matahari 通信 第 2号 - ホーム:公益財団法人栃...

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日本はさくら満開の春でしょうか? ここインドネシアは、雨季から乾季に季節が変わり始め、日に日に雨の降る日が 少なくなってきました。 赴任した当時 8 月頃の暑さが再びやってくるのかと思うと、今からちょっ と身構えてしまうほどです。 1 年中夏のここインドネシアでも、わずかですが季節の変化があり風景の違いが 感じられるようになりました。 みなさんの新生活は、いかがですか? 2009 3 31 日発行 VOL.ホームスティしています! インドネシア人の家に、一緒に住んでいます。 この家は、2 歳半の女の子、小学校 1 年生の男の子、お父さ ん、お母さん、おばあちゃんの 5 人暮らしです。一般的には 10 人くらいで住んでいる家が多いようなので、私の家の家族はと ても少ないほうです。 お父さんとお母さんは二人とも公務員です。おばあちゃんも 公務員でしたが、定年退職をし、今は家でのんびりしています。 この県では、公務員の給料は、一般の会社よりもとてもよいよう です。 私の家は、中流階級の家ですが、まだ車は持っていません。 普段の交通には、バイクを使っています。 また、インドネシアの家は、一般的に、石の家・木の家・竹の家の 3 種類あります。村に行くと、木の家や竹の家が一般的です。 部屋の様子はこんな感じ! 子どもたちが汚して、おばあちゃんが片付けるのは、 日本もインドネシアも同じのようです。 みんなでくつろぐ、居間の写真です。 玄関を入ってすぐに、私の部屋があります。 私が住む前は親戚やお客さんを泊める部屋として 使っていたようでした。 インドネシアでは、親戚や友達が常に遊びに来たり泊ま っていったりします。 おばあちゃんがきれい好きなので、毎朝きちんとそ うじされています。 写真の右奥にあるのがお祈り用のマットと、ベールです。これを使って行いま す。 お祈りは 1 5 回。朝 5 時・12 時・15 時・18 時・20 時頃行われます。 家の中にあるお祈りの場所 イスラム教徒のお祈りのための場所です。メッカ(聖地)の方向に向かい作 られていて、ここに立ちお祈りします。お祈りの時間前には、家の近くにある モスクから、お祈りの音楽が流れてきます。その音楽を聴くと、お祈りの時間 ということで、家の中に入り、それぞれお祈りします。

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ま た は り

日本はさくら満開の春でしょうか? ここインドネシアは、雨季から乾季に季節が変わり始め、日に日に雨の降る日が

少なくなってきました。 赴任した当時 8 月頃の暑さが再びやってくるのかと思うと、今からちょっ

と身構えてしまうほどです。 1 年中夏のここインドネシアでも、わずかですが季節の変化があり風景の違いが

感じられるようになりました。 みなさんの新生活は、いかがですか?

2009 年 3 月 31 日発行 VOL.2

ホームスティしています! インドネシア人の家に、一緒に住んでいます。 この家は、2 歳半の女の子、小学校 1 年生の男の子、お父さ

ん、お母さん、おばあちゃんの 5 人暮らしです。一般的には 10人くらいで住んでいる家が多いようなので、私の家の家族はと

ても少ないほうです。 お父さんとお母さんは二人とも公務員です。おばあちゃんも

公務員でしたが、定年退職をし、今は家でのんびりしています。

この県では、公務員の給料は、一般の会社よりもとてもよいよう

です。 私の家は、中流階級の家ですが、まだ車は持っていません。 普段の交通には、バイクを使っています。

また、インドネシアの家は、一般的に、石の家・木の家・竹の家の

3 種類あります。村に行くと、木の家や竹の家が一般的です。 部屋の様子はこんな感じ!

