111.ウェルナー早老症タンパク質によるゲノム維持...

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111. ウェルナー早老症タンパク質によるゲノム維持機構の構造研究 北野 Key words:ヘリカーゼ,早老症,立体構造,結晶化,X 線解析 奈良先端科学技術大学院大学 情報科学 研究科 構造生物学講座 早老症は,文字通り若い年齢で老化が急速に進行する重篤な疾病である.いくつかのタイプが知られているが,いずれもゲ ノム DNA を守るタンパク質の変異が原因であることから,細胞のゲノム維持機構の破綻が急速な老化に繋がると考えられてい る.ウェルナー症候群は,常染色体劣性の遺伝病のひとつで,ヒトの早老症として世界的に知られている 1, 2) .特筆すべきは, 同疾病の 80%もの症例を日本人患者が占めていることである. ウェルナー症では細胞レベルでの老化が観測され,テロメアの急速な短縮などゲノム DNA の不安定化が顕著に認められ る.本疾病は治療法のない難病であるが,発症の原因はすでに明らかにされている.すなわち“ウェルナータンパク質” We rner syndrome protein: WRN)の C 末領域に変異が起こり,機能欠損してしまうことが原因である.最近の研究か ら,WRN は核内の遺伝情報が不適切に書き換えられてしまうのを防ぐことによって,ゲノムの安定性維持,すなわち細胞のアン チエイジングに大きく寄与していることが明らかとなってきた. WRN は 1,432 アミノ酸からなる巨大なマルチドメインタンパク質である.N 末端のエキソヌクレアーゼドメイン,中央のヘリカ ーゼドメインと RQC( Rec Q C-terminal)ドメインに加えて,C 末端に HRDC( helicase-and- ribonuclease D- C- terminal)とよばれる特徴的なドメインを有している.本研究では,WRN ヘリカーゼの分子立体構造をX線結晶解析によって 決定し,細胞の抗老化作用の本質のひとつを解明することを目的として研究を行った. 方法および結果 WRN タンパク質は,DNA 二重らせんを一本にほどくヘリカーゼの一種である.ヒトの健康維持に重要で,生物学的,医学 的に大きな注目を集めてきたが,その立体構造解析はほとんど進んでいなかった.これは WRN が巨大かつ不安定なタンパク 質のため,全長のままでは結晶化に必要なサンプル量を精製するのがほとんど不可能という理由による. 本研究ではまず,WRN のアミノ酸配列解析から HRDC ドメインの領域予測を行い,コードする cDNA を PCR 法で切り出し た.同コンストラクトから得られたタンパク質断片を,プロテアーゼによる限定分解の実験から解析し,ドメイン境界の最適化作 業を行った.再度作成した発現プラスミドを大腸菌に導入し,タンパク質の大量発現,クロマトグラフィーによる精製をおこなった 結果,結晶化グレードの高純度な WRN HRDC 試料を調製することができた. タンパク質試料に様々な沈殿剤試薬を加え,結晶化条件の検討を行ったところ,WRN HRDC の二種類の結晶を作成する ことができた(図1).これらの結晶を,兵庫県播磨市の大型放射光施設 SPring-8 に持ち込み,同施設の高輝度光を利用 して X 線回折データの測定を行った.データを Unix ワークステーションおよびパーソナルコンピュータを用いて解析し,WRN HRDC ドメインの立体構造を決定した. 上原記念生命科学財団研究報告集, 23(2009) 1

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Page 1: 111.ウェルナー早老症タンパク質によるゲノム維持 …...111.ウェルナー早老症タンパク質によるゲノム維持機構の構造研究 北野 健 Key words:ヘリカーゼ,早老症,立体構造,結晶化,X

