脊髄横断症状を呈した肺癌の1例 - core · 脊髄横断症状を呈した肺癌の1例...

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37 (欝さ靖69第齢48鞘) 〔症例検討会〕 脊髄横断症状を呈した肺癌の1例 日 時 昭和48年5月11日(金) 場 所 東京女子医科大学本部講堂 (発言者)司会 受持 文責 第2病理 鎮 目 滝 沢 梶 田 A, B, 鈴 来 田 坂 C, 夫 教授 夫 教授 昭 教授 D, E 男 助手 正 講師 (受付 昭和48年8月2日) 鎮目:症例検討会を始めます.症例は昨年12月 末に私達の内科に入院されて,今年の2月末に亡 くなった患者さんです.受持医に簡単に匿の病 歴,症状,検査所見,経過を説明してもらいまし よう. 鈴来:患者 新○芳○,40才,男性. 主訴 排尿障害,四肢の筋力低下. 家族歴 特記すべきものなし.神経疾患なし. 既往歴 虫垂切除術の他特記すべきものなし. 現病歴 昭和47年9月上旬までは冷暖房の工事 の仕事で忙しく働いていたが,中旬頃から仕事中 にフラフラするようになり,9月下旬になると食 欲低下,嘔吐が出現するようになったので,癌研 を受診したが,胃透視,胆のう造影でも異常なし と言われた.この時胸部レ線撮影は受けていな い。しかし,やはりフラフラ感と食欲不振が持続 したので近医に入院し,メニエール病だろうと言 われた.10月末になると項部から両肩にかけての 凝ったような痛みと左上肢のしびれ感が生じて来 た.さらに11月上旬になると左上肢の運動がいく Clinico・Patbologica1 Co㎡erence(88)こ らか不自由になってきた.12月9日病状が改善し ないままに退院したが,12月20日頃より排尿がし 難くなりはじめ,22日には完全に尿閉の状態とな って我慢できなくなり,当院救急外来を受診し, 膀胱カテーテルで採取してもらった. 翌23日になると急に腰から下がしびれてきて, 物につかまらないと歩けない状態になった.相変 らず尿閉が続いたので,24日に泌尿器科に入院し たが,前立腺肥大もなく,内科的な疾患ではない かと疑われて26日に内科に転科した. 経過中発熱,耳鳴,視力障害,咳喉,喀疾等は なかった. 入院時の主な理学的所見 1)左上肢と両下肢の不全麻痺. 2)第5頚髄レベル以下の知覚鈍麻と知覚異 常. 3) 四肢の腱反射充進(咬筋反射は正常). 4)バビンスキー反射陽性。 5) ロンベルグ症候陽性. 6)膀胱直腸障害. Acase of lung cancer with transverse symptoms o 一861一

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Page 1: 脊髄横断症状を呈した肺癌の1例 - CORE · 脊髄横断症状を呈した肺癌の1例 日 時 昭和48年5月11日(金) 場 所 東京女子医科大学本部講堂

37

(欝さ靖69第齢48鞘)

〔症例検討会〕

脊髄横断症状を呈した肺癌の1例

日 時 昭和48年5月11日(金)

場 所 東京女子医科大学本部講堂

(発言者)司会

受持

文責

内 科

内 科

第2病理

学 生

内 科

内 科

鎮 目

滝 沢

梶 田

A, B,

鈴 来

田 坂

C,

夫 教授

夫 教授

昭 教授

D, E

男 助手

正 講師

(受付 昭和48年8月2日)

鎮目:症例検討会を始めます.症例は昨年12月

末に私達の内科に入院されて,今年の2月末に亡

くなった患者さんです.受持医に簡単に匿の病

歴,症状,検査所見,経過を説明してもらいまし

よう.

鈴来:患者 新○芳○,40才,男性.

主訴 排尿障害,四肢の筋力低下.

家族歴 特記すべきものなし.神経疾患なし.

既往歴 虫垂切除術の他特記すべきものなし.

