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Title ローザ・ルクセンブルグの資本蓄積論と貨幣蓄蔵の理論 Author(s) 池上, 惇 Citation 經濟論叢 (1959), 84(5): 348-362 Issue Date 1959-11 URL https://doi.org/10.14989/132705 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

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  • Title ローザ・ルクセンブルグの資本蓄積論と貨幣蓄蔵の理論

    Author(s) 池上, 惇

    Citation 經濟論叢 (1959), 84(5): 348-362

    Issue Date 1959-11

    URL https://doi.org/10.14989/132705

    Right

    Type Departmental Bulletin Paper

    Textversion publisher

    Kyoto University

  • 経務言命叢聾八十回春第五摂

    資本主義の運動法員IJにおける

    論理的なものと歴史的なものけ…吉村達 次 1

    利益計画と資金計画ー ・・ー・ー……・ー山 回 保 20

    "ーザ .;V 57セ y プノV クの

    資本蓄積論と貨幣蓄蔵の理論・…池 上 f手 36

    社会主義再生産と「設資効率」……一戸 同 文 夫 51

    昭和三十四年十一月

    東郡太事鱈持号曾

  • ロ1ず'ルグセンプルグの資本書概論と貨幣部蔵の坪一論

    第八

    γ四巻

    pq ノ¥

    プて

    第五号

    ロlザ・ルクセンプルグの

    資本蓄積論と貨幣蓄蔵の理論

    私は、以前、拡犬再生産における貨幣蓄蔵問題と恐慌の可能

    性との関連を取り上げたのである的、払レヘ再生産主貨幣蓄蔵同

    題の四目前的な解明は、従来、どの様に行われて来たかについて、

    充分に、触れることが出米なかった。

    この小論では、広大再生産に関係のあゐ貨幣訴蔵問題を、マ

    ルグス苔積論の主要な欠陥とみたロlザの理論を中心に考察し

    て、問題の所在をあきらかにしたいと思う。

    周知の様

    r、資本論、第二部、二十一軍におけるマルクλ

    叙述は、特に、貨幣蓄蔵に関

    Lて、断片的な部分が多く、統一

    的な説明は与えられていない。だから、貨幣の源泉について、

    独特の疑問を提出したロ!ザの理論を追跡Lてみれば、未解決

    の問題を整理する上で、有効な手がかりとなる。

    明論、彼女の表式観及び、貨幣理論は従来、

    Lば

    Lば批判さ

    ム芋

    れて来た様に、誤認を合むと回われるけれども、私の迎解する

    限り、社会的総資本の者杭と品川幣に閲する彼立の問題提起その

    ものは、再考の価値があり、原則的な批判ではくされていると

    は思えないし、支、彼女の問題担起は、一定限皮まで、マルグス

    の研究方法主思尖に追求したものだから、問題点を明示する上

    に、非常に役立つと考えられる。ローザと同時に、問題の提起

    者であり、貨階部蔵問題の削世論的解明を行ったロlピンベiwグ、

    山田時太郎救援の叙述にも必安な限りで一討及することに

    Lたい。

    資本蓄積耐に関する彼女のマルクス批判は、云うまでもなく

    剰余価値吉夫現するための市援の問題が中心である。しかし、

    彼女の資本省私論をみれば分る様に、需要問題を持ち出す背景

    には、マルクスの蓄積論を特に貨幣蓄政問題の不備、といろ点か

    ら追究する主いう形の批判が一民しているので、私はこの基京

  • 的な態度。中から、どり様な新しい問題提起が行われているか

    を見つけ出し、その正しい解決の方向を出来る限り一目したいと

    思う。彼

    女は守ルクス批判に当って、マルクスが草川和問題を

    ρ剰余

    汁一政物の蓄積に必要な貨幣源泉の追求uという形で把えている

    ことを示してから、この問題提起自体が誤っていたことを証到

    しようとする。彼女によれば、貨幣出川県の問題は、結仙のとζ

    ろ、金生産に帰着するのであるから、もともと、単純な商品流

    通の場合の貨幣源泉と同じもので、蓄積問題の解決では人引くな

    い。従ってマルクスは、苔松問題における現実白需要(ロlザ

    の非資本主義的有効需要)を追求すべき時に、貨幣源呆という

    形で問題吃把えたので、解決の方向を見失ったとするのである。

    以下、話寸ーの柄引いロに分って考察して行くが、この順序は、ロ

    lザの叙述の順序に従った。

    仏j

    固定資本の更新と蓄積閃胞の混同

    マルグスは、引会的総資本の諮積を論じる際に、最初、第一

    部川の追加不変資本から叙述をはじめ、この部門の資本嵐を一

    つのグルプ(氾川不変位本となるべき両ロ聞を一方的に販売す

    るグループ

    Arrと、方的に附目するグループBrE)に分

    ち、十誌積の正常な進行のためには、この阿者に均衡の必要なこ

    とを述べている。

    plザ・ルクセンプルグの資本苔世論と貨幣蓄蔵の理論

    ローザは、まず、この古川を抱えて、「マルクスは、資本制生

    出の下で、種々の不変資本の流通過引における分裂から不可避

    的に生ずる貨幣世田蔵を論ずることによって、問題を解決しよう

    左試みるω

