終戦後の真実 - 駒澤大学2.占守島の戦い 1945年8月15日正午玉音放送 16日...
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終戦後の真実2020-05-20提出 47928 しもしも
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目次
1. はじめに・・・
2. 占守島の戦い
3. 現在の占守島
4. 日本が戦った理由
5. 何故教科書に載らないのか
6. 参考文献2
1.はじめに・・・
終戦の日・・・
=玉音放送が流れた日
果たしてこの後に戦闘はなかったのか。
→実は北の果てで続いていた。
1945年8月15日
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2.占守島の戦い
1945年8月15日正午 玉音放送
16日 停戦日時を18日16時とする(日本軍命令)
18日未明 ソ連軍の侵攻により開戦
16時 積極的な戦闘を中止→軍使派遣へ
21日 停戦命令
22日正午 降伏文書に調印
23日 武装解除
しゅむしゅとう
[六分一12][井澗11][相原17]
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↑
千島列島地図
[
相原17]
7ページより
↓占守島地図
参考
[
相原17]
9ページより
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3.現在の占守島[相原17]
•現在はロシア領。
•住民はいない。
•何台もの九七式中戦車が現存している。
画像:[相原17] p.1より6
4.日本が戦った理由[相原17]
•北海道への侵攻を食い止めるため
ソ連の目的:千島列島と南樺太の支配
北海道北半分の分割占領
•缶詰工場の女子工員たちを守るため
→ソ連軍が強姦することを予測し、北海道へ逃がした。
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5.何故教科書に載らないのか
•北方領土問題を抱えているから
•日本とロシアの解釈に大きな相違があるから⇒両国とも「自国の勝利」
戦死者の数[相原17]→日本側:日本兵 約370人 ソ連兵 約3,000人
ロシア側:日本兵 1,018人 ソ連兵 1,567人
※両軍合わせて死者3,000人という説もある [石川11]
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6.参考文献
• [石川11] 石川慎三,「水、水」最期の望みを聞けず,朝日新聞(朝刊),2011年2月15日,10ページ
• [六分一12] 六分一真史,帰れると思った矢先,朝日新聞(朝刊),2012年8月13日,23ページ
• [井澗11] 井澗裕,占守島・1945年8月,境界研究,2巻,2011年11月25日,PP.31‐64
• [相原17] 相原秀起,一九四五 占守島の真実 少年戦車兵が見た最後の戦場,株式会社PHP研究所,2017年7月28日
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