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No. 07-F-02 ベトナム農業・農村構造の変動 -ニンビン省での実態調査を事例として- 山本 麻衣* 2007年3月 *東京大学大学院農学生命科学研究科 農業・資源経済学専攻 農村開発金融研究室 〒113-8567 東京都文京区弥生1-1-1 ℡ 03-5841-5463 Email:[email protected]

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No. 07-F-02

ベトナム農業・農村構造の変動

-ニンビン省での実態調査を事例として-

山本 麻衣*

2007年3月

*東京大学大学院農学生命科学研究科 農業・資源経済学専攻 農村開発金融研究室 〒113-8567 東京都文京区弥生1-1-1 ℡ 03-5841-5463 Email:[email protected]

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第1章 はじめに

1.1 問題設定 ドイモイ(刷新)政策開始以降ベトナム経済は順調に成長してきており、1990 年以降の

年間経済成長率は実質約 8%に達し、一人あたりのGNPも 400 ドルを越えるところまでに

きた。しかし、近年になって経済成長に伴う格差の拡大が問題になっている。特に、都市

と農村の所得格差は、前者の貧困率が 6.6%であるのに対して、後者がなお 35.6%6という

水準にあることに端的に表現されているように、ベトナムの農村における貧困がなお厳し

いことが分かる。 このようなベトナムの貧困問題は、資源の賦存量に対して人口が過剰であるという点に

求められる。ベトナムの人口は約 8000 万人であるが、うち 8 割は農村に居住しており、労

働力では約 7 割を占めている。それに対して、土地資源は大きな地域差があるものの、概

してきわめて僅少であり、特に紅河デルタ地域では一戸あたり経営耕地面積がわずかに

0.3ha程度しかない。さらに、この零細経営規模は、相続などによってさらに再分割されて

いる。この結果、農村過剰人口問題が生じ、これこそがベトナム農村の貧困の基本的原因

になっているのである。こういった厳しい資源制約下におかれたベトナム農村の経済状態

を改善していくには、非農業部門の拡大によるトリックルダウン7と農業自体の生産性向上

あるいは多角化が戦略的にも求められるであろう。本稿は、以上のような問題意識に沿っ

て、ベトナムの典型的な農村過剰人口地域である紅河デルタに位置するニンビン省におい

て、農家および関連機関において聞き取り調査を実施し、その調査を通じてベトナムの農

業・農村の変化の方向を実証的に把握すると同時に、ベトナム農村の貧困問題克服の方策

を探ることを目的とするものである。 今回対象とした調査地のニンビン省は、1997 年と 2000 年に JICA とベトナム政府によ

って共同で行われた「ヴィエトナム国市場経済化支援研究プロジェクト」での調査地域で

あり、この過去の2回の調査では同じ村、全く同じ農家 100 戸を対象に聞き取り調査が行

われている。今回の調査もこれらの調査を踏まえてそれらとの連続性を意識し、過去に聞

き取りを行った農家と同じ農家をサンプルとして選び、調査票もほぼ同じ内容のものを用

いて調査を実施した。これによって、ベトナムの農業・農村の構造変化を計数的に把握し、

その変化の要因も探ることができると考える。特に、調査地の選定では都市部に位置する

ナムビン町と農村部に位置するニンタン村の2つの調査地域を選び、それぞれ 50 戸の農家

から聞き取りを行っている。そのため、ここ 10 年間での都市と農村での農業構造の変化の

違い、所得格差の変化も計量的に分析することが可能である。このような 10 年間にわたっ

てリピーテッド・サーベイを用いて実態調査を行い、それに基づいて農業や農村を分析し

た研究はベトナムの農業・農村研究史上ほとんど例がなく、有意義な議論が展開できると

考える。 6 World Bank(2003).ベトナムの貧困基準は政府規定のものとWorld Bankによる基準と2種類あるが、この場合は

World Bankによる基準のものである。詳しくは第 2 章参照。 7 具体的には、農業労働力の非農業部門による吸収、あるいは農村工業化を指す。

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上述したように、ベトナムの農業構造は零細な家族経営が根本的な問題となっており、

これは日本や韓国などと同じような東アジア型の農業構造を有するといえる。そこで、農

業構造を構成する労働・土地・資本の 3 つの生産要素を分析することによって、東アジア

型の発展パターンである土地節約型で、且つ過剰な農村労働力を非農業部門に排出すると

いう農業発展の可能性を探ることができる。本稿では具体的に、①農家兼業と農村内非農

業就業に焦点を当てた農業労働力の排出構造の分析、②都市地域と農村地域の土地の分布

と移動の実態の比較、③米・養豚・魚養殖の生産費構造の分析を通じた、機械化の進展度

と農業成長のパターンの検討、④農家世帯の所得に占める農業所得源と非農業所得源の構

成比の変化、の 4 つのトピックスを中心に考察を行う。 次節以降の本稿の構成は以下の通りである。まず、第1章第2節で農業・農村構造を定

義付けし、先行研究の整理を行う。次の第2章では、ベトナムの農業・農村の特徴と現状

について南部と北部を比較し、また都市部と農村部についても比較しながら概観する。第

3章は調査概要であり、本研究の調査地区の選定と調査票の設計の背景を説明した後、調

査地区があるニンビン省全体と、実際に調査を行った2つのコミューンの社会・経済状況

について述べる。第4章は、調査結果の分析であるが、第1節では、労働・土地・固定資

産の生産要素、第2節では米・養豚・魚養殖の 3 つの生産活動の生産費、そして第3節で

は農家所得を分析・考察する。最後に、第5章で総括と今後の課題について検討する。 1.2 農業・農村構造とは 農業経営というものは、「土地・労働・資本」という生産要素を使用して農業生産活動を

