【資 料】(書評) フィリップ・シュミット 『日本の裁判員 ......明治大学...
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Meiji University
Title
フィリップ・シュミット『日本の裁判員制度とドイツ
の参審制度 -日本の刑事手続における素人参加の描写
とドイツの参審制度の比較法的検討-』
Author(s) 黒澤,睦
Citation 法律論叢, 92(6): 175-185
URL http://hdl.handle.net/10291/20803
Rights
Issue Date 2020-03-24
Text version publisher
Type Departmental Bulletin Paper
DOI
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/
明治大学 法律論叢 92巻 6号:責了 book.tex page175 2020/03/16 11:07
法律論叢第 92巻第 6号(2020.3)
【資 料】(書評)
フィリップ・シュミット『日本の裁判員制度とドイツの参審制度――日本の刑事手続における素人参加の描写とドイツの参審制度の比較法的検討』[原題]Philipp Schmidt,
Das japanische Saiban’in System und dasdeutsche Schoffensystem: Eine Darstellungder Laienbeteiligung im japanischenStrafverfahren und zugleich einerechtsvergleichende Untersuchung desdeutschen SchoffensystemsDuncker & Humblot GmbH (Berlin),2019, S. 250ISBN: 978-3-428-15655-9
黒 澤 睦
目 次1 はじめに――著者から日本の読者へのメッセージ2 本書と著者について3 本書の構成・概要4 若干のコメント
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1 はじめに――著者から日本の読者へのメッセージ
本書評を執筆するにあたり、著者であるフィリップ・シュミット氏(Dr. Philipp
Schmidt)から日本の読者へのメッセージをいただいたので、まずこれを紹介した
い。
ドイツと日本の刑事司法の領域には長い歴史のつながりがある。そこから生
じる共通点や、他方で両者の法秩序の差異も、私見によれば、ドイツの刑事法
学にとっても日本の刑事法学にとっても非常に興味深いものである。このよう
な事情や、日本の刑法と刑事手続法さらに日本の文化すべてに対する私の大き
な個人的関心は、博士学位論文の比較法のテーマ選択にとって決定的であった。
比較法の検討対象として、私は、裁判員制度と参審制度という形での素人参
加という要素を選んだ。
主眼は、日本の文献を利用しての日本の法状況の全面的な描写においた。そ
の際、裁判員制度を全体の文脈の中で理解するために、日本の刑事手続の一般
的な描写も行われる。この基礎となる描写は、ドイツの読者に日本の刑事手続
法を理解しやすくするために行われる。
ドイツの参審制度の構造の簡潔な説明がその前に行われる。
私は、実務における裁判員制度の運用を知るため、2017年 3月に東京地方
裁判所において、刑事裁判の傍聴を行い、いくつかの刑事部の裁判官と面談し
た。この描写は、特に、簡単には日本の刑事裁判に傍聴人として参加すること
ができないドイツの読者に向けられている。しかし、外国の観察者から見た裁
判員裁判の描写によって、日本の読者も興味深い新たな認識を得られることも
私は強く望んでいる。
本来の比較法は、本書の第三部で行われ、そこで得られた結論は、第三部末
で手短な概観の形でまとめられる。
本書によって、ドイツと日本の刑事法学の交流がさらに活発化することに、
わずかでも貢献ができれば幸いである。
フィリップ・シュミット〔訳:黒澤睦〕
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フィリップ・シュミット『日本の裁判員制度とドイツの参審制度――日本の刑事手続における素人参加の描写とドイツの参審制度の比較法的検討』(黒澤)
2 本書と著者について
本書は、シュミット氏が、2018年にドイツ連邦共和国バイエルン州アウクス
ブルク大学法学部(Juristische Fakultat der Universitat Augsburg)から博士
学位を授与された博士学位請求論文(主査:ヨハネス・カスパー教授(Prof. Dr.
