今新たに求められる食品安全の課題 -...

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今新たに求められる食品安全の課題 1. 食品機械の衛生安全性 食品機械は情報機器と違って,基本 的な製造機能に関しては,大きな変化 が少ない特徴がある.たとえば加工食 品の製造機械にしても,製菓製パン設 備にしても,従来は手作りだった食品 を製造する新規設備,過熱水蒸気のよ うな全く新しい発想による設備はとき おり登場するも,既存設備の抜本的な 機能改革はあまり見かけない.せいぜ い見られるものは量産に対応したサイ ズのバリエーション程度である. そのような食品機械の世界におい て,近年大きな変化が起きているのは, 基本機能の部分ではなく,機械安全性 と衛生安全性の改良である.食品を作 る機能は従来どおりであるが,製造終 了後の設備の洗浄性改善による衛生性 の向上は現在急速に進みつつある. 2. 衛生安全のガイドライン EC の経済統合を契機として,加盟 国間での衛生基準の統一を図る必要が じ,EHEDG(European Hygienic Engineering and Design Group) 設立されたのは1989年であった. EHEDGの設備の衛生性の考え方は ISO14159 に反映され,日本でも JIS B9650 が作られたのは 2003 年のこと であった. EHEDG ガイドラインは日本国内で はなかなか普及がみられなかったが, ここ数年来 EHEDG の認証を受けた 食品製造機械も地道な普及がみられは じめている.昨年は EHEDG の日本 支部が設立され,ガイドラインの和訳 作業が始まっている.EHEDG ガイド ラインの本格的な普及が始まるのもそ う遠くはないと考える. 3. 食の安全を守る仕組みとその 弱点 一方加工乳による食中毒事故に端を 発し,国内では食品の安全と安心に対 する消費者の意識が急速に高まった. 2003 年には食品衛生法が改訂され, また食品安全基本法の制定によって, 食品安全委員会が設立された. 食品メーカにおいても,食の安全を 保証する仕組みとして,HACCP(He- gard Analysis and Critical Control Point)による品質管理の普及,トレー サビリティシステムの導入などが急速 に進んだのもこの頃であった. これ以外も含めて食品安全は大きく 進歩するものと期待された.だが,こ れらの食の安全を守る仕組みには,致 命的な欠陥があったことが露呈してし まった.それはこれらの安全を守る仕 組みが,人間の善意に基づいて保証さ れる仕組みであった点である. 食品製造業者の善意が失われたとき に,この安全を守る仕組みはもろくも 瓦解してしまった.それが各種偽装事 件であった.2006 年の公益通報者保 護法の施行に伴い,その大部分は内部 告発と思われる各種不正の発覚が相次 いだ.偽装事件は一段落したかに見え た 2008 年には,冷凍ギョウザへの農 薬混入事件,事故米不正流通事件,そ してメラニン混入ミルク事件が相次い だ.更に今年になってもウナギの産地 偽装事件が発生しているのは周知のと おりである. 現在実施が可能な食の安全を守る仕 組みは,人間の善意があってこそ成り 立つ仕組みであり,悪意の不正や毒物 混入の前には無力であると言わざるを 得ない. お客様に対して誠実であることは, SCR(Social Corporate Resonance) として求められることであり,それを 支えているのは企業倫理である.例で 言えば EC マーキングと同じで,企業 自身が基準を決めて自分で守らなけれ ばならないものである.だが,現実に はそれが守られてなく,社会問題とな る例がときおりではあっても発生して いる.企業倫理を企業自身が守る仕組 み作り,それが今の世の中で最も求め られている課題ではないかと考える. 4. 食品防衛とその課題 食品防衛は,2001 年に米国で起き た同時多発テロ事件に端を発する.米 国政府は国土安全保障国家戦略( Na- tional Strategy for Homeland Securi- ty)を策定し,これに基づいてバイオ テロリズム法を制定した. これを受けてわが国においても厚生 労働省が主導し,奈良県立医科大学今 村知明教授を中心とする「食品による バイオテロの危険性に関する研究」が 2006 年から 3 カ年かけて実施された. だが,食品メーカにあっては食品防 衛対策はまだ十分に行われているとは 言い難い.その理由の一つに,食品防 衛には性悪説を持ち込まなければなら ない部分があるためとも言える.しか しながら,少なくとも日本の製造現場 は性善説があってこそ成り立ってい る.ここが課題である. 日本の企業風土の中でどのように食 品防衛に取り組んで行くのか.それが 課題ではないかと考える.これについ て本年度の産業・化学機械と安全部門 の講習会でも取り上げさせていただい た. (原稿受付 2010 年 9 月 3 日) 〔佐田守弘 元味の素(株)〕 図1  産業・化学機械と安全部門の講習会風景 (2010 年 6 月) 898 日本機械学会誌 2010.11 Vol.113No. 1104 ─ 62 ─

