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2018 年度 韓国キャンプ 報告書 2018年10⽉27⽇

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Page 1: 2018年度 韓国キャンプ 報告書...いるとのことだった。そこで話は 挙に広がり、翌72年秋、2名が渡韓、定着 村を訪問した。 73年に って韓国で最初のワークキャンプを開くにあたり、

2018 年度 韓国キャンプ 報告書

2018年10⽉27⽇

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⽬次 0. 韓国のハンセン病の歴史とワークキャンプの歩み(背景) 1. 本キャンプ概要

1.1 ⽬的 1.2 キャンプ地 1.3 ⽇程 1.4 参加メンバー

2. 実施内容 2.1 ⽇程 2.2 ワーク 2.3 エバーグリーンセンター 2.3.1 施設概要 2.3.2 ワーク内容 2.4 キャンプ中の⽣活 2.5 キャンプ中の遊び 2.6 遠⾜

3. キャンパー感想 3.1 上堀太郎(ほりたろう) 3.2 ⽵内りか(りか) 3.3 東もえか(もえか) 3.4 渋⾕健⼆朗(ぶー) 3.5 ⽟村はるか(たまむー) 3.6 野⽥和夏⼦(のっこ) 3.7 肥後颯樹(さつき)

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0. 韓国のハンセン病の歴史とワークキャンプの歩み ※モグネットより引⽤ 「韓国ハンセン病の概略」

⽇本の統治下での強制隔離政策や朝鮮戦争の混乱から脱出した韓国は、1960年代より、ライ快復者(ハンセン病快復者)の社会復帰のための⽅策として、「定着村」作りを始めました。それは、ライへの差別や偏⾒が快復者の個⼈的な社会復帰を困難にしていたため、集団である⼟地に⼊植し、農業や畜産で⽣計を⽴てていこうとするものでした。 現在、韓国に 90 ヶ所ほどの村があり、⼩は 20 ⼈位の村から⼤は 1,000 名まで規模は様々です。その中に韓国のライ快復者の約 3 割、約 12,000 ⼈の⼈達が、その家族約 13,000 ⼈と暮らしています。村の⽣計は養豚、養鶏等の畜産に依るところが多く、全定着村で、韓国の卵の⽣産量の約 3 割を⽣産していると⾔われるほどになっています。 ⼊植当時は、周りの村⼈の反対や、⽣活難で⼤変な苦労がありました。偏⾒のため⼦供達が地元の学校に通えず仕⽅なく村に分校を作っていた村もかなりあります。しかし、彼らは、教会を精神的な⽀柱に、畜産組合を経済的な⽀柱にして努⼒し、家族を営み、⼦孫達の発展を夢⾒ながら村を豊かにしてきました。 経済的な発展は周辺の村との交流を活発化させ、畜産をやるために定着村に⼊ってくる⼀般⼈も現れ始めています。 今の定着村に問題がないわけではありません。後継者不⾜や、⽼齢化は深刻な問題になっています。障害のある彼らが⽼齢化していけば当然⽣活⼒は落ちていきます。定着村は⾃主⾃⽴の村ですから、そう特別な政府の補助があるわけではありません。(医療は無料、最低保障の⾷糧、燃料費の補償あり) 「⽇韓合同ワークキャンプの⽣い⽴ち」

1963 年、ある⼀⼈のハンセン病快復者が、無菌証明書を提⽰したにもかかわらず、東京 YMCA ホテルから宿泊を拒否された―― その事実を伝え聞いた当時の FIWC 関⻄委員会のメンバーが、「らい園在園者が気楽に宿泊できる家を建てよう」と提案したことが契機となり、数々の困難を乗り越えて、4 年後の 67年、奈良市郊外の⼤倭(おおやまと)に学⽣たちの⼿で「交流(むすび)の家」が完成した。 交流の家が開かれてから 4 年⽬の 71 年、たまたま韓国からクエーカー教徒の呉奇天(オチェチョン)牧師が来訪、宿をとった。40 代のおだやかな⼈物で、⼀韓国のハンセン病快復者定着村・再活圏(チェファルウォン)で伝道を続けて

