日本一の群生地 - 川西市...3 2 日 2015.05 特集...

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2 3 2015.05 特集 エドヒガンと間歩が伝えるもの 31 740 貴重な野生のさくらが 250 本以上も群生しているなんて 全国的にもこんな地域ないですよ 250 調What's Edohigan? エドヒガンとは? エドヒガンは桜の一種で、3月 下旬から4月上旬にかけて淡い紅色 の花を咲かせ、柄がヒョウタンのよ うに膨れるのが特徴。 日本に自生する桜の中では最も 長寿で、大きなものだと、樹高が 20㍍以上、幹の直径が1㍍になる ものも。 東北地方から九州南部にかけて、 国外では朝鮮半島や台湾、中国南部 に広く分布していますが、個体数は 多くありません。 特に猪名川上流域の群生地は非 常に珍しいため、県版レッドデータ ブック(絶滅の恐れがある野生生物 の種についてまとめたもの)にエド ヒガン群落の分布地(Bランク)と して記載されています。 県立大学名誉教授 服部 保さん

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Page 1: 日本一の群生地 - 川西市...3 2 日 2015.05 特集 エドヒガンと間歩が伝えるもの 国崎地区には「かつてえた多田銀銅山間 ぶ 歩」とばれる坑道跡が残ています

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2015.05

特集エドヒガンと間歩が伝えるもの

かつて栄えた多田銀銅山

国崎地区には「間ま

ぶ歩」と呼ばれる坑道跡が残っています

今は人影のない採鉱遺跡

貴重な野生のさくら「エドヒガン」の群生地となりました

 

3月31日、市指定文化財に指定された、国崎地区

の「国崎字小路エドヒガン群落」と「多田銀銅山字

小路坑道群」。その特徴や成り立ち、また申請に込め

た思いについて専門家と申請者に話を聞きました。

【問合せ】社会教育・文化財課☎(740)1244

貴重な野生のさくらが250 本以上も群生しているなんて全国的にもこんな地域ないですよ

日本一の群生地

  初めて国崎地区を訪れた日を

今でも覚えています。

 驚きました。かつて見たこと

のない数のエドヒガンが目の前

に現れましたから。

 250本以上も群生しているなん

て、全国的にもこんな地域はあ

りませんよ。

 守らなければならない地域で

す。少しでも多くの人に、置か

れている現状や課題を知っても

らい、保全活動への理解を得た

いと思います。

 全国的に個体数が少なく、希

少なエドヒガンが、一体なぜこ

の地に群生しているのか。

 調査を進めていくと、エドヒ

ガンの特性や、これまでの人の

営みなどが大きく影響している

ことが分かってきました。

  エドヒガンは日の当たらない

暗い場所では芽を出すことがで

きません。そのため、人の手が

入っていない、草木が生い茂っ

た場所では育ちにくいんです。

 今回、坑道群が同時に文化財

に指定されましたが、両者には

深い関係があります。

 坑道群のある立地にエドヒガ

ンが群生しているんですよね。

 坑道を掘削すると「ズリ」と

呼ばれる廃棄物が出て裸地(土

がむき出しになっている場所)

になるんです。

 また、このあたりの木を伐採

して、鉱物の製錬に必要となる

大量の燃料(まき炭)や鍛冶炭、

有名な「菊炭」を生産したこと

などが、エドヒガンに日光をも

たらしたといえます。

 さらに、エドヒガンが猪名川

上流域の急傾斜地に特に多く分

布しているのには、地質にも理

由があると考えられます。

 同流域には岩石の風化が進ん

だ古い地質が分布しており、こ

の地質を含む土壌、特に急傾斜

地では、地滑りや斜面の崩壊な

どが起こりやすく、自然現象に

よって発生した明るい環境も、 

エドヒガンの生育に一役かって

いたのでしょう。

 自然や人の営みが、長い年月

をかけて複雑に絡み合い、この

希少な群落ができたのです。

ヤセイノサクラ エドヒガン

What's Edohigan?エドヒガンとは?エドヒガンは桜の一種で、3月

下旬から4月上旬にかけて淡い紅色の花を咲かせ、柄がヒョウタンのように膨れるのが特徴。

日本に自生する桜の中では最も長寿で、大きなものだと、樹高が20㍍以上、幹の直径が1㍍になるものも。

東北地方から九州南部にかけて、国外では朝鮮半島や台湾、中国南部に広く分布していますが、個体数は多くありません。

特に猪名川上流域の群生地は非常に珍しいため、県版レッドデータブック(絶滅の恐れがある野生生物の種についてまとめたもの)にエドヒガン群落の分布地(Bランク)として記載されています。

