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ER 富士通総研経済研究所 経済・経営・技術読本 9 October 2018 メタナショナル経営論 グローバル化を問い直す視座

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東京都港区海岸1丁目16番1号 ニューピア竹芝サウスタワー 〒105-0022Tel: 03-5401-8392, Fax: 03-5401-8438http://www.fujitsu.com/jp/fri/

ER富士通総研経済研究所経済・経営・技術読本

9 October 2018

メタナショナル経営論グローバル化を問い直す視座

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ER No.9 October 2018 ― 03

『ER』第 9号は、「メタナショナル経営論」と題し、グローバル化や、

企業の在り方について、さまざまな識者の知を集めました。以下に、

そのエッセンスをご紹介いたします。

競争優位を確立するには何が重要か――。世界市場の異質性に注

目し「メタナショナル経営」という概念を生み出した INSEADソルベイ

寄付講座教授のイブ・ドーズ氏には、同僚でシニア・リサーチャーの

キーリー・ウィルソン氏とともに、知識の複雑性に注目しつつ、企業

がグローバルな規模でイノベーションを成功に導く理論をご紹介いた

だきました。

『武士道』が出版されて 100年目の記念となる年にその現代語訳に

挑んだ大阪市立大学名誉教授の佐藤全弘氏に、グローバル化した現

代において新渡戸稲造の思想がどのような意味をもたらすのか、お聞

きしました。ダイバーシティやインクルージョンの重要性は、新渡戸

にとって言をまちません。未来へ生きる人々に「人類の魂の通有」を

示しています。

フランス人でありながら弓道に精通し、禅にも造詣が深いゴディバ

ジャパン社長のジェローム・シュシャン氏は、著書『ターゲット』(高

橋書店)の中で日本的精神とビジネスの関連性について語っています。

いわく「(的は)当てるのではなく、当たる」。このメタナショナル経

営の求道者は、日本での売上げを倍増させましたが、その背景には、

縁や愛、喜びや尊敬を大切にし、「正射必中」(正しく射られた矢は必

ず的に当たる)の姿勢がありました。

西陣に 300年以上も続く細尾は、「京都の老舗企業」というカテゴ

リーを超えて世界標準でビジネスを展開するグローバル企業です。代

表取締役社長を務める細尾真生氏は、西陣における優位性を分析し、

世界中とのコラボレーションを通じて細部にまでこだわったイノベー

ションを実現しています。その挑戦について語っていただきました。

『静かなる大恐慌』『グローバリズム その先の悲劇に備えよ』(とも

に集英社新書)を上梓している京都大学大学院准教授の柴山桂太氏

は、グローバル化とは特殊条件と幸運が重なって生まれた例外的な

状況であると分析し、「その次」に向けた覚悟が必要であると警告し

ます。グローバル化の弱点や死角が一読で理解できます。

国境を超える取引には政治的関係性の悪化などのリスクが内在して

おり、一国に頼らない市場戦略が重要である――。こう指摘するの

は、みずほ総合研究所の主任エコノミストである宮嶋貴之氏です。化

粧品という分野における訪日観光客の消費行動の調査・分析結果を

引きながら、ビジネスリーダーが傾聴すべき知見を披露されています。

日本アイ・ビー・エムのコラボレーション・エナジャイザーである八

木橋昌也氏に、デンマークにおける幸福感の根底にある信頼や対等

な価値について、インタビュー等ご自身の実践を通じて得た知見をご

披露いただきました。幸福感は必ずしも一元的ではなく、複合的な

社会デザインがカギであると説きます。

富士通グループの研究員も、日頃の研究活動の成果を披露しており

ます。合わせてご笑読いただければ幸甚です。

所長就任を機に経済研究所設立の趣旨を紐解いてみると、極めて

示唆に富んだ富士通のコアバリューや改めて肝に銘じるべきことがた

くさんあることを実感しております。海図なき時代に突入した現在こ

そ、日本のみならず世界の未来に向けて「かくあるべし」と気概を

持って問題の提起、政策の提言に臨んでいこうと考えております。「誰

もやらないなら富士通がやろう」。この先輩たちの心意気を忘れるこ

となく、ものづくり企業の経済研究所ならばこそ、既存のシンクタン

クとは異なる発信や提言ができると自負しております。1996年、山

本卓眞富士通会長(当時)はこう述べています。「最も重要な経済情報

は情報システムのなかにある」。まさに至言であり、今こそ噛み締め、

さらなる進化に邁進していく所存です。

2018年 10月

株式会社富士通総研 取締役執行役員専務 経済研究所長

長堀 泉

経済研究所長ごあいさつ

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04 ― ER No.9 October 2018

P03 経済研究所長ごあいさつ 長堀 泉 株式会社富士通総研 取締役執行役員専務 経済研究所長

P06-11 グローバル・イノベーションのトレードオフを克服する 国際企業はコロケーションの支障なく 創造的複雑性を維持する方法を見つけるべき イブ・ドーズ INSEAD ソルベイ寄付講座教授 キーリー・ウィルソン INSEAD シニア・リサーチャー

P12-15 なぜ今『武士道』なのか 世界の多様性、共通性、普遍性 佐藤 全弘   大阪市立大学名誉教授

P16-19 ターゲット 日本的精神に学んだ成功の法則 ジェローム・シュシャン  ゴディバ ジャパン株式会社 代表取締役社長

P20-23 伝統産業をクリエイティブ産業へ More than Textile 細尾 真生   株式会社 細尾 代表取締役社長

P24-27 グローバル化が長続きしない理由 次のショックに備えよ 柴山 桂太 京都大学大学院人間・環境学研究科 准教授

P28-29 訪日中国人旅行者増加を起点とした日本製化粧品ブームに潜むリスク 中国人需要への過度の依存は禁物、新市場の確立が次の課題に 宮嶋 貴之 みずほ総合研究所株式会社 調査本部 経済調査部 主任エコノミスト

2018年 10月1日発行号 目次

株式会社富士通総研 経済研究所 

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ER No.9 October 2018 ― 05

P30-31 デンマーク流幸福中心デザイン 複業家が見たヒュゲの国の生きかたと働きかた 八木橋 昌也 日本アイ・ビー・エム株式会社 コラボレーション・エナジャイザー

P32-33 欧州での共創プロジェクトを成功に導いた四つの鍵 中田 恒夫 株式会社富士通研究所 人工知能研究所 シニア・プロフェッショナル

P34-35 EdTechが変える「学び」の価値 教育分野ではじまるブロックチェーンの活用 志賀 真保子 株式会社富士通総研 コンサルティング本部 クロスインダストリーグループ シニアコンサルタント

湯川 喬介 株式会社富士通総研 コンサルティング本部 クロスインダストリーグループ シニアマネジングコンサルタント

中谷 仁久 株式会社富士通総研 コンサルティング本部 クロスインダストリーグループ グループ長

P36-37 反グローバリゼーション感情は テクノロジー企業への警鐘だ マルティン・シュルツ  株式会社富士通総研 経済研究所 上席主任研究員 

P38-39 グローバルな視点で米中貿易紛争を読む グローバリゼーションで生じた矛盾を いかに調和させていくのか ? 金 堅敏 株式会社富士通総研 経済研究所 主席研究員

P40  ERバックナンバー

P41 編集後記 浜屋 敏 株式会社富士通総研 経済研究所 研究主幹

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多くの企業が、そのグローバル・イノベーション戦略を、重要な

ケイパビリティを持つ人々や決定的な知識を持った人々を集めるケ

イパビリティに頼っている。これは、数ヵ所のイノベーション・セン

ターやリード・マーケットにデザイナーやエンジニア、専門家、クリ

エーターらを集めるコロケーション(colocation)1で行われるのが

普通である。そして、そこで創造された新製品やサービスが、世界

中のマーケットに展開されるのである。

しかし、グローバル・イノベーションに必要な知識の幅がより大

きくなり、世界中に分散するようになるにつれ、コロケーションは

もはや十分ではない。リーディング・イノベーターはますます、たく

さんの異なる地域から知識やケイパビリティを組み合わせることで

競争優位を追い求めるようになっている。

エシロール社 2の事例を考えてみよう。エシロール社は高品質の

複眼レンズの世界的リーディング・カンパニーである。レンズはドイ

ツで設計するが、レンズブランクはピッツバーグ・プレート・ガラス

社との共同で、アメリカで高透過ポリマーから製造する。さらにはニ

コン社と提携して、日本でマイクロ・コーティングを施す。エシロー

ル社は、最先端の製品を創造、開発、製造する最高のケイパビリティ

を世界中から調達しているのである。

だが、現代の新しい製品やサービスに必要な、複雑かつ分散した

知識にアクセスするイノベーション戦略の国際化に成功している企

業はほんのわずかである。むしろ、企業は世界のあちこちから技術

や顧客、デザインに関する貴重な知識を創造し統合するよりも、ルー

チン業務の鞘を取ったりコスト削減のために国際的なネットワーク

を用いたりしている。

なぜ、これほど多くの企業がグローバル・イノベーションの機会

を活用することに失敗しているのだろうか。我々の研究は、イノベー

ションの機会を制約する複雑性と分散性のトレードオフが一般的に

受け入れられているからだということを示唆している。このトレード

オフは図表 1の反比例曲線に示す。

イブ・ドーズ氏は、INSEAD国際ビジネススクールにて技術イノベーションを専門として教鞭をとるソルベイ寄付講座

教授である。キーリー・ウィルソン氏は、INSEADのシニア・リサーチャーであり、イノベーションを専門としている。本

論は、未訳であるManaging Global Innovation: Frameworks for Integrating Capabilities Around the World (2012,

Harvard Business Press)の一部である。

キーリー・ウィルソン INSEAD シニア・リサーチャーWilson, Keeley Senior Researcher, INSEAD

イブ・ドーズ INSEAD ソルベイ寄付講座教授Doz, Yves L. Solvay Chaired Professor of Technological Innovation, INSEAD

グローバル・イノベーションのトレードオフを克服する国際企業はコロケーションの支障なく創造的複雑性を維持する方法を見つけるべき

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形式的で成文化され、モジュラー的な知識が分散的グローバル・

イノベーションにうまく適合することを多くの経営者は認識してい

る。このような経営者は、複雑な知識を単純化し、成文化すること

によって、その価値を失わせることなく地域を越えてイノベーション

を統合するので、曲線の右端に向かう。これによって、企業は国を

またぐ顧客に向けたグローバル・デリバリー・モデルを築く。

このもう一つの例は、ネットベースのソフトウェア開発分析会社

のトップコーダー社 3である。これは、高度に成文化された知識に

よって、すべてのソフトウェア開発を、比較的細かいモジュラーに

分割することができている。そして、モジュールごとのオープン・イ

ノベーションと入札プロセスによるグローバルなソフトウェア開発

コミュニティの活用で、世界中の幅広い顧客にサービスを提供して

国際企業はコロケーションの支障なく創造的複雑性を維持する方法を見つけるべき

図表 1:複雑性と分散性のトレードオフをブレークスルーする

注:イノベーション戦略のためのこれら 2つのアプローチは、複雑性とグローバル分散の間の伝統的なトレードオフ関係(下に凸の曲線)と、分散知識へのアクセスと統合を通じたグローバル・イノベーションを下支えする代替(上に凸の曲線)を示している。出典:イブ・ドーズ、キーリー・ウィルソンManaging Global Innovation: Frameworks for Integrating Capabilities Around the World (2012, Harvard Business Press)

