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神田のホントに懲りない面々  合コンメンバー募集  お気に入りの写真がございましたらお申し付け下さい 使 退 調 V 姿 Skype 姿 退 稿 稿 999 : 古典講談を現代に生かす~「鋳掛松」改作の試み 高橋織丸 季節外れの話で恐縮ですが、今夏、猛暑が続いたが、 大飯は稼働されたものの、原発なくても電気は足りた。 原発反対を唱える我が家は、節電に努め、昨年よりもさ らに15%近く削減。 私の今回の演目は「鋳掛松」。鉄の鍋釜の修理をする鋳掛屋の松五郎が、炎天下、 両国橋のたもとで一服していると、そこに枝豆売りの母子が通りかかる。男の子 の足はなんと素足。それゆえ母親に草履を買ってくれと、泣きじゃくっている。 堪りかねた松五郎は、その日稼いだ金をそっくり枝豆売り親子に渡す。その時橋 の下を見下ろすと、相場でひと儲けした絹商人が芸者、太鼓持ちをあげての舟遊 び。それを汗して見ながら「この炎天下、同じ人間でも随分と違えがあるではな いか。あぁ、やめたやめた、ミミズのように糞ずけられて細く長く暮らすよりは、 太く短く暮らす方が」と言って鋳掛道具を橋の上から放り投げて、非道で儲けた 金持ちから金を奪い、貧乏人を助ける盗賊になるというのが結末。 貨幣経済の深まりとともに矛盾が噴き出る江戸時代末期、身分や貧富の格差に 不満を持つ庶民がこうした白波物や義賊物に拍手喝采をした。四代目小団次が芝 居で「鋳掛松」を上演したが、すぐに上演禁止となった。権力の側はこうした作 品にも、体制を揺るがすと危惧を抱いたのである。 明治大正の社会主義者・堺利彦は、この「鋳掛松」に目をとめて、絹商人がい かに暴利をむさぼっているか、貧富の格差を生みだす資本主義のからくりを 暴いた作品へと大幅に書き替えて雑誌『改造』に発表した。 私も堺に見習って、「炎天下、節電節電と騒いでみても暑い思いをするの は貧乏人で、涼しい思いをするのは金持ち、商人、侍ばかり」と昨今の節電 騒ぎの嘘を突きつつ、そして世の矛盾に怒って盗賊となる松五郎を英雄扱い にせず、花田清輝の『泥棒論語』の一節「泥棒をするか、乞食をするか、あぁ それとも第三の道はないか?」を引用して、貧困からの脱出にむけた第三の 道(社会変革)を観客にも問いかけてみた。 講談では松五郎は、無学ゆえか死後間もなく訪れる幕藩体制・身分制度の 崩壊、明治維新、自由民権運動、大正デモクラシーといった時代の夜明けが すぐ近くにまで来ていることに気付かなかった。そのため盗賊となり、刑場 の露と消えるのである。 古典を現代に生かす試み、堺利彦のように大衆芸能を馬鹿にせず、それを 現代に生かすための改作の試みは、花田清輝の提唱した「前近代を否定的に 媒介にして、近代どうのり超えるか」につながるのではないだろうか?

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Page 1: Skype...神田のホントに懲りない面々 合コンメンバー募集 お気に入りの写真がございましたらお申し付け下さい 香 織 倶 楽 部 の み な

神田のホントに懲りない面々  合コンメンバー募集  お気に入りの写真がございましたらお申し付け下さい

香織倶楽部のみなさま

10月より入会させて頂きました

田中康子です。

康子と書いてみちこと読みます。

10歳と14歳の子を持つ母です。

この夏で7回忌を迎えた義父の携

帯ラジオをみつけ使えるのかな?とスイッチをいれ

たら聞こえて来たのが香織先生でした。義父がくれ

たご縁、大切にして参りたいと思っております。

皆様パーソナルカラーってご存知でしょうか?

