言語論からイメージ(像)論へ - 日本大学文理学部3 33 3333333333,<観念化...
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1)「イメージ」論のモティーフ
A)吉本思想における「イメージ」論の位置
B)イメージ論のモティーフ
2)言語と想像力
A)言語と人間的意識
B)言語と像(イメージ)
C)想像力への視点
D)『言語にとって美とはなにか』以後
1)「イメージ」論のモティーフ
A)吉本思想における「イメージ」論の位置
吉本隆明の体系的思想は,『言語にとって美とはなにか』(65.05A, 65.10A,以下『言美』)1)
によって開始され,必然的にそれを補うように『共同幻想論』(68.12A,以下『共幻』)と『心
的現象論序説』(71.09A,以下『心序』)が書かれた。この三著作は,70年代前半までの吉本
の思想を代表するものとして知られている。これら三著作以降,80年代に入ると,吉本の体
系的思想は(心的現象論の本論部分は『試行』に継続的に書き継がれていくが)新しい展開を
見せ始める。その新しい展開の要に置かれることになったのが「イメージ(像)」の概念であ
る。文字通り,イメージ論(『マス・イメージ論』『ハイ・イメージ論』等)として展開される
場合もあれば,都市論や超資本主義論のように,背後にイメージを置いて別様に展開される
ことにもなった。もちろん,思想において「瓢箪から駒」などはあるわけもなく,これら三
著作も像(イメージ)を問題にしているし,その後イメージ論として展開されることになる
思想的必然がそこにはある。
本稿では,①イメージ論として積極的に展開される以前の思想において,イメージがどの
ように考えられたか,また②なぜイメージ論として展開されなければならなかったのか,そ
の思想的な必然性について,『言美』とその前後の著作を中心に論じる 2)。
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言語論からイメージ(像)論へ
―吉本隆明の所説をもとに―
石 川 晃 司
言語論からイメージ(像)論へ
B)イメージ論のモティーフ
吉本は,後年『言美』『共幻』『心序』を,ひとつの著作として総合的に展開すべきだったと
述懐している。確かにその通りで,たとえば『共幻』のある部分を理解するには『心序』の知
識が不可欠(あるいはその逆)といったことが起こることは,読んだことがある者なら体験
的に知るところであり,これら三著作は相補うようにして,一つの大きな世界観を形成して
いる。私は,これら三著作を纏める要の位置にイメージを持ってくることになったのではな
いかと考える。吉本は,イメージ論を展開したモティーフについて二つあるとして,その一
つについて次のように語っている 3)。
「以前に文学を言語の表現とかんがえて『言語にとって美とはなにか』という表現の理
論をつくってきました。そのときは文学の表現とか,映像表現とか,絵画の表現とか,
映画の表現とかは根柢に言語があって,様々な形で派生したものだという理解の仕方を
していました。そうかんがえると言語と映像その他の関係は何となくかんがえやすいと
おもえたんです。ところが近年になってだんだんじぶんでもそうはおもえなくなってき
たところがあります。現在では画像の表現であるとか映像の表現であるとか音楽の表現
であるとかのひとつとして,言語の表現である文学があるという位置づけの仕方をしな
いと,考え方としては駄目なんじゃないかなとおもえてきたのです。ですからイメージ
としての文学とはどういうことかを他のイメージ表現つまり映像や画像の表現と同じよ
うに扱うことはできないだろうか,また扱ったとしたらどういう扱い方ができるか,そ
ういう発想に変えないといけないんじゃないかということがモチーフとしてあった」
(85.05b=48)
従来の「言語」に代えて「イメージ」を基底に据えることによって認識の拡大を図っている
ことがわかる。だが,これを具体的に理解するためには,吉本が言語をどのように捉えたの
かを知らなければならない。引用文中「文学の表現とか,映像表現とか,絵画の表現とか,
映画の表現とかは根柢に言語があって,様々な形で派生したものだ」という考え方の背景に
は,人間的意識(対自的意識)の発生あるいは根源には言語があるという認識が控えている。
ここからすれば,およそ人間に固有な表現には,なんらかの形で言語が絡んでいるとかんが
えることになるのは当然のことだ。だからこそ,言語を中心として表現の理論を組み立てる
ことができるとされた。人間的世界において言語の果たす役割の重要性は変わらない。人間
的意識(対自的意識)の成立に言語の自己表出機能が関係していることは明らかであり,そ
の視点を吉本は後年になっても手放してはいない。だが,言語的なモデルで,人間的領域の
すべてを解決することができるわけでもないというのがイメージ論への転換の基本視点であ
る。
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言語論からイメージ(像)論へ
こうして,言語表現論をイメージ論へと転換させていくのだが,ここから何がもたらされ
るのか。「画像の表現であるとか映像の表現であるとか音楽の表現であるとかのひとつとし
て,言語の表現である文学がある」―この部分からは,単にイメージを軸として文学を捉え
ることが問題となっているように聞こえる。だが,その後のイメージ論を読むと,イメージ
をあらゆる人間的領域を包摂する軸として捉え,そこから分析していこうとしている。
この問題に踏み込むためには,まず吉本は言語をどのように捉えたのか,とりわけ人間的
意識との関係で,また像との関係でどのように捉えたのか,について考察を加えることが必
要である。
2)言語と想像力
A)言語と人間的意識
『言美』は,作品の印象批評ではなく,文体論として文芸批評を確立しようとする試みで
ある。ここにおいては,当然,言語の本質が問題となる。言語を自明の存在と見なすところ
から出発するのではなく,その存在を本質論的に問い,その発生の機序を俎上にあげるとき,
意識(人間的意識)の発生との関連が問われることになる。なぜ,ひとは言語を発するのか,
あるいは文学との関連でいえば,なぜコトバを発して文学なるものが成立するのか,その際
のコトバとはなにかが,本質的な次元で問題とされることになる。この問題について私は既
に別の論文で何度か触れているが,想像力を考える上でも重要なところなので,またこうし
た点が『言美』を本質的な議論にしている所以なので,再度触れておく 4)。
他の生物から区別される人間の独自性は,いわゆる人間的と呼ばれる意識領域(対自的意
識の領域)をもつところにあるが,この人間固有の意識(対自的意識)とはなにか。それは
いかにして発生したのか,可能となったのか,如何なる性格をもつのか,それが存在するよ
うになって人間の「こころ」の中はどのような変容を受けたのか,等の問いはさらに遡らな
ければならない。
吉本によれば,自己意識は<脳髄が脳髄について考える>という作用だが,この作用には
①<脳髄が脳髄の作用を直接に(自体的に)識知する>という過程(即自的識知)と,②<脳
髄が脳髄をあたかも自体の外にあるかのように識知する>という過程(対象的識知)の二つ
の経路が必要である。このうち②の過程(的矛盾)は人間にだけ可能な「心的領域」である。
なぜなら「前者の自体的な識知は,あきらかに生理過程の<変容>そのものであり,信号,
