西行における華厳思想と和歌 - 明治大学...西行における華厳思想と和歌 金...

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西行におけ はじめに 西行の和歌に見える仏教思想においては、これまで天 台・真言・浄土教との関連をめぐって多くの議論がなさ れてきたが、西行における華厳思想の影響の有無につい ては、あまり考慮されなかったように思われる。西行の 和歌に対する仏教の影響、とりわけ真言密教との関わり については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって 大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華 厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ ずかである。 しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』 の「十題十首」と呼ばれる歌群のうち、二首収 おり、歌の数としては少ないけれども、華厳教学の を占める「如心偶」(唯心偶とも呼ばれる)を歌題に て取り上げたこと自体、すでに西行が華厳思想に触れて いた可能性を示唆していると言えよう。また西行がその 晩年に高雄山の神護寺を訪ね、自分の和歌に対する姿勢 を明恵に語ったとされる西行歌論や西行和歌の表現上の 特色からも華厳思想の受容が窺えるのである。そこで本 稿では、西行における華厳思想と和歌及び和歌観との関 係を中心に考察してみたいと思う。 55

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Page 1: 西行における華厳思想と和歌 - 明治大学...西行における華厳思想と和歌 金 任 仲 はじめに しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』ずかである。厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって和歌に

西行における華厳思想と和歌

はじめに

 西行の和歌に見える仏教思想においては、これまで天

台・真言・浄土教との関連をめぐって多くの議論がなさ

れてきたが、西行における華厳思想の影響の有無につい

ては、あまり考慮されなかったように思われる。西行の

和歌に対する仏教の影響、とりわけ真言密教との関わり

については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって

大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華

厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ

       

ずかである。

 しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』

の「十題十首」と呼ばれる歌群のうち、二首収められて

おり、歌の数としては少ないけれども、華厳教学の中枢

を占める「如心偶」(唯心偶とも呼ばれる)を歌題にし

て取り上げたこと自体、すでに西行が華厳思想に触れて

いた可能性を示唆していると言えよう。また西行がその

晩年に高雄山の神護寺を訪ね、自分の和歌に対する姿勢

を明恵に語ったとされる西行歌論や西行和歌の表現上の

特色からも華厳思想の受容が窺えるのである。そこで本

稿では、西行における華厳思想と和歌及び和歌観との関

係を中心に考察してみたいと思う。

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Page 2: 西行における華厳思想と和歌 - 明治大学...西行における華厳思想と和歌 金 任 仲 はじめに しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』ずかである。厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって和歌に

   一 華厳経の歌について

 西行には『華厳経』の句を題にして詠んだ歌が二首あ

                  ヒ 

る。いまそれを『聞書集』から掲げてみる。

四〇

四一

 四〇の題

「十地品」

るもので、

無法而不造、

    ヨ 

三元差別」

を明瞭に説いている有名な偶文である。

  三界唯一心 心外元別法

  心仏及衆生 是三元差別

ひとつねに心のたねのをひいで㌧花さきみを

ばむすぶなりけり

  若人欲了知 三世一切仏

  応当如是観 心造諸如来

しられけりつみを心のつくるにておもひかへ

さばさとるべしとは

 「三界唯一心」云々の句は、『八十華厳経』

の「三界の所有、唯是れ一心なり」に由来す

『六十華厳経』「夜摩天宮品」の「一切世界中、

 如心仏亦爾、如仏衆生然、心仏及衆生、是

と合わせて、華厳教学の核心となる唯心思想

             これを、平安時

代に日本において歌題の四句の偶に作り変えたものと考

えられている。そして、「三界唯一心」とは、三界のあ

らゆる現象は、すべて心のはたらきによって存在し、心

を離れてはすべて存在しないという意味である。

          イ 

 『宋高僧伝』「義湘伝」によると、この偶に関する一つ

の逸話として新羅の華厳僧であった元暁の説話が記され

ている。新羅文武王元年(六六一)に元暁が義湘と共に

入唐する途中、雨のために古墳とは知らずに宿った第一

夜は何事もなかったのに、翌日の朝、それは古墳である

ことを知った第二夜は、夢の中に鬼が現れて安眠をさま

たげたという。その時、元暁は「心生故種種法生。心滅

故寵墳不二。又三界唯心萬法唯識」という、コ心」の

原理を自ら体験し、この偶を以て、仏法の根本を悟り、

入唐を断念したと伝えている。こうした『宋高僧伝』の

話を、元暁に深く傾倒していたとされる明恵は、『華厳

縁起』(国宝、『華厳宗祖師絵伝』とも称される)の絵巻

にして成忍という弟子に描かせているのである。

 また、伝最澄といわれる『本理大綱集』、覚鐙の『三

界唯心釈』、明恵の『唯心勧行式』、道元の『正法眼蔵』

でも、「三界唯一心」の偶について詳しく説かれている。

これらによって、この偶が天台・真言・華厳・禅など、

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Page 3: 西行における華厳思想と和歌 - 明治大学...西行における華厳思想と和歌 金 任 仲 はじめに しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』ずかである。厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって和歌に