子どもたちが汚して、おばあちゃんが片付けるのは、

日本もインドネシアも同じのようです。

みんなでくつろぐ、居間の写真です。 玄関を入ってすぐに、私の部屋があります。

私が住む前は親戚やお客さんを泊める部屋として

使っていたようでした。 インドネシアでは、親戚や友達が常に遊びに来たり泊ま

っていったりします。 おばあちゃんがきれい好きなので、毎朝きちんとそ

うじされています。

写真の右奥にあるのがお祈り用のマットと、ベールです。これを使って行いま

す。 お祈りは 1 日 5 回。朝 5 時・12 時・15 時・18 時・20 時頃行われます。

家の中にあるお祈りの場所 イスラム教徒のお祈りのための場所です。メッカ(聖地)の方向に向かい作

られていて、ここに立ちお祈りします。お祈りの時間前には、家の近くにある

モスクから、お祈りの音楽が流れてきます。その音楽を聴くと、お祈りの時間

ということで、家の中に入り、それぞれお祈りします。

識字教室の様子 識字教室の生徒は、30 歳から 75 歳くら

いまでの村人です。タカラール県では、普段の

生活ではマカッサル語が話されています。 幼い頃に学校に行けなかった人たちはイン

ドネシア語を勉強していないため、インドネシア語

を読んだり書いたりできません。 7 月から半年間、村人の家に集まりみん

なで勉強します。授業は仕事の合間の午後

2 時頃から 4 時頃まで行われます。昨年赴

任した当初は、各郡の識字教室の巡回を行

いました。 授業はとても楽しく、いつも笑いが絶

えません!私も一緒に授業に参加中!

先生↓

識字教室の様子・村人の家を利用して開講

職場のタカラール県教育局。毎日ここに通っています!

県の学校外教育課に勤務して

います。この県では、一般の小

学校・中学校・高校に通えない生

徒が沢山居るので、その人たち

のための学校のような施設

(PKBM という)を運営・管理

したり、また字の読めない成人

を対象に識字教室(インドネシア語を

読んだり書いたりできるように

する)を開く準備をしたりして

います。 私の仕事は、一般の学校に行

けない子が通う小中高にあたる

施設や、識字教室を巡回し、み

んなが安心して楽しく授業を受

けられるような環境作りをする

ことです。 今は各施設を巡回しながら、

村人と一緒に授業を受けたり、

日本語の授業を行っています。

授業には生徒以外にも、近所のおじさん

や、おばさん、子どもたちが集まってきて

にぎやかに行われます。 すでに学校に通っていてインドネシア語がで

きる小学生が、自分のおばあちゃんや近所

の人にアルファベットの書き方を教える姿も見

られます。できない人を笑ったり、ばかに

したりする人はいなくて、「わからなー

い!」と誰かが言うと、分かる人が教えてく

れます。ここでは、知っている人が知らな

い人に教えるということが自然に行われ

ています。写真の男の子は、おばあちゃん

の勉強を見ています。 識字教室・村の集会所を利用して勉強中。子どもたちも一緒に!

