ぶ

二十五歳の

時に中天誹が死去しその塾で蘭学を学ぶため

大坂に赴く二十六歳のときに中天瀞の子耕

介を伴い長崎修行に出るこの時から緒方洪庵

と名乗る

一年後に長崎での勉学をおえ足守

に帰省する

三十六歳の時に適塾を過書町に移転する

緒方洪庵が最初に種痘に関わったのは適塾を

聞く少し前に兄の子に人痘種痘を行い成功

嘉永一瓦年(一八四八)に長崎のオランダ商館付

医師モ l

ニッケの元に牛痘がもたらされた

嘉永二年(一八四九)に牛痘苗を笠原白翁に

分けてもらい以後古手町の大坂除痘館で午

痘種痘法の普及に努める

緒方洪庵

参考文献等

適塾記念会編集発行「緒方洪庵と適塾」

平成五年六月五十八 1

六十

一頁

適塾種痘と伊丹との関わり

(二適塾

適塾に入門した門下生の「姓名録」には北海

道から九州まで全国の六三六名の名が残されて

いるその中には幕末から明治にかけて各方面

に目ざましい活躍をして日本の近代化に大きな

貢献を果たした人が多い例えば大村益次郎

福沢諭吉が含まれている

「姓名録」に基づく都道府県別の塾生名簿が

三人であ

ありその内兵庫県県の出身者は三十

その具体的な氏名を「都道府県別適々斎塾

生姓名録」で当たってみた摂州の出身者は

四人いるが伊丹の人は見当たらない

ただ今も続けられている適塾記念会による

「適塾門下生に関する調査報告」で伊丹の関係

者がみつかるかもしれない

緒方富雄編著

「緒方洪庵適々斎姓名録」(財)学校教育研究所

(昭和42年 1 月)

5 Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

参考文献等

適塾記念会

場毒物数 r員正 w

適塾記念会「緒方洪庵と適塾」五十六五十七頁

適塾記念会

larr都道府県別

適々斎塾姓名録」

芝哲夫「適塾門下牛に関する調査報告」(二十八)

の分与)した医師名簿百八十六名の中に嘉永五

年(一八五二)一月に「摂州昆陽村小松来青

が含まれている(ij 存乏 除

後藤松陰が山崎遷司に贈った額

(長さ四尺五寸幅二尺五寸)

〈宝塚医師会山崎利慣氏所蔵〉

cr川辺郡医師会史J 昭和62年289頁)

大坂除痘館については古西義麿除痘館資料

いる

一八六名の身分は現在のところ藩士が十名

藩医が十七名身分不明が四名町

村医

が九七名不明が五八名との結果となってい

小松来青は伊丹市史第二巻には万延一 1

明治

五年に読み書き算術の寺子屋が昆陽村で開業

されていた

その「習字師」に

小松元春(医)

の名前が載っている

小松元春は小松来青の嗣

かも知れないと言われている

小松来青は伊丹の昆陽村の分苗所だけでなく

周辺の地域の分苗所との交流のあったことが山

崎利恒著

「種痘と徐痘所」(稿本)でわかる

山崎利恒氏は分苗した嘉永三年

一月の医師名簿

に載っている

「摂州米谷の山崎健司

」の孫であ

山崎健司は摂津国川辺郡米谷(まいたに)

村で嘉永三年から十七年間に医業のかたわら分

苗所を聞いて種痘活動に尽力してきた

彼は適

塾には入門していないが洪庵とは様々の関係

で親しい間柄にあった

山崎健司は除措館から分苗を受けて種痘に携

わると共に近郊の医師は分苗に努め涙ぐま

しいような活動を続けていた

名塩の億川信哉から山崎健司への書簡では次

のよつになっている

「貴翰這仕候時下薄暑之節御座候得共先以高堂皆様

御揃益々御多祥被矯在御起居珍重不斜奉賀候然

らば明遡日昆陽池孫太郎茶屋店に集合致度候間早

朝より御出掛可被下尤も

「適塾」第四十

一号平成

一一十年十

二月適 塾

一種痘ワクチン

専門委員が平成十四年に

「緒方洪庵と大坂の除

癒館」(東方出版)で長年の研究成果をまとめ

(I)(2)

られた

そこでは嘉永二年から明治

三年の聞に

分苗を受けた分苗所の現地調査が一部に留まっ

ていたので残されていた現地調査を平成十五

年より実施され全調査をまとめためたものを

平成十七年と平成十八年に

「大坂の除癒館」分

首所調査報告

として「適塾」

コ一八三九(適塾記念会)で発表された

NO

それによると大坂の除措館百八十六名の内緒

方洪庵の門人知人が三十名原老柳の門人

知人十五名の四十五名で全体の二四を占めて

(二)大坂除痘館と伊丹との係り

①小松来青

緒方洪庵の功積の

一つに嘉永二年(一八四九)

種痘専門の施設「大坂除痘館」を大坂在住の医

師十数人と開設したことが挙げられる

大坂除痘館が関東中部地方から九州地方ま

でで嘉永

一一年(一八四九)十一月明治二年

(一八六九)二月までに分苗(

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小松(見陽)高橋(池田)名川(麻田 )山中(小

浜)吉田(西宮)緒方(尼)瀬田(高槻)十七ていた時期があった

八人種痘社中の集会に御座候間是非々々御出席被

下候尚々小生明日御尋申上候

先は右御案内迄

勿々

如此御座候謹言

卯月廿九

山崎老兄

玉机下

II

この書簡から伊丹の昆陽村には大坂除痘館の

分苗所の

一つがあり昆陽村の「太郎茶屋」で

分苗に関する集会が聞かれていたことが分かる

この「太郎茶屋」は「文化三年昆陽池付近絵図」

で昆陽大池の西側で有馬道と行基道の交差する

付近にある「大池茶屋」と思われる

そこは西

宮宝塚尼崎から集まって伊丹で分苗につい

ての会合には都合のょいところであった

伊丹の昆陽村以外で分苗所があったという記

録はないが明治九年の伊丹市野間文書「種痘人

員調書」によれば幕末の安政や文久年間に種痘

した記録がある

又同年コ一月の種痘通知券が

あり伊丹町内と北村で種痘を接種したことが

分かるがいずれも種痘医は不明である

伊丹市史第三一巻では明治維新の文明化に衛生

問題として明治初年以来種痘を奨励している

ことがたびたびあったと指摘している

明治

二年一月から八月まで現在の摂津市

豊中市に園田村を加えた地域を摂津県と呼称し

参考文献等

園田村には

一部現在の伊

前載「緒方洪庵と適塾

古西義麿「大坂の除痘館」

「適塾」第三十八号

平成十七年

伊丹市史第二巻五

一七一良内堀睦

寺子屋から小学校へふるさとの教育史

小西酒造(株)「伊丹歴史探訪」三八

山崎利恒

「種痘と除癒所」

同三頁

同三頁

三十八頁

丹市が含まれていた

八刀苗所調査報告書(1)

当時

一般に種痘は恐れられていたからので摂

一一一一頁

津県においても次の触書が村々に出された

種痘之儀ハ天下之良法ニ一候処患味之者共兎角狐疑抱キ自然痘ヲ以

テ夫死為致候者木少以之外事-一一候向後別紙申達候通御雇医師廻村

之瑚申出之上速二一種痘相請可申若此上相疑候モノ有

之ニオヰテハ芝

度可及沙汰者也

夫「榎の樹の下

明治三年の巡回種痘医四人には緒方洪庵の四

女八千代を妻とする緒方拙斎が含まれていた

四人の巡回種痘医師は村々に派遣された村々

では寺院や惣代の私宅を診療所にあて患者の

治療と種痘を行った

「文化三年昆陽池付近絵図」

「伊丹古絵図集成」

本編

伊丹資料叢書六

九六頁

古西義麿「大坂の除痘館」分苗所調査報告書 (2)

「適塾」第三十九号

一六一頁

伊丹市史第三巻二二九

一四

猪名の会「園田のあゆみ

」六二

六七頁

⑪前載伊丹市史第三一巻一四

川辺郡医師会編

「川辺郡医師会史」二八八頁

前載「大坂の除痘館」八刀面所調査報告書(1)

一頁

②原老柳

「学の緒方に技の老柳」と一言われた原老柳は

天明三年(一七八三)二月十三日西宮札場筋

で生まれる

伊丹で開業したのは文化十四年

(一八

一七)でその聞に江戸と長崎に遊学す

る伊

丹では多国街道と有馬道の分岐点に近い伊

丹郷町で「医処老柳」の看板を掛ける

O

O

Oj

(高原寺資料)

種痘通知書 痘人員取調簿

O

|頁

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絲海 第34号(H21)

文政八年(

一八二五)大坂道修町五丁目で

開業

天保三年(一八三二)医師番

付に登場天保

十一年(一八四 O)西大関に

緒方洪庵は東前

頭四枚目

天保十五年

二月「当時町請医師見立」では

O)

大坂に再移住したこの年から学塾「樹人洞」を

開く『原老柳門譜』に記載されている時代は

天保元年(一八二一

からで一三二人が名を

連ねている

出身地は大坂周辺が圧倒的であり

伊丹出身は上杉順太郎岡高一郎山脇建隆が

含まれている

嘉永二年(

一八四九)大坂除癒館の創設に緒

方洪庵日野葛民大和屋嘉兵衛が中心となっ

て創設された

この除痘館創設に十数名の同士

が賛同しているがその中に原老柳が含まれて

いる

老柳は医者だけでなく酒と文化を求めて来伊

した文人と幅広く交流した

その中で最も知ら

れているのが儒学者漢詩人歴史家の頼山陽

である

頼山陽は文政十二年(

一八二九)十月

二十三日母の梅田町篠崎小竹田能村竹田

高橋草坪らとともに来伊し箕面に紅葉狩りを

した

老柳は黒津翁の和歌の弟子であり篠崎小竹

とも親しくしていたので伊丹の酒「男山」を愛

酒した頼山陽と伊丹をつなげている

頼山陽は文政四年(

一八二二

八月九日山

陽の高弟で小竹の女婿である後藤松陰に次の

ように書いている

伊丹紙屋本家の菊という印の酒を送ってく

れるよう原老柳に頼んで欲しい

これ

は常飲の酒ではない

凡そ口腹のことで人を煩

わすのは慨憾の至りであるが呉々お返事待つ

(新選山陽書簡集)

老柳が古稀記念の祝返しとして配り物をした

記録「原老柳古稀配物」が残されている

(嘉

永五年(一八三二)そこには老柳が開業して

いた伊丹郷からは伊丹三十六人をはじめ西

裏東裏堺丁米屋丁

三本松昆陽口横

手本丁通関連者を一括して百二十六人にな

伊丹以外では西宮池田等を含めて

二百二

十三人に及んでおり伊丹の関係者が半分近く

を占めている

出席者の内訳は

「原老柳古

稀配物」の付属資料に載っている

参考文献等

O

松本順司

j

「原老柳の生涯l

幕末の名医」

伊丹市立博物館市制二一十五年記念第七回特別展

「頼山陽と伊丹

酒の町に招かれた文人たち」

昭和五十年十月

二十四日

柿衛文庫

開館二十五周年記念特別展

「酒都伊丹

につどう 1

詩人俳人商人たち」十

二頁

平成

一一十一年四月十八日

O

前載

「原老柳の生涯幕末の名医」七七頁

同七八頁

前載

「緒方洪庵と大坂の除癒館」一

五頁

五頁

一二三

一て五頁

③原鼎

文化六年(一八 O九)に原老柳の長男として

西宮で生まれる

文政八年(

一八二五)父の老柳が大坂の道修

町で開業して伊丹の診療所をその出張所とし

た後を継ぐ

「四十三歳大坂ニ移住シ伊丹ノ家ヲ出

張所トナシ」「介庵(原老柳長男名は鼎)

伊丹ノ家ヲ続キ業ヲ開ク」

(「原家系略譜」)

原老柳が大坂除措館で活躍しているのを受け

大坂除癒館の「諸国分苗所」の一つとして伊丹

の診療所は位置づけられている

嘉永二年(

一八二九)十

一月にが分苗された

のをはじめ併せて十五人になる

参考文献等

前載

同四四頁

九頁

O

「緒方洪庵と大坂の除癒館

八頁

一四

一除嬉館記念資料室

除措館記念資料室が平成十九年

一六八頁

三月

大阪市中央区今橋コ一丁目緒方ビルクリニックセ

ンター四階に開室した

(洪庵記念会旧緒方

産婦人科病院適塾の後ろで南側に当たる)こ

の記念資料室は先に述べた「大坂の徐宿館」の

顕彰施設として設置された

8~

二十九日

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

展示ケ

ンナ

ンナ l l

l

除痘館記念資料室(今橋3丁目緒方ビル4階)

展示室の面積は五十平方メートルで周囲に

スが配置されている

入口左側はジエ

の牛痘種痘法発見に至る関係資料やジエ

像を掲げているが全体の四分の三は緒

続く展示は洪庵の肖像画や洪庵の種痘を讃

それによると江

戸時代には南野村だけでな

える漢詩を掲げる

同じ展示ケ 1

スの下段には

徐痘館に関する主要文書があり種痘勧奨の引

き札や種痘後の心得等があり牛痘苗の分苗免

状も数店ある

丹の出身者及びその関係者は今のところ不明で

く伊丹郷町にも十数人の医者がいて地域のとも

交流していたことを指摘している

その中に原

老柳原鼎も含まれているものと思われる

在村医は庄屋さんとか惣年

寄とかだけでなく

村の寺子屋の師匠村のお坊さんや禅主とか

村の上層部の人たちと

一体の活動をしているこ

とを指摘している

今回は緒方洪庵に関係する人の伊丹の活躍を

概観した

昆陽村野間の具体的な医者につい

ては分からなかった

幕末から明治にかけての

伊丹を含めた川辺郡の医師の活動について

「川

辺郡医師会史」伊丹市史等を参考にした

の詳細については今後の関係資料の研究に待ち

たい

拙文については私なりに昨年来関係

参考文献等

古西義麿「除痘館記念資料室」オープン

「大阪春秋」

一二九号

十七頁「姓

名録」に直接伊

平成二十年

一月

おわりに

緒方洪庵の開いた適塾の

方洪庵らが設立した除痘館関係資料である

入口右側の最初は洪庵が万延元年に

した

「徐痘館記録」や徐痘館に残されていた古

文書を明治末年に翻刻した

「大阪市種痘歴史

などを展示している

書き残

ある

今年平成二十一年の四月

一一十九日から六

月十四日までの伊丹市立博物館の春季テ 1

マ展

「南野旧村シリーズ第五弾

1

領主村医者

むぎわら

音頭 j

の在村医

究書

「虎狼痢治準」

った

「笹山家文

松(現尼崎市 )

この

伊丹市立博物館

横田冬彦さんが

南野笹山

」が開催された

そこで南野村

笹山寿仙の史料の中に緒方洪庵の研

の写しと思われるものがあ

(二IF 1 腕館記意資料室 γ hellip J と 詐子守しJ い 場所ごゴご軒ヨ店S以S 緒方ピjレ(時捌) 4階与三三2記長諒日ζ訟 I 大阪市申央区今橋 3-2-17 5一一 ~--- r)r盟~ Lー」丘一-l l 電話 06-6231-3257

l krr 臨時間極 ぷ 畑石i [ 平日 午前 1 0時~午後4時二二堂どゴー曲目ムル$ ペ 土曜 午前 1 0時~午後 1 時忌型半需弁じ 巳躍祝祭日年末年始は休館つ示手 配一一一一---C J iltQ参観料無料

会宣下2食傷堂筋餓京販電車途』開駅下車 徒歩叶

幕末のコレラの流行に対して緒方洪庵が

集することから始めた

痘館資料室専門委員

に的確なアドバイスをいただいた

資料山崎利恒著

「種痘と徐癌所」

躍を知るのに役立った

館」分苗所調査報告

(I

その初期の段階から除

文学博士の古西義麿さん

独自に研究したものである

南野村の在村医が

緒方洪庵の研究内容に関心のあったことが分か

しは伊丹の見陽村小松来青の地域を越えた活

書」

又前載

)

)

「諸事控」では南野村の在

(2

村医は南野だけでなく野問昆陽村寺本富

大坂の除措館」を常に参考にさせていただいた

不十分ながらも何とかまとめることができたこ

とに御礼申し上げます

にも診察に行っ

た事が分かる

「笹山家文書」については平成十年

三月

「地域研究いたみ

「江戸時代の在村

」第二七号で

医|伊丹市

参考文献等

前栽

「地域研究

いたみ」第二七号六九七十頁

家の資料から

を研究発表されてい

1

(伊丹市文化財保存協会

資料を収

特に貴重な

(稿本)の写

「大坂の除癌

「緒方洪庵と

会員 )

- 9-Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

pエ

yen f麦玄土期及の

盈オ郎と土

君塁本家小

長谷

正治

手許に「糸海史談』の復刊第一号があるこ

れは昭和三十五年に伊丹史談会によって編集

刊行されたものだ

伊丹史談会は昭和

一一十五

年四月に小林杖吉(丹城)を会長尾上日経を

理事として発足以来郷土伊丹の歴史の顕彰を

目的とし講演会史跡めぐり伊丹史料展等

を開催してきたその発足十周年を記念して刊

行されたものが糸海史談である

当初会を主宰

した杖吉は伊丹町の宮前通りに私立伊丹図

館を設立したことでも有名で明治四十五年六

月私蔵図書五千冊をもって開館している

治末年阪神間では神戸市立図書館とこの伊丹

図書館のみであったというからその存在は遠

くまで知られていた

大正三年には巡回文庫を

始め蔵書も四万冊におよんだが経営的に振

るわなくなり昭和十一年から休館が続き同

十八年には廃止されたというしかし杖吉は

休館を決めた昭和十一年からタブロイド版

「郷土研究伊丹公論』の刊行を始めている

の第

一号

二月二十日刊)冒頭の

「創刊之辞」

の一部を引用すると「郷土研究の必要を痛感

して己まず三十有余年来史料の蒐集に務めた

る予は更に進んで我が郷

土の懐かしき昔の姿

我が郷土の正しき歴史乃至我が郷土に於ける慕

はしき先賢の事蹟を調査し之を研究して見た

いと思ひ乃ち同志と相謀りてここに本紙を刊

行することにした」とその強い決意のほどを

述べている

第三号からは「郷土研究伊丹』と

名称を改め同十

一年は毎月(十

一十一一月は

不明)翌十二年から十五年は年

二1

二一回発刊

している

さて

『郷土研究伊丹』の刊行を続けていた

同十三年杖吉は

『伊丹古野家系譜略』

(博物

館所蔵)という古野家の系図を作成している

古野家からは江戸後期の郷土史家古野将盈が

出ている

将盈は古い記録をもとに伊丹郷町

の歴史を編纂した

『有岡庄年代秘記」や伊丹郷

町の名所地図

『摂州伊丹独案内図』などを遺し

ており系図作成の動機としては郷土史家と

しての「先賢の事蹟」を顕彰しようとする杖吉

の強い思いがあったからと思う

系図の後書き

によると作成にあたり正覚

寺過去帳同回向

録のほか親族の小結家小林家の過去帳および

位牌まで参照したと記されており杖吉の並々

ならぬ熱意と執念を感じさせる

この系図によ

れば安倉村の喜兵衛の二男源兵衛が伊丹堺町

に分家したことに始まり屋号は椛

当主は

代々椛屋源兵衛を襲名している

将盈は三代源

兵衛の五男として明和九年(一七七二)二月

十三日に生まれたが母常が同日死亡したため

鴻池村の吉兵衛のもとで養育されることになっ

たところが椛犀の家督を継いだ長兄の四代

源兵衛が二才の子(邦好)を遺して亡くなった

ため将盈が五代目源兵衛を継ぐことになった

系図には「将盈博識多才最精於郷土史

而著有岡年代秘記有岡奮考酒造奮新録有

岡絵図同付録等」と彼の著作が詳しく紹介さ

れている

このうち最も代表的な著作は前述し

た『有岡庄年代秘記」(京都大学文学部蔵所蔵)

で伊丹郷町所在の寺院の開基年を記した「丹

丘寺院開基年考」南北朝時代の貞治年聞から

江戸前期の万治年間までの伊丹の出来

事を記し

た「伊丹往古年記」それに続いて寛文年聞か

ら江戸後期の文政

一一年までの伊丹郷町史を詳細

に記した「有岡年代秘記」のコ一篇が所収されて

いる

このうち有岡年代秘記には伊丹郷町で

おこった様々な出来事が年表形式で簡潔に記さ

れ現在でも江戸時代の伊丹郷町研究には欠か

せない一書となっている

「伊丹古野家系略譜」小林杖吉作成

10 -Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

将盈は多くの重要な著作を遺しながら生没

年を含め来歴も長らく不詳であったが杖古

による将盈顕彰の努力によって明らかになった

のである岡田利兵衛も「伊丹市史

」の中で

「彼は尚古のたしなみふかく

「有岡庄年代秘

記』以下多数を編著し伊丹懐古に貢献した」

と郷土史家としての将盈を高く評価している

将盈と同時代を生きた人に梶曲阜がいた曲

阜は将盈より

一一十六年後の寛政十一年(一七

九九)に伊丹で生まれた

梶家系図録(文化

財保存協会所蔵博物館寄託)によると梶家

はもと小畑六兵衛といって東桑津に住していた

が後に津田氏を名のり曲阜の曽祖父の代から

伊丹伊勢町に移り住んだ

祖父金兵衛の代に姓

を梶と改めたという

屋号は大和田屋で曲阜

も大和田屋金兵衛と称した曲阜は照顔斎と号

しているがこれは彼が敬慕する俳人鬼貫を赤

い顔と解して自らを「てる顔」と称したという

家業のかたわら俳句にも通じ安政

三一年には

二条殿から俳諸宗匠として官服御免許の待遇を

うけている

曲車は伊丹の俳人としての大先輩

である鬼貫を顕彰するため鬼貫の遺墨をもと

に伊丹や近郊に七基の句碑を建てたが俳諸に

とどまらず伊丹の歴史にも強い関心を示して

いる彼の編著による

『有岡古続語」(博物館

所蔵)は乾坤二冊の折本で『伊丹荒木軍記」

公圭画香披賛「照顔斎曲車肖像」

転載したほか曲阜自らの見聞による著作を収

載している

その内容は地名の由来野宮

伊丹城俳譜鬼貫のことから当時流行して

いた能狂言角力酒呑のことまで実に多岐に

わたっている

また

「伊丹酒家盛衰の事」は

幕末の伊丹の酒造業の状況を伝える史料として

価値が高く正に江戸時代の伊丹郷町史といえ

るものである

曲阜は将盈について

『有岡古続語

』のなか

で次のように述べている

「此将盈といへるハ

往年大庄屋勤められし椛屋源兵衛といへる人な

り曽て在岡旧考といへる

一巻の著述あり

よく此里のふるき事跡を探索して記し置けり

苗字を古野といへり堺町に椛屋何某といへる

ハその子孫なりこの三本松の記借りくれる人

将盈とハ何人なることをしらさりけれはいささ

か記しぬなり

」将盈は兄の子邦好が長じる

(一八六五)の二十八年も前に将盈はこの世を

貢献している

と家督を譲り出家して多国院村の西方寺十二

世の法灯を継ぎ天保八年(一八三七)に六五

歳で亡くなっている

曲阜が「有岡古統語」を編纂した元治二年

去っており「三本松之記」も子孫から借りた

というから親交があったとは思えないが将

盈と曲阜ほほ同時代を生きた伊丹の二人の郷

土史家彼らの遺してくれた著作は今も郷土

伊丹を知る上で大きく

(伊丹市立博物館長)

博物館からのお知らせ

夏季企画展

大阪国際空港開港七

周年記念

|空港と

O

O

とともに一つの箱に収められている

有岡古続

語には西谷午蔵の「有岡むかし語」「有岡

むかし語余禄」古野将盈の「

三本松之記」を

場 期

所 間

歩んだ七

7

月 4

日(土)18月叩日(日)

伊丹市立博物館

11-

年 l

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

そのために伊丹郷町館の

監視案内業務に携わり伊丹

郷町の歴史文化の顕彰に参

画し訪れる市内外の人々に

伊丹の歴史を実感してもらい

伊丹市と「ともに」我がまち

「伊丹ブランド」の全国発信

の一翼を少しでも担ってまい

りたいあわせて文化財愛護

少年団を中心とする後継者の

育成に努力を傾けてまいると

ともに伊丹ロマン事業の取

組の中で各種関係団体との連

携を更に深め過去から受け

ついだ文化遺産を未来永遠に

継承し保護すべく努力する

具体的には

次の事業に重点

を置き推進する

(1) ①文「 講化万座財葉のにを開閑読講すむる」 事

講業座

「第 3

回文学碑をた

平成二十一年度の

事業計画の紹介

5

月ロ日

(金)に予定をし

ていました平成幻年度総会は

皆様もご存じのとおり新塑

インフルエンザの発生により

急逮中止を余儀なくされま

したそ

の後総会の取扱いにつ

いて様々な観点から慎重に

検討しましたが

一堂に会す

る総会の開催は諸般の事情で

中止することとしその代わ

りとして総会出席予定であ

った会員の方々に限定し総

会議案書を送付し各会計決

算報告等をご承認していただ

いた上で事業計画

(案)

各会計予算(案)

をご承認し

ていただきました

ご理解

ご協力をいただきありがとう

ございました

その主な事業計画の内容は

次のとおりです

本年度も文化財の保護

顕彰に努め市民が文化財に対

する知識と理解を深めるため

に啓発活動強化を図り協会

の充実発展に努める

平成二十年度

事業の回顧

万葉講座を開催ldquo

毎年ご好評をいただいて

います「万葉を読む」講座を

加年度も6

月 4

日から 8

月幻

日の期間に伊丹ホ

9月刊日には

「万葉を読

む」現地講座「奈良県明日香

村方面」を実施

講師の大森

亮尚先生を案内人として参加

者判名で藤原宮跡香具山

神社万葉の森

石舞台を通

しての万葉の旅でした

ずねて 1

現地講座 1

文化財講演会の実施

史跡めぐりパスツア

(6月から 9

月現地

講座を含め全 7

②「古代民俗講座」

(9月から叩月全

実施)

③伊丹ロマン事業

(文化財強調月間)

「第 3

回リレ

1

ω林海学 1

回実施)

5

回講座

5 4 3 2 (5) (4) (3) (2) (1) (4) (3) (2) (1) (5) (4) (3) (2)

各文 組 文

l

の実施(日月中旬)

文化財整備に協力

伊丹郷町館の委託業務

(旧岡田家旧石橋家

住宅の監視案内業務)

72 文化立化遺企遺産

城)」

「産の伊の保丹保護城護(顕有顕彰

「清酒発祥の地岡彰」

等にまつわる冊子の編集

文化財案内ボランテイ

アの充実強化

文化財パトロールの実

方面各文化財保存団体との

階大

ル3

1

会議室で全 6

回開催しました

講師は古代民俗研究所代表の

大森亮尚先

生で

「万葉秀歌

と歌人

マに参加者

」をテ l

ω

名で学びました

織 連携

強化

拡充等

の役員の担当制

伊丹市文化財保存協会

ホームベ l

ジの内容充実

機関誌「締海(比号こ

の発行

(6月下旬)

会員の増強

役員研修の実施

種化関財係愛団護体少と年の団連の携育

bull 12 -

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--E

報誌

のホ 1

「いたみテイ」を当協会

のもと参加者を四グループに

分けて巡った

りリレ

方式で

実施当該

講座を受講することによ

って

更に伊丹の歴史

文化の深さ

を受講者総数日別名もの多くの

市民に知

て頂いた

(1日目)

開催日時 日月幻日

(土 )

4

0

-)

1

「伊丹郷町遺跡出

O O

i

i

UU

0 場

士の人形

小西酒造「長寿蔵

二階ギャラリー

伊丹市文化財スケッチ集

原画展の開催ldquo

古代民俗講座を開催ldquo

旧岡田家住宅酒蔵において

ムペ

1

ジに追加いたし

開催日時日月9日

--ム

-

開催場所見陽池公園内

qd-nv

-qぺU11i)n0

AF1h~

[アドレス]

(日)

ハ AU

協会創立判周年記念事業と

古代民俗講座を9月

日から

M

UV

して会員の渋出純子氏に作成

頂いたスケッチ集の原画を旧

岡出家住宅

土間において

8

2

日から 8

日口日までの問展

一ボ期間中の観覧者数は一

コ一十八人を数えた

日月却日の間に全 5

回開催し

ました

「日本の怨霊再び」をテ

マに講師古代民俗学研究所代

表の大森亮尚先生の講義を受

講生刊名で楽しく学んだ

ホl

ムペ l

ジの追加lsquo

」れまで検討を続けていま

したわがまち伊丹のグラフ情

万円一ヨ

ZH

TUC

Z

-SNE-

参加者数 お名

②「リレ l

講座紙

海学 j

O伊丹の歴史文化の

主たる

をテ i

マとした三つの講座を

大手前大学教授の川口宏海先

生方を講師とし j

第二回

業が繰り広げられ

l

次の

と好評を博した

市内には

年から昭和

「歴史文化が醸し出す

伊丹ロマン事業」の実施

伊丹市伊丹市教育委員会

が提唱し文化財関係同団体

で構成する伊丹ロマン事業実

行委員会を中心として各種事

当協会も

二つの事業を展開し多

くの市民の皆様方の参加のも

①「文学碑を訪ねて

j

現地講座

」j

当協会が昭和町

ω年までの 4

年の

聞に設置した

がある

ω基もの文学碑

その中で見陽池公園

一帯に設置した昆陽池等に因

んだ文学碑日基を判り易い解

説書を配布し事前研修に取

り組んだ当協会理事の説明

3

日間に一日

O O

講師

」川口宏海氏

-13-

l

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日目

)

O O開催日時

A1i

講師

l

(2日日

)

開催日時日月お日

l

4

0

1

ょハ

U

マ①「伊丹郷町遺跡

大正昭和ロマン1

講師

小西酒造

長寿蔵」

二階ギャラリー

(

日月山日

A斗

ハυ

伊丹郷町ロマン

-

(日)

j

伊丹茂氏

(月)

h

-

υ

「摂津のへそ」

その一

村上敏展氏

小西酒造「長寿蔵」

二階ギャラリー

i

史跡めぐり

パスツアーldquoの実施

平成叩年度の史跡めぐりパ

スツア

日月日日

(金)

に和歌山県根来

高野山を

巡り楽しい一日を過ごしま

した

なお参加者羽名で実

施しました

第六回ひなかざり

伊丹郷町ldquo

平成加年度も

「白雪蔵ま

つり」

「わっ

しょい冬の

元気まつり

「一日だけの

バレンタインカフ

」等々の

イベントと連携を図り開催

期間を 2

7

日から 3

8

までのお日間とし

旧岡田家

住宅において明治から昭和ま

でのひな飾りやカルタすご

ろくの展示

「遺跡が語る伊

丹の酒造り」と

題した写

真パ

ネル展そして酒蔵大画面ビデ

オ放映

「伊丹の暦史

」の上映

南京桃の展示即売会を実施い

たしま

期間中次の出

来事がありました

立派な盆梅の展示

植木どころである東野の若

手グループより盆梅の展示が

ありました

文学碑の拓本と

写真パネルの展示

2

月 9

日に実施された田辺

聖子氏

「伊丹市名誉市民贈呈

式典」会場に協会出展として

ご本人揮官宅による文学碑の拓

本と写真パネルを展

示した

役員研修会を実施ldquo

3

月刊日に役員研修会を参

加者同名で実施しました

今回は岐阜県の関ヶ原と滋

賀県の安土城の視察研修を実

施しました

14

3

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において団員幻名参加のもと

(稲野小6

年)

平成二十年度伊丹市γ

和人

愛護少年団(かるた大会)

文化財愛護少年団入図式一笹の葉に願い事を書き込んだ

夏希(稲野小

年)

3

短冊や色紙で作った色とりど

優勝】「ブラックホ

1ル」

5

月白日旧岡田家住宅酒蔵

りの飾りを結びつけ旧岡田

【準優勝

教育長盾

渡辺

彩花(南小

年)

5

で入図式を行いました

家の玄関に設

行き交う

杉山

健太

(花里小 年)

4

沖野帆乃花(南小 5

年)

団員町名保護者指導者

人々の目を楽しませていた

麿瀬

大城(花里小

年)

4

山本

楓子(南小 6

年)

等別名の計115

名参加のも

初仕立口

穂高 (花里小 年)

4

と入国式が挙行された

第二位

「ガツツカポ1

ズ」

【第三位

疋田

彩花(南小

年)

6

文化財保存協会

会長盾】

大西久美子(南小 6

年)

愛美(花里小 6

年)

山田恵美釆(南小 6

年)

l

大前

綾香(花里小

年)

6

野口奈々美 (花里小6

年)

第三位「ミッキ

1

前田

みゆ

鈴原小2

年)

村上

璃帆(昆陽里小 6

年)

ω文化財愛護かるた

勝部

ザ利子(鈴原小2

年)

小田美都里(見陽里小 6

年)

大会を開催

中里かりん

(鈴原小2

年)

増井佐弥香(見陽里小

年)

6

新春恒例のかるた大会を1

月8

日には図書館 2

階で(出

組問人)1

月刊日にはいた

l

4

みホ

階和室で(団員羽

名指導員他ロ名)

同チ ムロ

人)実施した

Q

市内小学生文化財愛護少

ωサマ

キャンプの実施

年団員を対象とし参加者は l

8

月刊ω日 18

月印日の 泊

合わせて 135

人であった

伊丹市文化財愛護

2

日で団

日指導員他 8

結果は次のとおり

少年団の活動

名の参加のもと

「兵庫県立歴

FζnkHV

図書館大会(かるた大会)

りたなばたまつりの実施

史博物館」

「姫路市自然観

)11

7月 5

日国の重要文化財

察の森」そして

「赤穂海洋

【優勝

市長杯

である旧岡田家住宅

「酒蔵」

科学館」等の見学をした

松本

直之

(稲野小6

l

d

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凶文化財愛護少年団

す叫「業旅行の実施

3

月幻日に愛護少年団の卒

業旅行を

ω字の参加のもと大

阪城大阪歴史博物館を見学

しました

既刊書あんない

伊丹の文化財

二千円

分布地図

五百円

伊丹の伝説

八百円

麦わら音頭

文学碑をたずねて

伊丹の年中行事

伊丹の酒造り道具

文化財を訪ねて

有馬道

巡礼と街道

伊丹の仕ごと唄

伊丹のわらべ唄⑦

新伊丹史話

聞き書き

六百円

一千円

六百円

五百円

五百円

四百円

四百円

六百円

六百円

千円

「伊丹のくらし」千二百円

地域研究いたみ第

ロ号

第お号

第日比号

千二百円

千二百円

一千円

絵はがき「鬼貫賛春ト画巻」百

伊丹の文化財

「スケッチ集

「スケッチ集

発掘された伊丹の町

酒の町伊丹

ー」四百円

E

」四百円

百円

以上の書籍類は当協会事 四

百円

務所(旧岡田家住宅内)

