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大阪市大『季刊経済研究』 Vo l.20No.2 , September1997 , pp.85-99 ISSN 0387-1789 DKI ジャカルタの都市計画 と都市構造 小長谷 一之 Ⅰ. は じめに-DKI ジャカルタの都市構造 と都市計画の経緯 1.DKI の都市構造 2.60 年代~80 年代のマスタープラン (MP)とサイクリカルアプローチ 3.80 年代以降のス トラクチャープラン (SP)と東西軸アプローチ Ⅱ.計画的枠組 み (ス トラクチ ャープラン : SP)か らみ た DKI ジャカル タの発展 と都市構造 1.(開発)計画 ゾー ンの枠組 み 2.DKI の都市問題 3.DKI の自然的基礎 と水問題 4.都市計画の実際 Ⅲ.民間部門の都市開発か らみた DKI ジャカル タの発展 とその対応 1 . ゴールデ ン トライア ングル ゾー ンとスーパ ーブロックコ ンセ プ ト 2.東西副都心計画と多核化戦略 3.ウォーターフロント開発 とカウンターマグネット戦略 Ⅳ. 結語 拙稿 (1997b)では, ジャカルタの大都市圏構造について若干の考察を加えたが,本稿では ジ ャカル タの核 で あ り, そ の大 都 市 圏構 造 に も強 い影 響 を 与 え て い る中 心 都 市 た る DKI (DaerahKhususlbukota:首都特別地区,都)ジャカルタについて,都市計画のアプローチ と都市構造の関係をめ ぐって論 じることに したい. 1964 年の政令 10 号の首都宣言で生まれた DKI は,1990 年 セ ンサ スで800 万人を突破 し,現在推定で1000 万前後にまで達 しているとみ ら れ,わが国の東京23 区特別区部 に匹敵する東南アジア最大の中心都市である. Ⅰ. は じめに-DKJ ジャカルタの都市構造と都市計画の経緯 1.DKI の都市構造 この DKI の計画についてはすでに大阪市立大学経済研究所 (1989) に優れた既述があるの で,それ以外の都市構造 にかかわる視点 と最近の発展についてふれたい. 〔キーワー ド〕 DKI ジャカルタ, ス トラクチ ャープラン, 東西軸戟略, ゴールデ ン トライア ングル, スーパーブロック

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大阪市大 『季刊経済研究』

Vol.20No.2,September1997,pp.85-99

ISSN0387-1789

DKIジャカルタの都市計画 と都市構造

小 長 谷 一之

Ⅰ.はじめに-DKIジャカルタの都市構造と都市計画の経緯

1.DKIの都市構造

2.60年代~80年代のマスタープラン (MP)とサイクリカルアプローチ

3.80年代以降のス トラクチャープラン (SP)と東西軸アプローチ

Ⅱ.計画的枠組み (ス トラクチャープラン:SP)からみたDKIジャカルタの発展と都市構造

1.(開発)計画ゾーンの枠組み

2.DKIの都市問題

3.DKIの自然的基礎と水問題

4.都市計画の実際

Ⅲ.民間部門の都市開発からみた DKIジャカルタの発展とその対応

1.ゴールデントライアングルゾーンとスーパーブロックコンセプ ト

2.東西副都心計画と多核化戦略

3.ウォーターフロント開発とカウンターマグネット戦略

Ⅳ.結語

拙稿 (1997b)では,ジャカルタの大都市圏構造について若干の考察を加えたが,本稿では

ジャカルタの核であり,その大都市圏構造にも強い影響を与えている中心都市たるDKI

(DaerahKhususlbukota:首都特別地区,都)ジャカルタについて,都市計画のアプローチ

と都市構造の関係をめぐって論 じることにしたい.1964年の政令10号の首都宣言で生まれた

DKIは,1990年センサスで800万人を突破 し,現在推定で1000万前後にまで達 しているとみ ら

れ,わが国の東京23区特別区部に匹敵する東南アジア最大の中心都市である.

Ⅰ.はじめに-DKJジャカルタの都市構造と都市計画の経緯

1.DKIの都市構造

このDKIの計画についてはすでに大阪市立大学経済研究所 (1989)に優れた既述があるの

で,それ以外の都市構造にかかわる視点と最近の発展についてふれたい.

