「なぜロシア人はソバの買い占めに走るのか」 ~~~生産、消費...

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- 1 - 「なぜロシア人はソバの買い占めに走るのか」 「なぜロシア人はソバの買い占めに走るのか」 「なぜロシア人はソバの買い占めに走るのか」 「なぜロシア人はソバの買い占めに走るのか」 ~生産、消費と歴史から見たロシア人とソバの結びつき 生産、消費と歴史から見たロシア人とソバの結びつき 生産、消費と歴史から見たロシア人とソバの結びつき 生産、消費と歴史から見たロシア人とソバの結びつき~ 慶應義塾大法部政治科 4 都文章

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「なぜロシア人はソバの買い占めに走るのか」「なぜロシア人はソバの買い占めに走るのか」「なぜロシア人はソバの買い占めに走るのか」「なぜロシア人はソバの買い占めに走るのか」

~~~~生産、消費と歴史から見たロシア人とソバの結びつき生産、消費と歴史から見たロシア人とソバの結びつき生産、消費と歴史から見たロシア人とソバの結びつき生産、消費と歴史から見たロシア人とソバの結びつき~~~~

慶應義塾大学法学部政治学科 4 年

宇都文章

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目次目次目次目次

はじめにはじめにはじめにはじめに

第第第第 1111 章章章章 ソバの種類と世界での食べられ方ソバの種類と世界での食べられ方ソバの種類と世界での食べられ方ソバの種類と世界での食べられ方

1111----1. 1. 1. 1. 栽培植物としてのソバ栽培植物としてのソバ栽培植物としてのソバ栽培植物としてのソバ

1111----2. 2. 2. 2. 世界のソバの利用法世界のソバの利用法世界のソバの利用法世界のソバの利用法

第第第第 2222 章章章章 ロシアにおけるソバの利用法ロシアにおけるソバの利用法ロシアにおけるソバの利用法ロシアにおけるソバの利用法

第第第第 3333 章章章章 ロシアにおけるソバの生産と輸出入ロシアにおけるソバの生産と輸出入ロシアにおけるソバの生産と輸出入ロシアにおけるソバの生産と輸出入

第第第第 4444 章章章章 ロシア、スラヴ圏におけるソバの歴史と文化についてロシア、スラヴ圏におけるソバの歴史と文化についてロシア、スラヴ圏におけるソバの歴史と文化についてロシア、スラヴ圏におけるソバの歴史と文化について

4444----1.1.1.1. 「ソバ」を表すスラヴ諸語と伝播の関連性「ソバ」を表すスラヴ諸語と伝播の関連性「ソバ」を表すスラヴ諸語と伝播の関連性「ソバ」を表すスラヴ諸語と伝播の関連性

4444----2. 2. 2. 2. スラヴ諸国におけるソバの文化スラヴ諸国におけるソバの文化スラヴ諸国におけるソバの文化スラヴ諸国におけるソバの文化

まとめまとめまとめまとめ

参考文献参考文献参考文献参考文献

- 3 -

はじめにはじめにはじめにはじめに

2014 年 11 月、ロシアの新聞各紙はソバ粒の不足と価格の高騰を報道した。スーパーの

棚からはソバ粒のパックが一斉に消えてしまい、街によってはどこにもソバ粒が売ってい

ない状況に陥った。ロシア国内でソバの生産量が最多のアルタイ地方で不作が「噂」とな

り一斉に買い占めが発生したのだ。知事はソバの買い占めをやめるように呼びかけ、需要

と供給には一切問題ないと住民を宥めた1。

これとは状況が少々異なるが、ロシア人は経済危機に直面するとソバと塩を買い漁ると

いう2。ソバといえば我々日本人は和食の「蕎麦」や「そばがき」を思い浮かべるだろう。

「ソバ=日本」と考える人も少なくはないだろう。しかし実は、ロシアは日本以上にソバ

を生産し、消費している国である。国連食糧農業機関(FAO)の統計データ3に基づいて、2013

年現在のソバ作付面積と生産量上位 10 か国をまとめると以下のようになる。

表 1. 世界のソバの作付面積及び生産量上位 10 か国

国名 作付面積(ha) 生産量(t)

ロシア連邦 905,911 833,936

中華人民共和国 705,000 733,000

ウクライナ 179,020 179,020

フランス 44,500 154,800

ポーランド 70,384 90,874

アメリカ合衆国 77,500 81,000

カザフスタン 81,500 68,000

ブラジル 48,000 62,000

日本 61,400 33,400

ベラルーシ 31,403 30,353

ソバの作付面積及び生産量ともにロシアは世界一位である。また後述するがロシアで生産

されたソバはほとんどが国内消費に回っている。消費量は国民 1 人につき年平均 3.5 キログ

ラム、ロシア全体で 550,000 トンと極めて莫大な数である4。各国のデータと比較すれば、

1 インターファックス紙(オンライン版) «Гречка на Алтае за неделю подорожала почти

вдвое» (2014 年 11 月 17 日掲載) <http://www.interfax.ru/business/407586> (最終

閲覧:2015 年 10 月 18 日) 2 The Question «Почему в кризис все начинают закупать именно гречку?»

<http://thequestion.ru/questions/442/pochemu-v-krizis-vse-nachinayut-zakupat-imenno-grechku> (最終閲覧日:2016 年 1 月 29 日)

3 FAOSTAT <http://faostat3.fao.org/home/E> (最終閲覧日:2015 年 9 月 15 日) 4 ロシア農業省プレス «Гречневая каша – матушка наша» (2014 年 11 月 6 日掲載)

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ロシアがいかに「ソバ大国」であるか一目瞭然だ。また、ウクライナやカザフスタン、ベ

ラルーシなどの旧ソ連邦構成国でもソバが育てられている。ロシア、また旧ソ連圏、スラ

ヴ圏全体で大量のソバが食されているのである。しかし、ロシアは欧米文化圏に属してい

る。小麦やライ麦を利用したパンが主食である。実際に小麦はソバよりも生産量、消費量

を上回っている。ではロシア人がソバを買い占める衝動に駆られる原因はどこにあるのだ

ろうか。

買い占めが発生する現象を解き明かすには、生産と消費、歴史や文化的背景に注目する

必要がある。ソバの植生や生産状態、それに伴う価格の変動は、消費者行動と密接に関連

している。また、これまでのロシア人とソバの関係性から、ロシア文化にどれほどソバが

根付いているかに着目する必要がある。そこで本論文では現在のロシアにおけるソバの利

用法や需要と供給、またロシア、スラヴ圏に残る俗習やことわざから、ロシア、スラヴの

文化とソバの関係について論じる。

第第第第 1111 章章章章 ソバの種類と世界での食べられ方ソバの種類と世界での食べられ方ソバの種類と世界での食べられ方ソバの種類と世界での食べられ方

1111----1. 1. 1. 1. 栽培植物としてのソバ栽培植物としてのソバ栽培植物としてのソバ栽培植物としてのソバ

栽培植物のソバはタデ科ソバ属に分類される。食用に利用される種は 2 つあり、「ソバ(学

名:Fagopyrum esculentum)」と「ダッタンソバ(学名: Fagopyrum tataricum)」である。前

者は白い花、後者は黄色い花が咲く特徴がある。「ソバ」が世界各地で生産される一方で、

「ダッタンソバ」は中国南部からヒマラヤの地域に限定して栽培されている5。

現在、作物として利用されている種の起源となるソバの野生種は、中国雲南省に生息す

る種だとされている。これらが栽培化される中で、それぞれの土地に適合するよう品種改

良されるようになった。例えば日本では、2010 年現在、種苗登録されている品種は 32 種

にのぼる6。

作物のソバには、夏ソバと秋ソバがある。夏ソバは秋ソバから分布したものとされる。

夏ソバは春に播種し夏に収穫し、秋ソバは夏に播種し秋に収穫するものである。日本では

前者の生産地として長野県戸隠や埼玉県秩父、後者の生産地として鹿児島県、宮崎県、ま

た北海道、北関東が知られている。ソバの栽培地は主に北半球の温帯であるため、世界で

は秋ソバが一般的であり、夏から秋にかけてソバが栽培されている。日本では 6 月末に北

海道で秋ソバの播種が始まり、九州では 9 月に播種を開始する。中国、カナダ、オースト

ラリアから日本に輸入されるソバもある。また、ダッタンソバはソバよりも寒さに強いた

め、ヒマラヤ山岳地帯などの標高 1000~4000m 級の場所で栽培されている。ダッタンソバ

<http://www.mcx.ru/news/news/show/30945.355.htm> (最終閲覧:2015 年 9 月 15 日)

5 大西近江(2001) 「ソバ属植物の種分化と栽培ソバの起源」『栽培植物の自然史』, 北海道

大学図書刊行会, pp. 60-61. 6 林久喜(2010)「世界から見た日本のソバ」特産種苗 10 号, 日本特産農作物種苗協会.

