16 clube de fado -...

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13 城やポルタの横に階段があり、城壁 の上を歩いてみた。 ポルタの先から畑のなかを南に延び ているのは、16 世紀の水道橋である。 ポルタの外で焼栗を売る一家に 会った。白い紙袋に 15 個~20 個の 焼栗が 2 ユーロ。 この夜は首都リスボンに帰り夕食後、ファドに出かけた。暗いので貸し切りバスで向う。 リスボン市内のClube de Fado という店だ。 左はファド歌手登場前に食事をするギター奏者。

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城やポルタの横に階段があり、城壁 の上を歩いてみた。 ポルタの先から畑のなかを南に延び ているのは、16世紀の水道橋である。 ポルタの外で焼栗を売る一家に 会った。白い紙袋に 15個~20個の 焼栗が 2ユーロ。 この夜は首都リスボンに帰り夕食後、ファドに出かけた。暗いので貸し切りバスで向う。 リスボン市内の「Clube de Fado 」という店だ。 左はファド歌手登場前に食事をするギター奏者。

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11月 30日 ■ エヴォラ バスコ・ダ・ガマ橋を通り、テージョ川を渡る。通行料はリスボンから南地区へは無料、

逆方向は 2.5ユーロかかるとのこと。沿道に目立ったのはコルク樫の木だ。木と木の間隔は10メートルから数十メートル。コルク生産量は世界の 50パーセントを占め世界一。コルクはバイクのブレーキだとか洗濯機の脱水槽などで使われているとか。日本へも輸出されて

いるそうだ。も一つはブドウ畑の多いこと。剪定されて背丈が 50センチメートルほどで日本のブドウのように棚を作ることは無い。“アレンテージョ”地方土産はコルク製品、色彩

陶器とのこと。南部地方では大理石も産出されているそうだ。 ユネスコの世界文化遺産に登録されているエヴォラは、ローマ時代から栄えていた“アレ

ンテージョ”の中心都市で城壁に囲まれている。人口は 5万 7千人。1551年にはイエスズ会によって大学(エヴォラ大学)が創設され、以来学芸の中心地ともなっている。天正遣

欧少年使節団がここを訪れたのは 1584年 9月のこと。 ・ Se Catedral・・ ・ Templo Romano・・ ・ Capela dos Ossos(人骨堂)・・サン・フランシスコ教会の内部に人骨堂がある。修道士の瞑想の場として作られたという小部屋で天井も壁も5,000体と言われる人骨で覆われている。

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16 世紀半

ばのパイ

プオルガ

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ディアナ神殿 2~3 世紀にかけてローマ人によって作られた神殿。規模は大きくないが、イベリア半島に残るローマ神殿としては保存が良いものの一つとされている。 リスボンに戻り、夕食前に近くを散歩しながら街の夜景を撮る。 ■ サンタ・ジュスタのエレベーターに乗る。昇りだけエレベーターを使い、丘の上から降

りてくるコースを選んで歩いた。エレベーターを降りたら月が輝いている。 駅を出てカルモ広場へ。ここは 1974 年「4 月 25 日革命」のサイトの一つ。広場に面して

地名のあたまに“AL”がつく地名にはアラブ人が開拓した町が多い。

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カルモ教会(Convento do Carmo )がある。1755年の「リスボン大地震」の惨禍を後世に伝える為、崩壊した教会を修復せず、そのまま内部を考古学博物館にしている。 丘を下って、ロッシオ広場。月光に照らされている騎馬像の奥の方に見える建物は多分

マヌエル様式のファサー ドを持つ 16世紀のコン セイサン聖母教会と思う。

騎馬像はブラジル皇帝で

もあったペドロ四世の像

である。

ロッシオ広場からアウグスタ通り、ダプラタ通り、ダマダレーナ通りを行ったり来たりし

ながら通りを結ぶ路地を飾るイルミネーションの数々を撮り続けた。

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ホテルに戻り、夕食会兼解団式が始まる。翌日から別行動の団員が居られるので「ポルトガ