〔キーワー ド〕

DKIジャカルタ, ス トラクチャープラン, 東西軸戟略,ゴールデントライアングル,スーパーブロック

86 季刊経済研究 第20巻 第2号

スンダニクラッパの港を起源とする植民地時代のバタビアは,現在はコタ地区とその周辺の

旧市街地地域 (図5中の 1)にあたり,インナーシティ化 している.バタビアは常に洪水と海

水浸食に悩まされ,行政府は南進する歴史をたどり,ガンビール駅周辺 (Weltevreden)にま

で移動 した.第二次大戦 ・独立後,1950年代初頭までは,DKI都当局の自主的計画は乏 しく,

旧市街である現在のコタ地区の南に独立記念広場とモナス (図 5中のM),国立モスクなどが

作 られたはかは,ほとんどオランダ時代のプランニングを踏襲 していた.この当時存在 してい

た計画的市街地 としては, 南部のメンテンMenteng地区 (図 5中の 7) とクバ ヨラン

Kebayorang地区 (図5中の8)で,いずれもオランダ時代の大きな区画の独立住宅地 として

開発され,現在は市街地に組み込まれて市内では有数の高級住宅地となっているものである・

DKIが大 きく南へ と発展するきっかけとなったのは, 1960年代前半のスマルノ知事

Dr.Sumarn。の時代で,旧目抜き通りのタムリン通りJl.Thamrin(図 5中の2)をさらに南

に延長 したスディルマン (将軍)通りJl.JenderalSudirman(図 5中の 3) に面 した地区の

DKIジャカルタの都市計画と都市構造 87

再開発跡地に,旧ソ連の援助のもとでスナヤン大競技場 SenayanStudionを建設 し, アジア

大会を開催 した. これを契機として,都市の上層階層の住宅地であるメンテン-クバヨランを

結ぶ南北方向の軸であるタムリンニスディルマンにそって都市のもっとも活力ある公的機関や

高層建築が集積 していくことになる.

2.60年代~80年代のマスタープラン (MP)とサイクリカルアプローチ

やがて1960年代後半から有名なサディキン知事Sadikin時代を迎えるが, この時代はカンポ

ン改良計画とならんで,ジャカルタのマスタープラン (MasterPlan)が事実上実効する. マ

スタープランは,ジャカルタ都議会条例No.9/P/DPRD-GR1967で承認 された1965年か ら

1985年の20年間の計画であり,政治中心であるムルデカ広場を中心に等方位的な都市の発展を

めざ している. このため, 戦略概念 と して 「螺旋状道 路計 画 CyclicalRoadSystem

Approach」というものを用いた.これはムルデカ広場から時計と反対方向に螺旋状のパター

ンで道路計画を整備 しようとするもので,各方向からの平等なアクセスを目指 している [注 :

このような概念を用いたとされる他の例として,パ リおよび江戸の都市計画がある]. この道

路計画は,空間構造上一見 して明らかなジャカルタの特徴 (特に主要環状線であるガ ト・スブ

ロト通りJl.GatotSubrotoが北西方向から南東へと大きく湾曲する部分)を形作ってきた.

3.80年代以降のス トラクチャープラン (SP)と東西軸アプローチ

DKIジャカルタの現在と将来を特徴づける新 しい空間構造 は,1980年代のスプラプ ト知事

Soepraptoの時代に形成され,ジャカルタのス トラクチャープラン (StructurePlan,SPと

略す)と呼ばれている.SPはMPに続 く20年間 (1985年~2005年)に実施されている. この

SPのなかで大都市圏Jabotabekの発展構造ともかかわる重要な概念は,「東西軸開発戦略,秦

西軸アプローチeast-westapproach」である.Jabotabekの地域構造 (小長谷1996b)で も

触れたように,DKIから南部への発展は,ボゴールが水源保全にともなう都市開発抑制エ リ

アであることから,東西方向に都市発展を振り向けようという戦略なのである.そしてこの戦

略が郊外開発に連動すべきものとされた.

