高田教区宗祖親鸞聖人 第 教区教化テーマ 138...

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(1)第138号 2017 年 1 月 28 日 ひ  び  き 高田教区宗祖親鸞聖人 七百五十回御遠忌テーマ 教区教化テーマ 私はどこで生きているのか ~たずねよう 真宗の教えに~ 138 発行所 上越市寺町2丁目24 真宗大谷派 高田教務所 集 響流編集委員会 行 荷 葉 一 浩 刷 サ ク ラ 印 刷 ㈱ 姿姿高田別院雪景色(2017 年 1 月 18 日撮影) 高田教区ホームページ 高田教区 検索

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Page 1: 高田教区宗祖親鸞聖人 第 教区教化テーマ 138 号takada-kyoku.jp/HibikiWeb/Hibiki-No138.pdf(1)第138号 ひ び き 2017年1月28日 高田教区宗祖親鸞聖人

(1)第138号 2017 年 1月28日ひ  び  き

高田教区宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌テーマ

教区教化テーマ

高田教区報

私はどこで生きているのか~たずねよう 真宗の教えに~

  138

  号

発 行 所

上越市寺町2丁目24-4

真宗大谷派 高田教務所

編 集 響流編集委員会

発 行 荷 葉 一 浩

印 刷 サクラ印刷㈱

「亡きひとを訪と

ぶら

う」ということ

第十一組 

福樂寺 

井上  

私たちは、「死」ということを通して「生」を知り、命あることに感謝の

気持ちを持つことができるのである。これを「縁」というのであろう。

しかしながらこの頃は、この縁に恵まれない子ども、大人たちが育っている

ように見えるのである。「人を殺してみたかった」「血を見てみたかった」な

どということは、それまで生きてきた人生の中において、おそらく「死」と

対面するという状況に出会わなかったせいではあるまいか。

核家族化社会の中で、人の死はもちろん、ペットの飼えないアパートで生活

する子どもは、動物の死とさえ出会うことがないのである。

私は、葬儀の時に、もし子どもさんがいたら、「後で、おじいちゃん(おば

あちゃん)のほっぺをなでてあげてね。」と必ず言うことにしている。遺体に

触れたその子は、あの水の冷たさでも、氷の冷たさでも、雪の冷たさでもない、

ほっぺの冷たさの感覚、つまり死という冷たさを一生忘れないであろうと思う

からである。

だが現代では、この葬儀の形が急速に変化してきているのである。家族葬、

直葬、ゼロ葬などというものである。

家族葬は、今後一般的になる可能性が高い。今までのような家と家の付

き合いというものが崩れてくると思うからである。しかし、ここではまだ、お

別れのセレモニーがあり、坊さんのお話も聞いてもらえる機会がある。しかし、

直葬、ゼロ葬というと話は別だ。(経済的理由、肉親との希薄化もあるが)

セレモニーも何もないまま火葬場へ直行し、火葬(死後二十四時間後という

制約はあるが)である。

都会ではすでに直葬が三割にも達しているということだ。上越地域でも

あるということを耳にした。ゼロ葬に至っては親族の誰もが行かない。すべて

葬儀屋さんにお任せだ。もちろんセレモニーも何もない。坊さんも行かない。

だとしたら、その人の人生は一体何だったのか。人間は、生まれた以上は必

ず死ぬ。そして、その死の姿を通して私たちに命の尊さを教えてくださるの

である。自らの命を犠牲にして、「生老病死」の姿を見せて下さっているので

ある。そこにこそ、その人の人生があるのである。

柱にかかっている法語が目に入った。

「昔は何もなかったが何かがあった 

今は何でもあるが何かがない」

(「同朋会館日めくり法語」より)

高田別院雪景色(2017年1月18日撮影)

高田教区ホームページ 高田教区 検索☜

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2017 年 1月28日 第138号(2)ひ  び  き