行っており、その生産要素をどう組み合わせ、どのような作物を生産するかはそれぞれの

経営体が判断している。しかし、その国(地域)の農業が全体としてどのような形態・規

模の経営体によって営まれているかは、その国の地理的・歴史的・経済的条件によって大

きく規定されている。つまり、「農業構造」とはそのような全体としての農業生産・農業経

営の規模・形態の構成のことを呼ぶ8。本稿でもこの定義に従って、ベトナムの農業におけ

る土地・労働・資本の組み合わせの変化とそれに対する農業政策の基本を的確に捉え分析

することを、柱にして論じる。 これまでのベトナムの農業・農村構造の研究は「農村過剰労働力と土地の矮小性」とい

う問題を焦点にして論じられてきたが、長期にわたる実態調査をもとに分析が行われたも

のはあまり多くはない。そのような中で、1995 年 8 月から 2001 年 3 月にかけて実施され

た「ヴィエトナム国市場経済化支援開発政策調査」(通称「石川プロジェクト」)は 8 年間

にわたって現場主義を貫いて行われ、この中で農業・農村開発分野の中心的なプロジェク

トである 1997 年と 2000 年の大規模なフィールド調査をもとにまとめられたIzumida and Shindo(2001)は、多角的な視点で総合的にベトナムの農業・農村構造の変遷を分析した

8 総研レポート(2006)

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という点において、最も有益な議論を展開した研究である。この研究では、1996 年と 1999年の 2 回の実態調査に基づいた農業構造の変化を、ベトナムの南部と北部の比較、農村部

に位置する農村と都市近郊農村の比較など、多方面からの視点での詳細なデータが蓄積さ

れ、これをもとに個別のトピックに絞った形でさらに議論が深められた。まず、泉田(2000)はベトナム農業の零細性の問題に関して、ベトナム農村の土地賦存状況と過小就業問題に

着目し、「ヴィエトナムでは(特に平場では)農地の外延的増加はほぼ限界にきており、一

部の地域を除けば更なる農地拡大は困難である」とし、チャン・チャイ9と呼ばれる高い労

働吸収力を有するとみられる大農場主の出現が農村の過剰労働力を吸収する手段となりう

るといった予測をたてている。そして、新藤・泉田(2000)では、土地なし層とその土地

喪失の要因に注目して、この農場を中心とした「農業構造の再編」が農業の効率化、農産

物の国際競争力の向上の上からも望ましいとしている。また、泉田・新藤・Duong(2002)は、ベトナムの農村過剰労働の顕著な減少は当分見込めないとした上で、あるべき農業の

構造再編(農業再構築)の方向性について、①小規模農家の経営多角化(「ひとつの経営の

中でいくつかの部門を複合的に組み合わせて全体としての生産力なり農業所得を高める方

向」)、②大規模畜産や果樹経営にみられるような、単一作物での専業的大規模経営、とい

う2つを同時に進行させ、国際競争力を強化しつつ農村過剰労働にも配慮することが必要

である、としている。さらに、Duong and Izumida(2002)は、1996 年から 1999 年にか

けての農村の土地分配と農家の所得構造の変遷から、ベトナム北部農村と南部農村との性

格の違いを明らかにし、北部ではその土地構造の硬直性から土地節約型農業の発展、南部

では土地構造の流動性から雇用拡大を伴う効率的な大規模経営体の育成、と地域に適した

農業発展政策を提案している。また、Duong and Izumida(2004)は、ベトナム農村の主

要な生産活動である米・養豚・養殖の生産費の構造の変化から農業構造の変遷を分析し、

北部ベトナムの農家が均一的で自給的な経営をしているのに対し、南部の農家は多様で商

業的な経営をしているとし、生産費から両農村地域の農業構造の差異を明らかにした。 なお、その他の同様のベトナム農業構造の変化に関する実証研究では、山崎(2004)に

よるメコンデルタのカントー省とロンアン省において 1993 年から 1997 年にかけて行われ

た調査研究がある。ここでは、①農民層内部での両極分化傾向が見られ、その結果として

土地無層が急速に増加している、②しかし、上農層は水田圃場の分散にともなう稲作の低

9 ベトナム語では「チャンチャイ(Trang tr¹i)」であり、その定義は以下の通りである。

(a) Production scale is relatively large compared with the medium economy level of household in the local, equivalent to each production sector. For cultivating farms, the area of farming land is around the limited land level in each region in accordance with the Land Law. For the cattle farms, each farm must have 50 cattles and more than, 100 pigs (excluding less than two-months sucking pigs), and 2000 poulries and more than (exluding under seven-days ones). (b) Having regular employees, at least two employees/year, if the employees are seasonal, it is necessary to convert into regular employees. (c) Farm managers must be the ones who have knowledges and experience in agriculture. (d) Goods production is the main purpose and the income is more than the medium level of the households in the local. 泉田(2000)は、この定義が曖昧なため「雇用利用型家族経営農家で比較的規模の大きなもの」と性格

づけている。

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収益性の問題を抱えており、上層農の面積規模の拡大には限界がある、③その結果、中間

