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ワーズワースの自然の概念 17 ワーズワースの自然の概念 ユートピアからエコロジーへ 薬師川面一 1 W・ワーズワース(William Wordsworth 1770-1850)がその最も優れた詩のな 讃えたあの熱烈さは当時の社会的、宗教的大変動によって動転させられていた読者の精神を慰 め、安心させることができたとM・アーノルド(Matthew Arnold 1822-88)が主張した 受けて、自然はワーズワースにとって「当時の科学が示した最悪の状況に対する解毒剤」1と なったとJ・ウイリアムズ(John Williams)は言う。確かに「自然」という概念は「科学」 と対立するものとして位置付けられてきたことは、「自然状態」を「万人の万人にたいする戦 争状態」2と考えたホッブス(Thomas Hobbes 1588-1679)の考えや、人間の状態を「自 状態」「戦争の状態」そして「社会の状態」の三つに分け、「自然の状態」を理想の状態としな がらも、その実現不可能なことを知るJ・ロック(John Locke 1632-1704)が「戦争の状態 を避けるために求あたのが「自然の状態」ではなく、「社会の状態」であった3ことを見る迄 もなく明らかである。その頃自然状態は混乱と無秩序の代名詞であり、それを救うのは科学的、 合理的社会の確立と思われていた。 一七世紀後半に活躍したイギリス経験論哲学者たちにとって、自然はまだ人間に救いをもた らしてくれるものとはなっていなかったと言えるだろう。勿論自然のなかに神の声を神託とし て聞こうとした古代ギリシャの人々以来、自然は人間にとって常に偉大な存在であり、姿であっ た。自然と科学の対立関係が逆転するようになったのは、一八世紀後半、産業革命の時代即ち 機械文明の時代が始まり、フランスでJ.J.ルッソーが出てからのことであろう。 J・プリー ストリー(Joseph Priestley 1733-1804)が「物質と精神」4を書いたとき唯物論的 の弊害を彼は最も憂いていたのであった。S・T・コールリッジ(Samuel Taylor Coleri 1772-1834)が宗教的政治論を基本として、『教会と国家』を理想国家論として著したのも、 科学的物質主義に流されている当時のイギリス文化の未来を憂いてのことであった。 一八世紀初頭「四季の詩」(%e8θαsoηs)(一七三〇)を著したJ・トムソン(James Thomson 1700-48)はその序文に、 「この素晴らしく栄光に満ちた自然の光景を観察すれば、創造主の無限の力と叡知とが、 実に明らかに判るではないか。人間は神に愛でられる身でありながら、理性などという ものによって、どうして不平の声を上げることが出来よう。… 我々に必要なことは、

