造園家イヴ・ブリュニエの自然観についての考察...31-1 1.序...

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31-1 1.序 造園家イヴ・ブリュニエ (Yves Brunier, 1962-1991) は、 わずか29歳の若さで他界したが、1980年代半ばから レム・コールハース (Rem Koolhaas, 1944-) やジャン・ヌー ヴェル (Jean Nouvel, 1945-) といった建築家と協働し、実質 6年 の キ ャ リ ア の 中 で《Melun-Sénart》や《Euralille》、 《Tours》といった大規模な都市計画を含めた60あま りのプロジェクトに関わっている (表 1) 。また、死後わ ずか4年で彼の作品の展覧会が開催され、それにとも なって作品集が出版された ※1 本研究では、1980年代以前の対立的自然観 (後述) 説明した上で、ブリュニエがダーティ・リアリズム (Dirty Realism, 後述) の特徴を反映して対立的自然観を解消した こと、またそれは2つの異化作用によって植物の本質 的特性を強調するものであることを指摘したい。 自然-人工の対立を解消した自然観は、植物と建築 物とを融合する観点からすれば、近年注目される緑化 建築物に新たな視点を提供すると考えられる。した がって、ブリュニエの自然観や手法およびその作用を 具体的に把握し、緑化建築物における可能性を示唆す ることが本研究の目的である。 2.背景となる自然観 セントラルパーク (1857-) の設計者、フレデリック・ ロウ・オルムステッド (Frederick Law Olmsted, 1822-1903) 急激な都市化がすすむ猥雑な環境から「遠ざかる」ため の「簡素にして広い、清潔な芝生のオープン・スペー ス」として公園を捉えていた ※2 。彼は民主主義の立場に のっとり、社会的に弱者とされる人々を救済する静穏 で清潔な場所を都市の内部に設けることが必要である と主張した。 そのため、公園の意義は都市との差異に求められる。 セントラルパークにおいて、樹木が周縁に密集して植え られたのは「敷地周辺が、高い建物で囲まれることを考 慮し、緑の障壁でホライズンを確立し、いなかの風景の 無限性を周辺樹林帯によって構成」 ※3 するためであり、 公園を横断する道路を立体交差によって隠すのも、公園 内の環境を維持するためであったと考えられる。 この様に、オルムステッドは都市との差異を強調 造園家イヴ ・ ブリュニエの自然観についての考察 樋口 耕介 し、対立する価値によって自然を位置づける自然観 (以 下、対立的自然観) を持っていたと考えられる。 内山 ※4 や小池 ※5 の指摘によれば、1980年代までの造 園が、対立的自然観に基づいていたことが窺われるが、 それはラ・ヴィレット公園コンペ (1982) の審査過程にお ける造園家と建築家との対立 ※6 によって裏付けられる。 3.ブリュニエと対立的自然観の解消 3-1.ブリュニエの手法 1986年、ブリュニエはOMAに正式に参加し、彼自 身の製作活動をスタートさせた。ここでは、彼の作品 にみられる特徴的な 2つの手法を把握する。 [植物の虚構性の強調] ブリュニエは主にフォトモンタージュの上にペイン トを施すことによって自身の作品を表現していた。ペ イントの対象は様々なものに及び、またその作業が実 際の庭園にも施されている。 ロッテルダムの《Museumpark》は、4つのゾーンに 分節されている。そのうち、入口となるゾーンでは、 リンゴの樹の幹が白く塗られ、地面に敷かれた白砂利 とともに真っ白にハレーションを起こす (図1) 。さら に、基壇のように持ち上げられた2つ目のゾーンには、 蛍光の黄色に塗られたヤナギが真黒な地面とのコント ラストを強めている。ヌーヴェルと協働した《Autoroutes du Sud》では、料金所の前後約 4km にわたって道路脇が 表1 ブリュニエの主要作品 自然と人工の対立の解消と異化作用 name place date architect Melun-Sénart Melun,France 1987 Rem Koolhaas Bordeaux,France 1987-1989 Jean Nouvel Saint-James Vienne,France 1988 Jean Nouvel Autoroutes du Sud La Roche-sur-Yon,France 1988-1990 - La Roche-sur-Yon Paris,France 1988 - Zac Évangile Waterloo,Belgium 1989 - Waterloo Rotterdam,Netherland 1989-1993 Rem Koolhaas Museumpark Saint-Cloud,France 1989-1991 Rem Koolhaas Villa Dall'Ava Evian-les-Bains,France 1989 - Évian-les-Bains Saint-Émilion,France 1989 - Château Canon la Gaffelière Tours,France 1989-1992 Jean Nouvel Tours Lille,France 1989-1991 Rem Koolhaas Euralille Hague,Netherland 1990 Willem Neutelings Frank Roodbeen European Patents Office Rennes,France 1990 Dominique Alba Berges de La Vilaine Dax,France 1991 Jean Nouvel Dax Dax,France 1991-1992 Jean Nouvel Hôtel des Thermes Brasschaat Brasschaat,Belgium 1991 Willem Neutelings Stephane Beel Xaveer de Geyter Rotterdam,Netherland 1989 Jean Nouvel Het Park independent with Jean Nouvel with other Architects with Rem Koolhaas Amsterdam,Netherland 1986 Rem Koolhaas Bijlmermeer Amsterdam,Netherland 1986 Rem Koolhaas Haalemmermeer Domaine du Montcel 1987 Jean Nouvel Fondation Cartier

