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メキシコチワワ州の先住民活動家・人権擁護家との対談 江藤 由香里 1) Eto, Yukari キーワード:ララムリ(タラウマラ)、先住民、土地権利、活動家、メキシコ Key words: Rarámuri / Tarahumara, indigenous people, land rights, activists, Mexico はじめに メキシコ 1 の国勢調査機関、 Instituto Nacional de Estadística y Geografía INEGI, 2015によると、 現在 70 ほどの先住民 2 がメキ シコで生活している。チワワ 州には主に Rarámuri (ララム リ) 3 Óoba (オーバ)、 Ódami (オーダミ)、Makurawe(マ クラウェ)の 4 種族が暮らし ているが、チワワ州において はララムリ族の人口が一番多 い。同調査機関によると、メキ シコ国内に居住するララムリの人口は約 7.5 万人。彼らの多くはチワワ州の山岳地帯で暮ら すが、中には峡谷で暮らす者もいる。「ララムリ」と一括されるが、集落地によって彼らの 生活環境は異なる。 日本では、古いタイヤを再利用して作られたサンダルのような薄い履物だけで、標高 2,000 メートルの渓谷を何十キロも走るララムリ(タラウマラ)が紹介された「BORN TO RUN 走るために生まれた」(クリストファー・マクドゥーガル, 2010)という本が話題に なり、ララムリはタラウマラ、そして「走る民族」として知られるようになった。また最近 では、起伏が激しい山道を長時間走り続けるタラウマラの姿がテレビ番組で放送された(日 本放送協会, 2017)。 一見、平穏そうに見える「走る民族」だが、カリチィ(Carichí)郡サン・ホセ・バケア チ(San José Baqueachi)地区の共有地にて生活しているララムリ達は、先代から引き継 いできた広大な慣習地を取り戻そうとしていた。メキシコ人人権擁護家のエステラ・アンヘ レス・モンドラゴン女史(Estela Ángeles Mondragón)は、土地の権利回復に努めている 1) 山陽学園短期大学幼児教育学科 山岳を歩くララムリの女性 山陽論叢 第 25 巻 (2018) - 245 - 報告

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山陽論叢 第 25 巻(2018)

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報告

メキシコチワワ州の先住民活動家・人権擁護家との対談

江藤 由香里 1)

Eto, Yukari キーワード:ララムリ(タラウマラ)、先住民、土地権利、活動家、メキシコ

Key words: Rarámuri / Tarahumara, indigenous people, land rights, activists, Mexico はじめに メキシコ 1の国勢調査機関、

Instituto Nacional de Estadística y Geografía (INEGI, 2015) によると、

現在 70 ほどの先住民 2がメキ

シコで生活している。チワワ

州には主に Rarámuri(ララム

リ)3、Óoba(オーバ)、Ódami(オーダミ)、Makurawe(マ

クラウェ)の 4 種族が暮らし

ているが、チワワ州において

はララムリ族の人口が一番多

い。同調査機関によると、メキ

シコ国内に居住するララムリの人口は約 7.5 万人。彼らの多くはチワワ州の山岳地帯で暮ら

すが、中には峡谷で暮らす者もいる。「ララムリ」と一括されるが、集落地によって彼らの

生活環境は異なる。

日本では、古いタイヤを再利用して作られたサンダルのような薄い履物だけで、標高

2,000 メートルの渓谷を何十キロも走るララムリ(タラウマラ)が紹介された「BORN TO RUN 走るために生まれた」(クリストファー・マクドゥーガル, 2010)という本が話題に

なり、ララムリはタラウマラ、そして「走る民族」として知られるようになった。また最近

では、起伏が激しい山道を長時間走り続けるタラウマラの姿がテレビ番組で放送された(日

本放送協会, 2017)。

一見、平穏そうに見える「走る民族」だが、カリチィ(Carichí)郡サン・ホセ・バケア

チ(San José Baqueachi)地区の共有地にて生活しているララムリ達は、先代から引き継

いできた広大な慣習地を取り戻そうとしていた。メキシコ人人権擁護家のエステラ・アンヘ

レス・モンドラゴン女史(Estela Ángeles Mondragón)は、土地の権利回復に努めている

1) 山陽学園短期大学幼児教育学科

山岳を歩くララムリの女性

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報告

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メキシコチワワ州の先住民活動家・人権擁護家との対談

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ララムリと共に 1994 年から活動を続けている。女史と一緒に奔走していた同じくメキシコ

