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第三章 一般者の自覚的体系

1、 ユニバーサルなもの

 一般者というのは、一般的なもの、普遍的なものユニバーサルなものという意味です。普遍妥当的なものも一般者といえるでしょうね。西田哲学でいう一般者はすべてを包括している大いなる生命に近いものかもしれません。それをノエマ的に実体化すれば神と呼んでもいいでしょうが、かといってそれは超越的なヘブライズム(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の神ではなくて、具体的な自然的事物として現れる原理のようなものです。

 普遍妥当的な原理や価値が十九世紀後半から二十世紀には崩壊したと言われていました。それに取って代わったのがマルクス主義の階級的価値や階級的利害であり、実存主義の本質抜きの主体的真理、主体的決断です。プラグマティズムも実利的な発想ですから、問題解決に役立てばよいのであって、その実利や問題が普遍的な価値を持つかどうかは問われなかったのです。

その意味ではユニバーサルなものに固執して、一般者の自覚的体系として自己の哲学を展開しようとした西田幾多郎は、欧米思想に惹かれていた連中からは、アナクロニズムと思われていたかもしれませんね。

冷戦終焉後、西田哲学が再評価されつつあり、二十一世紀に入ってからは難解すぎて敬遠される向きはあるものの、かなり高い評価を取り戻しつつあるわけです。それは普遍妥当的価値というものが、実は決して崩壊したわけではなく、近現代においても発展してきたということが再認識されたからかもしれません。

元々、欧米思想においても人権やデモクラシーの価値観、ヒューマニズムは死んでいたわけではなく、マルクス主義や実存主義、プラグマティズムの中でも、人権や民主主義の発展を目指す流れはあったわけです。そして政治的にみましても、民族独立、人権や民主主義を求め、恒久平和を求める運動は広がっていました。

国際連盟や不戦条約などは普遍妥当的価値として平和が認められていたことの現れですね。第二次世界大戦ではファシズムや軍国主義の体制が崩壊し、国際連合のもとで世界人権宣言が打ち出され、国際人権規約も作られました。

確かに東西のイデオロギー対決は深刻で、第三次世界大戦の危機があったのですが、やはり人類のサバイバルという普遍的価値が優先された結果、冷戦が終焉しました。その際、ソ連のゴルバチョフは「人類的価値の優先」を唱え、共産党による恐怖独裁体制を終焉させていったわけです。

さまざまな宗教や文化の相違からくる多様な価値観と複雑な利害の対立がありますから、真理は人ぞれぞれという価値相対主義が説得力をもっているのは否めませんが、人権や平和、地球環境の保全など普遍妥当的価値を尊重し、世界の平和的な融合を深めていこうとするグローバル化の趨勢は、後戻りできません。その意味では西田哲学が「一般者の自覚的体系」を目指していたということは高く評価されてしかるべきでしょう。

経済的なグローバル化は決していい話ばかりではなく、各国の国民経済間の格差拡大が深刻化したり、各国の国内経済においてもグローバルな基準に合わせざるを得ないので、貧富の格差が激しくなったり、いろんな矛盾が深刻化したりしていますね。

そういう意味では、グローバルな経済機構の調整機能を高度化していかなければなりません。経済のグローバル化に照応した、国際通貨の統合や、矛盾のしわ寄せを受けている地域や、階層に対して富が再配分されるようなシステムを構築していくべきでしょう。そのためにも、グローバル化は前に進めざるを得ないわけです。

ビジネスにとっても、グローバル化は避けられないわけで、国内経済だけで捉えていては、とてもビジネスが壁にぶつかったときには対処できないことが多いですね。仕入れにしても販路にしても、常に世界を視野におき、世界を相手にビジネスをせざるを得ないわけです。ユニバーサルな事業展開を考えるということですね。

西田幾多郎は一九四五年六月七日に亡くなっています。敗戦直前ですね。戦前の日本は帝国主義的で無謀な戦争で自滅したわけですが、西田たちが考えていたのは、強権的にアジアを支配するのではなく、大東亜の共同体をつくり、平和的な世界経済秩序を作ろうということです。結局そういう発想も軍部主導の侵略戦争に利用されてしまったわけですが、西田幾多郎や三木清たちの東亜共同体や新世界秩序の発想にはユニバーサルなものがあったわけで、甘かったところは厳しく批判すべきですが、全否定すべきではありません。

尖閣諸島の領有権を巡って、戦争にもなりかねないような緊張が続いていますが、それは主権の絶対性という近代の発想にしがみついているからで、無人島の取り合いに人命を犠牲にすべきではありません。あくまで東アジア共同体と繁栄という観点から、尖閣諸島をどう共同利用していくかの話し合いを先行させていくなかで、日中協力体制を深めていけば、領有権そのものは棚上げにできる筈です。

そして石油精製技術の近代化や公害対策の面で日本の先進的な経験を活かせるように、東アジア全体の環境問題の協力体制づくりで、国際会議や協力機構をつくる働きかけなどをどんどんしていけば、日中友好ムードも盛り上がるのではないでしょうか?今や日中は深く経済的には融合しているので、今さら過去の歴史問題で神経を逆撫でするようなことは控えるべきです。

もちろんユニバーサルなもの、一般者というのは普遍性ということですから、グローバルだけではありません。西田の場合は、純粋経験論を踏まえていますから、物事をあるがままにとらえて、それと一つになるということでもあります。

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『働くものから見るものへ』という視点の転換があり、「絶対無の場所」から見るということが一般者の自覚ということなのです。

つまり、知るということは、主語にあたるものを述語づけるということですね。その際に、どんな述語で規定するかは、認識する主観の立場で左右されるわけです。利害や欲望やイデオロギーで主観が制約されていますと、どうしてもゆがんだ述語で規定してしまうことになります。

 それで西田は、物に対して物として作用する限りは、作用し合うので変わってしまい、認識にならない、認識するには認識する側は、変わらないものでなければならない、つまり意識を包摂する場所としては、無でなければならないということです。

 西田は、この場所を表現するのに「超越的述語面」という言葉をつかっています。個物を認識する場合に、いくらでも述語づけることができますね、いろんな性質があり、いろんな動きや働きをしますし、どんな変化をするか掴みきれません。そこで西田は、真の個物は主語とはなっても述語に成り得ないと言います。

抽象的な概念ですと、帽子なら帽子で禿隠しとか、見栄えを良くしたり、帽子でかぶっている人の職業や立場を示したりします。そういうように概念の説明は限りがありますが、「この帽子」という個物になりますと、いくらでも述語付けができてしまうということです。ですから個物を認識する意識の場は、あらゆる述語を超えた超越的な述語面だというのです。

これは主語の個物とは逆に述語に成っても主語に成り得ない、最も広い概念、存在そのものですね。つまり認識は確かに、特定の述語をもってきて認識するのですが、原理的にはそれは特定の述語を超えた最も包括的な一般者の場において包摂されるのだということです。

 この認識についての捉え方はビジネスには肝要ですね。ビジネスでは個物や人材について、安易に決めつけて限界づけてはいけません、個物は主語になって述語に成らないものとして、無限の可能性を想定しておかなければなりません。

用途にしてもあらかじめ限定してしまってはいけません。錫は曲がりやすいので、どのように合金して堅くするかばかり考えるのではなくて、曲がりやすいという性質を利用した用途を考えることでビジネスの幅がうんと広がるわけです。

ゼロエミッションという考え方がありますね、生産工程からでてくる物をこれまでは、廃棄物として処理の対象としてしかとらえなかったけれど、資源として使い道を考えだすことで、廃棄物をゼロにしてそこから利益を出したり、環境改善を達成したりできるわけです。

ましてや人材は教育や訓練で可塑性が大きいわけですから、使い捨てにするのではなく、無限の可能性が引き出せる宝物として大切に扱うべきです。賃金コストを切り下げようと、臨時雇用を主とするような不安定雇用ではとても企業の発展は望めません。

戦後日本の高度経済成長が長期安定雇用に支えられていたことは誰もが認めるでしょう。そこで人材を大切に扱い、才能を引き出し、大切に育てたので、大いに生産性も向上したのです。また企業に対する比類なき忠誠心を示して、懸命に働いたわけですね。「24時間働けますか」の企業戦士は行き過ぎですが、全く労働意欲や向上心に欠けるようでは、グローバルな大競争時代を勝ち抜けるはずはありません。

