愛染明王 -...

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愛染明王 愛染明王(『図像抄』ǀ⼗巻抄ǁより) 愛染明王 (あいぜんみょうおう)は、仏教の信仰対 象であり、密教 特有の憤怒相を主とする尊格であ 明王 の⼀つ。梵名のラーガ・ラージャ rāgarājaあるいは、マハー・ラーガmahārāga)は、サンス クリット経典 にその名は⾒られないが、チベット の経典や儀軌には散⾒され、中でもチベット密教 の四⼤宗派に共通する後期密教のテキストであ る、「プルパ⾦剛* [1] の儀軌や次第、グル・デワ・ ダキニの『三根本法解説』 * [2] * [3] 等には、「プル パ⾦剛⼗⼤忿怒尊」の⼀尊としてこの愛染明王が 登場する * [4] * [5]* [6] * [7] また、漢訳では真⾔宗 五部秘経 に数える『祇経』(⼤正蔵 №867⾦剛智 三蔵訳)を典拠と するだけではなく、宋代の訳である『仏説瑜伽⼤ 教王経』(⼤正蔵 №890法賢 三蔵訳 * [8])や、『仏 説持明蔵腧伽⼤教尊那菩薩⼤明成就儀軌経』(⼤ 正蔵 №1169)をはじめ、チベット密教では、ニン マ派 が伝承する旧訳『⼤幻化網タントラ』(グヒ ヤ・ガルバ・タントラ)経典群等の各種の曼荼羅 や、 サキャ派 カギュ派 が伝承する新訳『幻化網 タントラ』(マーヤ・ジャーラ・タントラ)の曼荼 羅にも、尊那仏⺟(准胝観⾳)や⼤⽇如来 の守護 ⽊造愛染明王坐像 東京国⽴博物館 蔵、鎌倉時代、重要 ⽂化財 尊(yidam:イダム)として、 穢跡⾦剛 (⼤⼒⾦剛) * [9] や、 不動明王 らと共に、梵名のタキ・ラージャ takki raja)の別名でも登場する。 覚禅鈔』には、愛染明王の異名として「⼝乇枳 王」(タキ・ラージャ)を挙げ、『妙吉祥平等秘密 最上観⾨⼤教王経』(⼤正蔵 №1192)には、このタ キ・ラージャが「⼤愛 明王」と訳されており、そ の真⾔が「ウン・タキ・ウン・ジャク」とあるの で、那須政隆 はタキ・ラージャを愛染明王である としている。 * [10] * [11] * [12] * [13] このように数々 の経典にも登場するので、愛染明王はインド密教 においてもポピュラーな忿怒尊であったことが伺 われる。 * [14] なお、この「プルパ⾦剛」の真⾔と印は、⽇本最古 の次第書である『寛平法皇の次第書』(別名;⼩ 僧次第)にも尊名は無いが梵字で真⾔が登場し印 相も述べられており * [15]、古次第に共通の重要な 作法ともなっているので、愛染明王は⽇本密教と チベット密教を結びつける尊挌の⼀つに挙げるこ 1

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愛染明王

愛染明王(『図像抄』 ⼗巻抄 より)

愛染明王(あいぜんみょうおう)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の憤怒相を主とする尊格である明王の⼀つ。梵名のラーガ・ラージャ(rāgarāja)あるいは、マハー・ラーガ(mahārāga)は、サンスクリット経典にその名は⾒られないが、チベットの経典や儀軌には散⾒され、中でもチベット密教の四⼤宗派に共通する後期密教のテキストである、「プルパ⾦剛」*[1]の儀軌や次第、グル・デワ・ダキニの『三根本法解説』*[2] *[3]等には、「プルパ⾦剛⼗⼤忿怒尊」の⼀尊としてこの愛染明王が登場する*[4] *[5]。*[6] *[7]また、漢訳では真⾔宗 で五部秘経 に数える『瑜祇経』(⼤正蔵 №867:⾦剛智 三蔵訳)を典拠とするだけではなく、宋代の訳である『仏説瑜伽⼤教王経』(⼤正蔵№890:法賢三蔵訳*[8])や、『仏説持明蔵腧伽⼤教尊那菩薩⼤明成就儀軌経』(⼤正蔵№1169)をはじめ、チベット密教では、ニンマ派 が伝承する旧訳『⼤幻化網タントラ』(グヒヤ・ガルバ・タントラ)経典群等の各種の曼荼羅や、サキャ派やカギュ派が伝承する新訳『幻化網タントラ』(マーヤ・ジャーラ・タントラ)の曼荼羅にも、尊那仏⺟(准胝観⾳)や⼤⽇如来の守護

⽊造愛染明王坐像東京国⽴博物館蔵、鎌倉時代、重要⽂化財

尊(yidam:イダム)として、穢跡⾦剛(⼤⼒⾦剛)*[9]や、不動明王らと共に、梵名のタキ・ラージャ

(takki raja)の別名でも登場する。

『覚禅鈔』には、愛染明王の異名として「⼝乇枳王」(タキ・ラージャ)を挙げ、『妙吉祥平等秘密最上観⾨⼤教王経』(⼤正蔵№1192)には、このタキ・ラージャが「⼤愛明王」と訳されており、その真⾔が「ウン・タキ・ウン・ジャク」とあるので、那須政隆はタキ・ラージャを愛染明王であるとしている。*[10] *[11] *[12] *[13]このように数々の経典にも登場するので、愛染明王はインド密教においてもポピュラーな忿怒尊であったことが伺われる。*[14]なお、この「プルパ⾦剛」の真⾔と印は、⽇本最古の次第書である『寛平法皇の次第書』(別名;⼩僧次第)にも尊名は無いが梵字で真⾔が登場し印相も述べられており*[15]、古次第に共通の重要な作法ともなっているので、愛染明王は⽇本密教とチベット密教を結びつける尊挌の⼀つに挙げるこ

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2 1 説

愛染明王(仏像図 1783年)

とができる。

愛染明王の密号は『離愛⾦剛』*[16] で、『⽩宝⼝抄』*[17]には「離愛⾦剛は即ち愛染明王なり」としていて、ここで「離」は⽣死の業となる因⼦の煩悩や渇愛 を離れる意味で、「愛」は菩提(覚り)の妙果を愛する意味であるので*[18]、『離愛⾦剛』は「愛欲(煩悩)を離れ、⼤欲に変化せしむ」の意味となる*[19]。

1 概説

⽇本密教の愛染明王は、『⾦剛頂経』類に属するとされる漢訳密教経典の『瑜祇経』に由来し、この経典は正式名称を『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』*[20]といい、同経典の「愛染王品第五」に愛染明王が説かれている。その修法は、息災・増益・敬愛・降伏の『四種法』の利益をもって記述され、その功徳は、「能滅無量罪能⽣無量福」(よく無量の罪を滅して、よく無量の福を⽣じる)とも説かれている。

また、同経典の中で「三世三界中⼀切無能越此名⾦剛王頂中最勝名⾦剛薩埵定⼀切諸佛⺟」(三世の三界の中にあって、他の⼀切が誰もこの尊を越えることができ無いので、この尊の名前は⾦剛の王とされ、『⾦剛頂経』の中で最勝の名前であり、教主である⾦剛薩埵がこの尊を定めて、⼀切の諸仏の⺟とした)とも讃えられていて、これに基づいて⾦剛界で最⾼の明王 と解釈される場合がある。

これに対して不動明王 は胎蔵界で最⾼の明王と解釈される場合があり、たとえば東京都 の⾦⿓⼭浅草寺 や、千葉県の成⽥⼭新勝寺 等では両界の最⾼の明王として不動明王(胎蔵界)・愛染明王(⾦剛界)の両尊が祀られている。この⽇本密教における⼤⽇如来や如意輪観⾳、如意宝珠等を中⼼として、左右に不動明王と愛染明王の⼆体を祀る形式は⾮常に古く、他にも京都 や⾼野⼭ の古刹の寺院などに現在も少なからず⾒かけることができる。

歴史的な資料としては、空海と同時代の⼈物であるインドの密教⾏者グル・パドマサンバヴァが、国王ティソン・ディツェンの勅命によりチベットに初めて建⽴した国⽴の⼤寺院であるサムイェー寺は、四⾯⼆臂の『⼤⽇経』系の姿をとる⼤⽇如来を中⼼とする、三層から成る⽴体曼荼羅 を実現させた密教寺院であるが、9世紀 当時のバセルチン(d Ba gSal snang)が著したチベットの歴史書である『バシェー』(dBa bzhed)によると、寺の⼊り⼝の左右には守護者である⾨神として、不動明王(アチャラ・ナータ)と並んで愛染明王(タキ・ラージャ)*[21]*[22]が祀られていたという。サムイェー寺は歴史の変遷の中で⽴替がなされ、現在はチベット動乱 後にディンゴ・ケンツェ・リンポチェの資⾦援助で再建されたものが建っているが、チベット仏教で⼈気のある⾺頭観⾳と⾦剛⼿菩薩(バジラ・パーニ)に換えられてしまっている。