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いるとのことだった。そこで話は⼀挙に広がり、翌 72 年秋、2 名が渡韓、定着村を訪問した。 73 年に⼊って韓国で最初のワークキャンプを開くにあたり、⽇本側だけでなく、韓国の学⽣の参加も募ることになった、しかし当時は、まだ韓国の学⽣とは何のつながりもなく、呉牧師は 1 ⼈で⼤⽥(テジョン)駅に⽴って道⾏く⼈に声をかけた。 「この 8 ⽉に⽇本の学⽣が定着村のワークキャンプで来韓するが、⼀緒に参加しませんか?」 その時、夏休みで帰省中のソウル⼤学の⼥⼦学⽣が協⼒を申しでて、友⼈知⼈、親類の学⽣に呼びかけた。たちまち 17 ⼈が集まり、⽇本からも 29 ⼈が参加して、再活園で第⼀回⽇韓合同ワークキャンプが開かれた。 その後、韓国側のメンバーも年々広がり、79 年には地元、⼤⽥市の忠南⼤学に「KWCL(韓国助らい会)」が発⾜した。 さらに⽇本⼈留学⽣メンバーの働きかけにより、86 年にはソウルの韓国外国語⼤学に「ハナヘ」という組織も発⾜し、以来毎夏 2 ヶ所の定着村においてワークキャンプが⾏われるようになり、現在に⾄っている。 ※韓国のハンセン病の他、ワークキャンプについても関⼼のあるかたは、ぜひモグネットの HP をのぞい

てみてください。 モグネット HP アドレス http://www.mognet.org/index.html

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1. 本キャンプ概要 1.1 ⽬的 韓国の学⽣とともにハンセン病快復者の⽅々が暮らす村に訪れ、韓国のハンセン病の歴史や現状にについての理解を深め、発信する。また、韓国の同世代の学⽣と交流することによって、⽂化交流を図る。 1.2 キャンプ地 청원마을(충북 청주시 청원구 내수읍 원통 숲안길 57) 忠清北道清州市清園区内⽔⾢園通中通り57 1.3 ⽇程 2017年 8 ⽉14⽇〜8⽉23⽇ 1.4 参加メンバー ・FIWC 関東委員会 10名 菊池静華 韓国キャンプ歴10年以上、社会⼈ 宮崎学 韓国キャンプ OB、帝京平成⼤学教師 上堀太郎 慶應義塾⼤学⼤学院修⼠1年⽣(キャンプ参加2回⽬) ⽵内りか 帝京平成⼤学3年⽣(初参加) 東萌⾹ 帝京平成⼤学3年⽣(初参加) 肥後颯樹 帝京平成⼤学2年⽣(初参加) 渋⾕健⼆朗 帝京平成⼤学 2 年⽣(初参加) 野⽥和夏⼦ 帝京平成⼤学2年⽣(初参加) ⽟村はるか 帝京平成⼤学2年⽣(初参加) 室野春菜 慶應義塾⼤学商学部1年⽣(初参加) ・韓国外国語⼤学⽇本語学科「ハナ会」 約35名 代表者(リーダー) 이동규(イ・ドンギュ)

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2. 実施内容 2.1 ⽇程 8⽉13⽇ ハナ会先発隊キャンプイン 8⽉14⽇ ハナ会本隊、⽇本⼈メンバーキャンプイン 8⽉15⽇ ワーク 8⽉16⽇ エバーグリーンセンター訪問 8⽉17⽇ ワーク 8⽉18⽇ ワーク 8⽉19⽇ 遠⾜ 8⽉20⽇ ワーク 8⽉21⽇ エバーグリーンセンター訪問 8⽉22⽇ ワーク 8⽉23⽇ キャンプアウト・打ち上げ 8⽉24⽇ fiwc メンバー帰国 2.2 ワーク ・ごみ拾い 村内部の道や最寄りのバス停から村までの道の端などに落ちているごみを拾った。(図1参照)主なごみは飲料のペットボトルや紙パック、たばこの吸い殻、農業で使ったと思われるビニール、雑草など ・草刈り 道路の脇や庭に⽣えている雑草を刈った。 ・⽜舎の⼿伝い ⽜舎は村に 2 か所あるが宿舎の裏に位置する⽜舎のお⼿伝いをした 主な内容は、⽜舎周辺の草刈り(草むしり)、右の写真に写っている餌が⼊っている巨⼤な袋が積み重なっていたので数枚に分けてひもでまとめて⽜舎の外のゴミ捨て場に運ぶこと。 ・畑の⼿伝い 畑の内ので作物以外の草むしりや肥料をまいたり、その肥料を周りの⼟で被せて畝を作ったり、畝にビニールシートを被せて端を⼟で固定したりした。 特に、ゴマ畑での作業が多かった。(図1参照)

