2010〜2011年の異常気象をふり返る...2010〜2011年の異常気象をふり返る...

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17 世界の今 知りたい! 成蹊大学准教授 財城真寿美 2010〜2011年の異常気象をふり返る 2010年夏の日本の猛暑やロシアの熱波、そして2010年 末から2011年にかけての日本の大雪・低温やオーストラ リア東部での洪水、アメリカ合衆国東部の大雪などと いった異常気象は、しばしば「地球温暖化」や「エル ニーニョ・ラニーニャ現象」などと関連づけて、毎日の ようにメディアで大きく取り上げられている。異常気象 は、身の回りで起きる極端な現象にとどまらず、私たち の健康や安全を脅かし、生活環境を破壊し、そして地理 的に離れた場所にさえ長期にわたる経済混乱など、さま ざまな影響を及ぼす。 一般に、異常気象とは「30年に1回起きるような極端 な大気の現象(たとえば高温・低温、多雨・少雨など)」 をいうが、広義に「風雨、風雪、大雨、暴風など社会生 活に支障を及ぼす大気現象」を含むこともある。ここで は、記憶に新しい昨年からの異常気象の事例をふり返り、 その要因とともに紹介しようと思う。 2010年夏の高温 2010年夏(6〜8月)、都市化の影響が少ない17地点 の気象観測所のデータから算出した日本の平均気温は、 気象庁が統計を開始した1898年以降で最も高くなった。 日本の気象官署154地点のうち11地点(富山・福井・熊 谷・敦賀・館野・横浜・千葉・米子・舞鶴・大分・松山、 表1)で、日最高気温が35℃以上になる猛暑日の日数を 更新した。この高温は、まず6月から北日本でみられる ようになり、8月には全国的な傾向になった。結果とし て、6月の日本の平均気温は観測史上第5位(平年差 +1.24℃)、7月は第11位(平年差+1.42℃)、8月の平 均気温は平年を2.25℃も上回り第1位となった。この高 温によって、熱中症での死者や病院搬送者が過去に例を みないほど多数発生し、降水量も少なかったため作物の 生育に影響がでて、野菜価格の高騰が秋まで続いた。一 般に高温条件下の北海道では、米の収穫量は増えるが、 今年はその北海道でも減収になるほどの高温だった。最 終的に、気象庁はこの2010年夏の気温の高さを「異常気 象」と認定した。 日本よりひとあし早く、7月には北半球の中緯度地域 で顕著な高温が報告されていた(図1上)。とくに、ヨー ロッパ東部からロシア西部では異常高温、さらにロシア 西部は異常少雨もかさなり、大規模な森林火災も発生し た。森林火災の煙の影響で、かすんで視界が悪くなった モスクワ市内の様子が、ニュースなどで報じられた。 日本、そして遠く離れたヨーロッパ東部・ロシア西 部に高温をもたらした要因の一つが偏西風蛇行である。 地球の大気は、極と赤道域の熱のアンバランスを解消 するために循環しており、その一部が中緯度帯を西か ら東に帯状に吹く偏西風である〔『新詳地理資料 COM- PLETE2011』(以下、資料集)p.27「大気の大循環」参照〕。 地球上の極と赤道域、大陸と海洋の間に生じる熱の差に よって、またチベット高原やロッキー山脈などの高い山 脈も障害となって、偏西風は西から東にまっすぐではな く、南北に蛇行しながら吹いている。その蛇行の程度は、 海水温の変化などさまざまな要因で変化し、その原因は はっきりとわかっていない。また、北半球の場合、偏西 風が南から北側に吹くところでは南から暖かい空気が流 入しやすく、南側に吹く場合は寒気が南下する。そして、 偏西風が北側に蛇行する地域の東側や南側には高気圧が 発達し、晴天域が広がりやすくなる。2010年の夏は、ちょ うどロシア西部と日本付近で、偏西風が北側へ非常に大 きく蛇行し、高気圧が発達していた(図2)。 そして、日本に猛暑をもたらしたもう一つの要因が、 エルニーニョ・ラニーニャ現象だ。エルニーニョ現象と は中・東部太平洋の赤道域の海面水温が平年に比べて高 く(ラニーニャ現象では低く)なり、その状態が1年程 度続く現象で、これ自体は異常気象ではない(『新詳高 等地図 初訂版』p.76「⑦エルニーニョ現象の発生」、資 料集p.39「エルニーニョ・ラニーニャ」図参照)。2010 表1 2010年に記録更新した11地点の夏(6〜8月)の猛暑日の日数 (気象庁資料より作成) 地点名 日数 平年値 これまでの 最大(年) 富山 18 3.1 14(2007) 福井 21 3.8 17(1994) 熊谷 31 9.9 28(1994) 敦賀 15 2.7 13(1994) 館野 13 1.3 9(1994) 横浜 5 0.4 4(2001) 千葉 8 0.6 6(1995) 米子 22 4.2 16(1994) 舞鶴 27 5.5 21(1994) 大分 15 2.2 11(2008) 松山 12 1.2 11(2008)