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ワーズワースの自然の概念 17

ワーズワースの自然の概念

ユートピアからエコロジーへ

薬師川面一

1

 W・ワーズワース(William Wordsworth 1770-1850)がその最も優れた詩のなかで自然を

讃えたあの熱烈さは当時の社会的、宗教的大変動によって動転させられていた読者の精神を慰

め、安心させることができたとM・アーノルド(Matthew Arnold 1822-88)が主張したのを

受けて、自然はワーズワースにとって「当時の科学が示した最悪の状況に対する解毒剤」1と

なったとJ・ウイリアムズ(John Williams)は言う。確かに「自然」という概念は「科学」

と対立するものとして位置付けられてきたことは、「自然状態」を「万人の万人にたいする戦

争状態」2と考えたホッブス(Thomas Hobbes 1588-1679)の考えや、人間の状態を「自然の

状態」「戦争の状態」そして「社会の状態」の三つに分け、「自然の状態」を理想の状態としな

がらも、その実現不可能なことを知るJ・ロック(John Locke 1632-1704)が「戦争の状態」

を避けるために求あたのが「自然の状態」ではなく、「社会の状態」であった3ことを見る迄

もなく明らかである。その頃自然状態は混乱と無秩序の代名詞であり、それを救うのは科学的、

合理的社会の確立と思われていた。

 一七世紀後半に活躍したイギリス経験論哲学者たちにとって、自然はまだ人間に救いをもた

らしてくれるものとはなっていなかったと言えるだろう。勿論自然のなかに神の声を神託とし

て聞こうとした古代ギリシャの人々以来、自然は人間にとって常に偉大な存在であり、姿であっ

た。自然と科学の対立関係が逆転するようになったのは、一八世紀後半、産業革命の時代即ち

機械文明の時代が始まり、フランスでJ.J.ルッソーが出てからのことであろう。 J・プリー

ストリー(Joseph Priestley 1733-1804)が「物質と精神」4を書いたとき唯物論的科学主義

の弊害を彼は最も憂いていたのであった。S・T・コールリッジ(Samuel Taylor Coleridge

1772-1834)が宗教的政治論を基本として、『教会と国家』を理想国家論として著したのも、

科学的物質主義に流されている当時のイギリス文化の未来を憂いてのことであった。

 一八世紀初頭「四季の詩」(%e8θαsoηs)(一七三〇)を著したJ・トムソン(James

Thomson 1700-48)はその序文に、

   「この素晴らしく栄光に満ちた自然の光景を観察すれば、創造主の無限の力と叡知とが、

   実に明らかに判るではないか。人間は神に愛でられる身でありながら、理性などという

   ものによって、どうして不平の声を上げることが出来よう。…  我々に必要なことは、

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18 東海学園大学紀要 第1号

   ひたすら目をあけて我々の周囲の全てのもののなかに神を見ることである。」5

と書いたが、此れはルネサンスの子供F・ベイコン(Francis Bacon 1561-1626)が「自然を

観照することによって、神の神秘に到達しようと、あえて望んではならない」6と言ったとき

からほぼ一世紀後であったことを思うと、理性と科学に目覚めたルネサンスの人々が、再び宗

教に回帰するのに僅か一世紀しか懸からなかったことが判るではないか。人間を中心に据えた

ルネサンスは、しかし、神の栄光を見上げるトムソンと時代を共有しながらベイコンの流れの

中に生きて

   人間は不完全で、神は誤っていると言うのはやめるが良い。

   むしろ人間は人間なりに完全だと言うが良い

   彼の知識は彼の状態と位置とに相応しく

   彼の「時」は一瞬で 彼の「空間」は一点なのだ

   もしある領域で完全であるなら

   早かろうと遅かろうと 現世来世は問題ではない

   今日幸福なものは千年以前の者と同じく完全に幸福なのだ

                 (「人間論」書簡壱・二)7

と唄ったA・ポープ(Alexander Pope1688-1744)は「したがって汝自身を知るが良い 神の

謎を解くなどと思い上がるな 人間の正しい研究題目は人間である」「神になろうとした天使

は落ちたが/天使になろうとする人間は謀反を起こす」と忠告するのであった。ここには人間

のアイデンティティーに対する一片の不安もない。ここには傲慢なほど確固とした人間に対す

る自信がある。一方トムソンの世界には、不完全な被造物としての人間の不安が神への純情な

憧れとなって漂っている。トムソン的自然観とポープ的人間観との綾織りのなかからロゼン派

の世界が開けてくるのであるが、十八世紀後半から始まる産業革命のなかでは、トムソン的純

情は消えて、不安のみが鮮烈に姿を現すことになる。科学的技術社会という姿を取って現われ

る「理性」は、もはやルネサンス時代の輝きを失って、近代人の不安と、社会的危機感の根源

と見られるようになった。「ワーズワースを中心とするロマン派の運動は我々の共通した文化

的生活を維持して行くための能力に対する自信の危機を表現しているだけでなく、この自信の

危機が十八世紀の議論に始まっていることをも表現しているのである」8と見るのが今日の通

念となっている。そしてワーズワースの抱えた危機感は「我々の時代の民族的、文化的、政治

的危機感となって続いているのだ」gとする理解は正しいものといわねばならない。

 だが考えてみれば、太古から自然は常に人々と伴にあり、人々は常に自然から生きる道を教

わってきたのである。

 例えば作者不詳、創作の年次も判らぬ伝承童謡の中でもこのことは明らかであろう。身近な

自然現象として天候に係わる童謡を一つ二つ見てみよう。

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ワーズワースの自然の概念 19

The south wind brings wet weather,

The Ilorth wind wet and cold together;

The west wind always brings us rain,

The east wind blows it back again.

     When clouds are upon the hills,

     They’11 come down by the mills.

雷の嵐に出会ったときの心得も童謡に唄われる。

     Beware of an oak,

     It draws the stroke,

     Avoid an ash,

     It courts the flash,

     Creep under the thorn,

     It will save you from harm.

畑仕事も自然の移り変りに導かれていた。

     When elm leaves are as big as farden,

     You may plant your kidney beans in the garden;

     When elm leaves are as big as shilling,

     It’s time to.plant kidney beans if you’re willing;

     When elm leaves are as big as penny,

     You must plant kidney beans一一if you mean to have any!

 子供達にとって自然は常に身近なものであった。これらの童謡は私達が子供であった頃、下

駄を蹴り上げて明日の天気を占っていたのを思い出させるではないか。明日の天気は子供の下

駄と伴にあったのだ。それが気象観測の人工衛星が打ち上げられ、レーダーで伝えられた天気

図がテレビの画面に映しだされるようになると、子供の下駄も無くなり、こういう童謡も何時

とはなく忘れ去られ、天候の変化や季節の移り変りもコンピューターの世界のものとなってし

まっている。自然とは何であったのか、作者不詳の伝承童謡ではなく、政治や社会の諸問題に

も深く係わり、強烈な個性を持っていた近代の詩人の作品のなかで、自然というものが、我々

人間たちにとって持つ意味を改めて考えてみるのが本稿の目的である。

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20 東海学園大学紀要 第1号

H

 イギリス・ロマン派の詩人たちは多かれ少なかれ、自然を見詰めて唄ってきたといえる。た

とえその自然がπα亡雄απα施rα雄(被生成的自然natured nature)であれ、πα如rαηα鶴rαηs

(生成的自然naturing nature)であれ、詩人の前には常に自然があり、詩人は自然を教師と

して唄ってきたのである。中でも一番自然と密着していた詩人として、ワーズワースの場合を

考えてみることにしよう。確かにワーズワースほど土地と自然とに密着していた詩人はロマン

派詩人たちのなかにも見られないかもしれない。「場所」(place)と「疎外」(displacement)

の意識が彼の世界のキー・ワードであると言えよう。

        The Tables Turned

Up!Up!my Friend, and quit your books;

Or surely you’11 grow double:

Up!Up!my Friend, and clear your Iooks;

Why all this toil and trouble?

The sun, above the mountain’s head,

Afreshening lustre mellow

Through all the Iong green fields has spread,

His first sweet evening yellow.

Books!’tis a dull and endless stife:

Come, hear the woodland linnet,

How sweet his music!on my life,

There’s more of wisdom in it.

And hark!how blithe the throstle sings!

He, too, is no mean preacher:

Come forth into the light of things,

Let Nature be your Teacher.

She has a world of ready wealth,

Our minds and hearts to bless一一

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ワーズワースの自然の概念 21

Spontaneous wisdom breathed by health,

Truth breathed by cheerfulness.

One impulse from a vernal wood

May teach you more of man,

Of moral evil and of good,

Than all t車e sages can.

Sweet is the lore which Nature brings;

Our meddling intellect

Mis-shapes the beautious forms of things:一一

        コWe murder to dissect.

Enough of Science and of Art;

Close up those barren leaves;

Come forth, and bring with you a heart

That watches and receives.