ます

L

収博物館において販売してい

伊丹の文化財

「スケッチ集

ー」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

文学碑をたずねて

一千円

文化財を訪ねて

五百円

以上の書籍類は伊丹市観

光物産協会

(JR伊丹駅コン

コース内)

において販売して

います

伊丹の文化財

「スケッチ集

」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

以上のスケッチ集は

アー

トホ

l

「蔵(くら)」(JR

伊丹駅前アリオ2

号館一階)

において販売しています

伊丹城跡発掘調査報告書

E四百円

五百円

各七百五十円

W-V

有岡城跡発掘調査報告書咽=

一千円

伊丹市埋蔵文化財調査報告書

I

(有岡城跡)

五百円

E

(御願塚古墳)

五百円

有岡城跡伊丹郷町

E

第1

2

分冊

各四千円

緑ケ丘遺跡

五百円

北園遺跡

一千五百円

緑ケ任遺跡第

三次調査報告書

九百円

口酒井遺跡詑お次調査

報告書

二千円

埋蔵文化財保護の手引き

分布地図

五百円

以上の書籍類は伊丹市教

育委員会事務局生涯学習部杜

会教育課において販売してお

ります

会員が開設している

ホームペl

ジldquo

どしどしアクセスしてくだ

さい皆様の求める情報がギ

ツシリありますよ

1

【アドレス】

23万一〉ミ印

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編 [集

「巳

-言回

紙海M号をお届けします

今回は豊田正義さん益尾

宏之さん小長谷正治さん

中畔明日香さんから原稿を頂

きました

お忙しい中執筆

頂き有難うございました

さて事務局長として長年

当協会の発展にご尽

力して頂

いた古屋敷達夫氏が本年

3

末をもって退職されました

16

本当にお疲れ様でした

古屋敷氏の後任として

年三がその職に就くことにな

りました

全てが初めての体

験となります

」れから協会のため皆様と

ともに頑張っていきたいと考

えておりますので会員の皆様

のより一層のご支援ご協力を

頂きますようよろしくお願い

申し上げます

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

終海第 34 号発行日 平成21年 6 月 25 日

編集伊丹市文化財保存協会

664-0895 伊丹市宮ノ前2丁目 5香28号市立伊丹郷町館(旧岡田家住宅内)電話 FAX 072-772-8830 (直通)ホームページ httpitami-bunkazaijp Eメール o伍ce itami-bunkazaijp

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

Page 6: 第 34 号 - 伊丹市文化財保存協会 · 城、王の不在を察知し を開けさせて、他の砦も攻撃、侍町にも火を放. 璃塚砦の武将を調略。十月十五日の深夜に城門た信長軍は、有岡城惣構えの西側の要である上

歴史上の人物と伊丹ldquoについて

「緒万洪庵に関係する人の

伊丹における活躍」

益尾

宏之

はじめに

i

これまでの歴史の舞台に登場した人物の内

伊丹にゆかりのある人として「締海」三二号で

は「伊能忠敬と伊丹」を二三一号では「天訴組

伴林光平の伊丹における足跡」についてとり

あげた今回は直接伊丹に来たことは確認さ

れていないがその関係者が活躍した人として

緒方洪庵(一八一 01

一八六三)をとりあげた

い「総海」三三号では西宮で生まれて伊丹で

1

活躍した原老柳(一七八三

一八五回)を「緒

について」日本医史学会関西支部

「医聾」復刊第

方洪庵の門弟」と書いたが門弟ではないので

「緒方洪庵に関係する人」に訂正したい「学

の緒方に技の老柳」言われており緒方洪庵と

原老柳は同格でありその活躍年代は少しずれ

ている

参考文献等古西義麿「原老柳死亡前後の動向

八十七号九十

九十七頁平成

二十年三月

緒方洪庵について

緒方洪庵が天保八年(一八三八)に大坂に出

て瓦町に蘭学塾適塾を開くまでの主な経過は

次の通りである

緒方洪庵は文化七年(一八一

O)備中国足

守(現岡山市足守)で足守藩士佐伯惟因とキ

ヨウの三男として生まれた十五歳で父と共に

大坂に出て十六歳の時に大坂の蘭学者中天

瀞の塾に学び緒方三平と名乗る

十八歳で蘭学修業のため江戸に向かう二

十一歳で江戸に入り蘭学者坪井信道の塾で

学び蘭医の宇田川榛斎にも学ぶ

二十五歳の

時に中天誹が死去しその塾で蘭学を学ぶため

大坂に赴く二十六歳のときに中天瀞の子耕

介を伴い長崎修行に出るこの時から緒方洪庵

と名乗る

一年後に長崎での勉学をおえ足守

に帰省する

三十六歳の時に適塾を過書町に移転する

緒方洪庵が最初に種痘に関わったのは適塾を

聞く少し前に兄の子に人痘種痘を行い成功

嘉永一瓦年(一八四八)に長崎のオランダ商館付

医師モ l

ニッケの元に牛痘がもたらされた

嘉永二年(一八四九)に牛痘苗を笠原白翁に

分けてもらい以後古手町の大坂除痘館で午

痘種痘法の普及に努める

緒方洪庵

参考文献等

適塾記念会編集発行「緒方洪庵と適塾」

平成五年六月五十八 1

六十

一頁

適塾種痘と伊丹との関わり

(二適塾

適塾に入門した門下生の「姓名録」には北海

道から九州まで全国の六三六名の名が残されて

いるその中には幕末から明治にかけて各方面

に目ざましい活躍をして日本の近代化に大きな

貢献を果たした人が多い例えば大村益次郎

福沢諭吉が含まれている

「姓名録」に基づく都道府県別の塾生名簿が

三人であ

ありその内兵庫県県の出身者は三十

その具体的な氏名を「都道府県別適々斎塾

生姓名録」で当たってみた摂州の出身者は

四人いるが伊丹の人は見当たらない

ただ今も続けられている適塾記念会による

「適塾門下生に関する調査報告」で伊丹の関係

者がみつかるかもしれない

緒方富雄編著

「緒方洪庵適々斎姓名録」(財)学校教育研究所

(昭和42年 1 月)

5 Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

参考文献等

適塾記念会

場毒物数 r員正 w

適塾記念会「緒方洪庵と適塾」五十六五十七頁

適塾記念会

larr都道府県別

適々斎塾姓名録」

芝哲夫「適塾門下牛に関する調査報告」(二十八)

の分与)した医師名簿百八十六名の中に嘉永五

年(一八五二)一月に「摂州昆陽村小松来青

が含まれている(ij 存乏 除

後藤松陰が山崎遷司に贈った額

(長さ四尺五寸幅二尺五寸)

〈宝塚医師会山崎利慣氏所蔵〉

cr川辺郡医師会史J 昭和62年289頁)

大坂除痘館については古西義麿除痘館資料

いる

一八六名の身分は現在のところ藩士が十名

藩医が十七名身分不明が四名町

村医

が九七名不明が五八名との結果となってい

小松来青は伊丹市史第二巻には万延一 1

明治

五年に読み書き算術の寺子屋が昆陽村で開業

されていた

その「習字師」に

小松元春(医)

の名前が載っている

小松元春は小松来青の嗣

かも知れないと言われている

小松来青は伊丹の昆陽村の分苗所だけでなく

周辺の地域の分苗所との交流のあったことが山

崎利恒著

「種痘と徐痘所」(稿本)でわかる

山崎利恒氏は分苗した嘉永三年

一月の医師名簿

に載っている

「摂州米谷の山崎健司

」の孫であ

山崎健司は摂津国川辺郡米谷(まいたに)

村で嘉永三年から十七年間に医業のかたわら分

苗所を聞いて種痘活動に尽力してきた

彼は適

塾には入門していないが洪庵とは様々の関係

で親しい間柄にあった

山崎健司は除措館から分苗を受けて種痘に携

わると共に近郊の医師は分苗に努め涙ぐま

しいような活動を続けていた

名塩の億川信哉から山崎健司への書簡では次

のよつになっている

「貴翰這仕候時下薄暑之節御座候得共先以高堂皆様

御揃益々御多祥被矯在御起居珍重不斜奉賀候然

らば明遡日昆陽池孫太郎茶屋店に集合致度候間早

朝より御出掛可被下尤も

「適塾」第四十

一号平成

一一十年十

二月適 塾

一種痘ワクチン

専門委員が平成十四年に

「緒方洪庵と大坂の除

癒館」(東方出版)で長年の研究成果をまとめ

(I)(2)

られた

そこでは嘉永二年から明治

三年の聞に

分苗を受けた分苗所の現地調査が一部に留まっ

ていたので残されていた現地調査を平成十五

年より実施され全調査をまとめためたものを

平成十七年と平成十八年に

「大坂の除癒館」分

首所調査報告

として「適塾」

コ一八三九(適塾記念会)で発表された

NO

それによると大坂の除措館百八十六名の内緒

方洪庵の門人知人が三十名原老柳の門人

知人十五名の四十五名で全体の二四を占めて

(二)大坂除痘館と伊丹との係り

①小松来青

緒方洪庵の功積の

一つに嘉永二年(一八四九)

種痘専門の施設「大坂除痘館」を大坂在住の医

師十数人と開設したことが挙げられる

大坂除痘館が関東中部地方から九州地方ま

でで嘉永

一一年(一八四九)十一月明治二年

(一八六九)二月までに分苗(

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小松(見陽)高橋(池田)名川(麻田 )山中(小

浜)吉田(西宮)緒方(尼)瀬田(高槻)十七ていた時期があった

八人種痘社中の集会に御座候間是非々々御出席被

下候尚々小生明日御尋申上候

先は右御案内迄

勿々

如此御座候謹言

卯月廿九

山崎老兄

玉机下

II

この書簡から伊丹の昆陽村には大坂除痘館の

分苗所の

一つがあり昆陽村の「太郎茶屋」で

分苗に関する集会が聞かれていたことが分かる

この「太郎茶屋」は「文化三年昆陽池付近絵図」

で昆陽大池の西側で有馬道と行基道の交差する

付近にある「大池茶屋」と思われる

そこは西

宮宝塚尼崎から集まって伊丹で分苗につい

ての会合には都合のょいところであった

伊丹の昆陽村以外で分苗所があったという記

録はないが明治九年の伊丹市野間文書「種痘人

員調書」によれば幕末の安政や文久年間に種痘

した記録がある

又同年コ一月の種痘通知券が

あり伊丹町内と北村で種痘を接種したことが

分かるがいずれも種痘医は不明である

伊丹市史第三一巻では明治維新の文明化に衛生

問題として明治初年以来種痘を奨励している

ことがたびたびあったと指摘している

明治

二年一月から八月まで現在の摂津市

豊中市に園田村を加えた地域を摂津県と呼称し

参考文献等

園田村には

一部現在の伊

前載「緒方洪庵と適塾

古西義麿「大坂の除痘館」

「適塾」第三十八号

平成十七年

伊丹市史第二巻五

一七一良内堀睦

寺子屋から小学校へふるさとの教育史

小西酒造(株)「伊丹歴史探訪」三八

山崎利恒

「種痘と除癒所」

同三頁

同三頁

三十八頁

丹市が含まれていた

八刀苗所調査報告書(1)

当時

一般に種痘は恐れられていたからので摂

一一一一頁

津県においても次の触書が村々に出された

種痘之儀ハ天下之良法ニ一候処患味之者共兎角狐疑抱キ自然痘ヲ以

テ夫死為致候者木少以之外事-一一候向後別紙申達候通御雇医師廻村

之瑚申出之上速二一種痘相請可申若此上相疑候モノ有

之ニオヰテハ芝

度可及沙汰者也

夫「榎の樹の下

明治三年の巡回種痘医四人には緒方洪庵の四

女八千代を妻とする緒方拙斎が含まれていた

四人の巡回種痘医師は村々に派遣された村々

では寺院や惣代の私宅を診療所にあて患者の

治療と種痘を行った

「文化三年昆陽池付近絵図」

「伊丹古絵図集成」

本編

伊丹資料叢書六

九六頁

古西義麿「大坂の除痘館」分苗所調査報告書 (2)

「適塾」第三十九号

一六一頁

伊丹市史第三巻二二九

一四

猪名の会「園田のあゆみ

」六二

六七頁

⑪前載伊丹市史第三一巻一四

川辺郡医師会編

「川辺郡医師会史」二八八頁

前載「大坂の除痘館」八刀面所調査報告書(1)

一頁

②原老柳

「学の緒方に技の老柳」と一言われた原老柳は

天明三年(一七八三)二月十三日西宮札場筋

で生まれる

伊丹で開業したのは文化十四年

(一八

一七)でその聞に江戸と長崎に遊学す

る伊

丹では多国街道と有馬道の分岐点に近い伊

丹郷町で「医処老柳」の看板を掛ける

O

O

Oj

(高原寺資料)

種痘通知書 痘人員取調簿

O

|頁

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絲海 第34号(H21)

文政八年(

一八二五)大坂道修町五丁目で

開業

天保三年(一八三二)医師番

付に登場天保

十一年(一八四 O)西大関に

緒方洪庵は東前

頭四枚目

天保十五年

二月「当時町請医師見立」では

O)

大坂に再移住したこの年から学塾「樹人洞」を

開く『原老柳門譜』に記載されている時代は

天保元年(一八二一

からで一三二人が名を

連ねている

出身地は大坂周辺が圧倒的であり

伊丹出身は上杉順太郎岡高一郎山脇建隆が

含まれている

嘉永二年(

一八四九)大坂除癒館の創設に緒

方洪庵日野葛民大和屋嘉兵衛が中心となっ

て創設された

この除痘館創設に十数名の同士

が賛同しているがその中に原老柳が含まれて

いる

老柳は医者だけでなく酒と文化を求めて来伊

した文人と幅広く交流した

その中で最も知ら

れているのが儒学者漢詩人歴史家の頼山陽

である

頼山陽は文政十二年(

一八二九)十月

二十三日母の梅田町篠崎小竹田能村竹田

高橋草坪らとともに来伊し箕面に紅葉狩りを

した

老柳は黒津翁の和歌の弟子であり篠崎小竹

とも親しくしていたので伊丹の酒「男山」を愛

酒した頼山陽と伊丹をつなげている

頼山陽は文政四年(

一八二二

八月九日山

陽の高弟で小竹の女婿である後藤松陰に次の

ように書いている

伊丹紙屋本家の菊という印の酒を送ってく

れるよう原老柳に頼んで欲しい

これ

は常飲の酒ではない

凡そ口腹のことで人を煩

わすのは慨憾の至りであるが呉々お返事待つ

(新選山陽書簡集)

老柳が古稀記念の祝返しとして配り物をした

記録「原老柳古稀配物」が残されている

(嘉

永五年(一八三二)そこには老柳が開業して

いた伊丹郷からは伊丹三十六人をはじめ西

裏東裏堺丁米屋丁

三本松昆陽口横

手本丁通関連者を一括して百二十六人にな

伊丹以外では西宮池田等を含めて

二百二

十三人に及んでおり伊丹の関係者が半分近く

を占めている

出席者の内訳は

「原老柳古

稀配物」の付属資料に載っている

参考文献等

O

松本順司

j

「原老柳の生涯l

幕末の名医」

伊丹市立博物館市制二一十五年記念第七回特別展

「頼山陽と伊丹

酒の町に招かれた文人たち」

昭和五十年十月

二十四日

柿衛文庫

開館二十五周年記念特別展

「酒都伊丹

につどう 1

詩人俳人商人たち」十

二頁

平成

一一十一年四月十八日

O

前載

「原老柳の生涯幕末の名医」七七頁

同七八頁

前載

「緒方洪庵と大坂の除癒館」一

五頁

五頁

一二三

一て五頁

③原鼎

文化六年(一八 O九)に原老柳の長男として

西宮で生まれる

文政八年(

一八二五)父の老柳が大坂の道修

町で開業して伊丹の診療所をその出張所とし

た後を継ぐ

「四十三歳大坂ニ移住シ伊丹ノ家ヲ出

張所トナシ」「介庵(原老柳長男名は鼎)

伊丹ノ家ヲ続キ業ヲ開ク」

(「原家系略譜」)

原老柳が大坂除措館で活躍しているのを受け

大坂除癒館の「諸国分苗所」の一つとして伊丹

の診療所は位置づけられている

嘉永二年(

一八二九)十

一月にが分苗された

のをはじめ併せて十五人になる

参考文献等

前載

同四四頁

九頁

O

「緒方洪庵と大坂の除癒館

八頁

一四

一除嬉館記念資料室

除措館記念資料室が平成十九年

一六八頁

三月

大阪市中央区今橋コ一丁目緒方ビルクリニックセ

ンター四階に開室した

(洪庵記念会旧緒方

産婦人科病院適塾の後ろで南側に当たる)こ

の記念資料室は先に述べた「大坂の徐宿館」の

顕彰施設として設置された

8~

二十九日

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展示ケ

ンナ

ンナ l l

l

除痘館記念資料室(今橋3丁目緒方ビル4階)

展示室の面積は五十平方メートルで周囲に

スが配置されている

入口左側はジエ

の牛痘種痘法発見に至る関係資料やジエ

像を掲げているが全体の四分の三は緒

続く展示は洪庵の肖像画や洪庵の種痘を讃

それによると江

戸時代には南野村だけでな

える漢詩を掲げる

同じ展示ケ 1

スの下段には

徐痘館に関する主要文書があり種痘勧奨の引

き札や種痘後の心得等があり牛痘苗の分苗免

状も数店ある

丹の出身者及びその関係者は今のところ不明で

く伊丹郷町にも十数人の医者がいて地域のとも

交流していたことを指摘している

その中に原

老柳原鼎も含まれているものと思われる

在村医は庄屋さんとか惣年

寄とかだけでなく

村の寺子屋の師匠村のお坊さんや禅主とか

村の上層部の人たちと

一体の活動をしているこ

とを指摘している

今回は緒方洪庵に関係する人の伊丹の活躍を

概観した

昆陽村野間の具体的な医者につい

ては分からなかった

幕末から明治にかけての

伊丹を含めた川辺郡の医師の活動について

「川

辺郡医師会史」伊丹市史等を参考にした

の詳細については今後の関係資料の研究に待ち

たい

拙文については私なりに昨年来関係

参考文献等

古西義麿「除痘館記念資料室」オープン

「大阪春秋」

一二九号

十七頁「姓

名録」に直接伊

平成二十年

一月

おわりに

緒方洪庵の開いた適塾の

方洪庵らが設立した除痘館関係資料である

入口右側の最初は洪庵が万延元年に

した

「徐痘館記録」や徐痘館に残されていた古

文書を明治末年に翻刻した

「大阪市種痘歴史

などを展示している

書き残

ある

今年平成二十一年の四月

一一十九日から六

月十四日までの伊丹市立博物館の春季テ 1

マ展

「南野旧村シリーズ第五弾

1

領主村医者

むぎわら

音頭 j

の在村医

究書

「虎狼痢治準」

った

「笹山家文

松(現尼崎市 )

この

伊丹市立博物館

横田冬彦さんが

南野笹山

」が開催された

そこで南野村

笹山寿仙の史料の中に緒方洪庵の研

の写しと思われるものがあ

(二IF 1 腕館記意資料室 γ hellip J と 詐子守しJ い 場所ごゴご軒ヨ店S以S 緒方ピjレ(時捌) 4階与三三2記長諒日ζ訟 I 大阪市申央区今橋 3-2-17 5一一 ~--- r)r盟~ Lー」丘一-l l 電話 06-6231-3257

l krr 臨時間極 ぷ 畑石i [ 平日 午前 1 0時~午後4時二二堂どゴー曲目ムル$ ペ 土曜 午前 1 0時~午後 1 時忌型半需弁じ 巳躍祝祭日年末年始は休館つ示手 配一一一一---C J iltQ参観料無料

会宣下2食傷堂筋餓京販電車途』開駅下車 徒歩叶

幕末のコレラの流行に対して緒方洪庵が

集することから始めた

痘館資料室専門委員

に的確なアドバイスをいただいた

資料山崎利恒著

「種痘と徐癌所」

躍を知るのに役立った

館」分苗所調査報告

(I

その初期の段階から除

文学博士の古西義麿さん

独自に研究したものである

南野村の在村医が

緒方洪庵の研究内容に関心のあったことが分か

しは伊丹の見陽村小松来青の地域を越えた活

書」

又前載

)

)

「諸事控」では南野村の在

(2

村医は南野だけでなく野問昆陽村寺本富

大坂の除措館」を常に参考にさせていただいた

不十分ながらも何とかまとめることができたこ

とに御礼申し上げます

にも診察に行っ

た事が分かる

「笹山家文書」については平成十年

三月

「地域研究いたみ

「江戸時代の在村

」第二七号で

医|伊丹市

参考文献等

前栽

「地域研究

いたみ」第二七号六九七十頁

家の資料から

を研究発表されてい

1

(伊丹市文化財保存協会

資料を収

特に貴重な

(稿本)の写

「大坂の除癌

「緒方洪庵と

会員 )

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絲海 第34号(H21)

pエ

yen f麦玄土期及の

盈オ郎と土

君塁本家小

長谷

正治

手許に「糸海史談』の復刊第一号があるこ

れは昭和三十五年に伊丹史談会によって編集

刊行されたものだ

伊丹史談会は昭和

一一十五

年四月に小林杖吉(丹城)を会長尾上日経を

理事として発足以来郷土伊丹の歴史の顕彰を

目的とし講演会史跡めぐり伊丹史料展等

を開催してきたその発足十周年を記念して刊

行されたものが糸海史談である

当初会を主宰

した杖吉は伊丹町の宮前通りに私立伊丹図

館を設立したことでも有名で明治四十五年六

月私蔵図書五千冊をもって開館している

治末年阪神間では神戸市立図書館とこの伊丹

図書館のみであったというからその存在は遠

くまで知られていた

大正三年には巡回文庫を

始め蔵書も四万冊におよんだが経営的に振

るわなくなり昭和十一年から休館が続き同

十八年には廃止されたというしかし杖吉は

休館を決めた昭和十一年からタブロイド版

「郷土研究伊丹公論』の刊行を始めている

の第

一号

二月二十日刊)冒頭の

「創刊之辞」

の一部を引用すると「郷土研究の必要を痛感

して己まず三十有余年来史料の蒐集に務めた

る予は更に進んで我が郷

土の懐かしき昔の姿

我が郷土の正しき歴史乃至我が郷土に於ける慕

はしき先賢の事蹟を調査し之を研究して見た

いと思ひ乃ち同志と相謀りてここに本紙を刊

行することにした」とその強い決意のほどを

述べている

第三号からは「郷土研究伊丹』と

名称を改め同十

一年は毎月(十

一十一一月は

不明)翌十二年から十五年は年

二1

二一回発刊

している

さて

『郷土研究伊丹』の刊行を続けていた

同十三年杖吉は

『伊丹古野家系譜略』

(博物

館所蔵)という古野家の系図を作成している

古野家からは江戸後期の郷土史家古野将盈が

出ている

将盈は古い記録をもとに伊丹郷町

の歴史を編纂した

『有岡庄年代秘記」や伊丹郷

町の名所地図

『摂州伊丹独案内図』などを遺し

ており系図作成の動機としては郷土史家と

しての「先賢の事蹟」を顕彰しようとする杖吉

の強い思いがあったからと思う

系図の後書き

によると作成にあたり正覚

寺過去帳同回向

録のほか親族の小結家小林家の過去帳および

位牌まで参照したと記されており杖吉の並々

ならぬ熱意と執念を感じさせる

この系図によ

れば安倉村の喜兵衛の二男源兵衛が伊丹堺町

に分家したことに始まり屋号は椛

当主は

代々椛屋源兵衛を襲名している

将盈は三代源

兵衛の五男として明和九年(一七七二)二月

十三日に生まれたが母常が同日死亡したため

鴻池村の吉兵衛のもとで養育されることになっ

たところが椛犀の家督を継いだ長兄の四代

源兵衛が二才の子(邦好)を遺して亡くなった

ため将盈が五代目源兵衛を継ぐことになった

系図には「将盈博識多才最精於郷土史

而著有岡年代秘記有岡奮考酒造奮新録有

岡絵図同付録等」と彼の著作が詳しく紹介さ

れている

このうち最も代表的な著作は前述し

た『有岡庄年代秘記」(京都大学文学部蔵所蔵)

で伊丹郷町所在の寺院の開基年を記した「丹

丘寺院開基年考」南北朝時代の貞治年聞から

江戸前期の万治年間までの伊丹の出来

事を記し

た「伊丹往古年記」それに続いて寛文年聞か

ら江戸後期の文政

一一年までの伊丹郷町史を詳細

に記した「有岡年代秘記」のコ一篇が所収されて

いる

このうち有岡年代秘記には伊丹郷町で

おこった様々な出来事が年表形式で簡潔に記さ

れ現在でも江戸時代の伊丹郷町研究には欠か

せない一書となっている

「伊丹古野家系略譜」小林杖吉作成

10 -Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

将盈は多くの重要な著作を遺しながら生没

年を含め来歴も長らく不詳であったが杖古

による将盈顕彰の努力によって明らかになった

のである岡田利兵衛も「伊丹市史

」の中で

「彼は尚古のたしなみふかく

「有岡庄年代秘

記』以下多数を編著し伊丹懐古に貢献した」

と郷土史家としての将盈を高く評価している

将盈と同時代を生きた人に梶曲阜がいた曲

阜は将盈より

一一十六年後の寛政十一年(一七

九九)に伊丹で生まれた

梶家系図録(文化

財保存協会所蔵博物館寄託)によると梶家

はもと小畑六兵衛といって東桑津に住していた

が後に津田氏を名のり曲阜の曽祖父の代から

伊丹伊勢町に移り住んだ

祖父金兵衛の代に姓

を梶と改めたという

屋号は大和田屋で曲阜

も大和田屋金兵衛と称した曲阜は照顔斎と号

しているがこれは彼が敬慕する俳人鬼貫を赤

い顔と解して自らを「てる顔」と称したという

家業のかたわら俳句にも通じ安政

三一年には

二条殿から俳諸宗匠として官服御免許の待遇を

うけている

曲車は伊丹の俳人としての大先輩

である鬼貫を顕彰するため鬼貫の遺墨をもと

に伊丹や近郊に七基の句碑を建てたが俳諸に

とどまらず伊丹の歴史にも強い関心を示して

いる彼の編著による

『有岡古続語」(博物館

所蔵)は乾坤二冊の折本で『伊丹荒木軍記」

公圭画香披賛「照顔斎曲車肖像」

転載したほか曲阜自らの見聞による著作を収

載している

その内容は地名の由来野宮

伊丹城俳譜鬼貫のことから当時流行して

いた能狂言角力酒呑のことまで実に多岐に

わたっている

また

「伊丹酒家盛衰の事」は

幕末の伊丹の酒造業の状況を伝える史料として

価値が高く正に江戸時代の伊丹郷町史といえ

るものである

曲阜は将盈について

『有岡古続語

』のなか

で次のように述べている

「此将盈といへるハ

往年大庄屋勤められし椛屋源兵衛といへる人な

り曽て在岡旧考といへる

一巻の著述あり

よく此里のふるき事跡を探索して記し置けり

苗字を古野といへり堺町に椛屋何某といへる

ハその子孫なりこの三本松の記借りくれる人

将盈とハ何人なることをしらさりけれはいささ

か記しぬなり

」将盈は兄の子邦好が長じる

(一八六五)の二十八年も前に将盈はこの世を

貢献している

と家督を譲り出家して多国院村の西方寺十二

世の法灯を継ぎ天保八年(一八三七)に六五

歳で亡くなっている

曲阜が「有岡古統語」を編纂した元治二年

去っており「三本松之記」も子孫から借りた

というから親交があったとは思えないが将

盈と曲阜ほほ同時代を生きた伊丹の二人の郷

土史家彼らの遺してくれた著作は今も郷土

伊丹を知る上で大きく

(伊丹市立博物館長)

博物館からのお知らせ

夏季企画展

大阪国際空港開港七

周年記念

|空港と

O

O

とともに一つの箱に収められている

有岡古続

語には西谷午蔵の「有岡むかし語」「有岡

むかし語余禄」古野将盈の「

三本松之記」を

場 期

所 間

歩んだ七

7

月 4

日(土)18月叩日(日)

伊丹市立博物館

11-

年 l

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

そのために伊丹郷町館の

監視案内業務に携わり伊丹

郷町の歴史文化の顕彰に参

画し訪れる市内外の人々に

伊丹の歴史を実感してもらい

伊丹市と「ともに」我がまち

「伊丹ブランド」の全国発信

の一翼を少しでも担ってまい

りたいあわせて文化財愛護

少年団を中心とする後継者の

育成に努力を傾けてまいると

ともに伊丹ロマン事業の取

組の中で各種関係団体との連

携を更に深め過去から受け

ついだ文化遺産を未来永遠に

継承し保護すべく努力する

具体的には

次の事業に重点

を置き推進する

(1) ①文「 講化万座財葉のにを開閑読講すむる」 事

講業座

「第 3

回文学碑をた

平成二十一年度の

事業計画の紹介

5

月ロ日

(金)に予定をし

ていました平成幻年度総会は

皆様もご存じのとおり新塑

インフルエンザの発生により

急逮中止を余儀なくされま

したそ

の後総会の取扱いにつ

いて様々な観点から慎重に

検討しましたが

一堂に会す

る総会の開催は諸般の事情で

中止することとしその代わ

りとして総会出席予定であ

った会員の方々に限定し総

会議案書を送付し各会計決

算報告等をご承認していただ

いた上で事業計画

(案)

各会計予算(案)

をご承認し

ていただきました

ご理解

ご協力をいただきありがとう

ございました

その主な事業計画の内容は

次のとおりです

本年度も文化財の保護

顕彰に努め市民が文化財に対

する知識と理解を深めるため

に啓発活動強化を図り協会

の充実発展に努める

平成二十年度

事業の回顧

万葉講座を開催ldquo

毎年ご好評をいただいて

います「万葉を読む」講座を

加年度も6

月 4

日から 8

月幻

日の期間に伊丹ホ

9月刊日には

「万葉を読

む」現地講座「奈良県明日香

村方面」を実施

講師の大森

亮尚先生を案内人として参加

者判名で藤原宮跡香具山

神社万葉の森

石舞台を通

しての万葉の旅でした

ずねて 1

現地講座 1

文化財講演会の実施

史跡めぐりパスツア

(6月から 9

月現地

講座を含め全 7

②「古代民俗講座」

(9月から叩月全

実施)

③伊丹ロマン事業

(文化財強調月間)

「第 3

回リレ

1

ω林海学 1

回実施)

5

回講座

5 4 3 2 (5) (4) (3) (2) (1) (4) (3) (2) (1) (5) (4) (3) (2)

各文 組 文

l

の実施(日月中旬)

文化財整備に協力

伊丹郷町館の委託業務

(旧岡田家旧石橋家

住宅の監視案内業務)

72 文化立化遺企遺産

城)」

「産の伊の保丹保護城護(顕有顕彰

「清酒発祥の地岡彰」

等にまつわる冊子の編集

文化財案内ボランテイ

アの充実強化

文化財パトロールの実

方面各文化財保存団体との

階大

ル3

1

会議室で全 6

回開催しました

講師は古代民俗研究所代表の

大森亮尚先

生で

「万葉秀歌

と歌人

マに参加者

」をテ l

ω

名で学びました

織 連携

強化

拡充等

の役員の担当制

伊丹市文化財保存協会

ホームベ l

ジの内容充実

機関誌「締海(比号こ

の発行

(6月下旬)

会員の増強

役員研修の実施

種化関財係愛団護体少と年の団連の携育

bull 12 -

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絲海 第34号(H21)

--E

報誌

のホ 1

「いたみテイ」を当協会

のもと参加者を四グループに

分けて巡った

りリレ

方式で

実施当該

講座を受講することによ

って

更に伊丹の歴史

文化の深さ

を受講者総数日別名もの多くの

市民に知

て頂いた

(1日目)

開催日時 日月幻日

(土 )

4

0

-)

1

「伊丹郷町遺跡出

O O

i

i

UU

0 場

士の人形

小西酒造「長寿蔵

二階ギャラリー

伊丹市文化財スケッチ集

原画展の開催ldquo

古代民俗講座を開催ldquo

旧岡田家住宅酒蔵において

ムペ

1

ジに追加いたし

開催日時日月9日

--ム

-

開催場所見陽池公園内

qd-nv

-qぺU11i)n0

AF1h~

[アドレス]

(日)

ハ AU

協会創立判周年記念事業と

古代民俗講座を9月

日から

M

UV

して会員の渋出純子氏に作成

頂いたスケッチ集の原画を旧

岡出家住宅

土間において

8

2

日から 8

日口日までの問展

一ボ期間中の観覧者数は一

コ一十八人を数えた

日月却日の間に全 5

回開催し

ました

「日本の怨霊再び」をテ

マに講師古代民俗学研究所代

表の大森亮尚先生の講義を受

講生刊名で楽しく学んだ

ホl

ムペ l

ジの追加lsquo

」れまで検討を続けていま

したわがまち伊丹のグラフ情

万円一ヨ

ZH

TUC

Z

-SNE-

参加者数 お名

②「リレ l

講座紙

海学 j

O伊丹の歴史文化の

主たる

をテ i

マとした三つの講座を

大手前大学教授の川口宏海先

生方を講師とし j

第二回

業が繰り広げられ

l

次の

と好評を博した

市内には

年から昭和

「歴史文化が醸し出す

伊丹ロマン事業」の実施

伊丹市伊丹市教育委員会

が提唱し文化財関係同団体

で構成する伊丹ロマン事業実

行委員会を中心として各種事

当協会も

二つの事業を展開し多

くの市民の皆様方の参加のも

①「文学碑を訪ねて

j

現地講座

」j

当協会が昭和町

ω年までの 4

年の

聞に設置した

がある

ω基もの文学碑

その中で見陽池公園

一帯に設置した昆陽池等に因

んだ文学碑日基を判り易い解

説書を配布し事前研修に取

り組んだ当協会理事の説明

3

日間に一日

O O

講師

」川口宏海氏

-13-

l

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絲海 第34号(H21)

日目

)

O O開催日時

A1i

講師

l

(2日日

)

開催日時日月お日

l

4

0

1

ょハ

U

マ①「伊丹郷町遺跡

大正昭和ロマン1

講師

小西酒造

長寿蔵」

二階ギャラリー

(

日月山日

A斗

ハυ

伊丹郷町ロマン

-

(日)

j

伊丹茂氏

(月)

h

-

υ

「摂津のへそ」

その一

村上敏展氏

小西酒造「長寿蔵」

二階ギャラリー

i

史跡めぐり

パスツアーldquoの実施

平成叩年度の史跡めぐりパ

スツア

日月日日

(金)