現病歴 昭和47年9月上旬までは冷暖房の工事

の仕事で忙しく働いていたが,中旬頃から仕事中

にフラフラするようになり,9月下旬になると食

欲低下,嘔吐が出現するようになったので,癌研

を受診したが,胃透視,胆のう造影でも異常なし

と言われた.この時胸部レ線撮影は受けていな

い。しかし,やはりフラフラ感と食欲不振が持続

したので近医に入院し,メニエール病だろうと言

われた.10月末になると項部から両肩にかけての

凝ったような痛みと左上肢のしびれ感が生じて来

た.さらに11月上旬になると左上肢の運動がいく

Clinico・Patbologica1 Co㎡erence(88)こ

らか不自由になってきた.12月9日病状が改善し

ないままに退院したが,12月20日頃より排尿がし

難くなりはじめ,22日には完全に尿閉の状態とな

って我慢できなくなり,当院救急外来を受診し,

膀胱カテーテルで採取してもらった.

翌23日になると急に腰から下がしびれてきて,

物につかまらないと歩けない状態になった.相変

らず尿閉が続いたので,24日に泌尿器科に入院し

たが,前立腺肥大もなく,内科的な疾患ではない

かと疑われて26日に内科に転科した.

経過中発熱,耳鳴,視力障害,咳喉,喀疾等は

なかった.

入院時の主な理学的所見

1)左上肢と両下肢の不全麻痺.

2)第5頚髄レベル以下の知覚鈍麻と知覚異常.

3) 四肢の腱反射充進(咬筋反射は正常).

4)バビンスキー反射陽性。

5) ロンベルグ症候陽性.

6)膀胱直腸障害.

Acase of lung cancer with transverse symptoms of spinal cQrd,

一861一

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7) 四肢の筋萎縮.

8)脳神経に異常なし.

入院時の一般理学的所見

栄養状態:不良,意識は清明,呼吸は胸腹式呼

吸,リンパ節を触知せず.血圧:正常.咳漱・喀

疾なし.眼底:うつ血乳頭なし.temporal pa110r

なし.項部強直・ケルニヒ症候なし.胸部:打聴

診にて異常なし.腹部:異常なし.

入院時の検査所見

血液一般:貧血な:し,白血球増多なし.

尿:蛋白(一),糖(一),沈渣にて白血球多数.

血沈:3-32-57㎜,

血清生化学:異常なし.

ワッセルマン反応:陰性.

一5m1 腰椎穿刺による髄液検査:圧120mmH20一一→

100mmH20,クエッケンステット陰性,水様透

明,バンディー反応(十),ノンネ・アペルト反応

(什),細胞数7613(リンパ球),ワッセルマン反

応陰性.

頚椎,胸椎レ線写真:異常なし(写真1~4).

胸部レ線写真:(写真5~8).

鎮目=胸部レ線の所見を滝沢教授に御説明いた

だきましよう(写真5).

滝沢:この胸部単純レ線写真についてまず学生

さんどなたか読んで下さい.

学生A:左肺門部に腫瘍陰影があります.大き

さは鳩卵大,比較的均等な陰影で周囲には八つ頭

様の線状の陰影もみられます.

滝沢:だいたいそのとおりですが,ただ均等な

陰影というより多少濃淡のある陰影だろうと思い

ます.境界は割合sharpで,上の方で少し放射

状影のようなものがみられます.それから腫瘤陰

影の右側の方にやはり小さな腫瘤陰影の重複がみ

られます.それでは大体どのあたりに出た腫瘤だ

写真 2

写真 1 写真 3

一862一

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写真 4

写真 5

愈@7

と思いますか.

学生B:前の方だと思います.