特にこれからは世界中から若くて優秀な人材を求めなければなりません。そのためにも長期安定雇用のもとでじっくり人材を育てるような体制を企業がとる必要があります。

途上国から人材を集める場合でも、低賃金で臨時雇用で使い捨てしようとするのでは駄目ですね。それではジャパニーズ・ドリームになりません。日本で働き教育を受ければ、素晴らしい能力が身に付き、大きな仕事ができるようになると希望が持てるようにしなくてはなりません。そうできて初めて日本は、サンライズアゲインとなるのです。

「超越的述語面」という発想も、その裏返しで大切ですね。つまりすべての固定観念や自己の利害や立場などに制約されずに、虚心坦懐に物事を受け止めるということです。これは個人でも企業でも言えることですが、なかなかできないことですね。

リストラが激しい時期に人事担当になった人は、泣く泣く長年企業に尽くしてきた同僚をリタイアさせなければならず、ついには自分の首切りまでしなければならなくなったわけです。それが企業の再生には、不可欠ということならそうせざるを得ないということです。

もちろんその前にやれたことがあったはずで、それをやれずに来たからそのように追いつめられたわけです。とはいえ、グローバル化で中国などから価格破壊商品が津波のように押し寄せてくれば、なかなかデフレスパイラルは止められません。

でもだからグローバル化を政治的に阻止しようとしても、かえって日本経済はじり貧になります。戦前のようにブロック経済を形成しようと軍事的なパフォーマンスをするという道はありませんし、戦前もそれは破滅の道だったわけです。

ですから、様々な試練や受難を受けながら、個人も企業もそこから学び取り、変化し、成長しなければなりません。まさしくもがき苦しみながら、地獄を見ながら、その中でじたばたするのではなく、腹が据わって、冷静に物事を囚われのない目で見、対処できる器量を身に着けていくしかないわけですね。

西田はヨブの苦しみの中で、絶対無の自覚に到達したわけですが、日本のビジネスマンや企業もとことん苦しみながら、そこから超越的述語面で受け止め、柔軟にさまざまな述語を編み出して、知的創造ができるようになるのかもしれません。

ともかく日本企業もビジネスマンも豊かに成り過ぎて、怠惰に馴染んでしまったかもしれません。その間に韓国も中国も激しい闘志で、迫ってきたわけです。韓国は南北対立という緊張を抱えていましたし、中国大躍進政策の失敗による大飢饉や文革の嵐を体験して地獄を見たわけですね、それで腹が据わって、がむしゃらに働き、利益を追求しようとして成長してきたわけです。

だから日本の落ち込みもそれなりの必然性があり、愚痴をこぼしていても仕方ないことで、むしろ韓国や中国の頑張りをほめたたえ、そこから学ぶ姿勢を持つべきでしょう、そうすれば、日本人も自覚を取り戻して頑張り、東アジアの共存共栄の道も開けてくるはずです。

2、 一般者の自覚

 判断的一般者、自覚的一般者、叡智的一般者、行為的一般者、表現的一般者など一般者の諸相を西田は『一般者の自覚体系』で展開していますか、その論理的連関についての深入りは避けて、『一般者の自覚的体系』の「総説」451〜453頁を読んでいきます。

「絶対無の自覚。見るものも見られるものもなく色即是空空即是色の宗教的体験。」

絶対無の場所に立ちますと、そこでは生生しい意識経験があるだけですので、見るものと見られるものの区別はなくなります。ですから、色すなわち物質は実体がない空であり、空こそが物質であるということになります。

これはビジネスでとらえますと、夢中で我を忘れて働くということも入りますが、作られた品物や、提供するサービスを自己自身として捉えるということでもあります。もちろん品物やサービスを自己自身として捉えられるのは、精魂込めて作ったりサービスをしているからです。労務管理という視点に立ちますと、従業員がどうすれば夢中になって働けるか、製品やサービスを自己自身と捉えられるような環境を整備できるかということでもあります。

「内的生命。絶対無の自覚が自己自身を限定するに当つて、そのノエマ面として、すべて有るものを限定する最後の一般者の場所といふものが成立すると共に、そのノエシス的方向に、無限なる生命の流といふものが見られるのである。」

「絶対無」の自覚というのは、意識の包容面である場所が有や対立的な無ではなく、絶対無だということの自覚でしたね。それが自己自身を限定するということは、自己自身を規定するということでしょう、それを先ずノエマ的に対象的な事物のように規定しますと、「最後の一般者の場所」というものが成立するというのです。「最後の一般者」というのは最も抽象的な概念ですから、「存在」一般ということであり、「超越的述語面」というのと同じです。

次にノエシス的に作用として規定しますと、それは無限なる生命の流れだということです。ですから絶対無を自覚するということは、自己の中にあらゆる存在が包容されていて、無限の生命の流れが働いていることを感じるということなのです。

 そんな、我々の意識は頭の中にあるので、すべての存在を包容するほど広くないし、私の命はほんの刹那で消えてしまうと疑問になるかもしれませんね。空間も時間も人間の意識ですが、意識自体には空間や時間の属性はないということでしょうか、有や対立的無ではなく、絶対無というのは、意識の包容面である場所自体の性格を表しているわけですから。

確かに個人の意識は、個人の肉体である脳髄の機能によって、意識されますので、その肉体が滅びれば、そこでは意識が生じなくなるわけですが、それは意識がすべての存在を包容し、無限の生命の表れであることを否定できるものではないということです。

 このことは真の個物は主語となって述語とならないとしているのと対応しているかもしれませんね。真の個物は、無限に豊かな内容を持っていて規定しきれないということですから、西田はひょっとすると、個物の中に全存在を見ていたのかもしれません。

細胞の中には全身の遺伝情報がありますが、それと個物の中に全宇宙が何らかの意味で含まれているというのは似ていますね、これは仏教では曼荼羅がそういう構造なので曼荼羅的世界観と呼びます。 個の中に全体を見るというのは、一見荒唐無稽で、詭弁的に受け止められるかもしれませんが、宗教や哲学においては、個と全体の断絶は放置できないのです。 どのように断絶を認めながらも統一を図るかが最大の課題なのです。

□そう捉えますと、西田は人格的個人に大変深い思い入れがあったかもしれませんね。人格的個人は、真の個物であり、絶対無の場所が成立するわけですから、そこに全存在と全歴史を包容させて捉えていたともいえるわけで、あるいは人間の神化という批判されるかもしれませんが、人格主義的なヒューマニズム の極点に立っていたとも評価できます。白樺派にも通じるところがあったかもしれませんね。

西田は、マルクス主義に染まった学生たちとマルクスについて熱く語って、その実践的性格については、深い共鳴を覚えていますが、個人を唯物論的に捉えているところに憂慮を感じていました。つまり人格の尊厳が守られないのではないかという危惧です。二十世紀の共産主義運動は、この西田の危惧がそのまま当たっていたので挫折したわけです。

個の中に全体を見るというのは、一見荒唐無稽で、詭弁的に受け止められるかもしれませんが、宗教や哲学においては、個と全体の断絶は放置できないのです。どのように断絶を認めながらも統一を図るかが最大の課題なのです。

ビジネスにおいて最後の一般者の場所、つまりどんな述語でも入れられるような超越的述語面まで、意識の包容力を広げるというのはどういうことでしょう。順調にビジネスが伸びている場合に、今までのやり方を性急に変える必要はありませんが、ビジネスに浮き沈みがあります。日本の家電業界は世界をリードしてきましたが、今やソニーやパナソニックも抜本的な経営改革の必要に迫られています。シャープなどは倒産か身売りの危機ですね。

日本経済は今や全般的な点検が必要で、場合によってはリストラではすまず、リ・エンジニアリングまでする必要があります。リストラというのは、採算の取れる部門に事業を絞って、不採算部門を売却してしまうという経営改革です。リ・エンジニアリングは、抜本的に何の事業をするのかをはっきりさせて、一からそれに必要な事業組織に組み替えてしまうという改革です。これには絶対無の自覚がなければ取り組めません。

私は学校教育というのが、そういうリ・エンジニアリングの時期に来ていると思います。「病院に通うと病気になり、学校に通うと馬鹿になる」というイリイチの言葉が、極端な表現ではなく、適切な警句になっています。

学校制度は機械制大工業の時代に合わせて、工業化や大衆社会に適応できる基礎知識をもった労働者を大量に生み出すために、作り上げられた工場式の教育システムです。同年齢に同じ教材で教育して、中卒、高卒、大卒に振り分け、それぞれにふさわしい職種につけたわけです。

ところが今や少子高齢化もあって、高学歴志向が高まり、誰もが大学に進学しますが、別に勉強する気もない学生が多いわけです。経済学部の学生が四則計算や方程式がまともにできないし、アダム・スミスも知らないこともあるわけですね。