に和歌山県根来

高野山を

巡り楽しい一日を過ごしま

した

なお参加者羽名で実

施しました

第六回ひなかざり

伊丹郷町ldquo

平成加年度も

「白雪蔵ま

つり」

「わっ

しょい冬の

元気まつり

「一日だけの

バレンタインカフ

」等々の

イベントと連携を図り開催

期間を 2

7

日から 3

8

までのお日間とし

旧岡田家

住宅において明治から昭和ま

でのひな飾りやカルタすご

ろくの展示

「遺跡が語る伊

丹の酒造り」と

題した写

真パ

ネル展そして酒蔵大画面ビデ

オ放映

「伊丹の暦史

」の上映

南京桃の展示即売会を実施い

たしま

期間中次の出

来事がありました

立派な盆梅の展示

植木どころである東野の若

手グループより盆梅の展示が

ありました

文学碑の拓本と

写真パネルの展示

2

月 9

日に実施された田辺

聖子氏

「伊丹市名誉市民贈呈

式典」会場に協会出展として

ご本人揮官宅による文学碑の拓

本と写真パネルを展

示した

役員研修会を実施ldquo

3

月刊日に役員研修会を参

加者同名で実施しました

今回は岐阜県の関ヶ原と滋

賀県の安土城の視察研修を実

施しました

14

3

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絲海 第34号(H21)

において団員幻名参加のもと

(稲野小6

年)

平成二十年度伊丹市γ

和人

愛護少年団(かるた大会)

文化財愛護少年団入図式一笹の葉に願い事を書き込んだ

夏希(稲野小

年)

3

短冊や色紙で作った色とりど

優勝】「ブラックホ

1ル」

5

月白日旧岡田家住宅酒蔵

りの飾りを結びつけ旧岡田

【準優勝

教育長盾

渡辺

彩花(南小

年)

5

で入図式を行いました

家の玄関に設

行き交う

杉山

健太

(花里小 年)

4

沖野帆乃花(南小 5

年)

団員町名保護者指導者

人々の目を楽しませていた

麿瀬

大城(花里小

年)

4

山本

楓子(南小 6

年)

等別名の計115

名参加のも

初仕立口

穂高 (花里小 年)

4

と入国式が挙行された

第二位

「ガツツカポ1

ズ」

【第三位

疋田

彩花(南小

年)

6

文化財保存協会

会長盾】

大西久美子(南小 6

年)

愛美(花里小 6

年)

山田恵美釆(南小 6

年)

l

大前

綾香(花里小

年)

6

野口奈々美 (花里小6

年)

第三位「ミッキ

1

前田

みゆ

鈴原小2

年)

村上

璃帆(昆陽里小 6

年)

ω文化財愛護かるた

勝部

ザ利子(鈴原小2

年)

小田美都里(見陽里小 6

年)

大会を開催

中里かりん

(鈴原小2

年)

増井佐弥香(見陽里小

年)

6

新春恒例のかるた大会を1

月8

日には図書館 2

階で(出

組問人)1

月刊日にはいた

l

4

みホ

階和室で(団員羽

名指導員他ロ名)

同チ ムロ

人)実施した

Q

市内小学生文化財愛護少

ωサマ

キャンプの実施

年団員を対象とし参加者は l

8

月刊ω日 18

月印日の 泊

合わせて 135

人であった

伊丹市文化財愛護

2

日で団

日指導員他 8

結果は次のとおり

少年団の活動

名の参加のもと

「兵庫県立歴

FζnkHV

図書館大会(かるた大会)

りたなばたまつりの実施

史博物館」

「姫路市自然観

)11

7月 5

日国の重要文化財

察の森」そして

「赤穂海洋

【優勝

市長杯

である旧岡田家住宅

「酒蔵」

科学館」等の見学をした

松本

直之

(稲野小6

l

d

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凶文化財愛護少年団

す叫「業旅行の実施

3

月幻日に愛護少年団の卒

業旅行を

ω字の参加のもと大

阪城大阪歴史博物館を見学

しました

既刊書あんない

伊丹の文化財

二千円

分布地図

五百円

伊丹の伝説

八百円

麦わら音頭

文学碑をたずねて

伊丹の年中行事

伊丹の酒造り道具

文化財を訪ねて

有馬道

巡礼と街道

伊丹の仕ごと唄

伊丹のわらべ唄⑦

新伊丹史話

聞き書き

六百円

一千円

六百円

五百円

五百円

四百円

四百円

六百円

六百円

千円

「伊丹のくらし」千二百円

地域研究いたみ第

ロ号

第お号

第日比号

千二百円

千二百円

一千円

絵はがき「鬼貫賛春ト画巻」百

伊丹の文化財

「スケッチ集

「スケッチ集

発掘された伊丹の町

酒の町伊丹

ー」四百円

E

」四百円

百円

以上の書籍類は当協会事 四

百円

務所(旧岡田家住宅内)

ます

L

収博物館において販売してい

伊丹の文化財

「スケッチ集

ー」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

文学碑をたずねて

一千円

文化財を訪ねて

五百円

以上の書籍類は伊丹市観

光物産協会

(JR伊丹駅コン

コース内)

において販売して

います

伊丹の文化財

「スケッチ集

」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

以上のスケッチ集は

アー

トホ

l

「蔵(くら)」(JR

伊丹駅前アリオ2

号館一階)

において販売しています

伊丹城跡発掘調査報告書

E四百円

五百円

各七百五十円

W-V

有岡城跡発掘調査報告書咽=

一千円

伊丹市埋蔵文化財調査報告書

I

(有岡城跡)

五百円

E

(御願塚古墳)

五百円

有岡城跡伊丹郷町

E

第1

2

分冊

各四千円

緑ケ丘遺跡

五百円

北園遺跡

一千五百円

緑ケ任遺跡第

三次調査報告書

九百円

口酒井遺跡詑お次調査

報告書

二千円

埋蔵文化財保護の手引き

分布地図

五百円

以上の書籍類は伊丹市教

育委員会事務局生涯学習部杜

会教育課において販売してお

ります

会員が開設している

ホームペl

ジldquo

どしどしアクセスしてくだ

さい皆様の求める情報がギ

ツシリありますよ

1

【アドレス】

23万一〉ミ印

ωヨ

ω027一E

ヨア」

ZH万一ミをささコ巴コ

0

ωaω才一一Zヨ一

「一一寸

編 [集

「巳

-言回

紙海M号をお届けします

今回は豊田正義さん益尾

宏之さん小長谷正治さん

中畔明日香さんから原稿を頂

きました

お忙しい中執筆

頂き有難うございました

さて事務局長として長年

当協会の発展にご尽

力して頂

いた古屋敷達夫氏が本年

3

末をもって退職されました

16

本当にお疲れ様でした

古屋敷氏の後任として

年三がその職に就くことにな

りました

全てが初めての体

験となります

」れから協会のため皆様と

ともに頑張っていきたいと考

えておりますので会員の皆様

のより一層のご支援ご協力を

頂きますようよろしくお願い

申し上げます

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

終海第 34 号発行日 平成21年 6 月 25 日

編集伊丹市文化財保存協会

664-0895 伊丹市宮ノ前2丁目 5香28号市立伊丹郷町館(旧岡田家住宅内)電話 FAX 072-772-8830 (直通)ホームページ httpitami-bunkazaijp Eメール o伍ce itami-bunkazaijp

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

Page 7: 第 34 号 - 伊丹市文化財保存協会 · 城、王の不在を察知し を開けさせて、他の砦も攻撃、侍町にも火を放. 璃塚砦の武将を調略。十月十五日の深夜に城門た信長軍は、有岡城惣構えの西側の要である上

参考文献等

適塾記念会

場毒物数 r員正 w

適塾記念会「緒方洪庵と適塾」五十六五十七頁

適塾記念会

larr都道府県別

適々斎塾姓名録」

芝哲夫「適塾門下牛に関する調査報告」(二十八)

の分与)した医師名簿百八十六名の中に嘉永五

年(一八五二)一月に「摂州昆陽村小松来青

が含まれている(ij 存乏 除

後藤松陰が山崎遷司に贈った額

(長さ四尺五寸幅二尺五寸)

〈宝塚医師会山崎利慣氏所蔵〉

cr川辺郡医師会史J 昭和62年289頁)

大坂除痘館については古西義麿除痘館資料

いる

一八六名の身分は現在のところ藩士が十名

藩医が十七名身分不明が四名町

村医

が九七名不明が五八名との結果となってい

小松来青は伊丹市史第二巻には万延一 1

明治

五年に読み書き算術の寺子屋が昆陽村で開業

されていた

その「習字師」に

小松元春(医)

の名前が載っている

小松元春は小松来青の嗣

かも知れないと言われている

小松来青は伊丹の昆陽村の分苗所だけでなく

周辺の地域の分苗所との交流のあったことが山

崎利恒著

「種痘と徐痘所」(稿本)でわかる

山崎利恒氏は分苗した嘉永三年

一月の医師名簿

に載っている

「摂州米谷の山崎健司

」の孫であ

山崎健司は摂津国川辺郡米谷(まいたに)

村で嘉永三年から十七年間に医業のかたわら分

苗所を聞いて種痘活動に尽力してきた

彼は適

塾には入門していないが洪庵とは様々の関係

で親しい間柄にあった

山崎健司は除措館から分苗を受けて種痘に携

わると共に近郊の医師は分苗に努め涙ぐま

しいような活動を続けていた

名塩の億川信哉から山崎健司への書簡では次

のよつになっている

「貴翰這仕候時下薄暑之節御座候得共先以高堂皆様

御揃益々御多祥被矯在御起居珍重不斜奉賀候然

らば明遡日昆陽池孫太郎茶屋店に集合致度候間早

朝より御出掛可被下尤も

「適塾」第四十

一号平成

一一十年十

二月適 塾

一種痘ワクチン

専門委員が平成十四年に

「緒方洪庵と大坂の除

癒館」(東方出版)で長年の研究成果をまとめ

(I)(2)

られた

そこでは嘉永二年から明治

三年の聞に

分苗を受けた分苗所の現地調査が一部に留まっ

ていたので残されていた現地調査を平成十五

年より実施され全調査をまとめためたものを

平成十七年と平成十八年に

「大坂の除癒館」分

首所調査報告

として「適塾」

コ一八三九(適塾記念会)で発表された

NO

それによると大坂の除措館百八十六名の内緒

方洪庵の門人知人が三十名原老柳の門人

知人十五名の四十五名で全体の二四を占めて

(二)大坂除痘館と伊丹との係り

①小松来青

緒方洪庵の功積の

一つに嘉永二年(一八四九)

種痘専門の施設「大坂除痘館」を大坂在住の医

師十数人と開設したことが挙げられる

大坂除痘館が関東中部地方から九州地方ま

でで嘉永

一一年(一八四九)十一月明治二年

(一八六九)二月までに分苗(

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絲海 第34号(H21)

小松(見陽)高橋(池田)名川(麻田 )山中(小

浜)吉田(西宮)緒方(尼)瀬田(高槻)十七ていた時期があった

八人種痘社中の集会に御座候間是非々々御出席被

下候尚々小生明日御尋申上候

先は右御案内迄

勿々

如此御座候謹言

卯月廿九

山崎老兄

玉机下

II

この書簡から伊丹の昆陽村には大坂除痘館の

分苗所の

一つがあり昆陽村の「太郎茶屋」で

分苗に関する集会が聞かれていたことが分かる

この「太郎茶屋」は「文化三年昆陽池付近絵図」

で昆陽大池の西側で有馬道と行基道の交差する

付近にある「大池茶屋」と思われる

そこは西

宮宝塚尼崎から集まって伊丹で分苗につい

ての会合には都合のょいところであった

伊丹の昆陽村以外で分苗所があったという記

録はないが明治九年の伊丹市野間文書「種痘人

員調書」によれば幕末の安政や文久年間に種痘

した記録がある

又同年コ一月の種痘通知券が

あり伊丹町内と北村で種痘を接種したことが

分かるがいずれも種痘医は不明である

伊丹市史第三一巻では明治維新の文明化に衛生

問題として明治初年以来種痘を奨励している

ことがたびたびあったと指摘している

明治

二年一月から八月まで現在の摂津市

豊中市に園田村を加えた地域を摂津県と呼称し

参考文献等

園田村には

一部現在の伊

前載「緒方洪庵と適塾

古西義麿「大坂の除痘館」

「適塾」第三十八号

平成十七年

伊丹市史第二巻五

一七一良内堀睦

寺子屋から小学校へふるさとの教育史

小西酒造(株)「伊丹歴史探訪」三八

山崎利恒

「種痘と除癒所」

同三頁

同三頁

三十八頁

丹市が含まれていた

八刀苗所調査報告書(1)

当時

一般に種痘は恐れられていたからので摂

一一一一頁

津県においても次の触書が村々に出された

種痘之儀ハ天下之良法ニ一候処患味之者共兎角狐疑抱キ自然痘ヲ以

テ夫死為致候者木少以之外事-一一候向後別紙申達候通御雇医師廻村

之瑚申出之上速二一種痘相請可申若此上相疑候モノ有

之ニオヰテハ芝

度可及沙汰者也

夫「榎の樹の下

明治三年の巡回種痘医四人には緒方洪庵の四

女八千代を妻とする緒方拙斎が含まれていた

四人の巡回種痘医師は村々に派遣された村々

では寺院や惣代の私宅を診療所にあて患者の

治療と種痘を行った

「文化三年昆陽池付近絵図」

「伊丹古絵図集成」

本編

伊丹資料叢書六

九六頁

古西義麿「大坂の除痘館」分苗所調査報告書 (2)

「適塾」第三十九号

一六一頁

伊丹市史第三巻二二九

一四

猪名の会「園田のあゆみ

」六二

六七頁

⑪前載伊丹市史第三一巻一四

川辺郡医師会編

「川辺郡医師会史」二八八頁

前載「大坂の除痘館」八刀面所調査報告書(1)

一頁

②原老柳

「学の緒方に技の老柳」と一言われた原老柳は

天明三年(一七八三)二月十三日西宮札場筋

で生まれる

伊丹で開業したのは文化十四年

(一八

一七)でその聞に江戸と長崎に遊学す

る伊

丹では多国街道と有馬道の分岐点に近い伊

丹郷町で「医処老柳」の看板を掛ける

O

O

Oj

(高原寺資料)

種痘通知書 痘人員取調簿

O

|頁

7 Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

文政八年(

一八二五)大坂道修町五丁目で

開業

天保三年(一八三二)医師番

付に登場天保

十一年(一八四 O)西大関に

緒方洪庵は東前

頭四枚目

天保十五年

二月「当時町請医師見立」では

O)

大坂に再移住したこの年から学塾「樹人洞」を

開く『原老柳門譜』に記載されている時代は

天保元年(一八二一

からで一三二人が名を

連ねている

出身地は大坂周辺が圧倒的であり

伊丹出身は上杉順太郎岡高一郎山脇建隆が

含まれている

嘉永二年(

一八四九)大坂除癒館の創設に緒

方洪庵日野葛民大和屋嘉兵衛が中心となっ

て創設された

この除痘館創設に十数名の同士

が賛同しているがその中に原老柳が含まれて

いる

老柳は医者だけでなく酒と文化を求めて来伊

した文人と幅広く交流した

その中で最も知ら

れているのが儒学者漢詩人歴史家の頼山陽

である

頼山陽は文政十二年(

一八二九)十月

二十三日母の梅田町篠崎小竹田能村竹田

高橋草坪らとともに来伊し箕面に紅葉狩りを

した

老柳は黒津翁の和歌の弟子であり篠崎小竹

とも親しくしていたので伊丹の酒「男山」を愛

酒した頼山陽と伊丹をつなげている

頼山陽は文政四年(

一八二二

八月九日山

陽の高弟で小竹の女婿である後藤松陰に次の

ように書いている

伊丹紙屋本家の菊という印の酒を送ってく

れるよう原老柳に頼んで欲しい

これ

は常飲の酒ではない

凡そ口腹のことで人を煩

わすのは慨憾の至りであるが呉々お返事待つ

(新選山陽書簡集)

老柳が古稀記念の祝返しとして配り物をした

記録「原老柳古稀配物」が残されている

(嘉

永五年(一八三二)そこには老柳が開業して

いた伊丹郷からは伊丹三十六人をはじめ西

裏東裏堺丁米屋丁

三本松昆陽口横

手本丁通関連者を一括して百二十六人にな

伊丹以外では西宮池田等を含めて

二百二

十三人に及んでおり伊丹の関係者が半分近く

を占めている

出席者の内訳は

「原老柳古

稀配物」の付属資料に載っている

参考文献等

O

松本順司

j

「原老柳の生涯l

幕末の名医」

伊丹市立博物館市制二一十五年記念第七回特別展

「頼山陽と伊丹

酒の町に招かれた文人たち」

昭和五十年十月

二十四日

柿衛文庫

開館二十五周年記念特別展

「酒都伊丹

につどう 1

詩人俳人商人たち」十

二頁

平成

一一十一年四月十八日

O

前載

「原老柳の生涯幕末の名医」七七頁

同七八頁

前載

「緒方洪庵と大坂の除癒館」一

五頁

五頁

一二三

一て五頁

③原鼎

文化六年(一八 O九)に原老柳の長男として

西宮で生まれる

文政八年(

一八二五)父の老柳が大坂の道修

町で開業して伊丹の診療所をその出張所とし

た後を継ぐ

「四十三歳大坂ニ移住シ伊丹ノ家ヲ出

張所トナシ」「介庵(原老柳長男名は鼎)

伊丹ノ家ヲ続キ業ヲ開ク」

(「原家系略譜」)

原老柳が大坂除措館で活躍しているのを受け

大坂除癒館の「諸国分苗所」の一つとして伊丹

の診療所は位置づけられている

嘉永二年(

一八二九)十

一月にが分苗された

のをはじめ併せて十五人になる

参考文献等

前載

同四四頁

九頁

O

「緒方洪庵と大坂の除癒館

八頁

一四

一除嬉館記念資料室

除措館記念資料室が平成十九年

一六八頁

三月

大阪市中央区今橋コ一丁目緒方ビルクリニックセ

ンター四階に開室した

(洪庵記念会旧緒方

産婦人科病院適塾の後ろで南側に当たる)こ

の記念資料室は先に述べた「大坂の徐宿館」の

顕彰施設として設置された

8~

二十九日

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

展示ケ

ンナ

ンナ l l

l

除痘館記念資料室(今橋3丁目緒方ビル4階)

展示室の面積は五十平方メートルで周囲に

スが配置されている

入口左側はジエ

の牛痘種痘法発見に至る関係資料やジエ

像を掲げているが全体の四分の三は緒

続く展示は洪庵の肖像画や洪庵の種痘を讃

それによると江

戸時代には南野村だけでな

える漢詩を掲げる

同じ展示ケ 1

スの下段には

徐痘館に関する主要文書があり種痘勧奨の引

き札や種痘後の心得等があり牛痘苗の分苗免

状も数店ある

丹の出身者及びその関係者は今のところ不明で

く伊丹郷町にも十数人の医者がいて地域のとも

交流していたことを指摘している

その中に原

老柳原鼎も含まれているものと思われる

在村医は庄屋さんとか惣年

寄とかだけでなく

村の寺子屋の師匠村のお坊さんや禅主とか

村の上層部の人たちと

一体の活動をしているこ

とを指摘している

今回は緒方洪庵に関係する人の伊丹の活躍を

概観した

昆陽村野間の具体的な医者につい

ては分からなかった

幕末から明治にかけての

伊丹を含めた川辺郡の医師の活動について

「川

辺郡医師会史」伊丹市史等を参考にした

の詳細については今後の関係資料の研究に待ち

たい

拙文については私なりに昨年来関係

参考文献等

古西義麿「除痘館記念資料室」オープン

「大阪春秋」

一二九号

十七頁「姓

名録」に直接伊

平成二十年

一月

おわりに

緒方洪庵の開いた適塾の

方洪庵らが設立した除痘館関係資料である

入口右側の最初は洪庵が万延元年に

した

「徐痘館記録」や徐痘館に残されていた古

文書を明治末年に翻刻した

「大阪市種痘歴史

などを展示している

書き残

ある

今年平成二十一年の四月

一一十九日から六

月十四日までの伊丹市立博物館の春季テ 1

マ展

「南野旧村シリーズ第五弾

1

領主村医者

むぎわら

音頭 j

の在村医

究書

「虎狼痢治準」

った

「笹山家文

松(現尼崎市 )

この

伊丹市立博物館

横田冬彦さんが

南野笹山

」が開催された

そこで南野村

笹山寿仙の史料の中に緒方洪庵の研

の写しと思われるものがあ

(二IF 1 腕館記意資料室 γ hellip J と 詐子守しJ い 場所ごゴご軒ヨ店S以S 緒方ピjレ(時捌) 4階与三三2記長諒日ζ訟 I 大阪市申央区今橋 3-2-17 5一一 ~--- r)r盟~ Lー」丘一-l l 電話 06-6231-3257

l krr 臨時間極 ぷ 畑石i [ 平日 午前 1 0時~午後4時二二堂どゴー曲目ムル$ ペ 土曜 午前 1 0時~午後 1 時忌型半需弁じ 巳躍祝祭日年末年始は休館つ示手 配一一一一---C J iltQ参観料無料

会宣下2食傷堂筋餓京販電車途』開駅下車 徒歩叶

幕末のコレラの流行に対して緒方洪庵が

集することから始めた

痘館資料室専門委員

に的確なアドバイスをいただいた

資料山崎利恒著

「種痘と徐癌所」

躍を知るのに役立った

館」分苗所調査報告

(I

その初期の段階から除

文学博士の古西義麿さん

独自に研究したものである

南野村の在村医が

緒方洪庵の研究内容に関心のあったことが分か

しは伊丹の見陽村小松来青の地域を越えた活

書」

又前載

)

)

「諸事控」では南野村の在

(2

村医は南野だけでなく野問昆陽村寺本富

大坂の除措館」を常に参考にさせていただいた

不十分ながらも何とかまとめることができたこ

とに御礼申し上げます

にも診察に行っ

た事が分かる

「笹山家文書」については平成十年

三月

「地域研究いたみ

「江戸時代の在村

」第二七号で

医|伊丹市

参考文献等

前栽

「地域研究

いたみ」第二七号六九七十頁

家の資料から

を研究発表されてい

1

(伊丹市文化財保存協会

資料を収

特に貴重な

(稿本)の写

「大坂の除癌

「緒方洪庵と

会員 )

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絲海 第34号(H21)

pエ

yen f麦玄土期及の

盈オ郎と土

君塁本家小

長谷

正治

手許に「糸海史談』の復刊第一号があるこ

れは昭和三十五年に伊丹史談会によって編集

刊行されたものだ

伊丹史談会は昭和

一一十五

年四月に小林杖吉(丹城)を会長尾上日経を

理事として発足以来郷土伊丹の歴史の顕彰を

目的とし講演会史跡めぐり伊丹史料展等

を開催してきたその発足十周年を記念して刊

行されたものが糸海史談である

当初会を主宰

した杖吉は伊丹町の宮前通りに私立伊丹図

館を設立したことでも有名で明治四十五年六

月私蔵図書五千冊をもって開館している

治末年阪神間では神戸市立図書館とこの伊丹

図書館のみであったというからその存在は遠

くまで知られていた

大正三年には巡回文庫を

始め蔵書も四万冊におよんだが経営的に振

るわなくなり昭和十一年から休館が続き同

十八年には廃止されたというしかし杖吉は

休館を決めた昭和十一年からタブロイド版

「郷土研究伊丹公論』の刊行を始めている

の第

一号

二月二十日刊)冒頭の

「創刊之辞」

の一部を引用すると「郷土研究の必要を痛感

して己まず三十有余年来史料の蒐集に務めた

る予は更に進んで我が郷

土の懐かしき昔の姿

我が郷土の正しき歴史乃至我が郷土に於ける慕

はしき先賢の事蹟を調査し之を研究して見た

いと思ひ乃ち同志と相謀りてここに本紙を刊

行することにした」とその強い決意のほどを

述べている

第三号からは「郷土研究伊丹』と

名称を改め同十

一年は毎月(十

一十一一月は

不明)翌十二年から十五年は年

二1

二一回発刊

している

さて

『郷土研究伊丹』の刊行を続けていた

同十三年杖吉は

『伊丹古野家系譜略』

(博物

館所蔵)という古野家の系図を作成している

古野家からは江戸後期の郷土史家古野将盈が

出ている

将盈は古い記録をもとに伊丹郷町

の歴史を編纂した

『有岡庄年代秘記」や伊丹郷

町の名所地図

『摂州伊丹独案内図』などを遺し

ており系図作成の動機としては郷土史家と

しての「先賢の事蹟」を顕彰しようとする杖吉

の強い思いがあったからと思う

系図の後書き

によると作成にあたり正覚

寺過去帳同回向

録のほか親族の小結家小林家の過去帳および

位牌まで参照したと記されており杖吉の並々

ならぬ熱意と執念を感じさせる

この系図によ

れば安倉村の喜兵衛の二男源兵衛が伊丹堺町

に分家したことに始まり屋号は椛

当主は

代々椛屋源兵衛を襲名している

将盈は三代源

兵衛の五男として明和九年(一七七二)二月

十三日に生まれたが母常が同日死亡したため

鴻池村の吉兵衛のもとで養育されることになっ

たところが椛犀の家督を継いだ長兄の四代

源兵衛が二才の子(邦好)を遺して亡くなった

ため将盈が五代目源兵衛を継ぐことになった

系図には「将盈博識多才最精於郷土史

而著有岡年代秘記有岡奮考酒造奮新録有

岡絵図同付録等」と彼の著作が詳しく紹介さ

れている

このうち最も代表的な著作は前述し

た『有岡庄年代秘記」(京都大学文学部蔵所蔵)

で伊丹郷町所在の寺院の開基年を記した「丹

丘寺院開基年考」南北朝時代の貞治年聞から

江戸前期の万治年間までの伊丹の出来

事を記し

た「伊丹往古年記」それに続いて寛文年聞か

ら江戸後期の文政

一一年までの伊丹郷町史を詳細

に記した「有岡年代秘記」のコ一篇が所収されて

いる

このうち有岡年代秘記には伊丹郷町で

おこった様々な出来事が年表形式で簡潔に記さ

れ現在でも江戸時代の伊丹郷町研究には欠か

せない一書となっている

「伊丹古野家系略譜」小林杖吉作成

10 -Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

将盈は多くの重要な著作を遺しながら生没

年を含め来歴も長らく不詳であったが杖古

による将盈顕彰の努力によって明らかになった

のである岡田利兵衛も「伊丹市史

」の中で

「彼は尚古のたしなみふかく

「有岡庄年代秘

記』以下多数を編著し伊丹懐古に貢献した」

と郷土史家としての将盈を高く評価している

将盈と同時代を生きた人に梶曲阜がいた曲

阜は将盈より

一一十六年後の寛政十一年(一七

九九)に伊丹で生まれた

梶家系図録(文化

財保存協会所蔵博物館寄託)によると梶家

はもと小畑六兵衛といって東桑津に住していた

が後に津田氏を名のり曲阜の曽祖父の代から

伊丹伊勢町に移り住んだ

祖父金兵衛の代に姓

を梶と改めたという

屋号は大和田屋で曲阜

も大和田屋金兵衛と称した曲阜は照顔斎と号

しているがこれは彼が敬慕する俳人鬼貫を赤

い顔と解して自らを「てる顔」と称したという

家業のかたわら俳句にも通じ安政

三一年には

二条殿から俳諸宗匠として官服御免許の待遇を

うけている

曲車は伊丹の俳人としての大先輩

である鬼貫を顕彰するため鬼貫の遺墨をもと

に伊丹や近郊に七基の句碑を建てたが俳諸に

とどまらず伊丹の歴史にも強い関心を示して

いる彼の編著による

『有岡古続語」(博物館

所蔵)は乾坤二冊の折本で『伊丹荒木軍記」

公圭画香披賛「照顔斎曲車肖像」

転載したほか曲阜自らの見聞による著作を収

載している

その内容は地名の由来野宮

伊丹城俳譜鬼貫のことから当時流行して

いた能狂言角力酒呑のことまで実に多岐に

わたっている

また

「伊丹酒家盛衰の事」は

幕末の伊丹の酒造業の状況を伝える史料として

価値が高く正に江戸時代の伊丹郷町史といえ

るものである

曲阜は将盈について

『有岡古続語

』のなか

で次のように述べている

「此将盈といへるハ

往年大庄屋勤められし椛屋源兵衛といへる人な

り曽て在岡旧考といへる

一巻の著述あり

よく此里のふるき事跡を探索して記し置けり

苗字を古野といへり堺町に椛屋何某といへる

ハその子孫なりこの三本松の記借りくれる人

将盈とハ何人なることをしらさりけれはいささ

か記しぬなり

」将盈は兄の子邦好が長じる

(一八六五)の二十八年も前に将盈はこの世を

貢献している

と家督を譲り出家して多国院村の西方寺十二

世の法灯を継ぎ天保八年(一八三七)に六五

歳で亡くなっている

曲阜が「有岡古統語」を編纂した元治二年

去っており「三本松之記」も子孫から借りた

というから親交があったとは思えないが将

盈と曲阜ほほ同時代を生きた伊丹の二人の郷

土史家彼らの遺してくれた著作は今も郷土

伊丹を知る上で大きく

(伊丹市立博物館長)

博物館からのお知らせ

夏季企画展

大阪国際空港開港七

周年記念

|空港と

O

O

とともに一つの箱に収められている

有岡古続

語には西谷午蔵の「有岡むかし語」「有岡

むかし語余禄」古野将盈の「

三本松之記」を

場 期

所 間

歩んだ七

7

月 4

日(土)18月叩日(日)

伊丹市立博物館

11-

年 l

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絲海 第34号(H21)

そのために伊丹郷町館の

監視案内業務に携わり伊丹

郷町の歴史文化の顕彰に参

画し訪れる市内外の人々に

伊丹の歴史を実感してもらい

伊丹市と「ともに」我がまち

「伊丹ブランド」の全国発信

の一翼を少しでも担ってまい

りたいあわせて文化財愛護

少年団を中心とする後継者の

育成に努力を傾けてまいると

ともに伊丹ロマン事業の取

組の中で各種関係団体との連

携を更に深め過去から受け

ついだ文化遺産を未来永遠に

継承し保護すべく努力する

具体的には

次の事業に重点

を置き推進する

(1) ①文「 講化万座財葉のにを開閑読講すむる」 事

講業座

「第 3

回文学碑をた

平成二十一年度の

事業計画の紹介

5

月ロ日

(金)に予定をし

ていました平成幻年度総会は

皆様もご存じのとおり新塑

インフルエンザの発生により

急逮中止を余儀なくされま

したそ

の後総会の取扱いにつ

いて様々な観点から慎重に

検討しましたが

一堂に会す

る総会の開催は諸般の事情で

中止することとしその代わ

りとして総会出席予定であ

った会員の方々に限定し総

会議案書を送付し各会計決

算報告等をご承認していただ

いた上で事業計画

(案)

各会計予算(案)

をご承認し

ていただきました

ご理解

ご協力をいただきありがとう

ございました

その主な事業計画の内容は

次のとおりです

本年度も文化財の保護

顕彰に努め市民が文化財に対

する知識と理解を深めるため

に啓発活動強化を図り協会

の充実発展に努める

平成二十年度

事業の回顧

万葉講座を開催ldquo

毎年ご好評をいただいて

います「万葉を読む」講座を

加年度も6

月 4

日から 8

月幻

日の期間に伊丹ホ

9月刊日には

「万葉を読

む」現地講座「奈良県明日香

村方面」を実施

講師の大森

亮尚先生を案内人として参加

者判名で藤原宮跡香具山

神社万葉の森

石舞台を通

しての万葉の旅でした

ずねて 1

現地講座 1

文化財講演会の実施

史跡めぐりパスツア

(6月から 9

月現地

講座を含め全 7

②「古代民俗講座」

(9月から叩月全

実施)

③伊丹ロマン事業

(文化財強調月間)

「第 3

回リレ

1

ω林海学 1

回実施)

5

回講座

5 4 3 2 (5) (4) (3) (2) (1) (4) (3) (2) (1) (5) (4) (3) (2)

各文 組 文

l

の実施(日月中旬)

文化財整備に協力

伊丹郷町館の委託業務

(旧岡田家旧石橋家

住宅の監視案内業務)

72 文化立化遺企遺産

城)」

「産の伊の保丹保護城護(顕有顕彰

「清酒発祥の地岡彰」

等にまつわる冊子の編集

文化財案内ボランテイ

アの充実強化

文化財パトロールの実

方面各文化財保存団体との

階大

ル3

1

会議室で全 6

回開催しました

講師は古代民俗研究所代表の

大森亮尚先

生で

「万葉秀歌

と歌人

マに参加者

」をテ l

ω

名で学びました

織 連携

強化

拡充等

の役員の担当制

伊丹市文化財保存協会

ホームベ l

ジの内容充実

機関誌「締海(比号こ

の発行

(6月下旬)

会員の増強

役員研修の実施

種化関財係愛団護体少と年の団連の携育

bull 12 -

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--E

報誌

のホ 1

「いたみテイ」を当協会

のもと参加者を四グループに

分けて巡った

りリレ

方式で

実施当該

講座を受講することによ

って

更に伊丹の歴史

文化の深さ

を受講者総数日別名もの多くの

市民に知

て頂いた

(1日目)

開催日時 日月幻日

(土 )

4

0

-)

1

「伊丹郷町遺跡出

O O

i

i

UU

0 場

士の人形

小西酒造「長寿蔵

二階ギャラリー

伊丹市文化財スケッチ集

原画展の開催ldquo

古代民俗講座を開催ldquo

旧岡田家住宅酒蔵において

ムペ

1

ジに追加いたし

開催日時日月9日

--ム

-

開催場所見陽池公園内

qd-nv

-qぺU11i)n0

AF1h~

[アドレス]

(日)

