観光都市ヴェネツィアの「絵になる」広場空間デザ …...3 - 1...

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3 - 1 観光都市ヴェネツィアの「絵になる」広場空間デザインに関する研究 ―カナレットの描いた絵画にみる都市景観― 田篭 友一 1. 研究の背景と目的 景観は地図と違って地上に存在する、ある特定の地点 からの眺めであり、視点移動によって視対象の現れ方は 次々と移り変わっていく。こうした景観の動的な特性を 踏まえ、視点場と視対象、さらに観察者の視点移動につい て総合的にデザインすることが景観設計では重要となる。 私たちは、人により異なる美の評価基軸を、歴史的評価を 得ている風景画に求めて都市景観分析を進めてきた 118 世紀のヴェネツィア風景画家であるカナレット(1697- 1768)の「絵になる」構図については既に幾つかの知見を 得ているが、視対象などの物的環境と観察者の視点移動 との関連についてはさらに分析を進める必要がある。 以上により、本研究では(1)歩行者が多く賑わいの場 でもある広場空間における「絵になる」構図・視対象・視 点場の特性を明らかにする(2)ヴェネツィアにおける広 場の空間的特性と利用行動を明らかにする(3)視点場決 定・視点移動の要因と広場空間デザインの関連性を探る、 ことを目的としている。これらの検討により、地区計画レ ベルの景観、とりわけ街路とオープンスペースの景観設 計に対し示唆を得たいと考える。 2. 観光都市ヴェネツィアと広場形成の概略 対象地であるヴェネツィアは、大小の運河と迷路状の 街路、多くの広場によって独自の都市構造を持つ、世界遺 産にも指定されている都市である。近年では年間1,000人を超える観光客が訪れる世界有数の観光都市であり、 それ故に引き起こされる都市的問題も多く抱えているの が現状である。ヴェネツィアの広場の多くは島々のコ ミュニティを象徴する教会の周辺で自然発生的に形成さ れており、形状・大きさともに様々な広場が存在してい る。陸上交通が徒歩のみのヴェネツィアにおいて広場は 生活の舞台であり、現在でも高密都市の光と開放感を担 う重要な都市空間となっている。 3. 研究の方法 文献調査及び現地調査によって絵画と実景の同定、及 び広場での利用行動を観察した。本研究では広場に関連 した 31 枚の絵画(計 48 箇所の視点場)をサンプルとし、 12 の広場を対象として分析を進めている。 4. 広場類型別に見た視点場及び視対象の特性 4.1 公共(特別)広場の景観 サン・マルコ広場、サン・マルコ小広場、レオーニ小広 場を主題とした景観である(図1、図3)。広場内の 建築物 やモニュメントを主な視対象とし、特にサン・マルコ聖堂 とカンパニーレが描かれている。超近景(100m以内)に 広場の様子、その後景に近景(100m300m)の建築物を 1 視点場の分布状況(Pz, Rv 2 視点場と各広場の分布状況(Cp

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観光都市ヴェネツィアの「絵になる」広場空間デザインに関する研究―カナレットの描いた絵画にみる都市景観―

田篭 友一

1. 研究の背景と目的 景観は地図と違って地上に存在する、ある特定の地点からの眺めであり、視点移動によって視対象の現れ方は次々と移り変わっていく。こうした景観の動的な特性を踏まえ、視点場と視対象、さらに観察者の視点移動について総合的にデザインすることが景観設計では重要となる。私たちは、人により異なる美の評価基軸を、歴史的評価を得ている風景画に求めて都市景観分析を進めてきた 1)。18

世紀のヴェネツィア風景画家であるカナレット(1697-

1768)の「絵になる」構図については既に幾つかの知見を得ているが、視対象などの物的環境と観察者の視点移動との関連についてはさらに分析を進める必要がある。 以上により、本研究では(1)歩行者が多く賑わいの場でもある広場空間における「絵になる」構図・視対象・視点場の特性を明らかにする(2)ヴェネツィアにおける広場の空間的特性と利用行動を明らかにする(3)視点場決定・視点移動の要因と広場空間デザインの関連性を探る、ことを目的としている。これらの検討により、地区計画レベルの景観、とりわけ街路とオープンスペースの景観設計に対し示唆を得たいと考える。2. 観光都市ヴェネツィアと広場形成の概略 対象地であるヴェネツィアは、大小の運河と迷路状の

街路、多くの広場によって独自の都市構造を持つ、世界遺産にも指定されている都市である。近年では年間1,000万人を超える観光客が訪れる世界有数の観光都市であり、それ故に引き起こされる都市的問題も多く抱えているのが現状である。ヴェネツィアの広場の多くは島々のコミュニティを象徴する教会の周辺で自然発生的に形成されており、形状・大きさともに様々な広場が存在している。陸上交通が徒歩のみのヴェネツィアにおいて広場は生活の舞台であり、現在でも高密都市の光と開放感を担う重要な都市空間となっている。3. 研究の方法 文献調査及び現地調査によって絵画と実景の同定、及び広場での利用行動を観察した。本研究では広場に関連した 31枚の絵画(計 48箇所の視点場)をサンプルとし、12の広場を対象として分析を進めている。4. 広場類型別に見た視点場及び視対象の特性4.1 公共(特別)広場の景観 サン・マルコ広場、サン・マルコ小広場、レオーニ小広場を主題とした景観である(図1、図3)。広場内の建築物やモニュメントを主な視対象とし、特にサン・マルコ聖堂とカンパニーレが描かれている。超近景(100m以内)に広場の様子、その後景に近景(100m~300m)の建築物を