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Page 1: 2010〜2011年の異常気象をふり返る...2010〜2011年の異常気象をふり返る 2010年夏の日本の猛暑やロシアの熱波、そして2010年 末から2011年にかけての日本の大雪・低温やオーストラ

17

世界の今知りたい!

成蹊大学准教授 財城真寿美

2010〜2011年の異常気象をふり返る

 2010年夏の日本の猛暑やロシアの熱波、そして2010年

末から2011年にかけての日本の大雪・低温やオーストラ

リア東部での洪水、アメリカ合衆国東部の大雪などと

いった異常気象は、しばしば「地球温暖化」や「エル

ニーニョ・ラニーニャ現象」などと関連づけて、毎日の

ようにメディアで大きく取り上げられている。異常気象

は、身の回りで起きる極端な現象にとどまらず、私たち

の健康や安全を脅かし、生活環境を破壊し、そして地理

的に離れた場所にさえ長期にわたる経済混乱など、さま

ざまな影響を及ぼす。

 一般に、異常気象とは「30年に1回起きるような極端

な大気の現象(たとえば高温・低温、多雨・少雨など)」

をいうが、広義に「風雨、風雪、大雨、暴風など社会生

活に支障を及ぼす大気現象」を含むこともある。ここで

は、記憶に新しい昨年からの異常気象の事例をふり返り、

その要因とともに紹介しようと思う。

■ 2010年夏の高温

 2010年夏(6〜8月)、都市化の影響が少ない17地点

の気象観測所のデータから算出した日本の平均気温は、

気象庁が統計を開始した1898年以降で最も高くなった。

日本の気象官署154地点のうち11地点(富山・福井・熊

谷・敦賀・館野・横浜・千葉・米子・舞鶴・大分・松山、

表1)で、日最高気温が35℃以上になる猛暑日の日数を

更新した。この高温は、まず6月から北日本でみられる

ようになり、8月には全国的な傾向になった。結果とし

て、6月の日本の平均気温は観測史上第5位(平年差

+1.24℃)、7月は第11位(平年差+1.42℃)、8月の平

均気温は平年を2.25℃も上回り第1位となった。この高

温によって、熱中症での死者や病院搬送者が過去に例を

みないほど多数発生し、降水量も少なかったため作物の

生育に影響がでて、野菜価格の高騰が秋まで続いた。一

般に高温条件下の北海道では、米の収穫量は増えるが、

今年はその北海道でも減収になるほどの高温だった。最

終的に、気象庁はこの2010年夏の気温の高さを「異常気

象」と認定した。

 日本よりひとあし早く、7月には北半球の中緯度地域

で顕著な高温が報告されていた(図1上)。とくに、ヨー

ロッパ東部からロシア西部では異常高温、さらにロシア

西部は異常少雨もかさなり、大規模な森林火災も発生し

た。森林火災の煙の影響で、かすんで視界が悪くなった

モスクワ市内の様子が、ニュースなどで報じられた。

 日本、そして遠く離れたヨーロッパ東部・ロシア西

部に高温をもたらした要因の一つが偏西風蛇行である。

地球の大気は、極と赤道域の熱のアンバランスを解消

するために循環しており、その一部が中緯度帯を西か

ら東に帯状に吹く偏西風である〔『新詳地理資料 COM-

PLETE 2011』(以下、資料集)p.27「大気の大循環」参照〕。

地球上の極と赤道域、大陸と海洋の間に生じる熱の差に

よって、またチベット高原やロッキー山脈などの高い山

脈も障害となって、偏西風は西から東にまっすぐではな

く、南北に蛇行しながら吹いている。その蛇行の程度は、

海水温の変化などさまざまな要因で変化し、その原因は

はっきりとわかっていない。また、北半球の場合、偏西

風が南から北側に吹くところでは南から暖かい空気が流

入しやすく、南側に吹く場合は寒気が南下する。そして、

偏西風が北側に蛇行する地域の東側や南側には高気圧が

発達し、晴天域が広がりやすくなる。2010年の夏は、ちょ