滝沢:この領域の陰影であれば前の方でしたら

B8であり,後の方でしたらB6領域であろうと言

えます.前の方にあるか後の方にあるかというこ

とは,側面像や断層撮影をみればわかりますが,

側面像でみると前の方にあり,大体Bl領域だろ

うということになります(写真6).この側面像

からみると腫瘤陰影はところどころ分葉を持つよ

うな形をしており,濃淡もみられます.背部から

12,13㎝の断層写真でみるとやはり腫瘍陰影は多

少分葉をもつたような形をしており,さらに腫瘍

陰影から血管陰影のようなものが出ているのがわ

.響∵‘ゆ…

写真 6

写真 7

かります(写真7).これはおそらく肺静脈系の陰

影で,末梢から腫瘍の境界まで追いかけることが

できるようです.しかし動脈系の陰影はこの断層

写真では出ていません.一般に炎症性の病巣であ

れば病巣の転機に伴なって萎縮等の変化が加わっ

て来ますから,その周辺の気道や血管に変形や走

行異常がみられるわけです.一方,腫瘍の場合に

は炎症と違ってexpansiveに増殖して来ますから

気管支や血管の走行には変形を伴い難いというこ

とが言えると思います.

この症例では周辺にみられる静脈系は腫瘍陰影

の辺縁まできれいでスムースな走行をとっている

ことから,この陰影は癌であり場所はB3領域だろ

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写真 8

うと思います.肺門腫瘤型の場合,肺葉気管支あ

るいは主気管支あたりに発生した癌でございます

と,一般に狭窄状態を起した時期には分泌物の貯

溜によって感染を起こし易くなり,肺炎を繰返し

て起すようになりますし,あるいは完全閉塞を起

こしますと無気肺の形をとってくるわけですが,

興野では肺門腫瘤形として比較的きれいな形をし

ていますからおそらくそれほど大きな気管支では

なく,肺葉以下あたりの肺門近くの気管支から発

生した癌であろうと思われます.側面の断層写真

ではむしろ正面像より奇怪な形をとった腫瘤陰影

であることがわかります(写真8).一般に癌に絶

対的に特徴的な所見というものはないのですが,

以上の所見からかなり癌を疑える所見であると思

われます.

鎮目3それではその他の検査所見について述べ

て下さい.

鈴来:筋電図ではelectrical silentでした.筋と

末梢神経の生検では,筋原性の萎縮とか神経原性

の萎縮とかいった特徴的な所見はみられませんで

した.喀疾の細胞診は5回行なっておりますが,

そのうち1回class v squamous cell carcinolna

という返事をいただいています.

鎮目:そうすると肺癌であることは確かなわけ

ですが,経過中に神経症状が非常に速く進みまし

たのでそのことについて説明して下さい.

鈴来=入院時は左上肢,両下肢の不全麻痺があ

り,知覚はC5レベル以下の知覚鈍麻がありまし

たが,入院後急激に症状が進み,約1週間後には

完全な弛緩性四肢麻痺になり,知覚もC5レベル

以下で完全な知覚麻痺となりました.反射は入院

時下顎筋反射は正常でしたが,それ以下のレベル

の腱反射は全部雄羊しておりましたぢバビンスキ

ー反射は入院時2~3日間陽性でしたが,その後

は陰性となり,腹壁反射,二期筋反射は消失して

おりました.しかし完全な弛緩性四肢麻痺の状態

になった時,一過性に上腕二頭筋反射,膝蓋腱反

射,アキレス腱反射の消失がみられましたが,2

~3日で再び充干し,以後2月末まで反射に関し

ては変化がみられませんでした.この時点で急性

多発性硬化症の脊髄型ではないかということでプ

レドニン80㎎を毎日使用しましたが,神経症状の

改善は全くみられませんでした.全身状態では入

院後1週間ぐらいしてから咳漱,喀疾が出はじめ

ました.またこの頃から胸廓の運動にも制限が来

はじめ,腹式呼吸となり,呼吸困難を訴えるよう

になったため気管切開を行ない,bird respirator

を装着し補助呼吸を開始しました.1月中旬にな

ると褥創が背部と啓部に生じ,次第に大きくなっ

て啓部の褥創は深くえぐれて直径も20c皿ぐらいに

なりました.2月初旬になると,左横隔膜の挙上

がみられ,この頃から胸が圧迫されたようで苦し

くて仕方がないと強く訴えるようになりました.

