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プロレタリア詩とアナーキズム 13 プロレタリア詩とアナーキズム 1 プロレタリア詩の源流を大正の中頃まで溯源す ると、労農詩人たちの詩的激情をかきたてたもの がアナーキズムであったことが認められる。日本 の近代化一資本主義的発展の過程においてっね に抑圧され、疎外されてきた労農階級の鬱積した 感情に火をっけ、詩的激情として燃え立たせる役 割を果したのが、アナーキズムであったのであ る。アナーキズムが導火線となって、はじめて日 本の社会の底辺で沈黙の厚い殼に閉じこめられて いたものが、殼をつき破って爆発するかたちで、 プロレタリア詩の源流は、詩の表現の世界に噴出 したのである. 松田道雄は、日本のアナーキズムの思想史的な 意味をつぎのようにとらえている。 《日本のアナーキズムほど日本社会の底辺の思 想を代表したものはない。いままでこの最深部の 人たちのエネルギーが、何らかの文化的な表現を もちえたとすれば、それは歌謡とか舞踊とか落語 とか漫才とかいったたぐいであった。(中略) 日本のアナーキズムは、はじめてこれら最底辺 に生きる人たちの思想をほこるべきものとして表 現したのである。それは歴史的必然という外国の 思想によって啓蒙された旺統」の思想ではな い。日本の最底辺に何千年とおさえつけられてい た人たちが最初にかかげ売異端と反逆との思想で ある。>(「日本6アナーキズム」) この文章の中の’「思想」という言葉を「感情」 という言幕におきかえるならば、そのままプロレ 蚤雛擁灘1欝1鴛 ムと結びつき、マルクス主義と結びつかなかった のかということは、プロレタリア詩史上の重要な 問題の一つである。中野重治はこの点について、 つぎのような見解を述べている。 <大逆事件のあと、革命運動が極端な弾圧を受 けたのち、もう一度それが復活して来るまでの時 期を頭におき、『新社会』に「マルクス主義の旗 印」をかかげた堺利彦あたりを日本マルクス主義 運動の最初の人と見るとすれば、この社会主義者 たちは、労働大衆と直接にむすんで権力とたたか うことにおいて、大杉栄を中心とする無政府主義 者のグループなどよりも弱いところを持ってい た。(中略)またそのマルクス主義は、文献の不足 とも結びついて、理論的には修正主義的であり、 啓蒙的ではあってもまったくといっていいほど通 俗的であった。このマルクス主義理論からは、肝 腎の革命的気塊が抜かれていたと見ることができ る。そこで、このことからただちに結論を引きだ すことはできないが、通俗的啓蒙的マルクス主義 は文芸にたいして力を持ちようがないため、ロシ ア十月革命の後までも、日本のあたらしい詩につ いて、当時の日本のマルクス主義は直接には無力 であって、問題は無政府主義者たちの手にゆだね られていたと見られるふしが少くない。》(rプ・ レタリア詩の発展」) プロレタリア詩の源流が、アナーキズムに結び つき、マルクス主義に結びつかなかった原因を、 中野重治は、当時のマルクス主義の側に見られる 弱さ、実践的、理論的弱さにもとめている。しか し、マルクス主義の側における弱さだけからは、 なぜまずアナーキズムが、日本の労農大衆の心を 深くつかみ、その詩的激情をかきたて、プロレタ リア詩の生成に大きな影響力を持つことができた のかということの必然性を説きつくすことはでき ない。大杉栄を先頭とする日本の大正期のアナー .キズムが、文芸に対してひろく影響力を持ったば かりでなく、労農大衆の中の急進分子を強く引き つけ、彼らを詩人たらしめた優位性はどういう点 にあ,り、何を根拠としていたのであろうか。

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Page 1: プロレタリア詩とアナーキズムir.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R000001990/5-101.pdf · らのアナーキズムの方であった。 これらの詩人たちの基本的な役割は、日本の近

プロレタリア詩とアナーキズム 13

プロレタリア詩とアナーキズム

木  村 幸  雄

1

  プロレタリア詩の源流を大正の中頃まで溯源す

 ると、労農詩人たちの詩的激情をかきたてたもの

 がアナーキズムであったことが認められる。日本

 の近代化一資本主義的発展の過程においてっね

 に抑圧され、疎外されてきた労農階級の鬱積した

 感情に火をっけ、詩的激情として燃え立たせる役

 割を果したのが、アナーキズムであったのであ

 る。アナーキズムが導火線となって、はじめて日

 本の社会の底辺で沈黙の厚い殼に閉じこめられて

 いたものが、殼をつき破って爆発するかたちで、

 プロレタリア詩の源流は、詩の表現の世界に噴出

 したのである.

  松田道雄は、日本のアナーキズムの思想史的な

 意味をつぎのようにとらえている。

  《日本のアナーキズムほど日本社会の底辺の思

 想を代表したものはない。いままでこの最深部の

 人たちのエネルギーが、何らかの文化的な表現を

 もちえたとすれば、それは歌謡とか舞踊とか落語

 とか漫才とかいったたぐいであった。(中略)

  日本のアナーキズムは、はじめてこれら最底辺

 に生きる人たちの思想をほこるべきものとして表

 現したのである。それは歴史的必然という外国の

 思想によって啓蒙された旺統」の思想ではな

 い。日本の最底辺に何千年とおさえつけられてい

 た人たちが最初にかかげ売異端と反逆との思想で         ろ ある。>(「日本6アナーキズム」)

  この文章の中の’「思想」という言葉を「感情」

 という言幕におきかえるならば、そのままプロレ

蚤雛擁灘1欝1鴛 ムと結びつき、マルクス主義と結びつかなかった

 のかということは、プロレタリア詩史上の重要な

 問題の一つである。中野重治はこの点について、

 つぎのような見解を述べている。

 <大逆事件のあと、革命運動が極端な弾圧を受

けたのち、もう一度それが復活して来るまでの時

期を頭におき、『新社会』に「マルクス主義の旗

印」をかかげた堺利彦あたりを日本マルクス主義

運動の最初の人と見るとすれば、この社会主義者

たちは、労働大衆と直接にむすんで権力とたたか

うことにおいて、大杉栄を中心とする無政府主義

者のグループなどよりも弱いところを持ってい

た。(中略)またそのマルクス主義は、文献の不足

とも結びついて、理論的には修正主義的であり、

啓蒙的ではあってもまったくといっていいほど通

俗的であった。このマルクス主義理論からは、肝

腎の革命的気塊が抜かれていたと見ることができ

る。そこで、このことからただちに結論を引きだ

すことはできないが、通俗的啓蒙的マルクス主義

は文芸にたいして力を持ちようがないため、ロシ

ア十月革命の後までも、日本のあたらしい詩につ

いて、当時の日本のマルクス主義は直接には無力

であって、問題は無政府主義者たちの手にゆだね

られていたと見られるふしが少くない。》(rプ・

レタリア詩の発展」)

