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目黒寄生虫館月報 昭和 38 2 27日第 3 種郵便物認可 昭和38 5 10 日発行・毎月 1 10 日発行 511 963 昭和 385 Lepadidae エポシガイ科 イセエビ Panulirusjatonicusに着生したエボシガイ(解説,P. 6参照)

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Page 1: 目黒寄生虫館月報 - Coocankiseichu.la.coocan.jp/news/mpmnews51.pdfFUKUI, T. (1929): On SOl11 巴 Acanthocephala found in Japan. Annot. Zoo1. Japan., Vol. 12. P 255.270

目黒寄生虫館月報昭和 38年 2月 27日第 3種郵便物認可

昭和38年 5月10日発行・毎月 1回10日発行

第 51号 1 963 昭和 38年 5月

Lepadidae エポシガイ科

イセエビ Panulirusjatonicusに着生したエボシガイ(解説,P. 6参照)

Page 2: 目黒寄生虫館月報 - Coocankiseichu.la.coocan.jp/news/mpmnews51.pdfFUKUI, T. (1929): On SOl11 巴 Acanthocephala found in Japan. Annot. Zoo1. Japan., Vol. 12. P 255.270

-2- 目黒寄生虫館月報

Studies on Acanthocephala ( 9 )

On S01ne Acanthocephala found in Birds.

SHUNY A KAMEGAI

(Meguro Parasitological Museum)

Gordiorhynchus corvi (FUKUI, 1929)

Male: Spindle shaped body is 15.5 mm long and 2.24 mm wide. Subcylindrical

proboscis is 0.49 x 0.53 mm, armed with longitudinal 34 rows of 10-11 hooks each

Conical neck is l. 39 mm long, armed with the same rows of 4 hooks each. Apical

hooks are largest up to 51μlong. Trunk has no spine. Proboscis sheath is l.44 mm

long. Elliptical ganglion is 60 x 85μ long, lie in the later third of the proboscis sheath.

Club-shapped lemnisci are 0.78-0.8 mm long. Elliptical testes are 0.78..0.92 x 1. 6-1. 97

mm, directly tandem and partly overlapping each other, in the second region of one

fouth of the trunk. Cement glands are 4 in number, the anterior part of them are

over1apped posterior testis. Sa任tigen'spouch is 1. 8 mm long. Bursa is 2.2 mm long.

Female: Spindle shaped body is 2.83 x 16.4 mm. Proboscis is 0.36 mm long,

armed with 35 longitudinal rows of 11-14 hooks each, extending over neck to near its

base. Proboscis sheath is l. 08 mm long. Lemnisci are 2.2 2.4 mm long. Free ovaries

are 0.1-0.16 x 0.2-0.36 mm.

Used material:

Male was obtained from small intestine of Strix uralensis hondoensis of Mito vicinity,

Fukushima Prefecture. Date: Dec. 12, 1959.

Female was obtained from small intestine of Corvus sp. of Niigata Prefecture.

Date: Aug. 6, 1958

Li tera ture :

FUKUI, T. (1929): On SOl11巴 Acanthocephalafound in Japan. Annot. Zoo1. Japan.,

Vol. 12. P 255.270.

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目黒寄生虫館月報 -3-

U

会 ♀

Gordiorhynchus corvi (FUKUI, 1929)

P . Proboscis N. Neck P S. Proboscis sheath L. Lemniscus Retr. Retracter O. Ovary U. Uterus B C. Bursa copulatix S P. Sa仔tigen'spouch C. Cement gland T. Testis R. Ray of bursal cap