規模層の堆積構造が形成されている、④その中間規模層は他の規模階層に優越する稲作生

産力を実現していた、⑤その生産力の背景には、ベトナム祖国戦線などの農民層の組織的

な取り組みがみられた、⑥メコンデルタの農地規模別農家構成の変動には地域性があり、

純農村(カントー省)では生産力競争に基づく農地移動がスムーズにみられたのに対し、

都市近郊農村(ロンアン省)では地域労働市場や農地市場に対する都市化の影響が認めら

れた、ということを明らかにしている。 また、桜井(2001)も同じくメコンデルタのロンアン省の1つの村で 1995 年から 1997

年にかけて調査を行い、1950 年代初めから 60 年代にかけて同村で調査・分析されたHickey(1967)の調査結果との比較を試みている。また、同氏は北部のナムディン省のバックコ

ック村においても 1994 年から 2000 年までに継続的な実態調査を行っており10、このロン

アン省でも同じ調査カードを用いることによって、ナムディン省とロンアン省の比較も行

っている。これによると、南部メコンデルタではこの 30 年間に人口が急増し、土地所有が

平均化・零細化され、また稲作農業が集約化すると同時に農業の多角化が進行し、90 年代

以降は非農業化が進展したが、これは北部紅河デルタも同じ傾向であるとしている。しか

し、メコンデルタの特殊性として①土地所有者の土地所有規模が比較的大きい、②非土地

所有者群の存在、③未開拓空間による農地拡大の可能性、が挙げられており、紅河デルタ

では「ほぼ完全な土地分与がなされ、また土地の市場化が不十分」であるため、「土地を維

持したままの賃労働化が進捗する」一方、「メコンデルタの都市近郊村落では、農業の都市

化に対し、土地所有者と土地なし農民の対応の差が顕著になっていくであろう」と結論づ

けられている。この結論は前述の山崎(2004)とは多少異なっており、同じ省の同じ都市

近郊農村の中でも地域性があるということは興味深い。さらに、大野(1998)は桜井と同

じロンアン省の村において、土地台帳とヒアリング調査をもとに農地改革の土地所有状況

への影響を分析している。ここでは、農地改革後のベトナムの均分相続の相続慣行と所有

規模の零細性との関係について考察している。 さらに、Jirstrom and Rundquist(2004)は、メコンデルタと紅河デルタを 1996 年か

ら 2002 年まで農業多角化の進展度という視点から農業構造についての実態調査を行い、紅

河デルタが均一方向で農業多角化が進んでいるのに対し、メコンデルタは多角化傾向の農

家と集約的な稲作単一経営に分化していることを明らかにしている。 このようにベトナム農業構造分析の先行研究を概観すると、南部に比べると、北部ベト

ナムの農業・農村構造の変遷に関する総合的な分析が石川プロジェクト以降はあまり進捗

していないことがわかる。特に、北部ベトナムにおける農村内の比較、具体的には純農村

的農村と都市近郊型農村の比較は全くと言っていいほどなされていない。さらに、土地と

所得の推移、生産費などの構造変化に主題を絞った研究はあるが、それらを横軸として総

合的に俯瞰できるようなものはない。そこで、本稿ではベトナム農業の構造変化を石川プ

10 桜井(2006)は、このバックコック村での約 10 年間にわたる実態調査の報告書であり、一つの村で長期間かつ断

続的に行われた調査報告書としては、北部ベトナム農村の実態を詳細に把握しできる大変有意義なものである。し

かし、歴史研究、地域研究的な視点で書かれているため、計量的な分析などはなされていない。ただし、本稿では、

本研究の調査地で得た分析結果とこの報告書の事例との比較を行い、本稿の結果が北部ベトナム農村における

一般的な結論となりうるかという検討を加えるために、再三にわたってこの報告書内の事例を参照する。

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ロジェクトからの連続性を意識して 1996 年・1999 年と比較すると同時に、特に北部地域

の純農村的農村と都市近郊型農村の比較を中心的課題に据え、土地・労働・資本の推移を

考察するとともに、生産費や所得構造の変化を同時に検討することで多角的・総合的な分

析を試みる。

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第2章 ベトナム農業・農村の特徴

2.1 北部と南部 ベトナムは東南アジアのほぼ中央に位置し、インドシナ半島が南シナ海に面して弧状を描きなが

ら張り出しているその海岸線に沿って、南北に細長く連なった国土から成り立っている。南北の距

離は 1,600km に達し、海岸線の総延長は約 3,000km に及んでいる。海岸線から内陸の国境線ま

での距離は も短くなっている箇所で、東西約 50km に過ぎない。変化に富んだ南北に長大な国

土を持つことから、自然条件を主にして「北部山岳」「紅河デルタ」「北中部沿岸」「南中部沿岸」「中

部高原」「東南部」及び「メコンデルタ」の合計7つの農業生態地域に大別される(図 2-1)。

図 2-1 ベトナム地域別地図 (出所)http://www.ne.jp/asahi/vietnam/agriculture/index.html

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ベトナムの国土総面積は 32 万 3,240k㎡、総人口は 8,203 万人(2004 年)である。全国の農業従