Johannes Kaspar)、副査:アルント・コッホ教授(Prof. Dr. Arnd Koch))を、
公刊のための調整を施したうえで、2019年春にDuncker & Humblot社から公刊
したものである。同社はドイツにおいて法学系の学術研究書をシリーズ化して出版
しているが、本書はヴュルツブルク大学のエリック・ヒルゲンドルフ教授(Prof.
Dr. Dr. Eric Hilgendorf)とバイロイト大学のブリアン・ヴァレリウス教授(Prof.
Dr. Brian Valerius)が編集委員を務める「比較刑事法シリーズ」(Schriften zum
Strafrechtsvergleich)の第 7巻として公刊された。本書はもともとドイツ国内で
の法学の博士学位論文であるためドイツ語で執筆されているが、内容はドイツの研
究者・実務家のみならず、日本の特に比較刑事法研究者にとっての参考文献になる
ことも視野に入れており、現にその価値が十分にあるものと評者は拝察する。
シュミット氏は、博士学位請求論文の執筆当時、カスパー教授の刑法・刑事訴訟
法・犯罪学・制裁法講座で助手(Wissenschaftlicher Mitarbeiter)を務めていた。2016年には、博士学位請求論文とは別に、精神病院収容に関するドイツ刑法 63条
をめぐる 2016年改正に関する論考を、カスパー教授と共著で公刊している(1)。
さらに、シュミット氏は、2017年 3月に約 1ヶ月間、日本の裁判員制度に関す
る実態調査をするため、明治大学法学部付属比較法研究所に客員研究生として滞在
した。その際の調査結果の一部として、裁判員裁判の傍聴記録が本書にも収録され
ている(165~179頁)。また、日本滞在中の 2017年 3月 24日(金)には、明治
大学にて開催された公開法学研究会において「ドイツの参審制度――日本の裁判員
制度と比較して――」と題する基調報告を日本語で行った。この基調報告をもと
にした研究論文、評者からのコメント、参加者との質疑応答を収録した講演録が、
シュミット氏と評者の共著の形で本誌 90巻 4・5合併号に独日併載の形で公刊さ
(1) Johannes Kaspar / Philipp Schmidt, Engere Grenzen nur in engen Grenzen: zurNovellierung des Rechts der Unterbringung gem. § 63 StGB, ZIS 11/2016, S. 756ff.
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れている(2)。同論文・講演録が日本にドイツの参審制度を紹介することに力点を
置いているのに対して、本書はドイツに日本の裁判員制度を紹介することに力点を
置いている。両者の視点を比較する意味で、また、本書で取り上げられている内容
の概要を日本語で知るために、本書とあわせて同論文・講演録も参照されたい。
なお、評者は、2015年 4月から 2017年 3月にアウクスブルク大学で在外研究
を行った。その在外研究中は、ヘニング・ローゼナウ教授(Prof. Dr. Henning
Rosenau)とカスパー教授に受入教授となっていただいた。当時、カスパー教授
の講座の助手であったフィリップ・シュミット氏(現在:司法修習生)と、同氏の
双子の兄弟であるパトリック・シュミット氏(Patrick Schmidt、当時:同大学法
学部生、現在:裁判官)から、継続的に研究上および言語上の力添えを受けた。在
外研究から帰国前後の 2017年 3月には、評者はフィリップ・シュミット氏の明治
大学滞在にあたって村山眞維教授とともに同氏の受入担当教員を務め、シュミット
氏の前述の日本での実態調査にわずかではあるが力添えをすることができた。そ
のような経緯から本書の「はしがき」で評者に謝辞が向けられているが、むしろ、
在外研究中のご恩と今回の書評の機会を与えていただいたことに、評者からシュ
ミット氏に対して心から感謝申し上げたい。
さらに、アウクスブルク大学法学部と明治大学法学部・大学院法学研究科・専門
職大学院法務研究科は、2017年 4月に包括協力協定・研究協力協定を締結した。