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-4- 目黒寄生虫 館 月 報

回 顧 50 平・

'/

寄生虫学研究の二方而

むすび

一般に,生物学者で寄生虫を研究する人は,多少と

も医学に関係、があるか,これに興味を持っているもの

が多いようである。こころみにその最も著しい例をあ

げれば,かの有名な寄生虫学中興の宗と言われる ロイ

カノレト氏は,純然たる生物学者として令名を走らせた

人であるが,ライプチヒ大学において動物学を講じs

傍ら寄生虫学に興味を起し,白からこれを研究し万古

不朽の著述を遺 し,且つ多くの寄生虫学者を養成し,

各地における斯学興隆の基を開いたのである。我が閏

の飯島先生をはじめ,米のウォード氏及びスタイノレス

氏,独のロース氏の如きその主なる例である。

叉我が国における寄生虫学の父飯島魁先生は,全く

範をその師ロイカノレト氏にとり, 動物学の要職にあり

ながら特に寄生虫を研究し,本邦最初の名著を公にし

つつ,Wi学振興に努力し今日の隆昌を来した基を開か

れた。

医学者にして寄生虫学に与かる人は多く,基礎医学

即ち病理学,細菌学叉は衛生学の如きものの研究者で,

白から生物学者と共通な素質を備えている。これ寄生

虫学研究に向学界人の多い所以である。また実社会に

;t,;l、ても ,生物学者自身またはその子弟に多くの医学

者となるものがあると同時に,医学者自身またはその

子弟に して生物学を修むるものが少くないのは,古今

東西その例に乏しくない。

私の親しく教を受けた米国イリノ イ大学のウォード

教授の父君は,有名な医師であって生物学に興味を持

ち, 多 くの図書を備えていた。教授は動物学を修め,

大学にてこれを援けていたが,寄生虫学に熱中し他大

学にその例を見ない隔年毎に寄生虫の講義を行ってい

た。そのため同教授の門下には,秀逸な多くの寄生虫

0 ・生物 学 的と 医学的・ー

理学博士医学|零士 吉田 貞雄

学者を輩出している。ランサムフ Tウス ト及びコーツ

諸氏の如きその例である。|現にウ rート、教授はネプラ

スカ州立大学在任中は,医学部の部長を勤めていた位

の人柄である。

日本でも外国でも ,医を業とするものは,これが家

伝に努め少くとも長男か嗣子には,医業を継泌する風

がある。一般に医師は裕福で社会的地位も高いので,

この風習は無異に行われているが,時ーとしてはこの好

境涯を顧みず, 他業に志すものも少くない。我々の最

も崇拝し尊敬している英の大博物学者ダーウイン氏の

父は,名医で評判がよく巨大の富をなしたほどの人で,

ダーウィン氏もまた医学に志したが,屍体解剖lや病理

解音Ijの如き場耐を見るにつけ, 遂に医nmになる素志を

翻して,医学と関係ある博物学の研究に転向し,偉大

なる功績を後世に遣したのである。この種の例は他に

も少くない。

医学と持物学を兼ね修めた最も興味ある話を述べて.

この項を了えようと思う。

この話は, 日本人にも多分に関係ある彼の有名なシ

ーボノレ ト氏のこと である。 1823年我が国に波'*し.

数年間長崎に在留し,本主1¥医学の開発に至大の貢献を

なした VONSIEBOLDは,医学の傍ら日本の1M他物の

研究をなし,偉大な業績を遺している。就中,氏の著

わした Fauna]aponica (動物誌)及び Flora]apon-

ica 値物誌1なる著書は, コi主大なもので前者はあら

ゆる 日本特有の動物を図説したもので,斯界の宝jll~ と

して内外に珍重重視せられた豪華版である。医家の・

余技とは,予IJl底みられない程の逸品で‘ある。

私が前にしばしば引用した生物学者 (博物学者)の

シーボノレト氏は,医師、ンーボノレトの徒弟で医学と共に

博物学を修め,間学界において,独乙の諸大学教授と

なったほどの英才であるが,ミュンヘン大学には多年

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目 黒寄生 虫 館 月 報 -5

教授として勤め,特に動物学分類においては,卓越し

た見識の持主で‘あったため,我々生物学界では医師シ

ーボノレ ト氏よ り,よくまHられている人である。

私は先年,大阪博物学会の世話をしていた頃,同物

学に関する展覧会を催 し,多くの問〔物学者の写真を陳

列したことがある。その時私の出品したシーボルト氏

の写真を見た某氏が,手紙を送って「お前の出品した

シーボノレト氏の写真は間違っているのではないか」と

詰問された。その人は恐らく 医学関係、の人で, 前記の

日本にきていた医師シーボノレト氏のことを思い起し,

顔が違っていると思われたので‘あろう 。医師のシーボ

ノレト氏は,本名は PHILlPFRANZ VON SIEBOLDで,

r:t.の出品した写真は|専物学者の KARL THEODOR

ERNST SIEBOLDであったので,間違いと思われたの

は無理も ないことである。

悶にシーボノレ ト一家は,独乙貴族の称号たる VON

を名乗 り,代々文芸及び学界に優越なる人材を輩出 し,

諸大学に活躍したもの多く ,独乙文化の輿|盗進展に寄

与している稀に見る特異の名門である。日本に来遊し

た PHILIPFRANZ VON SIEBOLD に就ては,氏の生

誕百年に当る 1896年(明治 29年).故東京大学教援

呉秀三医博により「シーボノレト先生一ーその生涯及功

績」と題する浩持者の伝記が出版されている。

(この項了)

