梵語音の仮名表記を巡って - 広島大学 学術情報リポ...

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梵語音の仮名 目次 一、梵語重子音の仮名表記 1 悉曇章を中心とする梵字音の仮名転写 2 漢訳陀羅尼の仮名転写 3 法華経陀羅尼の仮名転写 二、梵語音と漠字音の仮名表記 訓点資料は、従来、そこに記入されている日本語に注目し、国語資料としての った。訓点資料が国語資料として、和文系資料の欠を補うものとして導入されたと のであるが、別にこの資料群は、首本語と外国語との接点に存在したという大きな特色 に在ったという視点から、この訓点資料群は従来の研究にも活用されて来たのではあるが、 梵語音の仮名表記を巡って

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梵語音の仮名表記を巡って

目次

序一、梵語重子音の仮名表記

1 悉曇章を中心とする梵字音の仮名転写

2 漢訳陀羅尼の仮名転写

3 法華経陀羅尼の仮名転写

二、梵語音と漠字音の仮名表記

沼  本  克  明

訓点資料は、従来、そこに記入されている日本語に注目し、国語資料としての視点から取り上げられるのが主流であ

った。訓点資料が国語資料として、和文系資料の欠を補うものとして導入されたという由来を考えれば、それは当然な

のであるが、別にこの資料群は、首本語と外国語との接点に存在したという大きな特色を有している。外国語との接点

に在ったという視点から、この訓点資料群は従来の研究にも活用されて来たのではあるが、それは主に中国語との接点

梵語音の仮名表記を巡って

鎌 倉 時 代 語 研 究                          六

に在ったことに焦点が置かれ、日本漠字音の研究に殆ど絞られて来たといって良いであろう。しかし、この外国語との

接点に存在したとする、その外国語には、中国語の他に、もう一つ梵語(古代サンスクリット語)が含まれていたとい

ぅ点が看過すべからざる重要な意味を持っている。勿論、従来の研究においても、この梵語が全く問題にされて来なか

ったというのではないが、どちらかと言えば、それは漢語(中国語)研究の添え物としての取り扱いであったと言わね

ばならないと思う。その背景には、梵語音は、対注漢字を通して学習されていたという考え方があった訳であって、概

して言えば、漢語主、梵語従という比重を置かれながら論じられて来たという観を拭えない。然し、筆者は、平安朝初

期以降の入唐僧らは梵文を直接学習研究の対象としていたと考え、平安朝初期以降の訓点資料、就中、後世への影響と

いう点から極めて重要な位置に在る密教系のそれについて言えば、中国語と梵語はこれ等を互いに区別して取り扱うべ

きものではなく、一体の外国語として見るべき必要が有るように思うのである。

従来、密教系の仏典に含まれる梵語は漢訳されているために、その梵語は、中国語の側からこれを観察分析の対象と

して見るのが主たる研究方法であった。つまり、中国語を通して梵語を見るという方法であったために、陀羅尼の研究

も、漢訳陀羅尼のみが研究対象として取り扱われていたと言わねばならない。そこに一種の陥穿或いは盲点が有ったよ

うに思われる。

例えば、四声点の実用、有無気音の識別、清濁音の識別、及びそれ等のH本語への適用は、専ら中国語(漢字音)と

日本語との対照から発生したものという捉え方が常識であったと思われる。然し乍ら、これ等の最初期の姿を具体的に

観察してみると、むしろ梵語音の学習のため、梵語と日本語との対照から出発したと思われる部分が少なくない。亦、

梵語とも中国語とも区分出来ない、両者が融合した「外国語」との対照から出発したと考えられる部分も存する。

三内撥音や三内入声音及び拗音の識記や表記法の形成も、我々は中国語の日本語への取り入れの問題としてのみ取り

扱って来たが、これ等も、平安朝人にとって、梵語学習においても亦重要な問題であった訳である。

この様に考えてみると、本邦人が接した「外国語」には中国語と梵語とが対等に位置するものとして分析して行く必

要が有ることは明らかであろう。現実に、先に言及した平安朝初期末以降の密教系の訓点資料は、正に漢語と梵語が融

合して存在している資料群なのである。密教系の訓点資料を外国語との接点に在る資料群として総合的に把えてみる必

要が有る。

本稿では、以上の様な問題意識の下で、外国語の仮名表記法という視点から、平安時代から鎌倉時代の具体的な訓点

資料を取り上げて論じてみることとする。

一、梵語重子音の仮名表記

日本語は母音「、乃至子音三と母音一つの形で、Ⅴ、CV構造として記述できる音節を原則とし、万葉仮名もこ

の音節の表記に沿う形で形成されて来た。中古漢語の音節構造を、これにならって記述すると、Ⅴ・CV・CSV・C

VV・CVC・CSVCの構造になる。これ等は、日本語の中に取り入れられるに際し、仮名で表記出来る形に組み直

され、最終的には次の様に変化して定着した。

Ⅴ 阿1ア V

C V 他1夕 CV

CSV去1キヨホCSV(S=・且、CSV化1クワホCSV(S=u【)

CVC察lサツCV+ホC(1CV+CV)、CVC三1サム CV+ホC

C V V 教1ケウ C V+V

CSVC出lシユツ CSV+ネC(1CSV+CV)、CSVC春1シュン CSV+ネC

梵語音の仮名表記を巡って

鎌 倉 時 代 語 研 究

右の中の、*印の音節が新たに日本語の中に生じることになった。

扱、では梵語の場合はどういうことになるであろうか。

梵語の日本語に対する大きな特徴は、それが重子音言語CCV・

l\ノ

C CCV・・・であるという点であった。も

ぅー方の外国語である中国語にもこの重子音は存在しなかった。この重子音を日本語に取り入れる際にどう処理したか

(1)

については、従来、ヨーロッパ語との接触以後の外来語の表記の問題として言及されることが有ったのであるが、実は

古い梵語との接触においても、この間題は存在したのである。

先ず、最初にこの重子音の問題について、順次古い梵語資料を取り上げて考察しておくことにする。

l、悉曇章を中心とする梵字音の仮名転写

先ず、梵字そのものを本邦人が読んで振り仮名を加えた資料を、平安初期から順次取り上げてみる。

①悉曇章羞守和砦敗(外題) (東寺蔵)

霊厳寺和尚円行<七九八~八五二>の伝が有る。付載の仮名字体表によってうかがわれる様に平安初期九〇〇年以前

の加点と推定できる。

先ず、二重子音字の場合について、若干例を抜き出して示してみると次の様である(用例では原本に有る対注漢字は

省略した。尚、以下、

梵字は原則としてローマナイズして表記した。

コサ〓合

k芯

kra

tra

キシ二合

ksi

クス〓合    キセ二合

ksu kse

キ才二合    コソウ〓合   コ章二合

ksai ksO

キリ

kriチリ二合

tri

カノ ロ

kru

ツル二合

tru

キレエ

kreテ レ

tre

krai

テラエ

trai

コ ロ

krOトロウ

trO

k篭u

krau

タラウ

trau

)コ三二合    コサク二合

k票召  ksah

カラム     カラク

kra噌  krah

タラム     タラク

tra眉  tra廿

◎ 害a

◎ kva

炎リ     牛ル

ぺri   くrO

キヒ     ク母

kま   kくu

英レエ

く「m

キヘエ

F<〔

くre

キハエ    コ母ウ

k

a

i

k

次に、三重子音字の例を若干示すと次の様である。

◎ k胡ra

◎ k竃a

k竃a廿

 

 

◎ k笠ha

◎ rksa

キシリ

k調ri

キシ央

ksロi

コ ソロ

k笠u

ksmu

キシレエ

雷「〔クスホ

ksロu

キシレエ

k篭ai

 

ksロe

キ シ L

F芝J一

エリキシ

ク ス l

k巴iu

ウルクス

キシセエ

k朝jhe

イリキセエ

キ シサエ

k棚jhai

イリキサエ

コソロ・ワ

k笠O

k胡mO

コソL ウ

k胡jhO

ヨロコソ

馬ラウ

drau

カ甥干

kくau

コサラウ

k笠au

キシ馬エ

k朝日ai

コ サ ト ウ

k笠hau

アラコサウ

椙ラム

くra眉

カハム

Fく眉

コサラム

k朝ra眉

コソ馬ウ

k竃au

コ サ ト ム

k朝jha召

アラコサム

rk調i rksu  旨se

rksPi rksO

rksau rksa眉

<ra甘

打く昔

コサラク

ksra甘

コソ馬ム

k竃a眉

コ サ ト ク

k笠haす

アラコサク

rk竃廿(r音には1音との区別の為に文

字頭にア行書を加えている。)

右の例によって知られる様に、重子音の表記は、母音を揃える方式が取られていることが明らかである(この方式を

ここでは「母音調和式」と仮称することにする)。次の様にである。

kril雲、kraul認寸、k雪il蔓し、k書○↓]苫、k竃○↓]寓

もっとも、完全に揃えていないもの、例えば、

krel雲H、trel等k棚rel苦言、k朝Iaul宣豊

の如きものが出現するが、大旨これ等は、エtィ、オ‡アの間の様な、近似母音の範囲での交替と言えそうである。

基本的には、「母音調和式」で振り仮名が加えられていると見ることが出来るのである。

所で、これ等の方式が、対注漢字の漠字音の読みによって当てられた仮名かどうかが問題になるが、そうでないこと

は、次の様な例を示すことによって、容易に知ることが出来る。

梵語音の仮名表記を巡って

鎌 倉 時 代 語 研 究                        一〇

右の様に、対注漢字は、本悉曇章の場合は、前に立つ子音は、全て同〓漢字で統一されているのである。他の例も全く

同じ方法で対訳されている。

②大悉曇章(東寺蔵)

(2)

加点時代の手掛かりは具体的なものは存しないが、築島裕博士に従って九三〇年頃として取り扱う。付載の仮名字体

表によって見ると、若干下げた方が良いかも知れない。

部分加点であるので、仮名の有る部分のみを抜き出して若干例を示してみる。

ロサ      D シ

◎ k霊  k胡i

クス     キセイ     キサイ    クス     クサウ

k切u k霊  ksai ks

◎◎◎◎◎

kraサラ

Cra

キサラ

k竺a

キサハ

k等aタサ

ー抄a

ク ロ

kruシ リ

Cri

キロロ

kヱiキ

k昔iケ シ

t払i

ケレイ

kreソ ロ

Cru

クスル

k胡-u

クスフ

k等uト主

t払u

krai

セレイ

Cre

キセレ

kヱe

キセへイ

k昔e

テイセイ

t訂

ク ロ

krOサライ

Cra-

キサティ

富一P一

キサハイ

k昔ai

タイサイ

t払ai

ーぷ○

カラ

kra

ソ ロ

〔「ロ

クスk

クスk

 

