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894

る信盟一一を附帯するに一患った日

別は一番語通事に轄じも更仁恒春郡満州庄長の柴職に事げられ蕃族関仁於ては身議、本島人関仁も大江

繍十第審理の後護領陶帝

第十一端

一審一位事件と蕃一粧襲撃事件議論

童書

霧祉事件の知期末

章一筋

言書

山町四HMF

悼向4J

出展制品川

l=i

霧枇事件は蔓中州能高郡一番地霧祉分室管内に於ける所謂霧枇蕃十一一枇

(霧世蕃は二枇あb

しも某

の内?カサン枇は爾三年前より漸究隣接のマヘポ枇及ポアルン枇に合併しも昭和五年初めに至h

米 1漁の件事面I:霧

「祉となれり)中マヘポ祉、、場ア閥脚ン枇、* コ

悶iK17一枇、品ツロワン枇も見i

ク祉の六一祉を中

心L

しする蕃人壮丁約三百人が十月二十七日早朝、突如一番に蜂起し嘗日偶3小も公畢校運動曾のため

に霧枇公皐校に参集せる内地人官民誼皐童の大部分を虐殺し、同時に霧枇分室を初め皐枝、E更コ可立

霊7411

各職員宿舎、民家及分室を中心ーとする附近駐在所十三ケ所を襲撃して職員説家族共他内地人百三十四

名本島人二名、A口計百三十六名(外二名負傷後死亡、一名義虫病にて死亡)を殺数すると共に駐在所の

大部分を燥蓋し、銃器、擁護、家具、衣類等を掠奪し惨虐を錯したるものなり。

一、霧一枇地方の概出

895

霧一位は本島の中央仁位しも海抜三千七百尺の山地にして本島中央部を横断せる印刷謂能高越道路の要

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一-」をたとザムc''·='ニム三三工""立"''竺工中三:

896

地を占めも蕃地中最も開殺を見たる地黙の一た

bo事件営時に於て内地人三十六戸百五十七人、本島

人二十三戸百十一人の小部落を成

LB

能高郡警察課分室、郵便局、小島十枚、公皐校の各官街も内地人

経替の旅館一も内地人雑貨尾一も本島人雑貨店三

dのちたho

編ー十第

所在地は濁水撰上琉tH

口、車ン擦の渓谷に挟まれたる脊稜地にしても墓地一帯には古豪州艇樹多〈東に

能高連峰を眺め附近に温泉あ

h

ノもん筑候ホ内地の夫れに酷似して本島蕃地中有数の景勝の地

3として最近

止の地に疲遊する者漸ぐ増加しつつあ

bたho

イ!js事撃襲最上帯主 f守二事ill霧

蕃人の教化に就ては霧祉に公串校の設けあ’りたる外、

マヘポ@ポアルンに各一ケ所の蕃主教育所の

設けあb

たりo

此等教育所の卒業者の中には更に小皐校を卒業したる者三も在皐中な

hし者一、進ん

で中等向培技を卒業したる者二日下和串中の者四究あ

h自品川会串校友鞍背所の概記を示せば左の如し

(騒提前現在)

区分

霧一位公犠校

7

ヘポ教育所

ボアルン教育所

計事

tE.

者数卒業者累計

二O

五戸外に本島人五)一一一凶一

一一一四六五

五O

三五

二八九

四回一

Z容

六六、二八%

其他衛生機関としては霧一枇に公醤診療所も

マヘポ@ポア間持〉@

o取izI

の各枇に療養所の設あち

D施

療に嘗b

つつあb

て衛生朕態は良好なb

きも

授産施設としては霧祉に産業指導所詑養輩指導所ゐ毎日

殊に此の地は全島蕃地の中央に在ちも各種作物の試験栽培に趨嘗の地位営占むるを以て水田耕作を初

めL

しして各種作物の指導奨殿、牧官官、養輩等着々成績を暴げつつありたbo

従って各祉の生活も相嘗にして郵便貯金高(十月兇行前日現在)は七千五一間九十一銭に上れb口

品開生活様式の改善、闘語の普長等に就ても捕里街仁も近く、民審接簡の機合も繁(他の蕃族仁比して

章一銭

性自に値するものありたり。

所謂霧一枇蕃は上越せる高牽を中心として各所に集閤嬬居するもの仁して、霧祉分室よら十数町を距

末期の件事社霧

てたる南方高地仁。ハi号ン祉あbE

戸敷百三十戸、人口五百四十五人を擁しも霧祉審中最も勢力を有

す。Aiラン祉と相調峠して、分室北方約二十町の高地にはロi

ドヲ枇五十七戸、二百八十五人の審一枇

あb

も国i

ドフ枇の東南方霧祉を去る東方三十町の山腹に地iゴi

祉、五十八戸も二百六十九人の密

集審吐あho

更に東方約一一盟濁水、提右岸仁措ふてスi

ウ吐五十五戸も二百三十一人正之IC相艶して同

換左岸にポア悶岬ン一位四十八戸、百九十二人の二枇ありも内ロ

IK17枇@曲部i

耳i

舵@えlhツ枇@ポアル

〉枇の四祉はも今悶の施鑓仁際して何れも兇行に加携したるものなb

事件の中心宇佐一筋せるマヘ端祉

は、求アんシ一枇の南方約三十町、濁水漢支流たる7カサ〉混とマヘポ擦とのA口流勤に位しも概めて要害

庁d加の地を占む戸数五十四戸も人口二百三十一人あり口マへド甲小枇より濁水、援左岸仁指ふて下るこ士約一一盟

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にして今同事件の中総所の役割を演悲しタ諮りン枇ゐbも僅かに戸数八戸も人口二十八人の小蕃枇に