藤戸秀庸宗議会議員の逝去に伴う

補欠選挙が二〇一六年十二月二十六日

に実施され、井上博氏(第十一組福樂

寺)、金子光洋氏(第六組最賢寺)が

立候補し、投票の結果、井上氏が当

選した。このたび新しく議員になられ

た井上氏から抱負を寄稿いただいた。

「新宗議会議員としての抱負」

井上  

昨年十二月二十六日施行の宗議会

議員補欠選挙の結果、新たに宗議会

議員としての重責を担うこととなり

ました。皆様のご支援に厚く御礼を

申し上げます。

このたびの補欠選挙は、前宗議会

議員藤戸秀庸氏の急逝によるもので

ありますが、ご自身の病を自覚した

上で、命ある限り宗政に関わってい

たいという強い意志から、「議員辞

職はしない」と言われていた生前の

思いを、何としてでも宗政に届けた

いという一心から私が立候補させて

新宗議の抱負

いただいたものであります。教区の

運営や教区事業の一端に身を置いた

とはいえ、まだまだ経験不足は否め

ません。もとより浅学菲才の身では

ありますが、よろしくお願い申し上

げます。

次に述べますことは「選挙公報」

に述べたことでありますが、これら

の実現のために教区の声を宗政に届

け、なおかつ、宗政に身を置く一員

として全力を尽くす所存です。

◎「宗教心の過疎化」に対応する共

同教化の環境づくりと具体化を目指

します。

「葬式離れ、墓離れ、寺離れ」と

いわれる宗教心の衰退をとどめるた

めに、寺と寺、寺と門徒の共同教化

のための実践を共有する場と機会を

設けるために努力します。

◎「男女両性で形づくる教団」の一

層の推進を目指します。

「男女共同参画推進に向けた組門

徒会員選定に関する特別措置条例」

の施行により、宗門活動への女性参

画の道が広がったかに見えますが、

まだ宗政に女性の意見が広く反映さ

れているとは言えません。私はク

オータ制の導入など一層の推進に務

めます。

◎青少幼年教化のために、その指導

者養成の仕組みの確立を目指します。

次代を担う「人」として青少幼年

教化の重要性は言うまでもありませ

ん。私は、教区、組の青少幼年教化

部門の強化と指導者の養成のため

に、特別研修制度を設けるなどの仕

組みづくりに務めます。

◎真宗教化センターの充実と、その機

能の発揮を促し、実現を目指します。

真宗教化センターは宗門のみなら

ず世界に開かれた情報の発信拠点と

なることを願っています。そのため

に情報の収集と発信が速やかに機能

するよう、また教区や組、各寺院の

教化活動に資する情報を提供できる

機関になることを目指し、働きかけ

を強めます。

「宗議会議員藤戸秀庸氏

を偲んで」

第八組延壽寺 

鷲嶺 

紀文

私と藤戸さんとの出遇いは今から

十四年前、私が組長に就任した時で

した。当時、藤戸さんは教区会議長

の要職にありました。その後、高田

別院会館建設委員会の設計施工部会

でご一緒し、二〇〇五年には教区会

副議長として藤戸議長を補佐する役

も経験させていただきました。二〇

〇九年藤戸さんが宗議会議員になら

れてからも交際は続きました。

そんなお付き合いの中での十一月

五日のご逝去の報は、私にとって大

きな衝撃でしたし、胸の中にぽっか

り穴が開いたような心境で葬送の場

に立っておりました。少し前から病

状については聞いておりましたが、

亡くなる前日、病床の彼を見舞った

のが最後になってしまいました。

藤戸さんは教区会でも、宗議会で

もオールマイティーというより一点

突破の人でありました。今でも思い

出すのは、初めて宗議会議員に立候

補したとき、真宗本廟を訪れる大勢

の修学旅行生を放っておいていいの

かという問題提起でした。その後、

彼の努力もあって今では「修学旅行

生参拝ご案内」ののぼり旗が用意さ

れ、積極的に対応されていると聞い

ております。教区及び組の改編、門

徒戸数調査という宗門の中心的課題

についても前向きでした。まだまだ

山積するこれらの課題解決のために

尽力いただけると信じていただけ

に、惜しい人を失った無念さは計り

知れません。

今はただお浄土から照覧されんこ

とを念じながら哀悼の言葉といたし

ます。

高田教区テレホン真宗法話 ☎025‐522‐0234

追 

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(3)第138号 2017 年 1月28日ひ  び  き

来年に予定されている教区御遠忌法

要のお待ち受け事業としての本堂及

び諸施設の改修工事が始まってお

り、明治期の修復で仮本堂として使

われていた御食堂を再び仮の本堂と

して使用してのお勤めとなった。そ

のため、一部次第を差し替え簡略化

しての三昼夜法要であったが、毎年

のことながら見事な菊の展示や別院

前道路を封鎖して行われる屋台の賑

わいも行事に華を添え老若男女で賑

わった。

今年の十月には御本尊の阿弥陀さ

まが本堂に戻り、また新井別院の歴

史が刻まれることになるが、残念な

ことに現状では阿弥陀さまに手を合

わせお念仏する若人(中高生)は多

いのに、お堂に上がって参拝、法話

を聴聞して下さる方はごく一部であ

る。聞くところによると、地元の学

生さんにはご利益があると有名で、

別院に足を運ぶことに何のためらい

もないそうである。実に勿体無いこ

とだと正直思う。青少年教化部門の

担当者は両別院で子ども報恩講を企

画し頑張ってはいるが、頑張るだけ

でなく、新井別院のみならず高田教

区の大事な案件として皆で知恵を出

し合いより良い環境作りをしていけ

たらと思う。これからも頸南地域の

聞法の中心道場としての立ち位置に

いささかの揺るぎもないことを願っ

てやまない。�

(取材 

矢嶋)

「教区青少年キャンプを終えて」

スタッフ長第

八組称名寺 

保倉 

謙雄

去る八月二十二日~二十四日の日

程で、教区青少年キャンプが池の平

青少幼年センターを会場に開催され

た。教区人にとって、身近な施設と

いう安心感が有るが故に、何か特徴

のあるキャンプにしたいという思い

が企画当初からあった。

そこで協議の結果、呼びかけは『電

車に乗ってキャンプに行こう!』の

タイトルで動き出した。しかし、こ

れまでバスや自家用車を移動手段と

してきたキャンプにあって、公共交

参加者のひろば

第三十三回教区キャンプ

高田別院は、十月六日から九日ま

で、新井別院は十一月一日から四日

まで報恩講がそれぞれ厳修された。

八日から九日の高田別院報恩講結願

法要には、信悟院鍵役が御参修され、

帰敬式が執り行われ、新たな仏弟子

が誕生した。同じく八日には、得度

式受式者の集いが行われ、参拝者に

お披露目された。また、九日の公開

講演会には、教区御遠忌記念大会講

師の一楽真氏よりお話しいただき、

二百名を超えるお参りがあった。

第六組真宗寺 

淀野 

壮介

十月六日~九日の四日間にわたり

高田別院報恩講がお勤めされました。

私は、晨朝に出仕させていただき

ました。お勤めは、午前七時からで

すので、三十分前の集しゅうえ会に間に合う

ように参ったのですが、そのときす

でにお仕事をされている方々の多さ

に驚かされました。頭が下がるばか

りでした。

そしてよくよく自分の心配を置い

ておき、あたりを観察してみますと、

参拝者の目には決して触れることの

高田別院報恩講

ない僧侶たちが、正装をして裏方で

走りまわっているのです。僧侶が出

仕をする前からすでに儀式が始まっ

ているのです。

そして、お勤めが始まりますが、

列座の声の見事さに圧倒されます。

四日間の報恩講のお勤めで、正座を

し続ける体力にも、感心いたしました。

参拝者からは見ることのできない

作法や儀式があって、ようやく見る

ことのできる作法や儀式になってい

くことを感じました。裏方を知ると

報恩講も違って感じることができる

かもしれません。

毎年の報恩講ですが、表に出てこ

ない多くの協力者のおかげで出仕を

させていただいていることに感謝し

ています。

去る十一月一日~四日、新井別院

の報恩講(おたや)が厳修された。

高田教区のホームページ(http://takada-kyoku.jp)よりバックナンバーが閲覧できますのでそちらの方もご覧下さい。

 高田別院・

  新井別院報恩講

新井別院報恩講

公開講演会(一楽真氏)

仮御堂でのお勤め

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2017 年 1月28日 第138号(4)ひ  び  き

