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服薬アドヒアランスと副作用マネジメント ESM-3 池 末 裕 明 (地方独立行政法人神戸市民病院機構神戸市立医療センター中央市民病院 薬剤部) 第22回日本癌治療学会教育セミナー「分子標的治療薬の副作用とその対策」 1. はじめに 近年、様々な分子標的治療薬が開発され、多くの患 者に用いられるようになった。がん薬物療法の有用性 と安全性を最大限に引き出すためには、抗がん薬が適 切な投与量と投与スケジュールで処方され、十分な支 持療法が行われることに加え、患者自身がより積極的 に治療を受けることが極めて重要である。 服薬アドヒアランスは「患者が積極的に治療方針の決 定に参加し、その決定に従って治療を受けること」と定 義される 1) 。本セミナーでは、服薬アドヒアランスについ て解説すると共に、副作用マネジメントも含め、アドヒ アランスを高めるための幾つかの方策について考える。 2. 服薬アドヒアランスの評価法 服薬アドヒアランスを評価する手法として、患者 本人によるセルフレポート、薬の残数または空包数の 確認、薬局で薬剤の交付を受けた回数、容器のキャッ プに取付けたセンサーを用いて容器の開閉日時を電子 的に記録するシステム(medication events monitoring system: MEMS)による評価法など、様々な評価法が存 在する。臨床試験では、上記の複数の評価法を併用し た研究が多い。 また、薬物血中濃度モニタリング(TDM)も服薬アド ヒアランスを評価する手段の一つである。イマチニブ はその血漿中濃度が臨床効果と相関することが示され ており、特定薬剤治療管理料として保険承認されてい る。トラフ濃度1μg/mLをターゲットに投与量を調節 する上で有用な指標であるが、同時に服薬アドヒアラ ンスの確認にも有用である。 日常臨床におけるアドヒアランスの評価法としては、 前述のMEMSなどは高額で簡便な評価手法とは言えな いこともあり、患者日誌などを用いたセルフレポート や、薬剤の残数確認、TDMなどが中心である。 3. 服薬アドヒアランスの重要性 薬物療法の効果を最大限に引き出すには、適切な服 薬が前提であり、その上で十分な副作用対策によって 長期に渡って患者のquality of life(QOL)を保つことが 重要である。 Marinらは慢性骨髄性白血病(CML)患者87名を対象 とした臨床試験において、イマチニブのアドヒアラン スが不良(服用量が計画投与量の90%以下)な患者23名 (26.4%)では、アドヒアランス良好な患者64名と比較 して6年時点での分子遺伝学的大完解(major molecular response: MMR)の割合が顕著に低下(28.4% vs 94.5%, P<0.001)したことを報告している 2) 。この臨床試験では、 服薬アドヒアランスの評価法として、MEMSを用いて 薬剤ボトル開封時間を約3か月間、電子記録した。なお、 被験者にはイマチニブの残数確認をもって服薬状況を 評価するとのみ伝え、MEMSを使用することは伏せて 実施された。 図 1. イマチニブのアドヒアランスと効果の関係 イマチニブの投与を受ける CML 患者を対象に、服薬アドヒ アランス良好群と不良群における MMR 達成率を比較。 文献 2 より引用 365 JSCO 第51巻第2号

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Page 1: 服薬アドヒアランスと副作用マネジメントarchive.jsco.or.jp/data/jp/detail_images/54/ESM-3.pdf服薬アドヒアランスの評価法として、MEMSを用いて 薬剤ボトル開封時間を約3か月間、電子記録した。なお、

服薬アドヒアランスと副作用マネジメントESM-3

池 末 裕 明(地方独立行政法人神戸市民病院機構神戸市立医療センター中央市民病院 薬剤部)

第22回日本癌治療学会教育セミナー 「分子標的治療薬の副作用とその対策」

1. はじめに近年、様々な分子標的治療薬が開発され、多くの患

者に用いられるようになった。がん薬物療法の有用性と安全性を最大限に引き出すためには、抗がん薬が適切な投与量と投与スケジュールで処方され、十分な支持療法が行われることに加え、患者自身がより積極的に治療を受けることが極めて重要である。

服薬アドヒアランスは「患者が積極的に治療方針の決定に参加し、その決定に従って治療を受けること」と定義される1)。本セミナーでは、服薬アドヒアランスについて解説すると共に、副作用マネジメントも含め、アドヒアランスを高めるための幾つかの方策について考える。