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31-1

1.序

造園家イヴ・ブリュニエ(Yves Brunier, 1962-1991)は、

わずか29歳の若さで他界したが、1980年代半ばから

レム・コールハース(Rem Koolhaas, 1944-)やジャン・ヌー

ヴェル(Jean Nouvel, 1945-)といった建築家と協働し、実質

6年のキャリアの中で《Melun-Sénart》や《Euralille》、

《Tours》といった大規模な都市計画を含めた60あま

りのプロジェクトに関わっている(表1)。また、死後わ

ずか4年で彼の作品の展覧会が開催され、それにとも

なって作品集が出版された※1。

本研究では、1980年代以前の対立的自然観(後述)を

説明した上で、ブリュニエがダーティ・リアリズム(Dirty

Realism, 後述)の特徴を反映して対立的自然観を解消した

こと、またそれは2つの異化作用によって植物の本質

的特性を強調するものであることを指摘したい。

自然-人工の対立を解消した自然観は、植物と建築

物とを融合する観点からすれば、近年注目される緑化

建築物に新たな視点を提供すると考えられる。した

がって、ブリュニエの自然観や手法およびその作用を

具体的に把握し、緑化建築物における可能性を示唆す

ることが本研究の目的である。

2.背景となる自然観

セントラルパーク(1857-)の設計者、フレデリック・

ロウ・オルムステッド(Frederick Law Olmsted, 1822-1903)は

急激な都市化がすすむ猥雑な環境から「遠ざかる」ため

の「簡素にして広い、清潔な芝生のオープン・スペー

ス」として公園を捉えていた※2。彼は民主主義の立場に

のっとり、社会的に弱者とされる人々を救済する静穏

で清潔な場所を都市の内部に設けることが必要である

と主張した。

そのため、公園の意義は都市との差異に求められる。

セントラルパークにおいて、樹木が周縁に密集して植え

られたのは「敷地周辺が、高い建物で囲まれることを考

慮し、緑の障壁でホライズンを確立し、いなかの風景の

無限性を周辺樹林帯によって構成」※3するためであり、

公園を横断する道路を立体交差によって隠すのも、公園

内の環境を維持するためであったと考えられる。

この様に、オルムステッドは都市との差異を強調

造園家イヴ ・ ブリュニエの自然観についての考察

樋口 耕介

し、対立する価値によって自然を位置づける自然観(以

下、対立的自然観)を持っていたと考えられる。

内山※4や小池※5の指摘によれば、1980年代までの造

園が、対立的自然観に基づいていたことが窺われるが、

それはラ・ヴィレット公園コンペ(1982)の審査過程にお

ける造園家と建築家との対立※6によって裏付けられる。

3.ブリュニエと対立的自然観の解消

3-1.ブリュニエの手法

1986年、ブリュニエはOMAに正式に参加し、彼自

身の製作活動をスタートさせた。ここでは、彼の作品

にみられる特徴的な2つの手法を把握する。

[植物の虚構性の強調]

ブリュニエは主にフォトモンタージュの上にペイン

トを施すことによって自身の作品を表現していた。ペ

イントの対象は様々なものに及び、またその作業が実

際の庭園にも施されている。

ロッテルダムの《Museumpark》は、4つのゾーンに

分節されている。そのうち、入口となるゾーンでは、

