量子ビーム基礎 - ishiken.free.frishiken.free.fr/lectures/note.pdf · 5 第1章...

24
量子ビーム基礎 システム創成学科生体情報システムコース 石川顕一助教授 E-mail: [email protected] URL: http://ishiken.free.fr 講義参考資料

Upload: others

Post on 04-Oct-2019

2 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

量子ビーム基礎

システム創成学科生体情報システムコース石川顕一助教授

E-mail: [email protected]

URL: http://ishiken.free.fr

講義参考資料

3

目 次

第 1章 レーザーとは 5

1.1 レーザーの動作原理 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 5

1.1.1 基本的な原理 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 5

1.1.2 レーザーが動作するための条件 . . . . . . . . . . . 7

1.2 レーザー光の特性 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 10

1.2.1 レーザー光の波長領域 . . . . . . . . . . . . . . . . 10

1.2.2 レーザー光のエネルギー・出力・強度 . . . . . . . 12

1.2.3 コヒーレンス . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 12

第 2章 光と物質 15

2.1 反射 (reflection)と屈折 (refraction) . . . . . . . . . . . . . 16

2.1.1 フレネル (Fresnel)の法則 . . . . . . . . . . . . . . 17

2.1.2 自己収束 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 19

2.2 吸収 (absorption) . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 20

2.2.1 Lambert-Beerの法則 . . . . . . . . . . . . . . . . . 20

2.2.2 生体組織による光の吸収 . . . . . . . . . . . . . . . 21

2.3 散乱 (scattering) . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 22

5

第1章 レーザーとは

この章では、レーザーの動作原理・レーザー光の特徴について、簡単に述べる。

1.1 レーザーの動作原理1.1.1 基本的な原理レーザーの最も重要な特徴は、誘導放出(stimulated emission)による

光の増幅である。Laserとは、Light Amplification by Stimulated Emission

of Radiationの略である。同様に、誘導放出によるマイクロ波の増幅は、メーザー (maser)と呼ばれる。歴史的にはメーザーが先に実現された。これに対して、他の一般的な光源(電球や蛍光灯など)は光の自然放出を利用している。誘導放出された光は、位相・方向・偏光が入射光と一致している。その

ため、誘導放出の結果として、入射光の増幅が起こる。これに対して自然放出の場合は、放出された光の位相・方向・偏光はランダムである。従って、自然放出が支配的な場合には、入射光は散乱され減衰してしまう。ここで、光の吸収と放出に関する 1917年のアインシュタインのA係

数・B係数の理論について説明しよう。アインシュタイン理論は、レーザーによる光ビームの増幅を含む多様な放射過程を定性的に理解するのに役立つ。図 1.1に示すように、原子(あるいは分子)はエネルギーがE1, E2(E2 > E1)である一対の(束縛)準位を持ち、そのエネルギー差がちょうど光子のエネルギーと同じ、すなわち、

h̄ω = E2 − E1、 (1.1)

であるとする。ここで、h̄はプランク定数 hを 2πで割ったものである。簡単のため、準位の縮退はないものとする。状態1の原子は吸収によって状態2に移り、状態2の原子は誘導放出と自然放出とによって状態1に移

6 第 1章 レーザーとは

る。単位時間当たりにそれぞれの遷移の起こる確率は図 1.1に示してある通りである。ここで、W は入射光のエネルギー密度であり、A,B12, B21

はW に依存しない定数である。3種類の遷移による、各状態にある原子の密度(占位数)N1, N2の時間変化を表す微分方程式は、

dN1

dt= −dN2

dt= N2A−N1B12W + N2B21W (1.2)

となる。原子の集団が熱平衡状態にある場合、占位数は時間的に変化しないから、式 (1.2)のの右辺をゼロとおいて、

N2A−N1B12W + N2B21W = 0 (1.3)

が得られる。これから、入射光のエネルギー密度W は、

W =A

(N1/N2)B12 −B21

(1.4)

となる。占位数の比N1/N2は温度 T の熱平衡状態ではボルツマン分布に従い、

N1/N2 = exp[(E2 − E1)/kBT ] = exp[h̄ω/kBT ] (1.5)

である。式 (1.5)を式 (1.4)に代入すると、

W (ω) =A

exp[h̄ω/kBT ]B12 −B21

(1.6)