エドヒガンとの出会い

この地に群生した理由

県立大学名誉教授 服部 保さん

Page 2: 日本一の群生地 - 川西市...3 2 日 2015.05 特集 エドヒガンと間歩が伝えるもの 国崎地区には「かつてえた多田銀銅山間 ぶ 歩」とばれる坑道跡が残ています

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2015.05

特集 エドヒガンと間歩が伝えるもの

エドヒガン群生地の下地と

なった多田銀銅山の坑道群。

その起源はかなり古いものな

んです。

江戸時代末の「多田銀銅山来

歴申伝略記」によると、奈良時

代に夢でお告げを受けた聖武天

皇が、東大寺の大仏を鋳造する

ための銅を「奇妙山神教間歩」

から掘らせたとあります。

ただ、正史の記述に見られる

のは、平安時代の長暦元年(西

16世紀後半には山下の地で南

蛮渡来の技術をいち早く取り入

れた製錬が行われるようになっ

たという伝承があります。

非常に画期的な技術だったた

め、全国にその技術が広まって

いったんです。

当時は製錬のことを「素す

ぶき吹」

や「真ま

ぶき吹」などと呼んでいて、

発祥の地が「山下」だったこと

から、「山や

ましたぶき

下吹」と名付けられ

たそうです。

寛文年間(西暦1661~

1673年)を過ぎる頃には、

暦1037年)で、同鉱山から

採掘された銅が朝廷に献上され

たのが、最古の記録となってい

ます。

正史に載っていないのは、「記

述が漏れているだけだ」と、土

地の古老が嘆いているという話

もあるんですけどね。

現在の知明山は奇妙山がな

まったものといわれています。

また、東から見ると大仏坐像

の姿をしているという説があっ

て、大仏鋳造の話に花を添えて

いるんです。

産銅が東大寺大仏の鋳造に?知明山

繁栄期を迎えました。

この頃には、採掘方法や採れ

た鉱石の製錬方法の革新があっ

たんです。

また、国内での需要の高まり

や、南蛮貿易の主要な品として

扱われていたことなどが相まっ

て、全国的に鉱山ブームが到来

したようです。

同鉱山もそのブームに乗る形

で繁栄期を迎えました。

多田銀銅山で採掘された鉱石

に含まれる銀の割合が、非常に

高いことが判明し、これに目を

付けた江戸幕府は、同鉱山を幕

府の直轄領にしたんです。

また、これを支配するためや

製錬の拠点として、銀山(猪名

川町)に役所を設置しました。

そして、銀山の出張所のよう

これまでの採掘によって鉱物が

ほぼ採り尽くされ、生産量が大

きく減少してしまいます。

これ以降も、生産量は少ない

ものの採掘や製錬が行われてい

ましたが、時代と共にそれも終

良好な状態で残る坑道群は珍しいです伝えるべき貴重な文化財ですね

【「川西市文化財審議委員会」で審議】市の条例で、国や県が指定するもの以外に、歴史上ま

たは学術上、保存や活用する価値があるものを指定することができると定めています。指定には、所有者などからの申請によるものと、教育委員会が所有者などの同意を得て指定する2つの方法があります。いずれも学識経験者で構成される「川西市文化財審議委員会」で審議され、認められたものが市指定文化財として指定されます。指定文化財には、有形文化財、無形文化財、民俗資料、史跡、名勝、天然記念物といったものがあります。

市指定文化財とは 今回指定された文化財の詳細

安土桃山時代から江戸時代初

期にかけて、多田銀銅山一帯が

な形で山下町下財にも役所が置

かれ、ここで製錬が行われるよ

うになったんです。

この結果、製錬町として栄え

るようになったそうです。

また、銀山では、大坂城落城

の際に、豊臣氏が財宝を隠した

という埋蔵金伝説があって、こ

の埋蔵金を求めて発掘を行った

人もいましたが、発見されてい

ません。

わりを迎えたようです。

昭和の初め頃には最後の製錬

所が操業を廃止し、昭和48年に

銀山の鉱山が閉山となったこと

で、多田銀銅山は鉱山としての

役割を終えました。

平安家は多田銀銅山最後の製錬所として昭和初期まで操業。現在、旧宅を郷土館として公開しています。旧平安家住宅内には鉱山資料の展示室が設けられていて、同製錬所で使用されていた、さ