首元に試金石となる色布をあてて見つける自分色で

す。その色をご提案する仕事をしております。

私がパーソナルカラーに目覚める経験がちょっと面

白いので、今回自己紹介とさせて頂きます。

下の娘が小学校入学直前の春休み、実家(栃木県矢

板市、原発最終処理場に急浮上した所です)に子供

を一週間預け、お母さんモードから仕事モードへス

イッチがはいるのか実験!実験!っと、それまで子

育てとは自分育てとのんびり構えていたお母さん業

から時間に追われる仕事の世界に一歩踏みだしまし

た。よし!と切り替えスイッチを見つけ娘を迎えに

いった実家で異常事態発生です。

食事をしながら意識がふぅっと遠のき目の前がオレ

ンジ色に明るくなり・・・身体の右半分がどんどん

冷たくなるのに左半分はまだまだと言わんばかりに

熱くなり・・・あれ?脈がない?お母さん!お母さ

ん!って大きな声で呼んで!と子供達に言っている

と思われる母の声。救急車のサイレン・・・そのま

ま緊急入院となり一ヶ月間の入院患者となりまし

た。亡くなった祖父母、義父、叔父、叔母・・・

わかってる。わかってる。という不思議な気持ちで

いっぱいだったのと地球が根っこ?光?粒?でおお

われている夢?幻想?等等。そしてなにより真っ白

な病院にいたから開けた扉がありました。

太陽、空、風、新緑、光をうけて輝く花々、そこに

乱舞する蝶々、・・・退院してみたらそれまでの当

たり前が全く違ってそこにあったんです。目の前に

あふれる色の調和に、地球の素晴らしさと偉大さに、

魂が揺さぶられました。

この体感をもって地球のお役に立つことをしていこ

う!色って素晴らしいです。自己肯定感が増すんで

す。自分を否定的に捉えている方がV

字回復できる

きっかけの一つになると確信しています。

とかなんとか書きながら、

ノーメークでジャージ姿がいちばんくつろげる私で

す・・・。

講談の発声では臍下丹田を鍛え、ぶれない身体をつ

くることから始めたいです。ぶれない身体ができた

ら、声に祈りをのせられたらいいなぁ〜。香織先生

のご指導のもと皆様と共有する場で多くの学びを頂

きながらいつかそうなれると信じて参りたいと思っ

ております。

今後ともよろしくお願い致します。

渡部衣吏

生まれは栃木県(旧・塩谷

郡)、近所の噂話好きのばっ

ぱ(ばあちゃん)と農業のシー

ズンオフには鉄砲ぶち(狩猟)

に福島まで遠征するファン

キーなじいさんに育てられ、小学校時代にすでに落

語などの演芸・時代劇を楽しんでおりました。

ずいぶんやんちゃもいたしましたが、現在は「膠原

病(コウゲンビョウ)」という気難しいパートナー

のおかげでおとなしくなりました。現在は安全第一

で暮らしております。声を出すのは割と好きなのは、

ばっぱの血を受け継いでいるためでしょうか。

「講釈師がまた始まった!」

とご近所の(昔)お姉さまがたに声援がかかるおしゃ

べりばあさんでした。「悪口は堂々と本人の目の前

で言え」というのが我が家、先祖代々の教えでござ

います。言いたいことは釈台を前に、張扇叩

いて言うってぇのが、粋じゃあございませぬ

か。

 皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

住江織手

 山口県の瀬戸内海で生まれました。

二十歳になったら瀬戸の花

嫁になろうと思っていたの

に、なぜか20代後半から

山梨県で囲炉裏と五右衛門

風呂のある古民家で機織っ

て、山姥になってしまいま

した。その後、もっと山の中で山姥生活を続行

しました。山姥歴30年以上ですが、一生来な

いと思っていた光が昨年、山の中にも開通しま

した。

 そんな折、香織先生のSkype

講談教室が目に

留まり早速始めました。山奥でプロの方に講談

の手ほどきをしてもらえるなんて、なんという

時代でしょう。

長生きはするもんじゃ、ありがたや!

