仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続...-180-...

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-178- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 ガナチャクラから見た 仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 SHIZUKA Haruki 貪欲行の二つの形態 集団的な修法 現実態としての曼荼羅 個人・閉集団の行法 大印契 の行法 三種の行〈戯論・無戯論・極無戯論〉 はじめに 前号では,仏教タントリズムの修道論の根幹に貪欲行があることを明らかにし,集団的な修 法として現れる貪欲行の術語を,ガナ曼荼羅( )とガナチャクラ( )とし て提示した。それについて,「それが果たして仏教と言えるのか」と言う疑問を寄せられるむ きもあろう。しかし貪欲行を基本とする修道こそが仏教タントリズムのタントリズムたる所以 であり,仏教タントリストたちは「酒と肉食(悪食)と性瑜伽」を主な構成要素とするこのよ うな集会を仏教の正統な修法・行法と信じて大真面目に定期的に行っていたのである。そこで 問題は聚輪に代表される仏教徒の集会が無上瑜伽階梯に独自な修道論の那辺に位置づけられて いるかを明らかにすることが次の課題となるであろう。以下に述べる拙論はこうした問題意識 の下に書かれた試論である。先ずはガナ曼荼羅( )とガナチャクラ(以下,聚輪と 略)の術語で現れる集団的修法の相互関係を検討する。 貪欲行の二つの形態 1. 集団的な修法 現実態としての曼荼羅 筆者は前号において,仏教タントリズムの修道におけるメルクマールを貪欲行(性瑜伽)の

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Page 1: 仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続...-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

-178- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

ガナチャクラから見た

仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

静  春 樹

SHIZUKA Haruki

貪欲行の二つの形態

 1��集団的な修法

  現実態としての曼荼羅�����������・ ・������・

 2��個人・閉集団の行法

  大印契�������������の行法- -

三種の行〈戯論・無戯論・極無戯論〉

はじめに

 前号では,仏教タントリズムの修道論の根幹に貪欲行があることを明らかにし,集団的な修

法として現れる貪欲行の術語を,ガナ曼荼羅(�����������・ ・������)とガナチャクラ(��・ ���������)とし・

て提示した。それについて,「それが果たして仏教と言えるのか」と言う疑問を寄せられるむ

きもあろう。しかし貪欲行を基本とする修道こそが仏教タントリズムのタントリズムたる所以

であり,仏教タントリストたちは「酒と肉食(悪食)と性瑜伽」を主な構成要素とするこのよ

うな集会を仏教の正統な修法・行法と信じて大真面目に定期的に行っていたのである。そこで

問題は聚輪に代表される仏教徒の集会が無上瑜伽階梯に独自な修道論の那辺に位置づけられて

いるかを明らかにすることが次の課題となるであろう。以下に述べる拙論はこうした問題意識

の下に書かれた試論である。先ずはガナ曼荼羅(�����������・ ・������)とガナチャクラ(以下,聚輪と・

略)の術語で現れる集団的修法の相互関係を検討する。

貪欲行の二つの形態

1. 集団的な修法

現実態としての曼荼羅�����������・ ・������・

 筆者は前号において,仏教タントリズムの修道におけるメルクマールを貪欲行(性瑜伽)の

導入とその実践と規定した。この貪欲行は複数男女瑜伽者による集団的修法と瑜伽者個人の行

法の二つに分けて考えることができる。仏教徒たちの集団的修法は多かれ少なかれ儀礼という

側面をもち,集会(������)の形で行われた。ここではまず集会(集団的な修法)を取り上げて-

論じることにする。

 まず本題にはいる前に,準備的な作業として,訳語の問題に触れておきたい。現在に残され

ているチベット語訳された仏教文献の量に比べて,手許にあって利用可能なサンスクリット写

本は極めて僅かである。このサンスクリット写本の信頼性はひとまず置くとして,それらが正

確にチベット語の術語に訳出されているかが大きな問題である。特にここで論じている��������・

���・������(以下,ガナ曼荼羅������������������ )と��・ ���������(�����������������)の場合には文・

脈に応じた理解が不可欠である。その一例を見ると,一般に「七部成就書」として一纏めにさ

れているタントラ文献群の内の『般若方便決定成就』には,次の偈頌がある。

それにより,悲に満ちあふれ,(弟子を)利益せんとの意楽ある,具吉祥金剛阿闍梨は,

弟子に悲愍を発して,聖衆のマンダラに呼び入れ1,(17偈)

 ここに現れる「聖衆のマンダラ」(�����������・ ・������)は,選ばれた特定の曼荼羅が要請する男女・

瑜伽者で構成される生身の曼荼羅であっても,導師である金剛阿闍梨と弟子によって共有され

ている共同観念の物象化である「憑代」の曼荼羅(三昧耶曼荼羅)であってもよい。ところが

この術語は,チベット語訳の当該箇所では�����������������として,つまり�����������「聚輪」・

と訳されている。テキストはこのあと,ガナ曼荼羅に招き入れられた弟子が秘密灌頂・般若智

慧灌頂および許可を授かるプロセスが記述されていく。この箇所はチベット語訳が誤訳である

ことを現存のサンスクリット原典で確かめ得る稀な例であるが,私たちは,聚輪の場で灌頂が

行われることは基本的にはないという背景知識を先行してもっていなければならない。この誤

訳例からこれとは反対の可能性,つまり�����������が�����������・ ・ ・������と訳される場合,あるいは,��・

���������が�����������������以外の訳語をもつ場合があるだろうことを常に念頭に置いて冷静に・

対応しなければならない。

 本題に入って,いくつかのタントラ文献に現れるガナ曼荼羅の用例を見ていくことにしたい。

先ずは多くの研究者によって母タントラの最初期に位置することで合意を見ている『サマヨー

ガ』では以下のごとくに説かれている2。

〔修行者〕自身の〔依止する女〕尊と似ている女性たちをよく獲得して,福分ある者は自

らの印契〔女〕によって標幟となったガナの曼荼羅を観察すべし。

-179-京都精華大学紀要 第二十三号

Page 2: 仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続...-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

-178- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

ガナチャクラから見た

仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

静  春 樹

SHIZUKA Haruki

貪欲行の二つの形態

 1��集団的な修法

  現実態としての曼荼羅�����������・ ・������・

 2��個人・閉集団の行法

  大印契�������������の行法- -

三種の行〈戯論・無戯論・極無戯論〉

はじめに

 前号では,仏教タントリズムの修道論の根幹に貪欲行があることを明らかにし,集団的な修

法として現れる貪欲行の術語を,ガナ曼荼羅(�����������・ ・������)とガナチャクラ(��・ ���������)とし・

て提示した。それについて,「それが果たして仏教と言えるのか」と言う疑問を寄せられるむ

きもあろう。しかし貪欲行を基本とする修道こそが仏教タントリズムのタントリズムたる所以

であり,仏教タントリストたちは「酒と肉食(悪食)と性瑜伽」を主な構成要素とするこのよ

うな集会を仏教の正統な修法・行法と信じて大真面目に定期的に行っていたのである。そこで

問題は聚輪に代表される仏教徒の集会が無上瑜伽階梯に独自な修道論の那辺に位置づけられて

いるかを明らかにすることが次の課題となるであろう。以下に述べる拙論はこうした問題意識

の下に書かれた試論である。先ずはガナ曼荼羅(�����������・ ・������)とガナチャクラ(以下,聚輪と・

略)の術語で現れる集団的修法の相互関係を検討する。

貪欲行の二つの形態

1. 集団的な修法

現実態としての曼荼羅�����������・ ・������・

 筆者は前号において,仏教タントリズムの修道におけるメルクマールを貪欲行(性瑜伽)の

導入とその実践と規定した。この貪欲行は複数男女瑜伽者による集団的修法と瑜伽者個人の行

法の二つに分けて考えることができる。仏教徒たちの集団的修法は多かれ少なかれ儀礼という

側面をもち,集会(������)の形で行われた。ここではまず集会(集団的な修法)を取り上げて-

論じることにする。

 まず本題にはいる前に,準備的な作業として,訳語の問題に触れておきたい。現在に残され

ているチベット語訳された仏教文献の量に比べて,手許にあって利用可能なサンスクリット写

本は極めて僅かである。このサンスクリット写本の信頼性はひとまず置くとして,それらが正

確にチベット語の術語に訳出されているかが大きな問題である。特にここで論じている��������・

���・������(以下,ガナ曼荼羅������������������ )と��・ ���������(�����������������)の場合には文・

脈に応じた理解が不可欠である。その一例を見ると,一般に「七部成就書」として一纏めにさ

れているタントラ文献群の内の『般若方便決定成就』には,次の偈頌がある。

それにより,悲に満ちあふれ,(弟子を)利益せんとの意楽ある,具吉祥金剛阿闍梨は,

弟子に悲愍を発して,聖衆のマンダラに呼び入れ1,(17偈)

 ここに現れる「聖衆のマンダラ」(�����������・ ・������)は,選ばれた特定の曼荼羅が要請する男女・

瑜伽者で構成される生身の曼荼羅であっても,導師である金剛阿闍梨と弟子によって共有され

ている共同観念の物象化である「憑代」の曼荼羅(三昧耶曼荼羅)であってもよい。ところが

この術語は,チベット語訳の当該箇所では�����������������として,つまり�����������「聚輪」・

と訳されている。テキストはこのあと,ガナ曼荼羅に招き入れられた弟子が秘密灌頂・般若智

慧灌頂および許可を授かるプロセスが記述されていく。この箇所はチベット語訳が誤訳である

ことを現存のサンスクリット原典で確かめ得る稀な例であるが,私たちは,聚輪の場で灌頂が

行われることは基本的にはないという背景知識を先行してもっていなければならない。この誤

訳例からこれとは反対の可能性,つまり�����������が�����������・ ・ ・������と訳される場合,あるいは,��・

���������が�����������������以外の訳語をもつ場合があるだろうことを常に念頭に置いて冷静に・

対応しなければならない。

 本題に入って,いくつかのタントラ文献に現れるガナ曼荼羅の用例を見ていくことにしたい。

先ずは多くの研究者によって母タントラの最初期に位置することで合意を見ている『サマヨー

ガ』では以下のごとくに説かれている2。

〔修行者〕自身の〔依止する女〕尊と似ている女性たちをよく獲得して,福分ある者は自

らの印契〔女〕によって標幟となったガナの曼荼羅を観察すべし。

-179-京都精華大学紀要 第二十三号

Page 3: 仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続...-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

する生身の女性が印契女として獲得され,彼女たちによって形成される現実の曼荼羅がガナ曼

荼羅として観察され,集団的な修法において用いられる。

 前号で引用した『ヘーヴァジュラ二儀軌』〈飲食品〉において,ガナ曼荼羅はさらに明確な

姿を現す。この箇所3に見られる〈ガナ曼荼羅〉は,定まった日に,ある特定の地を選んで行

なわれる集会であり,八人の瑜伽女と�������尊の役を演じる阿闍梨の合計九名を最少の必要人

員とする現実態としての曼荼羅である。その曼荼羅(集会)は,入壇を願う弟子の参加をもっ

て,実際に転じられるのであり,飲食と性の饗宴をその実態とするものであることがわかる。

この曼荼羅を構成する八人の女性はヘーヴァジュラ曼荼羅の八女尊に相応する生身の瑜伽女で

ある。つまり観念された曼荼羅の尊格の数と等しい瑜伽女たちが女尊に扮して,観念の曼荼羅

の構成どおりに空間的な場所を占め,その中央に主尊であるヘーヴァジュラ尊に扮した金剛阿

闍梨が座す。端的に言えば「マスゲーム」のようなイメージで現実に形成される曼荼羅である。

集会はこのあと,阿闍梨が弟子を曼荼羅に引き入れ,彼の目を布で覆い,ついで弟子に曼荼羅

を見ることを許すという順番で灌頂の次第が述べられている。チベット仏教ゲルク派の開祖ツ

ォンカパ(1357�1419)は「曼荼羅の尊格の数と等しい男女の瑜伽者がそれぞれの尊格の衣裳を

身に着けてガナ曼荼羅に住して」とガナ曼荼羅の性格を記述している。これはプトゥンの「聚

輪儀軌」にも明確に見られることである4。

他の(聚輪に)集まるに値する者とは,灌頂を既に受けており,三昧耶と禁戒に住して,

二つの道次第の三摩地を具え,合図と合図のお返し,印契と印契のお返しなど聚輪の儀軌

に適ったことを根本としている者について,ある曼荼羅をガナの曼荼羅のあり方として成

就する場合には,ある曼荼羅で灌頂を受け,その曼荼羅の二次第の三摩地が明らかである

〔そのような〕その曼荼羅の尊格と等しい数の勇者と瑜伽女であり,(後略)