過ぎ?、霧一枇牽地より東南方濁水龍谷を隔てて前方山腹にはタカ十ン祉二戸、七十四人とカヴヴウ

枇二十入戸事百十五人のニ祉ありも更に霧枇より西方的円、棋ン、援に措ふて下るこ

L二里宇にして同擦とト

編ー十第

i

百ン擦とのA口流知にもトiガシ枇三十七戸、百五十人人15yi。ハウ一枇十一一一戸、五十人とのこ枇ゐ

bo

所詩人止闘の険乞掘して霧祉一替の開門を霜す。以上霧枇蕃の外に霧枇附廷の蕃人

3としては霧枇東南

方約二里飴濁水撲に沿ふて戸数百五十一戸、人口五百二十八人を擁する高大蕃ゐ

b

、霧枇東北方ニノ里

乃至三里濁水渓上流地方にはタウヴア@トロヴタの雨蕃ゐ

hJo前者は戸数二百戸も人口入百十六人、後

件毒事繋襲枇着手と件毒事枇主義

一枇は戸数二百二十三戸も人口九百七十六人を有す。而して右三蕃とも霧祉審ーしは別箇の系流を錯すも

の仁して何れも霧吐蕃に針して相嘗の勢力を維持し、相互に相牽制し来れるものなり。主(他霧祉北方

「抗日、最ン分水嶺」を越え北地渓惟岸地方には「白狗蕃」「マレヴパ蕃」の幡居するありも濁水深に沿ふて下

流五里の地方には「7又ン族」たる「子卓寓蕃」ありも何れも霧一枇蕃の動静に付ては直接、間接に相嘗密

接なる関係を有するものなbo

こも霧祉審に就τ

霧枇審はタ2q-ヤ時間族中特にセぜダヴ先と稀しも言語風搭に於て他のタイヤ島族と匿別せられも且粗

先に開削する縛設を異仁すと稿せらるも古泉蕃一耽比較的大にして自ら高しとなしも間見猛を以て四隣併に間関

ゆ日明治一一一十年横断道路探険の震に入出せる深堀大尉一行十四名を設中に陸殺せるこ

3とありてより膳

懲の矯久しく封鎖せられ囲窮共の極に蓮しも

二皮錦順守ゲ」願出でたるも誠意なきを以て許さるる所とな

pb十も偶よ濃て仇一敵闘係ある「子卓高」蕃人の謀略に陥り多大の被害を蒙、りも勢力の維持困難なるに至

九五 f倒的 f'I: 事前!?法 章一銭

bE

明治三十九年哀願して漸〈蹄順を許されたるものな

ho

共後間もなく陸勇線右前進して警防を巌仁せるに拘ら十、真に一番害の終憾する模様な

ph

官命を奉

体」ぎる傾向ありしを以ても明治四十三年十二月一千有能名よ

b

成る討伐隊を編成し、一ニヶ月に瓦

b

徹底的に-謄懲!、銃器千二百挺を押牧せ

h

口翌四十四年にはホie31一祉顕目二名主謀者冒とな

b

反抗を

企てたることあるも事前仁穫畳して事なきゃ}得たり

o

主(後に於ても反抗計霊行はれたるこ正あるが如

きも共都度賞現仁至らす今日に至れりも霧枇蕃

3と近隣各蕃止の関係はト自ヴウ@タウヴア等

L

しは時に

曲折あbたるも比較的平調なる関係じ在bも一品大@白澗@マレヴバ蕃等に劃しては古く仇敵関係ありた

るも近年不和の賦態にあbLr」言ふにはあらざbき。

一一一、霧枇小も金属十校運動命日の朕視

霧一祉に於ては年中行事ーしして毎年一同秋季仁一霧祉会準校(蕃支のみ牧容)に於ても合同千枝見童挫分室

管内各教育所児童の畢婆曾及小問中校も公開学校の合同運動曾を開催するを例

LLしも本年も恒例により十

899

月二十六日間千塾舎、翌二十七日仁運動曾を開催するこ

lしとなり、能高郡役所よちは小笠原郡守以下観

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件事撃襲『止蓉と件事枇霧900

事も警部鼻、他関係者之に臨席の愚前日たる二十五日よ

h同地に出張滞在しも管内各駐在所よ告も或は

事童を引率しも或は子弟の成瀧を見るぺ〈参集せる職員誼家族共他蕃章一に附捺へる交兄等も多数ゐ

b

職員を初め、八万室就駐在所職員等は早朝よ

h

各々共の分擢せる準備に多仕を極め市見物の各祉審人老

六日の島一誌丈震は例によ

b

盛命日挫に終了したるもも翌二十七日は運動曾嘗日のこととて小、公開字放

縞ーナ第

幼男女を初めとして職員も家族共他霧世在住の内裏人等は績々曾場に饗集し開命日の準備も整ひも午前

八時頃圏麓掲揚式に移らんとする剥那突如として見蕃の襲撃を受けた

bo

簡事件の原因

撫審着手以来肢に十数年を閉すと雄もも蕃族博来の賊首闘争の性癖は時冒として接現しも/意外なる地

叉博統の迷信より宕兇嫡踊等

行加害を見たるζsc

稀なりとせ令、蕃族は生来武勇を命び戦闘を好みも

極めて簡単なる日常の事象に関聯しても識首闘争を敢てするの奇怪なる習性を有しち

議しも

一旦共の佐癖勃

更に群衆心理之に競合する場合は意外なる結果を惹起することは想像に難からやヲも

守宝-よ寸こ

/心V4ψ4tfげ斗apq

看過すぺから古るは蕃人の生活肢態が今街、原始的なる塩族同開館を基調

7ζしでも彼等が自枇以外の者に

艶守る関係は個々の個人関係たるよ

b

も寧ろ蕃祉金馳阻止しての関心事たること多言結にして僅かの禁

厭に於てき三番世会部の問題として考虚せらる、ふこと多し。

今国の事件の如きも尖の惨害比較的甚大

なちしは専ら右の盟曲によるものにして、

以下記述する諸原因は右事貨を前提として交互に国とな

b

阻品串

副総湘

"'品開附輔ささ;椅

芹YU町。山市図

面HhyM叫、4?マ4閤

室戸

@〉そ

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芹蛸 CJ

ミE 南町 0

調醐ー』一、

祖 ill 主+~+『合

"'醐出t 同

ミ京府侭相ト川ごコ泊

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闘部首となb

て事件の謹麗を岡地る仁歪b

たるものk

解するを至嘗止す。

て建築材料運嫌の苦痛雄賃銀支擁護延仁聾する不平

施行原因止して出役の苦痛は各蕃人ともに塑ふる所にして、就中最近に於りる小間培技寄宿合用木材

の運搬は端な〈も彼等に兇行の動機を輿へたるもの?と認めらる。

章一銭

霧祉分室管内中霧祉審方面に於てはE昭和四年度及同五年度嘗初よh

事件勃葎直前迄の開に駐在所

就附属建物の移韓首改築B

修繕、道路、橋梁の補修、授産水路の補修工事等大小九件の出役工事(反

抗蕃人の出役したるもの〉あb

たb

、然るに蕃人は由来勇猛を以て誇bt

揺し、附労役を好まざる偉統

米飯の件事社霧

的傾向あるk

工事の関係上彼等の生業時期の繁閑をのみ顧みるこLι

能はざりし事情ありたbo

加之木

材運搬に際しては蕃人は通常之を引揺る習慣なる仁拘ら十材料の損傷を慮

b

も工事関係者に於て携謹

を命じたることあり車両賃銀支排も遅延勝もの服況にありたり之が矯めも各枇蕃人とも共の菩痛を脚

もも不平の念を醸成したるものと認めらる。

捕して右小撃校寄-宿舎用木材は、マヘポ祉東南方約二里宇の森林内より採取するものなるを以て之

が運搬の矯め同造材地に出入する者は必十マヘ棋一祉を通過するこ主主てもマヘ、恭一枇蕃人

Lι接嫡し之が

不平を相互に談令する機命日を多からしめたるが如し。

901

工、宮球骨内J444地。島東ワザス等の書策

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902

求izi

一枇蕃了。邑求サヴポ(推定二十一歳)は、品リヴ目黒ロ

iバオの次男にして性極めて校紬畑、官命に

従順なら宇も若年の頃よら蕃丁中最も注意を要せしものなり口嘗て其の従見ビホナウイが家庭不和の

一持めも万大祉審童を蹴首せる廉によち霧祉分室に於て槌刑に庭せられたるを憤

bB常に反官的態度を

示し居たるが、長十るに従ひ益々兇暴の振舞多〈、駐在所員よ

bJ読誌を受〈るこL’L屡々なるも更に改

俊の模様なぐ、大正十四年三月も万大枇蕃人が姉妹ケ原方面に出草しち干卓万蕃人三名を械首せる際

縦一十第

に之に奉加したる廉により持役三十日に庭ぜられも昭和三年再び干卓万方面に出草を企て露見して庭

罰せられたることありしがも同人は数年前万大祉審婦品。ヒナウ

rqL’a」入夫婚姻を一潟しも既に五歳の長子

一生埜塑堕ヨ:叩鍔

を器げ居るに拘はら宇佐質不良なる符めも

共の妻?との折人口思はしから歩、

加ふザOに妻同州ピナウイも性

多情にして万大一枇蕃了。ハワンノーヵンvc姦遁せるを以て議仁万大祉に居揺らや

J求f冨i一枇仁鴎ちも悲

観慎悩の中に日を送りつつあ

bたbJO

w時41耳i

祉審了。己申品ワ

MY其(推定三十一歳)は前記。邑求ナウイの従兄てして性横早帯、酒を噌み尉乱暴す

るの癖みのちも共の一家は明治四十四年頃官に反抗したる廉によ’