⽇本では、この不動明王と愛染明王の両尊を祀る形式が 1338 年頃に成⽴した⽂観 の『三尊合⾏秘次第』*[23]に始まるとされている*[24]。この説に基づくならば、現在、福⼭市にある円光寺・明王院*[25]は、⼤同 2年(807年)に空海が開基したと伝えているが、この寺の境内にある五重塔(国宝)は貞和 4年(1348年)に建⽴され、初層に⼤⽇如来 を本尊として左右に不動明王 と愛染明王を祀っているので、⽇本におけるその初期の例として挙げることが出来る。ただ、⽂観⾃⾝はこの書を書写したとしており、密教の事相上では『三尊合⾏秘次第』の本尊となる如意宝珠は特殊な形をしていて「密観宝珠」*[26]と呼ばれ、如意宝珠形の下に五鈷杵を配した舎利塔 に仏舎利 を⼊れたものであるところから、これを如意輪観⾳の三昧耶形であるとして、空海の直弟⼦に当る観⼼寺の檜尾僧都実恵 や、醍醐寺 の開祖理源⼤師聖宝の⼝伝にまで遡ろうとする考え⽅もある*[27]。ちなみに、⾼野⼭には空海の請来になる品物を保管している「瑜祇塔」という建造物がある。この名は、愛染明王と同じく『瑜祇経』を典拠としているが、その正式名称は「⾦剛峯楼閣瑜祇塔」で、⾼野⼭真⾔宗 の総本⼭である⾦剛峯寺 の呼び名は、この「瑜祇塔」に由来する。*[28]

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3.1 本誓と功徳 3

2 尊容と信仰

衆⽣が仏法を信じない原因の⼀つに「煩悩・愛欲により浮世のかりそめの楽に⼼惹かれている」ことがあるが、愛染明王は「煩悩と愛欲は⼈間の本能でありこれを断ずることは出来ない、むしろこの本能そのものを向上⼼に変換して仏道を歩ませる」とする功徳を持っている。

愛染明王は⼀⾯六臂で他の明王と同じく忿怒相であり、頭にはどのような苦難にも挫折しない強さの象徴である獅⼦の冠をかぶり、叡知を収めた宝瓶の上に咲いた蓮 の華の上に結跏趺坐で座るという、⼤変特徴ある姿をしている。

もともと密教における蓮華部の敬愛を表現した仏であるためその⾝⾊は真紅であり、後背に⽇輪を背負って表現されることが多い。

また、『瑜祇経』第五品に記される偈頌(げしゅ)である「衆星の光を射るが如し」の部分を再現した天に向かって⼸ を引く容姿で描かれた姿の⾼野⼭⾦剛峯寺に伝えられる「天⼸愛染明王像」や、京都府⽊津川町⼭城町の神童寺像、⼭梨県甲州市塩⼭の放光寺像などがあり、更には、⽇蓮筆と伝える「愛染不動感⾒記」の⾺に乘る⼋臂像や、両頭など異形の容姿で描かれた図像も現存する。

愛染明王信仰はその名が⽰すとおり「恋愛・縁結び・家庭円満」などをつかさどる仏として古くから⾏われており、また「愛染=藍染」と解釈し、染物・織物職⼈の守護仏としても信仰されている。さらに愛欲を否定しないことから、古くは遊⼥、現在では⽔商売 の⼥性の信仰対象にもなっている。

⽇蓮系各派の本尊(曼荼羅)にも不動明王と相対して愛染明王が書かれているが、空海によって伝えられた密教 の尊格であることから⽇蓮以来代々梵字で書かれている。なお⽇蓮の曼荼羅における不動明王は⽣死即涅槃を表し、これに対し愛染明王は煩悩即菩提を表しているとされる。

軍神 としての愛染明王への信仰から直江兼続は兜に愛の⽂字をあしらったとも考えられている*[29]。

3 愛染明王の功徳

3.1 本誓と功徳

愛染明王の姿は『瑜祇経』に説かれる⼀⾯六臂が⼀般的で、密教の仏であるからその姿には様々な象徴的な意味があり、それを愛染明王の「本誓(ほんぜい)と功徳」としてここに明らかにしておき、愛染明王の仏教的な働きの意味の理解を深める⼀助とする。いわゆる愛染明王の姿の特徴は、⼀⾯三⽬・六臂で、頭上には獅⼦の冠を頂き、冠の上には五鈷鉤が突き出ていて、その⾝は⾚⾊で宝瓶の上にある紅蓮の蓮華座に、⽇輪を背にして座っ

ている。これらの相が⽰すその象徴的な意味は以下のようになる。*[30]

• 燃え盛る⽇輪を「織盛⽇輪」と⾔い、⽇輪は仏のもつ無上の浄菩提⼼を表し、燃え盛る炎は智⽕ が煩悩 に基づく執着や愛欲を悉く焼き尽くし、その「愛染三昧」の禅定が不退転となる仏の勇猛⼼であることを表している。

• 頭上に獅⼦の冠を頂き、髪の⽑を逆⽴てて怒髪天を突くさまを表すのは、百獣の王である獅⼦が吼えるとあらゆる猛獣もすぐに静かになる譬えのように、憤怒の怒りの相と獅⼦吼によって諸々の怨敵を降伏して、⼀切衆⽣を救済することを表している。

• 冠の上に五鈷鉤が突き出ているのは、衆⽣の本有(ほんぬ)の五智を呼び覚まして、邪欲を捨てさせて正しい⽅向へと導くことを意味し、愛染明王の⼤愛*[31]が衆⽣の⼼に染み⼊り、仏法の真実を体得せしめることを表している。*[32]

• ⼀⾯三⽬で⾝体が⾚⾊であり、その⾝を五⾊の華鬘で荘厳する点は、三つの眼は法⾝と般若と解脱を意味し、世俗⾯においては仁愛と知恵と勇気の三つの徳を表す。⾝体が⾚く輝いているのは、愛染明王の⼤愛と⼤慈悲とがその⾝体からあふれ出ていることを意味し、五⾊の華鬘でその⾝を荘厳するのは、五智如来 の持つ⼤悲の徳を愛染明王もまたその⾝に兼ね備えていることを意味し、両⽿の横から伸びる天帯*[33] は、「王三昧」に安住して如来の⼤法である真理の教えを聞くことを表している。

• 六臂として⼿が六本あるのは、六道輪廻の衆⽣を救う意味をもつ。また、左右の第⼀⼿は⼆つで「息災」を表していて、左⼿の五鈷鈴は、般若の智恵の⾳と響きにより衆⽣を驚愕させて、夢の如きこの世の迷いから覚醒させることを表し、右⼿の五鈷杵は、衆⽣に本有の五智を理解し体得させて、愛染明王の覚りへと到達せしめることを表している。

• 左右の第⼆⼿は⼆つで「敬愛」と「融和」とを表していて、左⼿の⼸と右⼿の⽮(箭)は、⼆つで⼀つの働きをするので、この世の⼈々が互いに協⼒して敬愛と和合の精神を重んじ、仏の教えを実践する菩薩 としての円満な境地に⾄ることを意味している。また、愛染明王の⼸⽮は、⼤悲の⽮によって衆⽣の⼼にある差別や憎しみの種を射落とし、菩提⼼に安住せしめることを意味し、いわゆる⽮は放たれるとすぐに⽬標に到達することから、愛染明王への降魔や除災、縁結び等の祈念の効果が早く現れることをも表している。

• 左右の第三⼿は⼆つで⼈⽣の迷いや煩悩 による苦しみの世界を打ち払う「増益」と「降

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4 4 真⾔・印・三昧耶形

伏」とを表していて、左⼿に拳を握るのは、その⼿の中に摩尼宝珠を隠し持っていて、これは衆⽣が求めるあらゆる宝と財産や、⽣命を育むことを意味していて、右⼿の⾚い未敷蓮華(みふれんげ)は、それらの衆⽣の財産や⽣命を奪おうとする「四魔」*[34] に対して、⼤悲の鞭を打ち振るい、魔を調伏することを表している。

• 愛染明王が座っている紅蓮の蓮華座は、「愛染三昧」の瞑想から⽣じる⼤愛の境地を実現させた密教的な極楽浄⼟を意味していて、その下にある宝瓶は、仏法の無限の宝である三宝を醸し、経と律と論の三蔵を蔵することを表している。また、その周囲に宝珠や花弁が乱舞するのは、愛染明王が三宝の無尽蔵の福徳を有することを意味している。

3.2 愛染明王十二大願

更に、愛染明王は仏としての誓願に基づき、⼀切衆⽣を諸々の苦悩から救うために⼗⼆の広⼤な誓願を発しているとされ、その内容は以下のようになる。*[35]

1. 智慧の⼸と⽅便の⽮を以って、衆⽣に愛と尊敬の⼼を与えて、幸運を授ける。

2. 悪しき⼼を加持して善因へと転換し、衆⽣に善果を得せしめる。

3. 貪り・怒り・愚かさの三毒の煩悩を打ち砕いて、⼼を浄化し、浄信(菩提⼼)を起こさしめる。

4. 衆⽣の諸々の邪まな⼼や、驕慢の⼼を離れさせて、「正⾒」へと向かわせる。

5. 他⼈との争いごとの悪縁を断じて、安穏に暮らせるようにする。

6. 諸々の病苦や、天災の苦難を取り除いて、信⼼する⼈の天寿を全うさせる。

7. 貧困や飢餓の苦悩を取り除いて、無量の福徳を与える。

8. 悪魔や⻤神・邪神による苦しみや、厄(やく)を払って、安楽に暮らせるようにする。

9. ⼦孫の繁栄と、家運の上昇、信⼼する⼈の⼀家を守って、幸福の縁をもたらす。

10. 前世の悪業(カルマ)の報いを浄化するだけでなく、信⼼する⼈を死後に極楽へ往⽣させる。

11. ⼥性に善き愛を与えて良い縁を結び、結婚後は善根となる⼦供を授ける。

12. ⼥性の出産の苦しみを和らげ、その⼦のために信⼼すれば、⼦供には福徳と愛嬌を授ける。

4 真言・印・三昧耶形

4.1 真言

『瑜祇経』⼀切如来⾦剛最勝王義利堅固染愛王⼼品第⼆

• Om maha raga vajro snisa vajra satva jah humbam hohオンマカラギャバゾロシュウニシャバザラサトバジャクウンバンコク