 この詩ほど自然詩人としてのワーズワースを示しているものはないだろう。文字どおりの意

味を辿っていけば、ここには彼のカノンが確固としたかたちで表明されている。「自然を君の

教師とせよ」とか、「人間の小賢しい知性が 物本来の美しい形を汚しているのだ」とか「人

間はなんでもばらして殺しているのだ」とか「科学や技術はもう沢山だ」と言った言葉のなか

には自信に充ち溢れた詩人がいる。ここには「疎外」(displacement)の不安はない。だが、

たしかにS.ギル(Stephen Gill)の言うように「ワーズワースは単なる底抜けの楽天主義を

表現しているのではない。見詰め、受け止めるその心は、人間の命の変らぬ状況が苦しみであ

るということの証明をあらゆる場面で見出だしているのである。」lo太陽は山の端に懸かり、

辺りにをすでに二色に変えた最初の夕日の光が輝いているのである。夕日は間もなく夜の闇を

導くであろう。白日の昼間から暗い夜に変わるしばしの間の榿色に輝く夕べの一瞬はトマス・

グレイ(Thomas Gray 1716-71).のエレジー(“Elegy written in a Country Church Yard”)

の冒頭を思い出させ、詩人のなかに濃ると見えた自信は、はかなくも明るい夕べのように、た

ちまち夜の闇に閉ざされることを予感させるのである。自然はいつまでも人間の教師となり得

るのであろうか、目の前に広がる自然は果たして信ずるに足るものなのだろうか。「科学や技

術はもう沢山だ」とはいえ、それでは何を持って詩人はこの不安に立ち向かえば良いのだろう。

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22 東海学園大学紀要第1号

この白々しい自信に替わるものを唄う言葉を詩人は持っていないのだ。「文学的常套手段や既

存の構造としての感情を放棄するように追い込まれているワー.ズワースは、言葉そのものを奪

われた詩人となる可能性に直面している」11と言うウイリアムズの言葉は正しい。トムソンに

とって目の前の自然は神の栄光を示して.くれる確かなものであった。いま、ワーズワースにとっ

て目の前の自然がトムソン的自然ではありえないにもかかわらず、目の前の自然以外に頼る物

がないとすれば、自然をユートピアとしてみる以外の見方を模索しなければならない。眞に

「形勢は逆転」(“The Tables Turned”)しなければならないのであった。伝承童謡に見られる

ような人間と自然との幸せな共生はもはや期待すべくもない。楽園を追われたアダムとイヴの

ように人間は自然から離れてゆく。

      Lines written in Early Spring

Iheard a thousand blended notes,

While in a grove I sate reclined,

In that sweet mood when pleasant thoughts

Bring sad thoughts to the mind,

To her fair works did nature lillk

The human soul that through me ran;

And much it grieved my heart to think

What man has made of man.

Through primrose-tufts, in that sweet bower,

The periwinkle trailed its wreathes;

And’tis my faith that every flower

Enjoys the air it breathes.

The birds around me hopped and played:

Their thoughts I cannot measure,

But the least motion which they made,

It seemed a thrill of pleasure.

The budding twigs spread out their fan,

To.catch the breezy air,

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ワーズワースの自然の概念 23

And I must think, do all I can,

That there was pleasure there.

If I these thoughts may not prevent,

If such be of my creed the plan,

Have I not reason to lament

What man has made of man?

 楽園に憩う「私」の幸せな心に色々な音の交ざり合った調べが物悲しい思いをもたらすのは

何故だろう。人間が自分の手で作り出してきたものを思うと「私」の心には悲しみが湧いてく

る。What man has made of man。それは必ずしも産業革命の原動力となった機械と、その

結果生まれてきた近代社会だけではない。むしろそれは、都会人という新しい人間であり、科

学人、理性人とも言える存在のことである。草花は芳しい大気を呼吸しているのに、その同じ

大気を呼吸する人間は、なんと変ってしまったことだろう。此処には二重の疎外(displacement)

がある。一つは自然の中での位置の喪失であり、一つは、過去の人間からの疎外である。とこ

ろが、小鳥たちのちょっとした動きにもぞくぞくするような喜びがあるではないか。無条件に

安らぎの中にある小鳥や草花たちに比べて「私」に見られる人間の生きざまはなんと惨めなこ

とか。自然のなかで楽しくくつろいでいても、人間には常に心の隙間風が吹き抜けているので

ある。 “pleasant thoughts/Bring sad thoughts to the mind.”しかし此れは未だしも甘

美な悲しみといえよう。この甘美な悲しみに比べて次の詩に見られる老人の姿はどうだろう。

         Old Man Travelling

     Animal Tranquility alld Decay, A Sketch

     The little hedge-row birds,

That peck along the road, regard him not,

He travells on, and in his face, his step,

His gait, is one expression;every limb,

His look and bending figure, all bespeak

Aman who does not move with pain but moves

With thought一一He is insensibly subdued

To settled quiet:he is one by whom・

All effort seems forgotten, one to whom

Long patience has such mild composure given,

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24 東海学園大学紀要 第1号

That patience now doth seem a thing, of which

He hath no need. He is by nature led

To peace so.perfect, that the young behold

With envy, what the old man hardly feels.

一一hasked him whither he was bound, and what

The object of his journey;he replied

‘Sir!Iam going many miles to take

Alast leave of my son, a mariner,

Who from a sea-fight has been brought to Falmouth,

And there is dying in an hospita1.’

