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Page 1: xdomainyutakayasui.html.xdomain.jp/shoin/ctocf.docx · Web viewマルクスの『資本論』でも「価値のつきもの信仰」が貫かれているわけですから。でもそれは

付録対談

古墳、

聖霊の

引き継

ぎ場所ー

古代史研究家、

故藤田友治氏との対談

1『

魏志

倭人伝より「持衰」

ついて

今日は、

私の三十年近い「

心の友

であ

る藤田友治さんの大阪泉南のお宅に伺っ

ています。

ここで我々の恩師舩山信一先生の著作集の編集委員会が、

午後持たれ

る予定です。

それで午前中に対談することになっ

ています。

(一九九八年頃

)

藤田さんは、

私と同じ立命館大学の哲学専攻の大学院の同窓生ですが、

高校教師をされて日本古代史に関心を持たれ、

九州王朝論

の古田武彦さんに出会われて、

実証的歴史学を徹底して追求されておられます。

そして

ついに「

高句麗好太王碑文

をめぐる李進熙の改竄説の誤りを拓本の比較を通して明白にされ、

論争に決着を

つけられました。

その後、

三種の神器

論や前方後円墳の側面拝礼説な鰹どで斬新な見解を提出され、

平成の蒲生君平

というべ

き活躍をされています。

特にここ数年

天皇陵を発掘せよ』

続天皇陵を発掘せよ』

古代天皇陵をめぐる』

など相次い

で三一書房から天皇陵の発掘を要求する「

天皇陵

研究シリー

ズを出されて、

天皇陵発掘運動に積極的に取り組

んでおられます。

その藤田さんに古墳時代の葬送儀礼を中心にお話を伺い、

イエスの聖餐復活

仮説を展開するに際して、

なにか示唆をいただ

けるかと思っ

て対談をお引き受け願っ

たわけです。

藤田

 

やすいさんの『

キリスト教とカニバリズム』

を大変興味深

く読みました。

その最初の読者として質問したり、

議論したりした

いと思います。

第二章の「

バイブルの中の異教

でフェ

ティシズムの話が出て

きます。

ド・ブロスのフェ

ティシズム論では、

人間があ

りふれたものからひとつ

神を選んで、

それに願をかけ、

願い

が叶えばどんどん貢ぎ物をするが、

叶わないと破壊したり、

池にぶ

ん投げたりするんでしたね。

それにぴっ

たりの話が『

魏志

倭人伝

に出ているんです。

読んでみましょう。

「〔

倭人たちは〕

海を渡っ

て中国に往来する時には、

常に一人の人物に頭髪を〔

整える

ための〕

櫛を使わせず、

虱もとらせず、

衣服は垢に汚れたままにさ

せ、

肉食させず、

婦人も近づけず、

あたかも〔

死者の〕

喪に服している

ようにさせる。

これを持衰

じさい、

忌みごもりをする人の意

1

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味)

といっ

ている。

もし航海がうま

くゆけば、

人々は〔

彼に〕

生口や財物を与える

しかしもし病人が出たり暴風雨の被害にあっ

た時

には、

持衰を殺そうとする。

そう

した凶事が起こるのは〕

持衰が禁忌

タブー

を守らなかっ

たからで

ある、

というのである。

航海がうまくいかないのは自分たちの責任なのに、

それを他の者に背負

わせるんです。

ここでは持衰ひとりの責任にして、

そして祓い清

めるという形です。

これは文献上では『

魏志

倭人伝が最も古いのですが、

おそらく身代わり信仰は縄文時代の土偶に遡れると思います。

自分の右手が痛いと土偶の右手に庇を

つけて、

自分の痛みを取り去ろうとしたのです。

身代わりにするために何かを神にするフェ

ティシズムが

バイブル』

にも『

魏志

倭人伝にも出てくるわけです。

やすい 

持衰の場合は人間が物神

フェ

ティシュ)になっ

ていますね

単に神として崇拝されただけではなく、

ド・プ

ロスの

言っ

た、

気に入らなくなっ

たら神を攻撃す

るという攻撃面まで捉えているので大変興味深いです。

イエスもフェ

ティシュ

みたいに崇拝され

た面があります。

ダはイエスを自分の

神に選

んだ。

そしてイエスが輝いている時は崇拝し

ていたけれど、

やがて霊力が衰えたように思え

る幻滅体験を味わい、

イエスの神性を否定するために敵に売っ

てしまっ

たのです。

2神社の鳥居について

藤田

 