各宗派を問わずに広く流布・浸透され、日本人の思想文

化に溶け込んでいたことを示している。さらに「三界唯

一心」の偶は、『宝物集』・『撰集抄』・『方丈記』などの

文学作品でも多く引用されており、歌の方ではこの偶を

題にして『後拾遺集』に伊勢大輔の歌、『千載集』に藤

原教長の歌があることから、当然西行も熟知し、不断余

                      う 

念なく心に反復され口諦されていたものを題にしたと考

えるべきであろう。

 西行の歌をみると、上の句における「ひとつ根」と

「心の種」との関係を、どのように理解すればよいのか、

非常に難解である。従来の解釈は「一つの根から芽が出、

花がさくやうに、一つの心がもととなって、花も咲き実

       さ 

を結ぶのである」という、伊藤嘉夫氏の訳をその後も受

け継いでいるようである。この解釈では「種」を「芽」

ととらえ、下の句につなげて意味が通るようにしている

が、仏教的な意味合いはあまり含まれていないように感

じられる。この「ひとつ根」は、歌題中の「心、仏及び

衆生、この三、差別無し」とある句を踏まえての表現で

あろう。二句目の「心の種」は、人の心を「種」に喩え

              しゆうじ

ている。唯識説では「心種子」・「種子」の語を強調して

いるが、これは『古今集』の仮名序とも関わりがあり、

後に触れることにする。ここでは、人間の本性である

コ心」を「種」ととらえ、それがもととなって悟りの

境地に至るという趣旨を述べている。この場合、「心の

種」は、下の句の「花さきみをばむすぶなりけり」と結

び付けて考える時、煩悩から離れた自性清浄心を表わす

コ心」であることは明らかである。したがって、この

一首はコつの根から花が咲き実を結ぶように、三界に

おいての、あらゆる現象は心を離れて別に存在するので

なく、一つの心が種となって悟りの境地に至るのである」

という意味になる。

 なお、この一首は華厳の核心である「一心思想」を踏

まえて歌っている。仏教では人間の心をどのように見る

かによって、肯定する心と否定する心があるようである。

『往生要集』大文第五「止悪修膳」に「常に心の師とな

         ハア 

るべし。心を師とせざれ」と説いて、仏道修行に妨げに

なる心を煩悩の因として、人の心をまったく否定する立

場にある。例えば、『宝物集』「巻第四」にも、「万法は

心の所作にして、心の外に別に法なし。心仏及衆生、差

別なきが故に。心は是第一のあたなり。心に心ゆるす事

                        

なかれ。心は野馬のごとし、しづめて道心をおこせ」と

見え、『往生要集』と同じく、人の心を煩悩の因として

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Page 4: 西行における華厳思想と和歌 - 明治大学...西行における華厳思想と和歌 金 任 仲 はじめに しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』ずかである。厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって和歌に

とらえていることは間違いない。

 ところで、長明は『発心集』の序で、「心の師とは成

るとも、心の師とする事なかれと、実なるかなこの言。

一期過ぐる間に、思ひと思ふわざ、悪業に非ずと云ふ事

    

なし」と『往生要集』の説くところに疑問を投げかけ、

心への省察を丹念に行っている。また『華厳縁起』では、

先述したように元暁が入唐を断念し、一切の現象はすべ

ておのれの一心の変ずるところにすぎないということを

悟り、「心の外に師を求めなかった」として、人の心を

完全に肯定する立場をとっている。西行の場合も『山家

集』に、 

 心におもひける事を

をうかなるこ、うにのみやまかすべき師となること

もあるなる物を          (九〇六)

とあり、心の問題をめぐって自問自答を行い、人の心が

「師となることもある」という唯心説の立場から「心」

を肯定して歌っていることが分かる。この一首は、『華

厳経』「如心偶」に見える「三界唯一心、心外無差別」

という哲理を踏まえて詠んだものであることは疑う余地

がない。

 四一の題は、四〇とともに『六十華厳経』「夜摩天宮

品」に出てくる偶文であり、『註本覚讃』・『往生要集』・

『観心略要集』・『華厳唯心義』などに広く引用されてい

る。但し、『華厳経』・『往生要集』には一句目が「若人

欲求知」と記されているのに対し、題では「若人欲了知」

となっており、四〇の題とともに当時広く流布していた

有名な唯心偶であったことから、西行も日ごろ口諦し、

熟知していたものを文字にした結果起こる異同であると

推察される。すなわち、題の出典を典籍からの引用より、

むしろ経典から直接用いられたと見た方が自然ではなか

ろうかと思う。

 華厳宗の復興に力を注いだ明恵は、若い頃からこの偶

              り 

に強い関心を持ち、『華厳唯心義』の中で「若人欲了知、

三世一切仏、応当如是観、心造諸如来」の句を受持した

人の話を述べ、「コノ因縁ニョリ世間二破地獄ノ偶トナ

ツケタリ」と、この偶を「破地獄」として名づけている。

また、「シハラクノアヒタ一偶ヲタモツスラ益ヲウルコ

トカクノコトシイワムヤ具足シテ一生アヒタ受持セム功

徳ヲヤ」と、不思議な霊力を持つ偶であると人々に受持

せしめ、自ら実践したのである。題の四句目の「心、諸

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Page 5: 西行における華厳思想と和歌 - 明治大学...西行における華厳思想と和歌 金 任 仲 はじめに しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』ずかである。厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって和歌に

の如来を造る」という句は、華厳の唯心縁起思想と深い

関わりがある。明恵は『華厳唯心義』の中で、

モシ人三世一切ノ佛躰ヲ了知セムトオモハ・コノ唯

心ノ道理ヲ観スヘシ眞理ヲミルハスナハチ眞佛ヲミ

ルカユヱニスナハチワカ心性ヲモテ佛躰トナスヲ心

造諸如来トイフナリ。

とあり、心性を観ずることで三世一切の諸仏を了知する

のを「心造諸如来」と説いており、一切の諸法は「識」

として心が現したものにすぎないという唯識観の立場が、

ここにはっきり示されているのである。

 一方、西行の歌においても、「罪を造るのも、如来を

造るのも」すべてがこのコ心」の上に求められている。

一句目「しられけり」は、題の「もし人、三世一切の諸

仏を知らんと欲求せぱ、心、諸の如来を造る」とある趣

旨を踏まえての表現であろうが、この教法に触れて万法

は一心より生起することを悟ったという意味になる。西

行は今まで「心」というものは、仏道修行を妨げる煩悩

の因としてしか思わなかった。しかし、今やっと華厳思

想に出会えて、この「一心」が三世一切の諸仏を造るの

と同じであることを、はじあて開悟することができた。

それを西行は、下の句で「思ひかへさばさとるべしとは」

と、一心の原理を今こそ思い知ったとその感激を披渥し

ているわけである。

 この感激は、「心、諸の如来を造る」といった華厳の

一心思想について悟ったこと、および華厳教という宗教

にめぐり合ったことに由来していると言わなければなら

ない。このことは、西行の和歌と仏教思想を考える上で

きわめて重大な問題を提起するのである。すなわち、万

法は一心より生起するという華厳教学の真髄に西行は触

れていたに相違ない。これは後に触れる『栂尾明恵上人

伝』に、西行が晩年になって高雄を訪れ、高山寺の明恵

に自分の和歌に対する姿勢を、「此歌即是如来ノ真ノ形

躰也。去バ一首詠ミ出テハ一躰ノ尊像ヲ造ル思ヲ成ス」

と語ったように、和歌一首詠むのは一体の仏像を造るの

と同じだという「和歌即仏像」の西行の和歌観ともつな

がっているのである。

 華厳教では、心に生滅(妄心)と不生滅(浄心)の二

                  げん     に

種があるという。第一識から第七識まで(眼識・耳識・

び    ぜつ    しん         ま なしき                 あ

鼻識・舌識・身識・意識・末那識を生滅、第八識の「阿

ら やしき

頼耶識」を不生滅ととらえて、これを如来蔵・自性清浄

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Page 6: 西行における華厳思想と和歌 - 明治大学...西行における華厳思想と和歌 金 任 仲 はじめに しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』ずかである。厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって和歌に