ル親善演奏旅行」最後の晩餐ということだ。片岡幹事長の司会で始まる。 (上左)西村暢之団長、(上右)松崎陽治指揮者の各挨拶。松崎氏の向って右はピアニスト

の増本博子さん。 以上でメモ書きの整理をとりあえず終ります。この後は多分資料を色々参考に見ながら追

加・補充して遺す予定です。 2010.01.15(金)酉水紘一

☆12月 2日、演奏旅行から帰ってから、民児協定例会(3)、ふれあい祭り(5)、災害時避難要支援者避難訓練(6)、桜岡小学校 SC(7)、戸塚童謡の会(8)、民児協広報委員会(9)、岡崎ミニサロン(10)、カルテット練習会(14)、港北童謡の会(15)、マンスリーウォーキング(16)、カルテット X’masコンサート(18)まで行事が連続した。( )の数字は日にち。21日に漸く 2号車の観光ガイドや諸々お手伝いを頂いた Ayami Kei Pedroさんへお礼メールを送ることが出来た。

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横浜グリークラブ(Y.G.C)の酉水(すがい)と言います。 2 号車の点呼担当をしていました。 楽しいバス旅行をプレゼントして頂きました貴女に 2号車 全員に代わり御礼申し上げます。 コインブラ大学OB男声合唱団の訪日がいつの日か実現 されることと思います。 その際にはまたお世話になることと思いますが、貴女の来日 の可能性はありませんか?いつでも大歓迎です。 間もなく新年を迎えますが、 ご家族みなさまにとって最良の年となりますよう祈念いたします。 遅ればせのご挨拶とはなりましたが、これからもお元気でご活躍下さい。 有難うございました。 2009.12.21 YGC ポルトガル親善演奏旅行 ベースパート(B2)幹事 酉水紘一 酉水様 こちらはかなり冷え込む冬となりました。 皆さんと行きましたエボラでは、雪がすこし降りました。 私も雪が見たいのですが、ここでは降りませんし、見に行こうといっても、 タイヤまで替えて行く気もしないし、テレビで見るだけです。 雪の朝の静けさ、、、懐かしい風景のひとつです。 先日はメール、ありがとうございました。 お礼が遅くなって申し訳ありません。 無事に旅行が済みほっとしました。 たいしたこともできませんでしたのに、お礼のお言葉まで頂き、恐縮しております。 体調をくずされた方もいらっしゃたとお聞きしました。 皆様お元気で、新しい年をお迎えになったでしょうか。 今年も、お元気でご活躍くださいますように。 立派な音楽ホールでお歌いになる皆様には、ポルトガルではずいぶん びっくりすることばかりだったろうと思います。 私は、久しぶりに日本の歌を聴くことができ、楽しいひと時でした。 今年は外国での演奏会はあるのでしょうか。

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皆様お元気で今年も歌ってください。 健康にもいいし,はつらつとしていらっしゃたのは、やはり歌っていらっしゃるからだと

思いました。 では、お返事まで。 Ayami Kei Pedro

(注)2010 年 1月 12 日に Ayami Kei Pedro さんから返信がありました。

横浜グリークラブ事務局・竹内事務局長へも内容を転送しておきました。

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追加写真 2009年 11月 27日 ↓ コインブラ大学構内で B1・渡辺繁氏撮影

↓ (最前列)コインブラ大学OB男声合唱団指揮者 VIRGILIO Alberto Valente CASEIRO氏

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↓ リハーサル中の横浜グリークラブメンバー(35名)

↓ コインブラ大学 OB男声合唱団 メンバーの多くは黒マントを着用している。歴史ある名門大学を卒業した証としての意味合

いもあるそうです。マントの裏に学部別の様々な紋章が縫い込まれていて記念として各人が

宝物のように大切にしている。

この合唱団は、そのルーツであるコインブラ大学合唱団の 100 周年記念コンサートを契機として1980年に結成された。結成の目的は、音楽における新しい挑戦の道しるべになることは勿論、同時に人間としての大事な座標である同胞愛の理想、寛容と連帯といった幾世代にもわたって受

け継がれてきたコインブラ大学の伝統を再興すること。これまで 600 回を超えるコンサートや演奏を国内外で行なってきた。ヨーロッパ議会、ユネスコ、国連などでも。

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2009年 11月 28日 レイリア・コンサート ↓ オルフィオン・デ・レイリア合唱団

↓ レイリア市合唱団

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↓ レイリア市少年少女合唱団

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↓ 2009年 11月 29日バターリャ修道院「未完の礼拝堂」にて 左から、鈴木浩氏、愚生、片岡克之氏 渡辺繁氏撮影 (右端は不思議そうに見つめる B2高瀬昭夫氏)

以上