微笑行動を手がかりとした重症心身障害児のqol評価に関す …key...

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はじめに 近年、癌などの末期医療、慢性疾患、精神障害、リ ハビリテーションなどの保健医療の分野で、QOL (quality of life、生活の質)の研究が多数報告されて いる。QOLの考え方の出現は、それまでの治癒率、 寛解率、生存率などを基準に行われていた医療の評価 から、心理社会的影響までを考慮した患者本人の主観 的意見を重視するように変化したという医療のパラダ イムの変換でもある。このようななか、発達障害の分 野でも、1980年頃から生活の満足や健やかさ(well- being)の重要性が認識されはじめQOLに関する概念 や評価法の研究が盛んに行われるようになってきた。 そして、知的障害、発達障害を持つ人のQOLについ て、「障害の有無に関わらずQOLは、本質的に全く同 じで、生活の中で同じ事柄を希望し、同じ要求をもち、 社会で他の人々と同じ方法で責任を果たしたいと望ん でいる」(Schalock、1990)と考えられている。QOL において重視されるのは、個人の満足感や幸福感とい ったsubjective(主観的・主体的)QOLの評価である。 しかし、重度の身体的障害と知的障害を併せ持つ重症 心身障害児・者(以下重症児・者)は、多くはことば がないため感情や要求を表現する手段に乏しく、関わ る人も彼らの意思や要求を理解したり共感したりする ことが困難な場合が多い。したがって、本人のsub- jective QOLを評価することは容易ではなく、重症 児・者のQOLの評価では、保護者(郷間、2001)や 介護者(末光、2000)など、代理回答にならざるを得 ない場合が多い。 しかしながら、知的障害者における研究で明らかに なったように、重症児・者にとっても、本人の意志や 選択に基づくsubjective QOLが重要であることは同 じである。したがって、重症児・者がどのような主観 的・主体的世界に生きているのかという課題を検討す ることは、重症児のQOLを考えるとき重要な意味を 持つ。重症児・者は自分、そして他者をどのように体 験し、そして自己の要求や欲求をどのように表し、他 者との関わりの結果得られた感情や満足度をどのよう 29 微笑行動を手がかりとした重症心身障害児のQOL評価に関する検討 郷間英世(奈良教育大学) 伊丹直美(小野東小学校) Smiling Response and Subjective QOL of Children with Severe Motor and Intellectual Disabilities Hideyo GOMA (Department of Education for Children with Disabilities, Nara University of Education, Nara, Japan) Naomi ITAMI (Ono Higashi Elementary School, Hyogo, Japan) 要旨:重症心身障害児・者は重度の肢体不自由と知的障害を併せ持つために、本人の意思や満足度など QOLを評価 することは困難である。そこで、微笑行動を手がかりとして重症心身障害児・者の主体的活動や発達段階の評価を 試みた。方法は日常生活場面に参加観察し、エピソード記録から認識や感情表現を解釈した。多くの場面で微笑行 動が観察されいずれも様々な自己表現を行っていた。また、表現方法が異なるために、個に応じた解釈が可能にな るまでに関わりの継続が必要であった。解釈をもとに行った発達的評価は通常の発達検査結果より高い段階のもの が認められ、認識や人との関わりの分野において著明であった。ここで用いた微笑行動を手がかりとした本人の意 思や満足度などの精神活動を推定する方法は、表現手段の限られた重症心身障害児の主体的表現を捉えることがで き、コミュニケーションやQOLを豊かにする可能性が考えられた。 Key words:重症心身障害児 children with severe motor and intellectual disabilities, QOL(生活の質)quality of life、微笑行動 smiling response

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Page 1: 微笑行動を手がかりとした重症心身障害児のQOL評価に関す …Key words:重症心身障害児children with severe motor and intellectual disabilities, QOL(生活の質)quality