人人権擁護家、エルネスト・ラバゴ・マルティネス(Ernesto Rábago Martínez)氏は、途

中、2010 年に銃殺された。アンヘレス・モンドラゴン女史自身も幾度となく脅迫を受けた

が活動を続け、2015 年 10 月 30 日、先住民の慣習地の約半分を回復するという偉業を成し

遂げた。2017 年 8 月、私は先住民活動家 5 名と、そして彼らを擁護してきた女史と対面す

る機会を得た。本稿では、彼らとの対談の様子を報告したい。

Ⅰ. チワワ州の概要

チワワ州は、メキシコ北部に位

置し、アメリカ合衆国と国境を接

する。州都はチワワ。日本でも多く

の人に飼われているチワワと言う

犬種がいるが、名前は地名に由来

する。INEGI (2015) によると、チ

ワワ州の人口は 3,556,574 人(男性

1,752,275、女性 1,804,299)。メキ

シコの 32 州中、人口第 11 位であ

る。チワワ州の面積は 244,938 平

方キロメートル、メキシコ最大で

あり、メキシコ全国土の 12.62%を

占める(図1)。日本の国土面積と

比較すると、チワワ州は日本の 3 分

の 2 ほどの大きさに相当する。チワ

ワ州の情報誌(Quintanar Hinojosa, 2014)によると、広大なチワワ砂漠やシエラ・マドレ・

オクシデンタル山脈(先住民タラウマラが住むことで知られており、通称タラウマラ山脈と

呼ばれる)の一部がチワワ州の南西部を南北に横切るため、気候も様々であるが多様な動植

物が生息する。また、人間の身長より遥かに大きいセレナイトの結晶が洞窟を埋め尽くすこ

とで有名なナイカ鉱山(シェイ, 2008)やユネスコの世界遺産に登録されているパキメ遺跡

もチワワ州に存在する。

Ⅱ. メキシコ先住民の歴史的背景と土地問題 1519 年、スペイン人のエルナン・コルテスがメキシコに上陸した。当時メキシコ最大の

都と推測され、その美しさが記録されているテノチティトランをスペインが破壊し、その地

にヌエバ・エスパーニャを築いた(Díaz del Castillo, 1632/2011)。スペインによる植民地

時代の始まりである。スペイン人入植者によって、メキシコに居住していた先住民の慣習地

の多くは収奪された。また、その間多くの先住民が入植者によって虐殺されたり(Díaz del Castillo, 2011; Koning, 1993)、強制労働により酷使され命を落としたり、ヨーロッパの疫

病が原因で死亡したりした(Blaut, 1993)。スペインによる支配が約 300 年続いた後、メキ

シコでは 1810 年に独立革命が始まり、1821 年 9 月 15 日にスペインからの独立を宣言し

た。しかし、先住民の社会環境は改善されないまま、今日に至っていた。

図1:メキシコ、チワワ州の位置と面積(率)

出典先:INEGI, n.d.

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1982 年、国際連合特別報告者に任命されたホセ・リカルド・マルティネス・コボ(José Ricardo Martínez Cobo)は、先住民の土地問題についても触れた「先住民に対する差別に

関する調査報告書」(Martínez Cobo, 1982)を提出した。それを受けて先住民の人権を尊重

するための草案作成が 1985 年に始まったが、先住民の権利宣言(Declaration on the Rights of Indigenous Peoples)が完成されたのは約 8 年後の 1993 年だった。しかも、先住民の権