Ⅱ.計画的枠組み (ス トラクチャープラン :SP)からみた DKlジャカルタの発展と都

市構造

1978年の内務省通達Bangdal/9/26は,地域 5カ年計画 (プリタ)の上位にある長期計画

の必要性を主張 しSPの準備を行った.この思想は1980年の内務大臣政令4号で明確に述べ ら

88 季刊経済研究 第20巻 第2号

れた.ジャカルタ市計画局 (BappedaDKIJakarta)等による最終草稿は,1984年に地域条

令4号 (ガイ ドライン)で準備され,同5号で記述され,内務大臣決定650号で立法化された.

当時のジャカルタ知事はスプラプトR.Soeprapto,計画局長はフルボウォHerbowoである.

SPのような20年都市計画は5万分の 1スケールの土地利用計画であり, これとともに, これ

補 う目的の各地区別計画RBWK(5千分の1スケール,わが国の都市計画図2千 5百の レベ

ルにはぼ相当),詳細都市計画RTK(千分の1スケール),部分都市計画 RUKが設定されて

いる.

1.(開発)計画ゾーンの枠組み

DKIは第 1級自治体である州格をもつので都 (庁はバライコタ) とよぶことができる.早

一の知事がこれを代表する.その下に通常の市の格をもった行政市 (特別区,庁はワリコタ)

が5つ (北市,南市,西市,東市,中央市)存在する.更に下に30の区 (ケチャマタン)と236

の町 (クルラーハン)が存在する. これらは必ずしも等質地域ではないので,SPでは,地区

内特性ができるだけ均一となる8つの 「(開発)計画ゾーンdevelopmen'tplanningzone」を

定めている.これらは,①北西ゾーン,②北ゾーン,③タンジュンプリオクゾーン,④北東ゾー

ン,⑤西ゾーン,⑥中央ゾーン,⑦東ゾーン,⑧南ゾーン,⑨プロウスリブ (国立海洋公園の

「千諸島」,以下の議論では除 く)ゾーンである.図 1の実線が元の5行政市,点線が8つの計

画ゾーンを表す.人口密度は北,および中央のゾーンが最も高 く,それぞれヘクタール当たり

217人,180人である.これについで高いのが東のゾーン (123人)であり,さらに西 (64人),

南 (41人),北西 (31人),北東 (24人)と続 く.これは,北および中央のゾーンに,中低所得

者層のカンポンが存在 していることに対応する.中央には高所得者の居住もみられる.

2.DKIの都市問題

東南アジア最大の巨大都市ジャカルタの都市問題としては,その巨大人口の集中からくるカ

ンポンを含む住宅問題およびインフォーマルセクター就業問題がもっとも重要であり,かつ有

名であるが,さらにジャカルタの隠れた都市問題として,「交通 と水」 の問題を欠かすことは

できない.すなわち,ジャカルタの3大都市問題は 「住宅,交通,水」であるということができる.

住宅用地は年間600ヘクタールは必要であるが,この水準では供給されていない.50%の住

宅が水準以下で洪水,土壌汚染,地下水汚染にさらされている.これらは北西,北東,北といっ

た北部の3ゾーンで深刻である.40%の住宅はやや良い程度で,本当に良質のものは10%と推

定されている.住宅供給セクターのうち公共 (国家住宅公団ベルムナス)は25%で,残りの民

間部門75%も,大部分は低所得者層の自主的建築で公的建築規制を満たしていない.また社会

DKIジャカルタの都市計画と都市構造 89

施設の分布も不平等で,全体でも需要の6割程度の供給 しかなく,北部のゾーンでは平均以下

の水準である.特に一部の地域で医師の不足がいわれている.次に就業面はDKI全体では,

75%が商業 ・サービス業,10%が製造業,13%が公務員である.インフォーマルセクターの就

業は,商業 ・サービスか公務に86%が集中している.

交通面では,1985年時点で道路増加率 4%に対 し車両増加率15%である.60%ほどの大部分

の市民は,路面公共交通であるバス, ミニバスに頼っており,LRT,地下鉄などの導入が急

務である.交通混雑は,バンコクほどではないが,公共交通整備の遅れる途上国都市の典型と

してやはり深刻であり,DKI中心部では通勤ラッシュ時にいわゆる 「3イン1ポ リシー」(莱

り合い率を高めるもの)が実施されている.

