kusanomidori 293 本文 -...

6
&AC2ULfiMMˇM j´˜wALU~cˇ ˚fibpUitXˇw6æpXˇBt UMqMOOtˇ/] wZt¨oMqhˆ ¸m¯t>h\wJx¯w ttqox?qo~ sZyssM]JpK qQˇ ¯ww\ ˘,k²˝L.wZ´ th¸Dtsˇ./]fgw˘ h\wØ·ß«˜xˇ; w$tfOswpbUˇMXmT wE«sZy\ Tq*wD Qd7sw¸¯xˇ&Aw ˜«b\qp b¸²w\U¸? Swq*Owpˇ w*;UC\b/ U˜sp~rhˇ !%T4o hoˇfiZpx hXdhˇ˜ xˇ/˜˜wG \gpsZ ysdGt˘b¿ 4O\qˇp{MhØ hb\qt1QO\qU A{^bw7gˇZ0ˇ ;Msrpb\qxˇ wsUTh wpˇGVs¯phgt1QOtˇt Bjˇ´øwMt _oMsU¯6thfwyKˇLqb w«pVhw«qˇKMx 7w¸¯xˇqDQ wMˇ0wFhZ-h {^Rb\qpb?S? S\tZ-h{wCfl MhUˇ0UGüpxs Xˇ$QsM8UV h»p^ˇ ˘4Ohtˇmp Xw¿~Yˇtw ¡ˇub OtoeUZhZt¨b ü oe p ˘ o M w NGOs ˇG~Z;ˇsrZˇu)tR h²hjtxˇiZpxsXˇ ˇˇ]wˇwu ˆQqyˇº«˘ oM\qt>nVˇ w!QhÆD<fˇ \t0oˇ?SLTw.Y [Z-h{wL´MˇuˆQyˇº«w˘w0f hALˇ&wq*wD E˙VpbUOXO ¯q*fl¢£ ˙ ² / ˇ ¸> §˚¸¿»My ¢£ ¢¯£ / ´/ UNICEF¯¢ £ / ¯G¢ £ / HwB¿¢BNPB£ ¢ £ / ~ ´ ~ ¯ ¢ £ · § » q H / ˝ ¢ SMPN £ ¢ £ / qH /˝¢SMPN £ ¢ £ ¯-H²¢ £ / ´/ ´/ ¿~¯¢ £ ¯² ¢ £ / -Ht¢Puskesmas Baros, Poskesdes Sida Mukt£ ¢ £ ˝ˆ]˜¡¿« ¢/¯zG¨flÆ˙´wB˜£ ¢ £ / -Ht¢Posyandu Relita £ ¢ £ L¢~ ¢/¯zG¨flÆ˙´wB˜£ ¢ £ / JICA¯˜¿t ¢ £ ˙~¯¢ £ ˇ § ˚ ¸ ¿ » M ¸ > ¢¯£ L ¢£

Upload: others

Post on 26-Jul-2020

0 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: kusanomidori 293 本文 - 中央大学春合宿から本格的に始動しました。五年二月上旬に行った二泊三日のこの二週間の現地調査は、二〇一間、海外現地調査を行いました。月二九日から九月一一日の約二週研究対象国として、二〇一五年八

