マルクス貨幣論の研究 -...

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<論 説> マルクス貨幣論の研究 ――価値形態論で論じられたこと―― 大石雄爾 はじめに 第1章 価値形態論の課題およびその対象と方法 第1節 商品の研究における価値形態論の位置付け 第2節 価値形態論の対象と方法 第2章 マルクスによる価値形態論の展開 第1節 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態 第2節 全体的な、または展開された価値形態 第3節 一般的価値形態 第4節 貨幣形態(価格形態) 第3章 価値形態論に関する諸問題宇野弘蔵氏の問題提起を中心に 第1節 宇野氏における商品の2要因の捉え方 第2節 商品所有者の欲望を想定するという点について 第3節 価値表現における「回り道」の論理について むすび 25 はじめに 先ごろ、マルクスの貨幣論に関する拙論の「む すび」において次のように書いた。「価値形態 論の課題、交換過程論のテーマについては、マ ルクスが論じている内容についていま一度詳細 に検討することが必要であり、論理的展開を明 確にする読み方についても一層の研究が必要と されている」 (1) 、と。この分野は、研究面でも 論争の面でも、熾烈な理論的格闘を避けては通 れない問題に満ちており、それらの問題は短期 間に決着がつくようなものではない。 これまでに、交換過程論は価値形態論に吸収 されるものであり、『資本論』第2章「交換過 程」は不要であるという見解が提示されたこと もある (2) 。マルクスの『資本論』を読む限りでは、 価値形態論と交換過程論の課題は明確に区別さ れているように見える。ところが、例えば宇野 弘蔵氏は、価値形態論を展開していくと、その 過程で交換における貨幣の生成についても論証 できるし、そうすべきであると主張した。氏は、 価値形態による価値表現について、価値表現に 用いる使用価値は商品所有者の欲望を想定しな ければ決まらない、というユニークな主張も展 開した。これら2つの論点は、どのように関係

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  • <論 説>

    マルクス貨幣論の研究

    ――価値形態論で論じられたこと――

    大 石 雄 爾

     

    目 次

    はじめに                         

    第1章 価値形態論の課題およびその対象と方法         

     第1節 商品の研究における価値形態論の位置付け      

     第2節 価値形態論の対象と方法            

    第2章 マルクスによる価値形態論の展開        

     第1節 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態    

     第2節 全体的な、または展開された価値形態       

     第3節 一般的価値形態                 

     第4節 貨幣形態(価格形態)              

    第3章 価値形態論に関する諸問題―宇野弘蔵氏の問題提起を中心に  

     第1節 宇野氏における商品の2要因の捉え方  

     第2節 商品所有者の欲望を想定するという点について

     第3節 価値表現における「回り道」の論理について      

    むすび

    25

    はじめに

     先ごろ、マルクスの貨幣論に関する拙論の「む

    すび」において次のように書いた。「価値形態

    論の課題、交換過程論のテーマについては、マ

    ルクスが論じている内容についていま一度詳細

    に検討することが必要であり、論理的展開を明

    確にする読み方についても一層の研究が必要と

    されている」(1)、と。この分野は、研究面でも

    論争の面でも、熾烈な理論的格闘を避けては通

    れない問題に満ちており、それらの問題は短期

    間に決着がつくようなものではない。

     これまでに、交換過程論は価値形態論に吸収

    されるものであり、『資本論』第2章「交換過

    程」は不要であるという見解が提示されたこと

    もある(2)。マルクスの『資本論』を読む限りでは、

    価値形態論と交換過程論の課題は明確に区別さ

    れているように見える。ところが、例えば宇野

    弘蔵氏は、価値形態論を展開していくと、その

    過程で交換における貨幣の生成についても論証

    できるし、そうすべきであると主張した。氏は、

    価値形態による価値表現について、価値表現に

    用いる使用価値は商品所有者の欲望を想定しな

    ければ決まらない、というユニークな主張も展

    開した。これら2つの論点は、どのように関係

  • し合っているのかと素直に考えれば、宇野氏の

    認識における方法と理論内容への関心はいやが

    うえにも高まってくる。

     と同時に、この後者の問題、すなわち商品所

    有者の欲望を捨象しないという方法は、私たち

    に様々の疑問を喚起せずにはおかない。商品所

    有者が、彼の欲望に従って価値表現の材料とな

    る商品を決めるのは、彼に期待される行為のご

    く一部にすぎないのではないだろうか。氏は、

    こうした問題をどのように位置付けているのだ

    ろうか。価値形態論および交換過程論の研究は、

    氏の理論の特徴を把握する鍵を与えてくれるよ

    うに思われる。

     本稿の主要な課題は、むろん『資本論』の正

    確な理解にあるが、それとともに宇野氏の提起

    したいくつかの問題について、その方法および

    理論内容に関しても検討してみることにしたの

    である。

     この小論ではまず、マルクスが展開した価値

    形態論および交換過程論を対象とし、その課題

    と内容、そしてそこに至る分析と理論展開の方

    法について可能な限り明確に提示してみたい。

    長い間問題とされてきた貨幣生成論に関して

    も、まず価値形態論と交換過程論における分析

    方法と内容の違いを確認するところから始める

    ことにする。ただ、この小論の対象とする範囲

    は、価値形態論すなわち『資本論』第1巻第1

    章第3節「価値形態または交換価値」に限定す

    ることにする。交換過程論に関する研究も並行

    して進めているが、論文を執筆するうえでの技

    術的な配慮から、これはもう1つ別の論文とし

    て発表することにした(3)。その小論にも目を通

    してくださるよう予めお願いしておきたい。

     

    第1章 価値形態論の課題およびその対象と方

     第1節 商品の研究における価値形態論の位

    置付け

     マルクスの『資本論』は、資本主義的生産様

    式が支配的な社会の経済関係およびその運動法

    則を明らかにすることを目的としている。経済

    学の研究にさいしては、常に、研究の対象その

    ものである現実の資本主義社会が表象の内にお

    かれなければならない(4)。

     そして、「資本主義的生産様式が支配的に行

    なわれている社会の富は、1つの「巨大な商品

    の集まり」として現われ、1つ1つの商品は、

    その富の基本形態として現われる」(5)として、

    『資本論』における理論の展開が「商品」から

    開始される。

     『資本論』第1巻第1章「商品」は4つの節か

    ら構成されている。すなわち、第1節「商品の2

    つの要因 使用価値と価値(価値の実体 価値

    量)」、第2節「商品に表わされる労働の二重性」、

    第3節が「価値形態または交換価値」、すなわ

    ち小論の研究対象「価値形態論」となっており、

    第4節は「商品の呪物的性格とその秘密」であ

    る。

     これから著そうとする小論の研究対象は、基

    本的に第3節の価値形態論である。その研究は、

    商品の本質をなす2要因、使用価値と価値のう

    ち、価値の表現様式、すなわち価値形態につい

    て解明するという過程の内に位置している。そ

    のため、価値形態論研究の対象と方法を明確に

    するうえで、商品論のそれまでの展開を、その

    基本論理について正確に把握することが必要

    とされる。これは『資本論』の方法および内容

    の正確な理解にとって有用であるばかりではな

    い。第3章では、マルクスの方法や概念規定に

    対して提示された異議について検討する。その

    さいに、それらの異議がマルクスのどのような

    見解に向けられたものか、その根拠が果たして

    論理的に意味のあるものか否か判断する基準を

    も提供することになる。

     そのため、価値形態論の考察に先立って、『資

    本論』第 1巻第1章「商品」第1節「商品の2

    つの要因 使用価値と価値(価値の実体 価値

    量)」の内容を簡潔に紹介・解説することにし

    た。なお、第2節「商品に表される労働の二重

    性」においては商品生産が成立するための2つ

    の条件や 、生産力の変化と価値の大きさとの関

    連など重要な問題が取り扱われている。しかし、

    価値形態論との関連では、直接関連するところ

    が少ないので小論では省くことにした。

    26 駒澤大学経済学論集 第 45 巻 第 2号

  • 27

     