物神信仰の次は「

つきもの信仰としての聖霊信仰

を取り上げましょう。

四三頁にこ

うあります。「

イエスは、

神の霊が鳩のように御自分の上に降っ

て来る

のをご覧になっ

た。

この神の霊を鳥が運ぶ、

あるいは神の霊が鳥になっ

て飛ぶというの

はとても印象が強いですね。

古事記

ではヤマトタケルの霊が白鳥に

なっ

て飛びました。

雲南省のアカ族の入口の門木彫りの鳥を飾る

それに神社の鳥居の起源もこの霊鳥神話に基づいています。

鳥居と

いうのは、

最初は木の上に鳥が止まっ

て居る様子を表していた

んです。

だから現在出ている出土例では、

鳥居自体が鳥を木で彫刻して木

に止まらせていたものだっ

たのです。

だか

ら鳥居は、

神霊の寄りつくところ‘

神の依り代です。

2

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やすい 

ホオー

神社の鳥居は元々そういう形だっ

たんですか。

藤田

 

日本の出土例でたくさん見っ

かっ

ていますよ。

やすい 

何世紀ぐらいに?

藤田

 

木ですから腐り易いんですが、

弥生時代にはもうはっ

きりと鳥が木に止

まっ

ている鳥居があっ

たんです。

やすい 

弥生時代にもう神社があっ

たのですか?

藤田

もちろん、

それは弥生時代だけ

じやなくて、

縄文時代には三内丸山遺跡のよ

うに、

大木が木柱として立てられ

ていて神域を作っ

ていました

その木は栗の木だっ

たと言われ

ています。

弥生時代のはっ

きりした例では、

大阪府の和泉市の弥生文化博物館の前の池上曽根遺跡で、

大きな木柱と神殿、

それから聖なる井戸が発掘されて

います。

和泉井上神社が最初だと言われていたけれど、

もっ

と早く弥生時代中期の二千年位前に大きな神殿を作っ

ていたことが考古学ではっ

きりしてきたんです。

そういう聖なる井戸の祭りをしている、

そして何故大きな木を立てる

か、

そのわけは神の依り代になるからだと考えられます。

の次に今度は聖なる山とか森から神霊を鳥が運んできたのを降ろしてくる神の居所

まいとしての鳥居の形に発展したとみることができるんじやな

いかと思うんです。

やすい 

そしたらそれは神の霊がどこからか飛んできて

その聖域に降り立つイメー

ジとして捉えていたわけですね。

じやあ逆に言えば、

鳥居の

方が神社の本体ということになりません

か?

藤田

三輪山のように神がおられる山を神奈備山と呼びます。

その場合は山それ自体が神の本体

だと考えられているのです。

その山の聖なるものを更に鳥が運

んできて平野の森に神域をつくると捉える場合もあります。

中国でも三本足の烏が太陽の中にいて、

その烏が太陽霊を運んでくるんです。

ですから烏は非常に重要な神と人間をつなぐ媒介者なのです。

だからヤマトタケルの説話ができた時には、

既にそうい

3

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う霊鳥説話があっ

たのです。

それで白鳥は非常に象徴的なものになっ

ていた

んです。

最近黒塚古墳で話題になっ

ている三角縁神獣鏡をよく見てみますとね、

そこ

に東王父

(とうおうふ)

とか西王母

(

せいおうぼ)