ソtg

k芯u(本資料には対注漢字無し)

ウu

Crau

ロ    クサラウ

O ks-au

フ    クサハウ

O ksbau

タサウ

t弥Pu

サラ

本資料の場合も「オJ」の行の例に典型的に見られる様に、母音調和式で振り仮名が加えられている。但し中に、

奇の様なk篭主の如き例が有。、これは①には見られなかったものである。これは、響度の低い狭い母音iを持つ

音節(仮名)を選択したもので、以下これを「母音消去式」と呼称することにする。

③悉曇章着火仰望全票与本(外題) (東寺蔵)

(3)

本書は南北朝期に東寺賢宝によって転写された本であるが、その原本は平安中期九五〇年頃に位置づけ出来るものと

判断されるのでここに序でる。但し、賢宝が原本を転写するに際し、判読出来ないままに写したり、場合によっては改

変したのではないかと思われる不審な部分が含まれている。然し、原本の平安中期の面影は十分にうかがうことが可能

である。

若干例を抜き出して見ると次の様である。

キサ     キシ

◎ k霊  k朝i

 

 

 

◎ kya Fyi

キサヤ    キシイ

◎ k篭a k篭i

1

 

 

 

 

r

 

 

 

 

 

◎ cra cri

 

 

ク ス

k.∽責

キイ

ky叫

k等u

クル

kruシ リ

CrTバラハ?

tru

基本的に母音調和式であるが

キセイ     キサイ

k竃  k芯i

クユ     キエイ

k

y

u

k

y

e

キサエイ    キサヤイ

k竃e k竃ai

クル     キアレイ

kru kre

火ル     シアレイ

C

r

u

C

r

e

茶レイ    茶ライ

Te Tal

「奇k軍を「コ

キ ソ

k篭

キヤイ

k竃i

キソヨ

カライ

krai

シアライ

Crai

貯 ロ

マ○

キサウ

ksau

クサムキアム又カサムキサ カサ クサ

k苫屋  k簑tF

キ・ヨ

kyO

□ ロ ウ

k篭au

去 ロ

krO溝 口

〔「○

茶ラウ

trau

キヤウ

kyau

キサヤム

k篭a召

キアラウ

krau

サラウ

Crau

茶ラム

k雲召

キサ

富竃T

キアラム

二.-∴・

シアラム

Cra層

 

(対注漢字は省略した)

キ ヤ

k冨甘

kr昔サ

 

Crah

T叩  Ta廿

(カ)サ」形でなく「キサ」と表現しているのは、②と同じ方法が採

用されたものということになる。

④悉曇章芸大師納采(外題) (東寺蔵)

(4)

本書も③と同じく南北朝時代の東寺賢宝転写本である。その原本は天元五年(九八二)の大西阿閣梨御房の読点であ

るという。賢宝はその朱点が繁多であったので省略してしまったと言う。本文には所々に朱点の仮名と声点が残されて

いる。従って正確には平安中期天元五年の全貌を知る訳には行かないが、参考にはなると考えられる。賢宝は正確に解

読できなかったらしく不審な部分も少なくない。仮名字体は付載の表の如くであって、平安中期の視点であることは間

違いは無いであろう。

若干例を抜き出すと次の如くである。

キサ     キシ

◎ k芯

◎ kya

カサウ    キサム

ksau ksa眉

クエイ     クアイ

kye kyai

(本資料には対注漢字無し)

クヤウ    クエム    カ ヤ

kyau kya眉  kya曹

梵語音の仮名表記を巡って

鎌 倉 時 代 語 研 究

◎欝 圭 製 卵岩 封

ナヤ

二重子音の例が右の例しか見られないが、「少」の行に就いてみれば、基本的には、やはり母音調和式が取られてい

る。但し「やk空この「k」を「キ」で、衷kya」の「k」を「ク」で、の様に「イ列仮名」 「ウ列仮名」での転写

が漸次増加している様子がうかがえる。この「1」 「u」は狭母音であって、CCVのCを表現するには適した仮名で

ぁったことになる。母音調和式の古い方式から、時代が降るにつれて母音消去式の新しい方式が増加して行ったことを

物語る。それは亦童戸観察の進化ということが出来る。平安朝初期に梵語重子音の表記は、母音調和式に始まって、平

安中期未には母音消去式が増加して行ったという把え方が出来るであろう。

以上は 「悉曇章」 の例である。

⑤仁砦不空清索明(随心院蔵) (5)

仁海僧正〈九五一~二∪四六)と伝えられる梵字真言の写本であり、同時期同僧正による片仮名の振り仮名が所々に

加点されている。その二重子音字の例を取り出すと次の如くである。

封が 欝、訴キ・㌢欝、㌢㌣a ㌢が、maha封、㌢〓Cが

 

 

「tpaL TpIa」 (「リ」は「ラ」の誤りか)は母音調和式である。「シチリヤ」は母音調和式でもあり母音消去式でも

 

 

 

 

 

 

 

ぁる。「払声 「買」 「抄ca」及び「1蔓は母音消去式である。加点時代は大旨二000年頃と見られ、両式が混用さ

れているのは④の延長線上にあるものとして当然と言えるであろう。

⑥悉曇章抄中抄(東寺蔵) 〈6)

尾題「悉曇略抄」。奥書に「康平四年(一〇六二)八月三日於(以下抹消)」と有る。多分書写奥書であろう。成立

はもう少し遡るかと考えられる。誤写が所々に有るので転写本であることは明らかである。本書の梵字の振り仮名で関

係有る部分を若干例示してみる。

○宗二合や上蛋沙字作驚苺…符左璽有糾㌢骨…す去整甘食…竿右撃呈替…軍右撃量華套誓合音

凍害三富卑有撃盲

○如繁々…

○躯か姫君…ぞ…隼・垂地三富・:宮葛警甘…賓…官有軍書脊…軍套警巷萱壷・す:吾

有迦左括二石蕗

○鋸か掛酢牙・‥

(中略)

○㍗芸軍正一字如初迦字靖音

彗乞蛋…郡迦左反上!・華迦幸…隼等…畢空反去…窄句朱反上!・髪可聾…軍使軍・覇伎眉:璽堅ト

キシ

キヤシヤク

ふ華迦早反空…窮ム迦三反き…音で浩誓

己上十二字此二合輯也

へママ)

梨迦萱合…爵迦左肇…璽芸上∴:醗彗撃…彰朱豆反上土翫句朱豆反去∴彗蔓上!・璽伎鮎㌘-華冒碩反

上!・菅笠反去/否蓋反去…郡㍗左貫

 

 

 

 

己上十二字此三合字也、皆加阿輯

射牽左雷撃此四合字也革…僻苧離礁…那畢・郡畢・領斬…報苧苛…邪苧報…融㌣

巳上十二字以四字為一字      (以下略)

執、本書の梵音の写音法を見ると、本文の (万葉仮名式)漢字の注音と振り仮名とには若干の差が見られる。今分か

り易い「奇、k睾字についてみると次の如くになっている。

(漢字)    (墨振り仮名)

梵語音の仮名表記を巡って

k篭

…・.‥・

k笠

k朝i

一二

k苫

∴“・「・

FW〇

k芯u

k篭眉

k篭廿

鎌 倉 時 代 語 研 究

 

迦左上

 

迦左去

 

幾支上

 

幾支去

 

句矢上

 

句朱去

キセイ

伎勢上

キサイ

伎妻去

掛野

カサウ

迦早去

カサム

迦三去

カサク

迦弱入

カシャ

カシャ

キシ

キシ

クス

クス

キセイ

キサイ

キヨソウ

キヤサフ

キヤサム

キヤシヤク

(万葉仮名式)漢字注の方はかなり母音調和式が保存されていることがうかがわれる。平安初期の悉曇章の場合と比

べると、平安初期では「k運が「ケセ(イ)」であり、「k首」が「カサイ」である点のみが異なっている。この部分

のみが母音調和式がくずれていると言える。振り仮名の方になると、「k革を「キヨソウ」、「k霊三」を「キヤサウ」

の如く、拗音に読んだために、全体が「キ…」に統一され、いわば母音消去式に統一されようとしていると見ることが

できる。

但し、念のために付記しておけば、本書の本文の成立と、振り仮名とは別の時期のものであって、本文は梵字そのも

のに漢字(但し万葉仮名を基本とする日本式注音法)で注音したもので、その本文成立時期にはまだ明らかに母音調和

式が行われていたのである。これに対して振り仮名は一〇六一年当時の方式であり、その為に新しい方式に変遷してい

ると肥えるべきである。

この更に延長線上に、明覚の往昔法が有る。

⑦明覚の著書

明覚二〇五六~一一二二以後没) については贅言を要しないであろう。代表的な著作の例を示してみると次の様で

ある。1

悉曇大底二〇八四年成立) (永暦元年写本叡山学院蔵) (7)

キシャ キシ  クシユ キセイ キシャイ キシヨ キシャウ キシャム キシヤク (修正して示す)

耳 衝二㌢ 耳ふ拷咽頭∵猪 掩

キサイ   キソ    キサウ   キサム   キサク

キア    キイ    千イ    クユ    クユ    キエイ   キヤイ   キヨ クヨ コヨ  キヤウ   キヤム   キヤク

否 魯透 奇 書 訝杏 謬 渉・否 黍

キャラ   キリ    グロ    キヤレイ  キャライ  コロ    キャラウ  キャラム  キャラク

で 仔 牙∵挿頭∵で頭∵汀 薫

2梵字形音義(一〇九八成) (建長二年写本東寺観智院蔵)

部 が 餅香 華 李祁〓苓都

キエム   キヤク

・香 杏

彗酢二骨 邪尭「畢癖ウ

3悉曇要決二一〇一以後成) (天福二年写筑波大学蔵)

や怒一合卑乞濯差引碕乞史。合…華吃索-一合

梵語音の仮名表記を巡って

鎌 倉 時 代 語 研 究                            一六

これ等諸本の振り仮名が明覚自身のものであったのか、転写者の加点かが問題となるが、諸本の振り仮名が各転写本

においてほぼ一致しているので、祖本つまり明覚自筆本に有ったものと見て良い様に思われる。

その前提の上で、明覚の諸本を見ると、大旨最初の子音の表記は同じ仮名に統一される (つまり非母音調和式)傾向

が顕著である。中に、母音u・0.を含む場合に限って「クス」 「クユ」 「クロ」 「コロ」の如き母音調和式を保存して

いると言うことができる。段々と母音調和式がすたれ、母音消去式に統一される時代背景がうかがわれるのである。

⑧密宗悉曇章(永万二年(二六六) 写東寺観智院蔵) (“)