が得られる。今、熱平衡状態を考えているわけであるから、式 (1.6)はプランクの黒体放射の法則

Wp(ω) =h̄ω3

π2c3

1

exp[h̄ω/kBT ]− 1(1.7)

と一致していなければならず、このことから、

B12 = B21 および A =h̄ω3

π2c3B21 (1.8)

が得られる。これから、式 (1.2)は、

dN1

dt= −dN2

dt= B

[h̄ω3

π2c3N2 + (N2 −N1)W

](1.9)

と書き換えられる。

1.1. レーザーの動作原理 7

図 1.1: 放射過程の3つの基本型

1.1.2 レーザーが動作するための条件レーザーの基本的な構造の模式図を図 1.2に示す。

反転分布: 再び、エネルギー準位E1, E2(E2 > E1)にある原子(または分子)の密度をそれぞれN1, N2とする。簡単のため、準位の縮退はないものとする。入射光の増幅が起こるためには、誘導放出が吸収を十分上回らなければならない。そのためには、式 (1.8)からB12 = B21であるから、

N2 >> N1 (1.10)

が成り立たなければならないことが分かる。エネルギー固有値の大きい方の準位(上準位)を占める原子の方が多いので、これを反転分布と呼ぶ。系が温度 T の熱平衡状態にある場合には、

N2 = N1 exp[−(E2 − E1)/kBT ] < N1 (1.11)

であり、決して反転分布にはならない。実際のところ、レーザー発振に関係する2準位については、上準位への熱による励起はほとんど起こらない。従って、反転分布を起こすためには、以下に示すような活性媒質を励起するための励起エネルギー源が必要である。

• フラッシュランプ

• 発光ダイオード

• ガス放電

• 電流

• 化学反応

8 第 1章 レーザーとは

図 1.2: エネルギー源と活性媒質と共振器(一対のミラー)からなるレーザーの基本的な構造

• レーザーまた、活性媒質の種類は、

• 固体

• 液体

• 気体

• プラズマ

• 自由電子と様々である。

増幅: 誘導放出によって入射光が増幅されるためには、誘導放出は、吸収のみならず自然放出も十分上回らなければならない。そのために必要な入射光強度の最小値は、式 (1.8)を用いて、

BW ≥ A → Imin = cW∆ω =h̄ω3∆ω

π2c2(1.12)

1.1. レーザーの動作原理 9

となる。光の強度は、活性媒質中を伝播するに従って、吸収と誘導放出によって

変化する。最も単純な場合、光強度は、活性媒質の長さ Lに関して、指数関数的に増加する。すなわち1、

I = I0 exp (gL) (一般化された Lambert-Beerの法則) (1.13)

増幅の係数 gは利得(ゲイン)と呼ばれ、N1,2を用いて、

g = (N2 −N1)σ (1.14)

と表される。ここで、σは面積の次元を持ち、作用断面積と呼ばれる量であり、光と媒質との相互作用の程度を表す。式 (1.13)は、光の通過によって反転分布が変化しない場合の近似であり、媒質中を伝播するレーザー光がまだ弱いときに成り立つ。このような場合の利得を、小信号利得と呼ぶ。媒質中での散乱等による減衰係数 aを考慮すれば、式 (1.13)のかわりに、

I = I0 exp [(g − a) L] (1.15)

が成り立つ。

発振: 活性媒質中での入射光の増幅によって、まず、超放射といわれる強い光パルスが発生する。定常的なレーザー光を発生するために、一般に活性媒質は一組の向かい合ったミラーからなる共振器の中に置かれる。ミラーの一方は半透明でそこから、レーザー光を取り出すことができる。光が共振器中を一周する間の増幅と、ハーフミラーでの損失(レーザー光の取り出し)とが釣り合えば、レーザー発振は定常的になる。2つのミラーでの反射率をR1, R2とすれば、この条件は、

exp [2 (g − a) L] R1R2 = 1 (1.16)

と表される。この式と式 (1.14)から、レーザー発振に必要な反転分布のしきい値が、

N2 −N1 =a

σ− ln R1R2

2Lσ(1.17)