事者数は 2,303 万人(2004 年)で、総農地面積は 953 万ha(2003 年)11であり、農業従事者一人あ

たりの平均農地面積は 0.4haあまりに過ぎない。今まで再三述べているように、このようなベトナムの

農村過剰人口による資源賦存量の希少さは、他の東南アジア諸国と比べても顕著である。また、

限られた農地面積のうちの 42%にあたる も肥沃で生産性の高い農地は、北部と南部に分布して

いる紅河デルタとメコンデルタの 2 地域に集中しており、これらの両デルタ地域の農業粗生産額は

全国の合計の 6 割近くを占めている。そのため、歴史的にもベトナムはこの 2 つのデルタ地域を中

心に経済を発展させてきたが、その気候的条件や歴史的背景から紅河デルタとメコンデルタとで

は社会・経済的構造が全く異なっている。本稿では、紅河デルタを中心とした北部ベトナム農村を

研究対象地域にしているが、その農業構造の背景を明らかにするためにも、ここではメコンデルタ

を中心とした南部ベトナムとの比較によって北部ベトナム農業・農村の特徴を浮き彫りにしたい。 まず、2 つのデルタ地域の気候についてであるが、紅河デルタを中心とした北部ベトナムは、夏

は熱帯モンスーンの影響を受けるが、冬には北東季節風の影響も受けるため、夏と冬の季節の間

に短い春と秋を挟むといった気候パターンを持っている。一方のメコンデルタは、熱帯モンスーン

の影響下で乾季と雨季の違いがあるのみで、年間の平均気温も 22~30℃と年間を通して温暖で

ある。このような気候条件に加えて、ベトナムの歴史は紅河デルタを中心に国の建設が始まり、そこ

での人口増加に伴って現在の中部及び南部地域へと次第に版図が拡大されてきたため、人口/

土地比率はベトナム北部地域で高く、中・南部地域で低いという特徴がある。1998 年のVietnam Living Standards Survey(VLSS)によると、農家1世帯あたりの平均農地面積は、南部 4 地域の

1.21haに対して、北部 3 地域平均は 0.40haであり、また農地面積あたりの農業人口は北部 3 地域

では南部地域平均の約 3 倍になっている12。このため、紅河デルタを中心としたベトナム北部地域

では、稠密な人口密度に基づいた地縁的・血縁的な相互扶助機能が何重にも絡み合った農村社

会構造が形成され、これとは対照的に、メコンデルタを主とした南部地域では、人口密度は低く、

誰もがどこにでも自由に移動できる開拓空間的生活様式がつくられた。原(2002)は、このような紅

河デルタ地域の農村を「内向きで閉ざされた農村」、メコンデルタ地域の農村を「外向きで開かれた

農村」と形容している。以上のような農村構造の違いによって、ベトナムの北部地域と南部地域で

は農業構造にも社会・経済状況にも大きな差異が見られる。よって、ベトナムの農業構造の分析を

するにあたっては、これらの地域性を考慮した上で考察を行うことが重要であるため、以下ではさら

にこの両デルタの農業構造の特徴的な相違について詳しく述べる。 紅河デルタは、総面積が 148 万ha、うち農地面積が 74 万 8,500ha、総人口 1,683 万人、うち農家

人口 1,069 万人、総農家数 265 万戸(2000 年)からなる地域である、。長い開発の歴史をもち、極

度に人口が稠密で、1k㎡あたりの人口密度は 1,138 人に達し、農家 1 世帯あたり平均農地面積は

僅か 0.28haに過ぎない。歴史的には、10 世紀頃から人口増加に起因して発生してきた農村内の

貧富差の拡大を抑えるべく、水田の割り替えを行う公田制が発達しており、村は国家権力の介入も

排除しうる自治組織を作り出してきた、という背景をもつ13。このような緊密な社会構造をもち、超零

細規模構造であるために、営々と続けられてきた治水と水利の改良投資を通じて、農地基盤が整

11 GSO(2004,2005) 12 長(2005) 13 北部ベトナムには「王の法律も村の垣根まで(“PhÐp vïa thua lÏ lµng.”)」という諺もある。

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備されてきた。その下での高度の集約的ば労働投下を要因にして、農地利用の集約度は高く、米

を初めとした作物単収も国内では も高い水準に達している。また、集約的農地利用と結合して養

豚も全国首位の地域となっている。こうした農業の多角化の一方で、紅河デルタでは多種多様な

伝統産業や農外活動が農家の副業として営まれており、近年ではハノイ市を中心にして工業とサ

ービス産業も次第に発展を遂げ、それらへの就業増加による農家の兼業化が急速に進行している。

結果として、規模の著しい零細性にも関わらず、農家 1 戸あたりあるいは農業従事者 1 人あたりの

年間所得は全国平均を上回る水準となっているが、都市化や工業化が進展している中で、農業に

おける過剰就業や農業労働生産性の低位性は依然として未解決のままである。 これに対し、メコンデルタは総面積が 337 万 ha、うち農地面積が 298 万 ha、総人口 1,613 万人、

うち農家人口 614 万人、総農家数 237 万戸(2000 年)からなる地域である。ベトナム 大の食糧基

地であるが、紅河デルタと比べると開発の歴史は新しく、1k㎡あたり人口密度は紅河デルタの約 3分の 1 で、農家 1 世帯あたり平均農地面積は逆に 1.26ha という比較的大きな規模が現在でも維持