うどロシア西部と日本付近で、偏西風が北側へ非常に大

きく蛇行し、高気圧が発達していた(図2)。

そして、日本に猛暑をもたらしたもう一つの要因が、

エルニーニョ・ラニーニャ現象だ。エルニーニョ現象と

は中・東部太平洋の赤道域の海面水温が平年に比べて高

く(ラニーニャ現象では低く)なり、その状態が1年程

度続く現象で、これ自体は異常気象ではない(『新詳高

等地図 初訂版』p.76「⑦エルニーニョ現象の発生」、資

料集p.39「エルニーニョ・ラニーニャ」図参照)。2010

表1 2010年に記録更新した11地点の夏(6〜8月)の猛暑日の日数(気象庁資料より作成)

地点名 日数 平年値 これまでの最大(年)

富山 18 3.1 14(2007)福井 21 3.8 17(1994)熊谷 31 9.9 28(1994)敦賀 15 2.7 13(1994)館野 13 1.3 9(1994)横浜 5 0.4 4(2001)千葉 8 0.6 6(1995)米子 22 4.2 16(1994)舞鶴 27 5.5 21(1994)大分 15 2.2 11(2008)松山 12 1.2 11(2008)

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年は春にエルニーニョ現象が終息し、つづいて夏にはラ

ニーニャ現象が発生した。エルニーニョ現象が終了する

と全球的に気温が高い状態が数か月続くといわれている。

また、ラニーニャ現象が発生すると中部〜東部太平洋の

熱帯域の海面水温が低くなるのと同時に、西部太平洋熱

帯域では海面水温は上昇して積乱雲の活動が活発になる。

一方、中緯度域にあたる日本付近では、太平洋高気圧が

勢力を強め、晴天が続く(図3左、次頁)。このように

今年の夏は、エルニーニョ現象終息後の全球的な昇温と、

ラニーニャ現象による太平洋高気圧の発達が重なること

により、異常高温になったと考えられる。

■ 2010年末から2011年にかけての

オーストラリア東部の異常多雨と日本の低温・大雪

 オーストラリア東部のクインズランド州では、2010年

11月末からたびたび大雨に襲われ、2010年12月の月降水

量が平年の3〜4倍になった地点(マカイ、ロックハン図2 2010年夏の高温をもたらした大気のしくみ   (気象庁資料より作成)

△異常高温 

▽異常低温

□異常多雨

×異常少雨

異常高温・異常低温は標準偏差の

1.83倍以上

凡 例

2010年7月

2010年12月

図1 2010年7月(上)およ  び12月(下)の世界の異  常気象発生地点  (気象庁資料より作成)

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ロシア・モスクワロシア・モスクワ

アメリカ合衆国ニューヨーク

アメリカ合衆国ニューヨーク

東京東京

北半球の偏西風の蛇行の様子

  に発達した高気圧が発生

中国・ペキン

太平洋高気圧の張り出し強化

H 太平洋高気圧の張り出し強化

ラニーニャ現象で、海面水温が上がり、対流活動活発化ラニーニャ現象で、海面水温が上がり、対流活動活発化

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プトン、ブリズベンなど)もあった。これにより河川が

氾濫し、家屋の浸水や停電などが起こり、多くの人が避

難することになった様子がニュースで頻繁に伝えられた

(図1下)。

 日本では、2010年末から2011年1月にかけて、北・東・

西日本において平年よりも気温の低い状態が続き、日本

海側の地域では大雪となった。予想を超える大雪により、

年末年始に各地で交通機関が麻痺し、大混乱になったこ

とは記憶に新しい。反対に東京地方では、2010年12月31

日から38日連続で乾燥注意報(注意報の基準は、最小湿

度25%以下、実効湿度50%以下になると予想された場合)