本書は延懐(生没年未詳) の著であるが、この期になると、母音消去式にほぼ定着していると言えそうである。

キサ    キサ    キシ    キシ    キシユ       キシユ       キセイ   キサイ   キシユ

畢都∴即席二軍㌘ 都芹二彗勃二警㌘碗二彗 報

一部別形として 「クシユ」 「クスユ」 「クシウ」が併記されてはいるが、全て 「キ…」 で統一されている。但し、本

資料の場合も全てがそうではなく、

井ヤラ   井ヤラ   キリ    キリ    クル コロ  クル コロ  キレイ   キャライ  クロ    キラウ   キャラム  キャラク

事′ 罰 即 l華▼ 郵

糞。禦ぐ邪イ畢 ぐ郡 部ム弱ク

の場合「クル」 「コロ」 の如き母音u・Oの場合には一部母音調和式が見られるが、多分先縦が痕跡的に移転・転写形

として残されたものであろうと思う。

以上梵字そのものについての重子音仮名転写法においては、平安初期~中期までは、母音調和式が行われていたこと

が明らかになった。そして平安後期初頭頃から母音消去式が発生し、特に、摩擦系子音の場合には 「⑦」仮名が、破裂

音、流音系子音の場合には 「⑳」仮名が使用されはじめ、明覚の辺りからこれが一般的になって行く様である。

扱、以上を、「梵語」の読み方という観点から把えなおせば、平安初期~中期において重子音を含む梵語である場合

には、母音調和式で読むのが良いということになる。具体例で示せば、

8勾(dh:邑 (漢訳「達磨」)

は 「ダラマ」 で読むべきであり、

qr(畠jra) (漢訳「縛日羅」)

は「バザラ」で読むべきであるということになろう。

そして、それが、平安後期以後、母音消去式の「ダルマ」 「バジラ」へと読み方を変えて行ったということになる。

以上の動きは、次の漢訳陀羅尼の読み方の検討によって検証することが出来る。

ちなみに、平安後期に入って「ダルマ」 「バジラ」の如き、母音消去式が採用される様になった背景は、音韻学の発

達と把えることが出来るであろう。これ等の「ル」 「ジ」は、原音「IE 「12の母音㊥に対応する仮名として響度の

小さいり列、イ列仮名(音)が意図的に選択されたものである。この期に至ってそういう観察が可能になったというこ

とであろう。

所で、以上は梵字資料でも、主として単独の梵字を対象としたものであるが、実際の梵文陀羅尼を読んだ資料では後

世まで平安朝初期の母音調和式を保存している場合が有った。いまその具体的な例を一つ紹介しておく。

⑨仁和寺蔵尊法災(鎌倉初期写加点)

本資料は、識語が存在しないため、その加点の系統をつまびらかにしないが、仁和寺蔵ということで、真言宗のも

のと見てもよいであろう。

 

 

 

 

7、㌻ネ王寺主宰三妄ミ要吉、

梵語音の仮名表記を巡って

鎌 倉 時 代 語 研 究

委芸者禁を竺岩音盈宕黎

(中略)  召才へイ木

 

 

 

 

 

 

 

耳1耳ズヽ叩代可問司て

ここにに見られる様に、母音調和式の読み方が良く保存されているのである。

2、漢訳陀崖尼の仮名転写

次に、漢訳仏典中の陀羅尼が古来どの様に音読されているかを見て行くことにする。大乗経典中の陀羅尼は、平安初

期には読まれていなかったらしく加点されていない。従って対象は密教経典に限られることになる。

①金剛界儀軌寛平元年点(石山寺校倉聖教) (天台宗)

ニノ

○薩疇・達莫引入声呼

dharロa廿を「ダ勇マク」としたもの。

ソロ

〇時噸日曜京底詰粍二合畔

くPjrOを「バ勇ロ」としたもの。

○嘱目囁。合・達摩引・

dharmaを「ダ頚マ」としたもの。

一フ

○布惹引・掲磨梶・酌朴掛二会商.

karmaneを「力男マネ」

「サ」は「S」を、「ト」は「t」を表記したことになり、前者は「薩」の字音にひかれたもの、「坦」は母音消去

式と見て良い。

③仏母大孔雀明王経平安初期点(仁和寺蔵)

タムハリ

○磨郷鞍駄寧(母音消去式)

rdaを 「バ明」勇当」としたもの。

○癖喝一合、癖囁㌔(母音調和式)

(真言宗)

graを「ガ(ラ)」としたもの。或いは「迦」は「ギヤ」の拗音を示すものか。

○乞史。合(母音調和式。消去式でもある。)

k棚iを「キ(シ)」としたもの。

○乾哩。合(母音調和式)

馬を「キ(リ)」としたもの。

○乞漉哩引(母音消去式)

k篭を「ク(サ)」としたもの。

○混疇(母音消去式)

S書・を 「ソ (バ) 」としたもの。

○託哩。合引(母音調和式。消去式でもある。)

krTを「キ(リ)」とした烏の。

本資料では古い母音調和式に若干の新しい母音消去式とが混在していることになる。なお、本資料には、陀羅尼の

部分には全て振り梵字が加えられている。従ってこれ等の読み方が梵字に依りつつ加えられたものである可能性も存

梵語音の仮名表記を巡って                     「九

鎌 倉 時 代 語 研 究

ルフ

○尾薩普l高時耶・

sarpuを「サ現フ」としたもの。

これ等は、基本的に、先に見た「悉曇章」の転写本と同じ方法によるもので、末尾の母音と同じ母音を含む仮名が

選択されて表記されている、所謂母音調和式の例である。

一方で、この資料には、

○桑野・掛掛二台南,

○嘱目薙。合・薩但嘲。合・

の如く、t書・;aを「トハ」としたものが若干例見出される。陀羅尼が漢訳に従って読まれていると当然、その漢字

の漢字音に沿った形が出現して来ることになるが、今、右の例で言うと「恒」は切韻端母局韻\tat\であって、むし

ろそれに従えば、「タバ」となって母音調和式と矛盾しないものである。にもかかわらず「‖バ」となるのは、母音

消去式と見られるものが、既にこの系統の資料には発生していたと見ることができる。

②胎蔵秘密略大軌平安初期未点(兼寿蔵) (乙点図・真言宗)

-フ

〇時薩囁播波・

sar昌を「サ勇バ」としたもの。

○境目羅達磨・

darロaを 「ダ勇マ」としたもの。

以上は母音調和式である。

ヤト

○薩但鎖没囁赦・

stba眉を「朝日ハム」としたもの

するであろう。

④金剛界儀軌永延元年(九八七)・長保六年二〇〇四)・長元七年二〇二九)点(大東急記念文庫蔵) (西墓点

・天台宗寺門派)

ハ サ・シ ラ

○縛日羅二合

本資料の加点は何種叛もの筆が入っており、分別が容易でないが、縛日羅畳raを「バザラ」と古い母音調和式に呼

んだものと、「バジラ」と新しい母音消去式に読んだものとの両用の加点がある。「ザ」は永延点と長保点の文慶加

点、「ジ」は長元点と思われる。

サル ハ タル マ

○薩縛達莫

sar書、dhar胃は、本資料では、全ての加点で新しい母音消去式で一貫している。

⑤金剛界儀軌寛仁四年(一〇二〇)点(石山寺蔵) (東大寺点・真言宗小野流)

○薩疇達莫 (以下、用例の濁点は全て漢字濁声点)

ラマク

○薩疇達摩引入

○疇嘱目嘩畜引

ニノ

〇時薩嚇坦他引

タラ

○達磨鉢喝一合

○碗麿梶

○針酔二合多 等

(以上母音調和式)

 

 

○地宏碑石裟昭有給

梵語音の仮名表記を巡って

鎌 倉 時 代 語 研 究

パ ヂエム  タム

〇三波備演。合耽 等

(以上母音消去式)

⑥不動儀軌万寿二年へ一〇二五)点(東寺蔵) (仁都波迦点・天台宗山門派)

 

○縛日羅ll合但磨二台(下の例)

○配伽羅二台

 

 

 

○地目託底二台

○隊野合

○鉢羅。合引

○但他棄膠羅止。合

○匙野合群

 

○披啄二台悪 (以下略)

(以上母音調和式)

二二

駄ル マ駄  ト

○達摩駄引妬引

○掛臣野合畢

○漑麿配伽羅=合

○幣酎掛世軒

○掛掛掛二合掛

ピユ

○批庚二合

歓ル マ 駄

○達磨駄但

 

縛日羅。合但麿。合

○恥訃掛二合 (以下省略)

(以上母音消去式)

この資料の辺りから、母音消去式の例が増加して来る。

⑦不動念涌次第長暦元年二〇三七)点(石山寺蔵) (宝瞳院点・天台宗山門派)

○…菩地衝撃令

○捨酎野合引…

 

○地-蝿二合…

 

 

○鉢羅二合筆上摩…

(以下省略)

(以上母音調和式)

○…酎掛他…

ナ マクサル

○轟麿薩婆…

サル ハ タ ロ

○薩婆但落こ合…

○朴野合羅

○酎掛暗 (以下省略)

(以上母音消去式)

⑧金剛界儀軌長久三年二〇四二)点(東寺蔵) (宝憧院点・天台宗山門派)

本資料は陀羅尼部が梵字と漢訳字の併記の形となっているが、朱声点と振り仮名は全て漢訳字の方に加点されてい

る。多分、この時期には、事相の方面においては、陀羅尼の読みは全て漢訳字にたよって読まれるような時代背景に

なってしまっていたことを物語っているのであろう。

梵語音の仮名表記を巡って

鎌 倉 時 代 語 研 究                       二四

とすれば、陀薙尼(及び一般の梵語)の読み方が一層漢字音式に流れて行った可能性が見込まれる。そういう点に

注目しつつ用例を見ておこう。

○ 薩疇達莫(母音消去式)

○掛轡合酎(母音消去式)

(平仮名はヲコト点によるもの。)

○ 臥疇掛摩引入

「夕」

○ 但摩二人㌦哺

チ シ タ  タム

○ 底詰姥。合耽

○ 宏致二台磨咤

モ シ チ  ハム

○ 母家置二合鍵

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

ソホ

薩怖二台咤耶

ソホ

薩普二合咤耶

(母音消去式)

(母音調和式併漢字音式)

(母音消去式併漢字書式)

(母音調和式併漠字音式)

(母音調和式併漢字書式)

(母音調和式)

(母音調和式)

鉢羅二台謀紆掛(母音消去式併漢字書式)

セムタ

咤戦捺嘘引=合(漢字書式)

シリ

摩討嘱目哩。合(母音調和式併漢字書式)