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いる。

たとえ知識が形式的でなくとも、複雑な知識を単純化・成文化す

ることによって分散イノベーションを達成する企業はある。それに

よって、知識は地域を越えて価値を失うことなくイノベーションが統

合できる(曲線の左上から右下への移動)。

しかし、知識の単純化は常にうまく行くとは限らない。知識の成

文化(暗黙知をより形式的に)によって、知識の豊かさや即時性、

独創性が削がれ、その価値が損なわれたり消滅したりする傾向があ

るのだ。多くの産業において、イノベーションにとって重要な知識

がより集合的で暗黙的かつ複雑、地域に根差したものになっており、

成文化の試みに対して大きな課題を生んでいる。企業は複雑な知

識にアクセスし統合しようと、異なるアプローチを採ることになる

だろう。このような企業は、曲線の左へと移動し、知識源の一元的

コロケーションへと向かう。

例えば、香水業界は非常に保守的な産業で、そのブランド・シェ

アは数十年にわたってコンスタントと言ってよい。日本の化粧品グ

ループ、資生堂は 20 年間にわたって、グローバル・ラグジュアリー・

ブランドの構築を試みてきたが、いずれも失敗に終わっていた。資

生堂はこのセグメントにおいて、デザインや包装、マーケティング

の微妙なニュアンスを学ぶために、フランスにマーケティング・ス

タッフやデザイナーを求めたが、製造は日本国内を出ることはなかっ

たのである。つまり、ブルゴーニュと東京の間に定期的なコミュニ

ケーション・チャネルを構築する必要性については認識できなかっ

たということだ。

当初、資生堂は香水を開発、製造、マーケティング、パッケージ

するのに必要となる複雑な知識の大部分がフランス、つまり、世

界をリードする香水市場かつケイパビリティの集積地に由来してい

るということが認識できなかった。フランス事業自体は成功してい

たものの、それがグローバル・イノベーション・ケイパビリティに価

値をもたらすことはなかった。フランスのマーケティングやブラン

ディング、製造、包装に関する冒険的な取り組みから得られる知識は、

フランスから動かなかったのである。

結局、資生堂は、重要な知識にアクセスするためは曲線の左上へ

と移動しなければならないことに気づき、フランスにおける香水事

業を独立事業として立ち上げた。日本人研究開発スタッフを数名フ

ランスに送り込み、新しい香りの開発と市場適応に必要な、幅広く

複雑な知識に直接触れさせ、ハイエンド香水ビジネスにコロケー

ションさせたのである。この取り組みは奏功した。現在、資生堂は

ジャン=ポール・ゴルチエやイッセイ・ミヤケ、ZENなど、成功して

いるグローバル香水ブランドを保有するようになっている。

だが、これらのアプローチは、世界中に散らばる人々の暗黙知を

自由にやりとりして製品やサービスを生み出すという理想には及ば

ない。要するに、企業が成文化とコロケーションのトレードオフに

囚われている限り、グローバル・イノベーションから価値や競争優

位を創造するチャンスは制限されるということである。

幸運にも、我々の過去数年におよぶ 50 社以上の国際企業を対象

にした研究では、企業はこの複雑性-分散性のトレードオフに囚わ

れ続ける必要はないことが示された。図表 1の上に凸の曲線にある

ように、イノベーション・リーダーは曲線を反転することができるの

である。この転換はイノベーションの 3つの側面を最適化すること

グローバル・イノベーションのトレードオフを克服する国際企業はコロケーションの支障なく創造的複雑性を維持する方法を見つけるべき

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で達成可能だ。

•イノベーション・フットプリント 

独自で差別化された知識に携わる人々のイノベーション・ネット

ワークにおいて、物理的な現場の数を制限すること。ネットワーク

の中によりたくさんの現場が加わると、管理コストやコミュニケー

ション、調整コストが大きくなり、限界費用が上昇する。現場がも

たらすイノベーションに対する追加的価値は、重複や冗長性のため

に目減りするおそれがある。イノベーション・フットプリントにおけ

る最適な現場の数は、「必要最低限」である。実証的には、我々が

観察したプロジェクトの場合、成功しているのは約 4つの現場が関

わっていた。

最適なイノベーション・フットプリントはまたアジャイルかつ柔軟

で、市場やプロセス、技術の新しい知識源を発見しアクセスするの

に役立ち、また、障害となる要因の排除を容易にするほどでなけれ

ばならない。このようなコンパクトにまとまった物理的フットプリン

トを補い活用するために、企業は次のような短期的アプローチを採

用することができるだろう。特定のナレッジ・ギャップを埋めるため

にオープン・ソースの仲介業者を雇うこと、地理的により分散したパー

トナーとコラボレーションをすること、潜在的な関心がある知識源

に対して探索活動を行うことなどである。

•コミュニケーションと感じ取る力 

通常のコロケーションの下では、複雑な知識を組み合わせること

はさほど難しくはない。これは、文脈や規範、言語を共有し、非公

式かつ互恵的、反復的な相互作用プロセスのおかげである。しかし、

複数のイノベーターが距離や時間、文化で隔たりのある状況にある

とき、コミュニケーションはかなり難しくなる。これを克服する鍵は、

ローカル・コミュニケーションにできるかぎり近づけることのできる

コミュニケーション・ツールやプロセス、メカニズムをフルに活用す

ることである。

これは、日常業務の一部となっている ICT(ウェブ会議や統合型

エンジニアリング・プラットフォーム、知識共有アプリ、フォーラム、

コミュニティ・オブ・プラクティス、ソーシャル・メディア・プラット

フォームなど)と定期的なコロケーションを、分散したチームの信

頼性と仲間意識を醸成するために組み合わせることで達成可能で

ある。

複数の文化的背景やその経験を持つ人々もまた、コミュニケー

ションにおいて重要な役割を果たす。彼、彼女らはさまざまな状況

で複雑な知識を解釈したり、翻訳したりすることができるからだ。

このような人々の価値は多くのリーダーに認識されているが、この

スキルを開発するためにキャリア構造や報酬体系が組まれている企

業はほとんどない。

知識の溜め込みは多くの企業で一般的であるが、「ここでは理解

されません(not understood here)」という態度も、知識共有にとっ

ては「ここで発明されたものではありません(not invented here)」

と同じくらい大きな障害となり得る。このような障害を克服するに

は、企業文化の草の根的変革が必要となる。例えば、ゼロックス社

は 2000 年から、かつての秘密主義的な知財依存型の企業文化を、

グループ全体のオープンな知識共有文化に転換している。まずは、

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10 ― ER No.9 October 2018

グローバル・イノベーションのトレードオフを克服する国際企業はコロケーションの支障なく創造的複雑性を維持する方法を見つけるべき

CodeXと呼ばれるコードの再利用を可能にさせるオープン・ソース・

プラットフォームの採用がある。CodeXは、その利用をエンジニア

に促すために、共通ツール・キットやプロジェクト管理ツール、統合

アーキテクチャなどの特典と合わせてデザインされた。エンジニア

は、このプラットフォームでプロジェクトを回すことで、知識共有の

恩恵を受けたのである。今日、ゼロックス社の文化は極めて高度な

知識共有とコラボレーションを尊重するようになっている。例えば、

open.xerox.com4では最新のイノベーションに関して、パブリック

によるチェックを受け入れている。

•コラボレーション 

多くの企業がグローバル・イノベーション・プロジェクトに取り組

んでくれる人を獲得しようとしている。しかし、たいていコラボレー

ションのベスト・プラクティスやプロジェクト・マネジメント・スキル

を、分散した環境に移転するときに失敗する。グローバルに分散し

たプロジェクトは根本的に性質が異なるからである。これには、新

たなコンピテンシーや、これまでと違ったプロセス、強力なプロジェ

クト・マネジメント組織、シニア・マネジメントの積極的な参画が求

められる。

グローバル・イノベーション・プロジェクトが企業の境界を越えて、

外部プレーヤーを巻き込むとき、新たなケイパビリティが必要とな

る。例えば、外部のイノベーションを見つけ、それを取り込むとと

もに、パートナーの期待や貢献を管理しなければならない。インテ

ル社がワイマックス(ワイヤレス・ブロードバンド規格)に関する取

り組みを開始したとき、まずは数社と提携した。しかし、やがてイ

ンテル社はインフラとデバイス供給のためにさらに大きなエコシス

テムを巻き込む必要が生じた。このイノベーションを展開するため、

最終的に、エコシステムは通信サービスやコンテンツ・プロバイダー

にも及んだ。

フランスの電器・エネルギー会社のシュナイダーエレクトリック社

は、ポンプや高出力モーション・ドライブに使われる電子デバイス

を開発するために1996年に東芝とジョイントベンチャーシュネデー

ル・東芝インバーター(STI)を作った。シュナイダーエレクトリック

社は、その後、同様のデバイスを製造するオーストラリアのエリン社

とニュージーランドの PDL社を買収した。そしてこれは、コロケー

ションするのではなく、むしろ分散した位置関係を維持した。開発

にかかる 2年間が節約できると考えたのである。フランスと日本の

何人かのエンジニアはこれまでのプロジェクトで協働してきたため、

強い信頼関係を感じていた。しかし、ニュージーランド拠点は組織

にとっては新参者で、かなり異なった方法で業務を行っていた。そ

のため、万が一、ニュージーランドの責任者にフランス人で強固な

人脈を持った、人々から尊敬される人物が着任することがなければ、

また、他のチームからチームの業務が正当化されることがなかった

ならば、分散的業務に不可欠な信頼性は築かれず、プロジェクトは

困難に直面することになっただろう。同様の地理的マネジメントへ

の視点は、プロジェクトがアメリカと中国の研究開発拠点に拡大し

たときさらに重要になった。現在、STIはライバル企業におよそ 2

倍以上のマーケット・シェアを占めるグローバル・マーケット・リー

ダーとなっている。

結局、イノベーションは複雑性と分散性の曲線に制約される必要

キーリー・ウィルソン(写真左)

20年間にわたり、研究とコンサルティング活動を熱心に行い、複雑な環境下におけるグローバル・イノベーション戦略、マネジメントとプロセス、戦略的提携、リーダーシップ

の分野に取り組んできた。

HP、ノバルティス、シェル、シーメンス、ロイター、シュナイダーエレクトリックやゼロックスなどの様々な企業で、ヨーロッパ、米国、アジアなど至る所でプロジェクトを展開した。

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ER No.9 October 2018 ― 11

はないということが過去の事例から明らかである。企業は、フット

プリントやコミュニケーション、コラボレーションを最適化する統合

イノベーション・ケイパビリティによって競争優位を確立することが

可能である。それに必要な変革の実行には、課題がつきまとい、時

間もかかるだろう。しかし、競争環境が急激に展開することで、こ

れまで企業の成功を支えてきたものが引き続き成功を保証するとは

限らない。だからこそ、イノベーティブ・カンパニーを将来の競争優

位に向かって舵取りすることが重要なのである。加えて、企業がフッ

トプリント、コミュニケーション、コラボレーションを最適化すると、

最も優秀な人材を今の居場所から転勤させるコストや困難なしで、

規則的かつ生産的に集めることができる能力という、非常に珍しい

形での競争優位性を獲得することができる。

グローバル・イノベーションへの挑戦を認識し受け入れることが、

企業を将来、競争に打ち勝てるようにする最上の方法なのである。

翻訳:京都大学大学院経済学研究科博士課程 筈井俊輔

編集:富士通総研経済研究所 研究員 ニック・オゴネック

主任研究員 吉田倫子

イブ・ドーズ(写真右)

INSEADのソルベイ寄付講座教授を務める。技術イノベーションが専門。研究プロジェクトが多数の書籍として実を結んでいる。

主な著書に、アカデミー・オブ・マネジメントの George R. Terry Book Award(2018年)を受賞したキーリー・ウィルソンとの共著『Ringtone: Exploring the Rise and Fall of

Nokia in Mobile Phones』 (オックスフォード大学出版局、2017年)、ミッコ・コソネンとの共著『Fast Strategy』(ウォートン・スクール出版局、2008年)、ホセ・サントスな

らびにピーター・ウィリアムソンとの共著『From Global to Metanational: How Companies Win in the Knowledge Economy』(ハーバード・ビジネススクール出版局、2001年)

など。

アカデミー・オブ・マネジメントの Distinguished Scholar Award(2003年)を含め多数の賞を受賞し、米国の Strategic Management Society(戦略経営学会)創立フェロー

として選ばれた(2005年)。エコノミスト誌により、ユーロッパを代表するマネージメント・グルとして選ばれた。

(編集者注)1 co-は共同の、共通の、相互のという意味の接頭語である。

本論では、2つ以上のものや人が同時に時空間を共有している集結の状態や、そのような協働の場を指している。2 エシロール社は、フランスの光学製品メーカーである。

2000年に日本のニコンとの合併でニコン・エシロール社を設立、2017年にはイタリアのルックスオティカ・グループ(眼鏡メーカー)と経営統合を行った。3 2001年創立。アメリカに本社を置く。4 本文が執筆された 2001年時点でのものである。