学生証で出欠をとる電子システムを採用しますと、チェックだけして、ベルが鳴ったらぞろぞろ退席していくわけです。こんな状態を続けていたら、日本経済は人材の劣化でどんどん衰退していきます。

日本の高度成長期の学力は世界でも断トツトップだったわけですが、今はどうでしょう。中国の大学では教員は、学生が勉強しすぎて体を壊すことが一番心配だそうですが、日本の教員でそんな心配をする人はいません。どうすれば勉強する気にさせられるかで悩んでいるわけです。

私は、大学生に相応しい学問を教えられない大学は、大学とは呼べないと思います。もうそういうことにこだわっていてはだめで、小・中・高・大の垣根を取っ払い、単元単位制を導入すべきだと思います。

つまり単元ごとのクラスを編成し、その内容がしっかり理解できれば次の単元のクラスに入るようにするのです。そうすれば、同年齢で同じ内容ということはなくなり、あくまで単元中心ですから、同じ単元には同じテストを実施すれば、学校格差もなくなり、受験偏重教育もなくなります。必要な単元をとれば、それにふさわしい職種の受験資格が得られるようにするのです。そうすれば外国からの留学生も入りやすくなります。

同年齢だから同じ理解力があるわけでは全くないので、もう学齢という考えは捨てるべきです。必要な知識はどんどん更新されていますので、勉強に卒業はなく、働きながら勉強もできるように就業時間も制限して、一生、学生でありかつ勤労者であるようにすべきです。そうすれば日本の学力水準だけでなく労働力の質もあがり、失業率も下がります。

西田哲学を研究している哲学者は、絶対無の自覚に立って、何か現在の日本の危機に対して、抜本的な改革の提言をしているでしょうか、西田は、方向は正しかったかどうか大いに問題ですが、日本の危機を背負って哲学をしていたと思います。現在の教育危機に対しては相当抜本的な改革をしなければ、日本の落ち込みは食い止められないと思います。

「何故に絶対無が自己自身を限定するのかと問はれるかも知れない。併し絶対無といふは単に何物もないといふことではない、ノエシス的限定の極致を云ふのである、心の本体を意味するのである。

それは絶対に無なると共に絶対に有なるものである、我々の知識の限界を越えたものである。かかる問其者もそこから起こるのである。」

西田哲学は、「絶対無の哲学」とか「無の論理」として受け止められ、どうして「無」なのに作用するのかと表層的に批判されたのです。しかし、西田は意識経験が無すなわち存在していないというのではありません、意識が現れるためには、それを無限に包容する意識の包容面は、一切の有や対立的無と区別された絶対無としてなにものにもとらわれないという意味なのです。

「ノエシス的限定の極致」というのは、意識の作用面として意識を統合する働きが全く制約されず曇りがないということです、「心の本体」というのは意識が現れ出る場所ということで、それが絶対無だからいくらでも意識があふれ出てくるということです。つまり予め意識が生じる場所に制約があれば、生じる意識は歪んだり汚れたり、くすんでしまいます。またすぐに枯渇してしまいます。絶対無ならこんこんとわき出て尽きることがないということでしょう。

私は倫理学や哲学を大学生に教えているわけですが、なかなか抽象的な学問的な話では、じっくり聞いて考えようとする根気のある学生は少なくなってきています。とくに百人以上のクラスになると騒がしくなります。

そこで堅い話ばかりするのではなく、ファンタジーにくるんで楽しくして、その中で倫理学や哲学についても考えてもらうようにしようということで、教材革命に取り組んでいます。

『長編哲学ファンタジー 鉄腕アトムは人間か?』や『長編哲学ファンタジー ヤマトタケルの大冒険』を創作して、教材にしています。このアイデアは一応当たりまして、中身は実は哲学的かつ倫理学的で難しいわけですが、ファンタジーにくるんでいるので少しは楽しめると受講者は多いわけです。

 私の場合、高齢でしかも万年非常勤講師ですから、いつお払い箱になるかもしれない、少しでもアイデアを出して、インパクトのある内容にしなくてはと、緊張しているわけですね、もちろんこの『ビジネスマンのための西田哲学入門』も既成の哲学講義の枠に挑戦する試みの一つです。常に心をまっさらにして、ビジネスに創意工夫をしようということで、それには西田哲学がぴったりだということです。

「広義に於ける行為的一般者或は広義に於ける表現的一般者

絶対無の自覚のノエマ面的限定によつて成立する最も根本的なる一般者がかかる一般者と考へられるのである。そのノエシス的限定の方向に行為的自己といふものが見られ、そのノエマ的限定の方向に表現といふものが見られる。併し行為的自己といふのは、無にして見る自己のノエシス的限定の意義を有するを以て、何処までもノエマ的にその内容を限定すると云ふことができない。故に広義の行為的一般者はノエマ面に即したものと、ノエシス面に即したものとの二つに分れるのである。」

この絶対無の場所で現れる意識は、絶対無の自覚によって、なにものにもとらわれずにピュアに意識を統一し、大いなる生命の意志によって積極的に意識しているので、その意識は行為的一般者であり、あるいは、その意志をノエマ的に事物として表現しようとする表現的一般者だということです。

 その働きの面を見ますと、行為的自己が見られるというのは、意志によって意識統一してポリシーをもって行為している行為的な自己がその行為的一般者の意識から見出されるということです。

つまり西田はあくまで意識経験を実在として捉え、その反省としてその意識経験をしている自己を見出すわけです。

 「そのノエマ的限定の方向に表現が見られる」というのは、行為的一般者、表現的一般者は、意志で意識を統一するわけですが、統一するということは、対象的な事物や行為として統一するわけですから、対象的な事物や行為を構成する表現がノエマ的限定だということです。

 行為的一般者が事物として自己を表現するというのは、別に物を製作するという意味だけではなく、森羅万象が意識に現れるということもふくまれます。それなら表現ではなく、認識ではないかと思われるでしょうが、森羅万象の現れ方は意志の在り方によって規定されていて、それによって知識の体系が構成され、それに則って意識されるので、森羅万象は意志の自己表現でもあると言えるのです。

つまり猫に小判というように、猫には小判は存在しません。猫の関心に合う事物しか猫には存在しないわけです。ですからたとえ自然的事物であっても、それが人間生活に何らかの意味や役割を持っているので、その事物として構成されて認識されるのです。 

自然的事物については理科的な知識が必要なので、地質学的な用語や生物学的な用語で事物が構成されるわけですね。それらも人間的自然を構成する不可欠な要素になっているので表現といっていいわけです。もちろん表現的一般者はいろんな意味で使えますので次節で検討しましよう。

パソコンなどの登場で、書籍やノートや事務書類も電子化されつつあります。そうしますと、紙の節約になりますね。紙はパルプが原料で木材の伐採が森林減少につながっていたわけですが、そういう意味では紙の需要減少は環境改善につながるかもしれません。

画像 紙製の家具

ただこれも行きすぎますと、紙製造という産業にとって死活問題になります。そこで紙も単なる自然的事物のように見なすのでなく、表現として、あるいは表現の素材として抜本的に見直されることになってきます。つまり文字を書いたり印刷したりする紙から、服飾素材や建物の建材、車の車体の素材機械や道具の素材まで様々な用途が開発されてきています。そうなってきますと、今までの紙という概念まで怪しくなってきますね。

  3、行為的自己の自己限定

「狭義に於ける行為的一般者即ち叡知的一般者。

行為的自己が自己自身の内容をノエマ的に見るといふ意味に於て、行為的一般者のノエシス的限定面と考へられるものが、叡知的一般者といふものである。歴史的自己といふのはかかる一般者に於てあるもののノエシス的方向に超越したものと考へることができるであらう。それは既に広義の一般者に於てあるものの意味をも有つたものである。

表現的一般者。

行為的自己のノエマ面的意義を有しながら、而もそのノエシス的方向に行為的自己の限定の見られないものまでも総括して、表現的一般者と考へることができるであらう。

その中に於て判断的一般者と自覚的一般者とを区別することができる。表現的一般者に於ては叡智的自己といふ如き客観的自己は見られないとしても、行為的自己のノエマ的限定として抽象的自己の限定即ち主観的自己と考へられるものが、表現に即して見ることができる。

この故に表現的一般者に於てノエマ面とノエシス面とが対立し、

前者が判断的一般者と考へられるものであり、後者が自覚的一般者と考へられるものである。

而して表現的一般者の限定といふも、固、行為的自己の自己限定の意義を有するを以て、単なる判断的一般者の限定と考へられるものの底にも深い生命の流れが潜んで居ると考へ得るのである。」452‐453頁