     (1)第1節「商品の2要因」の主要内容

     「商品は、まず第1に、外的対象であり、そ

    の諸属性によって人間のなんらかの種類の欲望

    を満足させる物である」(6)。外的対象であると

    いうことは、それが人間に対して、自然形態を

    とって現れるということであって、その有用性

    によって、商品は使用価値または財であると規

    定される。この使用価値が、商品のまず第1の

    要因である。それぞれの使用価値ないし有用物

    は鉄、小麦、ダイヤモンド、等々として質的規

    定が与えられ、それぞれの量的規定、すなわち

    量を表す単位が与えられる。使用価値は二重の

    観点から、すなわち質と量の2側面から考察さ

    れなければならないことが分かる。様々な使用

    価値の研究は、商品学という学問で取り扱われ

    ることになる。

     使用価値は、富の社会的形態がどのようなも

    のであろうとも、その社会の歴史的発展の段階

    に関わりなく、いつでも富の素材的内容をなし

    ている。商品生産が支配的な資本主義社会にお

    いては、交換価値が現れるうえでの素材的な担

    い手にもなっている。

     この交換価値は、商品の第2の要因である。

    交換価値は、「ある1種類の使用価値が他の種

    類の使用価値と交換される量的関係、すなわち

    割合として現われる」(7)。ある1つの商品は、

    いろいろに異なった割合で様々な商品と交換さ

    れるのであり、様々な交換価値を持っているこ

    とになる。しかし、交換されるものは相互に等

    しい価値を持っていることを示している。すな

    わち、それは1つの「同じ質のものの等しい量」

    を表しているのであって、交換価値は、その同

    じものの表現様式または「現象形態」でしかあ

    りえない、ということが分かるのである。存

    在するものを質と量の観点から捉えるというの

    は、論理学的には、ヘーゲルの「定有」として

    規定を与えることを意味する(8)。そして、こ

    こに分析によって明らかにされた規定は、いわ

    ば価値の内容を表す「論理学的要件」を意味す

    ることになる。

     マルクスは交換価値を、1つの等式で簡単明

    瞭に示している。

    1クォーターの小麦=aツェントナーの鉄

    これは交換価値を表す1つの設例であるが、見

    ての通り、ここでは一般的にすべての商品が有

    している諸性質以外の要因は度外視されてい

    る。例えば、商品所有者であるが、商品所有者

    がどんな人間であろうと、小麦は小麦、鉄は鉄

    であって、この設例は交換価値の1例を過不足

    なく示している。この式の両辺の使用価値は、

    使用価値であればどんな商品の使用価値でもな

    りうる点を考慮して一般的な式で示せば、それ

    は次のように表現される。A、Bは、それぞれ

    異なった使用価値を示している。

    x量の商品A=y量の商品B

     さて、先の小麦と鉄を用いた等式の具体例に

    戻ろう。この等式は、2つの異なった商品のう

    ちに 「同じ大きさの1つの共通物 」が存在する

    ことを示している。2つの商品の使用価値は異

    なっているから、その共通物は使用価値ではあ

    りえない。そこで、1つの共通物を突きとめる

    ための分析が必要となるのである。

     交換価値は、微量たりとも使用価値を含んで

    はいない。そこでまず、両方の商品から使用価

    値を捨象すると、それらに残るのは労働の生産

    物という性質だけである。しかし、労働は、小

    麦の生産と鉄の生産とでは異なっており、それ

    ぞれの労働の違いを明示的に表してみると、

    「小麦をつくる労働」の生産物

    =「鉄をつくる労働」の生産物

    となる。生産物の使用価値が異なるのに応じて、

    それらを生産する労働、すなわち具体的有用労

    働はそれぞれ異なってくる。1つの共通物を捉

    えるには、さらに両辺の商品で異る具体的有用

    労働という性質を捨象する必要がある。そこで

    これを捨象すると、あとには無差別な人間労働

    力の支出という意味での抽象的人間労働が残る

    ことになる。これを式で表してみると、

    α量の抽象的人間労働の凝固物

    =α量の抽象的人間労働の凝固物

    こうして、価値の実体は労働、しかも抽象的人

    間労働であることが明確になるが、その共通物

    の表現様式、「現象形態」である交換価値は、「価

    マルクス貨幣論の研究(大石)

  • 値表現様式」ないし「価値現象形態」、簡単に「価

    値形態」と呼ばれるものとなる。

     では、商品の価値の大きさはいかにして計ら

    れるのだろうか。それは労働の量、すなわち労

    働の継続時間によってである。

     「ある使用価値の価値量を規定するものは、

    ただ、社会的に必要な労働の量、すなわち、そ

    の使用価値の生産に社会的に必要な労働時間だ

    けである。個々の商品は、ここでは一般に、そ

    れが属する種類の平均見本とみなされる」(9)。

    ここで、「社会的に必要な労働時間とは、現存

    の社会的に正常な生産条件と、労働の熟練およ

    び強度の社会的平均度とをもって、なんらかの

    使用価値を生産するために必要な労働時間であ

    る」(10)。

     価値の大きさは、以上のような諸要因に規定

    されるものであり、当然、その諸要因に変化が

    生ずるのに応じて変動する。「商品の生産に社

    会的に必要な労働時間」は、労働の生産力に変

    動があればそのつど変動することになる。一般

    に、「1商品の価値の大きさは、その商品に実

    現される労働の量に正比例し、その労働の生産

    力に反比例して変動するのである」(11)。

     以上のようにして、価値の質的規定および量

    的規定が与えられる。こうしてまた、商品は使

    用価値と価値という2要因から成ることが明ら

    かにされる。商品形態はこの2要因のうち1つ

    が欠けても成立しない。なお、商品の使用価値

    は、商品を生産する人にとっての使用価値では

    なく、他人のための使用価値、社会的使用価値

    として捉え返される。また、それが商品である

    ためには、それを使用価値として必要とする人

    の手に交換によって移されなければならないの

    である。

     したがって、商品とは、社会的使用価値と価

    値との統一物であり、自然形態(使用価値)と

    価値形態(交換価値)の2面を備えた物のこと

    である、ということができる。このようにして、

    「商品とは何か」についての一般的な規定、す

    なわち概念規定が与えられることになる。

    第2節 価値形態論の対象と方法

     すでに確認したように、「商品は、ただそれ

    が二重形態、すなわち現物形態と価値形態とを

    もつかぎりでのみ、商品として現れるのであり、

    言いかえれば、商品という形態をもつ」(12)。商

    品は、商品体、すなわち使用価値として感覚的

    にその存在が把握されるのに対して、価値につ

    いては、自然的素材を含まないために商品をど

    んなにいじりまわしても把握のしようがない。

    しかし、商品の価値が人間労働という純粋に社

    会的なものである点を考慮すれば、価値が商品

    に対象化されているという性質は、商品と商品

    との社会的な関係の内にしか現れえないことも

    理解される。

     これまでの分析では、交換価値によって表さ

    れている価値の実体が抽象的人間労働である点

    が明らかにされた。したがって、今度は、価値

    の現象形態、すなわち価値形態の研究に立ち帰

    り、詳細に考察してみなければならない。 

     私たちは、諸商品が1つの共通な価値形態、

    すなわち貨幣形態を持っており、商品の価値が

    「価格」として表現されていることを知ってい

    る。交換価値は、現実には貨幣による「価格」

    という形態での価値表現から、貨幣による表現

    を捨象して、諸商品の使用価値の量的割合とし

    て表したものである。ここでの課題は、マルク

    スによって初めて試みられた「貨幣形態の生成

    を示すことであり、したがって、諸商品の価値

    関係に含まれている価値表現の発展をその最も

    単純な最も目立たない姿から光まばゆい貨幣形

    態に至るまで追跡することである」(13)。

     交換過程論の分析における課題との関連でい

    えば、ここでは、貨幣形態の生成4 4 4 4 4 4 4

    が問題とされ、

    その分析を通して、貨幣形態にある商品とはど

    のようなものかということ、すなわち貨幣の本

    質と形態の規定、貨幣の概念規定が与えられる

    のである。いかにして実在の貨幣が商品の中か

    ら生成するかは、この段階ではまだ考察の対象

    とされていない。この違いが理解されないこと

    から、貨幣の必然性が価値形態論および交換過

    程論の双方で論じられている、といった誤解も

    生まれてきたのである

     この価値表現形態の展開を追跡するために

    28 駒澤大学経済学論集 第 45 巻 第 2号

  • 29

    は、商品の価値表現はいかにして可能であるの

    か、その価値表現の仕組みそのものを明らかに

    する必要がある。どんなに単純な価値形態でも、

    およそ価値表現の可能であることが示されなく

    てはならない。最も単純な価値形態は、「ただ

    1 つの異種の商品にたいするある1つの商品の

    価値関係である」(14)。そのため、ここにおける

    分析対象は、1つの商品のための最も単純な価

    値表現、すなわち「単純な、個別的な、または

    偶然的な価値形態」とされるのである。 

                     