されている。歴史的には、19 世紀以降に輸出米生産の適地として急速に開拓され、誰も使ってい

ない土地が存在し続けたため、人々が自由に動き回って活動する生活様式が確立されてきた。ま

た、メコン川の氾濫水を利用して稲作が行われていたため、北部のような水の利用を契機とした村

のまとまりといった慣行はほとんど発達しなかった。その結果、都市に住む商人の往来も全く自由

で、デルタの農民と商人とは相互利益で結びつく自由な社会関係を作ってきたといえる。南北統

一後の時代になってからは、大規模に実施されてきた水利改良投資と水田開発、多収量品種を始

めとした新技術の普及、栽培管理技術の集約化などをもとにした米の作付け面積の増加と単収の

上昇によって、米生産量はドイモイ改革後の短い期間に急増し、現在では全国米生産量の 52%

にあたる 1,710 万トン(2000 年)を産出するまでに至っている。1989 年に始まったベトナムの米輸出

は、それ以後年々数量が増加してきたが、そのほとんど全てがメコンデルタ地域で生み出された余

剰米から成り立っている。しかしながら、米生産のこうした目覚ましい発展にも関わらず、近年の国

際的な米価の低迷などから農民所得は停滞しており、米作に偏った農業構造が土地なし層や貧

困世帯を増加させて問題となっている。 次に、統計資料から 2 つの地域の特性を明確にする。まず、農業総生産額の推移を表 2-1 と図

2-2 から見てみる。表 2-1 は、ベトナム全体と 2 つのデルタ地域の農業総生産額(1994 年価格)と、

2 つの地域のその全体に占める割合が 1995 年からどう推移してきたかを表したものである。これを

見ると、ベトナム全体では依然として順調に総生産額を伸ばしてきているのに対し、紅河デルタ地

域とメコンデルタ地域は両地域ともそのシェアを減少させている。紅河デルタは 1995 年には 20.1%

表2-1 Output value of agriculture (At constant 1994 prices)Unit 1995 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004

Whole country Bill dong 82,307.1 99,096.2 106,367.9 112,111.7 114,989.5 122,150.0 127,651.1 132,888.0RRD Bill dong 16,575.8 19,402.0 20,250.6 20,898.1 21,261.8 22,208.9 22,821.9 23,870.0 -The share in total % 20.1% 19.6% 19.0% 18.6% 18.5% 18.2% 17.9% 18.0%MRD Bill dong 31,247.6 37,952.7 39,762.1 40,625.1 39,587.6 44,269.0 44,667.9 45,763.2 -The share in total % 38.0% 38.3% 37.4% 36.2% 34.4% 36.2% 35.0% 34.4%(出所)GSO(2001,2005)

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0.0

20000.0

40000.0

60000.0

80000.0

100000.0

120000.0

140000.0

1995 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004

Year

Out

put v

alue

(Bill

don

g) WholecountryRRD

MRD

図 2-2 農業総生産額の推移 (出所)GSO(2001,2005)

(注)RRD=紅河デルタ(Red river delta)、MRD=メコンデルタ(Mekong river delta) あったシェアが 2004 年には 18.0%まで縮小し、メコンデルタでも 1995 年の 38.0%から 2004 年に

は 34.4%と 4%近く減らしている。 図 2-2 を見ても、ベトナム全体は右上がりであるが、紅河デルタはほぼ横ばい、メコンデルタは微

増であることから、この傾向は明らかである。この原因として、近年紅河デルタ地域の経済構造が

工業・サービス部門が拡大しているのに対し、逆に農業部門は全体的に縮小しつつあることに加え、

もう一方のメコンデルタ地域の場合は、主要な農業生産物であった米の国際的価格の下落に伴う

成長の鈍化が挙げられる。しかし、メコンデルタ地域は依然としてベトナム 大の穀倉地帯であり、

ベトナムにとって米は 大の輸出品目のひとつであることから、その農業に占める重要性は大き

い。 次の図 2-3 は、ベトナムの米の総作付け面積と 2 つのデルタの全体に占めるシェアの推移をグ

ラフにしたものである。このグラフを見ると、1990 年代後半はベトナムの総作付け面積は急激に伸

びているが、メコンデルタが 1998 年にそのシェアを 50%台に乗せ、その後も僅かではあるがさらに

拡大していることが分かる。その一方で、逆に紅河デルタのシェアは年々縮小する傾向にある。元

来紅河デルタは農地の外延的拡大が限界を迎えていたが、メコンデルタは 近まで未開拓地が

残っていたため、その土地の開発によってベトナム全体の作付面積も長期にわたって増加してき

た。しかし、この図でも分かるように、2001 年以降はベトナム全土でも作付面積は減少に転じており、

ベトナムではこれ以上の農地拡大の余地は少ないと思われる。 さらに、図 2-4 はベトナムの米の総生産量と 2 つのデルタの全体に占めるシェアを表したものだ

が、ここでもメコンデルタの占める割合は常に約 50%とかなり高くなっている。ベトナム全体の総生

産量は 1995 年から 2004 年まで毎年伸びているが、紅河デルタのシェアが落ちていることから、依

然としてベトナムの米生産の半分近くを担っているのがメコンデルタであると言える。

10

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0.0%

10.0%

20.0%

30.0%

40.0%

50.0%

60.0%

1995 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004

Year

Com

posi

tion

(%)

6200

6400

6600

6800

7000

7200

7400

7600

7800

Plan

ted

area

(000

ha)

The share ofMRDThe share ofRRDTotal plantedarea

図 2-3 米の総作付け面積と 2 つのデルタの全体に占めるシェア (出所)GSO(2001,2005)

0.0%

10.0%

20.0%

30.0%

40.0%

50.0%

60.0%

1995 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004

Year

Com

posi

tion

(%)

0

5000

10000

15000

20000

25000

30000

35000

40000

Prod

uctio

n (0

00to

n) The share ofMRDThe share ofRRDTotalproduction

図 2-4 米の総生産量と 2 つのデルタの全体に占めるシェア (出所)GSO(2001,2005)