通機関を使うことの不便さも浮き彫

りになった。時間的不便さは勿論で

あるが、具体的には集合地である高

田別院から高田駅間の徒歩による移

動の安全面の確保や、ハプニングを

想定しての対応であった。

約一年という準備期間を通じ、高

田教区が長年教区の教化事業として

取り組んできた歴史を考える時、こ

のキャンプに信頼をもって子ども達

を送り出してくださった保護者の皆

さんや、お誘いしてくださったご寺

院関係者のご尽力を思う時、大切な

子ども達を三日間預かるというプ

レッシャーと同時に、子ども達が「楽

しかった。来年も参加したい。」と

いう思いを抱いてくれればという思

いで、次の地区にバトンを渡したい

という責任を感じた。

また、当番地区として企画立案し、

白鳥実行委員長を中心に第四・八組

のスタッフが作るその核はたとえ小

さくとも、他組(教区の若手スタッ

フ)の皆さんが、何とか助けてくれ

るに違いないという、安心感を頼り

にキャンプを迎えた次第である。

「伝道研修会に参加して」

京都教区寶蓮寺 

原田 

大樹

八月三十、三十一日に大島義男先

生を講師に迎え、伝道研修会が開催

され、三回目となる参加をさせてい

ただきました。

今回の講義では「五念門」という

ことを中心にお話しいただきまし

た。私がお話の中で特に印象深いの

は、阿弥陀仏の行は国土建立の行で

あると。それは大地になっていく歩

み、足下に没していく営み、ふみつ

けられながら私たちを支え続けてく

れている、背負っているという行で

あるということでした。

ここ最近私自身に苦しい出来事が

続き、暗闇のどん底まで落ちた気に

なっていました。先も見えず何に

迷っているのかさえわからないそん

な心境の時にこの話を聞いて、そう

いう自分自身、私のさらに下にいた

のが阿弥陀仏だと受けとることがで

きたと言いますか、気付けたと思い

ます。

「身の事実」これが何か決まらな

い時にこの研修会に参加させていた

だき講義を聞いて、改めて自分自身

の事実に考えさせられるきっかけと

なりました。事実を明らかにして事

実に呼びかえす、それが仏法なのか

なと思いま

したが、呼

びかえされ

てもその事

実に迷う

のが私なの

だと思いま

す。

靖国問題研究班長

第一組圓照寺 

藤島  

現在、靖国問題研究班では、一九

九三年に高田教区より刊行された靖

国問題学習資料集『靖国前史』の校

正作業に取り組んでいる。

本来であれば、この資料集がもっ

とポピュラーなものとして教区にお

いて活用されてもよいはずであるの

だが、諸事あって在庫がないことか

ら、数年前にデータ化を行い、現在

は校正と、あわせて若干の記載内容

の改訂・増補を行っているという次

第である。

『靖国前史』は、靖国問題という視

点から、それが問題とされるまでの

日本における文化、政治、宗教の歴

史的変遷をまとめた資料集である。

当時、全教区に先駆けて、この高田

教区から詳細な資料を体系的にまと

めあげた歴史資料集が発刊されたと

いうことに、資料集作成に携わられ

た教区の先輩たちの問題意識の深さ

と発刊にかけた思いを感じている。

地味で専門的な作業であるせい

か、参加者が少なく遅々とした歩み

である。しかし、一歩一歩、確実に

校正作業が進んでいることに手ごた

えも感じている。なんとしても、今

年度中には作業を終えたい。その意

味では、集中的に取り組める一泊研

修は有意義であった。

作業に取り

組んでいる

と、発見も多

い。資料集は

年表編にあわ

せて資料編が

作成されてい

る。資料編に

は、先輩方の

伝道研修会

靖国問題研究班一泊学習会

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(5)第138号 2017 年 1月28日ひ  び  き