24

私たち林ゼミナールは、林光洋

先生の下で開発経済学を学んでい

ます。林ゼミは経済学部のゼミと

FLP国際協力プログラムのゼミ

の二つから構成されていて、毎年

二〇人前後で活動しています。私

たち三年生︵二〇一七年三月卒業

予定︶は個性豊かな一六人︵経済

学部第九期一〇人、FLP第五期

六人︶が集まっています。二年次

には開発経済学の基礎を主にゼミ

の輪読を通して学び、三年次には

海外現地調査を含む一年間の研究

プロジェクトを行います。そして

四年次には、卒業論文を執筆した

り、年によっては、三年次に実施

したプロジェクトの成果や経験を

用いて中学校・高校向け訪問授業

を行ったりしています。

私たち林ゼミが学んでいる開発

経済学とは、途上国の経済をどの

ように成長させるのか、途上国の

社会・経済の問題点、たとえば、

貧困と所得格差や不十分な教育、

保健・医療・衛生をどのように改

善させるのか、途上国の人々をど

のようにしたら豊かにできるのか、

といったことを研究する学問分野

です。したがって、教室の中で授

業を聞いたり、資料・文献を読ん

だり、インターネットを見たりす

るだけではなく、実際に現地に赴

き、自分たちの足を使い、目で見

て、耳で聞いて、五感を使って研

究することが大切になります。そ

のため、私たちのゼミでも「海外

現地調査を含む一年間の研究プロ

ジェクト」が中心的な活動の一つ

に位置づけられています。

これまでの林ゼミの先輩は、フ

ィリピンやラオス、インドネシア

において現地調査を実施してきま

した。この海外現地調査を含む研

究プロジェクトを行なう際、林ゼ

ミでは、研究対象国、研究テーマ

・トピックの決定から、研究計画

書の作成、国内外の訪問先のアポ

イントメント取り、ロジスティク

スの手配、アポイントメント先で

の調査、研究結果に基づく英語論

文の執筆までのほぼすべてを学生

が自主的に行っています。これは

林ゼミでモットーにしている「自

ら動く」からきています。自ら行

動し、自ら学び、普通の学生では

体験できないことを経験し、自分

たちを一回りも二回りも大きく成

長させることを目指しています。

本稿では、インドネシア現地調

査を中心にしながら、私たちの一

年間の研究プロジェクトでどのよ

うな活動を行ったのか、そこから

何を学んだのかなどを報告いたし

ます。

インドネシア現地調査を含む研

究プロジェクトとは

私たちの代は、インドネシアを

研究対象国として、二〇一五年八

月二九日から九月一一日の約二週

間、海外現地調査を行いました。

この二週間の現地調査は、二〇一

五年二月上旬に行った二泊三日の

春合宿から本格的に始動しました。

この合宿では、研究対象国をど

こにし、テーマ・トピックを何に

するかについて議論しました。そ

の結果、母子保健班、防災班、水

・感染症班の三つの班を設置し、

それぞれのテーマを研究すること

に決まりました。合宿後、ゼミ生

の希望や林先生の助言も考慮して

教育班を追加し、合計四つの班を

作りました。また、研究対象国は、

「�インドネシアの人々の生活基盤向上に�関する研究」を通して学んだこと

林光洋ゼミナール活動報告(上)

杉山貴信(経済学部国際経済学科)、深田琴水(総合政策学部政策科学科)ほか経済学部/ FLP国際協力プログラム林ゼミ3年生�14人

Page 2: kusanomidori 293 本文 - 中央大学春合宿から本格的に始動しました。五年二月上旬に行った二泊三日のこの二週間の現地調査は、二〇一間、海外現地調査を行いました。月二九日から九月一一日の約二週研究対象国として、二〇一五年八