にと ,独乙で資った煩草と時号|に就いての追想、談であ

る。

(ー〕 ステッキ (杖)

明治になって,欧米から色々のものが輸入せられ,

当時盛んに流行したものの一つにステッキがある。こ

れは英語の St:ck から来た言葉であろう。米国では

一般に Caneと言っている。 明治l時代では,老いも

若きも. 11寺には女にもこれを携えているものさえあっ

た。

政党のtl:士や乱暴な書生などは,杖とは恩われぬ太

い棒切れみたようなものを,ツク と言うより寧ろ引き

づって横行活歩し,ま た博徒の一郎には仕込杖と称え,

洋刀を仕込んだステッキを持ち,時々これを乱用し良

民を驚かしたことさえ少くなかった。こんな悪党の居

た或地方では,これをワノレ(悪者の意)と時事Jiし恐れ

ていた。兎にfiJ.Wiも杓子も ステ γ キをつく と言う |止

相であった。

私もステッキの木場の国々に旅することとて,不断

は使ったこともないが,携えて行こうと思い,ヰーに私

の住居に近い箕面には, 名高い滝があり,紅葉の名所

で,観光客が多いのでそれ等の人のためにステッキを

製造販売している所があった。その応に注文して竹材

に日本流の風物を彫刻したステッキを作り,場合によ

っては,外国の知人に贈物として,棒げてもよいと思

っていた。

而自くもない回想録も,いつの聞にか数回におよ 先づ米国に行って篤いたのは,案に相違して,阿国

び,これ以上貴重な紙面を汚すのも如何かと思い,こ では特別の人のほか,学生や若い人でステッキを持つ

のあた りでー先づ打ちきってはと相談 したところ,そ ている人は殆んど見当らない。60iIIj後の先生遂でも使

れも よかろ うと のこと になった。この稿を始めたとき 用していないので,若い異国人の私が,これを使う機

に述べたように,回顧録と言っても,私自身のことで 会は絶無であった。

なく ,全く人様の仕事で,誠に申し訳ないことと思っ 英国に行ったな らば,木場であるから使う場合があ

ていた。その非ほろぼしと言う訳でもないが,この稿 るだろうと期待していた処,此処でも米国と殆んど同

の結句として, 私自身の失敗談を厄|想して一節述べて ーで,一度も使ったことがなく ,欧州大陸の駈足旅行

見ま しょ う。 では勿論のことで,長い間の旅行中一度も使わず, 知

私の性質は,由来消極的で,善かれ悪かれ人目 を驚 人に贈る機会もなく.空 しく故国に持ち帰った。のみ

かすような事の出来ない性(タチ)であるから,ここ ならず端西のチ ュウリ ッヒから独乙に行く途中,私が

に述べる失敗談も世の赤毛布(アカケットウ)速のi寅 ステッキと洋傘を一束として,左の小肢に挟み,右手

ずるような,発展的又は抱腹絶倒的なものでなく,謂 に小さい荷物を持って,階段を革まるとき ,後から来る

わば面白ろく もお可笑しくもない。極めて平凡な懐旧 外人にそのステッキが邪魔だといって箸められた苦い

談であると思って頂きたい。 経験もあった。

これは大正 8年私が初めて外国旅行をしたとき持っ 帰途香港では,当地の名産で、ある篠細工の土産物と

て行ったが,殆んど一度も使わなかったステッキと洋 して篠椅子などと共に,篠のステッキを求めて,在米