ハ AU

協会創立判周年記念事業と

古代民俗講座を9月

日から

M

UV

して会員の渋出純子氏に作成

頂いたスケッチ集の原画を旧

岡出家住宅

土間において

8

2

日から 8

日口日までの問展

一ボ期間中の観覧者数は一

コ一十八人を数えた

日月却日の間に全 5

回開催し

ました

「日本の怨霊再び」をテ

マに講師古代民俗学研究所代

表の大森亮尚先生の講義を受

講生刊名で楽しく学んだ

ホl

ムペ l

ジの追加lsquo

」れまで検討を続けていま

したわがまち伊丹のグラフ情

万円一ヨ

ZH

TUC

Z

-SNE-

参加者数 お名

②「リレ l

講座紙

海学 j

O伊丹の歴史文化の

主たる

をテ i

マとした三つの講座を

大手前大学教授の川口宏海先

生方を講師とし j

第二回

業が繰り広げられ

l

次の

と好評を博した

市内には

年から昭和

「歴史文化が醸し出す

伊丹ロマン事業」の実施

伊丹市伊丹市教育委員会

が提唱し文化財関係同団体

で構成する伊丹ロマン事業実

行委員会を中心として各種事

当協会も

二つの事業を展開し多

くの市民の皆様方の参加のも

①「文学碑を訪ねて

j

現地講座

」j

当協会が昭和町

ω年までの 4

年の

聞に設置した

がある

ω基もの文学碑

その中で見陽池公園

一帯に設置した昆陽池等に因

んだ文学碑日基を判り易い解

説書を配布し事前研修に取

り組んだ当協会理事の説明

3

日間に一日

O O

講師

」川口宏海氏

-13-

l

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日目

)

O O開催日時

A1i

講師

l

(2日日

)

開催日時日月お日

l

4

0

1

ょハ

U

マ①「伊丹郷町遺跡

大正昭和ロマン1

講師

小西酒造

長寿蔵」

二階ギャラリー

(

日月山日

A斗

ハυ

伊丹郷町ロマン

-

(日)

j

伊丹茂氏

(月)

h

-

υ

「摂津のへそ」

その一

村上敏展氏

小西酒造「長寿蔵」

二階ギャラリー

i

史跡めぐり

パスツアーldquoの実施

平成叩年度の史跡めぐりパ

スツア

日月日日

(金)

に和歌山県根来

高野山を

巡り楽しい一日を過ごしま

した

なお参加者羽名で実

施しました

第六回ひなかざり

伊丹郷町ldquo

平成加年度も

「白雪蔵ま

つり」

「わっ

しょい冬の

元気まつり

「一日だけの

バレンタインカフ

」等々の

イベントと連携を図り開催

期間を 2

7

日から 3

8

までのお日間とし

旧岡田家

住宅において明治から昭和ま

でのひな飾りやカルタすご

ろくの展示

「遺跡が語る伊

丹の酒造り」と

題した写

真パ

ネル展そして酒蔵大画面ビデ

オ放映

「伊丹の暦史

」の上映

南京桃の展示即売会を実施い

たしま

期間中次の出

来事がありました

立派な盆梅の展示

植木どころである東野の若

手グループより盆梅の展示が

ありました

文学碑の拓本と

写真パネルの展示

2

月 9

日に実施された田辺

聖子氏

「伊丹市名誉市民贈呈

式典」会場に協会出展として

ご本人揮官宅による文学碑の拓

本と写真パネルを展

示した

役員研修会を実施ldquo

3

月刊日に役員研修会を参

加者同名で実施しました

今回は岐阜県の関ヶ原と滋

賀県の安土城の視察研修を実

施しました

14

3

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において団員幻名参加のもと

(稲野小6

年)

平成二十年度伊丹市γ

和人

愛護少年団(かるた大会)

文化財愛護少年団入図式一笹の葉に願い事を書き込んだ

夏希(稲野小

年)

3

短冊や色紙で作った色とりど

優勝】「ブラックホ

1ル」

5

月白日旧岡田家住宅酒蔵

りの飾りを結びつけ旧岡田

【準優勝

教育長盾

渡辺

彩花(南小

年)

5

で入図式を行いました

家の玄関に設

行き交う

杉山

健太

(花里小 年)

4

沖野帆乃花(南小 5

年)

団員町名保護者指導者

人々の目を楽しませていた

麿瀬

大城(花里小

年)

4

山本

楓子(南小 6

年)

等別名の計115

名参加のも

初仕立口

穂高 (花里小 年)

4

と入国式が挙行された

第二位

「ガツツカポ1

ズ」

【第三位

疋田

彩花(南小

年)

6

文化財保存協会

会長盾】

大西久美子(南小 6

年)

愛美(花里小 6

年)

山田恵美釆(南小 6

年)

l

大前

綾香(花里小

年)

6

野口奈々美 (花里小6

年)

第三位「ミッキ

1

前田

みゆ

鈴原小2

年)

村上

璃帆(昆陽里小 6

年)

ω文化財愛護かるた

勝部

ザ利子(鈴原小2

年)

小田美都里(見陽里小 6

年)

大会を開催

中里かりん

(鈴原小2

年)

増井佐弥香(見陽里小

年)

6

新春恒例のかるた大会を1

月8

日には図書館 2

階で(出

組問人)1

月刊日にはいた

l

4

みホ

階和室で(団員羽

名指導員他ロ名)

同チ ムロ

人)実施した

Q

市内小学生文化財愛護少

ωサマ

キャンプの実施

年団員を対象とし参加者は l

8

月刊ω日 18

月印日の 泊

合わせて 135

人であった

伊丹市文化財愛護

2

日で団

日指導員他 8

結果は次のとおり

少年団の活動

名の参加のもと

「兵庫県立歴

FζnkHV

図書館大会(かるた大会)

りたなばたまつりの実施

史博物館」

「姫路市自然観

)11

7月 5

日国の重要文化財

察の森」そして

「赤穂海洋

【優勝

市長杯

である旧岡田家住宅

「酒蔵」

科学館」等の見学をした

松本

直之

(稲野小6

l

d

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

凶文化財愛護少年団

す叫「業旅行の実施

3

月幻日に愛護少年団の卒

業旅行を

ω字の参加のもと大

阪城大阪歴史博物館を見学

しました

既刊書あんない

伊丹の文化財

二千円

分布地図

五百円

伊丹の伝説

八百円

麦わら音頭

文学碑をたずねて

伊丹の年中行事

伊丹の酒造り道具

文化財を訪ねて

有馬道

巡礼と街道

伊丹の仕ごと唄

伊丹のわらべ唄⑦

新伊丹史話

聞き書き

六百円

一千円

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千円

「伊丹のくらし」千二百円

地域研究いたみ第

ロ号

第お号

第日比号

千二百円

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絵はがき「鬼貫賛春ト画巻」百

伊丹の文化財

「スケッチ集

「スケッチ集

発掘された伊丹の町

酒の町伊丹

ー」四百円

E

」四百円

百円

以上の書籍類は当協会事 四

百円

務所(旧岡田家住宅内)

ます

L

収博物館において販売してい

伊丹の文化財

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光物産協会

(JR伊丹駅コン

コース内)

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います

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」四百円

以上のスケッチ集は

アー

トホ

l

「蔵(くら)」(JR

伊丹駅前アリオ2

号館一階)

において販売しています

伊丹城跡発掘調査報告書

E四百円

五百円

各七百五十円

W-V

有岡城跡発掘調査報告書咽=

一千円

伊丹市埋蔵文化財調査報告書

I

(有岡城跡)

五百円

E

(御願塚古墳)

五百円

有岡城跡伊丹郷町

E

第1

2

分冊

各四千円

緑ケ丘遺跡

五百円

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一千五百円

緑ケ任遺跡第

三次調査報告書

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口酒井遺跡詑お次調査

報告書

二千円

埋蔵文化財保護の手引き

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育委員会事務局生涯学習部杜

会教育課において販売してお

ります

会員が開設している

ホームペl

ジldquo

どしどしアクセスしてくだ

さい皆様の求める情報がギ

ツシリありますよ

1

【アドレス】

23万一〉ミ印

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「一一寸

編 [集

「巳

-言回

紙海M号をお届けします

今回は豊田正義さん益尾

宏之さん小長谷正治さん

中畔明日香さんから原稿を頂

きました

お忙しい中執筆

頂き有難うございました

さて事務局長として長年

当協会の発展にご尽

力して頂

いた古屋敷達夫氏が本年

3

末をもって退職されました

16

本当にお疲れ様でした

古屋敷氏の後任として

年三がその職に就くことにな

りました

全てが初めての体

験となります

」れから協会のため皆様と

ともに頑張っていきたいと考

えておりますので会員の皆様

のより一層のご支援ご協力を

頂きますようよろしくお願い

申し上げます

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

終海第 34 号発行日 平成21年 6 月 25 日

編集伊丹市文化財保存協会

664-0895 伊丹市宮ノ前2丁目 5香28号市立伊丹郷町館(旧岡田家住宅内)電話 FAX 072-772-8830 (直通)ホームページ httpitami-bunkazaijp Eメール o伍ce itami-bunkazaijp

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

Page 8: 第 34 号 - 伊丹市文化財保存協会 · 城、王の不在を察知し を開けさせて、他の砦も攻撃、侍町にも火を放. 璃塚砦の武将を調略。十月十五日の深夜に城門た信長軍は、有岡城惣構えの西側の要である上

小松(見陽)高橋(池田)名川(麻田 )山中(小

浜)吉田(西宮)緒方(尼)瀬田(高槻)十七ていた時期があった

八人種痘社中の集会に御座候間是非々々御出席被

下候尚々小生明日御尋申上候

先は右御案内迄

勿々

如此御座候謹言

卯月廿九

山崎老兄

玉机下

II

この書簡から伊丹の昆陽村には大坂除痘館の

分苗所の

一つがあり昆陽村の「太郎茶屋」で

分苗に関する集会が聞かれていたことが分かる

この「太郎茶屋」は「文化三年昆陽池付近絵図」

で昆陽大池の西側で有馬道と行基道の交差する

付近にある「大池茶屋」と思われる

そこは西

宮宝塚尼崎から集まって伊丹で分苗につい

ての会合には都合のょいところであった

伊丹の昆陽村以外で分苗所があったという記

録はないが明治九年の伊丹市野間文書「種痘人

員調書」によれば幕末の安政や文久年間に種痘

した記録がある

又同年コ一月の種痘通知券が

あり伊丹町内と北村で種痘を接種したことが

分かるがいずれも種痘医は不明である

伊丹市史第三一巻では明治維新の文明化に衛生

問題として明治初年以来種痘を奨励している

ことがたびたびあったと指摘している

明治

二年一月から八月まで現在の摂津市

豊中市に園田村を加えた地域を摂津県と呼称し

参考文献等

園田村には

一部現在の伊

前載「緒方洪庵と適塾

古西義麿「大坂の除痘館」

「適塾」第三十八号

平成十七年

伊丹市史第二巻五

一七一良内堀睦

寺子屋から小学校へふるさとの教育史

小西酒造(株)「伊丹歴史探訪」三八

山崎利恒

「種痘と除癒所」

同三頁

同三頁

三十八頁

丹市が含まれていた

八刀苗所調査報告書(1)

当時

一般に種痘は恐れられていたからので摂

一一一一頁

津県においても次の触書が村々に出された

種痘之儀ハ天下之良法ニ一候処患味之者共兎角狐疑抱キ自然痘ヲ以

テ夫死為致候者木少以之外事-一一候向後別紙申達候通御雇医師廻村

之瑚申出之上速二一種痘相請可申若此上相疑候モノ有

之ニオヰテハ芝

度可及沙汰者也

夫「榎の樹の下

明治三年の巡回種痘医四人には緒方洪庵の四

女八千代を妻とする緒方拙斎が含まれていた

四人の巡回種痘医師は村々に派遣された村々

では寺院や惣代の私宅を診療所にあて患者の

治療と種痘を行った

「文化三年昆陽池付近絵図」

「伊丹古絵図集成」

本編

伊丹資料叢書六

九六頁

古西義麿「大坂の除痘館」分苗所調査報告書 (2)

「適塾」第三十九号

一六一頁

伊丹市史第三巻二二九

一四

猪名の会「園田のあゆみ

」六二

六七頁

⑪前載伊丹市史第三一巻一四

川辺郡医師会編

「川辺郡医師会史」二八八頁

前載「大坂の除痘館」八刀面所調査報告書(1)

一頁

②原老柳

「学の緒方に技の老柳」と一言われた原老柳は

天明三年(一七八三)二月十三日西宮札場筋

で生まれる

伊丹で開業したのは文化十四年

(一八

一七)でその聞に江戸と長崎に遊学す

る伊

丹では多国街道と有馬道の分岐点に近い伊

丹郷町で「医処老柳」の看板を掛ける

O

O

Oj

(高原寺資料)

種痘通知書 痘人員取調簿

O

|頁

7 Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

文政八年(

一八二五)大坂道修町五丁目で

開業

天保三年(一八三二)医師番

付に登場天保

十一年(一八四 O)西大関に

緒方洪庵は東前

頭四枚目

天保十五年

二月「当時町請医師見立」では

O)

大坂に再移住したこの年から学塾「樹人洞」を

開く『原老柳門譜』に記載されている時代は

天保元年(一八二一

からで一三二人が名を

連ねている

出身地は大坂周辺が圧倒的であり

伊丹出身は上杉順太郎岡高一郎山脇建隆が

含まれている

嘉永二年(

一八四九)大坂除癒館の創設に緒

方洪庵日野葛民大和屋嘉兵衛が中心となっ

て創設された

この除痘館創設に十数名の同士

が賛同しているがその中に原老柳が含まれて

いる

老柳は医者だけでなく酒と文化を求めて来伊

した文人と幅広く交流した

その中で最も知ら

れているのが儒学者漢詩人歴史家の頼山陽

である

頼山陽は文政十二年(

一八二九)十月

二十三日母の梅田町篠崎小竹田能村竹田

高橋草坪らとともに来伊し箕面に紅葉狩りを

した

老柳は黒津翁の和歌の弟子であり篠崎小竹

とも親しくしていたので伊丹の酒「男山」を愛

酒した頼山陽と伊丹をつなげている

頼山陽は文政四年(

一八二二

八月九日山

陽の高弟で小竹の女婿である後藤松陰に次の

ように書いている

伊丹紙屋本家の菊という印の酒を送ってく

れるよう原老柳に頼んで欲しい

これ

は常飲の酒ではない

凡そ口腹のことで人を煩

わすのは慨憾の至りであるが呉々お返事待つ

(新選山陽書簡集)

老柳が古稀記念の祝返しとして配り物をした

記録「原老柳古稀配物」が残されている

(嘉

永五年(一八三二)そこには老柳が開業して

いた伊丹郷からは伊丹三十六人をはじめ西

裏東裏堺丁米屋丁

三本松昆陽口横

手本丁通関連者を一括して百二十六人にな

伊丹以外では西宮池田等を含めて

二百二

十三人に及んでおり伊丹の関係者が半分近く

を占めている

出席者の内訳は

「原老柳古

稀配物」の付属資料に載っている

参考文献等

O

松本順司

j

「原老柳の生涯l

幕末の名医」

伊丹市立博物館市制二一十五年記念第七回特別展

「頼山陽と伊丹

酒の町に招かれた文人たち」

昭和五十年十月

二十四日

柿衛文庫

開館二十五周年記念特別展

「酒都伊丹

につどう 1

詩人俳人商人たち」十

二頁

平成

一一十一年四月十八日

O

前載

「原老柳の生涯幕末の名医」七七頁

同七八頁

前載

「緒方洪庵と大坂の除癒館」一

五頁

五頁

一二三

一て五頁

③原鼎

文化六年(一八 O九)に原老柳の長男として

西宮で生まれる

文政八年(

一八二五)父の老柳が大坂の道修

町で開業して伊丹の診療所をその出張所とし

た後を継ぐ

「四十三歳大坂ニ移住シ伊丹ノ家ヲ出

張所トナシ」「介庵(原老柳長男名は鼎)

伊丹ノ家ヲ続キ業ヲ開ク」

(「原家系略譜」)

原老柳が大坂除措館で活躍しているのを受け

大坂除癒館の「諸国分苗所」の一つとして伊丹

の診療所は位置づけられている

嘉永二年(

一八二九)十

一月にが分苗された

のをはじめ併せて十五人になる

参考文献等

前載

同四四頁

九頁

O

「緒方洪庵と大坂の除癒館

八頁

一四

一除嬉館記念資料室

除措館記念資料室が平成十九年

一六八頁

三月

大阪市中央区今橋コ一丁目緒方ビルクリニックセ

ンター四階に開室した

(洪庵記念会旧緒方

産婦人科病院適塾の後ろで南側に当たる)こ

の記念資料室は先に述べた「大坂の徐宿館」の

顕彰施設として設置された

8~

二十九日

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

展示ケ

ンナ

ンナ l l

l

除痘館記念資料室(今橋3丁目緒方ビル4階)

展示室の面積は五十平方メートルで周囲に

スが配置されている

入口左側はジエ

の牛痘種痘法発見に至る関係資料やジエ

像を掲げているが全体の四分の三は緒

続く展示は洪庵の肖像画や洪庵の種痘を讃

それによると江

戸時代には南野村だけでな

える漢詩を掲げる

同じ展示ケ 1

スの下段には

徐痘館に関する主要文書があり種痘勧奨の引

き札や種痘後の心得等があり牛痘苗の分苗免

状も数店ある

丹の出身者及びその関係者は今のところ不明で

く伊丹郷町にも十数人の医者がいて地域のとも

交流していたことを指摘している

その中に原

老柳原鼎も含まれているものと思われる

在村医は庄屋さんとか惣年

寄とかだけでなく

村の寺子屋の師匠村のお坊さんや禅主とか

村の上層部の人たちと

一体の活動をしているこ

とを指摘している

今回は緒方洪庵に関係する人の伊丹の活躍を

概観した

昆陽村野間の具体的な医者につい

ては分からなかった

幕末から明治にかけての

伊丹を含めた川辺郡の医師の活動について

「川

辺郡医師会史」伊丹市史等を参考にした

の詳細については今後の関係資料の研究に待ち

たい

拙文については私なりに昨年来関係

参考文献等

古西義麿「除痘館記念資料室」オープン

「大阪春秋」

一二九号

十七頁「姓

名録」に直接伊

平成二十年

一月

おわりに

緒方洪庵の開いた適塾の

方洪庵らが設立した除痘館関係資料である

入口右側の最初は洪庵が万延元年に

した

「徐痘館記録」や徐痘館に残されていた古

文書を明治末年に翻刻した

「大阪市種痘歴史

などを展示している

書き残

ある

今年平成二十一年の四月

一一十九日から六

月十四日までの伊丹市立博物館の春季テ 1

マ展

「南野旧村シリーズ第五弾

1

領主村医者

むぎわら

音頭 j

の在村医

究書

「虎狼痢治準」

った

「笹山家文

松(現尼崎市 )

この

伊丹市立博物館

横田冬彦さんが

南野笹山

」が開催された

そこで南野村

笹山寿仙の史料の中に緒方洪庵の研

の写しと思われるものがあ

(二IF 1 腕館記意資料室 γ hellip J と 詐子守しJ い 場所ごゴご軒ヨ店S以S 緒方ピjレ(時捌) 4階与三三2記長諒日ζ訟 I 大阪市申央区今橋 3-2-17 5一一 ~--- r)r盟~ Lー」丘一-l l 電話 06-6231-3257

l krr 臨時間極 ぷ 畑石i [ 平日 午前 1 0時~午後4時二二堂どゴー曲目ムル$ ペ 土曜 午前 1 0時~午後 1 時忌型半需弁じ 巳躍祝祭日年末年始は休館つ示手 配一一一一---C J iltQ参観料無料

会宣下2食傷堂筋餓京販電車途』開駅下車 徒歩叶

幕末のコレラの流行に対して緒方洪庵が

集することから始めた

痘館資料室専門委員

に的確なアドバイスをいただいた

資料山崎利恒著

「種痘と徐癌所」

躍を知るのに役立った

館」分苗所調査報告

(I

その初期の段階から除

文学博士の古西義麿さん

独自に研究したものである

南野村の在村医が

緒方洪庵の研究内容に関心のあったことが分か

しは伊丹の見陽村小松来青の地域を越えた活

書」

又前載

)

)

「諸事控」では南野村の在

(2

村医は南野だけでなく野問昆陽村寺本富

大坂の除措館」を常に参考にさせていただいた

不十分ながらも何とかまとめることができたこ

とに御礼申し上げます

にも診察に行っ

た事が分かる

「笹山家文書」については平成十年

三月

「地域研究いたみ

「江戸時代の在村

」第二七号で

医|伊丹市

参考文献等

前栽

「地域研究

いたみ」第二七号六九七十頁

家の資料から

を研究発表されてい

1

(伊丹市文化財保存協会

資料を収

特に貴重な

(稿本)の写

「大坂の除癌

「緒方洪庵と

会員 )

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pエ

yen f麦玄土期及の

盈オ郎と土

君塁本家小

長谷

正治

手許に「糸海史談』の復刊第一号があるこ

れは昭和三十五年に伊丹史談会によって編集

刊行されたものだ

伊丹史談会は昭和

一一十五

年四月に小林杖吉(丹城)を会長尾上日経を

理事として発足以来郷土伊丹の歴史の顕彰を

目的とし講演会史跡めぐり伊丹史料展等

を開催してきたその発足十周年を記念して刊

行されたものが糸海史談である

当初会を主宰

した杖吉は伊丹町の宮前通りに私立伊丹図

館を設立したことでも有名で明治四十五年六

月私蔵図書五千冊をもって開館している

治末年阪神間では神戸市立図書館とこの伊丹

図書館のみであったというからその存在は遠

くまで知られていた

大正三年には巡回文庫を

始め蔵書も四万冊におよんだが経営的に振

るわなくなり昭和十一年から休館が続き同

十八年には廃止されたというしかし杖吉は

休館を決めた昭和十一年からタブロイド版

「郷土研究伊丹公論』の刊行を始めている

の第

一号

二月二十日刊)冒頭の

「創刊之辞」

の一部を引用すると「郷土研究の必要を痛感

して己まず三十有余年来史料の蒐集に務めた

る予は更に進んで我が郷

土の懐かしき昔の姿

我が郷土の正しき歴史乃至我が郷土に於ける慕

はしき先賢の事蹟を調査し之を研究して見た

いと思ひ乃ち同志と相謀りてここに本紙を刊

行することにした」とその強い決意のほどを

述べている

第三号からは「郷土研究伊丹』と

名称を改め同十

一年は毎月(十

一十一一月は

不明)翌十二年から十五年は年

二1

二一回発刊

している

さて

『郷土研究伊丹』の刊行を続けていた

同十三年杖吉は

『伊丹古野家系譜略』

(博物

館所蔵)という古野家の系図を作成している

古野家からは江戸後期の郷土史家古野将盈が

出ている

将盈は古い記録をもとに伊丹郷町

の歴史を編纂した

『有岡庄年代秘記」や伊丹郷

町の名所地図

『摂州伊丹独案内図』などを遺し

ており系図作成の動機としては郷土史家と

しての「先賢の事蹟」を顕彰しようとする杖吉

の強い思いがあったからと思う

系図の後書き

によると作成にあたり正覚

寺過去帳同回向

録のほか親族の小結家小林家の過去帳および

位牌まで参照したと記されており杖吉の並々

ならぬ熱意と執念を感じさせる

この系図によ

れば安倉村の喜兵衛の二男源兵衛が伊丹堺町

に分家したことに始まり屋号は椛

当主は

代々椛屋源兵衛を襲名している

将盈は三代源

兵衛の五男として明和九年(一七七二)二月

十三日に生まれたが母常が同日死亡したため

鴻池村の吉兵衛のもとで養育されることになっ

たところが椛犀の家督を継いだ長兄の四代

源兵衛が二才の子(邦好)を遺して亡くなった

ため将盈が五代目源兵衛を継ぐことになった

系図には「将盈博識多才最精於郷土史

而著有岡年代秘記有岡奮考酒造奮新録有

岡絵図同付録等」と彼の著作が詳しく紹介さ

れている

このうち最も代表的な著作は前述し

た『有岡庄年代秘記」(京都大学文学部蔵所蔵)

で伊丹郷町所在の寺院の開基年を記した「丹

丘寺院開基年考」南北朝時代の貞治年聞から

江戸前期の万治年間までの伊丹の出来

事を記し

た「伊丹往古年記」それに続いて寛文年聞か

ら江戸後期の文政

一一年までの伊丹郷町史を詳細

に記した「有岡年代秘記」のコ一篇が所収されて

いる

このうち有岡年代秘記には伊丹郷町で

おこった様々な出来事が年表形式で簡潔に記さ

れ現在でも江戸時代の伊丹郷町研究には欠か

せない一書となっている

「伊丹古野家系略譜」小林杖吉作成

10 -Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

将盈は多くの重要な著作を遺しながら生没

年を含め来歴も長らく不詳であったが杖古

による将盈顕彰の努力によって明らかになった

のである岡田利兵衛も「伊丹市史

」の中で

「彼は尚古のたしなみふかく

「有岡庄年代秘

記』以下多数を編著し伊丹懐古に貢献した」

と郷土史家としての将盈を高く評価している

将盈と同時代を生きた人に梶曲阜がいた曲

阜は将盈より

一一十六年後の寛政十一年(一七

九九)に伊丹で生まれた

梶家系図録(文化

財保存協会所蔵博物館寄託)によると梶家

はもと小畑六兵衛といって東桑津に住していた

が後に津田氏を名のり曲阜の曽祖父の代から

伊丹伊勢町に移り住んだ

祖父金兵衛の代に姓

を梶と改めたという

屋号は大和田屋で曲阜

も大和田屋金兵衛と称した曲阜は照顔斎と号

しているがこれは彼が敬慕する俳人鬼貫を赤

い顔と解して自らを「てる顔」と称したという

家業のかたわら俳句にも通じ安政

三一年には

二条殿から俳諸宗匠として官服御免許の待遇を

うけている

曲車は伊丹の俳人としての大先輩

である鬼貫を顕彰するため鬼貫の遺墨をもと

に伊丹や近郊に七基の句碑を建てたが俳諸に

とどまらず伊丹の歴史にも強い関心を示して

いる彼の編著による

『有岡古続語」(博物館

所蔵)は乾坤二冊の折本で『伊丹荒木軍記」

公圭画香披賛「照顔斎曲車肖像」

転載したほか曲阜自らの見聞による著作を収

載している

その内容は地名の由来野宮

伊丹城俳譜鬼貫のことから当時流行して

いた能狂言角力酒呑のことまで実に多岐に

わたっている

また

「伊丹酒家盛衰の事」は

幕末の伊丹の酒造業の状況を伝える史料として

価値が高く正に江戸時代の伊丹郷町史といえ

るものである

曲阜は将盈について

『有岡古続語

』のなか

で次のように述べている

「此将盈といへるハ

往年大庄屋勤められし椛屋源兵衛といへる人な

り曽て在岡旧考といへる

一巻の著述あり

よく此里のふるき事跡を探索して記し置けり

苗字を古野といへり堺町に椛屋何某といへる

ハその子孫なりこの三本松の記借りくれる人

将盈とハ何人なることをしらさりけれはいささ

か記しぬなり

」将盈は兄の子邦好が長じる

(一八六五)の二十八年も前に将盈はこの世を

貢献している

と家督を譲り出家して多国院村の西方寺十二

世の法灯を継ぎ天保八年(一八三七)に六五

歳で亡くなっている

曲阜が「有岡古統語」を編纂した元治二年

去っており「三本松之記」も子孫から借りた

というから親交があったとは思えないが将

盈と曲阜ほほ同時代を生きた伊丹の二人の郷

土史家彼らの遺してくれた著作は今も郷土

伊丹を知る上で大きく

(伊丹市立博物館長)

博物館からのお知らせ

夏季企画展

大阪国際空港開港七

周年記念

|空港と

O

O

とともに一つの箱に収められている

有岡古続

語には西谷午蔵の「有岡むかし語」「有岡

むかし語余禄」古野将盈の「

三本松之記」を

場 期

所 間

歩んだ七

7

月 4

日(土)18月叩日(日)

伊丹市立博物館

11-

年 l

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

そのために伊丹郷町館の

監視案内業務に携わり伊丹

郷町の歴史文化の顕彰に参

画し訪れる市内外の人々に

伊丹の歴史を実感してもらい

伊丹市と「ともに」我がまち

「伊丹ブランド」の全国発信

の一翼を少しでも担ってまい

りたいあわせて文化財愛護

少年団を中心とする後継者の

育成に努力を傾けてまいると

ともに伊丹ロマン事業の取

組の中で各種関係団体との連

携を更に深め過去から受け

ついだ文化遺産を未来永遠に

継承し保護すべく努力する

具体的には

次の事業に重点

を置き推進する

(1) ①文「 講化万座財葉のにを開閑読講すむる」 事

講業座

「第 3

回文学碑をた

平成二十一年度の

事業計画の紹介

5

月ロ日

(金)に予定をし

ていました平成幻年度総会は

皆様もご存じのとおり新塑

インフルエンザの発生により

急逮中止を余儀なくされま

したそ

の後総会の取扱いにつ

いて様々な観点から慎重に

検討しましたが

一堂に会す

る総会の開催は諸般の事情で

中止することとしその代わ

りとして総会出席予定であ

った会員の方々に限定し総

会議案書を送付し各会計決

算報告等をご承認していただ

いた上で事業計画

(案)

各会計予算(案)

をご承認し

ていただきました

ご理解

ご協力をいただきありがとう

ございました

その主な事業計画の内容は

次のとおりです

本年度も文化財の保護

顕彰に努め市民が文化財に対

する知識と理解を深めるため

に啓発活動強化を図り協会

の充実発展に努める

平成二十年度

事業の回顧

万葉講座を開催ldquo

毎年ご好評をいただいて

います「万葉を読む」講座を

加年度も6

月 4

日から 8

月幻

日の期間に伊丹ホ

9月刊日には

「万葉を読

む」現地講座「奈良県明日香

村方面」を実施

講師の大森

亮尚先生を案内人として参加

者判名で藤原宮跡香具山

神社万葉の森

石舞台を通

しての万葉の旅でした

ずねて 1

現地講座 1

文化財講演会の実施

史跡めぐりパスツア

(6月から 9

月現地

講座を含め全 7

②「古代民俗講座」

(9月から叩月全

実施)

③伊丹ロマン事業

(文化財強調月間)

「第 3

回リレ

1

ω林海学 1

回実施)

5

回講座

5 4 3 2 (5) (4) (3) (2) (1) (4) (3) (2) (1) (5) (4) (3) (2)

各文 組 文

l

の実施(日月中旬)

文化財整備に協力

伊丹郷町館の委託業務

(旧岡田家旧石橋家

住宅の監視案内業務)

72 文化立化遺企遺産

城)」

「産の伊の保丹保護城護(顕有顕彰

「清酒発祥の地岡彰」

等にまつわる冊子の編集

文化財案内ボランテイ

アの充実強化

文化財パトロールの実

方面各文化財保存団体との

階大

ル3

1

会議室で全 6

回開催しました

講師は古代民俗研究所代表の

大森亮尚先

生で

「万葉秀歌

と歌人

マに参加者

」をテ l

ω

名で学びました

織 連携

強化

拡充等

の役員の担当制

伊丹市文化財保存協会

ホームベ l

ジの内容充実

機関誌「締海(比号こ

の発行

(6月下旬)

会員の増強

役員研修の実施

種化関財係愛団護体少と年の団連の携育

bull 12 -

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

--E

報誌

のホ 1

「いたみテイ」を当協会

のもと参加者を四グループに

分けて巡った

りリレ

方式で

実施当該

講座を受講することによ

って

更に伊丹の歴史

文化の深さ

を受講者総数日別名もの多くの

市民に知

て頂いた

(1日目)

開催日時 日月幻日

(土 )

4

0

-)

1

「伊丹郷町遺跡出

O O

i

i

UU

0 場

士の人形

小西酒造「長寿蔵

二階ギャラリー

伊丹市文化財スケッチ集

原画展の開催ldquo

古代民俗講座を開催ldquo

旧岡田家住宅酒蔵において

ムペ

1

ジに追加いたし

開催日時日月9日

--ム

-

開催場所見陽池公園内

qd-nv

-qぺU11i)n0

AF1h~

[アドレス]

(日)

ハ AU

協会創立判周年記念事業と

古代民俗講座を9月

日から

M

UV

して会員の渋出純子氏に作成

頂いたスケッチ集の原画を旧

岡出家住宅

土間において

8

2

日から 8

日口日までの問展

一ボ期間中の観覧者数は一

コ一十八人を数えた

日月却日の間に全 5

回開催し

ました

「日本の怨霊再び」をテ

マに講師古代民俗学研究所代

表の大森亮尚先生の講義を受

講生刊名で楽しく学んだ

ホl

ムペ l

ジの追加lsquo

」れまで検討を続けていま

したわがまち伊丹のグラフ情

万円一ヨ

ZH

TUC

Z

-SNE-

参加者数 お名

②「リレ l

講座紙

海学 j

O伊丹の歴史文化の

主たる

をテ i

マとした三つの講座を

大手前大学教授の川口宏海先

生方を講師とし j

第二回

業が繰り広げられ

l

次の

と好評を博した

市内には

年から昭和

「歴史文化が醸し出す

伊丹ロマン事業」の実施

伊丹市伊丹市教育委員会

が提唱し文化財関係同団体

で構成する伊丹ロマン事業実

行委員会を中心として各種事

当協会も

二つの事業を展開し多

くの市民の皆様方の参加のも

①「文学碑を訪ねて

j

現地講座

」j

当協会が昭和町

ω年までの 4

年の

聞に設置した

がある

ω基もの文学碑

その中で見陽池公園

一帯に設置した昆陽池等に因

んだ文学碑日基を判り易い解

説書を配布し事前研修に取

り組んだ当協会理事の説明

3

日間に一日

O O

講師

」川口宏海氏

-13-

l

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

日目

)

O O開催日時

A1i

講師

l

(2日日

)

開催日時日月お日

l

4

0

1

ょハ

U

マ①「伊丹郷町遺跡

大正昭和ロマン1

講師

小西酒造

長寿蔵」

二階ギャラリー

(

日月山日

A斗

ハυ

伊丹郷町ロマン

-

(日)

j

伊丹茂氏

(月)

h

-

υ

「摂津のへそ」

その一

村上敏展氏

小西酒造「長寿蔵」

二階ギャラリー

i

史跡めぐり

パスツアーldquoの実施

平成叩年度の史跡めぐりパ

スツア

日月日日

(金)

に和歌山県根来

高野山を

巡り楽しい一日を過ごしま

した

なお参加者羽名で実

施しました

第六回ひなかざり

伊丹郷町ldquo

平成加年度も

「白雪蔵ま

つり」

「わっ

しょい冬の

元気まつり

「一日だけの

バレンタインカフ

」等々の

イベントと連携を図り開催

期間を 2

7

日から 3

8

までのお日間とし

旧岡田家

住宅において明治から昭和ま

でのひな飾りやカルタすご

ろくの展示

「遺跡が語る伊

丹の酒造り」と

題した写

真パ

ネル展そして酒蔵大画面ビデ

オ放映

「伊丹の暦史

」の上映

南京桃の展示即売会を実施い

たしま

期間中次の出

来事がありました

立派な盆梅の展示

植木どころである東野の若

手グループより盆梅の展示が

ありました

文学碑の拓本と

写真パネルの展示

2

月 9

日に実施された田辺

聖子氏

「伊丹市名誉市民贈呈

式典」会場に協会出展として

ご本人揮官宅による文学碑の拓

本と写真パネルを展

示した

役員研修会を実施ldquo

3

月刊日に役員研修会を参

加者同名で実施しました

今回は岐阜県の関ヶ原と滋

賀県の安土城の視察研修を実

施しました

14

3

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絲海 第34号(H21)