 此処には一人の旅する老人が描かれている。それは決して“sweet mood”を感じさせる姿

ではない。何の苦痛もなく歩む姿は「蛭とりの老人」にも見られる哲人の風格さえ感じられる

のである。長い苦しみの末に到達した柔和さはもはや忍従の苦しみを越えた境地を示している。

だがこの老人が「蛭とりの老人」と異なるところは、後者が崖のうえの岩に例えられるのに対

して、此れは餌を啄ばむ小鳥もこの老人の近付くのに気づきもしないし、気にもしないほど老

人としての存在感、或いは、人間としての存在感が希薄な姿に描かれているところにある。前

の詩で「私」は決してこれほど希薄な存在にはなっていない、「もの悲しい想い」を「甘美な

気分」のなかで味わいながら、「私」は人間として自然に抱かれている喜びに浸っていた。し

かし此処での老人はもはや人間であることを主張すらしていない。此処に描かれる老人は、そ

れはいわば「生きながら死んでいる状態」(Death-in-life)なのである。ワーズワースはそれ

を“Decay”の姿といい、その生命の気配の無い静寂は人間のものではなく、“animal

tranquility”だと見るのである。人間が自然と同化するということは喜びの極致に到ること

ではなく、悲しみの極致に到ることなのだということをこの老人の姿は語っているのではない

か、或いはニコラス・ロウ(Nicholas Roe)の言うようにこの老人にせよ、蛭取りの老人に

せよ、彼らの姿は「生と死の境界を越えたところにある、究極の叡知を備えた」12姿なのでは

ないか。だがそのことをワーズワースはもとより、この老人自身も決して言葉で語ってくれて

はいない。それは言葉で語られるようなことではなく姿でしか示され得ないことなのである。

ワーズワースの“The Thorn”について語るシェイマス・ヒーニー(S6amus Heaney 1939一:

95年度ノーベル文学賞受賞詩人)の言葉にならって言えば、我々は老人の姿を描く言葉を普通

の言葉として読んではならないのである、「自然界に対応する神秘の道、現象を象徴として読

む魔法の態度」(“amagical way of responding to the natural world, of reading phenomena

as signs”)13で読まねばならないのである。その時老人は「一つの力の場」(“a field of

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force”)14となっているのだ。ワーズワースが「墓碑銘」にみた言葉の力も同じことなのであっ

た。その時老人は自身の歴史と、病院で瀕死の床にある息子(“Life-in-Death”)の歴史を全

て結晶させた姿として我々の前に立つ。それは「生きること」の全てを結晶させた姿である。

“Decay”「腐朽」のスケッチのなかにワーズワースはこれだけのことを組み込んでいると読ま

ねばならない。 “The Tables Turned”はここでも見られるのであり、ワーズワースの世界は、

描かれたものを逆転させたとき初めて正しい姿を見せてくれるのである。

 それでは前の作品に見る自然と、老人を飲み込む自然とが同じ自然であるとして、その自然

は老人のように逆転しなくても良いのであろうか。ワーズワースは近代人の姿を自然と対立す

るものとして描き、近代人の苦悩は自然のなかに帰ることによって癒されるように語ってくれ

る。

          自然はかくして

     我らのうちなる心に霊感をあたえ

     静寂と美を印して気高い思いを育み

     悪口も軽率な判断も利己人の嘲りも

     真心に欠けた挨拶の言葉も

     日常生活の味気ない交際も

     我らを挫きえずまた

     我らの目にする一切は祝福に満つという明るい信念を

     乱し得ないようにするのだ

                (「ティンターン寺院上流の詩」より)

 確かにワーズワースの詩に唄われる世界で、自然は近代人或いは都会人の心を癒してくれる

もの、変り無いものとして描かれる。しかし果たして有為転変する近代社会に対し自然は常に

心の故郷として静かに停むものなのだろうか。

 ワーズワースの自然は彼の詩の中にのみ見ていてはいけない。私自身も嘗て『叙情民謡集』

の世界を丹念に読み解く作業をしたとき、その「序文」と『墓碑銘論』15を頼りにしたが、結

果的には逆転の手法を基本にしたパストラル論に落ち着いていた。その後『湖水地方案内』に

惹かれ、その「牧人と農夫との共和国」16幻想に取りつかれて、やはり以前と同じ逆転のパス

トラル論に安住してきたのであるが、J・ベイト(Jonathan Bate)のRo〃Lαπ漉EσoZogッ

を読んで「湖水地方案内』をワーズワースの自然環境論として読み直したとき、自然も又老人

像と同じく逆転されねばならないことに気付いたのである。そこで次に『湖水地方案内』を読

んで彼の自然像に迫ってみよう。此れは従来のワーズワースの自然を扱った論文に殆ど見られ

ない視点ではなかろうか。だがその前に、同じ湖水地方の一部であるグラスミアを描いた作品

「グラスミアの家」“Home At Grasmere”を読んで「案内』にみられる湖水地方の自然と比

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26 東海学園大学紀要 第1号

較出来るようにしておこう。

 この詩の成立には複雑な歴史があり、此処数年来J.ワーズワースを代表とする、いわばオッ

クスフォード学派とでもいわれる人々によって、ワーズワースの作品に対する新しい伝記的研

究が始められ、新しい評価が行なわれているのであるが、今はそのことに係わる事無く考察を

進めていくことにしよう。1

 例によって詩人は自分の少年時代の思い出から語り始める。

     Once on. the brow of yonder Hill I stopped

     While I was yet a Schoo1-boy(of what age

     Icannot well remember, but the hour

     Iwell remember though the year be gone),

     And, with a sudden influx overcome

     Asight of this seclusion, l forgot

     My haste, for hasty had my footsteps been

     As boyish my pursuits;and sighing said,

     ‘What happy fortune were it here to live!

     And if I thought of dying, if a thought

     Of mortal separation could come ill

     With paradise before me, here to die.’

       ●   ●   ●         ●   ●   ●         ●   ●   ●

       ●   ●   ●         ●   ●   ●         ●   ●   ●

                     ;here

     Should be my home, this Valley be my World.