    」(資本諸制論争一集版印・

    uF長谷部沢ト二凹一一一貝〉

    (

    L

    乙述べ、更に、AMAMA

    とBSFの一致についてのマ凡クスの叙

    述(資本論一昨官、印印色白lbup

    長谷部訳⑦』ハ凶七

    l九買〕を

    引川してから、ここに述べられている一切のことは、我々に

    とって、新しい乙とではない。マルクスは、それをすでに、単

    純刊生産のところE、立入って叙述した、というわけは、それ

    は、資本制酌刊生産の諮条件の下で、社会の不変資本は、いか

    にして更新されるか、ということを説明するために、必要欠く

    べからさることだからでめる。」(同印可一四一1l

    一凹四頁〕

    正結論する。

    ロザは、ここで、固定資本の民新から.不町避酌に生じる

    貨幣者此を急以Fおいているのであるが、マルクスの主張主く

    らべてみると、次の様な疑問が残る。

    付彼女は、岡山止資本の維持に関して生じる貨幣帯践と、剰

    余価値の資本への転化に際して形成される蓄蔵貨幣を同一視し

    た上で、

    同円払大丹生産白特色として、貨幣督蔵が持も出されても、

    貨略者蔵が、単純再生肢の基礎よでも考娯されている以上、拡

    大羽生産に悶有の特徴として説山押すゐのは、正当でないと考え

    第八十四巻

    第五号

    四九

  • ローヂ・ルグセ

    νプルグの資本蓄積前と貨幣菩蔵の理論

    ている様に見えるc

    だが、この両者は、ともに、一方的服売と購買の一致にもと

    づく貨幣蓄蔵という行為を必要シするけれども、他国、一方は、

    一小変資木中の同定資本の磨担分だ吋に関係するのに、他方は、

    不変資本のすべての部分について、貨幣論蔵を問題にするkい

    う区別がある。

    この区別の基礎にあるのは、同定資本府担分自特殊な流通様

    式から生れる貨幣蓄蔵之、資本制的肱大再生産にあっては、剰

    余価値が再投資されるまで、貨幣形態で蓄積される主いう意味

    での貨幣蓄蔵の相違であり、両者主も、一方的阪売と購買の一

    致を必要とするという理由から、蓄積問題が、削純再生産L

    乙同

    じは元でしか取り扱われていないとみるのは、適当でないζ

    えられる。との事情自身は単純た区別の様であるが、ローザの

    以卜の議論では、重要な意味を持って米る。彼女の次の問題提

    起を検討しよう。

    (B)

    拡大再生産と貨幣の不足

    ロゲは、マルクス蓄積論の欠点として、次の二つの事情を

    指摘する。

    付部門ーの資木山説。一一つのグル

    lフ

    (AFArと

    Brr)の

    聞に要求される均衡から、蓄積問題に接近ずると、発端第一年

    度には、機能配置の変化(量的には単純再生産、聞置から云え

    第八十四巻

    五:。

    ノ、

    第五号

    ぽ拡大再也監)によ勺て、従来は、資本家の消費支出にあてら

    れていた貨幣が、機能をかえて、山帝政貨幣

    (Aの手で)に転化

    されるととになる。

    しかし、ロザによれば、この解決方法は一昨的にーーすな

    わち、単純再生産から、拡大再生産への満渡期にだけしか適用

    しない。(岡上、田由。・一一円六耳〉

    「もし、輯積が、すでに長い同行われており、生産期間毎に、

    以前よりも、多くの航値量が、市場に投ぜられるとすれば、こ

    の追加価値の買手は、どこにあるか?が問題となる。L

    (

    上)従

    って、私達は、第二年度以降の蓄積のために、貨幣の源虫、

    又は、買手をさいかす必要がある。

    uH

    ところが、マルクスは、第二年度以降の貨幣源泉につい

    て「簡単に」(ロl

    ザ、同1

    仁、日

    HOD-

    一四八氏)資本家の子

    許にある貨幣の機抱が変化し、「

    Aたちと日たち

    ωは、剰

    余生産物を追加的桝勢貨幣資本に転形するために、貨幣を提供

    し合い、また、新たに形成された貨幣資本を、購買手段として、

    流通に投げ堪し八円う。」(資本論一巻.凹目白一切六五七百)と

    述べているだけである。

    彼女は、この解決を、「単純再生産への逆もどり(ロ

    Iザ、

    同上、印・】

    g一一円八瓦)と評価した。ぞのわけは、資本家の

    千許にある蓄蔵貨幣が「天から降ってくるもの」ではなくて、

  • 「固定資本の価値が沈淵したもり」(同上、∞・

    5D・一四

    八頁)であるから、旧資本を更新するのに足りるだけで、追加

    害積分の購入には、役立たないからである。

    とこでも、明際に、彼女は、回定資木更新問題之、資本部結

    論どを混同しているだけでなく、興味のあることだが、マルク

    スの帯積論宮、「単純再生住」の枠内での議論と

    Lて特徴づけ

    ていることである。この立場にたつと、資本蓄積の必然的な随

    伴物である蓄蔵貨幣の社会的な品川割を見逃すことになるのであ

    るが、こ白点は、既に、検討しh。

    本題にもどれば、彼女の提起Lた需要不足問題のTLしい解放

    はどうすれば完成するか、を検討しなければならない。これは、

    山間教授の「序論」で積脳的に展開されているから、まず、山

    田教援の所前を楠討しよう。

    教援は、ロlザの提起した「蓄積される刺余価値部分」を貨

    幣化せしめる所の「貨幣」の問題(山田盛太郎、再牛産過担表

    式分析序論一八日一頁)