が発表され、頻繁に火災が発生した。

 オーストラリア東部と日本で起こった異常気象の要因

の一つが、昨夏から続くラニーニャ現象である(図3右)。

西部太平洋熱帯域で活発になっていた積乱雲の活動が

オーストラリア東部に直接影響を与え、大雨をもたらし

た。日本周辺では、北西季節風をもたらすシベリア高気

圧が発達し、西高東低の気圧配置が強まり、大雪をもた

らすこととなった。さらに、夏に日本付近で北側へ蛇行

していた偏西風が、冬にはラニーニャ現象の影響で南側

に蛇行し、極付近の冷たい空気を日本へもたらした(図

4)。

 そして寒気の吹き出しをもたらすもう一つの要因が、

北極振動である。北極振動とは、北半球の北極域と中緯

度の地上気圧のシーソー現象で、北極域の気圧が高くな

ると中緯度域への寒気の放出が起こり、低くなると蓄積

される。北極域は昨年末から高気圧に覆われ、日本へ寒

気が流れ込みやすい状態にあった。

■異常気象を引き起こすさまざまな要因

 本稿では、2010〜2011年の世界で起こった異常気象の

事例を、地球の大気の大循環や大気と相互作用する海水

温などの変動(内因という)を要因として、説明した。

しかし、異常気象の要因は、太陽活動や火山噴火、人間

活動など大気の大循環とは無関係に働く要因(外因)も

ある。とくに人間活動による影響で懸念されているのが、

温室効果ガスの増加による地球規模の温暖化である。昨

年の高温も、この地球温暖化の影響が背後にあると考え

られる。地球の平均気温は20世紀に入って約0.6℃上昇

し、とくにここ数十年間の上昇率はさらに大きくなって

いる。IPCCの第四次報告では、地球規模の温暖化によっ

て、単に異常高温の可能性が高まるだけでなく、豪雨や

干ばつ、台風の強化などさまざまな極端現象の起こる可

能性が高くなると述べられている。さらに、地球が温暖

化することによって、日本に猛暑・大雪をもたらしたエ

ルニーニョ・ラニーニャ現象の特徴(大きさ、頻度、持

続期間など)が変化する可能性も指摘されており、今後

の温暖化研究の重要な課題になっている。温暖化が進行

した将来には、まったく新しいタイプの異常気象が発生

する可能性もあり、そういった想定外かつ未知の異常気

象リスクを少しでも減らすには、持続可能な自然環境の

利用と温室効果ガスの削減努力などから取り組んでいく

必要がある。

太平洋高気圧の北への張り出しが強い

ラニーニャ現象発生西部熱帯域の海面水温上昇 ラニーニャ現象発生

西部熱帯域の海面水温上昇

冬型気圧配置強まる

対流活動が活発 対流活動が活発

ラニーニャ現象の夏季の天候への影響 ラニーニャ現象の冬季の天候への影響

太平洋高気圧の北への張り出しが強い

ラニーニャ現象発生西部熱帯域の海面水温上昇 ラニーニャ現象発生

西部熱帯域の海面水温上昇

冬型気圧配置強まる

対流活動が活発 対流活動が活発

図3 ラニーニャ現象が日本の天候へ   影響を及ぼすメカニズム   (気象庁資料より作成)

海面水温低い

海面水温高い

北極振動と偏西風の

蛇行で寒気が南下

ラニーニャで海面水温が上がり対流活動活発化

偏西風を

蛇行させる

偏西風偏西風

赤道

寒気寒

高気圧高気圧

図4 2010年末から2011年に日本に大雪と低温をもたらした大気のしく   み(産経新聞記事より作成)