OAT-部樺却に癒せらるも官時彼は隣家

に在ちし矯め共の底分。ど免れたるものなるが成長するに長び、

之が矯めに官憲を怨むこと甚だし(機

曾あらば内地人を塵殺して究母品弟の震を慰めん

Lι蕃人間に豪語し居たる模様あ

bも彼は妻女あるに

拘ら十他の蕃姉fc姦通すること一一丹なら子、

北への都度霧祉分宮一に留置麗分を受〈、

魚めに家庭内は常

に不和にして妻女は本年六月之を苦仁してい愉死せる仁拘らや旬、

被は却て之を奇貨措〈可しまし仙閣の女

曹と姦通する等の不行跡あbG

之が矯め盆FA一枇来に信を失ふ事多〈最近仁於て厭世的主なり旗めて自暴畠棄的態度セ探

b

窟たb

米類の件事枇霧 章一第

由来一審人間仁は男子E

して女性に嫌惑されち女性の信艇を繋ぎ得ざるが如きは最大の恥辱にしても之

を看過するは自他共に容さ5る所なるを聞がて男女関係の破粧が審丁謹に及ぼす心的打撃は到鹿常人の

端康し得ぺき所にあら?も

市して蕃人は自己の欝憤は施行によりて晴らすを常とする所立るが故仁失

意の蕃人はこの意味に於て最も警戒を要すぺきものなb

事件勃殺前に於てビ求サヴポ並区東ワ日マスの雨名が前記事情によb揮度の精紳的害憾に堪へかむも

兇行の本能的欲求に燃え屠たるは蓋し蔽ふべからざるの事買なbとす口

品川品41431一祉仁は右雨名の外仁ワタンフヴシヤオ@テ署ウド〉@

7HV真。民地eE求ダヴキえ@アウぜサ

ヴポ@アウぜベi同フシ@タrq品』端末ク@タヴコン号。Arq等の不良蕃丁みのb、何れも勢働を厭ふ怠惰者な

るを以て木材運融等につきても互に不平不満を漏し居たるものの如〈も偶E

後述の如く十月二十四百

夜。島地サヴ棋の家にて之等の者が落合ひも酒胸(に委せて慌慨悲憤する中、

血気にはやり施行決行の議

を進むるに歪b

も。邑求サヴ。本@広東ワ

H7

見等が巧み仁この機を利用して共の欝憤を晴さんニ止を談議

qd 加

し、之が手配仁っきても底地ワリスも。邑求サツポの一隅名が主止して之仁嘗

hノ、

訟にマヘポ一枇頭自宅i

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904

ナルダオをして今同の兇行を敢行せしむるに至りたるものなbo

、マヘボ一耽頭目モ14’ルダオの反抗心

マヘボ枇頭目モ1

ナルダオ(推定四十八歳)は兇行の総指揮に嘗れる者な忍が、性地暴倣岸にして零

闘を能〈し、十七、八歳の頃よb懐惇を以て附近蕃人聞に名あb

、父ルI

ダオバイの死後頭目を継承

綿一十第

してより勢力隆々として霧枇蕃中之仁並ぶ者なかbき。明治四十四年南投街を説先し、緩いて内地観

光を潟したるに拘ら今頑迷にして枇曾の大局を悟ら令、常仁自己勢力の伸張に腐心し、昔日の如き放

件事撃襲枇若手企件事ml:霧

離の生活仁憧慌し、内地人を駆逐して官憲の指揮を脆せんLι企闘し居たb

しものの如し。大正九年及

大正十四年の雨度に豆、り自ら主謀者となb

、霧祉審誼附一也各祉会部の反抗を企てたることあb

しが何

れも事前に接見せられ事なきを得たることあり、共後に於ても屡々彼を中心・としてこの種の風評行は

れたることあり。

向同人妹テワスルI

ダオは、嚢に巡査某の妻となbたることあり、共後某は妻を残したる僅行方不

明と潟りたるを以てテワスは止むなぐマヘボ祉に障り蕃丁t

再婚し今日に友ぺるが、之等の関係仁つ

きてもモI

十ルダオが内地人及官憲に艶し好戚を抱き居らgb

し模様なbo

更仁モI

ナルダオの決意を遮かならしめたるは吉村巡査段打事件にして、兇麗二十日前たる十月七

日午前十時頃、マヘボ山小皐校寄宿舎用造材班じ勤務中の尾上駐在所勤務吉村巡査が製材地仁向ふ捻

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--

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佐払昏島氏SE降醇民

BVあ除広整勧

究マヘポ祉を通過したるに時宛かも同祉蕃丁オトンビンと蕃婿ルビバワン

Lしの結婚祝にで、問枇蕃人

約四十名集会酒宴中にて酪町せる頭目の長男タダオモ

iナは吉村巡査と蕎知の間柄なるよb

傍に来hv

て酒を奨めたるが、タダオの手は屠殺せる豚血にまみれ不潔なりしを円以て、同巡査は臨良〈之を断り

章一第

たるも猶も執撤に奨むるを以て、拒むに由な〈途に耐りかねて所持の洋杖を以て多ダオの手を殴打せ

九リ、議に於てタダオは怒りて吉村巡査に打って掛り、父宅

I

ナルダォ、弟バヴサオモ1

ナも之に協力

して同巡査を地上に捻官伏せ同巡査を打倒せる事件あり、間もなくモ

I

ナルダオは其の非を魔り酒一

瓶を駐在所に提出して謝罪を申出でたるも聴かれ今、庭罰の手旗建行中なるを察し、之が矯め如何な

末顕の件事舵霧

る殿罰を受くるやも計られす

k

私かに危慌し居たるものの如し。

而して脅に遮ぺたるが如〈マヘボ祉は造材地の入口仁嘗り、出入蕃人は謹〈同地を遭遇するこ

ECと

て名枇蕃丁建より木材運搬の苦痛を訴へられ、或は共の賓肢を目撃して同族の不満に同情し、

一一盾其

の反抗心を昂めたり。知新モ

Iナルダオ反共一家が慎備焦心の肢態に在りたる際、恰もホ

1

ゴI

祉審

了。乙ホサツホ、ビホワリス等の運動曾を機曾に内地人を殺裁せんとする謀議の勤続を受けたるを以て

モーナルダオは機来十ぺLEなし、之仁同意を奥へ詑仁今同の如き大事件を惹起するに至れるものな

!> 0

905

事件の接端誼経過

書官

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906

事件の原因とは品るぺ舎ものは概略前記の遁にして宅諜て官憲に快とせ十世を呪阻せる数名の不良蕃

了建が謂はば出草の道件れに昔時小問問。校寄宿舎用木材運識の者痛が各一祉審人伝通じも

相嘗不満の国土

なれるを巧に利用したることがも強て頑迷囲随にして反抗心に燃え且早晩巌罰を免れざるを自費せる

マヘポ一枇頭目モi刃向J

同州ダオの待望に合致しも勃一義的に反抗の事に出でたるものにして短時臼の間に談

旬一十第

A口賀行せられたるものなbD

事件に闘し初めて蕃丁聞の話題となbたるは十月二十四日の夜の、」とな

り。同夜は求i

冨i

一枇もロiバオ。ハワレとロードワ枇も7ウイピオ匂JLしの結婚式前夜仁して事件首謀

者たる品41冨i

祉の。色求サヴポ方に於ては同人反問蕃一枇著者。ヒ端ワ叫す時

ABアウ4

サヴ様、ワンタブヴ

イ守二事撃襲枇若手と件事枇霧

タヴコンラバイも手中噌クドンもアワス。じ求、ピポダヴキスの八名が婚鵡の前説ひの酒宇佐痕み

シヤオも

立がら婚曜の諸に打興じ賠たりしに典至るに従ひも血気にはやる彼等の話題は何時しか木材運機のこ

とより日本人摩殺のこーしに是び互に悲憤慨慨して飲み明かしも翌二十五時早朝解散したるものの如し。

二十五日巨木骨ヴポは前記。邑ホワザス外一一も三蕃丁の来訪せるを辛ひも前夜の話に基き愈よ来るぺ

き運動曾の機曾を時一へて日本人屡殺のこ止を決議すると共に各一位勘誘につき夫々役割を定め

E

自らは

Nyf壱クドtv」仲ひも一世にタ国ワシ祉頭昌幸i

ナベヴカオルパ}訪問し、兇行加擦を劫弘一助したる所も

田頭目

は最初之を疑へる模様なりしも広東サヴポが求ie21も

ロード?を始め3ζ

して各社とも既に聯盟成れ

るものの如〈一言葉巧に勘設せるを以て議仁之を承諾しも共の要求によh

ノ長男Ayr-モモーナ友審了オカ

ンバヴトをマヘポ枇頭目苦

isナルヂオの下仁遣はしたるをは

vて彼れ自身は其の撞木iO31枇に引返せ

マヘポ壮一組目モ

i十日間ダオはE嚢仁長男タタオ笹i十が吉村巡査を殴打して如何なる慮罰を受〈る

やも計られ、ざる事情にありも旦つ木材運撤に謝する各祉の不平の聾は相宮大なるものある模様なるを

以てこの際各枇一替の反抗は容易に賞現すぺしと儲しも寧ろ先ん今るに如か?と信じ居たる矢先なれ

章一第

ばタ21品』器国自ナの申出に調しも長男一タヂ才華

i十も次男。ハヴ骨才署i中J北(他蕃丁数名と相談の上之を

承諾し、産もに蕃丁ダヴキ見マダイ外二名の者をポア同州

iJ一位勢力者ワタンローバぜの下に念一成しも牛

米願の件事 iii.I: 霧

肉馳走を名、として之を招致せるにワタン臨

iパぜは翌二十六日マヘ京社に到り兇行加携を承諾しも主〈

の手筈を打A口の上同夜深更ポアんン一枇仁引返したり。

首謀者。民事サヴポは二十六日午前入時頃より見アウイサヴポ夫妻党{仲良妹等と共に霧祉の問中響曾見物

に赴主終日を霧祉に暮し夕刻蹄一枇せるが、主食の際寓大祉審丁オカン

EPiEVAに到しも自己の武勇を

誇る矯め私かじ施行の計幸一を漏したる事貫ありも二十六日智ロワン枇頭目の長男タぜモ畢

i

十は兇行

に針するマヘポ一枇頭目苦

1ナルダオの決意を鷲して東

ie3i祉に到りも蕃了十数名を集めて結束の模

様を確め居たるに共の同答謹しとし、

品hlナルダオは蕃丁をタロワシ枇仁渡し、之れを督促せしめ居

9[}7

たりo右の決意を知るやピ棋サヴポは直も仁。ハ

iラン枇瑚誘の矯め開祉の勢力者タダ才ベ

i

ザンの蕃

Page 9: 章一筋 心 繍十第 しする蕃人壮丁約三百人が十月二 …...898 にして今同事件の中総所の役割を演悲しタ諮りン枇ゐ b も僅かに戸数八戸も人口二十八人の小蕃枇に