 プロレタリア詩の源流が、アナーキズムに結び

つき、マルクス主義に結びつかなかった原因を、

中野重治は、当時のマルクス主義の側に見られる

弱さ、実践的、理論的弱さにもとめている。しか

し、マルクス主義の側における弱さだけからは、

なぜまずアナーキズムが、日本の労農大衆の心を

深くつかみ、その詩的激情をかきたて、プロレタ

リア詩の生成に大きな影響力を持つことができた

のかということの必然性を説きつくすことはでき

ない。大杉栄を先頭とする日本の大正期のアナー

.キズムが、文芸に対してひろく影響力を持ったば

かりでなく、労農大衆の中の急進分子を強く引き

つけ、彼らを詩人たらしめた優位性はどういう点

にあ,り、何を根拠としていたのであろうか。

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14 福島大学教育学部論集第23号

          2

 大正6年のロシア十月革命、その日本国内への

反響、大正7年の全国的な米騒動の勃発などによ

って急速に高揚した労働運動・社会主義運動の波

の中から、あらたな労働者農民の詩の書き手が登

場し、その詩集も刊行されるような気運がかもし

出される。その主なものを列挙すれば、根岸正吉

・伊藤公敬『労働詩集・どん底で歌ふ』 (大正9

・5)、松本淳三r二足獣の歌へる』(同12・3)、

新島栄治『湿地の火』(同12・5)、同『隣人』(13

・6)、渡部信義『灰色の藁に下がる』(14・7)、

後藤謙太郎r労働・放浪・監獄より』(同15・4)、

野村吉哉『三角形の太陽』(15・6)、渋谷定輔

r野良に叫ぶ』(同15・7)などがある。

 昭和初頭になって、マルクス主義の詩が、プロ

レタリア詩の正統な本流と見なされるようになる

が、それ以前のこれらの詩人たち一前期プロレ

タリア詩の書き手たちは、アナーキズムの影響の

下で詩を書いているのである。アナーキズムか、

マルクス主義かということが詩人たちの切実な問

題となり、二つが敵対的な対立関係において相剋

するようになるのは、大正末のいわゆる「アナ・

ボル闘争」が政治戦線、労働戦線から文芸戦線に

波及するようになってからのことで、それまで

は、r労働詩集・どん底で歌ふ』の序文をマルク

ス主義者の堺利彦が書き、その中の「織工」とい

う作品はアナーキスト大杉栄に奉げられるという

ぐあいで、二つのものは社会主義運動という一つ

の流れを成して、相たずさえて進むという面もあ

ったのである。しかし、二つのうちで、これらの

詩人たちの感情を深くっかんでいたのは、大杉栄

らのアナーキズムの方であった。

 これらの詩人たちの基本的な役割は、日本の近

代詩にその表現の場を持っていなかった労農階層

の鬱屈した感情を、直截的に歌い上げるというと

ころにあった。どん底から歌い上げられた彼らの

詩の基調をなしている根源的な感情は、<屈辱〉

<憎悪〉<叛逆〉である。

 <屈辱>というのは、つねに社会のどん底にお

さえつけられ、工場や農村で酷使され、搾取さ

れ、人間的な生活を奪われてきた労働者農民の胸

の底にわだかまっている基本的な感情の一つであ

る。そしてこのく屈辱>は、他の二つの基本的な

感情〈憎悪>やく叛逆〉とわかちがたくからみ合

って、長い年月の間、労働者農民の胸奥に鬱積

1971-11

し、その噴出口をもとめてうずいていたところの

ものである。長い間抑圧され疎外されてきた労働

者農民が、自己の主体的人間性とあらたな誇りと

を獲得するためには、まずこれらの鬱屈した感情

を一度思いきり自由に解放するところがらはじめ

なければならなかったのである.おさえつけられ

ていた自己の内奥の感情を表白するということ

は、自己回復の第一歩にほかならない。それはと

もかく、<屈辱>というものが工場や農村の苛酷

な労働や貧しい生活の場で日々つみかさねられて

きた基本的感情の一つであったことに注目してお

きたい。たとえば『労働詩集・どん底で歌ふ』の

中のつぎのような作品は、それを証言している素

朴な一例である。

  工場哀歌        伊藤公敬

活字三本きずつけしため

いま老いし職工は打たれ蹴られる一

惨忍あくなき職長の

丸太の如きふと腕は

戦きふるふ衰へし職工の

顔と頭とところきらはず

力にまかせて乱打し且つ

あらゆる言葉もて罵り喚く

真に同情する音なく、

弱き者あくまで弱く、

真に彼の味方となる者なく、

さげすみ或ひはあざ笑ふ。

僅か活字三本きずつけしために

 これはきわめて陰惨なく屈辱〉である。まだ労

働者階級としての連帯も誇りも持つことができず

に、ただ奴隷の如く酷使される者の上に襲いかか

る〈屈辱>である。しかし、そういう苦いく屈辱

>をかみしめるところがら労働者としての自己把

握、階級意識もめばえてくるのである。

   俺は靴底だ

俺は靴底だ

虐げられた靴底だ 靴底だ

凡ての無産者は靴底だ 靴底だ

そして此の靴底は

新島栄治

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プロレタリア詩とアナーキズム 15

巧妙な職師の手に成った靴底だ 靴底だ

法律といふ糸で縫ひ合せられた靴底だ

道徳といふもので、釘づけられある靴底だ

  靴底だ

しかも丈夫な靴底だ 靴底だ

.1此の靴底は 靴底は

靴の生命を支配する靴底だ 靴底だ

幾度か 靴の表面は手入れされても俺は省られ

  ない靴底だ 靴底だ

一幾度となく 靴の表面は飾られても 一度もう

  るはない虐げられた

靴底だ一靴底だ俺は此の靴の表面がメチャメチャに壊れない限

  り

永遠に虐げられる靴底だ 靴底だ

雨が降っても 陽が照っても 雪が降っても

  解けた時でも 湿った時でも 乾いた時で

  も日の目も見ることの出来ない靴底だ。

                (後略)

 これは下積みの労働者のく屈辱>を歌った作品

の一例だ。根深いく屈辱〉の感情を「靴底」とい

・う身辺なものの比喩によって形象化している』ま

たそのリズムは、民衆詩派などの口語自由詩のリ

ズムをとり入れて、息の長いねばりづよいものに

1なっている。むろん、自己のく屈辱>をこのよう

な形象とリズムで歌うことを可能にしているもの

・は、自分こそ社会のどん底におさえつけられなが

ら、実は社会全体をその土台において支えている

者なのだというあらたな〈自負>であろう。そし

て、そういうあらたなく自負><誇り〉にめざめ

させたものは、アナーキズムやマルクス主義の思

想、それらの思想にみちびかれた社会主義運動、

・労働運動の高揚にほかならない.

 抑圧され、搾取され、疎外されてきた者がどん

底で感受してきたく屈辱〉こそ、プロレタリア詩

に噴出する〈憎悪〉<判逆><自負>という階級

〔的激情の母胎なのである。プロレタリア詩の流れ

をたどるとき、最も強く印象づけられるのはこの

ことである。

 虐げられてきた者の虐げてきたものへのく憎

悪〉、近代文明からとり残された農村から都会に

向けられるく憎悪>、<憎悪>すべき真の敵の姿

を見出し得ないままに暗黒の娼として凍結する

〈呪い>などと、.く憎悪>を基調とする作品は、

枚挙にいとまがないほどあるが、その二三の例を

あげておくにとどめる。

   須賀爺        根岸正吉

須賀爺の面の憎さよ。

あの

額に寄する残忍の霰よ。

冷酷のまなざしよ。

憎らしき幡よ頬っぺたの穴よ.