1.はじめに

近年、癌などの末期医療、慢性疾患、精神障害、リ

ハビリテーションなどの保健医療の分野で、QOL

(quality of life、生活の質)の研究が多数報告されて

いる。QOLの考え方の出現は、それまでの治癒率、

寛解率、生存率などを基準に行われていた医療の評価

から、心理社会的影響までを考慮した患者本人の主観

的意見を重視するように変化したという医療のパラダ

イムの変換でもある。このようななか、発達障害の分

野でも、1980年頃から生活の満足や健やかさ(well-

being)の重要性が認識されはじめQOLに関する概念

や評価法の研究が盛んに行われるようになってきた。

そして、知的障害、発達障害を持つ人のQOLについ

て、「障害の有無に関わらずQOLは、本質的に全く同

じで、生活の中で同じ事柄を希望し、同じ要求をもち、

社会で他の人々と同じ方法で責任を果たしたいと望ん

でいる」(Schalock、1990)と考えられている。QOL

において重視されるのは、個人の満足感や幸福感とい

ったsubjective(主観的・主体的)QOLの評価である。

しかし、重度の身体的障害と知的障害を併せ持つ重症

心身障害児・者(以下重症児・者)は、多くはことば

がないため感情や要求を表現する手段に乏しく、関わ

る人も彼らの意思や要求を理解したり共感したりする

ことが困難な場合が多い。したがって、本人のsub-

jective QOLを評価することは容易ではなく、重症

児・者のQOLの評価では、保護者(郷間、2001)や

介護者(末光、2000)など、代理回答にならざるを得

ない場合が多い。

しかしながら、知的障害者における研究で明らかに

なったように、重症児・者にとっても、本人の意志や

選択に基づくsubjective QOLが重要であることは同

じである。したがって、重症児・者がどのような主観

的・主体的世界に生きているのかという課題を検討す

ることは、重症児のQOLを考えるとき重要な意味を

持つ。重症児・者は自分、そして他者をどのように体

験し、そして自己の要求や欲求をどのように表し、他

者との関わりの結果得られた感情や満足度をどのよう

29

微笑行動を手がかりとした重症心身障害児のQOL評価に関する検討

郷間英世(奈良教育大学)

伊丹直美(小野東小学校)

Smiling Response and Subjective QOL of Children with Severe Motor and Intellectual Disabilities

Hideyo GOMA

(Department of Education for Children with Disabilities,

Nara University of Education, Nara, Japan)

Naomi ITAMI

(Ono Higashi Elementary School, Hyogo, Japan)

要旨:重症心身障害児・者は重度の肢体不自由と知的障害を併せ持つために、本人の意思や満足度など QOLを評価

することは困難である。そこで、微笑行動を手がかりとして重症心身障害児・者の主体的活動や発達段階の評価を

試みた。方法は日常生活場面に参加観察し、エピソード記録から認識や感情表現を解釈した。多くの場面で微笑行

動が観察されいずれも様々な自己表現を行っていた。また、表現方法が異なるために、個に応じた解釈が可能にな

るまでに関わりの継続が必要であった。解釈をもとに行った発達的評価は通常の発達検査結果より高い段階のもの

が認められ、認識や人との関わりの分野において著明であった。ここで用いた微笑行動を手がかりとした本人の意

思や満足度などの精神活動を推定する方法は、表現手段の限られた重症心身障害児の主体的表現を捉えることがで

き、コミュニケーションやQOLを豊かにする可能性が考えられた。

Key words:重症心身障害児 children with severe motor and intellectual disabilities, QOL(生活の質)quality of