908

尾に赴主兇行加躍を翻詮せしも却て之に誠められ

も共夜は叔交に嘗る同勢力者アウ

dlサマの審屋に宿

拍しも翌二十七自蹄詮底もに翠放に到

hノ問地行に参加した

bo

施行の加盟勘誘につ言ては首謀者たる聴

jゴi一枇蕃丁一一も一ニの者の間にあ

bては路行決行の謀議

pf」

綿一十第

北大に由一枇内は勿論、附一近各一祉の蕃人誼運動命日の結に霧一枇に参集せ忍各祉審人等に劃しても夫々手分け

して勘設するこ習とにな

h居たる模様なるも、勘設を受けたる彼等の中にも事の成杏を虚

hJて之を蟻一路

したる者ゐb、

由一枇内に於て3

へ其の勘努ま融要し苦

f

請J

開店らざh

しが如ぐ。AI号〉祉の一部小一枇に離誘を

空整町坦:杢j哩手可、人、

ヨ=ロZ-

共の拒絶に遭ひた忍外には諌め共の魔手を延ばすの鈴地なかちしが却し

o

主パの他の施行審祉は何れもマへ棋一枇}輔自宅『十閉山タ才の蹴起によち初めて相呼醸して起つに歪れる

ものにしても愈々検宥に際しパ

i

ラン@高大@トロヴウ@タウヴア@白狗等有力なる各蕃祉の加擦なか

b

しは百求品リヴポの詐言を妄信せる各反抗蕃人の等しぐ意外

Lしする所なλソしものの如し

o

新〈て二十七日午前四時半境、

マヘ端一祉に於ては面白モ

f

十四岬ヂオは諜定の計叢に基主、

先づ弐男

バヴザオ署i

十をしてマヘ離駐在時四を襲撃せしめも就寝中の問所勤務杉浦巡査を呼び起しも

頭目自ら

之に協力して駐在所前庭に於て格闘の上同巡査を識首し賊撃をあげて一枇衆を呼び集め直ち仁』行を率

ゐて霧祉に向はしめたbo

新〈してパヴサオ号i

十の率ゆるマヘ棋世一番丁は結中安臨ワン祉審人を糾合しも

午前六時頃棲駐在

所を襲ひたるも問所勤務増田巡査は肢に霧敢に向り出畿の後な

b

しを以て共構事i

ゴi

枇に向へb

バヴサオ苦i

十の一除を出費せしむるーし同時仁、モー十日山ダオはポア刊岬iJ一枇販起の有無を確むるた

めも間単身同枇に向ひたるに途中間鮭に職首の賊聾翠一かるを開き轄じて能高越本道をえ

ihツ祉に出で開

章一事務

枇裁を戚底的に糾合すると共にも共の一部を、感7晶ン枇衆と協同してトンバ号以東の駐在所襲撃仁嘗

らしめも他の一部を卒ゐて求i

耳i

一枇仁向へbo

之れよち先き一職自の一一長男タヂ才警

i

ナは蕃了一名を件ひも午前三時半頃マヘ端山遺材地に出ひ吉村、

米顛の件芸評枇霧

開田の踊諮査を殺害し時十一時頃鶴一枇せhJ口

、成ア島シ一祉審人は議定の計輩に基言、先づ端ア目岬〉駐在所を襲撃し允る後も瓦ihツ祉審人訟に人骨し護

んでトシ。合ヲ@昆上@能高各駐在所を順次襲撃しも

所員就家族の殆んE会部をい虐殺し駐在所は撞く之を

焼却せり。

午前六時宇頃モi

十品ダ才父子の率ゆるマヘポ@タロワ〉雄えig

ヴ各蕃人等が求iゴi

祉に到着せ

る際は同一祉は未だ動揺の模様な〈も極めて一牛穣にして逸平く共の来襲を知

vりたる同枇頭自タゲオJi

ム刃LJの如きは共の暴轟deMn}誠めて極力之を阻止せんKL

たるもも配下蕃丁共の興奮を制するに由なかh

しのみならすもマヘ離日枇頭目唾i

十四岬ダオよb同族の苔痛を察せ今、日本人を庇護するは不都合なり

」109

とて銃を探して威嚇され如何ともする能はすもバヴザオモi

十円以下マヘポ枇蕃丁等は之に耳を籍すこ

Page 10: 章一筋 心 繍十第 しする蕃人壮丁約三百人が十月二 …...898 にして今同事件の中総所の役割を演悲しタ諮りン枇ゐ b も僅かに戸数八戸も人口二十八人の小蕃枇に

VlO

とな〈有無を云はせや駐在所に殺到し、川島巡査外三名を殺害し之に火を放て

b、新〈てモI十ルダ

オは勘誘の矯め共の配下の一部を口

I

ドフ祉に向はしめ、他は附和雷同したるホ

IゴI祉審丁b共仁

自ら率ゐて直ちに霧祉に向って突進するに至れ

bo

時宛かも霧一耽公皐校に於ては前記の如〈既に運動曾の準備高端整ひ、皐童を初めとして郡守以下各

職員誼家族父兄等運動場に集合し、絡に園旗掲揚式が暴行されん止する際、突如として一審丁は運動

編ー十第

揚入口に在hし州里蕃課蝿託菅野政衛の下に走

b寄って一万の下に斬殺誠首せるを以て場内仁在

hし

近藤警部、紳円、柴田の雨警部補以下の職員は之を取押ふ可〈遺跡せん

Fとしたるも時’既に槌牽方面よ

件事撃襲枇著宇と件事量上雰

b

多数の蕃人稜砲し乍ら押寄せ来、り、職員は先づ瞬〈聞に校庭に乱入せるを以て、佐塚分室主任、近

藤警部以下各家族婦女子を附近宿舎に避難せしむると共に死力を蓋して奮闘せるも力及ば?遼仁共の

多〈は或は兇弾に嘗b

、或は兇況に刺され、.恨を呑んで憤死するに至れ

hyo

霧枇襲撃に常h兇審はこ隊に分れ、青壮年の一一阪はバヴサオモ

14’之を率ゐて主として運動曾場に

於ける虐殺に嘗b、老年組の一一阪は元兇モ14’ルダオ自ら之を率ゐて分室を中心とする各街合、民家

等の襲撃を携嘗せbo

而して運動曾場を襲撃するや共の一部は同時に霧枇より各方面に遁今右大小道

路を掘して脱出者を防ぎ、意〈之を斬殺す甲

Qt

共に克に他の一部は多数内地人婚女子の避難せる新原

会皐校長の宿舎に殺到し・竹槍、蕃万を等を以て手嘗

b次第に避難者を殺致したbo

新〈て兇蕃は霧祉の兇行を遼ぐるや、午前九時頃より克に手分けしてマヘボ枇・ホ

I

ゴI

祉誼ロI

ドヲ祉審丁の一隊は眉漢方面に進出し、

hrf

ガン・シI

バウ雨祉審人の一部を勘誘加擢せしめて、眉

渓下方十数町の地鈷に掩盤を構築し、憂車線路を破壊して警察隊の進出に備ふ忍所あ

b

、翌二十八日

章一第

夜宇仁至る迄守備に任じ居たるものの如し。

之れt

同時仁ロtF7

枇の一隊二十徐名は、ロードフ駐在所説ハボン駐在所の襲撃を受持も、午前

九時頃ロIF7

駐在所に遁bたるが、所員辰本巡査外一名能〈奮闘せるを以て容易に共の目的を蓮す

末瀬の件事軍士霧

る能は今、抗争四時間にして漸〈之を焼打す忍こ

k

を得、克にハボン駐在所を襲ふて巡査一、男児

を銃殺し、翌二十八日自祉に引退せ

bo

マヘポ枇頭目モI十ルダオ父子誼問祉審了等は霧枇方面の兇行大躍に於て共目的を謹したると、

は能高線方面の戟混を知る必要あり、且つ。ハ

I

ラン・万大-hrロヴタ・タウヴア等の各枇何れも謙想に反

して蹴起せぎらしを以て一腰マヘボ祉に引揚げ、徐ろに事後の計輩ぞ樹てんとしたるものゆ如〈、二

十七日中じ一先づマへポ枇に引返したるものの如し。

霧枇兇行に際しでは、マヘボ・タロワン・スIタ・ホIゴI

・ロード7

の各祉の外に、ヵヴヴク・タカナ

ン・バIラン-bI

バウ・トIガンの各祉審人の一部も参加し居る模様あ

b

、唯共の中。ハi

ラン一枇小枇テ

911

ンタナ枇勢力者7ウイサマの如きは事件勃接以前仁勘誘を受り居花る形跡あるも、他審祉の者は何れ

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912

も施行営日早朝、自枇又は現場附託にて施行を使雌せられ、又は脅遁せられて加携したるちのの知〈

現場にありし万六・白狗・トロヴク・タウヴア誼前記各祉の大多数の蕃人謹は態度を陵昧にして共の場

を脆出し自祉に撮り居たる模様なb。

向兇行中タウヴア審小枇ルヴクダヤ枇の一-部蕃人は偶t

霧枇にありて立鷹、三角山舎の二駐在所の襲

撃を引受け、二十七日午後六時頃よb所員不在中な芯二駐在所仁押入b、掠奪を恋仁し最近仁至るま

縞一十第

で素知らぬ態度にて良蕃を装ひ居たるも向族タウヴア・トロヴクの雨蕃仁看破され、漸〈掠奪品を提出

するに至れり。

件事撃襲批若手と件事量士霧

翌二十八日には兇行蕃人中或は霧枇にありて生残者の殺致、宿舎の掠奪等を行へる者ゐり、ホ

I

ー枇の如きは一部は眉漢に在bτ警察隊の防禦仁従事し、他の一部は自枇じあ’りて防禦工事の建設仁

従事し居たるものの却し。

ロードフ祉に在bては初め兇行決行に営b、頭目バカハポツコハ以下有力なる枇衆の態度頗る暖昧

なb

しが、途中彼等は還にバiラン祉に逃避するに至れる結果、金一枇の統制ある行動を見る能はす、

枇44各自意の偉に或はホ1.コI枇・と令し、或は草濁に逃避準備を整へたるものの如fJvi

バウ・トI

ガンの雨枇蕃人は二十λ日午後眉渓方面の末ig--ロードヲ雨祉審人の撤退去相前後して金部バI

-ヲン鮭仁逃避L只管良蕃を裳ひ居たb。

マヘボ壮一践目モI十ルダオは初めホIゴI祉の巨ホサヴポの言を妄信し、自ら一度蹴起せば霧枇蕃

は言ふに友ば今、高大・干卓寓・トロヴク・タウヴ

7

・白狗等各蕃は一粛に起もて協同動作に出づるもの

一気仁今同の暴奉に出でたるものの如きも、バ

I

ラン祉を初め曹として各祉との連絡殆んど行

を信じ、

はれ居らざりしこ主主て有力なる各祉は一も動(模様なきを以て初めて自己の不明主軽翠とを知

b

章一第

るものの如〈、二十八日はマヘボ祉にありて焦燥失望の中仁指揮を執り居たる模様なり。

臨調〈て翌二十九日警察隊の霧祉奪還に績きて、三十一日各方面より軍隊、警察隊の制鹿を受り、彼

等は心ならやJも建にマヘポ漢岩窟深〈遁需品するの止むなき仁至れ

bo

末飯の件事枇霧

各駐在所の襲撃を受りたる時刻、霧祉管内在住者及殉職遭難者数雄警察官憲保管中の銃器弾薬にし

て兇蕃の襲撃仁よb奪取せられたるもの色奉ぐれば左の如し

G

各駐在所の襲撃を受けたる時刻

醐調整を受けたる駐在所名

襲撃を受けたる時刻

十月二十七日午前四時宇頃

六時頃

六時半頃

・マ

ポ駐在所

ハ援

ハ悶U

失V

ホーゴ

1

話土

同八時頃

ボアル

y

)ァJr

r、

失U

占,、

913

同八時頃

ハ岡〉

トシバラ

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主主一筋米鼠の件事枇霧915

件事量発事量此蕃と件事前E霧綿一十第

914

上除在所

ハ向〉

官自ロードア

品月賦時間

J、

埼ミ

Zノ高問

〈焼失}

n 同V

在住者四

一04

五一

七九

ごニ士

一四二

三七O

備品南日産容者中には負傷後死亡一ゴ避難中擢病死一、議傷六、

i可

警f.&

事長

JJU ・き

養子欝察官の家族

数百手の家族

出援出a

の職員

粧智察関

霧駐在係以外の

住者

(一周)