 更めて確認しておきますが、西田はラジカル・エンピリシズムつまり根源的経験論ですから、徹底的に経験の立場に立っているわけです。ということは自己といっても、経験自体が、意志的に一貫性を追求しているということを意味します。

身体的個人を想定して、その人に宿る人格が、経験以前に実体として存在していて、それによって経験の内容を限定しようというように解釈しないで下さい。

 「行為的自己」が自己自身の内容をノエマ的に見るというのは、行為の内容をさまざまな事物によって見るということで、日々の生活の中で、あるいは仕事の中で、対人関係や自然的・社会的諸事物を通して、自分自身を見出すことでしょう。

現在ではパソコンや携帯電話が大きなウエイトを占めていますが、衣食住や仕事で扱う機材や交通手段とかがあり、それらに自分なりの関係をとりつつ、自己の世界を意志的に統合しています。その際に我々はパソコンとは何で何をするものかというイデアに照らして判断します。それが叡智的一般者だということです。

就職して社会に出ますと、自己を限定するというのがなかなかその仕方が分からなくて、精神のバランスが崩れがちになります。でもビジネスには対人的、対組織的にあるいは対機材やさまざまな物に対してどのように関わり、そこに自己を見出し、表現すべきかは、研修期間も必要ですが、実地の体験を通して冷たい反応、温かい反応やさまざまな助言なども受けながら次第に身について暗黙知になっていきます。

そうなりますと、いちいち反省しなくても直覚的にイデアに照らした状況判断ができて対応できるようになります。つまり叡智的一般者としてふるまうわけです。

歴史的自己というのは、その置かれている社会や時代の状況によって叡智的な自己がいかようにも対応できなければならないということで、それがどういうノエシス的な意識統一でもできるように超越的述語面にいるということかもしれません。

 歴史的状況というのは今の時代をよく知っていたら、うまく対処できるように思われ、安易に新しいトレンドを乗り遅れないようにすれば大丈夫みたいに思われますが、実際は乗せられてぼったくられることもあり、時代の流れを正しくつかんで対処するのは難しいものがあります。

 一九八〇年代の後半バブル経済で、株を買わされ、その資産を担保に巨額の銀行からの融資を受け、それを又投資に振り向けました。その結果、バブルがはじけた後家族経営の小企業でも数億円の負債を抱えたのです。

画像 サラエボ事件

二〇世紀前半はナショナリズムが活発で、小さな民族的対立がどんどんエスカレートして、戦争が煽られ大きな惨害を惹き起こしたのです。現在でも日中間で無人島の帰属をめぐって戦争にもなりかねない対立が起こっていますが、そんなことで人命を犠牲にしてはいけませんね。

もちろんバブルに載せられたり、戦争熱に浮かされるというのも、その反対に、戦争に命がけで反対したり、バブル期でも堅実な経営を続けたりするのも歴史的自己ですが、西田がいいたいのは、何が起こるか分からない歴史の中で、何が起こっても己を保って対応できるようにしておくということではないでしょうか。

ですから行為的自己は、表現的一般者として、自己をノエマ的にさまざまな事物や事象の中に見出していきます。どんな家に住み、どんなものを食べ、どんな服を着こなすのか、そのことで、自分が世の中においてどんな位置を占め、何を為そうとするのか、ある程度身構えていると言えるかもしれません。

 逆に言えば、都心の高層マンションの最上階は、それを買って、生活する人をビジネスの最前線にいて、それを引っ張っていくという意志に限定している表現的一般者だと言えるかもしれません。

一般者は述語だから、意識であって事物ではないのではないかと疑問に思われ方はいませんか?たしかに主語にくる事物を意識が述語づけるのですが、それは有の場所で、事物の集合として世界を説明している意識でしたね。超越的述語面では、高層マンションの最上階は、トップマネージャーが陣取って、全国や全世界に指令している現場なのかもしれません。つまり、一般者というのは、絶対無の場所では、事物と意識の区別は止揚されているわけです。

行為的自己が意識する事物は、すべて行為的自己が己を構成するノエマ的な表現的一般者の意義をもっていますが、行為的自己がノエシス的に行為との関わりでいちいち自己を限定するものは、その行為の連関によって限られています。別にベジタリヤンでも意欲的にビジネスをできるわけで、肉中心か野菜中心かが行為的自己のノエシス的自己限定に関わるわけではありません。

「表現的一般者に於ては叡智的自己といふ如き客観的自己は見られないとしても、行為的自己のノエマ的限定として抽象的自己の限定即ち主観的自己と考へられるものが、表現に即して見ることができる。」

この箇所は難解ですね。表現的一般者は行為的自己ですから、それを実体的にとらえれば、行為する主体としての主観的自己が存在します。安藤忠雄の建築は、コンクリートの打ち放しに特色があるので、それらの建物から安藤忠雄という主観的自己が見られます。叡智的自己という客観的自己は見られないというのは、客観的な事物の中にイデアを認識するのではなく、主観のイデアを表現的に実現するという意味でしょうか。

そして表現的一般者は、ノエマ面では、事物を判断する判断的一般者としてはたらき、ノエシス面では、行為的自己の自己限定ですから自覚的一般者だということです。つまり世界を自己自身として捉え、そこに自己を見出し、実現しようとする一般者だということです。

 だからノエマ面の判断的一般者も表現的一般者の表れとして、自己実現のために事物を判断するのだから、判断対象の事物も、判断する一般者も同じ深い生命の流れの現れであり、実は同じ意識なのだということです。

ではビジネスから「行為的自己の自己限定」の意義を捉え返しておきましょう。我々はつい、意識を個人的な意識に限定してしまいます。そして個人の意識もさまざまな分野に分散させてそのつながりを忘れてしまいます。

ビジネスはビジネス、家庭は家庭、趣味は趣味、遊びは遊び、勉強は勉強というように意識や知識はバラバラで連関がありません。そして自分の意識と社会の意識、人類の意識も切り離されますし、意志と認識も切り離されます。受験勉強などでは試験が終わればもう不要ということでさっさと忘れてしまいます。そういうことでは全く応用が利きませんし、問題を解決したり、何かを創造的なものを生み出す知識には成れません。

絶対無の自覚に立った時、意識は、物事を認識する一般者であると同時に、物事を自己自身として捉える自覚的一般者でもあるわけです。これは「もののあはれを知る」ということですね。桜の花が咲き誇っているのを見て、ただ桜の花が咲いているなと客観的に判断するだけではなく、桜の気持ちと一つになって晴れやかな華やいだ気持ちになるわけです。

 強風で大木が枯れ折れるのを見て、ただ大木が強風で枯れ折れたと認識するだけでなくて、その木の気持ちになって、痛恨を感じるわけです。もちろん被災した人々の惨状に胸塞ぎ居た堪れなくなって救援などに起ちあがるということです。これは知行合一の陽明学的発想ですね。

ビジネスマンももちろんそういう発想でなければなりません。商人は利殖が目的で利殖にならないことには一切関心がない我利我利亡者もいますが、人々の難儀、自然の惨状に心動かされ、なんとかしようというところに様々な事業が立ち上がり、創意工夫が生まれ、ビジネスチャンスもひろがっていきます。たとえ当面はボランティアで利殖には繋がらなくても、そこで得た経験から仕事の幅は広がっていくのです。

世界は表現的自己のノエマ的展開だという自覚を持つことは素晴らしいことですね。つまり世界というキャンバスに自分の絵を描くということですから、ビジネスも自己の可能性の追求であり、自己実現であると捉えれば、少しでもそこに自分らしさを出したいと思い、個性を磨いて仕事に活かそうとします。

それはもちろん自己に目覚めるということですから、自分自身を見つめなおし、長所を伸ばしたり、欠陥を克服しようとします。そのためには友人と切磋琢磨試合、互いに欠陥を指摘しあい、素直に良さを褒めあうことができ、心の友もできるのではないでしょうか。

自分の個性は趣味や遊びの中によく現れるものですから、趣味や遊びにも熱中することができるようになり、そこからビジネスのアイデアも湧き出てくることになります。

また家庭生活や消費生活の中にビジネスのヒントはたくさん転がっています。掃除や洗濯や食事づくりの工夫などから、多くのビジネスのアイデアは生まれるものです。

 今や夫婦共働きはふつうであり、労働力の流動化が激しいので、夫が社会で働き、妻が家庭を守るというわけにはいかないのです。夫が主夫で妻が稼いでくるのでもいいわけです。家事を見下すのではなく、対等にとらえるべきです。

