特定遺伝子の活性化 8. ヒストンデアセチラーゼ阻...

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8. ヒストンデアセチラーゼ阻害活性をもつピロール・イミダゾールポリアミドによる 特定遺伝子の活性化 杉山 Key words:ヒストン脱アセチル化酵素,ピロールーイミダゾ ールポリアミド,遺伝子発現,エピジェネティック,ヒストンア セチル化 京都大学 大学院理学研究科 化学専攻 最近の細胞生物学の進歩によって,真核生物の遺伝子発現はヒストンの脱アセチル化によってヌクレオソーム構造がほどけそこ に様々な転写因子が結合するなど,階層的にさらに精密にコントロールされていることが明らかになってきた.そのためヒストン脱 アセチル化酵素(HDAC)の阻害剤は,図に示すように様々な遺伝子の活性化を行うことが示されている.しかし通常の HDAC 阻害剤では特定の遺伝子を選択的に活性化することは難しい.Py-Im ポリアミドは転写因子と同程度の結合の強さと特異性をも っている.したがって Py-Im ポリアミドを用いることによって,HDAC 阻害剤を目的の遺伝子に運ぶことができる.すなわち特定 遺伝子を標的とした Py-Im ポリアミドに HDAC 阻害剤を結合させることによって遺伝子発現制御分子が設計できる.例えば, 強力な HDAC 阻害剤である SAHA は合成が容易であり,これを Py-Im ポリアミドに結合させることによって配列特異性を有す る HDAC 阻害剤となりえる.これらの SAHA ポリアミドコンジュゲートの有効性を実証するために,がん細胞において発現が抑 制されているがん抑制遺伝子の活性化を試みた.さらに山中らによって示されている iPS 細胞形成に必要な Oct4,Nanog, Klf4,cMyc 遺伝子 1) の発現の変化を調べた. 方法および結果 ヒストンデアセチラーゼ(HDAC)阻害剤として知られるトリコスタチン(TSA)をモデルとしてスベロイルアニリドヒドロキシルア ミン(SAHA)が開発された(Fig. 1). Fig. 1. Chemical structures. suberoylanilide hydroxamic acid (SAHA) and trichostatin A (TSA). SAHA で処理することにより細胞のヒストンアセチル基転移酵素(HAT)活性は上昇し,様々な遺伝子の発現が活性化され る.事実 SAHA は 2006 年に FDA から抗がん剤としての使用が認可されている.しかし特定の遺伝子だけを活性化させるこ とはできない.そこで DNA の塩基配列を認識するピロールイミダゾールポリアミドに SAHA をコンジュゲートすることにより,特定 の遺伝子を活性化する分子の合成をめざした.SAHA をコンジュゲートのモデル化合物として1,2の化学合成を行った(Fig. 2). 上原記念生命科学財団研究報告集, 23(2009) 1

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Page 1: 特定遺伝子の活性化 8. ヒストンデアセチラーゼ阻 …...SAHAで処理することにより細胞のヒストンアセチル基転移酵素(HAT)活性は上昇し,様々な遺伝子の発現が活性化され

8. ヒストンデアセチラーゼ阻害活性をもつピロール・イミダゾールポリアミドによる特定遺伝子の活性化

杉山 弘

Key words:ヒストン脱アセチル化酵素,ピロールーイミダゾールポリアミド,遺伝子発現,エピジェネティック,ヒストンアセチル化

京都大学 大学院理学研究科 化学専攻

緒 言

最近の細胞生物学の進歩によって,真核生物の遺伝子発現はヒストンの脱アセチル化によってヌクレオソーム構造がほどけそこに様々な転写因子が結合するなど,階層的にさらに精密にコントロールされていることが明らかになってきた.そのためヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)の阻害剤は,図に示すように様々な遺伝子の活性化を行うことが示されている.しかし通常の HDAC阻害剤では特定の遺伝子を選択的に活性化することは難しい.Py-Im ポリアミドは転写因子と同程度の結合の強さと特異性をもっている.したがって Py-Im ポリアミドを用いることによって,HDAC阻害剤を目的の遺伝子に運ぶことができる.すなわち特定遺伝子を標的とした Py-Im ポリアミドに HDAC 阻害剤を結合させることによって遺伝子発現制御分子が設計できる.例えば,強力なHDAC阻害剤であるSAHA は合成が容易であり,これを Py-Im ポリアミドに結合させることによって配列特異性を有する HDAC 阻害剤となりえる.これらの SAHA ポリアミドコンジュゲートの有効性を実証するために,がん細胞において発現が抑制されているがん抑制遺伝子の活性化を試みた.さらに山中らによって示されている iPS 細胞形成に必要な Oct4,Nanog,

Klf4,cMyc 遺伝子 1)の発現の変化を調べた.