                  (1-12, 42-43)

 ワーズワースがグラスミアに居を定めたとき(1798)以後に書き始められたであろうこの作

品は、当然その背後に彼の当時の心境を潜ませていると考えるべきであろう。98年3月6日J.

W.Tobinに宛てた手紙に「僕はある作品のうち1300行を書き上げた。この詩で僕の持って

いる知識の全てを伝えようと思う。僕の目的は自然、人間、そして社会の姿を描きだすことな

のだ。僕の計画のなかに入らないものは何もないと思う。」(L.84)17と書いているが、とりわ

け彼の注目していたテーマは「今日ではイングランドの北部地方(湖水地方)に殆ど限られて

いるがその辺りに暮らしているクラスの人々の間に見られる日々の心情(domestic affections)

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ワーズワースの自然の概念 27

を描くこと」(L.152)であった。それは何れも社会の底辺で苦しみ、消えていく運命にある

人々の状況なのである。当時の湖水地方は「囲い込み」によって土地を追われた人々が浮浪者

となって往来するところであり、工場労働者という新しい階層が生まれてくる時代であった。

      Yes, the Realities of Life-so cold,

     So cowardly, so ready. to betray,

     So stinted in the measure of their grace, (54-56)

 だが、と言うべきか、だからこそと言うべきか判らないが、ワーズワースはグラスミアの自

然をそのような状況として受け止めていない。

      Embrace me, then, ye Hills, and close me in,

     Now in the clear and open day I feel

     Your guardianship;Itake it to lny heart;

     ’Tis like the solemn shelter of the night.

 グラスミアの谷間は母のように詩人を抱き込んでくれる。まわりの山々に閉ざされた谷間は

エデンの園のように完結した平和の世界である。ジョナサン・ベイトも言うように“Whereas

in the city th6 family is subordinated to the system of getting and spending, in

Grasmere the people are‘embraced’maternally by the hills around.”18なのである。

     Ablended hQlirless of earth and sky,

     Something that makes this individual Spot,

     This small abiding-place of many men,

     Atermillation, and a last retreat,

     ACentre, come from wheresoe’er you will,

     AWhole without dependence or defect,

     Made for itself, and happy in itself,

     Perfect Contelltmellt, Unity entire.   (163-70)

 それは正に閉ざされた庭(1Lor診ω8 COπcl「μSμS)以外の何物で.もない。たとえ彼がその谷間が

「いかなる桃源郷の夢/黄金時代の黄金の空想をも捨て去らせるものだ」(829-30)と唄おうと、

詩人にとってこの谷間はあくまでも聖化された谷間であると言わねばなるまい。「桃源郷の夢、

黄金時代の黄金の空想」を捨て去らせるものは、その谷間の現実の姿(actuality)ではなく、

詩人の心の目に移る真実の姿(reality)なのである。「グラスミアは保養地ではない。現代生

活の細切れにされた不安から息抜きする場所ではない。それは実在するユートピアの象徴でも

ない。それは確固たる代替物である。それは本物の代替物である、なぜなら其処は真の住みか

であるからだ。」1gとK.クローバー(Karl Kroeber)は主張するが、たとえ其処がワーズワー

スの現実の住みかであるとしても、だからといって聖化されていないということにはならない

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28 東海学園大学紀要第1号

だろう.。

            OVale of Peace, we are

     And must be, with God’s wi11, a happy band. (873-4)

 聖化されているからこそ、クローバーも「その谷間では人と自然が相互に浸透し合っている

が故た、その“真のコミュニティ”は人間も獣もともに包み込んでいなければならないのであ

る」20と言えるのではないか。ワーズワースは自然を詩で唄い上げる場合、それを聖化し理

想化する。だがそれが聖化されればされるほど、それは拮抗物を必要とする。“Michae1”と

題された牧歌はその典型的な例であろう。グラスミアの村からグリーン・ヘッドの渓谷を、谷

川に沿って登ったところに羊飼いのマイケルが、妻のイザベル、息子のルークと一緒に幸福な

日々を送っていた。彼らの土地は先祖代々受け継いできたものであり、彼らの生活の技術はど

れもみな、父から子に教え継がれてきたものであった。それはこの地方の湖のように、静かに

生きてきたものである。その様は「案内』のなかに描かれる湖の説明に繋がるものである。

   Ishall now speak of the Lakes of this country.…   it(the lake)1east

  resembles that(the form)of a river.・。・it never assumes the shape of a

  river,・。・as a body of still water ullder the influence of no cur,ent;reflecting

  therefore the clouds, the light, and all the imagery of the sky and surrounding

 「hills;expressing also and making visible the changes of the atmosphere, and

  motions of the lightest breeze,…   .(32)

 変化のなかで停止しているような湖の姿は黄金時代の「時」という、ゆったりとした無限の

流れのなかで続いてきた「牧人と農夫との完壁な共和国」の姿であり、

   the land, which they walked over and tilled, had for mQre毛han five hundred

  years been possessed by men of their name and blood;

                            (68)

なのであった。友人の保証人となったために、大きな負債を背負っても、その土地は他人に渡

すことは出来ない土地なのである。彼は土地を売って負債を払うより、一人息子を異国へ働き.

に出すことを選ぶ。

              if these fields of ours

     Should pass into a Stranger’s hand, I think

     That I could not lie quiet in my grave.

       ●  ●  ●           ●  ●  ●

       ●  ●  ■           ●  ●  ●

     Our Luke sha111eave us, Isabe1;the land

     Shall not go from us, and it shall be free,

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ワーズワースの自然の概念 29

     He shall possess it, free as is the wind

     That passes over it.