利宣言最終案が国際連合人権理事会によって採択されたのは、さらに 13 年後の 2006 年で

あった。そして翌年 9 月、ようやく国際連合加盟国による投票がニューヨークの国際連合

本部総会にて行われた。193 加盟国中 34 ヶ国が欠席し、159 ヶ国での投票となった。結果

は、反対4ヶ国、棄権 11 ヶ国、賛成 144 ヶ国により先住民の権利宣言は採択された。反対

した4ヶ国の内 2 ヶ国は、メキシコの隣国であるカナダとアメリカ合衆国であった。メキ

シコは、アメリカ合衆国と同じく先住民の人口も多く、彼らの慣習地を収奪した歴史的背景

があるにも関わらず賛成票を投じている。

2007 年に国際連合総会にて採択された先住民の権利宣言(United Nations, 2007)は、

あくまでも宣言であり、法的拘束力はない。しかしながら、宣言の中には、先住民が伝統的

に使用してきた土地の返還および賠償などを求める権利を有することが明記されており、

各国が今後どのような政策を取るかが注目される。このような状況の中、メキシコチワワ州

カリチィ郡に居住するサン・ホセ・バケアチのララムリ達は、権利宣言が採択される以前か

ら慣習地を回復しようと奮闘していた。

Ⅲ. 先住民活動家と人権擁護家との対談

対談日時・場所

2017 年 8 月 19 日(土)、午前 12 時 4よりチワワ市内にある Bowerasa(ボワラサ)と名

付けられた組織の事務所にて対談を行うことになった。この組織は、カリチィ郡やサン・ホ

セ・バケアチ地区にて生活しているララムリの権利を支援している。創立者の一人であるエ

ステラ・アンヘレス・モンドラゴン女史によると、「ボワラサ」はララムリ語で、スペイン

語に訳すと「Haciendo camino」となるそうだ。日本語に直訳すると「道を作っている」と

なる。道を作り前に進んで行くという想い、つまりララムリの権利が改善されることを願っ

て命名されたと思われる。 ボワラサの事務所へは、最初は安全を帰して 5宿泊していた市内のホテルから徒歩にて向

う予定であった。しかし、途中で道に迷い、結局タクシーにて事務所に向うことになり、事

務所付近で降ろしてもらった。玄関扉前には、鉄格子の扉が設置されていた。鉄格子の扉の

上には、さらに監視カメラが二台も設置されており、脅迫の重々しさが伺える。

事実、2009 年 3 月 18 日には、事務所に火炎瓶が投げられ火事になったという。また、

2010 年 2 月 18 日には、女史の娘が自宅の駐車場の車上で被弾している。弾丸は手に当た

ったが、幸いにも命に別状はなかった。しかし、同年 3 月 1 日には、女史のパートナーであ

ったエルネスト・ラバゴ・マルティネス氏がボワラサの事務所を訪れた二人組に玄関先で発

砲され、首と腹部に弾丸を受けた。辛うじて事務所の中に戻り、女史に電話をかけようとし

たが死亡した。女史自信も殺害予告を受けたり、また殺害未遂となったこともあるようだ。

こういった状況の中、鉄格子や監視カメラは、身の安全を確保するために必要不可欠である

と思われる。

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図2:対談者と一緒に

玄関先のベルを押すと、ソーシャルワーカーであり、女史の助手をしている Alba Karina Ortiz Montes(アルバ・カリーナ・オルティス・モンテス)が出て来て鉄格子の鍵を開け、

事務所の中に案内してくれた。

対談者および臨席者

エステラ・アンヘレス・モンドラゴン女史が擁護しているララムリ達は、カリチィ郡サン・

ホセ・バケアチ地区の共有地に居住している。カリチィ郡は、チワワ州の州都チワワ市から

車で南西に向かって 170 キロメートルほどの所にある。標高約 2,000 メートルに位置する

サン・ホセ・バケアチ地区には、カリチィからさらに山道を車で向い、彼らの居住地にはサ

ン・ホセ・バケアチの中心部からさらに 1~2 時間歩く必要があると言う。今回の滞在期間

中に、対面したことがない先住民活動家の皆さんにお会いするのは諦めていた。しかし運が

良いことに、対談当日の午前中、5 名の先住民活動家がチワワ市内で行われる会議に女史と

一緒に参加するために市内を訪れており、帰宅時間を遅らせて対談に臨席してもらえるこ

とになった。(図2)

エルネスト・ラバゴ・マルティネス氏の銃殺に対

する抗議モニュメント(チワワ市役所裏の公園内)

モニュメント左側の白い十字架に

刻印されているラバゴ氏の氏名と写真

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以下、女史と臨席してもらえた先住民活動家の名前と役柄を簡単に説明する。

Estela Ángeles Mondragón(エステラ・アンヘレス・モンドラゴン):メキシコ人

弁護士、チワワ州カリチィ郡サン・ホセ・バケアチ地区の共有地に住むララムリの

人権擁護家(写真後列一番右の女性)