図 1 視点場の分布状況(Pz, Rv) 図 2 視点場と各広場の分布状況(Cp)

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見る構図である。画角は概ね一望できる範囲に留まっている。視点場は一方に100m以上の見通しが利き、複数視点を持つ場合が多い(表 1)。4.2 公共(一般)広場の景観 カンポと呼ばれる大小様々な広場を主題とした景観である(図 2、図 3)。広場内の建築物や離れた場所の鐘楼、近接する運河や街路に面する建築物が主な視対象である。広場内の教会と離れた場所にある鐘楼が描かれることが多い。超近景で視対象を捉える構図が多く、中景以上(300m以上)の視対象は望めない。画角が大きいのが特徴である。視点場はやや囲繞感があり、背面5m以内に建築壁面を控えた単独視点がほとんどである(表 1)。4.3 サン・マルコ湾沿いの広幅員街路の景観 モーロ河岸通りとサン・マルコ湾を主題とした景観である(図 1、図3)。視点場近傍の建築物やモニュメントと、サン・マルコ湾を通してみる教会等の建築群を主な視対象とし、離れた場所にある教会と鐘楼は必ず描かれている。超近景から近景に河岸通りの様子、近景から中景にかけてサン・マルコ湾、さらにその後景の中景から遠景にかけて建築物を見る構図である。画角は概ね一望できる範囲に留まっている。視点場は開放感の高い場所で、単独視点と複数視点がほぼ同じ割合で存在する(表 1)。視線方向はサン・マルコ湾へ向けられている。5. 広場の空間的特性と利用行動5.1 広場の空間構成 歩行者に対する各広場の周辺地域・隣接空間からの独立性や連続性をみるために、陸上で広場へアプローチ可

能な隣接空間(陸上有効アプローチ)と、その接続部線長の平均を求めた。隣接空間から広場は内陸型と運河隣接型の 2つに大別される。さらに、陸上有効アプローチが少なく周辺からの独立性が高い広場や、接続部線長が大きく隣接空間との連続性が高い広場が存在した。また、広場内には必ず階段やレベル差が設けられている(表2、図5)。5.2 広場のデザインエレメント 広場を構成するデザインエレメントは主に、設備・装置的な構成要素(ストリートファニチュア)と店舗に分けることができる。ヴェネツィアの広場で特徴的なデザインエレメントは、井戸、リストン(床面に施される白いライン状の舗装)、オープンカフェ、仮設店舗である(表 3)。5.3 広場での利用行動の特性 対象広場において利用者の行動観測を行い、特定時間内の人数、利用行動と行動場所を地図上に記録した。(1)利用者人数の推移 多くの広場が日中 200人前後の人数推移となっているが、サン・マルコ広場は昼をピークに人数が1,000人近くに達する(図 4)。昼に人数のピークを迎える広場、時間帯に関係なく人数がほぼ一定である広場、昼過ぎから夕方にかけて人数が増加する広場の3つに大別でき、人数推移は観光スポットなどの周辺状況や観光客に大きく影響を受けている。(2)利用行動の分類とエリア分布 広場で観測した利用行動は、大きく「移動」と「滞留」の 2つであり、「滞留」行動は主に「遊び」、「会話」、「休憩(食事)」、「家事」が確認できる。次に、「移動」、「滞

図 3 カナレットの絵画例

表 1 広場類型別のカテゴリ平均値と視点別絵画数

表 2 各広場の隣接空間・アプローチと階段・レベル差

1.公共(特別)広場の景観(視点場コード:Pz2)「サン・マルコ広場」2.公共(一般)広場の景観(視点場コード:Cp5)「サン・ロッコ広場」3.サン・マルコ湾沿いの広幅員街路 の景観(視点場コード:Rv3)「造幣局とともに望む西に面する船着場」

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留」行動を利用時間の長短によって「通過」、「散歩」、「停止・準備」、「交流・休憩」の 4つに分類した(表 4)。「通過」は広場に行動目的がなく、動線の一部として利用する場合、「散歩」は広場内を巡る回遊的な動きを指す。「停止・準備」は現在の行動から次の行動へ移るための一時的空間利用であり、短い休憩等はここに含まれる。「交流・休憩」は食事や遊びのように特定の目的を伴った行動で、座姿勢や歩行以外の運動行為が多い。分類に従って広場内の各エリアの利用行動分布を把握した(図 6)。広場と隣接空間との結節点付近は幅員の影響から人通りが多く、空間構成の急激な変化に立ち止まって地図を見たり周囲を眺めたりする「停止・準備」行動が多い。「交流・休憩」はカフェやベンチなどのデザインエレメントに誘発されるが、子供たちの遊びのようにデザインエレメントよりも広い空間を必要とする場合もある。「散歩」行動は面積が大きく動線数も多い広場で目立つが、「通過」行動は面積が小さく主動線も1方向に強い街路的空間構成の広場で目立っている。また、陸上有効アプローチの割合が低いサン・ポーロ広場などでは住民の姿が目立ち、観光名所や交通要所となる広場では観光客の姿が多い。隣接空間と広場内の構成要素によって、ヴェネツィアの広場は生活の場である広場と観光地的な広場がうまく共存・分節されている。