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今新たに求められる食品安全の課題

1.食品機械の衛生安全性 食品機械は情報機器と違って,基本的な製造機能に関しては,大きな変化が少ない特徴がある.たとえば加工食品の製造機械にしても,製菓製パン設備にしても,従来は手作りだった食品を製造する新規設備,過熱水蒸気のような全く新しい発想による設備はときおり登場するも,既存設備の抜本的な機能改革はあまり見かけない.せいぜい見られるものは量産に対応したサイズのバリエーション程度である. そのような食品機械の世界において,近年大きな変化が起きているのは,基本機能の部分ではなく,機械安全性と衛生安全性の改良である.食品を作る機能は従来どおりであるが,製造終了後の設備の洗浄性改善による衛生性の向上は現在急速に進みつつある.2. 衛生安全のガイドライン EC の経済統合を契機として,加盟国間での衛生基準の統一を図る必要が生 じ,EHEDG(European Hygienic Engineering and Design Group) が設立されたのは 1989 年であった.EHEDG の設備の衛生性の考え方はISO14159 に反映され,日本でも JIS B9650 が作られたのは 2003 年のことであった. EHEDG ガイドラインは日本国内ではなかなか普及がみられなかったが,ここ数年来 EHEDG の認証を受けた食品製造機械も地道な普及がみられはじめている.昨年は EHEDG の日本支部が設立され,ガイドラインの和訳

作業が始まっている.EHEDG ガイドラインの本格的な普及が始まるのもそう遠くはないと考える.3. 食の安全を守る仕組みとその弱点

 一方加工乳による食中毒事故に端を発し,国内では食品の安全と安心に対する消費者の意識が急速に高まった.2003 年には食品衛生法が改訂され,また食品安全基本法の制定によって,食品安全委員会が設立された. 食品メーカにおいても,食の安全を保証する仕組みとして,HACCP(He-gard Analysis and Critical Control Point)による品質管理の普及,トレーサビリティシステムの導入などが急速に進んだのもこの頃であった. これ以外も含めて食品安全は大きく進歩するものと期待された.だが,これらの食の安全を守る仕組みには,致命的な欠陥があったことが露呈してしまった.それはこれらの安全を守る仕組みが,人間の善意に基づいて保証される仕組みであった点である. 食品製造業者の善意が失われたときに,この安全を守る仕組みはもろくも瓦解してしまった.それが各種偽装事件であった.2006 年の公益通報者保護法の施行に伴い,その大部分は内部告発と思われる各種不正の発覚が相次いだ.偽装事件は一段落したかに見えた 2008 年には,冷凍ギョウザへの農薬混入事件,事故米不正流通事件,そしてメラニン混入ミルク事件が相次いだ.更に今年になってもウナギの産地

偽装事件が発生しているのは周知のとおりである. 現在実施が可能な食の安全を守る仕組みは,人間の善意があってこそ成り立つ仕組みであり,悪意の不正や毒物混入の前には無力であると言わざるを得ない. お客様に対して誠実であることは,SCR(Social Corporate Resonance)として求められることであり,それを支えているのは企業倫理である.例で言えば EC マーキングと同じで,企業自身が基準を決めて自分で守らなければならないものである.だが,現実にはそれが守られてなく,社会問題となる例がときおりではあっても発生している.企業倫理を企業自身が守る仕組み作り,それが今の世の中で最も求められている課題ではないかと考える.4. 食品防衛とその課題 食品防衛は,2001 年に米国で起きた同時多発テロ事件に端を発する.米国政府は国土安全保障国家戦略( Na-tional Strategy for Homeland Securi-ty)を策定し,これに基づいてバイオテロリズム法を制定した. これを受けてわが国においても厚生労働省が主導し,奈良県立医科大学今村知明教授を中心とする「食品によるバイオテロの危険性に関する研究」が2006 年から 3 カ年かけて実施された. だが,食品メーカにあっては食品防衛対策はまだ十分に行われているとは言い難い.その理由の一つに,食品防衛には性悪説を持ち込まなければならない部分があるためとも言える.しかしながら,少なくとも日本の製造現場は性善説があってこそ成り立っている.ここが課題である. 日本の企業風土の中でどのように食品防衛に取り組んで行くのか.それが課題ではないかと考える.これについて本年度の産業・化学機械と安全部門の講習会でも取り上げさせていただいた.

(原稿受付 2010 年 9 月 3 日)〔佐田守弘 元味の素(株)〕

図1 �産業・化学機械と安全部門の講習会風景(2010 年 6月)

898 日本機械学会誌 2010.�11 Vol.�113��No.1104

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