- 5 -

も夏の短期間で栽培されている。ロシアにおけるソバの栽培は後述する7。

1111----2. 2. 2. 2. 世界のソバの利用法世界のソバの利用法世界のソバの利用法世界のソバの利用法

まず世界ではどのようにソバが食べられているのだろうか。日本蕎麦の書籍は豊富であ

るが、作物のソバに関する日本語文献は非常に少ない。世界のソバ料理を全て詳細に記す

ことは困難を極めている。しかし、俣野敏子氏は著書の中で、世界のソバ料理を紹介して

いる8。この本を参考に各国のソバ料理をまとめたものが以下の表である。

表 2. 世界におけるソバの食用法

冒頭で述べたように、日本人のソバのイメージは麺類の「蕎麦」だろう。しかしこの表

を見ると、麺類としての利用法はアジア地域及びイタリアに限定されていることが分かる。

一方、ソバを粥や雑炊、腸詰めとして食べる国はスラヴ圏が中心である。そばがきはアジ

ア、東欧、イタリアの各地域に分布している。また、ソバ料理で最も普及しているのは、

ソバ粉を生地に利用するブリヌィやクレープであることが見てとれる。日本とイタリアを

除くアジア、ヨーロッパ地域で食されている。

ソバの食べ方は大きく 2 つに分類される。粒のまま調理する方法と、粉に挽いてから食

べるものである。粒から粉にするにつれ調理の手順が複雑になり、手間のかかる調理方法

となっていく。ここでは製法別に世界各国で食される料理を紹介する。

ソバ粒を利用する料理ソバ粒を利用する料理ソバ粒を利用する料理ソバ粒を利用する料理

ソバ料理の中でも最も簡単なものだろう。脱穀したソバ粒を茹でて粥にする。ロシアで

は「カーシャ」と呼ばれるものだ。ソバだけではなく穀物の粒を茹でて利用する料理はロ

7 大西近江(2001), pp. 60-62. 8 俣野敏子(2002) 『そば学大全 日本と世界のソバ食文化』, 平凡社新書, pp. 86-172.

国名/食用法国名/食用法国名/食用法国名/食用法

日本日本日本日本

中国中国中国中国

韓国韓国韓国韓国

ロシア、ウクライナロシア、ウクライナロシア、ウクライナロシア、ウクライナ

ネパールネパールネパールネパール

ポーランドポーランドポーランドポーランド

スロベニアスロベニアスロベニアスロベニア

フランスフランスフランスフランス

その他その他その他その他腸詰め腸詰め腸詰め腸詰め

○○○○

○○○○

××××

××××

麺類麺類麺類麺類 そばがきそばがきそばがきそばがき 粥、雑炊粥、雑炊粥、雑炊粥、雑炊 ブリヌィ、クレープブリヌィ、クレープブリヌィ、クレープブリヌィ、クレープパンパンパンパン

△(徳島郷土料理)△(徳島郷土料理)△(徳島郷土料理)△(徳島郷土料理)

○○○○

××××

○○○○

○○○○

××××

××××

○○○○

××××

○○○○

○○○○

○○○○

××××

○○○○

○○○○

○○○○

○○○○

××××

××××

○○○○

××××

○○○○

××××

○○○○

○○○○

蕎麦寿司、かりんとう

涼粉(水ようかん)、餅

ムック(水ようかん)

ニョッキ、シャット、ピザ

ブータンブータンブータンブータン ○○○○ ○○○○ ○○○○ ×××× ×××× ○○○○

○○○○ ○○○○ ×××× ×××× ×××× ××××

××××

○○○○

×××× ×××× ×××× ×××× ○○○○

イタリア(北部)イタリア(北部)イタリア(北部)イタリア(北部)

ペニエ(ソバ団子コロッケ)

○○○○

×××× ○○○○ ○○○○ ×××× ×××× ○○○○ 葉や茎を野菜として利用

×××× ×××× ○○○○ ○○○○ ××××

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シアのみならずスラヴ圏全体で見られる。スラヴ語では kasha に類する音の名称を持つ 。

例えばスロヴェニアでは kašo、ポーランド語は kaša である。中でもソバを粥にして食べ

る文化を持つのは、ロシアのほかウクライナやポーランド、スロヴェニアなどである。ソ

バ粒を料理のメインディッシュとして使うほか、魚や鶏、ピロシキの詰め物にするなど粥

の二次的な利用も見られる。

ネパールやブータンでも同じくソバを粒のまま食べる文化があるようだ。中国ではソバ

粒を米に混ぜて食すことがあるようだが、あまり主流ではないと考えられる。

そして驚いたことに日本でもソバ粒をそのまま利用する地域がある。徳島県の祖谷地方

は山岳地帯の中にあり米が作れない気候にある。そこで代わりにソバが作られ、日本で唯

一ソバ米を食べる文化が根付いた。ソバ粒を塩ゆでしてから脱穀し、乾燥した保存食とし

て親しまれている。農林水産省や徳島県のホームページでは、徳島県の郷土料理「ソバ米

汁」として紹介されている9。作り方は以下の通りだ。ソバ米を柔らかくなるまでよく茹で

る。鶏肉とにんじん、ぬるま湯で戻した椎茸を細かく切る。椎茸を戻した際の汁に、出汁、

醤油、塩、酒を入れスープを作る。そこにソバ米、肉、野菜を入れて完成だ。日本ではソ

バを粉にして食べるのが主流だが、この地方では粒のまま利用する点が大変珍しい。

ソバ粉を使ソバ粉を使ソバ粉を使ソバ粉を使った料理った料理った料理った料理

・ゆでるゆでるゆでるゆでる

日本の「そばがき」がこれにあたる。加熱した水にソバ粉と塩を混ぜて固めたものであ

る。醤油やそばつゆにつけて食べ、もちもちとした食感が特徴である。日本のそれとは若

干違うものの、よく似た料理が他国にも見られる。中国の「涼粉」、韓国の「ムック」、ス

ロヴェニアの「ジガンツィ」、イタリアの「ポレンタ」が挙げられる。

涼粉はソバ粉と水を混ぜて濾過したものを、ミョウバンを入れた沸騰したお湯に混ぜ、

粘りがでるまで煮た料理である。米で作るのが一般的のようだが、地方によってはソバ粉

やじゃがいものデンプンで作るようだ。ムックは、この仲間で俣野氏曰く水羊羹に似た料

理のようだ10。

9 農林水産省「日本各地の郷土料理 徳島県ソバ米雑炊」

<http://www.maff.go.jp/j/syokuiku/kodomo_navi/cuisine/cuisine6_1.html> (最終閲

覧日:2016 年 1 月 24 日)

徳島県「ソバ米汁」

<http://www.pref.tokushima.jp/nattoku/taste/easy/sobagomejiru.html> (最終閲覧

日:2016 年 1 月 24 日)

徳島市「ソバ米汁」

<http://www.city.tokushima.tokushima.jp/kankou/simin_isan/44.html> (最終閲覧

日:2016 年 1 月 24 日) 10 俣野敏子(2002), pp. 87-111.