反応,刺戟,伝播という概念で記述できる<状態>」であるが,「後者の対象的識知は3 3 3 3 3 3 3 3 3
,生3
理(自然)過程の自己矛盾であり3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3
,<観念化3 3 3
>という概念を与える以外に3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3
,
理解の方法はな3 3 3 3 3 3 3
い3
から」(72.05b=6,傍点は引用者)だ。そして,この「観念化」の根幹に言語,とりわけ自
己表出としての言語(言語の自己表出の側面)を措くことになる。
人間はなぜ言語を発するのか。これについては,「何ごとかをいわなければならなくなっ
た」現実の必要性(もちろんこれは実用の面に限るわけではない)が人間の内部に累積され
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言語論からイメージ(像)論へ
てきたという他ない。「自己表出」(自動表出)5)の概念で捉えてゆくのはこの事態である。
通常,私たちは言語のもつ,何ものかを指示する機能(吉本の用語で云えば指示表出),コミュ
ニケーション機能にまず着目する。しかし,言語は自己表出と指示表出の二つの局面を含む
ものであって,しかも,その発生の場面において考えるならば,自己表出の役割が重要性をもつ。
「この人間が何ごとかをいわねばならないまでになった現実の条件と,その条件にう
ながされて自発的に言語を表出することのあいだにある千里の距たりを,言語の自己表
出(Selbstausdrückung)として想定できる。自己表出は現実的な与件にうながされた現
実的な意識の体験がつみ重なって,意識のうちに幻想の可能性としてかんがえられるよ
うになったもので,これが人間の言語が現実を離脱してゆく水準をきめている。それと
ともに,ある時代の言語の水準をしめす尺度になっている。言語はこのように,対象に
たいする指示と,対象にたいする意識の自動的水準の表出という二重性として言語本質
をつくっている」(65.05A=29)。
ここで云われている意識はもちろん自己意識の意味ではなく,それが存在する以前のいわ
ば,まだ他者や自己との明瞭な関係づけを含まない,即自的に近い意識である。また,幻想
とは観念と読み替えてよい。観念と云うとき,意識が自己矛盾をおかし冪乗された領域とし
て疎外された意識(先ほどの例でいえば<脳髄が脳髄をあたかも自体の外にあるかのように
識知する>過程)を意味している。このような矛盾をおかさない限り,自己表出の欲求を満
たすことができなくなったのである。そしてこの矛盾の止揚を媒介するのが言語に他ならな
い。吉本は言語の発生について次のように語っている。
「言語は,動物的な段階では現実的な反射であり,その反射がしだいに意識のさわり3 3 3
を含むようになり,それが発達して自己表出として指示機能をもつようになったとき,
はじめて言語とよばれる条件をもった。この状態は「生存のために自分に必要な手段を
生産」する段階におおざっぱに対応している。言語が現実的な反射であったとき,人類
はどんな人間的意識ももつことがなかった。やや高度になった段階でこの現実的反射に
おいて,人間はさわり3 3 3
のようなものを感じ,やがて意識的にこの現実的反射が自己表出
されるようになって,はじめて言語はそれを発した人間のためにあり,また他のために
あるようになった」(65.05A=30-1)。
心の中のさわり3 3 3
のようなものがひとたび有節音として発せられると,それは他者に向かう
側面と自分に向かう側面とをもつことになる。自分に向かうヴェクトルは,このさわり3 3 3
のよ
うなものを強化することになるはずである。このような過程が続き,徐々にさわり3 3 3
は蓄積さ
れ,自覚的に表出されるようになったとき対自的意識が徐々に顔を見せ始める。これは,言
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言語論からイメージ(像)論へ
語の成立とパラレルである。
吉本は次のような例を挙げている。海をみたことのない狩猟人が,ある日海岸に迷いでて,
ひろびろとした青い海をみたとする。このとき狩猟人が,海が視覚に反映したときの叫びと
して<う>という有節音を発したとする。しかし,表面的には同じだとしても,この<う>
という叫びがどのような意識の段階で発せられているのかは三段階に分けられる。
① 人間の意識が動物的な段階にあるとすれば,<う>という叫びは,対象に対する現実
反射という意味しか持たない。例えば,無言語原始人の場合がこれにあたる。(図1)
② 人間の意識がさわり3 3 3
の段階にあるとすれば,<う>という有節音にはさわり3 3 3
が込めら
れ,意識の自己表出として発せられることになる。これは,一定の対象を指示でき,指示さ
れたものの象徴としての機能をもつようになる段階であり,このとき「類概念を象徴する間
接性といっしょに,指定のひろがりや厚さを手に入れることになる」(65.05A=39)。(図2)
③ 「音声はついに眼のまえに対象をみていなくても,意識として自発的に指示表出がで
きるような」(65.05A=39)段階。「自己表出のできる意識を獲取しているとすれば<海う
>とい
う有節音は自己表出として発せられて,眼前の海を直接的にではなく象徴的3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3
(記号的)に指
示することとなる」(65.05A=31)段階であり,ここにおいて,言語としての最小条件をもっ
たということができる。「音声はついに眼のまえに対象をみていなくても,意識として自発
的に指示表出ができるような」段階(65.05A=39)であり,この意味では言語の完成はイメー
ジの想起力の完成に他ならない。この③の段階に至って自己表出力によって現実対象を起重
機のように持ち上げ,イメージとしての対象を持つことになる。これは,「有節音はそれを
発したものにとって,じぶんをふくみながらじぶんにたいする音声になる3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3
。またそのことに3 3 3 3 3 3 3
よって他にたいする音声となる3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3
。反対に3 3 3
,
他のためにあることでじぶんにたいする音声にな3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3
り3
,
それはじぶん自身をはらむといってもよい3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3
」(65.05A=31,傍点引用者)という事態に他
ならない。(図3)
③の段階が可能になるのは,自己表出として発せられた有節音声が「意識に反作用をおよ
ぼし心の構造を強化していった」(65.05A=40)からである。したがって,言語の発生は器官
的・生理的過程へと解消するわけにはゆかず,観念それ自体の矛盾の構造において把握され
図 1 図 2 図 3
(『言美』38-40頁より)