      フドマ須賀爺の面の憎くさよ。

今日も亦緯蒜をたぐりしと叱りし。

解雇するぞとおどかせし。

そんなに叱るなよ。罵しるなよ。

おれは慣れないのだ。

機台の前に立つさえ怖いのだ.

あの浮の音簑打っ音にも驚くのだよ。

須賀爺の面の憎くさよ

おれのみが憎むのではない.

みんなだ。

時計が十二時を打っても機械が止まっても      うち汽笛の鳴らぬ間は

飯食いにやらぬと出口に立ち塞がある。

あの面の憎くさよ。

 『労働詩集・どん底で歌ふ』の中で、根岸正吉

は、このように工場の生産労働の場で、苛酷な搾

取の仕組みに組み込まれている労働者の心につも

るく憎悪〉を、いわば生活記録的なリアリズムで

歌っている。根岸正吉も伊藤公敬も、少年時代か

らさまざまな労働生活を転々としつつ、社会主義

の思想と運動に近づき、労働者の自己表現の一手

段として詩を書いたのであり、詩はまず現実生活

の歌であった。

   雪の線路を歩いて   後藤謙太郎

貧しさの為に俺は歩けり

ひとすぢの道 雪の線路を俺は歩けり

貧しさの為に歩ける俺には

火を吐きて 煙を挙げて

罵る如く 汽笛を鳴らして

走りゆくあの汽車が憎し

文明の利器なれども俺には憎し

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16 福島大学教育学部論集第23号

ひもじさの為に疲れて歩ける俺には

それ食へがしに汽車の窓より

殼の弁当を投げつくる人の心が憎し

とりわけて今 村を追はれて歩ける俺には

スチームに温められて

安らかに旅する人の心はなほ憎し

われ等が汗にてなりし

秋の収穫を取り去る代りに

彼の怖ろしき文明の病毒を運び来る

あの汽車は

毒蛇のごとくたまらなく憎し

毒蛇のごとくたまらなく憎きはあの汽車

野獣の呪ひのごとく 夜も日も捻りて

若き男女の幾群を

ああ痛ましき都会の士場に送り出す

たまらなく憎きはあめ汽車     (後略)

 この一編の詩をつらぬぐ激情は、いうまでもな

く、たたみ込んで行く調子で歌われているく憎悪

>である。一般化していえば、明治の文明開化、

富国強兵の犠牲にされ、近代文明の恩恵から閉め

出されてきた日本の社会の最底辺を放浪する者

の、歯ぎしりとともに吐き出される〈憎悪>であ

る。「文明の利器」である汽車に対して、貧しき

者を侮辱し、収奪し、破滅させるr毒蛇」として

く憎悪〉の眼ざしを向けている。もちろん、この

く憎悪>という主体的感情を方向づけている農村

と都市の対立という図式、そこにあらわれている

作者の社会認識・歴史認識の稚拙さ、あやまりを

指摘することはたやすいが、この詩のリズムにほ

とばしり出ているく憎悪>の感情が、日本の社会

の底辺におさえうけられてきた多くの民衆の胸底

につもりつもってうずいていた根深いものである

ことを否定することはできない.たとえ社会認識

や歴史認識は、科学的社会主義によって啓蒙され

ることができても、それによってただちに、生活

のなかで肌からしみこんだ根源的な感情を払拭す

ることは容易ではない.それは払拭されることよ

りも、はげしく噴出し、燃え立つことをもとめて

うずいているのであるから。それに口火をつける

ことによって、アナーキズムは、〈屈辱>にまみ

れ、奴隷根性の鎖につながれてうめいていた日本

の民衆の心をふるいたたせ、ファイテイング●ス

1971-11

ピリットをかきたてたのである。 r労働・放浪・

監獄より』の著者後藤謙太郎も、アナーキズムに

よってその心をつかまれた一人であり、労働者と

して炭坑などを放浪し、迫害のなかで判逆の生涯

をつらぬき、大正末には急進的アナーキストの結

社ギロチン団に加わり、巣鴨刑務所で獄死するに

いたる。この詩は、そのようなはげしいたたかい

の生の軌跡が残していったものである。

 また、この詩をつらぬく根深いく憎悪>と同根

のところがら、つぎのような作品も生まれてきた

のである。

   闇に光る氷柱      渡部信義一’

闇は闇を求めて寒さを集め、

すべて水気あるものをねからからし氷らせてし

  まふ。

夜は更けて行く、更けて行く……

寝鎮んだ家々の槍先に

昼の間陽の光にとけかかった屋根の雪が氷柱と

  なって氷って行く、

そしてなほそののびゆくをとどめない。

氷柱は闇に光る、

あるかなきかの光を集めて閣に黒光る。

それは鋭い白刃のやうな

惨めな百姓家の櫓先に冬の夜に下がる呪だ、

自然にも文明にも虐げられ恵まれぬ

雪に埋れた北国の百姓屋の櫨先に冬の夜に生長

  する呪だ。

いま百姓は疲れ寝鎮んでみるが、

その間にも氷柱ははげしく突き刺さうと闇に黒

  光る。           (後略)

 この闇夜に黒光る氷柱r自然にも文明にも虐げ

られ恵まれぬ雪に埋れた北国の百姓屋の槍先に冬

の夜に生長する呪」が、先のr雪の線路を歩い

て」に歌われていたく憎悪>と同じ土農に根ざす

同根のところがら出ているものであることは、説

明するまでもあるまい。

 いずれにしろ、農村と都会の対立という図式が

あって、そこからく憎悪>が生まれてくるのでは

ない。日本の底辺の民衆の心につのった〈憎悪>

は、何らかの理論や思想の図式によって外から植

えつけられたものではなく、より根源的な感情と

してその生存に根拠をもち、民衆自身の底知れな

い内奥からめばえ、その心をとらえ、兇器のよう

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プロレタリア詩とアナーキズム 17

に尖らせる。たとえば、同じく渡辺信義の「尖れ

る心」という詩に歌われているように一。

   尖れる心        渡辺信義

雪に埋れ薄暗い晒屋の中に

永い冬の間百姓は不足がちの日を送る、

また雪が降る、暗い空……

酷しく迫り来る寒さ、それにも増して陰気に尖

  る人間の心(中略)

互の心は益々尖って焦だって荒々と打つつか

  る、

そこには亭主もなければ女房もない、

あるのはただ底の知ない憎悪だけだ、反感だけ

  だ、

わけのわからぬ怨恨だけだ、不平だけだ。

                (後略)