さらに頚の向きがいつも右向きをとった状態でし

た. 2月下旬になると頻脈,高熱が生じ,膀胱

炎,褥創,気管支炎,肺炎等の感染症を併発し,

全身状態も悪化してさらに2月下旬になると意識

も昏迷状態となり,さらに無尿,血圧降下を来た

し,死亡いたしました.

以上の経過を簡単にまとめますと,昨年の9月

中旬頃から食欲不振,フラフラ感が出現し,10月

上旬になると左上肢のシビレ感が出現,12月下旬

に急に排尿障害を来たし,それから約1週間の経

過で神経症状が急激に進み,四肢麻痺,C5レベ

ル以下の知覚麻痺を来たし,ステロイドの大量療

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法にもかかわらず改善の傾向がみられなかったと

いうこと,さらに入院時の胸部レ線で肺癌と思わ

れる所見がみられたが,入院までは全く肺癌によ

ると思われる症状はなかったということです.

鎮目:この患者さんはアナムネーゼからみると

初め癌研を受診した時は消化器の病気ばかりを考

えられて,消化器系の検査では異常がなかったと

いうこと,次に他の医師にかかったらフラフラす

るということでメニエール病だろうということで

胸に異常があろうとは夢想だもされずレ線もとっ

ていなかったということです.こちらに来たのも

内科ではなく,尿閉で泌尿器科に来られた患老で

す.そのころはまだ何とかつかまり立ちしながら

歩くぐらいはできたわけですが,こちらの内科に

神経の病気として転科された時点で調べてみた

ら,肺にこういう変化があって,そちらの方は肺

癌だろうとだいたい診断がついたわけですけれど

も,神経の病気が何だろうかと非常に問題になっ

たわけです.この問題についてこれから少しディ

スカッションしょうと思います.学生さんに答え

てもらいたいのですが,神経の病気について場所

はどこだと思いますか.すなわち脳か脊髄か末梢

神経か,脊髄にしてもどこだろうかと場所とその

性質についてどう考えますか.

学生C:脳神経に異常がないこと,四肢麻痺,

C5レベル以下の知覚障害があることから頚髄レ

ベルの障害だと思います.

鎮目=それでは頚髄がどんな状態でやられてい

るかということですが,この症例検討会の題にあ

るように横断症状を呈したということでみんなな

れているわけですね.それでは病気としてはどん

なものが考えられますか.

学生D:脊髄炎と多発性硬化症が考えられます.

鎮目:他にありまぜんか?.

学生E:肺癌からの転移も考えられます.

鎮目:いくつか出たわけですが,他になにか意

見はありませんか?.

学生F:転移にしては症状の進み方が早すぎ

る.いろんな症状が殆ど同時にでているというこ

とで転移は考えにくいと思います.

鎮目:他に意見がありますか.それでは前出さ

れていた田坂講師に臨床的に私達がどう考えてい

たかを説明していただきましよう.