十月二十七時

向同向

午後零時頃

八三五 O七

日午前九時頃

午後六

-.L ノ、

一一一 一一 一

十月二十八日牛前四時頃

午後四時頃

軽傷十二あpo

兇蕃に奪取せられたる銃器弾薬

ム;'、

村修

二銃E

十月二十七日

露枇管内在住者足殉職も趨者者

種族別

内地人

E内地人

戸本島人

7E

日午前八時半a頃

一者

生存者

一問

内地人

『内地人

士半島人

ども

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ご八一 λ

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五こ問

主主死

七二

七九

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駐在所名

常一一

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襖尾

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戸砲__,、司胡音信、

計審ヌド内

島土l証

人人入

三銃式 15走

村田騎銃

ノ、五四ムノ、五

A 器八

計 e四ご

七一五 一

三回

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町目』F、i'i. 七五

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一問。

ニ一一一四

5号Z

コ一八式

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三も七七

村岡踏襲

七三ニ

六六O

問、四四

一一O

一七O

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三、四00

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A. 0

五00

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五00

六00

七一。

四人。

後援慾部の萎

矛P~

存者II II

巡瓶郡査穣守

、、、

雇巡害警ー査部部一長、

一騎託

修五村岡

弾薬

問ち一一一五

二五六

ニOニ 薬

八、五七四

五、三五九

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ノb

九五

=一、七一五

九四

四一四

四五

四O五

六八O

六人。

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七一O

四人。

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916

五七O

五七O

六O

六O

一二、大O五回、八一七二三、

O一一一七

三角峰

T

シツバ

合計

E耳

一λC

五、大一五

四一

ノ、

八」山

ノ、

第盟箭

事件に艶する慮置

十月二十七日事件勃畿の報に接するやB

墓中州に於ては直ちに州下警察官百七十人名の非常者集を

続一十買事

行ひもニ轍警察部長自ら之を引率して能高郡に念行しも捜索隊本部を龍高郡役所仁置きて諸般の指聾

を行ふと共に第二次E第三次の際援隊を組織して能高郡に念探せり。

件事懇襲祉着手とイ牛乳散霧

総督府に於ても建次の惜報に鑑み事態容易なら、ざるを推知しも他州一聴よh騒援除一眼遣の必要を認め

取敢へ十牽北も塞南南川川並花蓮港臨臓に到し臆援警察隊の念一蹴を命壱

bo

霧一枇方面一帯仁一旦る閉店蕃の朕

勢判明せざるも彼等は途中眉、援も獅子頭を襲ひ捕里街(人口二高六千九百儀名、霧枇の西南方玉里の

地離にあhJ

)に迫るの報樽はbB

之に伴ふ流午一一口蓋語文頻

b

にして捕里街地方の人心競々掻度の不安に

矯めに蕃情偵察並治安維持上必要あbt

認めたるとも又一方五里仁亙る峻坂験路を有力立る後

陥bB

援な〈して念行せしむるは大なる危険ゐbk

認めたるを以て、警察隊支援の矯め軍部に艶して飛行機

並草隊の出動方営要求しも叉各警院よりは醤官を現場に念探して傷病者の救護に醤らしむ口

雷初霧祉との蓮絡金〈社結しも避難者の鷲す断片的情報の外霧枇の賞肢を知るに由なきゃ}以て部臨

の行動意の知{ならざ与しもB

二十七日夕刻来飛行機の偵察と績々下山し疲れる避難者の申告

ιよb

晴抑山路3察知し得る仁歪れるを既ても

二十八日午後三時出畿の蔓中警察部隊をして塘里仁川

ι議し霧祉に

建出せしむ。

二十八日午後七時、事一南州警察騒援隊百五十一名捕監に到着せるを思て共の一部は先殺の牽中部隊

セ掩護するためも属議方面に向はしむる

LL共仁他の一院は右爾隊の謹出を側面より掩護するため速く

章一銭

濁水諜拍岸、武界@イナゴ方面を迂掘して尚一面工ワシ高地仁準仕こと、しも

間午後十一時夫々出接せし

社。

塞中警官接部隊は二十九自末明腐漢に於て後績の憂-一階部隊を令すると共仁、前謹を開始し途中何等の

米瀬の件事散霧

指抗なく午前八時五分霧祉を奪還す口

本前準の途中眉渓も霧一枇聞は買に臨立せる験世悼の開に挺々たる一伎の狭陸なる難路にして人止関の

如き正に高夫不開の仏概要たるのみなら子、所々掩盤を構築して警察隣の撞入を盟止せん

Lιする形蹟睦

黙たるものある仁係ら令審易に之を突破し特北る嬬め、関見蕃は警察除の準撃新〈迄敏遮ならん

L

’しは思

一時撤退して一見じ起否暖昧なる蕃枇を糾…令し陣容を整へて防禦に嘗らん主し、二十人日夜半

惟せ歩、

遇霧一枇方一舶に則引き揚げ允る間援を容れ十先議警察抹の奪還に命日ひ還に其の作戦仁一大頓挫を東しも出附

背不明瞭立る蕃祉は官の威力に憐れて一番に恭順の意を表するに至れり口

917

新くして霧枇に到着せる警察部践は防禦設舗を施して兇蕃の謹襲仁備ふる

k

共にち甚もに生存者並

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919 米顛の件署長枇惑

918

毘鰹の牧容に力め多数の内地入婦女子を牧容しも各宿合段階一世叢間一等を捜索して生存者反屍睦の肱容

に従事せり。

問地蕃は一日一東方歌

i

ゴi一位eaf

ドフ世方面に退却せるも午後三時噴より約二百名の勢力を以て議

襲し諜bB

午後六時頃には霧一枇分室後方横武場隣近に迫

bたるも激闘時儀にして之を撃退せ

bo

二十九日午後八時もイナ耳方面を迂廻せる牽南警察部段蛙牽中駐屯富一・第三大隊第十一中隊引縫いて

編ー十鈴

到着し夫々警備に就けち。

是よ・9先東勢郡よb

念行せる蚕中警察部隊二十三名は二十九日午後零時三十分頃、ゴ一角峰駐在所を

件毒事撃襲世著予と件事面士霧

奪開せるも安ウヴア方面の蕃情動揺の兆あ

bたるを以て念遁タウツアに撞出せしめも問所に在

bてタ

ウヴア@ト口ヴク繭審の操縦に嘗らしむ。

軍は出動以来事ら警察隊の支援に任じ居たるも、三十日を以て自ら第一線に立も警察隊と協力して

施蕃の鎮定に時国る事に決定した

ho

是に於て花蓮港方面よbの軍隊蛙警察部隊の能高進出も華北警察

部隊の自狗方面輩出すと相能もて攻撃を開始する手順な

bしも、長、途険路多〈各隊の進出意の知〈なら

ぎ与しのみなら宇霧祉方面稀れなる豪、隔にして自的を果し得予。

同日午後三時蓋北駐屯軍出縄隊の到着を初めとして塞中駐屯軍第三大隊(第十一中除侠)友警官糠

朝関所部時体霧世仁到着せ

bJO

牽北警察部隊及墓中警察隊の加部践は街れも徹宵強行事して白狩にも花謹港警察部隊十郎輸を冒して

能高に到着せbo

此の日鎌田章、鐸守備隊司令官と水越墨中州知事ーとは同行捕里に到着しも

爾後の共同

作戦の要綱に就きて協定する所ありたbJG

翌三十一日午前八時三十分も軍鎌田支隊司令部詑警察捜索隊本部は共に捕里より霧祉に移動せ

hJ9

章一第

軍部との協議に基き嘗日は愈々益擁仁一旦hJ

攻撃を開始すること冶なbE

午前七時三十分山砲の砲撃を

A時四国に各段一番に行動を開始しも午前九時には

EiF7

枇も績いて京i

冨i

@スihγ雨祉を抜き午前

十時にはタ自ワシ祉を奪取しB

午後零時五分には447晶シもホ奪還することを得たり。

此の攻撃に堪へやJして閥均蕃の主力はマヘ誠一耽方面に遁走しも共の他は何れも四分五裂してハポン撰

e

byロワシ漢@7露骨ン漢の襟開に臆遁する仁歪れbo

斯〈て十一月二日マヘポ祉の奪取を最後冒として兇

審はみ一~ぐ其の根擦地を失ひもマへ端、提上読の岩窟に逃避するの止むなきに至れbo

所謂マヘ、謀、援岩窟は四方舵立せる断崖を円以て闇まれも

加ふるに附近は欝蒼たる密林にして到鹿常人

の接近するを得ざる要害の地たるを以ても捜索隊に於てはマヘポ枇陥落を見ると共に兇蕃の捜索は主

E

して蕃人に嘗らしめも其の制回慨は専ら山砲就飛行隊の威力に侠つこと、せ

bo

乃ちタ出2

吋27@長田ヴク爾蕃の蕃了をして、主としてブカ廿ン漢@空白ワシ漠@

H口頭ン漢方面の見蕃の

偵察に嘗らしめも高大蕃をして共の背面たる高大渓上流地方一帯に一日一れる捜葉に従事せしめも兇蕃主

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御力の遁輩せる一之謀議に面したる各要所には夫々有力なる軍隊背広警察除を配中一也して警戒を般にしも以