心・一心と呼ばれる。このコ心」について、『華厳経』

「十地品」は「三界所有、唯是れ一心なり。十二縁分は

       け 

是れ皆心に依る」と説いて最も重視され、一心を悟れる

者は仏、悟れざる者は衆生になり、衆生も仏も心も皆同

じものになって、まったく別なものではなくなっていく。

                       ことさ

『大乗起信論』では「唯、是れ一心なるのみなれば、故

          

らに真如と名つく」と、コ心」を「真如」(真実)と名

づけ、さらに元暁は『大乗起信論疏』の中で、コ心者

                        ね 

名如来蔵。此言心眞如門者。即繹彼経寂滅者名爲一心也。」

と説いて、コ心」を自性清浄心である「如来蔵」と同

様に用いられている。

 西行にとっても、こうしたコ心」を歌に詠み込むこ

とは、まさに「如来の真の形躰」となり、コ躰の尊像

を造る」思いをなすことであったわけである。定家に仮

託した偽書といわれる『三五記』は、「然れば歌一首よ

めば、一佛を建立するにおなじ、乃至十首百首よめらむ

は、十佛百佛を作りたらむ功徳を得べしとそ古賢も申し

たまへる。西行上人の云、歌は、是禅定の修行なりとい

へり。げにも心を一虚に制せずしてはかつてよまれぬな

   ほ 

るべし」と語っているところに、その一端は知られよう。

このようにして詠む西行の歌が、『沙石集』に「ヨノツ

ネニ、人ノロニツケタレドモ、シヅカニ詠ズル時ハ、萬

                 お 

縁ノ悉クワスレ、一心漸クシズマルモノ」であると、中

世の人々に高く評価されたのも、西行の歌に見えるコ

心」をとらえていたからであろう。

二 西行歌論と法界縁起思想

 このように、『華厳経』を詠んだ歌二首から、西行と

華厳思想との関わりについて述べてきたが、それは『栂

尾明恵上人伝」(興福寺蔵本による。以下、『明恵上人伝』

と略称する)巻上に載る西行歌論においても華厳思想の

影響が見られる。

西行上人常一一来.物語.。云、我寄,読事ハ遥世、常一一異也、

花郭公月雲都。万物、興(二)向.モ、①凡所有相皆虚妄

ナル事眼ニサヒキリ耳二満リ、又読出所、寄句ハ皆是真

言非ヤ、②花,読共ケニ花卜思事無、月詠スレ共実ニ

                    コウコウ

月共不存、如是.テ任。縁一随.興.一一読置所也、

タナ引ハ虚空イロトレルニ似タリ、

明.ヵ二似タリ、然共虚空ハ本明ナル物一一モ非、  

  ③紅虹

白日嚇ヶハ虚空

  又イロト

レル物ニモ非、④我又此虚空如ナル心、上二於種々、

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Page 7: 西行における華厳思想と和歌 - 明治大学...西行における華厳思想と和歌 金 任 仲 はじめに しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』ずかである。厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって和歌に

風情,イロトルト難更二躍跡無、⑤此寄即是如来、真、

形躰也、去ハ一首詠出テハ一躰、尊像,造ル思.成.、一

句,思ツ・ケテハ秘密、真言,唱二同、我此寄二依テ法.

得事有、若袋二不例.テ妄一一人此詞学ハ大二可入邪路二一云々、

サテ読ケル、

         カヨフ

  ⑥山深クサコソ心ハ通トモスマテ哀ハ知。モノカ

   ハ喜海其座末,【有。及。任二注之一

           (番号及び傍線付筆者)

 西行が高雄を訪れ、自分の和歌に対する今までの姿勢

を明恵に披渥したとされる歌論である。これを果たして

西行が語ったのかどうかについてはその真偽が問われて

                        

おり、この歌論の取り扱いに慎重な態度が要請されるが、

私見としては晩年になった西行が遂に至り得た究極の和

                 り 

歌観であろうと考えている。山田昭全氏は、この歌論を

「高雄歌論」と名づけ、その思想的基盤が『大日経』や

『大日経疏』に見える無相観に拠って、和歌即仏像観・

和歌即陀羅尼観が成立したと指摘しているが、筆者は西

行歌論の思想的背景として華厳教学の根本理念の一つで

ある「法界縁起思想」から、その意を汲んだものである

と考えられる。

       お 

 華厳の法界縁起では、空の思想を踏まえつつ、現象し

                   えんにゆうむげ

ている個物と個物との相依相関のあり方を「円融無擬」

なる自由な関係性にありとみて、相依相間の全体性を把

握しようとするのである。そうした、現実の世界である

「事」と、真理の世界を示す「理」との関係をとらえて、

                 ししゆほつかい

華厳法界縁起の究極として説いたのが「四種法界」の教

えである。「四種法界」を確立したのは、中国華厳宗第

四祖澄観であるが、人間の理想態としての自性清浄心た

るべきコ心」と、現実に存在する一切のものとの関係

交渉を明らかにするために、「四種法界」の体系を組織

したとされる。

 はじめの「事法界」は、現実(現象)の世界で、山川

草木・人間など、存在する一切のものをいう。「理法界」

は、理性の世界、空の世界である。『般若心経」に「色

即是空、空即是色」と示されているように、一切法すべ

て空であるということを説く。次に「理事無磯法界」は、

理性と現象が相即無磯なることを現した世界で、『大乗

起信論』の「真如随縁」の考え方を適用して、これが思

想の根拠となっている。真如が理にあたり、真如が随縁

して諸法となることを、理によって事を成ずるというの

である。最後に「事事無擬世界」とは、現象している個

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物と個物とが円融無磯なる関係にあるとし、一法が一切

を包容し、一切法が一法に含まれる関係にあるのが事事

無擬といわれる。

 さて、ここに示した四種法界観は、前掲の『明恵上人

伝』に見える西行の和歌観とどう結びつくのだろうか。

これからは四種法界思想と西行歌論とを直接関連づけて、

その論拠を探ってみたいと思う。

 まず、西行歌論①「凡そ所有相、皆虚妄なる事、眼に

遮り耳に満てり」の部分について、山田氏は、『大日経

疏』の文中に「凡そ有相の者は、皆是虚妄なり。云何が

能く菩提を見ん」(傍点原文)と説いている一文と不思

議な一致を見せていると述べている。しかし、この西行

の言説が『金剛般若経』に「凡所有相皆虚妄。若見諸相

       お 

非相。則見如来。」とあり、これに拠っていることは明

                        ロつ

らかであろう。つまり、『大日経疏』の文中に「凡そ有

そう相

の者」は、存在するものだけの意であって、『金剛般

         あらゆる

若経』の説く「凡そ所有相」は、存在するもの、存在し

ないものすべてを意味し、西行の言説と完全に一致する

     の 

わけである。また、華・厳の一心思想を説く黄漿の禅語録

である『伝心法要』にも、「凡そ所有相は皆是れ虚妄な

                         