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12 ― ER No.9 October 2018

なぜ今『武士道』なのか

佐藤 全弘 大阪市立大学名誉教授Sato, Masahiro Professor Emeritus, Osaka City University

明治時代に新渡戸稲造の『武士道―日本の魂―』が出版されてから、既に 100年以上が経ちましたが、いま読んでも決して当時とその

意義は変わっておらず、むしろ今の時代に向かって新渡戸が発している深い警告を見出すことができます。

私は、2000年に『武士道』の新訳を出版しました 1。脚注を 600以上も付け、しかもすぐに参照できるよう、文章のすぐ下に配置しました。

本文の字を大きくし、人名と事項の索引も作りました。より多くの読者が新渡戸の知識量の多さと教養の深さを知ることができればと思っ

たのです。

新渡戸は、100年前から今の日本という未来を見通していました。今日は、私がこれまで研究してきた一部をご紹介できればと思います。

『武士道』の誕生

『武士道』は、Bushido: The Soul of Japan として、最初に英語で書か

れました。日本語を含め、ドイツ語、フランス語、ギリシア語、ポーラ

ンド語、中国語など、現在では 30数か国語に翻訳されており、多くの

人たちに読まれています。カナダでは教科書に利用しているところもあ

るようです。

明治時代の日本の書籍で、外国語に翻訳されているものは文学作品

をはじめいくつかあると思いますが、日本的思想というジャンルではこ

れほど読まれているものはないでしょう。日本的精神や思想に対する海

外からの注目の高さに加え、「ラストサムライ」などの映画によって、武

士に興味を持っている人も出てきているようです。

新渡戸は、この本を療養先の米国カリフォルニアのホテルで執筆しま

した。今でこそ海外にも日本の本はありますが、それでも膨大な数があ

るという訳でではありません。ましてや100年以上も前のことですから、

武士道について書くにあたって、西海岸で日本の古典を参照することは

容易ではなかったと思います。

ですから新渡戸は、自分の心の中に刻み込まれている武士としての精

神を、そのまま文字にしたのです。新渡戸は、藩主南部利剛の用人を

務めた盛岡藩新渡戸十次郎の三男として生まれていますので、武士の出

身です。幼少の頃から、周囲の影響を受け、やはり自分の親が武士で、

その下で教えられ、おのずから家庭生活などを通して染み付いてきたも

の、おのずから身に付いたものが中心にあります。そうではなしに、み

ずから武士道を仕込んだり、武士道を求めて仕込まれたり、無理に学ん

だ精神というのでは、あまり身につかないものです。新渡戸自身は、雰

囲気を通じて自然に身に付きそして受け継いだものとしての武士道が、

自分のバックボーンにあると認識していました。

『武士道』の中では、この精神を、西洋の二百数十名の人の思想家と

比較しながら書いています。イギリス人、ドイツ人、ギリシア人、ローマ

人など、単に名前を出すだけではなく、彼らの思想や実践を記載してい

るのです。当時、日清戦争の直後で、日本に対する世界的な関心が高まっ

ていましたし、日本をどう評価するのかについて、世界の見方が定まっ

ていませんでした。新渡戸は、やはり西洋人に日本の思想を知らせるた

世界の多様性、共通性、普遍性

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ER No.9 October 2018 ― 13

めには、西洋の哲学を引用することで西洋人の心の中に入って読ませな

いといけないと考えたのでしょう。西洋の騎士道との並行関係にも触れ

ています。そして、日本の道徳を含めた思想が、西洋の近代文明に劣る

ものではないことを証明したのです。

ちなみに、これをアメリカで出版したときはあまり売れませんでした。

むしろ、ヨーロッパで売れたのです。特に売れたのはドイツで、ドイツ

語の訳者は女性でした。なぜかというと、新渡戸の英語は、やはりアン

グロサクソンの英語と少し違うわけです。とてもいい文章だけれど、堅

いところがあり、アメリカ人がこれを買って読んでも、もうひとつよくわ

からなかったのではないかと思います。

それにしても、この本が様々な言語に翻訳されて読まれているのは、

日本人の行動を規定している精神の根幹が鮮やかに示されているからで

しょう。

『武士道』のエッセンス

『武士道』は全体で 17の章がありますが、それらの中で、新渡戸が最

も主張したかったことは、最後の 3つの章です。すなわち、「武士道の

影響」、「武士道は今なお生きているか」、そして「武士道の未来」です。

第1章から第14章までは、武士たちはどういう思想でどういうふう

に生きたかということについて書かれています。自分の家庭における両

親や先祖のことを通じて得たものや、自分が読んだ本なり、環境なり文

化なり、そういうものを通して入ったものを新渡戸は書いているのです。

しかし、最後の 3章は新渡戸自身の思想の展開であり、武士の美徳や

倫理体系などからの考察です。今から見ると、予想が当たっていない部

分もあります。しかし、それは当たり前です。

第15章では、武士が社会的には民衆からは高く身を持していたけれ

ども、民衆に道徳的標準を示し、民衆をその手で導いたと書かれてい

ます。武士道には内向きの教えと外向きの教えがあり、後者は一般市

民の福祉と幸福を追求する幸福主義的な面について、前者は美徳を徳

それ自身のために実行することを強調する徳中心の面についての教えで

す。また、芝居、寄席、浄瑠璃、小説などは武士の物語を主題にして

いますし、侍の武勇伝と美徳は民衆全体の理想でもありました。民衆

に生き方を示すことで影響を及ぼしたと言えます。大和魂は日本の国土

に固有なもので、その偶有性は他国に共通するものもあるが、しかし本

質は、私たちの風土から出てきているのではないか、ということです。

第16章では、明治になり、武士階級が消滅した時に、武士道が生き

ているのか、外来の影響を受けて消えてなくなるのか、ということを考

察しています。西洋における騎士道は、キリスト教との接続というかた

ちで生き残りました。神道の国である日本に仏教が伝来し、武士道が

興るにつれてどちらもが影響を及ぼしました。さらにキリスト教が入っ

てきて、国民の心理的集合がどのように変化するのか、どのように武士

道を生かせる、あるいは継続させる精神、これをずっと日本人が失わな

いようにさせるにはどうしたらよいのか、どのように役に立つようなも

のなのであろうかということを新渡戸は思っているわけです。

そして、何より大事なのは、武士道の未来について思想を発展させた

最後の第17章です。新渡戸は『武士道』の中で、歴史的に鎌倉時代や

江戸時代の武士の思想をきちんと書き起こしたり、立派な人物を取り上

げたり、武士道の書物なんかを全部取り上げて議論することはしていな

いのです。ただ、騎士道との比較を通じ、社会全体の在り方を論じて

います。時代と共に社会が移り変わり、その中で人間には適応力が求め

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14 ― ER No.9 October 2018

られます。ヨーロッパでは封建制度を母とした騎士道が、キリスト教と

ともになって衰退を覆して活気を取り戻しましたが、日本では当時、明

治に入り、武士道に不都合な状況になりました。封建の道徳体系は窮

境に立たされ、近代化とともに人々の中に新しい倫理が出てきました。

しかし、体系としては侍がいなくなったときに滅びたかもしれません

が、精神としては普遍的なのです。例えば、キリスト教的な考えである

赤十字という活動が日本の中にも根付いたのは、武士道の中に、日本

の中に、優しさや愛、哀れみという心があり、共感を呼んだからです。

それから、「敵も愛する」というのが、日本の武士道の中にあります。

頼朝や義経が出てくるもっと前の時代に、大阪の河内に源氏がいました。

敵と戦い合って、勝利した。でも、戦死した敵の侍の墓をもちゃんと建

てるのです。寄手塚4 4 4

と味方塚4 4 4

の 2つがあり、自分たちの味方の墓とは分

けますが、敵の墓の方を少し大きく建てるのです。

礼儀についても、新渡戸は聖書を引用しながら、「礼儀の要諦は、私

たちが泣く者とともに泣き、喜ぶ者とともに喜ぶことである」と書いてい

ます。このような教訓は、日常生活の様々なシーンに現れてくるもので、

武士が消えても残るものです。

ところで、日本に入ってきたキリスト教は西洋のキリスト教で、カトリッ

ク教会とプロテスタント教会です。新渡戸は、武士道の中で特に自分も

属していたクエーカーに言及しています。クエーカーは、プロテスタント

の一派で、司祭や儀式を否定し、すべての人のうちに神の光を認めると

いう考え方を持っています。日本のクエーカーは、沈黙の礼拝4 4 4 4 4

という、

元のままのかたちを今も維持しています。みんなで沈黙しているのです。

誰かがインスピレーションを受けたら立ち上がって、聖書なら聖書の何

節かを読むわけです。あるいは、賛美歌をひとつ歌います。別に感想な

んかを言ったりしません。あるいは、自分は今こういう事柄で問題を抱

えているけれども、それについてのこういうヒントを、解決の道を得た

と言って座るわけです。誰もそれに返事をするわけではありません。ク

エーカーは、ちょうど仏教に例えるなら禅宗のような存在で、座禅と一

緒だと新渡戸は言っています。新渡戸の家も禅宗の曹洞宗です。

『武士道』から未来へ

私は、今の時代にこそ『武士道』の意味があると思っています。この

点については、私が翻訳した本の序文でも書いており、3つの点から主

張したいと思います。

第一に、様々な民族の中にある各々の精神的価値4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4

です。世界が多元

化している今日では、それぞれの民族や国家が、他の民族や国家の存

在と価値を認めつつ、平和に共存し、互いの必要に奉仕し合う必要があ

ります。そうでなければ、人類の未来はもはや無いと言っても過言では

ありません。世界中を一色に塗りつぶすのは、もってのほかです。とり

わけ、宗教についてもそのことが言えます。新渡戸は、世界中の文化、

文明、民族には多様性があり、イデオロギーや人種的偏見を超克し、お

互いに受け入れ合って生きていくことの重要性を説いています。

第二に、世界の人々の魂の底で繋がっている共通性4 4 4

です。上述の通り、

新渡戸は、世界のあらゆる民族の伝統文化の中に、各々の精神的価値

があるという視点に立ち、それらが表面上いかに違っていようとも、人

間としての魂の根底では相通じるものがあると述べています。『武士道』

の中では、騎士道やキリスト教、西洋の哲学思想などを引用することに

よって、その共通性を示しました。このような共通性をお互いに確認し

合っていくことが、平和への確かな礎であると言えます。

なぜ今『武士道』なのか世界の多様性、共通性、普遍性

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ER No.9 October 2018 ― 15

新渡戸の妻は、5歳年上のメリー・エルキントンという米国人でした。

しかし、お互いが敬意を抱いて考え方を認めています。米国で知り合い

ましたが、交流を深めたのは、新渡戸がヨーロッパ、メリーが米国に居

て手紙を交わしていた時です。メリーの両親は結婚に反対で、結婚式に

も出席していません。しかしのちに 2人とも新渡戸の人柄を認め、和解

しています。民族や文化が違っていて礼儀の作法が異なっていても、相

手を尊重したり、喜んでもらいたいと思ったり、平和を願ったりする心

は、一致しているのです。

第三に、普遍性4 4 4

です。かつての武士が持っていた武士道の精神ない

し日本的な魂は、形こそ変わり、表現こそ違ってきても、決して失われ

ることはないと新渡戸は信じています。明治とともに武士階級が廃止さ

れたのは、社会の変革の中での出来事で、歴史上は仕方のないことです。

けれども、心というものは、形が消え、姿が変わっても、失われること

はないのです。

武士だけが、日本人だけが武士道の心を持っているのではありませ

ん。1984年にロサンゼルス・オリンピックがありました。この時、柔道

の山下泰裕選手は 2回戦でふくらはぎを負傷しました。決勝戦での相手

は、エジプトのラシュワン選手でした。ラシュワンにとって、勝つこと

が優先されるのなら、相手が怪我をしている足を狙えばよい。しかし、

ラシュワンは、山下が痛めた足を一切攻めませんでした。そのことによっ

て山下は怪我をしていない足で支えて一本勝ちを取りましたが、山下の

金メダルよりも、ラシュワンの銀メダルのほうがよっぽど上です。

これは、武士の精神にも通じます。弱い者に対しては決して力を用い

ないという勇気です。相手が怪我をしている時にはその怪我をいたわり、

それ以外の部分で堂々と挑む。そのような精神が武士道にはありますし、

そのような心を持ち合わせる人は、日本人に限らないということです。

また、アメリカのルーズベルト大統領が亡くなったとき、当時の総理

大臣であった鈴木貫太郎は、日本を代表してアメリカに「この戦争中に

偉大なる大統領を失われたアメリカ国民に対して、心から謹んで哀悼の

意を表する」と弔電を送りました。同日、ヒトラーは、ルーズベルトを

罵ったスピーチをしました。当時、ナチスに追いやられてカリフォルニア

にいたノーベル賞作家のトーマス・マンは、日本は負けたといえども武

士道の精神が残っていると、非常な感銘を受けたそうです。

多様性、共通性、普遍性は、これからの社会において、非常に重視

されるべき事柄ではないでしょうか。特に、この世界は多様性に満ちて

います。そして、この多様性がますます重要になり、認識が深まりつつ

ある世界で、それが押しつぶされようとする動きがあることは、非常に

残念です。

性別、民族、あらゆる偏見や差別を、新渡戸は払拭しなければなら

ないと考えていました。日本が、自分の精神的な伝統を、もう一度見直

すきっかけに『武士道』はなると思っています。今の社会に対して非常

に重要なメッセージを、新渡戸は未来へ向かって発していたような気が

します。

聞き手・編集:富士通総研経済研究所 主任研究員 吉田倫子

1931年、大阪市生まれ。専門は哲学。日本の近代思想、新渡戸稲造の研究に従事。

大阪市立大学文学部卒。大阪市立の定時制高校で英語教育にあたった後、

1963年大阪市立大学助手、1979年教授、1994年定年退職。同大学名誉教授。

著書に『新渡戸稲造―生涯と思想』『矢内原忠雄と日本精神』(キリスト教図書出版社)、

『新渡戸稲造の信仰と理想』『希望のありか―内村鑑三と現代』『新渡戸稲造の世界』『日本のこころと武士道』

『新渡戸稲造と歩んだ道』(教文館)、『カント歴史哲学の研究』(晃洋書房)など。

訳書にカント『人倫の形而上学・徳論』(中央公論社・共訳)、新渡戸稲造『武士道』(教文館)、

『日本国民』『日本』『編集余録』(『新渡戸稲造全集』17, 18, 20巻所収、教文館)など。

1 新渡戸稲造『武士道』佐藤全弘訳、教文館、2000年(2,000円+税、すでに15版)

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16 ― ER No.9 October 2018

ゴディバ ジャパンは、私が社長に就任してからこの 5年間で、売上が 2倍になりました。しかし、私は会社の目標として売上 2倍を掲げたり、指

示したりしたことは一度もありません。これはすなわち、社員全員が「正しいこと」をするよう心掛け、自分自身にできることをその場その場で丁

寧に行ってきたという連続した出来事の中の一つの結果に過ぎません。『ターゲット』という本の中で、弓道から学んだ日本の精神性がビジネスを

成功に導いたことを書きました。自己の内面に向き合い、外部と一体になって、さらに自分を一人の人間として育成させる人間形成の鍛錬は、ビジ

ネスの面でも、個人的な面でも、成長への「道」であると考えています。この本は、2018年 4月にTarget: Business Wisdom from the Ancient

Japanese Martial Art of Kyudo というタイトルで英語版が出版されました。普遍的な倫理観として世界に紹介できたことは、大きな喜びです。

禅、そして弓道との出会い

Zen in the Art of Archery―。私は大学生の時に、書物で読んだ

日本の禅の世界に魅せられていました。この本は、私が弓道に興味

を持つきっかけとなった本です。ドイツの哲学者であるオイゲン・ヘ

リゲル氏によって書かれたもので、『弓と禅』というタイトルで日本語

にも翻訳されています。ヘリゲル氏は大正時代に東北帝国大学の招

聘により哲学を教えるべく来日し、その中で、日本文化の真諦を学

ぶために自分自身も弓道を始めました。

ヘリゲル氏に弓道を教授したのは、阿波研造という当時「弓聖」と

もいわれていた名人です。ヘリゲル氏は、阿波研造先生の言葉を引用

しながら、「的を狙ってはいけない。的に当てることはもちろん、その

他どんなことも考えてはならない。弓を引いて、矢が離れるまで待っ

ていなさい。他のことはすべてなるがままにしておくのです」と書い

ています。この言葉を最初に目にしたとき、私はとても不思議に感じ、

日本の禅的なレトリックなのではないかと感じました。

阿波研造先生は、「的と一体になる」とも言っています。これもまた、

ヨーロッパ人を悩ませる言葉です。なぜなら、西洋哲学では、主体と

客体が分離されており、自分と的が一体になることはあり得ないから

です。このように、ヨーロッパの考え方とは全く異なることを提示し

ていることに惹きつけられたのだと思います。大学を卒業して社会人

になり、弓道を習い始めました。以来、25年にわたって弓道の鍛錬

を続けています。

ご存知の通り、ヨーロッパのアーチェリーも、日本の弓道も、いず

れも弓で矢を射て、的に当てるものです。しかし、私にとって非常に

興味深かったことは、日本の弓道と西洋のアーチェリーが大きく異な

ることでした。

アーチェリーは矢を的中させることを目指すものですから、結果が

全てです。一方、弓道の場合は、まず正しい姿勢から始まり、そして、

矢が当たる。すなわち、弓道はプロセスに焦点を当て、最後にその結

果を出すということがアーチェリーとの相違点です。もちろん、弓道

も的に当たらなければならないという考え方はあるのですが、その上

に理念があるのです。その理念とは何か ?人間性を磨くということで

ターゲット

ジェローム・シュシャン ゴディバ ジャパン株式会社 代表取締役社長Chouchan, Jérôme President, Godiva Japan, South Korea, South East Asia, India, Australia, and New Zealand

日本的精神に学んだ成功の法則

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ER No.9 October 2018 ― 17

す。人間として、修行しながら、自分の身体と心を育てるのです。自

分から出てくるものも見つめ、自分自身を一人の人間として育成します。

技術だけではなく、人間形成というもっと上位の理念があるのです。

これは、経営についても言えるのではないでしょうか。数字だけに

焦点を当てるのは、欧米式の経営です。一方、日本的経営は、プロセ

スにも重きを置いています。普通に考えれば、当たれば利益と売上が

増加します。しかし、それだけです。けれども、マネジメントにおい

て、最近思っていることは、「次のレベルに行くためにはどのような理

念があるのか」ということです。社員の成長や、社会に向けてのベネ

フィットとは何か。そのような角度で見た場合、ビジネスをやりながら、

自分自身も社会も成長して、それでどういうメリットがあるのか。こ

のように考えることによって、仕事のプロセスが断然面白くなります。

「正射必中」

私は弓道から多くのインスピレーションを得ました。それらは一つ

ひとつ経営に役立っています。中でも、「正射必中」という弓道で何世

代にもわたって受け継がれている言葉から受けた影響は大きいと思

います。私のオフィスにも掛け軸があり、日々洞察を与えてくれます。

「正射必中」とは、正しく射れば必ず当たるという意味です。正射と

は、「正しい射」、「正しい心」、「正しい技術」であって、正射にすべて

のエネルギーと精神を集中させるのです。的に気を取られてはいけま

せん。的のことを考えずに、正しい射だけ意識せよ、ということです。

正射に集中すると、結果はおのずからやってくるのです。これは、私

たちが弓道場で行っている鍛錬です。弓道の先生は、常に型を正し、

当たるか当たらないかについてはあまり見ません。もちろん、競技会

や試験に行けば、弓を的に当てなければなりませんが、この正射と当

たりのバランスが、私にとっては本当に面白いのです。

私は、弓道という伝統的な教えが、自分にとっての師であると感じ

ます。ゴディバ ジャパンの前は、リヤドロ ジャパンの代表取締役社長

を務めていました。人生で初めて売上の責任を負うことになり、数字

目標に向かって当てなければいけなくなったのです。まさに、弓道と

事業が一体になった瞬間でした。的を射抜く必要があったのです。月

曜から金曜は、いかに売上を達成するかという的に集中し、週末は稽

古で的を目がけて、いかに射るかに熱中していました。いま、ゴディ

バ ジャパンでは常に「正しい射」、つまり、「顧客にとって正しいこと」

に集中しています。したがって、言うなれば野心的な売上目標という

ものは設定しません。

西洋的経営をしている友人の CEOの場合、目標を120%や130%に

設定せよと言っているそうです。その中で「100当たれば、まぁいい

かな」という状態だそうです。しかし、ゴディバ ジャパンでは、妥当な

目標 100%を設定して、結果は 115%~120%を達成しています。5

年間で 2倍の売上を達成しましたので、毎年、15%伸びたことになり

ます。

成長目標はたったの 3%か 4%でしたが、正射、つまり、何が最高

の商品で、何が最高の顧客経験か、何が最高の店舗サービスかに集

中していました。すると、何が起こるか。スタッフが明るく意欲的に

なり、やる気が出ます。ただ当てることだけを考えれば、結果に対す

るプレッシャーを感じて暗くなってしまいます。

しかし、顧客を喜ばせることだけを考えれば、価値観を問うことに

なります。これはもちろん、簡単なことではありません。企業は、消

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費者の声を丁寧に聞いて、そのフィードバックで商品を作っていくこと