家事もたくさん創意工夫の余地があり、きれいに掃除され、インテリアのセンスがよく、食事がだれにも負けないおいしいものが出せたら、家族はみんな幸せですね。そういうように家事がきちんとできたら、また就職したときにでも神経の行き届いたいい仕事ができて、戦力になれるわけです。

すべて行為的自己の自己限定として捉えますと、ビジネスも家事も趣味も遊びも、創造的な行為的自己の自己表現となり、ただ生活費を稼ぐために自己犠牲的に働いているという重圧感から、委縮することはなくなるわけです。

とはいえ、なかなかそのように創造的な行為的自己としての自覚に到達できないのはなぜでしょう。それは社会的な諸矛盾があり、利害が対立したり、生活基盤が不安定であったりするからです。それにやはり知の在り方が分断されたあり方をしていて、世界を自己自身として捉え返す訓練が行われていないことも少なからず影響していますから、西田哲学を学ぶことで、人生に喜びが広がることもあるのではないでしょうか。

4、「永遠の今」をめぐって

西田幾多郎は、彼の父が幾多郎の生年を繰り上げて役所に届けていたので、58歳で定年退職したわけです。それ以前と以後では以後の方が著作が多いのです。それは大学の講義や人間関係に煩わされることがなくなったからかもしれませんね。

 西田の個人的事情としては、妻子が病気で寝込んでいたり、先立たれたりしたヨブの苦しみに苛まれていたので、それが彼の哲学の動機になっていたとはいうものの、憂愁の中で筆が進まない原因でもあったわけです。

 彼の晩年にも娘に先立たれる不幸はありますが、61歳の年、一九三一年の12月に山田琴と再婚しています。この縁談は岩波書店の岩波茂雄の紹介でした。琴は津田英学塾(津田塾大)の教授で、学長の補佐をして中心的に活躍していたカリスマ教員だったようです。

琴は極めて几帳面で清潔好きという性格だったのですが、幾多郎にあった時の第一印象を「きものをだらしなく着たお爺さん」と語っています。それなら「きしょい」と断るかと思いきや、「私が何とかしてあげなくては」と思ったそうなのです。

西田幾多郎と言えば、日本の知性の代表みたいな人です。まあ俗に言えば「一番賢い、偉い人」ですね、日本人の誇りです。その人が貧相でだらしいないということで痛ましく感じたらしいのです。西田家の悲惨な状況を見かねて、庭掃除や便所掃除の奉仕をしてくれたのが西田天香の「一燈園」という自然宗教の奉仕団体の人々でした。倉田百三も一燈園に属していたことがあります。

 西田にすれば「人生の悲哀」を嘗め尽くしていただけに、まさか自分が家庭の幸福を得れるということは夢のような話だったのです。それに琴は熱心のクリスチャンで、西田を家庭的に支えるということを神から与えられた天職として捉えてまったく打算や偽りがなかったので、幾多郎もぞっこん琴にほれ込んでしまい、切々と長い巻紙に熱い思いのラブレターを書いていたのです。

「年月日いきづき経来しわが心けふたぎり立つ君によれこそはしきやし君がみ胸にわが命長くもがなと思ふこの頃かくてのみ直に逢はずばうば玉の夜の夢にぞつぎて見えこそ」

 この西田の晩春は、彼の晩年の旺盛な著作活動に大きな活力になりました。それに思いがけない春の到来、回春によって「永遠の今」というテーマが湧き上がったようでした。

 人生は、青春時代に夢を思い描き、何かを求めてもがき苦しんだりしますが、「疲れを知らない子供のように、時は二人を追い越していく」わけですね。「取り戻すことができるなら、僕は何を惜しむだろう」と『シクラメンの香り』で小椋圭は嘆きます。

画像 『シクラメンのかおり』を歌う小椋圭

 回春というのは、無情にも過ぎ去っていく時がたとえ刹那の幻想であっても、停止しているような感覚に襲われ、あるいは時の流れから離れたところにいる感覚に襲われたかもしれません。

 有の場所で物事を認識しますと、物と物の関係として世界が捉えられますので、時間は人間の意識であるにもかかわらず、物の属性や運動として均質に流れていく、絶対時間のように受け止められます。しかし絶対無の場所では時は、咲き乱れる桜花や熱き女性の柔肌として匂いたちますから、過去はその刹那に消え去り、未来も意識からは遠ざかって、今この時の悦楽があるのみです。

 恋愛はこのように「永遠の今」を実感させる装置ですが、宗教も過去現在未来を現在に収斂させる装置として働きます。例えば『法華経』の「久遠実成」というのもそうです。釈迦牟尼は初めて覚りを開かれたように言われてきたが、実はそうでなく、もっともっと昔から久遠の本仏がおられて、それが人間になって覚りを開かれ、教えを説かれてきたというのです。釈迦牟尼はその久遠の本仏の現れの一つだということです。だから鎌倉時代の日蓮も『法華経』を通して覚りに達したら、それは久遠の本仏の現れだということになりますね。

 こういう考えで行きますと、久遠の本仏が現れて覚りを開かれる時が歴史的に何度もあるわけですが、それは「久遠実成の時」としては主体的には一つではないかということです。陽明学でも孔子が良知に達した時と、王陽明が良知に達した時は時を超えて一つとみなしたようです。

 よく創価学会を批判する人が、創価学会は池田大作を本仏とする池田大作教だとこき下ろしますが、仏教は元々、己の仏性を覚る宗教ですから、池田大作が覚ったとすることで、自分も覚ることができるわけです。ですから久遠の本仏教、釈迦牟尼教、日蓮教、池田大作教であることによって己が覚る仏教に成り得るわけです。

 このことは浄土教でも本当は言える筈です。何故なら、はるか昔に法蔵菩薩がおられて、自分が覚って仏に成った時に一切衆生を自分の浄土に救いとることができないような成仏なら、そんな成仏御免蒙ると願をかけまして、一心不乱に修行された結果、見事に成仏されて阿弥陀如来に成られたわけです。ですから我々衆生は阿弥陀如来によって救われるわけですから、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えればいいということですね。

 ところがよくよく考えますに、これは矛盾しています。もしとっくの昔に法蔵菩薩が阿弥陀如来に成られたのなら、もう一切衆生はすべて成仏しているはずです。ところが実際には末法で煩悩に苦しめられているわけです。ということは法蔵菩薩はまだ阿弥陀如来に成られていないということになります。

 元々法蔵菩薩というのは法を宿している菩薩という意味です。つまり仏である本性を備えているけれど、それを自覚できないということなのです。その意味では一切衆生悉有仏性ですから、我々すべてが本来法蔵菩薩なのです。ですから我々が阿弥陀如来に成らなければならない、それで「南無阿弥陀仏」と一心不乱に唱えて、自らの仏性を呼び覚まして成仏するということです。その時ははるか昔の法蔵菩薩が阿弥陀如来に成る時と、今我々が法蔵菩薩だと自覚して阿弥陀如来に成ろうとする時は、実は同じ時だということですね。それは今であり「永遠の今」「絶対の現在」なのです。

 キリスト教もイエス・キリストの贖罪の十字架を「永遠の今」として捉えています。つまりイエスは人類の罪を背負って、十字架につかれたことで、人類の罪はすべて贖われたという信仰です。だから我々は罪人のままで神の国に入れるというのです。

 イエスが十字架につかれたのは二千年近く前のことですね。普通に考えますと、それ以前の罪は贖えても、それ以後の罪は贖えないはずです。ところが人類はそれ以前にもまして大いに罪を重ねてきたわけです。キリスト教徒たちはイエスは十字架につかれたときに過去の罪も未来の罪もみんな贖われたのだというのです。

 ですから最大の罪は神の御子、聖霊を宿したイエスを十字架にかけた罪です。この罪を犯したのはだれか、それは私たちだというのです。私たちがイエスをキリストと認めていない、不信仰の罪に陥っていて、それで邪な欲望に負けていろんな悪いことをしているわけですね。だからイエスを十字架につけたのは私たちではないか、ということです。

 そうしますと、イエスの十字架が常に現在の事になります。世に不幸があり、人々が虐げられ、苦しめられている。それは他人の苦しみに胸が痛まない、我々が他人の苦しみは蜜の味みたいに思って、放置しているからではないかということです。

 政治的、経済的、社会的権力によって苦しめられ差別されている人々がいるのに、我関せずと自分の幸福ばかり求めている、それは「汝自身を愛するように汝の隣人を愛せよ」と説かれたイエスの言葉を裏切っている、イエスを信じていないことではないか、だから我々がイエスを今日も十字架にかけているのだ、虐げられ、苦しめられ、涙している人を見よ、そこにイエスの十字架はあるのではないのか?

