ツイッターに安心して本音を 吐き出せる場が生まれた · 78 2017...

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78 DECEMBER 2017 ツイッターに安心して本音を 吐き出せる場が生まれた ~「#8 月 31日の夜に。」の挑戦~ メディア研究部 谷 卓生 はじめに    「学校。ああ,また始まる。生き地獄が,また始 まるんだ。でも,そんな僕を周りは変わってると いう。余計に,自分が嫌になる。普通ってなんだ ろう。なんで,普通じゃないの? でも,それは一 番僕自身が思ってる。僕は未来なんて期待しても いいんだろうか。」 「1,2年時に受けたいじめがまだ心の傷として 残り,学校に行きたくない毎日が続いています 死んじゃえば楽になれるけど怖くて死ねません。 死にたい。でも死ねない。の繰り返しで人生に 生きたいという喜びを見いだせません 家に居場 所はなく息苦しいです」 これらは,「#8 月31 日の夜に。」というNHK E テレが展開したキャンペーンに寄せられた, 10 代の若者からと思われるツイートの一部だ。 この#(ハッシュタグ) 1) は,Eテレで放送中の 福祉番組『ハートネットTV』 2) が中心となって, 「夏休みの終わり,どんな気持ちで過ごしてい ますか」「誰にも言えない思いを抱えていません か」…そんな気持ちを寄せてくださいと呼びか けたものだ。結果としてこの#の空間は,2 学 期の始まりを前に苦しむ若者を,大人たちが温 かく包み込むような場になった。“安心して,あ りのままの声を発することができるツイッター上 の空間”をどのようにして作ることができたの か,番組担当者や編成局担当者への取材など をもとに報告する。 「# 8 月31日の夜に。」って何? そもそも「8 月31 日の夜」ってどういう時間帯 なのかを知っているだろうか。子どもにとって は,夏休み最後の日の夜。そして,2 年前の国 の発表では,18 歳以下の自殺者数を日別に集 計すると最も多かったのは 9 月1 日。そういう 日を前にした「特異な時間帯」だ。そこで E テ レではこの夏,そのセンシティブな時間を過ご している10 代に向けてメッセージを送ろうと, 『ハートネットTV』や『Rの法則』『#ジューダイ』 などの番 組で,「 #8 月31 日の夜に。」( 以下, 「#」)というキャンペーンを行った。 テレビとネット,ツイッターの連携で 10 代に届けたい 『ハートネットTV』が 今回のキャンペーンに 参加するに当たって重視したのは,インター ネットやツイッターとの連携だった。それはな ぜか? この番組では,前身の『福祉ネットワー ク』から現在まで10 年以上,自殺の問題に継 続的に取り組んできた。当初は,自殺を“防ぐ” “対策する”ということで始めたが,そうした客 観目線が当事者には自分が否定されているよう でつらいという声が上がってきた。そこで,生 きづらい気持ちを語れる場を作ろうと「生きる ためのテレビ」というシリーズを 2014 年に始め た。番組ホームページには多くのメールが寄せ られるようになり一定の手応えをつかんではい たが,特にテレビ離れが進む若い世代には届 いていないのではないかという思いをずっと抱 えてきた。今回,さらに担当者にネットとの連 動を強く意識させたのは,自宅で番組を見て いた若者からの1 通のメールだった。 〈放送研究リポート〉

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78 DECEMBER 2017

ツイッターに安心して本音を吐き出せる場が生まれた~「#8月31日の夜に。」の挑戦~

メディア研究部 谷 卓生

はじめに   

「学校。ああ,また始まる。生き地獄が,また始まるんだ。でも,そんな僕を周りは変わってるという。余計に,自分が嫌になる。普通ってなんだろう。なんで,普通じゃないの? でも,それは一番僕自身が思ってる。僕は未来なんて期待してもいいんだろうか。」「1,2年時に受けたいじめがまだ心の傷として