『瑜祇経』愛染王品第五

• Hum takki hum jahウンタキウンジャク

その他

• Hum siddhiウンシッチ

(なお、真⾔を唱える際には個別の灌頂*[36]*[37]を必要とし*[38]*[39]、正しく潅頂をえていない場合には唱えることは相応しくなく、*[40]その功徳を失う*[41]*[42]。また未灌頂者に真⾔法を教えた者は密教の三昧耶戒に違反となる。*[43]*[44]。[未潅頂者請勿誦呪]*[45]*[46])

4.2 種子

•『瑜祇経』⼀切如来⼤勝⾦剛⼼瑜伽成就品第七、「ウン」字。

•『瑜祇経』愛染王品第五、「コク」字。

4.3 手印

明王はその称号に「明呪の王」とあるように、真⾔(マントラ)から派⽣した⼿印が少なからずあり、愛染明王も流派や師伝、その系統によって⼿印にはいくつかのバリエーションが⾒られる。

• 愛染明王根本印

• 五股印(五鈷印:五種類)

• 五種印(敬愛)

• 橛印 1(⾦剛橛印)

• 橛印 2

• 橛印 3

• ⼤三昧印

• ⾦剛印

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4.4 三昧形

• 種⼦が「ウン」字の場合には、「五鈷杵」あるいは、「五鈷鉤」。

• 種⼦が「コク」字の場合には、「箭」(⽮)。

• その他として、息災は「輪」、増益は「珠」、調伏は「⼀鈷」(独鈷)、敬愛は「蓮」、鉤召は「鉤」、延命は「甲冑」。*[47]

5 愛染明王の起源

『降三世儀軌』(trailokyavijayakalpa)には、⾦剛⼿菩薩(バジラ・パーニ)が世尊(⼤⽇如来)の教えを授かった上で、「タキ・フン・ジャク」(takkihun jah)の⼼真⾔を述べていて、これを四臂の⾦剛⼿菩薩となる「具徳⾦剛⼿」であるとしている。平岡⿓⼈は『密教経軌の説く⾦剛薩埵の研究』の中で、これを「タキ=欲(欲の⾃性)」と、「フン=憤怒」と、「ジャク=(欲と憤怒の)両者を鈎招し」と訳し、「タキ・フン・ジャク」の真⾔を「⼀切世間の全ての有情を欲と憤怒で清める」と訳した上で、この「具徳⾦剛⼿」を⾦剛薩埵の「愛染三昧」の化⾝で、愛染明王と同様の姿であるとしているが *[48]、このことから、愛染明王の起源を⾦剛薩埵に求めることも考えられ得る。また、同様の理由から栂尾祥雲 は『理趣の研究』の中で、『理趣経』の主題である五秘密について触れ、「欲・触・愛・慢」における⾦剛薩埵の「五秘密の三昧」は愛染明王の姿であるとし、『理趣経』の本尊は愛染明王に他ならないとしている*[49]。

6 現行のテキスト

⽇本密教では、愛染明王とその諸尊を説く⼤法の『愛染明王私記』や、諸明王の別法や⼤法を集めた『明王法集』、愛染明王法と同じく『瑜祇経』を典拠とする五重秘伝の智⽕を燃やす『内護摩次第』等が知られていたが、作法や実修の内容が難しくて時間もかかるため今では⾏なわれてない。かわって、短い「⼀尊法」形式のものや、⼀段から三段の外護摩の『護摩次第』が中⼼となっている。中国密教では、愛染明王は「唐密」において有名であるが、その法や潅頂を伝えている⼈は少なく、そのため次第やテキストは⾮常に稀である。チベット密教では愛染明王の単尊の潅頂や、「プルパ⾦剛法」やタントラの原典に付随する⼤法における部分的な灌頂を伝えているが、愛染明王の単独での修法や法要等の現⾏のテキストは知られていない。

また、「唐密」やチベット密教では愛染明王法には特別な法具を⽤いており、その⼀つとして⾦剛橛(プルパ杵)を挙げることができる。『秘抄』*[50]の作法中によると、空海が弘仁 4年(813年)に興福寺 の南円堂 を建⽴の際に『⼋⼤明王鎮壇

法』を修して*[51]*[52]、その典拠となる『⼤妙⾦剛経』(⼤正蔵:№965)*[53]を⼊唐⼋家の安祥寺僧都恵運 が伝え、後に⼩野派随⼼院 僧都成尊 がこれを再び修したとされている。この古密教に属すると⾒られる『⼋⼤明王鎮壇法』では、いずれも⾦属製の法具として、⼋葉の蓮華座*[54]の上に⼋幅輪の「輪宝」を載せ、その上に「橛」(⾦剛橛)を載せたものを⼋個並べて修法を⾏なうとあるので、⽇本でも明王の修法には⾦剛橛が⽤いられたことが分かる。⽇本の「⼋⼤明王法」は、主に愛染明王と同じく獅⼦の宝冠を被る仏眼仏⺟ を本尊としており、醍醐寺にはこの⼋⼤明王*[55]を配する『仏眼曼荼羅』*[56]を秘蔵しているが、現在、⾦剛橛を⽤いる修法は伝えられておらず、この「⼋⼤明王法」が修されることはない。なお、「⼋⼤明王法」と類似の法としては、同時代に伝えられたチベット密教における『⼋⼤ヘールカ法』*[57]*[58]を挙げることができる。

日本密教

•『中院三⼗三尊』

•『三憲聖教』

•『薄双紙』

•『諸尊通⽤次第』

中国密教

•『愛染明王成就儀軌』

•『愛染明王曼荼羅法』

チベット密教

•『三根本プルパ⾦剛成就法』

•『天鉄プルパ⾦剛曼荼羅法要次第』

7 愛染明王法の特徴

8 愛染明王の曼荼羅

8.1 心曼荼羅

『⼼曼荼羅』とは、その尊格の⼼真⾔による「字輪観」より⽣じた、説会の曼荼羅のことを⾔う。中国密教の「唐密」やチベット密教等では、各々の尊格が個別の異なる「字輪観」を説くが、⽇本密教では⼝伝の残る「阿弥陀如来法」や「如意輪観⾳法」と、「不動明王 法」の⼀部に各尊の「字輪観」を伝えるのみで、他は「⼤⽇如来法」の五仏の真⾔をもって代⽤し、全て同じ「字輪観」としている*[59]。それ故、ここでは中国密教の「唐密」が伝える『愛染明王成就儀軌』*[60]に説かれる『⼼

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6 8 愛染明王の曼荼羅

曼荼羅』を紹介する。なお、⽇本密教では『理趣経』に説かれる「初会の曼荼羅」が、説会の曼荼羅に相当する。

•「愛染明王法」は⼼真⾔(短呪)の「ウン・タ・キ・ウン・ジャク」の五⽂字を⽉輪上に順に配置して字輪とし、次に説会の曼荼羅を⽣じる。まず、「ウン」字を中⼼に置き、南⽅(正⾯・上⽅)に「タ」字を配して、そこから時計回りに⻄⽅に「キ」字を配し、北⽅(⼿前・下⽅)に「ウン」字を配し、東⽅に「ジャク」字を配して字輪とし、この字輪からそのまま

「愛染明王法」を説く説会の曼荼羅を⽣じる。中央に「⾦剛薩埵」を配し、南⽅に「咕羅咕⾥佛⺟」(クルクリフゥムゥ)*[61]を配し、⻄⽅に「伊迦惹托」(イケイジャット)*[62]を配し、北⽅に受者としての「愛染明王」を配し、東⽅に「不空絹索観⾳」を配した曼荼羅を⽣じて、これを『⼼曼荼羅』とする。

•『⼼曼荼羅』では、中央の真⾔の「ウン」字が「⾦剛薩埵」へと変じ、「⾦剛薩埵」はこの法の説法者となる。次の「タ・キ」の真⾔は「愛欲」を意味していて、「咕羅咕⾥佛⺟」は愛から⽣じた執着である「愛縛」*[63]を司り、それを敬愛へと変化させる。「伊迦惹托」は愛から⽣じた執着である「嫉妬」を司り、その根本となる「無明」と「悪⾒」を打ち砕く。受者である「愛染明王」は智⽕を表す怒りの炎によって「愛欲」を昇華する。「不空絹索観⾳」は結果として「愛欲」を仏の「慈悲」へと転じ、⼀切衆⽣を残らず救うことを表している。また、『⼼曼荼羅』で向かい合う「愛染明王」と「咕羅咕⾥佛⺟」、「不空絹索観⾳」と「伊迦惹托」は、男尊と⼥尊で⼀対の関係にある。中央の「⾦剛薩埵」は中国密教の「唐密」では単尊であるが、チベット密教ではこういう場合「ヤブユム」で描かれることになる。

