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(9) 0新十六・十七・十八回生
一E、二H、三Eの担任として三年間お付き合いをした。昭和三十九年四月八日、あの汚い講堂で入学式
があった。今年の新入生は一寸大人びているという声も聞かれた。
五月一日には、ロシア秘宝展見学に、五月七日には、好天気に恵まれ、つつじの美しい館林に遠足に出か
あんなに豆テストでいじめておいて、忘れたとは何事かとお叱りを受けるかもしれないが、十六回と十八
回の皆さんとは御縁が薄かったように思う。十七回の方々のお名前を見ていると、一年生や二年生の教室が
目に浮かんでくる。そして授業は楽しかった。
全一年生が参加し、同じ釡の飯を食い、文字通り裸の付き合いをする大切なこの臨海施設も、余りにも老
朽し、かつアソペラ一枚というひどい状況であった。これでは可愛相という声が期せずして、PTAからあ
がった。多くの父兄・先輩の努力により、昭和四十二年三月完成した。近代的なあか抜けした建築で、面目
を一新した。よくやっていた幽霊話には向かなくなった。
災のため倒壊、翌大正十三年七月再建されたものであった。
館山寮の歴史は古く、大正十二年七月塩見朝陽舎として開設されたが、間もなく同年九月一日、関東大震
新十九回生
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澤 正雄「THE HAPPY DAYS IN MY LIFE」1988年3月非売品
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六月六日、十三日に第九回新宿・戸山対抗戦が行なわ
れた。四勝八敗二分で新宿が敗れた。男子バレーボール
の試合では、瓜二つの双子T君兄弟が、新宿・戸山の敵
味方に分かれて戦った。結果は大接戦の末、三対一のセッ
トヵウソトで新宿の勝。
九月十九日から三日間学園際が開催された。一年の展
示関係は、一A「アウターリミット」一B「外国製と日
本製」一D「犯罪と刑罰」一F「新宿の実態」一G「ティー
ンエイジャー」一H「現代の高校生」・講堂関係は、一
C「春の孤独」一E「幽霊屋敷」・十月五日、銚子房総
方面に秋の遠足が行なわれた。十月十二日から連日オリ
ンピック大会の見学が行なわれた。十月三十一日、上野
の東京国立博物館で、日本古美術展を見学した。明けて、
昭和四十年二月十七日、第二回合唱コソクールが開催さ
れ、その結果一位一C(ゆりかご、ロッホ・ローモソド)
二位一H(赤いサラファン、ファニタ)一、二位を一年
が占めた。二月十八日の第二回多摩湖畔マラソソで、校
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長杯のすべてのスケジュールを終り、その結果一位一H、二位一F、三位一Dとなった。
二年生になつえ、五月六日秩父の三シ峰山に遠足に出かけた。第十回新宿・戸山対抗戦は、六月五日、十
二日、十九日の三日間にわたって行なわれ、七勝五敗二分で、去年の雪辱を果たした。第十八回学園祭は、
九月十八日から二十日まで行なわれた。二年の展示は、二D「平安時代」二E「新校舎を我等の手で」二F
「都市問題」二G「われわれ世代の夢と欲望」・講堂関係は、二A「愛と偶然のたわむれ」二B「気で病む
男」二H「象の死」二C「いやいやながら医者にされ」・九月二十一日にはツタソカーメソ展を見学した。
十月十日運動会が、去年はオリソピックのためになかったので、二年ぶりに好天にめぐまれて開催された。
午後の部トップモードで、有志の先生方が見事な変装ぶりで拍手を浴びた。優勝は白組であった。昭和四十
一年二月十一日に行なわれたマラソソで、二年の校長杯は全種目終了、一位二H、二位二F、三位二G
であった。第三回合唱コソクールは、二月二十五日に行なわれた。第一位二H、二位二B・こり、四位
二C、上位を二年が独占した。去年に較べると技術的に向上し、聴衆の態度もよくなった。
三月十六日から二十日まで、初めて新幹線を使って、足を西に延ばし、遠く山口までの修学旅行が行なわ
れた。出発の日は朝雨が降っていたが東京から離れるにしたがって天気はよくなり、富士山がくっきり見え
た。新大阪からは山陽特急で山口県湯田温泉に一泊した。第二日目は午前中は秋吉台を見学、午後は萩市内
の自由見学。萩宿泊。第三日目は岩国までバス、警戒警報下を船で尾道へ・尾道市内自由見学。尾道一泊。
第四日目バスで倉敷へ。倉敷から姫路に出てお城を見学。三十日朝「ひので」で無事帰京した。唯一の事故
らしきものはS先生が、船の中で頭部に軽傷を負われただけであった。
三年になって第十一回戸山戦は、六月四日・十一日の予定であったが、四日は雨、その分は十九日に行な