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言語論からイメージ(像)論へ
るべきものである。言語問題においては「身体の生理感覚器官の発達(これは労働の発達に
ともなう,自然としての人間存在の発達である)と,意識の強化・発達(これは意識の自己
表出性の発達にともなう自己を対象化しうる能力の発達である)とを区別してあつかうべ
き」(65.05A=40)ということになる。
有節音声が言語としての条件をもったとき,「言語は現実の対象と一義的(eindeutig)な
関係をもたなくなった」(65.05A=41)。つまり「自己表出として<海う
>といったとき,<う>
という有節音声は,いま眼のまえにみえている海であるとともに,また他のどこかの海をも
類概念として抽出していることになる」(65.05A=41)。このことは,逆にいえば,人間は言
語を使用することによって,動物がそうであるようには対象そのものに到達することができ
なくなったことも意味する。「有節音声は自己表出されたときに,現実にある対象との一義
的なむすびつきをはなれ,言語としての条件をぜんぶそなえた。表出された有節音声はある
水準の類概念をあらわすようになった。また自己表出はつみかさねられて意識をつよめ,そ
れはまた逆に類概念のうえに,またちがった類概念をうみだすことができるようになる。お
そらくながい年月のあいだこの過程はつづくのだ」(65.05A=42)。
吉本は言語の対他的側面(指示表出)だけを強調する一般的な見解に対して,対自的な側
面すなわち自己表出の側面を見て,言語がそれらの錯合であることを強調する。既にできあ
がった言語の機能的な側面だけを表面だけで見た場合,この自己表出(自動表出)の側面は
なかなか読み取ることが難しい。吉本は言語の発生論を本質論的に展開することによって,
対自的側面を見いだし,さらに自己意識の発生の問題へと関連づけることができた。いわば,
人間の意識(自己意識)は言語から切り離すことはできない。まず意識があって,しかる後
に意識によって言語が行使されるのではない。言語と意識は根源的な次元で結びあっている6)。
B)言語と像(イメージ)
吉本は,『言美』の言語本質論で,言語との関連で像(イメージ)について明らかにしてい
る。この論議は,『言美』の理論的装置のなかで,意識発生と言語の関係を明らかにした点
と並ぶ重要性をもつ。
吉本は言語における<文字>や<像>について,たんに表面的になぞるのではなく,文字
は如何にして発生したのか,文字の発生は如何なる意味をもつのかといった内面的・本質的
次元から論究してゆく。吉本によれば,言語が文字としてかきとめられるにいたったとき二
つのことが意味されている。つまり,①「言語の音声が共通に抽出された音韻の意識にまで
高められたこと」,および②「その意味伝達の意識がはっきりと高度になったこと」である
(65.05A=97)。文字の成立によって,人間的意識は自分にとってと同様,他者にとっても明
確なものとなる。
「文字の成立によってほんとうの意味で,表出は意識の表出と表現とに分離する。あ
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言語論からイメージ(像)論へ
るいは,表出過程が,表出と表現との二重の過程をもつようになったといってもよい。
言語は意識の表出であるが,言語表現が意識に還元できない要素は,文字によってはじ
めてほんとの意味でうまれたのだ。文字にかかれることで言語の表出は,対象になった
自己像が,じぶんの内ばかりでなく外にじぶんと対話をはじめる二重のことができるよ
うになる」(65.05A=97)
言語が音声だけに頼っている段階においては,複雑な思考を生み出すことも,またそれを
伝えることも不可能である。逆に云えば,文字に定着されて初めて複雑な思考が可能になり,
それを伝えることが可能になる。このことは,文字に定着された思考の内容が相対的に自分
から独立し,自分に対峙することを意味している。いわば文字に定着されることによって単
なる自己表出を超えて表現という次元を獲得する。ここで表現というとき,まず個人に即し
対自性を強調して語られていることに注意すべきである。言語の対自性は同時に対他性にほ
かならないが,一般には対他性の側面だけが強調され,その結果,言語は他者との意志疎通
の手段にすぎないと矮小化されることになる。だが,文字は人間の内的な必要性によって発
生し,強化されたものであり,誰かの思いつきや発明によってもたらされたものではない。
(もちろん,「自己表出にアクセントをおいてあらわれる自己表出語と指示表出にアクセント
をおいてあらわれる指示表出語」があるのと同じで,文字においてもどちらかにアクセント
おいてあらわれる「自己表出文字と指示表出文字の区別があるだけ」(65.05A=98)であり,
これだけが本質的であるとされている。)
さらに,<像>に関しても吉本は独特の見解を披瀝する。指示表出語が概念や意味をもつ
ことは見易いが,これは同時に像を喚起する。「たとえば,<石>という名詞は,石の概念
を意味するとともに,表現の内部では3 3 3 3 3 3 3
任意の石の像を表現し,また喚びおこす」(65.05A=99)。
(この<石>の像は人によって異なっている。)だが,吉本によれば,像の喚起は指示表出の
度合が強い語ほど大きいにしても,指示表出語に限られるわけではない。たしかに「名詞か
ら副詞のほうへ,いいかえれば,指示表出からしだいに自己表出へアクセントをうつしてあ
らわれる言語ほど,この像の表象力や喚起力は弱まってゆくことが手やすく了解される」し,
「助詞とか助動詞とか,感嘆詞のような自己表出語は,それ自体で像を表現したり喚びおこ
したりする力をもたない」(65.05A=100)ようにみえる。しかし,それでも「自己表出」性が
強い語(たとえば助詞)が像を結ばないのではなく,結ぶと考えるべきである。言語は全て,
指示表出性と自己表出性の両側面をもち,それらの錯合として現れる以上,たとえば助詞や
助動詞,感嘆詞といった自己表出語についても,微弱ではあっても像を結ぶと考えるべきで
ある。この間の事情は理論的に次のように説明される。
「たとえば,<ああ>ということば,<に>という助詞,<……である>という助動
詞は,具体的な像をよびおこさないし,具体的な像を表現もしない。これらのことばは,
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言語論からイメージ(像)論へ
意識の自己表出であることが,ただちに指示性であるため,表出が意識それ自体に直接
に反作用をおよぼし,他との関係を喚びおこさないからであるとかんがえられる」
(65.05A=105)。
助詞や助動詞,感嘆詞も含めて,言葉はすべて像を持つ―こうした理解は,たぶん言語学
者はとらない。こうした理解の仕方に詩の実作者としての吉本の体験が反映されているかも
しれない。だが,重要なことは,体験的にというより理論的に語られていることである。ま
た,この像の概念は吉本の言語論(言語表現論)にとって生命線をなしている。だからこそ
次のように述べられることにもなる。
「言語が意味や音のほかに像をもつというかんがえを,言語学者はみとめないかもし
れない。しかし<言語3 3
>というコトバを本質的な意味でつかうとき3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3
,わたしたちは言語