• この『⼼曼荼羅』は、⽇常の修法において「密教の三原則」である法⾝説法を体感するための重要な観法であり、⽇本密教では既に失伝したが、チベット密教や中国密教の唐密では今も残されている教えの⼀つである。

8.2 本尊曼荼羅

『本尊曼荼羅』とは、愛染明王を曼荼羅の本尊として中⼼に配置し、その周りを多数の尊格が取り囲む形式で描かれるもので、⽇本密教では通常『別尊曼荼羅』と呼ばれる曼荼羅を指している。愛染明王の曼荼羅は多岐にわたり、その種類や登場する尊格も様々であるので、ここでは⽇本密教のものに限定し、具体的な例を挙げて解説を加える。いわゆる⽇本の愛染明王の『本尊曼荼羅』は、次の 3種類に分けることが出来る。愛染明王を本尊とし、その周囲に眷属聖衆や護法尊等を配置する形式の中国密教やチベット密教とも共通する『本

尊曼荼羅』、愛染明王を「⾦剛王菩薩」であるとする⼀般的な『愛染曼荼羅』、異形の「両頭愛染明王」(りょうずあいぜんみょうおう)を本尊とする『両頭愛染曼荼羅』である。この他には、神仏混交を背景とした『本地曼荼羅』も知られているが、ここでは割愛する。

本尊曼荼羅

• 愛染明王の『本尊曼荼羅』として最も完成されたものは、本尊の愛染明王を中央に描き、四⽅に「四童⼦」を描き、周囲に「⼋⼤明王」を配し、外周に「⼗⼆天」と「⼆⼗⼋宿」を描くものであるが、この形式を踏襲する秀作が⽇本にも残されており、それが太⼭寺の絹本著⾊「愛染曼荼羅図」(重⽂)である。兵庫県神⼾市 にある三⾝⼭太⼭寺 は天台宗の名刹で、霊⻲ 2年(716年)に藤原鎌⾜ の⻑男である⼊唐僧定恵が開⼭となって、孫の藤原宇合が建⽴したと伝える。この太⼭寺の絹本著⾊「愛染曼荼羅図」*[64]は中央に愛染明王を描いて、その左右に「四童⼦」*[65]を描き、時計回りに、四隅に当る右上には「無能勝明王」、右下に「⾺頭明王」、左下に「降三世明王」、左上に「⼤威徳明王」を配し、その外周を「⼗⼆天」が取り囲んでいる。同様の図柄が『覚禅鈔』*[66]の「⼋⼗⼀」にも『愛染曼荼羅』として納められていて、そのモチーフを伝えている。

• また、『本尊曼荼羅』の系列上にあるものとしては、江⼾時代の作となる⼤阪の神宮寺感応院にある絹本著⾊「愛染曼荼羅図」は⽇本的な図柄となっている。この絹本著⾊「愛染曼荼羅図」*[67] は中央に愛染明王を描いて、時計回りに、四隅に当る右上には「三宝荒神」、右下に「⼤⿊天」、左下に「毘沙⾨天」、左上に

「⼤威徳明王」を描いている。愛染明王の周囲に護法善神を配しながらも「三宝荒神」を描く点は、江⼾時代における当時の信仰を反映していると⾒られる。

•『秘抄』の諸尊護摩における「葉⾐観⾳」*[68]の護摩法の中では愛染明王の『本尊曼荼羅』を説く。その⼀つは愛染明王を中⼼とする

「⼆⼗⼋夜叉神」を描くものであり、その曼荼羅は孔雀明王 の曼荼羅に似て、『胎蔵界曼荼羅』のように⼋葉を中⼼に描くと述べられている。

愛染曼荼羅

• 愛染明王は平安時代に既に祀られてはいたが、⺠間には不動明王に遅れて信仰され始め、本格的に崇拝の対象とされるのは鎌倉時代になってからである。その際に、⽇本ではまだ

『⼤蔵経』も編纂されておらず、今⽇のような中国密教やチベット密教との交流もなかったために、愛染明王の典拠とされるのは『瑜祇

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8.3 ⽴体曼荼羅 7

経』だけであった。それゆえ、本格的な修法を整えるために『瑜祇経』の本⽂である先の

「此名⾦剛王」の⽂章に「菩薩」の⼆字を補って「此の名を⾦剛王菩薩という」のように固有名詞として読むことによって、愛染明王の典拠を「⾦剛王菩薩」や『理趣経』に説く「⾦剛薩埵」と同尊とし、広くインド密教に繋がる存在とした。特に『理趣経』を典拠とする必要性があったのは、『理趣経』が僧侶の読む専⾨的なお経であることと、⼤師筆(空海筆)本とする『理趣経曼荼羅図像』*[69]*[70]の最後に、⼗七段の諸尊と、諸曼荼羅をまとめる存在として愛染明王が描かれているからである。今⽇、⽇本密教で⼀般に『愛染曼荼羅』と⾔われるものはこの系統であり、『理趣経』に基づきながらも『⼤楽⾦剛薩埵修⾏成就儀軌』を参考にして『愛染曼荼羅』とするものと、『⾦剛王菩薩秘密念誦儀軌』に基づき『愛染曼荼羅』とするものとの⼆系統があるが、いずれも⼗七尊からなり専⾨的な知識が無ければ⾒分けはつかない。*[71] また、この『愛染曼荼羅』に関する限り、「⾦剛王菩薩」は先に『胎蔵界曼荼羅』に登場し、本尊の「⼤⽇如来」と同じ⼤きさで描かれているが、愛染明王の姿との共通点も乏しく、「⾦剛薩埵」は諸経に説かれる別個の尊挌であるから、根⽴研介の研究や、柴⽥賢⿓の指摘にもあるように曼荼羅における本尊の差し替えと⾒てもよい。

•『理趣経』に基づき、『⼤楽⾦剛薩埵修⾏成就儀軌』と『⾦剛界曼荼羅』の「理趣会」を底本とする『愛染曼荼羅』の秀作として挙げられるものは、根津美術館蔵の絹本著⾊「愛染曼荼羅図」(鎌倉時代前期)*[72] である。この根津美術館 蔵の絹本著⾊「愛染曼荼羅図」は、中央に愛染明王を置き、『⾦剛界曼荼羅』に従って東を下として、東⽅(下⽅)に「欲⾦剛菩薩」を配し、時計回りに南東に「焼⾹⾦剛⼥」、南⽅に「触⾦剛菩薩」、南⻄に「華⾦剛⼥」、⻄⽅(上⽅)に「愛⾦剛菩薩」、北⻄に「燈⾦剛⼥」、北⽅に「慢⾦剛菩薩」、北東に「塗⾹⾦剛⼥」を配する。これは、「欲・触・愛・慢」の四⾦剛と、「焼⾹・華・燈明・塗⾹」の外四供養からなる構成である。更に、その外側の四正⽅向には、東⽅に「鉤菩薩」、南⽅に「索菩薩」、⻄⽅に「鏁菩薩」、北⽅に

「鈴菩薩」の四摂菩薩を配し、四隅⽅向の南東には「嬉菩薩」、南⻄には「鬘菩薩」、北⻄には

「歌菩薩」、北東には「舞菩薩」の四供養菩薩を配して『愛染曼荼羅』とする。この曼荼羅と同系統のものには、醍醐寺の絹本著⾊「愛染曼荼羅図」(南北朝時代)*[73] がある。図像の構成が四重院から成り広がりがあるが、諸尊とその配置は変わらない。

•『⾦剛王菩薩秘密念誦儀軌』に基づく『愛染曼荼羅』の秀作として挙げられるのは、随⼼院の絹本著⾊「愛染曼荼羅図」(平安時代 末期

-鎌倉時代初期)*[74]である。この随⼼院 の絹本著⾊「愛染曼荼羅図」は、中央に愛染明王を置き、⾦剛王菩薩が胎蔵界に属するため

『胎蔵界曼荼羅』に従って東を上として、東(上⽅)に「愛楽⾦剛」を配し、時計回りに南東に「愛楽⾦剛⼥」、南⽅に「意気⾦剛」、南⻄に「意気⾦剛⼥」、⻄⽅(下⽅)に「意⽣⾦剛」、北⻄に「意⽣⾦剛⼥」、北⽅に「計⾥枳羅⾦剛」、北東に「計⾥枳黎⾦剛⼥」を配する。更に、その外側の四正⽅向には、東⽅に「⾊菩薩」、南⽅に「声菩薩」、⻄⽅に「⾹菩薩」、北⽅に「味菩薩」の四菩薩を配して、真⾔の

「弱・吽・鑁・斛」(ジャク・ウン・バン・コク)の四⽂字を具象化させて、四隅⽅向の南東には「焼⾹⾦剛⼥」、南⻄には「華⾦剛⼥」、北⻄には「燈⾦剛⼥」、北東には「塗⾹⾦剛⼥」の外四供養をその明妃として配して『愛染曼荼羅』とする。