が重要です。いま、先進諸国において、市場の主導権は消費者にシフ

トしつつあります。本当に良いものを作れば、消費者は共感してくれ

ます。

私の経営のやり方は、一言で申し上げると厳しいです。「もっとい

い商品を作りなさい」、「もっと良い広告を作りなさい」、「もっと良い

サービスをしなさい」と言っています。しかし、「正しい射」であれば、

結果として成果はついてくるものなのです。これこそが、私たちが 1

年間で 15%の成長を達成できた成功ストーリーです。

仮に、私がチームに「毎年 15%は結果を出しましょう」と言ってい

たとします。そんなことをすれば、それが心理的に重苦しい義務とな

り、社員たちは背を向け、誰も私についてこなかったでしょう。正し

いことに集中すれば、本当にうまく行くのです。

「当てるのではなく、当たる」

また、私たちにとって非常に重要な言葉がもう一つあります。それ

は、「当てるのではなく、当たる」です。上述の通り、弓道では、「的

を狙うな。的と一体になるべし。」と言います。これが、本当に難しい。

弓道には、矢を射るまでの一連の動作を 8つに区切った「射法八

節」という射術の基本ルールがあります。①足踏み、②胴造り、③弓

構え、④打起し、⑤引分け、⑥会かい

、⑦離れ、⑧残心(残身)です。この

中の「会」という弓を目いっぱいに引いた状態では、「うまく行くのか」

「当たるのか」「当てたいのか」など多くの雑念が生まれます。心がこ

のような状態では、矢は的に当たりません。ですから、正しい姿勢と

心に集中して、的と一体になるのです。すると、矢は的に当たります。

これは本当に興味深いと思います。なぜなら、論理を超越している

からです。私たちは、ビジネスにおいては常に論理的であることが求

められます。とても合理的なやり方が重視されます。しかし、弓道で

はマントラを越えて行くことを学びます。この「当てるのではなく、当

たる」をいかに経営で生かせばよいか、そして、いかに顧客と一体に

なるべきか ?私は常に自問自答しています。そして、このように考え

ています。すなわち、顧客とは的で、私たち自身が顧客になるという

ことです。

素晴らしいイノベーションは、創業者によって生み出されてきまし

た。ソニーの盛田昭夫氏、アップルのスティーブ・ジョブズ氏、ネット

フリックスのリード・ヘイスティングス氏もそうです。彼らは社長とし

て、自分が欲しかった商品の顧客にもなった。私は、企業のトップと

して、もし、社長が顧客と一体になることができれば、真の洞察が得

られ、それこそ「当たる」が起きるだろうと考えています。当てるので

はなく、自然に当たる。顧客になるのは自分自身です。自分自身のこ

とだからこそ、極めて強力であり、論理が通用しないのです。

私は、何百年もの歴史を有する日本の弓道と、有為転変の現代ビ

ジネスを思うとき、昔の考え方と今のスピードのバランスについて考

えます。日本には、伝統からインスピレーションを得て、現代の経営

に生かそうとするとき、経済界や世界に伝えるべき多くのことがある

と思います。日本人は西洋的経営を模倣しようとしますが、むしろ今、

西洋的経営は日本では当たり前の価値観にさかのぼろうとしていると

思います。日本の伝統は、経営だけでなく社会にも役立つとともに、

イノベーションのヒントを与えてくれることでしょう。

ターゲット日本的精神に学んだ成功の法則

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ER No.9 October 2018 ― 19

「一射一射」

大企業だからこそ、イノベーションがやりにくい面もあります。な

ぜかと言うと、イノベーションは新しい事だからです。大企業になる

と、既存のビジネスで成功したから大きくなったとか、既存の枠組み

でしか行動できないところが少なくありません。ところが、新しい事

となると、例えば利益率が変わってくるのです。また、構造も変わら

なければなりません。変わることができずに事業企画が却下された

り、利益率に固執して最終的に動くことができない状態になってし

まったりするのは、組織的な足かせがあって成長できないという大損

失です。ですから、沢山の企業が、最初から特別にアサインされた

社員にするか、最初から社長がリードするか、別会社にするなどして

イノベーションに取り組んでいます。これも、日本だけではなく、世

界中でそのような方法がとられています。どうしてもみんなお互いに

やり方を模倣しています。

例えば、弓道の場合は、審査の時に 2本の弓を引きます。2本が

必ず当たらなければ、4段以上に昇段しません。20~ 30年のベテ

ランでさえも、1本目にぱっと弓が的に当たった時、2本目も同じ引

き方にしようと思うのです。そうすると失敗します。1本目を忘れて、

2本目に全く新しい気持ちで臨むと、当たります。

「一射一射」は、「1回ごとの射を大切にしなさい」という意味です。

そのためには、集中力が必要です。1本目で失敗すると、その失敗に

囚われてしまい、2本目にも悪影響が出ます。また、1本目で成功し

て、2本目も同じように射ようとすると、雑念が入ってしまい、成功し

ません。前の射を忘れ、その都度、新たな気持ちで的に臨むべきです。

それが企業になると、私たちゴディバの中もそうですが、1年目に

日本およびアジアを中心とするグローバル・マーケットにおいて、25年にわたってラグジュアリーブランドのマネージメントに従事。

2010年 6月にゴディバ ジャパン株式会社の代表取締役社長に就任し、日本および韓国のマーケットを統括。革新的な新製品の開発や

チャネル拡大戦略によって多様化する顧客ニーズに応えることで、日本の業績を毎年 2桁以上成長させている。2016年からはゴディバ

オーストラリアも統括。現在、在日ベルギー・ルクセンブルク商工会議所の理事を務める。

日本文化にも造詣が深く、特に 25年前に始めた弓道は、五段錬士の腕前を誇る。現在は国際弓道連盟の理事を務めている。

2016年に初のビジネス書『ターゲット ゴディバはなぜ売上 2倍を 5年間で達成したのか ?』を上梓。フランス人社長が日本の武道の

一つである弓道を通して得た経営哲学、人生に関するユニークな見解について綴っている。この本は、2018年 4月にTarget: Business Wisdom from the Ancient Japanese Martial Art of Kyudo というタイトルで英語版も出版された。HEC Paris (Grandes Ecoles) 修了。

成功したら、2年目にも同じことをやろうと思いがちです。けれども、

お客様は既に新しい気持ちに向かっているので、2年も続けて同じ商

品を購入したくはないのです。特に最近は商品のスピードが速くなっ

ています。

池袋西武にアトリエ・ドゥ・ゴディバをスタートした時のことです。

最初にこのアイデアを社内で出した際、新商品やフレッシュケーキな

ど、ゴディバがこれまでやったことない構想になりました。社員たち

は不安そうでしたが、私は全然心配しませんでした。夢で信じる。世

界的に見ても、どちらかというと日本人は現実的です。企画と実践に

おいてはものすごく優秀ですが、夢を語り、自分がやっていることを

信じることは苦手です。確かに、若い人の中には夢を語れる人もいま

すが、今度は銀行つまりお金がついていかない。ですから、夢と現

実のバランスも必要ですが、企業の中でも、社会的にも、夢が未だ

形になってなくても、語り合って応援し合えば、もっともっと色々なイ

ノベーションが始まるのではないかと思います。

一つひとつの、新しいことにチャレンジする。若い人からのアイデ

アであっても、どんな立場の社員からの企画でも、それを受け入れ

る文化があれば、本当にクリエイティビティは広がります。さらに、こ

れからの時代はやはりダイバーシティが重要です。女性はもちろん、

そして日本人だけではなくて世界中の、様々な国籍や人種、本当に違

う価値観、考え方があって、日本のベースからもっと世界に向けて

イノベーションがまた生まれると信じます。

翻訳:京都大学大学院経済学研究科博士課程 筈井俊輔

編集:富士通総研経済研究所 主任研究員 吉田倫子

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20 ― ER No.9 October 2018

伝統産業をクリエイティブ産業へMore than Textile

細尾 真生 株式会社 細尾 代表取締役社長 Hosoo, Masao C.E.O., Hosoo Co., Ltd.

細尾彌兵衛が元禄年間(1688年~1704年)に京都の西陣で織物を織っていたと伝えられ、以来 300年以上にわたっ

て西陣織を生業にしているのが私の家系である。第 2次大戦後、高度経済成長の波に乗り、西陣織は帯やきものという

和装製品のフレームの中で成長発展してきた。1980年代をピークにその後、ライフスタイルの変化等に対応できず生産

販売が落ち込み続け、現在の和装業界の市場規模はピーク時の 15%程度に縮小し、西陣織産地は滅亡の危機に瀕して

いる。この危機的状況から脱し、新たな成長を始めるためには西陣織をリフレーミングし、新しい価値を創り出すクリエ

イティブ産業に生まれ変わらせ、グローバルに展開させなければならない。挑戦している我が社の事例研究である。

西陣織の Potential

西陣織は京都のいわゆる西陣地区(京都市上京区を中心とした地

域)で織られている高度な絹の紋織物である。多色で複雑なデザイ

ンを薄く軽く織ることができる技術を特徴としている。550年前の

応仁の乱以後西陣織と呼ばれるようになったが、1200年以上の歴史

を有する絹織物である。

平安京が遷都される以前から京都に住んでいた帰化人秦氏がこの

絹織物の技術を朝鮮半島からもたらした。養蚕技術、製糸技術、撚

糸技術、機の工学技術、製織技術等々様々な当時の最先端技術を有

していた秦氏は経済的にも富有な一族であり、桓武天皇の平安遷都

の財政を支援したともいわれている。

平安時代は縫ヌイドノリョウ

殿寮の織オリベノツカサ

部司として官営で宮中のための織物として

織られ、平安後期から民営に移行していった。以来、西陣織は貴族

やその時代時代の上層階級の人々から注文を受け、装束や調度品等

様々な目的のために最高級の美しい絹織物を織り続け提供し続けて

きたのである。

この長い年月の中で、西陣の匠は様々な技術を蓄積し進化させ継

承し、世界に類を見ない多種多様な織物を創り出せるようになった。

西陣織は、織物技術や織物組織そしてデザインの多様性では世界一

の匠の技を誇る織物である。

 

西陣織の Crisis

長い歴史の中で、天災、戦乱等多くの危機が西陣の匠を襲った。

大きな危機のひとつが 150年前の明治維新である。西陣織の最大顧

客である皇室が東京に移った。疲弊した西陣産地は佐サクラツネシチ

倉常七、井イノウエ

伊イ ヘ エ

兵衛、吉ヨシダチュウシチ

田忠七の 3名をフランスの一大絹織物産地リヨンに派遣

し、デザイン情報を入れたパンチカード(紋紙)を使って効率的に織り

糸を操作するジャカードを導入したのである。このジャカードの導入

により生産性を高め、西陣織の市場を広げ、西陣産地は危機から脱

出した。

第 2次世界大戦後、日本はゼロからの出発を余儀なくされた。1950

年代に始まった高度経済成長は、西陣織の需要を帯やきものの和装

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製品という形で増やしていった。絹の帯やきもの、西陣織は戦前ま