て彼等の蹴出を防止するL

」共仁職詮交通路の安曇を期したりの

新〈して兇審も次第に飢餓と恐怖とのために共の勢力減退しもE魁品』i十晶ダオ岩窟附還にて臨死

する仁友び残黛は各自分散しも或は窮飴の結果森林内に臨死を設げも或は生を惜みて蹄慣を願出でた

編一十第

月徐にして之が鎮定を見る仁至りたbB

之れ買に草除RA警察隊が協力一致し幾

る者五百飴名仁遣しも

多死傷者を出したるに拘らもヲ難難辛苦E

龍〈共の重責を査したる結果に外在らやヲ。

件事懇襲最土着手正件事舷霧

依りて出動の軍隊は十一月二十一日より逐次撤退しても十一月三十日を邸て一個中隊舎残して金部

撤退しも警察の鷹援捜索隊も車十二月三日家,次第に解除しも甫後の警舗は之を開方面の臨時警備隊に

委して開月二十日迄仁臆援隊全部の引き揚げを了しも残留したる軍の一個中隊も肱十二月二十六日霧

祉を撤退したbo

今議に本事件に関する警察捻反軍隊の損傷を暴「ればも警察官に於ては殉職者E

警部一、諮査玉、

許ムハE

負傷も警部補一、巡査二計三総計九名にして草隊に於ては戦死勝校三下士五、卒十六も計二

十こも負傷鼎校一二、下士師、卒十六も計二十三、戦死傷総計四十五となる。

第五龍

向後の躍置

森林深〈遁入せる反抗蕃人中前百名内外の者は生死所在ーしもに不明ヰ

b

も鶴瓶蕃人の一一一一口によれば

のJ中多歎む者は艦死せるやに想像さる、もも俺

v稲嘗の生事者ある見込にて目下鋭意之が捜索誘出に嘗

る去共に各所とも最重警戒に力めつ一、あ

bD

臨眠蕃人中仁は銃器を出閣に隅隠匿したる鑑之、か提出を肯性ざる者ゐ

bB

他の蕃人に艶して援嘩置を企

てん嘗とする者等あちて智一本

r鵠順の十分なる誠意を認むるこ1ζ能はざるものあbE

今後最戒を必要ます

章一第

るのみなら予も銃器の取上げ、持暇蕃の安定、彼等止味方蕃人ちとの調和等何れも蕃族特有の極めて機

微なる関保あbて之が解決は今後接されたる閤難怠る問題にして、之、が鶏には今後相嘗威力を充質す

ると共仁趨嘗江る措置を鶏きしむるの必要を認め、新仁諮査、警手各二百名宛を増員して前後措置友

米顛の件毒事面士霧

警備に遺漏なきを期しっ、おあり。

備十二月二十六日軍隊の撤退と共に鏡鹿事業も一段落を告げも向後専ら警察陳員を以て警備に任十

るこ士、あなbも朕勢漸〈常態に復する仁至れるを以て鯨督は開月三十日左の如言論告を枇慨し深〈官民

一一般を誠むる所あらた

bo

自議

改隷以来議ニ三十有能年昭朝無窮ノ思樺ト躍代嘗昂不断ノ力行ト品向

y

文教盆々進ミ産業大古一興

F

諜膿化一一語ヒ蕃彊一容亦平穏無事ナリノキ何

y圏一アム十月二十七日霧枇一部ノ見徒文ア倒一一ジア暴ヲ

921

理クuv平和ノ境怒チ騒乱ノ巷ト化ジ難一一遭ヒ職一一拍ス

Y者砂カ一フス痛恨昂ソ堪へムヤ幸ニ邸時金一概

Page 16: 章一筋 心 繍十第 しする蕃人壮丁約三百人が十月二 …...898 にして今同事件の中総所の役割を演悲しタ諮りン枇ゐ b も僅かに戸数八戸も人口二十八人の小蕃枇に

作事撃袈祉審と件事枇霧 922 綿一十第重苦 } 銭。米顛の件豪語士霧923

一シhqfy警察隊ト軍隊ト』協心勢力事/鏡庫一一従ヒ克ク見徒ア購懲ジ復起刊/能川、す

Y-一至一アジメ

9 鶴-ア事件/異相耳ノ査円AY一一今次ノ暴基一一葉ジタ

YA喰霧祉審一耽/一部ニ止??爾飴/蕃一位

A境「ア議

ジ族ア関ブスYモノト雄之一一典之、セス唯・少数迷蒙ノ徒大昂ノ惜勢一一一連セ兄皇々タ

Y不平不満/骨一一

騒FYVdア軽奉盲動「フ敢アジ血筑/輩之一一附和雷同

v-プg意外/椿事ヲ惹起ジbyy一一

ナア

二主

世或之番族教化ノ前鎗ァ壌ヒ或』既往一一於ケY理蕃/致果ヲ一冨々スY者ア可ノト雄之ヲ従来/賓績一一

鑑ムVAm仙耐事一一嘗y

刻苦宜ジキヲ醐セハ撫化/目的ヲ建

hvd得へキヤ復一一一一口ヲ須

hY4A宜、ゾク臭事理司/

蓋ジ漸司ノ迫ア蒙ァ一時キ帯毛蹄趨ヲ謀

Yカ知キコト無カラムコトヲ要λ

由来理蕃ノ方針』一一蹴開仁/車冒ァ奉韓ジ之カ啓礎甲一努メ異一一忠良ナ

Y

陛下/赤子タタジムY

一在wy

然vトモ

皇化一一時治フコト日向議ク習俗未開ノ域ヲ股セす

Y者ナYカ故ニ之一ニ陥7Y一一ρ深

ク彼等特異ノ性情ァ察シ克ク共ノ昆度一一部ジ仁愛ヲ円以-プ善一ニ導キ威信ア円以ア悪ア矯メ弼行口ノ以ア範

「ア霊YへキナF

昂由一階胴Y者ρ須一フク新/精紳ヲ馳胞ジア綾撫化育宜ジキヲ制λ

へク一般ノ衆鹿毛・亦官トカァ数セゐ百/

一品Y帯モ惟悪蔑観ノ念ア円以司プ之二臨ムコト無ク指導誘披之v

努メナYへカラス

今ヤ事件A勝一一終結「ア見ムトジ捜索諾隊ノ解除ニ際ス本総督』毅一一衷心ア披擢ジ一プ官民ノ協力ニ依

暗J拾ク

皇威ヲ題趨一一及ホジ謹二蛾審有緯/美果ア股メムコトア望ムヤ切ナ時ノ

昭和五年十二月三十日

一石壌英

蓋摘出棺菅

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件事

924

第二軍

蕃世襲撃事件概要

重意

喜官

保護審、味方審の関係

編一十第

霧祉蕃tLr

ロ7hNO@hyウ77繭蕃とはJ克濃部族を異にせるも古諜親族関係等あ

hて極めて親密な与

し時代あb

しものの如し。然るに明治三十七年頃蕃婦関係のことよち繭者間に亀裂を生じも且つ狩機

地界等につき紛容を醸して次第に不和”とな

hしがも殊にタウヴア@ep時ヴクLLポア問脚シeマへ44@求1ゴ

件事撃襲枇若手と件再評枇霧

ーとの各一耽との間軌鞭甚だしぐ屡々狩機先等に於て街突せるこ

Eあり、主ハ後我が官憲の統治する所

なhB

明治四十三年に高大審@子卓高等主共に和解を行ひたる結果、共後次第に姻戚闘係等も生じ、表

面園禰なりし如きも一隅者とも内心来だ許さ

Fるものあちて自に至れb

。昨年十月霧祉事件突議する

や醤昂に於ては軍隊の支援と味方審の操縦去に依

b醸力制障の結果も比較的諮遮に之が鎮定を見たる

一か嘗時は成るぺぐ速かに霧世地方一帯の平需を期する目的を円以て機宜の庭置

EPしして反抗蕃人の誘出に

努め設降を乞ふ者は見行者たると否とを聞は十翠ぐ之を牧容保護を加へた

bo

一郎て嘗時投降蕃人の麗置につきては周間関の事情を考癒し

E時来の撫蕃上よ・9他に移住せしむるを趨

嘗と認めたるも彼等は何れも原居住地を離るることを欲するの模様な〈、

強いて移住を敢行する時は

再び四散して山間聞に諮議する虞あ

bL

、皆既て一臆隣近趨嘗の個所に程居住せしむることとし、マへ説@

ポア品シ一枇@守AI今一枇@告白ワン枇のものは其i

今一枇小一枇長

i

。持母方一臨仁も円

Miド

7一枇@申41ゴi

粧のも

のはgiF7

祉に夫々集間せしめも事件前日記る四月ご十四日には長1

バウに三百十九名旨思iuh??