25

経済発展が目覚ましい一方、国際

標準テストの結果がふるわず、妊

産婦死亡率が未だに高く、感染症

の罹患率も高く、自然災害による

被害者が多いというように、各班

の研究に関連して際立った特徴を

持つインドネシアに決めました。

これらの問題はインドネシアの低

所得者層にとっては何としても改

善しなければならない課題である

と考え、「インドネシアの人々の生

活基盤向上」を全体の研究テーマ

にしました。

二〇一五年四月になり、ゼミ全

体も各班もそれぞれの活動を始め

ました。このプロジェクトは、伝

統的にそうなのですが、いくつか

の条件をクリアしなければ林先生

から海外現地調査実施の許可をも

らえません。

最初のハードルは、経済学部の

鈴木敏文奨学金を獲得することで

す。毎年二〇人前後の学生が二週

間程度の現地調査を行うので、高

額の調査費用が発生します。各人

がアルバイト等で自己負担したり、

学部やFLPから補助してもらっ

たりしても、それらだけではまっ

たく足りません。また、鈴木敏文

奨学金は、エントリーシートの記

述や面接試験を英語で行わなけれ

ばなりません。大幅に不足する資

金を補うこと、英語で書いたり話

したりすることに耐えうることが

要求されます。

奨学金の応募理由、研究内容、

用途などを英語で説明することは、

英語の苦手なメンバーが多かった

ので、大きな挑戦でした。面接試

験に耐えられるように、想定問答

集を準備し、ネイティブの方にも

見てもらいながら練習に励みまし

た。その甲斐もあり、目標とする

金額の奨学金を獲得できました。

奨学金の獲得と並ぶ、あるいは

最難関のハードルは、実現可能性

の高い、内容の充実した研究計画

書を作成することです。何度も何

度も林先生に研究計画書の発表を

行いましたが、内容が十分ではな

く、OKをもらえない時期が続き

ました。メンバー全員で議論し、

知識不足を補うために、一つでも

多くの資料・文献、特に英語の論

文や本を読み、知識を蓄積するよ

うに心がけました。研究に関連す

る分野で活動している国内の

NG

Os

、大学・研究機関、民間企

業などへも訪問し、知識吸収に努

めました。

私たちには、知識だけではなく、

ゼミ長、副ゼミ長、班長のリーダ

ーシップ、メンバー一人一人の積

極性と責任感、チームワークも不

足していることに気づき、一人一

人の行動を変えました。六月下旬、

林先生に対して、何度目かの修正

版研究計画書のプレゼンテーショ

ンを行い、積極性や責任感、チー

ムワークの不足への対応策を説明

した結果、念願の現地調査の許可

を条件付きですがようやくもらう

インドネシア現地調査日程表(2015年)

日付 午前 午後

8 /29㈯ 往路移動 羽田ースカルノハッタ国際空港 11:45(日本時間)ー17:05(インドネシア時間)

8 /30㈰ ミーティング8 /31㈪ UNICEFインドネシア(12:00ー14:00)9 / 1 ㈫ インドネシア大学(14:00ー18:00)9 / 2 ㈬ 国家防災庁(BNPB)( 8:30ー11:00)

9 / 3 ㈭ シャングリラ・ホテル・インドネシア( 9:00ー16:30)

ジャカルタ国立第181中学校(SMPN181)( 9:30ー12:30)

9 / 4 ㈮スメダン国立第 4中学校(SMPN4)( 8:30ー17:00)

インドネシア保健省(10:00ー11:30)9 / 5 ㈯ ミーティング9 / 6 ㈰ ミーティング

9 / 7 ㈪ ベネッセ・インドネシア(10:00ー12:00)

インドネシア教育省(13:00ー15:00)

9 / 8 ㈫地域保健所(Puskesmas Baros, Poskesdes Sida Mukt)( 8:00ー17:00)

パンデグラン県トゥルック村(日本/インドネシア赤十字社コミュニティ防災事業)( 8:30ー16:00)

9 / 9 ㈬地域保健所(Posyandu Relita)( 8:00ー17:00)

チレゴン市サマン・ラヤ村(日本/インドネシア赤十字社コミュニティ防災事業)( 9:00ー16:00)

9 /10㈭

JICAインドネシア事務所( 9:00ー11:00)

ユニリーバ・インドネシア(14:30ー16:00)

復路移動 スカルノハッタ国際空港ー羽田23:15(インドネシア時間)ー翌日 8:50(日本時間)

Page 3: kusanomidori 293 本文 - 中央大学春合宿から本格的に始動しました。五年二月上旬に行った二泊三日のこの二週間の現地調査は、二〇一間、海外現地調査を行いました。月二九日から九月一一日の約二週研究対象国として、二〇一五年八