住宅については滞 (1994)などがあり,交通問題については別稿を用意 しているので,ここ

では水問題について論述 したい.その理由は,それがジャカルタ (大都市圏 も含む)全体の都

市計画,都市構造政策に大きな意味をもっているからである.そのためにはDKIの立地する

自然条件からみてみる必要がある.

3.DKIの自然的基礎と水問題

面積約6万5千ヘクタールのDKIは,市域南部の最高点か ら北端のバ ンジール運河近 くま

で約50m緩やかに傾斜 していく河川の流域にある.図 2右図のように,固い地層は南部で表

面近 くにあり,北に向かってより深 くなっている.この上に帯水層があり,さらに肥沃な更新

世の堆積物があり,表面近 くは粘土質の不透水層の沖積土が被っている.一方,飲み水に近代

的上水道設備を使っている人口は4割に満たず,残りは地下水か地表水に頼っているのが現状

図2:水文ゾーン

90 季刊経済研究 第20巻 第2号

である.上水道の全供給能力は毎秒 7千 リットル程度で,加入者数は13万口ほどである.これ

ですらパイプの老朽化が指摘されており,乾期には依然深刻な水不足が訪れる.このような状

態で,熟練者による地下水設備建設は非常に重要な役割を果たしている.熟練者による井戸は

約13万と推定されている (より浅い井戸の方がはるかに多いが,把握は難 しい). また北部の

海岸近 くでは,海水性の塩分進入salineintrusionがその井戸をすら汚染 し衛生問題 も深刻で

ある.

これらの自然的条件は,都市内の土地利用に関して非常に微妙な問題を提起する.まずいえ

ることは,都市的土地利用条件として,南はど有利という現実がある.建築基盤として確固た

る土壌が存在 し,なによりも良好な水資源が存在する.ところが,ここは同時に,帯水層が地

表面近 くから水分を吸収する帯水層集水 (供給)地域 aquiferrechargeareaにもあたってい

るのである (図2のゾーンⅢ). したがって,都市開発によってここが汚染されたり,表層が

被われ水分の供給がさまたげられるようになることはそれ以下の都市全域にわたって深刻な問

題をただちに生み出す.このため政府はここへの都市開発を規制 してきたが,それにもかかわ

らず都市化 しているのが現状である.

この帯水層の集水域は,ゾーンⅢの南半分にあたり,これはDKIの南の計画 ゾーンに相当

する. したがって,SPでは南への開発はまず抑制される.また,北西ゾーンおよび北東ゾー

ンも,都市的環境が優れず,また水の汲み上げによる地盤沈下の進行をふせぐため,やはりこ

図3:東西軸開発戦時の図式

8大計画ゾーン(プロウスリブを除く)

北西ゾーン(水問題)架抑制

西ソ_ンー

北ゾーン

(交通問題)

中央ゾーン

(交通問題)

タンジュンプリオク+

北東ゾーン

(水問題)

4,

→ .J!ン

車 抑制ゾーン(水問題)

DKIジャカルタの都市計画と都市構造 91

れ以上の都市的開発を抑制する.一方,都市のこれまでの発展の中心であった北ゾーンと中央

ゾーンでは交通混雑問題が深刻であることから,都市的機能の分散が計 られなければならない.

その方向として残されるのは西と東 しかない.かくして,SPの最大の柱である東西軸開発戦

略 (east-westdevelopmentstrategy)が演拝される (図3).

4.都市計画の実際

次により詳しくSPの理念をみてみよう.DKI全体としての目標は,総人口を計画終了時

(2005年)に1200万を上限として抑制をはかること,市内全域における大中工場の抑制などが

ある.

南ゾーンは,住宅適地,,tfが,地下水汚染防止のため,都市開発を抑制する.

北西ゾーン,北東ゾーンは,工業地帯であり,洪水の危険や汚染があり住宅には不向きであ

るが,水使用量を落とすため,これ以上の就業機会の増加を抑制 し,建築を規制する.これら

の北西ゾーン,北東ゾーン,南ゾーンの抑制地域では,道路等のインフラ投資は抑制する.ま

た北ゾーンではKIP(カンポン改良計画)を推進する.

一方,東ゾーン,西ゾーンは地盤,水,利用可能な土地の点で開発に適 している.ここにイ

ンセンティブを与え,土地利用開発ガイ ドを設ける.