 以上から仏教徒たちの共同観念として意識内に存在する曼荼羅が,現実の空間に生身の男女

瑜伽者として外化したものがガナ曼荼羅であると定義できる。このガナ曼荼羅こそ生身のシン

ボルを用いて仏教タントリストたちが『金剛頂経』以来追求してきた真実在との合一を意味す

る「即身成仏」の場5(集会)であって,無上瑜伽階梯のインド密教にオリジナルな修法である。

しかし無上瑜伽階梯における仏教徒たちの多くは,成就法や生起次第により,観念と実在の境

界を無きが如くに往来し,現実の存在と観念的存在とを二重化する。彼らは特定の「もの」を

尊格のシンボル(標幟)として,集会の場に曼荼羅を「現成」させることができる。これは三

昧耶曼荼羅であるが,こうした観念の物象化である「憑代」の例が『ヘーヴァジュラ二儀軌』

〈金剛王出現品〉に見られる6。そこでは八人の瑜伽女を曼荼羅へ招入するに先だって,阿闍

梨が曼荼羅を描く次第が説かれる。この曼荼羅を構成する獅子・比丘・車輪・金剛杵・刀剣・

太鼓・亀・蛇は八女尊の標幟(�������������)である。集会はこの後,「12歳か16歳の華鬘と宝石で・ ・

身を飾った八人の大楽の明妃」が曼荼羅に迎えられ,瑜伽者によって供養され,引き続き弟子

への灌頂が執り行われる。この場合は先の例のように八人の瑜伽女が「マスゲーム」のような

曼荼羅を形成しておらず,標幟の曼荼羅と,女尊を体現し瑜伽者の供養の対象となる瑜伽女の

集団とは外見的には別な存在となっている。しかしこの場合であっても,集会の場にガナ曼荼

羅が現成していること,集会自体がガナ曼荼羅であることは言うまでもない。

 以上述べてきたことから集会の内的本質(中核)としてのガナ曼荼羅は仏教徒たちにとって

はどこまでも本源的であることが理解されなければならない。さもなければ仏教徒たちのこの

種の集会は単なる「お祭り騒ぎ」や「���������」と変わらないものになってしまおう。仏教

徒たちの集会が集団的な修法である所以は,その根幹にこうしたガナ曼荼羅が現成している限

りにおいてなのである。つまりガナ曼荼羅は根源的なユニットとして仏教徒の集会を支えてい

ると性格づけられるものである。

 ここで�����������「聚輪」とガナ曼荼羅の術語をできる限り明確に区別しておきたい。仏教徒・

たちが組織した集団的修法である聚輪はガナ曼荼羅を内に基本的なユニットとして包含するが,

それ以外の別な内実を併せ持つ儀礼複合としての集会である。つまり聚輪はそのユニットとし

てガナ曼荼羅(現実態としての曼荼羅)の構成およびそれに対する供養法を含む。あまたの聚

輪儀軌において,たとえ明確な曼荼羅の構成についての記述がなされていない場合であっても,

参加している男女瑜伽者は現実の曼荼羅を構成しているとの意識で行っている(曼荼羅を転じ

ている)ことが重要である。

 ところがいくつかの文献においては,ガナ曼荼羅が聚輪として解釈されている場合がある。

先に引用した『ヘーヴァジュラ二儀軌』〈飲食品〉では,明らかに�����������・ ・������と記述されてい・

るにもかかわらず,後世の註釈家たちの多くは同タントラの当該箇所を聚輪として理解してい

る。つまりユニットとしてのガナ曼荼羅が聚輪と外延を等しくしている事態である。この問題

は仏教タントリストたちの集会の歴史的推移に則して解明される必要がある。

 しかしユニットとしてのガナ曼荼羅が,聚輪とは異なった儀礼複合である灌頂儀礼の前段を

構成している場合には,ガナ曼荼羅の形成とそれに対する供養が金剛阿闍梨と弟子たちの集団

内で行われるだけで,広く仏教タントリストに呼びかけて行う,飲食を主要な構成ユニットと

する大人数な聚輪とはならないことが留意されなければならない。

 あるいはまた後に述べるように,無戯論である大印契の行の場合には,一人の金剛阿闍梨と

-181-京都精華大学紀要 第二十三号

Page 4: 仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続...-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

する生身の女性が印契女として獲得され,彼女たちによって形成される現実の曼荼羅がガナ曼

荼羅として観察され,集団的な修法において用いられる。

 前号で引用した『ヘーヴァジュラ二儀軌』〈飲食品〉において,ガナ曼荼羅はさらに明確な

姿を現す。この箇所3に見られる〈ガナ曼荼羅〉は,定まった日に,ある特定の地を選んで行

なわれる集会であり,八人の瑜伽女と�������尊の役を演じる阿闍梨の合計九名を最少の必要人

員とする現実態としての曼荼羅である。その曼荼羅(集会)は,入壇を願う弟子の参加をもっ

て,実際に転じられるのであり,飲食と性の饗宴をその実態とするものであることがわかる。

この曼荼羅を構成する八人の女性はヘーヴァジュラ曼荼羅の八女尊に相応する生身の瑜伽女で

ある。つまり観念された曼荼羅の尊格の数と等しい瑜伽女たちが女尊に扮して,観念の曼荼羅

の構成どおりに空間的な場所を占め,その中央に主尊であるヘーヴァジュラ尊に扮した金剛阿

闍梨が座す。端的に言えば「マスゲーム」のようなイメージで現実に形成される曼荼羅である。

集会はこのあと,阿闍梨が弟子を曼荼羅に引き入れ,彼の目を布で覆い,ついで弟子に曼荼羅

を見ることを許すという順番で灌頂の次第が述べられている。チベット仏教ゲルク派の開祖ツ

ォンカパ(1357�1419)は「曼荼羅の尊格の数と等しい男女の瑜伽者がそれぞれの尊格の衣裳を

身に着けてガナ曼荼羅に住して」とガナ曼荼羅の性格を記述している。これはプトゥンの「聚

輪儀軌」にも明確に見られることである4。

他の(聚輪に)集まるに値する者とは,灌頂を既に受けており,三昧耶と禁戒に住して,

二つの道次第の三摩地を具え,合図と合図のお返し,印契と印契のお返しなど聚輪の儀軌

に適ったことを根本としている者について,ある曼荼羅をガナの曼荼羅のあり方として成

就する場合には,ある曼荼羅で灌頂を受け,その曼荼羅の二次第の三摩地が明らかである

〔そのような〕その曼荼羅の尊格と等しい数の勇者と瑜伽女であり,(後略)

 以上から仏教徒たちの共同観念として意識内に存在する曼荼羅が,現実の空間に生身の男女

瑜伽者として外化したものがガナ曼荼羅であると定義できる。このガナ曼荼羅こそ生身のシン

ボルを用いて仏教タントリストたちが『金剛頂経』以来追求してきた真実在との合一を意味す

る「即身成仏」の場5(集会)であって,無上瑜伽階梯のインド密教にオリジナルな修法である。

しかし無上瑜伽階梯における仏教徒たちの多くは,成就法や生起次第により,観念と実在の境

界を無きが如くに往来し,現実の存在と観念的存在とを二重化する。彼らは特定の「もの」を

尊格のシンボル(標幟)として,集会の場に曼荼羅を「現成」させることができる。これは三

昧耶曼荼羅であるが,こうした観念の物象化である「憑代」の例が『ヘーヴァジュラ二儀軌』

〈金剛王出現品〉に見られる6。そこでは八人の瑜伽女を曼荼羅へ招入するに先だって,阿闍

梨が曼荼羅を描く次第が説かれる。この曼荼羅を構成する獅子・比丘・車輪・金剛杵・刀剣・

太鼓・亀・蛇は八女尊の標幟(�������������)である。集会はこの後,「12歳か16歳の華鬘と宝石で・ ・

身を飾った八人の大楽の明妃」が曼荼羅に迎えられ,瑜伽者によって供養され,引き続き弟子

への灌頂が執り行われる。この場合は先の例のように八人の瑜伽女が「マスゲーム」のような

曼荼羅を形成しておらず,標幟の曼荼羅と,女尊を体現し瑜伽者の供養の対象となる瑜伽女の

集団とは外見的には別な存在となっている。しかしこの場合であっても,集会の場にガナ曼荼

羅が現成していること,集会自体がガナ曼荼羅であることは言うまでもない。

 以上述べてきたことから集会の内的本質(中核)としてのガナ曼荼羅は仏教徒たちにとって

はどこまでも本源的であることが理解されなければならない。さもなければ仏教徒たちのこの

種の集会は単なる「お祭り騒ぎ」や「���������」と変わらないものになってしまおう。仏教

徒たちの集会が集団的な修法である所以は,その根幹にこうしたガナ曼荼羅が現成している限

りにおいてなのである。つまりガナ曼荼羅は根源的なユニットとして仏教徒の集会を支えてい

ると性格づけられるものである。

 ここで�����������「聚輪」とガナ曼荼羅の術語をできる限り明確に区別しておきたい。仏教徒・

たちが組織した集団的修法である聚輪はガナ曼荼羅を内に基本的なユニットとして包含するが,

それ以外の別な内実を併せ持つ儀礼複合としての集会である。つまり聚輪はそのユニットとし

てガナ曼荼羅(現実態としての曼荼羅)の構成およびそれに対する供養法を含む。あまたの聚

輪儀軌において,たとえ明確な曼荼羅の構成についての記述がなされていない場合であっても,

参加している男女瑜伽者は現実の曼荼羅を構成しているとの意識で行っている(曼荼羅を転じ

ている)ことが重要である。

 ところがいくつかの文献においては,ガナ曼荼羅が聚輪として解釈されている場合がある。

先に引用した『ヘーヴァジュラ二儀軌』〈飲食品〉では,明らかに�����������・ ・������と記述されてい・

るにもかかわらず,後世の註釈家たちの多くは同タントラの当該箇所を聚輪として理解してい

る。つまりユニットとしてのガナ曼荼羅が聚輪と外延を等しくしている事態である。この問題

は仏教タントリストたちの集会の歴史的推移に則して解明される必要がある。

 しかしユニットとしてのガナ曼荼羅が,聚輪とは異なった儀礼複合である灌頂儀礼の前段を

構成している場合には,ガナ曼荼羅の形成とそれに対する供養が金剛阿闍梨と弟子たちの集団

内で行われるだけで,広く仏教タントリストに呼びかけて行う,飲食を主要な構成ユニットと

する大人数な聚輪とはならないことが留意されなければならない。

 あるいはまた後に述べるように,無戯論である大印契の行の場合には,一人の金剛阿闍梨と

-181-京都精華大学紀要 第二十三号

Page 5: 仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続...-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

-182- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

弟子の集団によって,ガナ曼荼羅を構成する特定数の瑜伽女たちとする修行が述べられるが,

これまた大衆集会である聚輪とは性格を異にする。従ってガナ曼荼羅と聚輪とは対立概念では

なく,仏教徒たちの集会における全体と部分の関係としてとらえられるものである。

2. 個人・特定のグループの行法

大印契�������������の行法- -

 これまでは,貪欲行を根底におく仏教タントリストたちの行の内,集団的な修法について述

べ,集団的な修法が儀礼としての側面をもつことからタントリストの集会の核に存在するガナ

曼荼羅の性格を規定した。この章では,タントリストである一個人,あるいは導師とその弟子

(の集団)が為す行法に焦点を当てて述べることにする。

 集団的な修法とは位相を異にするタントリストの個人的な行法の典型は『ヘーヴァジュラ二

儀軌』第一カルパ第六章〈行品〉に見られる。瑜伽者は夜分に独樹の下・墓場・女神の祠堂・

人けの無い場所で修習を行う。彼は先ず瑜伽のパートナーを選んで獲得する。巻き上げた髪を

冠にまとめ,五仏を表す五つの髑髏の鬘を身に着け,金剛杵・鈴・髑髏杖をもつ瑜伽者は,金

剛歌を唱い舞踏を為す。彼の常に飲むのは薬草であり精液である。

このような行法における瑜伽者のパートナーとなる女性がマハームドラー(�������������以下,- -

大印契と略)(明妃とも呼ばれる)であって,『秘密集会タントラ』には以下の如く説かれてい

る。

愛らしくみめ麗しい,十六歳になる娘を得て,香と花で飾って,その真中で〔その者を〕

愛欲すべし。智者はその紐帯を着けた〔娘〕をマーマキーとして加持すれば,仏の位すな

わち快適なるものを放出することになり,虚空界は荘厳されるであろう。(第四章19�20偈7)