こう考えますと、キリスト教徒にとってイエスの十字架は「永遠の今」であり「絶対の現在」なのです。そしてキリストの十字架の前に己の罪を認めて懺悔し、イエスの教えに倣って「神への愛と隣人への愛」に生きることで、充実した人生をおくれるということです。

 そうなれば、必ずしも審判によってゲヘナ(地獄)の苦しみを受けるのが怖くて信仰するのでもなければ、死後未来永劫に続く楽園に入れてもらうために信仰するのでもないわけです。

未来は現在の可能性に過ぎず、実際に存在しているわけではありません。パラダイスだ、ゲヘナだと言っても、それは希望や危惧でしかなく、人生は一回きりで有限だからこそ、意義深く、そこに耀きあるということです。肝心なことは、「永遠の今」をどう生きるかで本当に生きたことを納得できるというわけです。

西田は、一般者の自覚によって場所の論理を構築しました。自覚というのは、意識内容をノエマ的に事物化して、それを他者として客観的にしか捉えないのではなくて、それを自己の意識統一の働きとしてノエシスの面を捉え返すことで、自己自身の現れであり、自分の姿だと捉え返すことです。私の仕事、私の家庭、私の友人、私の衣服、私の車などです。もちろん私の会社、私の町、私の国というのも意識内容です。

 そうしますと全ては自己自身であり、自己自身の問題だと主体的に捉え返すことができます。これは自己愛つまり自愛の原理になりますね。ただしこの自己愛は、私のだから私の個人的な利害や身勝手な欲望で、私の勝手にしてよいということになるでしょうか、自愛が我利我利亡者になっては困ります。

 自愛が我利我利亡者になって身勝手に振る舞いますと、私の仕事はどうなるでしょう、私の家族や友人はどうなるでしょう。私の空や私の水はどうなるでしょう。結局、身勝手な欲望で振り回されてしまいますと、私にとって大切なものはスポイルされてしまうことになり、それらによって構成されている私自身がスポイルされる自業自得を招くことになりくす。

 むしろ本当に大切だと思うのなら、私個人の身勝手な私利私欲の部分に振り回されないように気を付けなければなりません。そして私の仕事、私の家庭、私の会社、私の町、私の国、私の環境、私の地球の方に良いように心を砕く必要があります。それが他者愛、つまり他愛です。

 西田は経験論者ですから根っからの他者というのは存在しません。だって自分の経験しか存在しないのですから。他国も自分の意識であり、ライバル会社も意識ですから、完全な他者とは言えません。ですから自覚の立場に立ちますと、他愛も自愛の発展となります。そして自己も私利私欲に囚われずに、対象である物や人物を最大限に生かすということになります。そのためには意識は絶対無の場所においてあることになるのです。

この絶対無の場所は、常に今の意識なので、西田哲学には歴史意識が欠け、歴史認識ができないという批判があります。この批判は場所の論理を構造的に捉えられないところから発する表層的批判です。というのは西田は、有の場所、無の場所、絶対無の場所という形で意識を重層的に捉えますから、当然有の場所では事物や人物の関係が捉えられ、その発展の諸相が捉えられます。また無の場所では、理念や知識の面から歴史が見直されますから、システムや思想や諸文化の発展を論理的に整理して捉えることができます。

 その上で、絶対無の場所では、歴史は生きた現在の意識としてもう一度賦活させられ、イエスが十字架にかけられたり、釈迦が覚ったりするのです。そしてエノラ・ゲイの乗組員になって、原爆を投下することが人類の未来を保障するのか、破滅させるのか、常に今の問題として問い返されます。もちろん憲法第九条を制定するという時に我々は常に戻って、現代の問題を考え、恒久平和の問題を考え直すべきなのです。その意味で、今は一九四六年でもあるわけです。

 南京大虐殺の問題でも、それは単に過去のある時点の事実問題ではないのです。有の場所からのみ捉えるから、そう思えるわけです。有の場所からみれば、もう昔のことで、昔はいろんなことがあったから、今から断定的なことは言えません。中国軍が情報戦で敵の残虐さを宣伝していたからデッチ上げもあるはずだというのも事実ですね。懺滅戦は中国軍の戦法で、日本軍の戦法ではないという人もいますが、これは身びいきなところもあります。

相手次第で、懺滅戦に成らざるを得ないのは、どこも同じで、アメリカ軍もベトナム戦争ではずいぶんひどいことをしましたね。

それは自分がお国のために命懸けになって大陸に行って、南京に乗り込んだ時果たしてどうしたのか、捕虜を殺したり、略奪したり、強姦したりしなかっただろうか、絶対無の場所から見直した時に、見えてくるかもしれません。

さて、永遠の今の問題をビジネスに応用できるでしょうか?もちろんビジネスの問題こそ、常に生きた現在の問題であり、永遠の今ですね。だからといって、ビジネスは常に変化するから、過去の経験は参考にならないという意味ではありません。

よく孫子の兵法をビジネスに使うというのがありますね。「敵を知り己を知れば、百戦百勝危うからず」というのは、いつの時代でも通用しますから、大いに使えるわけです。この格言は常に現在に生きているわけで、永遠の今ですね。

5、ビジネスにとっての「永遠の今」

政治家は、国家というビジネス団体の経営者みたいなものです。国家にとって「永遠の今」は国家を始めるということ、「肇国(ちょうこく)」です。日本の場合皇紀二千六百年というのはオーバーすぎるのですが、イワレヒコ(神武天皇)の東征があって、国が建てられたことになっています。その際の建国の精神が「八紘一宇」です。「世界の隅々まで一つの家」のように統合するということです。

記紀によれば、高天原の神々の決定で大八洲は、日の神の御子が支配すべきだということになっていたということです。イワレヒコにその正統性があったかどうかははっきりしませんが、ともかくいつまでも国がたくさんできて抗争を繰り返すようではこまるので、「世界の隅々まで一つの家」のように統合するという建国精神は常に継承しなければなりません。

 ただし、統合が互いの合意に基づき、平和的に進んで行くのならいいのですが、「まつろわぬ人々」を「うちてしやまむ」と武力で制圧して統合していくというのなら、この建国精神は軍国主義の精神に成ってしまいます。

 戦前の大日本帝国は、神武天皇の「八紘一宇」を掲げて、帝国の隆盛を計ろうとするものでした。それが結局敗戦まで突き進んだわけです。

 大日本帝国の崩壊は、新生の平和日本、民主日本の誕生だったわけです。それは「和による統合」です。聖徳太子の「十七条憲法」に示された「和を以て貴しと為せ」ですね。衆知を集め話し合って決めていこうという精神です。

ということは、聖徳太子の時代の『憲法十七条』というのも一つの建国宣言です。衆知を集め話し合い、力を合わせて国造りをしようと内外に宣言したのです。当時は対外的にも隋と高句麗の対立があり、倭国を味方にしようと働きかけてきていたので、倭国は和の国であると宣言する狙いもあったのかもしれません。

 戦って国を強盛にしていこうという「八紘一宇、うちてしやまむ」と、話し合い力を合わせて平和で豊かな国造りをしていこうという「和を以て貴しと為せ」とが、伝統として日本の国の二重の建国精神になっています。時期によってこの矛盾した傾向はいずれかが強く現れたり、二傾向がひっぱり合ったり、複雑に絡み合ったりして現れるのです。

 近代は前半は「うちてしやまむ」後半は「和を以て貴しと為せですね。でも韓国や中国の激しい追い上げや反日姿勢にも刺激されて、戦える国を再建しようとする改憲の動きが強くなっています。

どうして「永遠の今」に建国精神の問題を絡めるのかと言いますと、何時の時代も常にいずれかあるいは両方の契機を組み合わせて国造りに立ち向かうのが歴史だったからです。

そして現在は、もはや国家が本気で総力を挙げて戦えば、人類の破滅につながるような時代であるにも関わらす、未だに無人島の領有や、利権をめぐって「うちてしやまむ」の構えをやめられないということですね。これは何とかしなければなりません。

 国家の立場に拘りますと、引くに引けないところもあるかもしれませんが、日本の和の精神を内外に訴えて、人民同士が力を合わせて東アジアの協力体制をつくっていくようにすべきです。そのためにも日本は憲法第九条を掲げ続けることが大切ですね。