さらに,整備すべき一次中心として図4の6つの中心地がある. これらは,すべて鉄道駅に

隣接する市内中央部の古 くからある集積地であり,伝統的商業が大規模化 しつつある.

住宅は,2005年までに新規で160万世帯が増え,年6.5万戸必要としている.最も望ましい東

西に1万3千ヘクタールを用意するとしている.中低所得者層向け住宅についても東西でそれ

ぞれ千ヘクタールを予定する.また北,中央,東にある高密度地区のリ-ビリテ-ションも実

施する.KIPは,ヘクタール当たり400人を越える高密度地区で行われ,特に北のタンジュン

プリオク地区で1400ヘクタールを対象とする.

Ⅲ.民間部門の都市開発からみた DKlジャカルタの発展とその対応

こうした中で,80年代に入って経済発展にともなう新たな都市成長によって,民族系大手資

本,およびそれと連係する外資系資本など民間部門の都市開発の方向は,都市計画サイドとく

にDKI都当局 (DKI計画局Bappedaなど)との間で,都市空間の利用をめ ぐって100%一致

するわけではない.その第一点は民間資本の南への指向とSPで示された計画側の東西軸とい

う指向のずれであり,第二点は,カンポン問題にからむ低所得者住居と巨大な再開発との関係

である.こうした点でDKIの計画サイ ドが行う種々の対応が21世紀のDKIの構造 と住民の福

祉にどのような影響を与えるかが鍵となる.

92 季刊経済研究 第20巻 第2号

図4:SPの計画的枠組からみたジャカルタの都市発展

M:モナス◎整備すべき旧中心地 (鉄道駅周辺)

1.グロドック2.タンジュンプリオク

3.スネン

4.タナアバン

5.ジャテイヌガラ

6.マンガライ

◎新中心地

7.西都市核

8.東都市核

9.西のGLD (土地開発誘導)計画地域

10.東のGLD (土地開発誘導)計画地域

ll.西の工業地域ラワブアヤ

12._東の工業地域プロガ ドン

抑制ゾーン (北西,北東+タンジュンプリオク,南)は点線部分

1.ゴールデントライアングルゾーンとスーパーブロックコンセプ ト

東発展方向

= ≡】

既述 したように都市の近代的開発の軸は北の政治中心であるムルデカ広場 (図 5の M)か

ら,高級住宅地であるクバヨラン地区 (図 5の8)の方向に引き寄せ られるように,タム リン

通 り (図 5の2),スディルマン通 り (図 5の3)と延び,現在ではクバ ヨランの中心 に作 ら

れたブロックM (図 5の15)とよばれる副都心に至っている. この方向はさらに, ポン ドッ

DKIジャカルタの都市計画と都市構造

図 5:民間部門による都市開発からみたジャカルタの都市発展

1.ン / 10

M.モナス1.コタ地区

◎主要道路

2.タムリン通り3.スディルマン通り4.ガト・スブロト通り5.ク二ンガン通り6.外環状線

8.クバヨラン地区◎新都心

12.ゴールデントライアングル地区

9.ボンドックインター地区 13.CBD地区◎高級住宅地の立地方向 (至郊外) 10.ビンタロージャヤ地区 14.スナヤンセンター地区

7.メンテン地区 11.BSD地区 15.ブロックM地区

抑制ゾーン (北西,北東+タンジュンプリオク,南)は点線部分

93

クイ ンダー (図 5の 9), ビンタロー ジャヤ (図 5の10),BSD (図5の11)といった郊外の

南西方向セクターにまで向かっていると考えられる.

この発展は一部は60年代の計画によって方向づけられた面があるが,その後はほとんど民間

資本の投資によってなされてきた.現在では外資系のインドネシア本社,民族系の大企業の本

社,デパー トや高級ホテルなどが林立する超近代的な高層 ビル群となっている.とくに,スデ ィ

ルマ ン通 り, ガ ト・スブロ ト通 り (図 5の 4), クニ ンガ ン通 りJl.Kuningan(図 5の 5)