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ジガンツィは日本のそばがきの製法とほぼ同じである。ジガンツィの場合はソバ粉をお

湯の中に入れ 10 分程茹でたころで、具の真ん中に穴を開けお湯の吹き出し口を設ける点が

日本と異なる。また、日本では醤油につけるが、スロヴェニアではバターを加えて食べる。

日本の料理サイトに「スロヴェニア風そばがき」として紹介されている11。

ポレンタは穀物の粉を大きな鍋で煮た料理である。本来は大麦やアワ、トウモロコシの

粉で作られる。ソバ粉で作ることもあるが稀な例のようだ。付け合せにバターやポテト、

蜂蜜など様々な食べ方がある12。

・練った生地を焼く・練った生地を焼く・練った生地を焼く・練った生地を焼く

続いてソバ粉生地をフライパンで焼く方法だ。卵や牛乳とソバ粉を混ぜてフライパンの

上に薄く延ばす。その生地に肉や野菜などを包む料理、つまりクレープである。ただし、

日本でイメージされるお菓子のクレープではなく、軽食で主食となる。ロシアの「ブリヌ

ィ」、スロヴェニアの「スレバンカ」、「シュクトリー」、フランスの「ガレット」、「クレー

プ」がこれにあたる。いずれの国も基本的には小麦粉を使用するが、ソバ粉を使って作る

ことも多い。ブリヌィに関しては第 2 章で詳述する。

スレバンカは生地の中に油で炒めた玉ねぎを、シュクトリーはカッテージチーズをそれ

ぞれ包んだ料理である。

ガレットはブルターニュ地方発祥のソバ粉を使った料理だ。分厚く硬めの生地にハムや

海老を包む。小麦の採れないかったブルターニュ地方でソバ粉が使われパン代わりの主食

とされていたようだ13。13 世紀にフランス全土へ広がったとされる。現在、日本で普及し

ているクレープはその発展形でガレットよりも生地が薄い。またガレットとは違い、砂糖

やはちみつ、ジャムなどを包む。現在ではガレットが主食、クレープがおやつといった区

分けがあるようだ14。

・麵類・麵類・麵類・麵類

我々日本人にとってソバは麵類の「蕎麦」であり、和食の中でも代表的な位置づけでは

ないだろうか。

麺類はソバ料理の中で最も手間のかかる料理だろう。日本蕎麦の作り方を例にすればよ

く分かる。まずソバ粒を挽き、粉にした上でつなぎ(小麦粉など)と水を混ぜて捏ねながら蕎

麦玉を作る。それを平たくして麵棒で延ばし、包丁で切って茹でる。この一連の作業はソ

バ粒をそのまま粥にする何倍もの時間を要する。このような手間のかかる料理であるがゆ

11 e-food.jp「ジガーンツィ(スロベニア風そばがき)」(2012 年 4 月 22 日掲載)

<http://e-food.jp/recipe/zganci.html> 12 俣野敏子(2002), pp. 167-168. 13 俣野敏子(2002), pp 154-159. 14 原宿カフェクレープ「原宿のクレープの歴史」

<http://www.cafe-crepe.co.jp/history.html> (最終閲覧:2016 年 1 月 24 日)

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え、「蕎麦」の良し悪しや蕎麦打ち職人の技術が注目され、論じられる。

ソバを麺として食すのは日本のみならず中国や韓国でも見られる。日本のようにソバを

捏ねて包丁で切る方式の他に、捏ねたソバのかたまりを穴の開いた容器に入れ押し出す作

り方もあり、両国の方が古い製法のようだ。中国では「河漏麵(ホーロー)」、韓国では「漏

麵(シミョン)」と表記する。韓国の漏麵は冷麺に近いもので、リョクトウとソバ粉を混ぜて

麵を作る。

イタリア北部には「ピッツォケリオ」という料理がある。ソバ粉と小麦粉を混ぜ、溶い

た卵とオリーブオイルを加える。それらをよく捏ねて玉状にした後に数時間寝かせ、日本

蕎麦のように薄く棒で延ばして 1.5cm ぐらいの太さに切る。麵を野菜やジャガイモと茹で

た後に、チーズやニンニクと炒めて完成である。ソバ粉入りパスタとも言えよう15。

その他の利用法その他の利用法その他の利用法その他の利用法

・パン・パン・パン・パン

これはスロヴェニアの利用法だ。パンを作る過程で小麦粉にソバ粉を混ぜる。しかし、

ソバ粉の割合が多くなる分、パンの膨らみ方が悪くなってしまう。なぜソバパンが作られ

るようになったのかは資料が少なく不明だが、ソバ粉をパンに利用するのはスロヴェニア

独特の事例である16。

・腸詰め・腸詰め・腸詰め・腸詰め

腸詰め、つまりソーセージの詰め物にソバを用いる国がある。中国、ロシア、ポーラン

ド、スロヴェニアが挙げられる。

中国では「グァンチャン」という料理で、豚の腸に血とソバ粉を詰め蒸して作る。

ロシアやポーランド、スロヴェニアでも同様の製法であるが、ソバ粉ではなくソバ粒を

用いた製法である。

第第第第 2222 章章章章 ロシアにおけるソバの利用法ロシアにおけるソバの利用法ロシアにおけるソバの利用法ロシアにおけるソバの利用法

ロシアではソバをいかなる方法で食すのだろうか。ここでは詳細に述べていきたい。

・カーシャ・カーシャ・カーシャ・カーシャ((((кашакашакашакаша))))

ロシアでソバ(гречки)と言えば脱穀されたソバ粒を指すことが多い。そのソバ粒を用いた

もっとも一般的な料理が「カーシャ」である。本来カーシャとは「穀粒またはその挽き割

15 日穀製粉「ピッツォケリ(そばパスタ)」

<http://www.nikkoku.co.jp/recipe/products/buckwheat-flour/0186.php> (最終閲

覧:2016 年 1 月 24 日) 16 俣野敏子(2002), pp. 144-145.

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りを煮た食物」17であり、穀粒はソバのみならず米なども含まれる。しかし、カーシャと言

えばソバ、とする概念も強いようだ。古代よりロシアではソバ粒を使ったカーシャが親し

まれてきた。ルーシの時代には鋳鉄または素焼きの壷で煮られ、薄粥として食べられたり、

キャベツスープの具材にも利用されたりもした。「ソバカーシャは私たちの母親」という古

いことわざもある18。

カーシャは様々な料理に使われる。私が 2014 年にモスクワに滞在していた際、大学の食

堂ではパプリカーシュ(鶏肉とトマトを使ったハンガリー料理)と共に出されていた。私たち

が米を食べるのと同様に、ロシア人たちはソバ粥をそのまま食べるのだ。バターを乗せて

食べることもあれば、クリーム系のソースをかけることもある。また、魚や鶏肉料理の片

隅に付け合せとして使うこともある。更には詰め物として使うこともある。魚や鶏の内臓

をくり抜きソバカーシャを入れたり、ピロシキやソーセージの中身にしたりする料理も存

在する。詰め物には皮が付いたままのソバ粒を利用することもあるようだ19。

一般的なソバカーシャの製法は以下の通りである。脱穀されたソバ粒をまずは米のよう

に研ぐ。その後、粒がキツネ色になるまでフライパンで炒める。続いて厚底の鍋で沸騰さ

せた水にソバ粒と塩を入れ、鍋にふたをして 15 分から 20 分程弱火で加熱する。出来上が

ったソバカーシャを皿に盛りつけて、上記のようにバターなどと合わせて食べる。

日本ではあまり見られない光景ではあるが、ロシアではソバ粒が数百グラム及びキロ単

位で食料品店に置いてある。近年では 100 グラムずつ小袋で、約 10 分間沸騰したお湯の中

に入れれば完成する即席タイプのものまである。

図 1. ロシアのソバカーシャ20

・ブリヌィ・ブリヌィ・ブリヌィ・ブリヌィ((((блиныблиныблиныблины))))

ブリヌィはロシア語のブリン(блин)の複数形である。古代ロシア語で「臼で挽く」とい

17 東郷正延・染谷茂・磯谷孝・石山正三(1988)『研究社 露和辞典』, 研究社, p. 404. 18 Сырников М. «НАСТОЯЩАЯ РУССКАЯ ЕДА». М., 2009. С. 41. 19 Там же. С. 41. 20 2016 年 8 月アルハンゲリスク州にて中堀正洋氏撮影.