表2-2 1998年VLSSに基づく米の商品化率

Sale Self-consumption Seed rice Feed for

LivestockWhole country 27523.9 44.8 42.9 4.6 6.0

RRD 5076.6 24.1 59.8 2.1 13.4MRD 13850.0 68.1 21.4 5.7 2.2

(出所)荒神(2006)

(注)VLSS stands for "Vietnam Living Standards Survey"

Total production(1000ton)

Composition (%)Area

11

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紅河デルタ地域とメコンデルタ地域の農業の特性の違いが も現れるのが、その商品化率の差

異である。具体的な数値が前回のVLSS(1997/1998)のものしかないのため時系列での比較はでき

ないが、表 2-2 はベトナム全体と 2 つの地域の米の商品化率をまとめたものである。これを見ると、

メコンデルタの商品化率が 68.1%と 7 割近くを占めるのに対し、紅河デルタは 24.1%と全国平均の

44.8%を 20%以上も下回っている。同時に、紅河デルタは自家消費率も高く、6 割近くが自給用と

なっている。以上のことからも、メコンデルタ地域の農業が商業的、紅河デルタ地域は自給的、とい

う傾向が明白である。またこの表で示されている点は、紅河デルタでは米が畜産の飼料として利用

される割合が高いということである。メコンデルタが僅か 2.2%である一方、紅河デルタは 13.4%とか

なり大きい。これは、紅河デルタ地域は畜産が盛んであり、ほとんどの農家で養豚が行われている

ことと関係している。元来、この地域では伝統的にVAC農法14と呼ばれる農業が行われており、こ

の農法では自家消費される主要な食糧はすべて自給自足できる生産であるため、近年では貧困

者世帯の所得向上の手段として全国的に推奨されてきた。このような伝統的な農法によって、紅河

デルタを中心とした北部ベトナム農村では、自家生産された米や野菜の余剰分を豚の飼料として

与えることが一般的になっている。しかし、この農法は「多角化」が達成される一方で、前述したよう

に紅河デルタ地域の農業経営規模が小さいために経営は自家消費食料の生産の範囲に止まり、

商業的な農業生産への転換を難しくさせてきた面もある。 ベトナム国内でも北部地域に代表されるようなベトナム農業の規模の矮小性が問題視されること

が多くなり、前述した大規模私営農場(Trang tr¹i「チャン・チャイ」)の設立が農業商業化の進

展に向けて推進されている。表 2-3 はその大規模私営農場数の地域別推移を示したものである。こ

れによると、やはり紅河デルタとメコンデルタの違いは明白であり、総数を見ても 2001 年では全国

で 61,017、紅河デルタで 1,834、メコンデルタで 31,190 と、輸出作物の生産地であるメコンデルタの

方がほぼ半数を占めている。また、そのメコンデルタの大規模農場は 1999 年時点ではほぼ一年生

作物栽培が中心であったが、2001 年までに水産養殖が劇的に増加した。紅河デルタではもともと

表2-3 大規模農場数の推移

1999 2001 1999 2001 1999 2001 1999 2001Whole country 45,372 61,017 25,702 21,754 12,247 16,578 1,306 1,761

RRD 1,394 1,834 101 182 266 284 77 156MRD 19,259 31,190 19,202 17,782 8 685 14 178

(出所)荒神(2006)

1999 2001 1999 2001 1999 20011,840 1,668 1,718 17,016 2,559 2,240183 40 521 1,026 246 14613 108 1 12,130 21 307

LivestockTotal Annual crop Perennial crop

Unit: The number of farm

Forestry Aquaculture Others

14 Vはベトナム語の「屋敷畑(V-ên)」、Aは「池(Ao)」、Cは「家畜小屋(Chuång)」の略である。野菜・果樹、養殖、

養豚を組み合わせて、その副産物を循環させることで効率的で多角的な経営を行うことができるとした農法である。

近ではメコンデルタ地域でも導入され、そこではR(Ruéng「水田=稲作」)を加えて農家経済の多角化が推奨さ

れている。

12

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が多かった畜産を中心に、水産養殖などでその農場の数が増加している。一年生作物栽培の大

規模農場数が全国的に減少する中で、この紅河デルタが逆にその数を伸ばしているのは、全国に

比して野菜作の作付面積拡大が著しいことの表れであると考えられる。しかし、やはり農場数の推

移は紅河デルタが 1,394(1999 年)から 1,834(2001 年)、メコンデルタは 19,259(1999 年)から

31,190(2001 年)と、もともとの設立数・その増加数とも紅河デルタはメコンデルタに遠く及ばない。

このことからも、小規模な紅河デルタ農業が土地を集積し、その経営規模を拡大するのは困難であ

ることがわかる。 つまり、本稿の研究対象である北部ベトナム農村の特徴を南部のメコンデルタ地域と比較してみ

ることによって、小規模で土地資源が少なく、その農業生産も極めて自給的であることが特徴として

挙げられる。このような地域で農家の所得向上を図るためには、農業の規模拡大や多角化よりも、

いかに農業の過剰就労状態を軽減し、農外所得を増加させる方が効果的であると考えられる。上

述したように、北部ベトナム農村内では農村工業が盛んなこともあり、農村の中での非農業化が目

指されている。本稿でも、その在村兼業化の可能性に関して重点的に検討を行う。 2.2 都市部と農村部15

第 1 章でも述べたように、ドイモイ政策開始以降の著しい経済発展の一方で、ベトナムでは都市

部と農村部の貧困の格差拡大が問題となっている。この節では、貧困ラインで見たベトナムの貧困

状況の推移を、都市部と農村部を比較しながら論じる。 まず、ベトナムにおける貧困ラインには 2 種類あり、ひとつはベトナム政府の設定したもの、もうひ

とつは世界銀行が算出しているものである。一つめのベトナム政府による貧困ラインは、国連アジ

ア太平洋社会委員会(ESCAP)が 1993 年にバンコクで開催した「貧困会議」をきっかけに設定され、

その当時は、「国民 1 人 1 日あたり 2,100kcal を米だけで摂取すると何 kg 必要か」を計算し、それ

に食料以外の経費(農村部のエンゲル係数 80%、都市部では 75%)を加えて算出された。表 2-4は、1993 年制定時から現在までのベトナム政府の貧困ラインの推移を表したものである。この表に