2. 服薬アドヒアランスの評価法服薬アドヒアランスを評価する手法として、患者

本人によるセルフレポート、薬の残数または空包数の確認、薬局で薬剤の交付を受けた回数、容器のキャップに取付けたセンサーを用いて容器の開閉日時を電子的に記録するシステム(medication events monitoring system: MEMS)による評価法など、様々な評価法が存在する。臨床試験では、上記の複数の評価法を併用した研究が多い。

また、薬物血中濃度モニタリング(TDM)も服薬アドヒアランスを評価する手段の一つである。イマチニブはその血漿中濃度が臨床効果と相関することが示されており、特定薬剤治療管理料として保険承認されている。トラフ濃度1μg/mLをターゲットに投与量を調節する上で有用な指標であるが、同時に服薬アドヒアランスの確認にも有用である。

日常臨床におけるアドヒアランスの評価法としては、前述のMEMSなどは高額で簡便な評価手法とは言えないこともあり、患者日誌などを用いたセルフレポートや、薬剤の残数確認、TDMなどが中心である。

3. 服薬アドヒアランスの重要性薬物療法の効果を最大限に引き出すには、適切な服

薬が前提であり、その上で十分な副作用対策によって長期に渡って患者のquality of life(QOL)を保つことが重要である。

Marinらは慢性骨髄性白血病(CML)患者87名を対象とした臨床試験において、イマチニブのアドヒアランスが不良(服用量が計画投与量の90%以下)な患者23名

(26.4%)では、アドヒアランス良好な患者64名と比較して6年時点での分子遺伝学的大完解(major molecular response: MMR)の割合が顕著に低下(28.4% vs 94.5%, P<0.001)したことを報告している2)。この臨床試験では、服薬アドヒアランスの評価法として、MEMSを用いて薬剤ボトル開封時間を約3か月間、電子記録した。なお、被験者にはイマチニブの残数確認をもって服薬状況を評価するとのみ伝え、MEMSを使用することは伏せて実施された。

図 1. イマチニブのアドヒアランスと効果の関係

イマチニブの投与を受ける CML 患者を対象に、服薬アドヒアランス良好群と不良群における MMR 達成率を比較。

文献 2 より引用

365JSCO 第51巻第2号

Page 2: 服薬アドヒアランスと副作用マネジメントarchive.jsco.or.jp/data/jp/detail_images/54/ESM-3.pdf服薬アドヒアランスの評価法として、MEMSを用いて 薬剤ボトル開封時間を約3か月間、電子記録した。なお、

前述した研究以外にも、服薬アドヒアランスと有効性の関連を示した臨床試験は多数報告されている。がん種と薬物によってそのインパクトは多少異なるものの、良好な服薬アドヒアランスを保つことは薬物療法の有用性を発揮するために不可欠な要素である。

4. 服薬アドヒアランス低下の要因と対策患者の服薬アドヒアランスを低下させる様々な要因

が指摘されている3)(表1)。患者と医療者の関係、治療に対する信頼性、副作用、医療費に関する問題、心理状態に関連した問題など、いずれの面においても改善には多職種による連携が有用だと考えられる。

表 1. 服薬アドヒアランス低下の要因と改善の方策

アドヒアランスを低下の要因とその兆候

患者と医療者の関係が良好でない、治療に対する信頼性の低下、受診しない、副作用、高額な医療費、抑うつなどの心理状態

アドヒアランス改善の方策

受診の容易さ、アクセス向上 ・継続受診の容易さ ・薬剤師、ソーシャルワーカーなどの関与服薬計画、服薬方法の改善 ・服薬スケジュールの単純化や工夫 ・ピルケースなどの活用 ・ 飲み忘れを防ぐ仕組み(時計のアラーム等の利用、

家族や友人による支援)患者教育 ・疾患に関する理解向上 ・薬物療法の意義とリスクに関する知識向上 ・薬の適切な服薬に関する知識向上医療従事者の意識向上 ・より単純な経口レジメンの選択 ・患者の疾患に関する理解向上と ・患者の声を聴くこと ・薬価および保険の理解 ・適切な服薬を促すこと

文献 3 より引用

治療法を選択する際に複数の医療従事者から情報を得ることは、患者の理解を深め治療に対する満足度を向上させ、より積極的な治療への参画が期待できる。インフォームドコンセントを受けて薬剤師が服薬指導を行う際にも、治療全般や標準治療に関する情報を適切に整理して伝えることは、患者が自ら同意選択した治療法が妥当なものであることをより深く理解するための機会となる。

服薬アドヒアランスを高めるうえで、個々の患者に向き合ってアドヒアランス低下の要因を探り、患者と共に改善策を探ることも有用である。経口分子標的治療薬には、食事によって吸収率が大きく異なるため服薬時間に留意すべきものも多い。