    O併決》」して、マルクスの研究成果を示

    きれ、第二年度において「ζ

    の場合に所要とされる貨幣平且」

    の問題は、「流泊貨幣節約の増大』によるか、『貨幣の蓄蔵形

    態から、流通形態への転化」に上るか吋金の追加的牛産』によ

    るかして解決される。」(向上一八口頁〕と述べて、これをロ

    ザ批判の基準とされている。この解決は基本的に71しいと考え

    られるので、不明瞭な点を指摘するとともに若干の蛇足を加え

    ザミ

    ルグセンブルグの宵求書柑論と貨時蓄蔵の理論

    て説明を補完しよう。

    第一に同胞となるのは、表式ょの貨幣流迅速度は、一定と考

    えるのが妥当でめるから、流通貨幣節約の増大が、流通速度増

    大から生じる限りでは、貨幣の迫加的源泉、とり云えないことで

    ある。第

    一に、貨幣の部蔵形熊から、流通形態への転換を一戸うため

    には、表式の理前的な前提の上に、従って、今の場合ならば、

    単純再生産の内部で、士官蔵貨幣が成立することを証明しておか

    ねばならない。そうでなければ、流通貨幣量の節約を度外視し

    た場合、革問積の進行はすべて金の追加酌生産に依存するという

    非現実的な結論に至るからである。

    この問題に対して、山回数援は、貨幣材料の再生産において、

    単純再生産の内部ですーら「貨幣蓄蔵は必然的に包含されてい

    るよ

    ζ

    とを正Lく指摘されている。(山同、同上一二七二八

    頁、及び一七一頁参照)この事情をもう少し批戸川しておこう。

    マルクスは、貨幣材料の再生産を取りとげる場合貯(金牛

    車部門はマルクλ

    によると第一部門に属する。)のて+足と、

    部門Eの転態を論じて、次の様な結論を与えている。

    HhIND口+日て十日ー民について、余生産者が、「すでに前から

    流通に属していた」(資本論二番印当日・⑦六一八頁)貨幣

    をもって、

    -ovk労働者に支払えば、消費資料の購入と引き峠甘

    えに、部門Eへ流入した貨幣の中、

    ECの一部となる余材料品

    第八十四巻

    プL

    第五号

  • ローザ・ルグセンフルグ心資本蓄積諭と貨幣苔誠心型前

    購入用D

    M可は、金生産者の手許に還流するe

    しかし、

    ECの一部とならない

    ωて及び

    LQiL高は、

    ECの

    補填に役立たない限りは、

    Eの内部で蓄蔵される。すなわち、

    単純再生産の論却の枠内で、拡

    K再生産主意味しない貨幣苔蹴

    がうみ山される。マルクスは云う。

    「後に考察すべきICについてはしばらくおき、単純軒土産

    の場合でさえも|lこの場合には、言葉の本来の意味でり蓄積、

    すなわち、拡大された飢模での再生産は排除されているとはい

    え、しかも、貨幣積み半て、または、貨幣苓蔵が、必然的に

    包告きれている、と云うことがわかる。そして、こうし士こ

    、司、、、、、

    正が、年々、新たに反催されるのであるから、資本制的生産の

    考察の山発点となる前提、すなわち、刊生産の開始にあたり、

    商品転態に照応する分主の貨幣手段が、資本家附級I、及び

    E

    の一千にあるという前提は、これによって説明がつくの」(資本論

    二巻担当叶⑦六二一U頁)(傍点は引肘者〕

    この叙述は、ユンゲルスが註で述べているように、部門ーの

    貨幣者蔵への言及がない点を除いて、私達の目的に充分な解答

    〉7

    を与えてくれる。

    しかも、単純再生産は、拡大再生産の一契機として、帯夜過

    程の進行中、毎年くりかえされるから、金の追加生産を

    11す

    なわち、金生肢の肱大合前提しなくても、苔政貨幣が年々供給

    されるのである。換言すれば、金生産自拡張と、社会的総資本

    第八十四巻

    第五号

    四O

    の議杭は同一事調をL

    とって進む必要は全くない@マルクスり次

    のような発一一日は、金生産から生れる蓄蔵貨斡以上のものを含む

    としても、全く正当な結論と思われる。

    「白明のことではあるが、資本制的生産の年附がすすめば、

    すす打ほど、あらゆる方面で柏み立てられる貨幣の分量が、ま

    すます大となり、したがって、年々の新たな金生産が、との貨

    幣分量に追加する割合

    OF--この追加の絶対量は大したもので

    ありうるとはいえ||ますます小之なるよ(資本論一巻印品コ

    ⑦六一二頁)

    こうしてみると、蓄積と金生産(特に生産規模を拡大して、

    、、、、

    供給をふやすこと)ーとの同に直接的な因果関係は、人よくない。

    とこで第一に、拡大再生産の理論的前提、としての単純材生注内

    部で、貨幣蓄蔵の必然性はご叶明出来ること、第二に、年々の拡

    大再生産の一契機としての堆純再生産の範囲内で、蓄蔵貨幣は

    たえず、追加供給を行っていること、を確認し、次の問題へ移

    ろ民つ。(。阿部門白取引と在荷心形成

    ローザは、ここで、阿部門同の取引と、蓄積の問題に移る。

    マルク久は、この間題について、

    Imの替積分が、

    Eに肱売さ

    れ、ーが乙の貨幣を蓄蔵する場合を想定するのであるが、ーで、

    苓蔵された貨幣は、将来の生産拡大に充川即されるのだから、さ

  • し当っては、正へ還流せず、

    Eで、消貸手段の過剰を招くこと

    になる、と指摘している。

    彼立は、どの点について、マルクスは、「拡大再生産への端

    初的過渡期」という「虚構」を某礎として、蓄積を流動の中で、

    把まなかっ士結果、ー部門内部の説明では、AMAMA

    とβFFD

    対応関係によって、「外観よ」の解決をみたけれども、部門E

    との交換関係を検討する段になると、「悶難を一層大きく」

    L、

    Eが、消内問者世「一MAれにも失う」こ、とによって、ひどい困難に

    直由したと結論する。(ロlザ、前山由

    Hga一五三頁)

    では、マルクスは、この部門Eにおける過剰{在荷形成い一を

    どの様に一評価したのであるうか。いくつかの引用を通じて確か

    めて行こう。彼は、部門Eの過剰生産を指摘してから

    引用1

    「だから、この場合では、

    Aωの側での追加的桝勢貨

    幣資本は、なるほど、剰余生産物(剰余価依)の貨幣化された

    形態である。だが、かかるものとして考察された剰余生産物

    (剰余価値〉は、ここでは、単純再生産の現象であって、まだ、

    拡大された規模での再生産の現象ではない」

    (Fmg・⑦六六一

    頁〕次に、注意として、荷積の場合は、剰余価値の一部が、収入

    として支出きれないことを述べてから、

    引用2

    「苓積は、消費を犠牲として行われる》いうこ之は、

    ーーかように一般的に云っては

    I1それ自身、資本制的生産の

    ロlザ・ルクセンブルグの資本蓄積前と貨幣蓄蔵の理論

    本質と矛盾する幻想である

    Q

    けにし、それは、資本訓生産の目

    酌および推進的動機位泊費であって、剰余価値的獲得及び、そ

    の資本化、すなわち、者積でない、左前挺することになるから

    である。」訪問凸)一ω⑦六六二頁)