                      (240-57)

 こうしてマイケルの家族はやがて崩壊し、後に残ったのは崩れた石積みの羊小屋だけとなる。

土地と共に続いてきたマイケルの家族は土地の故に崩壊する。大地と一体となっていた古い牧

歌の世界はこうして近代の経済機構のなかで崩れていかねばならなかった。牧歌の唄えない時

代にあって、牧歌を創作するためには牧歌的世界の崩壊を唄う以外に方法はない。崩壊した牧

歌的世界を描き、それを逆転させることによって牧歌の復活を目指したワーズワースは、常に

“The tables turned”と我々に語り掛けているのである。崩壊した羊小屋はマイケルー家の

牧歌的世界の拮抗物として見事に崩壊している。

 『湖水地方案内』もこのワーズワース的カウンター・バランスの構図を基礎としているので

ある。確かにそれは現実的案内書であるが、同時にワーズワースはそこにも何時もの手管を用

意していることを忘れてはならない。

 ワーズワースが「案内』を書いた頃イギリスは国内旅行の全盛期を迎えていた。グランド・

ツアーでアルプスの険しくも美しい山岳美の崇高さに打たれたイギリスの人々は。湖水地方の

景観に崇高美に替るピクチュアレスクという美を見出だしていた。崇高美の持つ広大さ・壮大

さに対してピクチュアレスクの美は枠のなかの美であった。人々はクロード・グラスという小

型の凸面鏡をポケットに忍ばせて山歩きをした。景色の良いところへ来るとその鏡を取り出し、

景色を背にして鏡をかざし、凸面鏡の枠内に納まる変形した風景を愛でるのであった。それは

全体の景色ではなく、全体から切り取られた部分の景色なのである。完全な世界でなく、断片

の世界なのであった言えよう。ロマン派の詩人たちに「断片」と呼ばれる作品の多いこととも

何か繋がりを感じさせる現象である。そのような風潮に対してワーズワースの『案内』はきわ

めて意識的に反発する。彼はまず湖水地方の景色を二二する架空の視点を定めることを読者に

求める。1790年9月上旬頃スイス旅行の途中に訪れたルッツェルンで、アルプス地方の4州に

またがる湖水地方を収あた模型図を見たときの記憶を思い出しながら、イギリスの湖水地方の

風景を見る場合「想像の世界で、ある特定の処に身を置くことから始めよう。例えばグレート・

グラベルとかスコーフェルといった山の天辺であっても良い、あるいはむしろこれら二つの山

の間に懸かる雲を足場にすると仮定するほうが良い。…  そうすれば我々は足元に多くの谷

間が伸びているのが見えるだろう。我々が立っていると仮定するその地点から、まるで車の

「こしき」からスポークが広がっているように、八つ以上もの谷が広がっているのだ。」(22)

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30 東海学園大学紀要 第1号

と書き始ある。面白いことに、彼はJ.ウイルキンソン師による湖水地方の美しい風景スケッ

チ集に、求められて附けた「序文」というかたちで名前を隠して書いた初版(1810)の場合、

こういう風に書き出すのであるが、それから十年経った1820年にダドン・ソネット集に付して

出版した時は名前も明記されたが同時に、「湖水地方の地誌的解説」(“Topographical Description

of the Country of the Lakes”)というそれ自身の表題を附けられることとなる。そして

「旅行者に対する指針と情報」と題した序文のような文章を前につけ、初版の時の最初の文章:

は第二章の位置に置かれることになった。さらにその序文のような文章はまず、著者の第一の

願いとして「この案内書或いは手引きは“the Minds of Persons of Taste, and feeling for

Landscape”のために準備された」(1)と書き始めるのである。此処に十年間の間にワーズ

ワースの心に生じた大きな変化を見ることが出来る。

 初版の場合、ワーズワースがまず念頭に置いたのは全体の鳥畷図を求めることであり、それ

はピクチュアレスクという当時流行した概念に対する反発であった。21しかし、十年後のワー

ズワースは当時次々と出版された旅行案内書や、風景前論の姿勢に留まらず、一時的滞在者と

しての旅行者の立場に限定されることなく、その土地に暮らす人として自然を見る姿勢を取り、

政治、社会の全体像をも風景のなかに収めようとする姿勢に拡大されて行く。改訂版の冒頭に

掲げられた“the Minds of Persons of Taste”のためという言葉は大きな意味を持っている

のである。 “taste”という言葉は「趣味」とか「風流心」といった意味ではなく、 F.レイ

ノルズ(Frances Reynolds)が言ったごとく、

   “Taste seems to be an inherent impulsive tendency of the soul

  toward true good, given by nature to all alike,”22

なのであって、“taste”という言葉は「真に善なる状態に向かおうとする強い性向」というよ

うな意味なのである。それは単に真に善なる風景を求めるだけでなく、人、自然、社会、の真

に厭なる状態を求める人々の心おも意味するのであり、そのような人々の為にこの案内書は書

かれたという著者の主張は、我々読者に一つの姿勢を予め求めるものなのである。こういつた

改版による性格の変化は『拝情民謡集』(Lッrεcα♂Bα〃磁s)が改版ごとにその性格を変えていっ

たのと同様のものであり、ワーズワースの作品に往々にして見られる興味深い現象である。

 「真に善なる状態」とは湖水地方の自然の場合、どのようなことを意味するのであろうか。

単なる実用的案内書の域を越えて、我々はワーズワースが求めた真に善なる自然の姿というも

のをこの『案内』に求めねばならない。

 まず我々の注意を惹くのは

  “the traveller, when he reaches a spot deservedly of great celebrity, would find

  it difficult to determine how much of his pleasure is owing to excellence inherent

  in the landscape itself;and how much to an instantaneous recovery from an

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ワーズワースの自然の概念 31

  oppression left upon his spirits by the barrenness and desolation through which

  he has passed.”    (27)