リンゴの樹の幹が白く塗られ、地面に敷かれた白砂利

とともに真っ白にハレーションを起こす(図1)。さら

に、基壇のように持ち上げられた2つ目のゾーンには、

蛍光の黄色に塗られたヤナギが真黒な地面とのコント

ラストを強めている。ヌーヴェルと協働した《Autoroutes

du Sud》では、料金所の前後約4kmにわたって道路脇が

表1 ブリュニエの主要作品

自然と人工の対立の解消と異化作用

name place date architect

Melun-Sénart Melun,France 1987 Rem Koolhaas

Bordeaux,France 1987-1989 Jean NouvelSaint-James

Vienne,France 1988 Jean NouvelAutoroutes du Sud

La Roche-sur-Yon,France 1988-1990 -La Roche-sur-Yon

Paris,France 1988 -Zac Évangile

Waterloo,Belgium 1989 -Waterloo

Rotterdam,Netherland 1989-1993 Rem KoolhaasMuseumpark

Saint-Cloud,France 1989-1991 Rem KoolhaasVilla Dall'Ava

Evian-les-Bains,France 1989 -Évian-les-Bains

Saint-Émilion,France 1989 -Château Canon la Gaffelière

Tours,France 1989-1992 Jean NouvelTours

Lille,France 1989-1991 Rem KoolhaasEuralille

Hague,Netherland 1990 Willem NeutelingsFrank Roodbeen

European Patents Office

Rennes,France 1990 Dominique AlbaBerges de La Vilaine

Dax,France 1991 Jean NouvelDax

Dax,France 1991-1992 Jean NouvelHôtel des Thermes

Brasschaat Brasschaat,Belgium 1991 Willem NeutelingsStephane BeelXaveer de Geyter

Rotterdam,Netherland 1989 Jean NouvelHet Park

independentwith Jean Nouvel with other Architectswith Rem Koolhaas

Amsterdam,Netherland 1986 Rem KoolhaasBijlmermeerAmsterdam,Netherland 1986 Rem KoolhaasHaalemmermeer

Domaine du Montcel 1987 Jean NouvelFondation Cartier

31-2

クライン・ブルー※7に塗りつぶされ、高速道路を走る車

に突然の色彩の目印を提供する事が提案された(図2)。

ペイントを施すことは、植物などを自然本来の姿とし

てではなく、操作可能な対象としてブリュニエがみてい

たことを示している。つまり、人工環境内における植物

の虚構性を認め、それを強調していると考えられる。

[異質な人工物の混入]