 このような悲惨な生地獄、憎しみのるっぽか

ら、白刃のように鋭い呪いが育ち、はげしい〈反

逆〉の焔となって、監獄の壁に立ちのぼる。その

ような〈反逆>をもっとも鋭く歌うことができた

のは、アナーキスト松本淳三であった。

   反  逆       松本淳三

数丈になほあまる                 ア   デ  ド監獄の赤い煉瓦の壁をまっすぐにのほるとかげ

  よ

お前の恐ろしい凄い眼よ

お前の白刃と光らす鱗よ

誰を呪ひ、誰を恨んで、このまつぴるまにお前

  は何処へのほって行くのか

数丈になほあまる                 ヂ  ヂ  ヂ監獄の赤い煉瓦の壁をまっすぐにのぼるとかげ

  よ。

 このような〈反逆〉を歌った詩を、前期プロレ

タリア詩の中からひろいあげていけばきりがな

い。

 作品例をあげるのはこの位にして、まとめてい

えば、前期プロレタリア詩の基調をなしているも

のは、<屈辱〉〈憎悪>〈反逆>という民衆の心

からほとばしり出た根源的な感情なのである。根

源的な感情というのは、それが理論や思想以前の

より深いところで民衆の心をとらえているもので

あり、それは日本の上からの近代化、民衆を封建

的な範につないだまま、富国強兵の道をつき進ん

だ日本の資本主義的発展のかげで、つねに犠牲に

され、搾取されてきた労農大衆の歴史的現実に根

拠を持つものであるからだ。もちろん、この三つ

の感情は、けっしてばらばらにあるのではなく、

どうしょうもなく虐げられ傷つけられた民衆の心

に、三つがわかちがたくからまり合っているの

だ。しいていえば、いちばん根底にあるのは、

〈屈辱>であり、それがにつめられてく憎悪>と

なり、さらにそれがく反逆>となって燃え上がる

というようにいえようか。ひるがえって考えるな

らば、虐げられ傷つけられた民衆の心は、どちら

かといえば、<屈辱〉の泥沼に沈んで萎縮し、卑

屈な奴隷根性におち入りやすいのであるが、それ

を断ち切り、むしろく屈辱〉を肥料として〈憎悪

〉を育て、それをバネとしてく反逆>のたたかい

に立ち上がるという自己変革の道、あたらしい自

己確立、生の拡充の道をもとめてアナーキズムに

結びつく方向に流れたと見ることもできるのでは

なかろうか。

3

 このような、日本民衆の抑圧されてきた感情の

どん底からの詩的爆発を、『野良に叫ぶ』の著者

渋谷定輔のばあいについて、も.う少し見ておきた

い。大正末に埼玉の大小作争議の中から登場した

農民詩人として注目された渋谷定輔は、自分の経

歴についてつぎのように語っている。

 《明治三十八年十月十二日、荒川の中流を裏に

し、よく水害に悩まされる埼玉県入間郡南畑村砂

原に、一小作人の長男として生れ出た。私は本当

の野良に育った野良の子だ。吝嗇と稼ぎもので村

でも評判だった小作人の父母の手で、田や畑の畔

に寝かされて成長した。時々寝そびれて泥田に落

ち生命危篤に陥ったことがしばしばあったという

ことだ。私は自分の幼年期から青年期にかけての

荒惨な飢餓に満ち狂える過去を思うことによっ

て、私の貧農階級者としての闘争意識は熾烈無限

に燃えあがっていくのだ。子守をしながら小学校

に通い、家へ帰るとすぐ野良仕事にこき使われ

た。私は病的に勉強が好きでいつも級長だった。

私は中学へも大学へも行きたい夢を夜となく昼と

なく見たものだ。しかしそれは夢!夢/夢!以外

の何ものでもなかった。私は村のブルジョアの子

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18 福島大学教育学部論集第23号

供達の中学女学校へ通う姿を見て、如何に我家の

貧しさを呪ったことか!》

 貧農の長男に生まれたがゆえに、はやくから親

を助けるために子守、野良仕事にこき使われ、少

年の胸にめばえた自己の資質と才能をどこまでも

のばしたいという当然な人間的欲求が阻まれると

き、貧しさに対する呪いがはじまる。つまり、少

年渋谷定輔の胸のうちで、はばまれた人間的欲求

く夢>が、自己の現実へのく呪い〉に転化したの

だ。自己の現実をく呪い〉をもって認識したもの

が、呪われた現実からの自己解放の道を強く求め

るのは必然である。渋谷定輔は、つづけてっぎの

ように語っている。

 《十三四才の頃大杉栄の論集やマルクスの資本

論、ゲーテ、ハイネ、啄木歌集を借りてわからず            ア  デ  ダ  ナ  デ  ノ  プ  ダ  ダ  デ

なりに貪るように読んだ。大杉栄の論文や啄木のノ デ  グ ノ グ ダ ダ ア      ヂ タ ア    デ プ ダ ノ ノ プ ノ タ

歌などがよく解り、’叛逆者・という言葉がたまヂ  タ  タ  タ  ヂ  チ  ア  ア  ノ  ダ  グ  ア  デ  ア  ダ  ヂ  チ  ヂ  ダ  ノ

らなく好きで自分もそれをもって任じていた。》

(傍点一木村)

 〈呪い>は人の心を反逆者に育てる。すなわ

ち、呪われた現実からの自己解放をはげしく求め

る少年の熱い心が、大杉栄の思想や啄木の歌と出

会うとき、そこにひとりのく反逆者>が生まれる

というべきであろう。逆にいえば、大杉栄の思想

や啄木の歌が、そのような貧農の少年の熱い心を

とらえる魅力をもっていたということになる。そ

れは、<呪い>を〈反逆>へと転化させた。貧困

に抑圧され、〈夢〉を奪われた者の胸に、く反逆

者>というあらたなく夢>を再生させ、r貧農階

級者としての闘争意識」を「熾烈無限に燃えあが」

らせる方向に、自己解放の道・階級解放の道をさ

し示したのである。つまり、渋谷定輔のばあいに

ついてみれば、彼の「荒惨な飢餓に満ち狂える過

去」がもたらしたく屈辱>〈呪い><反逆>とい

う内なる感情に、大杉栄のく反逆>の思想が油を

そそぎ、それを貧農階級者としてのはげしい闘争

意識として燃えたたせ、彼を農民運動の指導者・

農民のどん底からの叫びを歌い上げるプロレタリ

ア詩人に育てたのである。

   百姓は生さず殺すな!  渋谷定輔

何等の教養の機会も与えられなかった俺達は

むずかしい理論や学説は一向判らない

だが仲間よ

1971-11

百姓は生さず殺すな!

と彼等から永いこと恵まれて来た

此の有難い言葉を

(いいかアリガタイこの言葉を)

しっかりと脳味噌に刻みつけ

暗黒な大地のどん底より爆発して

(うんx×を押立てて!)

彼等に恩を返えせばいいんだ

そこから正しい生産者自治の世界がはじまる

そこから俺達の本当の生活がはじまる

一然り!そこにはじめて

正しい人類の創造生活がはじまるのだ!

 この詩は、ながい間封建的収奪に縛られ、貧困

のどん底におさえつけられてきた日本農民に向っ

て、r暗黒な大地のどん底より爆発して」立ち上

がること1そこからはじめて、「正しい生産者自

治の世界」「正しい人類の創造生活がはじまる」

ことを呼びかけている。

 しかし、ながい封建的収奪のもとで日本農民が

落ち込んでしまった停滞は深く、それはく反逆

者>をもって自認し、古い世界の打破と新しい理

想の世界の実現を切実に求め、革命的情熱にかき

たてられる詩人の身辺をも厚くとりまいているの

である。そのような日本の歴史的現実とそれに縛

られている意識の構造とが、たとえばっぎのよう

な詩によくあらわれている。

   親爺よ        渋谷定輔

一たとひ小作米をまけて貰ったって

  自分一人ぢやあるめえし

  そんなことで暇を敏いたり心配したり

    するよりや     ぽ  縄の一房もよけいなった方がよっぽど

    ましだ」

(俺が争議の為に出かけようとすると

親爺はさう何時も云ふ

一その徽がれた声は

永い虐げに腰が抜けた

悲しいあきらめの吐息そのものだ)

だが親父よ

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プロレタリア詩とアナーキズム 19

不幸なことに

俺にはそいつが出来ねえんだ!