前回と今回は外陣でのお勤めの参

加でしたが、内陣での作法も講師か

ら講習していただき、機会があると

きに生かしていけたらと考えていま

す。声明に関しては講師のアドバイ

スにありました、一団となって行う

声明というのが、自分の中ではまだ

しっかりと行えてないのではないか

と感じました。

高田別院・新井別院での報恩講に

て研鑽しているつもりではなく、一

座一座の法要を大切にしていきなが

ら、自分のためではなく列座全員で

声明をするという目標を持ちなが

ら、一年後の教区御遠忌に向けて、

より一層精

進していき

たいと考え

させられた

声明講習会

だったと感

じていま

す。

『「閲覧」だめ!ぜったいだめ』

解放推進委員会委員 

第七組照光寺 

古見  

これまでの多くの人権侵害の発生

学習の軌跡ともいうべき、史料、解

説、ノートが記載されている。資料

集前書きには、「真・仮・偽を分判

しつづける真宗教学としては、その

歴史性を必然的に問わなければなら

ない」という当時の藤永教化委員長

の巻頭言が付されているが、私自身

もまた先輩たちの学びの軌跡の末端

に位置しているということなのだと

思う。

「声明作法講習会を終えて」

高田別院列座 

第六組蓮受寺 

古川 

達也

今回の教区御遠忌に向けての声明

作法講習会で二回目となりました

が、まだまだ知らないこと、学ばな

ければいけないことがたくさんある

と思い知らされました。私は二年前

に列座見習として高田別院に入りま

したが、声明や儀式の流れなどを

まったく理解しておらず、先輩に迷

惑をかけていました。専修学院で学

んだつもりでいましたが、自坊と兼

業で過ごしていたため、儀式作法が

疎かになっていく自分に悩んでいま

した。そんな中、列座見習として改

めて学ぶ機会があることに感謝して

います。

から、「身元調査お断り・過去帳閲

覧禁止」の周知がされてきた。しか

しながら、いとも簡単に過去帳を閲

覧させた事例をもとに、人権意識保

持の難しさを研修した。

あるテレビ番組で、俳優がルーツ

探しのため浄土真宗の寺を訪ねた。

その時のやり取りでテレビ画面に過

去帳が映し出された。

なぜ、住職は過去帳を撮影させた

のだろうか。

・差別的な記述がないから。

・テレビの取材だから。

・俳優を前にして舞い上がったから。

同情の余地もなくはないが、重大

な人権侵害であることは間違いない。

全国でこの番組を見た人が「寺に

行けば過去帳を見せてもらえる」と

誤解したら、責任は重大である。

過去帳に記載された個人情報を

公開するこ

とは、人権

侵害である

ことは当該

住職も十分

理解してい

たはずであ

るのに、全

国放送の画

面に写され

た。今でも差別に苦しむ人々の心情

を考えると言葉もない。

よかれと思ってした行為が重大な

人権侵害となる。改めて住職の責務

と人権意識保持の難しさを痛感した。

「学習会に参加して」

男女平等参画を考える会委員

第二組大蓮寺 

佐藤 

純子

十月二十一日、本山女性室スタッ

フの岩根ふみ子氏を講師に迎え、『女

と男のあいあうカルタ』を使い、「性

別によって固定された先入感が身に

つきそれにとらわれた私達、女らし

さ男らしさに縛られず一人ひとりの

存在を認め合い、共に解放される関

係が開かれることを願う」を目的と

して、拡大学習会が行われた。対象

は、男女平等参画を考える会スタッ

フ・高田教区教化委員・教区坊守会

常任委員、約八十名に呼びかけ、ど

れだけの方が参加して下さるのか期

待はしたものの、スタッフ以外の参

加は三名であった。

男女平等参画は教化委員会の中に

あるのだが、この男女という根本的

な隔たりにふれないことが安全とい

う方が多いのではないだろうか。

ある常任委員の一人に学習会に来

教区声明作法講習会

解放推進委員会拡大学習会

男女平等参画を考える会拡大学習会

高田教区テレホン真宗法話 ☎025‐522‐0234

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2017 年 1月28日 第138号(6)ひ  び  き

られない理由を聞いたところ「なん

だか今さらという感じ。」と興味が

なさそうに話された。この会は難し

い事を学習しているのではなく、一

人ひとりの考え方の違いから自らの

気付きを呼び起こす、あたりまえを

問うことができ、どなたでもメン

バーになりやすい会なのである。

差別はど

こにでもあ

る。自分が

差別してい

る事に気付

ける事、認

める事で一

歩前に進み

たいと願っ

ている。

「教学研修会に参加して」

第二組善正寺 

上宮  

三木彰円先生による教学研修会が

このたび開講された。前回に引き続

き「浄土和讃」のなかの「現世利益

和讃」についての講義であった。

現世利益和讃十五首の内、よく目

につくのが「南無阿弥陀仏をとなう

れば」ということばである。それは

単純に「念仏をとなえた結果あなた

はこうなる」ということではなく、

「念仏をとなえたあなたにこのよう

な事実が成立する」ということを意

味する。つまり、親鸞聖人の言う念

仏の「現世利益」とは、念仏をとな

える者の心のあり方次第ということ

である。

「ただ念仏して、弥陀にたすけら

れまいらすべし」(聖典六二七頁)

と『歎異抄』第二章のことばが思い

起こされるが、その章の最後には「念

仏をとりて信じたてまつらんとも、

またすてんとも、面々の御はからい

なり」とある。念仏とはそのような

ものであるということが改めて感じ

られた。

ところで三木先生の「御和讃に学

ぶ」講義はもう何年も続いており、

毎回丁寧にご講義いただいている。

講義を受けるごとに親鸞聖人がおつ

くりになった和讃の奥深さに気付か

され、大変貴重な機会であると常々

感じている。次回も是非参加したい

と思っている。

「楽しかった団体参拝」

第八組延壽寺門徒 

小林 

幸子

「いってらっしゃい。気をつけて

ね。」とご住職に見送られ、十一月

二十日早朝六時半、高田別院を出発

し、五条大橋の可愛い牛若弁慶の像

を右に見て、予定通り十三時に真宗

本廟東本願寺に到着しました。

御修復が完了した御影堂、阿弥陀

堂、御影堂門は、金箔の輝きも清々

しく誠に荘厳なもので、両堂や境内

に集う人々の参詣を慶ぶ声があふれ

ていました。

御門首様はじめ大勢の僧侶による

声明に浸り、最後に正信偈を唱和で

きました時には、満たされた思いに

なりました。

大谷祖廟では、本堂での法要の後

で、御廟にお参りさせていただきま

した。「倶会一処」の教えに納得の

いった心持ちがいたしました。

岡崎別院は聖人が越後御流罪の前

と御帰洛後の草庵のあった所です。

姿見の池や必度橋等の美しい庭園に

往時の事やら現在の維持の御苦労や

らを思いました。

紅葉の京都も大津も素晴らしく、

「来年もまた来ようね。」と延壽寺の

坊守さんの呼びかけに、同行の皆さ

んと笑顔でうなずき合いました。

「証ある仏道か」

第六組金光寺 

大西 

真志

十二月一日、二日と高田別院にて、

秋安居がありました。小川一乘先生

により、『顕浄土真実証文類解釈―

「証」の二重性についての試論』とい

う講題で、釈尊の成仏道と念仏者の

信心の証の共通性・関連性について

のお話でした。

小川先生は「あなたは仏になりた

教学研修会

本山御修復完了奉告法要教区団体参拝

秋安居

高田教区のホームページ(http://takada-kyoku.jp)よりバックナンバーが閲覧できますのでそちらの方もご覧下さい。

両堂前での記念撮影

Page 7: 高田教区宗祖親鸞聖人 第 教区教化テーマ 138 号takada-kyoku.jp/HibikiWeb/Hibiki-No138.pdf(1)第138号 ひ び き 2017年1月28日 高田教区宗祖親鸞聖人