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図1:ごみ拾いの様⼦(左)と畑仕事の様⼦(右)

⽇中の気温の⾼さを避けるために、ワークは基本的に早朝に⾏った。 2.3 エバーグリーンセンター 2.3.1 施設概要 2007 年に韓国ハンセン総連合会によって設⽴された⾼齢のハンセン病快復者のための療養施設。 ハンセン⼈特別法が制定され、ハンセン⼈のための福祉政策や推進されたこと⺠間団体や、専⾨家、ボランティアの献⾝と努⼒によってハンセン病に対する偏⾒や誤解が解消されつつあり、ハンセン⼈を取り巻く関⼼が変化してきている。 ⼊所者数は 2 階、3 階の⼊所者フロア合わせて約 50 ⼈。 2.3.2 ワーク内容 キャンプ中、本施設には2回訪れた。 施設の⼈々は、⼊居者の⽅々、スタッフの⽅々みな我々を好意的に迎えてくれた。施設の⽅々の指⽰で様々なお⼿伝いを⾏った。ハードなワークもあったが、イチゴ⽜乳の差し⼊れがあったり、⾷堂でご飯を⾷べさせてもらったりなど、施設の⽅々のご厚意で、気持ちの良いワークとなった(図2参照)。

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なお、施設の⽅々とのコミュニケーションのため、ハナ会メンバーと fiwc メンバーが混同で 4.5 ⼈のチームを結成し、活動した。 1⽇⽬は、男性チームは主に屋外での⼒仕事を⾏った。施設の裏に 120𝑚"ほどの畑があり、そこの⽯拾いを⾏ったり、⼩屋の脇に溜まったごみを⽚付けたりした(図3参照)。⼥性チームは、主に部屋やトイレの掃除など、建物内でのワークとなった。 2⽇⽬は、男⼥混同で施設の掲⽰板に飾る展⽰品を作った。 図2:エバグリーンセンターでの⾷事(左)と差し⼊れのいちご⽜乳(右)

図3:エバーグリーンセンターでのワーク 1⽇⽬の畑の⽯拾いでの集合写真(左)

2⽇⽬に作った展⽰のポスターの様⼦(右)

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2.4 キャンプ中の⽣活 宿舎は、広めの(3部屋ある)建物⼀棟。 キャンパーの⼈数は、多い時で40⼈を超えたため、かなり⼈⼝密度が⾼かった。寝るときは、宿舎からすぐ近くの教会も借りた。 料理は、主にハナ会の KP が担当。3、4 ⼈の少⼈数で全メンバーの⾷事を毎⾷分作った。内容は主に韓国料理。料理はどれも美味しく、キャンパーからは絶賛であった。 2.5 キャンプ中の遊び キャンプ中は⾃由時間が多く、睡眠をとるキャンパーも多かったが、集まって様々な娯楽を楽しんだ。韓国のカードゲームや⼈狼など、ハナ会メンバーとfiwc メンバーが⼀緒になって遊んだ。 キャンプ後半では、fiwc メンバーが⽇本から持参した⽔⾵船や現地調達の花⽕を⽤いて遊んだ(図4参照)。

図4:キャンプ中の遊び ⽔⾵船で遊ぶ様⼦(左) 花⽕で遊ぶ様⼦(右)

2.6 遠⾜ 8⽉19⽇(⽇)は休⽇ということで、キャンプ地近くのサンダンサンソンという観光地に出かけた。⾃然の綺麗なところで、キャンプ中に村以外で学⽣同⼠が交流できる⾮常に良い機会となった(図5参照)