田坂:本旨は横断性脊髄炎の所見がありまして

それは非常に経過が早く起きております.こうい

った脊髄横断症状を起こす疾患を系統的に考えて

みますと,まず第一にこれが脊髄原発のものか,

あるいは肺の腫瘍と関係があるかどうかというこ

とが問題ですが,一応ミックスして考えてみます

と,多発性硬化症が可能性として一つあります

が,多発性硬化症というのは非常に経過が早いタ

イプもあるそうですが,一般にはもっと寛解を起

こす程度にマイルドではないかと思いますし,こ

れほど常に進行性ともちよつと考えにくいし,そ

れからまた眼の所見として球後性視神経炎がある

といわれていますが,本例ではそういう所見もな

く,またステロイドも効果がなかったし,髄液の

所見も殆ど異常がないという点からちよつと考え

にくいと思います.それから脊髄炎ですが,その

一つにnecrotizing myeHt量sというのが成書には

書いてありますが,これは病因はわからないんで

すが,腫瘍と合併することがあるということです

が,それにしても症状が激しすぎるような感じが

します.それから肺癌の転移も常識的に考えたく

なりますが,脊椎にはさきほどのスライドでみる

ように変化がみられないことから,extramedullar

でintraduralの転移ということも考えられると思

いますが,それにしては髄液の所見で細胞蛋白解

離といったものもみられないし,圧も正常でこれ

も考えにくい.症状の進みからいって,上から下

の方へ運動麻痺と知覚障害が進行しているようで

すし,膀胱直腸障害が非常に早くから出現したこ

とからいってintramedularに何かspace occupying

lesionがあり,それが発育していると考えるのが

いいのではないかと思います.特に肺癌や乳癌で

はintramedularに転移を起こすことがめずらし

くはないそうですし,そう考えるのもあまり不自

然ではないと思います.それから因果関係はわか

りませんが,悪性腫瘍にnecrotizing myelitisが

合併することがあるそうですが,それも考慮して

おかないといけないと思います.多発性硬化症に

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ついては,脱髄抗体を調べれば相当な程度でわか

りますすが,旧例ではやっていないのでなんとも

言えないと思います.

鎮目:どうも有難うございました,受持の先生

はどう考えたか,また死因,臨床診断についても

付け加えて下さい.

鈴来:discussionでだいたい出つくしたと思い

ますが,神経学的には横断性脊髄炎でレベルの上

限は中部頚髄だと思いますが,下限についてはわ

かりません.しかも田坂先生のおっしゃったよう

に症状の起こりかたから言ってintramedul註rの

変化が先行したと考えたほうがいいのではないか

と思います.経過が非常に早いということから,

もう一つ血管障害による病変も考えなけれぽなら

ないと思いますが,周知のように,脊髄は前脊

髄動脈と後脊髄動脈とから血液の供給を受けてい

るので,例えばある一ヵ所の動脈閉塞等でその支

配下の血流が障害されても,脊髄の横断症状は呈

さないと思います.旧例では肺癌はかなりはっき

りしていますので,どうしてもそれと脊髄病変を

結びつけて考えたくなりますが,肺癌からの脊髄

への転移は頻度としてかなり多いということ,特

に肺癌の場合,早期に脊髄症状が出て,しかも経

過が非常に早く2~3日のうちに完全な横断症状

を呈することが多いということを強調している報

告がありました.また田坂先生もおっしゃった

ように肺癌等の悪性腫瘍にいわゆるnecrotizing

myelitisを合併することがあり,しかもこの場合

も経過が非常に早いということを強調している報

告もあり,いずれにせよ本例はこれらの報告にあ

るのと全く良く似た経過をとっていることから,

やはり肺癌が基礎にあってその転移かあるいはそ

れに合併したnecrotizing myelitisか,いずれか

であると考えたほうが自然であると思いました.

最終的な臨床診断としては,①肺癌,②中部

頚髄の横断性脊髄炎,③膀胱炎,④肺二炎,⑤

褥i創としました.

鎮目:最後の熱は何だと思いましたか.

鈴来:これは膀胱炎,褥創,肺炎のための熱で

はないか,それからこの頃15,000程度の白血球

増多症があり,血液像で1eukemoid reactionの像

がみられましたので,あるいは敗血症の状態どな

ったのではないかと考えました.死因としては,

結局全身的な衰弱ということだと思いますが,乎

・ヅク状態が続き無尿となってついには昇圧剤や

強心剤にも反応しなくなって亡くなりました.r

鎮目:どうも有難うございました.それでは次

に病理の梶田教授にお話ししていただいて,それ

からまた少しdiscussionしょうと思いますが,そ

の前に何か質問とかご意見がありませんか.

滝沢:この例では肺癌なのですが,癌性ノイロ

パチーというものを全く考えないでいいのかとい

うこと,necrotizing myelitlsとし・う病気を私は

あまり知らないんですが,これをみたとき癌性ノ

イロパチーということも考慮しないといけないの

ではないかと思いますが.