life、微笑行動 smiling response

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に表現しているのであろうか。それらを明らかにする

事は、重症児と関わり手のコミュニケーションを豊か

にし、彼らの主観的体験に基づいたQOLを高める手

段となると考えられる。

知的障害者や発達障害者を理解する手段として、さ

まざまな知能検査や発達検査がある。しかし重症児・

者の場合には、重度の肢体不自由と知的障害を併せ持

つため測定不能となることが多く、検査による精神活

動を把握することは困難であり、中田(1984)が述べ

ているように重症児・者の発達状況をつかむために

は、精神活動の様相を質的にとらえることが必要であ

ると考えられる。

重症児・者に対して、一般に関わり手は、自発行動

の少ない彼らのわずかな動きや表情の変化や緊張の程

度等から、その意図を推測することが多い。そのため

手探りであったり、彼らの思いとはかけ離れた関わり

であったりすることもある。そんな中での彼らの微笑

行動は、確かな手応えとして関わり手に返され、また

新たな関わりが展開される。微笑は、興味関心や好き

嫌いや快不快や要求等、彼らの様々な精神活動の有り

様をそして彼らの体験を伝えるものであると思える。

また、何よりも彼らの微笑に接したときは、鯨岡

(1997)のいう「情動が共有」されたと実感できる瞬

間でもあり、その笑顔は筆者を魅了してやまないもの

である。実際、筆者らが行った重症児・者の親へのイ

ンタビュー調査(郷間、2001)によるQOLの評価に

おいても、微笑行動は多くの親から意味のあるものと

して語られており、重症児・者の subjective QOLの

表現として重要と考えられる。

微笑行動について、健常児の発達的検討を中心に多

くの研究がなされている。島田(1969)は、生物学的

なsmileがいかにして社会的な反応へと発達していく

のかについて乳児の観察分析を行い、あわせて脳器質

的障害児のsmiling responseについて病的な側面か

らも検討している。その中で、未分化なsmileがある

種の脳器質的障害児にも存続していることから、

smiling responseを観察することは脳器質的障害児

の対象関係のあり方を知る重要な指標となりうると述

べている。高橋(1973、1994)も、自発的微笑から外

発的微笑、そして社会的微笑へと発達していく過程に

ついて報告し、微笑反応にとって認知が重要な役割を

果たしている事を示唆している。また、Spitzら

(1946)は、乳児の微笑反応について観察的および実

験的研究を行い、人の顔や面に対する微笑の生起や消

失を知覚弁別の重要なステップであるとし、微笑反応

は生後1年の乳児の情緒的発達の指標であるとしてい

る。友定(1985,1992)は、乳幼児の「笑い」がどの

ように発達していくかについて、自然観察法によって

研究している。その結果、1歳児の「笑い」は、大き

く3つに分けることができると述べている。第1は生

理感覚的快や緊張に伴うもの(身体レベル)、第2は

認識作用に伴うもの(認識レベル)、第3は他者との

交流に関連したもの(社会レベル)と分類している。

また、2歳児になると、それぞれの笑いが、人との関

わりの中で能動的に用いられるようになることを明ら

かにしている。これらの研究からも、微笑はその背景

にある認知や情緒や社会性の発達の諸相を示すもので

あり、このことは、重症児・者の精神活動を、微笑行

動によって捉えられる可能性を示唆していると考えら

れる。

そこで本研究では、重症児・者の微笑行動を観察し、

彼らの精神活動や発達段階との関係を明らかにするこ

とを試みた。それは、重症児・者と関わり手のコミュ

ニケーションを豊かにし、彼らの主観的体験に基づい

たQOLを考えるとき重要な意味をもつと考えられる

からである。

2.方 法

2.1.対象児と観察法

対象は3例の重症児であり概要を表1に示した。い

ずれも重症心身障害児の分類では最重度である大島分

類1(大島、1974)に属する。2例は国立療養所重症

児病棟入院、1例は在宅で養護学校在学中である。

観察は自然観察法と参加観察法により行った。すな

わち対象児の生活する家庭、学校、施設において日常