(俺の血が魂が許さねえんだ!)   いのちたとひ生命を奪はれるとも!   (後略)

 たしかに生涯を「一個の米作機械として死んで

行く」親きょうだいだちにとりまかれながら生き

て行くことはたえがたいことであり、前へ踏み出

そうとする自分の足を後へ引きずるr永い虐げに

腰が抜けた悲しいあきらめの吐息」はやりきれな

いもので、人の心をデスペレートにさせるもの

だ。そして、そうであればあるほど、深い停滞を

打破して立ち上がるためには荒々しいく反逆>の

激情を、ますます激烈に爆発させなければならな

いという内的衝迫にっきうごかされることにな

る。つまり、<反逆者〉は自らをく嵐の中に狂ふ

野人>たらしめなければならないのだ。

ルギーの野性的発露にもとめるのは、アナーキズ

ムの心性の一つの重要1な特徴である。したがっ

て、「野人」「野獣」「二足獣」という言葉は、

アナーキスト好みの言葉なのである。たとえば、

松本淳三は、自分の詩集をr二足獣の歌へる」と

題したし、中浜哲は大杉栄を追悼した詩の中で、

「瞬間の自由!/刹那の歓喜//それこそ黒い微

笑、/二足獣の誇り」と歌っている。大杉栄自身

にも「野獣」という詩があることを思ひ合わせみ

るべきであろう。

   野  獣       大杉栄また、向こう側の監房で荒れ狂う音がする、

どなり声がする、歌を唱う、

壁板を叩いて騒ぎ立てる。

それでも役人は、知らん顔をしてほうって置

  く。

   嵐の中に狂ふ野人    渋谷定輔

雨は矢をなし 風は鳴る

樹々はよぢれ 葉はちぎれ飛ぶ

巨大な手をさしのべたどす黝い雲は

大地をさすりながら 走る!走る!

いくど減食を食っても、

暗室に閉じこめられても、

鎖りづけにされても、

やっぱり依然として騒ぎ出すので、

役人ももうなんとも手のつけようがなくなった

  のだ。

嵐だ! 嵐だ! 嵐だ!

雨よ もっと強烈に降れ!

風よ もっと激烈に吹きまくれ!

樹々よ もっと雄大に唸るんだ!

だが、俺は、この気ちがい、この野獣が、

  羨ましくって仕方がない。

そうだ〃俺は、もっともっと馬鹿になる

  修業をつまなければならぬ。

呪ひ尽された野人の俺も

君達と共に狂奔するぞ

 いうまでもなく、詩人が共に狂奔することを希

求している〈嵐〉は、たんなる自然現象としての

く嵐>ではない。それは、詩人の内なる魂を吹き

荒れる〈嵐>であり、大小作争議として地主制度

をゆるがす社会的な〈嵐〉なのだ。日本の農村の

深い停滞の底で、 r呪ひ尽された野人」は、窒息

しないために内にも外にもく嵐〉を呼ばなければ

ならないのだ。そういう切迫した荒々しいリズム

がこの詩にはみなぎっている。

 ここでアナーキズムとの関係にちょっとふれて

おくと、人間を縛る奴隷の鎖を断ち切り、権力の

壁を打破する力を、抑圧された人間の反逆的エネ

 この詩に歌っている気持を、大杉栄はのちに

「正気の狂人」論に展開して、つぎのように主張

している。

 《自己の生の拡充のためにいっさいの権威と障

碍とに叛逆し、突進して行く者のこの努力とこの

行為とは、習俗者から観れば、また習俗からぬけ

きらぬ者から観れば、多くは狂人の努力である、

狂人の行為である。本気の沙汰でない行為であ

る。けれども僕は、この狂人の行為を、本気の沙

汰で、正気でやり遂げたいのだ。》

 さきにあげた渋谷定輔の「嵐の中に狂ふ野人」

という詩も、まさにこのような思想によって歌わ

れているといえるであろう。長い間権力と権威の

下で屈従を強いられてきて、奴隷根性が深くしみ

込んでしまっている地帯から、自己を人間として

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20 福島大学教育学部論集第23号

解放する思想としてこのような思想が求められた

のにちがいない。一般的にいえば、天皇制絶対主

義国家の重圧におしひしがれ、封建的停滞と苛酷

な搾取にあえぎ続けてきた日本の下層の民衆一

とくに貧困な労農大衆のデスペレートな心情が、

どん底からのく反逆>の思想としてアナーキズ

ムを求めたといえるのではなかろうか。渋谷定輔

のばあいについてみれば、貧農の子として幼少か

らなめたく屈辱〉がく呪い〉となり、一呪われた自

己の現実からの変革と解放をもとめて彼は大杉栄

の思想や啄木の歌に出会い、それに強く共鳴して

く叛逆者〉となり、嵐と共に狂奔する〈野人>と

なったのである。そして、そういう過程からく新

しき生産者>というあらたな自覚と自負とが生ま

れてくるのである。

   新しき生産者

官憲のいかなる圧迫も

都会人のいかなる罵倒も朗笑も

おれは理解して迎えよう

渋谷定輔

たえず蹂躙されながら

太く 黒く 生気にみちて伸びあがる麦畑に

〈うん泥じめつたボロボロの野良着にこそく

  るまってはいるがなア>

とても新鮮な空気を力強く呼吸して

おのずからわきあがる正義感に

がんじょうなこのからだをうならせて

おれは大樹のごとく

じイッと立って動かない

新しい生産者

百姓渋谷定輔だ!

          4

 さて、すでに見てきたとおり、大正期のプロレ

タリア詩の源流に、アナーキズムが強い影響力を

もっていたことはあきらかだ。それがやがて、い

わゆる「アナ・ボル闘争」や官権による大杉栄の

虐殺などにより、しだいに影響力を失ない、昭和

初頭になるとマルクス主義の優位が決定的となる

のであるが、だからといって、プロレタリア詩の

生成にアナーキズムがぬきがたい影響力をもって

いたという歴史的事実を軽視してよいことにはな

らない。また、いわゆる「アナ・ボル闘争」は、

政治戦線・労働戦線において先行し、おくれて文

1971-11

芸戦線に波及したのであったが、そのせいで政治

運動・労働運動におけるボルシェビィズムによる

アナーキズムの克服がそのまた文芸の分野にもひ

きうつされたきらいがあり、文芸において独自な

重要性をもつアナーキズムの克服の問題が、すで

に解決ずみの問題としてとりあっかわれてしまっ

たようなところがある。それはのちのプロレタリ

ア詩の生長発展にとって一つのつまづきとなるの

である.

