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10 民博通信No.135
ドイツの移民の現状と統合コース ドイツは在住外国人が総人口の約8.2パーセント(2009年)を占めている。これにおよそ19パーセントの移民の背景をもった人を加えると、実に総人口の4分の1以上の人が潜在的にドイツ語能力が不十分な可能性があることになる。「移民の背景をもった人」というのは、1949年以降に現在のドイツ領に移住してきた人、ドイツで生まれた外国人、および親の少なくとも一方が移民、または外国人のドイツで生まれた人を指す。もちろん外国人にも移民の背景をもった人にもドイツ語が達者な人は少なくないはずなので、4分の1にはなるまいが、ドイツ語能力が不十分な人が相当いることは間違いない。また、外国人の中では最も人口の多いトルコ人社会には、ドイツ語を一切使わなくても一生暮らしていけるコミュニティもある。こうなると、文化を異にするコミュニティの間の相互理解はきわめて難しくなり、むしろ無理解や誤解が生じる危険性が高くなる。それは避けなくてはならない。そのため、近年ヨーロッパでは、統合政策の一環として、移民によるホスト社会の主流言語の学習を制度化する国が増えている。まず言語の問題を解決して、ホスト社会の住民と移民の間のコミュニケーションの障害を減らそうとしているのである。ドイツでも2005年に新しい移民法が制定されて以来、移民に対するドイツ語の授業(「統合コース」Integrationskurs)の実施が統合政策の大きな柱の一つとなっている。 統合コースの導入以来、全国の成人移民に対するドイツ
語教育は連邦移民難民局(Bundesamt für Migration und
Flüchtlinge、略称BAMF)の管轄になっている。統合コースは実施機関も教員もBAMFの認可が必要である。統合コースで教えるためには大学で外国人のためのドイツ語や第2言語としてのドイツ語を専攻しているといった一定の資格が求められ、その資格がない人は70(または140)時間の講習を受けて資格を得なくてはならない。また、受講料は原則として受講者と国がほぼ折半しており、半分弱は受益者負担となっている。当初、統合コースは600時間のドイツ語と30時間のドイツ事情から成っていたが、修了試験の合格者が増えなかったため、2007年からさまざまな改革が行われている。A2とB1の両方のレベル(欧州評議会の『ヨーロッパ共通参照枠』が設定している6段階の言語能力のうちの下から2、3番目のレベル)を含む移民のための試験やカリキュラムの開発、条件を満たせばさらに300時間の授業が受けられるなどの制度改
ベルリン、ノイケルン区役所の多言語による防犯カメラ案内(永江奏子撮影)。
ベルリンの街角でよく見かけるスカーフを巻いた女性(永江奏子撮影)。
A1 A2 B1 B2 C1 C2基礎 熟練欧州評議会の『ヨーロッパ
共通参照枠』が設定する 6段階の言語能力レベル。
ドイツにおける移民のための統合コース共同研究 ● 日本の移民コミュニティと移民言語 (2010-2013)
文
平高史也
11No.135民博通信
革がそれである。その結果、修了試験の合格率は上昇し、一定の成果はあがっている(表参照)。
市民大学における統合コース しかし、移民にドイツ語を教える現場では、多くの困難な問題を抱えているようである。南部の大都市ミュンヘンの市民大学(自治体が運営する成人を対象とした生涯教育機関)では、電話や窓口でドイツ語を含む15の言語で、統合コースに関連して、教育、学校、職業についての相談に応じている。統合コースの授業を市内数カ所で提供し、一般成人向けのクラスだけではなく、識字クラス、女性向けのクラス、青少年向けのクラス、無料の託児施設付きのクラスなどさまざまなクラスがある。高学歴で学習に対する動機づけや意欲の高い参加者がいる一方、本国では初等教育もほとんど受けておらず、結婚後家庭に入って子育てを終えたトルコ出身の女性のように、人生も50代になってようやく学習の機会を得て嬉々として授業に来る人たちもいるという。しかし、若いときに十分な教育を受けていないので、読み書きができず、アルファベットの習得にも時間がかかる。背景は異なるとはいえ、母語教育の機会を奪われた在日韓国朝鮮出身者の識字教育に似ている。また、出身国で教育を受け続けていれば、中等教育の修了資格は得られたかもしれない青少年の学習者にとっては、ドイツ語の学習を一から始めなくてはならないことがしばしばストレスの原因となる。そういう学習者を相手にする教師も「外国人のためのドイツ語」の専門家としてドイツ語を教える以前に、まず授業中はずっと座っていられるように指導することから始めなくてはならない。そうした、ある意味では重労働であるにもかかわらず、教師の待遇はよいわけではなく、統合コースの教師の給与だけでは暮らしていけないといわれる(2009年8月現在、BAMFの規定で時間給が15
ユーロを下回ってはいけないことになっている)。さらに、企業では統合コースでドイツ語を学習する必要性がほとんど理解されていないため、一般成人で仕事を終えてから市民大学に来る人は、疲労で授業に集中できないケースが少なくないという。 一方、旧東ドイツの古都ワイマールに近い、人口23,000