という文章であろう。「風景そのもののなかに内在している素晴らしさ」とは「風景そのもの

の美しさ」と言い換えても良かろう。そして「彼が過ごしてきた不毛と荒廃によって彼の心に

刻まれた抑圧」とはワーズワースにとってJ.ベイッが言うように、「都会にいることと、自

然のなかにいることとの違いが核となっていた」23とすれば、「今までの都会生活のなかで被っ

てきた苦しみ」のことと解すべきであろう。湖水地方の美しい自然は、その美しさが与えてく

れる喜びだけでなく、抑圧からの開放という喜びも与えてくれるというのである。この視点は

諸々の旅行案内には見られぬ視点である。ここには“Home at Grasmere”で読んだ

      Embrace me, then, ye Hills, and close me in,

     Now ill the clear and open day I feel

     Your guardianship;…            (129-31)

という母なる谷間への呼び掛けが木霊している。自然は母であり、

            bright and solemn was the sky

     That faced us with a passionate welcoming,

     And led us to our threshold, to a home

     Within a home,…     (259-62)

“ahome within a home”「家のなかの家」なのである。そして家は“ecology”の“eco”=

“oiko”でもあることを知れば、自然を知ることはエコロジーを考えることになるのは当然の

帰結といえよう。自然をこのような視点から見るとき、自然は風景として見られるだけでなく、

生態系というまとまった世界として見られねばならないことになる。其処では人はもはや一時

の旅人ではなく、そこに生きる植物や獣たちと同じ存在として自然の一員とならねばならない。

   “When the first settlers entered this region…  they found

  it overspread with wood;・・。;the birds and beasts.of prey

  reigned over the meeker species;and theδθ〃μη乙‘離θr oηzπεα

  maintained the balance of Nature in the empire of beasts.”(52)

 やがて彼らはそこに棲み付き家を建て、ストン・ウォールを作り出してその辺りの表情を少

し損なうがそれは“agraceful irregularity”(58)と言えるものであった。人間は耕したり

植えたりして自然を損なうこともあるが、「自然の営みや自然の力と並立し、役立っものでも

あった。」(61)だが、森の木がますます多く切り倒され、その後に成長の早い外来種の木が植

林されるようになると、森の様子は一変する。長い歴史を生きてきた自然の血の繋がりとも言

うべき絆が切れて、コミュニティーとしての生態系のまとまりが崩れる。異種族の侵入に対し

てワーズワースは激しく抵抗するが、それは、「真に善なる状態」とは人工の加わらない状態

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であり、永らく「同じ名前と血をひく人々」(68)の所有する世界であり、その限りでの「優

雅な混乱」は容認されても、「牧人と農夫との完壁な共和国」への外来種の侵入は許されるべ

きではなかった。当然ワーズワースにとって湖水地方への鉄道の建設などは激しく排除されね

ばならないものなのである。

 自然に成長してきた森は様々な成長の度合いを持っていて、その様子は決して一様なもので

はない、しかし、植林は一度に同じ木が植えられることにより、成長も一様になり、多様なた

たずまいの美しさは無くなる。24森の多様な美しさわ失われ、一様な世界が現われる。「人工

的な植林は自然の美しさに太刀打ちできないのだ」(86)植林もそうだが、人々の家も自然の

なかに溶け込むものでなければならない。家の壁の色も、その土地の土の色と同じようにする

ことが大切だ。「原則は家もまわりの風景と調和しなければならないということなのだ」(78)

それに続けて

  “these humble dwellings remind the contemplative spctator of a production of

  Nature, and may rather be said to have grown than to have been erected;一一to

  have risen, by an instinct of their own, out of the native rock一一so little is there

  in them of formality, such is their wildness and beauty.”(62)

この文章は“HQme at Grasmere”の一節を思い出させる。『案内』とこの詩とが深く繋がっ

ていることの証といえよう。

          Thou shalt see

     AHouse, which, at small distance, will appear

     In no distinction to have passed beyond

     Its Fellows, will appear,1ike them, to have grown

     Out of the native Rock;…

更に、次のような試行を読むと、

          Labour here preserves

     His rosy face, a Servant only here

     Of the fire-side or of the open field,

(552-56)

     AFreeman, therefore sound and unimpaired;  (440-44)

その響きが「案内』のぢかの

  “Towards the head of these Dales was found a perfect Republic of Shepherds

  and Agriculturists, among whom the plough of each man was confined to the

  maintenance of his own family, or to the occasional accomodation of his

  neighbour,” (67)

に木霊しているのが聞こえるようだ。 “What man has made of man.”を考えて悲しみに

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ワーズワースの自然の概念 33

耽ったことを考えれば、人間が作るものはすべからく生態系(ecosystem)に合うものでなけ

ればならないということが判る。眞に「原則は簡単だ。何処であれ、自然の心を以て働けば良

い」(89)のである。

 しかし現実にはこのような自然が失われていくことを認めねばならない。

  An artificial appearance has thus been given to the whole, while infinite varieties

  of minute beauty have been destroyed. Could not the margin of this noble island

  be given back to Nature?.(72)

 新しい階層の人々がこの土地を所有することになる。その上、都会生活の苦しみから逃れて

一時間安らぎを求めるために益々多くの旅人たちがこの地を訪れることになる。自然の手にこ

の地を戻すことが不可能なことを彼は痛い程確実に知っている。

  it is probable that in a few years the country on the margin of the Lakes will

  fall almost entirely into the possession of gentry either strangers or natives. It

  is thell much to be wished that a better taste should prevail among these new

  Proprietor忌; ● ● ●, (91)