 それはさておき、大正期のプロレタリア詩の生

成において、なぜマルクス主義よりもアナーキズ

ムの方が強い影響力をもつことができたのであろ

うか。それを中野重治のように当時のマルクス主

義の側のあやまり、弱さから見ることもできよ

う。しかしそういう視点からは、当時のマルクス

主義とプロレタリア詩の結びつきについての反省

は出てくるであろうが、アナーキズムのどういう

内容がプロレタリア詩の生成を促進する力になっ

たのかという点の解明を深めることに不充分であ

ろう。もう少しアナーキズムの側から、プロレタ

リア詩の生成に影響をもったと考えられる思想内

容に立ち入って見る必要があろう。いま準備不足

のままではあるが、大杉栄の思想に即してこの問

題を検討してみたい。

 周知のように、大杉栄は、明治43年の大逆事件

後のきびしい弾圧で社会主義運動が逼塞させられ

ていたいわゆるr冬の時代」をしのぐために、文

芸の分野に接近して一時の活路をもとめ、大正元

年に文芸思想誌r近代思想」を創刊する。そして

この雑誌によりながら、文筆活動を通じて彼のユ

ニークなアナーキズの思想を深めている。この雑

誌の周辺から労働文学がおこってくるようにな

る。そういう気運が、やがてプロレタリア詩の生

成を醸成し、その源流をみちびくようになる。

 そういう観点から重要と思われる大杉栄の思想

の要点をとりあげて検討してゆきたい。

 《敏感と聡明とを誇るとともに、個人の権威の

至上を叫ぶ文芸の徒よ。諸君の敏感と聡明とが、

この征服の事実と、およびそれに対する反抗とに

触れざる限り、諸君の作物は遊びである、,戯れで

ある。われわれの日常生活にまで圧迫して来る、

この事実の重さを忘れしめんとする、あきらめで

ある。組織的瞞着の有力なる一分子である。

 われわれをしていたずらに悦惣たらしめる、静

的美は、もはやわれわれとは没交渉である。われ

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プロレタリア詩とアナーキズム 21

われは、エクスタジーと同時にアンマgヲ了子今

を生じしめる、動的美に憧れたい。われわれの要, ’ ■ ” ヂ   ’ ” ■ グ ■ ■ ’ ’ ” ノ ■ ■ ’

求する文芸は、かの事実に対する憎悪美と反逆美デ ず ダ ア び ヘ  グ ヂ の プ

との創造的文芸である。》

し傍点一木村、「征服の事実」大正2年6月)

 r征服の事実」ということで{大杉栄は、まず

われわれの住んでいる時代の社会が階級社会であ

り、「資本家てふ征服階級と労働者てふ被征服階

級との両極」に分断され、対立している現実を認

識せよと説く。そして、この現実が文芸に要請し

ているのはもはやく静的美〉ではなく、<動的

美〉一〈憎悪美〉<反逆美>であると説いてい

る。一言ではいえば、文芸における美の価値転換

をもとめている.つまり既制の美的価値からはし

め出されていた被征服階級の征服階級に対する

く憎悪〉やく反逆〉の表現を、アナーキズムのも

とめる新しい美として、それに正当な美的価値を

認めるように主張しているのである。

 このアナーキズムの立場から思想と美を結びつ

けた注目すべき主張は、つぎのr生の拡充」にお

いてさらに発展させられている。

 《ここにおいてか、生が生きて行くためにはか

の征服の事実に対する憎悪が生ぜねばならぬ。憎

悪がさらに反逆を生ぜねばならぬ.新生活の要求

が起きねばならぬ。人の上に人の権威を載かな

い、自我が自我を主宰する、自由自治の要求が起

らねばならぬ。『(中略)そして生の拡充の中に生の

至上の美を見る僕は、この反逆とこの破壊との中

にのみ、今日の至上の美を見る。征服の事実がそ

の頂上に達した今日においては、階調はもはや美

ではない。美はただ乱調にある》。(「生の拡充」

大正2年7月)

 このr階調はもはや美ではない。美はただ乱調

にある。」という断言は、あきらかにアナーキズ

ムの思想で被征服者の立場に立って、美の価値転

換をもとめてなされているものである。乱調の

美、すなわち被征服階級のく憎悪美><反逆美>

にほかならない。それは被征服者の「自我が自我

を主宰する、自由自治の要求」r新生活の要求」

のただ中から、「生の拡充」のたたかいのただ中

一から生まれるr生の至上の美」なのである。

 もちろん、 「近代思想」による大杉栄の思想的

営みの主眼が、文芸の変革・美の価値転換におか

れていたわけではない。大杉栄にしてみれば、文

芸の変革や美の変革の問題も社会変革・自己変革

による新生活の要求の不可分の一側面にすぎず、

主眼はあくまで、社会変革・自己変革を遂行する

革命主体を労働者階級の中に創出する道を切りひ

らく思想の確立と普及にあったと見るべきであろ

う。しかし、そういう一側面としてではあるにし

ろ、大杉栄が文芸の変革・美の変革を社会変革・

自己変革の問題に結びつけて提起することができ

たところに、アナーキズムがあたらしい文芸の創

出に強い影響力をもつことができた思想的優位性

があったのではなかろうか。とくに、階級社会に

おける被支配階級の胸に鬱積しうずいているく憎

悪><反逆>の感情の発露を、どん底に打ちひし

がれていた民衆の自己確立・生の拡充のエネルギ

ーの噴出、社会変革の原動力、革命主体創出の突

破口として積極的にとらえ、それを〈憎悪美〉

<反逆美>というあらたな美として評価した点が

すぐれていたと思う。

 おそらく、このような斬新大胆な美の価値転換

が打ち出されることによってはじめて、それまで

既制の美意識のもとでは口をつぐみ、自分の胸の

内に鬱積しうずいているものを表出する術も知ら

なかった沈黙せる民衆が自信をもって口をひら

き、大胆率直な自己表現を行なえる道が切りひら

かれたといえるのではなかろうか。ともかく、こ

のような大杉栄の主張が、民衆自身が小説や詩に

自己の生活と感情をためらわず表現することを鼓

舞激励する力をもっていたことは、たとえばさき

に見た渋谷定輔の例からもうかがわれるようにま

ちがいあるまい。そして、それがあらたな気運と

なづて、労働文学をおこし、宮嶋資夫らの労働作

家を登場させ、プロレタリア詩の道の切りひら

き、民衆自身が自分の内に鬱積していたく屈辱〉

〈憎悪〉<反逆〉というような階級社会に根ざす

根源的な感情をはばかることなく詩に歌い上げる

ことを可能ならしめたのである。

 大杉栄は、文芸の世界に身を寄せた「近代思

想」の発行にあきたらなくなり、それを廃刊にし

て労働者の直接行動の運動にとび込んで行ってか

らも、一方では、大正の中ごろいわゆる大正デモ

クラシーと共に盛んになった民衆芸術についても

積極的に発言し、独自の主張を述べている。

 《民衆芸術とは此の平民労働者の芸術である。

此の平民労働者の創造せんとする新しき世界の為

の新しき芸術である。

 此の平民労働者は今、旧社会及び其の一切の所

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22 福島大学教育学部論集第23号

産と絶縁して、新しき出発点の下に新しき生命を

創造しつつある。

 新しき生命は複雑な心理や、精緻な感情や、晦

渋な象徴を持たない。大きな所作、大きな線で強

く引かれた姿、単純な力強いリズムの単純感情、

等で描いた荒い調子、これが新しき生命其の儘の

姿である。》(「民衆芸術の技巧」大正7年7月)