学をふり切ってでもこの考えにつくほうがよい」(65.05A=100,傍点は引用者)。
この引用に関して,傍点を付した部分に注目しておきたい。「本質的な意味」とは,人間
の言語が自己表出の側面を手にいれたために「視覚が反映したものにたいして反射的に発し
た音声という性格をはやくからすててしま」(65.05A=101)い,さらにそのことによって人間
的意識と密接な関連を有するようになったことを意味している。
既に註6で,人間的意識の成立根拠に関して「言語」に求める立場と「知覚」に求める立場
とがあり,吉本は前者をとっていることに触れた。吉本は知覚作用について,全体的構成が
いかにして起こるかは,<観念化>の概念を設けないことには説明がつかないとし,人間的
意識成立の根拠を知覚に求める立場を退ける。例えば視覚の場合を考えてみれば,「生理過
程として確かに実在するのは,各分担神経組織を伝播される刺戟の質量だけであり,なぜそ
れが脳髄の視覚野に到達したときに,全体的構成が起こるのかは不明」であり,「ここでも
生理過程は,対象物からうけとる神経刺戟だけから,対象物を全体的に構成して把握し,了
解するという矛盾に当面」している。そして,この生理的矛盾を解消する方法は「矛盾を<
観念>の領域へと疎外するほかに」(72.05b=6)ありえない。私たちは一定の知覚作用によっ
て対象を受け取る。しかし,ここからどのような全体像をつくりあげるかは知覚作用それ自
体からは説明がつかない。言い換えれば,知覚作用によって受け取った素材をどのように構
成するかは知覚作用とは別個の過程に属している。この了解の過程は,観念化ということに
よってしか説明がつかない。そしてこの観念化=了解の根本には<言語>がある。つまり,
知覚作用を完成させるものとして,言語が枢要な役割を果たしているとされる。吉本が「文
字は像をもつ」という点を強調するのは,以上のような視点からである。
「音声は,現実の世界を視覚が反映したときの反射的な音声であった。そのときには
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言語論からイメージ(像)論へ
あきらかに知覚的な次元にあり,指示表出は現実世界を直じ
かに指示していた。しかし,
音声が意識の自己表出として発せられようになると,指示は現実の世界にたいするたん
なる反射ではなく,対象とするものにたいする指示にかわった。いわば自己表出の意識
は起重機のように有節音声を吊りあげた」(65.05A=101)。
言語が知覚的な次元から離脱し,自己表出をもつようになって<像>が可能になった。だ
が,一目してわかるように「言語の像をつくる力は,指示表出のつよい言語ほどたしか」
(65.05A=102)である。この意味でいえば「言語の像は,言語の指示表出と対応している。い
いかえればつよい自己表出を起動力とするよわい指示表出か,あるいは逆によわい自己表出
を起動力にしたつよい指示表出に起因するなにか3 3 3
」(65.05A=102)である。言語はすべて自己
表出と指示表出の二側面をもち,この二側面が交錯するところに,「あたかも,意識の指示
表出というレンズと自己表出というレンズが,ちょうどよくかさなったところに」
(65.05A=102),<像>が生まれる。「もしも,言語が像を喚起したり,像を表象したりでき
るものとすれば,意識の指示表出と自己表出とのふしぎな3 3 3 3
縫目に,その根拠をもとめるほか
はない」(65.05A=101)のである。
吉本は,像的な領域をもつことができるのは「じぶんに対象的になったじぶんの意識が,
<観念>の現実にたいして,なお対象的になっているといった特質のなかで,言語として表
出されるとき」(65.05A=103)であると述べる。つまり,対自的意識によって捉えられた現実
を,さらに対自的意識によって言語に移しかえられるとき像が生み出される。
<像>は,通常考えられるように知覚によってではなく,言語によってこそ可能になる。
<像>は意識の相関者であり,したがって言語の相関者なのである。私がいま眼をつむって
「妻」の顔を思い浮かべるとする。別に「妻」という文字を見せられてそれに触発されなくと
もよい。このとき言語は何の関与もしていないようにみえる。しかし,「妻」を思い浮かべ
ようとするとき既に「妻」というコトバは私の頭の中に入っており,そのことによって
<像>が可能になる。私たちが思い浮かべる<像>がディティールを欠いている(パルテノ
ン神殿を思いうかべることはできても、柱の数をかぞえることはできない)のは,それが言
語の自己表出の励起力に根拠の一端を置いていることの証左のようにおもえる。
吉本は,カントが『判断力批判』において展開した想像力(構想力)の理論を(その時代的
限界を認めながら)高く評価している。カントは美との関連で想像力(構想力)の不思議な
機能に言及している。吉本が引用しているカントの言葉の一部を引いてみる。
「想像力は吾々に取りて全然不可解なる仕方に於て,概念に対する符号をば,時に応
じて遠い過去からしてさえも喚起せしめるばかりでなく,異種類或は更に同種類に属す
る諸対象の名状し難き多数の中からして,一定の対象の姿及び形をさへも再生せしめる
ことが出来る。更に又,心意が比較を事とする際には,想像力は,仮令その過程が十分
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言語論からイメージ(像)論へ
に意識にあらはれないにしても,あらゆる点から推して恐らくは実際に,形像を形像の
上に言はば重ね合はして,そして数多くの同種類の形像の合致からして,其等総てに対
する共通の尺度たるべき平均的なるものを作り出すことも出来るのである」(大西克礼
訳)(65.05A=103-4)7)
「全然不可解な仕方で」とことわっている通り,結果的にそういうことが起こっていると
いうことで,なぜそうなるかについてはわからない。だが,私たちからするならば,なぜそ
ういうことが可能になるのかが問題なのだ。
いま私がある成年男子を見て「彼は背が大きい」と感じる場合,この感じを経験的にもつ。
大きいとか小さいといった感じは,当然のことながら一定の平均的な値を前提しており,カ
ント的に云えばこの全ての成年男子の形像を重ね合わせて色が最も濃く重なり合うところの
平均的形像を,私は想像力によって知っているとされる。そしてこの想像力を私たちは歴史
的に培ってきている。つまり,想像力には歴史的な沈澱ないし連続性とでもいうべきものが
込められている。この身長の例だと,殊更に歴史的に形成された想像力などと云わなくても,
周りの人々を見て,相対的に「高い」「低い」を感じることが可能だろう。だが,美の観念な
どになるとそう単純にはいかない。私がある女性をみて「美しい」と視覚的に感じるのはど
うしてなのか。「美しい」と感じるためには,私のなかに「美」の観念が宿っていなければな
らない。この観念が歴史的に形成されてきたとしても,それが私という個人にどのようにし
て形成ないし継承されるのだろうか。吉本が執着しているのはここである。吉本はこのカン
トがいう色が最も濃く塗り重ねられるところに「言語の意識の指示表出と自己表出の縫目を
対応させる」(65.05A=104)ことができると云い,言語における像は「言語の指示表出が自己
表出力によって対象の構造までも3 3 3 3 3
さす強さを手にいれ,そのかわりに自己表出によって知覚
の次元からははるかに3 3 3 3