残り,学校に行きたくない毎日が続いています 死んじゃえば楽になれるけど怖くて死ねません。 死にたい。でも死ねない。の繰り返しで人生に生きたいという喜びを見いだせません 家に居場所はなく息苦しいです」

これらは,「#8月31日の夜に。」というNHK Eテレが展開したキャンペーンに寄せられた,10代の若者からと思われるツイートの一部だ。この#(ハッシュタグ)1)は,Eテレで放送中の福祉番組『ハートネットTV』2)が中心となって,

「夏休みの終わり,どんな気持ちで過ごしていますか」「誰にも言えない思いを抱えていませんか」…そんな気持ちを寄せてくださいと呼びかけたものだ。結果としてこの#の空間は,2学期の始まりを前に苦しむ若者を,大人たちが温かく包み込むような場になった。“安心して,ありのままの声を発することができるツイッター上の空間”をどのようにして作ることができたのか,番組担当者や編成局担当者への取材など

をもとに報告する。

「#8月31日の夜に。」って何?

そもそも「8月31日の夜」ってどういう時間帯なのかを知っているだろうか。子どもにとっては,夏休み最後の日の夜。そして,2年前の国の発表では,18歳以下の自殺者数を日別に集計すると最も多かったのは9月1日。そういう日を前にした「特異な時間帯」だ。そこでEテレではこの夏,そのセンシティブな時間を過ごしている10代に向けてメッセージを送ろうと,

『ハートネットTV』や『Rの法則』『#ジューダイ』などの番組で,「#8月31日の夜に。」(以下,

「#」)というキャンペーンを行った。

テレビとネット,ツイッターの連携で10代に届けたい

『ハートネットTV』が今回のキャンペーンに参加するに当たって重視したのは,インターネットやツイッターとの連携だった。それはなぜか? この番組では,前身の『福祉ネットワーク』から現在まで10年以上,自殺の問題に継続的に取り組んできた。当初は,自殺を“防ぐ”

“対策する”ということで始めたが,そうした客観目線が当事者には自分が否定されているようでつらいという声が上がってきた。そこで,生きづらい気持ちを語れる場を作ろうと「生きるためのテレビ」というシリーズを2014年に始めた。番組ホームページには多くのメールが寄せられるようになり一定の手応えをつかんではいたが,特にテレビ離れが進む若い世代には届いていないのではないかという思いをずっと抱えてきた。今回,さらに担当者にネットとの連動を強く意識させたのは,自宅で番組を見ていた若者からの1通のメールだった。

〈放送研究リポート〉

79DECEMBER 2017

「不意に切り替わる画面 振り返るとリモコンを片手に目を逸らす母。曖昧に笑って。そんな暗い番組,観るもんじゃないと。」

事実上,この種の番組を家族といっしょにリビングで見るということが想定しづらい中,若い世代に届けるには,ネット,特にスマートフォンを使う必要があると番組担当者たちは痛感させられた。そこで,簡単に自分の意見や思いを投稿して誰もが発信者になれ,「ライブ動画の配信」3)もできるツイッターをうまく使えないかと考えたのだ。

インターネットを通した番組展開を考える場合,制度上,テレビ放送のインターネットによる

「同時配信」は認められていない。そこで,「放送番組に対する理解の増進に資する情報」を伝えるという制度の範囲内で今回,『ハートネットTV』は次のようなテレビとネット,ツイッターとの連携を試みた。

テレビ放送(20時~ 20時29分)

『ハートネットTV』生きるためのテレビ #8月31日の夜に。第1部

 担当ディレクターが,番組宛てに「死にたい」というメールを寄せた3人の10代の気持ちを聞いたVTRを放送。それを受けて千原ジュニアさん(お笑い芸人)や栗原類さん(モデル・俳優),大森靖せい

子こ

さん(シンガーソングライター)ら,自ら引きこもりや不登校などの経験を持つゲストがスタジオで話し合った。

ライブストリーミング(20 時30分ごろ~ 22時ごろ)