と求められる。

1導出は、2.2.1節を参考にせよ。

10 第 1章 レーザーとは

表 1.1: 電磁波のスペクトル領域

名前 波長硬エックス線 < 1 nm

軟エックス線 1 nm− 30 nm

極紫外 (XUV) 30 nm− 100 nm

真空紫外 (VUV) 100 nm− 200 nm

紫外 (UV) 200 nm− 400 nm

可視光 400 nm(紫、青)− 780 nm(赤)近赤外 780 nm− 3000 nm

中赤外 3000 nm− 6000 nm

遠赤外 6000 nm− 15000 nm

極赤外 15000 nm− 1000000 nm

1.2 レーザー光の特性1.2.1 レーザー光の波長領域電磁波は、波長によって表 1.1のようなスペクトル領域に分類することができる。ただし、各領域の境界は明確に決められているわけではなく、だいたいの目安である。波長が約 0.1nmより短い電磁波に対して、人体も含む物質は透明になり、これがレントゲン写真などエックス線の典型的な応用につながる。可視光と紫外線に対して空気は透明であるが、波長 190nm以下の電磁波に対しては不透明になる、つまり真空にしないと吸収されてしまう。これが真空紫外という名前の由来である。表 1.2に、代表的なレーザーを挙げる。レーザーは連続波 (Continuous

Wave, CW)レーザーとパルスレーザーに分類することができる。連続波レーザーに属するのは気体レーザーと一部の固体レーザーであり、一方、パルスレーザーに属するのは、固体レーザー、エキシマレーザー、一部の色素レーザーである。パルスの時間的な長さをパルス幅と呼ぶ。

1.2. レーザー光の特性 11

表 1.2: 代表的なレーザーシステム

レーザーのタイプ 波長 パルス幅アルゴンイオン 488/514 nm 連続クリプトンイオン 531/568/647 nm 連続ヘリウムネオン 633 nm 連続CO2 10.6 µm 連続またはパルス色素 450 nm − 900 nm 連続またはパルス半導体(ダイオード) 650 nm − 900 nm 連続またはパルスルビー 694 nm 1− 250 µs

ルビー 694 nm 1− 250 µs

Nd:YLF 1053 nm 100 ns− 250 µs

Nd:YAG 1064 nm 100 ns− 250 µs

Ho:YAG 2120 nm 100 ns− 250 µs

Ho:YSGG 2780 nm 100 ns− 250 µs

Er:YAG 2940 nm 100 ns− 250 µs

アレキサンドライト 720 nm 50− 100 µs

XeCl 308 nm 20− 300 ns

XeF 351 nm 10− 20 ns

KrF 248 nm 10− 20 ns

ArF 193 nm 10− 20 ns

Nd:YLF 1053 nm 30− 100 ps

Nd:YAG 1064 nm 30− 100 ps

自由電子 800 nm − 6000 nm 2− 10 ps

チタンサファイア 700 nm − 1000 nm 5 fs− 100 ps

12 第 1章 レーザーとは

表 1.3: レーザーパラメーター(ペタは 1015、メガは 106、アトは 10−15を表す接頭辞である。)

パルスレーザーの出力の最大値 約 1PW(ペタワット)連続波レーザーの出力の最大値 約 1MW(メガワット)パルスエネルギーの最大値 約 100 kJ

パルス幅の最小値 250 as(アト秒)強度の最大値 約 1022 W/cm2

1.2.2 レーザー光のエネルギー・出力・強度レーザー光の「強力さ」を示すパラメーターとしては、パルスエネルギーと出力 (power)と強度 (intensity)があり、よく区別しなければならない。パルスエネルギーはその名の通りレーザーパルス中に含まれる電磁波のエネルギーであり単位は J(ジュール)である。出力(パワー)は、単位時間あたりのレーザー光のエネルギーであり、単位はW(ワット)である。パルスレーザーにおいては、パルスエネルギーをパルス幅で割ったものが出力である。出力をレーザービームの断面積で割ったものを強度と呼び、SI単位系での単位はW/m2であるが、実際にはW/cm2で表されることが非常に多い。パルスエネルギーが同じでも、出力や強度が異なれば、物質に対して及ぼす効果は大きく違ってくる。これらのパラメーターの最大値・最小値について表 1.3にまとめておく。

1.2.3 コヒーレンス他の光源と大きく異なる、レーザー光のきわめて重要な特徴は、波長・位相・方向・偏光がよくそろっていることである。このため、レーザー光は干渉性が非常に高く、複雑な干渉実験を行っても、干渉縞を観測することができる。このような性質をコヒーレンス(可干渉性)と呼ぶ。また、「レーザー光はコヒーレントである」という表現をする。マクスウェル方程式から得られる平面波の電磁波の電場をよく