 ワーズワースは新しい土地の所有者たちによりよいテイストが広がることを願う以外に道の

無いことを知っているのだ。崩壊する生態系は崩壊するマイケルの石積みの羊小屋のように聖

域としてのr完壁な共和国」の存在を痛感させてくれるであろう。

 『湖水地方案内』には彼の詩に唄われているような、聖化された自然もある、だがその一方

で彼はしっかりと現実の自然を見詰めている。そして単に自然の尊とさを唄うだけでなく、こ

の一帯を国の所有として生態系を保護するという、今日の≠ショナル・トラスト運動を先取ウ

した提言を以てこの『案内』を締め括っている。25

 ワーズワースの自然は決して唯宗教的な願いを込めた自然、或いは伝統的なパストラルの世

界を逆転させた世界、更にはルソー的ユートピアでもない。それは聖化された過去への憧れと、

どうしょうもなく失われて行く美しい自然と人間の心を見詰める厳しい現実直視の姿勢との間

に、辛うじて見られる幻想の自然、完全な生態系を持つ自然、なのである。その幻想を見るた

めには我々は正しい“Taste”を持たねばならない。それはシェイマス・ヒーニーが言う、「も

のの奥を見る」力(Seeing Things)と同じものかもしれない。そしてワーズワースの言葉で

言えば、スランバー(slumber)の状態になることによって初めてその姿を見ることが出来る

と言えば良いだろうか。少なくとも、彼の自然はユートピアと見るよりもエコロジーの世界と

見るべきであろう。そこには自然、人間、社会の全てが込められているのである。J.ベイト

の言葉を以て締め括りとしよう

  To go back to nature is not to retreat from politics but to take politics into a

  new domain, the relationship between Love of Nature and Love of Mankind and,

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34 東海学園大学紀要 第1号

conversely, between the Rights of Man and the Rights of Nature.26

 )註1

)2

)3

)4

)5

)6

7)

8)

9)

10)

11)

12)

13)

14)

15)

16)

17)

.18)

19)

20)

John Williams:“lntroduction”to Wor4sωor疏(NθωCα8θδooんs, ed. J. Williamss,

N【acmillan,1993) p.1

Thomas Hobbes:Leviathan『レバイアサン」(中央公論社:世界の名著23巻『ホッブス」)

p.160

John Locke:Two treaties of Government「統治論」(世界の名著27巻『ジョン・ロック』)

p.203.5

Joseph Priestley:7▼加oJogεcα♂αη4 M‘scθ〃απθoμs Wo液s, Vol.皿“Matter and Spirit”

(1777)

Mckillop, A.D.:“Preface to Winter”in 7’んθBαcんgroμηd(ゾTん。配soガs℃θα80πs”

(Hamden, Archen,1961)

Francis Bacon:7んθ、4伽αηcθπLθ漉q〆Lθαr疵η8『学問の進歩』(世界の名著『ベイコン」)

p。252

A.Pope:0πMαπ『人間論」(平凡社「世界名詩集大成」9巻 イギリス 1)(二)

John Williams:“Introduction”op. c‘ム, p..5

John Williams:1うεd。, p.6

Stephen Gi11:W「‘〃‘αηL WPorゴsωor読,ノ1 L加(Oxford Lives,1989)Pp.139-40

John Williams:op. cε‘., p.11

Nicholas Roe:“Protest and Poetry 1793-1798:Jacobin Poems?”in Wor4sωor‘んed.

by J.Williams,.New Casebooks(Macmillan,1993)p.57

Seamus Heaney:Prθσoωpαだ。ηs(Faber&Fとber,1980,1990)p.51

Seamus Heaney:1配d., p.51

William Wordsworth:“Essays Upon Epitaphs”in 7んθProsθWorんs(ゾ慨ZZ‘αηL

Wordsωorεんed, by W, J, B, Owen and J. W. Smyser(Oxford At the Clarendon Press,

1974)Pp.45-119

“aperfect Republic of Shepherds and Agriculturists”G厩(!θご。‘んθムαんθs Fifth edition

1835ed. by E. de Selincourt(Oxford,1970)p.67 cf, First edition,1810, p. xvii

W.Wordsworthの手紙は7んεLθご‘θr8 q/W‘〃‘α㎜αηd Doro坂y Wordsωor読ed. by E. de

Selincourt, reviseδby A.G.Hi11(Oxford Clarendon Pr.1988一)による。以下整理番号を引用

の末尾に付す。

Jonathan Bate:RoηLαπ’εc EooZo8:y(Routledge,1991) p,21

Karl Kroeber:“‘Home at Grasmere’:Ecological Holiness”in Cr漉。αJ Essαッs oπ

WεZZεα肌Wordsωor‘んed., by George H, Gilpin(G.K.Ha11&Co.,1990, reprinted

from PML489,1974)p.182

          :  1δ‘(1., p,183

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v-X7--xoemaouek 35 '21) Jonathan Bate: qp. cit., p.45

"Where earlier guide writers adopted the picturesque tourist's point of view and

rarely descended from their stations, Wordsworth's approach was holistic: he moved

from nature to the natives, exploring the relationship between land and inhabitant;

ts e-- '22) Frances Reynolds: An Enquiry Concerning the Principles of Taste and of the Origin

of our Idea of Beauty (London, MDCCLXXXV, Garland Publishing Incl, 1972) p.35

23) Jonathan Bate:op. cit., p.21 ・ "For Wordsworth, the distinction between being,in the city and being in nature is

cardinal' ' ' '." '24) cf. Wordsworth: Guide

"Other trees have been introduced within these last fifty years, such as beeches,

larches, limes, etc., and plantation of firs, seldom with advantage, and often with

great injury to the appearance, of the country; ' ' '." p.44

"among the most peaceful subjects of Nature's kingdom, everywhere discord,

distraction, and bewilderment! But,this deformity, bad as it is, is not so obtrusive

as the small patches and large tracts of larch-plantations that are overrunning the

hill-sides." p.84-5

25) see Guide "In this wish the author will be joined by persons of pure taste throughout

the whole island, who, by their visits (often repeated) to the Lakes in the North of

England, testify that they deem the district a sort of national property, in which

every man has a right and interest who has an eye to perceive and a heart to enjoy."

p. 92

26) Jonathan Bate: (rp. cit., p.33

'