で富裕層しか手に入れることができない、一般庶民にとっては憧れ

の高嶺の花であった。高度経済成長により一般庶民の所得も上がり、

多くの人々が憧れの西陣織を買い始めたのである。そして和装製品

の市場は増大し、1982年に 2兆円近い市場にまで成長した。

私が家業である西陣織の仕事を始めたのが、和装製品の市場の

ピークであった 1982年である。1975年に同志社大学を卒業し、本

来なら長男である私が家業を継がなければならなかった。大学を卒

業した 1975年は正に日本経済が国際化を進めていた時代であった。

私も国内市場を対象としている西陣織の仕事よりも世界を股に掛け

て国際的な仕事をしたいという強い欲求があり、家業は弟に継がせ

るよう両親を説得し、伊藤忠商事に入社したのである。伊藤忠商事

の繊維貿易本部で希望通り国際ビジネスをさせていただき、3年間

大阪本社で仕事をした後、イタリアミラノにある伊藤忠商事の合弁会

社ノートンズ社に出向した。ノートンズ社は社員 30名ぐらいのアパ

レル製造卸売業の会社で、結果 4 年間その会社で仕事をさせてもら

うことになる。このイタリアでの 4年間の間に様々な多くの学びと気

づきを得ることができた。私にとって一番大きかった気づきは、家業

である西陣織こそ世界で一番美しい技術的にも高度な織物であり、

世界市場で高い評価を得て受け入れられる織物であるという確信で

あった。なぜこのすばらしい西陣織が日本の国内市場の中だけでく

すぶっているのか。西陣織を世界に発信し、世界の多くの人々に買っ

て使っていただくことを自分のライフワークにしよう。西陣織の家で

生まれ育ち、身の周りにある当たり前の存在であった西陣織。海外

に出て外の目で見直した時にそのすごさに初めて気づいたのである。

イタリアでの 4年目に父親が癌になり、長男である私がどうしても家

業に戻らなければならなくなった。伊藤忠商事を円満退社し、西陣

織を世界に広めるという夢を抱いて帰国し、家業である西陣織の仕

事を始めたのが 1982年であった。

1982年をピークに和装製品の市場は縮小を始める。ライフスタイ

ルの欧米化、着装機会の減少等様々な要因により需要が下がり続け

た。ピーク時 2兆円近くあった市場が現在 2800 億円ぐらいの市場

に縮小している。

家業に戻り西陣織の新しい市場を海外に求める動きをすぐに始め

ようとしたが、父と共に仕事をしている父の兄弟や番頭さんたちの反

対に遭い許してもらえない。和装製品としての西陣織の製造販売だ

けで十分な利益が生まれており、海外に新市場を求めるという訳の

分からない事業にお金と時間と労力をかける必要がない、というの

が彼らの言い分であった。海外に新市場を求めるより、国内市場で

さらなる努力をすれば業績が上がるという主張である。新入社員で

あった私はその主張を受け入れるしかなかった。企業経営は順風満

帆の時が最大の危機である。後年この言葉を実体験するのである。

1990年代に入りバブル崩壊と共に西陣織の需要はさらに落ち込ん

だ。西陣織メーカーの倒産廃業が相次ぎ、多くの職人が仕事を失っ

た。経済的衰退は若い人の雇用を遠ざけた。職人たちの後継者も西

陣織から離れていった。職人の高齢化が進み、技術の継承が困難と

なった。近い将来西陣織が消滅する危険水域に入ってしまった。我

が社の売り上げもピーク時から半減し利益が出なくなった。会社の未

来の夢を語ることができなくなり、未来のビジョンも描けなくなった。

西陣織の最大の危機である。

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西陣織の Innovation

西陣織が危機的状況から脱するために、和装製品としての西陣織

というフレームを変えることで新しい市場を創ることと市場を世界に

広げるグローバル化を実現することが必要であった。お尻に火がつ

いた私は遅ればせながら西陣織を世界に広げる事業に 2005年から

本気で取り組んだ。

2005年に京都商工会議所が経済産業省の支援を得て「京都プレ

ミアム」という事業を始めた。京都の代表的な伝統産業である西陣

織と友禅染めの技術を活用し、欧米の富裕層向けに新商品を開発し

欧米市場に進出しようというプロジェクトであった。早速手を挙げて

メンバーにしてもらい、2006年開催のライフスタイル国際見本市「メ

ゾン・エ・オブジェ」への出展に向けて活動を始めたのである。一年

をかけて商品開発を行い、我が社は西陣織を使った椅子やタペスト

リーをつくり出品した。見本市本番「京都プレミアム」のブースに多

くの様々な国のバイヤーが来られ多くの賞賛をいただいたが、見本

市での受注はゼロという結果になった。多くの時間とお金と労力を

かけての初めての海外進出という挑戦であったが、結果は惨敗であっ

た。その後も 2年間、国際見本市に出品し挑戦を続けたが利益を生

み出す次の柱となる新事業という形にはなかなかならなかった。

国際見本市に出品し試行錯誤を繰り返す中で、3つの大きな課題

が現れ、これらの課題を乗り越えることでイノベーションを起こすこ

とができた。1つ目は、我が社の織物の独自性の追及、圧倒的な他

社の織物との差別化である。1200年以上の間に培われた西陣織の

技術と素材を活用することでこの課題を乗り越えることができた。

2つ目が、価格の問題である。海外進出初挑戦で惨敗した時にこ

の価格の問題を指摘された。0を一つ取らないと国際市場での価格

競争に勝てないという指摘である。そもそも西陣織は長い歴史の中

で時代時代の上層階級である富裕特権階級の人々からの注文を受

け、発注主の期待を上回る美しい織物をつくり納めることを続けて

きた。時間をかけ最高品質の材料を使い高度な匠の技でつくってき

たのが西陣織である。売上利益という経済観念でなく、一族の名誉

になるよう末代までの恥にならないよう、匠たちが命をかけて創り

上げた匠の精神の結晶が西陣織である。0を一つ取るとそれは西陣

織ではなく普通の織物になってしまう。そのような普通の織物で国

際市場で価格競争をすることは私の事業目的ではない。そこで気づ

いたのが、私がイタリアで憧れていた高級スポーツカー「フェラーリ」

である。フェラーリは何千万円もする車だが世界の多くの富裕層が魅

せられ買われている。世界の富裕層を対象としたフェラーリの織物

を創りフェラーリの売り方をする。価格以上の付加価値を提供する。

この価格に対する気づきがなければ我が社の現在の新事業はない。

3つ目が、生地幅の問題である。西陣織は 1200年にわたり 40cm

幅までで織られてきた。すべての技術や素材や機がこの幅を前提に

築き上げられている。海外の顧客からの強い要望は 150cm幅であっ

た。40cm幅では使用目的が限られ注文できないという大きな問題

が立ちはだかった。1200年間誰もやらなかったことに我々は挑戦し

なければならない。我が社の技術陣と西陣の様々な分野で豊富な知

識と経験を持っている職人たちとでチームを組み、一つ一つの課題

を解決していった。2年をかけてゼロベースから150cm幅の西陣織

が織れる世界初の機を創り上げることができた。世界で我々しか織

れない 150cm幅の西陣織が誕生したのである。この技術的なイノ

More than Textile伝統産業をクリエイティブ産業へ

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ベーションが我が社の新しい利益構造を創り出した。

西陣織の Future

我が社のイノベーションが、西陣織のリフレーミングを加速した。

従来の和装製品のための西陣織が、まずインテリア素材としての西

陣織になった。最初の注文主はクリスチャンディオール。旗艦店の壁

布、椅子張りに使われた。このプロジェクトが評判になり、他の有名

ブランドメーカーそしてラグジュアリーホテルからインテリア素材とし

て続々と我が社に注文が入り、インテリアが新しいフレームとなった。

ミハラヤスヒロの我が社の西陣織を使った 2012年のパリコレク

ションが大きな反響を呼び、これを契機に国内外のデザイナーから注

文が入り始めた。ファッションが新しいフレームとなった。

ドイツのカメラメーカーライカが我が社の西陣織とコラボレーショ

ンし、西陣織を装飾した新型カメラとカメラバッグを発売した。北

米のサングラスメーカー、日本の自動車メーカーや家電メーカー等

国内外の様々なメーカーとの次世代戦略商品を意識したコラボレー

ションが進んでいる。プロダクトデザインが新しいフレームとなった。

ニューヨーク在住の現代アーティスト、テレジータ・フェルナンデス

のアート作品を我々の西陣織の技術を使って共創する仕事が 4 年前

に入ってきた。それ以来、国際的に活躍するアーティストの作品創り

が新しいビジネスとなった。アートが新しいフレームとして加わった。

150cm幅の新しい西陣織を開発した時には想像もしなかった分野

に西陣織は広がっている。新しいフレームがグローバルに増えていっ

ている。世界のアーティスト、デザイナー、クリエーターそして企業

との出合い。コラボレーションし、相手の強みと我が社の強みが新

1953年京都市生まれ。

75年同志社大学経済学部卒業後、伊藤忠商事(株)入社。

78年イタリア ・ミラノのノートンズ社に出向。82年帰国後(株)細尾入社。

2000年(株)細尾代表取締役社長に就任。

11年から西陣織の技術と素材を活用した広幅織物製造輸出事業を本格的に開始。

12年織物工房とショールームが一体となった「House of Hosoo」を開設。

13年ニューヨーク・ソーホーにショールームを開設。

織物の可能性を追求し、様々な先端技術との融合により商品開発を進め、世界に展開している。(一社)京都経済同友会理事。

しい価値を創り出し、それが新しい市場を創る。ITの発達した現代

社会こそ、世界の知と感性が交流し、人間にとって精神的にも豊か

な新しい未来社会を創り上げていかなければならない。

未来社会はアートとサイエンスがバランス良く融合された社会にな

ると信じている。くらげの遺伝子を蚕に移すバイオテクノロジーによ

る新素材「光るシルク」の開発。センサーを織り込んだスマートテキ

スタイルとしての美しい西陣織。AIを活用した新しい織物組織の創

造。時代の先端をいく様々な科学技術を研究し取り入れ、世界の様々

な人たちとコラボレーションすることにより新しい美しい西陣織を創

り、西陣織を通して夢のある未来社会の構築に貢献していきたい。

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グローバル化が長続きしない理由次のショックに備えよ

柴山 桂太 京都大学大学院人間・環境学研究科 准教授Shibayama, Keita Associate Professor, Graduate School of Human and Environmental Studies, Kyoto University

グローバル化は自然発生的に起きるのではなく、国境を開放しようとする各国の政治意志と国際協調体制の産物であ

る。したがって、国家意志が変更されれば容易に終わりうる。国内市場とは異なりグローバル市場には世界政府が存在

しないため、国際協調の足並みが崩れ始めると、秩序の崩壊は早い。トランプ政権の保護貿易主義はまだ始まったばか

りと考えるべきであり、今後、世界経済が新たな景気後退に向かうに従い、さらにその傾向は強まるだろう。中国との対

立も本格化しており、予断を許さない。国際経済秩序が再編期を迎えたことで、今後、越境的な取引の費用は増加し、

世界貿易や投資が停滞する時代がやってくるだろう。

グローバル経済の弱点

グローバル経済の最大の弱点は、経済の範囲と政治の範囲が一致

していないところにある。この 30~ 40年間のグローバル化の進展

で、経済の範囲は飛躍的に拡大した。世界経済は、一体化の度合い

を深めている。しかし政治の範囲はいまも国境の内側にとどまった

ままだ。経済面では、世界は一つになっている。しかし政治面では、

主権国家・国民国家がなくなる予兆はない。

つい10年ほど前までは、グローバル市場の拡大と深化にあわせて、

国家も超国家機関へと権限を移譲していくという未来が楽天的に語

られていた。EUはその先駆的な事例として評価されてもいた。だが、

現在はどうだろうか。欧州債務危機で明らかになったのは、失業や

経済苦で苦しむ人々を救済する責任を負うのは、結局のところ、その

国の政府しかないということだ。なるほど EUは、ギリシャに代表さ

れる重債務国の金融支援に尽力した。しかし、それはあくまでも「融

資」であって「財政移転」ではなかった。EUのように進んだ超国家

機関でさえも、ドイツのような黒字国から租税を徴収して、ギリシャ

のような赤字国に配分することはできない。一方、同じ国家内であれ

ば、黒字の自治体から赤字の自治体への財政移転はどこでも普通に

行われている。国家とはそのようなものだ。徴税(公債発行)、予算

審議、予算執行という政治の基本は、政治統合が進んでいる EUと

いえども、いまだに国家単位でしか行えないのである。

最近の英 EU離脱や、トランプ政権の「アメリカ・ファースト」政策

で、グローバル化の逆流現象が生じている、と言われるようになった。

多くの評論家は、世界経済は一体化を進めてきたのに、なぜ、その

流れに背を向けるのかと非難しているが、私の見方は違う。もともと

グローバル化は長続きしない、と考えてきたからだ。

市場経済は「強い国家」に支えられている

ことは国家の本質に関わる。最近の国家研究が明らかにしている

ように、国家はその統治能力を、長い歴史を通じて段階的に獲得し

てきた。歴史的にみて重要なモメントは戦争であった。「戦争が国家

を作った」(C・ティリー)と言われるように、重火器の普及による近

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世の軍事革命以後、国家は他国との戦争準備や戦争遂行の必要から、

その統治機構を大幅に前進させてきた。徴税権も行政組織も、議会制

度も公債制度も、戦争を直接・間接の契機として生み出されている。

脆弱な統治機構しか持たない「弱い国家」の段階から、集権化と効

率化の進んだ「強い国家」へ移行するには、実に何世代もの経験が

必要だった―このことは、先進国がここに至るまで何度、対外戦

争を経験してきたかを振り返れば明らかである。

現在でも、途上国と先進国では、国家の強度(strength)に大き

な差がある。行政が組織化されておらず、人々が国家を信頼してい

ない「弱い国家」では、租税の徴収能力も低く、汚職や恩顧主義も

蔓延しやすい。一方、「強い国家」では行政の効率性や透明性が高く、

政府と市民社会の協力関係が密であるゆえ、政策の効果も上がりや

すい。それゆえ税負担率も高い―国家の強度を測る最も簡便な指

標は国民負担率である―という傾向にあることが知られている。

近代の「国づくり(state-building)」は、国家を弱い段階から強い段

階へと移行させるプロセスであり、ナショナリズムや民主化(参政権

の拡大)は、その移行において派生する副産物であった。

重要なのは、市場経済も「強い国家」を前提に機能している、とい

う点である。よく経済学では、市場と政府が別個の存在として語られ、

時に対立関係にあるかのように語られることがあるが、歴史的にも

理論的にも、その見方は間違いである。そもそも、市場取引が円滑

に行われるためには、取引に掛かる不確実性などの外部費用、すな

わち「取引費用」が何らかの方法で削減されなければならない。具体

的に言えば、市場取引には安全が必要で(治安維持)、取引に用いら

れる交換媒体の価値が安定していなければならない(通貨政策)。取

引に関わるルールについての合意がなければならず(規制体系)、違

反者にはしかるべき法的手続きの下で制裁が行われなければならない

(司法制度)。もちろん、共通のコミュニケーションコードも必要だ(共

通言語)。市場経済をさらに円滑なものにするには、立場の弱い労働

者の権利が保護される必要があり(労働者保護)、景気循環の変動を

ならす政府介入も必要になる(マクロ経済管理)…。他にも、市場取

引の円滑化に必要な項目のリストはいくらでも続けることができる。

近代国家体制は、政府が、この取引費用を削減する措置を講じる体

制だ。当然、その原資は国民の負担する租税であり、租税を担保と

した政府の公信用である。したがって、高度な市場経済には「強い

国家」が必要だ。実際、どの国の統計を見ても、経済発展にともなっ

て政府の財政能力(政府支出対 GDP比や国民負担率)は大きくなる

傾向にある。

グローバル化は自然発生しない

市場と国家は、軌を一にして発展してきた。ところがグローバル市

場はそうではない。越境的な取引には当然、外部費用が発生する。

ところが国際社会には、その費用の削減を一手にになう世界政府が

存在していない。グローバル化の問題を考えるとき、第一に考えな

ければならないのはこの問題である。

国が違えば規制体系も、言語も司法制度も、通貨も税体系も、労働

者保護の仕組みも違う。したがって自由放任の状態では、グローバ

ル市場は不完全な形でしか成立しえない。越境的な取引に掛かる費

用は、国内取引と比べて大きすぎるのだ。この状態から、グローバ

ル市場を「厚く」していくには、各国政府の政治介入が不可欠である。

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もちろん、情報通信技術や輸送手段の発展によっても、越境取引

の費用は低下しうる。現に、過去 30年でグローバル化が進んだのは、

そうした技術進歩のお陰もある。ただ、それだけではない。GATTか

らWTOに至る国際自由貿易体制は、関税の撤廃だけでなく、非関税

障壁の削減も進めてきた。欧州は単一市場の実現にあたり、規制体

系や司法制度の統一化を進めるのみならず、通貨の統合まで実現し

た。NAFTAや TPPは、WTOをさらに前に進め、越境的な企業や投

資家の活動を促進するルールをつくる政府間協定である。グローバ

ル化が進展してきたのは、多国間協調で越境取引の外部費用を削減

してきたからだ。

したがって、グローバル化は自然発生的な現象ではない。むしろ

自然な状態では、グローバル化は「薄い」かたちでしか成立しえない

はずなのだ。20世紀後半から、世界の貿易や投資、多国籍企業の

活動が活発になったのは、技術進歩による輸送・通信コストの削減

だけでなく、政府間協調で取引費用を削減してきたからでもある。

だが、これはあくまで政府間の自発的な協調によるものであって、

その成立根拠は実は脆い。主要国がこの協調体制に利益を見いだし、

進んで関税や非関税障壁の削減に応じているうちは、グローバル化

は進行する。だが、何かをきっかけに足並みが揃わなくなれば、歴

史はすぐに逆流を始める。イギリスが EUを離脱し、現在、欧州の多

くの国で反 EU政党が台頭しているのは、EU体制の下で必然的に生

じる国家主権の制約を嫌う動きが出てきたためだ。もともとは泡沫

候補に過ぎなかったトランプが大統領の座についたのも、自由貿易

のせいでアメリカの産業は衰退したというトランプの主張に少なから

ぬ支持が集まったからである。

米中角逐の未来

特に、これまでグローバル化を率先して進めてきたアメリカで、ト

ランプが登場したことの意味は大きい。トランプは、鉄鋼・アルミニ

ウムの関税を引き上げただけでなく、中国からの輸入品の多くに関

税をかけ始めている。いまは関税措置だけだが、いずれ自国企業(産

業)の優遇策を露骨に採り始めれば、非関税障壁の部分でも「国境

の壁」は引き上がっていくことになるだろう。アメリカが保護貿易に

舵を切れば、当然、他国でもそれに似た動きが出てくることになる。

今後を占う上で、注目すべき点が二つある。まず、近く起こる世界

的な景気後退だ。2009年後半から始まるアメリカの景気拡大は、す

でに 9年目に突入している。過去のパターンから見て、次の景気後

退が近づいているのは確かだ。20世紀後半以後のアメリカの景気後

退は、必ず金融ショックを伴うものとなり、その影響は世界全体へと

拡大していく傾向にある。今回も例外ではないだろう。そしてそれ

は、トランプの在任中に起こる可能性が高い。

例えば一年後にアメリカで大きな景気後退が始まると、何が起こる

のか。トランプの「アメリカ・ファースト」路線への傾斜はさらに激し

いものとなることが予想される。関税の引き上げだけでなく、他国

の金融政策(特に通貨安政策)に対しても露骨な介入を企てる可能性

がある。そうなれば、グローバル化の逆流は決定的なものになる。

もう一つが、中国との関係だ。トランプが実施している対中貿易

制裁は、アメリカの対中政策の転換をはっきり示している。これはト

ランプの一存で決まっていると考えるべきではない。この間の政府

高官の発言や、『フォーリン・アフェアーズ』誌などに出てくる政策担

当者の論文などをつぶさに読んでみると、アメリカの政府関係者の

次のショックに備えよグローバル化が長続きしない理由

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対中観は 10年前とは明らかに違ってきたことが分かる。中国をライ

バル国と見なし、その勢いを削ぐべきとする覇権国の「本能」が、ア

メリカの国家意思として現れ始めているのだ。

当然、中国も対抗措置を取ることになるだろう。ただ国家論の観

点に立つと、今後懸念するべきは中国の国内事情である。中国はい

まだ「強い国家」ではない。近代化が始まってまだ二世代ほどしか経っ

ていないため、国家が十分に組織化されていない。そのためアメリ

カの圧力で経済環境が急激に変化し始めると、内部から統治体制を

揺るがせるような問題が一気に噴出してくる可能性がある。世間では、

アメリカ・トランプ政権の支持基盤が弱く、スキャンダルでいつ政権

が崩れるか分からないと考えられているが、「国家の強度」という観

点から見れば、脆弱なのは中国の方である。

グローバル化の時代は例外だった

いずれにせよ、アメリカと中国という二大経済大国が対立を深め

れば、世界経済に与える負の影響は大きくなる。言い換えれば、今

後は国際取引の不確実性が高くなるということだ。しかし、これは

決して驚くべきことではない。歴史を振り返れば、国際取引の費用が

高い状態の方が普通なのである。越境的な取引費用の削減によって

実現した過去 30年間のグローバル化は、特殊な条件と幸運(特に技

術進歩)が重なって生まれた、例外的な時代だったと考えなければな

らない。主要国が足並みを揃えて、グローバル化の進展を後押しし

てきた時代は、次第に過去のものになろうとしている。

注意しなければならないのは、グローバル化の時代が終わるとい

うことは、貿易や越境的な投資が消えてなくなるということを意味し

1974年東京都生まれ。

京都大学経済学部卒。

同大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。

滋賀大学経済学部准教授を経て、2015年より現職。専門は経済思想、現代社会論。

著書に『静かなる大恐慌』(集英社新書)、

共著に『グローバリズム その先の悲劇に備えよ』(集英社新書)、『成長なき時代の「国家」を構想する』(ナカニシヤ書店)など。

ない、ということだ。有史以来、国際貿易が途絶えた時代など一度

もない。いつの時代にも越境取引はある。グローバル化が終わると

は、貿易に掛かる外部費用が、十分に組織化された国内市場取引に掛

かる外部費用に比べて、目立って大きくなるということである。モノ・

カネ・ヒトの移動に掛かる費用が今よりも大きくなるということと、

それらが途絶するということは同じではない。世界の貿易も投資は、

これからも起きるだろう。ただ、過去 30年間のように、それらが順

調に伸びていく時代に戻るとは考えにくいというだけだ。周期的な金

融危機や大国間の角逐、各国のポピュリズムの台頭によって、国際

貿易の不安定性や不確実性が高まる時代が到来しているのである。

長期的に見ると、現在は、従来の国際経済体制が崩壊に向かい、

新たな体制に向けた模索の時期にあたる。その先にどんな体制が生

み出されることになるのかは、誰にも分からない。ただ、少なくとも

今後一世代は、国家が再び求心力を高めていく時代になるものと思

われる。

経済と政治が対立する場合、勝つのはいつも政治の方だ。経済の

範囲と政治の範囲の一致は、後者の拡張によってではなく、前者の

縮小によって実現される、というのが歴史の教訓である。過去 30年

の経験からは想像もつかないかもしれないが、今後についてはその

ような見通しを持っておくべきだろう。

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日本のメタナショナル企業の代表例として、浅川(2006)は資生堂の香水事業を挙げている。日本の化粧品市場は元