り、若し諸相の相に非ざるを見れば、即ち如来を見る」

という文が見え、『金剛般若経』の句を引いて万法は心

によって生じ、諸法も空であることを示し、あらゆる

すがた

相は虚妄であるという唯心的な立場から説いているの

である。西行歌論においても、歌の素材である「花・郭

公・月・雪・都ての万物」を四種法界のうち、現象はす

べて仮の相である「事法界」として認識した上で、その

差別の相である現象界(「虚妄」)を「理法界」としてと

らえ、その絶対的な境地から詠ずる限り、歌を「読み出

す所の歌句は、皆是れ真言にあらずや」と西行は語って

いるわけである。

 このような見方をとると、西行が「我が歌を読む事は、

遥か世の常に異なり」と語った理由がはっきり分かって

くる。すなわち、森羅万象のありのままの姿はあなた達、

凡人には見ることができないし、自我の我執を捨てない

限り、これを見ることができないという西行晩年に到達

した特異な和歌観の究極の境地を明確に示しているので

ある。こうした西行の特異な和歌観の思想的基盤が、四

種法界観から生まれたものであると推測されるのは、②

「花を読むとも実に花と思ふ事無く、月を詠ずる共実に

月と思はず、かくの如くして縁に任せ、興に随ひて、読

み置く所なり」の言句からも窺われる。法界縁起思想で

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Page 9: 西行における華厳思想と和歌 - 明治大学...西行における華厳思想と和歌 金 任 仲 はじめに しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』ずかである。厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって和歌に

は、縁起している一切のものは、縁起の理法によって成

り立っているので、固有の存在を持たない、無自性・空

として把握する。そうした無自性、空である理法界が、

現象界の事と真如随縁して諸法を成しているのが「理事

無磯法界」という。『大乗起信論』では「真如随縁」に

ついて、

                ごんぜつ

是の故に、一切の法は、本より已来、言説の相を離

れ、名字の相を離れ、心縁の相を離れ、畢寛平等に

           は  え

して、変異あること無く、破壊すべからず、唯是れ

         ことさ

一心なるのみなれば、故らに真如と名つく。一切の

   けみよう

言説は仮名にして実無く、但妄念に随うのみにして、

不可得なるを以ての故に、真如と言うも亦相あるこ

      ごく                       (22)

と無く、言説の極、言に因って言を遣るを謂う。

と説いて、一切の言説の性格を示し、「言説の極、言に

因って言を遣る」という言説の極言として「真如」と名

づけ、真如の言語によって、他の言語を超えるのである。

 こうした、「真如随縁」に基づいて西行は、「縁に任せ、

興に随って」花月を詠ずるのである。つまり、花も空で

あり、月も空である。花と月に真如(理性)が随縁して

相即無礫なる理事無磯法界が現れてくるのである。「花

を詠むとも実に花と思う事なく、月を詠ずるとも実に月

と思わず」という境地から発する言句は、仏が発する絶

対表現の真如(言句)と変わるところがないことになる。

なお、西行⊥ハ十九歳のとき、東大寺の復興事業に協力し

て砂金勧進のため奥州へ再度の旅の途中に、鎌倉の頼朝

と面会して懇談した折、和歌に関する話が、『吾妻鏡』

文治二年(=八六)八月十五日条に「詠歌は、花月に

対して動感の折節、僅かに三十一字を作る計なり」と照

らし合わせば、相通じるところがある。

 次に③「紅虹たなびけば、虚空色どれるに似たり」の

ところは、『華厳経』「夜摩天宮品」に「讐えば工なる画

師の彩色を分布するが如し。虚妄に異色を取るも、四大

に差別なし」と対応し、巧みな画師の彩色を隠喩して、

虚空の差別相を離れたことを示している。また「然れど

も虚空は本明らかなる物にもあらず、又色どれる物にも

あらず」は、同じく『華厳経』「夜摩天宮品」の説く

「虚空は清浄にして、色に非ざれば見るべからず。能く

一切の色を現ずるも、其性は見るべからざるが如く」と

いう偶文に、その典拠を見出すことができる。さらに、

④「我又此の虚空の如くなる心の上に於いて、種々の風

63

Page 10: 西行における華厳思想と和歌 - 明治大学...西行における華厳思想と和歌 金 任 仲 はじめに しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』ずかである。厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって和歌に