 大正中ごろ、大正デモクラシーの高揚を背景

に、さまざまな民衆芸術論が盛んに論議され、詩

壇では民衆詩派がその主流を占めるほどになった

が、そういう中で、大杉栄は民衆芸術をあくまで

「平民労働者の芸術」としてとらえ、それにふさ

わしい内容と技巧をそなえた「新しき芸術」の成

長発展をのぞんでいたのである。ここで大杉栄が

民衆芸術の技巧」として説いていることは、彼が

訳したロマン・ロランの『民衆芸術論』にも説か

れているもので、なにも目新しいというものでは

なく、むしろごくあたりまえのことで、これまで

見てきた労農詩人たちが書いた前期プロレタリア

詩を、.その技巧という側面から見るならば、その

基本的な特徴は、ここに述べられているようなも

のである。

 大杉栄の一連の民衆芸術論は、プロレタリア詩

との関連において見れば、詩壇の民衆詩派と社会

主義運動のなかから出てきた前期プロレタリア詩

との両方を同時に視野に入れながら、後者を土台

とするあたらしい芸術の成長発展をもとめている

ということができよう。当時の詩壇の状況におい

ては、むろん民衆詩派が優勢であった。詩壇の長

老たちからは、あんなものは詩ではないと非難さ

れながらも、民衆詩派が主導した口語自由詩が詩

壇の主な流れになって行ったのである。それをプ

ロレタリア詩との関連でいえば、民衆詩派の民衆

の思想と生活を口語自由詩で歌うという運動が盛

んになったことは、労働者や農民が自分らの生活

と感情とを口語自由詩の技法をもって歌うことを

助け、容易にしたということができる。したがっ

て、前期プロレタリア詩は技法の上ではそのほと

んどを民衆詩派に負っているといわなければなら

ないのであるが、ただ内容の面についていうなら

ば、民衆詩派の歌った民衆というものが、わきか

らヒューマニズムの眼をもって同情的に眺められ

た民衆であったのに対して、労農詩人たちが歌っ

た民衆は、わきからの同情を峻拒して、みずから

のく屈辱〉とく憎悪>とく反逆〉とを糧としてみ

1971-11

ずからの自我を確立し、自己をたたかう主体とし

て変革しようというはげしい熱情をひめた民衆で

あったということができよう。そして、そういう

民衆の内なる鬱積した熱情を、生の拡充の原動

力、根源的な革命のエネルギーとしてつかもうと

つとめたのが、大杉栄の一貫した基本的立場であ

ったということは、あらためてくりかえすまでも

あるまい。

 最後につけ加えておくならば、大杉栄は、その

ユニークな思想においてばかりでなく、その全人

格的な魅力において、当時のラディカルな青年た

ちを強く引きつける力をもっていたということで

ある。つまり、彼の生命に満ちた思想と自由闊達

な人格、強い個性に魅せられ、鼓舞された活動的

なラディカルな青年たち、労農青年の急進的な分

子の中から好んで詩を書くものがあらわれるよう

になったのである。しかし、そういうラディカル

な青年たちにとっては、詩を書く情熱も、直接行

動に走る情熱も、自己の生の拡充の燃焼としてわ

かちがたいものとしてあったのであり、どちらか

といえば生の直接活動としての実行の方によりは

げしい情熱を傾けるようになり、詩においてすぐ

れた作品を残すということは少なかった。そうい

う青年の一人であった中浜哲は、大正12年、関東

大震災のどさくさまぎれに行なわれた大弾圧の犠

牲となって、大杉栄が憲兵の手によって虐殺され

たのを悼んで、「杉よ!眼の男よ」というすぐれ

た追悼詩を残している。一人の運動の指導者が、

このように人間的な深い親愛と信頼とをもって、

しかも率直な真情をこめて追悼されるということ

は、めずらしいことではなかろうか。この一編の

追悼詩にも、大杉栄の魅力がよくうかがわれるの

である。

    杉よ! 眼の男よ!  中浜哲

「杉よ!

眼の男よ/」と

俺は今、骸骨の前に起って呼びかける。

彼は黙ってる。

彼は俺を見て、ニヤリ、ニタリ苦笑している。

太い白眼の底一ばいに、黒い熱涙を漂わして

  時々、海光のキラメキを放って俺の顔を射

  る。

(中略)

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プロレタリア詩とアナーキズム 23

眼だ!光明だ!

固い信念の結晶だ、

強い放射線の輝きだ。

無論、烈しい熱が伴い湧く。

俺は眼光を畏れ、敬い尊ぶ6

彼に、

イロが出来たと聞く毎に

「またか!

  アノ眼に参ったな」

女の魂を攫む眼、

より以上に男を迷わした眼の持主、

「杉よ!

眼の男よ!」

彼の眼光は太陽だ。

暖かくいつくしみて花を咲かす春の光、

燃え焦がし煽らす夏の輝き、

寂寥と悲哀とを抱き

脱がれて汚れを濯ぐ秋の照り、

万物を同色に化す冬の明り、

彼の眼は

太陽だった。

遊星は為に吸いつけられた。

(中略)

凄愴と哀愁とは隣人ではない。

煩悶が、

その純真な処女性を

いろいろの強権のために蹂躙されて孕み、

それでも月満ちてか、何も知らずに、

濁ったこの世に飛び出して来た

父無し双生児だ。

孤独の皿に盛られた

黒光りする血精に招かれて、

若人の血は沸ぎる、沸ぎる。

醗酵すれば何物をも破る。

(中略)

瞬間の自由!

刹那の歓喜!

それこそ黒い微笑、

二足獣の誇り、

生の賜。

「杉よ!

眼の男!

更生の霊よ!」

大地は黒く汝のために香る。

          5

 秋山清は、プロレタリア詩の再検討のために、

つぎのような視点を提起している。

 《プロレタリア文学、プロレタリア詩といえば

すぐ昭和はじめに活動したナップの系統、即ちマ

ルクス・レーニン主義派の、いやソ連の文学理論

の引き写し的な運動をそう限定して正統がる気風               ヂ   デがあるが、私はそれを、そのことは一派の政治的

な主張にすぎないとして排する。(中略)そうでは

なく、大正末以降の労働者農民の階級的立場から

の詩をひろくプロレタリア詩運動として把握する          ダ  ダ  ダことからして、新しくふるいにかける必要がある

のではないかとおもう。わが国のプロレタリア詩

の二つの源流というべきもの、その対立と合流、

違和と協力にもう一度注目し直せ、といいたいの

である。

 その二つの源流的存在と私が考えるのはr赤と

黒」(一九二三~二四)と「驢馬」(一九二六~二八)

である。厳密にはr赤と黒」以前にもプロレタリ

ア詩は先駆的に存在するが、より明確に、芸術運

動として認めるに値する同人雑誌として、この二

つをとりあげたい。前者にはアナキズム系詩人の

活動の最初の集団ともいい得べきものがあり、後

者はマルクス主義の詩の運動に活動した主要な

幾人かの出発の場となっていた。》(「『赤と黒』と

r駿馬』」「国文学」昭和40年7月)

