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-1- 平成25年 7月22日 (月) NO.7 千曲市立戸倉上山田中学校 全校集会で校長先生から 命を大切 大切 大切 大切にして にして にして にして 精一杯生 精一杯生 精一杯生 精一杯生きよう きよう きよう きよう というお話をお聞きしました。 みなさん、おはようございます。 田植えの済んだ田んぼの向こうに、お城のよう な建物が見えます。 1997年、平成9年に、当時小学校3年生の宮越由貴奈さんという女の子が、 この建物を題材として描いたのが、この作品です。この建物は、安曇野市豊科 にある長野県立こども病院です。 今日は「命を大切にし、精一杯生きよう」という 話をします。 宮越由貴奈さんが描いた、もう一つの詩と絵を紹 介します。 「命」 越由奈(小4) 命はとても大切だ 人がいきるための電池みたいだ でも電池はいつか切れる 命はいつかなくなる 電池はすぐにとりかえられるけど 命はそう単にとりかえられない 年も年も月日がたってやっと 宮越由貴奈さんは重い病 神さまから与えられるものだ 気で、永く病院に入院して 命がないと人は生きられない いました。病院で電池を使 でも「命なんかいらない」と言って った理科の勉強をして、そ 命をむだにする人もいる の後この「命」の詩を書き まだたくさんの命をつかえるのに ました。 そんな人を見ると悲しくなる この詩を書いた4ヶ月後 命はむことなく働いているのに の1998年、平成10年6月、 だから、私は命が疲れたと言うまで 僅か11歳で亡くなりました。 せいいっぱい生きよう 小児癌という病気でした。 命を大切にして 精一杯生きよう 作 宮越由貴奈

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平成25年

7月22日

(月)

NO.7 千曲市立戸倉上山田中学校

全校集会で校長先生から

「命命命命をををを大切大切大切大切にしてにしてにしてにして 精一杯生精一杯生精一杯生精一杯生きようきようきようきよう 」というお話をお聞きしました。

みなさん、おはようございます。

田植えの済んだ田んぼの向こうに、お城のよう

な建物が見えます。

1997年、平成9年に、当時小学校3年生の宮越由貴奈さんという女の子が、

この建物を題材として描いたのが、この作品です。この建物は、安曇野市豊科

にある長野県立こども病院です。

今日は「命を大切にし、精一杯生きよう」という

話をします。

宮越由貴奈さんが描いた、もう一つの詩と絵を紹

介します。

「命」宮越由貴奈(小4)

命はとても大切だ

人間がいきるための電池みたいだ

でも電池はいつか切れる

命はいつかなくなる

電池はすぐにとりかえられるけど

命はそう簡単にとりかえられない

何年も何年も月日がたってやっと

宮越由貴奈さんは重い病 神さまから与えられるものだ

気で、永く病院に入院して 命がないと人間は生きられない

いました。病院で電池を使 でも「命なんかいらない」と言って

った理科の勉強をして、そ 命をむだにする人もいる

の後この「命」の詩を書き まだたくさんの命をつかえるのに

ました。 そんな人を見ると悲しくなる

この詩を書いた4ヶ月後 命は休むことなく働いているのに

の1998年、平成10年6月、 だから、私は命が疲れたと言うまで

僅か11歳で亡くなりました。 せいいっぱい生きよう

小児癌という病気でした。

命を大切にして

精一杯生きよう

作宮越由貴奈

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おばあちゃんに「せっかくのいい詩だから何か絵を描いてみたら」と言われ、