底琵姥。合(母音消去式併漢字書式)

チ浬哩二台茶(母音調和式)

底琴堰-合(母音消去式併漢字書式)

酔噺二合軒町有(上母音消去式、下母音調和式)

サテイエイ

囁薩帝曳。合(漢字書式)

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

ハムダ

鉢郷麿。合(母音調和式併漢字書式)

ケル掲

麿引(母音消去式)

酢聖合掛聖合(母音調和式併母音消去式)

(下母音消去式)

酔尾舶嚢二合(漢字書式)

ソト薩

観二合婆(母音調和式)

ダキヤ

郷茄。合引咤也(母音調和式)

鍬喝逐肇(母音調和式)

ソ裟昭一合演(母音消去式)

配疇坦他引(母音消去式)

嘱目羅二合併聖二母音消去式)

ケルシヤ

褐裟養護(母音消去式)

観針野合(母音消去式) (タイは漢字音式)

敵性耶(母音消去式) (二は漢字書式)

囁漏弥。合(母音調和式併母音消去式)

シミ

境目喝一合悉粥多(母音調和式併母音消去式)

タポ那

歩二合多(漠字音式)

ヒ必哩。合引底丁以反(母音調和式併母音消去式併漠字音式)

掛轡合囁(母音消去式併漢字書式)

 

底乞文筆。合(母音消去式)

梵語音の仮名表記を巡って

二五

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

鎌 倉 時 代 語 研 究

ケルマ

掲磨嘱目囁。合(母音消去式)

薩嚇掛酢(母音消去式)

尾漏疇姦(母音消去式併漢字普式)

紘摩摩討(誤読カ)

訊哩庚駄那(漢字書式)

トス郡

家咤囁毒(母音消去式)

末喋備(母音調和式併母音消去式併漢字書式)

畝針蝉合(母音消去式)

るマ

達摩 (母音消去式)

き謂嘲盲(母音調和式併母音消去式)

底引乞宏撃言(母音消去式)

ケル掲

磨 (母音消去式)

キイサア

棋惹二合引(母音消去式)

シ室哩。合引畔(母音調和式併母音消去式併漢字書式)

阿桑耶掛噺二台(母音消去式)

ヂユ

係庚。合引多(漢字書式)

戦偉逸反婆也但鐙=合(母音消去式)

カラ

鉢囁石河選。合(母音調和式併漢字書式)

母音調和式が減少し、母音消去式が増加している。この母音消去式は、漢訳字の漢字音を読んだ場合(漢字書式)

と一致するものがかなり見られる。これは一面から言えば当然とも言えそうである。なぜならば、本資料の加点は全

て梵字の方ではなく漢訳字に加点されているのであって、その漢訳が、既にそのような、母音調和式ではなく、母音

消去式に該当する漢字が選択されていたからである・漢訳が全て母音消去式という訳ではないのであるが、「嘱目哩」

(畳ri) 「嘱目羅(蔓ra)」の如き例を挙げれば理解されるように、母音消去式に該当する漢字の選ばれた数が多

いことは明らかである。かくして、漢訳陀羅尼の読み方が普及するにつれて、母音調和式から母音消去式=漠字音式

へと、陀羅尼の音が変化して行ったことが明らかになる。

但し若干問題になる部分がある。本資料では濁点を「二で示し、比較的忠実に清濁を書き分けている。今、「縛

日羅」についてみると、全ての例に振り仮名が無いので、その読みを知る事が出来ないが、その声点は「満月層」と

なっている。このことは本資料は「日」を全て清音で読んでいることを示している。即ち、「バサラ」であったこと

になる。この「バサラ」形は、例えば、東寺観智院蔵「降三世儀軌」永久二年点・西墓点に「監警」とあるなど、

他資料にも見られるところである。この形は変化して「層旧軍となる。この用例も亦種々の資料に見られる。(例

えば、随心院蔵「法華念詞次第」康和二年点、高山寺蔵「十八道念諦次第」院政期点等)。「バンザラ」は、現行の

真言宗声明集である「南山進琉声明類衆」などにその形で引き継がれている。

⑨金剛界儀軌万寿三年二〇四五)点(石山寺蔵) (西墓点・天台宗寺門派)

ソホ

○薩怖。合咤耶

タナ (畳)  ヒユ(塾)

○囁但寧。合 辟

○多麿薩観。合 等

(以上母音調和式)

○薩疇達美人

梵語音の仮名表記を巡って

鎌 倉 時 代 語 研 究

○達摩嘲… 等「達摩」は全て「ダルマ」

(以上母音消去式)

ネイ  ヒヨ

○囁坦寧。合瞭

漢字をそのまま読んだ例と見られる。

二八

⑩金剛界儀軌永承六年

ソホ

〇時棋・薩怖。合

ソホ

○尾薩普。合咤耶

モソ

○星牟薩親諦…

(以上母音調和式)

サル   る

○薩疇達摩

○薩疇達摩 等「薩疇」

(一〇五〓点(高山寺蔵) (西基点・天台宗寺門派)

「達摩」は全て「サルバ」 「ダルマ」 の母音消去式。

○嘱目喝一合 等「嘱目囁」は全て「バジラ」の母音消去式。

⑰大日経広大成就儀軌永承七年(一〇五二)点(石山寺蔵) (宝瞳院点・天台宗山門派)

ソホ

○薩怖。合咤

○鉢囁二合

○但哩二合

○母但披二合引

○捏哩二合 等

○噺引炬賢合

(以上母音調和式)

○嘱目囁 (全て 「バジラ」)

〇時薩嘲 (全て 「サルバ」)

○達磨 (全て 「ダルマ」)

○齢針野合

「シ」 ト

○阿味設観

○浬哩二合瀞「喝二合等

(以上母音消去式=漠字音式)

以上、平安後期後半期以後のものは大部分天台宗系の場合であったが、以下に少し真言宗系のものを取り上げてみる。

⑬真言集承安元年八二七こ写(仁和寺蔵) (高野山真言宗勝賢読、次項3③参照)

 

 

○奄薩疇恒地引雑多・疲引継郎恥畢射牢咤

ロ○奄掛掛二合凱疇射聖人・露畢人数掛凱噺鮮配

RU

 

 

以下、用例は省略するが、母音調和式を保存する度合いが高い。「薩疇」 「達磨」は全てこの形が採用されている。

⑬金剛頂蓮華部心念詞次第建暦二年(二二二)写加点(円堂点・仁和寺真言宗)

○朝鮮掛野紗那窄掛肘掛恥野郎牢弾、

○奄掛掛凱疇舵野郎掛欝・掛掛凱掛衰掛配

口本資料の読み方は⑬と全く同じであり、同一の伝承線上にあるものであることが明らかである。真言宗の陀羅尼の

読調法は古いものを固定させた形で後々まで良く保存されていると言える。

扱、以上の様に、漢訳陀羅尼の読みの場合においても、平安初期~後期初頭(大旨一〇二〇年頃) の密教経典におい

梵語音の仮名表記を巡って

鎌 倉 時 代 語 研 究                           三〇

 

 

ては、古い母音調和式の表記法が取られており、「達磨」 「縛日羅」形であったことが確認されるであろう。平安朝後

期以後、これ等は母音消去式と本稿で呼称した方式へと変化し、「ダルマ」 「バジラ(但し「バサラ」 「バンザラ」 の

形も伝承並存、但しこれは真言宗系のものに多い)」 の形が一般的になって行った。そして、この母音消去式は、その

漢訳字に注目してみると、その漢字音と一致する場合が多いのであって、結局、漢訳字の字音読の一般化ということが、

こうした動きの背景になったものとして把えることが出来るであろう。

所で、右に列挙した密教経典の陀羅尼の音読の一例一例に注目してみると、資料ごとに異なりの存することに気づく。

この異なりの最も大きな原因は、日本漢字音の二重性に起因するものであって、当該字を呉音で読むか、漢音で読むか

によって生じた異なりである。その点に注目してみると、必ずしもこれ等の資料の範囲では明確な傾向性を指摘するこ

とが出来にくい。各個人によって区々であったのか、或いは宗派によって何らかの規則の様なものが形成されていたの

かどうかについては尚今後のつめを行ってみる必要が有る。

3、法華経陀蓮尼の仮名転写

扱、ここでは、右のような問題に対して一つの見通しを得るために、法華経陀羅尼について、三つの資料を相互に比

較しながら、検討を加えてみたいと思う。

ここで取り上げる資料は次の三点である。

①高山寺蔵「法華経陀羅尼」大治元年(二二六) 点

この資料は、梵字の本文と漢訳とを併記し、その両方に振り仮名を加えたものである。これによって、院政期の梵

字読みと漢字読みとがどれ程帝離していたかの手掛かりを得ることができるであろう。

奥書は次の如くである。

「大治元-十月廿九日酉刻書写了芸院琶/北面戸塵にて(花押〉」

②醍醐寺蔵「諸経中陀羅尼」 (。)

この資料は天台宗の慈覚大師円仁二二井大阿閣梨慶詐・谷阿閣梨皇慶・明覚という著名な学僧の読み方を伝えたと

するものであって、これによって、時代的な変化と、個人間の読み方の相違を知ることができるであろう。

③仁和寺蔵「真言集」承安元年(二七〓写本

奥書は「承安元年六月十六日於高野/御山侍受勝賢了」 (別筆) 「右真言集一巻寛信作永正十五年秋七月十七日於

真光院南窓虫払 了/沙門覚道/御奥書喜多院御室御筆也」と有る。

右の奥書から知られる如くこの資料は御室寛信作とする漢訳陀羅尼集で、高野山で勝賢より守覚法親王が伝受した

ものという。真言宗の法華経陀羅尼の読み方を知る確実な資料である。

以下に、この三点の読み方を一覧表として示し、相互に対照してその間の読み方がどの様になっているかを検討して

みることにする。

①は高山寺の㊥梵字と⑥漠訳文、②㊦は醍醐寺本の円仁の読みとするもの、⑦は慶離、⑳は皇慶、㊤は明覚、③は仁

和寺本、である。(改行は高山寺本による) (高山寺本には梵字の異本校合が多数有るが省略した)。(声点は省略し、

濁点は濁音仮名で表示した。)

薬王菩薩陀羅尼

anye man霊 日an霊 日aロanye C〓e ca〓te saロe

梵語音の仮名表記を巡って

Sam-

①㊤

①⑥

②㊦

②⑦

②⑳

②㊤

鎌くけず

アン一

‥・1‥

ア二

安ホ

アンジ

安加

アン一

安如

アン二

安加

アン二

安ホ

倉 時 代 語 研 究

マ  ネイ   マ  テイ   マ  マン ティ   シ  レイ

勾ず+耳冴・可現彿) 魯料

マン l一

一隻聖一軒裾三摩々裾ご蒜五

パン     パ デイ   ハ         シ レイ

マン こ

一辱∵亦二摩畢こ摩摩桝四旨隷五

 