94季刊経済研究 第20巻 第2号

図6:ジャカルタのゴールデン トライアングル

1.H.Shangふしa

2.8NIChyOfficeTower3.BNITowerKantorPusat

4.AJlhaloka

5.KyoeトPn'nce6.p-inceCenter

7.Toyota-Astra8.BankPacific

9.MidPlaza1+2

10.H.SahidJayall.H.GrandSahkIPlaza

12.H.LeMeridJ'on

13.Atria

14.DharrnaLaSakti

15.Rajawali16.BDN1

17.E.Tunisia

18.Benhi1

19.BankPerdania

20.Ba仙 RakyatBRL.1

21.BankRakyatBRL.222.GKB1

23.H,JakartaHitton

24.Exectiveclub

25.Depdikbud26.RatuPJaza

27.PaninBank

28.PaninCenter

29.TheLandmarkTowor1

30.T71eLandmarkTower2

31.fndocernent

32.Burhiputera33.ChasePlaza

34.E.Bebium.Brunei35.8CA

36.TamaraCenter

37.LippoPlaza38.BCDTower

39.BankBaliTower

40.E.Canada.Sudan

41.VVorkJTradeCenter

42.Metropolitan1

43.Metropolitan2

44.DanamonSquare

45.E.CoLornbia.Venezuela

46.CentralPlaza

47.HospitalR.S.Jakarta

48.Univ.KatolikAtmaJaya49.BalaiSdrbini

50.Granadha

51.TraGcPolice

52.Taspen

53.JSE.BkJO.

54.BapindoTower

55.S.VVJdjojoCenter

56.NiagaTower57.SLJdirmanTower

58.NewSummitmas

59.SLJrnn托rnasT伽〝er

60.H.Holidaylnn61.Yamaha

62.MuliaTovrer

63.Caso

64.Astok

85.H.KanjkaChandra

66.SubentraBank

87.ArgoManunooaL68.KanindoPlaza

69.E.SaudiArabia

70.CenturyCenter71.MuhiGok]

72.88D

73.PatraJasa

74.LippoCentor75.8alajKartini

76.Kopn77.Tlnah78.BULOG

79.Dep.Tenap Kerja

80,Dep.PenLnd

81.Baja

82.KODAKMotroJava83.BankArlhaGraha

84.Pur一BankExjrT1

85.Dfrien.Pajak86.BKPM

87.LIP1

88.VVkJhaGraha

89.PerumleL

90.ABRIMuseum

91.TIFA

92-DKITouhstDept.93.0inasPemetaan

94.YTf(I.

95.H.Regent96.Bernis

97.LJ'ppouTe98.MenaraDuta

99.Pajak100.Liロa

101.Santoso

102.BTN

103.KodeJ

104.Tira

105.Pajak106.Bak†je

107.Pur舌Matan'

108.Setiab.AtriurTl

109.HospitalRS.Alni

110.Setiabudi(1)

ll1.Seliabudi(2)

112.SampoernaPIaz8

113.Dep.Koperasj114.E.Russ.Fed.

115.MuliaCenter

116.Dep.Kehakiman

117.E.Malaysla118.E.trak

119.E.UAE

120.BjnaMulia

125.E.Laos

126.E.Singapore127.E.Jndia

128.E.Netherland,Switserland129.E.Kuwe托

130/E.Jordania

131.E.Hungary

132.ErnpireTower

133.PapanSejahtera

134.JasaRah叫8135.PrinceⅥねterhs.Center

136.VVahanaTata

137.Enterpnse138.Bud首

139.WismaTuouA+a140.BankDanamon

141,KuninOanPlazaNo柵

142.KuninganPlazaSouthl13.E.AustTalia

144.Puncak汀empo)

145.Uppindo146.KalimantanTower

147.MMC

148.GerangOaq Mahasiswa149.Gd.VVan紬

150.PusdiklatDK1

151.Oiljen.ListTik152.E.Korea

153.AriobimoCentrar

154.AspacCenter

155.AgroPlaza

156.E.AJoeria157.Granadi

158.ExchangeHouse

159.TimesSquare160.Jkt.HolerAOmce

161.P川ps

162.DKlKejaksaan

163.E.Turkey

121.E.Syr18

122・E・ChiJe・DenrTlark,Peru.Norway.Finland.SvJeden123.Dep.Kesehatan124.E.Cuba

DKIジャカルタの都市計画と都市構造

図7:クアラルンプルのゴールデントライアングル

95

0

96 季刊経済研究 第20巻 第2号

の三辺に囲まれた地区である 「ゴールデントライアングルゾーン」(図 6)やスナヤン競技場

に隣接 した 「スナヤンショッピングセンター」(図5の14)や 「CBD(学術的概念 としての中

央業務地区でなく固有名詞)」(図5の13)などがある.ゴールデントライアングル (黄金三角)