    表式を例市しながら述べた飽所では、

    引用3

    「この場合に考慮すべきは、ーでは、事尖上、ただ単

    純存生産が行われたにすぎぬこと、および、翌年度というよう

    な将来における拡大のために||表式にみられゐごとく、ーー

    諸要素の組合せが変ったにすぎぬことである。

    L

    3・臼口'⑦六

    六三五)

    更に、この困難を回避する口実を日ら批判してから、

    引川4「凹避すべきこの凶離が、単純再芋ぽの考察の際には

    みられないという単なる事情は、問題が、独自の一現象||諮

    要素ーの(再生産に閲する)違った組合せ、すなわち、それな

    くしては総じて拡大された規模での再生監が行われえないよう

    な変化した組合せにのみ起因する一現象ーーにあることを証明

    する。」

    3-己「穴式主頁)

    以上、四つの引刷は、いずれも、部門ーの過剰貨幣資本の形

    成と、部門Eの消投手段過剰を、拡大品生産に固有の問題とし

    て評価していたことを示しはするが、解決は~航されていな川。

    だが、注意すべき点は、単純打生産が、大て「出向)l出口をそ

    ω一つy」しに川耳目

    ch日

    Qινヲ

    廿

    μ民

    第八十同巻

    三五三

    第五号

  • ローザ・ルクセンプルグの資本蓄積諭と貨幣者蔵O理論

    更される、という己主である。部門I聞の一部が蓄積される以

    上、その蓄積分は、

    ECを補填して余りあるものでたければな

    らない。即ち、同(て+出向)V口口が要請される。この問題の導

    入は解決を生み出さないだらうか?一見すると、部門Eで、商

    品の過剰が現われるという事情は、この不等式を導入

    Lても全

    面的には解決したい様に見える。なぜなら、悶難は、

    Imの一

    部が一方的に

    Eへ販売されるということから生じたので、ーの

    対価が、

    ECか、又は、

    Emの一部か、という問題ほ、古川按に

    は関係しないからである。

    しかし、問題をもう一方の側同から、すなわち、この在砧形

    成という同駅は、円(司十回向)l口町という前提の上にたって、

    Imの一部が蓄積されると、

    ECの単純再生産さえ不可能にな

    るところから生じたという側面から考察しムう。

    この回から云うと、同(て+足)V口口という前提を導入する

    ことによって、正Cの単純再生産は完全に保推され、売れない

    ECKしての在荷の存在は、梢失してしまう。従って、表式上

    の配置がえを行うことによって、山アくとも困難の半分は凹避す

    ることが出来る。

    今、問題は新しい次瓦に移って来た。部門ーの蓄積分が、部

    門Eに販売される場合.その買手である部門Eの資本家は、再

    び、売手、として、部門Iに対応出来るか、又、出来るとすれば、

    Eの様にしてかが問われねばならない。更に、部門ーが、Eに

    第八十円巻

    第豆号

    R2l

    =一五回

    販売出来るわけ会も説明しなければならない。

    に取り扱う)

    マルクスは、苓積を前提とした場合む百刑とImの転態につ

    いて、次の様に述べている。

    引用5「

    Imのうち、

    Emと転態されるべき部分は、ーの生

    産にも、

    Eの生産にも入り込みうるような、さもなければ、専

    ら、

    Eの生産にのみ入り込みうる様な、生産手段から成立たね

    ぽならぬことは自明である。この填柿ほ、

    Eの側での一方的購

    買によってのみ起りうる。けだし、これから考察すべき全剰余

    生産物五

    OむImは、ーの内部での苔積に役立つはずであり、

    したがって、商品EKは交換されえない||換言すれば、ーに

    よって、蓄積される之同時に、消費されるこζ

    はできないから

    である。

    だから、

    Eは、(一四O)Imを現金で買わねばならないが、

    この貨幣は、ーの商品が、後から、ーに売られることによって

    EK還流することはない。しかも、これは、新たな生産年度毎

    に、||それが拡大された規模での再生産たるかぎりは

    liた

    えず反復される過程である。そのためのEにおける貨幣源泉は

    どこにあるかっ」

    3Eu--A⑦六六八頁)(傍

    hは引加者)

    最後の問題提起は次項で考察せねばならないから一応保南L、

    部門ーの貨幣者蔵に什って部門立の商品は、どうなるかをみよ

    (この羽田は次

  • ーは一方的政有者としてだけ舟場して、絶対に購買者として

    夜場

    LKい。しかし、ま式を川いたマルクスの説明によると、

    部門Iは一方的販売を行った結果、手許に蓄蔵された貨幣を、

    翌年、追加川町変資本の貨幣形態ル」して登場させ、

    Eに商品在荷

    として存在する消費手段主、ーの労働者が購入することになっ

    ている。(凹臼寸六七二六七三頁)

    マルクスの解決は簡単なもので結局、貨幣は部門Eに還流す

    るわけにから、商品在荷は消滅1、同組は、解決されることに

    なる。し

    かし、こ乙では詳細に論及州米ないが次の二点は注目すべ

    きである。付蓄積の過程中に、一時的にしろ、商品在荷が生

    じること、及び、同今の場合

    (EO迫加的生産手段と、

    I

    O

    追加酌消費手段の転議)以外にも、一時的な貨幣蓄蔵と、商品

    9

    在荷の形成が生じうるζ

    と、である。

    ロ!ザの提起し士最後の問題は、引用5、末尾の問題提起に

    かかわるものである。

    ω)