一専∵亦二酔桝三酔摩裾絹針射五

一隻竺一軒聖二軒酔新関計酎五

マン  二

シャ リ

司鰹

ティて

和瑚 鞠紆

シャ リ      シャ メイ      シャ ヒ

遮梨第六除嘩羊喝君∴膵履

遮梨第六豚嘲羊嘲至弊履

シャ リ ティ   シャ ピミ ア       ビ

遮梨弄六胎嘩羊㌔七弊履

シャ リ ティ               シャ ピ

遮梨第六除疇羊喝嘗弊履

シャ リ ティ   シャ メイ      シャ ヒ

遮利第六胎嘩羊㌔七弊履

シャ リ ティ   シャ メイ      シャ ミ

遮利第六除嘩羊㌔七除履

岡雉

岡焼

周鰻

同姓

同姓

芥、

反多

反多

反多

反多

軒酔環ヰ嘩ヰ埠

 

 

反多埠ピ

岡雑反多環八籍攣反帝

 

 

 

竹、 l乳

セン      ティ

籍二等反帝

セン檀

竿反帝

セン檀

学反帝

セン      ティ

糟二軍反帝

セン     チイ

ヰノ九

①㊥

①⑥

②㊦

②⑦

②⑳

②㊤

mukte

輩窄

モク ティ

目帝

モキ ティ

目帝

モク

Rロ

モキ

目モク

日ポウ目

帝ティ帝

ティ帝テ

ィ帝

mukta臼e

不キ    メイ

耳元∴彗

モク     ピ

モキ     ヒ

モク タ  ヒ

.不ウ タ メイ

Saヨe aくHSa日e

Samme Sa 日e

刈叩ピ

沙履

沙履ピ

沙履

シャ ピ

沙履

 

 

沙履

シャ メイ

沙履

野鮮q可

十二阿埠沙

ピ履

十二阿埠沙履

十二阿埠沙履

シヤ

十二阿嘩沙履

十二陣醇か敵

十=阿酔桝酎

JI

Ll十

サロ賓サ

ロ桑桑サウ桑サ

ウ桑サウ桑シ

ャ桑

メイ    サ

 

 

 

 

 

履十四沙

履十囲沙シ

履十四沙

履十四か

ヒメイ    シャ

履十四沙

メイ顎ピ履履

k竃ye

キサ エイ

埼笥

ak霊ye aks叫ni

ア  キサ エイ    ア  キシ こ

焚骨領「+利芸で巧

十五叉

エイ

裔十六

履ピ履ヒ履メイ履

十十十十十

キサ エイ

匁裔十六

エイ

匁裔十六

シヤ

匁キサ裔十六

サ エイ

匁裔十六

キシャエイ

叉裔十六

阿阿阿阿阿阿

キサ           キシ

匁裔十七阿智威

匁裔十七阿孝二膳

サ エイ     ア  キ  こ

キシャエイ        ギ  二

叉裔十七阿者蹴

①④

①⑥

②㊦

②①

②⑳

②㊤

訂nte

セン ティ

“.顎、

十八鮮耶十九

十八□帝十九

十八檀帝十九

セン ティ

十八捏帝十九

十八配耶十九

Same

翫瑚

賠胎胎ヒ履ヒ

イ履履

胎履

粧敵

 

十八畢斬十九姶履

thara告

乳て糾

 

 

J

。十陀羅尼。十一

二十陀羅尼二十一

。十陀羅尼。十一

 

 

。十陀羅尼lj

 

 

二十陀羅尼二十一

a-OkabhP

Ise

耳管乱打祁サイ

阿掛僻婆野禁反

ロキヤ

阿底伽婆裟慧反

阿虚伽婆那賀反

阿慮伽婆酎慧反

陣か僻掛酎禁反

阿齢僻掛鮮禁反

prad苫まk篭di

「斗)重みと

neまdye

ハ  シャビ

簸バラ庶批

バラ簸

ハ シャ

簸庶

耽.し.h-

 

 

叉賦

キサ匁

艦匁賦

一十

一十

ティ且祢

ハ   シャ

簸バラ庶批

ハラ シャ ピ

簸庶枇

野鼠二十=

匁聖㌔

 

キシャ二

匁賦ll十二

祢裾二祢裾デ

イ祢

、u、甘

ピ  デイ

枇剃jこ

批剃。十三

批那享三

振那二十二

酔那二十三

デイ

枇剃。十三

abhyanta

奥都斗

阿齢砂

ヒエン

阿 便蜂

へン

阿便多

ア阿

便

ア  ヘン タ

阿便多

へン

阿便多

①④

①⑥

②㊦

②⑦

②⑳

②㊤

ra nemesニ

ラ         主ティ

丁笥ふ「頂

急反掛裾酢聖㌔

都㌔遵桝酎剃二十四

悪反邁祢履剃二十四

都銀反選祢履剃。十国

猛反撃裾聖那-十四

atyantarpari旨ddhe

聖㌘∴ふ蒜簑

タン

阿阿阿阿阿

折餓反鮮併酎鮮二十四阿

空蝉波酎配舶憲二去

テン蜜

宜多波隷輸舶途窯=十五

空将波隷輸地途慧二十五

郎か掛酎配舶途窯二十五

宜多波隷配斬蔓二十五

タン

ukku-e

 

 

3号

オウ キウ

謳究

 

 

謳究

ヲウ キウ

謳究

 

 

温究

ヲ・ワ  ク

謳究

 

 

謳究

レイ電隷

。十六

j

隷二十六

隷。十六

酎二十六

酎二十六

mukk;

ara-e

para

 

1

 

モウ キウ

牟ム究ク隷

モ牟究隷

モ牟究隷

モ牟モ牟ポ牟

究隷

ク レイ

究隷

ク  レイ

究隷

二十七阿羅隷二十八波羅

。十七阿羅隷。十八波羅

。十七阿羅隷。十八波羅

 

 

 

 

 

。十七阿羅隷二十八波羅

 

二十七陣酢聖一十八波羅

タイ

l一十七阿羅隷。十八波羅

梵語音の仮名表記を巡って

①㊥

①⑥

②㊦

②⑦

②⑳

②㊤

鎌 倉 時 代

-e   ㌢k脚ksT

㊧隷。十九

隷。十九

シユ キヤ キシ

舘ノ牢耳

シユ キヤ シ

首迦差

主反    キシ

首迦差

語 研 究a

Sa白目eSamロe

乳剤旬月

buddhaま kradirte

隷二十

レイ隷

。十

レイ隷

。十

タイ隷

。十

九首

迦差

剃几反三十阿三サ

初几反三十阿三

初几反三十阿三

磨三サ

磨三

キヤ

首迦差

シユ キヤ シ

首迦差

シユ キヤ キシ

阿三

ア サム

阿三サ

阿三

薗三

マ磨三

マ サム

磨三

マ  サム

磨 三

メイ      ホ  タ

 

q

 

 

 

 

 

 

 

 

履三十一彿駄枇吉利

履三十一価駄枇吉利

履三十二併駄枇吉利

 

 

 

 

 

 

 

ヒ      フッ タ  ヒ  キ  リ

履三十一條駄枇吉利

メイ      ポ  タ  ピ  キ  リ

彿

ティ

、ミ{

チッ ティ

蓑帝三十=

∪蓑帝三十二

チツ義

帝三十二

チ義帝三十二

チッ ティ

蓑帝三十=

チ裏帝三十一

dharkapariksi

タラ マ  バ  リ  キシ

仁も∵q丹ご斡

クル   マ ハ     シ

達タツ磨波利差

達タツ達ダ

ル達タル達鮮

ルマ       キシ

薗磨マ磨ラマ磨

波利

波利

 

 

波利

 

 

波利

シ差シ差シ差キシ差

三四d

e乞し

甜㌔帝三十Tニ

宗反帝三十三

テイ

抑㌔帝三十三

テイ

抑㌔帝三十三

榊離反帝三十三

SO訂h呂irghOSane

bh思yabh勘sya㌢ddhe

①④

①⑥

②㊦

②⑦

②⑳

②㊤

キヤ チリ ク

雪哉久重

ソウ ギヤ ネッ ク

僧伽浬〓攫

シャ ネイ

 

 

 

沙裾三十国数

シャ ハ  シャ 主ン タイ

事々劫ゐ∵葛

シヤ       シユ チ

地三十五

ロantra

マン封

、首

里吟遊三十六

mantrPksayate

マン    ラ  キシャ

勾う そq耳

シイ僧

伽僧伽

ソウ ギヤ

僧伽

ソウ キヤ

僧伽

浬テツ捏二ル捏ニ

ッ捏求反攫ク星置ク星

沙裾三十四婆舎婆舎輸地三十五

タイ

隻多蓮

沙祢三十四婆

シヤ 二

沙祢三十四婆

か裾三十四勢

舎シャ舎シャ舎

婆婆掛

舎舎

シャ

タイ

輸地三十五里略二邁

シユ タイ         ダ

輸地三十五里多選

シユ タイ     マン タ  ラ

輸地三十五里吟遊

三十

.三十

三十

三十

キサ

皇多選 匁夜

シヤ

マン タ  ラ  サ  ヤ

多三十七

多三十七

多三十七

夕多三十七

夕多三十七

uru{au

ウj

イウ ロウ

郵ウ棲口喀郵

イウ郵

槙峰郵

ウ      タ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

③ 僻僻斬鮮が群三十凶婆舎婆舎配撃亭五里多選三十六畳多選匁夜多三十七郵棲多郵

ruta kau恥arya

 

 

①④ 下ズ\ 卑行動

①⑥棲多三十八慨部酎豊反三十九

②㊦ 棲多三十八橋舎酎蔓三十九

aksa-a aksayataya

aくa;

ア  キシャ              ヤ

糞を巴 夷を現

 

 

 

 

 

 

悪アキ文選閃十悪アキ匁冶

ア キサ           キサ

 

 

て、1  ∴言い㌣

 

 

 

 

 

 

 

竿

aロan七a

 

 

重言へ訂

阿摩翫豊反

natay抑

r‥・r∴㍉

ケウ

②⑦ 棲多三十八情舎略豊反

 

 

 

 

 

 

②⑳ 棲多三十八情舎略豊反

②㊤模多三十八慣部剛蔓

口   タ

③ 棲多三十八情舎略霊反

 

 

 

 

 

ア  キシャラ     ア キシャ

ヤ冶ヤ冶ヤ冶冶

多冶四十一阿婆慮

□治等一.阿婆慮

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

竿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多冶四十一阿婆慮

 