の遊び、保育、授業に参加し、食事や着替えなどの身

辺介助もしながら観察した。これは、標的行動が日常

生活の中でよくみられる微笑であること、また観察者

も関わり手となることで関係が深まり、体験を共有す

る中で反応や行動の意味を捉えることが容易になると

郷間 英世・伊丹 直美

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表1 対象児の概要

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考えたからである。

観察期間は9~12ヶ月であったが1例はこの観察以

前に3年間の関わりがあった。観察の頻度は1ヶ月1

~4回、1回の観察は2~3時間であった。観察の際

には可能な限りVTR録画した。

2.2.観察内容と記録

観察した反応は主に微笑や笑いであり、その他表情

の和らぎなど微笑には至らない微かな表情変化、それ

に伴う身体の動き、注視、微笑の対極にある泣きの表

情なども含め微笑行動とした。これらをとりあげた理

由として、微笑をはじめとする表情の多くは児の情動

が関わり手に無条件に伝わり、そこに内在する対象児

の精神活動の解釈を容易にすると考えたからである。

記録は、一連の行動の内、刺激や働きかけによって引

き起こされた反応や、興味関心により生じた自発的な

行動が収束するまでを一つのエピソ-ドとし、場の状

況等から微笑行動の背景にある精神活動が表れている

と捉えられたものを取り出した。次いで場面の状況や

対象児の表情、また関わり手の行動などを観察者の印

象やVTR録画を基に詳細に記述した。

2.3.微笑行動の分類と発達段階

微笑行動の分類は友定(1992)に従い、「身体」「認

識」「人との関わり」の3分野に分けた。身体分野は

運動や生理感覚によるもの、認識分野は周囲の状況や

その変化に対する理解の表情や行動など、人との関わ

りの分野は声や顔刺激など対人関係に関するものであ

る。

精神活動の発達段階は次の5つに分けて評価した。

「未分化」の段階である生後3ヶ月以前については高

橋の報告(1994)をもとに自発的微笑と外発的微笑と

し、それ以後はスピッツのオーガナイザーの理論

(1993)をもとに分けた。すなわち第一は3ヶ月頃か

ら人に対して社会的無差別微笑がみられる「3ヶ月微

笑」の段階で、外部世界の刺激を知覚して反応し始め

る時期である。第二は母親との愛着関係が成立後の

「8ヶ月不安」(ひとみしり)の段階で、事物間の関係

が理解できるようになり、他者と注意や意図の共有が

みられ、好き嫌い、嫉妬、羨み、所有慾といった情動

が観察できる。第三は否定的な言葉や態度が観察され

自他の境界が確立される「18ヶ月拒否」の段階で、期

待や記憶に基づく認識や感情が明らかになってくると

ともに、子ども同士のほのかな交流が現れる。2~3

歳からは能動的なコミュニケーションがみられるよう

になる「主体的微笑」の段階で、この時期は興味の明

確化や子ども同士での主体的な関わりがみられる。

2.4.重症児の微笑行動の解釈と発達の評価

観察により得られたエピソード記録は、まず、微笑

行動の生じた状況や刺激などを手がかりに、重症児の

快不快、好き嫌い、感情や意思、期待や予感、共感、

主体的関わりなどの精神活動を解釈し分類した。次い

でその精神活動がどの発達段階にあるかを評価した。

その際筆者らの行ってきた健常乳幼児の微笑の観察

(1999)や文献的報告を参考にして作成した「健常乳

幼児の発達段階ごとの微笑行動の特徴」(表2)を参

考にした。

3.観察結果と解釈

観察回数は、K15、R8、M20回であった。以前よ

り関わりがあったMは初回から児の表現が理解しやす

かったが、他の2例はラポートがとれるまでに4~5

回、2ヶ月近くを要した。

得られた多くのエピソードのうち、刺激と反応に一

定の関連があり繰り返して観察できたもの、および対

象児の気持ちの志向が明らかで観察者に確かな印象と

して伝わったものを選択し解釈した。

微笑行動のエピソードのうちKの代表的なものとそ

の解釈を以下に述べた。また、3人のエピソードの主

なものの要約を3つの分野に分け表3に示した。

3.1.Kの微笑行動

3.1.1.エピソード「機関車Ⅲ」(表3のNo.3)