において団員幻名参加のもと

(稲野小6

年)

平成二十年度伊丹市γ

和人

愛護少年団(かるた大会)

文化財愛護少年団入図式一笹の葉に願い事を書き込んだ

夏希(稲野小

年)

3

短冊や色紙で作った色とりど

優勝】「ブラックホ

1ル」

5

月白日旧岡田家住宅酒蔵

りの飾りを結びつけ旧岡田

【準優勝

教育長盾

渡辺

彩花(南小

年)

5

で入図式を行いました

家の玄関に設

行き交う

杉山

健太

(花里小 年)

4

沖野帆乃花(南小 5

年)

団員町名保護者指導者

人々の目を楽しませていた

麿瀬

大城(花里小

年)

4

山本

楓子(南小 6

年)

等別名の計115

名参加のも

初仕立口

穂高 (花里小 年)

4

と入国式が挙行された

第二位

「ガツツカポ1

ズ」

【第三位

疋田

彩花(南小

年)

6

文化財保存協会

会長盾】

大西久美子(南小 6

年)

愛美(花里小 6

年)

山田恵美釆(南小 6

年)

l

大前

綾香(花里小

年)

6

野口奈々美 (花里小6

年)

第三位「ミッキ

1

前田

みゆ

鈴原小2

年)

村上

璃帆(昆陽里小 6

年)

ω文化財愛護かるた

勝部

ザ利子(鈴原小2

年)

小田美都里(見陽里小 6

年)

大会を開催

中里かりん

(鈴原小2

年)

増井佐弥香(見陽里小

年)

6

新春恒例のかるた大会を1

月8

日には図書館 2

階で(出

組問人)1

月刊日にはいた

l

4

みホ

階和室で(団員羽

名指導員他ロ名)

同チ ムロ

人)実施した

Q

市内小学生文化財愛護少

ωサマ

キャンプの実施

年団員を対象とし参加者は l

8

月刊ω日 18

月印日の 泊

合わせて 135

人であった

伊丹市文化財愛護

2

日で団

日指導員他 8

結果は次のとおり

少年団の活動

名の参加のもと

「兵庫県立歴

FζnkHV

図書館大会(かるた大会)

りたなばたまつりの実施

史博物館」

「姫路市自然観

)11

7月 5

日国の重要文化財

察の森」そして

「赤穂海洋

【優勝

市長杯

である旧岡田家住宅

「酒蔵」

科学館」等の見学をした

松本

直之

(稲野小6

l

d

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凶文化財愛護少年団

す叫「業旅行の実施

3

月幻日に愛護少年団の卒

業旅行を

ω字の参加のもと大

阪城大阪歴史博物館を見学

しました

既刊書あんない

伊丹の文化財

二千円

分布地図

五百円

伊丹の伝説

八百円

麦わら音頭

文学碑をたずねて

伊丹の年中行事

伊丹の酒造り道具

文化財を訪ねて

有馬道

巡礼と街道

伊丹の仕ごと唄

伊丹のわらべ唄⑦

新伊丹史話

聞き書き

六百円

一千円

六百円

五百円

五百円

四百円

四百円

六百円

六百円

千円

「伊丹のくらし」千二百円

地域研究いたみ第

ロ号

第お号

第日比号

千二百円

千二百円

一千円

絵はがき「鬼貫賛春ト画巻」百

伊丹の文化財

「スケッチ集

「スケッチ集

発掘された伊丹の町

酒の町伊丹

ー」四百円

E

」四百円

百円

以上の書籍類は当協会事 四

百円

務所(旧岡田家住宅内)

ます

L

収博物館において販売してい

伊丹の文化財

「スケッチ集

ー」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

文学碑をたずねて

一千円

文化財を訪ねて

五百円

以上の書籍類は伊丹市観

光物産協会

(JR伊丹駅コン

コース内)

において販売して

います

伊丹の文化財

「スケッチ集

」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

以上のスケッチ集は

アー

トホ

l

「蔵(くら)」(JR

伊丹駅前アリオ2

号館一階)

において販売しています

伊丹城跡発掘調査報告書

E四百円

五百円

各七百五十円

W-V

有岡城跡発掘調査報告書咽=

一千円

伊丹市埋蔵文化財調査報告書

I

(有岡城跡)

五百円

E

(御願塚古墳)

五百円

有岡城跡伊丹郷町

E

第1

2

分冊

各四千円

緑ケ丘遺跡

五百円

北園遺跡

一千五百円

緑ケ任遺跡第

三次調査報告書

九百円

口酒井遺跡詑お次調査

報告書

二千円

埋蔵文化財保護の手引き

分布地図

五百円

以上の書籍類は伊丹市教

育委員会事務局生涯学習部杜

会教育課において販売してお

ります

会員が開設している

ホームペl

ジldquo

どしどしアクセスしてくだ

さい皆様の求める情報がギ

ツシリありますよ

1

【アドレス】

23万一〉ミ印

ωヨ

ω027一E

ヨア」

ZH万一ミをささコ巴コ

0

ωaω才一一Zヨ一

「一一寸

編 [集

「巳

-言回

紙海M号をお届けします

今回は豊田正義さん益尾

宏之さん小長谷正治さん

中畔明日香さんから原稿を頂

きました

お忙しい中執筆

頂き有難うございました

さて事務局長として長年

当協会の発展にご尽

力して頂

いた古屋敷達夫氏が本年

3

末をもって退職されました

16

本当にお疲れ様でした

古屋敷氏の後任として

年三がその職に就くことにな

りました

全てが初めての体

験となります

」れから協会のため皆様と

ともに頑張っていきたいと考

えておりますので会員の皆様

のより一層のご支援ご協力を

頂きますようよろしくお願い

申し上げます

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

終海第 34 号発行日 平成21年 6 月 25 日

編集伊丹市文化財保存協会

664-0895 伊丹市宮ノ前2丁目 5香28号市立伊丹郷町館(旧岡田家住宅内)電話 FAX 072-772-8830 (直通)ホームページ httpitami-bunkazaijp Eメール o伍ce itami-bunkazaijp

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

Page 9: 第 34 号 - 伊丹市文化財保存協会 · 城、王の不在を察知し を開けさせて、他の砦も攻撃、侍町にも火を放. 璃塚砦の武将を調略。十月十五日の深夜に城門た信長軍は、有岡城惣構えの西側の要である上

文政八年(

一八二五)大坂道修町五丁目で

開業

天保三年(一八三二)医師番

付に登場天保

十一年(一八四 O)西大関に

緒方洪庵は東前

頭四枚目

天保十五年

二月「当時町請医師見立」では

O)

大坂に再移住したこの年から学塾「樹人洞」を

開く『原老柳門譜』に記載されている時代は

天保元年(一八二一

からで一三二人が名を

連ねている

出身地は大坂周辺が圧倒的であり

伊丹出身は上杉順太郎岡高一郎山脇建隆が

含まれている

嘉永二年(

一八四九)大坂除癒館の創設に緒

方洪庵日野葛民大和屋嘉兵衛が中心となっ

て創設された

この除痘館創設に十数名の同士

が賛同しているがその中に原老柳が含まれて

いる

老柳は医者だけでなく酒と文化を求めて来伊

した文人と幅広く交流した

その中で最も知ら

れているのが儒学者漢詩人歴史家の頼山陽

である

頼山陽は文政十二年(

一八二九)十月

二十三日母の梅田町篠崎小竹田能村竹田

高橋草坪らとともに来伊し箕面に紅葉狩りを

した

老柳は黒津翁の和歌の弟子であり篠崎小竹

とも親しくしていたので伊丹の酒「男山」を愛

酒した頼山陽と伊丹をつなげている

頼山陽は文政四年(

一八二二

八月九日山

陽の高弟で小竹の女婿である後藤松陰に次の

ように書いている

伊丹紙屋本家の菊という印の酒を送ってく

れるよう原老柳に頼んで欲しい

これ

は常飲の酒ではない

凡そ口腹のことで人を煩

わすのは慨憾の至りであるが呉々お返事待つ

(新選山陽書簡集)

老柳が古稀記念の祝返しとして配り物をした

記録「原老柳古稀配物」が残されている

(嘉

永五年(一八三二)そこには老柳が開業して

いた伊丹郷からは伊丹三十六人をはじめ西

裏東裏堺丁米屋丁

三本松昆陽口横

手本丁通関連者を一括して百二十六人にな

伊丹以外では西宮池田等を含めて

二百二

十三人に及んでおり伊丹の関係者が半分近く

を占めている

出席者の内訳は

「原老柳古

稀配物」の付属資料に載っている

参考文献等

O

松本順司

j

「原老柳の生涯l

幕末の名医」

伊丹市立博物館市制二一十五年記念第七回特別展

「頼山陽と伊丹

酒の町に招かれた文人たち」

昭和五十年十月

二十四日

柿衛文庫

開館二十五周年記念特別展

「酒都伊丹

につどう 1

詩人俳人商人たち」十

二頁

平成

一一十一年四月十八日

O

前載

「原老柳の生涯幕末の名医」七七頁

同七八頁

前載

「緒方洪庵と大坂の除癒館」一

五頁

五頁

一二三

一て五頁

③原鼎

文化六年(一八 O九)に原老柳の長男として

西宮で生まれる

文政八年(

一八二五)父の老柳が大坂の道修

町で開業して伊丹の診療所をその出張所とし

た後を継ぐ

「四十三歳大坂ニ移住シ伊丹ノ家ヲ出

張所トナシ」「介庵(原老柳長男名は鼎)

伊丹ノ家ヲ続キ業ヲ開ク」

(「原家系略譜」)

原老柳が大坂除措館で活躍しているのを受け

大坂除癒館の「諸国分苗所」の一つとして伊丹

の診療所は位置づけられている

嘉永二年(

一八二九)十

一月にが分苗された

のをはじめ併せて十五人になる

参考文献等

前載

同四四頁

九頁

O

「緒方洪庵と大坂の除癒館

八頁

一四

一除嬉館記念資料室

除措館記念資料室が平成十九年

一六八頁

三月

大阪市中央区今橋コ一丁目緒方ビルクリニックセ

ンター四階に開室した

(洪庵記念会旧緒方

産婦人科病院適塾の後ろで南側に当たる)こ

の記念資料室は先に述べた「大坂の徐宿館」の

顕彰施設として設置された

8~

二十九日

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展示ケ

ンナ

ンナ l l

l

除痘館記念資料室(今橋3丁目緒方ビル4階)

展示室の面積は五十平方メートルで周囲に

スが配置されている

入口左側はジエ

の牛痘種痘法発見に至る関係資料やジエ

像を掲げているが全体の四分の三は緒

続く展示は洪庵の肖像画や洪庵の種痘を讃

それによると江

戸時代には南野村だけでな

える漢詩を掲げる

同じ展示ケ 1

スの下段には

徐痘館に関する主要文書があり種痘勧奨の引

き札や種痘後の心得等があり牛痘苗の分苗免

状も数店ある

丹の出身者及びその関係者は今のところ不明で

く伊丹郷町にも十数人の医者がいて地域のとも

交流していたことを指摘している

その中に原

老柳原鼎も含まれているものと思われる

在村医は庄屋さんとか惣年

寄とかだけでなく

村の寺子屋の師匠村のお坊さんや禅主とか

村の上層部の人たちと

一体の活動をしているこ

とを指摘している

今回は緒方洪庵に関係する人の伊丹の活躍を

概観した

昆陽村野間の具体的な医者につい

ては分からなかった

幕末から明治にかけての

伊丹を含めた川辺郡の医師の活動について

「川

辺郡医師会史」伊丹市史等を参考にした

の詳細については今後の関係資料の研究に待ち

たい

拙文については私なりに昨年来関係

参考文献等

古西義麿「除痘館記念資料室」オープン

「大阪春秋」

一二九号

十七頁「姓

名録」に直接伊

平成二十年

一月

おわりに

緒方洪庵の開いた適塾の

方洪庵らが設立した除痘館関係資料である

入口右側の最初は洪庵が万延元年に

した

「徐痘館記録」や徐痘館に残されていた古

文書を明治末年に翻刻した

「大阪市種痘歴史

などを展示している

書き残

ある

今年平成二十一年の四月

一一十九日から六

月十四日までの伊丹市立博物館の春季テ 1

マ展

「南野旧村シリーズ第五弾

1

領主村医者

むぎわら

音頭 j

の在村医

究書

「虎狼痢治準」

った

「笹山家文

松(現尼崎市 )

この

伊丹市立博物館

横田冬彦さんが

南野笹山

」が開催された

そこで南野村

笹山寿仙の史料の中に緒方洪庵の研

の写しと思われるものがあ

(二IF 1 腕館記意資料室 γ hellip J と 詐子守しJ い 場所ごゴご軒ヨ店S以S 緒方ピjレ(時捌) 4階与三三2記長諒日ζ訟 I 大阪市申央区今橋 3-2-17 5一一 ~--- r)r盟~ Lー」丘一-l l 電話 06-6231-3257

l krr 臨時間極 ぷ 畑石i [ 平日 午前 1 0時~午後4時二二堂どゴー曲目ムル$ ペ 土曜 午前 1 0時~午後 1 時忌型半需弁じ 巳躍祝祭日年末年始は休館つ示手 配一一一一---C J iltQ参観料無料

会宣下2食傷堂筋餓京販電車途』開駅下車 徒歩叶

幕末のコレラの流行に対して緒方洪庵が

集することから始めた

痘館資料室専門委員

に的確なアドバイスをいただいた

資料山崎利恒著

「種痘と徐癌所」

躍を知るのに役立った

館」分苗所調査報告

(I

その初期の段階から除

文学博士の古西義麿さん

独自に研究したものである

南野村の在村医が

緒方洪庵の研究内容に関心のあったことが分か

しは伊丹の見陽村小松来青の地域を越えた活

書」

又前載

)

)

「諸事控」では南野村の在

(2

村医は南野だけでなく野問昆陽村寺本富

大坂の除措館」を常に参考にさせていただいた

不十分ながらも何とかまとめることができたこ

とに御礼申し上げます

にも診察に行っ

た事が分かる

「笹山家文書」については平成十年

三月

「地域研究いたみ

「江戸時代の在村

」第二七号で

医|伊丹市

参考文献等

前栽

「地域研究

いたみ」第二七号六九七十頁

家の資料から

を研究発表されてい

1

(伊丹市文化財保存協会

資料を収

特に貴重な

(稿本)の写

「大坂の除癌

「緒方洪庵と

会員 )

- 9-Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

pエ

yen f麦玄土期及の

盈オ郎と土

君塁本家小

長谷

正治

手許に「糸海史談』の復刊第一号があるこ

れは昭和三十五年に伊丹史談会によって編集

刊行されたものだ

伊丹史談会は昭和

一一十五

年四月に小林杖吉(丹城)を会長尾上日経を

理事として発足以来郷土伊丹の歴史の顕彰を

目的とし講演会史跡めぐり伊丹史料展等

を開催してきたその発足十周年を記念して刊

行されたものが糸海史談である

当初会を主宰

した杖吉は伊丹町の宮前通りに私立伊丹図

館を設立したことでも有名で明治四十五年六

月私蔵図書五千冊をもって開館している

治末年阪神間では神戸市立図書館とこの伊丹

図書館のみであったというからその存在は遠

くまで知られていた

大正三年には巡回文庫を

始め蔵書も四万冊におよんだが経営的に振

るわなくなり昭和十一年から休館が続き同

十八年には廃止されたというしかし杖吉は

休館を決めた昭和十一年からタブロイド版

「郷土研究伊丹公論』の刊行を始めている

の第

一号

二月二十日刊)冒頭の

「創刊之辞」

の一部を引用すると「郷土研究の必要を痛感

して己まず三十有余年来史料の蒐集に務めた

る予は更に進んで我が郷

土の懐かしき昔の姿

我が郷土の正しき歴史乃至我が郷土に於ける慕

はしき先賢の事蹟を調査し之を研究して見た

いと思ひ乃ち同志と相謀りてここに本紙を刊

行することにした」とその強い決意のほどを

述べている

第三号からは「郷土研究伊丹』と

名称を改め同十

一年は毎月(十

一十一一月は

不明)翌十二年から十五年は年

二1

二一回発刊

している

さて

『郷土研究伊丹』の刊行を続けていた

同十三年杖吉は

『伊丹古野家系譜略』

(博物

館所蔵)という古野家の系図を作成している

古野家からは江戸後期の郷土史家古野将盈が

出ている

将盈は古い記録をもとに伊丹郷町

の歴史を編纂した

『有岡庄年代秘記」や伊丹郷

町の名所地図

『摂州伊丹独案内図』などを遺し

ており系図作成の動機としては郷土史家と

しての「先賢の事蹟」を顕彰しようとする杖吉

の強い思いがあったからと思う

系図の後書き

によると作成にあたり正覚

寺過去帳同回向

録のほか親族の小結家小林家の過去帳および

位牌まで参照したと記されており杖吉の並々

ならぬ熱意と執念を感じさせる

この系図によ

れば安倉村の喜兵衛の二男源兵衛が伊丹堺町

に分家したことに始まり屋号は椛

当主は

代々椛屋源兵衛を襲名している

将盈は三代源

兵衛の五男として明和九年(一七七二)二月

十三日に生まれたが母常が同日死亡したため

鴻池村の吉兵衛のもとで養育されることになっ

たところが椛犀の家督を継いだ長兄の四代

源兵衛が二才の子(邦好)を遺して亡くなった

ため将盈が五代目源兵衛を継ぐことになった

系図には「将盈博識多才最精於郷土史

而著有岡年代秘記有岡奮考酒造奮新録有

岡絵図同付録等」と彼の著作が詳しく紹介さ

れている

このうち最も代表的な著作は前述し

た『有岡庄年代秘記」(京都大学文学部蔵所蔵)

で伊丹郷町所在の寺院の開基年を記した「丹

丘寺院開基年考」南北朝時代の貞治年聞から

江戸前期の万治年間までの伊丹の出来

事を記し

た「伊丹往古年記」それに続いて寛文年聞か

ら江戸後期の文政

一一年までの伊丹郷町史を詳細

に記した「有岡年代秘記」のコ一篇が所収されて

いる

このうち有岡年代秘記には伊丹郷町で

おこった様々な出来事が年表形式で簡潔に記さ

れ現在でも江戸時代の伊丹郷町研究には欠か

せない一書となっている

「伊丹古野家系略譜」小林杖吉作成

10 -Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

将盈は多くの重要な著作を遺しながら生没

年を含め来歴も長らく不詳であったが杖古

による将盈顕彰の努力によって明らかになった

のである岡田利兵衛も「伊丹市史

」の中で

「彼は尚古のたしなみふかく

「有岡庄年代秘

記』以下多数を編著し伊丹懐古に貢献した」

と郷土史家としての将盈を高く評価している

将盈と同時代を生きた人に梶曲阜がいた曲

阜は将盈より

一一十六年後の寛政十一年(一七

九九)に伊丹で生まれた

梶家系図録(文化

財保存協会所蔵博物館寄託)によると梶家

はもと小畑六兵衛といって東桑津に住していた

が後に津田氏を名のり曲阜の曽祖父の代から

伊丹伊勢町に移り住んだ

祖父金兵衛の代に姓

を梶と改めたという

屋号は大和田屋で曲阜

も大和田屋金兵衛と称した曲阜は照顔斎と号

しているがこれは彼が敬慕する俳人鬼貫を赤

い顔と解して自らを「てる顔」と称したという

家業のかたわら俳句にも通じ安政

三一年には

二条殿から俳諸宗匠として官服御免許の待遇を

うけている

曲車は伊丹の俳人としての大先輩

である鬼貫を顕彰するため鬼貫の遺墨をもと

に伊丹や近郊に七基の句碑を建てたが俳諸に

とどまらず伊丹の歴史にも強い関心を示して

いる彼の編著による

『有岡古続語」(博物館

所蔵)は乾坤二冊の折本で『伊丹荒木軍記」

公圭画香披賛「照顔斎曲車肖像」

転載したほか曲阜自らの見聞による著作を収

載している

その内容は地名の由来野宮

伊丹城俳譜鬼貫のことから当時流行して

いた能狂言角力酒呑のことまで実に多岐に

わたっている

また

「伊丹酒家盛衰の事」は

幕末の伊丹の酒造業の状況を伝える史料として

価値が高く正に江戸時代の伊丹郷町史といえ

るものである

曲阜は将盈について

『有岡古続語

』のなか

で次のように述べている

「此将盈といへるハ

往年大庄屋勤められし椛屋源兵衛といへる人な

り曽て在岡旧考といへる

一巻の著述あり

よく此里のふるき事跡を探索して記し置けり

苗字を古野といへり堺町に椛屋何某といへる

ハその子孫なりこの三本松の記借りくれる人

将盈とハ何人なることをしらさりけれはいささ

か記しぬなり

」将盈は兄の子邦好が長じる

(一八六五)の二十八年も前に将盈はこの世を

貢献している

と家督を譲り出家して多国院村の西方寺十二

世の法灯を継ぎ天保八年(一八三七)に六五

歳で亡くなっている

曲阜が「有岡古統語」を編纂した元治二年

去っており「三本松之記」も子孫から借りた

というから親交があったとは思えないが将

盈と曲阜ほほ同時代を生きた伊丹の二人の郷

土史家彼らの遺してくれた著作は今も郷土

伊丹を知る上で大きく

(伊丹市立博物館長)

博物館からのお知らせ

夏季企画展

大阪国際空港開港七

周年記念

|空港と

O

O

とともに一つの箱に収められている

有岡古続

語には西谷午蔵の「有岡むかし語」「有岡

むかし語余禄」古野将盈の「

三本松之記」を

場 期

所 間

歩んだ七

7

月 4

日(土)18月叩日(日)

伊丹市立博物館

11-

年 l

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

そのために伊丹郷町館の

監視案内業務に携わり伊丹

郷町の歴史文化の顕彰に参

画し訪れる市内外の人々に

伊丹の歴史を実感してもらい

伊丹市と「ともに」我がまち

「伊丹ブランド」の全国発信

の一翼を少しでも担ってまい

りたいあわせて文化財愛護

少年団を中心とする後継者の

育成に努力を傾けてまいると

ともに伊丹ロマン事業の取

組の中で各種関係団体との連

携を更に深め過去から受け

ついだ文化遺産を未来永遠に

継承し保護すべく努力する

具体的には

次の事業に重点

を置き推進する

(1) ①文「 講化万座財葉のにを開閑読講すむる」 事

講業座

「第 3

回文学碑をた

平成二十一年度の

事業計画の紹介

5

月ロ日

(金)に予定をし

ていました平成幻年度総会は

皆様もご存じのとおり新塑

インフルエンザの発生により

急逮中止を余儀なくされま

したそ

の後総会の取扱いにつ

いて様々な観点から慎重に

検討しましたが

一堂に会す

る総会の開催は諸般の事情で

中止することとしその代わ

りとして総会出席予定であ

った会員の方々に限定し総

会議案書を送付し各会計決

算報告等をご承認していただ

いた上で事業計画

(案)

各会計予算(案)

をご承認し

ていただきました

ご理解

ご協力をいただきありがとう

ございました

その主な事業計画の内容は

次のとおりです

本年度も文化財の保護

顕彰に努め市民が文化財に対

する知識と理解を深めるため

に啓発活動強化を図り協会

の充実発展に努める

平成二十年度

事業の回顧

万葉講座を開催ldquo

毎年ご好評をいただいて

います「万葉を読む」講座を

加年度も6

月 4

日から 8

月幻

日の期間に伊丹ホ

9月刊日には

「万葉を読

む」現地講座「奈良県明日香

村方面」を実施

講師の大森

亮尚先生を案内人として参加

者判名で藤原宮跡香具山

神社万葉の森

石舞台を通

しての万葉の旅でした

ずねて 1

現地講座 1

文化財講演会の実施

史跡めぐりパスツア

(6月から 9

月現地

講座を含め全 7

②「古代民俗講座」

(9月から叩月全

実施)

③伊丹ロマン事業

(文化財強調月間)

「第 3

回リレ

1

ω林海学 1

回実施)

5

回講座

5 4 3 2 (5) (4) (3) (2) (1) (4) (3) (2) (1) (5) (4) (3) (2)

各文 組 文

l

の実施(日月中旬)

文化財整備に協力

伊丹郷町館の委託業務

(旧岡田家旧石橋家

住宅の監視案内業務)

72 文化立化遺企遺産

城)」

「産の伊の保丹保護城護(顕有顕彰

「清酒発祥の地岡彰」

等にまつわる冊子の編集

文化財案内ボランテイ

アの充実強化

文化財パトロールの実

方面各文化財保存団体との

階大

ル3

1

会議室で全 6

回開催しました

講師は古代民俗研究所代表の

大森亮尚先

生で

「万葉秀歌

と歌人

マに参加者

」をテ l

ω

名で学びました

織 連携

強化

拡充等

の役員の担当制

伊丹市文化財保存協会

ホームベ l

ジの内容充実

機関誌「締海(比号こ

の発行

(6月下旬)

会員の増強

役員研修の実施

種化関財係愛団護体少と年の団連の携育

bull 12 -

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

--E

報誌

のホ 1

「いたみテイ」を当協会

のもと参加者を四グループに

分けて巡った

りリレ

方式で

実施当該

講座を受講することによ

って

更に伊丹の歴史

文化の深さ

を受講者総数日別名もの多くの

市民に知

て頂いた

(1日目)

開催日時 日月幻日

(土 )

4

0

-)

1

「伊丹郷町遺跡出

O O

i

i

UU

0 場

士の人形

小西酒造「長寿蔵

二階ギャラリー

伊丹市文化財スケッチ集

原画展の開催ldquo

古代民俗講座を開催ldquo

旧岡田家住宅酒蔵において

ムペ

1

ジに追加いたし

開催日時日月9日

--ム

-

開催場所見陽池公園内

qd-nv

-qぺU11i)n0

AF1h~

[アドレス]

(日)

ハ AU

協会創立判周年記念事業と

古代民俗講座を9月

日から

M

UV

して会員の渋出純子氏に作成

頂いたスケッチ集の原画を旧

岡出家住宅

土間において

8

2

日から 8

日口日までの問展

一ボ期間中の観覧者数は一

コ一十八人を数えた

日月却日の間に全 5

回開催し

ました

「日本の怨霊再び」をテ

マに講師古代民俗学研究所代

表の大森亮尚先生の講義を受

講生刊名で楽しく学んだ

ホl

ムペ l

ジの追加lsquo

」れまで検討を続けていま

したわがまち伊丹のグラフ情

万円一ヨ

ZH

TUC

Z

-SNE-

参加者数 お名

②「リレ l

講座紙

海学 j

O伊丹の歴史文化の

主たる

をテ i

マとした三つの講座を

大手前大学教授の川口宏海先

生方を講師とし j

第二回

業が繰り広げられ

l

次の

と好評を博した

市内には

年から昭和

「歴史文化が醸し出す

伊丹ロマン事業」の実施

伊丹市伊丹市教育委員会

が提唱し文化財関係同団体

で構成する伊丹ロマン事業実

行委員会を中心として各種事

当協会も

二つの事業を展開し多

くの市民の皆様方の参加のも

①「文学碑を訪ねて

j

現地講座

」j

当協会が昭和町

ω年までの 4

年の

聞に設置した

がある

ω基もの文学碑

その中で見陽池公園

一帯に設置した昆陽池等に因

んだ文学碑日基を判り易い解

説書を配布し事前研修に取

り組んだ当協会理事の説明

3

日間に一日

O O

講師

」川口宏海氏

-13-

l

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絲海 第34号(H21)

日目

)

O O開催日時

A1i

講師

l

(2日日

)

開催日時日月お日

l

4

0

1

ょハ

U

マ①「伊丹郷町遺跡

大正昭和ロマン1

講師

小西酒造

長寿蔵」

二階ギャラリー

(

日月山日

A斗

ハυ

伊丹郷町ロマン

-

(日)

j

伊丹茂氏

(月)

h

-

υ

「摂津のへそ」

その一

村上敏展氏

小西酒造「長寿蔵」

二階ギャラリー

i

史跡めぐり

パスツアーldquoの実施

平成叩年度の史跡めぐりパ

スツア

日月日日

(金)

に和歌山県根来

高野山を

巡り楽しい一日を過ごしま

した

なお参加者羽名で実

施しました

第六回ひなかざり

伊丹郷町ldquo

平成加年度も

「白雪蔵ま

つり」

「わっ

しょい冬の

元気まつり

「一日だけの

バレンタインカフ

」等々の

イベントと連携を図り開催

期間を 2

7

日から 3

8

までのお日間とし

旧岡田家

住宅において明治から昭和ま

でのひな飾りやカルタすご

ろくの展示

「遺跡が語る伊

丹の酒造り」と

題した写

真パ

ネル展そして酒蔵大画面ビデ

オ放映

「伊丹の暦史

」の上映

南京桃の展示即売会を実施い

たしま

期間中次の出

来事がありました

立派な盆梅の展示

植木どころである東野の若

手グループより盆梅の展示が

ありました

文学碑の拓本と

写真パネルの展示

2

月 9

日に実施された田辺

聖子氏

「伊丹市名誉市民贈呈

式典」会場に協会出展として

ご本人揮官宅による文学碑の拓

本と写真パネルを展

示した

役員研修会を実施ldquo

3

月刊日に役員研修会を参

加者同名で実施しました

今回は岐阜県の関ヶ原と滋

賀県の安土城の視察研修を実

施しました

14

3

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において団員幻名参加のもと

(稲野小6

年)

平成二十年度伊丹市γ

和人

愛護少年団(かるた大会)

文化財愛護少年団入図式一笹の葉に願い事を書き込んだ

夏希(稲野小

年)

3

短冊や色紙で作った色とりど

優勝】「ブラックホ

1ル」

5

月白日旧岡田家住宅酒蔵

りの飾りを結びつけ旧岡田

【準優勝

教育長盾

渡辺

彩花(南小

年)

5

で入図式を行いました

家の玄関に設

行き交う

杉山

健太

(花里小 年)

4

沖野帆乃花(南小 5

年)

団員町名保護者指導者

人々の目を楽しませていた

麿瀬

大城(花里小

年)

4

山本

楓子(南小 6

年)

等別名の計115

名参加のも

初仕立口

穂高 (花里小 年)

4

と入国式が挙行された

第二位

「ガツツカポ1

ズ」

【第三位

疋田

彩花(南小

年)

6

文化財保存協会

会長盾】

大西久美子(南小 6

年)

愛美(花里小 6

年)

山田恵美釆(南小 6

年)

l

大前

綾香(花里小

年)

6

野口奈々美 (花里小6

年)

第三位「ミッキ

1

前田

みゆ

鈴原小2

年)

村上

璃帆(昆陽里小 6

年)

ω文化財愛護かるた

勝部

ザ利子(鈴原小2

年)

小田美都里(見陽里小 6

年)

大会を開催

中里かりん

(鈴原小2

年)

増井佐弥香(見陽里小

年)

6

新春恒例のかるた大会を1

月8

日には図書館 2

階で(出

組問人)1

月刊日にはいた

l

4

みホ

階和室で(団員羽

名指導員他ロ名)

同チ ムロ

人)実施した

Q

市内小学生文化財愛護少

ωサマ

キャンプの実施

年団員を対象とし参加者は l

8

月刊ω日 18

月印日の 泊

合わせて 135

人であった

伊丹市文化財愛護

2

日で団

日指導員他 8

結果は次のとおり

少年団の活動

名の参加のもと

「兵庫県立歴

FζnkHV

図書館大会(かるた大会)

りたなばたまつりの実施

史博物館」

「姫路市自然観

)11

7月 5

日国の重要文化財

察の森」そして

「赤穂海洋

【優勝

市長杯

である旧岡田家住宅

「酒蔵」

科学館」等の見学をした

松本

直之

(稲野小6

l

d

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凶文化財愛護少年団

す叫「業旅行の実施

3

月幻日に愛護少年団の卒

業旅行を

ω字の参加のもと大

阪城大阪歴史博物館を見学

しました

既刊書あんない

伊丹の文化財

二千円

分布地図

五百円

伊丹の伝説

八百円

麦わら音頭

文学碑をたずねて

伊丹の年中行事

伊丹の酒造り道具

文化財を訪ねて

有馬道

巡礼と街道

伊丹の仕ごと唄

伊丹のわらべ唄⑦

新伊丹史話

聞き書き

六百円

一千円

六百円

五百円

五百円

四百円

四百円

六百円

六百円

千円

「伊丹のくらし」千二百円

地域研究いたみ第

ロ号

第お号

第日比号

千二百円

千二百円

一千円

絵はがき「鬼貫賛春ト画巻」百

伊丹の文化財

「スケッチ集

「スケッチ集

発掘された伊丹の町

酒の町伊丹

ー」四百円

E

」四百円

百円

以上の書籍類は当協会事 四

百円

務所(旧岡田家住宅内)

ます

L

収博物館において販売してい

伊丹の文化財

「スケッチ集

ー」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

文学碑をたずねて

一千円

文化財を訪ねて

五百円

以上の書籍類は伊丹市観

光物産協会

(JR伊丹駅コン

コース内)

において販売して

います

伊丹の文化財

「スケッチ集

」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

以上のスケッチ集は

アー

トホ

l

「蔵(くら)」(JR

伊丹駅前アリオ2

号館一階)

において販売しています

伊丹城跡発掘調査報告書

E四百円

五百円

各七百五十円

W-V

有岡城跡発掘調査報告書咽=

一千円

伊丹市埋蔵文化財調査報告書

I

(有岡城跡)

五百円

E

(御願塚古墳)