    蓄積のための部門

    Eにおける貨幣源泉

    マルクスは、部門Eがーから追加的生佳子段を購入するため

    の貨時源泉を、

    Eの内部で試行錯誤的に採しまわった挙句、

    印日品目・⑦六六九

    l六七一一良)結論として、「Emの

    中、必要生活子段として現われあ部分が、部門Eの内部で、直

    plザ・ルクセシプルグの資本蓄積論と貨幣蓄蔵の理論

    接に、新可変資本に転形き札ること」(師団苫⑦六七一頁)

    と述べ、詳細な検討は、第四節「補遺」ヘ持ち越きれている。

    彼女は、この結論について、次の様な疑問を抗出する。

    叫げまだ、

    Eの追加不変資本を購入していないのに、

    Eの追

    加可変資本を持ち出しても、解決にはならない。

    制今、問題なの灯、ーから、追加生昨干訟を購入するため

    に、

    Eで、貨幣源泉を見出すことで、

    E向井の超過生院勧を処

    分することではない。

    同門も

    L、マルクスの主張が、生活手段は貨幣に媒介されず、

    「古田換に」Eの可変資本として充用され、その結果、それに焔

    応す石貨幣分量が、審積のために遊離されるとするものなら、

    この主張は拒否すぺきだ。

    という内容である。(ロザ、前出

    FEm

    一五七頁)

    この三つの疑問の中、前二者は、ほとんど、同じ内容のもの

    で、要するに、不変資本要素の購入に必要な貨幣の出所を、可

    変資本充用の様式から説明しており、これでは説明にならない、

    という主張である。

    マルクスが、発端第一年度の貨幣源泉を、部門E内部の可変

    資本充用から説明したとすれば、その点で、ロ1ザの疑問は正

    しい。し

    かし、岡項で、貨幣不足説を検討した際あきらかにした様

    に、単純再生産の基礎上で者政貨幣は成立しうるだけでなく、

    第八十四巻

    五五

    第五号

  • ローザルクセンプルタの資本蓄積論ーと貨幣蓄蔵白理論

    単純再生産に必要な貨幣量は、表式上で前提されているりだか

    ら、価舶量は単純再生産と等しく、機能配置だけ目的なる発端第

    一年度では、部門Eは、ーから生産手段を購入寸るのに充分な

    貨幣量を持っと解するのが豆当と考えられる。

    従って、発端第一年度の部門Eの追加生産手段購入が、部門

    Eの可変資本(追加)先胤の説叫と前後する欠点は避ける乙と

    ができる。

    これによって、

    blザの疑問に消極的には答えることが出来

    るが、それではなぜ、部門E内部で形成される貨幣帯政が特に

    強調されるりか、という問題はまだ残っている。すなわち、部

    門Eの貨幣源泉は、部門E阿部の可変資本充川だけでない(金

    生佳からわ流入、部門IC追加労働者へ消費賢料を一方的に販

    売する町から生じる貨幣の迎流があるぷから、諸源臼抵の相互

    関依が問われねばならない。

    この問題は、ロザの第一一一の展開を検討してから立ち帰りた

    し第三の疑問は、二部門内部で「直接に」生活資料に転化され

    るという意味についての問題で、彼女は、これをH貨幣を媒介

    しないで直接にHH

    という意lhmな

    ι一マルクスは誤りだというもの

    である。しかし、「直楼に」の意味は、次のマルクスの叙述か

    らみて、ロlザD解釈は無理の様である。

    「問題となるのは、資本家1相互聞の交換||Emの相互的

    第人十四巻

    第五号

    四回

    五ノ、

    交換のみから成立ちうる交換ーーの内部で、どの程度に貨幣蓄

    蔵が行われうるかという乙とである。

    E白山部で直接的蓄

    積が行われゐのは、

    Imの一部分が白抜に可変資木に、(ちょ

    うど、ーでImの一部分が直接に不変資本に転化されるよう

    に)転化されることによってである。

    」方は、まだ貨幣吉川蔵、すなわち、購買しないで販売する段

    階にあり、他方は、服売しないで購買するという、現実に再生

    産主肱大する点に達している。追加的可変貨幣資本は、なるほ

    ど、さしあたり、追加労働刈に支出される。だが、追加労働力

    は、生活手段を、労働者用の追加的消費手段の貨幣蓄蔵者的所

    有者たちから買う。この後者の貨幣蓄蔵に比例して、貨幣が、

    彼らの手から、出発点に復帰しないで、彼らによって積立てら

    れる。

    quMC

    ⑦六九心頁)