 

夢臨写一阿婆慮

阿摩

竿

。十=阿摩

 

 

竿=阿摩

若荏迫反

か荏遮反

若荏遮反

二ヤ

若攫遮反

缶荏濫反

那多

ダ那多

 

 

那多

 

 

那多

ナン ダ

那多

夜夜ヤ夜ヤ夜ヤ夜

勇施菩薩陀羅尼

【書  二加

シバ     レイ

4

 

 

サ座

日ah空くP訂

 

ぷ 丁.ミヤ

ukki

bukki a-e

a-aくate

反隷

シハ

レイ一摩討座隷

ウ  ケイ      ケイ      タイ (?)    タ  ハ  チ

5徳一可遠い 粛ごじ 廿竺巳年顎

イク キ    モク キ       レイ          パ ティ

 

 

nュe

チリ ティ

芝生

ネッ レイ

六浬二隷

捏隷

梵語音の仮名表記を巡って

nrta くate

チリ タ  ハ  タイ チ

7

 

 

三五

②⑦

②⑳

②㊤

サ      レイ

座望㌔隷一

サ      レイ

座憲反隷 】

ジパ

座望炊反射一

代 語

静詞

 

 

摩討

 

 

摩詞

摩討

座隷

ザ レイ

座隷

サ レイ

座隷

ジバ レイ

座隷

イク キ    モク キ

 

 

 

 

イク キ    モク キ

ウ   キ   ポ   キ

阿隷五

ア レイ

阿隷五

ア  レイ

三六

 

ティ   ニ リ ティ   〓  リ       ティ

ア  ラ  バ ティ   二 レイ ティ   ニ レイ タ  パ ティ

阿酢酢帯六軒附帯七軒計が断罪八

①④

①⑥

②㊦

②①

②⑳

②㊤

i意。  ni

 

 

 

 

 

 

 

 

電位 久

 

 

 

伊撤憲反梶九

伊撤猪屠反梶九

 

 

 

ロ緻猪履反掘九

 

 

 

 

伊撤憲反据九

 

 

 

 

伊緻猪履反梶九

 

 

 

 

まtirni ciこrni nirty〓i

ヰ申、

ヰ毒草ヰ葦ヰ章ヰ章ヒ

こ    シテ

を軋 尽住尽

撤梶十旨緻梶十一

撤梶十旨撤梶十l

チリ    チ

何は

浬浬

撒梶十旨撤梶十一浬

 

 

 

 

 

 

 

撤梶十旨撤梶十一浬

 

 

 

 

 

 

 

撤梶十旨撤梶十一捏

 

 

 

 

 

 

撤泥十㌢針駐十一酢

.}廿・吋ゝ㍉

隷堀梶十二

隷堰梶十=

隷埋駐十二

 

レイ     l

隷塀際十二

レイ チ  〓

隷堰梶十二

 

 

 

 

隷嘩梶十二

nir

チリ

命甘

捏浬-

浬二捏二捏ヂ

レイ撃翠

tyi㌶ニ

 

 

 

 

堀乳底

堀婆か

射堰

りト町

婆婆

ティ底

十三

チ底十三

レイ撃酎

肺掛齢十三

軒数鮎十三

多門天

a〓

ア  ティ

①㊥ 風食

dena〓

 

汀、.丁.付.、

kuna〓

ク  ナウ チ

号 J、ガ.

①⑥

②㊦

②①

②⑳

②㊤

阿翠レイー那

阿翠

阿勘

ア レイ

阿翠デ

阿翠

一郡

、小林≠

 

 

 

 

 

 

翠レイ。免那翠三

翠。免トウ那翠三

 

 

 

 

 

 

 

 

梨。免那単三

レイ   ヌ  ナ レイ

翠。免那翠l。

デイ   ド  ナウ デイ

単二免那翠≡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナウ  ロ

阿那虚m

那履

ナ那履

 

 

那履

ナウ リ

那履

五五五

□ 那履

 

 

 

 

 

 

ク  ナウ リ

持国天陀羅尼

aga莞

g叫  gOri

gen已hari canda〓  ロat昌g-

①④

①⑥

②㊦

②①

②⑳

②㊤

ア  キヤ ティ

刊打=伽

阿禦響

阿伽裾一

阿伽裾一

陣僻裾一

陣僻福一

阿僻裾-

キヤンティ

拝軌

伽裾

伽祢

僻裾

僻裾

僻裾

ク  リ    ケン タ  リ

「∴l ・γ一tC、

ク   リ   ケン ダ リ

ク覆

リ    ケン  タ  リ

ク  リ    ケン タ  リ

ク   リ   ケン ダ  リ

四セン タ  リ

」吋・・ゼ

栴陀単五

施陀

セン栴

陀・申.陸

離階

セン ダ

施陀

利利和朴紬五五五五

マ  トウ キ

刈・才、爪

 

摩置者六

摩置者六

掛齢か六

マ トウ ギ

摩澄者六

 

摩置者六

 

摩置者六

Samku〓

 

・〟、†・ポー

離鵡ク利七

常求利七

シャウ常

求利七

シャウク  リ

常求利七

シャウク  リ

常求利七

シャウグ  リ

七pruホ

ロ宜フ浮ホ浮フ浮フ浮フ浮ポ浮

ロウ榎棲ロ

ウ棲口榎口棲口棲

サ渉渉サ捗シャ渉サ捗

梶八真底

シャ ディ  アン チ

捗梶八額底

朝p卓-

サ  ティ

玖飢二梶梶ヂ梶二梶こ

asti蒜

アツ

八顆底チ

八顆底

アツ ティ

八顆底

 

 

八顆底

アツ チ

九九九

梵語音の仮名表記を巡って

十羅剃

①㊥

①⑥

②㊦

②⑦

②⑳

②㊤

鎌 倉 時 代 語 研 究

〓emeチ

  メイ

等久勾

ティ ピ

〓eロi

〓eme a{e臼e

〓e臼le

守三へ 管音這、現竺判 の意志

n-ロe

 

-・バー-パ

n-白e n-ロe

ピン

伊提混yノ二伊提履三阿提履凹伊提履五喝聖ハ

何品「 (爪『、年頃

伊伊

ピン

ティ ミン   イ ティ ヒ    ア ティ ヒ      ティ ヒ   ティ ヒ

メイ   イ  デイ ピ   イ  チ  メイ      チ  メイ   二  メイ

①④

①㊨

②㊦

②①

②⑳

②㊤

ruhe

ロ  ケイ

r・立

ロウ ケイ

棲醸

棲醸

ロウ ケイ

棲醸

ロ  ケイ

ruhe

下久

枝醸十=

棲醸十二

棲醸十二

ruhe

l、叫㌧‥

棲醸十三

ruhe

↑、∴

棲醸十四

棲醸十lニ棲醸十田

棲醸十一棲醸十二

ロ  ケイ

棲醸

ロ  ケイ

棲醸

十一棲醸十二

十一棟醸十二

棲醸十三

棲醸十三

棲醸十三

棲棲棲

棲醸十三棲

醸十四

醸十四

醸十国

醸十四

Stahe

考、孔ケ

多醸十五

サタ多

醸十五

多醸十五

タ ケイ

多醸十五

タ ケイ

多醸十五

サタ ケイ

多醸十五

S;he stahe

“‥人JI‥.寄りへ

StOhe

が1、叫㍉、

多サタ多多多多サ

タ多

醸十六多醸十七

醜十六多醸十七

醸十六多醸十七

醸十六多醸十七

醸十六多醸十七

酎十六郎酎十七

ト兜サト兜兜兜兜サ

タ兜

醸十八

醸十八

醸十八

ケイ醸

十八

ケイ醸

十八

ケイ醸

十八

StOhe

聖歌

免醸

サト免ド

ゥ免針かサタ免

醸醸醸ケイ醸ケ

イ醸.「十L

l十十十

九九九九

普賢品陀羅尼

adande

dandapaこ  danda畠rnte danda kuEe dandasudh害、e sudh害l e sudh抑

①④

①⑤

②㊦

②①

②⑳

②㊤

現阿阿阿阿ウノ阿

手し

タン檀檀タ

ン檀タン檀タ

ン檀タン

阿檀地霊反一檀陀婆地

タイ      タン タ  パ  テ

地豊反一檀陀婆地

瑚途♂酎階掛齢

ダイ      タン タ. パリ チ

タイ等タ

イ地途㌔

地普反

みし瓜せ夕

檀陀

檀陀

タイ地

途㌔一檀陀

叫浄婆婆チ貧チ地地

チエ墨

二檀陀

バリ ティ

q耳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そで午年む′ そ管奪{青≠ 対ふこ十封完

婆帝三檀陀郁ク齢隷悶檀陀僻陀隷五條陀隷六園隆

パ ティ

タイ地

。値幅婆帝三

テイ

。檀陀婆帝三

テイ

。檀陀婆帝三

タン タ  パ ティ

。檀陀婆帝三

テイ

二喝恥婆帝三

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

離階妙齢酎四配階猷階射五僻階聖ハ離階

 

酎酵酵附警酎附附酵討五秒陀隷六修陀

rapati

buddhapa昔enesar書dh害lani

aくarntani

①㊥

①⑥

②㊦

②①

②⑳

 

 

Tt叫伍 l宜q

羅掛齢七僻駄波

 

テイ

彿

 

 

懲笥 旦卑仕丁竺芸一㌢尽

sar昌bh抑saa(書ユa)ni suaくP

サラ

鮮裾八臥ル婆間組際阿掛バリ多鮮九喝臥婆か阿乳幽駄十僻阿掛

檀セン檀

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

檀裾八献掛陀羅尼阿婆多尼九薩婆婆沙

バラ    ニ   シユ   バラ

梵語音の仮名表記を巡って

鎌ラ

②㊤ 羅

③  羅

 

 

 

 

 

÷

婆底七

代フツ彿

ポ彿

語タハ

駄波

タハ

駄波

研究

配裾八酎掛階鮎尼阿婆多尼九酎掛掛か陣掛動態

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

射桝八軒乾賦羅尼阿婆多尼九薩婆婆沙阿婆多尼

ランア  パ  ラタ ニ                バリ タ 二

rntani sO訂hapaユksani

①④

①⑤

②㊦

②⑰

②⑳

②㊤

キヤ

真帆 叶え宰隻孟

 

 

1

多駐十l・僧伽婆凰国尼十

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソウ

一    ソウ ギヤ パ  リ シャ 二

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多尼十一戦備掛掛か際十

ソウ    バ  リ  キシ 二

SO訂hanirghadhani asO訂hi sOnghapagati

キヤ チリ                  キ       キヤ    キヤ ティ

彗乳尽女8飲 菟畢畝 異風叫代q

シウ ア  ハ

 