 これを機に私も、ぼちぼち山姥を卒業してぴ

ちぴちのおばんとしてはじけてみようかと思う

今日この頃。高校まで山の中で一緒に暮らして

いた息子は、大学、その後、何の因果か去年か

ら新橋のサラリーマンになって寮住まい、末は

博士か大臣か、いいやの新橋のお父さんです。

夫も東京住まい。というわけで、この人たちは、

私が山姥だろうがぴちぴちはじけていようが

知ったことないのですが、、、。とりあえず、私

は「沈魚、落雁、閉月、羞花、

立てばシャクヤク、座れば

おばん、歩く姿はゆりの花」

講談だぜ、いえいい!

野村織枝

 三女が結婚する。これで四人全員が伴侶

を見つけた事にな

る。彼らは学校と

無縁の生活を送っ

た。学校教育に不

信感を抱く親に育

てられたからである。保育園、幼稚園に行

かず、いきなり小学校に入ったため最初の

段階ですでに仲間外れであった。私はそう

いう現実を予想できず、平気で「学校なん

かそんなに大事な所じゃないよ」と言った。

彼らはどんなに辛かったろう。代わりに海

外旅行を重視した。勉強より体験の方がずっ

と大事だと考えた。安く行くには学期中し

かなく、担任に相談すると必ず校長に回さ

れた。校長からは例外なく「大いに見聞を

広めてきてください」と言われ、自信を持

ち子連れでインドやエジプトを旅した。し

かし帰国するたびに彼らがひどい目に遭う

事には気付かない親であった。三女は高校

を中退し、派遣で働き続けた。そして理解

ある夫に巡り会えた。

 学校に行かなくても、人生で最も大切な

事はわかっていたのである。

(東京新聞10月7日あけくれ掲載文より)

田口織りんです

 先日の東京新聞の「あけくれ」

に投稿された野村さんに刺激さ

れまして私の次女が中学に入り

悪質ないじめにあい

不登校を余

儀なくされた体験を思い出し投

稿いたします

 娘は同じクラスのまことにずる賢い一人の女の子に

よってあの頃は携帯電話がありませんでしたので

紙で娘の交友関係をズタズタにされ四面楚歌にされて

しまいました。しばらく保健室登校が続き

九月頃か

ら不登校になり私は親として一ヶ月も登校していない

生徒に学級通信ひとつ届けてもらえない担任に不信を

抱き

学校に出向きますと「父が大病でして・・」と

話しにならず校長に掛け合うと 「今や不登校は社会問

題です」とまるで他人事でした怒り心頭に達し私は今

度は教育委員会に乗り込み実情を話しますと

以外に

もこの校長は教育委員会にもかなり評判が悪く

すぐ

に新しい学校を見つけて頂く事が出来ました。

 次の学校では校長先生・教頭・学年主任・担任の先

生方が勢ぞろいで娘を迎えて下さり「お母さん大変で

したね・・

でもよく我が校に来てくれました私共は

全力で娘さんをお守りします

どうぞ安心して登校さ

せて下さい」と天と地程の違いのお言葉に

私は溢れ

る涙を抑える事が出来ませんでした。 

 こうして娘はその後の中学の二年間をこの学校で大

変楽しく送り

無事涙の卒業式を迎える事が出来まし

た。

 あれから15年以上の月日が過ぎましたが

我が国

ではいじめの問題が更に悪化しているようです一言も

声を発せずリアルタイムでメールで罵声を浴びせたり

できる社会って怖いですねでも正義の人が沢山存在し

ているのも今日の社会です。現に今だに元禄忠臣蔵の

世界が寄席で語られ暮れの放送で人々の感動を呼んで

います。

私は講談サロンに入会して益々人生が深まって行く

感が致します。

ちょうど紅葉真っ盛りの山々に似て・・

山中教授のノーベル賞受賞を冷徹に見る。

田中伸織(日比谷・大門)