情を色どると錐も、更に躍跡なし」の「虚空の如くなる

心」は、『華厳経』「入法界品」に「心浄きこと虚空の如

                   お 

く、邪なる見愛を除滅し、一切の衆を饒益す」に対応す

る。『伝心法要』には、「心本是れ佛、佛本是れ心なり。

                        ム 

心虚空の如し、所以に云く、佛の眞法身は猶虚空の如し」

と見え、「心と虚空と仏」は無二であることを説いてい

る。たとえば『大乗起信論』によると、

如来の法身は畢寛して寂箕なること、猶虚空の如し。

(中略)一切の境界は唯心のみが妄に起るが故に有

なるも、若し心にして妄に動くことを離れるときは、

則ち一切の境界は滅し、唯一真心のみにして編せざ

る所無し、此を如来の広大性智究寛の義と謂う、虚

               ゐ 

空の相の如くには非ざるが故なり。

とあるように、一切の境界は心の妄動によって起こり、

心の妄動を離れれば、一切法に遍満するという徹底した

唯心説からも理解することができよう。ここで、傍線部

分のコ切の境界」は、「種々の風情を色どる」に、「唯

一真心のみにして編せざる所無し」は、「更に躍跡なし」

にそれぞれ置き換えて表現され、虚空から唯心への論理

展開は両者一致するところである。

 このように、③④において『華厳経』と『大乗起信論』

から、その典拠を示してみたが、ここにもやはり「四種

法界観」のうち、事事無擬法界観が現れている。③「赤

色の虹がたなひくと、空は色どられたように見え、明る

い太陽が輝くと、空が明るくなったように感じられる」

のは、事法界における世間一般の凡夫の目によって見ら

れた現象の世界である。しかし、西行の眼には「然れど

も虚空は本明らかなる物にもあらず、又色どれる物にも

あらず」といった、事事無磯法界観に基づく仏の智慧、

悟りの智慧によって見られた絶対の境地なのである。西

行はこうした究極の世界観である事事無磯法界を最終段

階に置いて、④「我又此の虚空の如くなる心の上に」詠

む歌は、仏の智慧、悟りの智慧よって詠まれたものだか

ら「種々の風情を色どると難も、更に躍跡なし」と、最

晩年に至り得た自負に溢れる究極の和歌観を語るわけで

ある。言わば、「虚空の如くなる心の上に」詠みだす歌

は、そのまま仏像であり、真言なのである。

 なお、この④「我又此の虚空の如くなる心の上に於い

て、種々の風情を色どると難も、更に蹴跡なし」という

部分は、次の「にほてるや」の歌と照合して相通じると

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Page 11: 西行における華厳思想と和歌 - 明治大学...西行における華厳思想と和歌 金 任 仲 はじめに しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』ずかである。厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって和歌に

ころがある。

  円位上人無動寺へのぼりて、大乗院のはなちで

  にうみをみやりて

にほてるやなぎたる朝に見渡せばこぎ行く跡の浪だ

にもなし

  かへりなんとてあしたの事にてほどもありしに、

  今は歌と申ことは思たえたれど、結句をばこれ

  にてこそつかうまつるべかりけれとてよみたり

  しかば、ただにすぎがたくて和し侍りし

ほのぼのとあふみのうみをこぐ舟は跡なきかたに行

                    め 

こころかな   (拾玉集、五四二二・五四二三)

 この歌は、晩年の西行が比叡山無動寺の慈円を訪れ、

大乗院の放出から琵琶湖を観望しながら、「空」を詠ん

だものである。西行の辞世歌とも言えるこの「にほてる

    り 

や」の歌は、「こぎ行く跡の浪だにもなし」の句を西行

歌論の文脈中に置くと、大乗院の放出から見晴らした琵

琶湖の風景は、虹や太陽のごとく、「種々の風情を色ど

                    くうがん

ると錐も」、それは実体がないものであって、空観の認

識に立ってみると、湖上の上にある船も、またその跡の

白波もまったく「躍跡」が無いのである。すなわち、四

種法界観に基づいて、あらゆる事象のありのままの真実・

本質を観たという悟りの境地を表したものと考えている。

続いて⑤「此の歌、即ち如来の形体なり、一首読み出て

は、一体の仏像を造る思ひを成す、一句を思ひつづけて

は、秘密の真言を唱ふるに同じ」とは、前掲の四一の

『華厳経』を詠んだ歌の題、「まさにかくの如く観ずべし、

心もろもろの如来を造る」(「応当如是観、心造諸如来」)

という、「和歌即仏像観」の部分に論拠を見出すことが

できる。

 最後に⑥の歌は、西行の家集類には見当たらず、『新

古今集』雑に「題しらず」として収められている。下の

句の「すまで哀れは知らむものかは」という、山里での

厳しい仏道修行を通して得られた宗教的境地を端的に示

している。それは和歌が仏道修行の自己体験的な実践行

為によって得られたものであると、西行が明恵に語り伝

えた歌論と、この歌との連続性が認められる。すなわち、

「山深く」の歌は西行の詠であったということになる。

そして、長明の『方丈記』の末尾には、この西行の歌と

似通っている一文がある。

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Page 12: 西行における華厳思想と和歌 - 明治大学...西行における華厳思想と和歌 金 任 仲 はじめに しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』ずかである。厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって和歌に

もし、人この云へる事を疑はば、魚と鳥とのありさ

まを見よ。魚は水に飽かず。魚にあらざれば、その

心を知らず。閑居の気味もまた同じ。住まずして、

      お 

たれかさとらむ。

 傍線部分の「住まずして、たれかさとらむ」は、西行

の歌「すまで哀れは知らむものかは」を強く意識したも

ので、華厳の「唯心思想」を引いて、『方丈記』のしめ

くくりを結んでいることは興味深い。西行も『山家集』

に、「身の憂さを隠れ家にせん山里は心ありてぞ住むべ

かりける(九一〇)」と、「心を離れては三界も万物も存

在しない、すべて心が決定づける」という唯心説に基づ

いて歌っているのである。

三 西行と華厳・唯識思想

 西行がこのように、華厳の法界縁起思想を踏まえて、

自分の和歌観を披渥したと考えてみた。次に『山家集』

など西行の家集には、「心」の語を含む歌の表現上の特

色から華厳・唯識思想の受容と見られるものが非常に目

立つ。

 まず、「心の種」という表現について検討してみる。

「心の種」は歌ことばとしての用例は少なく、素性・西

行・慈円の歌三首が見える。

忘れ草なにをか種と思ひしはつれなき人の心なりけ

り        (古今集・素性法師・八〇一)

ひとつねに心のたねのをひいで、花さきみをばむす

ぶなりけり         (聞書集・四〇)

みな人の心のたねのおひたちてほとけのみをばむす

ぶなりけり   (拾玉集・日吉百首歌・四九六)

 ここに挙げた歌は、いずれも人の心を「種」ととらえ

て詠んでおり、そのうち慈円の歌は西行の歌の影響を受

                  ゆ 

けていると見てよいだろう。石田公成氏は、人の心を

「種」や「種子」にたとえることは仏教の影響であり、

『古今集』の恋歌五に見える素性の歌によって世間一般

の「人の心」を問題にするようになったと指摘している。

その素性の影響を受けたとされる紀貫之は、『古今集』

仮名序の冒頭で、「やまとうたは、人の心を種として、

万の言の葉とそなれりける」と、人の心を種にたとえ、

言葉を種から生じる植物の葉であると述べているが、そ

66

Page 13: 西行における華厳思想と和歌 - 明治大学...西行における華厳思想と和歌 金 任 仲 はじめに しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』ずかである。厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって和歌に