,離脱してしまった状態で,はじめてあらわれる」(65.05A=105)とす
る。
この後,具体的な例を挙げて,文学表現における価値,意味,また特に像について言及し
ている。吉本によれば,私たちがある(文学的な)文章を読むとき,そこに単に概念的な意
味だけではなく,それを一定の<含み>のある文章として理解する。吉本は「彼はまだ年若
い夫であった」という単純な文を取り上げ,かりに「<彼>とか<夫>とかいう言葉の意味
をしったばかりの小学生を想定してみれば,かれはこの文章を意味としてしかうけとれな
い」であろうが,一定の水準をもった読者であれば,この文章を文法的にではなく,一定の
<含み>をもったものとして,つまり「自己表出をふくんだ価値」(65.05A=109)として読む。
この<含み>は私たちが知らず知らずのうちにおもい描いている像によってもたらされてお
り,「像をうかべるとき,わたしたちは,この表現を単に意味としてではなく,価値として
たどっているのである」(65.05A=110)。
価値として辿る―像が価値との関連で捉えられていることを,私たちは見逃すべきではな
116
言語論からイメージ(像)論へ
いだろう。そして,このようにして価値としてある文章を辿れることは,言語が,というこ
とは意識が根本的なところで連続性をもち,連帯しあっていることを意味している。これは,
いうまでもないことだが,私たちが意識するとせざるとにかかわらない。確かに「ある時代,
ある社会,ある支配形態の下では,ひとつの作品はたんに異なった時代のちがった社会の他
の作品にたいしてばかりでなく,同じ時代,同じ社会,おなじ支配の下での他の作品にたい
してはっきりと異質な中心をもっている。そればかりでなく,おなじひとりの作家にとって
さえ,あるひとつの作品は,べつのひとつの作品とまったくちがっている」(65.05A=169)。
ひとつの作品はそれ自体として独立した比類のないものである。だが,これは言語の<指示
表出>という中心から見られた場合であって,<自己表出>という中心からは全く逆の結論
を同じ論拠によって導き出すことができる。つまり,「あるひとつの作品は,たんにおなじ
時代のおなじ社会のおなじ個性がうんだ作品にたいしてばかりではなく,ちがった時代のち
がった社会のちがった個性にたいしても,まったくの類似性や共通性の中心をもっていると
いうように」(65.05A=169),である。この「類似性や共通性の中心は,言語の自己表出の歴
史として時間的に連続して」おり,言語の指示表出性が「外皮では対他的な関係にありなが
ら中心では孤立している」のに対し「言語の自己表出性は,外皮では対他的関係を拒絶しな
がらその中心で連帯している」(65.05A=169)のだ。
この「自己表出としての言語の表現史というところまで抽出することで(文学の―註)必
然史」(65.05A=176)が可能になる。「ひとつの作品から,作家の個性をとりのけ,環境や性
格や生活をとりのけ,作品がうみ出された時代や社会をとりのけたうえで,作品の歴史を,
その転移を考えることができるか」という問題は,「文学作品を自己表出としての言語とい
う面でとりあげ」,「自己表出からみられた言語表現の全体を自己表出としての言語から時間
的にあつかう」場合において可能になるのである(65.05A=175)。このような見方においては
「環境や人格や社会は想像力の根源として表出自体のなかに凝縮されたものとみなされる」
(65.05A=175)ことになる。
吉本の『言美』は文学という領域に限定して(引き寄せて)書かれているが,ここでおそら
く私たちは,言語という視点を中心に観念(上部構造/幻想領域)の歴史と構造を本質論的
に扱う方法を手にいれたのである。『言美』はこの後この著作の白眉ともいうべき「表現転移
論」「構成論」に入り,さらにこの著作での問題意識は『共幻』,「心的」へと拡大されるが,
本稿ではいったんこの著作から離れよう。
C)想像力への視点
文学において想像力が重要な位置を占めることは云うまでもないが,日本においては,想
像力とは何かについて充分に議論されてこなかった。想像力はどのように考えられるべきな
のか。吉本は『言美』を構想している時期に書かれた「想像力派の批判」(60.12a)で想像力
に言及している。この論文は,もともとは,当時,江藤淳,中村光夫,佐伯彰一,村松剛,
117
言語論からイメージ(像)論へ
篠田一士らの間で活発に取り上げられた想像力と言語に関する問題をあつかったものだ。吉
本は,このいわゆる「想像力派」の議論について,『作家は行動する』に結実した江藤の議論
を除けば,「イメージをつくりだす力が想像力だなどという空疎な概念をふりまわして日本
近代文学の歪みを照らしだそうと試みている」(60.12a=316)にすぎないとして,次のように
批判している。
「これらの論者たちにひつようなことは,想像力というものが,けっして作家のほし
いままにできる空想力のことではなく,それが,時代の,くわしくいえば,社会の発展
段階からの制約を負うものであり,想像力の本質が作家の個性や方法や傾向をこえるあ
るもの3 3
(こういっておく)をふくむということを認識することでなければならぬ。それ
なしには,近代文学の歪みを想像力のもんだいから照らしだすことはできないのであ
る」(60.12a=306-7)
作家の個性や方法や傾向をこえるあるもの3 3
を含む想像力とは何か,それはどのような性格
をもつのか,想像力を所有するとはどのような意味をもつのか,等の問いに答えることに
よってその本質を明らかにし,その特殊な適用として文学に踏み込むほかない。ここでは,
想像力に内在する「客観なもの」に視点が当てられている。想像力は,単に個人によって行
使される主観的なものではなく,現実の社会構造や個人の歴史的現存性と,さらには人間の
自由と関連を持って捉えられることになる。もちろん,いま文学を問題にしているからこの
ように語ることになるが,想像力それ自体は文学の専売特許というわけでもない。つまり,
人間存在の全体にかかわる概念として提示される。
「想像力派」の中でも,吉本は,例外的に『作家は行動する』8)で展開された江藤淳の見解
を高く評価している。だが,江藤以上に,批判に値するとして高く評価したのは,江藤が『作
家は行動する』で批判したサルトルの想像力論である。江藤同様,サルトルも想像力を「自由」
の問題に引きつけるが,さらに緻密である。サルトルの想像力論は『言美』や『心序』でも取
り上げられており,その関心の高さがうかがわれる。以下,サルトル批判を通して,吉本の
想像力論を検討してみる。
意識が対象を把握する場合を考えるとき,サルトルは概念として把握する作用と,感覚と
して把握する作用の織目に想像作用を設定している。「意識の概念作用は,一挙に対象物の
中心に身をおいてする識知であり,いっぽう,感覚作用は対象物をおもむろにめぐり,たし
かめてえられる外見の総合的統一のことである」(60.12a=310)。想像作用は一見すると感覚
的な識知に似ているが,「感覚は対象物をおもむろにたしかめ,つかみ,その全体をつくり
あげるのに,想像は一挙にその像をはあくする」点で,また「想像作用におけるイメージの
対象物は,それを心におもいうかべる限りにおいてのみ存在する」(60.12a=310)点でまった
く違う。これら三つの対象把握の仕方は「同時におこなえないし,関聯もしていない。たと
118
言語論からイメージ(像)論へ