ゾーンはクアランルンプルにも存在する (図 7,小長谷1997a).スルタンイスマイル通 りJL

Sultanlsmail,プキットビンタン通 りJl.BukitBintangか らアンパ ン通 りJl.Ampang交差

点を結ぶ地域周辺である.

このような 「ゴールデントライアングル」現象はなぜ生 じるのだろうか. もともと東南アジ

アの大都市の起源は,旧都心とェスニック地区である旧市街周辺の小さなものであった. これ

が過剰都市化の時代まで続いたが,80年代に入り急速な経済発展を遂げる新興中進国の首都と

なると,近代的オフィスビル群を有する空間がどうしても必要となる.その場合旧市街の街路

は大変小さく入り組んでおり,発展が困難である. したがって,旧都心から旧市街であるエス

ニック地区と別の発展方向 (通常山の手方向)にやや離れた立地において,節 (副)都心的な

機能の集積が現れたのである.この旧都心からの離れた副都心、的位置は,通常二本の放射線と

一本の環状線が交差 し三角形を形作る程度の距離にあるのでこのような特異な形態が出現する.

ただし,こうした巨大開発の最大の特徴は,メインス トリー トのスディルマン通り沿いだけ

でなく,街区単位の大規模なオフィス ・商業施設 ・集合住宅の開発を行 うことにある.この背

景には面的開発を進める市当局の意向がある. これは超街区 (スーパーブロックSuperblock)

方式と呼ばれている.

目抜き通 りの道路沿いだけにオフィス等の高層建築の開発をおこなった場合,地価上昇にと

もなう周辺の土地利用変化の圧力は,裏手のカンポンの多数の旧住民に不利益をもたらし,ま

た道に大規模な追加 トリップが発生することによって交通混雑が激化 してインフラ需要が増大

するなど社会的費用が発生するにもかかわらず,ディベロッパーは,地価の急激な上昇にとも

なう利益を独善的に獲得する一方で社会的費用を負担することがない. このため,超街区スー

パーブロックSuperblock方式では,アクセシビリティのよい道路周辺の開発者 に対 し, それ

を含む背後の大きな都市空間の開発を担わせるやり方をとる.具体的には,従前の利用はほと

んどカンポンである面的地区のインフラの整備や社会経済開発を負担させ,最低で全体の一定

比率を低所得者層向け住宅にまわすことを義務づけている.

また,道路計画も,都市がセクター的な発展を南部方向におこなっていくにつれていくつか

の不整合を生 じてきている.たとえばもともと前述のスディルマン通りが放射線でそれにスマ

ンギの立体交差 Flyoverで交わるガ ト・スブロト通りが螺旋状の環状線であるはずが,スディ

ルマン通り沿いが発展 し,立体交差の付近が新たな近代的新都心となるにしたがって,ガ ト・

スブロト通 りが放射線的機能をも担うようになり,交通混雑が激化 している.このような都市

構造の変化は,当初注意が払われていなかった.

DKIジャカルタの都市計画と都市構造

2.東西副都心計画と多核化戦略

97

このように都市の経済発展の方向は急激な勢いで南へ向かい;地価の上昇や交通混雑などの

問題を引き起こしているのに対 し,DKI市当局の都市計画サイ ドは,都市発展の方向を変え

て東西軸へのインセンティブを与えようとしている.

たとえば,西方向ではクンパガン,ブルーイット,タナ了バン,東方向ではホンギリンガン,

クラングリー,ジャテイヌガラなどの各中心地を成長させ多核化をめざす.とくに西のクンパ

ガンと東のホンギリンガンは市域の東西の端であるが,ここに東西の特別区Kotamadyaの市

長のオフィスや集合住宅などの社会的施設を立地させ,100ha程度の開発を中心とした東西軸

の極の形成をめざそうとしている.また都市核創出以外の東西軸開発戟略では,プロガドンな

どの工業地域や,住宅などのためのGLD (土地開発誘導)計画坤域を設定 している.大中工

場は北部のブルーイットやアンチョ-ルに集中し,これらの東西の工業地域では中規模以下の

工場が想定されている.