れは素性の歌の影響を受けて、人の心を種とみる表現が

一般化されたものと考えられる。こうした、人の心を種

とみる『古今集』仮名序の立場を、俊成は『古来風躰抄』

の中で、次のように説明する。

      しゆうじ

すると見て、「種子」と呼ぶ。真言密教では、この「種

子」を通して仏などを観ずることを「種子観」という。

人の心を「種」・「種子」にたとえることは、『華厳経』

   お 

「十地品」に、

かの古今集にいへるがごとく、人の心を種として、

ようつの言の葉となりにければ、春の花をたつね、

秋の紅葉を見ても、歌といふものなからましかば、

色をも香をも知る人もなく、何をかはもとの心とす

  む 

べき。

罪行と福行と不動行となり。是の行を以ての故に、

有漏の心の種子を起す。有漏有取の心の故に、生死

の身を起す。所謂、業を地と為し、識を種子と為し、

無明覆蔽し、愛水を潤と為し、我心概灌せること、

種種の諸見を増長する得しめて、各色の芽を生す。

67

 ここで俊成が主張しているのは、「花や紅葉はもとも

と外界に実在するのではなく、種である人の心の中に生

じ、これが言の葉、つまり和歌として語られてはじめて

この世に存在するのだ」と解釈し、唯識の論理に従って

                       

歌論を展開しているのである。また『古今集註』でも

『古今集』の仮名序について、「法相宗の唯識論」を援用

して説明がなされており、人の心を種にたとえることは、

言うまでもなく仏教の影響である。

       お 

 仏教の唯識説では、ありとあらゆる存在を生ずる種と

                あ ら やしき

いうものが、人の心の最深層である阿頼耶識の中に存在

とあるように、業が大地になり、「意識」(心)が「種子」

となると説いている。また、法相宗の根本経典で唯識思

    じょうゆいしきうん

想を説く『成唯識論』に、「作意謂能讐レ心為レ性。於二

所縁境一引レ心為レ業。謂此警二覚応レ起心種一引令レ趣レ境故

     

名二作意一。」とあり、『摂大乗論釈』にも「已過去故。

不レ得レ為二今定心種子一。展転伝来為二今因縁一者。阿頼耶

      あ 

識持二彼種一故。」と見え、「心種」「心種子」という言葉

を仏教経典、とりわけ唯識文献の中に盛んに用いられて

いる。この場合、「心種」「心種子」とは、過去の業によっ

て、植えつけられたまま「阿頼耶識」の中に保持され、

Page 14: 西行における華厳思想と和歌 - 明治大学...西行における華厳思想と和歌 金 任 仲 はじめに しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』ずかである。厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって和歌に

未来世の自己の形成に関与する心を指している。つまり、

「種」から多様な植物が生じるように、人の心の最深層

である「阿頼耶識」から万象が生じるということである。

 西行の歌においても、人の心を「種」とみる『古今集』

仮名序の伝統を踏まえ、人の最深層である阿頼耶識の中

に存在する「種」(種子)をコ心」ととらえ、それが

もととなって悟りの境地に至るのだと歌っているのであ

る。その背景には、華厳の一心思想や唯識説の影響があ

り、それを受けて語っていることは明らかであろう。

 また「心の色」は、もとより無色である心をあえて色

に見立てる語で、新古今時代に広く用いられていた。西

行には「心の色」を詠み込んだ歌が多く見られ、西行自

身の愛好した用語とみなしてもよいと思う。

月待つといひなされつるよひの間の心の色を袖に見

えぬる           (山家集・六一六)

かさね着る藤の衣をたよりにて心の色を染めよとそ

思ふ             (同右・七八五)

君に染む心の色の深さには匂ひもさらに見えぬなり

けり           (同右・一三四二)

ヒトスヂニコ・ロノイロヲソムルカナタナビキワタ

ルムラサキノクモ     (聞書集・一四四)

初時雨あはれしらせてすぎぬなりをとに心の色をそ

めにし         (西行上人集・二七五)

花をおしむ心の色の匂ひをば子を思ふおやの袖にか

さねん           (同右・五=二)

 これらの用例から注目すべきことは、「心の色」とい

う語を西行は仏教的な意味合いをもつ歌にも用いている

点である。このうち、「かさね着る」の歌は右大将公能

が両親の喪に服している時に、高野山から贈った哀傷歌

である。「心の色を染めよ」という句から、仏道に志す

よう、公能に出家をすすめることを内容としたもので、

西行の仏道修行者としての立場が窺える。特に「ヒトス

                 め 

ヂニ」の歌は、『往生要集』の説く「十楽」のうち、「聖

衆来迎楽」を詠んだ歌であるが、典拠を『往生要集』に

求めることはきわめて困難である。この「心の色」につ

いて、『往生要集』大文第六「別時念仏」に、

仏は心を用ても得ず。身を用ても得ず。心を用ても

仏の色を得ず。色を用ても仏の心を得ず。何を以て

の故に。心といはば仏には心なく、色といはば仏に

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Page 15: 西行における華厳思想と和歌 - 明治大学...西行における華厳思想と和歌 金 任 仲 はじめに しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』ずかである。厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって和歌に

は色なし。

                  

故に色・心を用てしては三菩提を得ず。

れ、宗教的な意味として用いている。

と説いて、「色と心」を用いては、正しい仏の悟りであ

  さんみやく

る「三貌三菩提」を得ることができないと、明確に示

しているわけである。

 ところで、この部分について『華厳経』「夜摩天宮品」

には、「心を離れて色なく、色を離れて心なし。心は無

                    お 

量にして計り知れないし、一切の色を顕現する」と見え、

心は無量であって、一切の色を顕現すると説いている。

さらに『大乗起信論』では、「もとより已来、色と心と

は不二にして、色性は即ち智なるを以ての故に、色の体

             お 

の形無きを説いて智身と名つく」とあり、報身・応身の

色相は無擬自在なる法身のそのままの顕現であるから、

「色と心」は不二であることを述べている。すなわち、

西行の歌における「心の色」は、こうした華厳教学の教

理を踏嵐えて、この表現を用いていたと思われる。

 次に「心を染める」という表現は、『万葉集』から見

られ、『古今集』では主に移り変わって行く人の心にな

ぞらえて多く歌われるようになる。しか七、西行はこの

「心を染める」という表現に対し、仏道を求める心を春

の花や秋の紅葉の色に重ね合わせた形でたくみに取り入

なにとなくあだなる春の色をしも心に深く染めはじ

めけん          (山家集・一五三)

分けて行く色のみならずこずゑさへ千種の嶽は心染

みけり          (同右・一=五)

野辺の色も春の匂ひもおしなべて心染めける悟りに

ぞなる          (同右・一五四二)