26

ことができました。

インドネシアについて

インドネシアは、二〇一三年、

二億五〇〇〇万人︵世界第四位︶

の人口、九一〇〇億米ドル︵約九

一兆円︶のGDP︵国内総生産︶

を擁する大国です。GDPは対前

年比で五・六%の伸びを示し、日

本とは異なり経済に勢いがありま

す。しかし、一人当たりGDPは

三六〇〇ドル︵約三六万円︶程度

で典型的な発展途上国です。国土

は特に東西に広く延び、約一三五

〇〇の島を有する島嶼国ですので、

民族の数も多く、公用語はインド

ネシア語ですが多数の言語が使用

されています。人口の九割前後が

イスラム教を信仰し、世界最大の

イスラム国です。気候は赤道直下

の熱帯性気候のため、乾季と雨季

の二つの季節があります。

私たちは、インドネシアの経済

成長を感じさせる高層ビルの林立

する首都ジャカルタに滞在しまし

た。車の数も多く、連日渋滞が起

きていました。普段は温厚で明る

いインドネシア人ですが、ひとた

びハンドルを握るとその表情は硬

くなり、運転はすごく荒くなり、

事故が起きていないことが不思議

なくらいでした。

毎週日曜日は、ジャカルタ市内

の目抜き通り、タムリン通りが歩

行者天国になり、滞在中に歩く機

会がありました。道路の両脇には

多くのオフィス・ビルが立ち並び、

グランドインドネシアという大型

ショッピング・モールもありまし

た。そこにはカレーハウスC

oC

o壱番屋や丸亀製麺などの日本食を

はじめとするレストラン、カフェ、

衣料品、靴、鞄、雑貨などの専門

店、スーパーマーケットが入って

いて、日本のショッピング・セン

ターとほとんど変わりませんでし

た。首

都の中央部はこのように栄え

ていましたが、首都の周辺部や首

都から数時間の農村部へ行くと、

風景はまったく異なっていました。

道路に穴が空いていたり、未舗装

であったり、道が狭く私たちの使

用していた中型バスでも通りにく

いところがあったりしました。民

家も都市部にあるようなコンクリ

ートの建物ではなく、簡単にブロ

ックを積み上げたり、ベニヤ板を

張ったりしただけの壁や薄いトタ

ンを張っただけの屋根の建物が多

くありました。ジャカルタ市内の

中心部、すなわち都市部とそこか

ら一ー二時間離れた農村部でこれ

ほど違うことに驚きました。

教育班=「インドネシアの授業

研究」

教育班はインドネシアの「授業

研究︵レッスン・スタディ︶」につ

いて調査しました。授業研究とは、

PLA

N

︵授業設計・授業計画︶

↓DO

︵公開授業︶↓SE

E

︵公開

授業反省会︶のプロセスを通じて、

教員が授業を改善していく日本発

祥の教育システムのことです。イ

ンドネシアでは、中学生を対象と

した国際的な学力調査においてア

ジアの中でも下位に位置しており、

教育の質が問題となっています。

授業研究を通じて教員は指導力を

向上することができ、生徒は教員

の工夫された授業によって学力を

向上させることができます。「授業

研究は理数科教育の質の向上に寄

与する」という仮説を立て、これ

を検証するための文献調査に加え、

五月からの八月までの三カ月間、

国内調査も実施しました。

群馬大学教育学部、国際開発セ

ンター、JICA東京国際センタ

ー、茅个崎市立浜之郷小学校、「学

びの共同体国際会議」等を訪ね、

JICAによるインドネシア向け

授業研究の技術協力プロジェクト

がどのように実施されていたのか、

日本の先進的な授業研究がどのよ

うに行われているのか等を各場所

で調査することができました。ま

た、そのJICAプロジェクトの

カウンターパートの中心人物、イ

ンドネシア教育大学のスマール先

生も紹介してもらいました。にも

かかわらず、教育班の要領が悪く、

現地へ乗り込む前までにアポイン

トメントが一カ所も確定せず、焦

りが生じ、不安な気持ちで一杯に

なっていました。

このような状況の中、教育班の

現地調査は始まってしまいました。

インドネシアに入ってから確定し

た最初のアポイントメントは、九

月四日、JICAのプロジェクト

Page 4: kusanomidori 293 本文 - 中央大学春合宿から本格的に始動しました。五年二月上旬に行った二泊三日のこの二週間の現地調査は、二〇一間、海外現地調査を行いました。月二九日から九月一一日の約二週研究対象国として、二〇一五年八