と解釈

観察:しばらく機関車遊びを楽しんだ後、機関車に

布をかぶせて見えなくすると、それまでの笑顔が消え

た。目をぴくぴく動かしては布のかかった機関車をじ

っと見ている。機関車のそばにある左手が上下に少し

動き、表情に笑みが見られた。視線が動き、いったん

右に首を向けてから左にもどす時に観察者の方を見

た。口を大きく開けている。観察者が反応しないでい

ると布のかぶさったままの機関車に目を戻し、もう一

度左手を上げ下げした。手のひらが柔らかく開いてい

る。その後表情は中間になり呼吸が速くなった。呼吸

が落ち着いて、相変わらず布のかかった機関車を見つ

めてにっこり微笑んだ。観察者が布をやや持ち上げる

と、目が細く弓なりになりオーンと声を出して笑った。

微笑行動を手がかりとした重症心身障害児のQOL評価に関する検討

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表2 健常乳幼児の発達段階ごとの微笑行動の特徴

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布が途中で落ちてまた被さると、左手や目をしきりに

動かした。観察者の方を見たり右側に首を向けたりし

た後、すぐに左に戻した。観察者がもう一度布を取り

去ると笑いながら見ており、機関車が現れると、一瞬

手を握り目を見開いた後、まじまじと機関車を見つめ

て目を離さない。しばらくして眼球が動くと共に、口

元に笑みがこぼれた。その後も機関車を見つめ、息づ

かいがやや荒い。

解釈:この場面におけるKの行動からは、隠された

物が消滅したわけではないことを知っている(事物の

永続性)ことがわかり、ピアジェの感覚運動期の第4

期の障害物を取りのけて物を取り戻そうとしている動

きも見られた。それは、首を左に向けて維持し、布で

覆われた機関車をじっと見つめたままでいることや、

機関車を隠している布を、何とかして取り去ろうと左

手を上下に何度も動かす行動に表れている。Kの左手

を動かす行動や、取ってくれと言わんばかりに観察者

の方を見る行動は、実際に障害物を叩いてのけたり押

しのけたりする方法を持たないKのそれに代わる行動

であり、障害物を押しのける手段と考えられる。Kが

能動的に物に向かっていることは、笑いの大きさや声

の張り、力む行動や息づかいが荒くなることに表れて

いる。Kは自分自身のやり方で興味ある光景を持続さ

せようとしているのである。このエピソードは認識分

郷間 英世・伊丹 直美

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表3 微笑行動のエピソード記録

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野、8ヶ月不安の段階と考えられる。

3.1.2.エピソード「りゅうくんⅡ」(表3の

No.6)と解釈

観察:Kと観察者が遊んでいるところに3歳のりゅ

うくん(同じ病棟の3歳の幼児、伝い歩きができ大人

の模倣も出来始めている)が来た。Kは左上方に座っ

ているりゅうくんを見上げた。りゅうくんがKの腹や

足をとんとんすると、眉を下げ、やや口角を引いて微

笑みリラックスしている。りゅうくんが観察者の方に

向き、Kへの関わりを中断すると、緩やかな表情のま

ま目だけを伏せて、下方にいるりゅうくんの動きを自

分の視界に入れた。時々眼球がきょろきょろ動き、あ

ちこちを見ている。口は柔らかく半開きであるが、目

はさらに動きを増し、上方を見たりりゅうくんを見て

はすぐ宙に戻している。りゅうくんが観察者の後ろに

移動すると首を動かして探した。次いで、りゅうくん

がKの頭の上方に移動すると、その動きを見送った後

で観察者の方を見て微笑んだ。

解釈:この場面に見られるKの行動は、幼児に興味

を示している事を示している。Kは関心のあるときに

は真正面から相手を見ることはせず斜めから見たり、

相手が視界に入ると背を向けて待ったりする行動が特