- 10 -

う意味を持つ mlin が語源となっており、カーシャとは違い粉を利用していることが明確に

表れている。ブリヌィは小麦粉や米粉、ソバ粉を溶かして円状にし、焼いて生地にしたも

のである。現在は小麦粉を用いて作るのが一般的だが、露和辞典21には、ソバのブリヌィ

(гречневые блины)の語結合も掲載さている。むしろ、古代スラヴではソバ粉を使うのが

一般的だったという22。

ブリヌィは頻繁に食べられる日常的な料理ではあるが、2 月から 3 月頃に行われる儀礼、

マースレニッツァには特に欠かせないものだという。マースレニッツァはロシア語でバタ

ーを意味するマースロ(масло)が語源となっており、文字通りバターや牛乳などの乳製品が

振る舞われる祝祭で、欧米のカーニバルに相当するこの祝祭期間にはブリヌィやピロシキ

が用意されたという23。キリスト教文化圏ではパンケーキを食す伝統があり、ロシアでも同

じくブリヌィを焼いて食べる24。裕福な人々は祝祭期間の初日、月曜日からブリヌィを焼き、

貧しい人々は木曜日か金曜日から焼きはじめていたとする資料もある25。また、葬儀の際に

も食べられるなど、儀礼的な料理の側面を持つ。キリスト教がスラヴ圏に伝わる以前から、

スラヴ人はブリンの丸い形状から太陽を連想し、春の祝祭を祝っていたようだ26。

ブリンの生地は卵、塩、砂糖、牛乳を混ぜたものに小麦粉またはソバ粉を入れて作る。

その後イーストを加えて発酵させる。最後に油を引いたフライパンの上に生地を薄く広げ

て両面を焼くと完成である27。生地に包むものは多種多様だ。イクラなどの魚卵や魚の身、

ハムやサラミ、ジャムやクリームなど様々な料理に仕上がる。

ロシアではこの「カーシャ」と「ブリヌィ」がソバ料理の代表格と言える。ソバカーシ

ャは詰め物の具として使われることもあるが、ソバ料理の種類としては少ない。現在ブリ

ヌィはソバ粉ではなく小麦粉を使うのが主流であり、ソバでなければ作れない料理に限定

するのであればソバカーシャのみとなってしまう。1-2 の表 2 で見た通り、同じスラヴ圏に

属するポーランドやスロヴェニアなどの国の方が料理の種類は多い。それにも関わらず、

最初に述べた通りロシアは世界最大のソバ生産国であり、しかも生産されたソバのほとん

どを国内で消費している。このことから、使用される料理は限られるものの、ロシア人が

ソバをいかに頻繁に食べているかが推測できる(第 3 章で後述)。ソバの存在は決して華やか

ではなく地味なものではあるが、決して欠かすことのできない重要な食材なのである。

21 『研究社 露和辞典』, p.109. 22 ケン・アルバーラ(2013)『パンケーキの歴史物語』, 原書房, p.148. 23 阪本秀昭(2009)『ロシアの祭り 民衆文化と政治権力』, 東洋書店, pp.8-11. 24 ケン・アルバーラ(2013), p.148. 25 ウラジーミル・プロップ(1966) 『ロシアの祭り(民俗民芸双書 9)』, 岩崎美術社, pp.52-55. 26 24 に同じ. 27 はじめて作るロシア料理「ブリヌィ」<http://www.ro4adish.com/recipe/buri.html> (最

終閲覧日:2016 年 1 月 26 日)

- 11 -

第第第第 3333 章章章章 ロシアにおけるソバの生産と輸出入ロシアにおけるソバの生産と輸出入ロシアにおけるソバの生産と輸出入ロシアにおけるソバの生産と輸出入

ロシアは世界一ソバの生産量が多い国である。ではロシア国内の播種面積や生産量はど

のような変動を見せているのだろうか。1-1 でソバは北半球の温帯で栽培されると記述した

が、ロシアではソバの収穫量が地域によって異なるのだろうか。またはソバの生産価格や

市場価格の動きにどう関係があるのだろうか。更に、輸出入は存在するのだろうか。本章

ではロシアの農業分析機関「AB センター」が 2014 年 1 月に発表した「ロシアにおけるソ

バ及びソバ粒の市場 1990-2013」28を参考に以下の各項目について考察する。

また、各データにおいて脱穀をしていないソバは「収穫量」と脱穀済みのソバ粒は「生産

量」を別に計算している。

ソバの播種面積と総収穫量ソバの播種面積と総収穫量ソバの播種面積と総収穫量ソバの播種面積と総収穫量

はじめにロシア全体のソバの播種面積及び総収穫量に関するデータを取り上げる。また、

各データにおいてソバの収穫量と脱穀済みのソバ粒の生産量は別に表されている。

1990 年から 2013 年にかけて、ソバの播種面積と総収穫量、ソバ粒の総生産量をまとめ

たものが以下の図 2 である。

図 2. ロシアにおけるソバの播種面積と総収穫量、ソバ粒の総生産量(1990~2013)29

棒グラフの左側が総収穫量、右側がソバ粒の総生産量である。AB センターはソバ粒の生

28 АБ центр «Российский рынок гречихи и гречневой крупы в 1990-2013 гг., в

январе 2014 года» <http://ab-centre.ru/> (最終閲覧日 2015 年 9 月 15 日) 29 前掲 АБ центр サイト内の«Посновые площади и валовые сборы гречихи в России»および«Производство гречневой крупы в России»の項目より一部転載して筆者作成.

- 12 -

産量を 2005 年から 2013 年までしか公開しておらず、2004 年以前は不明である。線グラフ

は播種面積を表している。

まずソバの播種面積と収穫量の関係を見てみよう。1990 年から 2013 年にかけて最もソ

バの播種面積が大きかったのは 1993 年で 180 万 1 千 ha である。播種面積は前年の収穫量

やロシア国内のソバのストックに応じて毎年変化しているものと思われる。 また、総収穫

量は播種面積にほぼ比例して変化している。1990 年代は 2000 年代に比べて播種面積が広

く取られており、年々播種面積は減少しているが、1990 年と 2007 年と比較すれば総収穫

量はほぼ同じである。農業技術の進歩や合理化により、少ない面積で多くのソバを収穫す

ることが可能になったと推測できる。最大の総収穫量を記録したのは 1992 年の 103 万 8

千トンであった。一方、最も収穫量が少なかった年は 2002 年と 2010 年だった。2010 年は

ロシアが天候不順に見舞われた年であり、ソバの生育条件に恵まれなかった結果である。

次に生産量と収穫量の関係について見てみよう。ロシアでは毎年 20 万~30 万トンのソバ

粒が生産されている。上記のグラフより総収穫量と比較すると、ソバ粒の生産割合は約 30%

から 50%程度である。脱穀されなかった残りのソバはストックとして貯蓄されるなど、毎

年の需給を一致させるようになっている。異例なのは 2010 年で、ソバ粒の生産量が総収穫

量の約 78%を占めている。2010 年が不作であり総収穫量が少なかったことから、収穫され

たソバのほとんどが脱穀され、ソバ粒として生産されたと推測される。

各連邦管区別のソバ総収穫量各連邦管区別のソバ総収穫量各連邦管区別のソバ総収穫量各連邦管区別のソバ総収穫量

この節ではロシア国内における地域別のソバの収穫・生産量について見ていく。

AB センターでは 2012 年と 2013 年の各連邦管区におけるソバの総収穫量を公表してい

る30。そこで本論文も統計データに準じて、連邦管区別に総収穫量、ソバ粒の総生産量を見

ていきたい。現在ロシアには

中央、北西、南部、北コーカ

サス、沿ヴォルガ、ウラル、

シベリア、極東、クリミアの

9 つの連邦管区が存在して

いる(図 3 参照31)。

30 前掲 АБ центр サイト内の«Валовые сборы гречихи по федеральным округам

России» の項目から引用. 31 Wikipedia「連邦管区」の項目から引用, 作成

<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E9%82%A6%E7%AE%A1%E5%8C%BA>

図 3 ロシアの連邦管区

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2013 年の連邦管区ごとの総収穫量は表 3 及び図 4 の通りである。

※クリミア連邦管区は 2014 年に設立されたため、2013 年時点でのデータには管区が存在していない。

表 3. 2013 年の連邦管区別に見たソバの総収穫量(千 t)32

中央 北西 南部 北コーカ

サス

沿ヴォル

ウラル シベリア 極東

198.0 0.3 13.0 5.8 174.8 27.6 406.6 2.9

図 4. 2013 年の連邦管区別に見たソバの総収穫量33

9 つの管区のうちソバの収穫が多い管区は 3 つ存在する。最大の収穫量を誇るのはシベリ

ア連邦管区であり、2012 年に 35 万 1 千トン、2013 年には 40 万 6 千トンとなっている。

2013 年で言えばロシアで収穫されるソバの 49.1%がこの管区で育てられている。2 番目に

多いのは中央連邦管区で 2012 年と 2013 年で 28 万 3 千トンと 19 万 8 千トン、3 番目は沿

ヴォルガ管区の 11 万 7 千トンと 17 万 4 千トンである。一方でその他の 5 つの管区ではソ

バの収穫が少なく、北西連邦管区では 200~300 トンほどの収穫に留まっている。

次にソバ粒の生産量の連邦管区ごとの割合ではどのようになっているだろうか。2013 年

の結果は次頁の図 5 に表される34。

ソバ粒の生産量 1 位と 2 位はソバの総収穫量と同様に、シベリア連邦管区と中央連邦管

区である。シベリア連邦管区では 10 万トンを超すソバ粒の生産量を誇り、全体の半数を占

めている。中央連邦管区では約 9 万トンで 30%の割合だった。3 位はウラル連邦管区で、

約 3 万トンの生産で約 10%。4 位は沿ヴォルガ連邦管区の約 2 万 5 千トンで、8%の割合だ

った。ソバの総収穫量と比べ、ソバ粒の生産量では 3 位と 4 位が反転している。他の管区

32 前掲 АБ центр サイト内の«Валовые сборы гречихи по федеральным округам

России» の項目から引用. 33 同上. 34 前掲 АБ центр サイト内の«Производство гречневой крупы в России по федеральным округам»の項目より引用.