両大学の学術交流は現在まで盛んに行われているが、本書評は、その学術交流の成
果の一つとしても位置づけられる。
以上のような背景から、評者はシュミット氏より依頼を受け、ここに本誌・法律
論叢において書評を執筆する次第である。
(2) [Deutsche Version] Philipp Schmidt / Mutsumi Kurosawa, Das deutscheSchoffensystem und das japanische Saiban’in System: Eine rechtsvergleichendeBetrachtung der Burgerbeteiligung im Strafverfahren, Meiji Law Review, Vol. 90No. 4=5, 2018, pp. 239-276; [日本語版]フィリップ・シュミット=黒澤睦(著)/黒澤睦(監訳)/髙村紳(訳)「ドイツの参審制度と日本の裁判員制度――刑事手続における市民参加に関する比較法的一考察――」法律論叢 90巻 4・5合併号(大野幸夫教授古稀記念論文集)(2018年)277-303頁。
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フィリップ・シュミット『日本の裁判員制度とドイツの参審制度――日本の刑事手続における素人参加の描写とドイツの参審制度の比較法的検討』(黒澤)
3 本書の構成・概要
(1)本書の構成
本書は、以下のような構成となっている。
序文 (17~19頁)
第一部 ドイツの参審制度 (20~75頁)
第二部 日本の裁判員制度 (76~198頁)
第三部 比較法的考察 (199~227頁)
第四部 結語 (228~233頁)
参考文献 (234~248頁)
索引 (249~250頁)
(2)本書の概要
(a) 序文(17~19頁)「序文」では、本書の基本的な考え方と方法論などが、本書の構成に沿った形で
述べられる。
独日間の刑事司法分野における結びつきには長い歴史があるが、従来は偏りがあ
り、日本側がドイツ法に関心を持つ方向が中心であった。しかし、近年はドイツ側
から日本法への関心も高まりつつあり(3)、本書の研究もそのようなものの一つに
位置づけられる。
本書では、独日両国の制度の客観的な描写と著者によるその評価・考察とを分け
ることに留意し、第一部と第二部で制度の描写を、第三部でその評価として比較法
的考察を行う。
研究の方法論として、概念のみに着目した比較ではなく、実際の機能にも着目し
た比較を行う。具体的には、ドイツの参審制度と日本の裁判員制度も概念は異なる
が、刑事手続への市民参加という問題で共通する基盤を持ち、機能的な比較法研究
が可能である、とシュミット氏は述べる。
(3)例えば、アウクスブルク大学法学部が中心的役割を果たしたものとして、Johannes Kaspar/ Oliver Schon (Hrsg.), Einfuhrung in das japanische Recht, Nomos, 2017がある。
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(b) 第一部 ドイツの参審制度(20~75頁)第一部「ドイツの参審制度」では、ドイツの参審制度の客観的な描写が行われ
る。最初に、A(20~31頁)で、ドイツの刑事司法への素人参加の歴史が簡潔に
まとめられたうえで、B(32~75頁)で、ドイツにおける参審制度の現状が詳細
に描写される。
後者Bの I(32~34頁)では、参審制度の本質と目的に関して、①民主主義、②
市民の良識を反映することによる司法・判例の質の改善、③国民に対する教育的効
果をめぐる議論が紹介された後、立法者の見解として、素人が司法・判例に直接影
響を与えることで素人でも司法・判例の内容を理解できるようになることが挙げら
れていることが指摘される。II(34~45頁)では、参審員の選任に関して、選任の手続、欠格事由・就職禁
止事由・不適格事由等について、法規定に基づいた詳細な説明が行われる。III(45~51頁)では、参審員が関与する手続の管轄範囲とその裁判体の人数構
成に関して、参審裁判所と少年参審裁判所、ラント裁判所における大刑事部と小刑