識字教室の様子その2 この郡の村では、たいていが青空教室。

写真のような屋根なので、雨が降ると授業

ができません。

村人たちに、生活がより豊かになるためのヒン

トを伝えることが、私の仕事の一つです。このため、

今は生活技術向上の講座や、収入を得ることのでき

るような講座を開くことを考えています。 そのためには、村人の普段の生活の様子を知るこ

とが大切です。ですから、各村で行われている仕事

の様子なども見に行きます。左の写真はこの地域で

伝統的なお菓子作りが上手で有名なおばあさんだ

というので会いに行った時のものです。 下の写真にあるお孫さんがお手伝いをしていま

した。午前中だったのに家に居たので、学校はどう

したのかと尋ねると、家の手伝いのために中学校を

中退したという話でした。このおばあさんも、孫も

私の関わる活動の対象メンバーです。 まずはこのお菓子の作り方を、今日は教わりまし

た。甘くておいしい日本のかりんとうのようなお菓

子です。

おばあさんの手伝いをする孫。この子も中学を中退し、

今は PKBM の生徒。午前中は毎日おばあさんと一緒に

市場に売りに行ったり、お菓子作りをしている。

PKBMでの授業 決まった教室はないので、一般の幼稚園や小学校の空

き教室を利用して、授業が行われています。午前中はそ

れぞれの仕事があるため、午後 2 時頃から 5 時頃まで、

週 3 日授業が行われます。 このクラスでは、18 歳から 35 歳までの人たちが集ま

っています。下の写真のように、子どもを連れて授業に

来る人もいます。毎回出席のできない生徒が多く、どう

やったら毎回授業に参加してくれるかを考えています。

このクラスの生徒は 20 人ですが、通常は出席者 2・3人という日も多く、家まで呼びに行ったりしています。 私の生徒たち

1 月から週 1 回、この生徒たちに日本語

を教えています。久しぶりに生徒に教える

ことになり、私が一番喜んでいます。すっ

かり日本語が上手になり、あいさつや簡単

な自己紹介ができるようになりました。 日本に興味を持ってくれていて、日本の

音楽やテレビ・マンガに関心が深いようで

す。私が日本で中学校で働いていたという

と、日本の中学生はどんなの?会ってみた

いなぁ!と話してくれました。 彼らにとって、私が初めて会った外国

人!だそうです。日本語楽しい!といって、

いつも勉強してくれています。 いつか、日本のみなさんとも交流ができ

るといいなと思っているので、その時はよ

ろしくお願いしますね! 村の小学校の空き教室を利用して授業。

この地方の伝統的なお菓子作り名人。毎日作って、市場で売

っている。結婚式やパーティーでは必ず食べるので、予約もあ

る。おばあさんはもう 80 歳近い。識字教室の生徒の一人

「おいしいよ~!」

「できたて~!」

「いかがですか~!」

と、現地語のマカッサル語

で宣伝。

子どもたちの声が

聞こえてくると、道路

に出る人もいる。

子どもたち

の様子

↑ジャランコテックというお菓子(野菜饅頭ののようなも

の)を売る子どもたち。大きな声で、宣伝します。 この声を聞くと、買いたくなる人もいるとか!

家族の一員として、自分のでき

ることをやる、という気持ちがここで

は普通に行われています。 ↑ダダール(クレープの皮にココナ

ッツで作った甘い餡をいれた

もの)を売る小学生。学校から

戻り、すぐに売りに行きます。

↑魚売りの中学生。学校から帰宅してすぐに出てきた

ようで、制服のまま(左)売りに来ていました。海辺の生

活なので、髪は茶色く顔は日に焼けて真っ黒です。写

真は道路を歩いていて、家の人に呼び止められ販売

しているところ。

後記 ちょうど活動も 8 ヶ月が経ち、任地

でも少しずつ自分の考えていること

ができるようになりました。今月は 1月から通っている村に初めて泊ま

り、村の夜を体験しました。 小さな村なので 150M ほどの道を歩

いていく途中に生徒たちの家があ

り、「先生!」と日本語で声をかけられ

ます。その子たちがどんどん増えて

いって、いつの間にか生徒全員で村

自慢の SUNSET スポットへ。この

村は漁村で、海が唯一の自慢です。

娯楽のない土地だからでしょうか?

海に落ちる夕陽を見に来る若者は、

数え切れないほど。その夕陽を眺め

ながら、この自然の豊かさを独り占

めしているような気分を味わいまし

た。こんな風に、異国の生徒たちと

共にここに居る自分。1 年前には想

像もつかなかったことです。ですが、

こうして歩いてきた新しい道は日本

での私と確かにつながっていて、こ

んな風にふとしたきっかけから実現

するものなんだと。《念ずれば通ず》

という言葉はこういう時に実感する

気持ちなのかもしれません。世界の

子どもたちに出会うために、日本を

出てきて 1 年。やっとこの国の子ども

たちの未来に関われる仕事が始ま

りました。 まだまだ手探りではあるけれど、子

どもたちとの出会いが、これからの

私に今以上に力を与えてくれそうで

す。この出会いに感謝!そして明日も

また、子どもたちに会いに村へ・・・

連絡先はこちら

インドネシア 青少年活動 熊倉 百合子

県内ではインターネットが使えないため、2 週間に 1 度くらいの割合で開い

ています。

みなさんからの連絡をお待ちしています!

発行人:青年海外協力隊 20 年度1次隊

ブログはこちら http: matahari-indonesia-reo.blogspot.com

インドネシア生活を随時お伝えしています。

E-MAIL: reokbaihezi@ybb.ne.jp

自宅住所

c/o Muh。Sakri (Sakri さんの家宛という意味)

Ms。KUMAKURA Yuriko

JI.Khaerudin Dg Ngampa NO.4

Kabupaten Takalar 92216

SULAWESI SELATAN

INDONESIA

他にも、家の人が作ったお菓子

や食べ物を売りに来る子どもたち

も居ます。皆、お家の人の仕事を

手伝い、家計を助けています。

インドネシア生活 その2 《物売りの子どもたち》

私の毎日通っている村の子ども

たちです。この村は海が近く、家の

人が獲って来た魚を子どもたちが

売りに一軒一軒まわります。