(7)第138号 2017 年 1月28日ひ  び  き

群生海と表したのではないか。そし

て群生海そのまま本願海である、そ

ういただくと、すとんと了解できま

した。無分別智「空」の象徴として

の「海」なのだと。そして、その了

解でそのまま解決というのではなく、

改めて「私」がとか、「あなた」が、「お

寺」が、と個別実体的に考え、日々

不活畏など不安におびえ苦悩する

「私」に戻っていく。虚仮の邪見の

「わが身」にいつも立ち戻る。それを

宗祖は「愚」として自覚されたのだ

と、痛感しました。小川先生がおっ

しゃる通り、「かつて私は愚か者でし

た。などというような過去形の自己

反省、自己批判のことではなく、『現

にこれ』という問題である。」と。倫

理道徳的なことなど、私自身反省す

べきことは無数にあり、汗顔の至り

でありますが、単にそういったこと

の自己反省のことではなく、根源的

に「因縁仮和合、すなわち諸行無常

諸法無我といいつつ、つねに虚仮の

『私』目線に埋没している姿」のこと

を「蛇だかつ蠍」とまでおっしゃったので

あろうと受け止めました。

また小川先生は、道元禅師につい

て「悟るために修行し座禅をすると

世間では思われているが、逆である。

悟り、領解したゆえに残る、わが身

いか。」と、研修の参加者に時折尋ね

ることがあるそうです。けれども、「そ

のような問いをされることははじめ

てです。今後の課題にしていきたい

と思います。」とお答えの方がいらっ

しゃる一方、「そんな当たり前なこと

言わないでください。」とおっしゃる

方はほとんどいないとのことでした。

なるほど。私は、もし尋ねられたら

生意気にも「当たり前じゃないです

か。」と小川先生に答えるかもしれま

せん。しかし、そう尋ねられたから

専修賢善たくましく「正解」らしき

ものを想定して応答しているだけで、

実際の生活が成仏道としての生活に

なっているかというと、とても「当

たり前です!」とはいえない。教え

と生活がバラバラになっているので

はないかと思い起こされました。

釈尊の成仏道は因縁仮和合、「縁

起の道理」を基本原理として知見と

するということが、「証」の立脚地で

ある、と教わりました。その等正覚

によって大涅槃(滅度)に至ること

が「証」の完結という証果に至る、

とのこと。それが、住正定聚と命終

とに呼応しているのだ、という理解

でしょうか。因縁仮和合の世界観を

象徴して、宗祖は証の象徴として浄

土を本願海と表し、私たちの有様を

の問題が残り続けるがゆえに修行し

続けるのだ。」と。なるほど、信心獲得、

信後の生活とはいったいどうなのか、

「世をいとうしるし」「往生をねがう

しるし」ということが改めて問われ

ているように思いました。

示唆に富んだ秋安居となりまし

た。これか

らその受け

止めの確か

めをし、今

後の念仏生

活において

日々憶念さ

せていただ

きます。

「一泊研修会に参加して」

第十期高田真宗学院生

第六組雲妙寺 

岡田 

清武

十二月三日~四日にかけて、第十

期高田真宗学院の一泊研修会が東本

願寺池の平青少幼年センターにて行

われました。

今回の一泊研修は一月中旬に本山

で行われる教師資格後期修練に備え

て実施され、比後孝指導主任、龍池

修副指導主任、渡邉智子指導、滋野

康賢指導の四名の先生方と、大聖寺

教区から伊勢谷功先生にお越しいた

だき、教師資格取得に向けた心構え

を学ぶことができました。

声明作法講習では、滋野指導から

作法の確認と細かな注意点を教えて

いただきました。忘れていることを

改めて確認できたので、とても有意

義でした。その後は、講師の伊勢谷

先生より講義をしていただきました。

「未来の教師になってください。」と

いう先生の言葉が、とても印象に残

りました。社会の常識や価値観とい

うものがめまぐるしく移り変わる現

代社会の中で、真宗の教えの根幹を

守りつつ、現代の課題に向き合える

教師になりたいと考えました。

真宗学院一泊研修会

高田教区ホームページ 高田教区 検索☜

Page 8: 高田教区宗祖親鸞聖人 第 教区教化テーマ 138 号takada-kyoku.jp/HibikiWeb/Hibiki-No138.pdf(1)第138号 ひ び き 2017年1月28日 高田教区宗祖親鸞聖人

2017 年 1月28日 第138号(8)ひ  び  き

期日 

十二月十六日

講師 

小谷みどり氏

(第一生命経済研究所主席研究員)