みめ麗しい,十六歳になる娘を得て,加持の三句をもって,密かに供養を始めるべし。如

来の大いなる妃であるローチャナー等として観想すべし。二根交会によって仏〔となる〕

悉地を得ることになろう。(第七章17�18偈8)

 続いて『ヘーヴァジュラ二儀軌』から理想的なパートナー(印契女)の描写および彼女とす

る大印契の行について説いた箇所を引用する。先ずは,世俗諦として(生身)の大印契の容

姿・行儀について質問する瑜伽女たちに答えて,世尊は以下のように述べる。

生身の大印契は,背は高すぎず,低すぎず,あまり黒くも,白くもなく蓮華の弁に似た色

である。彼女の息は甘く,汗は麝香のように心地よい。女陰は刹那ごとに異なった蓮華

(�����������������������)の香りあるいは甘いアロエ樹の香りを放つ。〔性向は〕毅然とし-

ており決して気まぐれではない。話しぶりは耳に心地よく素晴らしい。艶のある髪をもち,

それを腰の周りに三重に巻き着けている。彼女の姿態と性質は蓮華女(�����������)として知-

られる。そのような明妃を獲得して,瑜伽者は倶生歓喜を自性とする成就を得る。(第二

カルパ第八章〈教授品〉10�15偈)

 このように瑜伽者(仏教タントリスト)が個人として為す行法は,貪欲行として先ず,性瑜

伽のパートナーとなる大印契の選別から始まるものである。この印契女の社会的な出身階層に

ついては以下の如くである。   

(略)この場合,心(阿�)部を基準として述べられている。������なる賎民階級の娘,12

歳(ときに16歳ともいう),信勤念定慧の五徳を備え,青蓮華のような美しい眼をもち,

智慧は大,他の丈夫に貪著せず,成就者に非常な信解をもち誠信を捧げるもの,真言とタ

ントラを学び,精通せんとするものでなければならぬ。(中略)身(���������)部の場合は

染物師,語(����������)部のそれは舞芸人の娘とせられる。いずれにしても栴陀羅部族等-

最下層の階級の出身の娘が選ばれる。このことはタントラ仏教が立脚し,背景とした社会,

或はインドのカーストに関する事情の一端を知らしめるものとして興味がある。

 この引用は羽田野(1987)が聖者流の基本典籍のなかで最も古いものの一つとされる『略集

次第』の解説のなかで,『秘密集会タントラ』所説の生起次第において,初加行三摩地を開い

た四支成就の内の「大成就」について述べた箇所である。ここからも父・母の別なく仏教タン

トリストたちが依拠した階層9が明らかになる。こうした階層の女性をパートナーとして行う

瑜伽がまさしく個人的的行法としての大印契の行である。同時にこのことからも集団的修法で

あり饗宴でもある聚輪は,それとは明らかに性格と起源を異にしていることが納得されるであ

ろう。この問題を出来るかぎり歴史的に遡って検討してみたい。無上瑜伽階梯の成立初期に重

要な役割を果たした人物にパドマヴァジュラ(サロルーハ)がいる。文献学的にも未だ同定で

きていない人物10であるが,以下は『七部成就書』のうち彼のものとされる『秘密成就11』から

の引用である。

タントラのなかに12卑賎な身分の女のとても驚くべき成就法が説かれている。そこでしっ

かりと獲得された通りにそれ(成就法)を説こう。生まれを明示させるものをかなぐり捨

-183-京都精華大学紀要 第二十三号

Page 6: 仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続...-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

-182- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

弟子の集団によって,ガナ曼荼羅を構成する特定数の瑜伽女たちとする修行が述べられるが,

これまた大衆集会である聚輪とは性格を異にする。従ってガナ曼荼羅と聚輪とは対立概念では

なく,仏教徒たちの集会における全体と部分の関係としてとらえられるものである。

2. 個人・特定のグループの行法

大印契�������������の行法- -

 これまでは,貪欲行を根底におく仏教タントリストたちの行の内,集団的な修法について述

べ,集団的な修法が儀礼としての側面をもつことからタントリストの集会の核に存在するガナ

曼荼羅の性格を規定した。この章では,タントリストである一個人,あるいは導師とその弟子

(の集団)が為す行法に焦点を当てて述べることにする。

 集団的な修法とは位相を異にするタントリストの個人的な行法の典型は『ヘーヴァジュラ二

儀軌』第一カルパ第六章〈行品〉に見られる。瑜伽者は夜分に独樹の下・墓場・女神の祠堂・

人けの無い場所で修習を行う。彼は先ず瑜伽のパートナーを選んで獲得する。巻き上げた髪を

冠にまとめ,五仏を表す五つの髑髏の鬘を身に着け,金剛杵・鈴・髑髏杖をもつ瑜伽者は,金

剛歌を唱い舞踏を為す。彼の常に飲むのは薬草であり精液である。

このような行法における瑜伽者のパートナーとなる女性がマハームドラー(�������������以下,- -

大印契と略)(明妃とも呼ばれる)であって,『秘密集会タントラ』には以下の如く説かれてい

る。

愛らしくみめ麗しい,十六歳になる娘を得て,香と花で飾って,その真中で〔その者を〕

愛欲すべし。智者はその紐帯を着けた〔娘〕をマーマキーとして加持すれば,仏の位すな

わち快適なるものを放出することになり,虚空界は荘厳されるであろう。(第四章19�20偈7)

みめ麗しい,十六歳になる娘を得て,加持の三句をもって,密かに供養を始めるべし。如

来の大いなる妃であるローチャナー等として観想すべし。二根交会によって仏〔となる〕

悉地を得ることになろう。(第七章17�18偈8)

 続いて『ヘーヴァジュラ二儀軌』から理想的なパートナー(印契女)の描写および彼女とす

る大印契の行について説いた箇所を引用する。先ずは,世俗諦として(生身)の大印契の容

姿・行儀について質問する瑜伽女たちに答えて,世尊は以下のように述べる。

生身の大印契は,背は高すぎず,低すぎず,あまり黒くも,白くもなく蓮華の弁に似た色

である。彼女の息は甘く,汗は麝香のように心地よい。女陰は刹那ごとに異なった蓮華

(�����������������������)の香りあるいは甘いアロエ樹の香りを放つ。〔性向は〕毅然とし-

ており決して気まぐれではない。話しぶりは耳に心地よく素晴らしい。艶のある髪をもち,

それを腰の周りに三重に巻き着けている。彼女の姿態と性質は蓮華女(�����������)として知-

られる。そのような明妃を獲得して,瑜伽者は倶生歓喜を自性とする成就を得る。(第二

カルパ第八章〈教授品〉10�15偈)

 このように瑜伽者(仏教タントリスト)が個人として為す行法は,貪欲行として先ず,性瑜

伽のパートナーとなる大印契の選別から始まるものである。この印契女の社会的な出身階層に

ついては以下の如くである。   

(略)この場合,心(阿�)部を基準として述べられている。������なる賎民階級の娘,12

歳(ときに16歳ともいう),信勤念定慧の五徳を備え,青蓮華のような美しい眼をもち,

智慧は大,他の丈夫に貪著せず,成就者に非常な信解をもち誠信を捧げるもの,真言とタ

ントラを学び,精通せんとするものでなければならぬ。(中略)身(���������)部の場合は

染物師,語(����������)部のそれは舞芸人の娘とせられる。いずれにしても栴陀羅部族等-

最下層の階級の出身の娘が選ばれる。このことはタントラ仏教が立脚し,背景とした社会,

或はインドのカーストに関する事情の一端を知らしめるものとして興味がある。

 この引用は羽田野(1987)が聖者流の基本典籍のなかで最も古いものの一つとされる『略集

次第』の解説のなかで,『秘密集会タントラ』所説の生起次第において,初加行三摩地を開い

た四支成就の内の「大成就」について述べた箇所である。ここからも父・母の別なく仏教タン

トリストたちが依拠した階層9が明らかになる。こうした階層の女性をパートナーとして行う

瑜伽がまさしく個人的的行法としての大印契の行である。同時にこのことからも集団的修法で

あり饗宴でもある聚輪は,それとは明らかに性格と起源を異にしていることが納得されるであ

ろう。この問題を出来るかぎり歴史的に遡って検討してみたい。無上瑜伽階梯の成立初期に重

要な役割を果たした人物にパドマヴァジュラ(サロルーハ)がいる。文献学的にも未だ同定で

きていない人物10であるが,以下は『七部成就書』のうち彼のものとされる『秘密成就11』から

の引用である。

タントラのなかに12卑賎な身分の女のとても驚くべき成就法が説かれている。そこでしっ

かりと獲得された通りにそれ(成就法)を説こう。生まれを明示させるものをかなぐり捨

-183-京都精華大学紀要 第二十三号

Page 7: 仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続...-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

-184- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

ててガナの自在者の姿に作ってから誰にも知られない別な地方13に入るべきである。ガナ

の標幟を身につけて頭髪を剃らせて,しかし一房だけは粗く結った髻を作って残し持ち,

ルドラークシャ草と綺麗な水晶を交互に混ぜ合わせた下半身まで垂れ下った頚飾りを首に

懸けて,�美しい臂輪と腕輪神々しい火花の集まりに充ちたもの,額には三本の標と人差し

にはタームラ(銅色)の刻印された指輪を注意深く作って,また陰部には前に垂れ下った

〔布の〕切れ端を着けて小箱と鉄鉢を肩にくくり着けて,四肢を飾ったガナの自在者の姿

に作って脇の下をべールで覆って最低の種姓の住居に入り込むべきである。(1�7偈)

 ジュニャーナパーダの弟子といわれるパドマヴァジュラ14の『秘密成就』からは,仏教徒た

ちにとって卑賎な階層(不可触民)出身の女性が瑜伽のパートナー,つまり個人的な行法の相

手として必須の要件であるという認識があったことが判明する。さらに何らかの規範をもって

形成されている不可触民の集団(ガナ)に自由に出入りし,そこに居着いている男性瑜伽者の

存在とその形姿が明らかになる。パドマヴァジュラはこのあとパートナーと二人でする大印契

の行法を詳細に述べる。ところで『秘密集会タントラ』に基づいて作られたといわれるパドマ

ヴァジュラのこの『秘密成就』からは,根本タントラである『秘密集会タントラ』の場合と同

様に,母タントラに特有な下層・アウトカーストの女性たちの集団についての記述,およびそ

の集団とする仏教徒たちの集会(饗宴)についての記述は見当らない。したがって引用文に現

れる「ガナの自在者」が不可触民たちの集団と通底しているであろう瑜伽者や瑜伽女たちのガ

ナ(集団)で指導的役割を果たす集団的修法の起源についての記述はそれ以外の文献に求めざ

るを得ない。

 ところで先に『秘密集会タントラ』と『ヘーヴァジュラ二儀軌』に印契女(大印契・明妃)

を見たように,無上瑜伽階梯のタントラであるかぎり父タントラも母タントラも個人的な行法

である大印契の行は共通にもつ。しかし集団的修法の典型である聚輪に代表される集会は母タ

ントラ起源であり,それに特有の修法と考えるべきである。この下層・アウトカーストの出身

とされる特定の女性と為す大印契の行法と,聚輪に代表され瑜伽女やダーキニーと目される女

性たちとの仏教徒の集会(集団的修法)は明白に区別されるものである。『秘密集会タントラ』

に基づく究竟次第を説く『五次第』の註釈書であるアールヤデーヴァ著『行合集灯』は,この

区別を簡潔に以下のように述る15。

この『秘密集会タントラ』のなかでは,「無戯論」と「極無戯論」の場だけが説かれてい

るので,いま「有戯論」の行は『吉祥なる一切仏と等同なる瑜伽ダーキニージャーラサン

ヴァラ』と名づける大瑜伽タントラに入るべきであって,(後略)