 国家も一種のビジネスですが、一般の企業ビジネスの場合も創業精神というのが原点になり、これが引き継がれるということが大切です。

 創業精神の具体例をあげましょう。http://www.yokogawa.co.jp/cp/hinshitsu/cp-hinshitsu-seishin.htm 「横河電機の創業は大正4年(一九一五年)です。創業にあたり、創立者である横河民輔はつぎのように語り、若い所員をはげましました。「君たちは、この仕事でもうけようなどと考える必要はない。それよりもまず、技術を覚え、技術をみがくことだ。横河電機の製品はさすがに良い、といわれるようにしてもらいたい。」この言葉は、横河電機の90有余年の歴史をつらぬく創業の精神となり、「品質第一」として今日まで受け継がれています。」

 品質さえよければ必ず需要はある筈だということです。技術を覚え、技術をみがいて、だれにも負けない技術者に成れば、その作り出す品質も他のどの企業にも負けないから、必ず需要がついてきます。

 今朝(二〇一三年5月5日)のテレビで福岡県糸島市の有限会社『緑の農園』「つまんでご卵」社長早瀬憲太郎さんが紹介されていました。かれは元々は養鶏業者に効率よくたくさんの鶏を飼って大量の卵を産ませる設備を売る会社に勤めていました。

 普通の産卵用白色レグホンは産卵機械として扱われ、数万羽、数十万羽の過密飼育です。運動もできないので互いにつつき合わないよう嘴を切られています。それでは美味しい卵が産めるはずがありません。

過密飼育をやめて、おいしい餌を与え、運動をさせ、安眠させるつまり鶏が幸福で健康な環境を作ってあげると黄身を指でつまめる絶品卵ができるのです。

「早瀬さんは「幸せな鶏がおいしい卵を産む」と考え、鶏が本来の姿で過ごせるよう、日光浴や砂遊びをする運動場や眠るための止まり木を鶏舎に設置。また、衛生管理を徹底することで、通常よりも日持ちのよい卵を出荷する。」

養鶏というビジネスは、鶏を手段、道具としてだけ捉えていたのでは、本当においしい卵はできませんし、鶏を地獄のような鶏舎に詰め込んで少々儲けても、心から喜ぶことはできません。

鶏が幸せになって早瀬さんに懐いていますし、早瀬さんも鶏を心から愛しているわけですね。それで極上の卵が生まれる、これは感動ですね。「幸せな鶏がおいしい卵を産む」が「緑の農園」の創業精神なのです。

 これは既成の人間中心主義を克服しています。鶏も含めた幸福を追求する養鶏ビジネスというのは、これこそネオヒューマニズムです。

値段は一個当たり60円ですが、黄身をつまみあげてもこわれないし、甘くてとてもおいしいのでよく売れるそうです。WEBで見ますと、一個170円の通信販売の卵も売れているようですね。

品質が本当によければ価格は少々高くても売れます。逆にコストをかけて高品質のものをつくろうとしても、本当に品質が良くなければ全く売れないわけです。高く設定した方が高級品志向の客に受けるということがありますが、それは一時的なバブル期の現象ですね。

 やはり本当にいい品質の物は「忘れられない」ものですから、記憶に残ります。絶品卵を使った卵かけごはんを食べたいとか、絶品卵で絶品ケーキを作ってみたいという需要が生まれます。

 そして実際に食べてみて「忘れられない味」だったら、リピーターになります。毎日使うというわけにはいかなくても、年に何回かは使うでしょう。

 ビジネスにおける「永遠の今」というのは、忘れられない思い出を残すようなものではないでしょうか。販売の仕事だったら、品物自体が忘れられない質を持っていることが望ましいわけですが、目立たない品物でも売り方次第で「永遠の今」を感じることになります。

洋品店や靴屋では客はどれを選べばよいか迷っている人が多いわけです。その場合に店員の説明次第で買うか買わないか、どれを買うかが決定することが多いのです。店員は売上や利益の大きい商品を買って欲しいのですが、いかにもそういう下心が見え見えでは、客は信頼して買う気になれませんね。

 あくまで「お客様本位」という立場で接客し、客が親切な店員さんのお蔭で、いい買い物ができたと喜ばれるような接客が大切です。もちろんビジネスなので儲からないと困るのですが、ひいきの客がついてこそ儲けも生まれます。そのためには先ず親身になって客のために説明するということがコツなのです。

 ですから資本主義だからと言って、皆が私利私欲に基づいて行動する、下手に世のため人のために考えて行動するように規制しすぎると、経済が委縮してしまうというリバタリアンのいう原理だけでは駄目なのです。親身になって客に奉仕しきってこそ、その結果として見返りがあると捉えないといけません。江戸時代の石田梅岩は、「実(まこと)ノ商人ハ先モ立、我モ立ツコトヲ思フナリ」(『都鄙問答』)と言ってます。

 品物を作る時にはその時のベストの商品を作り、ベストの接客で売るということです。そうでないと商品は見向きもされず、客はその店では買いません。品揃えの良さが商店が客の多様なニーズに対応するためのノウハウですが、店員がそれぞれの品の個性や特徴、特長だけでなく欠陥もよく知っていることが大切です。せっかく品揃えが良くても、活かせません。

 作り手はそれぞれ自分なりにベストの商品を作っているのですから、それぞれの一番を評価できないといけません。感動は一番ということにありますから。多様な一番を取り揃えて、それぞれの客にとってのベストショッピングをさせるお店が一番なのです。 

西田幾多郎の「永遠の今」と心に残るベストのビジネスをするという話がどういう脈絡で関連しているのか分からないと機嫌を損ねている読者がおられるかと思います。西田は、時間というのは過去から現在、更に未来へと流れていくわけですが、過去は現在において見るから過去なのであり、現在においてみるときに過去は過ぎ去っていて既に存在しません。

 未来も現在から見るから未来ですが、現在が孕んでいる可能性に過ぎません、未だ存在していないから未来なのです。そうしますと、過去と未来が現在において否定されるので、時は現在において否定され、我々は常に「永遠の今」を生きていることになります。

 他方、現在も過去から未来に流れゆく刹那であり、振り返った時に既に過去に呑み込まれています。故に現在を捉えようとした時にそれは過去であるということで、「現在が現在自身を限定することによって時といふものが成り立」つのです。

過去が単なる過去ではなく、過去という現在の意識であり、未来が単なる未来ではなく未来という現在の意識であり、それらが現在において包まれているのは、私という自覚においてであり、その時意識は、場所としては絶対無の自覚にあるわけです。

 この絶対無の自覚においては、「久遠実成」で釈尊が悟りを開かれた時と、我々の悟りとは別ではありませんし、イエスの贖罪の十字架は、常に永遠の現在なのです。

だから我々凡夫にとっては、永遠の今などという深遠な境地は全く無縁なのでしょうか?いいえ、そうではありません。国家の問題については、「八紘一宇」や「和の精神」が常に現在の問題として甦ってくるように、ビジネスにおいては、「品質第一」や「幸せな鶏がおいしい卵を産む」というのは、常に現在の追及すべき課題ですね。「お客様本位」とか「ベストの仕事をする」とかいう創業精神や社訓もそうです。

 タケモトフーズの竹本一善さんは、母親から学んだ愛情のこもった美味しいものを食べる幸せ、食べさせる喜びが「永遠の今」としてあります。またお母さんは一善さんを美術館に連れて行き、いいものを見分け、美に感動する心を伝えてもらいました。このような母親との貧しかったけれど幸せだった時が、竹本さんの「永遠の今」としてあるから、今のビジネスにも魂がこもっているのです。たとえ逆境の時でも、美味しいものを食べさせて幸せな顔になった客を見たら、楽しめるということです。そしていくつになっても生まれたままの気持ち、何かしかけてやんちゃして、反応をたのしんでやろうという気持ちは変わらないのです。

ただしどんな素晴らしい言葉でも、額に飾ったり、朝礼で斉唱したところで、その言葉が「永遠の今」として胸に迫ってくるかと言いますと、それはまた別問題ですね。

画像 若き松下幸之助

パナソニック(松下電器産業)では毎朝朝礼で次の七精神が唱和されているそうです。

一、産業報国の精神、一、公明正大の精神、一、和親一致の精神一、力闘向上の精神、一、順応同化の精神、一、感謝報恩の精神、一、礼節謙譲の精神

  創業精神の唱和を日課としてマニュアル的にこなしているのだったら、かえって、それを唱えることで、創業精神に生きていると思い込ませる効果が生じ、免罪符になってしまいます。