えば,水槽の金魚を視覚的にみているばあいに,同時にイメージとしての金魚をえることは
できない」(60.12a=310)。
これら三者の関連をサルトルはどう理解するのか。とりわけ,想像的把握はどのようにし
て可能となるのか。また,その「自由」の哲学とどのように関連づけられるのか。
「サルトルによれば,一切の知覚は感情的反作用をともなう。水槽の金魚が視覚的反
映として意識されたときには,感情はともなわないが,それを識知しようとする反省が
おこるとき感情作用がともなうことになる。いま,金魚を視覚的反映の段階にとどめ,
ほんらい知覚にともなうべき感情性をとらえようとする反省が高度になったところを想
定すれば,サルトルはそのばあいイメージとしての綜合がえられるとかんがえる。だか
ら,たとえば,水槽の金魚のイメージというのは金魚の視覚的な反映と,それに本性を
あたえる感情の高度化されたものが総合されてつくられることになる。
サルトルは,人間の意識が想像力をふるいうるために必要な本質的な条件として,意
識が非実在物を存在するかのようにかんがえうる力をもたなければならないという。そ
して,ついに想像力の本質について,「非現実的存在は,世界内にとどまる意識によって,
この世界の外に生み出され,人間が想像力を振うのは何故かといえば,それは人間が先
験的に自由な存在であるからである」というようにかれの思想的立場と円環させるので
ある。」(60.12a=310-1)9)
「想像力派」などが想像力を単なる仮構力と考えたのに対し,サルトルは「感覚的に反省し
たり,構成したりする意識の仮構性一般のもんだいのなかに,さらに意識の相互作用の織目
にあらわれる想像的意識の構造をとりあげ」ており,「想像力のもんだいは,意識の仮構法
についての専門化した修練というもんだいをこえたなにか3 3 3
をふくむものとして考察すべきで
ある」(60.12a=312)点に気付いていた。当然,このなにか3 3 3
は普遍的な位相で語られるべきも
のであり,個人のわざ3 3
として語られるべきものではない。この点で,吉本はサルトルを高く
評価する。
しかし,サルトルは「はじめに,意識の綜合作用の織目に概念とも感覚ともちがった想像
的意識を設定しながら,あとでは芸術作品は想像的世界(ほんとうは仮構的世界とよぶべき
だ)であるというように,想像力を意識の仮構力一般にすりかえ,想像的世界は現実を空無
化することによって成立するとした」(60.12a=314)混乱を起こしている。つまり,サルトル
は,想像力のもつ,たんなる仮構力以上の「なにか」に気づいていたが,結局はこの「なにか」
を救抜することはなかった。
どうしてそうなってしまったのか。ここにはフッサール現象学の影響を受けたサルトルが
いる。フッサール晩年の生活世界Lebensweltの思想になれば別だが,サルトルが影響を受
けた『イデーン』の時期のフッサール思想では,意識は動かしがたい定点として据えられ,
119
言語論からイメージ(像)論へ
いわゆる現象学的還元の影響も被らない。現象学においてはノエシス(意識)とノエマ(意
識対象)の相関関係が強調されるが,サルトルはこの関係を忘れ,ノエシス(意識)を絶対
的な定点と考えている。つまり「意識の世界内における自立性を信じ,いかなるばあいでも
それを手ばなそうとしない」(60.12a=311)のである。この意味では,サルトルはデカルト主
義者でありヘーゲル主義者であった。
吉本からすればこれは容認できない考え方である。意識も自我も―心的内容自体も,環界
に対応して変化するものであり,絶対的な定点として措定されるわけではない。当然,吉本
は「想像力のもんだいは,意識の仮構法についての専門化した修練というもんだいをこえた
なにか3 3 3
をふくむものとして考察すべきである」という視点を手放すことなく,想像力の問題
に踏み込むことになる。想像力とはなにか―この問いに関して,吉本は次のように答えてい
る。長くなるが重要なところなので,端折らないで引用してみる。
「人間の感覚は,現実にたいするはたらきかけをつうじて,そのはたらきかけの態様
によってしか発達しない。そしてこの発達を本質的にきめるのは生産にたいする労働の
態様にほかならない。しかし,人間の感覚を本質のまわりでしだいに複雑に肉付けさせ
るものは,現実の社会での複雑な関係である。恋愛によっても,不和によっても,遊戯
によっても,人間の感覚はじっさいには肉付けされてゆく。そして,疎外された社会で
は,いいかえれば疎外された労働のあるところでは,人間の感覚の現実的な肉付けと本
質的な発達との矛盾は極端にまでおしすすめられるのである。
もしも,人間の感覚を肉付けする社会の現実的な諸関係が,感覚の本質をきめる生産
諸力の態様と矛盾を来たすようになると,人間の意識は意識外の意識というべきものを
概念作用と感覚作用のあいだにうみださざるをえなくなる。
たとえば,概念作用は,対象物の中心において対象を意識的な存在にしようとするが,
この作用は,けっして対象を肉づきのあるものとしてつかむことはない。また,感覚作
用は,対象物を外見的に統一しようとするが,その全像を同時的に構成することはでき
ないのだが,生産的現実と社会的現実が矛盾するようになると,概念作用は概念的なは
あくをこえて対象物を肉づけしようとし,感覚は外見的な統一をこえて構造をもった知
覚におもむくことによってこの社会的な矛盾を意識の対象として実現しようとする。そ
して,ついには概念とも感覚ともちがうイメージが,それこそこのふたつの作用の織目
のように,本質的な対象の不在を対象物にすることによって構成されるようになる。わ
たしはこれを想像力とよばざるをえないのである。」(60.12a=312-3)
人間の感覚の本質を決めるものとして生産諸力の態様(生産的現実)をあげるのは新しい
ことではない。しかし,人間の感覚の本質のまわりの「肉」に着目し,それが現実の社会で
の複雑な関係(社会的現実)によって形成されるとし,さらに「生産的現実と社会的現実」の
120
言語論からイメージ(像)論へ
矛盾が想像力としてあらわれるとするのは,斬新な考えである。このような視点からは,想
像力が社会的・経済的疎外や人間の自由との関連で問われることになるのはいうまでもな
い。
以上,人間的意識と言語と想像力との関連を,専ら吉本の文学論文に即して見てきた。こ
こまできて,人間的意識や言語の問題が想像力に結びつけられることになり,文学を離れた
一般的な問題として取り上げられる道が開かれることになった。
D)『言語にとって美とはなにか』以後
『言美』を完成させた後,吉本は『共幻』や『心序』10)に取り掛かる。この間の事情について,
吉本は『共幻』の冒頭で次のように述べている。
「言語の表現としての芸術という視点から文学とはなにかについて体系的な考えをお
しすすめてゆく過程で,わたしはこの試みには空洞があるのをいつも感じていた。ひと
つは表現された言語のこちらがわで表現した主体はいったいどんな心的な構造を持って
いるのかという問題である。もうひとつは,いずれにせよ,言語を表現するものは,そ
のつどひとりの個体であるが,このひとりの個体という位相は,人間がこの世界でとり
うる態度のうちどう位置づけられるべきだろうか,人間はひとりの個体という以外にど
んな態度をとりうるものか,そしてひとりの個体という態度は,それ以外の態度とのあ
いだにどんな関係をもつのか,といった問題である」(68.12A=16)
形式的に云えば,個人の観念に関する分析が「心的現象論」として展開され,後者の共同