五百円

有岡城跡伊丹郷町

E

第1

2

分冊

各四千円

緑ケ丘遺跡

五百円

北園遺跡

一千五百円

緑ケ任遺跡第

三次調査報告書

九百円

口酒井遺跡詑お次調査

報告書

二千円

埋蔵文化財保護の手引き

分布地図

五百円

以上の書籍類は伊丹市教

育委員会事務局生涯学習部杜

会教育課において販売してお

ります

会員が開設している

ホームペl

ジldquo

どしどしアクセスしてくだ

さい皆様の求める情報がギ

ツシリありますよ

1

【アドレス】

23万一〉ミ印

ωヨ

ω027一E

ヨア」

ZH万一ミをささコ巴コ

0

ωaω才一一Zヨ一

「一一寸

編 [集

「巳

-言回

紙海M号をお届けします

今回は豊田正義さん益尾

宏之さん小長谷正治さん

中畔明日香さんから原稿を頂

きました

お忙しい中執筆

頂き有難うございました

さて事務局長として長年

当協会の発展にご尽

力して頂

いた古屋敷達夫氏が本年

3

末をもって退職されました

16

本当にお疲れ様でした

古屋敷氏の後任として

年三がその職に就くことにな

りました

全てが初めての体

験となります

」れから協会のため皆様と

ともに頑張っていきたいと考

えておりますので会員の皆様

のより一層のご支援ご協力を

頂きますようよろしくお願い

申し上げます

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

終海第 34 号発行日 平成21年 6 月 25 日

編集伊丹市文化財保存協会

664-0895 伊丹市宮ノ前2丁目 5香28号市立伊丹郷町館(旧岡田家住宅内)電話 FAX 072-772-8830 (直通)ホームページ httpitami-bunkazaijp Eメール o伍ce itami-bunkazaijp

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

Page 10: 第 34 号 - 伊丹市文化財保存協会 · 城、王の不在を察知し を開けさせて、他の砦も攻撃、侍町にも火を放. 璃塚砦の武将を調略。十月十五日の深夜に城門た信長軍は、有岡城惣構えの西側の要である上

展示ケ

ンナ

ンナ l l

l

除痘館記念資料室(今橋3丁目緒方ビル4階)

展示室の面積は五十平方メートルで周囲に

スが配置されている

入口左側はジエ

の牛痘種痘法発見に至る関係資料やジエ

像を掲げているが全体の四分の三は緒

続く展示は洪庵の肖像画や洪庵の種痘を讃

それによると江

戸時代には南野村だけでな

える漢詩を掲げる

同じ展示ケ 1

スの下段には

徐痘館に関する主要文書があり種痘勧奨の引

き札や種痘後の心得等があり牛痘苗の分苗免

状も数店ある

丹の出身者及びその関係者は今のところ不明で

く伊丹郷町にも十数人の医者がいて地域のとも

交流していたことを指摘している

その中に原

老柳原鼎も含まれているものと思われる

在村医は庄屋さんとか惣年

寄とかだけでなく

村の寺子屋の師匠村のお坊さんや禅主とか

村の上層部の人たちと

一体の活動をしているこ

とを指摘している

今回は緒方洪庵に関係する人の伊丹の活躍を

概観した

昆陽村野間の具体的な医者につい

ては分からなかった

幕末から明治にかけての

伊丹を含めた川辺郡の医師の活動について

「川

辺郡医師会史」伊丹市史等を参考にした

の詳細については今後の関係資料の研究に待ち

たい

拙文については私なりに昨年来関係

参考文献等

古西義麿「除痘館記念資料室」オープン

「大阪春秋」

一二九号

十七頁「姓

名録」に直接伊

平成二十年

一月

おわりに

緒方洪庵の開いた適塾の

方洪庵らが設立した除痘館関係資料である

入口右側の最初は洪庵が万延元年に

した

「徐痘館記録」や徐痘館に残されていた古

文書を明治末年に翻刻した

「大阪市種痘歴史

などを展示している

書き残

ある

今年平成二十一年の四月

一一十九日から六

月十四日までの伊丹市立博物館の春季テ 1

マ展

「南野旧村シリーズ第五弾

1

領主村医者

むぎわら

音頭 j

の在村医

究書

「虎狼痢治準」

った

「笹山家文

松(現尼崎市 )

この

伊丹市立博物館

横田冬彦さんが

南野笹山

」が開催された

そこで南野村

笹山寿仙の史料の中に緒方洪庵の研

の写しと思われるものがあ

(二IF 1 腕館記意資料室 γ hellip J と 詐子守しJ い 場所ごゴご軒ヨ店S以S 緒方ピjレ(時捌) 4階与三三2記長諒日ζ訟 I 大阪市申央区今橋 3-2-17 5一一 ~--- r)r盟~ Lー」丘一-l l 電話 06-6231-3257

l krr 臨時間極 ぷ 畑石i [ 平日 午前 1 0時~午後4時二二堂どゴー曲目ムル$ ペ 土曜 午前 1 0時~午後 1 時忌型半需弁じ 巳躍祝祭日年末年始は休館つ示手 配一一一一---C J iltQ参観料無料

会宣下2食傷堂筋餓京販電車途』開駅下車 徒歩叶

幕末のコレラの流行に対して緒方洪庵が

集することから始めた

痘館資料室専門委員

に的確なアドバイスをいただいた

資料山崎利恒著

「種痘と徐癌所」

躍を知るのに役立った

館」分苗所調査報告

(I

その初期の段階から除

文学博士の古西義麿さん

独自に研究したものである

南野村の在村医が

緒方洪庵の研究内容に関心のあったことが分か

しは伊丹の見陽村小松来青の地域を越えた活

書」

又前載

)

)

「諸事控」では南野村の在

(2

村医は南野だけでなく野問昆陽村寺本富

大坂の除措館」を常に参考にさせていただいた

不十分ながらも何とかまとめることができたこ

とに御礼申し上げます

にも診察に行っ

た事が分かる

「笹山家文書」については平成十年

三月

「地域研究いたみ

「江戸時代の在村

」第二七号で

医|伊丹市

参考文献等

前栽

「地域研究

いたみ」第二七号六九七十頁

家の資料から

を研究発表されてい

1

(伊丹市文化財保存協会

資料を収

特に貴重な

(稿本)の写

「大坂の除癌

「緒方洪庵と

会員 )

- 9-Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

pエ

yen f麦玄土期及の

盈オ郎と土

君塁本家小

長谷

正治

手許に「糸海史談』の復刊第一号があるこ

れは昭和三十五年に伊丹史談会によって編集

刊行されたものだ

伊丹史談会は昭和

一一十五

年四月に小林杖吉(丹城)を会長尾上日経を

理事として発足以来郷土伊丹の歴史の顕彰を

目的とし講演会史跡めぐり伊丹史料展等

を開催してきたその発足十周年を記念して刊

行されたものが糸海史談である

当初会を主宰

した杖吉は伊丹町の宮前通りに私立伊丹図

館を設立したことでも有名で明治四十五年六

月私蔵図書五千冊をもって開館している

治末年阪神間では神戸市立図書館とこの伊丹

図書館のみであったというからその存在は遠

くまで知られていた

大正三年には巡回文庫を

始め蔵書も四万冊におよんだが経営的に振

るわなくなり昭和十一年から休館が続き同

十八年には廃止されたというしかし杖吉は

休館を決めた昭和十一年からタブロイド版

「郷土研究伊丹公論』の刊行を始めている

の第

一号

二月二十日刊)冒頭の

「創刊之辞」

の一部を引用すると「郷土研究の必要を痛感

して己まず三十有余年来史料の蒐集に務めた

る予は更に進んで我が郷

土の懐かしき昔の姿

我が郷土の正しき歴史乃至我が郷土に於ける慕

はしき先賢の事蹟を調査し之を研究して見た

いと思ひ乃ち同志と相謀りてここに本紙を刊

行することにした」とその強い決意のほどを

述べている

第三号からは「郷土研究伊丹』と

名称を改め同十

一年は毎月(十

一十一一月は

不明)翌十二年から十五年は年

二1

二一回発刊

している

さて

『郷土研究伊丹』の刊行を続けていた

同十三年杖吉は

『伊丹古野家系譜略』

(博物

館所蔵)という古野家の系図を作成している

古野家からは江戸後期の郷土史家古野将盈が

出ている

将盈は古い記録をもとに伊丹郷町

の歴史を編纂した

『有岡庄年代秘記」や伊丹郷

町の名所地図

『摂州伊丹独案内図』などを遺し

ており系図作成の動機としては郷土史家と

しての「先賢の事蹟」を顕彰しようとする杖吉

の強い思いがあったからと思う

系図の後書き

によると作成にあたり正覚

寺過去帳同回向

録のほか親族の小結家小林家の過去帳および

位牌まで参照したと記されており杖吉の並々

ならぬ熱意と執念を感じさせる

この系図によ

れば安倉村の喜兵衛の二男源兵衛が伊丹堺町

に分家したことに始まり屋号は椛

当主は

代々椛屋源兵衛を襲名している

将盈は三代源

兵衛の五男として明和九年(一七七二)二月

十三日に生まれたが母常が同日死亡したため

鴻池村の吉兵衛のもとで養育されることになっ

たところが椛犀の家督を継いだ長兄の四代

源兵衛が二才の子(邦好)を遺して亡くなった

ため将盈が五代目源兵衛を継ぐことになった

系図には「将盈博識多才最精於郷土史

而著有岡年代秘記有岡奮考酒造奮新録有

岡絵図同付録等」と彼の著作が詳しく紹介さ

れている

このうち最も代表的な著作は前述し

た『有岡庄年代秘記」(京都大学文学部蔵所蔵)

で伊丹郷町所在の寺院の開基年を記した「丹

丘寺院開基年考」南北朝時代の貞治年聞から

江戸前期の万治年間までの伊丹の出来

事を記し

た「伊丹往古年記」それに続いて寛文年聞か

ら江戸後期の文政

一一年までの伊丹郷町史を詳細

に記した「有岡年代秘記」のコ一篇が所収されて

いる

このうち有岡年代秘記には伊丹郷町で

おこった様々な出来事が年表形式で簡潔に記さ

れ現在でも江戸時代の伊丹郷町研究には欠か

せない一書となっている

「伊丹古野家系略譜」小林杖吉作成

10 -Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

将盈は多くの重要な著作を遺しながら生没

年を含め来歴も長らく不詳であったが杖古

による将盈顕彰の努力によって明らかになった

のである岡田利兵衛も「伊丹市史

」の中で

「彼は尚古のたしなみふかく

「有岡庄年代秘

記』以下多数を編著し伊丹懐古に貢献した」

と郷土史家としての将盈を高く評価している

将盈と同時代を生きた人に梶曲阜がいた曲

阜は将盈より

一一十六年後の寛政十一年(一七

九九)に伊丹で生まれた

梶家系図録(文化

財保存協会所蔵博物館寄託)によると梶家

はもと小畑六兵衛といって東桑津に住していた

が後に津田氏を名のり曲阜の曽祖父の代から

伊丹伊勢町に移り住んだ

祖父金兵衛の代に姓

を梶と改めたという

屋号は大和田屋で曲阜

も大和田屋金兵衛と称した曲阜は照顔斎と号

しているがこれは彼が敬慕する俳人鬼貫を赤

い顔と解して自らを「てる顔」と称したという

家業のかたわら俳句にも通じ安政

三一年には

二条殿から俳諸宗匠として官服御免許の待遇を

うけている

曲車は伊丹の俳人としての大先輩

である鬼貫を顕彰するため鬼貫の遺墨をもと

に伊丹や近郊に七基の句碑を建てたが俳諸に

とどまらず伊丹の歴史にも強い関心を示して

いる彼の編著による

『有岡古続語」(博物館

所蔵)は乾坤二冊の折本で『伊丹荒木軍記」

公圭画香披賛「照顔斎曲車肖像」

転載したほか曲阜自らの見聞による著作を収

載している

その内容は地名の由来野宮

伊丹城俳譜鬼貫のことから当時流行して

いた能狂言角力酒呑のことまで実に多岐に

わたっている

また

「伊丹酒家盛衰の事」は

幕末の伊丹の酒造業の状況を伝える史料として

価値が高く正に江戸時代の伊丹郷町史といえ

るものである

曲阜は将盈について

『有岡古続語

』のなか

で次のように述べている

「此将盈といへるハ

往年大庄屋勤められし椛屋源兵衛といへる人な

り曽て在岡旧考といへる

一巻の著述あり

よく此里のふるき事跡を探索して記し置けり

苗字を古野といへり堺町に椛屋何某といへる

ハその子孫なりこの三本松の記借りくれる人

将盈とハ何人なることをしらさりけれはいささ

か記しぬなり

」将盈は兄の子邦好が長じる

(一八六五)の二十八年も前に将盈はこの世を

貢献している

と家督を譲り出家して多国院村の西方寺十二

世の法灯を継ぎ天保八年(一八三七)に六五

歳で亡くなっている

曲阜が「有岡古統語」を編纂した元治二年

去っており「三本松之記」も子孫から借りた

というから親交があったとは思えないが将

盈と曲阜ほほ同時代を生きた伊丹の二人の郷

土史家彼らの遺してくれた著作は今も郷土

伊丹を知る上で大きく

(伊丹市立博物館長)

博物館からのお知らせ

夏季企画展

大阪国際空港開港七

周年記念

|空港と

O

O

とともに一つの箱に収められている

有岡古続

語には西谷午蔵の「有岡むかし語」「有岡

むかし語余禄」古野将盈の「

三本松之記」を

場 期

所 間

歩んだ七

7

月 4

日(土)18月叩日(日)

伊丹市立博物館

11-

年 l

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

そのために伊丹郷町館の

監視案内業務に携わり伊丹

郷町の歴史文化の顕彰に参

画し訪れる市内外の人々に

伊丹の歴史を実感してもらい

伊丹市と「ともに」我がまち

「伊丹ブランド」の全国発信

の一翼を少しでも担ってまい

りたいあわせて文化財愛護

少年団を中心とする後継者の

育成に努力を傾けてまいると

ともに伊丹ロマン事業の取

組の中で各種関係団体との連

携を更に深め過去から受け

ついだ文化遺産を未来永遠に

継承し保護すべく努力する

具体的には

次の事業に重点

を置き推進する

(1) ①文「 講化万座財葉のにを開閑読講すむる」 事

講業座

「第 3

回文学碑をた

平成二十一年度の

事業計画の紹介

5

月ロ日

(金)に予定をし

ていました平成幻年度総会は

皆様もご存じのとおり新塑

インフルエンザの発生により

急逮中止を余儀なくされま

したそ

の後総会の取扱いにつ

いて様々な観点から慎重に

検討しましたが

一堂に会す

る総会の開催は諸般の事情で

中止することとしその代わ

りとして総会出席予定であ

った会員の方々に限定し総

会議案書を送付し各会計決

算報告等をご承認していただ

いた上で事業計画

(案)

各会計予算(案)

をご承認し

ていただきました

ご理解

ご協力をいただきありがとう

ございました

その主な事業計画の内容は

次のとおりです

本年度も文化財の保護

顕彰に努め市民が文化財に対

する知識と理解を深めるため

に啓発活動強化を図り協会

の充実発展に努める

平成二十年度

事業の回顧

万葉講座を開催ldquo

毎年ご好評をいただいて

います「万葉を読む」講座を

加年度も6

月 4

日から 8

月幻

日の期間に伊丹ホ

9月刊日には

「万葉を読

む」現地講座「奈良県明日香

村方面」を実施

講師の大森

亮尚先生を案内人として参加

者判名で藤原宮跡香具山

神社万葉の森

石舞台を通

しての万葉の旅でした

ずねて 1

現地講座 1

文化財講演会の実施

史跡めぐりパスツア

(6月から 9

月現地

講座を含め全 7

②「古代民俗講座」

(9月から叩月全

実施)

③伊丹ロマン事業

(文化財強調月間)

「第 3

回リレ

1

ω林海学 1

回実施)

5

回講座

5 4 3 2 (5) (4) (3) (2) (1) (4) (3) (2) (1) (5) (4) (3) (2)

各文 組 文

l

の実施(日月中旬)

文化財整備に協力

伊丹郷町館の委託業務

(旧岡田家旧石橋家

住宅の監視案内業務)

72 文化立化遺企遺産

城)」

「産の伊の保丹保護城護(顕有顕彰

「清酒発祥の地岡彰」

等にまつわる冊子の編集

文化財案内ボランテイ

アの充実強化

文化財パトロールの実

方面各文化財保存団体との

階大

ル3

1

会議室で全 6

回開催しました

講師は古代民俗研究所代表の

大森亮尚先

生で

「万葉秀歌

と歌人

マに参加者

」をテ l

ω

名で学びました

織 連携

強化

拡充等

の役員の担当制

伊丹市文化財保存協会

ホームベ l

ジの内容充実

機関誌「締海(比号こ

の発行

(6月下旬)

会員の増強

役員研修の実施

種化関財係愛団護体少と年の団連の携育

bull 12 -

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絲海 第34号(H21)

--E

報誌

のホ 1

「いたみテイ」を当協会

のもと参加者を四グループに

分けて巡った

りリレ

方式で

実施当該

講座を受講することによ

って

更に伊丹の歴史

文化の深さ

を受講者総数日別名もの多くの

市民に知

て頂いた

(1日目)

開催日時 日月幻日

(土 )

4

0

-)

1

「伊丹郷町遺跡出

O O

i

i

UU

0 場

士の人形

小西酒造「長寿蔵

二階ギャラリー

伊丹市文化財スケッチ集

原画展の開催ldquo

古代民俗講座を開催ldquo

旧岡田家住宅酒蔵において

ムペ

1

ジに追加いたし

開催日時日月9日

--ム

-

開催場所見陽池公園内

qd-nv

-qぺU11i)n0

AF1h~

[アドレス]

(日)

ハ AU

協会創立判周年記念事業と

古代民俗講座を9月

日から

M

UV

して会員の渋出純子氏に作成

頂いたスケッチ集の原画を旧

岡出家住宅

土間において

8

2

日から 8

日口日までの問展

一ボ期間中の観覧者数は一

コ一十八人を数えた

日月却日の間に全 5

回開催し

ました

「日本の怨霊再び」をテ

マに講師古代民俗学研究所代

表の大森亮尚先生の講義を受

講生刊名で楽しく学んだ

ホl

ムペ l

ジの追加lsquo

」れまで検討を続けていま

したわがまち伊丹のグラフ情

万円一ヨ

ZH

TUC

Z

-SNE-

参加者数 お名

②「リレ l

講座紙

海学 j

O伊丹の歴史文化の

主たる

をテ i

マとした三つの講座を

大手前大学教授の川口宏海先

生方を講師とし j

第二回

業が繰り広げられ

l

次の

と好評を博した

市内には

年から昭和

「歴史文化が醸し出す

伊丹ロマン事業」の実施

伊丹市伊丹市教育委員会

が提唱し文化財関係同団体

で構成する伊丹ロマン事業実

行委員会を中心として各種事

当協会も

二つの事業を展開し多

くの市民の皆様方の参加のも

①「文学碑を訪ねて

j

現地講座

」j

当協会が昭和町

ω年までの 4

年の

聞に設置した

がある

ω基もの文学碑

その中で見陽池公園

一帯に設置した昆陽池等に因

んだ文学碑日基を判り易い解

説書を配布し事前研修に取

り組んだ当協会理事の説明

3

日間に一日

O O

講師

」川口宏海氏

-13-

l

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日目

)

O O開催日時

A1i

講師

l

(2日日

)

開催日時日月お日

l

4

0

1

ょハ

U

マ①「伊丹郷町遺跡

大正昭和ロマン1

講師

小西酒造

長寿蔵」

二階ギャラリー

(

日月山日

A斗

ハυ

伊丹郷町ロマン

-

(日)

j

伊丹茂氏

(月)

h

-

υ

「摂津のへそ」

その一

村上敏展氏

小西酒造「長寿蔵」

二階ギャラリー

i

史跡めぐり

パスツアーldquoの実施

平成叩年度の史跡めぐりパ

スツア

日月日日

(金)

に和歌山県根来

高野山を

巡り楽しい一日を過ごしま

した

なお参加者羽名で実

施しました

第六回ひなかざり

伊丹郷町ldquo

平成加年度も

「白雪蔵ま

つり」

「わっ

しょい冬の

元気まつり

「一日だけの

バレンタインカフ

」等々の

イベントと連携を図り開催

期間を 2

7

日から 3

8

までのお日間とし

旧岡田家

住宅において明治から昭和ま

でのひな飾りやカルタすご

ろくの展示

「遺跡が語る伊

丹の酒造り」と

題した写

真パ

ネル展そして酒蔵大画面ビデ

オ放映

「伊丹の暦史

」の上映

南京桃の展示即売会を実施い

たしま

期間中次の出

来事がありました

立派な盆梅の展示

植木どころである東野の若

手グループより盆梅の展示が

ありました

文学碑の拓本と

写真パネルの展示

2

月 9

日に実施された田辺

聖子氏

「伊丹市名誉市民贈呈

式典」会場に協会出展として

ご本人揮官宅による文学碑の拓

本と写真パネルを展

示した

役員研修会を実施ldquo

3

月刊日に役員研修会を参

加者同名で実施しました

今回は岐阜県の関ヶ原と滋

賀県の安土城の視察研修を実

施しました

14

3

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において団員幻名参加のもと

(稲野小6

年)

平成二十年度伊丹市γ

和人

愛護少年団(かるた大会)

文化財愛護少年団入図式一笹の葉に願い事を書き込んだ

夏希(稲野小

年)

3

短冊や色紙で作った色とりど

優勝】「ブラックホ

1ル」

5

月白日旧岡田家住宅酒蔵

りの飾りを結びつけ旧岡田

【準優勝

教育長盾

渡辺

彩花(南小

年)

5

で入図式を行いました

家の玄関に設

行き交う

杉山

健太

(花里小 年)

4

沖野帆乃花(南小 5

年)

団員町名保護者指導者

人々の目を楽しませていた

麿瀬

大城(花里小

年)

4

山本

楓子(南小 6

年)

等別名の計115

名参加のも

初仕立口

穂高 (花里小 年)

4

と入国式が挙行された

第二位

「ガツツカポ1

ズ」

【第三位

疋田

彩花(南小

年)

6

文化財保存協会

会長盾】

大西久美子(南小 6

年)

愛美(花里小 6

年)

山田恵美釆(南小 6

年)

l

大前

綾香(花里小

年)

6

野口奈々美 (花里小6

年)

第三位「ミッキ

1

前田

みゆ

鈴原小2

年)

村上

璃帆(昆陽里小 6

年)

ω文化財愛護かるた

勝部

ザ利子(鈴原小2

年)

小田美都里(見陽里小 6

年)

大会を開催

中里かりん

(鈴原小2

年)

増井佐弥香(見陽里小

年)

6

新春恒例のかるた大会を1

月8

日には図書館 2

階で(出

組問人)1

月刊日にはいた

l

4

みホ

階和室で(団員羽

名指導員他ロ名)

同チ ムロ

人)実施した

Q

市内小学生文化財愛護少

ωサマ

キャンプの実施

年団員を対象とし参加者は l

8

月刊ω日 18

月印日の 泊

合わせて 135

人であった

伊丹市文化財愛護

2

日で団

日指導員他 8

結果は次のとおり

少年団の活動

名の参加のもと

「兵庫県立歴

FζnkHV

図書館大会(かるた大会)

りたなばたまつりの実施

史博物館」

「姫路市自然観

)11

7月 5

日国の重要文化財

察の森」そして

「赤穂海洋

【優勝

市長杯

である旧岡田家住宅

「酒蔵」

科学館」等の見学をした

松本

直之

(稲野小6

l

d

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凶文化財愛護少年団

す叫「業旅行の実施

3

月幻日に愛護少年団の卒

業旅行を

ω字の参加のもと大

阪城大阪歴史博物館を見学

しました

既刊書あんない

伊丹の文化財

二千円

分布地図

五百円

伊丹の伝説

八百円

麦わら音頭

文学碑をたずねて

伊丹の年中行事

伊丹の酒造り道具

文化財を訪ねて

有馬道

巡礼と街道

伊丹の仕ごと唄

伊丹のわらべ唄⑦

新伊丹史話

聞き書き

六百円

一千円

六百円

五百円

五百円

四百円

四百円

六百円

六百円

千円

「伊丹のくらし」千二百円

地域研究いたみ第

ロ号

第お号

第日比号

千二百円

千二百円

一千円

絵はがき「鬼貫賛春ト画巻」百

伊丹の文化財

「スケッチ集

「スケッチ集

発掘された伊丹の町

酒の町伊丹

ー」四百円

E

」四百円

百円

以上の書籍類は当協会事 四

百円

務所(旧岡田家住宅内)

ます

L

収博物館において販売してい

伊丹の文化財

「スケッチ集

ー」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

文学碑をたずねて

一千円

文化財を訪ねて

五百円

以上の書籍類は伊丹市観

光物産協会

(JR伊丹駅コン

コース内)

において販売して

います

伊丹の文化財

「スケッチ集

」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

以上のスケッチ集は

アー

トホ

l

「蔵(くら)」(JR

伊丹駅前アリオ2

号館一階)

において販売しています

伊丹城跡発掘調査報告書

E四百円

五百円

各七百五十円

W-V

有岡城跡発掘調査報告書咽=

一千円

伊丹市埋蔵文化財調査報告書

I

(有岡城跡)

五百円

E

(御願塚古墳)

五百円

有岡城跡伊丹郷町

E

第1

2

分冊

各四千円

緑ケ丘遺跡

五百円

北園遺跡

一千五百円

緑ケ任遺跡第

三次調査報告書

九百円

口酒井遺跡詑お次調査

報告書

二千円

埋蔵文化財保護の手引き

分布地図

五百円

以上の書籍類は伊丹市教

育委員会事務局生涯学習部杜

会教育課において販売してお

ります

会員が開設している

ホームペl

ジldquo

どしどしアクセスしてくだ

さい皆様の求める情報がギ

ツシリありますよ

1

【アドレス】

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編 [集

「巳

-言回

紙海M号をお届けします

今回は豊田正義さん益尾

宏之さん小長谷正治さん

中畔明日香さんから原稿を頂

きました

お忙しい中執筆

頂き有難うございました

さて事務局長として長年

当協会の発展にご尽

力して頂

いた古屋敷達夫氏が本年

3

末をもって退職されました

16

本当にお疲れ様でした

古屋敷氏の後任として

年三がその職に就くことにな

りました

全てが初めての体

験となります

」れから協会のため皆様と

ともに頑張っていきたいと考

えておりますので会員の皆様

のより一層のご支援ご協力を

頂きますようよろしくお願い

申し上げます

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絲海 第34号(H21)

終海第 34 号発行日 平成21年 6 月 25 日

編集伊丹市文化財保存協会

664-0895 伊丹市宮ノ前2丁目 5香28号市立伊丹郷町館(旧岡田家住宅内)電話 FAX 072-772-8830 (直通)ホームページ httpitami-bunkazaijp Eメール o伍ce itami-bunkazaijp

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

Page 11: 第 34 号 - 伊丹市文化財保存協会 · 城、王の不在を察知し を開けさせて、他の砦も攻撃、侍町にも火を放. 璃塚砦の武将を調略。十月十五日の深夜に城門た信長軍は、有岡城惣構えの西側の要である上

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yen f麦玄土期及の

盈オ郎と土

君塁本家小

長谷

正治

手許に「糸海史談』の復刊第一号があるこ

れは昭和三十五年に伊丹史談会によって編集

刊行されたものだ

伊丹史談会は昭和

一一十五

年四月に小林杖吉(丹城)を会長尾上日経を

理事として発足以来郷土伊丹の歴史の顕彰を

目的とし講演会史跡めぐり伊丹史料展等

を開催してきたその発足十周年を記念して刊

行されたものが糸海史談である

当初会を主宰

した杖吉は伊丹町の宮前通りに私立伊丹図

館を設立したことでも有名で明治四十五年六

月私蔵図書五千冊をもって開館している

治末年阪神間では神戸市立図書館とこの伊丹

図書館のみであったというからその存在は遠

くまで知られていた

大正三年には巡回文庫を

始め蔵書も四万冊におよんだが経営的に振

るわなくなり昭和十一年から休館が続き同

十八年には廃止されたというしかし杖吉は

休館を決めた昭和十一年からタブロイド版

「郷土研究伊丹公論』の刊行を始めている

の第

一号

二月二十日刊)冒頭の

「創刊之辞」

の一部を引用すると「郷土研究の必要を痛感

して己まず三十有余年来史料の蒐集に務めた

る予は更に進んで我が郷

土の懐かしき昔の姿

我が郷土の正しき歴史乃至我が郷土に於ける慕

はしき先賢の事蹟を調査し之を研究して見た

いと思ひ乃ち同志と相謀りてここに本紙を刊

行することにした」とその強い決意のほどを

述べている

第三号からは「郷土研究伊丹』と

名称を改め同十

一年は毎月(十

一十一一月は

不明)翌十二年から十五年は年

二1

二一回発刊

している

さて

『郷土研究伊丹』の刊行を続けていた

同十三年杖吉は

『伊丹古野家系譜略』

(博物

館所蔵)という古野家の系図を作成している

古野家からは江戸後期の郷土史家古野将盈が

出ている

将盈は古い記録をもとに伊丹郷町

の歴史を編纂した

『有岡庄年代秘記」や伊丹郷

町の名所地図

『摂州伊丹独案内図』などを遺し

ており系図作成の動機としては郷土史家と

しての「先賢の事蹟」を顕彰しようとする杖吉

の強い思いがあったからと思う

系図の後書き

によると作成にあたり正覚

寺過去帳同回向

録のほか親族の小結家小林家の過去帳および

位牌まで参照したと記されており杖吉の並々

ならぬ熱意と執念を感じさせる

この系図によ

れば安倉村の喜兵衛の二男源兵衛が伊丹堺町

に分家したことに始まり屋号は椛

当主は

代々椛屋源兵衛を襲名している

将盈は三代源

兵衛の五男として明和九年(一七七二)二月

十三日に生まれたが母常が同日死亡したため

鴻池村の吉兵衛のもとで養育されることになっ

たところが椛犀の家督を継いだ長兄の四代

源兵衛が二才の子(邦好)を遺して亡くなった

ため将盈が五代目源兵衛を継ぐことになった

系図には「将盈博識多才最精於郷土史

而著有岡年代秘記有岡奮考酒造奮新録有

岡絵図同付録等」と彼の著作が詳しく紹介さ

れている

このうち最も代表的な著作は前述し

た『有岡庄年代秘記」(京都大学文学部蔵所蔵)

で伊丹郷町所在の寺院の開基年を記した「丹

丘寺院開基年考」南北朝時代の貞治年聞から

江戸前期の万治年間までの伊丹の出来

事を記し

た「伊丹往古年記」それに続いて寛文年聞か

ら江戸後期の文政

一一年までの伊丹郷町史を詳細

に記した「有岡年代秘記」のコ一篇が所収されて

いる

このうち有岡年代秘記には伊丹郷町で

おこった様々な出来事が年表形式で簡潔に記さ

れ現在でも江戸時代の伊丹郷町研究には欠か

せない一書となっている

「伊丹古野家系略譜」小林杖吉作成

10 -Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

将盈は多くの重要な著作を遺しながら生没

年を含め来歴も長らく不詳であったが杖古

による将盈顕彰の努力によって明らかになった

のである岡田利兵衛も「伊丹市史

」の中で

「彼は尚古のたしなみふかく

「有岡庄年代秘

記』以下多数を編著し伊丹懐古に貢献した」

と郷土史家としての将盈を高く評価している

将盈と同時代を生きた人に梶曲阜がいた曲

阜は将盈より

一一十六年後の寛政十一年(一七

九九)に伊丹で生まれた

梶家系図録(文化

財保存協会所蔵博物館寄託)によると梶家

はもと小畑六兵衛といって東桑津に住していた

が後に津田氏を名のり曲阜の曽祖父の代から

伊丹伊勢町に移り住んだ

祖父金兵衛の代に姓

を梶と改めたという

屋号は大和田屋で曲阜

も大和田屋金兵衛と称した曲阜は照顔斎と号

しているがこれは彼が敬慕する俳人鬼貫を赤

い顔と解して自らを「てる顔」と称したという

家業のかたわら俳句にも通じ安政

三一年には

二条殿から俳諸宗匠として官服御免許の待遇を

うけている

曲車は伊丹の俳人としての大先輩

である鬼貫を顕彰するため鬼貫の遺墨をもと

に伊丹や近郊に七基の句碑を建てたが俳諸に

とどまらず伊丹の歴史にも強い関心を示して

いる彼の編著による

『有岡古続語」(博物館

所蔵)は乾坤二冊の折本で『伊丹荒木軍記」

公圭画香披賛「照顔斎曲車肖像」

転載したほか曲阜自らの見聞による著作を収

載している

その内容は地名の由来野宮

伊丹城俳譜鬼貫のことから当時流行して

いた能狂言角力酒呑のことまで実に多岐に

わたっている

また

「伊丹酒家盛衰の事」は

幕末の伊丹の酒造業の状況を伝える史料として

価値が高く正に江戸時代の伊丹郷町史といえ

るものである

曲阜は将盈について

『有岡古続語

』のなか

で次のように述べている

「此将盈といへるハ

往年大庄屋勤められし椛屋源兵衛といへる人な

り曽て在岡旧考といへる

一巻の著述あり

よく此里のふるき事跡を探索して記し置けり

苗字を古野といへり堺町に椛屋何某といへる

ハその子孫なりこの三本松の記借りくれる人

将盈とハ何人なることをしらさりけれはいささ

か記しぬなり

」将盈は兄の子邦好が長じる

(一八六五)の二十八年も前に将盈はこの世を

貢献している

と家督を譲り出家して多国院村の西方寺十二

世の法灯を継ぎ天保八年(一八三七)に六五

歳で亡くなっている

曲阜が「有岡古統語」を編纂した元治二年

去っており「三本松之記」も子孫から借りた

というから親交があったとは思えないが将

盈と曲阜ほほ同時代を生きた伊丹の二人の郷

土史家彼らの遺してくれた著作は今も郷土

伊丹を知る上で大きく

(伊丹市立博物館長)

博物館からのお知らせ

夏季企画展

大阪国際空港開港七

周年記念

|空港と

O

O

とともに一つの箱に収められている

有岡古続

語には西谷午蔵の「有岡むかし語」「有岡

むかし語余禄」古野将盈の「

三本松之記」を

場 期

所 間

歩んだ七

7

月 4

日(土)18月叩日(日)

伊丹市立博物館

11-

年 l

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

そのために伊丹郷町館の

監視案内業務に携わり伊丹

郷町の歴史文化の顕彰に参

画し訪れる市内外の人々に

伊丹の歴史を実感してもらい

伊丹市と「ともに」我がまち

「伊丹ブランド」の全国発信

の一翼を少しでも担ってまい

りたいあわせて文化財愛護

少年団を中心とする後継者の

育成に努力を傾けてまいると

ともに伊丹ロマン事業の取

組の中で各種関係団体との連

携を更に深め過去から受け

ついだ文化遺産を未来永遠に

継承し保護すべく努力する

具体的には

次の事業に重点

を置き推進する

(1) ①文「 講化万座財葉のにを開閑読講すむる」 事

講業座

「第 3

回文学碑をた

平成二十一年度の

事業計画の紹介

5

月ロ日

(金)に予定をし

ていました平成幻年度総会は

皆様もご存じのとおり新塑

インフルエンザの発生により

急逮中止を余儀なくされま

したそ

の後総会の取扱いにつ

いて様々な観点から慎重に

検討しましたが

一堂に会す

る総会の開催は諸般の事情で

中止することとしその代わ

りとして総会出席予定であ

った会員の方々に限定し総

会議案書を送付し各会計決

算報告等をご承認していただ

いた上で事業計画

(案)