E = E0eik·x−iωt (1.18)

と表すが、この式で表される電磁波はまさに波長・位相・方向・偏光のそろったコヒーレントな光である。この意味で、レーザー光は理想的な古

1.2. レーザー光の特性 13

典的電磁波であると言える。

15

第2章 光と物質

この章では、物質が光におよぼす作用一般について述べる。その代表的なものは、図 2.1に示すように、

• 反射と屈折

• 吸収

• 散乱

である。

図 2.1: 反射、屈折、吸収および散乱

屈折は、角膜などの透明な媒質にレーザーを照射するときに重要になる。それ以外の生体組織は不透明な物が多く、反射と吸収を逃れた光および前方に散乱された光のみが、透過光となる。レーザー手術においては、対象となる組織の吸収や散乱の知識が、手術の成功のために不可欠である。後で見るように、屈折率と反射率はフレネルの法則により密接

16 第 2章 光と物質

に結びついているので、不透明な媒質であっても、たとえば、歯科や整形外科でインプラントのような反射率の高い物質にレーザーを照射する場合に、屈折率の情報が重要になることもある。これらのいずれの応用においても、光の波長が重要なパラメーターで、それに対する反射・屈折・吸収・散乱の依存性に注意しなければならない。

2.1 反射 (reflection)と屈折 (refraction)

反射と屈折は、日常生活でも頻繁に見られるおなじみの現象である。入射角 θ、反射角 θ′′、屈折角 θ′は図 2.1にあるように定義される。反射と屈折に見られる性質は次のように二分できる。

1. 運動学的な性質

(a) 反射角は入射角に等しい。すなわち、θ = θ′′

(b) スネル (Snell)の法則

n sin θ = n′ sin θ′ (2.1)

ここで、nおよび n′は対応する媒質の屈折率。

2. 動力学的な性質

(a) 反射光と屈折光の強度

(b) 位相の変化と偏光

屈折率 nは媒質の誘電率 εと透磁率 µを用いて、

n =

√µε

µ0ε0

= c√

µε (2.2)

と表され、媒質中の光速度 v = 1/√

µεと真空中の光速度 c = 1/√

µ0ε0との関係は、

v = c/n (2.3)

となる。sin θ > n′/nの場合には、式 (2.1)は満たされ得ないが、これは全反射を表している。

2.1. 反射 (reflection)と屈折 (refraction) 17

2.1.1 フレネル (Fresnel)の法則動力学的な性質は境界条件によって求まる。入射波の電場と磁束密度を、

E = E0eik·x−iωt、 B =

n

c

k× E

k=

k× E

ω、 (2.4)

屈折波の電場と磁束密度を、

E′ = E′0e

ik′·x−iωt、 B′ =n′

c

k′ × E′

k′=

k′ × E′

ω、 (2.5)

反射波の電場と磁束密度を、

E′′ = E′′0e

ik′′·x−iωt、 B′′ =n

c

k′′ × E′′

k=

k′′ × E′′

ω、 (2.6)

と書く。波数がk =

c、 k′ =

n′ωc

(2.7)

であることを利用して簡略化してある。境界面を z = 0とすると、境界条件の性質とは無関係に、この面での位相因子はすべて等しくなければならないから、

(k · x)z=0 = (k′ · x)z=0 = (k′′ · x)z=0 (2.8)

であり、これから運動学的な性質が得られる。動力学的な性質は、境界面でのDとBの法線成分の連続性とEとHの接線成分の連続性という条件から得られ、このようにして得られる入射光と屈折光の強度の関係をフレネル (Fresnel)の法則とよぶ。入射波の偏光ベクトルE0が

• 入射面(k,k′,k′′を含む面)に垂直な場合(s偏光)

• 入射面に平行な場合(p偏光)の場合の2つに分けて考えると便利である。透磁率は可視光の領域では一般に µ = µ′ = µ0(真空での値)であることに注意して、それぞれの場合についてフレネルの法則を要約すると、

E ′′s

Es

= −sin(θ − θ′)sin(θ + θ′)

,E ′

s

Es

=2 sin θ′ cos θ

sin(θ + θ′) (s偏光) (2.9)

E ′′p

Ep

=tan(θ − θ′)tan(θ + θ′)