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図5:遠⾜(サンダンサンソン)での写真 学⽣同⼠わきあいあいと楽しんだ。

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3. キャンパー感想 3.1 上堀太郎(ほりたろう) 今回のキャンプは、私が初めてキャンプリーダーを務めたキャンプであり、⾮常に反省点の多いキャンプとなった。 本キャンプに参加するのは前年度に続き2回⽬で、渡航前は、まだキャンプに対する知識も⼗分でないし、新メンバー7 ⼈を引っ張って⾏ける⾃信が全くなかった。渡航前ミーティングや全⽣園訪問など、、⾊々準備を頑張って進めていたが、結局、韓国キャンプ OB で、帝京平成⼤学の教師である学さんや、⼤ベテランのしずねえさんに助けてもらう事がほとんどであった。 今回のキャンプの最⼤の反省点は、渡航前にハナ会側と密に連絡をとっていなかった事である。例年は電話会議などをしていたが、今回はしなかった。そのために、双⽅の団体の意向が⼀致しない事があった。特に、料理担当について、キャンプ前半の⼈数が40⼈ほどいるときに、ハナ会の KP が毎⾷作ってくれて、彼らの負担がとても⼤きくなってしまった。当初の⾃分の考えは、fiwc とハナ会の KP が交互に料理を担当するイメージでいたが、そこの考えの不⼀致をあらかじめ確認しておくべきだった。新メンバーに多くの⼾惑いと不安を与えてしまったのを反省している。 さて、ここまで少々暗い話をしてきたが、個⼈的にキャンプはとても楽しむことができた。3泊4⽇の短いキャンプ⽣活であったが、ハナ会の学⽣はもちろん、⽇本⼈メンバーとも仲良くなることができたことを⾮常に嬉しく思う。また、新メンバーが「楽しかった」「またキャンプに戻りたい」「来年も⾏きたい」と⾔ってくれることが⼼から嬉しい。彼らに韓国キャンプのタスキをバトンタッチしてこれからもキャンプがずっと続いて欲しいと思う。 今回キャンプに参加してくれた新メンバー、彼らを集めてくれた学さん、そして去年からお世話になっているしずねえさん、ハナ会のみんな、本キャンプに関わったすべての⼈に感謝します。 3.2 ⽵内りか 韓国キャンプを通して、韓国の学⽣との交流、韓国のリアルな⽥舎⽣活、⼤⼈数での共同⽣活等たくさんのことを経験しました。その中で、⽇韓の⽂化の違い

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と似ている所も知ることができました。また、韓国キャンプに⾏く事前学習として、ハンセン病という病気の歴史や⽇本の実態を知ることができて、韓国キャンプ中ではハンセン病の実際の後遺症や実態、施設について知ることができました。つまり、韓国キャンプで、韓国の実際の⽇常⽣活におる韓国⽂化のリアルや、ハンセン病の実態のリアルといった双⽅のリアルを⾒ることができて、有意義な時間を過ごさせて頂きました。この中で、最も印象に残っていることについて、少し説明していきたいと思います。 私が最も印象的と感じたことは、様々な場⾯で感じた⼈の⼼の温かさです。何も韓国語が分からない私たち⽇本⼈学⽣側に対し、韓国側の学⽣たちの⽇本語能⼒が⾼いことから、⾔葉によるコミュニケーションが可能であったことには救われました。しかし、それ以上に韓国学⽣たちがしてくださった、気遣い、配慮、思いやり等という⽬には⾒えないことの⽅が共同⽣活の中でたくさん感じることができました。また、村⻑さんをはじめとする村に住んでいる⽅々が私たちを受け⼊れてくださったこと⾃体が、既に村の⽅々の優しさです。そしてエバーグリーンの訪問については、正直、「⽇本をあまり良く思っていらっしゃらない患者様がいたらどうしよう。」という不安感が⼤きかったのですが、私が出会った患者様は、⾔語が全く通じなくても握⼿を求められたり、⼿を振ってくださる⽅、私が⽇本⼈であることが分かると「こんにちは」と⽇本語で⾔ってくださった⽅もいました。国の違いを気にすることなく、純粋にキャンプメンバーの訪問を喜んでくださっているようで、⼈の温かさを感じました。 これらのことは、決して特別なことを⾏っているのではなく、普段の⽣活でも⾒られる場⾯が多いと思います。いつの間にか当たり前のことになり、⼈の温かさ等といった⽬で⾒えないものを感じ取る感覚が鈍くなっているということに気付きました。今回、⾔語が通じない代わりに、その分相⼿の気持ちや思いをくみ取ろうとしたことで、こういった⽬には⾒えないものに敏感になれたのだと思います。このような経験から、コミュニケーションをとるということは、ただ⾔葉を交わすのではなく、⽬に⾒えない部分でも分かり合うことではないかと考えました。今後、理学療法⼠という職に就くにあたり、今以上に様々な⼈とコミュニケーションをとる機会が増加し、特に患者様とのかかわりは密になります。患者様とコミュニ―ケーションをとる際、何か訴えかけているが⼝には出していってくれないことや、患者様本⼈からは⾔い出しにくいことといった、⾔葉では表現しづらいことや⾔いたくないことをなるべくくみ取り、患者様を⼀番

