今,こうしているのだから_rev1.1
DESCRIPTION
Written by nakoso Based on a work at http://bottlenovel.blog.shinobi.jp/TRANSCRIPT
![Page 1: 今,こうしているのだから_rev1.1](https://reader035.vdocuments.pub/reader035/viewer/2022080210/555d793bd8b42a0b778b5884/html5/thumbnails/1.jpg)
今、こうしているのだから
![Page 2: 今,こうしているのだから_rev1.1](https://reader035.vdocuments.pub/reader035/viewer/2022080210/555d793bd8b42a0b778b5884/html5/thumbnails/2.jpg)
ひと際強く、風が吹いた。葉擦れがざわめいて、黄色い
帽子が飛んだ。
くるりと回った帽子は宙で止まったかと思うと、再び
風にさらわれて、枝に引っかかった。
葉がざわめいた。
――下?
見下ろせば、まだ幼い少女がいた。丸くつぶらな瞳、眉
はハの字で、唇を半開きにした少女は呆然と枝に揺れる
帽子を見上げている。
その瞳が潤み始めた。
葉がこすれた。
――うん、そうだね。
ほんのわずかで事足りる。ほんのわずか、枝を揺すれば
いい。それだけで――ほら、帽子は落ちた。
足元に落ちた帽子を拾い上げた少女は、付いた砂を払
1
![Page 3: 今,こうしているのだから_rev1.1](https://reader035.vdocuments.pub/reader035/viewer/2022080210/555d793bd8b42a0b778b5884/html5/thumbnails/3.jpg)
うとその笑顔に載せた。たたたっと走り去る少女を見送
る――不意に立ち止まった彼女は、振り返るや元気な
声を張り上げた。
「ありがとう!」
――どういたしまして。
☆
★
☆
★
☆
――金属的な雄叫びを上げ金属の刃が身を削る度、
激しい痛みが襲い掛かる。
厚い皮膚はとうに切り開かれて、詰まった肉までも裂
かれていく。
葉が悲鳴に身を揺らす。
切り倒される事は知っていた。1週間前、木登りに励ん
でいた少年が足を滑らせ骨折してしまったから。
この木は危険だと、大人たちが話していたから。
2
![Page 4: 今,こうしているのだから_rev1.1](https://reader035.vdocuments.pub/reader035/viewer/2022080210/555d793bd8b42a0b778b5884/html5/thumbnails/4.jpg)
ここまで立派に育ったところを切るのは残念だけど。
子供たちの安全の方が優先だと。
身を切られるのは痛い。しかし、少年を助けられなかっ
た時の方が、もっと痛かった。
ガリガリと身を裂かれる音。
少し離れた所で、見守る大人たちがいた。松葉杖をつい
た少年がいた。黄色い帽子をかぶった少女がいた。
泣いていた。
少女は泣いていた。
泣き叫ぶ少女を、母親が必死に止めていた。今その手
を離せば、少女はきっと駆け出す。
金属の刃は、すでに体の半分以上を裂いていた。駆け寄
る彼女を潰すわけにはいかない。
――近付いたら危ないんだよ。
ぼくの声はきっと届かないだろうけど。
もう少し。もう少しで倒れる。
3
![Page 5: 今,こうしているのだから_rev1.1](https://reader035.vdocuments.pub/reader035/viewer/2022080210/555d793bd8b42a0b778b5884/html5/thumbnails/5.jpg)
この痛みはいつまで続くんだろう。早く解放されたい。
……切り倒されたら、どうなるんだろう?
そうだ、松葉杖になりたい。
足が不自由になってしまった人を支えたい。まだ歩ける
んだと励ましたい。
右足のギブスが痛々しい少年は、唇をきゅっと結んでい
た。きゅっと結んで、見つめていた。
――きみが悪いんじゃないよ。
きみのせいで切られているんじゃない。
きみを助けられなかったから。
――ごめんね。
ぼくの声は、きっと届かないけど。
刃がさらに食い込む。とうとう体を支えきれなくなっ
たぼくは、横に倒れ――
――悲鳴。
母親から逃れた少女が駆け出した。一直線に、ぼくに
4
![Page 6: 今,こうしているのだから_rev1.1](https://reader035.vdocuments.pub/reader035/viewer/2022080210/555d793bd8b42a0b778b5884/html5/thumbnails/6.jpg)
向かって。
倒れるぼくに向かって――
――ズンッ!