    第2章 マルクスによる価値形態論の展開

    第1節単純な、個別的な、または偶然的な価

    値形態

    x量の商品A=y量の商品B またはx量の商

    品Aはy量の商品Bに値する。

    (20エレのリンネル=1着の上着 または20エ

    レのリンネルは1着の上着に値する。)

     (1)価値表現の両極 相対的価値形態と等

    価形態

     この価値形態は、最も単純な価値形態であり、

    1つの商品の価値が他の1つの商品の使用価値

    で表される。しかし、この形態によって商品の

    価値表現は可能となっているから、それが可能

    となる条件および手続きについて正確に分析さ

    れなければならない。すなわち、ここでは、最

    も抽象的したがって単純な形で価値表現の仕組

    みそのものが明らかにされるのである。そして、

    抽象的であるがゆえに、ここで明らかにされる

    価値表現の仕組みは、より複雑な諸規定にも当

    てはまるものとなる。「すべての価値形態の秘

    密は、この単純な価値形態のうちにひそんでい

    る。それゆえ、この価値形態の分析には、固有

    の困難がある」(15)といわれるのも十分理由のあ

    るところである。

     さて、x量の商品A=y量の商品B という

    価値を表す等式を分析してみよう。この式をよ

    く見ると、2つの相異なる商品Aと商品B、上

    記の例ではリンネルと上着は、明らかに2つの

    異なった役割を演じている。リンネルは、その

    価値を上着で表しており、上着の方は、リンネ

    ルが価値表現をするための材料として役立って

    いる。第1の商品Aは、自らの価値を表現する

    という能動的な役割を演じるのに対して、第2

    の商品Bは、商品Aに価値表現の材料を提供す

    るという受動的な役割を担わされる。第1の商

    品の価値が、上着という第2の商品の使用価値

    で相対的に表されるのである。そのため、その

    第1の商品は相対的価値形態にあるといわれ、

    第2の商品は、第1の商品の等価物として機能

    することになる。そこで、この商品は等価形態

    にあるといわれる。

     こうして、価値等式の左辺と右辺におかれた

    商品の役割が規定されるのであって、交換価値

    の式を、この役割によって表してみると、

    「相対的価値形態にある」商品A

    =「等価形態にある」商品B

    となる。

     では、相対的価値形態と等価形態とはどのよ

    うな関係にあるのだろうか。この2つの形態は、

    互いに依存し合っている不可分な契機である

    が、同時に、同じ価値表現の互いに排除し、対

    立しあう両極である。このように、互いに依存

    し合っていながら、規定として排除しあってい

    る関係を「対立」という(16)。この両極は、常に、

    価値表現関係に入る別々の商品の上に分かれて

    いる、つまり異なる商品によって担われる。そ

    のため、リンネルの価値をリンネルで表現する

    ことはできない。

     20エレのリンネル=20エレのリンネル で

    は、価値表現されたことにはならない。この等

    式が意味するのはむしろ逆のことであって、20

    エレのリンネルは20エレのリンネル、すなわち

    一定量のリンネルという使用価値に他ならない

    ということである。こうして、リンネルの価値

    は、別の商品の身体を借りて相対的にしか表現

    されえないことが明らかである。当然のことな

    がら、等価形態にあって等価物の役割を演ずる

    別の商品は、同時に相対的価値形態にあること

    はできない。この価値表現の中にあっては、こ

    の商品の方は、自分の価値を表しているのでは

    なく、リンネルという自分と異なる商品の価値

    マルクス貨幣論の研究(大石)