に官九十五名ありも舟外に昨年事件勃畿仁際しも親戚に頼って抽出鮭仁避難牧容せられ其犠今日仁至れ

るものタウヴア一祉に四十四名、トロ

ク祉に三名あbQ

章二主義

乃ち右の五百六十一名を特仁保護審主格しも専ら視察監臓に努め疲れるもの記hJQ之に錯し霧鮭騒

擾嘗一時官患に味方し海開店蕃捜索に必要なる援助を議したるものは高大蕃@白澗蕃@子卓蕃@

Lraヴウ蕃及

蒸ー

今時襲撃を敢行したるタウヴア蕃にても中にもタウヴア@ト自ヴケ@高大の各蕃は嘗時最も勇敢に活躍

一枇

し事件解決仁寄興せしこと勘から43E之等は味方蕃・として特仁嘗時若干の銃器を貸輿しも設索警戒誼

主主

仁時州出導等の任務に嘗らしめたるものな

bo

事事

範踊蕃開問保に艶する警備

霧祉事件嘗時タウヴア@Lr

国ヴクの雨蕃は右任務に従事中多数の死傷者を出し、殊にタウヴア蕃は

主(の頭目宇佐失ひも投降牧容中の保護審に封する復讐の念押へ難きものありも

一面保護審にあ39

ても事

件嘗時よb

味方審の態慶を恨み之に艶し深〈含む印刷あ’りも従って此等保護審@味方審の札機は共後盆

議加はらんL

’しする麗あb

しを以て之が警備は事件鑑定後止離も忽諸に附すべからざるものあるや」認一め

民ぜ間

関係警察官を督闘して之れが取締に任時しむると共にも又一面蕃人の操縦は特に重要視し、職員の配

Page 18: 章一筋 心 繍十第 しする蕃人壮丁約三百人が十月二 …...898 にして今同事件の中総所の役割を演悲しタ諮りン枇ゐ b も僅かに戸数八戸も人口二十八人の小蕃枇に