傘 (コウモリ ガサ) とフロックコ ート及び帰りの土産 旅行中に大変な世話になった友人 (フ ロックコートの

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-6- 目黒寄生 虫館月報

項参照)への贈物に した。

その後円木では,明治l時代ほどではないが,依然と

してステ yキは使用 された。|昭和のrlコ頃,Tl,f土学会11¥

JN;のため北海道に行き,ついでに各地を旅行 した記念

に名物大必の茎でイ乍っ た路の杖を求めたことがある。

上端には熊の首が附けて北1fifA名物を裂付けているの

斡く て使平11である。

'fLtJ;古f1iiに達 したとき, 'i';jlの教え子から祝意を表

わすとて篠の美事な杖を頂いた。本年は叉,郷里の市

役所から r1児長寿j と刻した立派な綜附竹の杖を記念

に贈られた。長い間の病気も,ヨドーに治癒し近々 向H床蹴

起するほど順調になったので,これ等数ある記念の杖

を頼りに試7tもし散歩もし,余生を楽しみたいと念願

している。

流行にまかせ振り通したステッキと県り, [fiJじ杖で

あっても, 11Iくから東洋に伝っ た老の杖には,豆、味 も

あり尊い由来もある。昔支那ではJI冷七寸に達すれば,

Ji.紋ーをH品わり ,八十,九一|ーの高l始者ーには, .~~の杖とて

鳩の~を附けた杖を授けたとのこと 。 l鳴を用いた所以

は「鳩者不l号室鳥也Jの句から来たもので,年老ゆれば

11閃がツマリ l墜び易いので,それを避ける1況と調われて

いる。 我が1司でも ,告 は官廷から殿上を討 された老人

企慰労するのに,ill'M::tを11易わる例が記録されている。

ーー今はあるゃな しゃー

人は訴でも年と共に身体の動作が不自由になり,歩

行にも杖を頼りにするよヲになると同じく, M事111下jにも記憶力が衰え,忘れっぽくなったり ,1!lfi自覚に陥り

』るくなり, 日常の行為を正す力が少 くなるから,これ

を救 うため心の杖が必要になって来る。このことにつ

き老人医学の大権威たる勝沼精蔵医|専は,かつて某新

聞紙上に連載された 「私の体験からJ-1一講の11'1r老人

の杖」と 1mし,次のような意味のことを述べ瞥告され

ている。 L![Iち人は老の進むに従い,健忘f定や型(fi自覚現

象から'N;道をi皇;し易いから,親類の人や知l友の内に,

常に自分の行為につき常軌を踏みはづさないように心

添をして くれる用心体N[Iち老の杖を持つこ とが1Il~で

あると。一一:ï~:なる主~~O 次号につづく)

.~ .,~..,.~ .• 町内..-~..-....... ,." .~.-. _.-,・九九円_...._ .-........ ... .... ~ .. ._ . -._ . -._.-. ..... ....H..._...._ .. . _.-._.-...0-

標本番号 9923

宿 主 イセエビ Pnnu/ints.inρonicus (V. SIEBOLD)

着生部位 体表 (J阪市)