もあるように、1997 年以降は貨幣経済の浸透に伴って「ドン(VND)」による所得表示も併用される ようになり、2001 年からはドン表示のみになっている。これを見ると、2001 年から 2005 年の新基準

の上昇が著しく、特に農村部では 80,000 ドン(山岳・島嶼部)、100,000 ドン(平野部)から 200,000ドンへとほぼ倍になっている。この急激な上昇は、ベトナム経済に伴う物価上昇を反映したもので

15 ベトナムにおける「都市」と「農村」の定義は、地方行政単位の種類によってなされている。下の表 2-8 における

網掛け部分の「村」がここでの農村である。

表2-8 都市と農村の定義中央レベル省レベル県レベル 区

コミューンレベル 町 町 村 町 村 町 村(出所)藤田(2006)

(注)網掛け部分が「農村」

県 市 県

中央中央直轄市 省

13

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あると考えられる。また、これをもとに貧困率の推移を表したものが表 2-5 である。この表では、2000 表2-4 ベトナム政府の貧困ラインと測定方法

山岳・島嶼部 平野部1993年 米8kg 米13kg 米15kg 米20kg1995年 米15kg 米20kg 米20kg1997年 55,000VND 70,000VND 90,000VND2001年 80,000VND 100,000VND 150,000VND2005年 260,000VND

(出所)堀内・三簾・櫻井(2004),平成17年度外務省第三者評価(2006)

農村部 都市部 都市部

貧困状況飢餓状況農村部

200,000VND

米13kg45,000VND

- -

表2-5 ベトナム政府の貧困ラインによる貧困率の推移unit: %

2000 2004 2005(1) 2005(2)*Whole country 17.18 8.30 7.00 22 North east 22.35 10.36 8.00 33 North west 33.96 14.88 12.00 42 Red river delta 9.76 6.13 5.15 14 North central 25.64 13.23 10.50 35 South central coast 22.34 9.56 8.00 23 Central highlands 24.90 13.03 11.00 38 South east 8.88 2.25 1.70 9 Mekong river delta 14.18 7.40 6.78 18(出所)CIEM(2006),平成17年度外務省第三者評価(2006)

*2005(1)は旧基準、2005(2)は新基準によって計算されたものである。

年から 2005 年までに旧基準で算出された貧困率は年々減少しており、全国平均で 2000 年に

17.18%であったものが、2005 年には 7.00%まで低下している。しかし、2005 年は上述した新基準

では 22%となり、ベトナム国民の 2 割以上がまだ貧困に苦しんでいることが分かる。このように、貧

困水準の変化によってこれほど貧困率が変わるということは、貧困ラインの前後に多くの人が集中

して存在し、このような人たちが自然災害や不況により貧困層へ逆戻りする可能性も孕んでいると

考えられる。さらに、この表からは貧困の地域的格差が依然として大きいことも明白である。やはり、

ホーチミンを含む東南部やハノイがある紅河デルタは比較的貧困率が低く、北部山岳地域(North west, North east)や中部地域(North central, South east central, Central Highlands)は相対的に高く

なっている。また、 も貧困率が高い東北部と逆に も高い東南部を比較してみると、2000 年は東

北部が 33.96%、東南部が 8.88%と 4 倍弱の差であったが、2005 年(旧基準)では東北部が

12.00%、東南部が 1.70%と 7 倍に、新基準でも 4.7 倍にその差は開いている。これらのことから、

ベトナムでは年々貧困の地域格差が広がっていると言える。 次に、もう一つの貧困ラインである世界銀行が算出している貧困ラインについて述べる。この世界

銀行による貧困ラインは、1992・93 年の第 1 回ベトナム生活水準調査(VLSS)をきっかけに算出さ

れた。その結果、1 人 1 日あたり 2,100kcal の食料を購入する場合の支出は、1 人 66,500 ドン/月

であったため、それに食料以外の経費を加えて、1 人 97,000 ドン/月が貧困ラインとして設定され

た。次の 1997・98 年の第 2 回 VLSS では、1 人 1 日あたり 2,100kcal の食料を購入するための支出

は 107,000 ドン/月となったため、貧困ラインは 1 人 149,000 ドン/月とされている。この計算では、

食料費を生活必要経費の 70%と仮定し、この水準を「食料貧困ライン」、残りの 30%(食費以外の

14

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15

表2-6 世界銀行の貧困ラインによる貧困率の推移Unit: %

1992 1998 2002 2004総合貧困ライン 58.1 37.4 28.9 24.1 -都市 25.1 9.2 6.6 10.8 -地方 66.4 45.5 35.6 27.5食料貧困ライン 24.9 13.3 9.9 7.8 -都市 7.9 4.6 3.9 3.5 -地方 29.1 15.6 11.9 8.9(出所)平成17年度外務省第三者評価(2006)