事部、少年部、補充参審員・在廷補完参審員等について、裁判所構成法・少年裁判
所法・刑事訴訟法等の法規定に基づいた詳細な説明が行われる。IV(51~63頁)では、参審員の権限と義務に関して、総論として参審員の法的
地位が示された後、参審員の権限として、記録閲覧権の有無をめぐる議論・判例
(全体の流れとして、否定から一部肯定へ)と被告人・証人・鑑定人に対する質問
権が説明される。また、参審員の保護として、不利益取扱い禁止と刑法による保護
が指摘される。さらに、参審員の義務として、評議の秘密保持、憲法忠誠、公判在
廷、宣誓、評決の義務が、そして、それらの義務違反としての秩序金が、それぞれ
説明される。V(63~68頁)では、参審員としての任務の終了、出廷免除、解任、名簿からの
抹消等が、説明される。VI(68~75頁)では、評議と評決に関して、裁判官と参審員が同じ評決権をも
つという法構造を出発点として、評議と評決における裁判官と参審員の法律上およ
び実際上の役割・機能の違い、量刑における裁判官の実際上の優位性、判決書作成
への参審員の不関与等が説明される。VII(75頁)では、参審制度の合憲性について、連邦憲法裁判所判例を引用しつ
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つ、憲法は参審制度の維持を保障してもいないし、その廃止にも賛成していないと
する。
(c)第二部 日本の裁判員制度(76~198頁)第二部「日本の裁判員制度」では、日本の裁判員制度の描写が行われる。A(76~89頁)では、日本の刑事司法への素人参加の歴史が簡潔にまとめられ
る。そこでは、1923年陪審制度の運用実態と停止に至る経緯、第二次世界大戦後
の議論の推移、1999年の司法制度改革審議会の議論から裁判員制度の導入に至る
経緯等が描写される。B(89~106頁)では、裁判員制度の理解の前提として、日本の刑事司法制度の
全体像が示される。そこでは、刑事事件における各裁判所の管轄権、刑事訴訟への
関与者とその役割、捜査手続から上訴手続までの刑事手続の流れ等が簡潔にまとめ
られる。C(106~147頁)では、裁判員制度の詳細な描写が行われる。具体的には、I
(106~107頁)で素人参加の意義と目的が、II(107~125頁)で裁判員の選任が、III(125~130頁)で裁判員裁判の適用範囲が、IV(131頁)で裁判員裁判におけ
る裁判体の人数構成が、V(132頁)で補充裁判員が、VI(133~143頁)で裁判
員の権限と義務が、VII(143~147頁)で裁判員の職務の終了と解任が、それぞ
れ取り上げられる。D(147~179頁)では、裁判員裁判の手続の特徴がまとめられる。具体的には、
I(147~148頁)で公判前整理手続が、II(148~151頁)で職業裁判官のみによ
る手続との異同が、III(151~161頁)で評議と量刑が、IV(162~165頁)で上
訴審による事後審査が、それぞれ説明された後、V(165~179頁)で覚せい剤取
締法違反被告事件において無罪判決が言い渡された裁判員裁判の合計 6日間にわ
たる傍聴記録が提示される。E(180~198頁)では、裁判員裁判と死刑の問題が取り上げられる。I(180~
187頁)で日本の死刑制度が描写されたうえで、II(187~194頁)で裁判員制度
と死刑との関係、具体的には、死刑に対する考え方と不選任、裁判官が賛成するこ
とが条件であるが単純過半数による死刑判決の可能性、上訴審での事後審査、裁判
員に対する影響をめぐる議論が紹介される。F(194~197頁)では、裁判員制度に対する市民の認識が取り上げられる。
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G(197~198頁)では、裁判員制度導入から現在までの変化、具体的には、裁
判期間の短縮、証人数の増加、捜査手続の透明化、性犯罪等での厳罰化などが紹介
される。
(d)第三部 比較法的考察(199~227頁)第三部「比較法的考察」では、第一部でのドイツの参審制の描写と第二部での日
本の裁判員制度の描写を踏まえて、独日両国の刑事手続への市民参加をめぐる制度