鎮目=田坂先生何か.

田坂:お答えす.るほど知らないんですが,癌性

ノイロパチーというのは確かに肺癌の場合に良く

みられるということですが,症状としては私が成

書で読んだところでは小脳症状が主であると理解

しております.

鎮目:癌性ノイロパチーというのは剖検ではあ

まり変化がないんじゃないかと思いますが.

滝沢:いや変性が起るんですね.

鎮目:これは症状があまりにもひどい.

滝沢:かなり急激に来ていますので癌性ノイロ

パチーでこんなに来ることはまずないだろうとは

思いますが,一応,小脳症状を呈するものとか,

いわゆる多発性神経炎様の症状を呈するもの,ミ

オパチー様の症状を呈するもの,その混合型とい

うものがあると思います.ただ肺癌の中でもoat

cell cancer typeいわゆる未分化癌の場合が頻度

としては多いということです.

鎮目:肺癌の時こういう頚髄の症状を呈するこ

とがあるという文献があるらしいんですけれど,

それは剖検のお話のあったあとで受持から話して

いただこうと思います.それでは梶田先生にお願

いします.

梶田:それでは解剖の結果をお話しします.今

お話しがありましたように,本志は,神経系とく

に脊髄の病変を疑わせるような臨床症状があっ

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て,その本態が何であったかということが第1に

問題になります.第2番目にこれも臨床的にすで

に発見されております肺癌,相当高い頻度で転移

の存在が予想されるわけで,転移がどういう規模

で起っていたかということ,それが第1の脊髄の

症状と直接関係があるのか,あるいはないのか,

そういうことを中心にしてお話しいたします.ま

ず順序として肺の変化から申し上げます.

左肺の上葉に,ちょうどX線写真で見えたと同

じくらいの,位置も大きさも大体一致する腫瘍が

あります(写真9).位置はB8とB1.2の主幹には

さまれたところで大きな気管支と直接の関係を持

たないようです.直径は大体3.5㎝ぐらいで,と

ころによると境界が非常にはつきりしています

が,浸潤性に周囲にひろがっているところもあり

ます.

組織像(写真10)は腺癌です.全体にこういう

分化を来しているわけではなくて,小細胞性の未

分化癌の像を示すところが多いんですが,視野を

写真9 両肺,心を含む前額断.大気管支を含むレ

ベルよりやや前方.左上葉の腫瘤を示す.

写真10 肺腫瘍の組織像.腺癌.

1熱殊

,撹

写真11 脳幹の転移.両小脳半球を取り去って第4

脳室腔を上からみたところ,

写真12 中部脊髄}こおける癌転移の組織像

撰べば腺癌のところもあり,この方向へ分化の可

能性をもつた腫瘍ということです.肺癌というの

はもちろんふつうは気管支癌で,大きい気管支の

どこかに気管支粘膜の正常からの移行像,癌化像

がみられるものが多いんですが,この例では今申

しましたように,大気管支と直接の関係をもたな

い,スライドはB1+2の分枝,ここに浸潤がみら

れますが,これなどは深部から出て来てここへ顔

を出したということで,この周囲の上皮との移行

はabruptですね.突然に変っておりまして,こ

れから発癌したという像ではなく,組織学的に

hiatusがあるということです.

次に転移ですが,肝臓と肝門部のリンパ節に肺

の癌と組織学的に同種のものと思われるものがみ

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られましたが,さらに小脳,脳幹,脊髄に転移が

発見されたのであります.スライドは右小脳半

球,上半月葉のところに当りますが,軟化して空

洞化しており,一見膿瘍のようになった転移がみ

られます.もう一つは脳幹部で(写真11)橋,延

髄から出て第4脳室の内腔を埋めるような形で増

殖しています.橋から小脳へ行く中小脳脚に浸潤

して小脳の歯状核の近くまで行っている.組織像

でみますと,核の大きいクロマチンの豊富な癌細

胞がここへ浸潤しているのがわかります.