 

 

 

 

treatha

ソウ ギヤ ネッ

僧伽捏

僧伽浬テ

僧伽浬

ギヤ 二ル

僧伽浬

ソウ キヤ ニッ

僧伽浬

ソウ    チリ

僧伽浬

僻陀鮮十三阿僧砥十掴僧伽婆園地十五

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギケ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伽陀尼十三阿僧砥十四僧伽波

キヤ ク  ニ         ケイ    ソウ キャ パ

タイ

伽地十五

ギヤ チ

伽地十五

チリ

夜u

ティ レイ

帝チ隷

 

帝-隷

ティ帝

ティ レイ

帝隷

布野夕

阿惰

阿惰夕

阿惰

キヤ チ

伽地

キャ ディ

伽地

十五斬新

タ   レイ

十五帝隷

 

 

阿惰

 

 

阿惰

アン ダ

阿惰

①㊥

①⑥

②㊦

②①

SO訂haturyah

ト  リヤ

呵最至か

ト  リヤ

僧伽兜略リ

arteprate

Sar書SO露hasammanikrani

SarくPdhaコ昌aSupariksi

現甥、

虚遮

底止

阿羅

阿羅

ティ

ティ帝

婆羅

帝波羅

帝波羅

ティ

顎、

帝十六

列車畢息耳敢

サル      ギヤ    マン

帝十六薩婆僧

帝十六薩婆僧

伽三 摩

キャ ランテ

・uJ千、4

チ ギャ ラン

地伽蘭

チ  キ ラン

地伽蘭

地伽蘭

地地

タイ地

 

 

 

 

 

 

彗匂言ご敬司言〕日舞

タル マ  シウ       サツ

ルパ   ルマ  ソ       キシ

十七薩婆達磨修波利剃

十七酎婆郵掛僻波利剃

①㊥

①⑥

②㊦

②①

②⑳

②㊤

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僧伽兜略霊反阿羅帝波羅警六酎婆僻伽一ゴ酔鮮僻酎警七酎婆融磨修波利剃

僻廉恥酎豊反陣酢郁掛酢警ハ酎掛僻禦謡齢僻酎警七酎掛獣か僻掛帥純

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僧服即酎慧反阿羅帝波羅帝十六薩婆僧伽三郎が僻酢聖七薩婆達磨修波利剃

te sar畠Sa〓くa r禦akau卸a-竃hadOgati

si臼aまkr叫d〓e

箕ティ帝帝帝帝テ

ィ帝ティ帝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

刺せ云∵孔子ズふ手的呼こ警官代佗・私利軋争

十八配婆酎昏野馳慣部晰阿鋸ト伽妙十九彰阿楷書

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十八薩猷薩蠍棲駄情舎略阿免伽地十九辛阿批吉

十八薩婆薩埴棲駄情舎略阿鋸伽舶十九辛阿批吉

ロウ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十八薩婆薩蠍か酎慣斜略阿如伽妙十九辛阿枇吉

 

 

ト八酎掛掛砂か恥慨封酎陣か僻齢十九辛阿批吉

十八薩酎配賦際鮎情舎酎陣如僻警九割酵肝が

亀チ

利地

 

 

利-地

利地

 

 

利地

 

 

利地

 

 

利地

ティ

付へ

ティ帝

。十

帝。十

聖一十

ティ帝

。十

ティ帝

二十

ティ帝

二十

高山寺本の梵字の読み方は、どの様な学習伝承法が有ったのかは不明であるが、総体として、梵音た極めて忠実であ

る。当

praパ到、q勾dhaIロaダ到可、苦n呵到り、色n「刊川、懲pruホl可育三ntaバラ(ナタ)、

刈亀サ功つ詞当、才kIa朝刊到、ni独dhaImロa夕可窃当

右の例は、明らかに古い平安初期に行われていた母音調和式の梵字に従う読み方である。

梵語音の仮名表記を巡って

鎌 倉 時 代 語 研 究

一方で、新しいものも見られる。

そk篭キサ、跨k嘲iキシ、亀意主ティ、埼k竃キシャ、苗j書ジバ、旦卑喜nteパ川ティ、

久重。i亘aヂリ(ギヤ)

右の例は、母音消去式に相当している。従って、梵字の読み方は、母音調和式を保存しっつ、新しい消去式をも混在

させていると言える。

次に、漢訳字の読み方についてみると、全体が明らかに漢字音式のものである。

k昔日叉‖サ、ukku‖湛究‖オウキウ、こrte‖裏目チッ、dharロa‖達磨日夕ツ(但し左側仮名)、

uru‖郵横目イウロウ、等、以下略。

右の例は、原梵語音とは無関係に、その漢訳字の字音による読み方である。しかも、それ等は、呉音・漢音という日

 

 

 

 

 

本漢字音からみると、古い呉音系字音に従った場合が多いと言える。水‥裾・噂・履・目・牟等は呉音形に相当する。

 

 

 

但し、滝・究・浬・郵の如き漢音形も若干ながら混入されている。従って、漢訳陀羅尼の読み方は、原梵語音とはかな

り離れたものになっているのである。

この高山寺の情況を、前記1、2項の検討結果の延長線上に置いてみると、梵宇陀羅尼の読み方は、かなり忠実にこ

の大治元年時代まで伝承されているが、漢訳陀羅尼の読み方は漢字書式となり原音とは相当の離れを見せるに至ってい

たということになる。本書の読み方がどの様な系統を引いたものかについては、後に考えてみることにする。

次に醍醐寺本の四家の読み方について見ることにする。

先ず、「円仁<七九四~八六四>」の読みとするものについて見ると、他の三家と比較すると、原梵語音の形を保存

している場合が多い。項目k霊=叉‖キサ(他は叉‖サ・シャ)、勺pra‖簸=バラ(他は「ハ」)、春日bhyP

唱‖便“ビエン(他は「ベン」)、訂j書目座‖ジバ(他は「ザ」)、彗=Sta=多目サタ(他は「夕」)の様で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある。また、濁点は使用されていないが、「浬星(nlIgu)」の如く、濁音字母で注音されていること、「首迦(suka)」

の如く翌日字が使用されていることは、これ等が古い平安朝初期の=つまり円仁時代の=加点様式を反映している証拠

であろう。本点の「達磨」は「ダ瑚マ」となっており、そうすると、平安初期ではあっても、円仁は既に二重母音を新

しい母音消去式で読んでいたということになりそうである。

三井寺の慶詐<九五五~一〇「九>は、同じ天台宗であっても、特異な読み方を採用していたことになる。即ち、徹

底して漢音によって読んでいるのである。詳しいことは、右に掲げた用例で明らかなので、略すことにするが、漢訳陀

羅尼においては、この様に漠音読みに徹する「流も存在していたという証拠になるものである。従って「達磨」は「タ

ツバ」という形としても存在していたことになる。但し、今の所、類例が見出し得ていないから、一般的に広く流布し

た読み方ではなかったと推定される。

次の皇慶<九七七~二〇四九>、明覚<一〇五六~=二二以後>二家の読み方はほぼ共通しており、共に平安後期

~院政期密教経典における母音消去式併漢字書式に同じものと見て良い。天台宗の安定期に入った陀羅尼の読み方であ

ると言える。この二家の読み方と高山寺本の漢訳とは良く共通するので、高山寺本は天台宗系のものであろう。

最後に、真言宗の読み方である仁和寺本「真言集」の場合について見る。

本書の場合、振り仮名を見ると複数の仮名が加えられており、陀羅尼の読み方が決して安定していなかったことを物

語っているが、採用した方の読み(原本では、その仮名を○で囲んでいる)方を見ると、古い平安初期の形を採用して

いる場合が多い。例えば次の如くである。

扇∴野圭「轡射「酢や酎畢離、蠍

これ等は、先にも言及した様に、漢訳の段階で原梵語音の一部が無表記されたものであって、漢字のみに注目したの

では原音を復元することの不可能なものであって、梵文陀羅尼による読み方が背景になっているものであって、しかも

梵語音の仮名表記を巡って

鎌 倉 時 代 語 研 究                      四四

それらは、基本的に母音調和式となっている。この母音調和式であることは、右の両形並存例ばかりでなく、二形のみ

示されている例、

サラバ  ダ ラマ

薩婆、達磨、

もそうである。従って、本書の場合は、全体としては平安朝初期の梵字に則してよんだ母音調和式の姿を反映している

ものと見られることになる。高山寺本と同じ院政末期の資料ではあっても、真言宗の場合は、古い姿を留めた読み方が

行われていたことになる。真言宗の保守性を垣間みることができるのではないかと思われる。

以上、三項に亘って検討した所を纏めてみると次の如くになる。

①、梵文陀羅尼の読み方は院政期にまで降っても林凡字に忠実にしかも平安初期の母音調和式で読まれていた(厳密に

は、いる場合もあった)。

②、漢訳陀羅尼の読み方においては、天台宗内でも種々のものが行われていたが、時代が早いものは梵語書た忠実に、

時代が降るにつれて漢訳字の漢字音に従う読み方が強くなって来るという、時代的変遷が顕著である。寺門派慶辞

の如く、全く原梵語音に無関係に、漢音で読むという行き方も出現した。

③、これに対して、真言宗の漢訳陀羅尼の読み方は保守的であって、古い平安初期の母音調和式を保存する度合いが

非常に高い。これは2項で検討した一般の漢訳陀羅尼の場合についても、3項で検討した法華経陀羅尼の場合につ

いても全く同様であった。

④、②③の宗派による違いは両宗の教学が進歩的か保守的かの違いによる現象であろう。

なお、漢訳陀羅尼の場合、漢訳された時代の違いによって、充てられた漢字も異なり、字音も異なっている。法華経

陀羅尼の場合は日本漠字音の呉音で読んだ方が原梵語音には近くなり、孔雀経の様な新訳の場合には漢音で読んだ方が

原梵語音には近くなる。慶藤の読み方は従って、当然、原梵語音とは全くかけはなれたものとなってしまっているが、

多分「金剛界儀軌」等の密教経軌は、漠音読の方が適しており、その音読に日常携わっていた経験的事実が、法華経陀

羅尼にも適用されたものであって、天台宗では、そういう学問の在り方も許容されていたことが分かる。

二、梵語音と漢字音の仮名表記

扱、前項まにで検討した梵語音の仮名表記法は、梵語音のみに存在する(つまり日本語と中国語には存在しない)重

子音の表記を本邦人がどの様に行って来たかに就いて見たものであるが、この重子音を除くと、梵語音と中国語音に存

在して日本語には無かったものとして、所謂開拗音と促音(中国語では入声韻尾・梵字では浬磐点で示される-廿)、撥

音(中国語では鼻音韻尾・梵字では空点で示される1唱)がある。

更に、中国語のみに有って、日本語及び梵語に無い音として所謂合拗音が存在する。この音の表記は特に注目される

所となる。

今、これ等の音の表記がどの様になされて来たのかを、梵語音の場合は本稿で対象とした各悉曇章、漢字音の場合は

先学の指摘されている平安初期訓点資料の四点、即ち、史掘魔羅経(八〇〇年頃加点)、大乗阿枇達磨雑集論(八〇〇

(は)