寄贈者 小間際市袈島靖夫氏

1~1主 分子五上の位置

Arthropoda iiJl足動物門

Crustacea 甲殻網

Cirripedia 蔓例目

これは寄生ではなくて着生である。美事についているが,イ セエ ビの脱皮

の際には,すっぽり置き去りにされるのはあわれである。

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目黒寄生虫館月報 -7-

吉 田貞雄博 士を訪 ね て

じ色小

1二I 了

4月 3日,寄生虫学会の第 1[1の{主, J.I{天|淵で懇親

会が1mかれた。 (;'IÆはその途 9='泊、ら , 安藤亮I~}士と一緒

に!日{をはずして,吉田貞材ItW土をお訪ね した。

吉田|噂土は, 目黒寄生虫館が開設されて間も なく,

手を差しのべて下さり,われわれの仕事を理解し, 激

励して下さった方の l人であり,われわれもまた, I'~l

1の削かしい業績に尊敬を払う と向H寺に,何かと館の

進み方についてもご意見をv.Jっていたことでもあ り,

ー)支お訪ねしたし、と1?J'lっていたのである。

梅田駅から箕面行に乗り,石橋で乗りかえて,阪:11

JQiのホームにおりたのはもう 811寺半もかなり過ぎてい

た。ひっそり した駅前にはタクシーもなく ,安藤|噂二i

は足を痛めておられたのでお気の蒜ではあったが歩 く

ことにした。重いテープレコ ーダーと トラ ンクは僕の

長男が問手にさげてくれる。 11音い道を歩くこと約 15

分,先生のお宅らしい門前に誰か背のび しながら迎え

ておられる。 近づいてみると果して吉田先生のお宅で

あった。

{業はかねて ,先生が病床に1:休しておられる ことを知

っていたので,さぞかし衰弱されているのではなかろ

うかと気掛 りであったが,枕lij'[に座った僕に大きな手

を差しのべて力づょくにぎりしめ,よく来た,よく米

たと心から迎えて下さ った時,まだまだ先生は大丈夫

だと感じた。

早速テー プをかける。 先生は安藤|専士とも何年ぶり

かの会見ら しく,問先生の懐古談は,せきを切った水

のよう tこ流,れる。

i業は「日本における寄生虫学の制究J第 3巻の完成

を告げ,持参した一部を差 しあげた。 先生はこ の本の

!封たことを心から喜んで下さっている 1人である。美

事美事とおほめの言葉をいただいたが,僕は多くの執

筆者と共に心よりうれ しくおもった。

英文LI¥I阪についても 色々とごH語、をいただいた。先

生のご令息は, 11'1'秋先生の保健文化賞受賞式に代理!と

して出Jli'l: され , その~Í'われわれもお会いしたので・あっ

たが,その帰り途で、急逝されたのである。 だから先生

は,その腕大な式典を直接:お聞きなさらなかったわけ

である。この大きな悲しみを胸にひそめながら病床に

老後を議われる先生のお安は,作!ともし、し、ょうのない

悲灯lなも のと察せられた。 しかし先生はまた, {lil究ー・

紛に一生を歩まれた方で‘あ り,大きな満足もあるので

はなレかと推察するのであった。

先生は月報に「回顧録」を執筆して下さっている。

すべて横臥したままの筆であろうが,その健筆ぶりは

?干をまくばかりだ。僕は先生が先生自身のことを一向

に諮られないことをかねて残念にお・もっていたので,

それを改めてお書き下さ るようにと執ようにお願いし

た。このことは僕ならびに多くの読者の希望するとこ

ろであると信ずる。森下蕉博士と相談して何とかする

とのご返事を最後にいただいたから ,不日実現するで

あろう。

先生は枕liJlの大きな包みを{楽に波された。それには

先生が外国を姐られた1時に入手された寄生虫学者の写

真が入っている。吉田|専二iてに謹呈とサインのある貴重

な有名学者の写真数卜業は館の宝となるどろう 。先生

はこれを館に保有してほ しいと附加えられた。

約 11時間の安藤防士との対談をふくめたテープも武

重な記録として館に保存したい。

101時頃先生も大変お疲れの様子であったので伐念な

がら辞去するこ とに した。先生は高令である。 しかし

まだまだ一向にその筆は衰えるとも見えない。変らに

更らに後学のために記録を残していただきたいと念じ

ながら夜道を 3人で桜井駅に向ったのであった。

町~. ~....'"..",.~~-~-~",,"..,._.............,.・,,'~"."w"・.................~............ .............,..・d・..... ........~........、.'、.・・'................."..... -..... -.... .....・... ........-......-.......... ........,..r..;......_..........' ......-... ・d・.,

生物学問好会

11j!,和 33年 11月に発足して本年で 5年目 をむかえる。

何年定JYJIYJに行う講演会は,大学諸先生のこe好意によ

りJI'iif;な好評の裡に続けーられてきた。論I':i¥iが各分野の

L キスパー トで,講義内容が非常に充実していること

が好評の第 1にあげられる。 企画担当の先生方のご努

力に敬意、を表すると 向時に今後の発肢を祈念している。

u付手11381:1三!j{fi5月29日第 1IJiIよりtri月1回11月で終る

予定である。秘義I}、l谷と講r:lJiはつぎの通り である。

前向Ii

東京医科 1おか|大学教J反 医学|場l 加が六 1~11氏

東京医科尚早~I大学助教綬 医学問 I~ 熊日|信夫氏

東京医科目奇科大学識f:fli 医学lco!iτl 金TI~i俊氏

fUJ~義内容 :