印刷霞に付ても殊吏之に留意しも晶ツウヴア粧在所には所詣蕃通なる小島巡査部長を

E

酌む

トロヴ夕方面には向

じ〈蕃一週たる武富巡査部長を配置しもむEE

。ハウ保護審に謝しては彼等の最も信頼する樺樫警部捕を又

BiF7

仁は開方面の蕃通安達蝿託を配置し円以て取締保護に遇制問なきゃ』期したら

G

害事

移住促進IC銃器引揚

件事重要豊富枇若手と件事枇霧

証方面駐在印刷!道路も橋梁の復奮工事は六十銭件にRAびも関係職員は之が矯め忙殺せられ居たるも前

繭蕃の情勢新〈の如き上は保護蕃の移住は速に之を仔ふを高金の策ιι認めも霧世事件終熔LL

共仁能

編一十告書

高郡下バイバ号地方に趨地を選定して之を移住せしむる方針を樹ても一面土地の選定守護むると共に

保護蕃に封しでも様相伴も安達等の蕃蓮をして移住促進の目的を以て操縦に嘗らしめつつあ

b

しがも保

護審は飽迄醤濃の耕作地ee棄つることを欲せ十も身謹の危険を冒しでも品川醤居住地に定着せんこ止を

希望する有様なるを阿部て操告に之を断行することは却で事態紛糾の虞わりも趨嘗の機命同を侯つことと

して専ら操縦に力めつつありしもの江bo

又一一囲タウヴア@ト悶ヴク開審に劃しては昨年末事件鎮静

に轄する止共に貸輿中の銃器開薬は断然之を岡牧しも保護審に劃する敵慌心を抑制する方針を執hJ霧

記方針に期、り機曾あるん時に貸興せる銃器の引揚を行ひも今岡の事件前翫に之れが半数内外を岡牧せ

bo

然るに彼等は霧鮭事件時間時保護審より受げたる怨恨を恐れも何時彼等の復讐を受〈るやも計b

難し

習と錯しE

銃器の返還を喜ばぎbしを円以て念遮立る閥故意の如〈ならざるものあb

も専ら之れが取締を

臨敢にして過説なきゃ}期しつ冶ありた

bo

然れEも保護審艶ト口ヴ守@タ出777雨蕃の関係は札機依然

Eして駄ますも偶々路上に蓬曾する際に於ても互仁一不威的態度に出づるのみなら令、若し夫れ耕作地も

狩織地等に於て遜遁することあらんか忽仁して樹事的行動に出で

E

矯めに保護審中に誠首せられたる

もの一一丹ならす

E之が取締は甚に困難、ぞ極め立るも時間局の之に艶する鎮撫止血痕霊なる警戒に依

b

詑仁

章二銭

大事仁至らすして事なきゃ}得たちしものな

b

第臨蔀審嬬税殺事件誼にえに到す為慮置

号ffi,

四月二十一日に至bトロック一番数名は八ポン漢方面に出草してもトーガツ祉の蕃嬬一ニ名ルパ}印税殺せる

一事件接生せるが右事件は保護蕃を極度に興奮せしめたるのみならや

rも被害トーガシ祉審人誼に霧枇一番

軍正霊童

の中心勢力たる。

Ai号シ枇蕃人の憤激を買ひも矯めに開方面の一一般蕃情に影響するこ

t

砂から‘さるこ

毒事懇

とを想はしめたるを円以ても蓮かに之が解決を計ると共に此機曾仁於て味方審に聾する未岡牧銃器弾薬

長部の引揚を断行することとせ

hJD議に於て三輪牽中州警務部長は右謀殺事件の和解調停止銃器引揚

の期務を業ね、開月二十三日牽中を議しも山下能高郡守、臨良識寺岡郡警察課長を伴ひ急逮入山しち先

づトiガン祉審人を慰堀川したる上嘗日霧祉に到着、

一泊の上翌二十四日夕ウヴアを経てト自ヴウ仁至

噌り、朗日頭目@勢力者

RA蕃了多数を集めてtri、ヵン枇蕃人を謀殺せるの不都合を札臨しも加害蕃人の麗

927

分、貸興銃器の引揚を最建せし仁彼等は一意恭順の意を表しも加害者四名を引渡し且つ残存銃器弾薬

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928

の金部も銃二十二持、時薬一千礎研』提出せ’りも之よ

b

先き味方蕃に卦する銃器弾薬の徹底的問牧は霧

枇事件時国時の経緯友劃霧枇一番閥儒

B

最近の情勢等よb

して相曽田難と認められたるを以て高一を恵b

雷日関係各駐在所に艶しては警備の充賀を計るため比較的訟裕ある館所よb

増員を行ひも一一一角峰駐在

所に十三名も立鷹駐在所に五名も見時駐在所に十二名を臨時に増員配置すると共に警備上極要なる地

知たる、事アルン駐在所には警部補以下四十二名、霧一枇分室には警部補以下四十五名もタウヴア駐在所

編一十銭

には巡査部長以下五十三名を集中しE査もに出動の準備を整へ居たbo

而してトロヴクの銃器引揚は

相官威力を背景とする必要あるを以て三輪警務部長の一行は霧一枇警備員中より巡査三十名も警手九名

手!=事撃裟『&署長ーと件毒事『吐霧

を伴ひト時ヴウに至b

諜定の如く平穏禅に引揚を完了せるものなbD

舎内ソヴア駐在所にあb

てはもトロヴク蕃の銃器引揚が必唱すやタウヴア蕃に針し相嘗の反響あるぺき

JMA』慮hJ

も前記五十一一一名の警備員をして駐在所表口四名、裏口二名、事務室に一名を配援しも

二時間交

代を以て徹宵警戒に雷らしめたる外、小島巡査部長は蕃情内偵の嬬め密かに蕃枇内に逃避しも蕃人の

動静に注意せるが偶々雷夜は7ケ、事レ一枇タイ苦闘ib

方に婚雄蹴あ、りも多数蕃人集会して酒宴を聞き

居たるを円以て午後十時宇、之が終了解散を見る記現場附近に在

hJ

て細心視察を行ひたるも何等の異獄

なかb

しものなるが備高一の場合を慮h

関保駐在所に通AVJる電話線の試験を一時間毎に行ひ以て逓信

謹絡め保会仁努めた’DG

第五簡保護審の襲撃

舎内ソヴア蕃にあhJては雷日三輪警務部長一行がト毘ヴ夕方面に入山せるを知るやも

銃器引揚のこと

あるぺきそ測断しもgp自ヴウ蕃の銃器引揚後は必十やタウヴア蕃に及

hAぺぐも此の機に於て保護審に

主幹二銭

劃する宿怨を晴らすにあら十んば還に共の機命日宇佐失するものとしも

私かに保護審襲撃のことを談令せ

るものの如〈もタウヴア駐在所の最重なる警備警戒の隙を窺ひ

E

二十五日午前一時三十分頃よb

夜陰

に乗じて窃かに脱出を企てトンバラハ枇@んヴクダヤ一枇及ルヴサウ祉の蕃了百三十八名は品ヴサウ枇

に集合しもチヴカ枇に登bトシパラ駐在所に遁十る蕃路より替、ホ

7ルシ一枇跡を過hてqyl。ハウ高地に

重量枇 1森

出でルヴウダヤ一枇の蕃人はシi

パウ保護審中の其1ウ枇骨襲ひ、トンバラハ祉審人はタロワン漢方面

へ下りも更に棲駐在所下方の断崖を整りマヘ、唯一枇ぞ襲ひ、

一方同岬叫J骨ウ祉は奮東i

、、31

祉の前の道路

に廻hノポア岡山ン祉を襲ひたるものなり、

而して他山一除たるブケポン枇及チヴカ祉審人五十三名は同州

1'l三事

ヴザウ一枇下方より蕃路により見時駐在所上方に進出し、

窃i

ドヲ保護審を襲撃せり口而して襲撃は

十五日未明に行はれたるものなるが彼等は襲撃に際しでは官憲に接畳せられ矯めに阻止せらるるこ正

を由民れ冶夜陰特に蕃路ぞ利用して森林雑草の問中佐潜行し目的の箇所に達するまで相互談笑するこ

E

禁じも巧に各蕃枇の周囲に接近して強め脱出すぺき退路に潜伏し、

各方面一番に射撃を加へ同時に蕃

929

一枇に火を放もも保護審の混乱に乗じて撞に殺税引を加ヘたるものなるがも

之に到し保護蕃は会く銃器を

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931

930

同周持せやJ

壱且つ来暁隣接未だ畳めFる

刻なhJ

し伝説て殊の外混説狼狼し極めて僅少者を除

f外、み主

ぐ抵抗する者なぐ徒らに彼等の開拍手に委するの

途なかh

しものなり。

新(て此の襲撃に交b南保護

蕃とも蕃祉は殆んy」友燈に揮したあとにも長』バウ保護審に於ては戦死者百四十名も溢死者七名も

題i

ドヲ保護審に於ては戦死者五十一名も経死者十二名も行備不明者六名の被害を足るに至れ

bo品開

此の襲撃に嘗ちではタ寺ヴア蕃に於ても死者一名負傷者十一名を出せ

bo

編-十第

議雪

.,司

d、

簡避難せる保護審の牧容

幸にして襲撃の難を兎れたる者は直もに棲駐在所挫に霧祉分室附近に牧容の上も

件事撃事軽量上蕃と件毒事量士霧

衣食を給して保護

を加へたるが一時四散して行指不明にな

hJ居たる者も漸次救護せらる\ゐに至

hJB川悦駐所附廷に百七十

二名も霧一枇分室附近に百二十六名も計二百九十八名を牧容したり。

七蔀事件殺生に艶する庭置

襲撃嘗時所轄の酉piドフ駐在所は巡査警手五も鷹託プゲ訂以て樫駐在所は警部補一も巡査警手六や一以

て何れも徹宵警戒に任じ居たるが襲撃は末期的中に雄めて隠語の行動を以て行はれたるを以て諌め之

を概観昆する能はやJG

初品開駐在所とも蕃一枇に嘗

bて銃聾を開ぐやも何れの蕃人の如何な芯行動なるや不明な

bしを島τ

所員は藍もに武装して構内の掩盤に付きたるがも

間もな〈駐在所に避難殺到し来る保護審によりてタ

ehワヴア蕃の襲撃なることを知bたるもち

時既に各蕃一枇には火煙揚がち襲撃蕃人突入して枇内は越度の

混乱に陪与、数名の警察官にては到底牧拾すべくもあら争、ー且つ自ら謹んで武力を以て之に関興する

yf」きは却って事端を紛糾せしむる印刷は

Jhuることを虚b

只管避難蕃人の牧容保護に任じたbも唯楼駐

在所にあb

ては襲撃蕃人が制止を開かやd壱駐在所近〈避難せる保護審に向けて脱税砲する等の暴翠に出

率二銭

で危険なるを以て由橋上警戒射撃を行ひ之を鏡廊、せ390

前夜よりト口ヴク駐在所に滞抽中の三輪警務部長は午前五時二十分事、件勃畿の報を受〈るやも直も

班より巡査警手三十名を模駐在所に念援せりも向ほ其後に掛ける情勢の推移を虚’

9

ボア悶ナJ設に霧世

奇年

にz静岡田ヴク警戒中の巡査以下十七名をロード7方面にも警部補以下十名を嬬?晶ン方面に念探して警

戒に営らしhuると共仁襲撃蕃人引民のため小島巡査部長をして巡査以下十九名を率ひも句yi。ハウ方面

重量

仁向はしめ自ら直ちにト窃ヴウを畿し合ウヴアに向って念行せ

b

之と同時仁Bi

ドフ粧在所に劃し

基畏

ては見暗駐在所より巡査以下十名、立鷹駐在所よb

は巡査以下十五名を増援しも向ほ立鷹駐在所へは

ニ角峰駐在所より巡査以下十五名営探しも警戒に営らしめ、又長i

。ハウ保護蕃に劃してはスーウ架橋

分室に相官警備力を充賞する必要を認めも能高線各駐在所よ与巡査以下二十三名を非常者集してポア

んンに集中すると共仁一方郡警察課より警部補以下十八名もマレヴパ監鵡直より巡査円以下二十名、武

界方面よb

巡査以下十二名を臨時増援して霧一位仁集結しも更に必要仁臆じ隣接新高郡より警部以下

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町一十名を直に出動し得るやう手配せ

b。

第八節襲撃蕃人の庭置

襲撃を行へるタウツア蕃人は、同日午後仁至

b

何れも踊枇せるを以て三輪警務部長は直にタウヴア

半官露

蕃各吐頭目・勢力者会部を駐在所に招致して官命違反の行動に出でたる不都合を責め、首謀者の鹿罰、

蕃丁令部に劃する謹慎誼に貸輿銃器弾薬会部の提出、首級の押牧を巌達した石に彼等は極めて柔順に

官命じ遵ひ謹慢すべきや『誓約し・貸輿銃全部八十五挺、弾薬二千百十九礎控に首級百一個を邸時提出

件事態襲最I:務と件事枇霧

せb

、備事件首謀者の鹿罰に就ては目下巌密取調中に属す。

第九節保護蕃の庭一置

保護審の庭山涯に就ては霧祉事件終了営初、

四閣の事情よh

到底霧畦附近に定住を許さ子、他地方に

移住せしむる必要あb

--Eh--」して之が計章を樹て嚢に換算の成立を見たるものな石が、之を賃施するに嘗

b

て時幾多困難の伴ふJのり、邸ち保護審中には自己の土地に卦する執着を棄てす、他地方に移住する

』止を欲せ十して再ひ焼謹せる審枇附近に定住したき希望を申出づる者あり、

叉。ハI

ラン祉を初め同

族たる霧祉審各祉は彼等の移住によち其の勢力の減殺さる、を倶れ必十や妨害阻止すぺ〈、

之等に劃

しでも強め説得懐柔の要あb

、更に叉移佐藤定地た石バイバラには先住のバイバラ審あり、移住後に

於け忍雨者の接鰯につき強め耕地、狩粗鋼地の蹴係を考慮し置〈要,あるぺ

f、之等の事情は何れも直も

理是

に審情に影響すぺき機微閥係仁ありて滋・りに燥念の慮躍を許さ

Y

るものあるを以て、移住方針決定後

は常に繍係警察官dゲ-督・糊して之等の解決促進に努め、趨嘗の時機を見て決行するこ主、して今日に至

れるものなるが最近に在、りでは移住漁定地の選定も終り‘且つ蕃情も大勢極めて順調に進みつ、あ

h

苦梓

しを以て今同の事件。ぜ機

tし、愈々之れが賀行に着手すること、おなり、五月一日移住地の隣接蕃たる

バイバラ蕃頭目@勢力者十三名を捕里仁招致し、保護審の移住を承服せしめ、翌二日は森田線督府班蕃

意ニ然

課長、高井警部バイバラに五与、バイバラ蕃み一部を集め説得したるに何等異議なか

b

しを以て五月四

日にはバイバラ蕃一段目外四名を一霧祉に同行保護蕃に移住地の朕混伝説かしめ、関係職員叉極力説得に

努ゆたる結果、五日朝に至り保護蕃も永住地を捨てバイバラに移住すぺき決意を矯すに至れ

bo

何て

幸吉

五月六日朝議定の計量旦に基き霧枇及川悦牧容中の保護審二百九十八名中病筑療養の必要ある者誼仁看護

主餐

附添人等二O名を除き二百七十八名を二隊仁分丸、森田線督府理蕃課長及山マ能高郡守指揮の下に必

要なる警備を保穫を加へつ、眉原(川中島)の移佐藤定地に向へ

bG

途中何等の事故なく眉漢、捕里を

事l

p

’as

経て午後五時隠原に到着せり口而して之等移住蕃人等は移住地川中島が意想外に良好なる安住の地た

るこ止を知・り大に喜び且つ安堵し居れり

o

術移住後に於ては五月八日隣接バイバラ蕃

k

の交聴式を行

ひ、叉一一削移住地

ω土地利用管却の方法仁閲し申令をなさしめ農耕の途を授げ、保護審枇衆の秩序維

933

持のため祉衆心得を申渡し謹慌以て業に糊むぺ包含指示せり。惑に於て移住蕃も官の底置に信頼せる

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M刊の賓畑山にして隣接バイバラ蕃に謝して戚謝の意を表し居

b

QU

此の移住の完了によb

勝康国捕に斑蕃の

賞を事htるを得るものLL

倍mAYO

第十節

事件に伴ふ一一般蕃情共他

事件前LF

悶ヴウ蕃のトi

ガシ一枇蕃人謀殺事件に依hJ、

トーガン枇及。AIFヲン枇等の蕃人は痛く憤激

純一十第

せる矢先なh

しを以て舎内ソヴア蕃の保護一番襲撃事件は更に之に異常なる刺戟を輿へたる模様なるも其

後ト自ヴク蕃は自ら共ω非4MA」悟りも四月二十五日仁王り嘗昂仁封してトi

ガン一祉との和解斡旋方の頗

件毒事撃事害枇蕃と件事肩上霧

出あ台、

右に依’りトーガシ枇及。ハ

i

目ヲシ枇に極力説一不の結果彼等も容易に和解を法服しも同月二十九

日天長節の佳節を謹び闘係審一枇全部の代表者、ど霧枇に集合せしめ和解式を暴行しも

理石の誓を錯さし

めたるが之に依h

ノ霧枇一仙印刷の蕃情は保護蕃タ出ソヴア蕃等の関係を除くの外著し〈緩和された

bo

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めも昨年の事件以来貸輿銃器誼仁弾薬の岡牧に費めも肢に其の一部は引揚を了

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族蕃の湾・憂

月十六日印刷

月二十日義行

月二十日訂正増補接行

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