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第十九回卒業式は三月十二日、紅白の幕が張りめぐらされた講堂で、静かでなごやかな雰囲気の中で行な
われた。卒業生四三九名の代表として、岡田君が力強く答辞を読んだ。新十九回生に対する印象はと言われ
ても、一言で言うのはむづかしい。嵐の前の静けさの中にあったと言ってもよかろう。諸君が卒業すると入
れ替りに、学校に入って来た生徒諸君は、新しい学校群制度による人たちである。制度にはわれわれは反対
であっても、入ってくる生徒諸君に何の罪もありはしない。むしろ犠牲者なのである。しかし新しい変化で
あるには違いない。そして学校紛争が、大学に始まり、高校にも及んでくる。そして都立高校生の不満の中
には、学校群制度に起因すると考えられるものが少なくない。
過去新宿高校は何度か変革を経て来た。女子禁制の六中にも、新制高校への生れ変わりによって昭和二十
五年から女子生徒が堂々と校門を出入することとなった。偶然母校を訪れた旧六中時代の先輩が、われわれ
の母校はどこに行ってしまったのかと言って嘆いたという話も聞いた。
学校群による変化は、そういう外面的なところでは何事もないようだが、内面では大きな変化が起こりつ
われた。結果は三勝十敗一分で、新宿の大敗に終った。九月十七・十八日に行なわれた第十九回学園祭には、
三年有志として音楽部員を中心としたジャ領の演奏と落語という形で参加した。運動会は十月士日、第一ラ
ラゥソドで開催。トップモードでは牛若丸、おはなはん、オソディーヌ、眠れる森の美女などがとびだし、
特に岡村、豊沢、丸山三先生の扮装は会場を沸かせた。応援合戦では白組が優勝、得点争いでは最後のチー
ム対抗リレーで、赤が青を抜いて優勝した。雨天のために学園祭の時にできなかった後夜祭が行なわれ、ファ
ィャを囲んで、フォークダソスを楽しんだ。三年の校長杯は十一月のサッカーで幕を閉じた。優勝は三G、
特に岡村、豊沢、
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二位三F、三位三Aの順であった。
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I昭和六十二年の四月十一日、三井ビル・三井クラブで卒業二十周年の祝賀会を開いた。その席上、この春
都立羽田高校長になられた久保田先生のご栄転を祝し、また佐藤先生が多年お尽し下さった母校をご退職に
なられるので、今までの御功績に感謝し、最後に愚生の退官までねぎらって、それぞれに花束贈呈をして下
さった。有難くて、有難くてしようがなかった。今や不惑を目前にして、油の乗り切った皆さんの健闘を祈
らずにはおれない。
年もそうだが、この学年の諸君は特に仲がいい。
つあった。第一私は来たくてこの学校に来たのではないという不満は、諸悪の根源である。今まででも、ご
く少数の女子にそういうことはあった。あったと言っても数名のことであった。ところがこれが大多数がそ
うだということになると大問題である。そういう意味で、嵐の前のしばらくの静けさというか、小春日和と
いうかをたのしんだ諸君であると思う。いたずらはあったと思うが、警察のお世話になるということもなく、
精一杯高校生活を楽しんだ。勉強は全体としてかなりよく頑張った。授業はやりやすかった。こちらの言う
ことがよく分からないと、歯ぎしりをして悔しがる生徒もいた。教官室まで来て、よく質問する生徒も多かっ
た。けれども勉強はどうもという生徒もいた。だが憎めない連中で、全く愛すべき人たちである。どこの学
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澤 正 雄 ( さ わ ま さ お )I
茨城県水戸に生まれる東京高等師範学校(東京教育大学の前身)文科第三部(英語科)卒業熊本県立宇土中学校を皮切りに大分県立杵築中学校大連第一中学校を経て応召ソ連抑留後、杵築中学校に復職都立新宿高校へ赴任桜美林短期大学へ赴任桜美林短期大学教授を退職
明治45年昭和9年
昭和22年昭和25年昭和47年昭和62年
T H E H A P P Y D A Y S I N M Y我が生涯の楽しき日々 』
LIFE
■1988年3月16日発行 【非売品】
著 者 澤 正 雄「澤先生を囲む会」代表橋本恵堅〒151渋谷区千駄ケ谷62-1新宿高校同窓会館内冠03(354)7411内線36
発行者
藤原印刷工業株式会社〒162新宿区神楽坂5-59B O 3 ( 2 6 7 ) 2 6 7 4
印刷所
2,000部出版限定I
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