ここまでで癌に関する事項をまとめてみます

と,第一に肺の病巣は大きい気管支との直接の関

係は証明されないが,孤立性であり,この点では

やはり転移性の肺癌とは考えにくい.第二にはそ

れにしても他に原発巣がないかと探してみました

がどうも見つからないということ,第三に,脳と

肺と肝臓という増殖の様式は,例えば甲状腺癌と

か絨毛上皮腫といったほうぼうへばらまかれる形

をとるものもありますが,そういう特殊なものを

除きますとやはり肺癌が考え易い.こういうこと

からいって肺癌とその蔓延ということで解釈して

よろしいと思います.

次に脊髄ですが,解剖した時に,頚髄のほぼ全

長にわたって軟化壊死が認められたと記録されて

います.固定した後にその部分を見ますと,こわ・

れていますが,一見変化がなさそうだということ

で,この部分を保留しまして二部から延髄にか

けての転移で臨床症状を説明できないかと考えて

みましたが,どうもうまく説明できない,それで

もう一度頚髄を調べてみました.肉眼的に見ます

と,C4からC6ぐらいがこわれていまして,その部

分をあらためて切ってみますと,これがほとんど

癌組織でおきかえられている状態で,辺縁にごく

僅かに正常な脊髄の組織が残っています.組織濠

をごらんに入れます(写真12).C1あたりをみま

すと主に後索の脱髄がみられ,胸髄になると前・

側索の錐体路に脱髄がみられます.いずれもノイ

ロンの途中で,横断性の脊髄破壊によって変性が

おこったとして説明がつくと思われます.

肺の方は,局所の発育は比較的小規模であっ

て,肺門リンパ節への転移もないにもかかわら

ず,肝臓,中枢神経系に転移がありまして,中枢

神経系では小脳,橋,延髄,i頚髄という異例の分

布を示したために,症状もまた特異であったとい

うわけであります.

鎮目:どうも有難うございました.何か梶田先

生にご質問はありませんか,ないようでしたら受

持の先生に尋ねたいんですが,解剖の結果はいま

ご説明があったようなことで頚髄の変化はわれ

われが相当予測していたような結果なのですが,

そのほかに小脳と橋,延髄にも変化がありました

が,その点についても入院時は脳神経に異常がみ

られるということでしたけれどもふりかえってみ

るとこういう点があったということがありますで

しょうか.

二二:入院時は脳神経には異常がみられなかっ

たと思います.経過中四肢麻痺の状態になり,ま

た気管切開を行ないbird respiratorをつけたまま

の状態となりましたので,充分な神経学的な検査

がやりにくくなったということもあり,:気をつけ

て診ていたつもりですがはっきりしたものはっか

めませんでした.しかしふりかえって考えますと

1月頃から二二になったということですが,気管

切開をやっていましたのでそのせいではないかと

思っていましたが,あるいは第X脳神経の障害で

あったのかもしれません.それから2月中旬より

強い咽頭痛を訴えるようになりましたがこれも気

管切開や気管内チューブのせいかと思っていまし

たが,あるいはこれも野田脳神経の刺激痛であっ

たかもしれないと思われます.それにこれも途中

からいつも頭部を右側に向けて固定した位置をと

った状態でしたが,これも七日脳神経の症状だつ

たかもしれなません.

鎮目:それでは滝沢教授からご意見があった癌

性ノイロパチーと考えられないかということと関

連して肺癌の時にこういう頚髄の症状を呈するこ

とがあるという文献を調べられたということです

が,そのことたついて少し話して下さい.この例

では転移があったということで説明がつくわけで

すが,一般的な問題として.

鈴来:本例では肺癌と脊髄横断症状という大き

な病変が2つ重なったわけですが,この2つの病

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Page 9: 脊髄横断症状を呈した肺癌の1例 - CORE · 脊髄横断症状を呈した肺癌の1例 日 時 昭和48年5月11日(金) 場 所 東京女子医科大学本部講堂

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変が全く偶然に重なって起きたと考えるのか,あ

るいは2つの病変の問に何らかの因果関係がある

と考えるかということが問題になったわけです.