Juan Ramírez(フワン・ラミレス):共有地の代表者、男性

Martin Federico(マルティン・フェデリコ):フワン・ラミレスの秘書、男性

José Patricio Venancio(ホセ・パトリシオ・ヴエナンシオ):共有地の会計係、男性

Rosalinda Libares(ロサリンダ・リバレス):ボワラサの二番目の助手、女性

Hilda Bernabe Rodriguez(ヒルダ・ベルナベ・ロドリゲス):第五番目の市議会議

員 先住民担当、女性

対談の内容・様子

日本から持参した子供達の古着などを手渡して雑談をしている中で、女史は対談後に先

住民の臨席者をチワワ市から Cuauhtémoc(クワウテモック市)に車で送る予定だと知っ

た。クワウテモック市には車で 1 時間半ほどかかるらしく、往復だと 3 時間にもなる。先

住民の皆さんは、クワウテモックからさらにバスにてカリチィまで行き、そこから歩いて帰

るということだった。女史も先住民の皆さんも慣れているとはいえ、お疲れの中申し訳ない

と感じた。その為、対談時間は短めにと考え、女史にどうしてもお聞きしたかった二点に質

問を絞ることにした。

女史の活躍にてカリチィ郡サン・ホセ・バケアチ地区のララムリが土地権利を回復した記

事は拝読したが、女史とララムリの接点が見受けられなかった。女史がチワワ出身でないこ

とは、女史を知る方から聞いていた。その為、チワワ出身でない女史が、どうしてチワワの

先住民を擁護することになったのかについて尋ねたかった。また現在、世界中の先住民が土

地回復に努めているが、目的を達成できずにいる。勝利した要因についても是非お伺いし、

何か秘策を見つけ出せたらと願った。

会話を通して感じたのは、女史の行動力と強い意志である。パートナーが殺害され、そし

て女史自身も殺害予告を受けたにも関わらず、怯むことはなかった。「勝つために始めた。」

と言う女史、彼女の口調からもそして言葉からも強い意志と勇気を感じた。

せっかく先住民の活動家に会うことが出来たにも関わらず、彼らにほとんど質問できな

かった。彼らの帰宅時間が遅くなることも心配であったが、なによりも寡黙で、また、目が

合うと反らされてしまう。初対面ということもあり、なかなか心を開いてもらえなかったよ

うに感じた。他の先住民を擁護した経験のある女史も言われていたが、ララムリ達は他の先

住民と比べても、外部の人間を容易に信用しようとしないらしい。過去の入植者との苦い経

験が彼らを懐疑的にさせたのかもしれない。

今後の展望

入植者によって慣習地を奪われたメキシコの先住民達。世界中をみても同様の

事例は数知れず、メキシコチワワ州に住むララムリも例外ではない。山道を走る

映像からは想像できないが、ララムリの中でもカリチィ群サン・ホセ・バケアチ地

区に住むララムリ達は、慣習地を回復すべく奮闘していた。そんな彼らを 1994 年

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以来擁護してきたのは、メキシコ人弁護士のエステラ・アンヘレス・モンドラゴン女

史とエルネスト・ラバゴ・マルティネス氏である。残念なことに、ラバゴ・マルティネス氏

は、途中銃殺された。女史自身も幾度となく脅迫を受けたが活動を続け、2015 年 10 月 30日、ついに 44,784 ヘクタールの慣習地の内、約 25,000 ヘクタールを回復するという偉業

を成し遂げた。活動を始めて 20 年の歳月が経っていた。先住民による土地権利回復の成功

例は、メキシコでは初めてだと思われる。また、2015 年当時、世界的に見ても珍しく、イ

ンタビューを依頼した。

今回の女史との対談は 2 時間にも及んだ。臨席してもらえた先住民の活動家の

皆さんからは、ほとんど話を聞くことは出来なかった。しかし、女史との対談を通

して、新聞記事からは収集することができなかった貴重な情報を直接得ることができた。

また、女史の口調、そして言葉からは女史の強い意志と勇気を感じることができた。今後は、

過去の土地政策や土地利用に関する基礎資料も収集し、論文としてまとめたい。

注 1. 日本語での正式名称は、メキシコ合衆国(英語では the United Mexican State、スペイン語では

Estados Unidos Mexicanos)である。しかし、ここでは通称名にて記載する。 2. 本稿で使用している「先住民」とは、1519 年にスペイン人のエルナン・コルテスがメキシコに上陸す