    この場合、「直接に」の意味は、

    H貨幣を媒介しないuので

    はなくて、

    MM

    両部門闘の転態を媒介しなレで匝接にuの意味で

    あることは白胡だと思われる。第三の疑問点は、これだけにし

    て、先の問題i

    |部門Eの貨幣椋呆の聞の相互関係を追求して

    みよう。

    順序として、まず、単純再生産の枠内で生じうる部正の貨幣

    蓄蔵(金生産)との関係を取り扱い、次に、同部門司転態から

    生れる貨幣蓄蔵と、部門E内部だけから生れる貨幣蓄蔵ムの闘

    係を取り扱う。

  • 件金生産と、部門E内部わ転態から生れる脊蔵の関係につ

    いて、ずルグスは、第四節、補遣の冒頭で「Eのための本源的

    な貨幣源泉は、

    Eの一部分と交換される金生産判ーのV+Mで

    ある。」と述ベ、更に、「金生産者の追加的可変資本」が、

    Eに

    入り込み、でご」で、新たな貨幣蓄械を防長ずるか、主たは、

    ーに直接ふたたび売るζ

    となしにーから買う新

    tな手段を与え

    るロ」(印凹-巴∞NC

    ①六八九頁)ここで、マルクスは、すで

    に企の拡大再生産に言及しているが、部門Eの貨幣蓄蔵を促進

    する限り、出中純再生産の範囲内での菩蔵貨幣と本質的に変らな

    いu

    彼はこの指摘の後、両部門の転態から生じる暫時的な貨幣

    蓄蔵(この検討は次凸課題である。)に言及し、最後に部門E

    内部だけの貨幣苔蔵を論じる。

    そこで、問題口、「本源的」官一幣源虫と、部門E同部の貨幣

    蓄蔵の関係F帰清するの部門Eで、普積が行われる場令、資木

    家の手許にある貨幣資本は、本来、単純羽生産の範囲を除けば、

    追加貨幣として資本家の子になければならぬ。との本源的な貨

    幣を提供するのは金生産一である。(必ずしも追加的な拡大再生

    肢を明記しないが)しかし、このことは、刺余生産物の買手が、

    金生産省であるととを結論づけるものではない。貨幣蓄蔵はす

    でに部門Eの資本家が行っているわけだから、剰余生産物の買

    手は、資本家から賃金を受け取った労働者なのである。従コて、

    ここでも、金生産と剰余価値の蓄積とは、直接的関係は全くな

    ロザルクセンプルグの資本蓄積論と貨幣苔蔵の理論

    いという結論を再確認することが出来る。(直祷的関係がなく

    ても、究極的には関係があることは均論であるu

    )

    しかも、問題はもう一つの側閣を時っている

    G

    金生産からの

    流入とは独立に、部門Eの蕃積規慨に照応した貨幣帯蔵が成立

    しうる邑すれば、蓄積の

    4hは、生産拡大の金生産への依存か

    ら、古すます脱却する方向をそれ自身の中に含んでいるk結論

    出来よう。これは、同項で述べにマルクスの結論を(金生産と

    蓄積に関する〉説付けるものである。

    付両部門間の転蹟から生れる貨幣蓄蔵と部門E内部門一貨幣

    菩械との関係、

    両部門の転態から生じる貨幣帯蔵についてマルクスは、

    暫時的」な貨幣蓄蔵の嬰素を三つあげている。

    同部門ーの要素

    「ーにとっては、

    Imの一部分が、

    Eに、一万的に売ら

    れて、ここで、追加的一小変資本ーとして役立つ場合にのみ」

    治・己申・⑦六八九氏)

    Eでの要中高

    Eにとっては、ーの側で、追加可変資本につき、同じ

    ことが生ずゐ場合」

    制「ーにより、収入之

    Lて支出される刑余価値の一部が、

    ECによっては唄捕されず、つまり、それを以て、

    EmD一部

    r転形される場合」(向上)

    第八十四巻

    五七

    第者号

    四五

  • ローザ・ルタセソプルグむ資本当世論と貨幣茜蔵白理論

    部門工の貨幣蓄蔵の要素については、すでに、在荷形成を論

    じた時に言及したし、似の叫が、貨幣心部門ーへの還流に際し

    て問題になることは、自明である。例についても、以前論及し

    たので、川仰の要素自体の説明は省略して、ナぐに比較に移りた

    し部門ーが、ーから一方的に商品を購買して、

    τ"に土問説貨幣が

    形成されるとv

    とは、既に、部門ーからEへの一方的販売が行わ

    れていることを前提としている。これは

    Eが、消費資料の生産

    を行うところからくる当然の帰結であって、ーの諸積の結呆と

    して、追加消費需要が生じてはじめてーへの剰余生産物の販売

    が吋能となるのであるの

    この限りで、部門

    Eは、ーの苔積に従属せざるを待ないので

    あって、部門ーの苔積率主導という命制的な結論がでてくる。

    ところが、部門Eの内部たけで、貨幣蓄蔵が可能であり、必

    然であるということになれば、部門Eは、部門ーの蓄積とは、

    相対的な独立性をもっ亡脊積を行いうる可能性がでてくる。従

    って、部門ED蓄積は、根本的には、ーに従属しているとはい

    え、少くとも、相対的な独立性がもっというこ之は一Lえる、こ

    れは一つ白紙政府的要素であって、部門工の優位を説く場合、

    見逃すことの出来なト契俄である。

    さて以上の検討によ=て、部門

    E内部だけで貨幣苔蔵が可能

    だという議論は、一方で、金生産と蓄積との百接的な関係をま

    第八十四巻

    五j、

    第五号

    四アて

    すます稀薄にするとL

    ともに、他方で、部門Eの部門工に対する

    相対的な独止性を強化するという結論に主った。

    「諦詰」ロ

    Iゼンベルグの誤謬と不充分さについて

    「資本論註解」の著者は、部門

    E内部だけり貨幣蓄蔵問

    題を故意か、偶黙にか杭討しなかった様に思われる。

    すなわち、彼は、マルクス心提示した「源泉問題」へり

    解答として、部門

    E内部での貨幣苔蔵ではなく、逆に部門

    ーとり史換関係

    hv重視し、次白二つに要約している。

    Eにお付る貨幣の唯一の源泉は、ーへの商品の販売

    である。

    伺かくて、ーにおける吉川和は、ーにおける苦加に依存

    している。(ロ

    1ゼンベルグ資本論註解訳書仁川片山、

    四四六頁)(傍占は引用者〕

    この結論が、一面的にすぎることは、すでに検討したと

    ころかわ明白Cあろう。この様な定式侶からは、部門

    Eの

    桁対的独立性の評価は全くでて米ない。しかも、部門

    E内

    部の貨幣蓄蔵を評価しない桔岡市として、金生産との関係。

    問題も正しく郁決出来亡いない。

    彼は、貨幣菩蔵を論巳る際、一方的鵬同者が、どこにい

    るか、という問題と、拡大再生産にもとずいて商品流通の

    範聞がふえた場合、貨幣の不足分をだれが調達するかとい

    う問題を区別し?後、更につけ加えて、流辿界に金だけが

  • 存在し、又、流通辿度が一定なら、このこつの問題は一致

    すると述べている@その

    J

    型由は、新たな貨幣を流地罫に投

    じうるものは、新たな購買者だけだから、という事情をあ

    げている(向上、凶四

    O頁)