この絵を描いたそうです。宮越由貴奈さんの育ったところは長野県富士見町、

富士見町といって思い出す富士山とスズランの花を描いたつもりなのだが、「う

まく描けなかった」と言いました。しかし、この頃はもう描き直す気力もなく、

そのままおばあちゃんにあげたのがこの詩と絵だそうです。

今年、6月12日、昼過ぎに、同じこども病院で、戸倉上山田中学校1年5組、

米沢大雅さんが亡くなりました。5月2日に緊急入院をして、わずか42日目の

ことでした。お葬式は6月15日。その2日後、6月17日は、大雅さんの13歳

の誕生日でした。

お葬式の後、1年5組に届けられた、お母さんの手紙を紹介します。

1年5組の皆さんへ

先日は通夜・告別式と大雅のために来てくださりありがとうございました。

「心の友」のお手紙もとても嬉しかったです。

消極的な大雅に「今度遊ぼうな」と声を掛けた友だちがいたこと、足が痛い大雅を

見て「大丈夫?」と言ってくれた友だちがいたこと、また、「頑張り屋で優しい」と大雅

の良いところや理数系が得意、卓球が上手と気づいて頂いたことに感謝しております。

大雅が重い病気と知った時「なぜ、うちの息子だけが…」と思うばかりでした。

でも安曇野のこども病院では、重度の病気の子ども達がたくさんいます。

生まれて間もない子どもも手には点滴の針鼻には栄養や呼吸のための管、また髪の

毛のない子、薬の副作用で顔がパンパンに腫れている子、のどに穴を開けて呼吸器を

付けている子など、病院では世界がガラリと変わります。大雅だけではないと思うよう

になりました。

大雅は、ICUで42日間、手も足も動かせず、話すことも食べることもできませんでし

た。とても切なく悲しんでいた時、ICUの前にある院内学級から「スマイルアゲイン」

の子どもたちの歌声が響いてくると心が穏やかになりました。

でも、院内学級に通える子はほんのわずかで、しかも体調のよいときしか行けませ

ん。もし急に何かがあった場合、すぐに対応できるようにICUの前に学級があることも

知りました。

学校へ行きたくても行けない。勉強したくてもできない、友だちと遊びたくても遊べ

ない子どもがたくさんいます。大雅もその一人でした。

私が今思うことは、少しぐらい漢字が書けなくても、計算ができなくてもいいから、

元気に学校へ通ってほしかったです。

友達とけんかしたり、勉強が難しくて学校が嫌いになることもあるでしょう。

でも、そんなときは学校に行けない人がいることを忘れないでください。

皆さん、一日一日を大切に元気に学校に通ってください。

大雅は、1年5組で本当に良かったです。

ありがとうございました。

米沢

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米沢大雅さんは、入学以来、疲れやすかったり、膝が痛かったりと体調不良

が続いていました。しかし、入院の直前まで、卓球の練習に励み、練習試合に

も出ていました。給食当番も「やめておいたら」との声をさえぎり、当番の仲

間と一緒に行っていました。

中学に入って初めての国語の物語教材『虹の見える橋』の感想を大雅さんは

次のように書きました。

僕も虹が出ていても全く気がつかないと思います。

誰かに言われないと、見ないと思います。

でも、見ていると虹はきれいです。虹が出ていることに気づけたからこそ、少年は嫌

なことを忘れられたのかなと思います。

僕も、嫌なこと、不安なことがあったら、それを忘れるようなことをして、この中学校

生活を楽しみたいと思います。

高校生、大学生、大人になってもこのことを忘れないでいたいです。

米沢大雅さんは、急激な病気の進行により、

入院直後から意識はもうろうとしていました。

入院中、お母さんやお父さん、家族、友達に伝

えたいことがいっぱいあっただろうに、話がで

きる状態に戻ることはありませんでした。

生きて、もっと勉強をしたかったろうに、生

きて卓球を続けたかったろうに、生きて仲間と

もっと話したかったろうに。将来の夢や目標が

あったろうに、その夢や目標に挑戦することはもう叶えられなくなってしまい

ました。

皆さんは、今、生きています。もしかしたら、生きていると言うのではなく、

周りの多くの人に支えられ、生かしていただいている、感謝すべきことなので

はないでしょうか。

今、生かしていただいている中で、家族と一

緒にいられること、毎日学校に通い勉強できる

こと、部活動に取り組めること、友達とたわい

のない話ができること、遊べること、当たり前

で空気のような何気ない日常のすべてが、生か

していただいていることと同様、感謝すべきこ

とではないでしょうか。まして、自分の将来の

夢や目標を叶えるために挑戦できる、「今」と

いう時間を与えられているのです。

仲間との卓球は・・・

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もしも、夢や目標に挑戦する気持ちを忘れそうになったり、くじけそうに

なったりしたら、米沢大雅さんを思い出しましょう。皆さんには、米沢大雅さ

んが叶えられなかった夢や目標に挑戦するチャンスが、生きている限り、与え

続けられているのですから。

命を大切にし、将来の夢や目標に向かって、精一杯生きていきましょう。

これで今日の話を終わります。

校長先生のお話を聴いて、たくさんの生徒の皆さんがその日の生活ノートに自分の

思いを綴ってきてくれました。

今日の校長講話は、米沢くんについてでした。私は、県立こども病院は知っていま

す。というのも『電池が切れるまで』という本を読んだからです。私がこの本を知った

のは、小学校6年生の時です。由貴奈さんの「命」は全国的にも有名になりました。

由貴奈さんの他にも、この本にはたくさんの子どもたちの「さけび」や「楽しみ」が書

かれています。校長先生のお話の中で院内学級の話が出ました。この本を読んでみる

と、みんな「院内学級に行きたい」という思いや「院内学級が楽しい」といった文がた

くさんあります。でも、ICUの前にあると聞いた時はビックリしました。

米沢くんのお母さんの手紙がかなり心に響きました。

先生は、この『電池が切れるまで』を読んだことがありますか? (3年・女子)

命を大切にして

精一杯生きよう