  • 表現の材料としての機能を与えられるにすぎな

    い。

     ところで、20エレのリンネル=1着の上着 

    という表現は、1着の上着=20エレのリンネル 

    という逆表現を含んではいる。しかし、そうだ

    からといって、20エレのリンネル=1着の上着 

    という形態がそのままで、1着の上着=20エレ

    のリンネル を表現していると考えてはならな

    い。上着の価値を相対的に表現するためには、

    やはり等式の両辺を逆にしなければならないの

    である。そして、その場合には、上着に代って

    リンネルが等価形態におかれる、すなわち等価

    物の役を演じることになる。

     ある商品が相対的価値形態にあるか等価形態

    にあるかは、自分の価値を表現する商品である

    のか、それともそれでもって価値が表現される

    商品であるかという、価値表現の中における商

    品の位置だけによって決まるのである。

     (2)相対的価値形態

     ① 相対的価値形態の内実

     1商品の単純な価値表現が2つの商品の価値

    関係の内にどのように潜んでいるかを見出すに

    は、この価値関係を、さしあたりまずその量的

    関係から全く離れて考察しなければならない。

    いろいろなものの大きさは、それらが同じ単位

    に還元されて初めて量的に比較されうるものに

    なる。まずは、価値関係の量的比率という側面

    に目を奪われることなく、価値としての質的な

    等置関係に注目し、その質的な面が分析されな

    ければならない。

     ここでは、

    リンネル=上着

    というのが質的に見た等式の基礎をなしてい

    る。しかし、質的に等置された2つの商品は、

    同じ役割を演じるのではない。いうまでもなく、

    相対的価値形態にある商品、すなわちリンネル

    の価値だけが表現される。

     では、リンネルの価値はどのようにして表現

    されうるのであろうか。それは、リンネルが自

    分の等価物または自分と交換されうるものとし

    ての上着に対して持つ関係によってである。こ

    こで、交換されうるものというのは、リンネル

    の「交換したいもの」でもリンネル所有者の個

    人的な「欲望を満たすもの」でもないという点

    に注意が必要である(17)。交換されうるものと

    は、リンネルと価値関係に入りうるものを意味

    するが、質的な面に限定していえば、それは何

    らかの使用価値を持つものということになり、

    リンネル以外のすべての商品に当てはまる。上

    着は、私たちの等式では例示のために選ばれた

    というだけで、どんな商品でも構わないのであ

    る。上の、リンネル=上着 の等式も、一般的

    に表せば 商品A=商品B となる。したがっ

    て、Aはいかなる使用価値の商品でも構わない

    が、Bには、そのAという使用価値以外のすべ

    ての使用価値を持つ商品がなりうることにな

    る。

     さて、私たちの等式に戻ろう。「リンネル=

    上着」という関係の中では、上着は価値の存在

    形態として、価値物として認められる。という

    のは、ただこのような価値物としてのみ、上着

    はリンネルと同じものだからである。このこと

    によって、今度はリンネルそれ自身の価値とし

    ての存在性が現れてくる。すなわち、リンネル

    も価値物であるという独立な表現を与えられる

    ことになる。なぜなら、リンネルは、等価物ま

    たは自分と交換されうるものとしての上着に、

    ただ価値としてのみ関係することができるから

    である。こうして、リンネル商品の上着商品と

    の価値関係の中では、リンネルの価値性格が他

    の1商品、すなわち上着に対するそれ自身の関

    係によって現れてくる。

     例えば、上着が価値物としてリンネルに等置

    されると、上着に含まれる労働は、リンネルに

    含まれている労働に等置される。なるほど、上

    着をつくる裁縫は、リンネルをつくる織布とは

    種類の異なる具体的労働である。しかし、織布

    との等置は、事実上、裁縫を両方の労働の内に

    含まれる現実に等しいものに、すなわち抽象的

    人間労働という両方に共通な性格の労働に還元

    する。「このような回り道をして、次には、織

    布もまた、それが価値を織るかぎりではそれを

    裁縫から区別する特徴をもってはいないという

    30 駒澤大学経済学論集 第 45 巻 第 2号

  • 31

    こと、つまり抽象的人間労働であるということ

    が言われているのである。ただ異種の諸商品の

    等価表現だけが価値形成労働の独自な性格を顕

    わにするのである。というのは、この等価表現

    は、異種の諸商品のうちにひそんでいる異種の

    諸労働を、実際に、それらに共通なものに、人

    間労働一般に、還元するのだからである。」(18)。

     ここで回り道というのは、商品の価値が現物

    形態によって直接に表現されえないため、価値

    表現しようとする商品とは異なった使用価値を

    持つ商品を等置するという迂回した方法を通し

    て媒介的に表現することを指している。という

    のは、それは自分の現物形態では価値表現しえ

    ないリンネルの価値を表現するのに採られる道

    だからである。したがって、価値が抽象的人間

    労働に還元され、その価値が上着という等置さ

    れる商品の使用価値量で表されるまでの特殊な

    一過程は、それぞれ回り道の環をなしており、

    特に有用労働の人間労働への還元がその核心部

    分を成しているのである。

     さて、織布と裁縫という具体的有用労働の比

    較によって、それら労働の人間労働一般への還

    元が行われる。しかし、リンネルの価値が抽象

    的人間労働だということを表現するだけでは十

    分ではない。というのは、流動状態にある人間

    の労働力すなわち人間労働は、価値を形成しは

    するものの、それ自体としては価値ではないか

    らである。「それは、凝固状態において、対象

    的形態において、価値になるのである」(19)。

     リンネルの価値を人間労働の凝固として表現

    するためには、それを、リンネルそのものとは

    使用価値が異なっていると同時に、リンネルと

    他の商品とに共通な対象性、すなわち両商品に

    対象化され実在している性質を持つものとして

    表現しなければならない。

     リンネルの価値関係の中で、上着がリンネル

    と等しいもの、同じ性質のものと認められるの

    は、上着が価値物であるからである。上着はこ

    こでは、価値が上着の姿のままで表される物、

    またはその現物形態で価値を表す物として認め

    られる。このことは、リンネルの価値関係の中

    では、上着はただ具体化された価値としてのみ、

    すなわち価値体としてのみ認められている、と

    いうことを示している。上着がリンネルの等価

    物となっている価値関係の中では、上着形態は

    そのまま価値形態として認められるのである。

    こうして、商品リンネルの価値が商品上着の身

    体で表され、1商品の価値が他の商品の使用価

    値、現物形態で表されるという論理が明らかに

    なる。 

     価値形態論における分析の過程で、マルクス

    は、次のように説明する。すなわち、

     「先に商品価値の分析がわれわれに語った

    いっさいのことを、いまやリンネルが別の商

    品、上着と交わりを結ぶやいなや、リンネル

    自身が語るのである。ただ、リンネルは自分

    の思想をリンネルだけに通ずる言葉で、つま

    り商品語で言い表わすだけである。労働は人

    間労働という抽象的属性においてリンネル自

    身の価値を形成するということを言うため

    に、リンネルは、上着がリンネルに等しいと

    されるかぎり、つまり価値であるかぎり、上

    着はリンネルと同じ労働から成っている、と

    言うのである。自分の高尚な価値対象性が自

    分のごわごわした肉体とは違っているという

    ことを言うために、リンネルは、価値は上着

    に見え、したがってリンネル自身も価値物と

    しては上着にそっくりそのままである、と言

    うのである」(20)。

     以上のように、価値関係の媒介によって、商

    品Bの現物形態は商品Aの価値形態になる。い

    い換えれば、商品Bの身体が商品Aを映し出す

    価値鏡になると表現することもできる。商品A

    が価値体としての、抽象的人間労働の物質化と

    しての商品Bに関係することによって、商品A

    は使用価値Bを自分自身の価値表現の材料にす

    る。商品Aの価値は、このように商品Bの使用

    価値で表現されて相対的価値の形態を持つので

    ある。

     

     ② 相対的価値形態の量的規定性

     その価値が表現されるべき商品、すなわち相

    対的価値形態にある商品は、それぞれ与えられ

    た量の使用価値である。この与えられた商品量

    マルクス貨幣論の研究(大石)

  • は、一定量の抽象的人間労働を含んでいる。そ

    のため、価値形態は、ただ価値を一般的に表現

    するというだけでなく、量的に規定された価値、

    すなわち価値量をも表現するものとなる。

     商品Aの商品Bに対する価値関係、先の例で

    いえばリンネルの上着に対する価値関係の中で

    は、上着という商品がただ価値体一般としてリ

    ンネルに質的に等置されるだけではなく、一定

    のリンネルの量、例えば20エレのリンネルに、

    一定量の価値体または等価物、例えば1着の上

    着が量的に等置されるのである。

     さて、「20エレのリンネル=1着の上着」と

    いう等式は、1着の上着に含まれているのと同

    じ量の価値実体が20エレのリンネルに含まれて

    いること、したがって両方の商品量に等しい量

    の労働または労働時間が費やされていることを

    前提としている。

     ところが、20エレのリンネルまたは1着の上

    着の生産に必要な労働時間は、織布または裁縫

    の生産力の変動につれて変動する。生産力の変

    動は、価値量の相対的表現にどのような影響を

    及ぼすのであろうか。それには、4つのケース

    が考えられる。

    1)リンネルの価値は変動するが、上着の価値

    は不変だという場合

     リンネルの生産に必要な労働時間が、例え

    ば、リンネルの原料である亜麻を生産する土

    地の不毛度が進んだために2倍になるなら

    ば、リンネルの価値は2倍になる。20エレの

    リンネル=1着の上着 に代って、20エレの

    リンネル=2着の上着 となるであろう。

     これとは逆に、例えば、機械の改良によっ

    て必要労働時間が半分に短縮するならば、リ

    ンネルの価値は半分に低下する。したがって、

    20エレのリンネル=1着の上着 は、20エレ

    のリンネル=1/2着の上着 となることに

    なる。

     つまり、商品Aの相対的価値、すなわち商

    品Bで表される商品Aの価値は、商品Bの価

    値は不変であっても、商品Aの価値に正比例

    して上昇または低下するのである。

    2)リンネルの価値は不変であるが、上着価値

    は変動するという場合

     また、例えば、羊毛刈取りがうまくいかず

    上着の生産に必要な労働時間が2倍になった

    とすれば、20エレのリンネル=1着の上着 

    に代って、20エレのリンネル=1/2着の上

    着 となる。逆に、上着の価値が半減すれば、

    20エレのリンネル=2着の上着 となるので

    ある。

     それゆえ、商品Aの価値が同じであっても、

    商品Bの量で表される商品Aの相対的な価値

    は、商品Bの価値変動に反比例して低下また

    は上昇するのである。

    3)リンネル、上着の生産に必要な労働量が、

    同時に、同じ方向に、同じ割合で変動する場合

     この場合には、これらの商品の価値がどん

    なに変化しても、20エレのリンネル=1着の

    上着 のままである。では、それらの商品価

    値が変動していることは分からなくなるので

    はないか。そんなことはない、両方の商品の

    価値が変化していることは、これらの商品を、

    価値の変動していない商品と比べてみればす

    ぐに確かめられる。仮に、すべての商品の価

    値が同時に同じ方向に上昇または低下すると

    すれば、諸商品の相対的価値は不変のままで

    ある。ただし、諸商品の現実の価値変動は、

    同じ労働時間で前よりも多量またはより少量

    の商品が供給されるということから知られる

    ことになる。

    4)リンネル、上着のそれぞれの生産に必要な

    労働量が、いろいろな方向に、またいろいろ

    な程度で変化する場合

     様々なケースの組み合わせが1商品の相対

    的価値に与える影響は、1)と2)と3)の

    場合を応用することによって明確に理解され

    る。

     以上、4つの場合に分けて見たように、価値

    量の現実の変動は、価値量の相対的表現、すな

    わち相対的価値の大きさには明確にも完全にも

    反映しない。1商品の相対的価値は、その商品

    の価値が不変でも変動しうるが、その商品の価

    値が変動しても不変のままでありうる。そして

    また、その商品の現実の価値量とこの価値量の

    32 駒澤大学経済学論集 第 45 巻 第 2号

  • 33

    相対的表現とに生ずる変動が、互いに一致する

    必要は少しもないことが分かるのである。

     