    だが、こO指摘は、解釈何如によって、金生産者が、追

    加生産物を(流通述度定自主き)白うかの慌にも取れる

    のであって、部門工、

    Eにすでに帯蔵貨幣が存在している

    という前提を媒介にすれば、もっと明瞭な結論が待られた

    ものし乙思われる。

    以上、ロ

    lザの問題提起を軸kして、研究をすすめて来たの

    であるが、ローザの立場は結局

    yこに訓達したかをみておかね

    ばならなレ。

    但)

    単純商品流通と資本蓄積問題

    彼女は、マルクスが、「Eのための本源的貨幣源泉」主して、

    ECの一部主交換される金生産者のV+Mをあげている泊所を

    引附して、次の様に評言している。

    「こうし亡、我々は、荒川梢を説明する一切の可能な試みに失

    敗した後、-結局、金生産省のもとまで辿りついたのである

    が‘この金生産省を引き合いに出すことは、マルクスが、彼の

    分析の初めのとこるで『鼠劣きわまるLK特徴づけたものに。

    ローザルクセシプルグの資本特軒諭Lr貨幣者政の理論

    かくして、再生産過程の分析、及び「資本論」第二巻は、なが

    らくの問、求められていた解決をもたちすことなしに、おしま

    いとなる。」(ロ

    lザ、前出、日EHDF

    一五八頁)

    更に、第九章の冒頭では、マルク只に包面的な批判を加えて

    云う。「

    分析が町ゆき悩んだのは、マルクスが問題を可貨幣師長』

    に関する問題という間違った形式で解答しようとしたからであ

    る。しかし、現実に問題なのは、事実上の需要、すなわち、商品

    にとっての充用先であって、その支払いのための貨幣源泉では

    なし流

    洞の媒介物としての貨幣については、我々は、ここでは、

    全体としての再生産過程の考察に関して、資本主義社会は、つ

    ねに、その流通過程

    r必要な貨幣分量を手もとに持っているか、

    あるいは、その代川物を作りうるものと仮定せねばなら向。L

    (同上、凹呂一円一五九頁)