悲鳴は叫びに変わった。母親は気を失い、大人たちは
顔を手で覆った。少女は――
――少女は。
やはり、泣いていた。
横倒しになったぼくの脇で。ぼくにすがり付いて、わん
わん泣いていた。
「ごめんね、ごめんね」
何度も何度も謝り続ける少女に傷ひとつない事を確
認して、心から安堵した。よけるのがもう少し遅れてい
たら、少女まで傷付けるところだった。
「ありがとう、ありがとう」
謝罪は感謝に変わっていた。
不思議な少女だ。まるでぼくをわかっているかのように。
5
![Page 7: 今,こうしているのだから_rev1.1](https://reader035.vdocuments.pub/reader035/viewer/2022080210/555d793bd8b42a0b778b5884/html5/thumbnails/7.jpg)
「ありがとう……」
――どういたしまして。
☆
★
☆
★ ☆
がたんっ――体を揺り動かされて、まぶたを開いた。い
つの間にか眠っていたらしい。振り返り窓越しに駅名を確
認する。
寝過ごしてはいないらしい。
シートの居住まいを正そうとしたら、肩が妙に重い。左
肩には女の頭が乗っていた。彼女はまだ夢の中。
走り出した電車には人気が少なかった。平日の昼過ぎ
だから、まあこんなもんだ。
制服姿の俺と彼女を見て、咎める人間は誰もいない、
平和な昼下がり。と言っても、この平和が始まったのはつ
いさっきからだ。ほんの1時間遡れば、期末試験真っ只中。
6
![Page 8: 今,こうしているのだから_rev1.1](https://reader035.vdocuments.pub/reader035/viewer/2022080210/555d793bd8b42a0b778b5884/html5/thumbnails/8.jpg)
試験後の平和かつ自由な時間を、めいっぱい噛み締め中。
「……あれ。駅、まだ?」
彼女が起きた。
「あと2つ」
頭の中に路線図を広げて答える。
「中途半端に起きちまった~」
何故か悔しそうにうなる彼女。
「寝てりゃいいじゃん」
正論を放ったつもりが睨まれた。
「あと5分くらいじゃ、寝るに寝れないでしょ」
まあ、わからないでもない道理ではあるけど――と、
納得する事にした。
「試験終わった日って気持ちいいな~」
シートの上で思い切り身を伸ばす彼女。振り上げた拳
がコツッと窓に当たった。
「いたっ」
7
![Page 9: 今,こうしているのだから_rev1.1](https://reader035.vdocuments.pub/reader035/viewer/2022080210/555d793bd8b42a0b778b5884/html5/thumbnails/9.jpg)
「そんなに痛くねーだろ」
「痛いと言えば」
どんな話題転換だい。
呆れる俺を知ってか知らずか、彼女の唇は話を進める。
「全然痛くないのに『痛い』って言っちゃう時、ない? 痛く
ないはずなのに」
「……たとえば?」
ケースが思い付かない。
「カバンが物に当たった時」
「痛くねーじゃん」
「痛くないよ」
彼女はしれっと頷いて。
「でも何故か、『いてっ』とか言っちゃってない?」
……言われてみれば、思い当たる節はあった。
「ほら」
俺の表情から読み取ったらしい、覗き込んだ彼女が頬
8
![Page 10: 今,こうしているのだから_rev1.1](https://reader035.vdocuments.pub/reader035/viewer/2022080210/555d793bd8b42a0b778b5884/html5/thumbnails/10.jpg)
で笑んだ。
――ありがとう――
既視感。
彼女に似た幼い笑顔――はて、どこで見たか。
……ああ、ついさっきだ。
夢にしては、あまりに現実味を帯びた夢。
速度を落とした電車が、ホームに滑り込んだ。
「――あ」
振り向いた窓越しに駅名を確認した彼女が、やおら俺
の膝を叩き出した。
「カラオケ行こ、カラオケ」
「試験の打ち上げ?」
「そう!」
言うが早いか彼女は立ち上がり、まだ開いてもいない
ドアに駆け寄った。
よし、久し振りに喉がかれるまで歌おう。
9
![Page 11: 今,こうしているのだから_rev1.1](https://reader035.vdocuments.pub/reader035/viewer/2022080210/555d793bd8b42a0b778b5884/html5/thumbnails/11.jpg)