講題「現代社会から問われる寺院」

~葬儀・お墓の現状から~

教化委員会幹事会員

第一組本立寺 

渡邉 

智子

「現代社会から問われる寺院」とい

う題で打ち出されたのは葬式離れ・

寺院離れという現状の、丁寧なデー

タによって裏打ちされた厳しい将来

の予想でした。葬式仏教にさえなっ

ていないのはお坊さん達にこそ原因

があるという苦言と、では寺は今後

どうするべきかという助言の一つひ

とつにただうなずくだけの講演でし

た。他

寺・他人に当てはめて聞けばよ

くぞ言って下さったと思ったのです。

では自分はどうかと胸に手を当てて

よく考えてみると、全体の一割しか

いない本当の門徒といわれる人達こ

そ、尚更大事なのであり、そもそも

人の心は微妙で数字では決められな

いとも思えるのでした。

さらにアンケートに示されるよう

に時代遅れという原因があったとし

ても、真宗であれば親鸞聖人の話を

し、うるさがられても命は大切にと

言い続け、挙句に団塊世代の消滅と

同時に経営が成り立たなくなったと

しても恥じることはない、と思えて

きたのでした。多分その時残念に思

うのは、自分は有能ではなかったと

いうことでしょうが、それは宗教心、

信仰心とは本来無関係だと思うから

です。この様なことを思っていては

一番に自然淘汰されていきそうです。

「越後の風雪」

東京教区門徒会長 

田村 

允彦

九月二十九日、東北連区内七教区

の教区門徒会正副会長が高田別院に

集まった。今回の当番教区である高

田教区門徒会の五味川、平野正副会

長の手配よろしく、こうして集まる

ことができた。

と違って、越後の風雪の中での親鸞

聖人と恵信尼公の辛苦を肌で感じと

ることが出来た得難い研修となった。

「センター報恩講にお参りして」

第七組極生寺門徒 

岡田チエ子

こんにちは。

十二月二日、池の平センターの「報

恩講」に参加しました。外は葉も落

ち、冬景色。前日の雪も少し残って

おりましたが、あの木にリスがシッ

ポをふりながら登っていく姿がハッ

キリ目に浮かんでいるのも覚えてい

ます。二階の大広間にもホッとした

気分になれました。働いていた年月

が、ぐるっと回転したように、あら

ためて冬の景色もタップリと眺める

ことができました。お世話になった

方も参加されており、懐かしく思い

ました。また、初めてセンターに来

た人たちとも寝る前に、ゆっくりと

おしゃべりしました。

新そばと天ぷらを美味しくいただ

き、特にイカの天ぷらは喜んでおか

わりしてしまいました。初めて参加

協議会では、全国教区門徒会正副

会長協議会共通の課題、①「門徒の

寺離れ」、②「推進員の現状」の二

つについて各教区持参の資料をもと

に討議が行われた。

「門徒の寺離れ」の問題は、高齢

化、人口減に加え、生活意識の変化

もからみ、多角的な議論が為された

が、《門徒・寺院がどれだけ危機意

識を持つかが根本問題》であるとの

共通認識で、各教区ともさらに具体

的な対応を探ることになった。

一方、「推進員」の問題は、推進員

の気構え、住職の対応に地域差も見

られ、共通視点での考究にはまだ時

間も要する課題と位置づけられた。

さて、翌日の居多ヶ浜、ゑしんの

里を始め、聖人のゆかり深い現地研

修では、日頃の話や活字で得る知識

教区同朋会議

東北連区教区門徒会正副会長協議会

センター報恩講

センター活動報告

高田教区テレホン真宗法話 ☎025‐522‐0234

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(9)第138号 2017 年 1月28日ひ  び  き

愚僧のつぶやき

された方も、来年も来たいと喜んで

いました。

あらためて、恩徳讃を聞いてみ

て、心にジーンと来るものがありま

した。皆様に逢えて本当に、楽しま

せていただき、心からありがとうご

ざいました。

私にも出来る貢献を」

 

第七組福藏寺 

越山 

悠人

今回初めてキッズふくしまサマー

キャンプに参加させていただきまし

た。スタッフ募集の案内を手にした

ときには思いもよらなかった沢山の

出会いとそれに関わる皆さまの想い

に触れ、とても貴重な機会を得るこ

とができて嬉しく思います。

池の平青少幼年センターに到着す

るなり、芝生を駆け回り、ドッジボー

ルをし、また初めて会ったばかりの

私にも参加するように誘ってくれる

子供たちの勢いに圧倒されました。

一方で、キッズふくしまが始まった

当初は芝生に触っても大丈夫なのか

確認する子がいたことや、今も海に

入ることに難色を示す保護者は多い

と聞き、まだまだ被災地では不自由

なことがあると思い知らされる場面

もありました。ただ、笑顔いっぱい

で参加している子供たちからは、む

しろこちらが元気をもらえるくらい

エネルギーに満ちていて驚くことば

かりでした。

遅ればせながら参加させていただ

いたキッズふくしまの活動でした

が、東日本大震災の被災地へ貢献で

きる場とようやく出会うことができ

ました。今後も来てくれる子供たち

が楽しんでくれるよう力を尽くして

いきたいと思います。

〈声明(おつとめ)編⑫〉

蓮如上人がその原型をお作り下さ

いました声明を、大谷派は多少の変

化をしながらも伝承してきました。

そこには、声明の伝承寺院と呼ばれ

る数ヵ寺の存在を忘れることができ

ません。

ただ、その伝承寺院には、それぞ

れのお伝えがあり、全く一緒の声明

ではありませんでした。現在、当た

り前の様に節譜付きの声明本が出

回っていますが、古くはお聖教だけ

が書かれたものしかありませんでし

た。そして、声明は口伝により教え

て頂くというものであった訳です。

それが、一九一一年に勤修された

親鸞聖人六五〇回御遠忌法要を前

に、声明講習会が発会し、声明統一

の機運が高まります。そして、一九

二三年の立教開宗七〇〇年の記念法

要を前に、ご和讃等に節譜の記され

た声明本が流布されたといいます。

このことは、何でもない様ですが、

口伝口承の声明の世界では画期的な

出来事であった訳です。

ただし、それにより声明が統一さ

れたという事にはなりませんでし

た。そもそも節譜とは、師匠から聞

かせて頂いた声明を忘れない様に、

自分なりのイメージで書いた覚え書

きなんです。だから、節譜だけを見

せられても、実際にどんな音である

のかということは分からない訳です。

それが、一九六七年に、正信偈、

和讃等のレコードが出るんです。こ

のことは、非常に重要なことであり

ました。先の節譜付きの声明本と、

このレコードの両方が揃ったことに

より、声明を習いに行かなくても、

統一された声明がある程度は出来る

様になった訳です。このことにより、

口伝口承でありました声明の伝統に

一つの大きな区切りを付けることに

なりました。

その後、テープ、CD、DVDと

次々に作られ、全国の僧侶やご門徒

の方々が、一緒に声を合わせて声明

が出来る様になりました。

ただ、私たちが忘れてはいけない

ことは、その影には、声明の伝承寺

院の方々が何百年もの長い間、必死

に声明を守り続けて下さった大変な

ご苦労があったということ。そして、

声明統一の際には、自分の寺が守って

きた声明が、大谷派の正統な声明と

認められないという、悔しさや悲し

みに涙しながらも、全国の真宗門徒

キッズふくしまサマーキャンプ

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2017 年 1月28日 第138号(10)ひ  び  き

の方々が声を合わせておつとめする

ことを願って下さったご恩に、ただ

ただ、手が合わさることであります。

�(ペンネーム 

維摩教信)