来スキンケア中心で、フレグランスのシェアは小さい。しかし、同社は香水ビジネス拠点を欧州に置き、同地で知見を得

ながら香水事業の世界展開を始めた。現在も事業毎の研究開発・生産拠点を世界に複数置く体制を取っており、引き続

きメタナショナル経営を実践している。その資生堂が 8月 8日に 2018年度の中間決算を発表、営業利益が前年同期比

で倍増となり、中間決算として過去最高益を記録したことが話題となった。その原動力は、日本が拠点となるスキンケ

ア事業だ。

日本製化粧品ブームが中国市場で到来 

2018年 8月 8日、資生堂の上期決算が市場で話題となった。営業利

益は前年上期対比で 2倍超となり、年間ベースで過去最高を記録した

2008年の当期利益を上半期時点で既に上回った。同社は 2014年に外

部から初めて社長を招集したが、わずか 4 年で大きな成果を残した格

好だ。

決算内容を見ると、日本市場、中国市場、トラベルリテール部門が大

きく増収となった。日本市場では日本人とインバウンドの双方の需要が

増加、中国市場では「SHISEIDO」や「クレ・ド・ポー ボーテ」などのプレ

ステージブランドがけん引役となり、スキンケア市場でシェア3位に浮上

した。中国の EC(Electronic Commerce)による売上は+40%の高い伸

びを記録している。全事業で最も収益性が高いトラベルリテール部門も、

継続して高い利益率(営業利益率 24.5%)を維持した。

資生堂の好決算の背景には、中国人を中心とした「旅マエ・旅ナカ・

旅アト」需要をうまく取り込む戦略が奏功したことがあり、資生堂だけで

なく他の日本企業も販売を伸ばしている。

訪日中国人旅行者増加を起点とした日本製化粧品ブームに潜むリスク中国人需要への過度の依存は禁物、新市場の確立が次の課題に

中国人の「旅マエ・旅ナカ・旅アト」需要の獲得で、

日本製化粧品ブーム到来

具体的なメカニズムは以下の通りだ。「旅マエ」(訪日前)の中国人に

対して、SNSなどによる情報発信を通じて、訪日時の店舗訪問を促す動

機づけを作る。中国で増加しているミレニアル世代(2000年以降に成人

となった若年層)は、SNSや口コミサイトの情報に敏感であり、自社製

品に興味、関心を持たせることができる。次に、「旅ナカ」(訪日中)の

中国人に対しては、空港などの免税店でのオリジナル製品の販売もさる

ことながら、実店舗の体験スペースで、製品の機能性などを PRして購

入してもらう。そして、「旅アト」(訪日後)の中国人に対しては、帰国後

も引き続き自社製品を購入してもらえるように、越境 ECで商品を展開し

て現地でも日本の商品を利用してもらう。このようにして自社製品に対

する興味、関心を持ち続けてもらうことで、次の訪日、来店を促すこと

にもつながる。

こうした動きは、マクロ統計上にも着実に表れている。2013年以降、

日本を訪れる中国人旅行者は順調に伸びており、日本製品を知ってもら

宮嶋 貴之 みずほ総合研究所株式会社 調査本部 経済調査部 主任エコノミストMiyajima, Takayuki Senior Economist, Economic Research Department, Mizuho Research Institute Ltd.

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う最大の契機となっている。特に、スキンケアは直接肌につけるもので

あるため、個々の肌に合わせたカウンセリングによるきめ細かな対応を

売りにする「コト消費」として、訪日中国人の関心を集めているという。

日本製のスキンケア商品は高機能で、中国人の肌とも相性がいいと評判

のため、帰国後も日本製品を使いたいとの希望が多く、越境 ECを通じ

た購入が増えている。実際、2016年以降、訪日中国人の買い物代を中

国向け越境 EC取引額が上回るという逆転現象が起こっており、越境 EC

取引額は 1兆円を超える規模まで拡大した。その中心は化粧品であり、

財務省「貿易統計」をみても、中国(香港向け含む)向け輸出額が伸びて

いることが確認できる。

越境 ECに関わる政策変更や政治的関係悪化など、

中国人向け事業に潜むリスクには要注意

中国経済の成長に伴って中国人の所得水準が向上し、将来的に中間層・

富裕層が増加していくとみられることから、海外旅行をする人、高機能

の化粧品に興味を持つ人も増加するとの見方は多い。確かに、今後も「訪

日中国人旅行者の化粧品購入増加⇒越境 ECによる日本製化粧品の販売

増加⇒訪日中国人…」という好循環が続く可能性はある。

ただし、こうした訪日中国人旅行者を起点とする化粧品ビジネスに死

角がないわけではない。

第一に、韓国企業との競争が待ち構えている。2010年ごろから韓国

政府の輸出促進策や、韓流ドラマ・映画に出演する韓流スターを起用し

たプロモーション戦略が奏功して、中国内での韓国製化粧品の知名度は

向上している。事実、アモーレパシフィックや LG生活健康が、中国の

スキンケア市場で日本企業に先駆けてシェアを高めており、韓国の中国

向け化粧品輸出額はフランスに匹敵する規模まで拡大している。今後も

中国市場において、韓国製品との競争はますます激化するとみられる。

第二に、越境 ECの制度変更リスクがある。越境 ECによる輸入の場合、

一般貿易とは異なる手続きで通関が許可され、利便性の向上や税率の

軽減が図られてきた。しかし、通常の輸入時に課される税率とのかい離

が大きく、一般貿易業者からは不満の声が寄せられたため、中国政府

は 2015年 6月に一部日用消費財の輸入関税を引き下げるとともに、翌

年 4月に越境 ECにかかる税制を突然変更した。これには、戸惑いを隠

せなかった業者も多かったと言われている。ただし、中国政府は、自国

の消費財やサービスの質向上を図っており、今後も需要の海外流出の

防止に関する手立てを打ってくる可能性は否定できない。ECによる優遇

措置が突然、縮小、廃止されるリスクは十分ありうるだろう。

第三に、対中関係悪化による訪日旅行者数が激減するリスクだ。尖閣

諸島問題で日中関係が悪化した時期に訪日旅行者数は大きく減少してお

り、政治的関係によって事業展開が大きく揺れ動いてしまうことが少な

くない。

中国向けビジネス事業に注力していけばいくほど、上記のようなリスク

が現実化した際のマイナス効果が大きくなることには留意する必要があ

る。好調さばかりに目を奪われると一転して化粧品事業者は大きな危機に

直面することになりかねない。こうした事態を回避するためにも、今後は

中国だけでなく ASEANなど他市場の獲得がより重要になってくるだろう。

2009年慶應義塾大学院経済学研究科修士課程修了。

同年、みずほ総合研究所入社、2011年 7月までアジア調査部で主にタイ、マレーシア経済を担当。

2011年 8月から内閣府に出向、政策統括官(経済財政分析担当)付参事官(総括担当)付政策調査員として日本経済を担当。

「月例経済報告」、「経済財政白書」等を作成。

2013年 8月にみずほ総合研究所アジア調査部に復帰。韓国、ベトナム経済を担当した後、アジア経済総括。

2016年 4月より経済調査部異動、日本経済担当。

2018年 4月より高度デジタル情報解析室兼任。

直近では、主に不動産・五輪・観光、働き方改革(プレ金)、半導体などの分析に注力。

(参考文献)浅川和宏(2006)「メタナショナル経営論からみた日本企業の課題 グローバルR&Dマネジメントを中心に」RIETI Discussion Paper Series 06-J-030

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30 ― ER No.9 October 2018

「先進国中で最も幸福度の低い国」とか「海外メディアが日本の Karoshiを特集」とか、日本人の生きかたや働きかたが

世界からネガティブな注目を集めています。一方で、ここ数年ヒュゲと呼ばれる独自の概念が世界的に注目されているこ

ともあり、日本でも「幸福大国」としてデンマークが注目されています。では、実際に何がデンマークの人びとを幸福な生

きかたや働きかたに導いているのでしょうか ?

1週間という短期間でしたが、さまざまな教育機関や企業や施設を巡り、見て聞いて対話してきた中で感じたのは「競

争・対等・信頼」という言葉から学び、それを徹底的に実践するデンマーク流の社会デザインでした。

幸福大国デンマークでも「給料は我慢料」なのか

売れないミュージシャン ~ 海外放浪 ~ フリーター ~ 複業家とい

う少々個性的なキャリアのせいでしょうか、「みんなもっと楽しく働

けないものか。もっと幸せを追求して暮らせないものか ?」そんな想

いを持ちながら、私はここ数年を過ごしていました。ところがむしろ、

「給料は我慢料」「仕事は辛くて当たり前」なんて言葉を目や耳にする

機会が少しずつ増えてきている…?

そんなある日、デンマークに働きかた・教育・エネルギー・デザイ

ンをテーマに視察に行かないかと一般社団法人を一緒にやっている

仲間が誘ってくれました。「行く !」と即断したものの、私が知ってい

るデンマークといえばアンデルセン、LEGO、カールスバーグ、そして

ヒュゲと幸福度ランキング世界一といったことくらい。せっかくの機

会なので少し調べてみました。

労働時間の少なさ —世界 2位 │ (非)汚職・腐敗指数 —世界 2位 │

クリエイティブ力 —世界 5位 │ 国民の自由度 —世界 5位 │ 一人当た

デンマーク流幸福中心デザイン

八木橋 昌也 日本アイ・ビー・エム株式会社 コラボレーション・エナジャイザーYagihashi, Masaya Collaboration Energizer, IBM Japan

り名目 GDP-世界 6位 │ イノベイション力 -世界 6位

「働く」「生活する」に関連するランキングをざっと挙げただけでも、

デンマークがフワっとした「幸福」だけの国ではないことが分かりま

す。計測方法により順位変動が激しいことは否めませんが、それでも

国連や OECDなど世界的に一定の評価を受けている団体の発表資料

ですから、多少の順位のブレこそあれ、その働きやすさや生きやす

さは本物と言えるでしょう。

競争・対等・信頼 - 3つのキーワードとヒュゲ

デンマークでは一週間、首都コペンハーゲン、ロラン島、コリング

と慌ただしく行き来しながら、北欧を代表するデザイン会社やコンサ

ルティングファーム、幼稚園から大学院までの教育機関、再生エネル

ギー研究所やヒッピー・コミューンを周り、インプットと対話に明け

暮れました。生産性、フレキシキュリティ、未来デザインなどお伝え

したいことは山ほどありますが、ここでは 3つのキーワードに絞って

複業家が見たヒュゲの国の生きかたと働きかた

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ER No.9 October 2018 ― 31

お伝えします。

●競争 — 「社内で競争する人なんてほとんどいないわね。そういう人

はできるだけ早く排除しているし。」視察の前半を一緒に周ったチャー

ターバスの運転手さんの言葉に驚き、私はその理由を尋ねました。

「中長期的な生産性とモラールを下げるからよ。一時的には上げたと

しても。」その後いくつかの会社で質問をしましたが、ほとんど皆「社

内の同僚はカバーしあうためにいるのだから競争はしない」とか「内

部競争しそうな人はそもそも採用しない」と言っていました。職場で

の競争を日常的に見聞きしている私にとっては大きな衝撃でした。

●対等 — 「私と社長は役割が違うだけで対等ですから」「先生が怖く

ないかって ? 意味が分からないな。対等な友人だよ」「親子に上下関

係はないからね」 — 順番に、デザイン会社で社長と話していた社員か

ら、学校で先生と話していた中学生から、最後は何人ものデンマー

ク人の親たちから聞いた言葉です。「すべての人は対等である」とい

うことが、文字通りの意味としてみんなの意識に深く根付いているこ

とをあちこちで感じました。

●信頼 — 勤怠管理作業も、コワーキングスペースの入居者ルールも、

幼稚園の約束事も、信頼関係があれば少なくて良い。むしろルール

が少ないほど、自発性やクリエイティビティが磨かれる — こうした考

え方が一般的な認識となっていたのも驚きでした。

私は「心地よさや癒しを感じる場や空気感」を意味するヒュゲとい

う概念にも、「信頼」が大きな役割を果たしている気がしています。

自分自身の心地よさを大切にしつつ皆で作りあげていく感覚。そん

な「個人主義を土台とした共同所有感」が鍵となっているのではない

でしょうか。

バンドマン、海外放浪生活などを経て、

36歳で人生で初めて正社員として大手Webマーケティング企業にプランナーとして就職。

その 1年後の 2008年に IBM入社。

コラボレーション・エナジャイザーとして、社内外においてデジタル製品を活用したソーシャル・コラボレーションの推進を担い、

「パチさん」の相性で親しまれている。

数年前より、IBMでの業務に加え一般社団法人を立ち上げたりソーシャルグッドなマーケティング会社に参画するなど複業をスタート。

人を幸せにする企業と、誰もが自分自身でいられる場や組織を増やすことを目的に活動中。

社会デザインが当たり前を生みだす

デンマーク国鉄には、唇に指を当てている人とスマホ上に赤い斜

め線を引かれたスマホの、2つのピクトグラムが「Stillezone」の文字

の上に並ぶ注意サインが貼られた「静寂車両」があります。ヨーロッ

パでは珍しくないようですが、不慣れな地で舞い上がっていた私た

ち視察団は、そのサインを見落として車両内で話を始めてしまいまし

た。すると、数列前に座っていた女性がすっと立ち上がり、私たちを

見つめながら唇に指を当てるとその指を注意サインへと向け、軽く

口角を上げると再び席に着いたのです。

「ルールを守らない乗客を別の乗客が注意する。」当たり前のよう

でいながら、これが実際に東京で行われることはとても稀ではない

でしょうか。ときに見て見ぬ振りをしたり、あるいは注意というより

はキレ気味な怒声を突然浴びせたり…。私たちが見慣れているのは、

そんな光景です。この自然に注意するという行為を当たり前にしてい

たのは、「静寂車両というルールの可視化 + その伝えやすさ + 我慢し

過ぎない(自分を大事にする)+ 人びとの信頼」という複数の事柄の

組み合わせであり、それが社会デザインとなっていたからではないで

しょうか。

「元々の文化が違うから…。」別の場所での良いやり方や制度を耳に

したとき、つい私たちはそう捉えてしまいがちです。しかし、こうし

た組み合わせの社会デザインにこそ、ときに全体主義が過ぎ個人の

幸福を後回しにしてしまいがちな私たちへの、大きなヒントが隠れて

いる気がするのです。

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32 ― ER No.9 October 2018

「病院が蓄える膨大なデータを活用して、スペインの医療を革新したい。」 マドリードのサン・カルロス病院最高医務

責任者の発言がきっかけとなり、欧州富士通研究所、富士通スペインと同病院の共創プロジェクトが 2014 年にスター

トした。デジタル共創、医療データへの人工知能適用という、新しいチャレンジを成功に導いたのは、技術だけでなく、

顧客との信頼関係というアナログ的な要因にあった。この経験を活かし、次の適用事例、風力発電用ブレードの検査

では、スムーズに可能性検討からビジネスへ、そして欧州での広域展開への道筋を作ることができた。

人工知能の医療応用 - スペインの共創事例

スペインの首都マドリードを囲む環状道路 M30を時計に見立てると10

時の位置にあるサン・カルロス病院。スペイン医学界の中心的存在であり、

常に医療のイノベーションを模索している。富士通は同病院の情報システム

の管理を長年任され、信頼を得ていた。

共創のきっかけは、2014年、同病院の最高医務責任者 1を務めるフリオ・

マジョール博士に、富士通研究所が開発した知識処理基盤を紹介したことで

あった。人工知能技術により、病院が蓄える医療データを活用し、経験に

よる診断を一歩先に進められるとの期待から、共同で実証実験を開始した。

対象は精神疾患患者の自殺、依存症リスク分析。精神疾患では、患者の

状況とリスクの関係を明確化しにくく、大量のデータを用いた統計的な手法

が有効と考えられる。データの質と量は十分確保されていた。客観性の高

い情報をカルテから自動抽出し、数万件の患者情報をデジタル化した。信

頼できる医療情報がインターネット上で公開されており、システムに取り込

んだ。

病院側との連携もスムーズであった。共同の議論から、精神疾患への理

解が深まり、分析手法のアイデアが得られたとともに、開発後期では、医師

目線からツールの使いやすさの示唆を得た。

プライバシーには注意深く対応した。患者データの取り扱いでは法律、

病院の倫理基準の両者に準拠する必要がある。第一の方策はデータの匿名

化 2。日本の研究所がツールを提供し、病院側が適用した。第二は現地拠

点設立。医療データを国外に持ち出せないため、スペインで技術開発を可

能とした。

知的財産権の所在も問題となった。生のデータから得られた知見が、新し

い分析手法を生む。データに触発されたアイデアの権利をデータ所有者も

共有するという(知的財産権の原則にはそぐわない)考えは、顧客に魅力的

に映る。信頼関係を維持しつつ、原則を繰り返し顧客に説明し理解を得た。

成果は 2015, 16年に発表され、大きな反響を呼んだ。ベテラン医師の診

断と比べ、精度 85%、診断時間 1/1000。診断補助や経験の浅い医師の教

育に十分使えると評価された。国内外のビジネス体制を日本で構築中であ

る。医療は、国や地域により法制度、ビジネス慣習の違いがあり、展開には

時間がかかる。一方、ここを先に乗り越えれば大きなアドバンテージとなる。

Nakata, Tsuneo Senior Professional, Artificial Intelligence Laboratory, Fujitsu Laboratories Ltd.

