今,こうしているのだから_rev1.1

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Written by nakoso Based on a work at http://bottlenovel.blog.shinobi.jp/

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今、こうしているのだから

 ひと際強く、風が吹いた。葉擦れがざわめいて、黄色い

帽子が飛んだ。

 くるりと回った帽子は宙で止まったかと思うと、再び

風にさらわれて、枝に引っかかった。

 葉がざわめいた。

 ――下?

 見下ろせば、まだ幼い少女がいた。丸くつぶらな瞳、眉

はハの字で、唇を半開きにした少女は呆然と枝に揺れる

帽子を見上げている。

 その瞳が潤み始めた。

 葉がこすれた。

 ――うん、そうだね。

 ほんのわずかで事足りる。ほんのわずか、枝を揺すれば

いい。それだけで――ほら、帽子は落ちた。

 足元に落ちた帽子を拾い上げた少女は、付いた砂を払

1

うとその笑顔に載せた。たたたっと走り去る少女を見送

る――不意に立ち止まった彼女は、振り返るや元気な

声を張り上げた。

「ありがとう!」

 ――どういたしまして。

 ☆

 ★

 ☆

 ★

 ☆

 ――金属的な雄叫びを上げ金属の刃が身を削る度、

激しい痛みが襲い掛かる。

 厚い皮膚はとうに切り開かれて、詰まった肉までも裂

かれていく。

 葉が悲鳴に身を揺らす。

 切り倒される事は知っていた。1週間前、木登りに励ん

でいた少年が足を滑らせ骨折してしまったから。

 この木は危険だと、大人たちが話していたから。

2

 ここまで立派に育ったところを切るのは残念だけど。

 子供たちの安全の方が優先だと。

 身を切られるのは痛い。しかし、少年を助けられなかっ

た時の方が、もっと痛かった。

 ガリガリと身を裂かれる音。

 少し離れた所で、見守る大人たちがいた。松葉杖をつい

た少年がいた。黄色い帽子をかぶった少女がいた。

 泣いていた。

 少女は泣いていた。

 泣き叫ぶ少女を、母親が必死に止めていた。今その手

を離せば、少女はきっと駆け出す。

 金属の刃は、すでに体の半分以上を裂いていた。駆け寄

る彼女を潰すわけにはいかない。

 ――近付いたら危ないんだよ。

 ぼくの声はきっと届かないだろうけど。

 もう少し。もう少しで倒れる。

3

 この痛みはいつまで続くんだろう。早く解放されたい。

 ……切り倒されたら、どうなるんだろう?

 そうだ、松葉杖になりたい。

 足が不自由になってしまった人を支えたい。まだ歩ける

んだと励ましたい。

 右足のギブスが痛々しい少年は、唇をきゅっと結んでい

た。きゅっと結んで、見つめていた。

 ――きみが悪いんじゃないよ。

 きみのせいで切られているんじゃない。

 きみを助けられなかったから。

 ――ごめんね。

 ぼくの声は、きっと届かないけど。

 刃がさらに食い込む。とうとう体を支えきれなくなっ

たぼくは、横に倒れ――

 ――悲鳴。

 母親から逃れた少女が駆け出した。一直線に、ぼくに

4

向かって。

 倒れるぼくに向かって――

 ――ズンッ!