俺が彼女と並ぶのを待って、ドアが開いた。ホームへ飛
び出した彼女に置いてかれないよう小走りで続く。
「おーい、走る事ないんじゃねーの?」
急ぐ理由なんてない。まさかカラオケが逃げるとも思
えないし。
「早く!」
振り向きざまに急き立てた彼女は笑顔で――
――ありがとう――
――はっとした。
夢の少女。彼女。
その笑顔は、あまり似ていた。
「――ハル?」
発射ベルがけたたましく鳴り響く中でも、彼女の声音
は明瞭に聞き取れた。
我に返った俺はかぶりを振って、
「何でもねーよ」
10
![Page 12: 今,こうしているのだから_rev1.1](https://reader035.vdocuments.pub/reader035/viewer/2022080210/555d793bd8b42a0b778b5884/html5/thumbnails/12.jpg)
立ち止まった彼女に追い着いた。
「すっごい、ぼーっとしてなかった?」
「徹夜で勉強してたから」
何やら訝る彼女にはぐらかす。
「一夜漬けかい」
「追い込まないと勉強する気が起きねーんだよ、俺」
怪訝は払拭できたようで、いつも通りの笑顔に戻った。
2人肩を並べて階段を昇って、自動改札機を通る手前
で――彼女に聞きたくなった。
「――なあ」
「何?」
カバンの中からパスケースを探す横顔に質問を投球。
「カノ、前世って信じる?」
「……は?」
「あからさまにバカにしてんだろ」
「ハルの口から前世って」
11
![Page 13: 今,こうしているのだから_rev1.1](https://reader035.vdocuments.pub/reader035/viewer/2022080210/555d793bd8b42a0b778b5884/html5/thumbnails/13.jpg)
見付け出したパスケースで肘を叩かれた。
「珍しい事もあるもんだ」
「だよなー。でもさ」
改札口を抜ける間際に言う。
「俺とカノ、前世で会ってるかも」
「…………」
「パスケース落としてるって」
「珍しいっていうか……」
パスケースを拾い上げた彼女は真顔で、
「……キモい」
傷付くわー。
真顔でキモいって。
傷付くわー。
「何、惚れ直したとか言ってほしいの?」
不気味なものでも見るかのような視線が激痛。
まあ、信じねーよな。
12
![Page 14: 今,こうしているのだから_rev1.1](https://reader035.vdocuments.pub/reader035/viewer/2022080210/555d793bd8b42a0b778b5884/html5/thumbnails/14.jpg)
「……何でもない」
「ふてくされんなよー」
駅舎を出た俺の、脇に引っ付いた彼女は、極めてしれっ
と言いのけた。
「前世が何でも、今こうしてんだからいいじゃん」
「…………」
……そっか。
「……どうした?」
そうだ。
「それ、真理だわ」
「何それ」
「いや、こっちの話」
「何だよそれ」
「今日はめいっぱい歌うぞー!」
「意味わっかんねー」
呆れる彼女を引き連れて、俺は大股で踏み出した。
13
![Page 15: 今,こうしているのだから_rev1.1](https://reader035.vdocuments.pub/reader035/viewer/2022080210/555d793bd8b42a0b778b5884/html5/thumbnails/15.jpg)
14
![Page 16: 今,こうしているのだから_rev1.1](https://reader035.vdocuments.pub/reader035/viewer/2022080210/555d793bd8b42a0b778b5884/html5/thumbnails/16.jpg)
「今、こうしているのだから」
Written by nakoso
© nakoso 2009 http://bottlenovel.blog.shinobi.jp/
Release Date 2009/10/10
Twitter (as inabetz):
http://twitter.com/inabetz
Mail:
「今、こうしているのだから」 by nakoso is licensed
under a Creative Commons 表示-非営利 2.1 日本 License. Based on a work at http://bottlenovel.blog.shinobi.jp/