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に理解できているという理学療法⼠になりたいと思いました。そして、患者様の主訴になるべく近づくことができるようになりたいです。 韓国キャンプ全体を通して、たくさんの経験をさせて頂いたことから、もう⼀つ気付いたことがあります。それは、いつの間にか学校の授業ばかりの⽣活になっており、視野がとてつもなく狭くなっていたことです。このことから、新しいことへ⾶び込む楽しさ、挑戦することの⼤切さを改めて感じました。これから、いろいろなことに参加し、成⻑し続けられるようにしたいと思いました。 3.3 東もえか

今年初めて私は FIWC 関東委員会の活動に参加しました。 今回キャンプに参加した理由は今学⽣の間にしかできないことをすることで

これからの⾃分⾃⾝の選択の幅、視野を広げていくことができ、⼈間として成⻑することができると思ったからです。

渡航前は何もわからずとても不安でしたが韓国に到着してみると、韓国外語⼤学のハナ会のメンバーはとてもフレンドリーで⽇本語で話しかけてきてくれたおかげですぐに仲良くなることができました。帰りの際はホテルを探してもらったり終始お世話になりっぱなしで感謝しても感謝しきれません。

ハンセン病回復者の⽅が住む村でワークを⾏わせていただいたりエバーグリーンという施設でのワークも⾏いました。施設の⼊居者の⽅が話しかけてくれても韓国語が分からずお話しできなっかのはとても⼼残りです。⼊居者の⽅の中には少しだけ⽇本語を覚えていらっしゃる⽅もいて⽇本が⾏っていた植⺠地⽀配のことなどハンセン病のことだけでなく歴史についても考える気っかけになりました。

例年は茶話会を開いているというお話だったのですが、今年はなかったのが少し残念でした。

次回も参加できたらもっと村で⽣活している⽅のお話を聞ききコミュニケーションをとりたいと思いました。韓国でだけでなくこれからは⽇本国内でもハンセン病回復者の⽅の⽀援を積極的に⾏っていきたいと思います。 3.4 渋⾕健⼆朗