とその実際が比較検討される。具体的には、A(199~222頁)で、選任手続、素
人裁判官(参審員・裁判員)が関与する手続の適用範囲、素人裁判官が関与する場
合の裁判体の人数構成、素人裁判官の権限・義務と義務違反の法的効果、評議と量
刑、という 5つの項目に分けて、詳細な比較分析が行われる。そして、B(223~227頁)で、その比較分析から得られた 24の結論が提示される。
その 24の結論のうち、評者が(日本側から見て)特に興味深いと感じたものを、
ここでいくつか取り上げたい。まず、(2)素人裁判官の選任に関して、日本では公
平性や予断排除等の様々な観点からの選任が重要となっているのに対して、ドイツ
では民主的正統性が重要とされるため正真正銘の選任手続(選挙)が要請される。
(6)・(7)素人裁判官が関与する手続の範囲に関して、日本では第一審の重大犯罪
に限定されているが、ドイツでは様々な裁判所の様々な審級に及んでおり、2014
年から 2018年の参審員任期では合計約 37,000人もの素人が参審員の職務を遂行
した〔日本で同時期に裁判員の職務を遂行した人数は約 31,500人である(4)が、参
審員は一つの裁判体あたり 2名であるのに対して裁判員は原則 6名であり、ドイツ
の方が事件数で見た素人の関与の割合が圧倒的に高い〕。(13)裁判員は参審員と
同程度の独立性がなく、裁判官の法解釈が裁判員に対して拘束力を持ち、裁判員が
それに従わなければ解任されうる〔逆に言えば、ドイツの参審員にはその点に関す
る法的な独立性がある〕。(15)参審員の記録閲覧権はドイツでは大きな議論があ
るが、日本では書証等が証拠として提出された以上、裁判員はそれを詳しく調べな
ければならない。(19)日本の立法者は裁判員の個人特定情報の保護をドイツに比
(4)最高裁判所「裁判員裁判の実施状況について(制度施行~令和元年 9月末・速報)」〈http://www.saibanin.courts.go.jp/vcms lf/r1 9 saibaninsokuhou.pdf〉(2019年 12月 9日最終確認)5頁の表 4「裁判員候補者名簿記載者数、各段階における裁判員候補者数及び選任された裁判員・補充裁判員の数の推移」を参照。
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べて重要視しているが、その際に登場する裁判員の「負担軽減」という観点は、ド
イツの参審制度では想定されていない異質なものである。(20)裁判員への圧力を
防ぐための匿名性は、裁判員制度の導入を国民に納得してもらうためという側面も
持つとともに、日本の立法者が裁判員の能力に対してあまり信頼を寄せていないこ
とも示している。(21)両国とも評議の秘密に関する無期限の広範な守秘義務を課
しているが、日本の罰則はドイツのものよりも広範であり、司法制度を国民に理解
してもらうという立法趣旨にそぐわず、また、裁判員制度の教育的効果も裁判員に
実際になった人に限定されてしまう。(23)評決方法に関して、裁判員制度は裁判
員のみの賛成票によって被告人に不利益な判断ができないような仕組みになって
いるが、そのような仕組みは現在のドイツ法にはなく、裁判官が 1人で参審員が 2
人の裁判体の場合には、参審員の 2票で被告人に不利益な判断ができる。(24)ド
イツと日本を比較すると、日本は裁判員制度の実施状況を把握することができる公
式統計が非常に充実しており、また、裁判員経験者や一般市民へのアンケート調査
の結果も公開されており、優れている。
(e)第四部 結語(228~233頁)第四部「結語」では、以上の検討を踏まえた総括が行われる。
まず強調されるのは、ドイツの参審制度は職権主義的訴訟構造を、日本の裁判員
制度は当事者主義的訴訟構造を背景に持つということである。すなわち、素人裁判
官は、日本のような当事者主義訴訟構造ではうまく機能するが、ドイツのような職
権主義的訴訟構造ではうまく機能しにくい。また、参審員が全ての社会階層を適切
に代表できていないこともあり、ドイツの参審制度は時代遅れのものになってい
る。参審員に選ばれるものは多くはなく、守秘義務があることによって、国民の教
育という要請にも応えられていない。刑事判例に市民的要素を入れても判例に対