     (3)等価形態

     すでに見たように、1商品A(先の例ではリ

    ンネル)は、その価値を異種の 1商品Bの使用

    価値(上着)で表すことによって、商品Bに等

    価物という価値形態を与える。リンネルにとっ

    て、上着はその自然形態のままで価値を表すも

    の、すなわち価値体となり、直接に自分(リン

    ネル)に対して交換可能性を有する物となる。

    こうして、リンネルは、それ自身の価値として

    の存在を、上着の方が直接にリンネルと交換さ

    れうるものだということによって表現する。そ

    れゆえ、1商品の等価形態は、その商品と相対

    的価値形態にある他の商品との直接的交換可能

    性の形態と規定される。

     上着が、リンネルのために等価物として役立

    ち、リンネルと直接交換されうるという特性を

    受け取るにしても、それによって、上着とリン

    ネルとの交換割合が与えられることはない。こ

    の割合は、リンネルの価値量が与えられている

    ため、上着の価値量によって定まることになる。

    いうまでもなく、上着の価値量は、その生産に

    必要な労働時間によって規定されているが、価

    値表現関係の中で商品種類上着が等価形態にお

    かれ、等価物の位置を占めるならば、上着の価

    値量はその量的表現を与えられることはない。

    価値等式の中では、上着は、上着という使用価

    値の一定量として現れるだけである。そこにお

    いては、上着の価値量は決して表現されえない

    という点について注意が必要である。

     等価形態の特色としては、以下の3点が挙げ

    られる。その第1、使用価値がその反対物であ

    る価値の現象形態になるという点である。商品

    の現物形態が価値形態となるのである。ただ、

    上着にこのようなことが起こるのは、リンネル

    が上着に対して取る価値関係の中においてだけ

    である。どんな商品も、自分自身を等価物とし

    て、それでもって自分の価値を表現することは

    できない。そのため、それぞれの商品は、他の

    商品を等価物として選び、それに関係しなけれ

    ばならない、いい換えれば他の商品の現物の外

    皮、すなわち自然形態を自分自身の価値形態に

    しなければならないのである。

     上着によるリンネル商品の価値表現において

    は、価値という超自然的属性が、純粋に社会的

    なあるものが表されており、上着はその純粋に

    社会的なあるものを代表している。例えば、リ

    ンネルの相対的価値形態は、リンネルの価値存

    在を、リンネルの身体やその諸属性とは全く

    違ったものとして表現している。この表現その

    ものは、それがある社会的関係を内蔵している

    ことを浮かび上がらる。これに対して、等価形

    態の方はある商品体、例えば上着のままの現物

    形態が価値を表現しており、上着自体が生まれ

    ながらに価値形態を持っているという外観を持

    つことになる。ここでは、上着は、その等価形

    態を、したがって直接的な交換可能性という属

    性を、現物形態とともに生まれながらに持って

    いるかのように見えてしまう。

     そのため、等価形態については不可解さとか

    謎が感じられるのであるが、この不可解さは、

    価値形態が完成されて貨幣となって現れると

    き、ブルジョア経済学者たちの目を驚かせるこ

    とになる。すでに単純な価値形態において見ら

    れる等価形態の謎は、あらゆる商品に対して直

    接的交換可能性を持つ貨幣の謎の萌芽形態に他

    ならない。そのため、 20エレのリンネル=1着

    の上着 という、最も単純な価値表現が等価形

    態の謎を解くヒントを与えることになるが、ブ

    ルジョア経済学者たちは誰もそれに気付かな

    かったのである。

     等価形態の第2の特色は、具体的労働がその

    反対物である抽象的人間労働の現象形態になる

    という点に見られる。 

     等価物として役立つ商品の身体は、常に抽象

    的人間労働の対象化物として認められるが、い

    つでもそれは一定の有用な具体的労働の生産物

    である。つまり、この具体的な労働が抽象的人

    間労働の表現になるのである。例えば、上着が

    抽象的人間労働の単なる実現として認められる

    ならば、実際に上着に実現される裁縫は抽象的

    人間労働の単なる実現形態として認められる。

    マルクス貨幣論の研究(大石)

  • このような価値鏡をつくるためには、裁縫労働

    そのものは人間労働であるというその抽象的属

    性の他には何も反映しないのである。

     裁縫の形態でも織布の形態でも、人間の労働

    力が支出される。それゆえ、どちらも人間労働

    という一般的な属性を持っており、また一定の

    場合には、例えば価値生産の場合には、どちら

    もこの人間の労働力という観点からのみ考察さ

    れうるのである。こういうことは、何も神秘的

    なことではない。

     ところが、商品の価値表現では、事柄がねじ

    曲げられて現れてくる。例えば、織布労働はそ

    の具体的形態においてではなく、人間労働とし

    ての一般的属性においてリンネル価値を形成す

    るということを表現するには、織布労働に対し

    て裁縫労働が、すなわちリンネルの等価物を生

    産する具体的労働が、抽象的人間労働の手でつ

    かめる具体的な形態として対置されるのであ

    る。

     さて、等価形態の第3の特色は、商品生産者

    の私的労働がその反対物に、すなわち直接に社

    会的な形態になるということである。先に見た

    ように、第2の特色は、具体的労働がその反対

    物である抽象的人間労働の現象形態になるとい

    うことであった。

     しかし、この裁縫という具体的労働が、無差

    別な人間労働の単なる表現として認められるこ

    とによって、それは、他の労働との、すなわち

    リンネルに含まれる労働との同等性の形態を持

    つことを示す。したがって、それはまた、すべ

    ての他の商品生産労働と同じく私的労働であり

    ながら、しかも直接に社会的な形態にある労働

    となるのである。それだからこそ、この労働は、

    他の商品と直接に交換されうる生産物となって

    現れる。

     なお、マルクスはここで、価値形態を始めて

    分析したアリストテレスのそれを取り上げて、

    その分析の優れた成果とともに分析の挫折につ

    いて述べている(21)。その挫折の原因は、当時

    の労働把握に関する社会的制約のため、アリス

    トテレスが価値概念に到達しえなかったところ

    にある、ということが示されている。

     

     (4)単純な価値形態の全体

     ある1つの商品の単純な価値形態は、異種の

    1商品に対するその商品の価値関係の内に含ま

    れている。商品Aの価値は、質的には、商品A

    に対する商品Bの直接的交換可能性によって表

    現される。また、量的には、商品A(使用価値A)

    の与えられた量との商品B(使用価値B)の一

    定量の交換可能性によって表現される。

     こうして、1商品の価値は、それが交換価値

    として表示されることによって独立的な表現形

    態を得るのである。普通、商品は使用価値であ

    るとともに交換価値であるといわれるが、厳密

    にはこれは間違いである。商品は、使用価値な

    いし使用対象であるとともに正確には価値なの

    である。それは、その価値が商品の現物形態と

    は異なった交換価値という現象形態を持つとき

    に、このようなあるがままの二重物として現れ

    るのである。商品はそれだけを単独で考察され

    ても、この交換価値という形態は持たないので

    あり、常にただ異種の1商品に対する価値関係

    または交換関係の中でこの形態を持つことにな

    る。とはいえ、このことを知ってさえいれば、

    簡略化のために交換価値という表現を使うこと

    は許されよう。

     ところで、すでに見たように、商品の価値形

    態または価値表現は、商品価値の本性から出て

    くるのであり、逆に、価値や価値量がそれらの

    交換価値としての表現様式から出てくるのでは

    ない。この考え方は、重商主義者や近代の自由

    貿易外交員たちの妄想と呼ぶべきものである。

    例えば、自由貿易業商人たちは、どんな価格で

    でも自分の商品を売りさばかなくてはならず、

    どうしても相対的価値形態の量的な面に重きを

    おいてしまう。

     彼らは、自分の商品の価値を可能な限り小さ

    くする。そうしてより多くの商品を売り、でき

    れば売り切って、薄利をせっせと累積していく。

    価値の実現は、交換過程の日々の状況によって

    左右されざるをえない。そのため、彼らは、物

    価表という価値の表現様式において価値が生ま

    れるかのような妄想に囚われることになる。

    34 駒澤大学経済学論集 第 45 巻 第 2号

  • 35

     さて、これまでの考察によって、商品Bに対

    する商品Aの価値関係の中では、商品Bの現物

    形態はただ価値形態または価値体としてのみ認

    められることが示された。つまり、商品に内在

    する使用価値と価値との内的な対立は1つの外

    的な対立によって、すなわち2つの商品の関係

    によって表されるのである。この関係の中では、

    自分の価値が表現されるべき側に立つ商品は、

    直接には使用価値として認められる。また、そ

    の身体が価値表現の材料となる側の商品は、直

    接にはただ交換価値ないし価値形態として認め

    られるのである。

     こうして、1商品の単純な価値形態は、その

    商品に含まれている使用価値と価値との対立の

    単純な現象形態であることが分かる。また、労

    働生産物を商品にするのは、1つの歴史的に規

    定された発展段階、すなわち使用物の生産に支

    出された労働をその労働生産物が持つ対象的性

    質、すなわち価値として表すような発展段階だ

    けである。そのため、商品の単純な価値形態は、

    同時に労働生産物の単純な商品形態だというこ

    とであり、また商品形態の発展は価値形態の発

    展に一致することになる。

     単純な価値形態は、一連の変遷を経て価格形

    態にまで成熟していく萌芽形態にすぎない。実

    際、その価値表現形態としての不十分さは明ら

    かであろう。ある1つの商品Bでの価値表現は、

    商品Aの価値を商品Bの使用価値から区別する

    だけである。したがってまた、商品Aをそれ自

    身とは違った商品Bに対する交換関係の中にお

    くだけであり、価値実体の特性、すなわち他の

    すべての商品との質的同等性および量的な割合

    を表現してはいない。こうして、リンネルの相

    対的価値表現の中で、上着は、ただこの1つの

    商品種類リンネルに対して等価形態または直接

    的な交換可能性の形態を持つだけである。個別

    的な価値形態は、自ずからもっと完全な形態に

    移行せざるをえないのである。ここに、単純な

    価値形態を価値の概念によりふさわしい形態に

    移行させていく理論的契機(モメント)が認め

    られる。

     個別的な価値形態では、1商品Aの価値はた

    だ1つの商品体で表現されるだけである。しか

    し、この第2の商品がどんな種類のものである

    か、上着や鉄や小麦などのどれであるかは問題

    にならない。つまり、商品Aがどんな商品と価値

    関係に入るかに応じて、同じ商品Aのいろいろ

    な個別的価値表現が生じてくる。それによって、

    商品Aの可能な価値表現の数は、ただ商品Aを

    除く商品種類の数によって制限されるだけであ

    る。「それゆえ、商品Aの個別的な価値表現は、

    商品Aのいろいろな単純な価値表現のいくらで

    も引き伸ばせる列に転化するのである」(22)。こ

    の価値形態は、全体的な、または展開された価

    値形態と名付けられる。

                         