27

サイトであった西ジャワ州スメダ

ン県の国立第四中学校への訪問で

した。スマール先生が監督する授

業研究のワークショップでした。

ジャカルタの宿泊先を朝四時三〇

分に出発する計画でしたが、寝坊

して集合時間に少し遅れたメンバ

ーもいました。しかし、四時間近

くかけてのバス移動でしたが、な

んとか約束の時間にスメダンの国

立第四中学校へ到着することがで

きました。

この日は、授業研究の中の

「DO」

と「SEE」

の二つを観察

することができました。到着後直

ちに始まったスメダン県教育局主

催のワークショップで、授業研究

の「D

O

」︵公開授業︶を参観しま

した。先生がお菓子の箱を使い、

生徒にわかりやすいように円周の

求め方を指導していました。子ど

もたちが班に分かれ、班の中の友

人と協力して問題解決に取り組ん

でいました。「SEE

」︵公開授業反省

会︶では、参観した先生たちから

授業の改善点について多くの建設

的な意見が出ていました。

ワークショップの休憩時間中、

四人の理数科教員にアンケート形

式のインタビュー調査を行う機会

をえました。その四人の先生から

は、授業研究の実施前と実施後で

は、「授業に対する姿勢や生徒と向

き合う姿勢が明らかに変化した」

との共通した回答をえることがで

きました。「

授業研究実施前は自分

の教え方が絶対に正しいと思って

いたが、授業研究を通じて他の先

生の教育手法を取り入れるように

なった」

、「生徒たちへの指導に自

信がついた」、「授業は先生が教え

るのではなく、子どもたちが学ぶ

ためのものだと再認識できた」と

いった意見を伺うことができ、日

本生まれの授業研究がインドネシ

アで実践されているのを実際に見

て感動しました。

一方、スメダン県には、授業研

究の良さを理解していない先生も

いるということがわかりました。

現地の理数科教師の実際の声を聴

き、授業研究の素晴らしい点や課

題点を整理することができました。

このワークショップでは、JIC

Aプロジェクトの元専門家、現在

ベネッセ・インドネシアに勤務し

ている鈴木亮さんにも奇跡的にお

会いし、貴重なお話を伺う機会に

恵まれました。

その後九月七日の午前、ジャカ

ルタにあるベネッセ・インドネシ

アを訪問し、鈴木亮さんから授業

研究導入の地域間格差やスメダン

の授業研究の質について伺うこと

ができました。授業研究の本来の

効果を発揮させるためには、今後

も地方の教育局が中学校をサポー

トしていく必要があり、日本側も

授業の質を向上させるための追加

的な技術協力プロジェクト実施の

必要があると感じました。

九月七日の午後、インドネシア

教育文化省のガフールさんを訪問

しました。当日の午前中に突然決

まった訪問でしたので、準備不足

でとても不安でしたが、温かく迎

え入れてもらいました。ガフール

さんからは、インドネシアの教育

カリキュラムと教員に対する教育

政策、政策の予算面に関する話な

ど、文献調査ではえられなかった

貴重な情報を数多く提供してもら

い、とても参考になりました。

教育班は、帰国後、現地調査で

えた結果に基づいて、英語と日本

語で研究論文を作成しています。

鈴木亮さんやガフールさんとは、

メールや電話でのコンタクトを続

け、不足する情報の提供を受けな

がら、現在、論文執筆の最終段階

に来ています。

防災班=「コミュニティ防災力」

インドネシアは日本と同じく自

然災害の多い国です。そのため、

経済被害の軽減には、日常より住

民一人一人が防災意識を身につけ

スメダンの国立第四中学校でスマール

先生、鈴木亮さんと教育班

Page 5: kusanomidori 293 本文 - 中央大学春合宿から本格的に始動しました。五年二月上旬に行った二泊三日のこの二週間の現地調査は、二〇一間、海外現地調査を行いました。月二九日から九月一一日の約二週研究対象国として、二〇一五年八