年頃加点)、西大寺本金光明最勝王経(八三〇年頃加点)、地蔵十輪経(八八三年加点)を取り上げて、比較してみる

と、梵語音と漢字音の表記が同じ表記法(表記体系)の基盤を有していることが理解されるのではないかと考える。

即ち、基本的に、日本語の音節構造Ⅴ、CV構造に「外れる部分」及びその「周辺部分」が「仮名」でなく「漢字」

表記されていることを知ることができる。

《外れる部分》   (漠字音)

梵語音の仮名表記を巡って

(梵語音)

鎌 倉 時 代 語 研 究

○拗音部分(開)初・守・向・生等、

(合)化・鬼・果・火等

○撥音韻尾  疇・郎・(境等

○入声韻尾  (境二郎)等

去・沙・取・諸等

サム三ジ

ツ賓

(ジユツ)

勿論、右の部分は、∵万で仮名表記されている場合も存することは既に指摘されている通りである。即ち、開翌日の

部分は、漢字音の場合「シア」のような「ア行の仮名」で表記され、翌日・入声音は、一n‖二、lロ=ム、l占‖ウ、l

t‖ツ・チ、lp‖フ、lk‖ク・キの如き仮名と、無表記とがなされている。一方梵字の場合は翌日は「キヤ」の如く

ヤ行しか出現しない。韻尾は二種でl眉目ム、l廿=クで表記され、・廿は無表記の場合も存する。

《周辺部分》    (漠字音)        (梵語音)

(サウ)  へスイ)  (サイ)  (セウ)    (サウ)  (サイ)  (セイ)

○重母音(連母音) 草・水・西・少等 草・才・西

扱、少なくとも、漢字音と梵語音についてみると拗音の漢字音「ア行」対梵語音「ヤ行」の違いのみであって、他は

全て共通する方法であると見なすことが可能であろう。

同じく外国語として、梵語も中国語も、それをいかに表記して行くかの試行錯誤が共通して行われていたと見て良い

であろう。石山寺所蔵の一〇三二年加点「不動念諦次第」を見ると、漢字音も梵語音も「漢字」表記法が全く捨てられ、

開翌日はシャ、シユ、シヨ、の様にヤ行の仮名で、合翌日は「クワ、クヰ、クヱ」の如きり行の仮名で表記されている。

この後、よく知られている様に、仮名のみの表記としてこの形で最終的に定着する訳であるか、その出発点が同じ基盤

に在ったことを知ることができる。

但し、注目すべきは、漠字音の場合、開拗音は「⑰ア」の如くア行仮名で、梵語音の場合は「⑦ヤ」の如くヤ行仮名

で、出発しているものが、やがて、梵語音の表記のヤ行表記に定着したという点である。梵語音表記の方に吸引力が有

ったらしいのである。

拗音表記でもう一つ注目すべきは、合拗音が漢字音専用であって、梵語音の方には本来出現しないものであるが、そ

の合拗音の仮名表記が開拗音に比してかなり遅れたという事実である。この事実については、既に先学の指摘されて来

(-3)

た所であるが、なぜ遅れたのか。

梵語音では合拗音は出現しないから、これ等の仮名表記を工夫する試行錯誤は必要が無かった。全体に、外来語とし

ての中国語、梵語の仮名表記は、その重点が梵語によりかかって試行錯誤が行われて来た。その梵語に出現しない合拗

音であったが故に、その仮名表記の工夫が遅れたものではないであろうか。

外来語表記としての清濁の区別の工夫は、梵語音より始まり、漢字音へ波及した。四声点の実用も梵語音から始まっ

たのではないかと思われる。その声点の有気音無気音の区別も亦梵語音資料の方が出現は早い。これ等の事実は、梵語

音の学習の方に外来語としての学習の重点が置かれていたと見る方が事実に近いことを物語りそうである。従って、漢

字音から梵語音へ (或いは、漢字音を通して梵語音への)学習が及んだと見る従来の考え方は逆転して見なければなら

ない可能性が有るということになろう。

漠字音は直接学習が可能であった。梵語音は、中国を介しての間接的な伝来であったために、梵語音そのものを直接

学習することが困難であった。従って、梵語音は漢字音に比してより一層研究の対象化が必要とされ種々の試みや工夫

が要求されたものではなかろうか。

梵語の音節末子音はl廿とl唱とが有り、この二音は、話中に入ると所謂「連声」という現象を起こす。

l意次に来る子音によって同化されて-kk㌧-SS㌧.-ニー、Ipp-、に変化し、l虻は次に来る子音によって同化されて-白

日㌧-nn㌧-雲Iに変化する。

一方漢字音は当初は、この様な変化は起こらず、-p、⊥、-k、占、ln、』は独立的であって、平安後期に到って、-p

梵語音の仮名表記を巡って

鎌 倉 時 代 語 研 究                          四八

-「-kは所謂促音化を起こし、梵語と同じ現象を呈するようになったものであろう。-m、⊥㌔Idは、かなり後々まで独

立しており、現代語に到って「連声」現象に相当する同化現象を起こすものとなっている。

この様に見ると、漠字音よりも、梵語音の方が複雑であって、やはり日本人側から言うと、梵語音の連声の研究を通

してそれらの表記法の工夫も発達したものではないかと思われるが、この様な視点での検討は今後の課題としておきた

い。

注(1)(2)

(3)

例えば、澤田田津子「外来語における母音添加について」 (『国語学』第百四十三時)など。

『平安時代訓点本論考厨的鋸舶翌による。

書写奥書「嘉慶二年十一月十二日借得度山寺経蔵本/令書写之件本者覚大師将来正本云云尤為/規模字点等併以模本様託淫宏雷

票語間聖之/音堅琵間梨望/法印権大僧都賢宝等葦六」

(4)朱書本奥書「件書以天元五年八月十八日指専使賜松前以九月廿二日登山寄住/披雲房始白岡廿三日辛亥日至千国廿六日三箇日

之間大西閣梨御房/読巳畢同学康上人耳台学僧□□為後賢悉之」

奥書「永和四年冬比借得天台実厳僧正持本令書写了披/批記是智諾大師於福州所令受給也尤珍重之賢宝記之/ (朱)写本錐

有失点依繁略之了耳」

(5) 『。讃莞百辛車御豊把念随心院聖教類の研究』 (汲古書院一九九五年刊)に全文の影印を収載。

(6)馬渕和夫博士『日本韻学史の研究I』では、真言宗系統のものとして、淳祐の後、済嵐の前に置かれている。

(7、8、9、三馬渕和夫編『吉注解悉曇学書選集 第二巻』所収による。

(〓) この資料は築島裕博士が「古点本の片仮名の濁音表記について」 (『国語研究』) で紹介されたもので、奥書等は全てその論

文に譲る。本稿は築島博士より恵与を受けた写真による。

(邑春日政治「聖語蔵央掘魔羅経の字音点」 「高野山にて観たる古点本一二」 (以上『古訓点の研究』所収)、同『票苛本金光明最

勝王経古点の国語学的研究』、小林芳規「訓点における拗音表記の沿革」 (『王朝』第九号)、築島裕『平安時代語新論』等。

(トビ 注-N引用小林芳規博士論文参照。

[付記]本稿は平成七年八月十二日の第二十回鎌倉時代語研究会に於ける口頭発表を改稿したものである。

所番蔵号

ヲ宗 コ

派 ト点

東寺

二〇

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智箱院二

〇号

参考付図①

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(声ヅ)

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梵語音の仮名表記を巡って

参考付図②

鎌 倉 時 代 語 研 究

㌢ 丘p

ワ ラ ヤ マ バ \ノ ナ ダ 夕 ザ サ ガ カ ア

梵語

漢語

和語

書写

加点

書名

、互 せ .↓ 々 丁 \′ れ 九

マ平安中期写

ヲコト点

同時期加点

+八悉

立早

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芥鴫佃

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七 介

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ヲ ロ ヨ モ ポ ホ ノ ド ト ゾ ソ ゴ コ オ所蔵

番号有

やチ

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(ナシ)

東寺観智院

二〇

一箱三号

参考付図③

睾e受

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う ワ ‾フ ヤ マ バ \l/ ナ ダ 夕 ザ サ ガ カ ア

梵語

漢語

和語

書写

加点

書名

え 貯

Lやィ

(ン)

‾っ ヤ 東

易 、yハyノ

党示

カ pl 嘉

慶二年東寺賢宝師の書写移点本

ヲコト点

祖本は慮山寺経蔵本、祖点は平安中期のものと推定される。

立早

慈覚大師請来

全雅伝与本

雷0

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吾p

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呟 宕 朱 押

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ヲ ロ ∃ モ ボ ホ ノ ド ト ゾ ソ ゴ コ オ所蔵

番号観 茶 し

ェィ

ロ 月

ノ ト ソ∴程

天台宗山門派

叡山点

東等観智院

二〇

一箱

「九号

梵語音の仮名表記を巡って

五一

参考付図④

鎌 倉 時 代 語 研 究

窯苫

雷く

ヌ ワ ラ ヤ マ バ \ノ ナ ダ 夕 ザ サ ガ カ ア

梵語

漢語

和語

書写

加点

書名

ナマ

ク′ユ

ム う ヤ 丁

ヽノナ ハブ 髭 裁 カ ア

永和四年東寺賢宝師の書写移点本

ヲコト点

祖本は天元五年

〈九八二〉大西阿閣梨御房の読点0

立早

智者大師請来

正伸

hヽp ヰ リ 、、、

ビ ヒ ニ ヂ チ ジ シ ギ キ イ

一一4ケ手4

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正巳

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ヱ レ 江 メ ベ へ ネ デ テ ゼ セ ゲ ケ エ

1ノキィ

ムノし⇒一丁

エ 人 1ノ

‾ナ′

ぞ 介

ヰ鼠

屋音 ヲ ロ ヨ モ ボ ホ ノ ド ト ゾ ソ ゴ コ オ

所蔵

番号ナ

ヤィ

わ′ヤテ

レ⇒モ ノ ト

′ソ

(ナシ)

東寺観智院

二〇

一箱

一七号