中田 恒夫 株式会社富士通研究所 人工知能研究所 シニア・プロフェッショナル

四つの鍵欧州での共創プロジェクトを成功に導いた

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ER No.9 October 2018 ― 33

1986年 富士通研究所に入社。LSI設計手法の研究開発に従事。

2009年 米国富士通研究所上級副社長、2012年 欧州富士通研究所 (FLE) 社長。

FLEで人工知能研究のチームを立ち上げるとともに、スペイン拠点を設立。

デジタル共創プロジェクトを欧州で成功させ、ビジネスに導いた。

2018年より現職。グローバルな共創を成功させる「公式」の確立に向けた活動を行う。

人工知能のものづくり応用 - デンマークの共創事例

昨年、EUの風力発電容量は 170GW で世界シェア30%超 3。Siemens

Wind Power 4(以降 SWP)は欧州第1位の風力発電用ブレードメーカーで

ある。2016年、デンマークの SWP製造拠点から、超音波による検査への

機械学習適用で共創提案を受けた。

事前に提供された試験データで学習を行った後、新データに適用し診断

精度 90%を達成した。試験データ量は十分ではなかったが、オリジナル技

術 Imagificationを用い、他の学習結果を転用することで、大量データで

学習したのと同様の効果を得た。実験期間は 2週間。

この結果、顧客からビジネスに進みたいという申し入れがあった。その

ために、短期間で運用できるレベルまで技術を高めるとともに、責任ある

サービスを提供する体制を作る必要があった。顧客の技術部門、製造現場

と共同で評価指標を決め、その目標値を設定するところから技術改善が始

まる。本事例では、診断率とともに、故障を含み得る領域の絞り込みが、

検査工数削減で重要であった。現場を調査したところ、超音波の反射波が

診断に悪影響を与えていた。除去技術を開発し、二つの目標をクリアした。

開発期間は 3ヶ月。

顧客へのサービス提供には、開発、デリバリー、品質保証部門の存在が

欠かせない。日本の事業部、欧州のビジネスアプリケーションチームを核

とする体制を築き、ビジネスを成立させた。現在、このチームが非破壊検

査向け AIソリューションの欧州展開を進めている。

共創を成功させる鍵

以上、二つの事例から、成功につながる四つの行動パターンを学んだ。

1.顧客との信頼関係を早く構築する。

信頼を前提として、顧客のデータを用い、顧客のビジネスを革新する共

創が成立する。事例では、前提が最初から満たされていた。今後、新規顧

客との信頼関係確立が鍵となる。

2.フェーズに応じた体制を構築する。

実証実験は、最小限のステークホルダーに限定して速度重視で進める。

ビジネス化では、責任を取れる、開発、デリバリー、サポート、品質保証

を組み込んだ体制を作る。

3.評価指標と目標値を技術者と顧客が決める。

業務を最も良く知る顧客、技術の限界を理解する開発担当が合同で、指

標と目標を設定する。

4.技術の範囲を狭めない。

事例では、主役の人工知能に加え、匿名化や信号処理が真の解決に必

要だった。顧客の問題解決で必要な技術を深さと広がりを持って眺めるこ

とが不可欠である。

欧州はプライバシー保護に厳格な一方で、イノベーションのためにデータ

を活用しようという意気込みが強く、デジタル共創を実践する環境として

望ましいものであった。今後、立ち上げたビジネスの欧州展開、ならびに

他地域に広げるための活動を進める。

1 Chief Medical Officer2 データに含まれる個人を特定できないように、データを変換する技術3 日本の風力発電容量は3.4GW。4 2017年4月会社合併により、Siemens Gamesa Renewable Energyと社名を変更。

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34 ― ER No.9 October 2018

昨今、ブロックチェーンというキーワードが世間を賑わせている。金融業界で先行しているが、教育分野においても活

用が始まろうとしている。特に、改ざんができないという特性を利用した学歴・資格証明の記録やその真偽確認が注目

されている。さらには、証明記録の信頼性向上にとどまることなく、個人の「学び」履歴データを保有・管理するための

基盤として使われることで、「学び」の価値そのものを変える可能性がある。

我々は、ブロックチェーンの技術面だけでなく、そうした社会的な意義や有用性、サービス化の実現性も含めて実証に

取り組んでいる。

教育分野でブロックチェーンはどう使われようとしているのか ?-実証研究例やユースケースアイデアをもとに- 

教育分野において、最も検討が進んでいるブロックチェーンの活用

方法は、学歴・資格等の「学び」の履歴証明であるが、他にも、大学

間の単位互換への活用や、学費支払いに仮想通貨を使ったもの、教

育機関に対する寄付の追跡への活用等の検討も始まっている。以下

に代表的なものを紹介したい。

1つ目は、学歴・資格、保有スキル等の証明書の信頼性の担保であ

る。入学や就職の際に、その証明が「正しい(偽造・改ざんされてい

ない)」ことを示すことができる。例えば米マサチューセッツ工科大学

(MIT)では、ブロックチェーンを活用し、卒業生がいつでもモバイル

アプリ(Blockers Wallet)で自身の「正しい」修了証を入手できるサー

ビスの実証を行っている。この“デジタル修了証”が正しいものか否か

は、MITの確認用サイトにファイルやそのリンクを入力すると確かめる

ことが出来る。同様の仕組みを使えば、例えば証明書が手元にない

紛争国・難民の学生でも、自身の学歴・資格を証明できるようになる。

志賀 真保子 株式会社富士通総研 コンサルティング本部 クロスインダストリーグループ シニアコンサルタントShiga, Mahoko Senior Consultant, Cross Industry Consulting Group, Consulting Unit, Fujitsu Research Institute

2つ目は、大学間の単位互換の基盤技術としてブロックチェーンを

使おうという試みである。知見を広げるために受けた他大学の授業の

単位を自身が所属大学の単位とする場合や、転学・編入の場合に、そ

の取得単位の信頼性を担保するためである。信頼性の向上によって、

例えば、国を超えた単位互換の大学ネットワークが更に広がっていく

可能性がある。

3つ目としては、仮想通貨による学費支払いを可能としたオンライ

ン大学のアイデアが挙げられる。例えば金融機関が十分に発達して

いない国や地域の学生が学ぶ機会や卒業証明が得られるという観点

から、教育格差の是正や就労機会の獲得にもつながると期待されて

いる。

他にも、将来有望な学生への投資や学校への寄付の追跡(トラッ

キング)の基盤としても検討されている。寄付金が他に流用されるこ

となく教育環境の整備に使われていることを寄付者が確認できれば、

その透明性・公正性によってさらなる寄付の獲得につながると期待で

きる。

EdTechが変える「学び」の価値教育分野ではじまるブロックチェーンの活用

志賀 真保子

教育分野におけるビジネス企画やコンサルティングに従事。

EdTechに関する米国シリコンバレー等の先進事例調査やアジアの動向調査、VR/ARの学びへの活用、

IoTによる学びの活動データや学習履歴データの収集・活用、教育格差是正のためのアジア向けの遠隔授業、

そしてブロックチェーンの教育への活用などテクノロジーの学びへの活用について実証研究を重ねている。

また、プログラミング教育等の STEAM教育についても、

自らプログラミングコースを開発・実施も行いながら、その推進を行っている。

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ER No.9 October 2018 ― 35

湯川 喬介

ヘルスケア分野を中心に

官公庁・自治体等に対しての

コンサルティングに従事。

最近では、ヘルスケア分野の強みを活かして、

情報銀行、データポータビリティ等の

情報利活用分野にも活動領域を拡大。

ブロックチェーンは「学び」の価値そのものを変える

教育分野におけるブロックチェーンの可能性は、これだけにはとどま

らない。ブロックチェーンが持つ改ざん不可能という特性に加え、複数

拠点で発生する記録を管理できる特性を使えば、生涯にわたる「学び」

の履歴データを安心して使うための基盤を作り上げることができる。

人は生涯を通じ、学校や企業(研修や様々な業務経験)、自己学習、

学会活動や地域活動・ボランティア活動そして趣味等で様々な「学び」

を行っている。現状ではこれらのデータは、学校・企業他の各機関が

それぞれ分断して保有しているが、もし個人が自分の「学び」の履歴

データを自由に活用することができれば、「学び」の価値そのものが変

わっていくであろう。

個人の「学び」の履歴は、個人の能力やその人そのものを表現する

重要なデータである。それを企業に示せば個人が持つ能力・経験を

最大限活用可能な就業機会を獲得でき、また、学校に示すことで入

試の代わりや補完として活用される。重要な進路やキャリア選択が 1

回の試験で決まるのではなく、履歴をもとに多面的・総合的な判断を

されるようになる。例えば、出産・育児で離職した女性が、その間に行っ

た地域活動や学校での保護者としての活動も「学び」の履歴データと

して示すことができる。社会全体で見ても、労働ミスマッチの解消や

女性・高齢者等の更なる労働参画につながるという利点があり、真に

個人が主体となって自らのキャリアを切り開いていける社会が実現で

きる。

さらに、「学び」の履歴データを金銭的価値に変えられる可能性も

ある。例えば The Ledgerというプラットフォームでは、学校だけでな

く自己学習や趣味、コミュニティ活動等で獲得したスキル=学びの履

歴を EduBlockというデジタルバッジで表わしている。EduBlockが保

有スキルの証明となって、自身が学んだことを他者に教えたり、他者

のキャリア開発に関するメンターやコーチとして収入を得ることにも

つながる。こうした収入が EduBlockと紐付けて集約・分析されるこ

とで、何を学ぶと将来いくらの収入を得られるかも分かるようになり、

自身の将来価値に対して投資や寄付を得ることにもつながる。

このように「学び」の履歴データを個人や学校・企業等が安心して

活用するためには、そのデータの信頼性が不可欠である。ブロック

チェーンは、その仕組みの実現や、ひいては「学び」の履歴データが

より一層の価値を持つ社会づくりを加速させると考えている。

教育分野へのブロックチェーンの活用を検証 -富士通・富士通総研による実証-

現在、富士通・富士通総研では、前述のような社会を見据え、教

育分野へのブロックチェーン活用の実証に取り組んでいる。日本への

留学生を対象として、留学前の事前学習から留学中の期間、そして留

学後の就職等の各ステージで生じる様々な「学び」の履歴データの記

録と活用をケースとし、社会実装へのチャレンジを行っている。実体

験を通じてこそ分かるユーザーや教育機関、その他関係者にとっての

有用性や社会的な意義を検証し、サービスとしての実現性を見極めて

いく。

今後も、教育分野におけるブロックチェーンの可能性を追求していく

予定である。様々な「学び」の履歴データが蓄積され、信用される情

報として安全かつオープンに流通することで、新たな「学び」の機会や

収入機会に繋げていく、そのような社会を今後も模索していきたい。

中谷 仁久 株式会社富士通総研 コンサルティング本部 クロスインダストリーグループ グループ長Nakatani, Hirohisa Head of Group, Cross Industry Consulting Group, Consulting Unit, Fujitsu Research Institute

湯川 喬介 株式会社富士通総研 コンサルティング本部 クロスインダストリーグループ シニアマネジングコンサルタントYukawa, Kyosuke Senior Managing Consultant, Cross Industry Consulting Group, Consulting Unit, Fujitsu Research Institute

中谷 仁久

クロスインダストリーグループの

グループ長として製造業、流通業、金融業、

ヘルスケア、地方自治体など、

複数の企業・団体、業種に跨って

新しいビジネスや業務を企画、実装を推進。

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36 ― ER No.9 October 2018

貿易戦争が忍び寄る中、反グローバリゼーション感情が成長への大きな障害となりつつある。しかし、本当に懸念されているの

は、グローバル化によって所得やスキル、そして機会の格差が広がっていることであり、これが世論を動かしている。そのような格

差の原因の一つは技術、特に「デジタル・デバイド」であるため、テクノロジー企業は、世論の矛先が自分たちに向けられる前にう

まく対処する必要がある。デジタル化や新しいスキル獲得のための支援事業で政府と協力することや、デジタル化の機会を幅広い

人々に提供することは、デジタル・トランスフォーメーションの恩恵を普及させることに役立つだろう。第一義的に、企業はデジタル

化に関する「オーナーシップ」を社員と共有し、進化するデジタル・エコシステムにおいて、これまでのパートナーの力になるべきだ。

グローバル化はなぜ世界中で非難されるのか ?

国際貿易の恩恵は、数十年間にわたって広く迎え入れられてきた。し

かし、今日、アメリカの大統領は「関税は最高だ」と言い、イギリスは自

らの主要マーケットである EUから離脱しようとしている。さらに、非関

税障壁が世界中で設けられ、グローバル企業が各地で厳しい批判にさ

らされている。世論は急激に反グローバリゼーションに転じてしまった。

グローバリゼーションが失墜した理由にはいくつかの論点がある。成

熟した国・地域では、需要が減少した時に、新興国との競合で厳しい

再規制が求められ、輸入による安いだけの恩恵は減ってしまう。国内

製造から国際サービスにシフトする際には、多国籍企業による対外直

接投資(FDI)が好まれ、従来の中小企業にとっては困難が生じる。デ

ジタル・トランスフォーメーションでは、国際的なスキルを有する労働

者は好まれるが、伝統的な職業は脅威にさらされる。結果、「スマート

な」国際クラスターは成長する一方で、地域全体はあたかも取り残され

た感覚に陥ってしまう。パワー・バランスが高スキルのエリートに傾く

一方、このような状況下では、グローバル化は多くのものに価値をほと

反グローバリゼーション感情はテクノロジー企業への警鐘だ

マルティン・シュルツ 株式会社富士通総研 経済研究所 上席主任研究員 Schulz, Martin Senior Research Fellow, Economic Research Center, Fujitsu Research Institute

んどもたらさないゼロサム・ゲームの様相を見せるのだ。

グローバル化は修復可能か ?