「各自の課題について」

研修員 

第七組専念寺 

堀河 

如信

聞思学場で、『選択本願念仏集』

について勉強させていただいて、十

数ヵ月。同時に何ヵ所かの勉強会に

も出させていただいてきました。様々

な見解、意見、お伝えを聞かせても

らっている中で最近感じるのは、教

えというものは強制なのだろうかと

いうことです。親鸞聖人や先生方の

お話や想いを理解しようとすればす

るほど、過去のことには反論もでき

ない、確立されてしまっているもの

だと痛感します。例え理解し難いこ

とがあっても、そこに私の想いは届

くことはなく、もちろん変えること

もできません。良くも悪くも、この

ような考えの祖先がいる宗派の一員

になったのだと、それが宗教である

のだと自分に言い聞かせるしかない

のです。もちろん言わんとしている

ことは少しずつではありますが、理

解し始めています。その教えや考え

が間違っていると思うことは無いの

ですが、思考の自由が奪われている

ようで、どうも腑に落ちない部分が

あります。

私は自坊へ入ってから、どちらか

と言うと、教学よりも声明に関して

の研鑽を積んできました。なぜ声明

をやってきたのかというと、それは

毎日の法務で使うからです。歌手と

同じような感覚だったのかと思いま

す。もちろん教学に関しても、仏事

での法話やご門徒さん方の質問に答

えるためには必要であり、使うとい

う点に関しては同じだと思います。

それでも声明の方が自分に合ってい

たのだと思います。しかし、お参り

をする時に意味をあまり理解してい

け入れることで選択の本願に従うと

いうことなのだと教わりました。

親鸞聖人は長い年月研鑽を積み、

どんなに努力しても、自分中心の心

を無くすことができませんでした。

そして自分は永遠に変わることのな

い凡夫であることに気付きます。そ

うして法然上人に出会い、「ただ念仏

して、弥陀にたすけられまいらすべ

し」と言われました。その言葉と一

つになって生きる法然上人の姿を通

して、凡夫を救おうとして「念仏し

なさい」と呼びかける阿弥陀仏の大

悲の心に目覚めることとなったので

す。私

の周りの住職方が、親鸞聖人の

思想についてどのように考えている

かは分かりませんが、私はまだ素直

に受け入れることができません。だ

から、まず声明を追究していき、同

時に少しずつ思想を理解していきた

いと考えています。『御文』にも、「名

号をもって、何の心得も無くして、

ただ称えては助からざるなり」と念

仏だけでは救われないというような

事が何度か書かれているように、今

のままの自分ではいけないという事

は十分に理解しています。

これからも聞思学場を始め、様々

な学習会に参加させてもらい、親鸞

ない言葉を、なぜご門徒さんの前で

声に出してきたのか考えてみるとよ

く分からないです。意味をすべて理

解し、そのような気持ちを持ちなが

ら声明をするのが一番だとは思うの

ですが、それは私にはまだ出来そう

もありません。将来的に私たち真宗

の僧侶は、親鸞聖人のようにならな

くてはいけないのか。または、近付

いていかなくてはならないのか。も

ちろんご門徒さんに意味や成り立ち

などの説明ができるように、自分の

ためにも親鸞聖人の思想を追究すべ

きだということは分かっています。

しかしその考えにだけ囚われてし

まっても良いものかと不安になるこ

とがあります。

『選択本願念仏集』に「この正のな

かについて、また二種あり。一には一

心に弥陀の名号に専念して、行住坐

臥、時節の久近を問はず、念々に捨

てざるもの、これを正定の業と名づ

く」とあるように、念仏が阿弥陀様

の本願であることが、十八願である

念仏往生の願などからも見受けられ

ます。阿弥陀様の本願という他力に

よって、私たちは念仏をいただいて

いること。劫濁、見濁、煩悩濁、衆

生濁、命濁から成る五濁悪世に生き

る私たちは、やはり念仏を称え、受

真宗大谷派勤行集(赤本)

聞思学場レポート

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(11)第138号 2017 年 1月28日ひ  び  き

聖人が法然上人と出遇ったように、

人生を変えるような、考え方が変わ

るような言葉に出遇えるようなご縁

を見つけて生きていきたいと考えま

す。二

〇一六年度宗派経常費(相続講

金・同朋会員志)をご進納いただき

誠にありがとうございます。

ここに、完納いただきましたご寺

院名をご披露し、御礼にかえさせて

いただきます。

第1組

 

大雲寺 

雲晴寺 

長願寺 

光德寺

 

本立寺 

寳光寺 

清雲寺 

圓照寺��

 

常誓寺 

西性寺 

德正寺 

正覺寺

 

光照寺 

勝蓮寺 

廣傳寺 

西光寺

 

專德寺

第2組

 

善正寺 

來遊寺 

乘雲寺 

法圓寺

 

東浄法寺 

唯心寺 

恩敬寺

 

寳善寺 

西福寺 

興順寺 

大蓮寺

 

常圓寺 

陽嚴寺 

萬德寺 

敎念寺

 

明通寺 

通託寺

第3組

 

西性寺 

正願寺 

明了寺 

禮信寺

 

慈圓寺 

明福寺 

大泉寺 

光榮寺

 

安專寺 

本廣寺 

應満寺 

正光寺

 

淨福寺 

淨念寺

第4組

 

西勝寺 

宗專寺 

慈圓寺 

養性寺

 

随念寺 

持專寺 

淨善寺 

皆順寺

 

敬音寺

第5組

 

流泉寺 

西榮寺 

林覺寺 

光源寺

 

林正寺 

覺真寺 

覚法寺 

信光寺

 

寳善寺 

蓮光寺 

智願寺 

第6組

照春日山行寺 

勝念寺 

福成寺 

敬覺寺

等正寺 

淨光寺 

教專寺 

金光寺

照東本町行寺 

善念寺 

雲妙寺 

安養寺�

玉梅寺 

照蓮寺 

蓮受寺 

養福寺�

 

西安寺 

淨蓮寺 

明善寺 

常榮寺�

 

樹德寺 

了源寺 

本淨寺 

本誓寺�

 

長樂寺 

真宗寺 

法林寺 

淨國寺�

 

安傳寺 

長命寺 

最尊寺 

淨照寺�

 

長圓寺 

林西寺 

長德寺 

光運寺�

 

得願寺 

願重寺 

光照寺 

唯願寺�

 

最賢寺 

善福寺 

佛現寺 

願清寺�

 

佛性寺 

願通寺

第7組

 

皆遵寺 

入善寺 

妙行寺 

極生寺

 

願樂寺 

照光寺 

聞下町

稱寺 

康源寺�

 

速念寺 

道因寺 

願生寺 

誓願寺�

 

善性寺 

慶樂寺 

宗顯寺 

圓常寺�

 

西谷寺 

靈山寺 

福藏寺 

願勝寺�

 

敬覺寺 

圓了寺 

唯念寺 

正行寺�

 