徴的であるが、このときもやはり正面から見ようとは

せず、視界の隅に入れたりすぐに視線をそらせたりし

ている。そういうやり方で、Kはりゅうくんの動きを

興味深く見ている。また最後にりゅうくんの動きを見

送ってから観察者の方を見て微笑んだのは、あたかも

りゅうくんの動きについて観察者と気持ちを共有しよ

うとしているともとれた。子ども同士のほのかな交流

は通常1歳6ヶ月ごろから観察されるが、相手に合わ

せたやりとりができないので今ひとつ交流がかみ合わ

ない様相がある。しかし、この場面ではりゅうくんの

動きを見守ったりしているところにその交流が確かな

ものになってきていることが感じられる。このエピソ

ードは人とのかかわりの分野、主体的微笑の段階と考

えられる。

3.1.3.Kの微笑行動のまとめ

身体分野では、春の風や光、歌声など緩やかな生理

感覚刺激が心地よいと感じていること(No1)や上

体を倒したり起こしたりされる運動感覚を好んでいる

こと(No2)が伺える。認識分野では、おもちゃへ

の興味関心やおかしさの発見がみられた。また、No4

の場面での甲高い声や全身に力を入れて力む行動は、

りゅうくんが、普段は保育士がしている片づけを同じ

ようにしている光景を見つけたからである。それは、

いつもと違うことを認識したおかしさの表現と思われ

る。人との関わりの分野では、何度か接触を持ってい

る人を受け入れるか否か審査している様子がみられ

た。No5では観察者を意識し真正面から見ず斜めか

ら観察している。目は恥ずかしそうに細め、口角はほ

ぼ真横に引き一瞬で笑顔が消える。No6は、りゅう

くんとの関わりを観察者に伝えようとしている主体的

微笑である。

3.2.Rの微笑行動の解釈とまとめ

身体分野では、頬をつつかれる刺激での外発的微笑

(No1)と、運動刺激に対する関心(No2)がみら

れた。児にとって上半身が45度以上も起こされ、弾み

をつけて下ろされる刺激はかなり大きなものである。

児はその刺激を受け入れるだけでなく、運動刺激をお

もしろがっている。自分では動かせないが動かしても

らうことで大きな喜びを感じている。認識分野では、

偶然出た声に対する興味や予期の笑いがみられた。

No3では、何らかのきっかけで声が出ることを体験

した児にとって、その事が大変興味深い出来事になり、

ピアジェの感覚運動期第2期にある第一次循環反応が

みられた。No4では、風船が膨らんではしぼむ遊び

が繰り返される中で、「こうすればこうなる」という

図式を獲得し、その結果予告に対して期待する微笑が

生起している。人との関わりの分野では、No6で担

任の声を他と識別する活動がみられた。保育士や観察

者が声のトーンや語りかけを変えて児の微笑を引き出

したもの(No5)とは違っていた。

3.3.Mの微笑行動の解釈とまとめ

身体分野では、激しい揺れ刺激を喜び要求する活動

がみられた。No1の学校でも、No2の家庭でも同様

の微笑行動がみられたが、学校より家庭で大きな笑い

が生起していた。認識分野におけるNo3の笑いは、

水戸黄門に関することは児が「知っていること」を示

している。水戸黄門のテーマ曲を聴いても、違う場面

でこの紋所が・・というせりふを聴いても微笑が生起

することからも伺える。No4の集中した表情と安堵

のあくびは、3・4歳児が、難しい作業に取り組むと

きに見せる真剣な表情や、それが終わってからため息

と共ににっこり微笑む様子と質的に同じであると考え

られる。人との関わりの分野において、母親との格別

のやりとり(No5)がみられる一方で、かなり複雑

な精神活動の様相もうかがえた。No6で、自分への

関わりが教師により違うことがわかっており、自分に

厳しくあたる人に対して自ら好ましい関係を保とうと

して微笑んでいるという印象をうけた。

4.考察

4.1.重症児の微笑行動の特徴

分野別にみると、身体分野では受け入れることの可

能な身体刺激を楽しみ、たちまち微笑んだり、大きな