はなのいうに心をそめぬこのはるやまことの㌧りの

みはむすぶべき        (聞書集・三三)

イロソムルハナノエダニモス・マレテコズエマデサ

クワガコ・ロカナ       (同右・一五五)

 この五首のうち、「なにとなく」の歌は散りやすい春

の色(桜)を深く心に染め始めたと言い、「分けて行く」

の歌は木々の梢さえも、色とりどりに紅葉して心までそ

の色に染まったことだと歌っている。ここで注目したい

のは、後の三首は仏教と関わりをもつ釈教歌であるが、

同じ「心を染める」という表現でも、前の二首とはまっ

たく違った使い方をしている点である。三首ともに「心

を染める」という表現を、自然に託してたくみに詠み込

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Page 16: 西行における華厳思想と和歌 - 明治大学...西行における華厳思想と和歌 金 任 仲 はじめに しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』ずかである。厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって和歌に

んでおり、釈教歌においても自然を主体として歌う西行

の詠風の特徴を示す一例と言えよう。

 つまり、後の三首に見える「心を染める」とは、仏道

に心を入れて修行に精進する意味であるが、そこには悟

りの達成、仏道への増進が強調されている。

 この「心を染める」という表現は、大乗仏教では煩悩

      ぜんしん

に汚れた心を「染心」と呼ぶ例が多く見られる。しかし、

                  しようまんぎよう

初期大乗経典であり、如来蔵思想を説く『勝鍵経』に、

煩悩は心に触れず。心は煩悩に触れず。云何んが触

れざるの法、而も能く心を染するを得んや。世尊よ、

然るに煩悩有り、煩悩が心を染すること有り。自性

清浄なる心にして、而も染あることは了知すべきこ

と難し。唯、世尊のみ実眼なり。実智なり、法の根

本となり、通達の法となり、正法の依となり、実の

        れ 

如くに知見したもう。

とあるように、「煩悩が心を染することはあっても、煩

悩が自性清浄心を染することはできない」と述べている。

さらに『大乗起信論』では、「是の心は、本より巳来、

自性清浄なるに、而も無明あり、無明の為に染せられて

               じようこう

其染心あり、染心ありと錐も、而も常恒にして不変な

      

ればなり」と見え、心はもとより自性清浄心であり、

「染心」は常に不変であることを説いているのである。

『勝鍵経』にしても『大乗起信論』にしても、「自性清浄

心に染する」ことを「染心」と説いており、西行の歌に

おける「心を染める」という表現は、こうした大乗経典

から由来するものと考えるべきであろう。

おわりに

 以上、西行の華厳経の歌と『栂尾明恵上人伝』に載る

西行歌論、そして西行の和歌における表現上の特色から、

華厳思想の影響と見られるものについて考察してみた。

西行の和歌と仏教思想との関連をめぐっては、これまで

様々な観点から検討がなされてきた。にもかかわらず、

華厳思想や唯識説の解明については、ほとんど未開拓の

まま埋もれているように思われる。臼田昭吾編『西行法

師全歌集総索引』(本文は日本古典全書)によると、西

行は「心」の語を含む歌を全歌数の二一八六首のうち、

三四六首を詠み込んでおり、全歌数の一五・八パーセン

トを占めている。これらの歌すべてが華厳思想に関わっ

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Page 17: 西行における華厳思想と和歌 - 明治大学...西行における華厳思想と和歌 金 任 仲 はじめに しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』ずかである。厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって和歌に

ているとは言い難いが、西行における「心」の追究にあ

たって、唯心・唯識説の影響を無視することはできない。

 西行は、いつどこで、どの書物を目にして華厳思想や

唯識説に目覚めたのか、それらの詳細については、まっ

たく分からない。ただ、華厳教学の中心思想の論書であ

る『大乗起信論』は、平安時代に入って仏教徒に盛んに

愛読され、西行もその教学的な知識や教養を身につけて

いた可能性は十分考えられる。それは華厳経を詠んだ歌

にみるように、「心」が三世一切の諸仏を造るのと同じ

であることを、はじめて思い知ったと語るほどに、華厳

思想に出会ったことは、西行にとって強烈なものであっ

たと言えよう。このことは、今後の西行の伝記や仏教思

想を研究する上に、きわめて重大な問題を提起してくれ

ると思う。

 もう一つ、華厳経の歌が所載する『聞書集』「十題十

首」と、その巻頭の「法華経二十八品歌」との関係であ

る。この「十題十首」の詠作時期をめぐって、従来の説

            せ 

では、「法華経二十八品歌」に続いて詠まれたものとし

て、西行二十五歳頃とされる。この「十題十首」の詠作

時期を、西行二十五歳頃とすれば、出家二年後に当たり、

その時期に華厳思想について開悟したことになる。しか

し、当時華厳経は専門の学問僧の間でも難解視されたこ

とや『聞書集』の成立時期などを考慮すれば、やはり西

行が華厳思想に目覚めたのは晩年ごろではないかと推定

される。

《注》

(1) 萩原昌好氏は、西行の出家当初の信仰体系を「融通念

  仏の僧」として出発した観点から、西行における華厳思

  想の影響を認めている(「西行の出家」『国文学言語と文

  芸』七八、昭和四九・五)。平野多恵「『栂尾明恵上人伝』

  における西行歌話の再検討」(『国語と国文学』七七・四、

  平成一二・四)。拙著『西行和歌と仏教思想』第四章第

  一節「西行の和歌観」参照(笠間書院、平成一九)。荒

  木優也「西行と華厳思想」(『解釈と鑑賞』七六・三、平

  成二三・三)。

(2) 本稿において引用した西行の歌は、すべて久保田淳編

  『西行全集』(日本古典文学会、昭和五七)による。

(3) 「六十華厳経』(大正蔵巻九、四六五頁)。

(4) 「宋高僧伝』巻四「義湘伝」(大正蔵巻五〇、七二九頁)。

(5) 藤原正義氏は、西行の思惟が「華厳経の唯心思想に通

  じている」と指摘した上で、題も「西行はすでに熟知の

  偶であり、日常不断心に反復され口請もされていたもの

  であった」と述べている(「西行論-遁世と浄土教ー」

  『中世作家の思想と方法』風間書房、昭和五六)。

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Page 18: 西行における華厳思想と和歌 - 明治大学...西行における華厳思想と和歌 金 任 仲 はじめに しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』ずかである。厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって和歌に