各会計予算(案)

をご承認し

ていただきました

ご理解

ご協力をいただきありがとう

ございました

その主な事業計画の内容は

次のとおりです

本年度も文化財の保護

顕彰に努め市民が文化財に対

する知識と理解を深めるため

に啓発活動強化を図り協会

の充実発展に努める

平成二十年度

事業の回顧

万葉講座を開催ldquo

毎年ご好評をいただいて

います「万葉を読む」講座を

加年度も6

月 4

日から 8

月幻

日の期間に伊丹ホ

9月刊日には

「万葉を読

む」現地講座「奈良県明日香

村方面」を実施

講師の大森

亮尚先生を案内人として参加

者判名で藤原宮跡香具山

神社万葉の森

石舞台を通

しての万葉の旅でした

ずねて 1

現地講座 1

文化財講演会の実施

史跡めぐりパスツア

(6月から 9

月現地

講座を含め全 7

②「古代民俗講座」

(9月から叩月全

実施)

③伊丹ロマン事業

(文化財強調月間)

「第 3

回リレ

1

ω林海学 1

回実施)

5

回講座

5 4 3 2 (5) (4) (3) (2) (1) (4) (3) (2) (1) (5) (4) (3) (2)

各文 組 文

l

の実施(日月中旬)

文化財整備に協力

伊丹郷町館の委託業務

(旧岡田家旧石橋家

住宅の監視案内業務)

72 文化立化遺企遺産

城)」

「産の伊の保丹保護城護(顕有顕彰

「清酒発祥の地岡彰」

等にまつわる冊子の編集

文化財案内ボランテイ

アの充実強化

文化財パトロールの実

方面各文化財保存団体との

階大

ル3

1

会議室で全 6

回開催しました

講師は古代民俗研究所代表の

大森亮尚先

生で

「万葉秀歌

と歌人

マに参加者

」をテ l

ω

名で学びました

織 連携

強化

拡充等

の役員の担当制

伊丹市文化財保存協会

ホームベ l

ジの内容充実

機関誌「締海(比号こ

の発行

(6月下旬)

会員の増強

役員研修の実施

種化関財係愛団護体少と年の団連の携育

bull 12 -

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

--E

報誌

のホ 1

「いたみテイ」を当協会

のもと参加者を四グループに

分けて巡った

りリレ

方式で

実施当該

講座を受講することによ

って

更に伊丹の歴史

文化の深さ

を受講者総数日別名もの多くの

市民に知

て頂いた

(1日目)

開催日時 日月幻日

(土 )

4

0

-)

1

「伊丹郷町遺跡出

O O

i

i

UU

0 場

士の人形

小西酒造「長寿蔵

二階ギャラリー

伊丹市文化財スケッチ集

原画展の開催ldquo

古代民俗講座を開催ldquo

旧岡田家住宅酒蔵において

ムペ

1

ジに追加いたし

開催日時日月9日

--ム

-

開催場所見陽池公園内

qd-nv

-qぺU11i)n0

AF1h~

[アドレス]

(日)

ハ AU

協会創立判周年記念事業と

古代民俗講座を9月

日から

M

UV

して会員の渋出純子氏に作成

頂いたスケッチ集の原画を旧

岡出家住宅

土間において

8

2

日から 8

日口日までの問展

一ボ期間中の観覧者数は一

コ一十八人を数えた

日月却日の間に全 5

回開催し

ました

「日本の怨霊再び」をテ

マに講師古代民俗学研究所代

表の大森亮尚先生の講義を受

講生刊名で楽しく学んだ

ホl

ムペ l

ジの追加lsquo

」れまで検討を続けていま

したわがまち伊丹のグラフ情

万円一ヨ

ZH

TUC

Z

-SNE-

参加者数 お名

②「リレ l

講座紙

海学 j

O伊丹の歴史文化の

主たる

をテ i

マとした三つの講座を

大手前大学教授の川口宏海先

生方を講師とし j

第二回

業が繰り広げられ

l

次の

と好評を博した

市内には

年から昭和

「歴史文化が醸し出す

伊丹ロマン事業」の実施

伊丹市伊丹市教育委員会

が提唱し文化財関係同団体

で構成する伊丹ロマン事業実

行委員会を中心として各種事

当協会も

二つの事業を展開し多

くの市民の皆様方の参加のも

①「文学碑を訪ねて

j

現地講座

」j

当協会が昭和町

ω年までの 4

年の

聞に設置した

がある

ω基もの文学碑

その中で見陽池公園

一帯に設置した昆陽池等に因

んだ文学碑日基を判り易い解

説書を配布し事前研修に取

り組んだ当協会理事の説明

3

日間に一日

O O

講師

」川口宏海氏

-13-

l

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絲海 第34号(H21)

日目

)

O O開催日時

A1i

講師

l

(2日日

)

開催日時日月お日

l

4

0

1

ょハ

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マ①「伊丹郷町遺跡

大正昭和ロマン1

講師

小西酒造

長寿蔵」

二階ギャラリー

(

日月山日

A斗

ハυ

伊丹郷町ロマン

-

(日)

j

伊丹茂氏

(月)

h

-

υ

「摂津のへそ」

その一

村上敏展氏

小西酒造「長寿蔵」

二階ギャラリー

i

史跡めぐり

パスツアーldquoの実施

平成叩年度の史跡めぐりパ

スツア

日月日日

(金)

に和歌山県根来

高野山を

巡り楽しい一日を過ごしま

した

なお参加者羽名で実

施しました

第六回ひなかざり

伊丹郷町ldquo

平成加年度も

「白雪蔵ま

つり」

「わっ

しょい冬の

元気まつり

「一日だけの

バレンタインカフ

」等々の

イベントと連携を図り開催

期間を 2

7

日から 3

8

までのお日間とし

旧岡田家

住宅において明治から昭和ま

でのひな飾りやカルタすご

ろくの展示

「遺跡が語る伊

丹の酒造り」と

題した写

真パ

ネル展そして酒蔵大画面ビデ

オ放映

「伊丹の暦史

」の上映

南京桃の展示即売会を実施い

たしま

期間中次の出

来事がありました

立派な盆梅の展示

植木どころである東野の若

手グループより盆梅の展示が

ありました

文学碑の拓本と

写真パネルの展示

2

月 9

日に実施された田辺

聖子氏

「伊丹市名誉市民贈呈

式典」会場に協会出展として

ご本人揮官宅による文学碑の拓

本と写真パネルを展

示した

役員研修会を実施ldquo

3

月刊日に役員研修会を参

加者同名で実施しました

今回は岐阜県の関ヶ原と滋

賀県の安土城の視察研修を実

施しました

14

3

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において団員幻名参加のもと

(稲野小6

年)

平成二十年度伊丹市γ

和人

愛護少年団(かるた大会)

文化財愛護少年団入図式一笹の葉に願い事を書き込んだ

夏希(稲野小

年)

3

短冊や色紙で作った色とりど

優勝】「ブラックホ

1ル」

5

月白日旧岡田家住宅酒蔵

りの飾りを結びつけ旧岡田

【準優勝

教育長盾

渡辺

彩花(南小

年)

5

で入図式を行いました

家の玄関に設

行き交う

杉山

健太

(花里小 年)

4

沖野帆乃花(南小 5

年)

団員町名保護者指導者

人々の目を楽しませていた

麿瀬

大城(花里小

年)

4

山本

楓子(南小 6

年)

等別名の計115

名参加のも

初仕立口

穂高 (花里小 年)

4

と入国式が挙行された

第二位

「ガツツカポ1

ズ」

【第三位

疋田

彩花(南小

年)

6

文化財保存協会

会長盾】

大西久美子(南小 6

年)

愛美(花里小 6

年)

山田恵美釆(南小 6

年)

l

大前

綾香(花里小

年)

6

野口奈々美 (花里小6

年)

第三位「ミッキ

1

前田

みゆ

鈴原小2

年)

村上

璃帆(昆陽里小 6

年)

ω文化財愛護かるた

勝部

ザ利子(鈴原小2

年)

小田美都里(見陽里小 6

年)

大会を開催

中里かりん

(鈴原小2

年)

増井佐弥香(見陽里小

年)

6

新春恒例のかるた大会を1

月8

日には図書館 2

階で(出

組問人)1

月刊日にはいた

l

4

みホ

階和室で(団員羽

名指導員他ロ名)

同チ ムロ

人)実施した

Q

市内小学生文化財愛護少

ωサマ

キャンプの実施

年団員を対象とし参加者は l

8

月刊ω日 18

月印日の 泊

合わせて 135

人であった

伊丹市文化財愛護

2

日で団

日指導員他 8

結果は次のとおり

少年団の活動

名の参加のもと

「兵庫県立歴

FζnkHV

図書館大会(かるた大会)

りたなばたまつりの実施

史博物館」

「姫路市自然観

)11

7月 5

日国の重要文化財

察の森」そして

「赤穂海洋

【優勝

市長杯

である旧岡田家住宅

「酒蔵」

科学館」等の見学をした

松本

直之

(稲野小6

l

d

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絲海 第34号(H21)

凶文化財愛護少年団

す叫「業旅行の実施

3

月幻日に愛護少年団の卒

業旅行を

ω字の参加のもと大

阪城大阪歴史博物館を見学

しました

既刊書あんない

伊丹の文化財

二千円

分布地図

五百円

伊丹の伝説

八百円

麦わら音頭

文学碑をたずねて

伊丹の年中行事

伊丹の酒造り道具

文化財を訪ねて

有馬道

巡礼と街道

伊丹の仕ごと唄

伊丹のわらべ唄⑦

新伊丹史話

聞き書き

六百円

一千円

六百円

五百円

五百円

四百円

四百円

六百円

六百円

千円

「伊丹のくらし」千二百円

地域研究いたみ第

ロ号

第お号

第日比号

千二百円

千二百円

一千円

絵はがき「鬼貫賛春ト画巻」百

伊丹の文化財

「スケッチ集

「スケッチ集

発掘された伊丹の町

酒の町伊丹

ー」四百円

E

」四百円

百円

以上の書籍類は当協会事 四

百円

務所(旧岡田家住宅内)

ます

L

収博物館において販売してい

伊丹の文化財

「スケッチ集

ー」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

文学碑をたずねて

一千円

文化財を訪ねて

五百円

以上の書籍類は伊丹市観

光物産協会

(JR伊丹駅コン

コース内)

において販売して

います

伊丹の文化財

「スケッチ集

」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

以上のスケッチ集は

アー

トホ

l

「蔵(くら)」(JR

伊丹駅前アリオ2

号館一階)

において販売しています

伊丹城跡発掘調査報告書

E四百円

五百円

各七百五十円

W-V

有岡城跡発掘調査報告書咽=

一千円

伊丹市埋蔵文化財調査報告書

I

(有岡城跡)

五百円

E

(御願塚古墳)

五百円

有岡城跡伊丹郷町

E

第1

2

分冊

各四千円

緑ケ丘遺跡

五百円

北園遺跡

一千五百円

緑ケ任遺跡第

三次調査報告書

九百円

口酒井遺跡詑お次調査

報告書

二千円

埋蔵文化財保護の手引き

分布地図

五百円

以上の書籍類は伊丹市教

育委員会事務局生涯学習部杜

会教育課において販売してお

ります

会員が開設している

ホームペl

ジldquo

どしどしアクセスしてくだ

さい皆様の求める情報がギ

ツシリありますよ

1

【アドレス】

23万一〉ミ印

ωヨ

ω027一E

ヨア」

ZH万一ミをささコ巴コ

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ωaω才一一Zヨ一

「一一寸

編 [集

「巳

-言回

紙海M号をお届けします

今回は豊田正義さん益尾

宏之さん小長谷正治さん

中畔明日香さんから原稿を頂

きました

お忙しい中執筆

頂き有難うございました

さて事務局長として長年

当協会の発展にご尽

力して頂

いた古屋敷達夫氏が本年

3

末をもって退職されました

16

本当にお疲れ様でした

古屋敷氏の後任として

年三がその職に就くことにな

りました

全てが初めての体

験となります

」れから協会のため皆様と

ともに頑張っていきたいと考

えておりますので会員の皆様

のより一層のご支援ご協力を

頂きますようよろしくお願い

申し上げます

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

終海第 34 号発行日 平成21年 6 月 25 日

編集伊丹市文化財保存協会

664-0895 伊丹市宮ノ前2丁目 5香28号市立伊丹郷町館(旧岡田家住宅内)電話 FAX 072-772-8830 (直通)ホームページ httpitami-bunkazaijp Eメール o伍ce itami-bunkazaijp

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

Page 12: 第 34 号 - 伊丹市文化財保存協会 · 城、王の不在を察知し を開けさせて、他の砦も攻撃、侍町にも火を放. 璃塚砦の武将を調略。十月十五日の深夜に城門た信長軍は、有岡城惣構えの西側の要である上

将盈は多くの重要な著作を遺しながら生没

年を含め来歴も長らく不詳であったが杖古

による将盈顕彰の努力によって明らかになった

のである岡田利兵衛も「伊丹市史

」の中で

「彼は尚古のたしなみふかく

「有岡庄年代秘

記』以下多数を編著し伊丹懐古に貢献した」

と郷土史家としての将盈を高く評価している

将盈と同時代を生きた人に梶曲阜がいた曲

阜は将盈より

一一十六年後の寛政十一年(一七

九九)に伊丹で生まれた

梶家系図録(文化

財保存協会所蔵博物館寄託)によると梶家

はもと小畑六兵衛といって東桑津に住していた

が後に津田氏を名のり曲阜の曽祖父の代から

伊丹伊勢町に移り住んだ

祖父金兵衛の代に姓

を梶と改めたという

屋号は大和田屋で曲阜

も大和田屋金兵衛と称した曲阜は照顔斎と号

しているがこれは彼が敬慕する俳人鬼貫を赤

い顔と解して自らを「てる顔」と称したという

家業のかたわら俳句にも通じ安政

三一年には

二条殿から俳諸宗匠として官服御免許の待遇を

うけている

曲車は伊丹の俳人としての大先輩

である鬼貫を顕彰するため鬼貫の遺墨をもと

に伊丹や近郊に七基の句碑を建てたが俳諸に

とどまらず伊丹の歴史にも強い関心を示して

いる彼の編著による

『有岡古続語」(博物館

所蔵)は乾坤二冊の折本で『伊丹荒木軍記」

公圭画香披賛「照顔斎曲車肖像」

転載したほか曲阜自らの見聞による著作を収

載している

その内容は地名の由来野宮

伊丹城俳譜鬼貫のことから当時流行して

いた能狂言角力酒呑のことまで実に多岐に

わたっている

また

「伊丹酒家盛衰の事」は

幕末の伊丹の酒造業の状況を伝える史料として

価値が高く正に江戸時代の伊丹郷町史といえ

るものである

曲阜は将盈について

『有岡古続語

』のなか

で次のように述べている

「此将盈といへるハ

往年大庄屋勤められし椛屋源兵衛といへる人な

り曽て在岡旧考といへる

一巻の著述あり

よく此里のふるき事跡を探索して記し置けり

苗字を古野といへり堺町に椛屋何某といへる

ハその子孫なりこの三本松の記借りくれる人

将盈とハ何人なることをしらさりけれはいささ

か記しぬなり

」将盈は兄の子邦好が長じる

(一八六五)の二十八年も前に将盈はこの世を

貢献している

と家督を譲り出家して多国院村の西方寺十二

世の法灯を継ぎ天保八年(一八三七)に六五

歳で亡くなっている

曲阜が「有岡古統語」を編纂した元治二年

去っており「三本松之記」も子孫から借りた

というから親交があったとは思えないが将

盈と曲阜ほほ同時代を生きた伊丹の二人の郷

土史家彼らの遺してくれた著作は今も郷土

伊丹を知る上で大きく

(伊丹市立博物館長)

博物館からのお知らせ

夏季企画展

大阪国際空港開港七

周年記念

|空港と

O

O

とともに一つの箱に収められている

有岡古続

語には西谷午蔵の「有岡むかし語」「有岡

むかし語余禄」古野将盈の「

三本松之記」を

場 期

所 間

歩んだ七

7

月 4

日(土)18月叩日(日)

伊丹市立博物館

11-

年 l

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

そのために伊丹郷町館の

監視案内業務に携わり伊丹

郷町の歴史文化の顕彰に参

画し訪れる市内外の人々に

伊丹の歴史を実感してもらい

伊丹市と「ともに」我がまち

「伊丹ブランド」の全国発信

の一翼を少しでも担ってまい

りたいあわせて文化財愛護

少年団を中心とする後継者の

育成に努力を傾けてまいると

ともに伊丹ロマン事業の取

組の中で各種関係団体との連

携を更に深め過去から受け

ついだ文化遺産を未来永遠に

継承し保護すべく努力する

具体的には

次の事業に重点

を置き推進する

(1) ①文「 講化万座財葉のにを開閑読講すむる」 事

講業座

「第 3

回文学碑をた

平成二十一年度の

事業計画の紹介

5

月ロ日

(金)に予定をし

ていました平成幻年度総会は

皆様もご存じのとおり新塑

インフルエンザの発生により

急逮中止を余儀なくされま

したそ

の後総会の取扱いにつ

いて様々な観点から慎重に

検討しましたが

一堂に会す

る総会の開催は諸般の事情で

中止することとしその代わ

りとして総会出席予定であ

った会員の方々に限定し総

会議案書を送付し各会計決

算報告等をご承認していただ

いた上で事業計画

(案)

各会計予算(案)

をご承認し

ていただきました

ご理解

ご協力をいただきありがとう

ございました

その主な事業計画の内容は

次のとおりです

本年度も文化財の保護

顕彰に努め市民が文化財に対

する知識と理解を深めるため

に啓発活動強化を図り協会

の充実発展に努める

平成二十年度

事業の回顧

万葉講座を開催ldquo

毎年ご好評をいただいて

います「万葉を読む」講座を

加年度も6

月 4

日から 8

月幻

日の期間に伊丹ホ

9月刊日には

「万葉を読

む」現地講座「奈良県明日香

村方面」を実施

講師の大森

亮尚先生を案内人として参加

者判名で藤原宮跡香具山

神社万葉の森

石舞台を通

しての万葉の旅でした

ずねて 1

現地講座 1

文化財講演会の実施

史跡めぐりパスツア

(6月から 9

月現地

講座を含め全 7

②「古代民俗講座」

(9月から叩月全

実施)

③伊丹ロマン事業

(文化財強調月間)

「第 3

回リレ

1

ω林海学 1

回実施)

5

回講座

5 4 3 2 (5) (4) (3) (2) (1) (4) (3) (2) (1) (5) (4) (3) (2)

各文 組 文

l

の実施(日月中旬)

文化財整備に協力

伊丹郷町館の委託業務

(旧岡田家旧石橋家

住宅の監視案内業務)

72 文化立化遺企遺産

城)」

「産の伊の保丹保護城護(顕有顕彰

「清酒発祥の地岡彰」

等にまつわる冊子の編集

文化財案内ボランテイ

アの充実強化

文化財パトロールの実

方面各文化財保存団体との

階大

ル3

1

会議室で全 6

回開催しました

講師は古代民俗研究所代表の

大森亮尚先

生で

「万葉秀歌

と歌人

マに参加者

」をテ l

ω

名で学びました

織 連携

強化

拡充等

の役員の担当制

伊丹市文化財保存協会

ホームベ l

ジの内容充実

機関誌「締海(比号こ

の発行

(6月下旬)

会員の増強

役員研修の実施

種化関財係愛団護体少と年の団連の携育

bull 12 -

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

--E

報誌

のホ 1

「いたみテイ」を当協会

のもと参加者を四グループに

分けて巡った

りリレ

方式で

実施当該

講座を受講することによ

って

更に伊丹の歴史

文化の深さ

を受講者総数日別名もの多くの

市民に知

て頂いた

(1日目)

開催日時 日月幻日

(土 )

4

0

-)

1

「伊丹郷町遺跡出

O O

i

i

UU

0 場

士の人形

小西酒造「長寿蔵

二階ギャラリー

伊丹市文化財スケッチ集

原画展の開催ldquo

古代民俗講座を開催ldquo

旧岡田家住宅酒蔵において

ムペ

1

ジに追加いたし

開催日時日月9日

--ム

-

開催場所見陽池公園内

qd-nv

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[アドレス]

(日)

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協会創立判周年記念事業と

古代民俗講座を9月

日から

M

UV

して会員の渋出純子氏に作成

頂いたスケッチ集の原画を旧

岡出家住宅

土間において

8

2

日から 8

日口日までの問展

一ボ期間中の観覧者数は一

コ一十八人を数えた

日月却日の間に全 5

回開催し

ました

「日本の怨霊再び」をテ

マに講師古代民俗学研究所代

表の大森亮尚先生の講義を受

講生刊名で楽しく学んだ

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ジの追加lsquo

」れまで検討を続けていま

したわがまち伊丹のグラフ情

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TUC

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参加者数 お名

②「リレ l

講座紙

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O伊丹の歴史文化の

主たる

をテ i

マとした三つの講座を

大手前大学教授の川口宏海先

生方を講師とし j

第二回

業が繰り広げられ

l

次の

と好評を博した

市内には

年から昭和

「歴史文化が醸し出す

伊丹ロマン事業」の実施

伊丹市伊丹市教育委員会

が提唱し文化財関係同団体

で構成する伊丹ロマン事業実

行委員会を中心として各種事

当協会も

二つの事業を展開し多

くの市民の皆様方の参加のも

①「文学碑を訪ねて

j

現地講座

」j

当協会が昭和町

ω年までの 4

年の

聞に設置した

がある

ω基もの文学碑

その中で見陽池公園

一帯に設置した昆陽池等に因

んだ文学碑日基を判り易い解

説書を配布し事前研修に取

り組んだ当協会理事の説明

3

日間に一日

O O

講師

」川口宏海氏

-13-

l

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

日目

)

O O開催日時

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講師

l

(2日日

)

開催日時日月お日

l

4

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マ①「伊丹郷町遺跡

大正昭和ロマン1

講師

小西酒造

長寿蔵」

二階ギャラリー

(

日月山日

A斗

ハυ

伊丹郷町ロマン

-

(日)

j

伊丹茂氏

(月)

h

-

υ

「摂津のへそ」

その一

村上敏展氏

小西酒造「長寿蔵」

二階ギャラリー

i

史跡めぐり

パスツアーldquoの実施

平成叩年度の史跡めぐりパ

スツア

日月日日

(金)

に和歌山県根来

高野山を

巡り楽しい一日を過ごしま

した

なお参加者羽名で実

施しました

第六回ひなかざり

伊丹郷町ldquo

平成加年度も

「白雪蔵ま

つり」

「わっ

しょい冬の

元気まつり

「一日だけの

バレンタインカフ

」等々の

イベントと連携を図り開催

期間を 2

7

日から 3

8

までのお日間とし

旧岡田家

住宅において明治から昭和ま

でのひな飾りやカルタすご

ろくの展示

「遺跡が語る伊

丹の酒造り」と

題した写

真パ

ネル展そして酒蔵大画面ビデ

オ放映

「伊丹の暦史

」の上映

南京桃の展示即売会を実施い

たしま

期間中次の出

来事がありました

立派な盆梅の展示

植木どころである東野の若

手グループより盆梅の展示が

ありました

文学碑の拓本と

写真パネルの展示

2

月 9

日に実施された田辺

聖子氏

「伊丹市名誉市民贈呈

式典」会場に協会出展として

ご本人揮官宅による文学碑の拓

本と写真パネルを展

示した

役員研修会を実施ldquo

3

月刊日に役員研修会を参

加者同名で実施しました

今回は岐阜県の関ヶ原と滋

賀県の安土城の視察研修を実

施しました

14

3

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

において団員幻名参加のもと

(稲野小6

年)

平成二十年度伊丹市γ

和人

愛護少年団(かるた大会)

文化財愛護少年団入図式一笹の葉に願い事を書き込んだ

夏希(稲野小

年)

3

短冊や色紙で作った色とりど

優勝】「ブラックホ

1ル」

5

月白日旧岡田家住宅酒蔵

りの飾りを結びつけ旧岡田

【準優勝

教育長盾

渡辺

彩花(南小

年)

5

で入図式を行いました

家の玄関に設

行き交う

杉山

健太

(花里小 年)

4

沖野帆乃花(南小 5

年)

団員町名保護者指導者

人々の目を楽しませていた

麿瀬

大城(花里小

年)

4

山本

楓子(南小 6

年)

等別名の計115

名参加のも

初仕立口

穂高 (花里小 年)

4

と入国式が挙行された

第二位

「ガツツカポ1

ズ」

【第三位

疋田

彩花(南小

年)

6

文化財保存協会

会長盾】

大西久美子(南小 6

年)

愛美(花里小 6

年)

山田恵美釆(南小 6

年)

l

大前

綾香(花里小

年)

6

野口奈々美 (花里小6

年)

第三位「ミッキ

1

前田

みゆ

鈴原小2

年)

村上

璃帆(昆陽里小 6

年)

ω文化財愛護かるた

勝部

ザ利子(鈴原小2

年)

小田美都里(見陽里小 6

年)

大会を開催

中里かりん

(鈴原小2

年)

増井佐弥香(見陽里小

年)

6

新春恒例のかるた大会を1

月8

日には図書館 2

階で(出

組問人)1

月刊日にはいた

l

4

みホ

階和室で(団員羽

名指導員他ロ名)

同チ ムロ

人)実施した

Q

市内小学生文化財愛護少

ωサマ

キャンプの実施

年団員を対象とし参加者は l

8

月刊ω日 18

月印日の 泊

合わせて 135

人であった

伊丹市文化財愛護

2

日で団

日指導員他 8

結果は次のとおり

少年団の活動

名の参加のもと

「兵庫県立歴

FζnkHV

図書館大会(かるた大会)

りたなばたまつりの実施

史博物館」

「姫路市自然観

)11

7月 5

日国の重要文化財

察の森」そして

「赤穂海洋

【優勝

市長杯

である旧岡田家住宅

「酒蔵」

科学館」等の見学をした

松本

直之

(稲野小6

l

d

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

凶文化財愛護少年団

す叫「業旅行の実施

3

月幻日に愛護少年団の卒

業旅行を

ω字の参加のもと大

阪城大阪歴史博物館を見学

しました

既刊書あんない

伊丹の文化財

二千円

分布地図

五百円

伊丹の伝説

八百円

麦わら音頭

文学碑をたずねて

伊丹の年中行事

伊丹の酒造り道具

文化財を訪ねて

有馬道

巡礼と街道

伊丹の仕ごと唄

伊丹のわらべ唄⑦

新伊丹史話

聞き書き

六百円

一千円

六百円

五百円

五百円

四百円

四百円

六百円

六百円

千円

「伊丹のくらし」千二百円

地域研究いたみ第

ロ号

第お号

第日比号

千二百円

千二百円

一千円

絵はがき「鬼貫賛春ト画巻」百

伊丹の文化財

「スケッチ集

「スケッチ集

発掘された伊丹の町

酒の町伊丹

ー」四百円

E

」四百円

百円

以上の書籍類は当協会事 四

百円

務所(旧岡田家住宅内)

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収博物館において販売してい

伊丹の文化財

「スケッチ集

ー」四百円

「スケッチ集

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」四百円

文学碑をたずねて

一千円

文化財を訪ねて

五百円

以上の書籍類は伊丹市観

光物産協会

(JR伊丹駅コン

コース内)

において販売して

います

伊丹の文化財

「スケッチ集

」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

以上のスケッチ集は

アー

トホ

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「蔵(くら)」(JR

伊丹駅前アリオ2

号館一階)

において販売しています

伊丹城跡発掘調査報告書

E四百円

五百円

各七百五十円

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有岡城跡発掘調査報告書咽=

一千円

伊丹市埋蔵文化財調査報告書

I

(有岡城跡)

五百円

E

(御願塚古墳)

五百円

有岡城跡伊丹郷町

E

第1

2

分冊

各四千円

緑ケ丘遺跡

五百円

北園遺跡

一千五百円

緑ケ任遺跡第

三次調査報告書

九百円

口酒井遺跡詑お次調査

報告書

二千円

埋蔵文化財保護の手引き

分布地図

五百円

以上の書籍類は伊丹市教

育委員会事務局生涯学習部杜

会教育課において販売してお

ります

会員が開設している

ホームペl

ジldquo

どしどしアクセスしてくだ

さい皆様の求める情報がギ

ツシリありますよ

1

【アドレス】

23万一〉ミ印

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編 [集

「巳

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紙海M号をお届けします

今回は豊田正義さん益尾

宏之さん小長谷正治さん

中畔明日香さんから原稿を頂

きました

お忙しい中執筆

頂き有難うございました

さて事務局長として長年

当協会の発展にご尽

力して頂

いた古屋敷達夫氏が本年

3

末をもって退職されました

16

本当にお疲れ様でした

古屋敷氏の後任として

年三がその職に就くことにな

りました

全てが初めての体

験となります

」れから協会のため皆様と

ともに頑張っていきたいと考

えておりますので会員の皆様

のより一層のご支援ご協力を

頂きますようよろしくお願い

申し上げます

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

終海第 34 号発行日 平成21年 6 月 25 日

編集伊丹市文化財保存協会

664-0895 伊丹市宮ノ前2丁目 5香28号市立伊丹郷町館(旧岡田家住宅内)電話 FAX 072-772-8830 (直通)ホームページ httpitami-bunkazaijp Eメール o伍ce itami-bunkazaijp

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

Page 13: 第 34 号 - 伊丹市文化財保存協会 · 城、王の不在を察知し を開けさせて、他の砦も攻撃、侍町にも火を放. 璃塚砦の武将を調略。十月十五日の深夜に城門た信長軍は、有岡城惣構えの西側の要である上

そのために伊丹郷町館の

監視案内業務に携わり伊丹

郷町の歴史文化の顕彰に参

画し訪れる市内外の人々に

伊丹の歴史を実感してもらい

伊丹市と「ともに」我がまち

「伊丹ブランド」の全国発信

の一翼を少しでも担ってまい

りたいあわせて文化財愛護

少年団を中心とする後継者の

育成に努力を傾けてまいると

ともに伊丹ロマン事業の取

組の中で各種関係団体との連

携を更に深め過去から受け

ついだ文化遺産を未来永遠に

継承し保護すべく努力する

具体的には

次の事業に重点

を置き推進する

(1) ①文「 講化万座財葉のにを開閑読講すむる」 事

講業座

「第 3

回文学碑をた

平成二十一年度の

事業計画の紹介

5

月ロ日

(金)に予定をし

ていました平成幻年度総会は

皆様もご存じのとおり新塑

インフルエンザの発生により

急逮中止を余儀なくされま

したそ

の後総会の取扱いにつ

いて様々な観点から慎重に

検討しましたが

一堂に会す

る総会の開催は諸般の事情で

中止することとしその代わ

りとして総会出席予定であ

った会員の方々に限定し総

会議案書を送付し各会計決

算報告等をご承認していただ

いた上で事業計画

(案)

各会計予算(案)

をご承認し

ていただきました

ご理解

ご協力をいただきありがとう

ございました

その主な事業計画の内容は

次のとおりです

本年度も文化財の保護

顕彰に努め市民が文化財に対

する知識と理解を深めるため

に啓発活動強化を図り協会

の充実発展に努める

平成二十年度

事業の回顧

万葉講座を開催ldquo

毎年ご好評をいただいて

います「万葉を読む」講座を

加年度も6

月 4

日から 8

月幻

日の期間に伊丹ホ

9月刊日には

「万葉を読

む」現地講座「奈良県明日香

村方面」を実施

講師の大森

亮尚先生を案内人として参加

者判名で藤原宮跡香具山

神社万葉の森

石舞台を通

しての万葉の旅でした

ずねて 1

現地講座 1

文化財講演会の実施

史跡めぐりパスツア

(6月から 9

月現地

講座を含め全 7

②「古代民俗講座」

(9月から叩月全

実施)

③伊丹ロマン事業

(文化財強調月間)

「第 3

回リレ

1

ω林海学 1

回実施)

5

回講座

5 4 3 2 (5) (4) (3) (2) (1) (4) (3) (2) (1) (5) (4) (3) (2)

各文 組 文

l

の実施(日月中旬)

文化財整備に協力

伊丹郷町館の委託業務

(旧岡田家旧石橋家

住宅の監視案内業務)

72 文化立化遺企遺産

城)」

「産の伊の保丹保護城護(顕有顕彰

「清酒発祥の地岡彰」

等にまつわる冊子の編集

文化財案内ボランテイ

アの充実強化

文化財パトロールの実

方面各文化財保存団体との

階大

ル3

1

会議室で全 6

回開催しました

講師は古代民俗研究所代表の

大森亮尚先

生で

「万葉秀歌

と歌人

マに参加者

」をテ l

ω

名で学びました

織 連携

強化

拡充等

の役員の担当制

伊丹市文化財保存協会

ホームベ l

ジの内容充実

機関誌「締海(比号こ

の発行

(6月下旬)

会員の増強

役員研修の実施

種化関財係愛団護体少と年の団連の携育

bull 12 -

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

--E

報誌

のホ 1

「いたみテイ」を当協会

のもと参加者を四グループに

分けて巡った

りリレ

方式で

実施当該

講座を受講することによ

って

更に伊丹の歴史

文化の深さ

を受講者総数日別名もの多くの

市民に知

て頂いた

(1日目)

開催日時 日月幻日

(土 )

4

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1

「伊丹郷町遺跡出

O O

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UU

0 場

士の人形

小西酒造「長寿蔵

二階ギャラリー

伊丹市文化財スケッチ集

原画展の開催ldquo

古代民俗講座を開催ldquo

旧岡田家住宅酒蔵において

ムペ

1

ジに追加いたし

開催日時日月9日

--ム

-

開催場所見陽池公園内

qd-nv

-qぺU11i)n0

AF1h~

[アドレス]

(日)