                    

    第2節 全体的な、または展開された価値形態

     <一般的表示>

              =u量の商品B

              =v量の商品C

    z 量 の 商 品 A { =w量の商品D          =x量の商品E          = etc.

      <具体例の表示>

       =1着の上着

              =10ポンドの茶

              =40ポンドのコーヒー

    20エレのリンネル { =1クォーターの小麦          =2オンスの金          =1/2トンの鉄          =その他

     (1)展開された相対的価値形態

     ある1つの商品、例えばリンネルの価値は、

    展開された価値形態においては商品世界の無数

    の他の要素で表現される。ここでは、他の商品

    体はどれでもリンネルの価値を映す価値鏡とな

    る。こうして、商品Aの価値が、初めて本当に、

    無差別な人間労働の凝固として表される。とい

    うのは、他の商品を生産するどの人間労働も、

    それらがどんな現物形態を持っていようと、し

    たがって、それが上着や小麦や鉄などの生産で

    マルクス貨幣論の研究(大石)

  • どの労働種類として対象化されようと、すべて

    リンネルを生産する労働に等しいとされるから

    である。そのため、リンネルはこの価値形態に

    よって商品世界に対して社会的な関係に立つ、

    すなわち商品世界の無数の他の商品と1つの社

    会的関係を結ぶことになる。商品として、リン

    ネルはいわばこの世界の市民となるわけであ

    る。

     20エレのリンネル=1着の上着 という第1

    の形態では、これら2つの商品が一定の量的な

    割合で交換されうるということは、単に偶然的

    な事実でありうる。これに反して、第2の形態

    ではもはや偶然的現象ではなくなる。というの

    は、リンネルの価値は、上着やコーヒーや鉄な

    ど無数の違った商品のどれで表されても、常に

    同じ大きさのものとして現れるからである。「交

    換が商品の価値量を規制するのではなく、逆に

    商品の価値量が商品の交換割合を規制するの

    だ、ということが明らかになる」(23)。

     (2)特殊的等価形態

     上着や小麦や鉄などの商品は、いずれもリン

    ネルの価値表現では等価物として、したがって

    また価値体として認められている。これらの商

    品の特定の各現物形態は、今では多くのものと

    並んで1つの特殊的等価形態である。それと同

    様に、いろいろな商品体に含まれる様々な特定

    の具体的労働も、今ではちょうどその数だけの、

    人間労働そのものの特殊な実現形態または現象

    形態として認められることになる。

     (3)全体的な、または展開された価値形態

    の欠陥

     この形態は、人間労働をその実体とする価値

    の現象形態として3つの欠陥を持っている。

     第1に、この価値形態では、商品の相対的価

    値表現は未完成である。というのは、等価形態

    におかれる商品の列は完結することがないから

    である。1つの価値等式が他の等式につながっ

    て作る連鎖は、新たな価値表現の材料を与える

    新しい商品種類が現れるごとにいくらでも引き

    伸ばされていく。逆にまた、商品として生産・

    交換されなくなり商品世界から去っていく物も

    ある。こうした商品の退去は、それだけ等価形

    態の商品連鎖を短縮していく。いずれの場合も、

    展開された価値形態において商品の相対的価値

    表現が未完のままにとどまる原因となる。

     第2に、この連鎖は、ばらばらで雑多な価値

    表現の多彩な寄木細工をなしている。等価形態

    にある商品はすべてそれぞれ特殊的等価形態で

    あり、人間労働の質的な同等性が明示的に示さ

    れるに至っていない。

     そして第3に、展開された価値形態で表現さ

    れるならば、どの商品の価値形態も他のどの商

    品の価値形態とも異なった無限の価値表現列で

    ある。人間労働は、その完全なまたは全体的な

    現象形態を、確かに特殊的な諸現象形態の総範

    囲の内に持っている。しかし、そこでは人間労

    働の現象形態は共通なものでも統一的でもない

    のである。

     展開された相対的価値形態は、単純な相対的

    価値表現すなわち第1の形態の諸等式の総計か

    ら成っている。例えば、

        20エレのリンネル=1 着 の 上 着

        20エレのリンネル=10ポンドの茶

                 

    などの総計からである。

     しかし、これらの等式は、それぞれ逆にすれ

    ば次のような同じ意味の等式を含んでいる。

        1着の上着=20エレのリンネル

        10ポンドの茶=20エレのリンネル

               