方法および結果

ヒストンデアセチラーゼ(HDAC)阻害剤として知られるトリコスタチン(TSA)をモデルとしてスベロイルアニリドヒドロキシルアミン(SAHA)が開発された(Fig. 1). 

 Fig. 1. Chemical structures.

suberoylanilide hydroxamic acid (SAHA) and trichostatin A (TSA). SAHA で処理することにより細胞のヒストンアセチル基転移酵素(HAT)活性は上昇し,様々な遺伝子の発現が活性化される.事実 SAHA は 2006 年に FDA から抗がん剤としての使用が認可されている.しかし特定の遺伝子だけを活性化させることはできない.そこでDNA の塩基配列を認識するピロールイミダゾールポリアミドに SAHA をコンジュゲートすることにより,特定の遺伝子を活性化する分子の合成をめざした.SAHA をコンジュゲートのモデル化合物として1,2の化学合成を行った(Fig.2).

 上原記念生命科学財団研究報告集, 23(2009)

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 Fig. 2. Chemical structures.

PI polyamide–SAHA conjugates 1 and 2. 1,2の合成法を Scheme 1 に示すように Fmoc 固相合成法を用いて行った.まず,固相担体からベータアラニンを導入し,そこから順次 FmocPyCOOH,FmocImCOOH,FmocγCOOH を用いて合成を行い,ジメチルアミノプロピレンジアミンを用いて切り出し後 SAHAユニットを導入した.

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 Scheme 1. Synthetic scheme for the preparation of PI polyamide–SAHA conjugate 1 and 2.

(i) N,N-Dimethyl-1,3-propanediamine, 30°C, overnight.(ii) 4-(8-Methoxy-8-oxooctanamido)benzoic acid 3, FDPP, DIEA, DMF, room temperature, 6hours.(iii) NH2OH, H2O, DMF, room temperature, 6 hours.

 表面プラズモン現象を利用し,SAHA コンジュゲート2は SAHA ユニットを持たない6と同様に設計した TGCTGGCAA の配列に選択的に同じ結合力で結合することを確認した.またHDAC阻害活性を示した.特に,2はがん抑制遺伝子p16のプ

ロモーターを標的としているが,p16の発現が抑えられているHeLa 細胞に対しても強い細胞毒性を示した 2). 次に,これらの SAHA コンジュゲートを用いて iPS 化の可能性を検討することにした.細胞を iPS 化させるためには Oct4,Nanog,Klf4,cMyc 遺伝子を導入することが必要であることが,すでに山中らによって示されている.そこで,これらの遺伝子の発現を上昇させる SAHA コンジュゲートの探索を行った.先に示した合成法を用いて Fig.3 に示した16種類のSAHA コンジュゲートを合成した.

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 Fig. 3. Schematic presentation of PI polyamide-SAHA conjugates.

Blue circles represent pyrroles, red circles imidazoles, diamonds β-alanine, and Dp is N,N-dimethylamino-3-propanediamine.

 次に,これらの SAHA コンジュゲートを線維芽細胞に対して処理した.処理後RNAを単離しRTPCR を用いて4つのファクターの遺伝子発現レベルを観測した.その結果をFig. 4 に示したが,異なる SAHA コンジュゲートによって,6倍~2倍の発現の亢進がみられた. 

 Fig. 4. Expression levels of four iPS factors.

Expression levels of Oct-4, Sox-2, Klf-4, and c-Myc induced by 16 different PI polyamide-SAHAconjugate. Expression levels were evaluated by RT-PCR. *P < 0.05 by unpaired Student’s t-testcompared with no drug control.

 

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考 察

SAHA コンジュゲートによって,遺伝子の発現の亢進ががみられた.今後,さらなる SAHA コンジュゲートの認識配列の伸張,分子構造の改良を行い,iPS 化の可能性について検討を進める.最後に,このような火急の研究テーマに対して,迅速に研究の機会を与えていただいた上原財団に感謝の意を表したい.

文 献

1) Okita, K., Ichisaka, T. & Yamanaka, S.: Generation of germline-competent induced pluripotent stemcells. Nature, 448: 313-317, 2007.

2) Ohtsuki, A., Kimura, M., Minoshima, M., Suzuki, T., Ikeda, M., Bando, T., Nagase, H., Shinohara, K. &Sugiyama, H.: Synthesis and properties of PI polyamide-SAHA conjugate. Tetrahedron Letters, 50:7288-7292, 2009.

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