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生産割合はそれぞれ 1%前後で、北西連邦管区ではソバ粒が生産されていないに等しい。

図 5. 2013 年の連邦管区別に見たソバ粒の生産割合

※2013 年のソバ粒生産量は 338.2 トン。

図 6. 2013 年のロシア各地域におけるソバの生産の割合 上位 20 ヶ所1

※グラフ中の青色で示したのはシベリア連邦管区、黄色は中央連邦管区、緑色は沿ヴォルガ連邦管区、

灰色はウラル連邦管区、ピンク色は南部連邦管区である。

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各地域の総収穫量とその割合各地域の総収穫量とその割合各地域の総収穫量とその割合各地域の総収穫量とその割合

ソバは収穫量、生産量ともに連邦管区による偏りが大きいことが分かったが、ここでは

より細かい地方差について見ていきたい。

ロシア国内の各地方、州、共和国の収穫量とその割合は表 5 35、前頁の図 6 36

の通りと

なる。

表 5. 2013 年のロシア各構成主体におけるソバの生産の割合 上位 20 ヶ所

順位 地域名称 総収穫量(千 t) 割合(%)

1 アルタイ地方 362.8 43.8

2 オリョール州 67.9 8.2

3 オレンブルグ州 59.0 7.1

4 バシコルトスタン共和国 50.0 6.0

5 クルスク州 41.5 5.0

6 ヴォロネジ州 30.8 3.7

7 サラトフ州 22.8 2.8

8 タンボフ州 16.9 2.0

9 サマラ州 16.4 2.0

10 ケメロヴォ州 15.6 1.9

11 チェリャビンスク州 14.1 1.7

12 ベルゴロド州 13.3 1.6

13 タタールスタン共和国 13.3 1.6

14 ノボシビルスク州 12.4 1.5

15 クルガン州 12.4 1.5

16 トゥーラ州 11.6 1.4

17 ペンザ州 9.9 1.2

18 ヴォルゴグラード州 9.1 1.1

19 リペツク州 8.3 1.0

20 オムスク州 5.8 0.7

その他 35.6 4.3

※11 位以降の各地域のソバの生産量は、総収穫量と生産割合から計算して値を出した。

アルタイ地方は総収穫量の 43.8%を占めており、ロシアのソバの半数がこの地方で生産

35 前掲 АБ центр サイト内の«Рейтинг регионов России по валовому сбор гречихи в

2013 году»より引用. 36 前掲 АБ центр サイト内の«Рейтинг регионов России по валовому сбор гречихи в

2013 году»より引用.

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されていることが分かる。図 5 でシベリア連邦管区が総収穫量の 51.7%に上るのは、アル

タイ地方が存在するためである。続いてオリョール州、オレンブルク州、バシコルトスタ

ン共和国、クルスク州など、中央連邦管区と沿ヴォルガ連邦管区に属する州、共和国がソ

バの生産地となっている。第 1 章で前述した通り、ソバは温帯で栽培される作物である。

アルタイ地方はシベリア連邦管区の中で最も南部に位置しており、また中央、沿ヴォルガ

の両管区はロシアの中でも比較的温かい地域である。これらの連邦管区や地方、州がソバ

の生育条件に適しているため、上記のような結果が得られると考えられる。

このことは、ロシアの中でもソバが収穫される場所が限られていることを端的に表して

いる。そのため、アルタイ地方や中央連邦管区などでソバの不作が発生すると、ロシア全

土でソバの供給がストップしてしまうことも予想される。

ソバの輸出と輸入ソバの輸出と輸入ソバの輸出と輸入ソバの輸出と輸入

ロシアからのソバの総輸出量は 2013 年の 1 年間で 22,722 トンであった。これは 2013

年の総収穫量のうち約 2.7%である。つまり、ロシアで生産されるソバはほとんど国内で消

費されているわけだが、わずかながらロシア産のソバが輸出されているのはどの国だろう

か。輸出先の内訳は以下の表 6 の通りである。

国名 割合(%)

ウクライナ 45.8

リトアニア 38.9

ポーランド 6.1

中国 5.8

日本 2.6

アゼルバイジャン 0.3

セルビア 0.2

アブハジア 0.1

その他 0.2

表 6. 2013 年のソバの輸出先内訳37

輸出の大半を占めるのがウクライナ 45.8%、リトアニア 38.9%となっている。その他には

ポーランドに 6.1%、中国に 5.8%、日本に 2.6%の輸出が見られる。ウクライナとリトアニ

アは旧ソ連構成国であり、ポーランドと中国、日本はロシアの近隣国である。ロシアから

輸出されるソバはほとんどが周辺国向けだということが分かる。

一方、ソバの輸入はほぼ無いに等しい。2012 年に 15.5 トン、2013 年に 9.6 トンの輸入

37 前掲 АБ центр サイト内の«Экспорт гречихи из России»の項目より引用.

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があり、輸入先は中国とドイツである38。なぜ僅かながらも輸入されているのかは、資料不

足により不明である。このため、国内でソバの不作が起きた際には、他国から輸入したソ

バによって需要を補うといった対策を行うのは不可能だと推測できる。

ソバの市場価格ソバの市場価格ソバの市場価格ソバの市場価格

この節ではソバまたはソバ粒の生産価格及び小売価格を取り上げる。生産価格はソバを

生産する際に発生する費用であり、小売価格はスーパーなどで消費者向けに発売される際

の値段である。

ソバの生産価格について AB センター発表のデータに基づき、1999 年から 2013 年の各

年 5 月時点での価格をまとめたものが以下の図 7 である。

図 7. ロシアにおけるソバの 1 トン当たりの生産価格39

ソバの生産価格は毎年 1 トンにつき 5000 ルーブル前後である40。ほぼ毎年、生産価格は安

定している。1 キロ当たりのソバ粒の生産価格及び小売価格について長期的な資料が見当た

らなかったため、全体的な変動に関しては不明である。2013 年を基準とすると前者では 10

~20 ルーブル前後、後者では 30~40 ルーブル前後と推測される。大きな価格変動は 2011

年の 5 月のみである。2010 年下半期から 2011 年上半期までロシア全土で天候不良に見舞

われソバの不作の年となった。生産価格は 1 トン 41800 ルーブルに上昇した。それに伴い

38 前掲 АБ центр サイト内の«Импорт гречихи в Россиию»の項目より引用. 39 前掲 АБ центр サイト内の«Динамика цен на гречиху в России»及び«Динамика цен

на гречневую крупу в России»の項目より引用. 40 円との為替では 1999 年~2008 年にかけて 1 ルーブル平均 3.7~4.1 円, 2009 年~2014

年は平均 2.5~2.9 円, 2015 年は平均 2.0 円である.