     実際、交換において、ある人が彼のリンネル

    を他の多くの種類の商品と交換し、したがって

    リンネルの価値を一連の他の商品で表現するな

    らば、必然的に多くの商品所持者もまた彼らの

    商品をリンネルと交換しなければならない。し

    たがってまた、多くの人々は、彼らの様々な商

    品の価値を同じ第3の商品で、すなわちリンネ

    ルで表現しなければならなくなる。そこで、1

    着の上着= 20エレのリンネル または=10ポ

    ンドの茶 または= etc. という列を逆にして、

    すなわちすでにこの列に含まれている逆関係を

    表現してみると、次の一般的価値形態が与えら

    36 駒澤大学経済学論集 第 45 巻 第 2号

  • 37

    れる。 

     ここで、全体的な価値形態を逆表現すること

    は、ただ単に上のような事情に基づいているだ

    けではない。何よりも、一般的価値形態への移

    行の契機は、先に挙げた全体的な価値形態の3

    つの欠陥に求められる。

     第1の欠陥からは、等価物の範囲を固定し、

    価値形態を完成させるという必要性が提起され

    る。そして、等価物の範囲を確実に固定するた

    めには、等価形態には1つの商品を立てるのが

    望ましいということになる。第2の欠陥からは、

    同質の抽象的人間労働を表現するためには、1

    つの使用価値を持った1種類の商品を等価物に

    すべきである、という理論的要請が導き出され

    る。そして、第3の欠陥は、商品ごとに等価形

    態が異なってしまい、価値表現様式に統一性が

    なくなっているというものである。その欠陥を

    克服するには、すべての商品が同じ1つの使用

    価値を持つ商品により統一的に価値表現されな

    ければならないことになる。

     これらの論理的要請からは、価値形態を全体

    的価値形態の両辺を逆にした形態に移行させる

    必要性が導かれる。

    第3節一般的価値形態

     <一般的表示>

      u量の商品B=

      v量の商品C=

      w量の商品D= }z量の商品A  x量の商品E=  etc.    =

      <具体例の表示>

      1着の上着    =

      10ポンドの茶   =

      40ポンドのコーヒー=

      1クォーターの小麦 = } 20エレのリンネル  2オンスの金   =  1/2トンの鉄  =  等々の商品    = 

     (1)価値形態の変化した性格

     様々な商品の価値は、ここでは、1)ただ1

    つの商品で単純に、そして2)同一の商品で統

    一的に表されている。諸商品の価値形態は単純

    で共通しており、それゆえ一般的である。

     価値表現の第1の形態では、1商品の価値が

    他の1つの商品の使用価値によって表現され、

    第2の形態では、1商品の価値が他のすべての

    商品の使用価値で表された。これに対して、第

    3の形態では、諸商品の価値が、商品世界から

    除外された1つの同じ商品種類(例えばリンネ

    ル)で表現され、他のすべての商品価値がその

    商品とリンネルとの同等性によって表されるよ

    うになる。こうして、諸商品の価値が、相互に

    異なっている諸使用価値とは区別される共通な

    あるものとして表現されるのである。

     第1形態と第2形態は、ただ1つの商品によ

    ってであれ、その商品とは別の多数の商品によ

    ってであれ、商品の価値を1商品ごとに表現す

    る。どちらの場合にも、自分にその価値形態を与

    えることは個別商品の私わたくしごと

    事であって、他の商品

    の助力なしにこれを成し遂げることができる。

    そこでは、他の諸商品は、その商品に対して等価

    物という単に受動的な役割を演じるのである。

     これに対して、第3の一般的価値形態は、た

    だ商品世界の共同の事業としてのみ成立する。

    1つの商品が一般的等価物となるのは、同時に

    他のすべての商品が自分たちの価値をこの同じ

    等価物で表現するからに他ならない。そして、新

    たに現れるどの商品種類も、これにならって同

    じ商品で価値表現しなければならない。「こう

    して、諸商品の価値対象性は、それがこれらの物

    の純粋に社会的な「定在」であるからこそ、た

    だ諸商品の全面的な社会的関係によって表現さ

    れうるのであり、したがって諸商品の価値形態

    は社会的に認められた形態でなければならない

    ということが、明瞭に現れてくるのである」(24)。

     諸商品の一般的な相対的価値形態は、商品世

    界から除外された等価物商品、ここではリンネ

    ルに、一般的等価物という性格を与える。リン

    ネル自体の現物形態が商品世界の共通な価値姿

    態、すなわち一般的な価値体となるのである。

    それゆえ、リンネルは他のすべての商品との間

    マルクス貨幣論の研究(大石)

  • に直接的な交換可能性を持つことになる。リン

    ネルの現物形態は、ここでは、一切の抽象的人

    間労働の目に見える化身、その一般的・社会的

    な対象化として認められる。ここではまた、こ

    の人間労働自身の積極的な性質が明確に現れて

    くる。すなわち、一切の現実の労働がそれらに

    共通な抽象的人間労働という性格に、同質な人

    間労働力の支出に還元される。

     一般的価値形態は、諸労働生産物を無差別な

    人間労働の単なる凝固として表すのであり、そ

    れ自身の構造によって商品世界が持っている社

    会的性挌を明示的に示している。

     (2)相対的価値形態と等価形態との発展関係

     相対的価値形態の発展に対応して等価形態が

    発展する。しかしこの場合、等価形態の発展は

    ただ相対的価値形態の発展の表現であり結果で

    しかない。

     1商品の単純な、または個別的な相対的価値

    形態は他の 1商品を個別的等価物とし、展開さ

    れた相対的価値形態は他の諸商品に特殊的等価

    物という形態を与える。最後に、ある特別な1

    商品が一般的等価形態を与えられるが、それは

    すべての他の商品がこの商品種類を自分たちの

    統一的・一般的な価値表現の材料にするからで

    ある。

     しかし、価値形態が発展するのと同じ程度で、

    その2つの極の対立、相対的価値形態と等価形

    態との対立も発展する。すでに見たように、第

    1の形態では、相対的価値形態と等価形態とは、

    「相互に依存しあい、互いに制約し合っている不

    可分な契機」を成すとともに、「同じ価値表現の、

    互いに排除しあう、または対立する両極」を構

    成している。とはいえ、この両極の対立は、単

    純な・個別的・偶然的価値形態においては固定

    されてはいない。同じ商品が、同時に相対的価

    値形態と等価形態にあることはできないが、あ

    るときは相対的価値形態にあり、また別のとき

    には等価形態にあるということが起こりうる。

     第2形態、すなわち展開された価値形態では、

    個々の商品種類がそれぞれの相対的価値を他の

    すべての諸商品によって全体的に表現するので

    あり、価値表現の材料となる諸商品が等価形態

    にあるからこそ、またその限りにおいて価値表

    現する1商品の価値が等価物諸商品によって相

    対的に表現される。相対的価値形態と等価形態

    とは、相互に依存しあい、互いに排除し合う関

    係、すなわち対立関係がまだ固定されてはいな

    い。その点においては、この形態と第1の形態

    との間に違いはない。

     これに対して、第3形態においては、商品世

    界に統一的で一般的な相対的価値表現の形態が

    与えられている。それは、ただ1つの商品を除

    いて、商品世界に属する全商品が一般的等価形

    態からは排除されているからであり、またその

    限りでのことである。具体例でいえば、1商品リ

    ンネルが他のすべての商品との直接的交換可

    能性の形態または直接に社会的な形態にあるの

    は、他のすべての商品が一般的等価物になりえ

    ないからであり、またその限りでのことである。

     反対に、一般的等価形態の役割を演ずる商品

    は、商品世界の統一的で一般的な相対的価値形

    態から排除されている。もし一般的等価物であ

    るリンネルが、同時に一般的相対的価値形態に

    も属するとすれば、その商品は自分自身のため

    に等価物として役立たなければならなくなる。

    その場合には、20エレのリンネル=20エレのリ

    ンネル となってしまい、単なる同義反復とな

    る。リンネルは、価値も価値量も表すことはで

    きず、およそ等価物の役割を果たせなくなる。

    そのため、一般的等価物である商品は、相対的

    価値形態の側に立つことはなく、一般的等価形

    態の役割に固定化されるのである。こうして、

    第3形態では、相対的価値形態と等価形態の対

    立関係の固定化が進展することになる。

     なお、一般的等価物の相対的価値を表現する

    ためには、むしろ第3形態の左側と右側を逆に

    しなければならない。一般的等価物は、他の諸

    商品と共通な相対的価値形態は持たないのであ

    り、その価値の表現は他のすべての商品体の無

    限の列で相対的に表される。一般的等価物とな

    る商品のみ特別に、その価値が第2の価値形態、

    すなわち展開された価値形態によって表現され

    ることになる。

    38 駒澤大学経済学論集 第 45 巻 第 2号

  • 39

     (3)一般的価値形態から貨幣形態への移行

     一般的等価形態は、商品であればどの商品に

    でも付着することが可能である。他方、ある商

    品が一般的等価形態にあるのは、それが他の

    すべての商品によって等価物として排除された

    からでありまたその限りでのことである。この

    排除が、最終的に1つの独自な商品種類に限定

    された瞬間から、商品世界の統一的な相対的価

    値形態は客観的な固定性および一般的な社会的

    妥当性とを獲得する。「そこで、その現物形態

    に等価形態が社会的に合成する特殊な商品種類

    は、貨幣商品になる。言いかえれば、貨幣とし

    て機能する」(25)。

     商品世界の中で、一般的等価物という役割を

    演ずるということがその特別な商品に固有な社

    会的機能となり、またその商品によって社会的

    に独占されることになる。このような特権的な

    地位を、ある一定の商品が歴史的にかちとった

    もの、それが金商品である。そこで、形態3に

    おいて、リンネル商品を金に取り換えれば、第

    4の形態すなわち貨幣形態が得られる。

    第4節 貨幣形態(価格形態)

      <一般的表示>

       u量の商品B=

       v量の商品C=

       w量の商品D= }α量の金   x量の商品E=   etc.    =

      <具体例の表示>

       20エレのリンネル =

       1着の上着    =

       10ポンドの茶   =

       40ポンドのコーヒー= }2オンスの金   1クォーターの小麦=    2オンスの金   =   1/2トンの鉄  =   x量の商品A   =

     第1形態から第2形態への移行、また第2形

    態から第3形態への移行では、本質的な変化が

    生じた。これに対して、第4形態は、リンネル

    の代わりに金が一般的等価形態におかれるとい

    うことの他には第3形態と違うところはない。

    「前進は、ただ、直接的な交換可能性の形態ま

    たは一般的等価形態が今では社会的慣習によっ

    て最終的に商品金の独自な現物形態と合生して

    いるということだけである」(26)。貨幣形態の本

    質は、一般的価値形態であるということ、すな

    わち他のすべての商品に対して直接的交換可能

    性を持つというところにある。金が唯一の一般

    的等価物となっており、ただ、一般的等価物と

    しての役割を商品世界の共同行為によって排他

    的に与えられるという限りで、貨幣としての形

    態規定が与えられることになる。このようにし

    て、事実上、「 貨幣とは何か 」 ということ、す

    なわち貨幣の一般的概念がここで明確に規定さ

    れているのである。

     「金が他の諸商品に貨幣として相対する

    のは、金が他の諸商品にたいしてすでに以

    前から商品として相対していたからにほか

    ならない。すべての他の商品と同じように、

    金もまた、個々別々の交換行為で個別的等

    価物としてであれ、他のいろいろな商品等

    価物と並んで特殊的等価物としてであれ、

    等価物として機能していた。しだいに、金

    は、あるいはより狭いあるいはより広い範

    囲のなかで一般的等価物として機能するよ

    うになった。それが商品世界の価値表現に

    おいてこの地位の独占をかちとったとき、

    それは貨幣商品になる。そして、金がすで

    に貨幣商品になってしまった瞬間から、は

    じめて形態Ⅳは形態Ⅲと区別されるのであ

    り、言いかえれば一般的価値形態は貨幣形

    態に転化しているのである」(27)。

     金が貨幣になるのは、その自然的諸属性が価

    値表現の材料としての機能、すなわち一般的等

    価形態に最も適しているからである。価値は、

    抽象的な労働したがって同等な抽象的人間労働

    の物質化したものであるから、それを表すのに

    適した性質を持っていなくてはならない。金(ま

    たは銀)は、どの部分をとっても均質であり、

    任意に分割したり合成できるので、価値の量的

    マルクス貨幣論の研究(大石)