笑い声が出たりする様子が観察できた。これらは刺激

の後直ちにみられ、重症児も健常乳幼児と同様に身体

運動刺激により微笑行動が生起することを示してい

る。しかし運動障害のため自ら動く事による微笑行動

微笑行動を手がかりとした重症心身障害児のQOL評価に関する検討

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はみられなかった。認識の分野では、おもちゃなど物

への興味関心、繰り返されることを待っている予期や

期待、日常とのずれに対する認識など、それぞれの発

達段階の微笑がみられた。この分野の微笑は身体分野

の微笑と比べ、やや時間をおいてからの穏やかな微笑

である事が多かった。また、健常乳幼児とは別の方法

で興味や物への働きかけを示している様子が観察され

た。すなわち、Rの機関車への反応は、健常乳幼児な

らつかむ・舐める・振る・叩く等の方法を用いるとこ

ろであるが、Rは運動障害から、見つめる・力む・微

笑む等、他の動きで代替しているものと思われた。ま

た、意図すればするほど緊張に支配され、反り返って

しまうMの姿勢・運動にみられるように、向かおうと

する対象と逆の方向に、意図する行動とは違う動きが

生起することもあった。浜田ら(1984)は、人は正常

ー異常にかかわらず自らの身体の姿勢運動を自らの中

に組み込みつつ、外界へと開ける舞台を構築すると述

べている。重症児の手段の代替や異常パターンはいず

れもその子ども自身が外界に向けて起こしている行動

である事に違いはなく、彼らの感情や意志すなわち精

神活動の表現と考えられた。人との関わりの分野では、

関わりや呼びかけに対する無差別的微笑、親しい人を

他者から識別する微笑、自分の関心を観察者と共有し

ようとした主体的微笑など種々の発達段階の微笑行動

が観察された。これらの微笑の意味は、観察者が対象

児と関わりを繰り返す中で、次第に理解できるように

なったものである。したがって、関わり手だけが解釈

できるという主観的あるいは間主観的な曖昧さを含ん

でいる事は否めない。しかし、関係が深まるなかでの

理解の深まりは、表現手段の乏しい重症児にとって重

要な意味を持つと思われる。

4.2.重症児の精神活動の特徴

3例とも通常の発達検査によるものより高い段階の

精神活動が観察された。Rはその状態像から、動きも

反応もないと思われがちであり発達検査も0~1ヶ月

であったが、微笑行動では、風船がふくらむ期待で微

笑むという1歳以上の段階のものがみられた。また、

Mは人間関係を円滑に保つために能動的に微笑を用い

ている様子がみられた。このように発達検査でとらえ

られたものより高い段階の微笑行動が観察された一方

で、1例は外発的微笑が、1例は3ヶ月微笑が観察で

きた。これは、発達に伴って微笑行動の中心的様相が

次の段階に推移していく健常乳幼児(伊丹、1999)に

比べ、重症児は様々な発達段階の微笑行動を併せ持っ

ていると考えられ、精神活動の幅が広いことが示唆さ

れた。反対に、この幅の広さのため、関わり手は児の

興味や関心に対し焦点化しにくくなり、そのことが重

症児の精神活動を捉えにくくしている一因となってい

る可能性が考えられた。したがって、重症児との関わ

りにおいては、発達の幅の中に含まれる様々な精神活

動に応じた理解と対応が必要と思われる。

4.3.本研究の意義と限界

本研究では、微笑行動から精神活動を推定すること

により発達的評価を試み、通常の発達検査ではとらえ

られない精神活動の一端を推定することができた。こ

れは、重症児・者の主体的表現を理解する一助となり、

彼らとのコミュニケーションや彼ら自身のQOL

(quality of life)の向上に寄与するものと思われる。

今回重症児・者の精神活動を理解する事を可能にした

理由として、表現手段の限られた重症児・者を対象と

しながら、日常的に観察でき、しかも児の情動が無条

件に伝わる微笑行動に焦点を当てた事が挙げられる。