両頭愛染曼荼羅

8.3 立体曼荼羅

9 寺院

愛染明王は守護尊(明王などの⼒のある尊挌を脇持や念持仏とすること)として祀られることが多いが、以下のように本尊としている例も存在する。

愛染明王を本尊とする寺院

• 愛染堂(勝鬘院)(⼤阪市天王寺区)-聖徳太⼦建⽴の四天王寺四院の⼀つ。⻄国愛染⼗七霊場 第 1番札所。

• ⾦剛三昧院(和歌⼭県⾼野町)- 北条政⼦ 所縁の寺。源頼朝の念持仏である愛染明王を祀る。本尊は国の重要⽂化財で、⻄国愛染⼗七霊場第 17番札所。

• 舎那院(滋賀県⻑浜市)- 本尊は鎌倉時代 の作で国の重要⽂化財。豊⾂秀吉が奉献したとされる。

• 愛染院(東京都練⾺区)- 本尊の愛染明王像は秘仏。

• 光明⼭愛染院(東京都板橋区)-地元の染物業者の信仰対象となっている。

• 愛染明王堂(静岡県下⽥市)- 鶴岡⼋幡宮 寺旧蔵、伝・仏師運慶 の作。

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8 11 注

• 駒形⼭妙⾼寺(新潟県⼩千⾕市)-源頼朝の家⾂⽥中義房の守護仏とされ、直江兼続も戦勝を祈願したと伝える愛染明王坐像(重要⽂化財)を本尊とする。像⾃体は檜の寄⽊造りで、鎌倉時代の作。

その他、愛染明王を祀る代表的な寺院

• ⻄⼤寺(奈良県奈良市)-重要⽂化財の愛染明王像は善円の作。京都御所の近衛公政所御殿を移築した愛染堂に安置。⻄国愛染⼗七霊場第 13番札所。

• 神護寺(京都市右京区)-重要⽂化財の愛染明王像は仏師康円の作。

• 神童寺(京都府⽊津川市)-天⼸愛染像。

• 覚園寺(鎌倉市⼆階堂)-愛染堂の愛染明王坐像は鎌倉時代後期の作。

• ⻑雲寺(⻑野県千曲市稲荷⼭)-重要⽂化財の愛染明王像は、寛⽂13年(1673年)京都の仏師久七作。

• 放光寺(⼭梨県甲州市)-重要⽂化財の愛染明王坐像は平安時代の作。天⼸愛染明王では⽇本最古の像と⾔われる。

10 美術館等

• 細⾒美術財団 -絹本著⾊「愛染明王像」(図像として⽇本最古のもの:12世紀)、平安時代。

• 五島美術館 -⽊造「愛染明王像」(伝、鶴岡⼋幡宮寺旧蔵:1265年以前の作)、鎌倉時代。

• 奈良国⽴博物館 -⽊造「愛染明王像」(重要⽂化財:1276年、仏師快成 作)、鎌倉時代。

• 東京国⽴博物館 - ⽊造厨⼦⼊「愛染明王坐像」(13世紀 −14世紀)&厨⼦絵、鎌倉時代。

• 根津美術館 - 絹本著⾊「愛染曼荼羅図」。絹本著⾊「愛染明王像」(図像:13世紀 −14世紀)、後醍醐天皇 の宸筆あり。

• MOA美術館 -絹本著⾊「愛染明王像」(図像、京都の愛染院に伝来:1327年頃の作)。

• ボストン美術館 -絹本著⾊「如来荒神曼荼羅図」。

11 脚注

[1]「プルパ⾦剛」は梵名を「キラヤ」または、「ヴァジラ・キラヤ」といい、⾦剛は漢訳の際には称号であり、⽇本密教の明王に相当する尊挌である守護尊(イダム)あるいはヘールカ であることを意味する。

[2] ここでは例として、『ドゥジョム・テルサル』の灌頂儀軌・次第や、『ドゥジョム・リンポチェ全集』におけるグル・デワ・ダキニの『三根本法解説』を指す。

[3] チベット密教特有の呼び名であるグル・デワ・ダキニの三尊について、「グル」は導師を意味し、「上師」と漢訳する。チベット密教において直接的には「グル・リンポチェ」、つまりはグル・パドマ・サンバヴァ(蓮華⽣⼤師)や、その成就相であるツォチィ・トゥディを指している。「デワ」はデーヴァ、つまりは「天部の神」を意味し、チベット密教では「護法尊」や「守護尊」と呼ばれるヘールカや明王、各宗派における護法などの諸天の尊挌を指していて、ニンマ派ではグル・タポ(憤怒相蓮華⽣⼤師)やプルパ⾦剛のことを⾔う。「ダキニ」は「空⾏⺟」と訳される後期密教に特有の⼥尊を意味し、ニンマ派では獅⼦⾯空⾏⺟(シンハ・ムカ)や菩薩としてのイェシェ・ツォギャル仏⺟を指している。

[4]『ドゥジョム・テルサル』はドゥジョム・リンパ(1835 - 1904)のテルマ(埋蔵経)で、ネパール版の『ドゥジョム・リンポチェ全集』にも収められている。この版は、ドゥジョム・リンポチェ(1904- 1987)の校訂本であるが、原本はドゥジョム・リンパの発⾒によるサテル(地下の埋蔵経)の写本であり、伝承によるとグル・パドマサンバヴァ(漢名:蓮華⽣⼤師、8 - 9世紀)の直弟⼦であった⼥性の瑜伽⾏者イェシェ・ツォギャルの⼿になるものとされている。密教では、不空 三蔵の伝えた⾦剛頂経 の⼗⼋会にわたる経典の説話のように伝承の事項であっても、それが考古学や⽂献学によって考証や否定の証明がなされない間は、伝承を重んじ、⼀応それを⽬安としておくことになっているので、ここでは伝承上の資料とする。チベット密教では、インド伝来のニンマ派・サキャ派・カギュ派 の三宗派が、いずれもこの「プルパ⾦剛法」を歴史上のグル・パドマサンバヴァの伝授によるとし、後のインド密教 の資料も伝来している。ただ、プルパ⾦剛という尊格は、その梵名を「キラヤ」と⾔い、チベット密教での通常の呼び名を「プルパ」と⾔う様に、⼀般にテントを張る際の四隅に打ち込む

「杭」に相当する密教の法具である「⾦剛橛」(こんごうけつ;プルパ杵、漢訳:普巴杵)と呼ばれる法具に起因することは、尊格の三昧形が「⾦剛橛」であることや、この尊格が中央の左右の第⼀⼿に

「⾦剛橛」を⼿にして描かれることからも明らかである。現在の⽇本密教の事相は鎌倉時代に復興してできたものであるため、この「⾦剛橛」に馴染みがないが、グル・パドマサンバヴァと同時代の弘法⼤師空海の『御請来⽬録』によると、五鈷鈴・五鈷杵・三鈷杵・独鈷杵等の法具と共に「橛」(けつ:⾦剛橛のこと)の名が書かれている。現在は主に真鍮製が多いが当時は調伏を⽬的とするため鉄製であることが『御請来⽬録』の原本には但し書きとして記⼊されており、この空海 の請来になる現物の「橛」は存在しないが、鎌倉時代初期の写しである「橛」が東京国⽴博物館 に所蔵されていて、チベット密教の伝承する法具に近い形をしていることからも、プルパ⾦剛と「プルパ⾦剛法」の発⽣の古さが伺われる。

[5] この項は、『秘宝第 6 巻東寺』・『秘宝第 8 巻醍醐寺』を参照。

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9

[6] サキャ・パンディタ・クンガ・ギャルツェン(1182-1251)は、⻄蔵⼤蔵経の『⾦剛橛根本本続⼀分』(北京版 no.78、チベット語:rdo rje phurpa rtsa bahi ygyudkyi dum bu、梵語:vajrakilaya-mulatantra-khanda)の奥書に、パドマ・サンバヴァの梵本原典と対校したと記している。また、プトン(bu-ston:1290-1364)は、サムイェー寺 でインドの原典(梵本)が発⾒され、当時のネパール でも⾦剛橛(vajirakila:プルパ⾦剛)のタントラが発⾒されたとしている。

[7]『古タントラ全集解題⽬録』(国書刊⾏会)、「4、古タントラの原典」、p24。

[8]『仏説瑜伽⼤教王経』は、『幻化網タントラ』の抄訳とされている。

[9] ⽇本密教では、異名の「烏枢沙摩明王」の名がよく知られていて、穢跡⾦剛と「烏枢沙摩明王」が異名同尊の同じ尊挌とされるが、中国密教の「唐密」(タンミィ)では異名異尊の別々の尊挌とされ、チベット密教でもその働きや⾊によって名前や尊挌が異なるとする。また、穢跡⾦剛の別名である

「⼤⼒⾦剛」(マハ・バーラ:maha bala)は、後期密教における穢跡⾦剛の通名であるが、清代の中国密教の「⻄密」(シーミィ;⻄蔵密宗)においてもよく信仰されており、縁あってそれが戦前の⽇本にも請来されて、⼀⾯⼆臂の尊像が愛染明王の⼀番札所でもある『勝鬘院』(愛染堂)の境内にある祠に祀られている。

[10]「⼤愛明王」をあえて梵語に還元すると、「⼤=マハー」と「愛=ラーガ」で、「⼤愛 明王=マハー・ラーガ」(maha lagar)とすることもできる。更に、⽊村秀明 も『幻化網タントラの諸尊』の中で「タキ・ラージャ」を愛染明王であるとしている。なお、その持ち物から、図像学的には「タキ・ラージャ」を降三世明王 とする説もある。