  • な比較・計量に適している。また、耐久性に富

    んでおり変質しにくいという優れた性質を持っ

    ているため、価値の長期的で安定的な保蔵とい

    う点でも適している。

     金が貨幣商品として機能しているところで

    は、個々の商品、例えばリンネルの単純な相対

    的価値表現は価格形態になる。リンネルの価格

    形態は、

     20エレのリンネル=2オンスの金

    または、もし1オンスの金の貨幣名が1ポンド・

    スターリングであるならば、

     20エレのリンネル=2ポンド・スターリング

    である。こうして、諸商品の価値は、最終的に

    完成した表現形態を得る。

     貨幣形態の概念を把握するうえでの困難は、

    第3形態である一般的価値形態の理解に限られ

    る。第3形態は、逆関係的に第2形態、すなわ

    ち展開された価値形態に解消され、そして第2

    形態の構成要素は、第1形態、x量の商品A=

    y量の商品B から成っている。このことから、

    単純な商品形態は貨幣形態の萌芽であることが

    分かるのである。

     

    第3章 価値形態論に関する諸問題―宇野弘

    蔵氏の問題提起を中心に

     これまで、価値形態論をめぐって提起され、議

    論されてきた論争点は多々ある。「はじめに」で

    書いたように、ここでは宇野弘蔵氏によって提

    起された論点を中心に取り上げ、宇野氏の主張

    の本質について考察する。ただ、宇野氏の経済理

    論は、全体の流れはマルクスの『資本論』とほぼ

    同じように記述されていても、理論構成の枠組

    み、分析の方法および記述された「理論」は、マ

    ルクスのそれとは相当異なっている。そのため、

    価値形態論に関する氏の議論を吟味するに当

    たっては、まず最初に、いわゆる「宇野理論」の

    基本的性格を把握しておくことが有用である。

     宇野氏の手になる『経済原論』(岩波全書版)(28)の冒頭では、マルクスの『資本論』と同じ

    く商品が取り扱われる。そこでは、その方法の

    特徴、認識された内容および理論展開の性格が

    くっきりと浮かび上がっている。それゆえ、私

    たちは、宇野氏の商品論の冒頭部分とマルクス

    のそれを比較することにより、その経済学の方

    法およびそれを用いて得られた理論内容を確認

    するところから始めることにする。

    第1節 宇野氏における商品の2要因の捉え方

     マルクスは、『資本論』全体を3部に分けてい

    る。第1部「資本の生産過程」、第2部「資本の流

    通過程」、そして第3部「資本の総過程」である。

    第1部では、資本の研究に先立って、商品と貨幣

    の考察が行われている。これに対して、宇野氏

    は、マルクスと同じく全体を3つの部に区分し

    ているが、氏の場合には第1篇「流通論」、第2

    篇「生産論」、第3篇「分配論」となっている(29)。

     最初に研究の対象とされる商品は、資本主義

    社会の現実として捉えられ表象の内に取り込ま

    れた幅広い資料・情報、実際にはまた、それら

    を研究して著された経済学的諸文献を批判的に

    検討することによって把握される。マルクスが、

    『資本論』の副題を 「経済学批判 」としたのも、

    このような方法を示すためであるからに他なら

    ない。対象が人間によって直接的に捉えられる

    感性的な認識段階(30)では、商品は流通過程に

    おいて、直接人々の感覚を通して把握されるも

    のとして現れる。あらゆる事物を理論的に把握

    する研究の営みは、まず、このような感性的認

    識のレベルから始まる。

     人間の生活にとって不可欠なもの、すなわち

    富の研究が経済学の対象を成すのであるが、『資

    本論』第1巻第1篇「商品」の冒頭にも記され

    ているように(31)、資本主義社会では、その富が

    「1つの巨大な商品の集まり」として現れ、個々

    の商品がその基本形態として現れる。そのた

    め、富の研究は「個々の商品」の分析から始めら

    れる。商品に基本的な規定を与えるにさいには、

    1つの個別商品が対象におかれ、それに共通す

    る特徴が一般的に分析されなければならない。

     商品は、有用性を持つとともに価格を持って

    おり、その非所有者は価格に示された貨幣と交

    換にでなければ商品を手に入れることはできな

    い。商品および貨幣は、流通過程における、す

    なわち私たちが直接に経験し感性的に認識しう

    40 駒澤大学経済学論集 第 45 巻 第 2号

  • 41

    べき研究対象としての「社会」であるかのよう

    に記述している。氏によると、純粋資本主義社

    会は現実的過程すなわち現実社会からの抽象と

    されているから、純粋資本主義社会なるものは、

    現実の社会から一定の理論的考察を経て抽象さ

    れたものであることになる。現実の資本主義的

    経済関係は、現実の社会に生起する現象を分析

    し、考察するという研究活動をしなければ認識

    されることはない。宇野氏にあっても、現実に

    存在しない観念の構造物を打ち建てようという

    のでない限り、研究にさいして「社会は、前提

    としていつでも表象に浮かんでいなければなら

    ない」(34)はずである。氏は、現実社会と経済理

    論の間に純粋資本主義社会という中間項をおく

    べきではないということが分かる(35)。

     ではこれから、商品に関する宇野氏の理論展

    開を追跡してみよう。ここでは、商品の2要因

    に関する氏の理解を示す『経済原論Ⅱ』(36)「第

    1章 商品」の前半部分を引用する。

    <引用A>

     「商品は、種々異なったものとして、そ

    れぞれ特定の使用目的に役立つ使用価値と

    してありながら、すべて一様に金何円とい

    う価格を有しているということからも明ら

    かなように、その物的性質と関係なく、質

    的に一様で単に量的に異るにすぎないとい

    う一面を有している。商品の価値とは、使

    用価値の異質性に対して、かかる同質性を

    いうのである。それは商品が、その所有者

    にとって、その幾いくばく

    何かによって他の任意の

    商品の一定量と交換せられるべきものであ

    ることを示すものにほかならない。またか

    かるものとして価値を有しているわけであ

    る。ところがそれぞれ特殊の使用価値であ

    るということは、一般的にいって、かかる

    直接的交換を許すものではない。しかも商

    品は、その所有者にとってはすでに使用価

    値として役立てられないからこそ商品と

    なっているのであって、他の使用価値を異

    にする商品と交換せられなければ、自ら使

    用するというようなものではない。すなわ

    ち商品は、その所有者にとって他の商品と

    マルクス貨幣論の研究(大石)

    る過程における、資本形態を構成する2大要素

    である。そのため、資本の流通形態〔G-W-

    G′〕、また資本の概念を分析して正確な規定

    を与えるには、その前にまず商品および貨幣と

    いう鍵となる2要素の概念を流通形態の研究に

    よって明確にすることが必要となる。

     このように、私たちが直接感性的に認識でき

    るのは流通形態であり、したがって流通過程の

    考察によってであるが、商品は生産されること

    によってこの世界に登場する物である。研究は、

    商品の2要因が同じ労働の二重の働きにより生

    産されることを明らかにする。マルクスは、商

    品の生産過程における労働の在り方について、

    特に「第2節 商品に表わされる労働の二重性」

    を設けて詳論した。商品の性質を研究する限り、

    その生産論を避けて通るわけにはいかない。ど

    のような生産関係のもとで、労働の生産物が商

    品という形態を取るのかという点が明らかにさ

    れなければ、商品の社会的性格は明らかにされ

    えない。マルクスの目的は、商品の背後にある

    生産関係を明らかにすることにおかれているか

    らである。

     以上は、マルクスの弁証法的唯物論を基礎と

    した、表象におくものと商品の捉え方である。

    しかしながら、これに対応