    しかし、マルクス白強調したのは、彼女が述べている前提そ

    のものの証明であった。流通に必要な貨幣量、更に帯積過程の

    考察では、払大再生産に必要な貨幣量が、どの様にして、資本

    家の手許に形成されるかを解明せずに、蓄積を完全に論じるこ

    とは出来ない。

    しかも、社会的総資本の再生産を論じる場合には、単なる媒

    第八十同巻

    五九

    第五号

    四じ

  • ロlf・ルグセ

    γプルグの資本苔積諭と貨幣苔取り理論

    介物としての視点からだけ貨幣を取りあつかってはならない。

    それの流通からの脱落.すなわも、苔蔵の視点をも、寸なわち

    統一的江、全体としての貨幣運動の視点をも失ってはならない

    のである。

    彼女は、更に、マルクス自身の言明によ一

    J

    て、「者績のため

    の「貨幣源泉』L

    という問題提起が、

    ZZH積問越の全〈無駄な定

    式化」(同上、印'呂田一五九頁)であるごとを示そうとする。

    マルグスは、一般的な商品流通の法則が、資本制牛産にあっ

    ても、変更されたいこと、一定の荷品分量を流通させるに必要

    な貨幣量は、その商品が、剰余価値を含むからといって、決し

    て変更されないこと、を指摘している。そじで、剰余価値を貨

    幣化するのに必要な貨梓はとこからくるか、という問題は、

    「一固における商品の流通に必要な貨幣額はどこからくるか、

    という一般的問題主一致する」(資本論第一巻目印・

    u出

    ω位

    四三一

    11問頁)ことになる。

    ローザは、この解答を、全く正しい、と肯定してから、再び

    言う。「

    剰余価値の流通のための貨幣は、どこからくるか、という

    問題は、特定分査の商品を国内で流通させるための貨幣は、ど

    こからくるか?唱という一般的問題正一しょに解答されるもの

    である。

    かような商品の価値分量主、不変資本、可変資本、及び剰余

    第八十四巻三六

    O

    価値に分割するということは、貨幣流通そのものの見地からは、

    全然ないことであり、また、この見地からは、何の意味もない。

    だから、貨幣流通、又は、単純尚品流通町一説角からみた場合に

    のみ、『問題は実存しない』だが、社会的再生毘全体の見地か

    らすれば、確かに問題が実存するのであって、ただ、その問題

    は、その解答が、我々を問題の実存しない単純な商品流通につ

    れ帰るような、そんな間違った定式化をされてはなら向。

    kい

    うだけである。

    だから、問題は、剰余価値を失現するための貨幣はどこから

    くるかっではなく、剰余価値のための消費者は、とこにいる

    か下でなければならない。」一ハロザ、前日、出口「一六四

    頁)一悼長は引川音〉

    これらの批判については、まず、第一

    r、ローザの引用した

    ずルグスの叙述は、表式考察の前提ではあるが、貨幣材料を含

    めた社会的総生住物の運動法則を全面的に解明する過程で言わ

    れているりではないことに誌なしなければならたいの流通貨幣

    が金である阪り、いつか、それは金生産から流れ出土ものにち

    がいはないのであるが、二部門分割、三価値視点の導入、単純

    再生泣から、拡大再生産へと進むにつれて、牒介的な契機が、

    次第に入り込んEくるこkは、すでにみた通りである。

    更に、マルグスが、古川積を貨幣問題

    ι密接に閲辿づけて論じ

    ιのは、この小論のはじめに述べた椋に、一方的取売者と、一

  • 方的購買者の苅応関係を基軸として、革問積問題hv特徴づけたか

    らだと思われるロいわゆる消費者とは、この一方的購買者であ

    って、彼らのどの部分が、どの販売者E対応し、いかにして、

    彼の手許に貨幣世間達して甘くかに応じて、貨幣苓蔵官媒介と

    する拡大再止産上の諸法則が現われた。既にみた様に、ここで

    も、二部門分割と三何値視点は、大きな役刊を果たしたのであ

    って、この役割を否定出来ないと考えられる。

    結局のところ、ロザの疑問点を解決して行けば、菩積白根

    木法川である一方的販売者左一方向購買者の対応関係が、金生

    障を含めた社会的総生皮物の二部門への分割、一二価値視点の中

    で、どの様な再生産上町一諸条件HH法則を生み出すか主いう問題

    の解答

    r帰話する

    n

    彼女は、問也の出発点から、一貫して、マルクスの解決を、

    単前出生産へ、更に単純商品手

    rrへと泣一五Lつつ批判を加えて

    来た。(このことは、一員返して云えば、マルグスのま川積論を、

    単純商品流通の次元と同一視して来たことを意味するのであっ

    て、彼女が、この理論酌晃一艇の土に、「非資本主義的有効需要」

    の導入を行った以上、彼女の過少消費説的側聞と、この単純商

    品流通的視角との問に刑判諭的な関係を追求することは興味のあ

    る問題であるが、ここでは検討間来ないrJ

    従って、彼女に対する批判を有効にする「めには、

    付剰余価値の貨幣形態での蓄積という事態から生じる一方

    ロlザ・ルクセンプルグり資本署管論と貨幣帯政の理論

    的販売者と、一方的購買者の対応関係は、拡大再生産計単純再

    生且快から医別する、特徴的な契機であるというこ王、

    付社会的総生産物の二部門への分割、二州値視点の確立が、

    Hの事情の中で、どの様な新しい実現上の話法則を生み山すか、

    合あきらかにしなければならない。

    ロ1ザの見山Lた凶lNWまでの疑問を検討する中で、この一一

    点は京一本的に明らかにしえたと考えたい。で」れらのまとめと

    2)

    して表式的叙述は前論出掲げた。)

    マルクスは、一方的販売と、一方的購買が、必然的に刻応せ

    ざるを得なくなる点に、商品対商品の恥態そ前提L十占典学一肌

    に対する批判とLての価値を認めたと思われ、この点の追求が、

    恐慌理論にとつでは重要だと考えられる。小論の一謀題は、この

    問題にとっての理論的な前提と

    Lて、表式上の諸問題を解決す

    ることにあった。従来のロザ批判の古凡である山田教門恨の

    「序論」は先にあげた二つの祝角から品一。時、彼女の批判に関

    して不充分古を免かれないk考えられる。

    ω経

    O頁、

    「貨幣新政と恐慌の可能性について」

    同判明。一目白川

    UH--旬。白hNkhZヨ伊良、h杉山沢一九一一九八頁、

    山田盛太郎、再生産週明削岩式分析芹前二四つ

    l四一頁。

    W

    4

    ルスナl、向上、一八九1一九心頁。問。

    ETM目EE円四・

    第八十四巻

    第五号

    四九

  • ローザ・ルクセンプhH

    グの資本諸積諭と貨幣帯蔵の理論

    同NS冶hr芸ahNap-EQS旦言。

    535』

    E喝さ目白馬出。

    LE

    号HR

    出匂np

    ココ2・出向凶EHFmF白山田

    lgu・佐野訊、経済学入

    門、二八一

    l八王頁審問。

    ω彼女は、資本制的貨幣諸政の形成過程を誤解したのでは

    あるが、決して、そり存在そOものを否定したものではな

    い。例えば、勺芯弘主

    Nhstas苫昏ω同ぬ官官

    F目

    EN苦言民な

    司司君

    4

    同日

    E

    長谷部凱上、二二九頁の叙述を参服。

    (

    ω筆者の刷出論文、第二章以下。

    川別表式考察では、流通速度一定と想定するのが妥当しこ思わ

    れる

    0

    マルクスは、帯積のために充用される貨幣について、

    「ここで前提される唯一のことは、国内にある貨幣分止だ

    けで(流通速度などは変りないものとして

    )(dEE且ω

    岡田島肴目白EE30円。邑mEOEロ官官官け)能動的流通む

    ためにも、準備蓄蔵貨幣りためにも充分だということ」

    巴日同晶宮町

    hH回目印凹・

    8町

    o

    MW

    部門ーでの貨幣者蔵(金生産による)については、山田、

    宇野(経曜日原論)両教授り僻訟があるが、ここでの検討は

    保朝したい。

    ωこの問題を「単純再生産から拡大再牛崖への移行にとも

    なう岡難」、として、最初に取り上げられたのは、南本牢二

    郎教授である。高木幸二郎、恐慌諭体系序説、二一三二

    一六頁参照。

    第人十四巻

    第五日号

    五。

    プて

    仙何マルクスはこれを、同部門間心転態から生ずる「暫時

    的」貨幣引帝政の阿闘として、取りあげ、信州関係との関係

    も論じている。口官同NMUH巳口・凹・目立⑦六八一二一氏に

    おける叩

    I聞の説明、

    MAび印日mc

    l九ひに

    おける一円部門白取引関係考察を参照。

    制この他、両部門同の転却聞から部門

    Eで暫時的に形成され

    る貨帯諮肢は、ーの個人的追加消費(資本家)と部門Eの

    追加不出久間木町要嵩との転態問題がある。筆者の前出論文

    凶前註と同一白箇所及び同計頁参照。

    間筆者の前出論文、四二

    1凹五頁参照。

    Eupロ

    E同右

    ELF回目印印色申l日DH・長谷部

    l六止一瓦、及び筆者の前山論文、第二章参

    照n

    川山富塚文太郎氏は、「拡大川生産量式論の困難」(経前、

    五九年四月号〕において、追加労働者自購買力問題を中心

    に、マルクスを批判しておられる。この小前は

    PIザを対

    象Lしたので、氏の所論の検討を行うことが出来なかった。