『ハートネットLIVE』 NHK公式ホームページ「NHKオンライン」上の特設サイトにアクセスすると動画配信を見られるもので,『ハートネットTV』としては初めての試

み。テレビ放送では,「お月さん」として進行役を務めたタレントの中川翔子さんと「不登校新聞」編集長の石井志

昂こう

さんが,放送とは別のスタジオから「#」に送られてきたツイートや番組ホームページに届いたメールを紹介した。中川さんは自身もいじめられた経験や不登校などの経験を持っていて,「お願いだから,死ぬのだけはやめてください」「生きててよかったという瞬間は必ず来るんです」と繰り返し繰り返し呼びかけた。

テレビ放送(22時~ 22時45分)

『ハートネットTV+』生きるためのテレビ #8月31日の夜に。第2部

 生きづらさを抱えた5人の10代とスタジオの出演者が語り合った。若者たちは,スマホを使って文字で気持ちを綴ってくれた。出演した大人たちは自分の体験を交えつつ,本気で若者たちへエールを送り続けた。

ライブストリーミング(22時45分ごろ~ 24時過ぎ)

『ハートネットLIVE』 ここからは,特設サイトだけでなく,「ツイッターのライブ動画配信」の仕組みも使った。中

『ハートネットLIVE』

『ハートネットTV+』

80 DECEMBER 2017

川さんと石井さんが,「#」に続 と々寄せられるツイートを紹介。投稿への感想や共感などを自由に語り合い,自殺に関する相談窓口の紹介なども行った。

この中で,テレビを見ず,スマホだけでこのキャンペーンにアクセスした人に向けた試みも行われた。番組の第1部で放送された「10代の気持ちを伝えるVTR」を,その後のライブストリーミングでも配信。そして,第2部の放送中も実はライブストリーミングは続けられていて,そこで「テレビ放送の音声のみ」を流したのだ(映像はツイートの紹介など)。スマホを持っていれば,テレビを見る場合と同じような情報が得られるという意味で,簡単な技術ながら画期的な取り組みだったと思う。

ツイッターは近年,“炎上”や“デマや差別的発言の横行”など,ネガティブな空間になってしまうケースが増えている。番組では「#」の空間を守るために,『ハートネットTV』のWEB担当者に加えて,作家の浅生鴨さんの力も借りた。浅生さんは元NHK職員で,NHKらしからぬツイートで注目を集めたNHK広報局の公式アカウント,NHK_PRの“中の人1号”として知られている。ツイートされたことばの機微を読み取るためには,ツイッター経験がより豊富な人がいたほうがいいと考えたのだ。放送当日,浅生さんはスタジオの副調整室で「#」のタイムラインを見つめ,番組で紹介するツイートを選んだり,不安を感じたツイートには,自分のアカウントで「いいね♥」をして「ちゃんと見守っているよ」というメッセージを送り続けた。

「#8月31日の夜に」は安心できる場になったのか

では,今回の試みは,10代に届いたのだろ

うか。世帯視聴率は第1部0.1%,第2部0.5%(関東地区)4)であったが,ライブストリーミングはよく見られ,しかもいったん見始めると長時間にわたって見続ける人が多かった。ツイッターによるライブ動画の配信は,ライブストリーミングの倍以上再生された。さらに「#」に届いたツイートは,放送当日だけで約2万4,000件にものぼった。

ツイートの内容を詳しく見ていこう。投稿者の属性は不明なことが多いため投稿の内容から判断するしかないのだが,当初多かったのは,若者への共感や応援,自分の体験談を語る大人や,「死にたい」という気持ちをなんとかやり過ごした人たちからのツイートだった。

「学校行きたくなかったら,部屋でゲームしたり漫画読んで良いよ。飽きたら勉強するよ。中学高校行かなくても,大学行けるし。ってか行ったし。大丈夫。」「小中高,地獄だった。いじめは受けなかった