る以前からメキシコに居住していた人々である。また、言語・伝統的慣習など文化的・社会的特徴を

保有している子孫も意味する。 メキシコの国勢調査機関、INEGI(Instituto Nacional de Estadística y Geografía, 2015)による

と、2015 年には言語学上 70 ほどの民族がメキシコに存在する。しかし、先住民の人口が少ないメキ

シコ州の Tlahuicas(トゥラウィカス)族などは、他の部族と一緒に「その他」として扱われている。

書籍によって存在する民族の数が違うのは、「その他」に含まれる民族の数がそれぞれ異なるためであ

る。

3. 先住民の言語には、日本語に存在しない音もある。また、文字を持たない部族もいる。ここではあえ

て日本語音に書き換えているため、どうしてもオリジナル音と差異が生じている。Rarámuri(ララム

リ)は、二つ目の「ラ」にアクセントが存在するが、ここでは「ララムリ」と記載している。ララム

リを外名の Tarahumara(タラウマラ)で呼ぶ書籍が多いが、ここではサン・ホセ・バケアチの先住

民自身や擁護家が彼らの名前として使用している「ララムリ」にて表記する。先住民活動家によると、

「ララムリ」という名前は、彼らの言語で「人(スペイン語で“gente”)」を意味するらしい。一方、

「タラウマラ」という名前は、先住民の言語で tara (タラ)は「足」を、huma (ウマ)は「走る」を

意味し、スペイン人が軽やかに走るララムリを見て付けた外名である。

ここで紹介している他の 3 種族も外名を持つ。Óoba は Pima(ピマ)、Ódami は Tepehuano(テ

ペウアノ)、Makurawe は Guarijío(グワリヒオ)の外名を持つ(SEP & CONACULTA, 2004)。

4. メキシコには 4 つのタイムゾーンがあり、チワワ州は山岳部時間を採用している。また、日本では、

午前 12 時は昼食時であり訪問を避けるべき時間帯だが、メキシコでは午後 2 時から 4 時が昼食時と

なる。 5. メキシコでは、タクシーの運転手が強盗の一味として誘拐や犯罪を起こすケースがある。このような

状況の中、もし運転手が土地回復運動の反対者であった場合、女史の事務所をタクシーにて訪れるこ

とは危険だと感じたため。

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引用文献

クリストファー・マクドゥーガル(2010). BORN TO RUN 走るために生まれた 近藤 隆

文、翻訳) 東京:日本放送出版協会

ニール・シェイ(2008 年 11 月号) 潜入!巨大結晶の洞窟 藤田宏之(編) 氾濫する照明

の海 ナショナルジオグラフィック日本版 pp. 66-77

日本放送協会(2017 年 7 月 26 日)「いくぞ!最果て!秘境×鉄道『メキシコ・チワワ大

西洋鉄道』」 BS プレミアム 東京:日本放送協会

Blaut, James Morris. (1993). The colonizer’s model of the world: geographical diffusionism and Eurocentric history. New York: The Guilfford Press.

Díaz del Castillo, Bernal. (2011). Historia Verdadera de la conquista de la Nueva España. Barcelona, España: Circulo de Lectores, S.A. (Original work published 1632)

Instituto Nacional de Estadística y Geografía (INEGI). (2015). Encuesta Intercensal 2015. México. Retrieved from http://www.beta.inegi.org.mx/proyectos/enchogares/especiales/intercensal/

. (n.d.). Informacion por entidad: Chihuahua, Territorio. Retrieved from http://cuentame.inegi.org.mx/monografias/informacion/chih/territorio/

Koning, Hans. (1993). The conquest of America. New York: Monthly Review Press.

Martínez Cobo, José Ricardo. (1982, September 8). Study of the Problem of Discrimination Against Indigenous, Final Report. (Publication No. E/CN.4/Sub.2/1982/2). New York: Economic and Social Council, United Nations.

Quintanar Hinojosa, Beatriz (Directora Editorial). (2014). Guía Especial: Descubre Chihuahua. Districto Federal, México: Mexico Desconocido.

Secretaría de Educación Pública (SEP) & Consejo Nacional para la Cultura y las Artes (CONACULTA). (2004). La Divercidad Cultural de México: Las Lenguas Indigenas de México (Edición 2004). Mexico, DF: Author.

United Nations. (2007). Declaration on the Rights of Indigenous Peoples (UNDRIP). Publication No. A/RES/61/295. New York: Autor.

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