(6) 伊藤嘉夫校註『山家集』〔日本古典全書〕(朝日新聞社、

  昭和二二)二三八頁。

(7)石田瑞麿校注『源信』(日本思想大系、昭和四五)一

  八四頁。

(8) 『宝物集』(新日本古典文学大系、平成五)一四九頁。

(9) 『方丈記 発心集』(新潮日本古典集成、昭和五一)四

  三頁。

(10) 明恵は在家の女房達と親類の求めに応じて、『華厳経』

  「如心偏」を平易に解釈した『華厳唯心義』を建仁元年

  (一二〇一)に著している。『華厳唯心義』は、高山寺典

  籍文書総合調査団編(『高山寺典籍文書の研究』所収)

  高山寺本による。

(11) 『華厳経』本文の読み下し文は、木村清孝『華厳経』

  (仏教経典選5、筑摩書房、昭和六一)によった。

(12) 『大乗起信論』(岩波文庫、平成六)二五頁。

(13) 『大乗起信論疏』(大正蔵巻四四、二〇六頁)。

(14) 『三五記』(日本歌学大系第四巻、風間書房、昭和三一)

  三四一頁。

(15) 『沙石集』(日本古典文学大系、昭和四一)二五〇頁。

(16) この歌論について、肯定的にとらえているものは、窪

  田章一郎『西行の研究』(東京堂、昭和三六、四一六頁)、

  目崎徳衛「西行の思想的研究』(吉川弘文館、昭和五三、

  四〇〇~四〇一頁)、山田昭全『西行の和歌と仏教』(明

  治書院、昭和六二、二五一頁)がある。これに対し、慎

  重な態度を示しているものは、久保田淳『新古今歌人の

  研究』(東京大学出版会、昭和四八、九六頁)、平泉洗全

  訳注『明恵上人伝記』(講談社、昭和五五、一七六頁)

  がある。

(17) 山田氏前掲書(注(16))、二五四~二五九頁参照。

(18) 華厳の法界縁起思想に関しては、主に坂本幸男「法界

  縁起の歴史的形成」(「仏教の根本真理』、三省堂、昭和

  三一)、中村元編「華厳思想』(法蔵館、昭和三五)、鎌

  田茂雄・上山春平『無限の世界観』〈華厳〉』(仏教の思

  想6、角川書店、昭和三五)、鎌田茂雄「法界縁起と存

  在論」(『講座仏教思想』第一巻、理想社、昭和四九)な

  どを参照した。

(19) 『般若心経 金剛般若経』(岩波文庫、昭和三五)四八

  頁。

(20) 『岩波仏教辞典』によると、「有相」は存在するもの、

              う い   む い

  「無相」は存在しないもの、有為と無為などを意味する

  ことであり、「無相の方が仏教の正しいありかた、すな

  わち空・無我の立場を表し、有相は誤ったありかた、実

  体的なとらえかたを表すことが多い」とされ、この部分

  に対する西行の言説の典拠を『大日経』『大日経疏』に

  求めるよりも、有相・無相すべてを表している『金剛般

  若経』に拠ったものと考えるべきであろう。

(21) 『伝心法要』(岩波文庫、昭和=)五九頁。

(22) 注(12)前掲書、二五頁。

(23) 注(11)前掲書、二六八頁。

(24) 注(21)前掲書、五五頁。

(25) 注(12)前掲書、七一頁。

(26) 本文の引用は、多賀宗隼編『校本拾玉集』(吉川弘文

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Page 19: 西行における華厳思想と和歌 - 明治大学...西行における華厳思想と和歌 金 任 仲 はじめに しかし、西行には『華厳経』を詠んだ歌が『聞書集』ずかである。厳思想の影響を論じたものは、管見に入る限り、実にわ大幅に進んでいるが、西行の和歌及び和歌観に窺える華については、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって和歌に

  館、昭和四六)によった。

(27) 西行の「にほてるや」の歌に関しては、拙稿「西行の

  晩年1「和歌起請」をめぐってー」(明治大学大学院

  『文学研究論集』一七、平成一四・二、後に『西行和歌

  と仏教思想』に所載、笠間書院、平成一九)を参照して

  いただきたい。

(28) 注(9)前掲書、三八頁。また『方丈記』の末尾のとこ

  ろに「夫、三界はただ心一つなり。心もし安からずは、

  象馬・七珍もよしなく、宮殿・楼閣も望みなし。今さび

  しきすまひ、一間の庵、みつからこれを愛す」とあり、

  華厳の唯心思想の影響が窺える。

(29) 石田公成「見仏から恋歌へー『古今和歌集』の仏教

  的世界1」(『仏教文学研究』六、平成一五・三)。

(30) 『古来風躰抄』(日本思想大系、昭和四三)二六二頁。

(31) 『古今集註』(京都大学蔵・京都大学国語国文資料叢書

  四八、昭和五九)一三~一五頁参照。

(32) 「唯識教学」については、船橋尚哉「唯心と唯識」

  (『心』仏教思想9、平楽寺書店、昭和五九)、横山紘一

  『唯識とは何かー『法相二巻抄』を読む』(春秋社、昭

  和六一)などを参照した。

(33) 注(11)前掲書、二〇三頁。

(34) 『成唯識論』(大正蔵巻三一、=頁)。

(35) 『摂大乗論釈』(大正蔵巻三一、三三三頁)。

(36) 西行の「十楽」を詠んだ歌については、拙稿「西行の

  「十楽歌」について(『明治大学人文科学研究所紀要』五

  一冊、平成一四・三、後に『西行和歌と仏教思想』に所

  載、笠間書院、平成一九)を参照していただきたい。

(37)注(7)前掲書、二〇二~二〇三頁。

(38) 『六十華厳経』「夜摩天宮品」に、「心非彩画色、彩画

  色非心、離心無画色、離画色無心、彼心不常住、無量難

  思議」(大正蔵巻九、四六六頁)と説いて、如来林菩薩

  が仏の神力を承けて十方を見渡し、詩句を唱えた部分で

  ある。

(39) 注(12)前掲書、六七頁。

(40) 『勝髭経』(大正蔵巻一二、二二二頁)。読み下し文は、

  平川彰「如来思想とは何か」(『如来蔵と大乗起信論』春

  秋社、平成二、六九頁)にある文を引用した。

(41) 注(12)前掲書、四三頁。

(42) 山田昭全氏は、「西行の二十八品歌は、彼の真言密教

  への劇的な覚醒があったあと」の成立とみて、晩年に近

  い頃と推測している。(注(16)前掲書、一一八~一二一

  頁参照)。

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