けど生きるのが苦しくてたまらなかった。…不登校になり友達ゼロ。苦しかった。今も少し苦しい。でも今は家族に感謝も言えるし,生き甲斐もある。命とっておいて良かったと思ってる。」「一番しんどかったのは中学時代でしたな。親

に相談すれば良かったけど,逃げるのが嫌な時期でした。もし,苦しいなら逃げる時があっても良いよ。」

「荒らし」ツイートもちらほら見られたが,次々と投稿されるエールなどにかき消されてほとんどなくなっていった。

時間が深くなり23時台になると,10代の当事者からのものと思われるツイートが徐々に増えていった。

81DECEMBER 2017

「心が苦しい。何かに追われている。逃げたくても逃げたくても逃げれない。明日が怖い。人の目が怖い。」「切りたくて切ってるわけじゃないです。止めら

れないんです, やめろって言われるとどうしていいか分からないです。ほかに自分を保つ方法がみつけられないんです。」「サボりたくてサボってるんじゃないよ学校行

かなきゃいけないと思うとすべてに対する意欲と体力が消えるんだよ どうせ何を言っても「サボりだろ」って決めつけられて終わるんだろうけど」

これらは,ほぼすべて「裏垢(うらアカ)」5)

などと呼ばれる「匿名のアカウント」でつぶやかれている。こうしたアカウントを使っている人にはフォロワーがついていないことが多いので,普段のツイートは誰に届くこともない。広大なネット空間にただ消えていくだけだ。しかし,当事者にとってはこのアカウントで気持ちを吐き出して,なんとか命をつなぐことができているかもしれない大切なものだ。だから,このアカウントでつぶやいたことが批判されたり侮辱されたりすることには耐えられない。それにもかかわらず,ツイートに「#」をつけたということは,この場では本音を投稿しても傷つけられない,ありのままの自分を受け止めてもらえるという安心感や信頼感を持つことができたのではないか。それは,数多くのツイートを読み込んだ私の実感でもある。ツイートはしないまでも,ツイッターの画面を見つめ続けた10代はもっと多くいたことだろう。「#」を見守った浅生さんは「ネットの空間は,なぜだかわからないが悪意が暴走してしまうことがある。今回はそういうことが起きなくて本当によかった」と話してくれた。

番組担当者の取材によると,当事者たちは,自分の生きづらさやモヤモヤした気持ちをことばにすることで,自分の思いを少しでもわかったり,楽になったりするという。「#」に救われた若者がいることを願わずにはいられない。

8月31日以降も,#は続く

放送後も,「#8月31日の夜に。」へのツイートは続いている。今回の取り組みへの反響を伝えた『ハートネットTV』(10月5日放送)では,精神科医の松本俊彦さんが「これまで思いをことばにできなかった子どもたちが,少しことばにする勇気を得た。私はそんなふうに肯定的に捉えている」と語っている。

テレビとホームページだけでなく,動画配信やツイッターで外部に積極的に打って出ることで実現できた「#8月31日の夜に。」。番組担当者たちは,こうした安全な空間を守り続ける責任の重さを改めて感じ,来春,10代の自殺者が多い時期に再び番組を作る検討を始めている。テレビ制作者によるネットの活用,そこで試せることはきっとまだまだあるに違いない。     

(たにたくお)

注: 1) #とは,ツイッターでキーワードやトピックス

を分類するために使われる記号。例えば,ツイートに「# 8 月 31 日の夜に」と書き込まれてあると,その#で検索すれば,関連したツイートを見つけることができる。

2) 番組ホームページ:http://www.nhk.or.jp/heart-net

3) ツイートを書き込む画面に「ライブ」ボタンがあり,それを押すとスマホのカメラを通してライブ動画を配信できる仕組み。

4) ビデオリサーチ調べ 5) リアルな友だちには見せられない“ネガティブ

な気持ち”をつぶやくアカウント。