05

1015

202530354045

1999年

5月

2000年

5月

2001年

5月

2002年

5月

2003年

5月

2004年

5月

2005年

5月

2006年

5月

2007年

5月

2008年

5月

2009年

5月

2010年

5月

2011年

5月

2012年

5月

2013年

5月

1111トン当たりのソバの生産価格トン当たりのソバの生産価格トン当たりのソバの生産価格トン当たりのソバの生産価格

価格(千ルーブル/t)

ルーブル

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ソバ粒の生産価格は 1 キロ 85 ルーブル、小売価格は通常 1 キロ 112 ルーブルまで跳ね上が

った。各価格で平均の約 4 倍まで値上がりしている。価格上昇は 2012 年頃から終息し始め

2013 年になると平均的な価格にまで落ち着いた。このように不作が発生すると一気に価格

が跳ね上がる理由として考えられるのは、ロシア国内で生産されたソバがほぼすべて国内

で消費されるため、ソバの生産状況が価格に直結するということである。

また、各連邦管区においてソバ粒の生産価格及び小売価格が異なる。2014 年時点での各

価格は以下の表 7 の通りである。

管区名 生産価格(ルーブル/kg) 小売価格(ルーブル/kg)

中央 14.5 36.7

北西 (データなし) 45.6

南部 13.7 35.2

北カフカス (データなし) 39.7

沿ヴォルガ 13.4 28.4

ウラル (データなし) 40.7

シベリア 12.3 29.2

極東 23.9 44.3

表 7. 連邦管区別の 1 キロ当たりのソバの生産価格と小売価格(2014 年)41

生産価格に関してはデータの無い管区が存在した。しかし、先述の連邦管区別ソバ総収穫

量と比較すると、収穫量の多さと価格の安さが比例していることが分かる。例えばソバの

収穫量が多いシベリア管区と沿ヴォルガ管区では 1 キロ当たりの小売価格が 20 ルーブル代

である。一方、ソバの収穫がほぼゼロに等しい北西管区や極東管区では 40 ルーブルを越え

ている。最安値の沿ヴォルガ管区と最高値の北西管区の差は 17.2 ルーブルに及ぶ42。

以上からソバの収穫、生産、輸出入、価格に関して 3 点分かることがある。

1 つ目はソバの収穫量は毎年変動しており、安定した生産を実現しているとは言えないこ

とだ。ソバの総収穫量のグラフを見れば、豊作の年と不作の年の差が歴然としている。こ

れはロシアの厳しい自然条件が関係しており、ソバが敏感に反応してしまうために、その

ような結果をもたらすと考えられる。2010 年の不作だった年には、収穫されたソバが全て

脱穀され、余剰となる在庫が無くなってしまったゆえに、翌年 2011 年にまで価格高騰が続

いたと推測できる。また、連邦管区によってソバを収穫できる地域とできない地域が明確

に区別される。ロシアでソバを生産している主な場所としてはシベリア、中央、沿ヴォル

ガの各連邦管区が挙げられるが、中でもアルタイ地方はロシアで収穫されるソバの約半数

を生産している。つまり、これらの地域で不作が発生すれば、ロシア全土でのソバ不足に

41 38 に同じ. 42 2014 年は 1 ルーブル平均 2.8 円.

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直接繋がることとなる。

2 つ目はソバの輸出入が極めて少ないという特徴である。総収穫量 83 万トンに対し、輸

出量はたったの 2 万トンである。全体のわずか 3%弱のみが輸出に回されているのである。

つまり残りの 97%は国内で消費、または在庫として貯蓄されていると推測される。ソバの

年間消費量は 55 万トンにも各データを比較しても同じ結果に至る。ロシア国内では膨大な

量のソバが消費されているにも関わらず、輸入はされていないため国内でソバの不作が起

きた際には、それを補うことは出来ないと推測される。

3 つ目は、ソバの価格が非常に安く、庶民にも手に入れやすい点である。小売価格に関し

ては、先述した通り連邦管区ごとの生産量が異なるため、各地域で値段の差が生じている。

しかし、2014 年現在、最安値の地域で 1 キロあたり 29.2 ルーブル(約 82 円:1 ルーブル

2.8 円換算)、最高値の地域で 45.6 ルーブル(約 128 円)である。もともとの価格が安価であ

るため価格が上がっても買いだめしやすく、1 度に大量のソバを買いだめすることが可能で

ある。

こうした 3 つの点はいずれも「経済危機が起きるとソバの買いだめをする」というロシ

ア人の行動を説明するものであろう。

第第第第 4444 章章章章 ロシア、スラヴ圏におけるソバの歴史と文化についてロシア、スラヴ圏におけるソバの歴史と文化についてロシア、スラヴ圏におけるソバの歴史と文化についてロシア、スラヴ圏におけるソバの歴史と文化について

前章で、ロシア人の買いだめ行動は経済的側面から説明された。本章では言語や歴史、

風習などの文化的側面からロシア人にとっての「ソバ」とは何かを追及していきたい。

4444----1.1.1.1. 「ソバ」を表すスラヴ諸語と伝播の関連性「ソバ」を表すスラヴ諸語と伝播の関連性「ソバ」を表すスラヴ諸語と伝播の関連性「ソバ」を表すスラヴ諸語と伝播の関連性

ロシアのソバは一体どこから来たのだろうか。現時点ではソバが伝わった経路について

明確な資料がなく、誰かどのようにしてロシアにソバをもたらしたのかは不明である。し

かし、言語の中にそのヒントがある。本章ではロシアのみならず、文化的共通性が高く、

同じようにソバを栽培し食すスラヴ圏全体に検討の範囲を広げて論じる。

ロシアの『歴史語源辞典(Историко-этимологический словарь)』43にはスラヴ諸語で「ソ

バ」を表す単語が大きく 2 つの系統に分けて紹介されている。

1 つ目は語根に「ギリシャ」「ギリシャ由来の」を意味する греча が入っているものだ。

ロシア語でソバは гречка または гречиха と表す(古代ロシア語では гречуха)。形容詞系は

гречневый で、ここから派生した名詞に гречневик(ソバ粒を使った菓子)がある。ウクラ

イナ語で名詞は同じく гречка で、形容詞は гречаний と表される。ベラルーシ語では

грэчка、грэцкі である。ポーランド語では gryka、gryczany である。ヨーロッパでは 15

世紀頃ソバが現れたとされるが、ロシアには以前からソバが知られていたようである。

43 ЧерныхП. Я. «Историко-этимологический словарь современного русского языка».

Т.1. М., 1994.

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2 つ目はドイツ語 Heidekorn と同じく「異教徒」を意味する語根を持つタイプだ。Heide

は「異教徒」を表す単語である。他のスラヴ言語ではスロヴェニア語の ajda、ブルガリア

語の елда、セルビア語の хељда、チェコ語の pohanka、スロヴァキア語の pohánka など

がある。古代チェコ語では hajduška、またスロヴァキア語には hajduša という単語も存在

する。これらも「異教徒」の意味があり、他地域からスラヴ圏へとソバがもたらされた根

拠となる。さらにウクライナ、ポーランド、スロヴァキアには tatarka(タタールの)という

表現もある。

スラヴ圏にソバが異民族からもたらされたとする概念は、以下のような伝説にも裏付け

られている。東スラヴには、タタールの捕虜となっていた王女を魔女のおばあさんがソバ

粒に変え、ルーシまで持ち帰りそれを播いたことにより世界へソバが広まった伝説が存在

する。また、現ポーランドのマゾフシェ地方の人々は、タタール人がソバを持ちこみ、種

を播き始めたと考えている。スロヴェニアには洪水を逃れた人々に神がソバを与えたとい

う伝説もある44。

このように、スラヴ圏ではソバは他からもたらされた穀物とする概念が強い。但し先述

の通り、ソバがギリシャから伝わったのか、ギリシャ人がもたらしたのか、それともタタ

ール人が持ち込んだのかは、実際のところ定かでない。

また大西氏はソバの分布に関して以下のように論じている45。

中国南部で起源したソバは一方でヒマラヤ山脈の南面をブータン、シッキム、西ベンガ

ルからネパールにはいり、さらにインドのクマオンからカシミールをへてパキスタン北

部に達している。他方、華北に入ったソバは朝鮮半島をへて日本に渡来するとともに、

西方へはシルクロード経由で中央アジアからウクライナ、ロシアへはいり、ドイツから

イギリスへ伝わるとともにアルプス山脈の南側を中部ヨーロッパから旧ユーゴスラビア

経由でイタリア、南フランスへと伝播していったと考えられる(Ohnishi, 1993)。ヨーロ

ッパにソバがはいった記録は比較的新しく、ドイツには 1396 年、スロヴェニアへは 1426

年、ロシアへは 1492 年である。しかし、ソバの種子は、古いものはウクライナの 1,2

世紀の遺跡から考古学的遺物としてみつかっている(Krotov, 1960)。

この文献ではウクライナ、ロシアへは中央アジア経由でソバが伝わったとされている。つ

まり、中国、モンゴル方面からトルコ、ギリシャを回ってきた説と現在のカザフスタン近

辺を通ってソバが伝えられた説の双方が存在すると言える。どちらにせよ、スラヴ圏へは

南方方面からソバが渡ってきたと結論付けることができる。

44 Толстой. Н. И. «Славянские древности: этнолингвистический словарь в 5-и

томах». Т.1: А-Г, М.,1995. 45 大西近江(2001), pp.67.