必要経費)を加算したものを「総合貧困ライン」として算出されている。この貧困ラインをもとにした

貧困率の推移を表したのが表 2-6 である。この表からも、一見して全国平均で見たベトナムの貧困

は年々軽減されていることが分かる。特に、地方の飢餓状態(食料貧困ライン)の割合が 1992 年で

は 29.1%とほぼ 3 人に 1 人であったのが、2004 年には 8.9%にまで下がったのはかなり飢餓状況

が改善されたと言えるだろう。しかし、都市と地方の貧困率の差は、前の諸表と同様あまり好転して

はいない。総合貧困ラインの都市と地方の差は、1992 年では地方が 66.4%、都市が 25.1%と地方

が都市の 2.6 倍であったが、1998 年ではその差はほぼ 5 倍と悪化し、2002 年では 5.3 倍とさらに

格差が広がった。2004 年には都市の貧困率が 10.8%、地方が 27.5%とその差は 2.5 倍に少し縮ま

ったが、地方では依然として4人に 1 人以上が貧困状況にある。 以上で見てきたように、ベトナムでは貧困率の地域格差、特に都市部と農村部の格差が深刻で

ある。世界銀行の基準で算出した貧困率では近年その差は改善されたようにも捉えられるが、ベト

ナム政府の基準で見ると逆に豊かな地域と貧しい地域との格差は拡大している。さらに、ベトナム

政府の基準では、貧困ラインの水準が改正されることで貧困率がかなり上昇したことから、貧困ライ

ンを越えた人々の中にもまだ貧困ラインぎりぎりのところに存在する人も多く、その人たちが不測の

事態によっては貧困者に転落する状況であることを示唆している。そのひとつの要因となっている

のは、農村内での格差である。特に、メコンデルタ地域では 1993 年の土地法改正で農地が相続・

売買・譲渡・貸借ができるようになって以降、土地なし層の存在が目立ち始め、農地を抵当に入れ

て融資を受けた農民が返済できない状況に陥って農地を失う、という事態も多く見られている。また、

ベトナムでは均分相続が伝統として根強く残っているため、兄弟間で細かく分割して相続された農

地が所得を十分に得られる面積ではないという場合も多く、そのような小規模経営を行っている農

民はいつ貧困層になってもおかしくない状態である(表 2-7)。その一方で、農民の中には農地規

模を拡大して商品作物を大規模に栽培したり、逆に農外活動に従事することで近年の賃金率の上

昇の波に乗り、所得の向上に成功した世帯も数多く存在する16。現在のベトナムの農村地域では、

このように条件に恵まれた農民とその恩恵を受けられなかった農民間での格差が発生し、それはさ

らなる貧困削減に向けた状況を一層複雑にしている。しかし、このような現状にもかかわらず、農村

の農民間の格差問題については未だにはっきりとした状況分析や原因究明がなされていない。こ

のため、本稿では特に農村間の比較に焦点を当て、格差が現れやすいとされる都市近郊農村と純

農村型農村の比較を中心に分析を行い、今後の貧困緩和のための方向性を見出したいと考える。

16 泉田(2000),(2002),Yamazaki(2004)など。

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表2-7 農地規模による農家分布 (2001年)

戸数 % 戸数 % 戸数 % 戸数 % 戸数 %全国 10,689,753 444,661 4.1 2,688,253 25.1 4,189,051 39.2 1,755,064 16.4 1,058,138 9.9紅河デルタ 2,758,062 9,029 0.3 1,289,911 46.8 1,352,189 49.0 99,396 3.6 5,830 0.2東北地域 1,455,774 5,234 0.4 356,225 24.4 665,134 45.7 302,290 20.8 103,051 7.1西北地域 362,633 2,030 0.6 51,851 14.3 112,513 31.0 76,845 21.2 74,677 20.6北部沿岸地域 1,576,173 6,448 0.4 416,756 26.4 851,181 54.0 234,025 14.8 49,580 3.2南部沿岸地域 853,919 10,892 1.3 251,664 29.5 393,352 46.1 134,518 15.8 42,953 5.0中部高原地域 693,796 13,269 1.9 44,375 6.4 133,039 19.2 198,688 28.6 204,424 29.5東南地域 824,081 103,044 12.5 86,994 10.5 168,716 20.5 176,982 21.5 168,727 20.5メコンデルタ 2,165,315 294,715 13.6 190,477 8.8 512,927 23.7 532,320 24.6 408,896 18.9(出所)出井(2004)

*「土地不足農家」は保有農地0.2ha以下の農家と定義されている。

戸数 % 戸数 % 戸数 % 戸数 %338,248 3.2 167,903 1.6 42,796 0.4 5,639 0.1

899 0.0 587 0.1 179 0.0 42 0.016,323 1.1 6,190 0.4 1,223 0.1 104 0.027,910 7.7 13,887 3.8 2,825 0.8 95 0.011,267 0.7 5,462 0.4 1,300 0.1 154 0.012,090 1.4 6,225 0.7 1,950 0.2 275 0.062,228 9.0 29,788 4.3 7,027 1.0 958 0.164,050 7.8 39,457 4.8 13,563 1.6 2,548 0.3

143,481 6.6 66,307 3.0 14,729 0.7 1,463 0.1

5~10ha以下 10ha以上

農家総戸数1~2ha以下

2~3ha以下 3~5ha以下

土地なし農家 土地不足農家* 0.2~0.5ha以下 0.5~1ha以下

16