のデザインが描かれ

ているんです。

それをさらに凝視しますと彼らは神仙な存在ですか

ら、

羽が生えているんですよ。

だから彼ら自身も飛んでいます。

中国や朝鮮の北方鴨緑江付近の古墳に入っ

たことがあるのですが、

彼らはペガサス

天馬

のようなあるいは龍のようなものに乗っ

たりしてい

ます。

そういう東アジアの中の信仰圏では天王と呼ばれる生きた現人神が登場しま

す。

彼らは龍にのっ

たり鳥にのっ

たりします。

そういう信仰の

なかで英雄が神のようだと祭られるようになりました。

そこ

で非常に重要なある人物が死ぬと鳥になっ

たと言われたのです。

それでヤマトタケルも白鳥になっ

たのです。

聖書に戻ります

と、

神の霊が鳥のように」

でつきもの信仰のように聖霊が鳥

という非常に象徴的なものになっ

ています。

これはイエ

スだけじゃなくて、

東アジアもあるいは日本も日本の神社と

も共通している世界的な傾向なんです。

キリスト教のヨーロッ

パ信仰圏だけではなくて、

人類に普遍的な宗教あるいは信仰の形態からみる目

が大切だと思いますね。

3羽人信仰について

これはぼくもまだよくわからないんですが、

エン

ゼルにも羽があります。

ガンダー

ラで東西の文化が融合して、

ギリ

シア彫刻の影響で仏像が作られるようになりました。

その際に東アジアの羽人や天女のイメー

ジが逆に西欧の羽の生えたエンゼ

ル像の形成に影響を与えたのではないかという気がします、

これは全

くの仮説ですけどね。

あるいは将棋とチェスの関係のように共通の元型が

あっ

て、

中国では羽人や天女になり、

西欧ではエンゼルになっ

たとも考

えられます。

そういうわけで、

神の霊が鳩のように降りてきた」

とい

うイメー

ジから想像をふくらませて、

東西文化の共通のルー

ツを探りた

くなりました。

やすい 

ただユ

ダヤ教という伝統がありまして、

旧約聖書

にも天使

がたくさんでてくるわけです。

その天使たちに羽が生えてい

たように描かれていたのかを検討する必要がありますね。

藤田

 

それから出雲の荒神谷遺跡の発掘では銅鐸が有名になりましたが、

銅鐸の中に描かれて

いる絵に羽があるものがあるんですよ。

これは明らかに神人が描

かれています。

神の霊を祭る羽がついた人間です。

これなどは

シャーマンと見られていますが、

それだけではなくて

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鳥になっ

ているつまり霊がついている人ですね。

これは羽人が人間

を超えた者、

聖霊をもっ

た者であることを表そうとしているんで

す。

おしはぶる」

という言葉があります。

つまり「

はぶり

がいい」

という意味です、

そういっ

た表現が出雲の神話の中に出てくるの

ですけれど、

それは「

はばたく」

とか羽で非常に力強いんです

まさに超人、

神人です。

やすい 

昔の人は銅鐸に羽の

生えた者を描いているんですから、

シャー

マンなどはそういう衣装を着てたんですかね。

羽が生え

ているようにみえる。

藤田

 

そうそう、

そうなんです。

羽を付けたり、

あるいは鳥の仮面

を被っ

た人物がいるから、

そのように見たままを描いています

非常にリアルですからね。

最初から抽象はありませんよ。

最初は非常に具体的な

ものを描きますから。

羽人というのは神霊が宿っ

た時の状態です。

つき

ものになっ

た状態を表しているんです。

4聖霊に関するつきもの信仰

やすい 『

バイブル』

は唯一絶対の超越神信仰の書としてだけ見なされてきた

けれど、

実はいろんな宗教の段階が入っ

ている、

イエスの聖霊に対する

つきもの信仰もその一つなんです。

そういう視点で書いたわけで

す。つきもの信仰やその前提であるアニミズムに立っ

たイエスの表現

を、

レべルの低い信者に合わせてレべルを下げて語っ

ているよう

に解釈する人がいるようですが、

イエスは聖霊のつきもの信仰で一貫し

ています。

藤田

 

それはいい視点だと思いますね。

だからその視点は、

後世のキリ

スト教神学から枠に嵌められていた『

バイブル』

の内容を、

元あっ

ものへ

返していく視点です。

そして『

バイブル』

は世界宗教という「

高い」

段階に立っ

て、

低い」

段階

の宗教を排斥している立場で多分書かれているんだと、

普通、

人はそのように聖書

を理解していますね。

それに対して本書は、

イエスも、

人間の信仰なり宗教

なり文化なりの発展史を自分の中に多少ゆがめられた形にしろ、

保存していたの

だと指摘しています。

そしてキリスト教神学という枠を一度取り去っ

て、

その上で 『

バイブ

ル』

を読み直してみるという作業をされたわけです。

ぼくが多分最初の読者なんだろうけれど、

読んでみて、

そういう視点 5

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でいくとアジアと日本の古代なりの信仰を考える場合にも、

一つの大切な視点にな

り得るんじやないかと思います。

また逆にキリスト教をアジ

アや日本古代の宗教意識と対照させることで、

後のキリスト教神学によっ

て一面化された

イエス像を克服できると感じられました。

やすい 

このイエスの「

聖霊に関するつきもの信仰

は、

とて

も陥りやすい信仰です。

マルクスの『

資本論

でも「

価値のつきもの信

が貫かれているわけですから。

でもそれは 『

人間観の転換

ルクス物神性論批判

ー』

(青弓社刊

のテー

マでしたから、

今日は触れないでお

きましよう。

5血が命であること

の意味

藤田

 