28

なくてはなりません。防災は、「公

助」︵行政による防災の取り組み︶、

「共助」︵地域コミュニティ内での

相互助け合い︶、「自助」︵家族や個

人が自分の身を守るための取り組

み︶、「外助」︵外国からの支援︶の

四つの活動主体に分類されます。

その中でも、特に「自助」と「共

助」の二つに焦点を当てました。

近年、共助を基礎とした地域コミ

ュニティレベルで行われる防災が

重要視されています。また、一般

的に、自助がなくては共助が成立

しえないと言われているため、自

助と共助を中心に研究を進めまし

た。インドネシアでは、国家防災

庁およびバンテン州パンデグラン

県トゥルック村と同州チレゴン市

サマン・ラヤ村の二つの村を訪問

し、防災政策やコミュニティ防災

事業の効果について調査をしまし

た。防

災班は、前述の研究テーマを

設定するまでにさまざまな苦労を

しました。テーマがなかなか決ま

らず、新しい案が出ては消え、出

ては消えを繰り返していました。

夜遅くまで話し合うこともしばし

ばありましたし、とにかく防災に

関する資料・文献を読みあさりま

した。幸いにも、このテーマを設

定できてからは研究が若干ですが

順調に進むようになりました。日

本赤十字社がインドネシア向けに

防災分野の支援を実施しているこ

とをある資料から知り、六月と八

月の二回、同社を訪ね、インタビ

ュー調査を行いました。実際、日

本赤十字社はインドネシア赤十字

社と協力してコミュニティ防災事

業を実施していたので、災害の状

況、防災システムの現状、事業の

活動状況等について詳しく教えて

もらいました。そのコミュニティ

防災事業の実施地であるトゥルッ

ク村とサマン・ラヤ村を訪問先に

定め、現地調査の準備を進めまし

た。このアポイントを取るために

は、インドネシア側のプロジェク

ト・コーディネーターであるアワ

ルディンさんと頻繁にメールでコ

ンタクトする必要がありました。

英語が苦手であった私たちは、英

語メールの書き方、送り方を一か

ら調べ、いったん作成したメール

を何度も何度も間違いはないか確

認し、一通のメールを送るのに相

当な時間かけるなどして、とても

苦労しました。

インドネシアでは、国家防災庁

と二つのコミュニティ防災事業実

施地を訪問しました。九月二日に

国家防災庁を訪ね、総合防災政策

アドバイザーの新屋孝文JICA

専門家にお話を伺いました。防災

教育は、親から子どもに教えるこ

ともある一方、子どもが受けた教

育を親に伝えることもあり、親の

教育、子の教育の双方向からの教

育が重要であることがわかりまし

た。防災について理解でき、まだ

素直な心も持ち合わせている小学

校高学年の子どもたちが防災教育

のターゲットとされていることも

教えてもらいました。インドネシ

アでは、伝統芸能に防災活動を組

み込み、楽しみながら参加できる

ようにすることで防災意識を文化

と一緒に後世に残そうという試み

が行われていることを知りました。

さらに、インドネシアは多民族

国家なので、国民が防災について

の統一的なイメージを持つことは

難しく、地域や民族の違いによっ

て防災意識に差が生じてしまうと

いうような説明も伺うことができ

ました。特に印象に残っているの

は、「アリとキリギリス」のたとえ

を用いて説明してもらいましたが、

インドネシアには冬という「蓄え

をすべき季節」がないために備蓄

という概念が根づかず、日本とイ

インドネシア赤十字社チレゴン支部で

同社職員と防災班

Page 6: kusanomidori 293 本文 - 中央大学春合宿から本格的に始動しました。五年二月上旬に行った二泊三日のこの二週間の現地調査は、二〇一間、海外現地調査を行いました。月二九日から九月一一日の約二週研究対象国として、二〇一五年八