ブリュニエの提案には、通常ランドスケープ・デザ

インには用いられないような異質な材料が用いられ

る。《Museumpark》の2つ目のゾーンは基壇のように

持ち上げられているが、その1つ目のゾーン側の断面

には歪曲した鏡が貼られ、先述したハレーション効果

をさらに強めている(図1奥)。基壇の床は土木工事で用

いられるようなタールマカダムの真黒なアスファルト

が用いられた。また、《Saint-James Hotel》のエントラ

ンスに敷き詰められたのは、破砕レンガである(図3)。

《Autoroutes du Sud》では、岩や灌木、ガラスなど様々

なものに金網が覆いかぶさっている。

3-2.ダーティ・リアリズム

リアンヌ・ルフェーブル(Liane Lefaivre)は、多くの現代

建築家の作品を論じる際、雑誌『グランタ』においてそ

の編集者ビル・ブフォード(Bill Buford, 1954-)が反寓話主

義的で批判的姿勢を示す作家※8を表現した「ダーティ・

リアリズム」という言葉を採用した。さらに、ルフェー

ブルはそうした傾向のある建築家(ダーティ・リアル・アーキ

テクト)を「産業跡地」や「荒廃したシティセンタ」から学

ぶ「コンテクスチュアリストの新世代」と位置づけてい

る※9。つまりダーティ・リアル・アーキテクトは、都

市を美しく清潔な場所と限定する逃避的な姿勢に批判

的である。彼らにとって都市とは、映画『ブレードラ

ンナー』(1982)のように、醜悪な現実を含むがゆえに

魅力的な場所となるのだと考えられる。

ルフェーブルはダーティ・リアル・アーキテクトと

してバナード・チュミ(Bernard Tschumi, 1944-)や、ブリュ

ニエと協働したコールハース、ヌーヴェルなどを挙げ

ている※10。ラ・ヴィレット公園コンペでは、チュミが

最優秀となり、コールハースは次選、ヌーヴェルは入

選をはたした。当時、ブリュニエはエコール・ド・ペ

イサージュ(École du paysage)の学生であったが、アシス

タントとしてコールハースのチームに参加していた。

ダーティ・リアル・アーキテクトの応募案を分析す

ると、ブリュニエと共通する手法、すなわち[植物の

虚構性の強調]と[異質な人工物の混入]がみられる(図

4,5)※11。したがって、彼らとブリュニエは、ある程度共

通した自然観を持っており、一方でブリュニエにもダー

ティ・リアリズムの傾向があったと推測される。

3-3.同一的自然観

フレデリック・ジェイムソン(Fredric Jameson, 1934-)は、

ダーティ・リアリズムの傾向を最初に示した文学とし

て19世紀末の自然主義文学を挙げ、その時代には確固

たる階級間の差異があり、それによって全体性が維持

されていたこと、しかしダーティ・リアリズムの特徴

を引き継ぐサイバーパンクとの比較を通してポストモ

ダンにおける社会では、階級間における「他者という

カテゴリー」が弱体化し、「いまや暗黒の下層社会と高

級コンドミニアムやロフトの上層社会のあいだにも循

環や再循環が可能となった」ことを指摘している※12。

つまり、ポストモダンにおける社会では、高位なもの

と低位なものとが相互に置換可能であると言える。

この社会的特徴は、自然と人工の価値の差異に根拠

をおく対立的自然観にも重大な影響を及ぼすと考えら

れる。つまり、植物に伝統的に与えられてきた自然と

図5 植物の虚構性の強調(チュミ)図4 異質な工業生産物(ヌーヴェル)