まざまな道具類や発掘調査の成果を展示。また、敷地内には「山下吹」の碑が建てられており、当時をしのぶことができます。

【問合せ】郷土館☎(794)3354

平安製錬所

採掘の起源

幕府の直轄領に

鉱山ブームの到来

画期的な技術の採用

山下の地から全国へ

多田銀銅山の閉山

生産量の減少

多田銀銅山最後の製錬所

社会教育・文化財課 岡野 慶隆

【国崎字小路エドヒガン群落】 所在地=川西市国崎字小路 13・14・16・17・21

―1・23・24・25・26の各一部▷所有者=猪名川上流広域ごみ処理施設組合▷保全活動団体=国崎クリーンセンター啓発施設「ゆめほたる」▷区域面積=約 7.3㌶▷区域内成木数=224 本(指定現在確認数)【多田銀銅山国崎字小路坑道群】 所在地=川西市国崎字小路 13・16・17・18―1・

21―1・23・24・25・26▷所有者=猪名川上流広域ごみ処理施設組合▷保全活動団体=国崎クリーンセンター啓発施設「ゆめほたる」▷区域面積=約 16㌶▷区域内坑道数=46口(指定現在確認数)

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国崎クリーンセンターは、自

然豊かな山林の中にあります。

しかし、建設された当初は「放

置里山」になっていました。

この敷地内山林には、全国的

に希少なエドヒガンが250本以上

生育していますし、近世を中心

に隆盛した採鉱遺跡の間歩が多

数存在しています。

また、炭焼き窯の跡や台場ク

ヌギなどが点在し、この里山が、

かつては地域の人たちにとって

欠かせない存在であったことが

想像できます。「放っておくと、

山自体が荒れていく」そんな危

機感がありました。

貴重な里山を守るために、何

かお手伝いできることはないだ

ろうか。地域の自然環境や景観

にふさわしい里山林にしたい。

地域住民が環境学習の実践の場

として活用できる「新しい時代

の里山」として再生できれば―

そう考え、24年3月に「国崎ク

リーンセンター里山林整備構

想・計画」を策定したんです。

市指定文化財への申請を考え始

めたのはその頃でした。

25年度には県の支援を受け

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特集 エドヒガンと間歩が伝えるもの

て、日照環境や景観を改善する

ための間伐、また管理道や生物

多様性を高めるための獣害防止

柵の設置を行いました。

しかし、里山を守るためには、

今後も定期的な保全活動をやっ

ていかなければなりません。

例えば、エドヒガンは日の当

たらない場所が苦手なので、生

育の妨げになる高木の間伐や、

ツルの除去、幼木を守るための

鹿の食害対策などを行っていく

予定です。

また、昨年は台風や集中豪雨

国崎クリーンセンター啓発施設「ゆめほたる」「ゆめほたる」では、国崎クリーンセンターの啓発施設として、世界トップクラスのゴミ処理技術を見学できます。また、同施設は展示室や環境情報センター、各種工房などを備

え、地球環境の視点から社会を考える場を提供するために造られました。春には期間限定でエドヒガンを一般公開するなど、さまざまなイベントを開催しています。詳しくは同施設☎ 072(735)7282または同施設ホームページ

(URL=http://www.kunisakicc.jp/index_kcc.php)へ。

受け継ぎ伝える

 

のため、道が崩れてしまったの

で、その補修もしなければなり

ません。

他にも、自然学習ゾーンを整

備して、各種イベントや環境学

習に活用してもらうなど、やら

なければならないことはたくさ

んあります。

大変ですが、地域の人に身近

に感じてもらえて、楽しんでも

らえればと考えています。その

結果、理解が深まり、誇りに思っ

てもらえて、郷土愛が育まれれ

ば、それが何よりですね。

国崎クリーンセンター事務局次長 水和 彰朗さん

市指定文化財への申請を決めました里山を守らねばと思ったんです

申請への思い

自分たちにできること

平安の時代から長い時をかけて

現在に伝わった貴重な遺産。

知ることから始まる

郷土への愛があります。

川西が誇るべきふるさとの景色。

次の世代へ残し伝えること

それが私たちの

役割ではないでしょうか。