,E ′

p

Ep

=2 sin θ′ cos θ

sin(θ + θ′) cos(θ − θ′) (p偏光)(2.10)

18 第 2章 光と物質

となる。図 2.2に、光が空気中 (n = 1)から水中 (n′ = 1.33)に入射する場合について、

Rs = (E ′′s /Es)

2, Rp =

(E ′′

p/Ep

)2(2.11)

と定義される反射率Rs, Rpのグラフを入射角 θの関数として示す。このグラフから次のような著しい特徴が読みとれる。

• s波の反射率の方が、p波の反射率より高い。

• p波には反射が全くない特別な入射角(ブリュースター角)がある。

これらの性質は、水に限らず一般の媒質にも当てはまる。第1の性質から、路面や雪からの照り返し光はs波すなわち地面に平行な偏光の方が強く、サングラスはs波を選択的にカットするようになっている。第2の性質は、式 (2.10)第1式より、入射角が

θ + θ′ = π/2 すなわち  tan θ = n′/n (2.12)

を満たす場合で、この角をブリュースター角と呼ぶ。この場合には、屈折光と(仮想的な)反射光が直角をなす。ブリュースター角は、レーザー光からある特定の偏光を取り出すのに利用されることがある。

図 2.2: 水の反射率の入射角依存性

2.1. 反射 (reflection)と屈折 (refraction) 19

図 2.3に、水の屈折率が、光の波長にどのように依存するかを示す。可視光領域では、水の屈折率は波長にあまり依存しないように見えるが、それでも結果の正確な予測にはこの小さな依存性を考慮に入れなければならないことが多い。

図 2.3: 水の屈折率の波長依存性

2.1.2 自己収束レーザー光の強度 I が高い場合には、媒質の屈折率はもはや定数では

なく、n = n0 + n2I (2.13)

のようにレーザー光強度に依存し、これを光カー効果と呼ぶ。水や石英ガラスをはじめ多くの透明媒質では n2は正である。レーザービームの強度は一般に中心軸で最大であり軸から遠ざかるにつれ弱くなるから、屈折率は中心部で大きく周辺部で小さくなる。このような状況では媒質は凸レンズのように作用し、結果として、レーザー光は伝播するに従って自らの作り出した屈折率分布によって集光する。これを自己収束と呼ぶ。収束すれば中心での強度は更に高くなるからカー効果も大きくなり、さらに集光する。レーザー光のパワーが十分大きければ、ついには媒質の一部がイオン化してプラズマが生成したり、衝撃波が発生したりする(光学的ブレークダウン)。

20 第 2章 光と物質

2.2 吸収 (absorption)

吸収に際して、媒質中を伝播する光の強度は減衰する。媒質の吸光度(absorbance)は吸収された強度と入射光強度の比として定義される。吸収によって、入射光の一部は、吸収媒質の熱運動や分子振動に変換される。完全に透明な媒質においては、吸収なく光は透過できる。生体組織に関して言えば、目の角膜と水晶体が可視光に対しては、非常に透明である。一方、吸収によって光の強度が実質上ゼロになってしまうような媒体は、不透明と呼ばれる。透明とか不透明という言葉はいくらか相対的で、それらは波長に依存する。例えば、目の角膜と水晶体は大部分水からなるが、水は赤外領域に強い吸収を持つので、その波長領域ではこれらの組織も不透明になる。媒質が光を吸収する能力は、いろいろな要素に依存する:

• 構成原子分子の電子構造

• 光の波長

• 吸収層の厚さ

• 媒質の温度や密度

2.2.1 Lambert-Beerの法則吸収によるレーザー光強度の減衰と吸収層の厚さの関係について考えよう。レーザー光が媒質中を距離 zだけ進んだ時に強度を I(z)と書くと、短い区間 z ∼ z +dzに減少する強度は、強度 I(z)自体と区間の長さ dzに比例するはずである。従って、比例定数 αを用いて、

I(z)− I(z + dz) = αI(z)dz → dI(z)

dz= −αI(z) (2.14)

となる。これから、次のLambert-Beerの法則が得られる:

I(z) = I0 exp(−αz) (2.15)

I0 ≡ I(0)であり、比例定数 αは吸収係数と呼ばれる。吸収係数の逆数

L = 1/α (2.16)