 以上のように述べて彼はこの後『サマヨーガ・タントラ』のウッタラタントラ16を引用しそ

の意趣釈の形で集団的修法である聚輪を説いていく。このように,『秘密集会タントラ』聖者

流17の代表格の一人,アールヤデーヴァは,『秘密集会タントラ』には「無戯論」・「極無戯論」

の(グループとなった印契女やパートナーであるひとりの大印契とする)行法は存在しても,

「有戯論」つまり歌舞飲食をユニットにもつ大衆集会(饗宴),すなわち不特定多数による大

規模な集団的な修法は存在しない。戯論は母タントラの独壇場であるとして,母タントラ文献

の最初に来るとされる『サマヨーガ・タントラ18』に詳細を委ねているのである。この見解を

踏まえて次章では,無上瑜伽階梯における独自な〈行〉の体系を述べていきたい。

〈行〉における戯論・無戯論・極無戯論

1.アールヤデーヴァ『行合集灯』

 まずインド密教において無上瑜伽階梯の学匠たちが組織化した〈行〉の体系の要約を知るた

めに,ここではチベット仏教におけるツォンカパの見解を引用する。彼は「タントラの王,秘

密集会の究竟次第たる『五次第を一頂座に円満する赤註19』」のなかで以下の如くに要約してい

る。

(略)そのうち戯論とは,曼荼羅の尊格の数と等同なる男女の瑜伽者が,尊格としてそれ

ぞれの衣裳を身に着けたガナ曼荼羅に住してから,初加行(���������)〔三摩地〕などの三-

種三摩地によって実修して,羯摩最勝王〔三摩地〕の時に印契と印契のお返しと歌と踊り

と歌と踊りのお返しなどの所作である大規模な戯論を一日に四座行うことである。無戯論

とは羯摩最勝王〔三摩地〕の時に舞踏とそのお返しなどの所作である戯論に入ってから五

妙楽において行うことである。そのうち,広大なものは,曼荼羅の尊格の数と等同なるも

ので,中位のものは,五人の羯摩印母(印契女)のもので,簡単なものは一人の羯摩印母

を伴ったガナ曼荼羅によって為すのである。極無戯論とは,飲食と大小便を排泄しに行く

とき以外は智印を用いて不断に二人が光明と融化して,修習を為すことにより時を過ごす

のである。

 このようにツォンカパは,戯論と無戯論を『秘密集会タントラ』聖者流の生起次第における

三種三摩地の内の「羯摩最勝王三摩地」に位置づけて説いている。さて,この章で主に取り上

げるアールヤデーヴァは『行合集灯』で〈行〉を三種類に区別して以下のように20定義してい

-185-京都精華大学紀要 第二十三号

Page 8: 仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続...-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

-184- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

ててガナの自在者の姿に作ってから誰にも知られない別な地方13に入るべきである。ガナ

の標幟を身につけて頭髪を剃らせて,しかし一房だけは粗く結った髻を作って残し持ち,

ルドラークシャ草と綺麗な水晶を交互に混ぜ合わせた下半身まで垂れ下った頚飾りを首に

懸けて,�美しい臂輪と腕輪神々しい火花の集まりに充ちたもの,額には三本の標と人差し

にはタームラ(銅色)の刻印された指輪を注意深く作って,また陰部には前に垂れ下った

〔布の〕切れ端を着けて小箱と鉄鉢を肩にくくり着けて,四肢を飾ったガナの自在者の姿

に作って脇の下をべールで覆って最低の種姓の住居に入り込むべきである。(1�7偈)

 ジュニャーナパーダの弟子といわれるパドマヴァジュラ14の『秘密成就』からは,仏教徒た

ちにとって卑賎な階層(不可触民)出身の女性が瑜伽のパートナー,つまり個人的な行法の相

手として必須の要件であるという認識があったことが判明する。さらに何らかの規範をもって

形成されている不可触民の集団(ガナ)に自由に出入りし,そこに居着いている男性瑜伽者の

存在とその形姿が明らかになる。パドマヴァジュラはこのあとパートナーと二人でする大印契

の行法を詳細に述べる。ところで『秘密集会タントラ』に基づいて作られたといわれるパドマ

ヴァジュラのこの『秘密成就』からは,根本タントラである『秘密集会タントラ』の場合と同

様に,母タントラに特有な下層・アウトカーストの女性たちの集団についての記述,およびそ

の集団とする仏教徒たちの集会(饗宴)についての記述は見当らない。したがって引用文に現

れる「ガナの自在者」が不可触民たちの集団と通底しているであろう瑜伽者や瑜伽女たちのガ

ナ(集団)で指導的役割を果たす集団的修法の起源についての記述はそれ以外の文献に求めざ

るを得ない。

 ところで先に『秘密集会タントラ』と『ヘーヴァジュラ二儀軌』に印契女(大印契・明妃)

を見たように,無上瑜伽階梯のタントラであるかぎり父タントラも母タントラも個人的な行法

である大印契の行は共通にもつ。しかし集団的修法の典型である聚輪に代表される集会は母タ

ントラ起源であり,それに特有の修法と考えるべきである。この下層・アウトカーストの出身

とされる特定の女性と為す大印契の行法と,聚輪に代表され瑜伽女やダーキニーと目される女

性たちとの仏教徒の集会(集団的修法)は明白に区別されるものである。『秘密集会タントラ』

に基づく究竟次第を説く『五次第』の註釈書であるアールヤデーヴァ著『行合集灯』は,この

区別を簡潔に以下のように述る15。

この『秘密集会タントラ』のなかでは,「無戯論」と「極無戯論」の場だけが説かれてい

るので,いま「有戯論」の行は『吉祥なる一切仏と等同なる瑜伽ダーキニージャーラサン

ヴァラ』と名づける大瑜伽タントラに入るべきであって,(後略)

 以上のように述べて彼はこの後『サマヨーガ・タントラ』のウッタラタントラ16を引用しそ

の意趣釈の形で集団的修法である聚輪を説いていく。このように,『秘密集会タントラ』聖者

流17の代表格の一人,アールヤデーヴァは,『秘密集会タントラ』には「無戯論」・「極無戯論」

の(グループとなった印契女やパートナーであるひとりの大印契とする)行法は存在しても,

「有戯論」つまり歌舞飲食をユニットにもつ大衆集会(饗宴),すなわち不特定多数による大

規模な集団的な修法は存在しない。戯論は母タントラの独壇場であるとして,母タントラ文献

の最初に来るとされる『サマヨーガ・タントラ18』に詳細を委ねているのである。この見解を

踏まえて次章では,無上瑜伽階梯における独自な〈行〉の体系を述べていきたい。

〈行〉における戯論・無戯論・極無戯論

1.アールヤデーヴァ『行合集灯』

 まずインド密教において無上瑜伽階梯の学匠たちが組織化した〈行〉の体系の要約を知るた

めに,ここではチベット仏教におけるツォンカパの見解を引用する。彼は「タントラの王,秘

密集会の究竟次第たる『五次第を一頂座に円満する赤註19』」のなかで以下の如くに要約してい

る。

(略)そのうち戯論とは,曼荼羅の尊格の数と等同なる男女の瑜伽者が,尊格としてそれ

ぞれの衣裳を身に着けたガナ曼荼羅に住してから,初加行(���������)〔三摩地〕などの三-

種三摩地によって実修して,羯摩最勝王〔三摩地〕の時に印契と印契のお返しと歌と踊り

と歌と踊りのお返しなどの所作である大規模な戯論を一日に四座行うことである。無戯論

とは羯摩最勝王〔三摩地〕の時に舞踏とそのお返しなどの所作である戯論に入ってから五

妙楽において行うことである。そのうち,広大なものは,曼荼羅の尊格の数と等同なるも

ので,中位のものは,五人の羯摩印母(印契女)のもので,簡単なものは一人の羯摩印母

を伴ったガナ曼荼羅によって為すのである。極無戯論とは,飲食と大小便を排泄しに行く

とき以外は智印を用いて不断に二人が光明と融化して,修習を為すことにより時を過ごす

のである。

 このようにツォンカパは,戯論と無戯論を『秘密集会タントラ』聖者流の生起次第における

三種三摩地の内の「羯摩最勝王三摩地」に位置づけて説いている。さて,この章で主に取り上

げるアールヤデーヴァは『行合集灯』で〈行〉を三種類に区別して以下のように20定義してい

-185-京都精華大学紀要 第二十三号

Page 9: 仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続...-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

-186- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

る。

さて貪欲から生じた菩提行は三種であり,それは以下の如く戯論と無戯論と極無戯論と言

われる。そのうち有戯論の行とは何かと言えば,それは如来と持金剛の慰めとして,説示

どおりの一切如来の広大なアラリ(遊戯)であるもの,それが有戯論である。無戯論とは

何かと言えば,不断に広範に遍充した行為によって,ある者について遊戯であるもの,そ

れが無戯論である。極無戯論とは何かと言えば,一切の煩わしい執着を遠離してから,た

だ禅定という食物に住する者が智印との等至によって修習すること,それが極無戯論であ

る。例えば薪を燃やすと灰になり,ターラの葉を燃やすと灰になり,綿を燃やすと灰にな

って,三種ともが灰になるのである。まさしく同様に,三種の行のどれであっても大〔持〕

金剛の位が成就するのである。

 『行合集灯』はその末尾の三章のうち,第九章が戯論の行,第十章が無戯論の行,第十一章

が極無戯論の行に配当されている。インド後期密教を席巻したと言われる聖者流において,『行

合集灯』が占める重要性を考えると,作者アールヤデーヴァの行についての見解には聞くに値

する多くのものがあると考えてよい。同書は全体が金剛弟子の請問,それに対する金剛阿闍梨

の返答と説示で進められていく。第九章はまず無上瑜伽階梯の行が貪欲行であることを明確に

し,〈色〉などの感官の対境を享受する五妙楽が宣揚される。続いて上述したとおり,父タン

トラの根本典籍である『秘密集会タントラ』には,無戯論と極無戯論の行は説かれていても,

集団的な修法である戯論の行は存在しないことを認める。そして母タントラの最初の典籍であ

る『サマヨーガ・タントラ』の集団的な修法について説かれた箇所を意趣釈する形で戯論の内

実である聚輪を転じる手続きや仲間内だけが分かり合う「秘密の言葉」や「身振り」と言った

所作を解説している。そして最後に,「遊戯の戯論は虚空の如く,また辺際無き大海に等しい

と弟子に教えるためにただ事柄のみを取り上げた。貪欲の教説は幾たび生まれかわれば説くこ

とができようか」と戯論の行を讃歎して,「『吉祥なる一切仏平等瑜伽ダーキニー網サンヴァラ』

の儀則によって,菩薩行にして法源の現等覚である戯論の行集の疑念を断ずるものにして第九

章21」と述べて,戯論の行の説示は『サマヨーガ』に依ったことを明言している。

 つぎに第十章においては,タントラで説かれている意に適った場所で,説示どおりの地下室

を浄めそこに観想で無量宮を生起して,印契女を伴った金剛阿闍梨と弟子のグループが行う大

印契の行が説かれる22。

(略)そこで処女にして堅くしまり大きな乳房の十六歳の女性であって,旃陀羅女・洗濯

カーストの女・華鬘づくりカーストの女・笛づくりカーストの女・伎芸カーストの女,あ

るいは四肢が欠けていない女性,親族の婦人やその他の女性を獲得して,つぎに妄分別の

無いことを自性とする大瑜伽者が自身を一切の存在の自性として示すために世間人が貶め

る食物にたいして,三昧耶として浄化などの次第で調えて,世間人の相に縁じることを放

棄して,秘密の場所に住して食するべきである。このように印契を縛することなく,曼荼

羅も無く,〔護摩の〕火炉も無く,塔廟も無く,書物も読まず,〔苦行による〕身体の苦痛

も無く,布や木や石の影像に頂礼することなく,声聞・縁覚を依所と憶念せず,日・瞬

間・星宿〔の吉・不吉〕に拘ることを為さず,これら一切を内の自性だけで円満するので

ある。もし資財が乏しくて摂集した曼荼羅を円満することができないならば,そこで修行

者は五つの大真実を自性とする者によってでも,無戯論の行を実修するべきであって,(後

略)

と述べて,色金剛女・声金剛女・香金剛女・味金剛女・触金剛女の五人の役割をもつ印契女に

限定する性瑜伽を説く。さらにまたこれらの五人が揃わない場合には触金剛女だけとの瑜伽で

あってもよいとして,その理由として,一切如来は修行者の身体曼荼羅の内に集会しているの

に対して,すべての女尊は触金剛女の身体曼荼羅の内に集会しているとする。こうした『行合

集灯』の所説を祖述したものがこの章の冒頭に述べたツォンカパの無戯論についての記述であ

ろう。

 以上から,無戯論の内実は羯摩印母(生身の印契女)で形成されるガナ曼荼羅23を所依とす

る大印の契の行であると定義できよう。

 最後に第十一章,極無戯論の行について本稿との関連で重要な部分を引用する。

(略)その故に生身の女性を遠離して,心中に育まれた智印(観念上の印契女)と倶なる

等至によってより速疾に大持金剛位を円満すると積極的に縁じて単独で以下に説かれる次

第どおりに瞑想するべきである24。

(略)このような順序で教証と理証により證得を本性とする一切諸仏の母を決定してから,

対象への染着と一切の遊戯を投げ捨てて,「�������の行」がこの次第で為されるのであっ

て,その次第とは以下である。���とは食べることであり,〔そのときだけ〕それを憶念し

て,〔それ以外は〕世間的な執着を遠離し,苦行と制戒といったものは何であれ思念して

はいけないのである。��とは睡眠であって,識別のために明の特徴づけられたものを直接

眼前に作らずに,無明という鈎のあり方をした識を得り返し展開させ,無垢を自性とする

-187-京都精華大学紀要 第二十三号

Page 10: 仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続...-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