する信頼は有意に向上するものではない。そして、素人参加で引き合いに出される
市民の「良識」も、内容が不確かなものである。したがって、ドイツの参審制度は
維持されるべきではない。他方で、日本の立法者にも誤解があり、もし刑事司法へ
の理解を増進したいのであれば、厳格な守秘義務をやめ、裁判員裁判の適用範囲を
広げるべきだろう(以上、228~230頁)。
そして、次のようなドイツ法の改革提言を行う。日本の裁判員制度から学ぶべき
ところもあるが、日本の裁判員制度をそのままドイツ法に転用すべきではない。選
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任手続はドイツ法が民主的正統性を問題としており、また、適用範囲の広さから一
件ごとの選任はコスト等がかさむため、日本のようにすべきではない。公判前整理
手続や日本をモデルにした中間手続の拡充は、ドイツでは参審制度が適用される裁
判が多いこと、ドイツが職権主義的訴訟構造を採っているために中間手続で裁判官
が記録を入念に検討すれば足りることから、重要とはいえない。参審制度をより広
く適用するドイツ法は、適用範囲を限定している日本の裁判員制度に比べて、国民
の教育という目的を達成しやすい。しかし、保安処分のために予測判断などの専門
家の判断が必要な事件の場合は、職業裁判官の経験や均衡性原理が要求されるた
め、素人裁判官の関与が良いとは言えない。日本では刑罰と保安処分の二元的制裁
システムを採っていないため、この問題自体は避けられるが、責任能力判断の問題
は残っている。ドイツは、日本と異なり、高い外国人比率やEU市民という事情が
あるが、国家権力の行使という観点から、EU市民が参審員となることは否定され
るべきである。日本法では裁判員の守秘義務に関して広い罰則を定めているが、司
法に対する信頼を損なうおそれがあるものでもあり、ドイツ法はこれに倣うべきで
はない。裁判員の「負担軽減」という考え方は、被告人の権利を切り崩すものであ
り、決して受け入れるべきではない。制度の改善の議論のためにも、ドイツの参審
制度に関する信頼できる公式の統計資料が公表されるべきである。また、日本のよ
うに裁判員経験者や一般市民のアンケート調査が行われるべきである(以上、230
~233頁)。
4 若干のコメント
本書の紙幅の約半分が日本の裁判員制度の描写と検討にあてられている。ドイ
ツ側からの比較法の研究書として見ても、ドイツの研究者や実務家が参照する比較
法的資料としての価値という点から見ても、適切な構成、十分な分量、正確な内容
ということができ、著者であるシュミット氏自身が掲げた目標は十分に果たされて
いる。
前掲 3でみたように、ドイツの参審制度は、日本の裁判員制度と比べてより広く
複雑に入り組んだ形で刑事裁判システムに取り込まれているため、本書の整理は日
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フィリップ・シュミット『日本の裁判員制度とドイツの参審制度――日本の刑事手続における素人参加の描写とドイツの参審制度の比較法的検討』(黒澤)
本の読者にとって制度の全体像を把握するのに非常に有益であるに違いない。ま
た、本書は、ドイツ人の刑事法研究者であるシュミット氏が、日本の裁判員制度に
関して、ドイツ語や英語で書かれた文献・資料のみならず、日本語で書かれた文
献・資料も検討し、さらに日本で実態調査をした上で、ドイツ人の視点から分析を
加えたものである。前掲 3でも紹介したように、シュミット氏は基本的にドイツの
参審制度の現状には懐疑的であり、日本の裁判員制度の分析も批判的な観点からな
されている箇所が少なくない。そして、日本の裁判員制度の在り方の再考を迫る分
析結果も提示されている。これらは日独両国の研究者・実務家だけでなく立法関係
者にとっても参照価値の高いものになっている。
以上から、本書は、ドイツと日本の両国における刑事裁判への市民参加に関する
比較法研究における必読の書として、永く参照され続けるに違いない、と確信する
次第である。
(明治大学法学部教授)
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