図1 《Museumpark》,入口のゾーン 図3 《Saint-James Hotel》のエントランス図2 《Autoroutes du Sud》

31-3

いう高位な地位は、ポストモダンにおける社会では絶

対的なものではないと認識される可能性がある。

ブリュニエらの手法には、こうした背景が反映され

ていると考えられる。ブリュニエらは植物を擬似的な

自然として扱うのではなく、その虚構性を強調し、ペ

イントなどの操作が可能な「表現のための対象物に貶

める」のであり、混入された異質な人工物とそうした

植物はデザインの上で全て等価なオブジェクトと捉え

られる。つまり、植物と人工物は排他的な他者ではな

く、むしろ同一者であり、したがって自然と人工とい

う分類法は意味をなさない。

以上より、ブリュニエは自然と人工という分類を解

消し、植物と人工物とを同一に扱う自然観(以下、同一的

自然観)を持っていたと考えられる。

既に述べたように、同一的自然観はダーティ・リア

ル・アーキテクトらも共有していたと考えられる。

一方で、コールハースがインタビューに答えたところ

によると、入所当時よりブリュニエは旧来のランドス

ケープに対し批判的であったこと、彼のラ・ヴィレッ

ト案にブリュニエが少なくない影響を及ぼしたこと、

ラ・ヴィレット公園コンペの時点でブリュニエの自然

との関わり方が攻撃的で自然を冒涜し貶めようとす

るかのごとくであったことを語っている※13。したがっ

て、ブリュニエの同一的自然観はダーティ・リアル・

アーキテクトらの影響というよりも彼の潜在的なもの

だと考えられる。

4.ブリュニエと異化

4-1.異化について

ルフェーブルによれば、ダーティ・リアリストは

「異化」という手段によって「現実を批判する」。異化

とは文学理論家ヴィクトール・シクロフスキー(Viktor

Shklovsky, 1893-1984)によって提示された批判的文学作品

の方法論である。それは、「一般認識の知られざる側

面をあからさまにすることで、その認識にセンセー

ションをあたえること」であり、その結果「ありきたり

の状態を新しい方法で気づかせることによって『意識

を刺激する』はたらき」を起こすといった批判的方法で

あった。※14

ルフェーブルは、文学と同様に建築もこの異化に

よって「現実を批判する際の手段となり得る」と主張す

る。その方法とは「鎖状フェンス、堆積した産業廃棄

物、駐車場、ガレージ、同じ顔つきの高層ビルなど周

辺環境のエレメントを寄せ集め、その世界に同化して

しまう」といったものである。※15

一方、記号学における「言語の異化作用」は、池上に

よる研究※16に詳しい。ここで池上はメッセージが異化

し美的機能を獲得する条件について考察しているが、

岡田らはこれを①対象変歪:異種コードの対立による

重層的意味作用(曖昧さ)の発現、②コンテクスト変歪:

異種コードの対立による緊張関係の発現、の2つの方

法に整理している※17。

4-2 対象変歪による異化作用

前章で述べたように、ブリュニエはペイントと人工

物の混入という2つの手法を用いていた。以下では、

2つの手法が引き起こす異化作用を指摘する。

(a)ペイントによる異化作用

本来自然のものと捉えられる植物に、人工生産物で

ある塗料を塗ることは、「重層的意味作用」を引き起こ

す。つまり、形態は植物であるが、ペイントされるこ

とでディテールが消去され、本来の自然というアイデ

ンティティが希薄になるのである。

(b)人工物の混入による異化作用

ブリュニエは同一的自然観に基づき、ランドスケー

プの中に異質な人工物を混入する。このとき、植物と

人工物は全て等価なオブジェクトとして扱われる。見

る者にとって、この異種混在した状態は自然の風景

であり人工的風景でもあるという点で重層的意味をも

ち、どちらともいえない曖昧な風景として認識される。

両項に共通するのは、対象が自然と人工の2つのコー

ドを持ち、その対立によって重層的意味を持つ結果、

曖昧なものとして認識される点である。したがって、

ブリュニエの2つの手法が引き起こす異化作用とは①

対象変歪に共通するものだと考えられる。

4-3 コンテクスト変歪による異化作用

次に、植物が時間の経過によって姿を変える変様に着

目し、ブリュニエの作品にみられる②コンテクスト変歪

による異化作用を指摘する。

ブリュニエの作品には時間というパラメータが参

入している。例えば《Melun-Sénart》では森(Grove)がデ

ザインの対象となったが、2つの森の模型は、ブリュ

ニエが落葉による夏と冬のヴォリュームの変化に着

目していたことを示している(図6)。また《Saint-James

Hotel》は、入口の両脇に立つ柿の木、コトネアスター

やピラカンサの赤い実、カボチャにくわえ、破砕レン

ガ、池の鯉、霧といった無数の「点」の集積から成り立っ

図6 《Melun-Sénart》の夏(左)と冬(右)の模型写真

31-4

ている。しかし、それらの点は同時に与えられるので

はなく、その変様によってそれぞれが時間差を持ちな

がら景観を形成している(図3)。

実際にブリュニエが用いた植物をみると、一年を通

した変化が周到に計算されていることがわかる。ま

た、ブリュニエは花、果実、葉を部分的に抽出したド

ローイングを多用している(図7)。花、果実、葉は開花、

結実、落葉という具合に植物の変様を強く表す部分で

ある。したがって、ブリュニエにとってこれらが示す

植物の変様は、デザインの上で重要な位置にあったと

考えられる。

植物の変様は我々が日常的に目にする現象である。

しかしブリュニエの庭園において、このような花、果

実、葉といった「生きた点」は、前節でみた非日常的な

異化された植物や風景の中で生み出される。したがっ

て、植物の変様という現実的コードと異化された植物

や風景という逸脱したコンテクストの非現実的コード

の対立が緊張関係を引き起こし、その結果、植物が生

きていることを見る者に再度認識させると考えられ

る。例えば《Autoroutes du Sud》で金網によって絡みと

られた種々多様な材料の中にはザイフリボクの木が含

まれており、初春には小さな真白い花が、クライン・

ブルーの一面のキャンバスの中に浮かび上がるのであ

る。これは②コンテクスト変歪による異化と共通する

作用であると言える。

このようにして、ブリュニエは見る者の認識を植物と

その外部にではなく、植物自身の内部へと向かわせるの

である。つまり、①対象変歪による異化作用によって、

植物が持つ自然の記号としての役割を曖昧化し、②コン

テクスト変歪によって、生きているという自律的で本質

的特性を「新しい方法で気づかせる」のだと考えられる。

5.結

以上より、本研究では次の2点を結論とする。

1)ブリュニエには[植物の虚構性の強調]と[異質

な人工物の混入]という2つの特徴的手法がみら

れるが、これは自然-人工の対立を解消した同一

的自然観に基づくものであり、ポストモダンの社

会的特徴が反映されている。

2)ブリュニエの2つの手法は①対象変歪による異化

作用によって植物や風景を曖昧化し、さらに植物

の変様が引き起こす②コンテクスト変歪による異

化作用によって、植物が生きていることを見る者

に再認識させる。

ブリュニエの示した同一的自然観は、植物を擬似的

な自然として人工物と対立させるのではなく、あらゆ

る要素をオブジェクトとして扱う。それは、群ではな

く個としての植物への着目である。したがって、屋上

庭園のように建築物に自然の場所をもうけるという視

点ではなく、自然の無限性に反して植物を断片化し、

建築のプログラム上の操作可能な一因子として他の

因子と等価に扱うことができる。しかし、植物の因子

を他の因子と同質として同化するのではなく、変様に

よる生きた因子として異化し建築に取り込むことが重

要である。ヌーヴェルやドミニク・ペロー(Dominique

Perrault, 1953-)も植物を生きた因子として捉える視点に

着目しているが、そこでは、植物の変様が建築に時間

軸の変化を与え、さらには「建築の構成を変化させて

いく」可能性が示唆されている※18。

近年では建築物の緑化の観点から、人工環境内の植

物に関する理解が深まりつつあるが、こうした知識や

技術を、自然の象徴=緑へと記号化するのではなく、

植物の本質的特徴=変様へと結びつけることで、建築

に日々の変化をもたらすことができるように思う。

[参考文献]

(1)Yves Brunier -landscape architecture paysagiste-:M.Jacques,Birkhauser,1996(2)Liane Lefaivre:Dirty Realism in Europian Architecture Today,Design Book Re-view no.17,1989