ハ AU

協会創立判周年記念事業と

古代民俗講座を9月

日から

M

UV

して会員の渋出純子氏に作成

頂いたスケッチ集の原画を旧

岡出家住宅

土間において

8

2

日から 8

日口日までの問展

一ボ期間中の観覧者数は一

コ一十八人を数えた

日月却日の間に全 5

回開催し

ました

「日本の怨霊再び」をテ

マに講師古代民俗学研究所代

表の大森亮尚先生の講義を受

講生刊名で楽しく学んだ

ホl

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ジの追加lsquo

」れまで検討を続けていま

したわがまち伊丹のグラフ情

万円一ヨ

ZH

TUC

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-SNE-

参加者数 お名

②「リレ l

講座紙

海学 j

O伊丹の歴史文化の

主たる

をテ i

マとした三つの講座を

大手前大学教授の川口宏海先

生方を講師とし j

第二回

業が繰り広げられ

l

次の

と好評を博した

市内には

年から昭和

「歴史文化が醸し出す

伊丹ロマン事業」の実施

伊丹市伊丹市教育委員会

が提唱し文化財関係同団体

で構成する伊丹ロマン事業実

行委員会を中心として各種事

当協会も

二つの事業を展開し多

くの市民の皆様方の参加のも

①「文学碑を訪ねて

j

現地講座

」j

当協会が昭和町

ω年までの 4

年の

聞に設置した

がある

ω基もの文学碑

その中で見陽池公園

一帯に設置した昆陽池等に因

んだ文学碑日基を判り易い解

説書を配布し事前研修に取

り組んだ当協会理事の説明

3

日間に一日

O O

講師

」川口宏海氏

-13-

l

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

日目

)

O O開催日時

A1i

講師

l

(2日日

)

開催日時日月お日

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4

0

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マ①「伊丹郷町遺跡

大正昭和ロマン1

講師

小西酒造

長寿蔵」

二階ギャラリー

(

日月山日

A斗

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伊丹郷町ロマン

-

(日)

j

伊丹茂氏

(月)

h

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υ

「摂津のへそ」

その一

村上敏展氏

小西酒造「長寿蔵」

二階ギャラリー

i

史跡めぐり

パスツアーldquoの実施

平成叩年度の史跡めぐりパ

スツア

日月日日

(金)

に和歌山県根来

高野山を

巡り楽しい一日を過ごしま

した

なお参加者羽名で実

施しました

第六回ひなかざり

伊丹郷町ldquo

平成加年度も

「白雪蔵ま

つり」

「わっ

しょい冬の

元気まつり

「一日だけの

バレンタインカフ

」等々の

イベントと連携を図り開催

期間を 2

7

日から 3

8

までのお日間とし

旧岡田家

住宅において明治から昭和ま

でのひな飾りやカルタすご

ろくの展示

「遺跡が語る伊

丹の酒造り」と

題した写

真パ

ネル展そして酒蔵大画面ビデ

オ放映

「伊丹の暦史

」の上映

南京桃の展示即売会を実施い

たしま

期間中次の出

来事がありました

立派な盆梅の展示

植木どころである東野の若

手グループより盆梅の展示が

ありました

文学碑の拓本と

写真パネルの展示

2

月 9

日に実施された田辺

聖子氏

「伊丹市名誉市民贈呈

式典」会場に協会出展として

ご本人揮官宅による文学碑の拓

本と写真パネルを展

示した

役員研修会を実施ldquo

3

月刊日に役員研修会を参

加者同名で実施しました

今回は岐阜県の関ヶ原と滋

賀県の安土城の視察研修を実

施しました

14

3

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

において団員幻名参加のもと

(稲野小6

年)

平成二十年度伊丹市γ

和人

愛護少年団(かるた大会)

文化財愛護少年団入図式一笹の葉に願い事を書き込んだ

夏希(稲野小

年)

3

短冊や色紙で作った色とりど

優勝】「ブラックホ

1ル」

5

月白日旧岡田家住宅酒蔵

りの飾りを結びつけ旧岡田

【準優勝

教育長盾

渡辺

彩花(南小

年)

5

で入図式を行いました

家の玄関に設

行き交う

杉山

健太

(花里小 年)

4

沖野帆乃花(南小 5

年)

団員町名保護者指導者

人々の目を楽しませていた

麿瀬

大城(花里小

年)

4

山本

楓子(南小 6

年)

等別名の計115

名参加のも

初仕立口

穂高 (花里小 年)

4

と入国式が挙行された

第二位

「ガツツカポ1

ズ」

【第三位

疋田

彩花(南小

年)

6

文化財保存協会

会長盾】

大西久美子(南小 6

年)

愛美(花里小 6

年)

山田恵美釆(南小 6

年)

l

大前

綾香(花里小

年)

6

野口奈々美 (花里小6

年)

第三位「ミッキ

1

前田

みゆ

鈴原小2

年)

村上

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年)

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勝部

ザ利子(鈴原小2

年)

小田美都里(見陽里小 6

年)

大会を開催

中里かりん

(鈴原小2

年)

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年)

6

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名指導員他ロ名)

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キャンプの実施

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8

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合わせて 135

人であった

伊丹市文化財愛護

2

日で団

日指導員他 8

結果は次のとおり

少年団の活動

名の参加のもと

「兵庫県立歴

FζnkHV

図書館大会(かるた大会)

りたなばたまつりの実施

史博物館」

「姫路市自然観

)11

7月 5

日国の重要文化財

察の森」そして

「赤穂海洋

【優勝

市長杯

である旧岡田家住宅

「酒蔵」

科学館」等の見学をした

松本

直之

(稲野小6

l

d

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

凶文化財愛護少年団

す叫「業旅行の実施

3

月幻日に愛護少年団の卒

業旅行を

ω字の参加のもと大

阪城大阪歴史博物館を見学

しました

既刊書あんない

伊丹の文化財

二千円

分布地図

五百円

伊丹の伝説

八百円

麦わら音頭

文学碑をたずねて

伊丹の年中行事

伊丹の酒造り道具

文化財を訪ねて

有馬道

巡礼と街道

伊丹の仕ごと唄

伊丹のわらべ唄⑦

新伊丹史話

聞き書き

六百円

一千円

六百円

五百円

五百円

四百円

四百円

六百円

六百円

千円

「伊丹のくらし」千二百円

地域研究いたみ第

ロ号

第お号

第日比号

千二百円

千二百円

一千円

絵はがき「鬼貫賛春ト画巻」百

伊丹の文化財

「スケッチ集

「スケッチ集

発掘された伊丹の町

酒の町伊丹

ー」四百円

E

」四百円

百円

以上の書籍類は当協会事 四

百円

務所(旧岡田家住宅内)

ます

L

収博物館において販売してい

伊丹の文化財

「スケッチ集

ー」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

文学碑をたずねて

一千円

文化財を訪ねて

五百円

以上の書籍類は伊丹市観

光物産協会

(JR伊丹駅コン

コース内)

において販売して

います

伊丹の文化財

「スケッチ集

」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

以上のスケッチ集は

アー

トホ

l

「蔵(くら)」(JR

伊丹駅前アリオ2

号館一階)

において販売しています

伊丹城跡発掘調査報告書

E四百円

五百円

各七百五十円

W-V

有岡城跡発掘調査報告書咽=

一千円

伊丹市埋蔵文化財調査報告書

I

(有岡城跡)

五百円

E

(御願塚古墳)

五百円

有岡城跡伊丹郷町

E

第1

2

分冊

各四千円

緑ケ丘遺跡

五百円

北園遺跡

一千五百円

緑ケ任遺跡第

三次調査報告書

九百円

口酒井遺跡詑お次調査

報告書

二千円

埋蔵文化財保護の手引き

分布地図

五百円

以上の書籍類は伊丹市教

育委員会事務局生涯学習部杜

会教育課において販売してお

ります

会員が開設している

ホームペl

ジldquo

どしどしアクセスしてくだ

さい皆様の求める情報がギ

ツシリありますよ

1

【アドレス】

23万一〉ミ印

ωヨ

ω027一E

ヨア」

ZH万一ミをささコ巴コ

0

ωaω才一一Zヨ一

「一一寸

編 [集

「巳

-言回

紙海M号をお届けします

今回は豊田正義さん益尾

宏之さん小長谷正治さん

中畔明日香さんから原稿を頂

きました

お忙しい中執筆

頂き有難うございました

さて事務局長として長年

当協会の発展にご尽

力して頂

いた古屋敷達夫氏が本年

3

末をもって退職されました

16

本当にお疲れ様でした

古屋敷氏の後任として

年三がその職に就くことにな

りました

全てが初めての体

験となります

」れから協会のため皆様と

ともに頑張っていきたいと考

えておりますので会員の皆様

のより一層のご支援ご協力を

頂きますようよろしくお願い

申し上げます

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

終海第 34 号発行日 平成21年 6 月 25 日

編集伊丹市文化財保存協会

664-0895 伊丹市宮ノ前2丁目 5香28号市立伊丹郷町館(旧岡田家住宅内)電話 FAX 072-772-8830 (直通)ホームページ httpitami-bunkazaijp Eメール o伍ce itami-bunkazaijp

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

Page 14: 第 34 号 - 伊丹市文化財保存協会 · 城、王の不在を察知し を開けさせて、他の砦も攻撃、侍町にも火を放. 璃塚砦の武将を調略。十月十五日の深夜に城門た信長軍は、有岡城惣構えの西側の要である上

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報誌

のホ 1

「いたみテイ」を当協会

のもと参加者を四グループに

分けて巡った

りリレ

方式で

実施当該

講座を受講することによ

って

更に伊丹の歴史

文化の深さ

を受講者総数日別名もの多くの

市民に知

て頂いた

(1日目)

開催日時 日月幻日

(土 )

4

0

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1

「伊丹郷町遺跡出

O O

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0 場

士の人形

小西酒造「長寿蔵

二階ギャラリー

伊丹市文化財スケッチ集

原画展の開催ldquo

古代民俗講座を開催ldquo

旧岡田家住宅酒蔵において

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1

ジに追加いたし

開催日時日月9日

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-

開催場所見陽池公園内

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(日)

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協会創立判周年記念事業と

古代民俗講座を9月

日から

M

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して会員の渋出純子氏に作成

頂いたスケッチ集の原画を旧

岡出家住宅

土間において

8

2

日から 8

日口日までの問展

一ボ期間中の観覧者数は一

コ一十八人を数えた

日月却日の間に全 5

回開催し

ました

「日本の怨霊再び」をテ

マに講師古代民俗学研究所代

表の大森亮尚先生の講義を受

講生刊名で楽しく学んだ

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」れまで検討を続けていま

したわがまち伊丹のグラフ情

万円一ヨ

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参加者数 お名

②「リレ l

講座紙

海学 j

O伊丹の歴史文化の

主たる

をテ i

マとした三つの講座を

大手前大学教授の川口宏海先

生方を講師とし j

第二回

業が繰り広げられ

l

次の

と好評を博した

市内には

年から昭和

「歴史文化が醸し出す

伊丹ロマン事業」の実施

伊丹市伊丹市教育委員会

が提唱し文化財関係同団体

で構成する伊丹ロマン事業実

行委員会を中心として各種事

当協会も

二つの事業を展開し多

くの市民の皆様方の参加のも

①「文学碑を訪ねて

j

現地講座

」j

当協会が昭和町

ω年までの 4

年の

聞に設置した

がある

ω基もの文学碑

その中で見陽池公園

一帯に設置した昆陽池等に因

んだ文学碑日基を判り易い解

説書を配布し事前研修に取

り組んだ当協会理事の説明

3

日間に一日

O O

講師

」川口宏海氏

-13-

l

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

日目

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O O開催日時

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講師

l

(2日日

)

開催日時日月お日

l

4

0

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マ①「伊丹郷町遺跡

大正昭和ロマン1

講師

小西酒造

長寿蔵」

二階ギャラリー

(

日月山日

A斗

ハυ

伊丹郷町ロマン

-

(日)

j

伊丹茂氏

(月)

h

-

υ

「摂津のへそ」

その一

村上敏展氏

小西酒造「長寿蔵」

二階ギャラリー

i

史跡めぐり

パスツアーldquoの実施

平成叩年度の史跡めぐりパ

スツア

日月日日

(金)

に和歌山県根来

高野山を

巡り楽しい一日を過ごしま

した

なお参加者羽名で実

施しました

第六回ひなかざり

伊丹郷町ldquo

平成加年度も

「白雪蔵ま

つり」

「わっ

しょい冬の

元気まつり

「一日だけの

バレンタインカフ

」等々の

イベントと連携を図り開催

期間を 2

7

日から 3

8

までのお日間とし

旧岡田家

住宅において明治から昭和ま

でのひな飾りやカルタすご

ろくの展示

「遺跡が語る伊

丹の酒造り」と

題した写

真パ

ネル展そして酒蔵大画面ビデ

オ放映

「伊丹の暦史

」の上映

南京桃の展示即売会を実施い

たしま

期間中次の出

来事がありました

立派な盆梅の展示

植木どころである東野の若

手グループより盆梅の展示が

ありました

文学碑の拓本と

写真パネルの展示

2

月 9

日に実施された田辺

聖子氏

「伊丹市名誉市民贈呈

式典」会場に協会出展として

ご本人揮官宅による文学碑の拓

本と写真パネルを展

示した

役員研修会を実施ldquo

3

月刊日に役員研修会を参

加者同名で実施しました

今回は岐阜県の関ヶ原と滋

賀県の安土城の視察研修を実

施しました

14

3

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

において団員幻名参加のもと

(稲野小6

年)

平成二十年度伊丹市γ

和人

愛護少年団(かるた大会)

文化財愛護少年団入図式一笹の葉に願い事を書き込んだ

夏希(稲野小

年)

3

短冊や色紙で作った色とりど

優勝】「ブラックホ

1ル」

5

月白日旧岡田家住宅酒蔵

りの飾りを結びつけ旧岡田

【準優勝

教育長盾

渡辺

彩花(南小

年)

5

で入図式を行いました

家の玄関に設

行き交う

杉山

健太

(花里小 年)

4

沖野帆乃花(南小 5

年)

団員町名保護者指導者

人々の目を楽しませていた

麿瀬

大城(花里小

年)

4

山本

楓子(南小 6

年)

等別名の計115

名参加のも

初仕立口

穂高 (花里小 年)

4

と入国式が挙行された

第二位

「ガツツカポ1

ズ」

【第三位

疋田

彩花(南小

年)

6

文化財保存協会

会長盾】

大西久美子(南小 6

年)

愛美(花里小 6

年)

山田恵美釆(南小 6

年)

l

大前

綾香(花里小

年)

6

野口奈々美 (花里小6

年)

第三位「ミッキ

1

前田

みゆ

鈴原小2

年)

村上

璃帆(昆陽里小 6

年)

ω文化財愛護かるた

勝部

ザ利子(鈴原小2

年)

小田美都里(見陽里小 6

年)

大会を開催

中里かりん

(鈴原小2

年)

増井佐弥香(見陽里小

年)

6

新春恒例のかるた大会を1

月8

日には図書館 2

階で(出

組問人)1

月刊日にはいた

l

4

みホ

階和室で(団員羽

名指導員他ロ名)

同チ ムロ

人)実施した

Q

市内小学生文化財愛護少

ωサマ

キャンプの実施

年団員を対象とし参加者は l

8

月刊ω日 18

月印日の 泊

合わせて 135

人であった

伊丹市文化財愛護

2

日で団

日指導員他 8

結果は次のとおり

少年団の活動

名の参加のもと

「兵庫県立歴

FζnkHV

図書館大会(かるた大会)

りたなばたまつりの実施

史博物館」

「姫路市自然観

)11

7月 5

日国の重要文化財

察の森」そして

「赤穂海洋

【優勝

市長杯

である旧岡田家住宅

「酒蔵」

科学館」等の見学をした

松本

直之

(稲野小6

l

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Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

凶文化財愛護少年団

す叫「業旅行の実施

3

月幻日に愛護少年団の卒

業旅行を

ω字の参加のもと大

阪城大阪歴史博物館を見学

しました

既刊書あんない

伊丹の文化財

二千円

分布地図

五百円

伊丹の伝説

八百円

麦わら音頭

文学碑をたずねて

伊丹の年中行事

伊丹の酒造り道具

文化財を訪ねて

有馬道

巡礼と街道

伊丹の仕ごと唄

伊丹のわらべ唄⑦

新伊丹史話

聞き書き

六百円

一千円

六百円

五百円

五百円

四百円

四百円

六百円

六百円

千円

「伊丹のくらし」千二百円

地域研究いたみ第

ロ号

第お号

第日比号

千二百円

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絵はがき「鬼貫賛春ト画巻」百

伊丹の文化財

「スケッチ集

「スケッチ集

発掘された伊丹の町

酒の町伊丹

ー」四百円

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以上の書籍類は当協会事 四

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務所(旧岡田家住宅内)

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収博物館において販売してい

伊丹の文化財

「スケッチ集

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文学碑をたずねて

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文化財を訪ねて

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以上の書籍類は伊丹市観

光物産協会

(JR伊丹駅コン

コース内)

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伊丹の文化財

「スケッチ集

」四百円

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アー

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伊丹城跡発掘調査報告書

E四百円

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I

(有岡城跡)

五百円

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(御願塚古墳)

五百円

有岡城跡伊丹郷町

E

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分冊

各四千円

緑ケ丘遺跡

五百円

北園遺跡

一千五百円

緑ケ任遺跡第

三次調査報告書

九百円

口酒井遺跡詑お次調査

報告書

二千円

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「巳

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今回は豊田正義さん益尾

宏之さん小長谷正治さん

中畔明日香さんから原稿を頂

きました

お忙しい中執筆

頂き有難うございました

さて事務局長として長年

当協会の発展にご尽

力して頂

いた古屋敷達夫氏が本年

3

末をもって退職されました

16

本当にお疲れ様でした

古屋敷氏の後任として

年三がその職に就くことにな

りました

全てが初めての体

験となります

」れから協会のため皆様と

ともに頑張っていきたいと考

えておりますので会員の皆様

のより一層のご支援ご協力を

頂きますようよろしくお願い

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Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

終海第 34 号発行日 平成21年 6 月 25 日

編集伊丹市文化財保存協会

664-0895 伊丹市宮ノ前2丁目 5香28号市立伊丹郷町館(旧岡田家住宅内)電話 FAX 072-772-8830 (直通)ホームページ httpitami-bunkazaijp Eメール o伍ce itami-bunkazaijp

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

Page 15: 第 34 号 - 伊丹市文化財保存協会 · 城、王の不在を察知し を開けさせて、他の砦も攻撃、侍町にも火を放. 璃塚砦の武将を調略。十月十五日の深夜に城門た信長軍は、有岡城惣構えの西側の要である上

日目

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マ①「伊丹郷町遺跡

大正昭和ロマン1

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二階ギャラリー

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「摂津のへそ」

その一

村上敏展氏

小西酒造「長寿蔵」

二階ギャラリー

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史跡めぐり

パスツアーldquoの実施

平成叩年度の史跡めぐりパ

スツア

日月日日

(金)

に和歌山県根来

高野山を

巡り楽しい一日を過ごしま

した

なお参加者羽名で実

施しました

第六回ひなかざり

伊丹郷町ldquo

平成加年度も

「白雪蔵ま

つり」

「わっ

しょい冬の

元気まつり

「一日だけの

バレンタインカフ

」等々の

イベントと連携を図り開催

期間を 2

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までのお日間とし

旧岡田家

住宅において明治から昭和ま

でのひな飾りやカルタすご

ろくの展示

「遺跡が語る伊

丹の酒造り」と

題した写

真パ

ネル展そして酒蔵大画面ビデ

オ放映

「伊丹の暦史

」の上映

南京桃の展示即売会を実施い

たしま

期間中次の出

来事がありました

立派な盆梅の展示

植木どころである東野の若

手グループより盆梅の展示が

ありました

文学碑の拓本と

写真パネルの展示

2

月 9

日に実施された田辺

聖子氏

「伊丹市名誉市民贈呈

式典」会場に協会出展として

ご本人揮官宅による文学碑の拓

本と写真パネルを展

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役員研修会を実施ldquo

3

月刊日に役員研修会を参

加者同名で実施しました

今回は岐阜県の関ヶ原と滋

賀県の安土城の視察研修を実

施しました

14

3

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

において団員幻名参加のもと

(稲野小6

年)

平成二十年度伊丹市γ

和人

愛護少年団(かるた大会)

文化財愛護少年団入図式一笹の葉に願い事を書き込んだ

夏希(稲野小

年)

3

短冊や色紙で作った色とりど

優勝】「ブラックホ

1ル」

5

月白日旧岡田家住宅酒蔵

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【準優勝

教育長盾

渡辺

彩花(南小

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で入図式を行いました

家の玄関に設

行き交う

杉山

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団員町名保護者指導者

人々の目を楽しませていた

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等別名の計115

名参加のも

初仕立口

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と入国式が挙行された

第二位

「ガツツカポ1

ズ」

【第三位

疋田

彩花(南小

年)

6

文化財保存協会

会長盾】

大西久美子(南小 6

年)

愛美(花里小 6

年)

山田恵美釆(南小 6

年)

l

大前

綾香(花里小

年)

6

野口奈々美 (花里小6

年)

第三位「ミッキ

1

前田

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鈴原小2

年)

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璃帆(昆陽里小 6

年)

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勝部

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年)

大会を開催

中里かりん

(鈴原小2

年)

増井佐弥香(見陽里小

年)

6

新春恒例のかるた大会を1

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日には図書館 2

階で(出

組問人)1

月刊日にはいた

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4

みホ

階和室で(団員羽

名指導員他ロ名)

同チ ムロ

人)実施した

Q

市内小学生文化財愛護少

ωサマ

キャンプの実施

年団員を対象とし参加者は l

8

月刊ω日 18

月印日の 泊

合わせて 135

人であった

伊丹市文化財愛護

2

日で団

日指導員他 8

結果は次のとおり

少年団の活動

名の参加のもと

「兵庫県立歴

FζnkHV

図書館大会(かるた大会)

りたなばたまつりの実施

史博物館」

「姫路市自然観

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7月 5

日国の重要文化財

察の森」そして

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【優勝

市長杯

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科学館」等の見学をした

松本

直之

(稲野小6

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Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

凶文化財愛護少年団

す叫「業旅行の実施

3

月幻日に愛護少年団の卒

業旅行を

ω字の参加のもと大

阪城大阪歴史博物館を見学

しました

既刊書あんない

伊丹の文化財

二千円

分布地図

五百円

伊丹の伝説

八百円

麦わら音頭

文学碑をたずねて

伊丹の年中行事

伊丹の酒造り道具

文化財を訪ねて

有馬道

巡礼と街道

伊丹の仕ごと唄

伊丹のわらべ唄⑦

新伊丹史話

聞き書き

六百円

一千円

六百円

五百円

五百円

四百円

四百円

六百円

六百円

千円

「伊丹のくらし」千二百円

地域研究いたみ第

ロ号

第お号

第日比号

千二百円

千二百円

一千円

絵はがき「鬼貫賛春ト画巻」百

伊丹の文化財

「スケッチ集

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発掘された伊丹の町

酒の町伊丹

ー」四百円

E

」四百円

百円

以上の書籍類は当協会事 四

百円

務所(旧岡田家住宅内)

ます

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収博物館において販売してい

伊丹の文化財

「スケッチ集

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「スケッチ集

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」四百円

文学碑をたずねて

一千円

文化財を訪ねて

五百円

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光物産協会

(JR伊丹駅コン

コース内)

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います

伊丹の文化財

「スケッチ集

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「スケッチ集

E

」四百円

以上のスケッチ集は

アー

トホ

l

「蔵(くら)」(JR

伊丹駅前アリオ2

号館一階)

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伊丹城跡発掘調査報告書

E四百円

五百円

各七百五十円

W-V

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一千円

伊丹市埋蔵文化財調査報告書

I

(有岡城跡)

五百円

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(御願塚古墳)

五百円

有岡城跡伊丹郷町

E

第1

2

分冊

各四千円

緑ケ丘遺跡

五百円

北園遺跡

一千五百円

緑ケ任遺跡第

三次調査報告書

九百円

口酒井遺跡詑お次調査

報告書

二千円

埋蔵文化財保護の手引き

分布地図

五百円

以上の書籍類は伊丹市教

育委員会事務局生涯学習部杜

会教育課において販売してお

ります

会員が開設している

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ジldquo

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【アドレス】

23万一〉ミ印

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ω027一E

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「一一寸

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紙海M号をお届けします

今回は豊田正義さん益尾

宏之さん小長谷正治さん

中畔明日香さんから原稿を頂

きました

お忙しい中執筆

頂き有難うございました

さて事務局長として長年

当協会の発展にご尽

力して頂

いた古屋敷達夫氏が本年

3

末をもって退職されました

16

本当にお疲れ様でした

古屋敷氏の後任として

年三がその職に就くことにな

りました

全てが初めての体

験となります

」れから協会のため皆様と

ともに頑張っていきたいと考

えておりますので会員の皆様

のより一層のご支援ご協力を

頂きますようよろしくお願い

申し上げます

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

終海第 34 号発行日 平成21年 6 月 25 日

編集伊丹市文化財保存協会

664-0895 伊丹市宮ノ前2丁目 5香28号市立伊丹郷町館(旧岡田家住宅内)電話 FAX 072-772-8830 (直通)ホームページ httpitami-bunkazaijp Eメール o伍ce itami-bunkazaijp

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絲海 第34号(H21)

Page 16: 第 34 号 - 伊丹市文化財保存協会 · 城、王の不在を察知し を開けさせて、他の砦も攻撃、侍町にも火を放. 璃塚砦の武将を調略。十月十五日の深夜に城門た信長軍は、有岡城惣構えの西側の要である上

において団員幻名参加のもと

(稲野小6

年)

平成二十年度伊丹市γ

和人

愛護少年団(かるた大会)

文化財愛護少年団入図式一笹の葉に願い事を書き込んだ

夏希(稲野小

年)

3

短冊や色紙で作った色とりど

優勝】「ブラックホ

1ル」

5

月白日旧岡田家住宅酒蔵

りの飾りを結びつけ旧岡田

【準優勝

教育長盾

渡辺

彩花(南小

年)

5

で入図式を行いました

家の玄関に設

行き交う

杉山

健太

(花里小 年)

4

沖野帆乃花(南小 5

年)

団員町名保護者指導者

人々の目を楽しませていた

麿瀬

大城(花里小

年)

4

山本

楓子(南小 6

年)

等別名の計115

名参加のも

初仕立口

穂高 (花里小 年)

4

と入国式が挙行された

第二位

「ガツツカポ1

ズ」

【第三位

疋田

彩花(南小

年)

6

文化財保存協会

会長盾】

大西久美子(南小 6

年)

愛美(花里小 6

年)

山田恵美釆(南小 6

年)

l

大前

綾香(花里小

年)

6

野口奈々美 (花里小6

年)

第三位「ミッキ

1

前田

みゆ

鈴原小2

年)

村上

璃帆(昆陽里小 6

年)

ω文化財愛護かるた

勝部

ザ利子(鈴原小2

年)

小田美都里(見陽里小 6

年)

大会を開催

中里かりん

(鈴原小2

年)

増井佐弥香(見陽里小

年)

6

新春恒例のかるた大会を1

月8

日には図書館 2

階で(出

組問人)1

月刊日にはいた

l

4

みホ

階和室で(団員羽

名指導員他ロ名)

同チ ムロ

人)実施した

Q

市内小学生文化財愛護少

ωサマ

キャンプの実施

年団員を対象とし参加者は l

8

月刊ω日 18

月印日の 泊

合わせて 135

人であった

伊丹市文化財愛護

2

日で団

日指導員他 8

結果は次のとおり

少年団の活動

名の参加のもと

「兵庫県立歴

FζnkHV

図書館大会(かるた大会)

りたなばたまつりの実施

史博物館」

「姫路市自然観

)11

7月 5

日国の重要文化財

察の森」そして

「赤穂海洋

【優勝

市長杯

である旧岡田家住宅

「酒蔵」

科学館」等の見学をした

松本

直之

(稲野小6

l

d

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絲海 第34号(H21)

凶文化財愛護少年団

す叫「業旅行の実施

3

月幻日に愛護少年団の卒

業旅行を

ω字の参加のもと大

阪城大阪歴史博物館を見学

しました

既刊書あんない

伊丹の文化財

二千円

分布地図

五百円

伊丹の伝説

八百円

麦わら音頭

文学碑をたずねて

伊丹の年中行事

伊丹の酒造り道具

文化財を訪ねて

有馬道

巡礼と街道

伊丹の仕ごと唄

伊丹のわらべ唄⑦

新伊丹史話

聞き書き

六百円

一千円

六百円

五百円

五百円

四百円

四百円

六百円

六百円

千円

「伊丹のくらし」千二百円

地域研究いたみ第

ロ号

第お号

第日比号

千二百円

千二百円

一千円

絵はがき「鬼貫賛春ト画巻」百

伊丹の文化財

「スケッチ集

「スケッチ集

発掘された伊丹の町

酒の町伊丹

ー」四百円

E

」四百円

百円

以上の書籍類は当協会事 四

百円

務所(旧岡田家住宅内)

ます

L

収博物館において販売してい

伊丹の文化財

「スケッチ集

ー」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

文学碑をたずねて

一千円

文化財を訪ねて

五百円

以上の書籍類は伊丹市観

光物産協会

(JR伊丹駅コン

コース内)

において販売して

います

伊丹の文化財

「スケッチ集

」四百円

「スケッチ集

E

」四百円

以上のスケッチ集は

アー

トホ

l

「蔵(くら)」(JR

伊丹駅前アリオ2

号館一階)

において販売しています

伊丹城跡発掘調査報告書

E四百円

五百円

各七百五十円

W-V

有岡城跡発掘調査報告書咽=

一千円

伊丹市埋蔵文化財調査報告書

I

(有岡城跡)

五百円

E

(御願塚古墳)

五百円

有岡城跡伊丹郷町

E

第1

2

分冊

各四千円

緑ケ丘遺跡

五百円

北園遺跡

一千五百円

緑ケ任遺跡第

三次調査報告書

九百円

口酒井遺跡詑お次調査

報告書

二千円

埋蔵文化財保護の手引き

分布地図

五百円

以上の書籍類は伊丹市教

育委員会事務局生涯学習部杜

会教育課において販売してお

ります

会員が開設している

ホームペl

ジldquo

どしどしアクセスしてくだ

さい皆様の求める情報がギ

ツシリありますよ

1

【アドレス】

23万一〉ミ印

ωヨ

ω027一E

ヨア」

ZH万一ミをささコ巴コ

0

ωaω才一一Zヨ一

「一一寸

編 [集

「巳

-言回

紙海M号をお届けします

今回は豊田正義さん益尾

宏之さん小長谷正治さん

中畔明日香さんから原稿を頂

きました

お忙しい中執筆

頂き有難うございました

さて事務局長として長年

当協会の発展にご尽

力して頂

いた古屋敷達夫氏が本年

3

末をもって退職されました

16

本当にお疲れ様でした

古屋敷氏の後任として

年三がその職に就くことにな

りました

全てが初めての体

験となります

」れから協会のため皆様と

ともに頑張っていきたいと考

えておりますので会員の皆様

のより一層のご支援ご協力を

頂きますようよろしくお願い

申し上げます

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絲海 第34号(H21)

終海第 34 号発行日 平成21年 6 月 25 日

編集伊丹市文化財保存協会

664-0895 伊丹市宮ノ前2丁目 5香28号市立伊丹郷町館(旧岡田家住宅内)電話 FAX 072-772-8830 (直通)ホームページ httpitami-bunkazaijp Eメール o伍ce itami-bunkazaijp

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凶文化財愛護少年団

す叫「業旅行の実施

3

月幻日に愛護少年団の卒

業旅行を

ω字の参加のもと大

阪城大阪歴史博物館を見学

しました

既刊書あんない

伊丹の文化財

二千円

分布地図

五百円

伊丹の伝説

八百円

麦わら音頭

文学碑をたずねて

伊丹の年中行事

伊丹の酒造り道具

文化財を訪ねて

有馬道

巡礼と街道

伊丹の仕ごと唄

伊丹のわらべ唄⑦

新伊丹史話

聞き書き

六百円

一千円

六百円

五百円

五百円

四百円

四百円

六百円

六百円

千円

「伊丹のくらし」千二百円

地域研究いたみ第

ロ号

第お号

第日比号

千二百円

千二百円

一千円

絵はがき「鬼貫賛春ト画巻」百

伊丹の文化財

「スケッチ集

「スケッチ集

発掘された伊丹の町

酒の町伊丹

ー」四百円

E

」四百円

百円

以上の書籍類は当協会事 四

百円

務所(旧岡田家住宅内)

ます

L

収博物館において販売してい

伊丹の文化財

「スケッチ集

ー」四百円

「スケッチ集

E

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文学碑をたずねて

一千円

文化財を訪ねて

五百円

以上の書籍類は伊丹市観

光物産協会

(JR伊丹駅コン

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伊丹の文化財

「スケッチ集

」四百円

「スケッチ集

E

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以上のスケッチ集は

アー

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l

「蔵(くら)」(JR

伊丹駅前アリオ2

号館一階)

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伊丹城跡発掘調査報告書

E四百円

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伊丹市埋蔵文化財調査報告書

I

(有岡城跡)

五百円

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(御願塚古墳)

五百円

有岡城跡伊丹郷町

E

第1

2

分冊

各四千円

緑ケ丘遺跡

五百円

北園遺跡

一千五百円

緑ケ任遺跡第

三次調査報告書

九百円

口酒井遺跡詑お次調査

報告書

二千円

埋蔵文化財保護の手引き

分布地図

五百円

以上の書籍類は伊丹市教

育委員会事務局生涯学習部杜

会教育課において販売してお

ります

会員が開設している

ホームペl

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さい皆様の求める情報がギ

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1

【アドレス】

23万一〉ミ印

ωヨ

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ZH万一ミをささコ巴コ

0

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「一一寸

編 [集

「巳

-言回

紙海M号をお届けします

今回は豊田正義さん益尾

宏之さん小長谷正治さん

中畔明日香さんから原稿を頂

きました

お忙しい中執筆

頂き有難うございました

さて事務局長として長年

当協会の発展にご尽

力して頂

いた古屋敷達夫氏が本年

3

末をもって退職されました

16

本当にお疲れ様でした

古屋敷氏の後任として

年三がその職に就くことにな

りました

全てが初めての体

験となります

」れから協会のため皆様と

ともに頑張っていきたいと考

えておりますので会員の皆様

のより一層のご支援ご協力を

頂きますようよろしくお願い

申し上げます

Copyright(C) 伊丹市文化財保存協会

絲海 第34号(H21)

終海第 34 号発行日 平成21年 6 月 25 日

編集伊丹市文化財保存協会

664-0895 伊丹市宮ノ前2丁目 5香28号市立伊丹郷町館(旧岡田家住宅内)電話 FAX 072-772-8830 (直通)ホームページ httpitami-bunkazaijp Eメール o伍ce itami-bunkazaijp

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終海第 34 号発行日 平成21年 6 月 25 日

編集伊丹市文化財保存協会

664-0895 伊丹市宮ノ前2丁目 5香28号市立伊丹郷町館(旧岡田家住宅内)電話 FAX 072-772-8830 (直通)ホームページ httpitami-bunkazaijp Eメール o伍ce itami-bunkazaijp

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