[11]『瑜伽⼤教王経所説の曼荼羅について』(智⼭学報)、pp.49-50。

[12]「『幻化網タントラの諸尊』曼荼羅の構成尊」、pp.121-122。

[13]『⼤理国時代の密教における⼋⼤明王の信仰』(密教図像第 26号)、pp.55-56。

[14] ネパール にもインドから直接伝わった「ネパール密教」があり、後期密教の教えの⼀つとしてクク・ラージャ(⻄蔵名:ククリパ)の系統の『幻化網タントラ』が伝えられている。「ネパール密教」は学問的な調査が進んでいないので未知の部分が多いが、この『幻化網タントラ』の⼤タンカである曼荼羅には三⾯⼗⼆臂のタキ・ラージャである愛染明王が「持明院」に登場する。その⾝は⾚⾊で⼗⼆臂で⼆⾜、顔の三⾯のうち中央が⾚⾊の顔、尊挌の右側が緑⾊の顔、尊挌の左側が⻘⿊い⾊の顔をしていて、それぞれに五智の宝冠を被っている。中央の左右の第⼀⼿で⼤⽇如来 の「転法輪印」を結び、右の第⼆⼿には「⾦剛杵」、左の第⼆⼿には

「⾦剛鈴」を持ち、右の第三⼿には「蓮華」、左の第三⼿には「牽索」を持ち、右の第四⼿には「⽮」、左の第四⼿には「⼸」を持ち、右の第五⼿には「⾦剛鉤」、左の第五⼿には⽢露 である不死のアムリタを満たし如意宝珠 を浮かべた「髑髏杯」(カパラ)を持ち、左右の第六⼿で「⼤三昧印」を結んでい

る。持物が⽇本の愛染明王と完全に⼀致するので、今後の図像学的な研究対象となると考えられる。

[15]『寛平法王御作次第集成』を参照のこと。現在の次第では短い真⾔が伝えられ、通称を「キリ呪」とも⾔う。

[16]『密教⼤辞典』、「愛染明王」、p5。

[17]『⽩宝⼝抄』(びやくほうくしょう)は『⽩宝⼝鈔』とも表記し、13 世紀に東寺の観智院・亮禅 と宝蓮華寺・亮尊 による共著として、真⾔密教における事相 と図像の百科事典であり、167巻からなる。亮禅は⻄院流の能禅より伝法潅頂を受け、後に東寺の⼆⻑者(にのちょうじゃ)をつとめ、1279 年には東寺の菩提院 の開⼭となった⼈物。

[18]『密教⼤辞典』、「愛染明王」、p5。

[19]『図説真⾔密教のほとけ』、「愛染明王」、p137、p140、pp.145-146。

[20] サンスクリットの原典は発⾒されていない。

[21] ここで愛染明王とする「タキ・ラージャ」(takki raja)は、チベット語では「hDod pahi rgyalPo」とする。これを図像学的には降三世明王 とする研究があることは先に述べた通りである。

[22]『中央チベットにおける⼋⼤菩薩と併置される仏と守⾨神』(密教図像第 26号)、pp.19-23。

[23]『三尊合⾏秘次第』は、別名『⼀⼆⼨合⾏秘次第』ともいう。

[24]「『⽂観著作聖教の再発⾒』三尊合⾏法のテクスト布置とその位相」(名古屋⼤学⽂学研究科)、p120。

[25] 円光寺は、開基の時の名称は「常福寺」という。

[26]「『密教⼯芸』神秘のかたち」(奈良国⽴博物館)、p17-図版 10、p62-図版 10、p63-図版 11。

[27]『両頭愛染曼荼羅の成⽴に関する⼀考察』(印度學佛教學研究:第六⼗巻第⼆号)、pp.615-618。

[28]『⾼野⼭』(総本⼭⾦剛峯寺)、p21。

[29] 【イチから分かる】直江兼続「信義ある智将」に残る謎 (3/4ページ)産経ニュース 2009.5.6

[30]『愛染明王(国宝)御由来記・御縁記・御霊験記』(駒形⼭妙⾼寺)、pp.3-6。

[31] ⼀⼝に「愛欲」と⾔うが、世俗における愛や欲を密教の智慧の炎である智⽕ によって浄化し、それらが昇華されて仏智に基づく働きとなったものを

「⼤愛」または「⼤欲」という。なお、ここで⾔う「⼤欲」とは、⼤楽思想で知られる『理趣経』等に説かれるものを指している。

[32] 冠の上に突き出ているのは、「五鈷鉤」ではなく「五鈷杵」とする説もある。

[33] 両⽿の脇から前⽅に伸びるケープ状の装飾。⼀般に、⾝体に掛かる⽻⾐を天⾐と呼び、こちらは天帯という。

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10 11 注

[34]「四魔」(梵:catvara marah)とは、⼈間を内と外から苦しめる事象を魔物に譬えたもので、煩悩魔・五蘊魔・死魔・天魔の四つをいう。密教的には、この「四魔」を調伏することが出来れば、六道輪廻の苦しみを離れ、法⾝が姿を現し、解脱に⾄ることになるとされる。

[35]『⻄国愛染⼗七霊場巡礼』(朱鷺書房)、序⽂ pp.3-4。

[36] 潅頂というと、⽇本では⾼野⼭で毎年 5⽉に⾏われる『胎蔵界結縁潅頂』と、10⽉に⾏われる『⾦剛界結縁潅頂』が有名であるが、これらは『⼤⽇経』や『⾦剛頂経』などの「経典に基づく潅頂」であって、チベット密教では「タントラの潅頂」と呼ばれるものを指し、五⼤タントラ にも数えられる『カーラチャクラの潅頂』(時輪タントラ)が世界的に知られている。ここでいう個別の潅頂とはこれとは違い、チベット密教では「ジェナン」と⾔い「許可潅頂」と和訳される。この潅頂は正式な阿闍梨の資格をもつ者であれば、基本的に誰でも⾏うことができ、チベット密教や中国密教では⽇常的に⾏われている「諸尊の潅頂」である。⽇本では、空海 の直筆の資料である『請来上表』の中には、「許可潅頂」と「授明潅頂」を授かること再三にわたると述べていて、⼀般には知られていないがそれほど特殊な潅頂ではない。現在の⽇本で知られる「諸尊の潅頂」としては、信貴⼭真⾔宗 の朝護孫⼦寺 で 12年に⼀度の寅年に⾏われる

「毘沙⾨天王結縁潅頂」、天台宗では⻩不動で知られる園城寺(三井寺)で⾏われる「不動明王 結縁潅頂」、真⾔宗 では智⼭派 の成⽥⼭新勝寺 で⾏われる「不動明王結縁潅頂」等がある。なお、愛染明王に関係するものとしては、⾼野⼭真⾔宗 の⾦剛峯寺で⾏われる『瑜祇潅頂』がある。

[37]『幻化網タントラ における潅頂』(印度學佛教學研究)、pp.859-861。

[38] いわゆる密教 の実習の際には、まず先に「ワン」(潅頂)と「ルン」(⼝誦・⼝伝)と「ティ」(講義・伝授)を必要とする。潅頂を最初とするのは、⼩乗戒・⼤乗戒・三昧耶戒 の三つの戒律を儀式の中で授かるからである。⼩乗戒を授からなければ正式な「仏教徒」ではないし、⼤乗戒を授からなければ菩提⼼を備えた「菩薩」ではない。さらには、三昧耶戒を授からなければ密教を修する資格を得た「瑜伽⾏者」とはいえない。これら三乗の戒を得ていなければ仏教の瞑想にはならず、かりに密教のテキストに基づいたとしてもそれは外道の聖者の瞑想であり、結果的に外道 の覚りを得るばかりで、六道輪廻の苦しみを離れることはない。それゆえ、潅頂の中で授かる戒律は、その教えの道を⽅向づける羅針盤 の役⽬をする。また、その上で「潅頂 の種類」と、その儀式の各所作の意味と、『三昧耶戒』の⼝伝について師僧 から教えを受けて知っておく必要がある。なお、潅頂を授からずに真⾔ を唱えることは、潅頂や戒律とは別に密教 における真理を表す⼝密としての「真⾔」そのものの意義を失い、加えて『三昧耶戒』における

「⼗四根本堕」の四重禁戒の項⽬「未熟な者には密教の教えを説いてはならない」に違反し、密教における「波羅夷罪」が適⽤される。ここで、⼀般の⼈の場合になぜ授かってもいない戒律の適⽤を受けるかというと、三昧耶戒 はあらゆる存在を通じて真理をその⾝に体現することを象徴するから

である。それゆえ解説を加えると、この戒律の例として、正式な潅頂 を授かっていない⼈に対しては、諸仏や諸尊の真⾔(マントラ)を教えてはいけないし、唱えさせてもいけないし、唱えることを許してもいけない。それを教えたり許可した際にはこの戒律 に違反することになり、「波羅夷罪」が適⽤されて、たとえば僧侶 の場合には「僧籍に加え全ての資格を失うと共に、2年間⼀切の宗教活動を禁⽌し、⼆度と僧侶となることは出来ない」ことになってしまう。

[39]『講説理趣経』(四季社)、pp.220-226。『新出・空海書請来上表』(墨美社)、p14、p42、pp.59-60。『皈依灌頂儀規』(總持出版社)、p10、p15。『中院流諸尊通⽤次第撮要』(親王院)、pp.4-7。『⾦剛乗殊勝⼼要宝蔵解説』(蓮華堂出版部)、pp.75-79。『いのちつながる』(⾼野⼭真⾔宗総本⼭⾦剛峯寺)、pp.202-204。