 (邦題:ヨーロッパ現代建築のダーティ・リアリズム,岡田哲史=訳,10+1 no.1,INAX出版,1994)

(3)Fredric Jameson:Demographies of the Anonymous,Anyone,NTT出版,1997 (邦題:匿名者たちのデモグラフィ,後藤和彦=訳)(4)槻橋修:観測者のランドスケープ,10+1 no.9,INAX出版,1997(5)片木篤:フレデリック・ロウ・オルムステッドと辺境の変容,10+1 no.1,INAX出版,1994(6)水口憲人:都市の位相(3) Ⅱ.都市と自然,立命館法学 no.4,2005(7)松田逹:転移する自然 ドミニク・ペローにおける自然,ランドスケープ批評宣言,INAX出版,2002

(8)磯崎新:なぜ日本勢は振わなかったのか,建築文化 1983年6月号,1983(9)a+u 2006年4月臨時増刊,エーアンドユー,2006(10)内山正雄:近代都市公園の発生と展開に関する研究ーニューヨーク・セントラル・パークのデザインについてー,造園雑誌40巻1号,1976

(11)小池孝幸:ラ・ヴィレット公園,建築文化 2000年11月号,彰国社,2000(12)池上嘉彦:記号論への招待,岩波新書258,岩波書店,1984(13)岡田昌彰・アンドレアヤニッキー・中村良夫:異化概念によるテクノスケープの解釈に関する研究,平成9年度 日本造園学会研究発表論文集,社団法人日本造園学会,1997

図7 《Tours》,花,果実,葉の部分的なドローイング

[註釈]

※1.ブリュニエの展覧会は1996年にボルドーのarc en réve centre d’architectureで催され,併せて参考文献(1)が出版された.※2.参考文献(6)より.※3.参考文献(10)より.※4.参考文献(10)より,内山は1975年当時までオルムステッドのコンセプトからほとんど進歩が見られないと述べている.※5.参考文献(11)より,小池はセントラルパーク以来造園が人工的「構築の象徴の裏返し」として「都市を写す『鏡』であり続けた」と述べている.※6.参考文献(8)より.※7.Klein BlueとはYves Klein(1928-1962,フランス画家)の開発した染料である.※8.ブフォードはそうした作家として,レイモンド・カーヴァー,ジェイン・アン・フィリップス,トビアス・ウォルフを挙げている.彼らは20世紀後期の日常生活の「下腹」と呼ぶ汚れた現実を描き出そうとしている.※9.ルフェーブルはコンテクスチュアリズムの起因として1960年代にロバート・ヴェンチューリ,デニス・スコット・ブラウン,スティーブン・イゼノーによって『Learning from LasVegas』が出版されたことを指摘している.※10.その他にもナイジェル・コーツ,ハンス・コルホッフ,ラウリッズ・オートナー ,カーレル・ウェーバー ,シー・クリスティアンス,ザハ・ハディド,西欧以外では,フランク・ゲーリー ,ラース・レラップ,モルフォシスを挙げている.※11.例えば,[植物の虚構性の強調]チュミの樹木は幾何学的ラインをもつ6つの並木であるが,アンソニー・ヴィドラーはそれをあらゆる意味とも結びつかない「うつろな記号」であると指摘する.つまり樹木は主な空間を定義づけることに専念する「点」である.[異質な人工物の混入]チュミの真っ赤なフォリー ,コールハースのモンドリアンカラーの施設,ヌーヴェルの工業生産物,これらは断片化され,離散的に配置される.※12.参考文献(3)より.※13.参考文献(1)より.※14.参考文献(2)より.※15.参考文献(2)より.※16.参考文献(12).※17.参考文献(13)より.コードとはメッセージの「伝達において用いられる記号とその意味,および記号の結合の仕方についての規定」.※18.ヌーヴェルに関しては参考文献(9)に掲載されている『ルイジアナ・マニフェスト』を参照されたい.引用は参考文献(7)よりペローの発言.