性の観念に関する分析が『共幻』として展開されることになった。これは吉本自身が云うよ
うに,『言美』からの必然的な展開であろうが,しかし,言語論それ自体に即したものでは
ない。言語との関連でこれらの問題が問われたものではない。むしろ言語論を拡張するよう
におこなわれている。『言美』は文学論として展開された。しかし,その客観的考察は文学
の範疇をはみ出すものであった。これは普遍的で客観的な思想を志向するならば必然的な経
路である。ここまできて上部構造(観念領域)の一般理論へと正面から踏み出すことになる。
(あるいは,もしかしたら吉本は最初から観念の一般理論を構築することを目指しており,
そのひとつの現われとして『言美』を書いたということもできるかもしれない。いずれにし
ても,結果的に,観念の一般理論へと踏み出すことになった。)
先の引用文中の「空洞」には,『言美』における対象の「限定」も関連している。『言美』は
言語の芸術としての文学を論じたものだが,この場合の文学はあくまでも文字に定着された
ものに限定されている。しかし,人間の歴史の大半においては,文字が存在せず,言語は音
声としてのみ存在していた。吉本は対象に限定を加えることによって,この問題を回避した。
それが,おそらく「空洞がある」という認識であり,『共幻』や『心序』の展開に向かわせた
121
言語論からイメージ(像)論へ
ものである。
『共幻』は,文献(具体的には『古事記』と『遠野物語』)を歴史的資料として使って論じら
れている。だが,文字で書かれた文献がさかのぼれる範囲はたかが知れている。文字が存在
しなかった時代,悠久の太古を論じるためには,ちがった方法が採られなければならない。
文字で書かれた言語を変換する方法が必要である。あるいは文字に書かれていないテキスト
を読み込む方法が必要である。それが像(イメージ)だったのではないか。『共幻』では,幻
想の形成には想像力が不可欠であり,疎外された観念を土台にして,さらに疎外しかえすと
ころに共同幻想が成立するといった議論になっている。いわばそこでは冪乗された像(共同
幻想)が問題となっている。入眠状態を経由して共同幻想が形成されるのは,この間の事情
をあらわしている。こうしてみると,像(イメージ)は『共幻』への架橋をなす概念だという
ことができる。文字に限定することなく,言語を扱うとき,イメージが問題になった。その
ことで,文字以外の表現世界を取り扱うことが可能になったのである。
『心序』の最終章は「心像論」と題され,先にサルトルの想像力論で指摘された問題点を積
極的に展開している。すなわち「<心像>の可能性が感覚的(あるいは感情的)な把握と概
念的な把握に源泉をもっているらしいのに,このいずれともちがってあらわれるとすれば,
なにが知覚や概念作用から変化しているのか,あるいはなにがまったくべつものであるのか
という問題」(71.09A=274-5)の解明にあてられていく。『心序』は冒頭から,きわめて独創的
な見解が繰りだされており,それを系統立てて辿らなければ理解ができないために,「心像
論」だけを独立して取り出すわけにはいかない。『共幻』も同じだが,『心序』についても,
稿を改めて論じるほかない。
註
1) 吉本の著作からの引用,該当箇所,等に関しては文中に略号,頁数の順に示した。略号は数
字の最初の二桁が発表年(西暦下二桁)であり,次の二桁は発表月である。アルファベット
は同月に二本以上の論文等がある場合の識別である。引用および参考文献は以下の通り。一
文のなかに,吉本の著作の同一頁から二箇所以上引用した場合,煩瑣を避けるために最後の
引用のみに出典を挙示した。論文が複数の著作にわたって収録(再録)されたり,単行本で
版を変えて新たに出されたりしている場合があるが,論文の後に記した単行本は本稿におい
て使用したものである。引用文中の傍点およびゴチック体は,ことわりがないかぎり,原著
者のものである。
1960.12a 「想像力派の批判」(『吉本隆明全著作集 4 文学論 1』勁草書房)
1965.05A 『言語にとって美とはなにかⅠ』
(『完本 言語にとって美とはなにかⅠ』角川書店)
1965.10A 『言語にとって美とはなにかⅡ』
(『完本 言語にとって美とはなにかⅠ』角川書店)
1968.06a「メルロオ =ポンティの哲学について」(『詩的乾坤』国文社)
122
言語論からイメージ(像)論へ
1968.12A 『共同幻想論』 (『改訂新版 共同幻想論』角川書店)
1969.04b「行動の内部構造」(『詩的乾坤』国文社)
1971.09A 『心的現象論序説』 (『全著作集 10 思想論』勁草書房)
1972.05b 「思想の基準をめぐって―いくつかの本質的な問題」
(『どこに思想の基準をおくか』筑摩書房)
1985.05b 「ハイ・イメージ論」 (『像としての都市』弓立社)
2) この問題に関して,もっとも纏まった俯瞰図を示した論文として,江藤正顕「吉本隆明論・
序―その<像>概念拡張過程を辿る」(『近代文学論集』第 21号,1995年 11月,日本近代文
学会九州支部,73-82頁)。
3) 本稿では取り上げないが,吉本はイメージ論を展開することになった,もう一つのモティー
フとして「映像やイメージ表現の高次化」をあげて次のように語る。
「エレクトロニクスの発達はすべての表現や表出の手段の分野をとても高度にさせてきまし
た。映像の分野でも高次な表現が可能になったわけです。ぼくの理解の仕方では現在かんが
えられるいちばん高次な映像表現をはじめて見たのは去年(1985年)の筑波の万博の富士通
館でした。それにたいして理論づけをしてみたいという欲求を感じました。つまり映像表現
を理論づけるばあいには,この高次な表現を,現在のところ究極の表現としてかんがえそこ
からイメージの理論を出していかないと駄目なんだと感じたんです」(85.05b=48-49)。
吉本は『ハイ・イメージ論』について共同幻想論の現代版である旨のことを語っている。「現
代版」がなぜハイ・イメージを問題にしなければならなかったのか。新しいイメージの出来が,
人間の精神や生理・身体の歴史(吉本の表現を使えば内在的歴史)に対して,新しいなにか
を付け加えることになるという認識が控えている。また,これは先進産業社会が新しい段階
に入ったという認識とパラレルである。資本主義が高次化して消費資本主義に,あるいは吉
本の用語を使えば「超資本主義」に入ったという認識が,新しい分析の必要性をせまったよ
うにおもわれる。
吉本は数多くの情況論を書いたが,消費資本主義の分析は情況論とは性格が違っており,本
質論の一環として展開されている。どのような思想でも,文学でも,時代との格闘の末に生
み出される。迂路を通ることもあるかもしれないが,時代の刻印を帯びている。社会が新し
い段階に入ったとするならば,それを思想のなかに組み込まざるをえない。吉本はそれを正
面から引き受けたということができる。
吉本に対するマルクスの思想的影響は大きいが,マルクスの想定していた世界を資本主義が
乗り越えてしまったことも,吉本に新たな思想的展開を要求することになった。新しい状況
を理論的に剔抉するためには新しい視点が必要になるが,それがイメージに他ならなかった。
『ハイ・イメージ論』ではさまざまな題材をとって,実際に新しい像(イメージ)を論じて
みせる。しかし,新しい像(イメージ)とはどのような意味をもつのか。これまで人間が体
験したことのない像(イメージ)表現が可能になったことが,なぜそれほど重要なのか。歴