[40] ⼀⾏ 著『⼤⽇経疏』巻三(⼤正⼤蔵経39 巻、p609)。「摩訶衍(マハヤーナ:⼤乘教。ここでは密教を含む)の中には、また真⾔を以って秘密の教えとする。未だ曼荼羅に⼊らざる者、即ち、灌頂を授かっていない者には、読誦せしめず。(中略)このゆえに、真⾔ を修し学ぼうとする者は、先ず曼荼羅に⼊らしめて、灌頂を授けることを要するなり(摩訶衍中亦以持明為秘蔵。未⼊漫荼羅者不合読誦受持。(…)所以修学真⾔者。要令先⼊漫茶羅也。)」。

[41]『ダライ・ラマの密教⼊⾨』(光⽂社)、pp.48-53。

[42]『【図説】曼荼羅⼤全』(東洋書林)、pp.37-40。

[43] 不空 訳『蕤呬耶経』巻下(⼤正⼤蔵経18 巻、p772)。「もし、愚⼈あって、曼荼羅 に⼊らずして(潅頂を授かっていないのに)真⾔を唱えたならば、遍数を満ずるといえども、ついに成就せず。復た、(真⾔ を唱えたために)邪⾒を起こしたならば、その⼈は命が尽きてから地獄に堕ちる。もし、⼈あって彼に真⾔の法を教えたならば、その⼈もまた、三昧耶戒 に違反することとなり、命を終えた後に、叫喚地獄(raurava)に堕ちる」(若有愚⼈不⼊曼荼羅持誦真⾔。雖満遍数終不成就。復起邪⾒。彼⼈命終堕於地獄。若有⼈与彼真⾔法者。彼亦堕三摩耶戒。命終之後堕於嚕羅婆地獄。)。

[44]『秘密三昧耶佛戒儀』(總持寺出版社)、p28。『外内密戒律⾦剛乗⼗四根本堕講義解』(總持寺出版社社)、pp.9-10。『外内密戒律⼿冊』(總持寺出版社)、pp.41-44。『普通真⾔蔵』第⼆巻・付(東⽅出版社)、稲⾕裕宣 著「浄厳 覚彦の『普通真⾔蔵』」、pp.50-52。『普通真⾔蔵』第⼆巻・付(東⽅出版社)、上⽥霊城 著「浄厳和尚と真⾔陀羅尼」、pp.65-67。『中院流諸尊通⽤次第撮要』(親王院)、pp.261-272。『仏教タントリズムにおける⾔葉の問題』(⽇本密教学会)、pp.5-15。『⾦剛乗殊勝⼼要宝蔵解説』(蓮華堂出版部)、pp.51-53。『潅頂のための次第書』(蓮華堂出版部)、pp.9-13。『ダライ・ラマの密教⼊⾨』(光⽂社)、pp.137-141。

[45] 江⼾時代 の「戒律復興運動」に功績があり、如法真⾔律 を提唱し、⽣涯において三⼗数万⼈の僧俗に対して正しい戒律 と潅頂 を授けた浄厳 覚彦の

『普通真⾔蔵』によると、真⾔ について書かれた

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書物を売買してもいけないとして、真⾔ の⼤切さと三昧耶戒 の厳しさを説いている。

[46]『普通真⾔蔵』第⼀巻(東⽅出版社)、p1。

[47] 三宝院⼤僧正定海(1074-1149)の⼝伝を、松橋⼤僧正元海(1093-1156)が記した『厚造紙』愛染法による。

[48]『密教経軌の説く⾦剛薩埵の研究』(永⽥⽂昌堂)、「3、『降三世儀軌における⾦剛薩埵』」、pp.271-281。

[49]『理趣経の研究』(密教⽂化研究所)、「別冊」、pp.5-11。

[50]『秘抄』は、勝賢僧正(1138-1196)の原作を仁和寺の守覚法親王 が編集したもので、真⾔密教における諸尊の修法の次第を伝える資料集。『秘鈔』とも表記する。

[51] 空海が「⼋⼤明王法」を知っていたかについては、唐代の密教の貴重な資料とされる 1987 年に出⼟した法⾨寺 の地下宮殿の遺跡の中でも仏舎利を祀った純⾦「真⾝宝函」に⼋⼤明王がレリーフで彫られている。そして、法⾨寺博物館の館⻑が来⽇した際に奈良国⽴博物館 で⾏なった講演では、中国の資料には「開元 の三⼤師」として不空 三蔵・恵果 阿闍梨・空海の三⼈がこの仏舎利を祀った法⾨寺仏塔で法要を⾏なったとのことである。このうち空海をはずしたとしても、不空と恵果の嫡流である空海が「⼋⼤明王法」に関する知識を得ていたと考えてもよい。詳しい資料としては『法⾨寺地宮出⼟の真⾝宝函に表わされる⼋⼤明王ついて』(名古屋⼤学博物館)があり、⼀般的な資料としては拡⼤写真を掲載した『弘法⼤師空海と唐代密教』(法蔵館)が参考になる。

[52] 越智淳仁著「中国・法⾨寺所出⾦剛界曼荼羅の⼋⼤明王」、『弘法⼤師空海と唐代密教』、pp.192-234。

[53]『⼤妙⾦剛経』の正式名称は、『⼤妙⾦剛⼤⽢露軍孥利焔鬘熾盛⾦剛経』という。

[54] 法具としての名称は「華座」という。

[55]『⼤妙⾦剛経』に説く⼋⼤明王は、降三世明王、⼤威徳明王、⼤笑明王(だいしょうみょうおう)、⼤輪明王、⾺頭明王、無能勝明王、不動明王、歩擲明王(ぶちゃくみょうおう)の⼋尊からなる。⼀般に真⾔宗では、「五⼤明王」に烏枢沙摩明王、無能勝明王、⾺頭明王 の三尊を⾜して⼋⼤明王とするが、天台宗 の「五⼤明王」には烏枢沙摩明王が⼊っているので、この三尊では⼋尊にはならない。

[56] ⽩描の断⽚的なものを除けば、⽇本で唯⼀『⼤妙⾦剛経』に基づく⼋⼤明王を配置する曼荼羅の図像であり、⽇本密教 と後期密教との関係を考察する上での重要な資料となる。なお、⽩描の図像には、同じく醍醐寺蔵の「⼋⼤明王図」(重要⽂化財)がある。『秘宝第 8巻醍醐寺』(講談社)を参照。

[57]『⼋⼤ヘールカ法』は『修部の⼋教説』(ドゥパ・カギェー:sgrup pa bkah bragyad)、または『⼋⼤守護尊の⼤系』(イダム・ドゥパ・カギェー:yidam sgubpa bkah bragyad)と呼ばれる。持明⾦剛(rig hdzinslopdponlha:⾦剛王菩薩 に相当)の総集ヘールカ

(チェチョク:che mchog)を中⼼に、妙吉祥ヘールカ(⼤威徳明王)・蓮華ヘールカ(⾺頭明王)・真実ヘールカ・⽢露ヘールカ・⾦剛橛ヘールカ(プルパ⾦剛)・殊勝ヘールカ・呪語ヘールカ・世神ヘールカの⼋体の守護尊を加えて、全部で九尊の憤怒尊を祀り修法を⾏なうもので、歴史上のグル・パドマサンバヴァ によってチベットに直接伝えられた教えと⾔われ、主にニンマ派 において重要な法とされている。

[58]「⻄蔵仏教宗義研究第三巻トゥカン『⼀切宗義』ニンマ派の章」(東洋⽂庫)、pp.108-109、p161。゚

[59]『薄双紙』と、『諸尊通⽤次第』の各尊の次第を参照のこと。

[60]『愛染法⼤全』(蓮華堂出版部)を参照。

[61]「咕羅咕⾥佛⺟」は中国密教の呼称。梵名の「クルックレー」のことを指していて、チベット密教では

「敬愛法」の代表的な尊挌とされており、⽇本密教では『理趣経』の曼荼羅には「愛⾦剛⼥」の名前で、『⾦剛王菩薩秘密念誦儀軌』には「計⾥枳黎⾦剛⼥」の名前で登場する。

[62]「伊迦惹托」は中国密教の呼称。梵名は「エカジャティ」または「エーカジャターラークシャーヤャ」といい、⽇本では「⼀髻羅刹」(いちけいらせつ)と訳される。チベット密教のニンマ派では、「ガクスンマ」とも呼ばれ、⼥尊の護法尊の筆頭とされている。なお、憤怒相の⼗⼀⾯観⾳の明妃として⽇本の胎蔵界曼荼羅 にも登場し、後期密教では重要な尊挌である。

[63] 相⼿に執着し、離れがたいと思うこと。また、そこから⽣じた独占欲。

[64]『愛染明王像』(⾄⽂堂)、p14-第 18図、p68-第 119図。

[65] 真⾔律宗総本⼭の⻄⼤寺にある愛染明王坐像(重要⽂化財)の厨⼦絵では、愛染明王の両脇持として、陽光童⼦(左)と⾬宝童⼦(右)の⼆体が描かれている。

[66] 真⾔宗⼩野派・⾦胎房覚禅(1143-1213頃)が編纂した事相の作法と図像集。当時、⾼野⼭や醍醐寺・勧修寺に伝わる資料に加え、「図像抄」や「別尊雑記」等を調べて、別尊法の次第や図録を書き記したもの。当初は、百巻あったともされ「百巻抄」とも呼ばれるが、原本は失われて写本のみが伝わり、写本ごとに巻数や内容が異なる。その中で有名なものには「勧修寺本」がある。