111. ウェルナー早老症タンパク質によるゲノム維持機構の構造研究

北野 健

Key words:ヘリカーゼ,早老症,立体構造,結晶化,X線解析

奈良先端科学技術大学院大学 情報科学研究科 構造生物学講座

緒 言

 早老症は,文字通り若い年齢で老化が急速に進行する重篤な疾病である.いくつかのタイプが知られているが,いずれもゲノム DNA を守るタンパク質の変異が原因であることから,細胞のゲノム維持機構の破綻が急速な老化に繋がると考えられている.ウェルナー症候群は,常染色体劣性の遺伝病のひとつで,ヒトの早老症として世界的に知られている 1, 2).特筆すべきは,同疾病の 80%もの症例を日本人患者が占めていることである. ウェルナー症では細胞レベルでの老化が観測され,テロメアの急速な短縮などゲノム DNA の不安定化が顕著に認められる.本疾病は治療法のない難病であるが,発症の原因はすでに明らかにされている.すなわち“ウェルナータンパク質”(Werner syndrome protein: WRN)の C 末領域に変異が起こり,機能欠損してしまうことが原因である.最近の研究から,WRNは核内の遺伝情報が不適切に書き換えられてしまうのを防ぐことによって,ゲノムの安定性維持,すなわち細胞のアンチエイジングに大きく寄与していることが明らかとなってきた. WRNは 1,432 アミノ酸からなる巨大なマルチドメインタンパク質である.N末端のエキソヌクレアーゼドメイン,中央のヘリカーゼドメインと RQC(RecQ C-terminal)ドメインに加えて,C 末端に HRDC(helicase-and-ribonuclease D-C-terminal)とよばれる特徴的なドメインを有している.本研究では,WRNヘリカーゼの分子立体構造をX線結晶解析によって決定し,細胞の抗老化作用の本質のひとつを解明することを目的として研究を行った.

方法および結果

 WRN タンパク質は,DNA二重らせんを一本にほどくヘリカーゼの一種である.ヒトの健康維持に重要で,生物学的,医学的に大きな注目を集めてきたが,その立体構造解析はほとんど進んでいなかった.これは WRN が巨大かつ不安定なタンパク質のため,全長のままでは結晶化に必要なサンプル量を精製するのがほとんど不可能という理由による. 本研究ではまず,WRNのアミノ酸配列解析からHRDC ドメインの領域予測を行い,コードする cDNA を PCR 法で切り出した.同コンストラクトから得られたタンパク質断片を,プロテアーゼによる限定分解の実験から解析し,ドメイン境界の最適化作業を行った.再度作成した発現プラスミドを大腸菌に導入し,タンパク質の大量発現,クロマトグラフィーによる精製をおこなった結果,結晶化グレードの高純度なWRN HRDC試料を調製することができた. タンパク質試料に様々な沈殿剤試薬を加え,結晶化条件の検討を行ったところ,WRN HRDC の二種類の結晶を作成することができた(図1).これらの結晶を,兵庫県播磨市の大型放射光施設 SPring-8 に持ち込み,同施設の高輝度光を利用して X 線回折データの測定を行った.データを Unix ワークステーションおよびパーソナルコンピュータを用いて解析し,WRNHRDC ドメインの立体構造を決定した. 

 上原記念生命科学財団研究報告集, 23(2009)

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Page 2: 111.ウェルナー早老症タンパク質によるゲノム維持 …...111.ウェルナー早老症タンパク質によるゲノム維持機構の構造研究 北野 健 Key words:ヘリカーゼ,早老症,立体構造,結晶化,X

 

 図 1. ヒト WRN HRDC ドメインのX線結晶解析.

二種類の結晶(空間群はそれぞれ I4122 および P6222)にX線を当てることによって,タンパク質の電子密度を高分解能で可視化することができた.

  

 図 2. ヒトWRN HRDC ドメインの立体構造.

左:J. Biol. Chem. 誌の表紙に選定されたもの 3).中央:ドメイン分子表面のうち,WRNに特徴的なモチーフ(N-and C-terminal extensions)を赤色で示した.右:ドメインの表面電荷を青(正電荷)と赤(負電荷)で色分けした.点線内はモチーフが形成する負電荷に富んだ領域.