-186- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

る。

さて貪欲から生じた菩提行は三種であり,それは以下の如く戯論と無戯論と極無戯論と言

われる。そのうち有戯論の行とは何かと言えば,それは如来と持金剛の慰めとして,説示

どおりの一切如来の広大なアラリ(遊戯)であるもの,それが有戯論である。無戯論とは

何かと言えば,不断に広範に遍充した行為によって,ある者について遊戯であるもの,そ

れが無戯論である。極無戯論とは何かと言えば,一切の煩わしい執着を遠離してから,た

だ禅定という食物に住する者が智印との等至によって修習すること,それが極無戯論であ

る。例えば薪を燃やすと灰になり,ターラの葉を燃やすと灰になり,綿を燃やすと灰にな

って,三種ともが灰になるのである。まさしく同様に,三種の行のどれであっても大〔持〕

金剛の位が成就するのである。

 『行合集灯』はその末尾の三章のうち,第九章が戯論の行,第十章が無戯論の行,第十一章

が極無戯論の行に配当されている。インド後期密教を席巻したと言われる聖者流において,『行

合集灯』が占める重要性を考えると,作者アールヤデーヴァの行についての見解には聞くに値

する多くのものがあると考えてよい。同書は全体が金剛弟子の請問,それに対する金剛阿闍梨

の返答と説示で進められていく。第九章はまず無上瑜伽階梯の行が貪欲行であることを明確に

し,〈色〉などの感官の対境を享受する五妙楽が宣揚される。続いて上述したとおり,父タン

トラの根本典籍である『秘密集会タントラ』には,無戯論と極無戯論の行は説かれていても,

集団的な修法である戯論の行は存在しないことを認める。そして母タントラの最初の典籍であ

る『サマヨーガ・タントラ』の集団的な修法について説かれた箇所を意趣釈する形で戯論の内

実である聚輪を転じる手続きや仲間内だけが分かり合う「秘密の言葉」や「身振り」と言った

所作を解説している。そして最後に,「遊戯の戯論は虚空の如く,また辺際無き大海に等しい

と弟子に教えるためにただ事柄のみを取り上げた。貪欲の教説は幾たび生まれかわれば説くこ

とができようか」と戯論の行を讃歎して,「『吉祥なる一切仏平等瑜伽ダーキニー網サンヴァラ』

の儀則によって,菩薩行にして法源の現等覚である戯論の行集の疑念を断ずるものにして第九

章21」と述べて,戯論の行の説示は『サマヨーガ』に依ったことを明言している。

 つぎに第十章においては,タントラで説かれている意に適った場所で,説示どおりの地下室

を浄めそこに観想で無量宮を生起して,印契女を伴った金剛阿闍梨と弟子のグループが行う大

印契の行が説かれる22。

(略)そこで処女にして堅くしまり大きな乳房の十六歳の女性であって,旃陀羅女・洗濯

カーストの女・華鬘づくりカーストの女・笛づくりカーストの女・伎芸カーストの女,あ

るいは四肢が欠けていない女性,親族の婦人やその他の女性を獲得して,つぎに妄分別の

無いことを自性とする大瑜伽者が自身を一切の存在の自性として示すために世間人が貶め

る食物にたいして,三昧耶として浄化などの次第で調えて,世間人の相に縁じることを放

棄して,秘密の場所に住して食するべきである。このように印契を縛することなく,曼荼

羅も無く,〔護摩の〕火炉も無く,塔廟も無く,書物も読まず,〔苦行による〕身体の苦痛

も無く,布や木や石の影像に頂礼することなく,声聞・縁覚を依所と憶念せず,日・瞬

間・星宿〔の吉・不吉〕に拘ることを為さず,これら一切を内の自性だけで円満するので

ある。もし資財が乏しくて摂集した曼荼羅を円満することができないならば,そこで修行

者は五つの大真実を自性とする者によってでも,無戯論の行を実修するべきであって,(後

略)

と述べて,色金剛女・声金剛女・香金剛女・味金剛女・触金剛女の五人の役割をもつ印契女に

限定する性瑜伽を説く。さらにまたこれらの五人が揃わない場合には触金剛女だけとの瑜伽で

あってもよいとして,その理由として,一切如来は修行者の身体曼荼羅の内に集会しているの

に対して,すべての女尊は触金剛女の身体曼荼羅の内に集会しているとする。こうした『行合

集灯』の所説を祖述したものがこの章の冒頭に述べたツォンカパの無戯論についての記述であ

ろう。

 以上から,無戯論の内実は羯摩印母(生身の印契女)で形成されるガナ曼荼羅23を所依とす

る大印の契の行であると定義できよう。

 最後に第十一章,極無戯論の行について本稿との関連で重要な部分を引用する。

(略)その故に生身の女性を遠離して,心中に育まれた智印(観念上の印契女)と倶なる

等至によってより速疾に大持金剛位を円満すると積極的に縁じて単独で以下に説かれる次

第どおりに瞑想するべきである24。

(略)このような順序で教証と理証により證得を本性とする一切諸仏の母を決定してから,

対象への染着と一切の遊戯を投げ捨てて,「�������の行」がこの次第で為されるのであっ

て,その次第とは以下である。���とは食べることであり,〔そのときだけ〕それを憶念し

て,〔それ以外は〕世間的な執着を遠離し,苦行と制戒といったものは何であれ思念して

はいけないのである。��とは睡眠であって,識別のために明の特徴づけられたものを直接

眼前に作らずに,無明という鈎のあり方をした識を得り返し展開させ,無垢を自性とする

-187-京都精華大学紀要 第二十三号

Page 11: 仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続...-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

-188- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

清浄光明を直接眼前に作るのである。��とは糞尿を排泄するために小舎(厠)に行くこと

であり,〔そのときだけ〕それを憶念して,〔それ以外は〕世間的な執着を遠離し,身体と

感受の対象と感覚器官の本性を思念しないことである25。

(略)かくの如く卑小な世間の悉地と超世間的な八大悉地を得ようと努めるべきではない

のであって,それは心が散乱して〔再び〕転退してしまうからである26。

 アールヤデーヴァが「貪欲から生じた菩提行は三種であり」と定義しているように,先ず第

一にこの極無戯論の行も貪欲行であることを念頭に置く必要がある。つまり極無戯論の行とは

「生身の印契女を遠離して,心中に育まれた智印(観念上の印契女)と倶なる等至による大印

契の行であり,一切智者性を獲得するために,世間的な超能力(悉地)の獲得を追い求めるこ

となく,やむを得ない生理的要求以外は一切の世間的な執着を遠離して集注した瑜伽によって

速疾に大持金剛位を円満する行法」と定義できるであろう。従って,『行合集灯』における

〈行〉の三種類とは内容的には,集団的修法である戯論と個人的・少人数で行う大印契の行法

の二カテゴリーの構成になる。後者は無戯論が生身の瑜伽女である羯摩印母を用い,極無戯論

が瑜伽者の観念所成である智印を用いる点に相違が見られる。さらに現実的な所作の有無の点

からすれば,ツォンカパが要約しているように,戯論と無戯論が一つのカテゴリーにまとまり,

それに極無戯論が対立するという構図となる。アールヤデーヴァは,続いてこの極無戯論の行

を〈瘋狂の誓戒〉(������������)と関係させて説いているが,この〈瘋狂の誓戒〉に住する瑜

伽者の行儀の具体相を津田博士の和訳によって『サンヴァローダヤ・タントラ』〈行説示品〉

に見る。

〈瘋狂の誓戒〉に依止する者は,(風に)翻へされたる木の葉の如くに,尸林に,或は独

標に,或は独樹に,或はまた森にさまようべし。或は山の頂に,或は河岸に,或は大洋の

岸辺に,或は遊園に,或は壊れたる坑に,楼閣に,或は空屋に,四辻に,或は城市の門に,

王の門に,或はまた(隠者の)小屋に,マーダンガ女と牛飼女の住居に,女工芸者の家に,

(或はその他)隠密なる場所にさまようべし。彼は,捨てられて路上に落ちている供花の

残りで,(或は)尸林に(残された)或はリンガへの供花の残りなる(萎れた花)で(自

己の)身体をかざるべし(14�17偈)。(彼が)話すことは(真言を)誦することなりと言わ

れ,手を動かすことは印契を結ぶことに他ならず。無分別の加行を以て瑜伽者は意のおも

むくままに住すべし。一切の疑惑を放棄した瑜伽者は獅子の如くに行くべし。或はまた,

〈不動の誓戒〉に依止して瑜伽行を行ずべし。空虚なる庭園或は家に,悪しき村に,悪し

き評判のある家に,〈沈黙の瑜伽〉によって,得ただけのものをもって住すべし。眠りつつ,

行きつつ,或はとどまりつつ,醒めている時でも,醒めていない時でも,彼は彼が得るも

のを食す。しかも(彼の)心は食物に集注せるに非ず。(19�22偈)

 このような極無戯論の行が先に説かれた戯論・無戯論と比較して優れている点についてアー

ルヤデーヴァは以下のように述べる。

(略)この順番で身の曼荼羅に住する如来の集団を殺すべきであり,真如に住させてから

福分者の悉地が獲得されるのであり,戯論と無戯論の行と見比べるまでもなく,より速疾

にその場で自身の状態が転換されるという意味である。

 この「如来の集団を殺す」という過激な表現の意味するところは,身の曼荼羅に住する如来

の集団とは修行者・人間を構成する蘊処界の自性であり,これを殺す,すなわち勝義諦である

清浄光明に引入し融化させることによって,大印契の悉地を獲得するという意味である。修行

者の心身の全体が存在論のレヴェルで本質的に転換されることを意味しているのである。この

点に関してアバヤーカラグプタは,「二次第が明らかになったとしても,行がないならば大印

契の成就ではない」と冒頭に述べて,仏教タントリストの行(儀)についてまとめて考察した

『アームナーヤマンジャリー』第十九章���������- �������で27,『行合集灯』のこの論議を引用してい・

る。

極無戯論の行であるからこそ,他の行と見比べるならば速疾に成就を為さしめるのである。

まさに今生において,自らの本性がすっかり転換するからである。有戯論と無戯論と極無

戯論の行は順番どおりに,薪とターラの花弁と棉花を燃やす時のように,長時間,長くな

い時間,速疾に成就する因たるものとして『行合集灯』で説かれている。

 これは現実的な所作とそれを代替する観念操作を常に一対のものとして捉えて,後者に優位

をもたせるアバヤーカラグプタの態度・作風28からして容易に理解できることである。また仏

教徒に限らず,広く宗教の実践者一般に共通して見られる思考法でもある。しかし問題は『行

合集灯』第九章末尾におけるアールヤデーヴァの理解を複雑にさせる以下の提言である。

あるいはまた資財が乏しくて今説かれたばかりの次第で広大に遊戯する戯論を不断に円満

具足出来ない者には吉祥なる『サンヴァラ29』の所説である無戯論と極無戯論の行が指示

-189-京都精華大学紀要 第二十三号

Page 12: 仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続...-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