史的に累積された像(イメージ)表現に新たな一頁がつけ加わった―これはいったい何を意
味するのか。こうした問題をハイ・イメージ論は俎上にあげるのだが,これについては,予
定している別稿「吉本隆明はマルクスをどう読んだか」(仮題)で取り上げる。吉本へのマ
ルクスの思想的影響の一端については,拙稿「吉本隆明の初期思想(一)」(『法学研究』(慶
応法学会)第 77巻第 7号 2004年 7月,19-76頁)で触れている。
123
言語論からイメージ(像)論へ
4) この点については,これまでに私は何度となく触れている。拙稿「思想と言語―吉本隆明『言
語にとって美とはなにか』の言語本質論を中心に」(所収『湘南工科大学紀要』第 26巻第 1号,
1992年 3月),「言語本質論の思想的拡張―吉本隆明の思想をめぐって」(『政経研究』(日本
大学法学会) 第 50巻第 3号 2014年 03月)。本節は「言語本質論の思想的拡張」46-50頁に
若干の変更を加えて再録したものである。
5) 後になって,自己表出以外に「自動表出」という表現もつかっている。自分の内部に感情の
澱を堰き止めきれずに,自然のうちに外化(疎外)されたということを強調すれば自動表出
の方がよくそのニュアンスを伝えるともいえる。
6) 人間的意識の成立に関して,その根拠を言語に置く立場に対して,知覚に置く立場もある。
言語的意識の知覚的意識に対する優位性は<像>の問題に端的に現れるが,知覚的意識の立
場についてこの註を利用して瞥見しておきたい。
哲学固有の領域において,<意識主体>という考え方に対して<身体主体>という考え方を
対置し(反省的意識に対して知覚的意識(身体的意識)を対置し),強力な反論を突きつけ
たのはメルロ =ポンティである。メルロ =ポンティの前期の主著『行動の構造』と『知覚の
現象学』は,デカルト以降の近代西欧哲学の基調をなした意識の哲学およびそこから招来さ
れる意識と物との二元論,等の問題を止揚するというモティーフで貫かれている。彼はこれ
らの著作で,意識からではなく意識以前から―いわば意識よりもさらに根底的な層として
<身体>を認め,この次元から行論してゆく。彼が大きな影響を受けた後期フッサール思想
との関連でいえば生活世界,つまりここでの関心に引き寄せれば<意識を可能にする地平>
をまず第一に主題化しようとしている。これらの著作における<行動><知覚><身体>等
のキー・タームは意識でもなければ物でもないという次元で構想されている。
メルロ =ポンティが<行動>を主題化するとき,意識によって可能になる行動ではなく,意
識を可能にするものとしての行動である。合目的的な行動が第一義的に意味されているわけ
ではない。行動によって意識が可能になる。行動がいかなる構造をもつかに関して,メル
ロ =ポンティは従来の還元主義的・要素主義的な行動理論を素朴実在論的であるとして退け,
ゲシュタルト心理学に接近してゆく。行動はゲシュタルトの中に統合されて初めて意味を派
出させる。そしてここで意識も分娩されるのである。
行動は第一に外界に対する反応であり,自己組織化である。このとき行動の主体となってい
るのは<身体>である。もちろん,客観的・物理的側面から捉えられた身体ではなく,生き
られる身体,メルロ =ポンティの言葉を使えば<現象的身体>である。この身体は世界の相
関者であり,世界内存在としての身体である。この身体を介して私たちは世界に開かれもす
れば,世界が私たちに開かれもするのである。そしてこの身体の開かれた窓,世界と身体と
の接触を可能にする接点が<知覚>に他ならない。(知覚には身体を介することに由来する
固有のパースペクティヴ性が存在する。例えば,大きすぎるものも,小さすぎるものも,私
たちは知覚することはできないし,また六面体の全ての面を同時に見ることはできない。)
外部から様々な情報を与件として知覚は受け取る。この情報の知覚による,ひいては身体に
よる組織化が意識の原基をなすものとして捉えられる。
根源的な意識は,この身体-知覚の次元において成立する知覚的意識であり,この意識の主
体となっているものは身体であるとメルロ =ポンティは考える。身体を主体とする知覚的意
識を台座として,私たちが通常考えているコギトの世界が現出される。いわゆるコギトは言
124
言語論からイメージ(像)論へ
語的なものを媒介としており,メルロ =ポンティはこれを<語られたコギト>と呼ぶ。これ
に対して,知覚的意識はそれとは区別される<沈黙のコギト>の領域をなしている。
だが,知覚的な次元にコギトを認められるか。コギトであるとすれば当然のことながら反省
的な作用が認められなければならない。知覚自体にこのような作用を認めることは可能なの
か。どのようにしてそれが反省的な作用に結び付けられるのかはメルロ =ポンティの議論か
らは出てこないようにおもわれる。吉本が指摘するようにメルロ =ポンティは<知覚>の過
程と<了解>の過程を区別しておらず,<知覚>のなかに<了解>の過程まで含めてしまっ
ている。彼が晩年に『見えるものと見えないもの』のなかで<沈黙のコギト>の存在に対し
て懐疑的にならざるをえなかったことにはそれなりの理由があると解釈すべきである。
尚,いまも若干触れたが,吉本はメルロ =ポンティの哲学について言語的意識の立場から批
判を加えている。「メルロオ =ポンティの哲学について」および「行動の内部構造」参照。
7) 出典が厳密に書かれていないが,カント『判断力批判』(上)(大西克礼訳,岩波文庫,1940年)
113頁とおもわれる。旧字を新字に直してある。
8) 周知のように,吉本は『言美』の序で,江藤淳の『作家は行動する』について,次のように語っ
て高く評価した,「そのころ,少壮の才能ある批評家江藤淳が『作家は行動する』というす
ぐれた文体論を公刊した。この著書は,すくなくともわが国の文芸批評史のうえでは劃期的
なものであることを,批評家たちはみぬいてはいなかった。おそらく,いちばんこの著書に
関心をもって読んだのは,おなじ問題を別様に展開しようとおもっていたわたしではないか
とおもう」(65.05A=10-1)。
江藤のこの著作が斬新だったのは,言語それ自体の分析から始め,たんなる印象批評にとど
まらない客観的な文学批評を目指した文体論がそこに展開されたからであった。そのなかで,
サルトルの所説を批判しながら,自らの想像力の議論も展開されている。当然,このように
して展開された想像力の議論に,後に『言美』を書くことになる吉本が感応しないはずがない。
だが『言美』のなかで直接に江藤の想像力理論は取りあげられておらず,その評価は「想像
力派の批判」のなかで展開された。詳細は省くが,「たとえ誤解に過ぎないとはいえ,行動
による感覚の現象的な解放が,人間の自由につながるというように,想像力のもんだいを現
代における人間の自由のもんだいにまで深化することを忘れていないはいないから」
(60.12a=317)と結論的に語られている。
9) この論文ではサルトルからの引用の出典が書いていないが,L’Imaginaire(1940)(『想像力の問
題』,平井啓之訳,人文書院,1955年)とおもわれる。吉本氏の私訳か,平井訳か不明。
10) 「心的現象論」については,その序説の部分だけが『心的現象論序説』(『心序』)として公刊
され,本論の部分の公刊は 30年後の 2008年になった。
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