2.2. 吸収 (absorption) 21

は吸収長と呼ばれ、これを用いれば、式 (2.15)は

I(z) = I0 exp(−z/L) (2.17)

と書ける。吸収長 Lは、透過光の強度が入射光の 1/eになるような媒質の厚さを表している。

2.2.2 生体組織による光の吸収生体組織に関して言えば、吸収は主に、

• 水分子(ほとんどの組織の主要構成要素):赤外線領域

• タンパク質や色素などの高分子:可視光領域・紫外線領域

によるものである。特に、タンパク質は約 280nmに吸収のピークを持っている。図 2.4に、メラニンとヘモグロビンの吸収スペクトルを示す。メラニンは、皮膚に含まれる基本的な色素で表皮の発色(日焼けなど)において最も重要な役割を果たす。その吸収係数は可視光から紫外線領域に移るに従って単調に増加する。ヘモグロビンは血管組織に多く含まれれ、波長 280 nm, 420 nm, 540 nmに吸収ピークを持ち、600 nm付近にカットオフが見られる。400 nmと 600 nmの間の複雑なバンド構造は、ほとんどの生体分子に見られる一般的な傾向である。波長 600 nmから近赤外領域の 1200 nmあたりまで、高分子も水も吸収が小さく、therapeutic window

(治療の窓)と呼ばれる。この波長領域の光を使えば、皮膚から深いところにある組織の治療も可能である。図 2.5に、3つの典型的な組織(皮膚、大動脈壁、角膜)の吸収スペクトルを示す。特に、角膜がほぼ透明であることは注目に値する。また、大動脈壁のスペクトルの形状は、図 2.4のヘモグロビンのものに似ている。これは、大動脈壁などの血管組織の主要成分がヘモグロビンであることに起因する。クリプトンイオンレーザーは波長が 531nmと 568nmと、ヘモグロビンの吸収ピークとよく一致しているので、血液や血管の凝固に用いることができる。

22 第 2章 光と物質

図 2.4: メラニン (Melanin)と血中ヘモグロビン (HbO2)の吸収スペクトル

2.3 散乱 (scattering)

光の散乱には、弾性散乱と非弾性散乱がある。このうち弾性散乱では、入射光と散乱光の波長が同じである。光の波長より小さい粒子による弾性散乱をレイリー (Rayleigh)散乱と呼ぶ。散乱によるレーザー光強度の減衰も、Lambert-Beerの法則(式 (2.15))と同じ形の式

I(z) = I0 exp(−αsz) (2.18)

で表される。αsは散乱係数である。屈折率 n、散乱係数 αs、波長 λ、散乱原子密度N の間には、次の関係があることを示すことができる。

n− 1 =λ2

√αsN (2.19)

これから屈折率がほぼ一定の領域では、

αs ∝ 1/λ4 (2.20)

すなわち、光の散乱の強度は波長の4乗に反比例する(レイリーの法則)ことが分かる。この様子を図 2.6に示す。青い光と赤い光では、散乱強度が大きく異なることが分かる。これによって、空が青いことと、夕日が赤いことが説明される。例えば血球のように、散乱体の大きさが光の波長程度もしくはそれより大きくなると、レイリー散乱は成り立たたず、ミー (Mie)散乱と呼ば

2.3. 散乱 (scattering) 23

図 2.5: 皮膚 (Skin)と大動脈壁 (Aortic wall)と角膜 (Cornea)の吸収スペクトル。可視光領域での皮膚による光吸収は角膜の 20倍から 30倍高い。大動脈壁の吸収スペクトルにはヘモグロビンと同様のピークが見られる。

れる異なるタイプの弾性散乱を考えなければならない。この取り扱いはレイリー散乱よりはるかに複雑である。生体組織を用いた実験結果から、組織中での光の散乱光強度の散乱角依存性は、レイリー散乱でもミー散乱でも完全には記述できないことが知られている。散乱光の波長が入射光とは異なるタイプの散乱を非弾性散乱と呼ぶ。そ

の中で重要なものにブリルアン (Brillouin)散乱がある。これには媒質中の音波が介在し、散乱光の波長は入射光に比べて長くなることも短くなることもある(一種のドップラー効果と見ることもできる)。レーザーと生体組織の相互作用において、ブリルアン散乱が重要になるのは、レーザーの照射によって組織中に衝撃波が発生する場合である。

24 第 2章 光と物質

図 2.6: レイリー散乱の法則