-188- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

清浄光明を直接眼前に作るのである。��とは糞尿を排泄するために小舎(厠)に行くこと

であり,〔そのときだけ〕それを憶念して,〔それ以外は〕世間的な執着を遠離し,身体と

感受の対象と感覚器官の本性を思念しないことである25。

(略)かくの如く卑小な世間の悉地と超世間的な八大悉地を得ようと努めるべきではない

のであって,それは心が散乱して〔再び〕転退してしまうからである26。

 アールヤデーヴァが「貪欲から生じた菩提行は三種であり」と定義しているように,先ず第

一にこの極無戯論の行も貪欲行であることを念頭に置く必要がある。つまり極無戯論の行とは

「生身の印契女を遠離して,心中に育まれた智印(観念上の印契女)と倶なる等至による大印

契の行であり,一切智者性を獲得するために,世間的な超能力(悉地)の獲得を追い求めるこ

となく,やむを得ない生理的要求以外は一切の世間的な執着を遠離して集注した瑜伽によって

速疾に大持金剛位を円満する行法」と定義できるであろう。従って,『行合集灯』における

〈行〉の三種類とは内容的には,集団的修法である戯論と個人的・少人数で行う大印契の行法

の二カテゴリーの構成になる。後者は無戯論が生身の瑜伽女である羯摩印母を用い,極無戯論

が瑜伽者の観念所成である智印を用いる点に相違が見られる。さらに現実的な所作の有無の点

からすれば,ツォンカパが要約しているように,戯論と無戯論が一つのカテゴリーにまとまり,

それに極無戯論が対立するという構図となる。アールヤデーヴァは,続いてこの極無戯論の行

を〈瘋狂の誓戒〉(������������)と関係させて説いているが,この〈瘋狂の誓戒〉に住する瑜

伽者の行儀の具体相を津田博士の和訳によって『サンヴァローダヤ・タントラ』〈行説示品〉

に見る。

〈瘋狂の誓戒〉に依止する者は,(風に)翻へされたる木の葉の如くに,尸林に,或は独

標に,或は独樹に,或はまた森にさまようべし。或は山の頂に,或は河岸に,或は大洋の

岸辺に,或は遊園に,或は壊れたる坑に,楼閣に,或は空屋に,四辻に,或は城市の門に,

王の門に,或はまた(隠者の)小屋に,マーダンガ女と牛飼女の住居に,女工芸者の家に,

(或はその他)隠密なる場所にさまようべし。彼は,捨てられて路上に落ちている供花の

残りで,(或は)尸林に(残された)或はリンガへの供花の残りなる(萎れた花)で(自

己の)身体をかざるべし(14�17偈)。(彼が)話すことは(真言を)誦することなりと言わ

れ,手を動かすことは印契を結ぶことに他ならず。無分別の加行を以て瑜伽者は意のおも

むくままに住すべし。一切の疑惑を放棄した瑜伽者は獅子の如くに行くべし。或はまた,

〈不動の誓戒〉に依止して瑜伽行を行ずべし。空虚なる庭園或は家に,悪しき村に,悪し

き評判のある家に,〈沈黙の瑜伽〉によって,得ただけのものをもって住すべし。眠りつつ,

行きつつ,或はとどまりつつ,醒めている時でも,醒めていない時でも,彼は彼が得るも

のを食す。しかも(彼の)心は食物に集注せるに非ず。(19�22偈)

 このような極無戯論の行が先に説かれた戯論・無戯論と比較して優れている点についてアー

ルヤデーヴァは以下のように述べる。

(略)この順番で身の曼荼羅に住する如来の集団を殺すべきであり,真如に住させてから

福分者の悉地が獲得されるのであり,戯論と無戯論の行と見比べるまでもなく,より速疾

にその場で自身の状態が転換されるという意味である。

 この「如来の集団を殺す」という過激な表現の意味するところは,身の曼荼羅に住する如来

の集団とは修行者・人間を構成する蘊処界の自性であり,これを殺す,すなわち勝義諦である

清浄光明に引入し融化させることによって,大印契の悉地を獲得するという意味である。修行

者の心身の全体が存在論のレヴェルで本質的に転換されることを意味しているのである。この

点に関してアバヤーカラグプタは,「二次第が明らかになったとしても,行がないならば大印

契の成就ではない」と冒頭に述べて,仏教タントリストの行(儀)についてまとめて考察した

『アームナーヤマンジャリー』第十九章���������- �������で27,『行合集灯』のこの論議を引用してい・

る。

極無戯論の行であるからこそ,他の行と見比べるならば速疾に成就を為さしめるのである。

まさに今生において,自らの本性がすっかり転換するからである。有戯論と無戯論と極無

戯論の行は順番どおりに,薪とターラの花弁と棉花を燃やす時のように,長時間,長くな

い時間,速疾に成就する因たるものとして『行合集灯』で説かれている。

 これは現実的な所作とそれを代替する観念操作を常に一対のものとして捉えて,後者に優位

をもたせるアバヤーカラグプタの態度・作風28からして容易に理解できることである。また仏

教徒に限らず,広く宗教の実践者一般に共通して見られる思考法でもある。しかし問題は『行

合集灯』第九章末尾におけるアールヤデーヴァの理解を複雑にさせる以下の提言である。

あるいはまた資財が乏しくて今説かれたばかりの次第で広大に遊戯する戯論を不断に円満

具足出来ない者には吉祥なる『サンヴァラ29』の所説である無戯論と極無戯論の行が指示

-189-京都精華大学紀要 第二十三号

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-190- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

される。曰く「毎日か毎月,あるいは毎年,加持された通りにして仏の最勝楽を舞踏する

べし30」と言われ,また「起立したり,座したり,歩んだり,住するままに,また笑い,

喋ることも相応しくて,何処にあっても行った通りそのままが〔相応しい〕31」と説かれて

いる。

 文言に従う限りアールヤデーヴァの提言は,三者の単純な優劣の判定では処理しきれない問

題を提起する。それは第九章で『サマヨーガ』に基づいて「広大に遊戯する戯論」の詳細を解

説したアールヤデーヴァが,同じタントラに基づく無戯論・極無戯論の行を次善の方策として

勧めていることである。これは資財の乏しい者に対する現実的配慮であって,本来的には「広

大に遊戯する戯論」が為されるべきであるという文意となることは明らかであろう。そこで次

のような疑問が当然のこととして生じる。つまり戯論よりも上位にある無戯論と極無戯論の行

によって速疾に成就するのであれば,わざわざ大きな資財と大勢の参会者を必要とする集団的

修法である戯論を行じる必要がどこにあるのかという疑問である。さらに戯論はもちろんのこ

ととして,無戯論の行も羯摩印母である生身の印契女(たち)との現実の行為・所作である。

それに対して極無戯論の行は羯摩印母を捨てて,瑜伽行者の観念所成である智印に依止して行

う全くの観念的な操作・威儀である。故に,筆者が論じている三種類の〈行〉を三位階として

直線的な優劣関係で捉えると,結果的には観念操作がすべての現実の行為・所作を代替するこ

とになってしまおう。アールヤデーヴァの文意はこのような観念操作で現実的な所作をすべて

代替する傾向とは明らかに異なっているかに見える。彼は成就の速疾の点は認めつつも,「薪

を燃やすと灰になり,ターラの葉を燃やすと灰になり,綿を燃やすと灰になって,三種ともが

灰になるのである。まさしく同様に,三種の行のどれであっても大〔持〕金剛の位が成就する」

と述べている。つまり三種の行の何れによっても大持金剛位が成就されると言う点を総論的に

述べて,三種の行のいずれにも力点を置いていると考えられる発言をしているのである。この

彼の観点は,タントラで説かれているすべてを仏説として,「何も引かない,何も足さない」

という原則に立っているとも,あるいは当時のインド密教の行っていた集団的な修法としての

戯論の現実を追認したに過ぎないとも考えられるものである。

 さらなる文献の検討により,アールヤデーヴァが,註釈の対象である『五次第』が主に依拠

する,戯論の行を大幅に取り入れた父タントラ系の『金剛鬘タントラ』や『四天女請問』を使

用することなく,『サマヨーガ』という母タントラの教説に基づいて戯論を論じていることが

検討されねばならない。

 また社会経済史的な観点から,戯論の内容である聚輪の資財を一切受け持つ施主は財力ある

資産家でしかなり得ないが,仏教徒たちのサークルではこの施主になることが「福徳資糧積聚」

の大きな手段として勧められる。あるいは無戯論の行においても,導師である金剛阿闍梨に付

き従う弟子たちが,阿闍梨に捧げる資財は動産・不動産をまとめて看過できないものである。

翻って,極無戯論の行においてはまさにこのような寄進による所有の移転は見られない。仏教

徒タントリストたちの行が〈瘋狂の誓戒〉に住する極無戯論の行一色になってしまうとするな

らば,彼らのサークルは人的・経済的に干上がってしまい,運動論的にもダイナミズムを喪失

するであろうことは想像に難くない。

 松長(1980:312)は,「チベットの資料によって,聖者流の隆盛期はほぼ1000年前後と推定

されている」と述べる。『行合集灯』が当時のインド密教が行っていた修法・行法のすべてを

体系づける意図をもっていたと考えた場合,聚輪に代表される集団的な修法は,観念操作で代

替してしまえる程度のものではなかったと結論づけられてよいのかも知れない。差し当たって

ここでは,アールヤデーヴァが,『行合集灯』の第一章から第八章までで生起・究竟の修道論

を説いて,最後の三章において,望ましいバランスを取って,総合的な〈行〉の体系を論述し

た事実が重要である。

2.ジュニャーナパーダ『大口伝書』

 この〈行〉の体系の問題に関して,筆者がアールヤデーヴァでもって代表させた聖者流の見

解との対照として,次に『秘密集会タントラ』に基づいて組織されたもうひとつの重要な流派

であるジュニャーナパーダ流について,その開祖のジュニャーナパーダ32が著した主著『大口

伝書』をヴィタパーダの註釈書『麗華』とともに見ていく。まず『大口伝書』では33次のこと

が述べられる。

(略)それと同じ最勝なる智慧はそれぞれの人によって何処で知られるのか。声聞たちに

よって知られることはない。独覚によっても知られることはなく,瑜伽行派と中観派の菩

薩は知らないのである。慧を具えた一切諸仏によってもまたこの〔最勝なる智慧〕はほん

の僅かでさえも知られないのである。この義を知っている未来の持金剛を喜ばせてから自

らの大福徳の力によって,文字無くして遷移するのである。それに対して,曼荼羅〔供養〕

と護摩と施食と読誦や念珠や結跏趺坐や作法などは離戯論と撞着するのであって,〔正し

い〕所作ではないが〔しかし〕否定はしない。本尊によって化作されたからである。

 ここでは持金剛のみが知る一切智(最勝なる智慧)獲得のための行が宣揚され,それに対し

て「曼荼羅〔供養〕と護摩と施食と読誦や念珠や結跏趺坐や姿勢などは離戯論と撞着する」と

して,最勝なる智慧獲得と言う目的に添う正しい所作ではないと断定される。つまり勝義的に

-191-京都精華大学紀要 第二十三号

Page 14: 仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続...-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