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まず初めに、この FIWC の work キャンプに誘ってくださった学さんに感謝をしたいです。そもそも、話が⾃分のところに回って来るまで学⽣団体に全く興味が無くそういった団体が存在することも知りませんでした。 また、同じ学科から⼀⼈だけだと参加しなかったと思います。⼀緒に参加してくれたキャンパーたちにも感謝したいです。 もちろん、学⽣団体や work キャンプに参加するのは初めてで渡航直前までかなり不安や緊張をしましたが、堀太郎をはじめ、しず姉、学さん、韓国の学⽣がキャンプ前半にとても馴染みやすい雰囲気を作ってくれたためキャンプ後半に堀太郎たちが帰国した後も有意義なキャンプが送れたと思います。 正直、キャンプに⾏く前までは韓国はあまり良いイメージが無く逆に反韓国の記事などをたまに⽬にしていたため良くないイメージが多かったです。しかし、実際は現地の⼈はとても親しみやすく韓国のことを何もわからない⾃分に対してとても親切に接してくれました。その時、記事などを鵜呑みにしてひとくくりで考えるは間違ったことで様々な視点から考えることの重要さに気づきました。 今回のキャンプで、⼈⾒知りしていると⼈⽣損すると感じました。知らない⼈との交流が予想以上に楽しく、とても⼤切な⼀⽣モノの仲間が作れたと思います。普通の海外旅⾏ではこのことに気づきにくいため work キャンプに参加してほんとによかったです!!! 来年は、経験者として積極的に現地⼤学⽣と連絡を取り合い企画に関わってより良いキャンプを作り上げるとともに、初めて参加するキャンパーがいれば馴染みやすい雰囲気づくりを⼤切にしていきたいと思います。 最後に、今回の work キャンプに関わってくださった全ての⼈に感謝したいと思います 3.5 ⽟村はるか 最初は国内のボランティア活動などに参加するよりいい経験や体験ができるだろうなという軽い気持ちで参加しました。しかし、2 週間後の帰る時には韓国で出来た友達と別れたくない、まだ韓国でみんなと過ごしていたいという気持ちが泣いてしまうくらいとても強くなっていました。初⽇は韓国語も全く知らず、あまりコミュニケーションとることも得意ではない性格から仲良くなれるか、

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楽しいキャンプに出来るのかとても不安でした。そんな不安も杞憂に終わるくらいにワーク活動、遠⾜、⽔遊びなどを通して接していくうちにほとんどの⼈たちと仲良くなれました。韓国⼈キャンパーで 2 週間ずっといた⼈は少なくて⼈の⼊れ替わりが早い中でいろんな⼈と⾮⽇常的な環境で関わって仲良くなれたことは本当に良い経験になりました。このキャンプに協⼒してくださった村の⽅々、助けてくれた⽇本⼈キャンパー、韓国⼈キャンパーにとても感謝しています。 3.6 野⽥和夏⼦ ⽇本を出発する前は初めてのキャンプ参加ということもあり、現地の⽅とのコミュニケーションや現地の学⽣との集団⽣活に不安を抱いていたが、キャンプインするとその不安は無くなり村の⽅も、現地の学⽣も優しく充実した 10 ⽇間を過ごすことができた。村での⽣活は⽇本での⽣活とは異なり、草むしりやごみ拾いのワークをさせてもらう他にキャンパー全員のご飯を作ったり現地の学⽣と夜遅くまで飲んだりするなど普通の旅⾏では経験できないことばかりだった。その中で⼀番印象に残っているのは現地の学⽣との交流で、キャンプ中にぶつかったこともあったが、別れ際には涙しながらまた会う約束をする程仲良くなっていた。これら全てこのキャンプに参加しなければ⼀⽣経験できなかったと思う。今回が初めての参加でしたが、貴重な経験をたくさんすることができ、携わってくれた全ての⼈に感謝しています。本当に参加して良かった。また来年の韓国キャンプにも参加したい。 3.7 肥後颯樹 今回のキャンプはとにかく⾏ってよかったの⼀⾔に尽きました。⼀番の思い出は、エバーグリーンで韓国⼈キャンパーと協⼒して、掲⽰物を作ったことです。どのようなデザインにするか3つグループに分かれてみんなで話し合って決めました。今まで⽇本で何回も話し合いをしたことがあったけど、違う⾔語が⾶び交う中での話し合いは初めてで、うわ、国際交流してるわ!そう思いました。⽇本語が得意な韓国⼈キャンパーが通訳をしてくれたことにも感謝でした。韓国の馴染みの深いムグンファという花と桜の⽊をモチーフにした掲⽰板を作って

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施設に飾った時に施設の⽅々がとても喜んでくれてよかったです。 今回のキャンプが成功することができたのは、協⼒してくださった村の⽅々、このキャンプの先輩⽅、そして 10 ⽇間共に過ごした韓国⼈キャンパーがいたからだと思います。その⽅々に感謝するとともに、今回得た経験をこれからの⼈⽣に活かしていきたいです。