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4444----2. 2. 2. 2. スラヴ諸国におけるソバの文化スラヴ諸国におけるソバの文化スラヴ諸国におけるソバの文化スラヴ諸国におけるソバの文化

これまで見てきたように、スラヴ圏の各地方ではソバを栽培し、様々なソバ料理が存在

する。ソバにまつわる文化的事象や風習にはどんなものがあるのだろうか。スラヴ諸国の

人々はソバをどのように考え、育てているのだろうか。また、ソバよりも多く消費されて

いる小麦やライ麦といった他の穀物との相違点はあるのだろうか。ソバのイメージや古代

スラヴ圏における播種期及び収穫期の儀式などを、スラヴ諸民族の民俗に関する百科事典

『スラヴの古代(Славяеские Древности)』46から引用してみよう。

スラヴ圏のソバのイメージスラヴ圏のソバのイメージスラヴ圏のソバのイメージスラヴ圏のソバのイメージ

日本人にとってソバという植物には強いイメージがある。米の育たない痩せた土地や山

岳部でも育つためである。第 1 章で述べた通り、徳島県では米の代わりにソバを利用した

料理が存在する。しかしロシアやスラヴ諸国では正反対に、とても敏感で弱い植物とみな

されている。

ソバは寒さや雨に反応しやすい。それゆえにロシアではソバをお嬢様(барыня または

осдарыня)、ポーランドでも同じくお嬢様(ślachcionka)と呼ぶ。ロシアにはソバの弱さを

表す様々なことわざや言い慣わしがある。「ソバの御嬢さんは寒さで病気になってしまい、

病院行きになってしまう」「ソバは最も臆病な穀物だ」「花の咲いたソバを信じるな、穀物

倉庫のソバを信じよ」などだ。寒さで育たなかったソバは家畜飼料か屋根の藁にしかなら

ない。それほどロシアではソバの敏感さや弱さが強調されるのである。

ロシアのみならずウクライナのチュルニゴフ県では雷によってソバの花が焼けてしまう

と収穫できないと考えられていた。ポーランドにも「雷によって花は消え、ソバは育たな

くなってしまう」という言い慣わしが存在する。また、同国のウッチ県には「ソバとキビ

を育てる者は一文無しになる」などの諺がある。スラヴ各地で「あてにならない」「弱い」

というイメージがあることが分かる。

播種期播種期播種期播種期

無事に育つかどうかが危ぶまれるソバには、種まきの時から各種の決まり事や儀礼があ

った。

スラヴ諸国ではソバを播く日47が決まっていた。ロシアでは聖ルケーリヤの日(5/13)、聖

フェドーシヤの日(5/29)、聖オヌーフリの日(6/12)、聖アクリーナの日(6/13)がそれにあたる。

これらの日をトゥヴェリ、リャザン、カルーガで Гречишница、ベラルーシで Гречишніца、

アルハンゲリスク、ブリャンスク、モスクワ、ヴォロネジでは Гречушница と呼んだ。ま

た、播種日はロシア全土で Чёрные гречихи とも呼ばれ、各種の儀礼が行われた。

リャザン、トゥーラ、タンボフなどの各地域では、このソバ播きの日にソバカーシャを

46 43 に同じ. 47 以下, 日にちは全て旧暦で表示する.

- 22 -

作り巡礼する乞食をもてなし、乞食はお礼にソバの豊作を祈る風習があった。その際に乞

食たちは「美しいソバ粒ちゃんよ!君は私たちの育ての母、心から喜ばしい!花よ、花咲

け、若返れ、かしこくなれ、もっと伸びろ、全ての人々に益をもたらせ!」というような

掛け声を、カーシャを与えてくれた家の前で発した。旧ミンスク県では聖アクリーナの日

にイコンを小麦とソバで飾り付けをした。モラビア(現在のオーストリア)に住んでいたスロ

ヴァキア人たちは、ソバを播く日にカーシャを煮て、その出来具合によって次の収穫を占

った。実際に彼らは「壷の中身が畑の出来高だ」ということわざがある。

ロシアではソバがしっかりと実を付けるため、播種期に働くことを禁じる文化もあった。

Гречишница と呼ばれるソバ播きの日が神話的な存在と捉えられていたからだである。

またウクライナ人は、ソバ畑に гречух という名の妖怪がいると信じていた。

ポーランドでは、温暖な年には聖マルコの日(4/25)にソバを播いた。また「聖マルコの日

は、カラス麦の播き終わり、ソバは播き始めだ」という格言が存在した。一方で寒い年の

場合は、聖ソフィアの日(5/15)か聖ペトロの日(6/29)にソバの播種を行った。最も遅くて 5

月末には終了する。ウッチ軍管区では 2 回目のソバ播きをカラスムギの収穫の後に行い、

それを lipcowka または ścierniowka と呼ぶ。

スロヴェニアは聖アレクセイの日(6/2)の前後 3 日間が播種に最適だとされる。ソバ播き

の期日として聖ヤコブの日(7/25)があるが、この日のソバはうまく実らないと考える地域も

存在した。

ロシアのスモレンスクではソバ播きの時期は榛の木の開花に関連していると信じられて

いる。ウラジーミルではライ麦の開花やテントウムシが現れる時期が播種に適していると

される。スロヴェニアのリティヤではカッコウの鳴く長さに応じて播種の時期が決まる。

聖イオアーンの日までカッコウが何週間鳴きつづけたかをカウントし、聖ヤコブの日から

その週間の数の日にち分経った後に播き始めとなる(2 週間鳴きつづけたとしたら、聖ヤコ

ブの日の 2 日後に種まきをする)。

ソバがうまく実ることを祈願して、ソバ播きの際にソバ粒に付け加えて様々なものを播

く風習もあった。聖母修身祭で聖別されたソバ粒を混ぜたり聖別されたイバラの小枝を播

いたりしたのだ。また、復活祭の卵の殻や茹でた卵 3 つソバと共にを播く地域も存在した。

ポーランドのサンドミエシュでは聖大金曜日に聖別された水を撒くこともあった。

ポーランドで、積雲のある日に、また同じポーランドでも他の地域や現ベラルーシのヴ

ィーツェプスクでは曇りの日に、ソバの種を播いた。ウラジーミルでは月の欠けている土

曜日の半日または朝のうちにソバが播かれた。ウクライナのポルタヴァでは明け方前に播

種が行われていたのである。

ポーランドの一部の地域では人が来るなどしてソバ播きを一時中断することがソバの豊

作につながると信じられていた。再び種を播き始めた場所でソバが良く実ると人々は考え

ていた。

またロシアでは秋の播種期に、カーシャを持った青年がソバ畑で農民たちを出迎え、農

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民が仕事を終えると家族全員でそのカーシャを食すという風習もあった。

収穫期収穫期収穫期収穫期

スロヴェニアでは聖ミハイルの日(9/29)にソバを刈り取り、スロヴェニア北部では夜、月

夜の下で収穫を行われた。

ソバの収穫が終了すると、ウクライナの旧ヴィニツィヤ県と旧カーメネツ=ポドーリスク県

では、ソバの髪飾りを作ったり、親戚や知人の家を訪れては、その髪飾りをかけて祝福を

するという文化が存在した。

ソバのカーシャは儀礼的な食事になることもある。11 月 1 日の万聖節になると、ポーラ

ンドでは、食事の途中で死者の魂を想う時間が取られた。その際には必ずソバのカーシャ

が振る舞われた。スロヴェニアのケルンテン(現在はオーストリア)では、様々な穀物からパ

ンを作り、ソバ粉を用いたパンは乞食に与えていた。

ロシアでは、最初の収穫の日にカラス麦の束を貴族の家か自らの家に持ってきた女性を

ソバカーシャでもてなす習慣もあった。旧モスクワ県では 5 月のはじめの馬の夜間放牧が

始まる際に、馬屋の世話をしている人に対してソバカーシャ入りのピロシキを焼くことも

あった。

クリスマス週には、ソバを害虫から守り、収穫を促すため、ポーランドではいくつかの

魔術が行われた。テーブルの上にカーシャを並べ、まるでソバが成長するように、人々が

髪の毛を上へと持ち上げるものだ。旧リャザン県では、家の中を歩き回りながら「播くぞ、

播いたぞ。夏小麦、カラス麦、ソバを播いたぞ。子牛、子羊、そして農民たちのために」

と言って種を播くふりをする風習も存在した。クリスマスイブには夕食にソバカーシャを

食べながら、自分の持っているスプーンを隣の人のスプーンあるいは額に当て「鳩よ、し

っし、キビから、ソバから、どっかに行け!」と言った。

ロシア人たちは聖ワシリーの日(1/1)にソバカーシャを煮た。家で最年長の女性が夜にソ

バ粒を、最年長の男性が川または井戸から水を、それぞれ持ち寄るのであった。家族全員

でソバ粒と水の置いてある机を囲み、それらを混ぜながら年長の女性は以下のように語る

のであった。「ソバを播いて、夏の間ずっと育ててきましたね。ソバもソバ粒も紅く熟して