 悲鳴は叫びに変わった。母親は気を失い、大人たちは

顔を手で覆った。少女は――

 ――少女は。

 やはり、泣いていた。

 横倒しになったぼくの脇で。ぼくにすがり付いて、わん

わん泣いていた。

「ごめんね、ごめんね」

 何度も何度も謝り続ける少女に傷ひとつない事を確

認して、心から安堵した。よけるのがもう少し遅れてい

たら、少女まで傷付けるところだった。

「ありがとう、ありがとう」

 謝罪は感謝に変わっていた。

 不思議な少女だ。まるでぼくをわかっているかのように。

5

「ありがとう……」

 ――どういたしまして。

 ☆

 ★

 ☆

 ★ ☆

 がたんっ――体を揺り動かされて、まぶたを開いた。い

つの間にか眠っていたらしい。振り返り窓越しに駅名を確

認する。

 寝過ごしてはいないらしい。

 シートの居住まいを正そうとしたら、肩が妙に重い。左

肩には女の頭が乗っていた。彼女はまだ夢の中。

 走り出した電車には人気が少なかった。平日の昼過ぎ

だから、まあこんなもんだ。

 制服姿の俺と彼女を見て、咎める人間は誰もいない、

平和な昼下がり。と言っても、この平和が始まったのはつ

いさっきからだ。ほんの1時間遡れば、期末試験真っ只中。

6

 試験後の平和かつ自由な時間を、めいっぱい噛み締め中。

「……あれ。駅、まだ?」

 彼女が起きた。

「あと2つ」

 頭の中に路線図を広げて答える。

「中途半端に起きちまった~」

 何故か悔しそうにうなる彼女。

「寝てりゃいいじゃん」

 正論を放ったつもりが睨まれた。

「あと5分くらいじゃ、寝るに寝れないでしょ」

 まあ、わからないでもない道理ではあるけど――と、

納得する事にした。

「試験終わった日って気持ちいいな~」

 シートの上で思い切り身を伸ばす彼女。振り上げた拳

がコツッと窓に当たった。

「いたっ」

7

「そんなに痛くねーだろ」

「痛いと言えば」

 どんな話題転換だい。

 呆れる俺を知ってか知らずか、彼女の唇は話を進める。

「全然痛くないのに『痛い』って言っちゃう時、ない? 痛く

ないはずなのに」

「……たとえば?」

 ケースが思い付かない。

「カバンが物に当たった時」

「痛くねーじゃん」

「痛くないよ」

 彼女はしれっと頷いて。

「でも何故か、『いてっ』とか言っちゃってない?」

 ……言われてみれば、思い当たる節はあった。

「ほら」

 俺の表情から読み取ったらしい、覗き込んだ彼女が頬

8

で笑んだ。

 ――ありがとう――

 既視感。

 彼女に似た幼い笑顔――はて、どこで見たか。

 ……ああ、ついさっきだ。

 夢にしては、あまりに現実味を帯びた夢。

 速度を落とした電車が、ホームに滑り込んだ。

「――あ」

 振り向いた窓越しに駅名を確認した彼女が、やおら俺

の膝を叩き出した。

「カラオケ行こ、カラオケ」

「試験の打ち上げ?」

「そう!」

 言うが早いか彼女は立ち上がり、まだ開いてもいない

ドアに駆け寄った。

 よし、久し振りに喉がかれるまで歌おう。

9

 俺が彼女と並ぶのを待って、ドアが開いた。ホームへ飛

び出した彼女に置いてかれないよう小走りで続く。

「おーい、走る事ないんじゃねーの?」

 急ぐ理由なんてない。まさかカラオケが逃げるとも思

えないし。

「早く!」

 振り向きざまに急き立てた彼女は笑顔で――

 ――ありがとう――

 ――はっとした。

 夢の少女。彼女。

 その笑顔は、あまり似ていた。

「――ハル?」

 発射ベルがけたたましく鳴り響く中でも、彼女の声音

は明瞭に聞き取れた。

 我に返った俺はかぶりを振って、

「何でもねーよ」

10

 立ち止まった彼女に追い着いた。

「すっごい、ぼーっとしてなかった?」

「徹夜で勉強してたから」

 何やら訝る彼女にはぐらかす。

「一夜漬けかい」

「追い込まないと勉強する気が起きねーんだよ、俺」

 怪訝は払拭できたようで、いつも通りの笑顔に戻った。

 2人肩を並べて階段を昇って、自動改札機を通る手前

で――彼女に聞きたくなった。

「――なあ」

「何?」

 カバンの中からパスケースを探す横顔に質問を投球。

「カノ、前世って信じる?」

「……は?」

「あからさまにバカにしてんだろ」

「ハルの口から前世って」

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 見付け出したパスケースで肘を叩かれた。

「珍しい事もあるもんだ」

「だよなー。でもさ」

 改札口を抜ける間際に言う。

「俺とカノ、前世で会ってるかも」

「…………」

「パスケース落としてるって」

「珍しいっていうか……」

 パスケースを拾い上げた彼女は真顔で、

「……キモい」

 傷付くわー。

 真顔でキモいって。

 傷付くわー。

「何、惚れ直したとか言ってほしいの?」

 不気味なものでも見るかのような視線が激痛。

 まあ、信じねーよな。

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「……何でもない」

「ふてくされんなよー」

 駅舎を出た俺の、脇に引っ付いた彼女は、極めてしれっ

と言いのけた。

「前世が何でも、今こうしてんだからいいじゃん」

「…………」

 ……そっか。

「……どうした?」

 そうだ。

「それ、真理だわ」

「何それ」

「いや、こっちの話」

「何だよそれ」

「今日はめいっぱい歌うぞー!」

「意味わっかんねー」

 呆れる彼女を引き連れて、俺は大股で踏み出した。

13

14

「今、こうしているのだから」

Written by nakoso

© nakoso 2009 http://bottlenovel.blog.shinobi.jp/

Release Date 2009/10/10

Twitter (as inabetz):

http://twitter.com/inabetz

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nakosokan@gmail.com

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