近年の国際貿易の傾向をよく見ると、成熟国においてはそれほど大

きな崩れは見られない。しかし、世界の総輸出額は、金融危機ショック

後、2011年から鈍化し、2014年以降は減少に転じた。この下降の大

きな原因は、新興国の輸出が鈍化したためである。特に、中国におい

て成長中の国内サービス産業が輸出産業よりも重点的に取り組まれて

いる。一方で、世界の ICT貿易は世界危機の影響をほとんど受けずに、

過去 10年間で 3倍に増加している。この成長はすべて途上国によって

もたらされたもので、その多くは途上国間貿易である。中国の「中国

製造 2025」はこの成功を基にして、10年以内にデジタル大国に転ずる

ことを目指している。

サービス貿易の変化はあまり言及されないが、潜在的には、はるか

に重要である。サービス分野では、先進国が依然として大きくリードし

ている。プロフェッショナル・サービスなどの高付加価値サービスの多

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ER No.9 October 2018 ― 37

くは、ますます、自国ではなく多国籍企業の海外子会社を通して提供

されるようになっている。さらに、関連クリエイティブ・グッズ(特に、

新メディアやビジュアル・アート、デザインなど)の取引は新興国で急増

し、今や成熟国を凌駕する。

グローバル競争は、バリュー・チェーンの最下流域で成熟国を空洞

化させているのではない。最上流域でますます圧迫しているのである。

この流れに対する反応として、アメリカ政府は知財規制や技術投資の

制限を行い、付加価値製品に関税をかけると共に、中国の技術発展を

抑え込もうとしている。しかし、通常の技術普及プロセスは総じて歓

迎されるものであり、ブロックしようとしてもうまくいくことなどない。

グローバル化とテクノロジーのつながりを意識する

グローバル化の懸念の多くは、詳しく調べると、技術進歩、特に、

デジタル化によって駆り立てられることが分かる。アマゾンは世界の小

売を支配する能力を持ちつつあるのではないかという懸念が高まって

いるが、それは、アマゾンの成功の原動力であるテクノロジーから売り

上げとスキルと一緒に貿易拡大を進める力への懸念に他ならない。ア

リババは本国の市場を独占し、残りのアジア市場へも進出する力があ

る。多国籍企業はグローバル ICTプラットフォームに積極的に投資でき

るため、グローバル化から恩恵を受けている。同様に、優秀な労働者

や経営者もまた、自分たちのスキルをグローバル規模にレバレッジを掛

けられるので、その恩恵を受けている。

独占の懸念があるものの、世論はテクノロジー・ブームに対しておお

むね賛成である。なぜなら、デジタル化は消費者にとって大きな便益

をもたらしているからだ。アマゾンからグーグルまで、デジタル・プラッ

トフォームは、ほとんど費用を掛けずにユーザー・データと引き換えに

情報コミュニケーション・サービスを提供している。デジタル・ディスラ

プター(かく乱者)は、従来の企業にサービスと効率性の改善とビジネ

スモデル改訂を迫る。そして、産業を越えた価格下落と消費者余剰を

もたらす。

しかし、テクノロジー企業がそれほど長い間、向かい風を受けずに

すむ可能性は低い。多くの職業が脅威にさらされ、デジタル・スキル

への絶え間ないプレッシャーが人々の生活の質を侵食する。そのため、

労働者はますます不安になっている。同時に、生産性の恩恵を分かち

合うことができるのは最も先端的な企業だけである。中小企業はデジ

タル化に対応するために、より高額な費用に直面し、ますます不利に

感じるだろう。

世の反感を買わないようにするためには、テクノロジー企業は「イン

ダストリー 4.0」や「ソサエティ5.0」といったデジタル化支援策で政府

を後押しするだけではいけない。デジタル・トランスフォーメーション

の恩恵と、その「オーナーシップ」を社員たちと共有しようとするべきだ。

これは、デジタル・トランスフォーメーションによる柔軟性と流動性向

上の恩恵をワーク・ライフ・バランスの改善に向けることで可能である。

また、企業は社員のキャリアを支援する一方で、彼ら彼女らのデジタ

ル・スキルにも投資できるはずだ。スキル開発を企業戦略の中核に位

置づけることは、デジタル・トランスフォーメーションの成功に寄与す

る。そして、新しいデジタル・ワーク・スタイル支援によって、社員の

モチベーションが高まり、価値が生まれる。

翻訳:京都大学大学院経済学研究科博士課程 筈井俊輔

1989年 ベルリン自由大で政治学修士、1990年 経済学修士を取得、1996年 同大学で博士号(経済学)を取得。

1998年まで同大の政治経済研究所助教授。

1996年以降、英国バース大学、イタリアのバリ大学、ポーランドのシュテティン大学、ベルリン社会科学学術センターにて勤務。

1991~ 1993年 東京大学社会科学研究所研究員。

1997年 立教大学経済学部奨励研究員。

1998~ 2000年 東京大学社会科学研究所研究員および同大学経済学部研究員。

一方、1998~ 1999年には日本銀行金融研究所に滞在。2000年 富士通総研入社。

専門:国際経済、企業戦略、対外投資など。

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米中貿易紛争は激しさを増しており、世界経済のリスクとして大いに注目されている。かつての日米貿易紛争と比べ、1)米中は安

全保障や政治体制が異なること、2)日本企業の強い輸出競争力で生じた日米間に限った貿易不均衡関係に対して、主に多国籍企業

のグローバル生産拠点再配置に由来する米中間の貿易不均衡であること、3)日本企業による米国での現地生産への切り替えが紛争

解決の切り札になったが、中国の場合はそのような切り札を持ち合わせていないこと、といった相違が挙げられる。日米貿易紛争を

経験した日本では、米中対立によるグローバルサプライチェーンの寸断、米国による自動車関税の引き上げや農産物市場の全面開放

圧力の伝染など、米中の争いが「対岸の火事」ではないと懸念する声が聞かれる。米中貿易紛争のソフトランディングが期待される。

拡大する米国の貿易赤字は長年にわたって蓄積されてきた。トランプ

大統領はこれまでの米行政府が貿易不均衡問題をうまく処理していな

かったことを非難しているが、その言い分もそれなりに理解できる。米

中間の過度な貿易不均衡を是正すべきこと自体は米中双方で一致してい

るが、その「病因」と「処方」に関しては双方の見解は大きく異なっている。

米中双方の主張に一長一短 

米国は、米中間の貿易不均衡をもたらす「病因」が、中国市場の閉鎖

性(高い関税と非関税障壁)や、国内企業への補助金等の不公平な貿易

慣行及び米国企業の知財(IPR)への侵害等にあり、中国市場の開放性・

公正さや IPR保護問題が解決すれば米中貿易のバランスが取れると主張

する。しかし、中国の同じ市場アクセス環境や IPR保護水準の下で、ドイ

ツ、日本、韓国や台湾が対中貿易において均衡か大幅な黒字になってい

ることを米国は考えるべきであろう。例えば、中国の自動車市場の開放(関

税引き下げや資本規制撤廃)が仮に行われても、米国車が対中輸出で大

幅に増えるほど中国の消費者にとって魅力的とは考えにくい。

グローバルな視点で米中貿易紛争を読むグローバリゼーションで生じた矛盾をいかに調和させていくのか ?金 堅敏 株式会社富士通総研 経済研究所 主席研究員Jin, Jianmin Senior Fellow, Economic Research Center, Fujitsu Research Institute

他方、中国は、米中貿易不均衡をもたらす主な要因は、グローバル化

による産業再配置や米国における過剰消費、対中ハイテク製品の輸出制限

によるものだとアピールしている。ただし、中国の主張にも理にかなって

いないところがある。日本や韓国ないし香港でさえ米国産牛肉の大きな輸

出先になっているが、中国は世界第 2位の牛肉輸入国であるにもかかわら

ず、米国産牛肉の輸入を拒否していた(米中「百日計画」1後にやっと輸入

再開)のは理解しがたい。また、国内自動車市場における輸入車のシェア

は、中国は 5%未満なのに対して、米国は 25%以上、韓国も15%を超え

ており、自動車産業の競争力が強い日本でさえも7%以上となっている。

中国の自動車市場開放のスピードが比較的緩慢であることは明白である。

モジュール化やグローバル経営を反映していない伝統的な貿易統計

米国商務省の貿易統計によると、2017年の対中貿易赤字 3,052億ド

ルのうち 1,354億ドル(赤字総額の約 36%)は、ハイテク製品(米国で

言う Advanced Technology Products: ATP)の貿易によるものである。

ATP以外の製品(玩具、アパレル、家具など)は、基本的に米中間で補

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完関係にあり、今回のような技術的な貿易紛争は起こりにくい。一方、

ATPは米国に競争優位がある分野であり、対中貿易で大幅な赤字になっ

ていることに首をかしげる人々も多いだろう。

一見理解することが難しい ATP貿易にかかわるこのような現象は、産

業組織論でうまく説明できる。技術革新やグローバル化によって製品の

「モジュール型設計思想(modular architecture)」が普及し、IT(情報技術)

の発達及び貿易自由化により、研究開発、設計、生産、サービス等の業

務プロセスは分離、外注することが可能となった。最先端の技術を持つ

企業は、経営資源を自社でもっとも得意なプロセス(研究開発や設計など)

に集中させ、生産プロセスを分離することで利益最大化を実現できるよ

うになったのである。中国は、WTO加盟を契機に低コストの比較優位性

を活かし、米国を含むグローバル企業から付加価値の低い生産プロセス

を受注する組立産業を自国に引きつけたのである。

しかし、伝統的な貿易統計はこのような産業組織の変化に基づく改革

はされておらず、中国で組み立てられた製品の対米輸出はすべて中国製

に計上される。結果的に、技術レベルの低い中国が技術レベルの高い米

国に大量に ATPを輸出したのである。つまり、経済学の教科書的な市場

原理に基づく多国籍企業のグローバル経営戦略の展開が、米中貿易不均

衡をもたらしたのである。本来、これら製品の対米輸出は、米国が主張

している不公平や IPR侵害とは無関係である。

実際、米国で言われている ATPの10分野のうち、モジュール化が進んで

いない医薬、ハイエンド ICチップ、ハイエンド製造設備、航空機等の資本

集約型製品、あるいは「すり合わせ型設計思想(integral architecture)」

中国浙江大学大学院/横浜国立大学国際開発研究科修了。博士。

専門は、通商政策、経済産業論、イノベーション政策。

最近の関心事は、急速に台頭する中国のニューエコノミー、IoT時代における米中のベンチャー活動、米中を中心とする新型貿易紛争、

日米の通商政策と一帯一路構想である。

著作に『自由貿易と環境保護:NAFTAは調整のモデルになるか』(風行社、1999年)、『図解でわかる 中国の有力企業・主要業界』(日

本実業出版社、2010年)、「産業高度化を狙う「中国製造 2025」を読む」(富士通総研研究レポート、2017年)、”Chinese Visions

of Transpacific Integration”, The Changing Currents of Transpacific Integration: China, the TPP, and Beyond, (Lynne Rienner

Publishers, 2016)

の製品は中国への産業移転が少なく、米国の対中輸入も少ない。

求められるのは米国における輸出競争力強化と中国における産業政策の健全性確保

米中間の貿易不均衡は、米国の対中輸出にも課題がある。対中輸出拡大

が緩慢である理由として、1)中国市場で米国製品(例えば産業ロボット)

が日独韓などの同製品と比べて競争力が弱いこと、2)米国が競争力を持

つハイテク製品に輸出制限措置が取られていること(この意味で米中貿

易紛争は日米貿易紛争より解決が難しい)、3)確かに一部の製品分野で

中国には高い関税(例えば医薬品)や技術障壁(例えば牛肉)が存在して

いること、4)中国市場の輸入代替政策(例えば通信機器)が機能してい

ること、等が挙げられる。

1)と 2)は、米国自身が競争力を強化し、または非合理的な輸出制限

を解除すべきである。3)については、中国が市場開放や規制緩和を早急

に行うべきである。実際、年初来中国は、抗がん剤や自動車、消費財など

に関して大幅な関税引き下げや、自動車等の製造業、金融業に関して大

幅な資本規制の緩和や撤廃を進めてきており、そのことは評価できる。4)

については、内外資差別措置の撤廃や国有企業改革、政策の透明性向上

など、中国の産業政策や投資環境の整備には大きな課題が残っている。

米国がもっとも不満を抱いているところでもある。

現状では、米中双方とも自説を強調して制裁と対抗の関税を掛け合ってお

り、対立が深まっている。米中とも一方的な実力行使に依存せず、WTOルー

ルや紛争解決メカニズムに基づいて貿易問題を解決することを望んでいる。

1 米中両国が2017年4月の首脳会談で策定を決めた貿易不均衡是正のための計画

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40 ― ER No.9 October 2018

ER No.1「シンギュラリティの本質」

2015年 9月 30日発行

ER No.2「2030年の街づくり」

2016年 4月 1日発行

ER No.3「プラットフォームと

シェアリングエコノミーの未来」

2016年 9月1日発行

ER No.6「人間を見つめ直す 人類の適応力と理性が試される時」

2017年 10月 2日発行

ER No.7「人間を見つめ直す

「わたし」と「あなた」から始まる」

2018年 1月18日発行

ER 特集号「賢慮との対話 知性を鍛える」

2018年 4月 2日発行

ER No.4「共存・共在の論点」

2017年 1月10日発行

ERバックナンバー

ER No.5「人間を見つめ直す マシンとの共進化」

2017年 5月 22日発行

http://www.fujitsu.com/jp/group/fri/report/er/ERは上記 URLからもご覧になれます。

ER No.8「日本学から「知」を考える」

2018年 5月 21日発行

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ER No.9 October 2018 ― 41

編集後記

今回の特集にあたって、1991年から留学していたアメリカのビジ

ネススクールで使った経営戦略論の教科書(1993年版)を引っ張り

出してみました。その中では、企業のグローバル戦略には、大きく

2つに分けると、世界各国で分散的に事業を展開する「マルチドメス

ティック(マルチナショナル)」型と、自国の本社に資源や権限を集中

させて世界展開する「グローバル」型があると説明されています。そ

の上で、両社を統合する「ハイブリッド」型を追求することが大切だと

書いてあります。それは、この教科書の著者たちが、1980年代後半

にバートレット教授とゴシャール教授が提唱した「トランスナショナ

ル」型の戦略について、まだ「トランスナショナル」という用語は使わ

なかったものの、その重要性を認めていたからだと思われます。「ト

ランスナショナル」型の国際経営とは、現地市場への適応性に優れた

マルチナショナル型と効率性に優れたグローバル型、さらに、現地子

会社が本社の管理を受けながらも自ら学習して市場に対応するイン

ターナショナル型という 3つのタイプの長所をあわせもった経営戦

略です。そして、その後 21世紀に入って、今号の冒頭記事を執筆し

たドーズ教授らが「メタナショナル」経営を提唱して注目を浴びまし

た。これは、私の理解では、企業の本社所在国に関わらず、世界各国

に点在する知識を効果的に活用してイノベーションへと結び付けてい

くことでグローバルな競争優位を維持するという考え方です。「メタ

(meta)」には、「 ~を超えて(beyond)」という意味もあるそうです。

そういう意味では、「メタナショナル」は、本国と現地の間のガバナン

スのあり方を超えて、自国優位性も超えて、国境も超えて、よりオー

プンにコラボレーションを行って新しい価値を「共創」していくとい

う意味も持っていると言えそうです。そのことは、今号の多くの記事

に共通していると思います。本誌が読者の皆さまにとって様々な観

点からグローバル化を見直すきっかけになれば幸いです。

株式会社富士通総研 経済研究所 研究主幹 浜屋 敏

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42 ― ER No.9 October 2018

発 行 日 2018年 10月1日 (非売品)

発   行 株式会社富士通総研 経済研究所

〒105-0022 東京都港区海岸1-16-1 ニューピア竹芝サウスタワー

TEL (03)5401-8392 / FAX (03)5401-8438

URL http://www.fujitsu.com/jp/fri/

編   集 浜屋 敏(富士通総研 経済研究所 研究主幹)

吉田 倫子(富士通総研 経済研究所 主任研究員)

ニック・オゴネック(富士通総研 経済研究所 研究員)

中山 元子(富士通総研 経済研究所)

印刷・製本 株式会社グラフィック

All Rights Reserved. Copyright © 株式会社富士通総研 2018本誌の一部または全部を許可無く複写、複製、転載することを禁じます。

 本誌には、富士通グループの過去と現在の事実だけではなく、将来に関する記述も含まれていますが、これらは、記述した時点で入手できた情報に基づいたものであり、不確実性が含まれています。従って、将来の業務活動の結果や将来に惹起する事象が本誌に記載した内容とは異なったものとなる恐れがありますが、富士通グループは、このような事態への責任を負いません。読者の皆様には、以上をご承知いただくようお願い致します。

ER No.9

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ER富士通総研経済研究所経済・経営・技術読本

9 October 2018

メタナショナル経営論グローバル化を問い直す視座