-190- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

される。曰く「毎日か毎月,あるいは毎年,加持された通りにして仏の最勝楽を舞踏する

べし30」と言われ,また「起立したり,座したり,歩んだり,住するままに,また笑い,

喋ることも相応しくて,何処にあっても行った通りそのままが〔相応しい〕31」と説かれて

いる。

 文言に従う限りアールヤデーヴァの提言は,三者の単純な優劣の判定では処理しきれない問

題を提起する。それは第九章で『サマヨーガ』に基づいて「広大に遊戯する戯論」の詳細を解

説したアールヤデーヴァが,同じタントラに基づく無戯論・極無戯論の行を次善の方策として

勧めていることである。これは資財の乏しい者に対する現実的配慮であって,本来的には「広

大に遊戯する戯論」が為されるべきであるという文意となることは明らかであろう。そこで次

のような疑問が当然のこととして生じる。つまり戯論よりも上位にある無戯論と極無戯論の行

によって速疾に成就するのであれば,わざわざ大きな資財と大勢の参会者を必要とする集団的

修法である戯論を行じる必要がどこにあるのかという疑問である。さらに戯論はもちろんのこ

ととして,無戯論の行も羯摩印母である生身の印契女(たち)との現実の行為・所作である。

それに対して極無戯論の行は羯摩印母を捨てて,瑜伽行者の観念所成である智印に依止して行

う全くの観念的な操作・威儀である。故に,筆者が論じている三種類の〈行〉を三位階として

直線的な優劣関係で捉えると,結果的には観念操作がすべての現実の行為・所作を代替するこ

とになってしまおう。アールヤデーヴァの文意はこのような観念操作で現実的な所作をすべて

代替する傾向とは明らかに異なっているかに見える。彼は成就の速疾の点は認めつつも,「薪

を燃やすと灰になり,ターラの葉を燃やすと灰になり,綿を燃やすと灰になって,三種ともが

灰になるのである。まさしく同様に,三種の行のどれであっても大〔持〕金剛の位が成就する」

と述べている。つまり三種の行の何れによっても大持金剛位が成就されると言う点を総論的に

述べて,三種の行のいずれにも力点を置いていると考えられる発言をしているのである。この

彼の観点は,タントラで説かれているすべてを仏説として,「何も引かない,何も足さない」

という原則に立っているとも,あるいは当時のインド密教の行っていた集団的な修法としての

戯論の現実を追認したに過ぎないとも考えられるものである。

 さらなる文献の検討により,アールヤデーヴァが,註釈の対象である『五次第』が主に依拠

する,戯論の行を大幅に取り入れた父タントラ系の『金剛鬘タントラ』や『四天女請問』を使

用することなく,『サマヨーガ』という母タントラの教説に基づいて戯論を論じていることが

検討されねばならない。

 また社会経済史的な観点から,戯論の内容である聚輪の資財を一切受け持つ施主は財力ある

資産家でしかなり得ないが,仏教徒たちのサークルではこの施主になることが「福徳資糧積聚」

の大きな手段として勧められる。あるいは無戯論の行においても,導師である金剛阿闍梨に付

き従う弟子たちが,阿闍梨に捧げる資財は動産・不動産をまとめて看過できないものである。

翻って,極無戯論の行においてはまさにこのような寄進による所有の移転は見られない。仏教

徒タントリストたちの行が〈瘋狂の誓戒〉に住する極無戯論の行一色になってしまうとするな

らば,彼らのサークルは人的・経済的に干上がってしまい,運動論的にもダイナミズムを喪失

するであろうことは想像に難くない。

 松長(1980:312)は,「チベットの資料によって,聖者流の隆盛期はほぼ1000年前後と推定

されている」と述べる。『行合集灯』が当時のインド密教が行っていた修法・行法のすべてを

体系づける意図をもっていたと考えた場合,聚輪に代表される集団的な修法は,観念操作で代

替してしまえる程度のものではなかったと結論づけられてよいのかも知れない。差し当たって

ここでは,アールヤデーヴァが,『行合集灯』の第一章から第八章までで生起・究竟の修道論

を説いて,最後の三章において,望ましいバランスを取って,総合的な〈行〉の体系を論述し

た事実が重要である。

2.ジュニャーナパーダ『大口伝書』

 この〈行〉の体系の問題に関して,筆者がアールヤデーヴァでもって代表させた聖者流の見

解との対照として,次に『秘密集会タントラ』に基づいて組織されたもうひとつの重要な流派

であるジュニャーナパーダ流について,その開祖のジュニャーナパーダ32が著した主著『大口

伝書』をヴィタパーダの註釈書『麗華』とともに見ていく。まず『大口伝書』では33次のこと

が述べられる。

(略)それと同じ最勝なる智慧はそれぞれの人によって何処で知られるのか。声聞たちに

よって知られることはない。独覚によっても知られることはなく,瑜伽行派と中観派の菩

薩は知らないのである。慧を具えた一切諸仏によってもまたこの〔最勝なる智慧〕はほん

の僅かでさえも知られないのである。この義を知っている未来の持金剛を喜ばせてから自

らの大福徳の力によって,文字無くして遷移するのである。それに対して,曼荼羅〔供養〕

と護摩と施食と読誦や念珠や結跏趺坐や作法などは離戯論と撞着するのであって,〔正し

い〕所作ではないが〔しかし〕否定はしない。本尊によって化作されたからである。

 ここでは持金剛のみが知る一切智(最勝なる智慧)獲得のための行が宣揚され,それに対し

て「曼荼羅〔供養〕と護摩と施食と読誦や念珠や結跏趺坐や姿勢などは離戯論と撞着する」と

して,最勝なる智慧獲得と言う目的に添う正しい所作ではないと断定される。つまり勝義的に

-191-京都精華大学紀要 第二十三号

Page 15: 仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続...-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

-192- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

は否定される。しかし引き続きそうした一連の所作も仏説であるとして世俗的には許容される

のである。ジュニャーナパーダがここで挙げている曼荼羅〔供養〕と護摩と施食と言った儀礼

は,インドの地に密教が誕生した時から実践されてきた諸々の行法・修法であって無上瑜伽階

梯以前の長い歴史をもつ。またそれぞれがより大きな儀礼複合のユニットとなって取り込まれ

る場合もある。最初に挙げられている曼荼羅〔供養〕であるがそれは,修行者の観念に存在す

る曼荼羅を地面に作成することであり,作成された曼荼羅に供養することである。『大口伝書』

を見る限り,ジュニャーナパーダの言う戯論に対する離戯論34とは,修行者の意に適った一人

の印契女を獲得してから行う一対一の大印契の行である。そこには聖者流に見られるような生

身の印契女のグループが形成する現実態としてのガナ曼荼羅の供養は読み取れないからである。

『大口伝書』では,金剛阿闍梨から秘密灌頂・般若智慧灌頂を授けられて後,「貪欲を具えた

修行者は,〔修行のパートナーとなった〕印契女と一緒に身体の行によって〔阿蘭若や村外れ

などの〕人けのない場所で35」一路,大印契の行に邁進する。ここではまた,大印契の行が,

生身の瑜伽女である羯摩印母との行である無戯論と観念的存在の智印との行である極無戯論と

に区別もされてはいないことが重要である。さらに注目すべきは,ジュニャーナパーダが,戯

論の代表格と見られる聚輪については直接言及していないことである。この箇所を釈して『麗

華』は述べる36。

「曼荼羅」とは図絵の曼荼羅である。「護摩」は方便などを具えたものである。「施食」は

生類など〔への施食〕である。「読誦」は〔文字〕鬘のマントラなどを唱えることである。

「念珠」は行為の区分により数と色などである。「結跏趺坐」は金剛の結跏趺坐などである。

「作法」とは展右などのそれぞれの特別な〔外見的な〕振る舞いである。「など」で集約

されたものは聚輪と外の供養などである。「それらについて」と言うのは離戯論と撞着す

るのであり,戯論として現れているからである。「それは〔正しい〕所作ではない」と言

うのは専ら行のあり方としてである。「否定しない」と言うのは,それに住することによ

り福徳の積聚を円満する所作であるから否定しないのである。「本尊」とは無相の尊格で

あり,それから一切が出生するから,〔本尊の〕化作の故であると言うのである。従って

〔戯論の行がもたらす〕果に対して染着する者たちによってはそれ(本尊・無二の智慧)

は證得できないことを説示するために「所作について云々」などである。

 ここでやっと戯論としての聚輪が現れるが,先の章で見たように無上瑜伽階梯にオリジナル

な集団的修法である聚輪は儀軌として成立した段階では儀礼複合である。それをマントラ読誦・

念珠作法・座法といった儀礼の構成ユニットである所作と同一に論ることはできない。しかも

その現れ方は補足としてである。そこで「外の供養など」と同格に論じられていることから,

ヴィタパーダにとって,聚輪はどのように定義されていたのであろうか。さらにそれはあくま

で註釈者の見解であって,ジュニャーナパーダ自身は聚輪について直接に言及してはいないの

である。ともあれ戯論の行にたいするジュニャーナパーダの見解はあくまで便法としての消極

的評価であると断言できる。

 ジュニャーナパーダは『大口伝書』において,「この第一次第(生起次第)の成就法と護摩

と施食と�����������������と摂義と註釈と曼荼羅儀軌などを無知の闇にくらまされている衆生

にとっての籌の如きものとして著作せよ」との勧誡を文殊金剛から受け37,著作活動に従事し

たと語る。ヴィタパーダは『麗華』のなかで,ジュニャーナパーダが述べる著作を同定して列

挙しているが,その内,�����������������を指して「『大聚輪』〔と名づける著作〕である」と

書いている38。ジュニャーナパーダ自身が『大口伝書』で,もう一カ所,�����������������の用

語を使っている39。筆者には,この「所作」の内実が不明である。チベット語訳しか利用でき

ないという制約の下での訳語の問題もあって,聚輪とは断定できないでいる。このヴィタパー

ダの意見が正しいとすれば,無上瑜伽階梯の勃興・展開期に最も重要な役割を果たしたと見て

よいジュニャーナパーダ自身による「聚輪儀軌」を知ることができるのである。残念なことに

この著作は失われて現存しない。しかし管見であるが,聖者流の著作と比べて,現存するジュ

ニャーナパーダ流とされる論疏・儀軌類には聚輪への言及が殆どない。『大口伝書』には瑜伽

女たちの集団が形成するガナ曼荼羅が説かれていないことも考慮に入れると,ジュニャーナパ

ーダ自身あるいは彼の後継者たちにとっては,集団的な修法と大印契の行とを区別すると言う

観点,戯論をも含めた〈行〉の体系を組み立てるという観点は見られない。仏教タントリスト

たちにとって,集会をもつことは行(宗教的実践)の重要な内容であった。しかし『大口伝書』

は,生起・究竟の二次第を内実とする無上瑜伽の修道体系を編み出すことを主要な目的とする

論述である。つまりジュニャーナパーダにとっては,二次第による真実の修習,その方策とし

ての大印契の行に専注するのが目的であり,〈行〉の体系を組み立てることは視野になく,ま

た修道体系を実践する瑜伽女との一対一の大印契の行の前に,大衆的な饗宴にして同時に修法

複合である聚輪は影が薄かったと言えるのではなかろうか。

おわりに

 これまで仏教タントリストたちの集団的修法である聚輪が,彼らの全体的な宗教的実践(行)

のなかでどのように位置づけられているかを見てきた。まず貪欲行がすべての実践の根底にあ

ることが理解された。さらに集会の核としてのガナ曼荼羅の性格規定がなされた。次に聖者流

-193-京都精華大学紀要 第二十三号

Page 16: 仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続...-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

-192- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

は否定される。しかし引き続きそうした一連の所作も仏説であるとして世俗的には許容される

のである。ジュニャーナパーダがここで挙げている曼荼羅〔供養〕と護摩と施食と言った儀礼

は,インドの地に密教が誕生した時から実践されてきた諸々の行法・修法であって無上瑜伽階

梯以前の長い歴史をもつ。またそれぞれがより大きな儀礼複合のユニットとなって取り込まれ

る場合もある。最初に挙げられている曼荼羅〔供養〕であるがそれは,修行者の観念に存在す

る曼荼羅を地面に作成することであり,作成された曼荼羅に供養することである。『大口伝書』

を見る限り,ジュニャーナパーダの言う戯論に対する離戯論34とは,修行者の意に適った一人

の印契女を獲得してから行う一対一の大印契の行である。そこには聖者流に見られるような生

身の印契女のグループが形成する現実態としてのガナ曼荼羅の供養は読み取れないからである。

『大口伝書』では,金剛阿闍梨から秘密灌頂・般若智慧灌頂を授けられて後,「貪欲を具えた

修行者は,〔修行のパートナーとなった〕印契女と一緒に身体の行によって〔阿蘭若や村外れ

などの〕人けのない場所で35」一路,大印契の行に邁進する。ここではまた,大印契の行が,

生身の瑜伽女である羯摩印母との行である無戯論と観念的存在の智印との行である極無戯論と

に区別もされてはいないことが重要である。さらに注目すべきは,ジュニャーナパーダが,戯

論の代表格と見られる聚輪については直接言及していないことである。この箇所を釈して『麗

華』は述べる36。

「曼荼羅」とは図絵の曼荼羅である。「護摩」は方便などを具えたものである。「施食」は

生類など〔への施食〕である。「読誦」は〔文字〕鬘のマントラなどを唱えることである。

「念珠」は行為の区分により数と色などである。「結跏趺坐」は金剛の結跏趺坐などである。

「作法」とは展右などのそれぞれの特別な〔外見的な〕振る舞いである。「など」で集約

されたものは聚輪と外の供養などである。「それらについて」と言うのは離戯論と撞着す

るのであり,戯論として現れているからである。「それは〔正しい〕所作ではない」と言

うのは専ら行のあり方としてである。「否定しない」と言うのは,それに住することによ

り福徳の積聚を円満する所作であるから否定しないのである。「本尊」とは無相の尊格で

あり,それから一切が出生するから,〔本尊の〕化作の故であると言うのである。従って

〔戯論の行がもたらす〕果に対して染着する者たちによってはそれ(本尊・無二の智慧)