[67]『愛染明王像』(⾄⽂堂)、p77-第 131図。

[68]「葉⾐観⾳」は⽇本での通称。「葉⾐仏⺟」あるいは単に「葉⾐」とも⾔い、チベット密教では薬師如来 を筆頭とする「治病三尊」にも数え、憤怒相で描かれるのが普通である。もとは、道教 の「神農」と同様に⽊の葉を腰に巻きつけた、インドにおいて薬草 を神格化した⻤神である。

[69] この本は、⼊唐⼋家の宗叡 の請来本と⼀致し、宗叡の請来本を空海が筆写したものと伝えられている。

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12 12 参考⽂献

[70]『愛染明王画像⼆題』(佛教藝術 268 号)、「註 8」、p30。

[71]『理趣経』を⼀つの図像で表す曼荼羅には『⾦剛界曼荼羅』の「理趣会」を切り取った形の『理趣会曼荼羅』と、四印曼荼羅の『理趣経曼荼羅』の⼆つがあり、『愛染曼荼羅』に関係するのは『理趣会曼荼羅』の⽅である。現在、⼀般に「理趣経曼荼羅」と呼ばれているものは、同じく前者の『理趣会曼荼羅』指しているので、注意を要する。

[72]『愛染明王像』(⾄⽂堂)、p13、第 16-114図。

[73]『愛染明王像』(⾄⽂堂)、p67、116図。

[74]『愛染明王像』(⾄⽂堂)、p17、第 17-115図。

12 参考文献

• ⾦⼦英⼀ 著『古タントラ全集解題⽬録』、国書刊⾏会、昭和 57年(1982年)刊。

• 武内孝善著『寛平法皇御作次第集成』、東⽅出版、1997年刊。

•『⼩僧次第』、古写本。

•『秘抄』(巻⼦本)、三宝院憲深⽅古写本。

• 那須政隆 著『瑜伽⼤教王教所説の曼荼羅について』、智⼭学報(新第 11巻)、昭和 12年

(1937年)刊。

• ⽊村秀明 著「『幻化網タントラの諸尊』曼荼羅の構成尊」、密教学研究(第 21号)、1989年刊。

• 中条裕康著『幻化網タントラにおける曼荼羅』、豊⼭教学⼤会紀要(通号 16)、1988年刊。

• 川崎⼀洋著『⼤理国時代の密教における⼋⼤明王の信仰』、密教図像(第 26 号)、平成 19年(2007年)刊。

• 密教⼤辞典編纂会遍「『密教⼤辞典』-縮刷版-」、法蔵館、昭和 62年(1987年)刊。

• ⽥村隆照 著『図説真⾔密教のほとけ』、朱鷺書房、1990年刊。

• ⼤⽻恵美著『中央チベットにおける⼋⼤菩薩と併設される仏と守⾨神』、密教図像(第 26号)、平成 19年(2007年)刊。

• 栂尾祥雲著『理趣経の研究』(⾮売品)、密教⽂化研究所、昭和 45年(1970年)刊。

• 栂尾祥雲著『理趣経の研究』(栂尾祥雲全集 5)、臨川書店、昭和 60年(1985年)刊。[上記の再版本]

• 平岡⿓⼈ 著『密教経軌の説く⾦剛薩埵の研究』、永⽥⽂昌堂、平成 24年(2012年)刊。

• 佐和隆研著『秘宝第 6巻東寺』、講談社、昭和42年(1967年)刊。

• 佐和隆研著『秘宝第 8巻醍醐寺』、講談社、昭和 42年(1967年)刊。

• 阿部泰郎 著「『⽂観著作聖教の再発⾒』三尊合⾏法のテクスト布置とその位相」、名古屋⼤学⽂学研究科、2008年刊。

• ⾒⽥隆鑑著『法⾨寺地宮出⼟の真⾝宝函に表される⼋⼤明王について』、名古屋⼤学博物館報告第 21号、2005年刊。

• 静慈園 編『弘法⼤師空海と唐代密教』、法蔵館、2005年刊。

• 頼富本宏 著『⽇中を結んだ仏教僧』- 波濤を超えて決死の渡海 - 、(社)農⼭漁村⽂化協会、2009年刊。

• ⽊村秀明 著『幻化網タントラにおける潅頂』、印度學佛教學研究第 39 巻第 2 號、平成 3 年刊。

• 宮坂宥勝著『講説理趣経』-『理趣釈』併録-、四季社、平成 17年刊。

• 飯島太千雄 写真・⽂『新出・空海 書請来上表』(墨美№286)、墨美社、1978年刊。

• 空海 原著『秘密三昧耶佛戒儀』、普⽅⾦剛⼤阿闍梨監修、總持寺出版社、⺠国 70年(1981年)刊。

• 普⽅⾦剛⼤阿闍梨著『皈依灌頂儀規』、總持寺出版社、⺠国 70年(1981年)刊。

• 普⽅⾦剛⼤阿闍梨⼝述『外内密戒律⾦剛乗⼗四根本堕講解』、總持寺出版社、⺠国 69年

(1980年)刊。

• 普⽅⾦剛⼤阿闍梨編著『外内密戒律⼿冊』、總持寺出版社、⺠国 69年(1980年)刊。

• ダライ・ラマ⼗四世著『ダライ・ラマの密教⼊⾨』(⽂庫版)、⽯濱裕美⼦訳、光⽂社、2001年刊。

• マルティン・ブラウエン著『【図説】曼荼羅⼤全』、森雅秀訳、東洋書林、2002年刊。

• 岡坂勝芳訳『潅頂のための次第書』、ナムカ・キュンゾン・ダルマ・ソサイェティ監修、蓮華堂出版部、2006年刊。

• 岡坂勝芳編著『⾦剛乗殊勝⼼要宝蔵解説』、ギェーパ・ドルジェ・リンポチェ伝戒・許可、蓮華堂出版部、2003年刊。

• 梶⼭雄⼀著『仏教タントリズムにおける⾔葉の問題』(密教学研究第 11 号)、⽇本密教学会、昭和 54年(1979年)刊。

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• ⾦剛峯寺 編『いのちつながる』-松⻑有慶 講演集 -、⾼野⼭真⾔宗 総本⼭⾦剛峯寺開創法会事務局、平成 24年刊。

• 中川善教 著『中院流諸尊通⽤次第撮要』、親王院、昭和 63年(1988年)刊。

• 稲⾕祐宣編著『普通真⾔蔵』全 2冊、浄厳原著、東⽅出版社、1981年刊。

• ⾼野⼭⼤学編『中院三⼗三尊』、珠数屋四郎兵衛発売、平成 4年(1992年)刊。

•『薄双紙』、総本⼭智積院内・智⼭講伝所発⾏、藤井佐兵衛印刷、昭和 59年(1984年)刊。

• 岡坂勝芳編・校訂『愛染法⼤全』(⾮売品)、蓮華堂出版部、平成 20年(2008年)刊。

• 平松敏雄著「⻄蔵仏教宗義研究第三巻トゥカン『⼀切宗義』ニンマ派の章」、東洋⽂庫、1982年刊。

• ⽯⽥尚豊著『曼荼羅の研究』全 2巻、東京美術、昭和 50年(1975年)刊。

• ⽂化庁・ボストン美術館監修『ボストン美術館⽇本絵画名品展特別図録』、⽇本テレビ放送網、昭和 59年(1984年)刊。

• 奈良国⽴博物館編集「『密教⼯芸』神秘のかたち」、奈良国⽴博物館、平成 4年(1992年)刊。

• 内⽥啓⼀著「『愛染明王画像⼆題』根津美術館蔵とMOA美術館蔵を中⼼に」、佛教藝術(268号)、2003年刊。

• 根⽴研介 著『愛染明王像』、⽇本の美術9(№376)、⾄⽂堂、1997年刊。

• 鍵和⽥聖⼦著「『両頭愛染明王の成⽴に関する⼀考察』⾦胎不⼆の図像的表現を中⼼に」、印度學佛教學研究第六⼗巻第⼆号、平成 24年

(2012年)刊。

• 第⼗九世沙⾨域淳著『愛染明王(国宝)御由来記・御縁起記・御霊験記』、駒形⼭妙⾼寺、昭和 10年(1935年)刊。

• 柴⽥賢⿓ 著『愛染明王を説く教典儀軌の事』、柴⽥賢⿓⽂庫、平成 21年(2009年)。

• ⽇野⻄眞定監修『⾼野⼭』、総本⼭⾦剛峯寺編集・発⾏、平成 8年(1996年)刊。

• ⻄国愛染霊場会編『⻄国愛染⼗七霊場巡礼』、朱鷺書房、1994年刊。

• 南⽉著『愛染明王』-祈福懐愛⾏法 -、徳童描画、全佛⽂化事業有限公司、⺠国 88年(1999年)刊。

13 関連項目

• 仏の⼀覧

• 直江兼続

• 愛染かつら

• ⻄国愛染⼗七霊場

• チベット仏教

• 無上瑜伽タントラ

• 幻化網タントラ

• 准胝観⾳

• ゾクチェン