くれたわ。私たちのソバちゃんはコンスタンチノープルまで運ばれて、そこの宴会に参加

したそうよ。ソバちゃんは公爵や貴族、正直者のカラス麦ちゃんや金色の小麦ちゃんたち

と共にコンスタンチノープルまで行ったのよ。(コンスタンチノープルの)みんなはソバを石

造りの門の前で待っていたそうだよ。公爵や貴族のもとにソバが届くと、樫のテーブルの

上に座らせて宴会を始めたとか。私たちの所にもソバがやってきたようね。」彼女の会話の

中ではソバやカラス麦、小麦が擬人化されて語られている。これの話が全て終わると、女

性がペーチの上に壷を置く。カーシャを作る準備をしながら「ようこそ私たちの所へ、我

が家の財産よ」などと声をかけるのであった。続いてカーシャの出来上がりで占いをする。

赤色のカーシャが出来たならば家に幸運や豊作が期待できる。一方で、白色のカーシャだ

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ったり、壷からカーシャがあふれるか壷が割れたりすれば、それは良くないことの表れで

家に不幸が来るとみなした。このような場合にはカーシャを川に流してしまう。 クリス

マスの日には「ソバ(гречка)」の単語は禁句とされた。

環境や気象条件からソバの豊作を予言することもある。ロシアでは大量のノミやハエが

沸くと豊作の証である。「たくさんのノミはソバを黒々とさせる」「たくさんハエがいる時

にはソバが良く育つ」などの言い習わしも存在する。ポーランドのウッチ県でも赤茶色の

甲虫が夏の畑にたくさん出現すると豊作がもたらされると考えられた。その他には、モラ

ビアの奉献日に北へと風が吹くこと、ロシアではクリスマスの雪解けが、ポルタヴァでは

元旦が穏やかな天気で謝肉祭の月曜日か火曜日に大雪であることが、それぞれ豊作を予期

する現象と信じられた。

このように古代ロシア及びスラヴ圏の農家ではソバの播種期、また収穫期に行う儀礼や

俗習が多数存在している。古代スラヴの農民はソバが少しでも多く収穫できるように祈り

を捧げた。各地域の条件に合わせて、播種や収穫の時期がそれぞれ異なり、様々な儀礼が

行われていた。俗習からもソバが気候条件に左右されやすく、非常に脆い作物であると分

かる。日本では米の育たない痩せた土地でも育つと重宝される作物であるが、気温や雨な

どには弱い植物だ。第 3 章でソバの総収穫量が各年変動していると前述したが、古代から

現在までその性質は変わっていないようだ。また、このような風習は穀物の豊作を願う儀

式の 1 つでもあった。ロシアの民俗学者プロップによれば、前回に最初に刈り取った穀物

の粒を種まきの種に混ぜたり、穀物の束を使った花輪を作ったりする風習があったようだ48。

これらはみな、ソバの種に力を与え、成長を促そうとする行為であるが、類似の儀礼はソ

バの以外の穀物に対しても行われる。つまり、これまでに見てきたソバの文化は、穀物全

般の豊穣を祈る文化から派生したとも推測できる。

穀物全般で見れば、ロシア人にとっては小麦やライ麦の方がソバよりも格上の存在であ

っただろう。中世の文献では麦系統の穀物の名称が多々現れるのに対し、ソバに関して記

述されることは極めて稀である。つまりソバというのは莫大な消費量と豊かな文化を誇る

一方で、その存在はいたって地味なものであると分かる。

古代よりスラヴ人はソバと触れ合ってきた。スラヴ圏全体で食されるソバのカーシャは

伝統的な料理と言えるだろう。長い歴史の中で、スラヴ圏の中でもとりわけロシアではソ

バを多く消費するようになり、現在でもロシア料理に不可欠な作物になったと考えられる。

まとめまとめまとめまとめ

これまで生産、消費と歴史、文化の観点から、ロシアとソバの関係性を見てきた。経済

危機やソバの不作が、ロシア人たちをソバの大量購入に追い込むのは、以上の様々な要因

48 ウラジーミル・プロップ『ロシアの祭り(民俗民芸双書 9)』, pp.130-131.

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が重ね合わさった結果である。結論として、ロシアにおけるソバの買い占めが発生する理

由として、以下の 2 点を挙げておきたい。

①①①① ロシア人に不可欠なソウルフードとしてのソバロシア人に不可欠なソウルフードとしてのソバロシア人に不可欠なソウルフードとしてのソバロシア人に不可欠なソウルフードとしてのソバ

カーシャとブリヌィは古代から存在する伝統的な料理とも言える。ロシアのみならずス

ラヴ全体の風習の中でも、ソバカーシャは多く登場している。現在でもその需要が非常に

高いことは、ロシアのソバの生産量が世界 1 位にも関わらず、そのほとんどが国内消費に

回されていることからも分かる。

一方で、小麦やライ麦などに比べればソバは地味な存在である。歴史上の文献でもソバ

の記述は稀にしか見られない。確かに風習は存在するものの、その多くは穀物全般の豊作

を祈る儀式などから応用されたと推測されるものが多い。ソバ料理の種類もロシアでは 2

種類に限られており、その他の穀物のような発展は見られない。同じスラヴ圏に属するポ

ーランドやスロヴェニアなどの方が料理の種類は多いくらいである。しかし、これまでの

長い歴史の中でソバがロシアに根付いており、ひっそりとした存在ではあるものの、重要

な穀物であるのは確かである。ソバはロシア人にとってのソウルフードであるとも言えよ

う。

②②②② ソバの生産条件と価格ソバの生産条件と価格ソバの生産条件と価格ソバの生産条件と価格

ソバは温帯で栽培される穀物であるため、生産される場所がシベリア、中央、沿ヴォル

ガの各連邦管区に限られる。中でもアルタイ地方はロシアで収穫されるソバの約半数を生

産している。それに加えて、ソバは自然環境に敏感に反応する作物である。ソバの収穫量

は毎年変動しており、安定した生産を実現しているとは言えない。豊作の年と不作の年で、

収穫量の差が大幅に表れる。アルタイ地方でソバが全く育たなかったとすれば、ロシアで

消費されるソバの半数が供給されないことになる。国内でソバの需要と供給がほぼ一致し

ていることから、輸出入は行われておらず、供給できない分のソバを外から補うのは不可

能に近い。そのため、ソバの生産、小売価格はその年ごとの収穫の出来によって比例する。

また、連邦管区ごとの生産量が異なるため、各地域で値段の差も生じている。1 キロ当たり

の平均価格は安く、大量に購入しやすい。しかし、不作になれば価格が 4 倍近く跳ね上が

ることもある。

ロシア人がソバの買い占めに走る行動の理由としては、この 2 つが存在すると考えられ

る。つまり、ロシアが経済危機に直面した際には、家に食料を蓄えておくため、購入が容

易なソバが買い占めの対象となる。不作が生じれば、普段から食事の常連であるソバを確

保するため、各個人が大量に購入し、急激な価格の高騰が発生するのである。繰り返しと

はなるが、ロシアにおけるソバの重要性がここで改めて実感できる。

ロシア人のソバの概念は、我々日本人には分かりづらいだろう。日本では米や小麦、ソ

バなど消費量の多い穀物は注目され、ブランド化されるなどの傾向がある。各穀物間の地

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位は存在するかもしれないが、ソバが「地味な存在」とはならない。ロシアには「ソバカ

ーシャは我々の母親」ということわざがある。ソバを「母親」とするのは、重要性をただ

表すのみならず、その複雑な概念をピンポイントで言い当てているのかもしれない。普段

はその存在に感謝することは少なく、当たり前の存在として捉えがちだ。しかし、自らに

危機が迫った際や、いざ母親がいなくなるような非日常的な事件が起きて、初めてその大

切さが分かるのである。まさにソバの存在そのものである。今後もソバはロシア人にとっ

ての「母親」であり続けるだろう。

参考文献参考文献参考文献参考文献

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覧:2016 年 1 月 24 日) はじめて作るロシア料理「ブリヌィ」<http://www.ro4adish.com/recipe/buri.html> (採取

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Wikipedia「連邦管区」

<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E9%82%A6%E7%AE%A1%E5%8C%BA>