有害動物一般について,711蛇, -iJi;1.¥t,有害よt虫等を実物,スヲイドを使用して解説。

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-8一 定価¥20送料¥6 目黒寄生虫館月報 昭和38年 5月10日発行(毎月 1回10日発行)

大阪で寄生虫学会総会

第 16l!l旧本医学会総会の第 10分科会として日本寄

生虫学会総会が開かれた。会場は大阪府厚生会館,具Jl

日は 4月 3日 4日の 2日間。当館からも亀谷,市原,

加藤, 二)1九の 4名が出席した。

総数 155の講演ならびに示説と,岡山大学Jl)J教援小

田琢三博士の「寄生虫の酵素化学」と 題する特別講演

が行われた。発表された研究を大きくわけると次のよ

うになる。

1. トキソプヲスマに関する研究

2. 肺吸虫の治療に関する研究

3. n干吸虫の分布と治療に関する研究

4. 焼虫に関する研究

5. 鈎虫に関する研究

6. 寄生虫の組織学的研究,特に電子顕微鏡による

研究

7. 寄生虫の生化学的研究

8. 分類学的の研究

9. フィラリアに関する liJf ~先

なお第 1日の午後 2つの授賞式が行われた。本年度

の綾田賞はフィラリアの研究に対して,鹿児島大学阿

部康男博士に, 小泉賞は毛様線虫に関する新潟大学大

'!i.f~正満博士の業績に対して綬けられ満場の拍手をあび

た。

標本および文献の寄贈

3.16 小間!京魚業組合よ り解剖材料 「イワシJほか 4

,5 ,、、、。

3.16 久留米大学医学部|川部百七月ニ教授より 「ミヤイリ

カイの殻の透水性についての小実験Jほか 4篇

3.17 北大獣医学部町田昌llZ氏より線虫桜木 4点。

東京都目黒区下目黒3ノ557・電話 (712)4432

開館 ・午前 11時~午後 4時 ・月11琵・祭日休館

昭和 38年 2月 27日第 3種郵便物許可

3.24 Jf,t球体I生研究所(所長仲地紀良博士)より「ハ

フ」ほカ‘ 20,'~,。

3.26 中国科学院図書館国際交換組より「中華医学雑

誌J82巻 l号。

3.27 小図版f号、業組合連合会より鮮魚介煩分頒表, ほ

か 1K言。

4. 9 北大将 医学部山下教授より IJJl際放談J1篇。

4.11 小田原魚源社長須藤竿IJ)J氏より解剖材料 「アブ

ラボウズ」ほか 29点。

4.13 神奈川県寄生虫予防協会よ り 「努生虫予防J16

号。

短 信

3.19 文部省出版助成金を受けた「日本における寄生

虫学のliJl':先J第 3巻の実績報告書ならびに第 3

巻 2-i';j¥を提出する。

3.20 I日本における寄生虫学の研究j英文版の刊 で,

亀谷鮪長,野々部理事アメリカ大使館へ出向。

3.22 東京都衛生局長へ「豚肺吸虫症の調査」の中湖

報告書を提出。

3.22 新潟県寄生虫予防協会検査室主任技師近藤進氏

来館。

3.23 第 12回集談会午後 6時 30分より当館研究室で

~~m!。

4. 2 大阪で開催される医学会総会に|山市のため亀谷

館長,市原研究員,加藤研究員,二)(立研究員出発,

4. 9 北大獣医学部山下教援来館。

4.11 文部省,アメリカ大使館,東京医科rki科大学へ

亀谷館長,野々部理事出向。

4.11 市原研究員小田原へ出張。

4目 11 都中央卸売市場長岡素夫氏来館。

第 13回抄読会

4月16日,当館研究室にて午後 7時開会。4月初旬,

大阪市で挙行された寄生虫学会総会に出席した亀谷館

長,市原1日f究員,加藤研究員等の学会報告を聞く 。ま

亀谷館長: 寄生虫学会総会に出席してと越 して学

会で発表された主なる題目について詳細な報告と感想

を述べる。この話題を中心に討論に移る。午後 9附半

開会。

財団法人 ・目黒寄生虫館・ 発行

館長 ・医博亀谷了,編集野々部春登

印 刷 ・三 協美術印 刷 株式会社