29

ンドネシアの間に防災意識の大き

な差があることでした。この他に

も、新屋専門家からは防災班の研

究に対して多くの貴重な意見やア

ドバイスをいただきました。

九月八日にはトゥルック村を、

九月九日にはサマン・ラヤ村とイ

ンドネシア赤十字社のチレゴン支

部を訪ねました。現場では、プロ

ジェクト・コーディネーターであ

る前出のアワルディンさんから、

コミュニティ防災事業の説明を受

け、コミュニティの人たちとつな

いでもらい、インドネシア語と英

語の通訳をしてもらいました。初

めてで慣れない土地であったため、

不安でいっぱいでしたが、同時に

これまで経験したことのない状況

に防災班全員が興奮していました。

トゥルック村では、洪水時の水

の高さで避難のタイミングを示す

ポールや手動警報装置、避難用の

船などさまざまな洪水対策がとら

れていました。事業実施地を実際

に歩いてみることによって、文献

ではえられない情報をたくさんえ

ることができました。また、住民

に対するインタビューからは、ト

ゥルック村には「ゴトン・ロヨ

ン」と呼ばれるインドネシア特有

の相互扶助の精神が存在し、毎週

金曜日は住民が協力し合って排水

溝を掃除し、洪水対策をしている

ことを確認できました。この掃除

は重要な役割を果たしており、も

しそれをしなければ、豪雨の際に

水の通り道がなくなり、それが洪

水拡大の原因となってしまうそう

です。村には予算が少なく、緊急

時に必要な食料や飲料水が常備で

きていないこと、ハザードマップ

の認知度・利用度、住民個人の防

災対策についてなど、多くのこと

を知ることができました。

サマン・ラヤ村では、インドネ

シア赤十字社から防災の訓練を受

けた防災団︵日本の消防団のよう

なボランティア︶のメンバーにイ

ンタビューしました。コミュニテ

ィ防災事業を通じて、防災の重要

性がコミュニティに浸透し、住民

相互に助け合う必要性・重要性を

理解できたこと、コミュニティ内

の防災力に大きな改善があったこ

と、村には予算が少ないものの政

府からの支援が若干あることなど

の情報をえました。

防災団メンバーへのインタビュ

ーの後、村役場を訪ね、サマン・

ラヤ村で使われているハザードマ

ップを見せてもらいました。さら

にインドネシア赤十字社チレゴン

支部も訪問しました。近隣住民を

助けるのは当たり前であること、

ごみが洪水の原因となっているの

で、地域住民が協力して掃除を行

い、洪水被害の軽減に努めている

ことを伺いました。「自分を守るこ

とができないものは、誰も守るこ

とができない」という、防災班の

研究の中で軸となるような考え方

も教えてもらいました。

今回の現地調査を通して、二つ

の村の住民たちは、災害から自分

と家族を守り、さらに、ゴトン・

ロヨンの精神で仲間たちをも守っ

ていることを知りました。備蓄が

なかったり、不足していたりしま

したが、災害時には、地域内の他

の住民から、あるいは他の地域の

住民から助けてもらっていました。

個人の防災準備が十分ではなかっ

たものの、自助の意識が低いとは

一概には言えず、住民たちは相互

扶助の精神で協力し合い、お互い

の弱さをカバーするようにむしろ

コミュニティ内でより強く結び付

いていたのです。また、インタビ

ュー結果によると、住民たちはコ

ミュニティ防災事業の中で作成さ

れたハザードマップによって、地

域の持つ災害リスクを理解し、自

助の意識を育てていました。つま

りコミュニティ防災事業は、共助

の仕組みを作りつつも自助の意識

も育てていたのです。

防災班は、二週間のインドネシ

ア訪問のために多くの時間と労力

を費やしてきましたが、現地調査

を実施できて本当によかったです。

研究計画書の報告予定日前日まで

何も決まらず焦った日々も、英語

メールに悪戦苦闘した日々も、イ

ンドネシアで英語でのインタビュ

ーに苦戦した日々も、どの瞬間も

防災班四人の宝物です。帰国した

後も苦労は続き、英語の研究論文

執筆に悪戦苦闘する日々でしたが、

ようやくほぼできあがりました。

協力してくださった皆さんに完成

した論文を贈ることが私たちにで

きるお礼だと思っています。