表2には、経口分子標的薬のなかで食事によって吸収が変動するものを示した。これらの薬物では、服薬スケジュールも複雑となり、アドヒアランス低下の要因となり得る。ニロチニブは、1日2回服用するタイプのチロシンキナーゼ阻害薬で、食後服用すると血中濃度が上昇(図2)する4)ことから、食事の1時間以上前または食後2時間以降に服用する。患者の生活スタイルを踏まえ、飲み忘れの少ない服薬スケジュールを提案するなど、きめ細かい対応が必要である。

がん薬物療法を開始する際に、患者が治療レジメンの概要や副作用とその対策について十分理解できるよう説明しておくことは、治療に対する不安を軽減し、治療に向き合う気持ちを促すうえで有用だと考えられる。レジメン毎にいつ、どの様な副作用が発現しやすく、どの様なことに留意すべきか視覚的に理解しやすいツール(表3)は患者と家族にも好評である。さらに、このツールを医療チーム内で共有することで、全員が支持療法も含め重要な薬物の投与スケジュールを把握しやすくなるため、処方漏れや服薬忘れを回避するうえでも有用である5)。

表 2. 食事によって吸収が変動する経口分子標的薬

図 2. ニロチニブの血清中濃度と食事の関係

外国人健康成人に、ニロチニブを空腹時または食後に単回経口投与したときの血中ニロチニブ濃度推移を比較。

文献 4 より引用

一般名 服薬時間 備考エルロチニブ 空腹時 食後で吸収増加アファチニブ 空腹時 食後で吸収低下セリチニブ 空腹時 食後で吸収増加ラパチニブ 空腹時 食後で吸収増加ニロチニブ 空腹時 食後で吸収増加ソラフェニブ 規定なし 高脂肪食で吸収低下エベロリムス 注1) 食後で吸収低下パゾパニブ 空腹時 食後で吸収増加レゴラフェニブ 食後 高脂肪食、空腹時で吸収低下トラメチニブ 空腹時 食後で吸収低下ベムラフェニブ 空腹時が望ましい 食後で吸収増加ダブラフェニブ 空腹時 食後で吸収低下

注 1)食後または空腹時のいずれか一定の条件で服薬する

   ニロチニブ濃度

(ng/mL)

366 JSCO 第51巻第2号

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5. 副作用マネジメント分子標的治療薬では、infusion reaction、皮膚障害、

下痢、内分泌機能低下、骨髄抑制および間質性肺疾患など多様な副作用が発現する。それぞれの副作用の対策については、本セミナーの講師陣による講義内容を参照されたい。本セッションでは、副作用の予防法や治療法と併行して、副作用が発現している状況でいかに服薬コンプライアンスを保ち、治療継続を支援するかという点について考える。一例として、爪囲炎はパニツムマブの投与に伴って好発する副作用である。mFOLFOX療法とパニツムマブの併用療法では、爪囲炎に加えてオキサリプラチンによる末梢神経障害も発

現する。このため、物を掴む動作や錠剤をシートから押し出す度に、患者が疼痛や日常生活における困難を実感するなど、QOLを大きく低下させる要因となる。この様な場合には、服薬アドヒアランスを保つための方策として、錠剤一包化も有用である。皮膚障害対策として新たに処方する場合、これらの薬と従来から使用していた薬剤との薬物相互作用、患者に対する外用剤の塗布方法と適正量に関する指導など、様々なマネジメントの形が考えられる。

服薬アドヒアランスを良好に保つうえで、様々な職種がそれぞれの多様な視点から検討し、チームとなって患者に向き合う副作用マネジメントが不可欠である。

6. 引用文献1. 日本薬学会. 薬学用語解説.2. Marin D, et al.: Adherence is the critical factor for

achieving molecular responses in patients with chronic myeloid leukemia who achieve complete cytogenetic re-sponses on imatinib. J Clin Oncol 28: 2381-8, 2010.

3. Ruddy K, et al. Patient adherence and persistence with oral anticancer treatment. CA Cancer J Clin 59: 56-66, 2009.

4. Tanaka C, et al. Clinical pharmacokinetics of the BCR-ABL tyrosine kinase inhibitor nilotinib. Clin Pharmacol Ther 87: 197-203, 2010.

5. 大石了三ほか(編). がん化学療法ワークシート第4版. じほう, 2014.

表 3. 視覚的な説明用ツールの例(XELOX 療法)

367JSCO 第51巻第2号

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