余の小都市アポルダ(Apolda)には、旧西ドイツと違ってトルコ人は少なく、ベトナム人、ロシア人、ロシアからのドイツ人帰還者などが多い。市民大学が提供する統合コースの規模は小さく、種類もそれほど多くないが、コースの期間中に6~8週間、市内の企業でインターンシップができるように、企業とタイアップして授業を行うなどの工夫を行っている。これはB1レベルの修了試験の合格者を増やすため、A2レベルに達した履修者を中小企業に送り込み、実地でドイツ語による生のコミュニケーションを体験させるのが目的である。こ
の期間は、週に4日は企業で実地研修を行い、5日目は市民大学のドイツ語の授業で企業での体験について話し合ったり、語彙の使い方を習ったりする。この結果、B1の修了試験のうち口頭試験は全員合格するようになったという。 しかし、ワイマールに近いイエナ(Jena)のドイツ語学校の責任者の話では、統合コースはドイツの一般社会ではほとんど知られていないという。それに、移民のドイツ語能力を上げさえすれば問題が解決するというわけでもない。移民が抱えている困難を、マジョリティであるドイツ人の側が理解していないために起こる問題も少なくない。そのため、アポルダの市民大学では異文化間能力を高めるためのセミナーなども開いている。また、ミュンヘンのゲーテ・インスティトゥートの担当者は、日常生活を送れるようになるのが目的ならばB1でよいとしても、仕事ができるレベルを求めるのであればB2レベルは必要であろうと話していた。統合コースの修了試験のレベルは、ドイツのB1に対して、オランダはA2、デンマークはB2などと国の間でも異なる。このように、統合コースはヨーロッパはもちろん、ドイツ国内ですらさまざまな様相を呈している。
日本の移民言語問題への示唆 共同研究「日本の移民コミュニティと移民言語」は日本国内が主たるフィールドではあるが、日本社会も世界の多言語多文化化の潮流の中にあるから、ドイツなどヨーロッパ諸国の動きとも無縁ではない。上で触れた識字教育や、女性や青少年に対する言語教育の難しさは、日本でも近い将来問題になるに違いない。また、主流言語の教育を制度化して国が責任をもって行うべきなのかどうかについても、議論されるときが来るかもしれない。予算、受益者負担の割合、教員や教育機関の資格、コースデザイン等々、考慮しなくてはならない点は多々ある。その際、大切なのは、どのような理念を根本に据えるかであろう。異なる言語や文化をもった人たちと共生する社会を作っていくには、移民がホスト社会の主流言語を学習するだけでよいのか、移民の母語維持はどうするのか、また、ホスト社会側の構成員も移民の言語を学ぶ必要があるのではないか、等々考えなくてはならないことは多い。ドイツをはじめとするヨーロッパの経験や知見をそのまま日本に移入すればよいということではないが、先行事例としては参考にすべきであろう。
【参考サイト】Extramiana, Claire and van Avermaet, Piet. 2008 Politiques linguistiques
pour les migrants adultes dans les Etats membres du Conseil de l’Europe: conclusions d’enquête. The linguistic integration of adult migrants. Intergovernmental Seminar. Strassbourg, 26-27 June 2008, Council of Europe. (http://www.coe.int/t/dg4/linguistic/programme_migrantsseminar08_texts_EN.asp アクセス日2011年9月29日).
Münchner Volkshochschule: Hotline Integrationskurse. ( http://www.mvhs.de/index.php?StoryID=8484 アクセス日2011年9月29日).
年新規受講者(人)
修了者(人)
受験者(人) (対修了者比)
合格者(人) (対修了者比)
2005 130,728 31,478 17,482 (55.5%) 12,151 (38.6%)2006 117,954 76,401 50,952 (66.7%) 36,599 (47.9%)2007 114,365 67,052 43,853 (65.4%) 29,544 (44.1%)2008 121,275 73,557 61,025 (83.0%) 37,438 (50.9%)2009 116,052 70,968 91,735(128.8%)* 47,154 (51.6%)
*には2回受験した者を含む。BAMFのデータから筆者が作成。
ひらたかふみや
慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は社会言語学、日本語教育、ドイツ語教育。著書に『多言語社会と外国人の学習支援』(日比谷潤子と共編)、『外国語教育のリ・デザイン』(古石篤子、山本純一と共編)(いずれも慶應義塾大学出版会、2005年)など。
統合コースの新規受講者、修了者、修了試験受験者および合格者