したがって今後、微笑行動に限らず重症児・者の精神

活動を推定できる種々の手がかりが得られれば、より

深い理解やコミュニケーションの広がりが確立すると

考えられる。

しかしながら、本方法は日常への参加観察の積み重

ねやラポート形成に要する時間の必要性、印象などの

主観的判断を含めた解釈と評価など、客観性の不足や

追試の困難性などの限界を有している。相互交渉場面

における場面の変数要件や背景因子の分析など、詳細

な検討は今後の課題である。

謝辞:本研究の一部は文部科学省科学研究補助金

(No.14380105)によって行われた。

5.文 献

1)Schalock,L.R.:Quality of life perspectives and

issues.1990(三谷嘉明他訳:知的障害・発達障害

を持つ人のQOL、医歯薬出版、1994)

2)郷間英世、伊丹直美ら、重症心身障害児・者の

QOL評価の試み-子どもを亡くした親へのイン

タビューによる検討-、日本保健医療行動科学会

年報、Vol.16、PP.211-224、2001

3)末光茂、土岐覚、年長重症心身障害者のQOL評

価表に関する研究、高齢知的障害者等のQOL評

価に関する総合的研究報告書、2000

4)中田基昭、重症心身障害児の教育方法、東京大学

出版会、1984

5)鯨岡 峻、原初的コミュニケーションの諸相、ミ

ネルヴァ書房、1997

6)郷間英世、重症心身障害児・者のライフステージ

に応じたQOL評価と医療の役割に関する研究、

科学 研究費補助金研究成果報告書、2001

7)島田照三、新生時期、乳児期における微笑反応と

その発達的意義、精神神経学雑誌、第71巻、第8

号、PP.741-755、1969

8)高橋道子.顔模型に対する乳児の微笑反応、注視

反応、身体的接近反応、泣きについての横断的研

郷間 英世・伊丹 直美

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Page 7: 微笑行動を手がかりとした重症心身障害児のQOL評価に関す …Key words:重症心身障害児children with severe motor and intellectual disabilities, QOL(生活の質)quality

究.心理学研究.44(3)、PP.124-34、1973

9)高橋道子.自発的微笑から外発的微笑・社会的

微笑への発達-微笑の内的制御から外的制御へ

の転換をめぐって-.東京学芸大学紀要第1部門、

45、PP.213-37、1994

10)Spitz R. The smiling response:A contribution to

the ontogenesis of social reaction, Genetic

Psychology Monographs, 1946

11)大島一良、重症心身障害児の基本問題、公衆衛生、

35、PP.648-655、1974

12)友定啓子.参加観察法による幼児期の「笑い」

の発達的研究(第1報)、山口大学教育学部研究

論叢、35(3)、PP.9-18、1985

13)友定啓子、乳幼児における笑いの発達-1歳児

から2歳児へ-、日本家政学会誌、43(8)、

PP.735-43、1992

14)友定啓子、幼児の笑いと発達、剄草書房、1993

15)丹羽淑子、母と乳幼児のダイアローグ、ルネ・

スピッツと乳幼児心理臨床の展開、山王出版、

1993

16)伊丹直美、重度・重複障害児の・者の微笑行動

に見られる発達の諸相、第2章健常乳幼児の微笑

行動、兵庫教育大学修士論文、1999

17)ピアジェ(Piajet,J)、知能の誕生、谷村覚、浜田

寿美男訳、ミネルヴァ書房、1978

18)浜田寿美男、山口俊郎、子どもの生活世界のはじ

まり、ミネルヴァ書房、1984

微笑行動を手がかりとした重症心身障害児のQOL評価に関する検討

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