絶対無の場所において創業精神に還るということは、キリスト者が主イエスに還ることであり、求道者が釈迦牟尼となることと同じことです。つまり個々の従業員が創業者と一つに成ることにほかなりません。

 パナソニックの従業員は、松下幸之助に還って三又ソケットのようなクリエイティブのアイデアをはじき出し、産業報国に邁進するわけです。

 戦前の軍国主義の時代では産業報国は、富国強兵に協力し、帝国主義的に対外進出することでしたが、戦後は福祉国家の基盤に成る産業の育成であり、グローバル化の時代になれば、報国といっても進出する相手国の国民生活の向上に尽くす意味につかわれています。

 つまり、絶対無の場所では、過去が現在に甦って生きているわけです。イエスの肉と血に預かった信徒たちは全て甦ったイエスであるように、パナソニックの従業員は、皆精神においては、創業者であり、松下幸之助なのです。ですから、今が創業の時だというのです。

 ただし、松下幸之助を「経営の神様」と祭り上げ、尊崇のあまり幸之助の猿真似をしても成功するわけはありません。精神からは大いに学んでも、条件や環境が違いますから、現代のグローバルな時代に相応しいクリエイティブを追及するしかないわけです。

 中国革命も毛沢東というスーパースターを生みだしました。毛沢東思想を継承して、革命を引き継ごうとしましても、『毛沢東語録』から適当な言葉を出して来て、機械的に当てはめようとしますと、とんでもない大混乱を引き起こしたわけです。

 毛沢東の『実践論』『矛盾論』は、それ自体素晴らしい内容ですが、聖典化して図式的に当てはめ、現実をそこからだけ裁断しますと、百害あって一利なしということになります。

第四章 行為的直観と絶対矛盾的自己同一

1、 行為的直観とは何か?

□「行為的直観」や「絶対矛盾的自己同一」というターム(用語)は脂の乗り切った定年退職後、特に再婚後の後期西田哲学の用語です。『働くものから見るものへ』ということで、「場所の論理」を打ち出して、西田哲学はあたかも一種の観照的な哲学であり、禅的な覚りに近くて、無の論理を唱えているのではないかというような表層的な批判があったわけです。

 特に当時は知識人・学生の中でマルクスボーイと呼ばれた左翼の台頭があり、論壇哲学を非実践的なものとして十派一絡げに裁断する傾向があったようです。西田の晦渋な文体のせいもあり、西田哲学の実践的な意義をきちんと評価できるだけの読解力を持っていなかったのかもしれませんね。

 とはいえ、例外的に梯明秀のように西田哲学からマルクス『資本論』を解釈して、経済哲学を構築しようとしたマルクスボーイもいました。戦前の唯物論研究会の機関誌『唯物論研究』で西田哲学を賛美する論稿を載せたのは梯明秀だけでした。

画像 還暦のころの梯明秀

 私は戦後一九七一年に立命館大学大学院文学研究科哲学専攻で、梯明秀先生のゼミを受けたのですが、彼はマルクスの一八四四年の『経済学・哲学草稿』の論稿を西田先生にお見せしたということを繰り返し自慢しておられました。

 実際、西田幾多郎は個人の人格の意義を軽視する当時の左翼や共産党には反発していたようですが、マルクスの実践的唯物論には親近感を抱いていたようです。

「夜更けまで又マルクスを論じたり、マルクスゆえにいねがてにする(ねむられない)」

 この西田の歌は当時西田邸には、三木清や戸坂潤をはじめとして左派的な傾向をもった研究者や学生が訪ねてきていたことを伺わせます。

 「行為的直観」というタームも左派からの西田哲学が観照的だという批判に応えて生まれたタームのようです。西田は、マルクスの『フォイエルバッハ・テーゼ』の第一テーゼ「これまであったあらゆる唯物論、それにはフォイエルバッハのものも含まれます。その主要な欠点は、対象(事物)や現実や感性が客体あるいは直観という形式のもとでしか捉えられていなかったことです。つまり感性的人間的活動、すなわち実践として、主体的には捉えられていないということです。」(拙訳)に大変感動したようです。

 梯先生のお話では「エンゲル(エンゲルスのこと)はだめだが、マルクスはいい」というのが西田先生の口癖だったというのです。その裏付けになるような文章が、「四、行為的直観」(『哲学論文集第二』)にありますので、引用しましょう。ただし、漢字の字体は新字体に改めましたまたこの文章は段落分けされていませんが、1から8の八つの段落にして順次解釈していきます。

「1行為的直観といへば、或は神秘的と考へられ、或は芸術的と考へられる。併し史的唯物論者は対象、現実、威性といふ如きものが、従来客観又は直観の形式の下に捉へられて、感性的・人間的活動、実践として捉へられなかつた、主体的に捉へられなかつたと云ふ。対象とか現実とかいふものを、実践的に、主体的に捉へると云ふことは、行為的直観的に捉へることでなければならない。」

 西田は、直観といえば何もしていないのに突然パッとひらめいて分かったり、恍惚とした状態で受け身で物事の真理が与えられると思われがちとします。だから行為とは正反対と考えらていますので、「行為的直観」というのは空虚で、神秘的な概念のように誤解されやすいと注意しています。

 その上でマルクスの『フォイエルバッハ・テーゼ』の第一テーゼを紹介しています。ここで史的唯物論者というのはマルクスの事を指しています。だから誤読してはいけませんよ、主語が「史的唯物論者」でその述語が「感性的・人間的活動、実践として捉へられなかつた、主体的に捉へられなかつた」ではありません。「史的唯物論者は『‐‐‐‐‐‐‐』と云ふ」と読んでください。『 』の中の主語は、省略されていまして、「これまでの全ての唯物論」にあたります。

 ですから西田はマルクスに共感していまして、対象・現実・感性を客観的なものとして捉えたり、直観の対象として捉えているだけでは駄目で、対象・現実・感性を自己自身の感性的な活動、実践として捉えなければならない、主体的に自己自身として対象・現実・感性を受け止めなければならないという立場に立っているのです。そしてそう受け止めることが「行為的直観的に捉えること」だとしているのです。

「2身体的に物を見るといふことが行為的直観的に物を見ることである、歴史的形成作用的に物を見ることである。実践といへば、身体の外に物を作ることではあるが、具体的にはそれは歴史的形成作用として身体的運動の延長でなければならない。逆に我々の身体といふものは歴史的制作的なるが故に、行為的直観的に物を見るのである。」

 マルクスが「感性的、人間的活動」としたところを「身体的に物を見る」と言い直していますが、この感性=身体や人間は歴史的に形成されたものです。その時代の歴史的社会的なものによって、意識のあり方が違ってきます。

 身体だけ見ますと、クロマニオンつまり新人段階になってから、遺伝子的にはほとんど進化していませんが、直接的な身体の進化を打ち止めにした代わりに、道具や環境や社会制度を改変して人間の文明が進歩してきたわけです。

 若きマルクスは直接身体の器官を構成していなくても、身体の維持のために不可欠となっている道具や環境などを非有機的身体と見なして、広い意味の人間身体に含めていたのです。西田は、実践を身体の外に物を作ることとしています。そしてそれは身体的運動の延長だとしています。つまり道具を作り、道具を使用して環境を改変し、利用することは、広い意味の人間身体の運動だということです。

 次に「逆に」とあることに注意してください。身体が働きかけて道具を作り、環境を改変しますが、それは逆に見れば、道具や改変された人間的自然が、歴史的に人間身体の感性を制作しているのだということです。外見上身体は何も変わっていなくても、人間的自然によって、新しい感性をもった身体だということです。

 つまり文化や文明の変化、社会の変動によって人間の感性は歴史的に形成されてきたということです。そういう感性だから行為的直観的に物をみることができるのです。ということは、行為的直観的という意味は、歴史的社会的に形成されている感性なので、自分の置かれている状況を実践的に捉え返して、実践連関から、諸物を瞬時に判断して、目的に沿って行為することができるということです。

 実際に我々はほとんど見た瞬間に、それが何であるか認知しますね。昨夜(二〇一三年五月一八日)は、梅原猛先生の御招待で、大阪フェティスバルホールで『スーパー能世阿弥』を観劇しまして感激したのですが、そこにはたくさんの学者、文化人が招待されていました。

瀬戸内寂聴さん、山折哲雄先生、河合雅男先生とかですね。一目でその方と分かるのです。それは梅原先生の御交際の範囲が分っているからですね。梅原猛相関メガネで見るからで、私が見るということは梅原猛相関メガネに当たる社会