は證得できないことを説示するために「所作について云々」などである。

 ここでやっと戯論としての聚輪が現れるが,先の章で見たように無上瑜伽階梯にオリジナル

な集団的修法である聚輪は儀軌として成立した段階では儀礼複合である。それをマントラ読誦・

念珠作法・座法といった儀礼の構成ユニットである所作と同一に論ることはできない。しかも

その現れ方は補足としてである。そこで「外の供養など」と同格に論じられていることから,

ヴィタパーダにとって,聚輪はどのように定義されていたのであろうか。さらにそれはあくま

で註釈者の見解であって,ジュニャーナパーダ自身は聚輪について直接に言及してはいないの

である。ともあれ戯論の行にたいするジュニャーナパーダの見解はあくまで便法としての消極

的評価であると断言できる。

 ジュニャーナパーダは『大口伝書』において,「この第一次第(生起次第)の成就法と護摩

と施食と�����������������と摂義と註釈と曼荼羅儀軌などを無知の闇にくらまされている衆生

にとっての籌の如きものとして著作せよ」との勧誡を文殊金剛から受け37,著作活動に従事し

たと語る。ヴィタパーダは『麗華』のなかで,ジュニャーナパーダが述べる著作を同定して列

挙しているが,その内,�����������������を指して「『大聚輪』〔と名づける著作〕である」と

書いている38。ジュニャーナパーダ自身が『大口伝書』で,もう一カ所,�����������������の用

語を使っている39。筆者には,この「所作」の内実が不明である。チベット語訳しか利用でき

ないという制約の下での訳語の問題もあって,聚輪とは断定できないでいる。このヴィタパー

ダの意見が正しいとすれば,無上瑜伽階梯の勃興・展開期に最も重要な役割を果たしたと見て

よいジュニャーナパーダ自身による「聚輪儀軌」を知ることができるのである。残念なことに

この著作は失われて現存しない。しかし管見であるが,聖者流の著作と比べて,現存するジュ

ニャーナパーダ流とされる論疏・儀軌類には聚輪への言及が殆どない。『大口伝書』には瑜伽

女たちの集団が形成するガナ曼荼羅が説かれていないことも考慮に入れると,ジュニャーナパ

ーダ自身あるいは彼の後継者たちにとっては,集団的な修法と大印契の行とを区別すると言う

観点,戯論をも含めた〈行〉の体系を組み立てるという観点は見られない。仏教タントリスト

たちにとって,集会をもつことは行(宗教的実践)の重要な内容であった。しかし『大口伝書』

は,生起・究竟の二次第を内実とする無上瑜伽の修道体系を編み出すことを主要な目的とする

論述である。つまりジュニャーナパーダにとっては,二次第による真実の修習,その方策とし

ての大印契の行に専注するのが目的であり,〈行〉の体系を組み立てることは視野になく,ま

た修道体系を実践する瑜伽女との一対一の大印契の行の前に,大衆的な饗宴にして同時に修法

複合である聚輪は影が薄かったと言えるのではなかろうか。

おわりに

 これまで仏教タントリストたちの集団的修法である聚輪が,彼らの全体的な宗教的実践(行)

のなかでどのように位置づけられているかを見てきた。まず貪欲行がすべての実践の根底にあ

ることが理解された。さらに集会の核としてのガナ曼荼羅の性格規定がなされた。次に聖者流

-193-京都精華大学紀要 第二十三号

Page 17: 仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続...-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

-194- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

のアーリヤデーヴァ著『行合集灯』は,聚輪を戯論の行の代表的な位置に置いていることを論

じた。筆者は『行合集灯』によって,三種類の行の定義を述べ,〈行〉の体系と言う視点から

『秘密集会タントラ』の二大流派とされている聖者流とジュニャーナパーダ流の相違を明らか

にした。

参照文献

奥山直司 1999「インド密教ホーマ儀礼」『シリーズ密教Ⅰインド密教』春秋社

酒井真典 1956『チベット密教教理の研究』高野山遍照光院歴世全書刊行会

桜井宗信 1996『インド密教儀礼研究�後期インド密教の灌頂次第』法蔵館

静 春樹 2001「プトゥンとアバヤの聚輪儀軌について」『高野山大学大学院紀要』���5

白館戒雲 1999『瑜伽行派と中観派の諸問題』西蔵仏教文化協会

高橋尚夫 1982「�������������������������������和訳(二)」『豊山学報』���26�7合併号-

田中公明 1997『性と死の密教』春秋社

津田真一 1995『金剛頂経』東京美術

羽田野伯猷 1987�「秘密集タントラにおけるジュニャーナパーダ流について」

         「����������������における人間存在」『チベット・インド学集成第三巻』法蔵館-

松長有慶 1978『秘密集会タントラ校訂梵本』東方出版�

     1998『松長有慶著作集第五巻』法蔵館

������������ ��2000������������� �������������22�������

������������� 1976(1959)������������������������������ ��������

��������1974�������������������������������������� �������・

〔註〕

1 高橋(1982:167�8)参照。

2 ����366����160�2�

3 ����������(1976:�88)参照。

4 ����5067�386�2�4

5 津田(1995:125�136)参照。津田氏はここで「左道的」な解釈からする「集会」は『金剛頂経』の論

理の必然と理解している。「金剛頂経の徒」がその論理のしからしむところ,ガナ曼荼羅の形成にまで突

き進んだことは十分に考えられることである。しかしそれが���・������- ����-�����のごとき集団的修法でなかったこ-

とは彼らのダーキニーの評価からもうかがわれる。『金剛頂経』におけるダーキニーは肉食を常とする下

級の鬼神に過ぎないことに注意。

 大正蔵���882�����16����374��375��

6 二儀軌S本���82�84(53�55偈)参照。

7 松長(1978:14)(1998:21)参照。

8 松長(1978:21)(1998:35)参照。

9 この羽田野氏の見解は津田(1981)のタントラ仏教徒たちが「真理の領域を下層カースト・アウトカ

ーストの女性たちのカルト集団に限定した」という卓見とも関連する文献的な例証である。

10 拙稿(2001:3�5)参照。

11 『秘密成就』第八章����53�7�参照。

12 松長(1998)���133�4(1�12偈)���137(36偈)参照。

13 チベット語訳では

  ��������������� ����������������(2)

  「卑賎な種姓のなかに入るべし」となる。

14 桜井(1996:205)は,このパドマヴァジラをジュニャーナパーダの「現世涅槃の四大弟子」の一人と

する。

15 ������������ ����������22���82

  ���������������������- ��������������- ��������������������・ ・ ��������������- ����������������・ ������������- ������・ ・�����������������������������������- - - -

��������������������- �����������- ���・������- ����-�������- �����������・ �����������������������������- - -

16 ����366����159�4�160�2

17 聖者流の有名なチャンドラキールティは,『秘密集会タントラ』の註釈書『灯作明』����1785において,

「毎日,智者は金剛の弟子に曼荼羅を示すべし」(���16�38偈)に註して述べる。

  ������������� ����� �� ������������������������ ������� �������������������� �����������������������

����������(���166�2)

  「曼荼羅」とは聚輪の儀軌を毎日あるいは毎月,毎年に行う仕方が説示されてる口伝に合致させて為す

べきである。

  しかし筆者はアールヤデーヴァと見解を等しくする者であって当該箇所の文脈から聚輪を読み取るこ

とはできない。

18 研究者は『サマヨーガ』が母タントラの最初に来るという相対年代の点では意見の一致をみても,そ

の絶対年代を近似的にも確定し得ないでいる。

19 ����5314������56�2�6��白館戒雲(1999:331)参照。~

20 ������������ �����������22���81��酒井(1956:210註24)参照。

21 ������������ �����������22���90�

22 ������������ �����������22���92�

-195-京都精華大学紀要 第二十三号

Page 18: 仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続...-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

-194- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

のアーリヤデーヴァ著『行合集灯』は,聚輪を戯論の行の代表的な位置に置いていることを論

じた。筆者は『行合集灯』によって,三種類の行の定義を述べ,〈行〉の体系と言う視点から

『秘密集会タントラ』の二大流派とされている聖者流とジュニャーナパーダ流の相違を明らか

にした。

参照文献

奥山直司 1999「インド密教ホーマ儀礼」『シリーズ密教Ⅰインド密教』春秋社

酒井真典 1956『チベット密教教理の研究』高野山遍照光院歴世全書刊行会

桜井宗信 1996『インド密教儀礼研究�後期インド密教の灌頂次第』法蔵館

静 春樹 2001「プトゥンとアバヤの聚輪儀軌について」『高野山大学大学院紀要』���5

白館戒雲 1999『瑜伽行派と中観派の諸問題』西蔵仏教文化協会

高橋尚夫 1982「�������������������������������和訳(二)」『豊山学報』���26�7合併号-

田中公明 1997『性と死の密教』春秋社

津田真一 1995『金剛頂経』東京美術

羽田野伯猷 1987�「秘密集タントラにおけるジュニャーナパーダ流について」

         「����������������における人間存在」『チベット・インド学集成第三巻』法蔵館-

松長有慶 1978『秘密集会タントラ校訂梵本』東方出版�

     1998『松長有慶著作集第五巻』法蔵館

������������ ��2000������������� �������������22�������

������������� 1976(1959)������������������������������ ��������

��������1974�������������������������������������� �������・

〔註〕

1 高橋(1982:167�8)参照。

2 ����366����160�2�

3 ����������(1976:�88)参照。

4 ����5067�386�2�4

5 津田(1995:125�136)参照。津田氏はここで「左道的」な解釈からする「集会」は『金剛頂経』の論

理の必然と理解している。「金剛頂経の徒」がその論理のしからしむところ,ガナ曼荼羅の形成にまで突

き進んだことは十分に考えられることである。しかしそれが���・������- ����-�����のごとき集団的修法でなかったこ-

とは彼らのダーキニーの評価からもうかがわれる。『金剛頂経』におけるダーキニーは肉食を常とする下

級の鬼神に過ぎないことに注意。

 大正蔵���882�����16����374��375��

6 二儀軌S本���82�84(53�55偈)参照。

7 松長(1978:14)(1998:21)参照。

8 松長(1978:21)(1998:35)参照。

9 この羽田野氏の見解は津田(1981)のタントラ仏教徒たちが「真理の領域を下層カースト・アウトカ

ーストの女性たちのカルト集団に限定した」という卓見とも関連する文献的な例証である。

10 拙稿(2001:3�5)参照。

11 『秘密成就』第八章����53�7�参照。

12 松長(1998)���133�4(1�12偈)���137(36偈)参照。

13 チベット語訳では

  ��������������� ����������������(2)

  「卑賎な種姓のなかに入るべし」となる。

14 桜井(1996:205)は,このパドマヴァジラをジュニャーナパーダの「現世涅槃の四大弟子」の一人と

する。

15 ������������ ����������22���82

  ���������������������- ��������������- ��������������������・ ・ ��������������- ����������������・ ������������- ������・ ・�����������������������������������- - - -

��������������������- �����������- ���・������- ����-�������- �����������・ �����������������������������- - -

16 ����366����159�4�160�2

17 聖者流の有名なチャンドラキールティは,『秘密集会タントラ』の註釈書『灯作明』����1785において,

「毎日,智者は金剛の弟子に曼荼羅を示すべし」(���16�38偈)に註して述べる。

  ������������� ����� �� ������������������������ ������� �������������������� �����������������������

����������(���166�2)

  「曼荼羅」とは聚輪の儀軌を毎日あるいは毎月,毎年に行う仕方が説示されてる口伝に合致させて為す

べきである。

  しかし筆者はアールヤデーヴァと見解を等しくする者であって当該箇所の文脈から聚輪を読み取るこ

とはできない。

18 研究者は『サマヨーガ』が母タントラの最初に来るという相対年代の点では意見の一致をみても,そ

の絶対年代を近似的にも確定し得ないでいる。

19 ����5314������56�2�6��白館戒雲(1999:331)参照。~

20 ������������ �����������22���81��酒井(1956:210註24)参照。

21 ������������ �����������22���90�

22 ������������ �����������22���92�

-195-京都精華大学紀要 第二十三号

Page 19: 仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続...-180- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続 このように,『サマヨーガ』では,修行者の観念に存在する曼荼羅の女尊のイメージに合致

-196- ガナチャクラから見た仏教タントリズムの修道論の構造(試論)・続

23 印契女がただ一人の場合であっても,印契女の身体の内部に一切の女尊が集会していると観念されて

いる限りで,ガナ曼荼羅が現成していると言える。本稿��11参照�

24 ������������ �����������22���97�

25 ������������ �����������22���99�

26 ������������ �����������22���96��ここで言う「卑小な世間の悉地」とは,息災等の四種悉地で小悉地

であり,「超世間的な八大悉地」とは丸薬・眼薬・地下・剣・飛行・隠身・無死・摧破で中悉地である。

酒井(1956:43)参照。

27 ����1198������177�5

28 奥山(1999:186�7)参照。

29 ここで挙げられている『サンヴァラ』とは,田中(1997:125)の卓見通り,『サマヨーガ』ウッタラ・

タントラ(����366)である。

30 ����366����155�5�6�

31 ����366����152�4�5�

32 羽田野(1987:46)はジュニャーナパーダについて,「天寿80を全うした彼の活動年代をほぼ750~800

年に設定しうるであろう」と述べている。

33 ����1853�7�4�7�

34 ���������������・ ���の訳は無戯論,離戯論ともに正しい。しかし『行合集灯』のチベット語訳は������������-

������������(戯論の無い行)であり,『大口伝書』の訳語は����������(戯論を離れた〔行〕)である。

35 ����1853�����6�2�3�

36 ����1866�����112�7��3�

37 ����1853�����15�6�7�桜井(1996:43)参照。

38 ����1866�����134�1�

39 ����1853�����16�5�

キーワード

 ガナチャクラ,ガナマンダラ,『行合集灯』,聖者流,アールヤデーヴァ,戯論,無戯論,『大口伝書』