 山中伸弥京大教授がノーベル

賞受賞者に決まったこと自体は、

喜ばしい。しかし、私は、反原

発を訴え続けた高木仁三郎さん

や、水俣病患者の診察・救援に

あたった原田正純さんの努力の方が、遥かに尊い、

と心底思う。少なくともこのお二方は、実験室どこ

ろではない、実社会において、行政権力・政治屋・

財界の支配欲・厚顔無恥、民衆の無関心・偏見と戦っ

て戦い抜いて、果てた。科学は、「無重力」「無菌」

の場では、存在しえない。

 そもそも、私の年齢、財力では、山中教授の恩恵

に浴することはありえない。それよりも、親からも

らった血管、骨の一筋、一粒の方が遥かに大切であり、

いとおしい。名作アニメ『銀河鉄道999

』では、主

人公の星野鉄郎少年が、母を惨殺した機械伯爵に復

讐を遂げた後、不老不死の機械の体を求めて遥か宇

宙に旅立つところから始まる。しかし彼は、長い旅

を続けるうちに、「人間の生は短く、一度しかない。

だからこそ精一杯生きることで命を輝かせることが

大切だ」と悟る。更に、冷や水を浴びせることを敢

えて言おう:

山中教授は今後、原発を推進する日本

政府・電力会社・安倍晋三自民党を批判しなかったら、

ウソである。

「私が一生懸命再生細胞を作り上げたところで、放射

線が、いとも簡単に電子を剥ぎ取ってしまい、大切

な細胞を壊してしまうのです。ですから日本の皆さ

ん、原発は、絶対に作らないでください。」と、山中

氏が公の場で訴えるのならばその時初めて、私は山

中教授を心から尊敬するだろう。

『週刊金曜日』10月26日号に掲載

古典講談を現代に生かす~「鋳掛松」改作の試み高橋織丸 季節外れの話で恐縮ですが、今夏、猛暑が続いたが、大飯は稼働されたものの、原発なくても電気は足りた。 原発反対を唱える我が家は、節電に努め、昨年よりもさらに15%近く削減。 私の今回の演目は「鋳掛松」。鉄の鍋釜の修理をする鋳掛屋の松五郎が、炎天下、両国橋のたもとで一服していると、そこに枝豆売りの母子が通りかかる。男の子の足はなんと素足。それゆえ母親に草履を買ってくれと、泣きじゃくっている。堪りかねた松五郎は、その日稼いだ金をそっくり枝豆売り親子に渡す。その時橋の下を見下ろすと、相場でひと儲けした絹商人が芸者、太鼓持ちをあげての舟遊び。それを汗して見ながら「この炎天下、同じ人間でも随分と違えがあるではないか。あぁ、やめたやめた、ミミズのように糞ずけられて細く長く暮らすよりは、太く短く暮らす方が」と言って鋳掛道具を橋の上から放り投げて、非道で儲けた金持ちから金を奪い、貧乏人を助ける盗賊になるというのが結末。 貨幣経済の深まりとともに矛盾が噴き出る江戸時代末期、身分や貧富の格差に不満を持つ庶民がこうした白波物や義賊物に拍手喝采をした。四代目小団次が芝居で「鋳掛松」を上演したが、すぐに上演禁止となった。権力の側はこうした作品にも、体制を揺るがすと危惧を抱いたのである。 明治大正の社会主義者・堺利彦は、この「鋳掛松」に目をとめて、絹商人がい

かに暴利をむさぼっているか、貧富の格差を生みだす資本主義のからくりを暴いた作品へと大幅に書き替えて雑誌『改造』に発表した。 私も堺に見習って、「炎天下、節電節電と騒いでみても暑い思いをするのは貧乏人で、涼しい思いをするのは金持ち、商人、侍ばかり」と昨今の節電騒ぎの嘘を突きつつ、そして世の矛盾に怒って盗賊となる松五郎を英雄扱いにせず、花田清輝の『泥棒論語』の一節「泥棒をするか、乞食をするか、あぁそれとも第三の道はないか?」を引用して、貧困からの脱出にむけた第三の道(社会変革)を観客にも問いかけてみた。 講談では松五郎は、無学ゆえか死後間もなく訪れる幕藩体制・身分制度の崩壊、明治維新、自由民権運動、大正デモクラシーといった時代の夜明けがすぐ近くにまで来ていることに気付かなかった。そのため盗賊となり、刑場の露と消えるのである。 古典を現代に生かす試み、堺利彦のように大衆芸能を馬鹿にせず、それを現代に生かすための改作の試みは、花田清輝の提唱した「前近代を否定的に媒介にして、近代どうのり超えるか」につながるのではないだろうか?