それではいよいよ一番きわどい

部分に触れ

ていきますが、

最も忌避すべきタブー

して「

血は命であり、

命を肉と共に食べてはならない」という問題で

す。そこでは聖霊が血でもある。

その血や肉を何故食べようとするのか

というカニバリズムの問題を取り上げています。

ここを読んで

いまして「

酒鬼薔薇聖斗

(

さかきばらせいと)」

の九八年

文芸春秋

三月号の調書のことを考え

ていました。

酒鬼薔薇が汚れなき純くんの血を飲むことで自分の汚れた血を浄化するというよ

うなね、

そこは多少いいわけで言われていた表現であっ

たとし

ても、

その中に持っ

ている「

血が聖なるものだ」

という意識は、

非常

に原初的な意識で、

そこから祭儀的な食人、

飲血が生じます。

だから人間が最初にまず越え

なきやいけないタブー

だっ

たんだけれど、

非常に驚くべき意識

ですよね。

やすい 

コスモス(

宇宙

全体を生きた全体、

一つの生命として捉えるとし

ますね、

それを構成している根源的物質

アルケー

は何かが問われま

す。

その中で最も有力なのは空気がアルケー

だという説です。

ギリ

シアだけでなく、

中国でも気が物質一般を意味しているんです。

つまり空気が命の実体なんです。

そうしますと空気が体内に出たり、

入っ

たりするのが、

生きていることで、

生命活動なんです。

この空気が体内

を巡りますと、

命は血という形態をとる事になります。

とします

と、

血を飲んじゃいますと命が混じっ

てしまうんです。

そう

すると最後の審判の日に、

神が復活させようとしても、

復活させられなく

なっ

てしまうと 『

バイブル』

には書いてあるんです。

それで「

エホバの証人

の信者たちは、

輸血は絶対に拒否しなければなら

ないと考えるわけです。

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になりそうなのを言いますと、

名前をもらうことでより強く

なる、

威力が引き継がれるという話があります。

ヤマトタケル

のクマソタケル征伐の話です。

西の方にクマソタケルが二人いる。

彼らは朝廷に服従しない無礼者だという

ことにして、

小碓命が遣わされた。

ところが熊襲の勢力が非常に強いという

ことで、

今度はくしけずっ

て髪を垂らし女性に化けるという、

リッ

クを使っ

ています。

クマソたちはすごい

美少女だということで酒席に侍らせたので

す。

勇猛なクマソタケルはクマソのリー

ダー

ですから、

とても強い。

ところがいきなり小碓命に尻に刀を差し込まれてやられ

てしまっ

た。

それでクマソタケルは、

その刀を動かさ

ないで下さい。

死ぬ前に私は申し上げたい事がある」

と訴えたのです

それで「

私ほど勇敢な者はいなかっ

たのに、

あなたは私より勇敢

だっ

た、

だから私の名前を差し上げます。

これからあなたはヤ

マトタケルと名乗りなさい」

と言っ

たんです。

言葉とか名前に聖なる

ものが宿っ

ていると考えているんです。

被征服者の方が征服者に名前を献上したよ

うな言い

方です。

本当は、

刺されててこんなこという筈はないのですがね。

だから言霊、

言葉の霊力が相手の方が強い、

タケル」

というのは猛々しいと

いう意味です。

小碓

より強そうですね。

弱い

方が女に化けるという策略

で強い

方を倒したんです。

そこで名前を譲られたということで、

クマソタケルのそ

の地方に対する支配権やクマソタケルの強さも引き継いだんだとヤマト

タケルは主張しているわけです。

この言葉に霊力がつきもののように宿っ

ているとすることで

クマソ夕ケルはヤマトタケルに霊力としてはとりついて生き続

けていることになります。

これも一種の復活、

蘇生ですね。

やすい 

なるほど言語フェ

ティシズムである言霊信仰とつきもの

としての聖霊信仰が融合して、

その上で死者と名前を取り替えると、

聖霊の復活信仰になりま

すね。

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