しかしこの2つの病変が関係なく,たまたま同時

に起きたと考えるより,何らかの因果関係があり

そうだと考えるほうが自然なよう.に思えましたの

で,こういう例が他に報告がないかと思って調べ

ましたところ,面白い文献が2つほどみつかりま

した.

1つは肺癌の場合思ったより高い頻度で脊髄へ

の転移がみられるということで,しかもその場合

特上的なことは,肺癌の転移によるものでは他の

癌の転移によるものに比べて呼吸器症状に先行し

て神経症状で初発することも多く,しかもその進

み方が極めて早く,本島のように数日のうちに脊

髄横断症状を呈することが多いという報告でし

た.

もう1つの文献は悪性腫瘍,中でも肺癌が一番

多いのですが,それにnecrotizing myelitisを併

発したという例を9例ほどまとめた文献で,これ

も臨床症状としては全く本例と同様で,神経症状

の進展が極めて速く脊髄横断症状を呈したという

ものでした.この報告では転移による壊死ではな

く,いわゆる脱髄性疾患のうちに入るものとして

記載しているようです.

次に癌性ノイロパチーとの関連ですが1先ほど

田坂先生が述べられたように,癌性ノイロパチー

では小脳症状を呈することが多いという点につい

て考えると,悪性腫瘍に合併したacute necroti-

zing myelitisでは,脱髄病変は脊髄に限らず同

じように小脳にも及んでいる例の記載もありまし

たので,悪性腫瘍のときにみられる癌性ノイロパ

チーとacute necrotizing myelopathyとは,ある

いは同じような範疇に属するものではないかと私

は勝手に想像しておりますが,それ以上には調べ

ておりません.

鎮目:有難うございました.鬼頭先生が前に確

か京都大学で肺癌の患者で同じような脊髄横断症

状を呈した例を解剖してみると,転移はなくて,

necrot三zing myelitisであったという報告がある

のであるいは本例もそうではないかと言っておら

れたのですが,解剖の結果本例では転移であった

わけです.しかし転移など腫瘍によるものでは神

経症状がもっとゆっくり来るのが普通ではない

か,脊髄が腫瘍によってoccupyされてしまう前

に何らかの血行障害が起って急に症状が進んでも

いいでしょうし,あるいは圧迫がある時期を期し

て急に症状を呈するようになったと考えることも

できるのではないかと思いますが,梶田先生この

ことに関して何かご意見はありませんでしょう

か.

梶田:脊髄の転移は,大きさとしては非常に小

さなものだと思います.ですから,これが例えば

大脳にできれぽ,ほとんど無症状なものであった

かもしれないのですが,脊髄では神経路が集中し

ていますから,一度転移がおこれぽ,小さなもの

でもかなり激しい症状を呈するのが普通だと思い

ます.それから小脳の転移巣は空洞化していまし

たから,かなり古いものではないかと思います.

そうすると,9月中旬からのフラフラする感じと

いうのはその時期にすでに小脳に転移があって,

そのような症状がでたのかもしれません.

鎮目=どうも有難うございました,他にご意見

はありませんか.

滝沢:これは反省ですが,細胞診で扁平上皮癌

とでていたので,そうだとすれば隣接臓器への転

移は多いのですが,血行性に遠隔転移することは

少ないので,転移性で旧例のような中枢神経系の

病変を起こすことは少ないのではないかと考えて

いたのですが,解剖してみると腺癌あるいは未分

化癌ということで,それなら転移性に本例のよう

な中枢神経系の病変も比較的起こしやすいという

ことで臨床をやっていくうえでわれわれも充分考

えていかなけれぽならないと思います.

鎮目:どうも有難うございました。他にないよ

うでしたら今日の症例検討会はこれで終りたいと

思います.

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