 たしかに、日本のプロレタリア詩を、ナップ系

統のプロレタリア詩運動に現われた指導理念や傾

向からのみ見ていたのでは、表現の深層を流れて

いる日本の労働者農民の情念の実質は把握しきれ

ない。プロレタリア詩の根本問題は、まず第一

に、その基盤となる日本の労働者農民の情念の実

体といかにかかわり合ったかという点にある。秋

山清のプロレタリア詩再検討の視点にも、そうい

う志向がふくまれているように思われる。しか

し、それはさらに深められなければなるまい。

 プロレタリア詩の源流として、r驢馬」と「赤

と黒」とを、マルクス・レーニン主義系とアナー

キズム系として並置して見るところにとどまって

いては、せっかくの再検討の視点が、前者に対す

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24 福島大学教育学部論集第23号

る後者の復権の要求というふうな方向に歪曲され

かねない。プロレタリア詩の実質をその源流にさ

かのぼってとらえるためには、やはり、いわゆる

「アナ・ボル」闘争以前の、すなわち思想的には

まだ未分化の労農詩人たちの詩にまで溯源してみ

なければならない。

 「赤と黒」は、たしかにそれ以前のいわば自然

発生的な労農詩人たちの詩作とはちがって、明確

な目標を掲げ、宣言を発して展開された芸術運動

であった。そしてそのにない手たちは急進的アナ

rキストの知識青年詩人たちであった。つまり、

それはあらたな主体によるあらたな次元の詩運動

の展開で、目的意識的に芸術の革命を追求してい

た。

 ところで、このような芸術革命の運動と、これ

まで見てきた労農詩人たちとアナーキズムの結び

つきとは、どのような関係でとらえられるのであ

ろうか。r赤と黒」の詩人たち一萩原恭次郎、

岡本潤、壷井繁治、小野十三郎らについて、《小

ブルジョア的絶望感をその詩精神としていたにも

かかわらず、その絶望感は一切の既存秩序を否定

しようとする批判精神を内包していたかぎりで・

いまだプロレタリア詩運動が組織的に展開されて

いなかった当時のアバン・ギャルド詩人の最左

翼》(壷井繁治r日本プロレタ?ア詩運動につい

て」)という評価がなされてきている。彼らの宣

言や詩作を駆り立てている性急な絶望と反逆の情

熱は、r小ブルジョア的」焦燥の現われと見られ

ているが、それらはやはりその深層において、日

本の底辺の民衆の胸底にくすぶっていたそれらと

つながっていたのではあるまいか。そして、その

く絶望〉とく反逆〉とを《一切の既存秩序を否定

しようとする批判精神》へと形成したのは、アナ

ーキズムにほかならない・彼らは、詩とアナーキ

ズムの結びつきをあらたな次元におし出し、芸術

革命を志向し、大胆に一切の既制詩の破壊と、新

しい詩の実験的創造をこころみたのである。

 たとえば、《詩とは?詩人とは?我々は過去の

一切の概念を放棄して、大胆に断言する!『詩と

は爆弾である!詩人とは牢獄の固き壁と扉とに爆

弾を投ずる黒き犯人である!』》という宣言に、

彼らの姿勢が端的に・表明されていた。この激烈な

宣言から、彼らは、「詩壇のテpリスト」などと

呼ばれたのである.むろん、この宣言が劃期的な

意味をもったのは、それが人を驚かす文句で書か

19ア1-11

れていたからではなく、時代の動向をその最先端

においてつかんでいたからにほかならない。その

ことは、r赤と黒」に続いて創刊された詩謝鎖」

の宣言が、文句はおだやかながらやはり同じ方向

を志向していたことなどからもあきらかである。

 《叛逆は一つの良心である/叛逆のないところ

に何の詩があるか/強烈なる意志と闘争と……わ

れらはただ全世界を欲するのみだ/空しき感情に

溺れるなかれ/放肆なる感情の遊戯は唾棄すべき

詩だ/われらをとりまく鉄鎖を断て!》

 これらの宣言からわかるように、大正12年ごろ

からはなばなしく展開された詩運動は、かつて大

杉栄が提唱し、労農詩人たちの心をとらえたく反

逆美〉〈憎悪美>を、あらたな革術革命の目標に

かかげたものにほかならなかったのである。秋山

清は、こういう宣言に端的に示されたr否定のエ

ネルギー」の噴出のなかに、r革術革命の先駆的

な意義」を認めている。つまり、r否定のエネル

ギー」の噴出、アナーキズムにみちびかれたr主

体的なバイタリティ」の出現が、未来派や立体派

などのアバンギャルド芸術の方法と結びつくとこ

ろにあらたな革術革命の方向が切りひらかれたの

である。

 その方向は、直接には、大正デモクラシーと結

びついては口語自由詩運動を発展させてきた民衆

詩派の打倒に向けられていた。彼らは、民衆詩派

の甘ったるいヒューマニズム、間のびのしたリズ

ム、平板な形式の打破を叫び,切迫した絶望と反

逆と焦燥とを叫喚するリズム、斬新な形式をもと

めたのである。そしていっさいの「否定のエネル

ギー」を既成芸術破壊の芸術革命に集中したので

ある。

 ひるがえって考えるならば、すでに見てきた通

り、大杉栄は、彼のアナーキズムの思想にもとづ

いて、被征服階級一労農階級を解放する芸術硯

追求すべきあらたな美として、動的な美・乱調の

美、すなわちく憎悪美〉<反逆美〉を主張してい

た。巨視的に見れば、大正末の芸術革命の詩運動

も、そういう時代の変動にともなう美の価値転換

の流れの上においてとらえることができる。

 そこで、これらの芸術革命を目的とした詩運動

を、それに先行する自然発生的にアナーキズムと

結びついて詩作した労農詩人たちとどのような関

連でとらえ、位置づけることができるか。労農詩

人たちの詩は、一言でいえば、社会の被征服者と

Page 13: プロレタリア詩とアナーキズムir.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R000001990/5-101.pdf · らのアナーキズムの方であった。 これらの詩人たちの基本的な役割は、日本の近

プロレタリア詩とアナーキズム 25

して虐げられてきたもののく屈辱><憎悪><反

逆〉の感情を、征服者に向けて噴出させたものに

縁かならない。それを可能ならしめたものは、そ

れらの感情の表現を新しい美として認めたアナー

キズムの思想と、民衆詩派の平易な口語自由詩の

方法とであった。すなわち、それらは、アナーキ

ズムの思想と民衆詩派の方法との接点において成

立した詩ということができよう。それに対して、

『赤と黒』などの芸術革命の詩運動は、アナー

キズムのr否定のエネルギー」r強烈な否定の精

神」を、もっぱら詩の方法的変革に傾注し、民衆

詩派を打破して、あらたな次元において、斬新な

アバンギャルドの方法とアナーキズムのr否定の・

エネルギー」とを結びつける役割を果したという

ことができるであろう。つまり、それは、アナー

キズムの思想と、アバンギャルド芸術の方法と砂

接点において成立したものと考えられる。

Proletarian P㏄try and Anarchism.

Y面。 K㎞ura

Amrchism,esp㏄ぬ皿ythatofSakae(』ur,pr㏄edαlproletarianp・etry.Itmsealedthe

inmost emotions of the oppfessed people.Most of the proletarian poems may be oon・

sidered ag the eruptions of the radical emotons such as humilation,hatred and revolt.

瓢e8e emohon3 were at the samet㎞e tke roots of f》roletar蛤n poetηand the bases of

anarch㎞ Therefo郵e, in ils spr㎏ proletarian poe1■y was essentiaHy linked with an-

afch㎞.