   本研究を通して,ヒトWRN HRDC ドメインの立体構造を原子分解能(2.0Å)で決定することができた(図2)3).その結果,WRN は単細胞生物のホモログ(大腸菌では RecQ タンパク質,酵母では Sgs1 とよばれる)にはない N末端および C末端のモチーフを獲得することによって(図2中央に赤色で示した),そのHRDC をより大きなドメインへと進化させていることが明らかとなった.

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 モチーフの存在によって分子表面には二箇所の特徴的な表面領域が構築されており,これらはいずれもWRNの生物機能に重要と推定された.さらに本研究からは,WRNがHRDC ドメインを他の構成ドメインから切り離し,独立した新規のモジュールとして,様々なタンパク質群との相互作用に利用している可能性を示すことができた.

考 察

 ウェルナー症候群は,日本民族の遺伝子に深く根付いた遺伝病であり,実際,日本人の数百人に一人が潜在的な保因者,すなわち発症はしなくても遺伝子変異を有すると推定されている.劣性遺伝ゆえ確率的には高くないが,保因者同士の婚姻によって産まれた子供の何人かは早老症を発症し,短命な人生を送らざるを得ない. 老化は万人に起こる身近で重要な生命現象であるが,あまりの複雑さから通常,科学の対象とすることは極めて困難である.しかしウェルナー症という病気の存在は,WRN ヘリカーゼが細胞の抗老化に本質的であることを明確に示唆している.早老症の原因タンパク質WRNは,言い方を変えると,細胞の寿命を延ばすことができる特殊な能力を持った老化抑制ヘリカーゼである.数あるDNAヘリカーゼのなかで,なぜWRNだけがこのように特別な作用を発揮することができるのか,詳細は明らかになっていない.しかし最近,同タンパク質に関する細胞生物学研究は精力的に進められており,世界的に新しい報告が相次いでいる.例えば図3Aに示したように,WRNは DNA 修復に働く様々な核内タンパク質と相互作用ネットワークを形成し,多方面から細胞のアンチエイジングに寄与することが提唱されている 4).なかでも WRN とテロメアタンパク質 TRF2 との相互作用は,WRN が染色体末端にあるテロメアループという DNA の絡まりを解きほぐすのに重要と考えられており,細胞寿命との関係から興味が持たれる.  

 図 3. WRNヘリカーゼと早老症の関係.

A:WRNのドメイン構成と,相互作用する様々なタンパク質群.B:ウェルナー症では,WRN というたったひとつのタンパク質が欠損することによって早期老化が引き起こされる.

   また一方で,ウェルナー症患者の死亡原因では早期腫瘍形成(ガン化)が顕著であることから,WRN研究は早老症患者のためのみならず,健常者における老化とガン化の関係を明らかにすることにも繋がると期待されている.今後,本研究で得られた独自の実験ノウハウを最大限に活用し,WRN と他のタンパク質群との複合体結晶化など,WRN の抗老化作用(図3B)を原子レベルで解明するための更なる構造研究を展開させていきたい. 

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 タンパク質精製のサブクローニングに用いたヒト WRN cDNA は,(株)ジーンケア研究所の古市泰宏,嶋本 顕 両博士より供与いただいた.本研究の共同研究者は,奈良先端科学技術大学院大学の箱嶋敏雄教授である.

文 献

1) Goto, M. : Werner's syndrome: from clinics to genetics. Clin. Exp. Rheumatol., 18 : 760-766, 2000.2) Kudlow, B., A., Kennedy, B. K. & Monnat, R. J. : Werner and Hutchinson-Gilford progeria

syndromes: mechanistic basis of human progeroid diseases. Nat. Rev. Mol. Cell Biol., 8 : 394-404,2007.

3) Kitano, K., Yoshihara, N. & Hakoshima, T. : Crystal structure of the HRDC domain of human Wernersyndrome protein, WRN. J. Biol. Chem., 282 (4) : 2717-2728, 2007.

4) Bohr, V. A. : Rising from the RecQ-age: the role of human RecQ helicases in genome maintenance.Trends Biochem. Sci., 33 : 609-620, 2008.

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