3.ウォーターフロント開発とカウンターマグネット戦略

いま一つは,より北の旧市街地の再開発することにより南へと移動 しつつある経済垂心を呼

び戻そうとする戦略である.これを反対極CounterMagnet戦略という.まず旧中心地である

コタ,マンガドゥア,クマヨラン,スナンを再活性化する.現在,スディルマン沿いの南北軸

が外国人や上層階層向けの商業であるのに対 し,これらの旧中心地は,都市中間層以下の庶民

向けの商業集積であり,二重構造となっている.さらに北の海岸部では,市が反対極とよぶウォー

ターフロントの再開発計画が進行中である.これは北部海岸線の 2キロ,2700haの地域を,

新都心,拡大レクリエーションエリア,新工業団地等の開発を軸に進める予定となっている.

Ⅳ.結 号五F]FI

既に筆者は小長谷 (1996、1997a、1997b)で,インドネシア, マレーシアにおける都市調

査その他の知見をもとに,東南アジア大都市圏構造における郊外装置系 [外資主導の工業団地

+新中間層向け住宅開発]の重要性を指摘した (図8のIEおよびNT).

一方,こうした特異な郊外化プロセスと同時に,中心都市のリストラクチャリングも進展 し

つつある.中心都市のリストラクチャリングは,

(1) 不良住宅地区の改良,

(2) 新たなオフィス地区の発達,

の二点が大きな柱となる.

図8:1990年代の東南アジア大和 圏の構造 (小長谷)

EA ・・EthnicArea(chinatownetc)

GTZ・・GoldenTn・angleZone(・・segJ・tigaEmas・・)us・・upperclasssectorIE ・・IndustrialEstateN T:NewTown

dv舶9e

I-des°-Rota・・

側義

#20%

#

2功

DKIジャカルタの都市計画と都市構造 99

本稿では,後者の部分について,DKIジャカルタ (ジャカルタ都)およびKL (クアラル

ンプル直轄市)両者の, 新都心 ともいうべ き 「ゴールデ ン トライア ングル ("Segitiga

Emas'')ゾーン」の様相をみた.

このような現代的新都心の発展は,主として1980年代~90年代以降の民間部門の大規模開発

によるものであり,必ずしも,都市計画当局の意図 (東西軸戦略)ないし,郊外の主要な発展

と同期的なものでない点は注意する必要がある.中心都市内部において都市計画当局の誘導策

よりも民間部門の都市開発の力は強く,都心軸は南下 してボゴール県境すれすれをかすめ,南

東に向かっている.一方,本来の意味の東西軸は,郊外のタンゲラン県およびプカシ県 (さら

にカラワン県,プルワカルタ県まで)において高速道路沿いの都市的開発の中で実現 しつつあ

るとみられる.こうした中心都市および郊外の近年の都市変化プロセスを総合 し,大都市圏構

造を模式化すると図8のようになると思われる.

【参考文献,邦文】

大阪市立大学経済研究所 (1989)『世界の大都市 6.バンコク クアラルンプル シンガポール ジャカ

ルタ』,東京大学出版会,271p.

小長谷一之 (1996)「新中間層のアジア都市論」『アジアの大都市ニューズレター』, 3,pp.3-5.

小長谷一之 (1997a)「マレーシアの地域格差構造と地域開発」『季刊経済研究』,19-4,pp.1-39.

小長谷一之 (1997b)「アジア都市経済と都市構造」『季刊経済研究』,20-1,pp.61-89.

横堀 肇 (1986)「住宅 ・都市整備事業」(柴田徳衛/加納弘勝編 『第三世界の都市問題』),アジア経済研

究所,Na341,pp.151-186.

滞 滋久 (1994)「ジャカルタの居住環境改善事業における住民参加-カンポン改良計画をめ ぐって-」

『経済地理学年報』,40-3,pp.1-18.

【参考文献,欧文】

DKI(1991):Jakarta 2005,71p.

(1997,8,11受理)