表 3 広場空間を構成するデザインエレメント  

図 4 各広場の利用者人数推移表 4 利用行動の時間による分類

図 5 広場の空間構成例(Cp-II) 図 6 広場の利用行動分布例(Cp-II )

6. 視点移動の要因と広場空間のデザイン6.1 空間的特性と視点場決定の関連 前章での広場の空間的特性を踏まえ、カナレットの視点場を考察する。全視点場41点中15点が広場と街路の結節点付近、17点が主に滞留行動の目立つ空間(以下滞留エリア)、9点が主に移動行動の目立つ空間(以下移動エリア)に位置している。そのうち、単独視点絵画の視点場と複数視点絵画の主視点場だけを見ると、全26点中14視点が結節点付近、10視点が滞留エリア、2視点が移動エリアである。ゆえにカナレットは、狭い街路等からアプローチした際に突然現れる開放的かつ劇的な景観、広場内に滞留して意図的に主題を眺める選択的な景観の2つを「絵になる」景観構図として描いている。特に劇的な景観は「公共(一般)広場」に多い傾向にある。6.2 視点移動の要因 結節点付近や滞留エリアで構図の全体構成を行い、そこから移動エリアへの視点移動を行う場合が多い。また、この場合の視点移動は利用行動の動線と似たような軌跡

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となっている。滞留エリア間での視点移動距離は15m以下(3視点での合計も20m未満)、一方に移動エリアを含む場合は20mを超える(表5)。また、視点移動が行われるのは「公共(特別)広場」に多く、大きな広場に特有の動的な景観である。カナレットは空間的特性に合わせた視点移動によって「絵になる」景観を構成している。6.3 視点移動による景観効果と空間デザイン 各視点場の空間データの関係から、視点移動による景観効果は以下の4つに類型化できる(図7)。滞留エリアから短い距離の移動によって、横へ広がる奥行空間の視対象を全体構図に付加する「奥行空間の強調」、主視点場で全体構成される画角範囲内のヴィスタ・通景方向へ迫る「パースペクティブの強調」、双方が横に位置する視点場で画面全体を構成する「パノラマの強調」、前方への大きな移動で、通景を閉じる役目を持つ視対象を効果的に追加・配置する「フォーカスポイントの挿入」である。ヴェ

ネツィアの広場空間はある地点から眺める静的な景観だけでなく、利用行動や視線の移動・誘導も含めた動的景観が効果的に強調されつつ描かれている。7. 総括 本研究では、4章において(1)空間類型による3つの広場景観はいずれも視対象に著名な建築物を2つ以上見られること、(2)それぞれ構図と視対象への距離景に特徴があること、を明らかにした。 5章では、(1)各広場では隣接空間とアプローチの関係から連続性や独立性に差異が生じていること、(2)デザインエレメントとして広場には装置・設備的構成要素と店舗が多様に配置されていること、(3)各広場の利用行動分布から生活の場と観光地がうまく共存・文節されていること、が明らかになった。 6章では、(1)広場空間では結節点付近や滞留エリアに視点場が集中し、アプローチ時の劇的な景観と広場内滞留時の選択的な景観が存在すること、(2)絵画内の視点移動が広場の空間構成と利用行動を反映していること、(3)「奥行空間の強調」「パースペクティブの強調」「パノラマの強調」「フォーカスポイントの挿入」をキーワードに、動的景観が効果的に強調された広場空間デザインとして描かれていること、が明らかになった。

図 7 視点移動による 4つの景観効果例(対象絵画と視界平面図)

表 5 複数視点の空間データと景観効果

参考文献1)萩島哲:都市風景画を読む―十九世紀ヨーロッパ印象派の都市景観―、九州大学出版会、2002

2)福田太郎:ヴェネツィアの「絵になる」都市的空間デザインに関する研究―カナレットが描いた絵画にみる都市景観―、修士論文、2002

3)陣内秀信:ヴェネツィア―都市のコンテクストを読む―、鹿島出版会、19864)J.G.Links:Canaletto、Phaidon、19945)J.G.Links:Views of Venice by Canaletto、Dover Publications、19716)Venise Portrait D’Une Ville -Atlas Aerien-、Gallimard、1990

「奥行空間のパノラマの強調」「サン・マルコ広場:南東を望む」

Pz3a,Pz3b,Pz3c

「パースペクティブの強調」「サン・マルコ広場:南を望む」

Pz7a,Pz7b,Pz7c

「パノラマの強調」「時計塔に面するサン・マルコ広場」

Pz10a,Pz10b

「フォーカスポイントの挿入」「サン・マルコ広場の時計塔」

Pz1a,Pz1b