長德寺 

明道寺 

勝福寺 

得法寺�

 

淨飛田

善寺 

光源寺 

廣建寺 

明樂寺�

 

覺願寺 

慈雲寺 

聞大谷

稱寺 

淨嚴寺�

 

正善寺 

圓光寺 

西二俣

蓮寺 

淨関川

善寺

 

福因寺 

西板倉

蓮寺 

敎蓮寺 

正念寺�

 

法泉寺 

本龍寺 

勝樂寺 

本覺寺�

 

妙土寺

第8組

 

泉光寺 

長念寺 

正福寺 

養林寺

 

本覺寺 

圓性寺 

明岸寺 

勝名寺

 

蓮淨寺 

入光寺 

覺願寺 

延壽寺

 

阿彌陀寺 

稱名寺 

大嚴寺

 

淨音寺 

蓮休寺 

西方寺 

願立寺

 

源長寺 

淨琳寺 

臨行寺 

西養寺

 

向源寺 

明善寺 

慈圓寺

第11組

 

照圓寺 

鞍馬寺 

敬覺寺 

本敎寺

 

寳惠寺 

添景寺 

高德寺 

法善寺

 

妙玄寺 

専敬寺 

敎願寺 

稱專寺

 

能念寺 

一念寺 

福樂寺 

輪鳳寺

 

高源寺 

了慧寺 

照源寺

第12組

 

專德寺 

善立寺 

法西寺 

善德寺

 

德藏寺 

光善寺 

養善寺 

明善寺

 

福正寺 

光圓寺 

延慶寺 

敎念寺

 

横超寺 

西忍寺 

性德寺 

敬泉寺

 

西願寺 

德生寺 

敬德寺

第13組

 

本敬寺 

龍下荒浜覺寺 

信光寺 

淨泉寺�

 

榮恩寺 

願專寺 

龍頸城

覺寺 

最尊寺�

 

淨嚴寺 

明通寺 

松橋寺 

德專寺�

 

雙善寺 

光德寺 

了蓮寺 

養性寺

 

照專寺 

西念寺 

正法寺 

正行寺

 

養法寺 

惠光寺 

善照寺 

正森本

行寺

 

本善寺 

龍光寺 

了僧寺 

光遍寺

 

稱念寺 

船入寺 

願念寺

(二〇一六年七月一日~十二月三十一日)

以上二百五十八ヵ寺

●おくやみ申しあげます

ご生前のご功労を偲び、謹んで哀

悼の意を表します。

第1組 

雲晴寺前住職 

水莖 

芳雲

第1組 

光照寺前住職 

梅澤 

義孝

第2組 

常圓寺住職  

鈴井 

祐昭

第5組 

覺真寺住職  

藤戸 

秀庸

第6組 

照行寺前住職 

北條 

裕宗

第8組 

專長寺前坊守 

白鳥美保子

第12組 

福正寺住職  

矢島 

義昭

●おめでとうございます

◎住職任命

第2組 

常圓寺    

鈴井 

祐恭

第5組 

光源寺    

堀前 

裕見

第7組 

慶樂寺    

堀川久美子

第7組 

淨善寺    

飯沼 

正志

第12組 

德生寺    

八島 

崇成

◎得度

第13組 

光遍寺    

鳥越 

秀吾

教務所からのお知らせ

高田教区テレホン真宗法話 ☎025‐522‐0234

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2017 年 1月28日 第138号(12)ひ  び  き

このたび、井上博氏の辞任に伴

い、教区会参事会員に左記のとおり

異動がありましたのでお知らせい

たします。

教区会参事会員

朝川 

睦洋(第12組敎念寺)

教区会参事会員補充員1

黒坂 

克己(第1組寳光寺)

十二月二十二日に発生した大火に

より被災された皆様に衷心よりお見

舞い申し上げます。

被害状況については、寺院には被

害がなかったものの、ご門徒宅で全

焼四十四軒、半焼二軒の被害があり、

火災発生から三十時間をかけて、よ

うやく鎮火となるほどの大火でし

た。教

務所では発生の翌日に所長と所

員で被災地の近隣寺院へのお見舞い

と被害状況の聞き取りにうかがいま

した。二十九日にはご門徒が被災さ

れたご寺院十ヵ寺(のちに十四ヵ寺)

に、三折御本尊と勤行本をお見舞い

文章を添えてお渡ししました。

これを受け、教区としては、一月

十八日に教区会参事会を開き、教区

から見舞金を給付することと救援金

を勧募することが決まりました。

また、本山、東京教区から、そし

て山陽教区の一寺院からも見舞金を

いただき、高田教区からの見舞金と

合わせて、糸魚川市並びにご門徒が

被災された寺院に対し、一月二十六

日に見舞金をお渡しいたしました。

年末年始には、教区震災支援有志

会及び教区仏教青年会の有志による

炊き出しや被災家屋の後片付け等の

ボランティア活動が行われ、多くの

方が従事されました。

教区会参事会員の異動について

▪こもれび▪

東日本大震災で、私の姉の夫の友

人(大船渡)が津波で妻と子供二人

を亡くされました。八月のお盆にそ

の友人から電話が有り、お話しする

中で「今も時が止まったままだが

日々過ぎるにつれて、いろいろな方

から助けていただく中で、人との接

し方が変わった。」と言われました。

(本人も津波で流された)今は生か

されていることに感謝し、朝夕仏に

手を合わせる日々を送っているとの

ことでした。

私は友人のことばを通して日々生

活する中で、忘れていた言葉をいた

だいた気がしました。三人の命の重

みを感じながら、おかげさまという

思いで手を合わされているのではな

いでしょうか。

私たちは、人間関係、世間、時代、

自然など、さまざまなおかげの中で

生きているのではないでしょうか。

おかげさまで生きてきたことに気づ

くことは、その人の生活をより豊か

にすると思います。     (森)

高田教区のホームページ(http://takada-kyoku.jp)よりバックナンバーが閲覧できますのでそちらの方もご覧下さい。

『響流』編集委員会からの依頼原稿、並

びに、お寄せいただいた原稿について

は、漢字の使い方・言いまわし等、で

きる限り執筆者の表現を尊重して掲載

させていただいております。

糸魚川市駅北大火について